2025年2月5日水曜日

3694「地球のドラマ」2025.2.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月24日の記事を紹介します。


「地球のドラマ」


138億年前に、この宇宙はビッグバンで始まりました。

そこに現れたのが、天之御中主神(アメノミナカヌシ)

この宇宙を創造する・・

それは、この神様の意思から始まりました。

その後すぐに

・高御産巣日神(タカミムスビ)

・神産巣日神(カミムスビ)

の2神が現れましたが、この2神の役割は ムスビ と言う言葉が示す通り、

波であり、物質である素粒子を結び(ムスビ)つける中間子の力を示します。

1935年、日本の湯川秀樹博士によって科学的発見された力でもあります。

このことにより、

波、素粒子から原子が生じ、分子、物体となり、物質宇宙を形成することができました。

この時、つまり天地開闢において、神世七代の最後に

・イザナギノミコト

・イザナミノミコト

の男女の神様が生まれ、国土を形成し、沢山の神々を生みました。

神の国、日本では、森羅万象の中に神々を見出し、

恐れ、敬い、大切に共存の道を歩みました。

西洋における「自然は人間が征服すべきもの」とは正反対の心です。

縄文の時代より、人々は人間の心の中にも神を見つけました。

自分の中にも、相手の中にもです。

その結果、相手を尊重し、お互い様、おかげ様の美しい心が育ちました。

全ての人の心には、神々が住んでいます。

その美しい神々の心を、この世に生を受け、荒波にもまれ、生きるために必死になっている間に、ポツンと小さな自我が生まれました。

「自分さえ良ければ」の黒いシミのような心です。

何時しか、それらモヤモヤしたものが凝り固まると、実際に独り歩きを始めたり、

様々な害悪を世の中に広めることにもなりました。

私達日本人は、何かあるとよく神社や仏閣に行ってお参りします。

お参りと言うよりも、願い事を言いに行く人の方が、圧倒的に多いかもしれません。

ですが、いつもいつも

・何々してくれ

・あれをくれ

と自分の欲望をぶつけに来られる神々も、困っているかもしれません。

宇宙創成以来の神々は、何も私たちの欲望を叶えるために存在しているわけではないからです。

ですが、この物質界に生を受け、いろいろな艱難苦難に会いながら

魂磨きをしている私たちにとって、

・誰かにすがりたい

・何かに助けて欲しい

そう思うのも無理のないことかもしれません。

ですが、この神々でさえも、私たちの心が、自我、欲望にまみれ、罪・穢れの中にある時は、助けたくとも手が出せません。

私たちの心が変わらなければ、例え、有名な神社仏閣に行こうと

高いお金を払ってご祈祷していただこうと、効果はありません。

では、私たちの心が、どう変われば、神々の恩寵を得ることができるでしょうか?

それは、私たちの心に「感謝の心」が芽生えること。

辛く苦しい環境の中に置いて「感謝の心」を持つことは難しいかもしれません。

縄文の時代から培われた神道では、お祓いと言うものがあります。

これは、本来美しい輝きを放っていた、神々の心を持つ、私たちの心の自我や欲望、

良きことも、悪しきことも全て祓ってしまい、

(そのエネルギーを黄泉の国に返し、循環させる効果があります)

本来の無垢のニュートラルな心に戻す効果があります。

助けて欲しい・・そのように他力本願ですがってきた人々も、

自分の力の及ばない、見えない神々の力を信じ、頭を下げ、真摯に祈る姿

ここからブッダの悟り、

縁起の法則を見出す、小さな一歩が始まります。

縁起の法則というのは

「人は自分の人生を自分の思いで作れると思っているがゆえに、悩み苦しむ。

人生は自分の思いでできあがっているのではなくて、自分たちの思い以外の、

神仏や周りの人々のおかげで全部が成り立っている」 

というブッダが初めて悟った時に知った宇宙の法則です。

人生の中で遭遇する

・悲しみ

・苦しみ

・悔しさ

それらは、苦しいことですが、実際には私たちの魂を磨いてくれます。

それをきっかけとして神々に目を向け、小さな自分に気づき、

周りの方々の「おかげ様」に気づき、感謝の心を持つことができた時、

私たちの生まれて来た人生も目的の大半は成就して、

神々からの祝福を思う存分得ることができることでしょう。

この宇宙に存在する物、見える物も、見えない物も、人間も、動物も、植物も神々も、

全部繋がっています。

天之御中主神(アメノミナカヌシ)がこの宇宙を創る時に描いた理想、

それは、存在する物全てが、助け合い、バランスを取りながら変化し進化していくこと、

美しい神々の心を実際に実現していくこと。

この宇宙の果て銀河系の中、太陽系の第3惑星 地球で、

私たちは今、そんなドラマを演じています。


2025年2月4日火曜日

3693「運がいい人」2025.2.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月23日の記事を紹介します。


「運がいい人」


今日は、斎藤一人さんのお話です。

「運がいい人になるには」というテーマです。 

<引用開始> 引用元

舛岡はなえさんの「斎藤一人 人生ぜんぶハッピーラッキー」の中から、

ひとつの面白いエピソードをご紹介します。

舛岡さんは、あるとき前から疑問に思っていたことを一人さんに尋ねます。 

それは、「すごくいい人で幸せだった人が、

あるときから、幸せでなくなるのはなぜですか?」ということです。 

一人さんは、「理由はひとつ、

でも、この話を信じてくれる人は、10000人に1人もいればいいほうなんだよね」

などと言って教えてくれます。 

なんだと思いますか? 

「いい人で幸せだった人が、幸せでなくなるのは、

自分が神様に愛されているって思っていないからなんだ。

本当は、人はみな神様に愛されているのにね・・・」 

普通の人は、何か問題があると、 

・あれが悪い、これが悪い、と悲観的になりがちです。

・お前が悪い、あいつが悪い、と誰かを責めてしまいます。

・自分は不幸だなぁ、運が悪いんだと思い込みます。 

でも、神様から愛されていると思っている人は、

何か問題があっても、落ち込むほど悲観的にならないし、

誰かを責めることもまずありません。  

もちろん、その人にも何らかの問題は必ず起こります。 

ただ、それは神様からの試練だと受け止めるんですよね。 

それは、

・必ず乗り越えられるし、

・乗り越えれば必ずもっとよくなる。 

神様はそんな試練を与えてくれたんだって思うわけです。 

だって、神様から愛されているんですから・・・ 

神様が自分に嫌がらせをするわけがないんです。 

神様が自分を成長させてくれるために、試練を与えてくださったのだから、

むしろ感謝します。 

さて、あなたも何かいま、問題をもっていますか? 

問題を持っていない人なんて普通いないと思います。 

ただ、その問題を 

・悪いものだとネガティブに考えているか、

・その問題でよくなれるとポジティブに考えているか 

の違いがあると思います。 

繰り返しますが、「自分は神様から愛されている、

だからその与えられた問題を通して、もっとよくなれる」と考える人は、 

多少辛いことがあっても、自分は不幸だとか、運が悪いとは考えないんです。 

むしろ、神様から愛されている自分は、

今もこれからもずっと運がいいんだと思っています。

あなたもぜひ、自分は神様から愛されていると感じられる、

10000人に1人の人になって下さい。

次の言葉は一人さんが、舛岡はなえさんに教えた、運が良くなる言葉です。

何か問題があったときは、この言葉を何度も唱えるといいそうです。

「これでよくなる。だからよくなる。さらによくなる。」 

たったこれだけです。試してみるといいですよ。 

<引用終了>

斎藤一人さんは、いつもわかりやすい言葉で真理を伝えてくれています。 

私たちが、今この世に生まれてきている以上、 

誰一人、神様の承諾なしに、生まれませんから、

皆が一人残らず神さまに愛され、祝福されています。 

「幸せになるんだよ」と地球に送り出されました。 

天国にいる時、神様と一緒に考えた幸せとは 

・大きな家に住むことでも

・大金持ちになることでも

・美しい容姿になることでも

・病気一つしない健康な身体になることでも 

ありませんでした。 

かえって、その逆の環境に身を投じ

・真の心の幸せ、

・美しい心

・人々との、優しさ、思いやりの交流 

を手に入れることだったかもしれません。

なぜなら、艱難、苦難、孤独、逆境こそが、私たちの魂を磨き、輝かせてくれるからです。 

それらを通じ、「感謝の心」を芽生えさせた時、 

私たちは、真の意味で、神様に喜ばれ、天の国に迎え入れられることでしょう。

無名戦士の詩より、ご紹介します。

 

