2025年12月19日金曜日

4111「泥を肥やしに咲く花」2025.12.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月09日の記事を紹介します。


「泥を肥やしに咲く花」


今日は西尾市にある浄名寺の副住職 松原紗蓮さんのお話をご紹介します。

親と子は時に離れ離れに暮らさなければならないことがあります。

まして自分が捨てられたと感じた時に、

子供はどんな気持ちになることでしょうか?

<引用開始> 引用元

私が愛知県西尾市にある浄名寺に預けられたのは、2歳7か月の時です。

幼い頃に両親は亡くなったと聞かされ、

親代わりの庵主様や、世間様の「お寺の子はいい子だ」という期待の中で育ちました。

同級生からはその逆に、お寺の子であることや、

実の親のないことをからかわれ、酷い苛めを受けてきましたが

「どんな時も前向きでいよ」という庵主様の教えを守り、

泣き出したくなる気持ちを必死に堪えながら幼少期を過ごしました。

張り詰めていた神経の糸が切れたのは、中学2年の時です。

役所に、ある書類を提出する際、

庵主様から「実はねぇ」と言って、出生の秘密を打ち明けられたのでした。

聞けば、両親は私が幼い頃に離婚し、

母親が再婚する際、娘の私をお寺へ預けたというのです。

自分は生まれてきてはいけない存在だったんだ。

一体何を信じて生きてきたのだろう?

