2022年7月21日木曜日

2764「家族になった訳」2022.7.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年07月17日の記事を紹介します。


「家族になった訳」


世界で一番大切な人なのに・・・ 

家族って、どうしてこんなにも難しいものなのでしょうか?

本当のホンネでは、愛し、愛されているのに

誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・ 

憎しみ合う人たちも多い・・・

今日はそんなテーマです。

結婚するまでは、他人同志だった二人。

・生活感、

・価値観、

・金銭感覚、

・物事の受け取り方も

まるで違う者同士。

結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。

子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。

お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・

そう思っていたのに、実際は

家族だから苦しめ合っている そんな現実が、なんと多いことか。

家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。

ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが 

家族について次のように仰っています。

 

<引用開始>


みなさんは、家族は長く一緒にいて、自分の主張をし合うことが仲よしの証拠、

だと思っているところがあります。でも、私はそのように、家族をとらえていません。

家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、

目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという 

訓練の場なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、その他人に対しては

腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、

ものすごく激昂(げきこう)して、

腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていい、という特別な感情を持っているわけです。

もしここで、踏みとどまることができるなら、

その人は忍耐力というのを持っているわけです

自分で自分の感情が、制御できているんですね。

それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、 

別の人との関係ではコントロールできないというのは、

制御ができないのではなくて、制御をしないのです。

家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、甘えているという意味で

それを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、

多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、 

わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、 

それでもなおかつ、そのわがままを言わないために存在するのです。

言わないということは大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。

「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。

家庭というのはストレスを発散する場ではありません。

幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。

そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、 

家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。

幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、

子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てているのではなくて、 子どもが親を育てにきている

ということに気がつきます。

結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、相手が一人増えるわけです。

妻や夫という名の家族が。

そして、子どもができたときにはもう一人別な存在が、できてきます。

妻や夫や子どもが自分の思いどおりにならなかったりすると、 感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たないということの訓練の場として、

実は家庭というものが存在する。

ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。

<引用終了>

 

日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。

・上司が部下に怒鳴る

・妻に暴言を吐き、暴力を振るう

・年配者が若者に暴言を吐く

・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、

 怒鳴ったり、いら立ったりする

相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。

・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている

・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う

・いじける

そういう人には、すべて幼児性があります。

どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、

わがままで自分さえよければいいという、 甘えが抜けない。

それはまるで幼児と一緒です。

幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、 

つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。

幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、

怒鳴りまくってしまいます。

でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、 

その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、

自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。

家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。

それに早く気付けるように・・

自分の中の、幼児性に気付けるように・・・

そしてお互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら

みんな、仲良く幸せに暮らして行きたいですね。

それが、家族と言う単位を作った、神さまの優しい、計らい、目的なのですから。