大きな事を成し遂げるために、

力を与えてほしいと神に求めたのに

謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるように健康を求めたのに、

よりよきことをするようにと、病気をたまわった

幸せになろうと、富を求めたのに、

賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、

得意にならないようにと、失敗を授かった

求めたものはひとつとして、与えられなかったが、

願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中の言いあらわせない祈りは、

すべてかなえられた

私はもっとも豊かに祝福されたのだ

2025年2月3日月曜日

3692「冥界との絆」2025.2.3

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月22日の記事を紹介します。


「冥界との絆」


みなさんのご先祖は冥界(黄泉の国、神々の世界)にいらっしゃいますので

ご自分で意識したことが、現実になる世界にいます。

私たち生きている者が、思い出したり、感謝や優しい気持ちを向けたり、

お供え物をすることで、その意識は冥界で現実化して、先祖の皆さんに届けられます。 

日本古来の古神道では

・神々との繋がり

・祖先との繋がり 

これらを

・横のつながり

・縦のつながり 

として、大切なこととしています。 

以前、宝徳様の神職の女性が「先祖供養」について話してくださったことがあります。

それは、 

私達生きている者と、神さまの間に、ずらっとご先祖がいらっしゃる。

つまり、神さまと生きている私たちを繋いでくださっているのが、ご先祖 

先祖供養をすることで、 

私たちまで命を繋いでくださったことに対する感謝を伝え

(どんなにか、苦労を重ね、喜び悲しみを経験し、生き抜いてくださったことでしょう) 

そして、神様と私たちの、その道の間にいらっしゃるご先祖

どなたも、神の光の道からそれないように、 

真っすぐに神様の方向へ進めるように足元を照らすようにお祈りするのが、先祖供養です。

そう教えていただいたことがあります。 

さて、斎藤一人さんも、先祖供養について、

いろいろ教えてくださっていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

先祖供養の本当の意味は、子孫であるその人のことを、

「いてくれてよかった」って言う人が何人いるかなんだよ。

大きな仏壇を買うことが先祖供養じゃないの。

それは仏壇屋さんや宗教をやってる人が言うこと。 

さらにいえば、それって商売なの。

仏壇に入っているのは仏様なんです。

それで30分も1時間も先祖供養のために

念仏を唱えるっていうんだけど、お経って仏様の教えなの。 

仏様が教えたことを仏様に向かって30分も1時間も話すって変だよね。

きっと仏様も、「それ、俺が言ったんだよ。

だからわかってるから、外に行って実践しな」って言うと思うよ。

お経をあげるのがいけないって言ってるんじゃないの。

あげてるあいだは無心になれるし、

そのあいだ、人の悪口とか言わないからそういう意味ではいいの。

でも、どうせだったら、意味も知ってたほうがいいよね。 

さらに言えば、それを実践できるようにしたほうがいいよねってことなの。 

だから先祖供養でいちばんいいのは、

「あなたがいてよかった」(あなたが生まれてきてくれて良かった)って言ってもらうことなの。

あなたが生まれてきたのは

ご両親がいて、そのまたご両親がいたからなの。 

先祖が誰一人として欠けても、あなたはこの世に生まれてこなかったんだよね。 

子供をほめられたら親ってうれしいの。

だから、あなたがほめられることが、最高の先祖供養になるんだよ。 

<引用終了>

確かにそうかもしれませんね。 

私たちも、子供たちが、世間の皆さんに喜ばれる存在であれば

自分が褒められる以上に、とっても嬉しいと思います。 

私たちが、周りの方々に示す

・優しさ

・思いやり

・助け合い

・お互い様、おかげ様 

の心は、自分たちだけでなく、ご先祖様を含めて幸せにしてくれるようです。 

また私たちが、ご先祖や大切な方々を思い浮かべ 

感謝の気持ちを持つことは、

その瞬間、時空を超えて、冥界で神様に向かって歩いている方々の、 

足元を神さまの光で照らすことになるようです。 

ご先祖だけでなく、大切な方も同じことです。 

これこそ人に依存しない、理想的な形の先祖供養かもしれません。

また、「親孝行」について、小林正観さんが以下のように仰っています。 

<引用開始> 引用元

親孝行とは、親が生きている間にしてあげるものではありません。

本当の親孝行とは、親が亡くなったときから始まります。

親が亡くなり、あちらの世界に行って、こちらを見ているときに 

ほら見てください。あれが私の子供です。 

あんなに人に喜ばれながら、楽しそうに生きているのが、私の子供です。

と自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行ですよ。

親や祖父母、近親者が亡くなって、

何もしてあげれなかったと思っている人も多いようですが、

本当の孝行って今これからなんですね。

・人に喜ばれていますか?

・今を楽しんでいますか?

ご先祖様が、私たち子孫の自慢話を、話題にできるような、生き方ができているか?

見つめ直してみましょう。 

<引用終了>   

ご先祖も、両親も、そして今の家族も、みんなを幸せにするのは、 

みんなに幸せを感じていただくためには、 

全て、今の私たちの生き方、心ひとつにかかっているのですね。 

みんなが幸せに、笑顔で生きていけるよう、命を繋いでくださった先祖も、

神さまのもとに、真っすぐに歩みを進めて行けるように、 

心を整えていきたいものです。 

私たちの心は、本当は 

・見えている世界

・見えない世界

さえも包括する、偉大で尊く、巨大なものです。 

みんな、心の鎧を脱ぎ捨ててしまえば、 

純粋で、優しく、愛に溢れた光り輝く魂を持っています。 

まずは、自分の半径3m

身近な人たちに笑顔と優しさを分けて差し上げることからスタートしてみましょう。

 

2025年2月2日日曜日

3691「おかげ様の人生」2025.2.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月21日の記事を紹介します。


「おかげ様の人生」


私たちは同時に3つの世界を生きています。

・見えている世界。今の現実と思っている世界

・見えない世界。不思議の世界(黄泉の国、霊的な世界)

・心の世界

この3つです。 

そして今まで一番ないがしろにされてきたのが「心の世界」ですが、

実は一番重要で、見える世界、見えない世界を変えてしまうほどの力があります。 

見えない世界は、一見、神秘的で不思議で、ワクワクさせてくれます。 

見えない世界の、神様や龍、精霊、宇宙人など、

何だか頼れば、大きな力をくれそうな気もします。

ですが、私たちの心が変わらなければ、それも一時のこと。 

心を清浄にすること、ピュアにすること、感謝の気持ちで満たすこと、

このことの方が、何千倍、何万倍、何億倍も価値があり、

永続的な幸せの世界、神々の世界へ私たちを連れて行ってくれます。 

見えない世界の力をいくら手に入れようと、ご自分の心の世界の変化にはかないません。

ご自分の心を鏡に映したとき、その姿を、まっすぐに見つめることはできますか?

それでは、今日も心をピュアにするためのお話です。 

ブッダが悟りを開いたとき、最初に気づいた宇宙の法則があります。

それが、「縁起(えんぎ)の法則」です。 

縁(よ)りて起こる、この意味は、自分の人生は、

・自分以外の、すべてのおかげ、

・神仏や、まわりのおかげで成り立っている。

自分の思いで成り立っているものは、何ひとつない。

人は、自分の思い、力、能力で未来を切り拓(ひら)き、

人生が変わっていくと思っているので苦悩する。

人間の苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こっている。

この「悟り」を言い換えて言うと、

あなたの努力や才能によって、人生が組み立てられていることは一つもない

あなた以外のすべてが、あなたの人生を決めている

ということです。 

それでは、ここで、正法寺住職の青山俊董さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

京都駅で拾ったタクシーの運転手さんが語りかけてきました。

「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」と。

「どうぞ」と私は答えました。

「私は高校三年生の三学期に両親を亡くしました。

町会で河豚(ふぐ)を食べに行き、その毒にあたって一晩で亡くなりました。

いつもなら母親が早く起きてお弁当を作ってくださるはずなのに、

いつまで経っても音一つしないので、

“おかしいなあ?”と思って、両親の部屋の戸を開けてみました。

二人ともさんざん苦しんだ後、息が絶えておりました。

驚いて電話に走り、親戚の者が駆けつけて葬式は出してくれました。

借金はありませんでしたが、一銭の貯えもありませんでした。

私の下に五歳の妹がおりました。

父が出征しておりましたから、年はなれて妹ができた訳です。

高校三年の私と五歳の妹では、家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出した。

私は五歳の妹を連れ、最小限度の荷物を持ち、安い六畳一部屋を借りて出ました。

両親に代わって妹を育てなきゃならないと思って、私は夢中になって働きました。

朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイトとメチャクチャ働いて、

二十二、三歳のときには、安いアパートを買うほどの金は作りました。

その間、私は働くことしか考えていませんでしたから、

洗濯も炊事も掃除も何もしませんでした。

五歳の妹がしたことになります。

妹に勉強机の一つも買ってやりたかったのですが、

六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおくと寝るところがなくなるから、

妹はかわいそうだけれど食卓を勉強机に兼ねてもらいました。 

狭い家で育ったから妹は整理の名人になり、今、大きな家にご縁をいただいておりますが、きれいに整頓されております。

考えてみましたら私なんか、もし両親が元気でいてくれたら、今ごろ暴走族か突っ張り族か、ろくな人間にしかなっていなかったと思います。

もし両親が死んでくれても、金を残してくれたら今の私はなく、

また妹がいなかったら淋しくてぐれていたでしょう。

両親はいない、金はない、幼い妹がいる。

私は本気にならざるを得ませんでした。

私を本気にしてくれ、一人前の大人にしてくれ、男にしてくれたのは、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰

と思い、毎日両親の位牌(いはい)に感謝の線香をあげております。

何もかも私を一人前の大人にするための、おはからいと感謝しております。

ただ一つ、妹がよいご縁をいただいて、花嫁衣裳を着たときは泣けました。

両親に見せたかった。

わずか三十分ほどの間の話でしたが、

どんな立派な方の話よりもすばらしい話を聞くことができ、

心から「ありがとう」といって車を降りました。

お釈迦さまは、この世の中には四種類の人がある、と説かれました。

・闇から闇へゆく人、

・闇から光へゆく人、

・光から闇へゆく人、

・光から光へゆく人と。

人生の幸、不幸を、光とか闇という言葉で表現することができるでしょう。

一般的にいって闇としか思えないことを、

・両親が死んでくれたお陰、

・金を残してくれなかったお陰、

・家主が追い出してくれたお陰、

・幼い妹をつけてくれたお陰で、

本気になれた、一人前の大人になれたと

全部「幸い」と受けとめ、光へと転じているよい例といえましょう。

<引用終了>

私たちは、誰一人、他の誰かのお世話にならず、迷惑もかけず、

生きていける人はいません。 

必ず、どこかの誰かのお世話になり、周りに迷惑を掛けながら生かされています。 

今の私があるのも、家族をはじめ、友人、職場の仲間

・私を好きな人

・私が好きな人

・私を嫌いな人

・私が嫌いな人 

全てのお陰様で、今の私たちが形成され、ここまでの道のりを連れてこられてきました。

辛く苦しい環境、辛く当たる人たちでさえ、

今の私になるために、欠かすことができなかったのです。

そのすべてのバランスと、タイミングを見計らい、

人を連れてきて、その出来事を起こしてくださったのは、

私たちの魂の成長のために、常に心を砕いてくださっている神様です。 

私たちは、出会った人すべての人によって、今の私たちが形成されています。 

たとえ嫌いな人でも、人生に現れた人達は、全て私たちに経験をくれた人。

一人でも欠けていたら、今の私はありません。

・私が嫌いな人

・私を嫌いな人 

そんな嫌われ役を、わざわざ引き受けて生まれてくださった方々です。 

私たちに、苦い経験をさせてくれるために、

敢えて苦しい立場を引き受けてくださいました。 

クラリオン星から転生してきた小学生の

久松奏拓(ひさまつ・そうた)君も言っていました。 

嫌いな人や苦手な人を無理に 好きになろうとしなくていい。 

良いとか悪いというジャッジもしない事。

それは単に波長が違うだけなのだから。

私たちは、そんな風に思えたら、好きにならなくとも、感謝はできるかもしれませんね。

感謝のあるところ、 いえ、感謝のあるところにしか、

神々の恩寵は現れることができません。


2025年2月1日土曜日

3690「生活のためのスキルを喪失したアメリカのZ」2025.2.1

 今回はIn Deepさんの2025年01月20日の記事を紹介します。


「生活のためのスキルを喪失したアメリカのZ世代:彼らは「電球の交換方法」を知らない。日本の若者は?」

https://indeep.jp/generation-z-way-of-life/


米国のZ世代とは、おおむね現在の十代と二十代のことです。


「ドライバーのマイナスを認識できない」

米ニューヨークポストでおもしろい記事を見かけました。

「Z世代は電球の交換ができない」

というタイトルの記事で、最近の世論調査についての記事です。

米国での Z世代は、厳密に決められているわけではないですが、1996年から 2015年あたりにかけて生まれた世代ということになっていまして、大雑把にいえば、「現在 10代から 20代の世代」ということになるでしょうか。

この世代は、「そのようなことを自分で処理するよりも、他人にお金を払ってやってもらうことを好むから」ということのようですが、しかしまあ、電球くらいは自分で交換できないと…とも思います。他にも、さまざまに「できないこと」が世論調査で挙げられていまして、わりと興味深かったので、まずは最初にその記事をご紹介したいと思います。

これを読み、「日本のその世代はどうなんだろう?」とも思います。

まずは記事です。


驚くべき新しい世論調査で、Z世代は電球の交換方法を知らないと衝撃的に認めた

Gen Z shockingly admits they don’t know how to change a lightbulb in startling new poll

NY Post 2025/01/14


米国の Z 世代(10歳〜29歳)の若者が日常の DIY の義務に取り組む能力がないという新しいデータによると、彼らは電球を交換することさえできない。

「基本的な実用的なタスクを実行する能力が若い世代の間で失われつつある」と、英国を拠点とする自動車および自転車小売業者ハルフォーズのアンディ・ターベフィールドは警告した。

ニューヨーク大学ランゴーン校の心理学者ヤマリス・ディアス氏は、彼らの欠陥はおそらくデジタル時代によるものだと語った。

「彼らは、本当に自分で何かをする必要がなかっただけです」と、18歳から 27歳までの現実世界の新人である Z世代についてディアス氏は語った。

「彼らの、そして私たち全員の生活の多くは現在では自動化され、便利でアウトソースされており、今日の若者世代は過去の世代よりもはるかにその恩恵を受けています」と彼女は付け加えた。

「ですから、Z世代が非技術系または独立したタスクに関して、それほど多くのことを知らないのは当然です」

その証拠は彼らの無力な DIY 力にある。

ハルフォーズの研究者たちは、Z世代、ミレニアル世代(28歳から 44歳の人々)、X 世代(45歳から 60歳の人々)、ベビーブーマー世代(60歳以上の人々) を含む 2,000人の成人を調査し、各人口統計の自立レベルを判定した。

調査員たちは、Z世代の約 25%が天井のランプの電球の交換方法を知らず、はしごを登るのは「危険すぎる」と主張する人が多いことを発見した。また、5人に 1人は電球は「熱すぎる」のではないかと心配した。

そのため、レポートによると、Z世代はリスクをさらして一般的な DIY を完了するよりも、GOTDIT(他の人にやってもらう)を好むという。

この啓発的な新発見は、「 Z世代は怠け者」というあまり甘くないキャンペーンに新たに加わったものであり、20代に対する社会の好みをいくぶん不快なものにしている。

しかし、ニューヨークの Z世代は、この「怠け者」というフレーズを断固として拒否しており、「怠け者ではなく、ベビーブーマーや X世代よりも創造的なだけだ」と主張する。

若者たちは、小さな不便を処理してもらうためにはサービススタッフに大金を支払うことを好むようだ。

ハルフォーズのアナリストたちは、Z世代が基本的な家事を行うために専門家を雇うのに、平均して年間 1,500ドル(約 23万円)以上を費やしていることを発見した。

Z世代の上の X世代は、この追加的な手助けに年間約 470ドル(約 7万3000円)しか支払っていない。その上のベビーブーマー世代は約 300ドル(約 4万7000)だけだ。

Z世代は基本的なスキルが不足していると報告されていることから、彼らが支払うこの多額のお金は、有効に使われているのかもしれない。

電球の交換方法を知らないことに加え、Z世代の大半は車の掃除の能力にも自信がない。実際、回答者の一部は、汚れ仕事は親にやってもらいたいと答えた。

車のタイヤに空気を入れる方法を知らない若者は半数程度で、ワイパーブレードの取り付け方を知っている若者はさらに少ない。

そして、驚くべきことに、このグループの 30%はドライバーのマイナスを識別できず、21%はレンチを認識できなかった。

10人に1人は、壁に絵を掛けるにもプロを呼ぶと認めた。


調査の結果、Z世代の多くが額に入った絵を壁に掛けることができないことが判明。

「特に自動車に関する知識が低下しているようだ」とターベフィールド氏は述べ、「最も基本的な作業さえやりたがらない人が多い」と付け加えた。

しかし、彼らのこの「GOTDOIT (他人にやってもらう)」精神が、台頭しつつあるアルファ世代(1歳から 10歳までの子ども)や、2025年以降に生まれる赤ちゃんである新世代に受け継がれないようにするために、ディアス氏は、親が今から子供たちに教育を始めることを提案している。