事実を知った私は、頑張るということに疲れてしまいました。

そして3か月間泣き通した後、私が選んだ道は、

・髪の毛を金色に染めて、

・耳にピアスの穴を開け、

・あらゆるものに歯向かい、

・強がって見せることでした。

暴走族の仲間たちと一晩中走り回り、家出を繰り返す毎日。

14歳で手を出した薬物はその後7年間、1日としてやむことがなく、

私など消えてしまえ、という思いから、幾度となく自傷行為を繰り返しました。

心配をした庵主様は、私が20歳になった時に「最後の賭け」に出たといいます。

私を京都の知恩院へ21日間の修行に行かせ、

そこで尼僧になる決意をさせようとしたのです。

金髪のまま無理やり寺へ押し込められた私は

訳が分からず、初めのうちは反発ばかりして叱られてばかりでした。

ところが10日目を過ぎた頃、教科書に書かれてある仏様の教えが、

読めば読むほど、庵主様の生き様そのものと重なることに気づいたのです。

例えば「忍辱(にんにく)」という禅語があります。

私がグレていた7年間、普通の親であれば間違いなく音(ね)を上げてしまうような状況で、庵主様はただひたすら耐え忍んでくれたのだ。 

それは親心を越えた、仏様の心というものでした。

また道場長から「少欲知足」という言葉を教わり、

「髪の毛や耳のピアスなど、自分を着飾る物すべてを取り払っても、

内から輝けるようになりなさい」と言われました。

人間は無駄な物の一切を削ぎ落とした時に、初めて自分にとっての大事なものが見え、 

本当の生き方ができるようになるのだというのです。

私はふと、庵主様の生活を思い浮かべました。

庵主様はお洒落もしなければ、食べる物にお金を掛けたりもしない

簡素な暮らしで、他の楽しみに時間を使うこともなかった。

ではその分、一体何に時間を使っていたか。

そう考えた時に、 

庵主様はすべての時間を

「私を育てる」という一事に使ったのだと知ったのです。

私の思いの至らなかった陰の部分では、

どれだけ多くの人が自分を支え続けてくれたことか、 

御仏の光に照らされ、 

初めて親のお陰、世間様のお陰に手を合わせずにはいられなくなりました。

そして教科書を読み進めれば進めるほど、止めどもなく涙が溢れてきました。 

修行の後、お寺に戻った私が庵主様に、なぜ私を叱ったり、

本当の気持ちを聞かせてくれなかったのかと尋ねたところ、庵主様は

「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。

ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を聞かせても、

かえって反発を生むだけだった。

いまおまえが分かるということは、

おまえに分かる時がきたということだ。仏道は待ちて熟さん」

とお話しになりました。

庵主様には1つの願心があり、

私がグレ始めた14歳の時に、

10年間は黙ってこの子を見守ろうと決めたのだといいます。

そして自らには、何があっても「平素のように生きよ」と誓いを立てたということでした。

私はいわば、お釈迦様の手の平の上で暴れていた孫悟空のようなもので、

自ら命を絶とうと人生に背を向けていましたが、 

どこまでいっても結局は庵主様の手の平の上にいた。

庵主様が私を慈しんでくださる心は無限に広大で、

私はその大きな大きな慈悲の中に生かされていたのだと知ったのです。

23歳で剃髪出家をした時、私は庵主様に「紗蓮」という法名をいただきました。

後にある方から

「美しい蓮(はす)の花は、泥まみれの池の中にしか咲かないのだよ。 

人生にも、悩みや苦しみはあって当たり前で、

その泥を肥やしにしてこそ大輪の花が咲くのだ」

と教わりました。

振り返れば、14歳から20歳までのどん底の時代が、

私にとってはまたとない、よい肥やしになったと感じています。

今年31歳になった私ですが、現在はお寺でのお勤めの他、

市の教育委員会からの要請で、悩みを抱える子供たちの自立支援相談や講演活動を行ったりしています。

非行に走る子供たちはそれぞれに、人に言われぬ苦悩を抱えています。

けれども、だからこそ大きな可能性を秘めている。

人一倍光るようになるよ、この子たちは――。 

私はいつもそんな気持ちで子供たちのことを見守っています。 

<引用終了>

紗蓮さんを変えたきっかけの言葉は、「少欲知足」だったそうです。

少欲にして足るを知る。 

なかなか実践することは難しいことですね。

私たちは、この物質文明、お金至上主義の真っ只中に生きており、 

お金が全て、そして便利さの恩恵にあずかっています。

お金や、その便利さ・快適さを得ることが人生の目的になり、

それが本来の人間らしい生き方を見失わせる原因になっているのかもしれません。

紗蓮さんは、育ての親の無償の愛に気付いた時、立ち直れました。

振り返って私達はどうでしょうか?

自分の都合のよい時だけ、子供に愛情を与え、

子供が自分の意に添わなければ、

「フン」と言って子供をないがしろにしてはいないでしょうか?

この庵主様のように、何があっても「平素のように生きよ」と、 

他人(や子供)の態度に一喜一憂せずに、

平素のように「慈悲」の愛を注ぎ続けたいものですね。

そうすれば、この庵主様と紗蓮さんの関係のように、

周りに愛の灯を広げて行くことが出来るかもしれません。


2025年12月18日木曜日

4110「青空ひろば」2025.12.18

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します


1592 2025.10.28 

Q.なかなか寝付けないのですが?

A.

恐らく、体が冷えていて寝付けないという状態なのでしょう。ですから、夜食で体の内側から温めようとするのでしょうね。

少し汗をかくくらい運動して、それから温かいお風呂に入ってそのまま寝るという生活リズムにすれば眠れると思います。

私の場合は、歳をとってきて眠りが浅くなって、夜中に眼が覚めて、その後眠れなくなるということがたまにあるのですが、そんな時、坐禅を30分ほどしてから横になると、いつの間にか眠ってしまっています。本当に坐禅は、副作用のない、最良の睡眠薬だと思います。有難いことです。


1591 2025.10.27

Q.大敬先生の結婚のいきさつを教えて下さい。

A.

私の場合は、禅の師から紹介されて、はじめてその女性(現在の妻です)に会った時には、もうすでに結婚すると決めていました。私のような定職がない男と、よく思い切って結婚して、福岡から大阪まで来てくれたものだなあと、今考えてみると本当に不思議です。女性は大胆で強いですね。

結婚してから占いで調べてみたら、相性はお互いを傷つけあう関係で最悪、また私は短命の相、妻は後家の相と出ていました。それで、その運勢が示す通りよく衝突しましたが、お互い思い返し、思い返しして、気分を変え、悪いことはすぐ忘れる努力をして、ここまでたどり着けたのですから、妻も私も、よく頑張ったね合格!とほめてあげたいと思います。

それに、どんな悪い運命であっても、必ず好転出来るんだということを実証できたと思います。

あなたの場合は、結婚することにもっともっと本気になって、そのためにやれることは何でもがむしゃらに積極的に取り組もうというぐらいの姿勢が大切です。そういうひたむきな努力をやっているうちに、次第に結婚するぞ!という覚悟がしっかり定まってくるのです。

