今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月13日の記事を紹介します。
「心の感度」
私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。
・見える世界(物理的な次元)
・見えない世界(黄泉の国)
・心の世界
一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。
心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。
ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、
永遠に続く幸福を作り出すことができます。
目に見える、物に執着したり、
目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、
まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。
私たち人間は「考える葦である」などと言われます。
ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。
生活するため、生きるためだけに働いているわけではありません。
生きている間に様々な事件が起こります。
様々な人との出会いと別れがあります。
誰かと友達になります。
長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。
愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。
それは全てこの世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。
子供たちに対する大規模なアンケート調査でも明らかなように
これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。
ですので、乗り越えられない試練や苦難は絶対に設定してきません。
全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。
心の感度を上げるためです。
さて、今日は。そのような観点から「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。
子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、
心温まるお話しです。
<引用開始>
小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、
小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。
六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。
毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。
来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・
教育委員会から
「お宅のお子さんは体が不自由だから 設備の整った肢体不自由児の中学校に
転校してください」って言われたのです。
ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。
六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・
署名運動までして嘆願した。
「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、
僕らがいます・・ 車椅子を担いででもやります」って言うんです。
そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。
三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、
身体不自由なうえに弱かったものですから
風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。
いつものように迎えに来た友達に、
ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。
『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。
お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。
お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・
お父さんではなかったんですね。
卒業式を終えられた校長先生が、
卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・
各学年で担任をされた先生方も・・
小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・
一緒に来てくれたのです。
校長先生は
『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっゃった。
みんな部屋に集まった・・
お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。
先生方は「よく頑張ったね!」と握手し 友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。
お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。
お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。
お父さんは、部屋のみんなに、 喉を詰まらせながら、お礼を言いました。
『息子は・・
皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・
何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・
人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・
ということを学んでくれたら、それだけで十分です』
NHKふれあいトークより
<引用終了>
家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。
父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。
私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、
卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。
彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。
(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)
父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。
私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。
今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。
そんな父を尊敬しています。
九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。
少年のお父様が言うように、何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、
それまで以上に優しく思いやりある人生に変わられたと思います。
ですが、
もしかしたら
それ以上に 「心の豊かさ」を手にいれたのは
九年間 車椅子を押し続けた同級生たちかもしれないですね。。
お互い様、お陰様。
有難いことですね。
こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、
全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。
私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ
魂を震わせ、良いことも悪いことも様々な経験を通じ、
人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。