有能な子供を育てるディアス氏のアドバイスは以下の通り。

・家事を割り当てる: 家事は、子供がスキルを学び、家事に貢献する仕事を自分で行うのに役立つ。

・「手を使う」ことを奨励する: 積極的に何かに取り組むことを必要とする非技術的な活動に子供たちを参加させる(例: 木工、大工仕事、物の組み立て、庭仕事、絵画など) - もちろん、大人の監督の下で。

・子供たちを「ヘルパー」にしよう: こうしたタイプの作業はどれも、家の中でやらなければならないことを子供たちに手伝わせるチャンスだ。事前に少し指導しておけば、子供たちにあなたの役に立つ作業を割り当てることができ、スキルを身につけることができる。さらに、ママやパパと一緒に時間を過ごすというボーナスもある。

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ここまでです。

この中の「電球を交換するときには熱すぎるのではないか」という心配には、やや笑いましたが、「だから電球を消してから交換するんです」と言ってあげたいところです。

しかし、ドライバーのマイナスを認識できないとか、壁に絵を掛けることもできないとか(確かにフラットな壁の場合、コツはいりますが)…。

ちなみに、これらについて、上の記事では、

・子どもに家事を割り当てる

とか、

・さまざまな作業を手伝ってもらう

ことを推奨していますが、こういうのは良くないと私は思います。

それは「自発的ではない」からです。

たとえば、食事の用意を子どもに手伝わせるお母さんとか、そういうのは昔からよく見る光景ですが、私の過去の知人を思い出すと、比較的裕福な家庭で、そういうことをされてきた子どもたちの大半が、

「大人になると家事をまったくしなくなる」

という事例を多く見てきました。結婚してからも何もやらない。

逆に私の家は、私の小さな頃は、父親が(料理は父親の仕事でした)、「子どもが台所をうろうろするんじゃない」というような家で、しかし、私は小学生の頃から料理が好きで、結果として、

「台所から離れたところから料理をしている光景を観察している」

ということになっていました。

そして、「ああ今、醤油を入れて…ああ、ここで炒める…」とか、学習しながら、親が寝付いた夜中に料理をしていたものでした。

まあ、料理はどうでもいいとして、電球の交換とかドライバーの識別とか、そういうのも、「やれ」と言われてやったんじゃ身につかない。

要するに、「やれ、と言われなければ、やらなくてもいい作業」というふうに考える子どもたちもいるはずだからです。

ドライバーなんて、男の子の場合だと、機械やら何やらに興味が出てくると必ず自分で使わなければならない局面が出てくるわけで、それが自発的に出てくるまでは、何もさせなくていいのではと。

結果として、いつまでも自発的な興味が出なかったのなら、それはそれでいいですし。

この「自発的な機会を待つ」というのは、全部につながることだと思っています。 

 

詰め込み教育から DIY まで

いわゆる勉強もそうです。

もう 10年くらい前ですが、今のままの詰め込み教育だと日本の学力はさらに下がっていくというような懸念を以下の記事で書きました。現実、日本の大学のレベルは下がりっぱなしです。

シュタイナーが「子どもへの詰め込み教育は絶望的な社会を作る」といった100年後に、完全なるその社会ができあがった日本。その日本人の生命エネルギーは驚異的なまでに低下しているかもしれない

In Deep 2015年04月16日

そりゃまあ、単に受験対策とか、そういうものに対してなら一時的な詰め込みも有効なのかもしれないですが、勉強とは本来、「自分が生きる方法を探るため」の一生のものです。

私のように若い時に一切勉強しなかったような人間もいますが、私は四十代を超えてから初めて「自発的な興味」が出ることで勉強を始めました。いつかは出るもんです。

とにかく、本人のまったく興味のないところに、いくら詰め込んでも、受験が終われば全部忘れているようなものばかり。

そのあたりは、高学歴の大人にいろいろと質問するとわかります。

多くが、なんにも覚えていないし、なんにも知らない。

 

2020年からのパンデミックとワクチン展開は、「自分の命を救うためのひとつの勉強の発露の機会」でしたが、あんなに大多数が、ワクチン展開に従っていました。しかも、高学歴になればなるほど。

詰め込み学習されればされるほど(あるいは、詰め込み学習を受け入れれば受け入れるほど)イディオットになっていくという現実がよく見える光景でした。

(参考記事)アカデミズムに駆逐される人類社会

In Deep 2024年4月17日

医師という職業は高学歴の象徴のひとつであると思われますが、2回目までの接種率が 99%以上だったというデータもあります。

大阪府の65歳以下の医療従事者のコロナワクチン接種率の推移


donkey1399,大阪府

まあ、このことはともかく、ルドルフ・シュタイナーは 100年以上前の講義で以下のように述べていて、詰め込み教育が広がることに懸念を持っていました。

シュタイナーの 1912年の講義より

大学には多くの学部があり、教授たちが思考と研究以外のことに、一年中かなり駆り立てられています。

学生が試験のために知らなくてはならないことを、二、三週間で習得させます。つまり、最も必要なものを詰め込むのです。

そのような詰め込みが最悪なのです。

小学校でも詰め込み教育が行われるようになると、その害は想像を絶するものになるでしょう。

詰め込み教育の本質は、心魂つまり存在の最奥の核と、詰め込まれるものとの結びつきが、まったくないことです。心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

習得したものをしっかりと自分のものにしたい、という気持ちがないのです。人間の心魂と自分が習得するものとのあいだに、興味の絆がわずかしかないのです。

その結果、活動的に公的生活に関わることができなくなります。詰め込まれたものが、自分の職業の課題と内的に結びつかないからです。心魂が、頭の活動から遠く離れているのです。

人間にとって、頭の活動と心魂が遠く離れていること以上に悪いことは、他にありません。

ここに、

> 心魂は詰め込まれる内容に、関心を持てないからです。

とありますが、本来的に心の底から興味を持てない(あるいは自分の生き方と結びつかない)ものに対して、真剣に学び続けようとする意思が生まれるはずもないはずです。

これは勉強の話でしたが、他のさまざまにおいても、現在の Z世代からスキルが奪われた…まあ、スキルといっても、電球交換くらいの話ですが、そういうことと関係しているのだとも思います。

 

今のデジタル社会は、多くの人が自分で使っている機器について、その「中身」をまったく知りません。スマートフォンを含めて、ほぼ完全なブラックボックスです。

パソコンくらいなら自分で組み立てる若者もたくさんいるでしょうが、他のデジタル機器についてはブラックボックスのままです。

確かに照明ひとつにしても、今の家庭用家電には「スマート」などという冠のつく複雑なものも多く、故障した場合どうしていいのかわからないものもありますが、生活していると、いろいろな小さな不便は出てくるわけで、ある程度は自分で修復できるようにしないと、何しろ、

「今後ずっと今のようなデジタルの便利な時代が未来永劫続くかどうかはわからない」

のですから。裸電球で暮らさなければならない時代にならないとも限らない。裸電球とはいっても、今はほとんど LED 電球ですけれども。

さらには、一から火をおこしたり、食糧を備蓄できるようなスキルが必要となる時代が来ないとも限らないです。

日本の若者が米国ほどスキルを喪失しているとは考えたくはないですが、デジタルと仮想コミュニケーション以外へも若者の人たちが「自発的に」興味を持つような社会にならないと、未来は大変な気がします。


2025年1月31日金曜日

3689「たった一つの宝物」2025.1.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月20日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は 

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん 

に、書きたいと思います。

以前書いた記事ですが、加筆して再掲いたします。 

子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、

どんなに幸せで、有難いことか?

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。 

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、彼らの生きた証は、

私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、どんなに豊かに、輝かせてくれることか。

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。 

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になった 

ダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」 

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。 

さらにダウン症の合併症として、重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは

「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。

生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」 

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、

なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。

なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。 

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。 

笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす 

一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、

6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた…… 

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、

おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき 

「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、

大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに、精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか? 感じているのか? 

そんなことが、大切なのかもしれません。 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと 一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて、ゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、

娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に、

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

皆さんはご家族と一緒に暮らしていますか?