『いい結婚ができますように』と、お経を称えるのもいいですが、<足運び法>がこの場合有効だと思います。氏神様・産土様(もよりの神社)に何度もお参りして、いい人とご縁が出来て結ばれますようにと祈ります。

そうすると、足運びの回数を重ねるごとに、きっといい結婚が出来るゾ!という確信が強くなってゆきます。そして、ついにそんな「お願いの祈り」が昇華して、『神さまのみ心のままに』という、<全託の祈り>になってきます。


そんな安らかな、神さまにすべてお任せするという気持ちになれたなら、もうしめたもので、神さまも『愛(う)い子じゃ、こりゃ、頑張って相手を見つけてやらにゃ』と全力で相手をさがして出して下さいます。


1579 2025.10.11

<釈尊が歩まれた道>

○ 「四門出遊(しもん しゅつゆう)」:東門→老人に出会う 南門→病人に出会う 西門→葬列に出会う 北門→出家者に出会う 出家を決意

→求道のきっかけは「世界は苦である」ことの気づき(生老病死)

○ 「離脱の悟り」を目指す:出家して難行苦行→挫折,断念→5名の道友との別れ(絶交)

○ 絶望と孤独: 尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴(ミソギ)→川岸で倒れていた(このまま死んでしまいたい)→少女スジャータのヨーグルト供養(なぜ私のように生きる価値のない人間を生かそうとしてくれるのか)

○ 他力の発見:「大きな大きなイノチの流れ」に逆らわず、そのまま受け入れて身を任せることが出来るようになった

○「ひとついのち(イノチの一体性)の悟り」:河畔の菩提樹のもとで坐禅して(悟るために坐ったのではなく、大きなイノチの流れのもよおしのまま、ただ坐った)開悟した

○ 「ためらい(21日間)」:地上世界を去って安楽な世界にゆこうか、それともココに留まろうか?

○ 「関わり」の悟り:地上に残って人々と誠実に関わって導いてゆこう

と覚悟を決める→5名の元道友に会うために一歩踏み出した

○ 「関わり」の悟りの深化:お亡くなりになる7年前、法華経を説き、地上に残って未来の子孫たちも引き続き導いてゆくシステム(授記,多宝仏との一体化)を構築された


1578 2025.10.10 

<魂の全体性を復活させる「鏡の鎮魂法」>

「鎮魂」とは:人が病気になったり、生命力が減退してウツ状態になったりするのは、魂本体から多くの魂の断片が遊離してしまっているから。だから、出て行ってしまっている魂の断片に帰ってきてもらって、居るべき位置におさまってもらう神事が「鎮魂法」。

<鏡の鎮魂法(自礼拝)>

(鏡に自身を映しだして、その姿に向って 二拝二拍一拝 合掌して次の宣詞を称える)

(自身の氏名)さん、(自身の氏名)さん

私はあなたを許します。私はありのままのあなたをそのまま受け入れます。

私は、これまであなたを否定して、たくさんの魂を私から切り離し、断片にして追い出し、真輝魂を魔我魂にしてしまっていました。そのことを反省し、ここで懺悔します。

どうか、遊離してしまった、尊い魂の断片のすべてが、私の身に戻ってきてくれますように。そして、私のいのちの中の、本来の居り場所に落ち着くことが出来て、私はいのちの全体性を取り戻すことができますように。

いのちの全体性を取り戻すことができれば、私は元気を回復し、私本来のいのちの輝きを発輝できるようになるのです。

私が「ありのままの我が身の今・ココ」に落ち着けますと、私は本来神であったことを、思い出すことが出来ます。

あなたは本来神そのものなのです。そのことを喜び、感謝して、最後に自身の氏名を、神号としてお称えしましょう。

(自身の氏名)さま、(自身の氏名)さま、よろしくお願いします。あなたの地上での本来の役割を、見事に果たして下さいますように。(最後に深く一礼)


2025年12月17日水曜日

4109「人の心に神様を見る」2025.12.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月08日の記事を紹介します。


「人の心に神様を見る」


私たちが相手の方の内に、神様(良いところ)を見ることができれば、

まさに自分の宇宙(自分の住む世界、周りの環境)においては、 

全てが調和し、全てが幸せで笑って暮らせる、平和な世の中になることでしょう。 

そして生きながら、天国に住めるでしょう。。

「相手の内に神様(良いところ)を見ること」って? 

以前書いたのですが、良寛さんが溺れた時のお話でご説明します。

<引用開始>

越後国(えちごのくに)(いまの新潟県)で生まれた、

良寛さんというお坊さんがいました。

生涯貧しい暮らしをしていましたが、

その言葉はつねに人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われています。

そんななか、良寛さんを妬んでいた人がいました。 

村一番の嫌われ者だった渡し船の船頭で、大酒飲みの乱暴者。 

船頭は「いつの日か良寛が自分の船に一人で乗ってきたら落としてやろう」と考えていました。

幸か不幸か、その日はすぐにやってきました。

そして、川の半ばまで船を出し、

ゆらゆら揺らして良寛さんを船から落としてしまいます。

良寛さんは泳げません。 

だから、おぼれかけて死にそうになる。 

船頭も殺すつもりはありませんから、

「もう、これくらいで勘弁してやるか」と良寛さんを引っ張り上げる。

すると、良寛さんはこう言いました。

「あなたは命の恩人だ。

助けてくださってありがとう。

このご恩は一生忘れません」

良寛さんだって、船頭が船を揺らしたのはわかっていたでしょう。

村の評判だって聞いていたはず。 

なのに彼は助けてもらったお礼の言葉しか口にしませんでした。

そして、船頭は真人間になることを決意しました。

「太陽」のように争うことなく問題を解決する。

それが良寛さんの「実践」でした。

<引用終了>

良寛さんの言葉はつねに人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われていたのだそうです。

そして、上の逸話では、 

良寛さんは相手の悪意を知ってはいても、それを攻め立てたりはしませんでした。

相手の内に居らっしゃる神様(良心)だけを見つめていました。

だから「あなたは命の恩人だ。

助けてくださってありがとう。

このご恩は一生忘れません」という言葉が出たのですね。

その結果、

悪意を持っていた船頭の心の良き部分に光が当たり、

活性化され、船頭は真人間になることを決意することが出来たのです。

船頭の外見の行動は、人を船から落とすという乱暴なものでしたが、

良寛さんは相手の内に神様を見て、そこに意識を移し、活性化させたのでした。

・自分に乱暴を働く者、

・悪口を言う者、

・敵対心を抱く者、

・嫉妬している者、

・ねたんでいる者、 

そんな人たちの内側の神様を見ることは、難しいことかもしれません。

ですが、そのような人たちも家に帰れば、もしかしたら

・子供たちにとったら、良い親かもしれません

・病気のご両親の世話をしている、良き子供かもしれません

・旦那さまを愛する、良き妻かもしれません

・子供を守ろうと、少し意識が過剰になったのかもしれません。

・出がけに旦那さまとケンカしてイライラしていたのかもしれません

・昔自分が失敗したのと同じような失敗を私たちがしたため、トラウマがよみがえったのかもしれません。

・子供のころ親に虐待されていたのかもしれません。

・つい最近リストラされたのかもしれません

・最近、大きな病気が見つかり、不安心が心を覆っていたのかもしれません。

つまり、これらのことは相手の心の中の問題であり、

本当は私たちにはあまり関係のないことです。

私たちが相手の状態により、右往左往することはありません。

私たちができることは、 

私たちの心を穏やかにしておくこと、感謝の気持ちで満たしておくこと。

人間は、この世に生まれてくる時に、神様と相談してこの世で 

・どう生きるか、

・誰といつ会うか

などを計画して生まれてくるそうです。

つまり、今、この世に生きているということは、 

全員が神様に祝福されて生まれてきたということです。

理不尽な相手に怒るのではなく、

まずは、相手の内にも神様がいらっしゃると信じてみて、 

それで相手の中に何か良いところを見つけようとしてみる、

のも一つの方法かもしれませんね。

相手の態度にも、相手の方にとっては、人には言えない、

大きな理由があったのです。

決して、あなたが憎いわけではありません。 

それは、相手の方の心の問題です。

相手の方の、表面的な態度だけを見て感情を揺さぶられ、

憎んだり、ののしったり、足を引っ張ったりと、 