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。

そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、

どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も、嫌味ばかりを言う親も、明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいですね。 

大切に大切に したいですね。

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。 

「家族になろうね」って

 

2025年1月30日木曜日

3688「諸行無常・人生の波」2025.1.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月18日の記事を紹介します。


「諸行無常・人生の波」


今日も、豪雪地帯にある竹之高地不動社へ、雪かきのボランティアに行って来ました。 

積雪も、2mは軽く超えています。 

最近、ほぼ毎週末に行っています。

お参りに来られる方が、雪で阻まれることのないように・・

神々と直接つながることができますようにと、汗を流しています。 

竹之高地不動社は、山の中の小さな神社ですが、数多くの神々が出現されています。 

不思議な現象も数多く発生しています。 

私の狭い経験の範囲ですが、これほど、頻繁に神々の降臨がある場所を知りません。

日本一ではないかと思います。 

心清らかな方々が、高貴な神々とご縁が結ばれますように・・ 

さて、今日は闇の中で、

必死にもがきながら、苦しみながら、

生きていらっしゃる方のために書きたいと思います。  

どなたの人生にも、波があります。

バイオリズムがあります。 

周期があります。

・何をやってもうまくいく、嬉しい時期。

・苦しみ、悲しみがこれでもかと押し寄せて来る時期 

苦しい時期が一生続くこともないし、楽しいことばかりの人生もありません。 

またこの人生の波は、

総合的な、良い時期、悪い時期と言った波だけではなく、 

・何をやっても人から注目され、好感を持たれる次期(人気斧の時期)

・同じように生きていても、目立たず、人波に隠れてしまうような注目されない時期 

などの波もあります。

そのような苦しく、辛い出来事、時期は、

波のように人生の中の節々で押し寄せてきます。

同じように、喜びの時期も波のように、

押し寄せては引き、また時期をおいて押し寄せてきます。

常に人生は変化して、一時として同じ場面はありません。

諸行無常と言う宇宙の真理のように、

辛い時期もあれば、その後に、幸せの時期も訪れます。

ですが、実際につらい時期の真っただ中にいる時は、

希望が見えず、自分はこのままどうなってしまうのか?

永遠に続くような不安の中に置かれます。

苦しくて、辛くて、布団の中で、声を殺して泣くこともあるかもしれません。

藁にもすがる思いで、神仏にも頼りたくなります。

人に当たりたくもなります。

それは肉体を持って生きているのですから当たり前の事。

神様は、そのような経験をさせたくて、苦しい時期を人生の中に設定してくださいます。

何故か?

それは、そのような苦しい時期を乗り越えてこそ、

経験してこそ、掴める何かがあるからです。

永遠に生きる魂にとって、必要な大切な経験だからです。

楽しいばかりの人生を過ごしたなら、亡くなって、神の国、黄泉の国に帰った時

後悔しか残らないでしょう。

せっかくの「経験の星」地球で、人生を過ごしたのに

何も得ることができないで、戻ってしまったからです。

人間にとって、

・辛いこと

・悲しいこと

・苦しいこと

は、必ず魂を成長させてくれます。

辛い時期は、今自分の魂は、神様の恵みの中で、

成長するための経験をさせていただいている。

こんな時こそ、神様はより一層私たちに寄り添い、見守っていてくださる。

回りに当たり散らしてしまうこともあるけれど、出来れば、身近な周りの人々に、

「ありがとう」の感謝の心で過ごしてみよう。

周りの環境は永遠に変わらないように見えても、必ず、この時期は終わり、

嬉しく、楽しい時期が訪れる。 まるで波のように・・

時の流れの中に身を任せ、抵抗せず、この苦しさを味わおう・・

それを神様が望んでおらるのだから・・・

そんな気持ちで過ごされてみるのも良いかもしれません。 

諸行無常

必ず、物事は変化して、

辛い時期の次には、喜びの時期が訪れることが決まっています。

その変化の方向を決めるのは、私たちの心です。

心の中に感謝の気持ち、「ありがとう」が少しでもあれば、

喜びの時期が来るのが速まり、そして苦しみの時期から、

限りない魂の深い経験を味わうことができるでしょう。

そのことこそ、神々が私たちに一番望んでいること。

人生の中に、苦しみの時期を置いてくださる目的だからです。

どうぞ、心穏やかにお過ごしください。

苦しみの後には、必ず喜びが訪れますから。


2025年1月29日水曜日

3687「神仕組みに気づく」2025.1.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月17日の記事を紹介します。


「神仕組みに気づく」


神様はどなたの中にもいらっしゃいます。 

そして私達を護ったり導いたり、 

生まれる前に決めてきたシナリオ通りのことが

ジャストなタイミングで起こるように調整したり 

様々な働きをしてくださっています。

小学生の神様トキ君が言うように、

いつも、どんな時でもニコニコと、感謝の気持ちでいれば 

神様はスムーズに神仕組みをなさってくださいます。

その時は、ヒラメキや、直感を信じ

心がワクワク、喜ぶ方向へ進んでいくだけです。 

また神様を信じてさえいれば、

今日のお話のように神仕組みの片りんに気づくこともできます。

特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、

外応をキャッチされるのをお勧めします。 

また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、

神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。 

それは、そのことを、

特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、

そんな下世話な意味ではありません。

そのあたりのことを小林正観さんが、書いていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

偶然を書きためる

神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。

正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。

・偶然のようで 偶然に起こった現象。

・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。 

これら偶然を書きためます。

正観さんは、40年で1000件。

1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。

・色々な偶然を面白がる。

・その際、他人の評価は気にしない。 

自分が面白いと感じたもの。

それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。

・例えば落ち込んだりした時

・自己嫌悪に陥ったりとか

・嫌味を言われたときなど

ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。 

そうすると、それらは、決して偶然ではなく

全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・ 

神々の意図を感じることができるからです。

そうすると

「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです

多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか、

愛されているかということに気づきます。

講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。

「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」

このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。

この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。 

その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、

講演会の最中にけたたましくなったのです。 

不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。

このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、 

偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。

この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。

正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。

正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。

お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、

かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。

仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。

走っていて偶然にある車のすぐ後についた。

その車の ナンバープレート 1259。

運転していた人が喜んで教えてくれた。

その瞬間 時計を見ると12時59分。

わ~~~おと声をあげた。

ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。 

自分だけで、

・随分神さまに愛されているね。

・人生は面白いね。

と、そう感じるだけで結構です。

その結果、神様は、

・面白がる人には どんどん面白がる現象を

・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を

・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 

さらに大事なことは、 

感謝したがる人には

次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。

その時、質問がありました。

「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」

すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。 

「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。

実は神さまからもの凄く愛されている人だけが

肉体をもらってこの世に人間として生まれている。

肉体を持って生まれたい魂が800億。

その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。

その7%くらいの魂が地球に生まれてる。

その魂、つまり私たちは神さまに、

お願いして お願いして 頼んで 頼んで生まれさせてもらってきた。

神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。 

その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、

地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。 

その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい、

不機嫌でいると体が壊れやすい。

地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。

喜んで楽しんでいる人は、寿命も長く、健康でいやすくなります。

すべての人間は、神さまに好かれている。

しかし、このことを知ってるか、知らないでいるかで、人生変わってしまう。 

「神様に好かれている」 

これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。

日本人では1万人。

死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。

この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。

聞く聞かないで、人生観が変わります。

<引用終了>

神様は、様々なところにいらっしゃり、

様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。 

それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか?

それとも・・・・偶然とかたずけて、無視するか? 

放っておけばよいものを、神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、 

馬鹿にし、否定し、せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を

神さまから引きはがしてしまうのか? 

人それぞれです。

ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ、感謝して喜ぶ人は、 

きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。

それに対して・・・ 

偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと、

眉間にしわを寄せている生きる人は、

もしかしたら、神々の手を、

自らはねのけてしまっているかもしれません。


2025年1月28日火曜日

3686「死はすぐそこに」2025.1.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月16日の記事を紹介します。


「死はすぐそこに」


ここ数年、地球の波動が上がっているためか、 

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方 

が急激に増えているようです。  

出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、 

人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。 

2,500年前のブッダが悟りを開いた時の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。 

2,500年前、ブッダが悟りを開いた時

自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、 

一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、

梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。 

この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。   

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。 

死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか?

死は、私たちに平等に必ずやってきます。 

そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。

健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。 

<転載開始> 転載元 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは、少し珍しいことかもしれません。

多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。

まるでそれがずっと続くかのように。

私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。

私は今とても幸せだからです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。

私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。 

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。

些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。  

そして空の青さを、木々の緑を見てください。 

それはとても美しいものです。

考えてみてください。

呼吸ができること、その素晴らしさを。 

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、

変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

でもそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。 

人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、

私の願いは、 

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。

仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、

まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、 

それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

そして、お互いを助け合いましょう。

与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。

そのことを私は一生忘れないでしょう。

あなたが死ぬときに、お金を持っていても なんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。 

大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

犬を抱きしめてください。

携帯を置いて、友達と話をしましょう。

旅をしたいならしましょう。

生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。

心が幸せに感じることをしてください。

ケーキだって食べていいのです。 

何の罪悪感も要りません。

やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

他の人が考える理想の人生に、プレッシャーを感じなくても大丈夫です。

平凡な人生を望んでも全く構いません。

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。

そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、

あなたにはそれを愛など他のパワーに変える力を持っています。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、

そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。 

覚えていてくれても、忘れても構いません。

それでは、また会う日まで。

<転載終了>

今 目の前に居る人、配偶者、子供、家族、友人

彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。 

この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。

もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。

ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、

・心を通い合わせること

・感謝すること 

に何の支障があるでしょうか?