自分の心を汚す必要はありません。

私たちの現実は、私たちの心が作り出すからです。


2025年12月16日火曜日

4108「味方を増やす感謝の心」2025.12.16

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月07日の記事を紹介します。


「味方を増やす感謝の心」


今日は、小林正観さんの不思議話を書きたいと思います。

眉に唾をつけてお読みください。 

<引用開始> 引用元

すべてに感謝。

魂のあるすべてのものに感謝。

大事な役割を果たしている水。

あって当たり前になってしまっている。

水のありがたさを力説しながら、私たちの魂の変遷の話へ。

魂が一番最初に入るのが鉱物。

演台のペットボトルを指して、この魂は 喜ばれる存在になりたいという

方向性を神さまから与えられているので、水分を貯められる容器というものに入っているわけ。

機能がある状態を 生きている状態。

無くなったら死の状態。

そんな鉱物に入る魂を10万回経験する。

次に経験するのは。植物10万回。

植物の99.9%は生涯人間の目に触れません。

原生林の中で生まれ枯れていくのがほとんど。

9万回超えてくると人間に近づきます。 

人間の目に触れること自体がものすごくラッキー。

50年盆栽をやってきたプロ。

植物について分かったこと3つ。 

・人間が近寄ってくると、どきどきするらしい。

・人間に声をかけられるとすごく嬉しいらしい。

・人間に褒められると、この人のために命投げ出してもいいと思う。

褒めてあげると味方になるらしい。

植物は大地とつながっているので、なんと天候までも味方にすることができる。

植物を味方につけておくだけでも 味方はいっぱいになる。

植物の中で一番人間の感情や心を理解できるのは サボテンです。

サボテンに 愛してる 大好き ありがとう って声をかけてあげると

半年くらいたつと とげを落としてツンツルテンになってしまうか

とげはそのままだが痛くない。とげが産毛になってしまうかのどちらか。

これは正観さんも試したそうで、

外的から身を守るためのとげは、言葉によって必要がなくなる、といいます。

10ヶ月たつと きれいな青紫の花を咲かせる。

何も声かけないと10年でも花咲かせない。

しかし、いい言葉をかけると 10ヶ月くらいで花を咲かせる。

サボテンは植物生まれかわり10万回中

9万9900回位。ほとんどは鉢植えなどで植えられ

人間の家族の一員となっています。人間に近い。

その10万回を卒業すると今度は動物に生まれる。

植物同様 99,99999%は人間の目に触れずに生きていく。

9万回を越えていくと 人間に近づいていく。

去年 小林家に捨て猫。野良猫が人間の目に触れて

家で飼われるという猫は、生まれ変わり9万9900回を超えている。

眼に触れるだけでもすごいが家族の一員になること事態すごいこと。

もう少しで動物卒業という段階にきている。

動物10万回過ぎて 今度は雲を10万回やります。

空に浮かぶ雲ひとつに魂が入っています。

動物時代の楽しいことを思い出したとき、その形になってしまうんです 曇って。

雲について大事なこと。

雲の形 悲しい雲ってひとつもありません。

悲しそうな動物の姿って見たことないでしょう。

空の雲が思い出すことは 全部楽しいことばかりなんです。 

宇宙には悲しいという現象はないんです。

楽しかったというのが宇宙的なんです。

宇宙の構造は全部プラス思考なんです。

ウサギ イヌ イノシシ などなど全部楽しんでいる姿です。

それからいよいよ人間を10万回。

10万回過ぎると人間には生まれ変わりません。

神の最下級生の守護霊となります。姿かたちを持っていない。

その守護霊さんは、自分が宇宙の中で一番好きな

魂が入っている肉体を持った人に憑きます。

誰しも一体の守護霊さんが憑いてます。

この守護霊さん。

憑いてる ついてる ありがとう

を繰り返して感謝しているとすごい味方になってくれる。 

すべての鉱物に私のために役に立ってくれて

ありがとうと感謝すると味方になってくれます。

これは神さまがつくった宇宙法則です。

植物動物は人間に対して癒しのために存在して

近づいてきてくれるので

あなたのおかげで癒されて穏やかで幸せです。