出会ってくれてありがとう。

喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。

そう伝えたくなるのではないでしょうか?

もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。 

この亡くなった彼女の最後の願いは

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい 

でした。 

これら全ての願いは、物ではありませんでした。 

身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。 

全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。

別れは、突然にやってきます。 

私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。 

ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。  

いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、

どうか目の前の方を愛し、大切になさってください。 

出会ってくれたことに感謝してください。 

そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、 

きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。

 

2025年1月27日月曜日

3685「10年後にアメリカは存在するのだろうか」2025.1.27

今回はIn Deepさんの2025年01月18日の記事を紹介します。


「10年後にアメリカは存在するのだろうか」

https://indeep.jp/the-us-budget-outlook-2025-to-2035/


今後10年間で米国の債務はさらに3700兆円増加する見通し

最新のメルマガで、「米国の持続不能性」のようなことについて、少しだけふれたのですけれど、今日の米ゼロヘッジの記事で、

「米国は今後 10年もつのだろうか?」

という疑問を抱かずにはいられない数々の数値を見ました。

アメリカ議会予算局という政府機関による「 2025年から 2035年までの予算の展望」についての資料を取り上げたものです。

これは民間の試算ではなく、政府機関による展望です。

わりと長い記事ですので、まず、そのゼロヘッジの記事を最初にご紹介します。

暗澹とした米国の先行きが描かれます。

________________________________________

アメリカ議会予算局(CBO)は、米国の債務が今後10年間で24兆ドル(3750兆円)急増し、その後さらに悪化すると予測している…

CBO Projects US Debt To Soar By $24 Trillion Over Next Decade, And Then It Gets Much Worse...

zerohedge.com 2025/01/18

議会予算局(CBO)は、政治に関与せず超党派であると主張する人もいるかもしれないが、実際には、体制の側近の一部と見なされていない政治家をバスの下に投げ捨て、米国で山積しているすべての財政問題を「台所に流し込む」ことにほとんどためらいはない。

その政治家とは、第47代米国大統領に就任しようとしているドナルド・J・トランプ氏であり、マスク氏のお気に入りのプロジェクトである DOGE (政府効率化省)にもかかわらず、トランプ氏の第2期政権下では、すでに途方もない 36.2兆ドル (約 5600兆円)に達している米国の負債が本当に爆発するのを間もなく見ることになるだろう。

最新の議会予算局の 2025年から 2035年の 10年間の予算と経済見通しによれば、状況は絶望的に悪化している。

議会予算局が提示した経済見通しは、いつものようにばかばかしいものではあっても、決して衝撃的ではない。

予算局は、米国の GDP が年間 1.8% で成長し、インフレが魔法のように横ばいの 2.0%、失業率が 4.4% で高止まりし、フェデラルファンド金利が 3.2% (10年国債利回り 3.8%に相当)と予測しており、今後 10年間で景気後退はゼロになると予想している...。

... この成長の資金がどのように調達されるかを考えると、さらに興味が湧く。

もちろん、その答えは持続不可能な赤字をさらに何兆ドルも増やすことだが、予算局によると、この赤字は決して終わることがないように見えるため、持続可能だそうだ。

そこで財政赤字予測から始めると、予算局は 2025年の連邦財政赤字が 1兆9000億ドル(約 300兆円)になると予想しており、この数字は 2035年までに 2兆7000億ドル(約 420兆円)に増加する。

そして、2025年には GDPの 6.2%に相当し、その後、歳入が支出を上回るペースで増加するため、2027年には 5.2%に減少するが、このやや好ましい傾向はすぐに反転し、その後の年には支出が再び歳入を上回るペースで増加し、2035年までに財政赤字は再び GDPの 6.1%に等しくなる。

これは予算局によると、「過去 50年間の財政赤字の平均である 3.8%を大幅に上回る」数字となる。

言うまでもなく、実際の赤字額ははるかに大きくなるだろう。なぜなら、たとえわずかな景気後退であっても、政府支出の急増(つまり、借金による赤字の増大)は確実であり、それによって成長が加速することはないからだ。

状況はさらに良くなる。期限切れの TCJA 、つまりトランプ減税を延長するであろうトランプ氏を罠にかけようとして、予算局は興味深いことに、長期財政赤字予測を 10億ドル削減したが、これは成長率上昇などによるものではなく、「立法上の変更や技術的変更(つまり経済的でも立法上のものでもない)により財政赤字予測が押し上げられた」にもかかわらず、「個人所得税からの予想歳入が増加する」と予測しているためだ。

その結果、2025年から 2034年までの累積財政赤字は 1兆ドル減少し、22.1兆ドルから 21.1兆ドルになると予想されている。

そうすれば、トランプ減税が延長された 1年後に予算局は、財政赤字の予測を再び大幅に上方修正し、トランプ氏を厳しく罰し、非難することになるだろう。

米国の財政赤字が急増する本当の理由は、税金とはほとんど関係がなく、米国の債務、あるいはその債務に対する、すでに成層圏レベルに達している利子のすべてが関係しているが、今後 3年間は状況はほぼ正常であるものの、その後は急激に増加することがわかる。

リリースには以下のように書かれている。

2025年の連邦政府支出は総額 7兆ドル(約 1000兆円)となり、これは GDPの 23.3%に相当する。2028年までこの水準に近い水準で推移し、その後増加し、2035年には GDP の 24.4% に達する。この増加の主な理由は、社会保障とメディケアへの支出の増加と純利息費用の上昇だ。

残念ながら、米国政府の歳入にはそのようなホッケースティック効果(急騰)は見られない。

米国政府の歳入は 2025年に 5.2兆ドル、つまり GDP の 17.1%に達し、2027年までに GDP の 18.2%に増加する。予算局によると、これは「 2017年税法の条項の期限切れ予定による」とのことだが、当然期限切れにはならず延長されるため、歳入は増加しない。

予算局はこれを承知しながらも、次のはるかに厳しい予測で打撃を与えるまで 6~ 12か月待つことになる。

しかし、2017年の税制改革法がなくても、予算局は、GDP に占める歳入の割合は今後 2年間で減少し、2029年には 17.9% に落ち込み、 2035年には 18.3% 前後で横ばいになると予測している。実際には、この数字ははるかに低く、トランプ減税の延長により、おそらく 15%程度になるだろう。つまり、予算局の予測よりも大幅に悪くなるということだ。

悲しいかな、これもまた大惨事であり、それは予算局の債務予測を見ればすぐにわかる。

なぜなら、国民が抱える債務(社会保障に充てられる債務は都合よく除外されている)は、現在 28.2 兆ドル(約 4400兆円)だが、この数字は 2035年までにほぼ倍増し、52.1 兆ドル(約 8100兆円)に達すると予想されているからだ。

しかし、待ってほしい。GDP が増加しても、相対比率は改善するのと同時に、負債も増加するのではないだろうか。

実はそうではない。悪名高い予算局の「破滅のグラフ」が示すように、国民が抱える負債は毎年増加しており、そのペースは GDP (の増加)よりも速いからだ。

実際、2025年から 2035年にかけて、負債対 GDP 比は 100%から 118%に膨れ上がる。これは、予算局が認めているように、「アメリカ国家の歴史上、どの時点よりも大きい」額だ。

さて、予算局が今後 10年間で米国の財政状況が若干改善するとの報告書を発表した理由は、米国の財政状況が実際に改善しているからではなく、むしろトランプ氏と共和党を罠にかけるためだった。

ABC ニュースが指摘しているように、「この分析は、大規模な支出削減と組み合わせない限り、赤字をさらに拡大するような減税に傾倒している新共和党政権にとって厳しい状況を示している」。

実際、トランプ氏が提案した 2017年の減税延長案は今年で期限が切れる予定で、新たな減税と合わせると 4兆ドル(約 625兆円)を優に超える可能性があり、次期財務長官候補のスコット・ベセント氏は 1月16日、減税がなければ経済が崩壊する可能性があると警告した。

「米国には歳入の問題はない」とベセント氏は指名承認公聴会で主張した。「問題があるのは支出の問題だ」

彼の言うことは正しいが、さらに大きな問題は、債務を発行し、酔っ払いのように浪費することに慣れている国にとって、裁量的支出であれ義務的支出であれ、いかなる支出も削減することは前例のない経済的破滅につながるということだ。

米国経済全体に占める税収の割合は 50年間の平均に近いが、政府支出は引き続き増加傾向にある。

その主な理由は、総支払利息が前例のない 1.2兆ドル(約 187兆円)に達していることである。この数字は、金利が一時的に下がったとしても、総負債額は増え続け、金利の低下を相殺する以上のものとなるため、今後下がることはまずないだろう。

一方、国家安全保障と社会プログラムへの裁量的支出は来年 1.85兆ドル(約 290兆円)に達する。予算局は、裁量的支出が GDP の 5.3%に相当し、半世紀平均の 7.9%から減少すると、これらの分野の支出がすでに下降傾向にあると予測している。

予算局のフィリップ・スウェーゲル局長は 1月17日の記者会見で記者団に対し、純利息費用が財政赤字の大きな要因であり、「今後数年間、純利息費用は防衛プログラムまたは非防衛プログラムの裁量的支出額と同程度になると予測される」と語った。

もちろん、これらすべては景気後退がなく、人口動態が変わらないことを前提としているが、残念ながら、そのどちらの想定もばかげている。

人口の高齢化に伴い、社会保障とメディケアのせいで政府支出は大幅に増加するだろう。この 2つの制度は有権者に人気があり、多くの共和党員と民主党員が同様に守ると誓っているが、持続不可能な方向に進んでいるという明らかな兆候がある。

スウェーゲル局長は「われわれはすでに高齢化社会に突入しており、社会の高齢化が義務的支出を促進している」と語った。

また、米国人女性が子どもを持つ年齢が遅くなり、出産数も減るため、「出生率の変化が社会の高齢化のパターンを加速させることもある」と同氏は述べた。

連邦債務の追跡などを行っているピーター・G・ピーターソン財団の最高経営責任者(CEO)マイケル・ピーターソン氏は声明で、「議員らは年末に期限切れとなる税制政策の範囲を検討するにあたり、少なくとも『財政的損害を与えない』という約束をすべきだ」と述べた。

「彼らは予算の小細工を避け、予算局の今回のような中立的かつ無党派的な推定に基づいて想定すべきだ」とピーターソン氏は語った。

残念ながら、米国にとって、法外な借金で賄われた支出によってもたらされた存在の必然的な結末を変えるには、今や遅すぎる。

実際、正常化や「財政的損害を与えない」という点では、その船はすでに出航しており、私たちはハッピーエンドを望んでいるが、政府効率化省が失敗し、避けられない米国の崩壊を阻止できるものは何もないと予算局にいる最も聡明な頭脳たちが認めたときに何が起こるのかを私たちは恐れている。

________________________________________

 

ここまでです。

債務に対しての「利子」ですが、この記事には、利払いが、

> 防衛プログラムまたは非防衛プログラムの裁量的支出額と同程度になる

とありますが、昨年、経済学者の EJ・アントニ氏という方が、利子について、さらにわかりやすい例えをしていました。以下です。

連邦債務の利子は 6月に徴収された米国の個人所得税全体の 76%に相当する。これは財務省の最大の収入源だが、その 4分の 3が利子だけで消えてしまう。このことを議会は知っているのだろうか?

BDW

米国の個人所得税全体の 76%が債務の利払いで消えているのです。

そして、上の記事にもありましたように、米国の債務は、現状で日本円での 5000兆円などを超えているわけですが、そこに今後の 10年間でさらに 3700兆円など増えていくと予算局は見積もっているわけです。

持続可能なんでしょうか?

もちろん、日本もまた人の国のことが言えるような債務状況ではないですが、それにしても、米国は金額のスケールが大きいので、数字を見ているだけで迫力があります。

国際投資家のニジャンブルーノ氏という方は、最近、寄稿した文書で以下のように述べていました。

寄稿文「2025年:連邦債務バブルが崩壊する年」より

最も可能性の高い結果は、米国が通貨切り下げを通じて増大する防衛費と国内債務の両方を支払い、一石二鳥の策を講じようとすることだ。

だからこそ私は、通貨(ドル)の価値がますます低下していくことが米国政府の債務スパイラルの必然的な結果であると確信している。

それは彼らが逃れることのできない、自己永続的な破滅のループだ。

まるでブレーキのない暴走列車に乗っているようだ。

2025年は、国家債務に関するこれまでの主流の考え方が崩壊し、これが明らかになる年になるだろうと私は考えている。

崩壊するのは以下のような考え方だ。

・「私たちは自分たち自身でそれ(負債)を負っている」

・「赤字は問題ではない」

・「国債はリスクフリーのリターンだ」

・「国の借金は紙幣を印刷できる限り維持できる」

・「米国がデフォルトすることは決してない」

これらは長い間、多くの投資家たちが信じてきたばかげた比喩だった。2025年は、これらのナンセンスを信じる人々が厳しい現実を突きつけられる年になるかもしれない。

Nick Giambruno

以下は、2024年の世界の債務額の上位10カ国です。

 

visualcapitalist.com

債務対 GDP の率が高いのはダントツで日本ですが、世界全体の債務に占める割合では、米国が 35%などとなっていて、世界の債務のかなりの部分をアメリカが占めていることがわかります。

そして、現在、世界全体の国家債務の額は、102兆ドル、日本円でいえば、約 1京6000兆円に膨れ上がっています。

米国も含めて、地球全体が債務により破裂していく様相が露呈していく少し未来の世界を想像します。


2025年1月26日日曜日

3684「心の中の神様」32025.1.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月15日の記事を紹介します。


「心の中の神様」


小学生の神様トキ君の動画で 

自然は人間界の近未来姿を見せてくれるということで、 

私たちに近い将来起こるであろうことを、

自然が先取りして見せてくれるというものがあります。

この中で、近い将来、強いものはより強くなり

弱者と強者の差がますます広がってしまう。 

弱者は、強者によって支配される・・

と言うものがありました。 

現在人間界では、マネーが世界をまさに圧巻しようとしています。 

国際NGO「オックスファム」は、

世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、

世界で最も豊かな上位1%の人たちが独占していると発表しました。 

超エリートが、世界中の富を独占しています。 

そしてその差は広がり、マネーのためなら悪魔的な所業まで行われています。

トキ君の映像では、

「では、私たちはどうしたらよいか?」という問いに対し、 

「神さまを信じる事」と言っています。

私もその通りだと思います。 

例え世の中の潮流がそのようになろうと

神様を信じる人々の心は、美しく汚されることがありません。 

同じ環境に置かれようと、見えない力が、私たちの魂を護ってくれることでしょう。

それでは、今日は「心の中の神様」というテーマで書きたいと思います。 

ここでよく、「私たちの内にいらっしゃる神さま」と書いています。

そして、その神さまと一人一人が繋がることで

幸せになることができると書いてきました。 

同時に、自分以外の他人の中にも神様がいらっしゃり、

古くからの縄文時代から私達日本人は自分を大切にして欲しいのと同じく、

他人の中にいらっしゃる神さまも尊重してきました。 

その結果、大陸からの影響で、

弥生時代が始まるまで、この日本では1万5千年にも及ぶ長きに渡り、

争いの無いユートピアを実現してきました。 

私たちの内に、神様がいらっしゃる。 

このことをトキ君も神さまからの通信として話しています。 

この中で、神様(トキ君=山幸彦)は、こう言っています。 

人間が生まれる時 

・肉体と

・その肉体に私たちの魂が宿り

・これから生まれる一生のうちに行うことを紙に書き、神様に承認していただき

・更に神様の分け御霊をアンパンマンのように頂いて生まれてくる 

・また神さまの御霊(氣)が入らないと肉体は動かない

・ひらめきは、神さまからのプレゼント

・全てひらめき・直感通り、つまり神様の操縦に従っていれば上手く生きられる

トキ君が神さまからのお知らせとして、上記を語っています。

私たちの内にはどなたも神様がいらっしゃいます。

人間だけでなく、生きとし生けるもの、無機物、気象などの現象にさえ

神様がいらっしゃいます。 

ただ人間は直接的に神様を体現するために生まれて来ましたから

その分け御霊の濃度が、他と比べはるかに高いと思われます。 

私たちの内には神様が居り、神さまが私たちを動かし、様々な経験をさせてくださる。

心を動かし、魂を震わす、喜怒哀楽の出来事 

・良きことも

・悪く見えることも 

そして内なる神様の働きを阻害する要因もあります。

それが、自分さえ良ければの我欲です。 

内なる神さま、心を曇らせ、その輝きを奪い取ります。 

神さまの操縦が効かなくなります。 

そのため、このブログでは、 

・心を洗うこと、

・心を純粋にすること

を中心に書いています。 

決して、自分以外の何者かに頼りなさいとは言いません。 

他人に依存する心も、内なる神々の力をそいでしまうからです。 

また日本に古来から伝わる、お祓いも有効な手段です。 

神々に対する深い信仰と、自分の心を清めたいという 

自発的な信念が大切です。

私達一人一人の中に神様が居らっしゃいます。

ですから、

・私達の思いも、

・過去の歴史も、

・将来起こることも、

・行動も

全て見ていらっしゃいます。 

そして色んな出来事や、人との出会いや別れを用意したり、

豊な時や、貧乏のどん底の時を演出して下さり、

私たちの魂を磨き、輝かせ、

私達を神様の所に、連れて行って下さっています。

そう、しっかりと信じることが出来れば、 

私達は、

どんなに安心して、幸せを感じながら、

生きて行くことが出来るでしょうか?

良い出来事、悪い出来事に見えても、

それら全部が、神様からのギフトなのですね。 

時代の大きな変化が加速している今、

皆様の心が、ご自身の内なる神さまに向かい、 

共鳴する、全ての生きとし生けるものとの

愛と調和の世界に住むことができますように。


2025年1月25日土曜日

3683「苦しみの終わる時」2025.1.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月14日の記事を紹介します。


「苦しみの終わる時」


この世の中は、幸せ、Happyな人ばかりではありません。 

・病気やケガで苦しんでいる人もいます。

・孤独に苦しんでいる人もいます。

・嫉妬や、悔しさ、恨みで苦しんでいる人もいます。

今日は、心の問題で、苦しんでいらっしゃる方に書きたいと思います。

でも、その辛さが、何が原因かが分っており、そして、そこから抜け出したいと

真剣に思っていらっしゃる方は幸いです。 

もうその辛く苦しい道のりの、半分以上を越えたのと同じだからです。 

あとは、ちょっとだけ、心の方向を変えるだけで、ご自分の中に居らっしゃる神さまが、 

背中を押してくださることでしょう。 

私たちの周りで起こる現象は、それを引き起こす種が、心の中に無ければ、決して起こりません。

ブッダが仰るように、この宇宙は因果律が支配しているからです。 

「因果律」は、血も涙もない、冷たい法則ではありません。

この宇宙を作られた神々は、愛そのもの、慈悲そのものだからです。

・その現象が現れた時

 病気、ケガ、事故、出会い、別れ、いさかい

・心に動揺が起こった時 

 嫉妬(うらやましい)、憎しみ(にくい)、殺意、悔しい、失敗しろ、悲しめ、苦しめ 

そんな時は、心の中に存在していた、その縁となった種が実を結び、

現実の世界に現れた時です。 

その時に、自分の心の中に、その感情が湧き起こったことを認め、 

その感情を味わい、苦しみ、そして、その後に、もし、そこから抜け出したいと、

そう思ったのなら、もう、それは、その因(原因)となった種が、燃え尽き

もう二度と悪さをしない、そのような時の到来です。

夜明けのチャンスです。 

内なる神さまは、その時が来るのを待っていたのですから・・

全ての出来事は、私たちの心が作り出しています。 

偶然に発生する出来事は、この世に一つとしてありません。 

神さまはサイコロを振りません。

無駄なことは、なさいません。 

もし、このチャンス到来の時に、意識を変えず、心の向きを変えず

今までのように 

・不平

・不満

・愚痴

・悪口 

を口にし、運命を呪っていたのなら、また時期をずらして、

同じ出来事が、自分の身に降りかかってくるでしょう。 

因が解消されないからです。 

その2度目の出来事は、1度目よりも、更に大きなインパクトをもたらすと言われています。

でも、それも仕方のないことかもしれません。

何故なら、私たちの多くは、目の前の出来事に対して、 

・状況を改善したい

・願いが叶えばいいのに 

という夢や希望を持って、思いどおりにならない物事を、リストアップしがちだからです。 

それは、学校教育や、家庭環境に置いて、親や学校の先生から、 

・リストアップした希望を、思いどおりにすることこそが幸せだ

・現状に甘んじることなく、夢や希望や望みや願いを語りなさい

・努力し、競争に打ち勝ち、願望を実現しなさい 

そう、教わってきたからです。 

そのように国民を競争社会に置くことで、得をする邪悪な勢力があったからです。 

日本には、かつて縄文時代と言うものがありました。

競争や、争いが一切なく、皆が助け合いお互いさま、お陰さまで暮らしていた1万年間です。

世界に類をみません。

ユートピアの世界でした。

私たちは、DNAの中に、その魂を宿しています。

幸せな人生には、競争は不要です。 

人と比べることも必要ありません。

そして、夢や希望さえも不要です。 

なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、人との出会い、別れ、軋轢(葛藤)、100%、今の自分に必要だから起きていることだからです。

・自分が、今与えられているもの

・今持っているものに対し、 

感謝の気持ちを持つこと 

「嬉しい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、

苦しみではなく、今ある幸せを数え上げてみること。 

「ありがとう」と口に出して感謝してみること。

そうすればきっと、今の自分が膨大な数の幸せに囲まれていることに気づきます。

幸せとは、求めて求めて、何かを手に入れることでなく、

今、目の前に存在する出来事について、「私」が「幸せだ」と思うこと。感じること。

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。 

自分を、貶める誰かを好きになること、愛すること、 

それは、難しいかもしれません。

ですが、感謝することはできるのではありませんか? 

その相手の方の態度によって 

・何か気付きはありませんでしたか? 

・何かの感情を味わうことは、ありませんでしたか?

・自分の心の中に、同じ素質が、潜んでいることに

 気付かせては、くれませんでしたか? 

何故なら、その人も、生まれる前に、神さまのみ前で

その役割を演じることを、お互いに合意したうえで、生まれ、そして出会い、

約束通り、その役を演じてくださっているからです。 

完全なる悪意の塊の魂は、生まれる以前に、神さまからのOKが出ませんから、

この世に存在して居ません。 

その人に対する憎しみ、羨み、その心から抜け出すために、今、その時が訪れました。

許すことを学ぶ時、そして感謝の心を学ぶ時が来ました。 

感謝の気持ちが、心を満たした時、心の中のあちこちに、こびりついていた 悪因の多くは、

燃え尽くされることでしょう。

そして、空いたスペースには、宇宙の法則通り、聖なる神々の美しいエネルギーが、

流れ込んでくることでしょう。 

好きになること、愛することは、難しくとも、感謝することはできます。

もし、それさえもむずかしければ、その時は、伝家の宝刀、言霊を使ってください。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」 

気持ちがこもって無くても結構です。

心の中だけでも結構です。 

言霊が威力を発揮してくれることでしょう。

そして、神々が微笑んでくださることでしょう。

ご自分のお顔から、笑みが、こぼれ落ちることでしょう。

それを見た周りの方がたも、本当の幸せを手に入れることができるでしょう。


2025年1月24日金曜日

3682「徳を積む意味」2025.1.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月13日の記事を紹介します。


「徳を積む意味」

このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 

そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るもの、というお話をしていますが、 

今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、

私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 

運がよくなり、評判がよくなるのです。

これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。

不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。

まるで一周回ったかのようです。

そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 

その人と私の関係が悪くなったのです。

それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。

このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、

最終的には全て自分に還ってくるのです。 

偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、

などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。

一方、その大変なことは別の人には起きているのです。

だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。 

じつはこれは、私たちがなした徳の結果が、このように表れたのだと思っています。 

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、 

万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。

もちろん後者でしょう。

このように考えると、自分が他人にしたことが、

他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 

徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が

はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。

恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。

もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。 

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。

<引用終了>

宇宙の法則


投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。

愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。

嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは裁かれる

裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ

蔑(さげす)めば、蔑まされ

罵(ののし)れば、ののしられ

強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される

許すものは 許される。

許さないものは 許されない。

施せば 施される

優しくすれば 優しくされる

笑顔を向ければ、笑顔が帰る

助ければ、助けられる

励ませば、励まされる

勇気を与えれば、勇気づけられる

感謝すれば、感謝される

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? 

それなら誰かに優しい言葉をかけてください 

・笑顔を見せて欲しいですか? 

それなら誰かに笑顔を見せてください。


イエスの語った言葉で一番大切な言葉。

「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。


「自分がしてもらいたいことを、 

他の人にも、

同じようにして あげなさい。」


これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと

言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、 

想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。 

この中で、何か、ご自分でも、できそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、 周りの人にして差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って必ず自分に帰ってくるようになっていますから。


投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。