ありがとうと感謝するとすごい味方になってくれる。

植物 動物は生まれ変わって近くにいるかもしれないので

特に感謝して大事にしたほうがよい。感謝したほうがよい。

空の雲も きれいな雲ありがとうと賞賛していると

空の雲も味方になってくれる。

そして 一番機能が高い 人間に対して感謝する。

宇宙法則には、感謝された人は、感謝した人の味方になる。

という仕組みが作られているので

感謝によって味方を増やすことになる。

・鉱物の魂に感謝

・植物の魂に感謝

・動物の魂に感謝

・雲の魂に感謝 

・人間の魂に感謝

この五種類すべて感謝できる人は、おまけとおみやげがついてくる。

感謝でもれなく、神さま 仏さまがついてくる。

人間を100人200人を味方にするのもいいけれど

神さま 仏さまが味方につけるのが一番いい。

私の人生の実体験の結果です。

努力なしで すごいことが起きていきます。

すべての魂に感謝です。

<引用終了>

このお話は不思議系のお話なので、信じる信じないは、ご自由なのですが、 

ペットと暮らしている方々は、わかるかもしれませんが、 

この子達も、もう動物としての一番高いレベルまで魂が成熟し、

もしかしたら次は人間に生まれてくるかも・・って思えたら、

なおさら愛おしさも増しますね(笑) 

彼らも、肉体は亡くなっても、魂は永遠ですから、進化の階段を上っています。 

人間の愛を注げば注ぐほど、進化は早まるといわれています。

大切に愛深く、付き合っていきたいものですね。 

人間も同じ、神様も同じ、魂を持つ者は、みんな同じ作りになっています。 

ですから、感謝され、愛を注がれれば、どんな方でも、途端に味方になってくれます。 

常に感謝の心、「ありがとう」を忘れないでいたいですね。 

みんなが幸せになる、第一歩ですから。


2025年12月15日月曜日

4107「ありがとうと言うために生まれて来た」2025.12.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月04日の記事を紹介します。


「ありがとうと言うために生まれて来た」


日本語の「ありがとう」と言う言葉は、物凄い力を秘めています。 

外国語にも翻訳すれば、同じ意味の言葉がありますが、 

言霊としての「ありがとう」には遠く及ばないそうです。

この言葉があるために、日本に転生して来たいと希望する魂は

他の国を圧倒的に引き離し、行列待ちの状態だそうです。 

今日の内容は、病気で、早くに亡くなったお子さんのお話です。

その悲しい出来事によって、 

・亡くなった子供は、何を伝えに生まれてきたのか?

・親がどのように影響を受けたのか?

という実話です。

それでは、ご紹介します。

私達は、もしかしたら、この地球に、「ありがとう」 

そう言うために生まれて来たのかもしれないですね。

今日のお話は、8歳で小児がんで亡くなった、

宗一郎くんのお父さんの手記からご紹介します。実話です。

<引用開始> 引用元

息子宗一郎のお話をしますね。

彼は平成十年3月31、光の世界に帰りました。

最後の3ヵ月は実は病院ではなく自宅で過ごしました。

そのときのわたしたちは必死でした。

なんとかして病気を治して、もとの元気な宗一郎になってほしかったんです。

サイマテイックという音で病気を治す器械も購入して使いました。

その他多くのことをやりました。

でも、いまから思えば、もっともっと一緒に楽しんであげればよかったと思います。

日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を、私たち夫婦は精一杯看病しました。

自分では歩くこともできない息子を背中におんぶして、

お風呂にそのままの姿で入ったとき、

痛みが少しやわらいだ息子の顔はとても幸せそうでした。

支えているわたしも泣きながら、お風呂につかっていました。

いてくれるだけでうれしい、生きていてくれるだけでありがたい。

夜は私と妻の間になって寝るのですが、30分ごとに訪れる痛みをやわらげるために、

私たちは宗一郎の体の位置を変えてさすってやりました。

正直いってとても辛かったです・・・

でも、でも、いてくれるだけでいい。

彼がいなくなることが怖かったんでしょうね。

辛い痛みのなかでもできるだけ、私たちに笑顔をみせようとしていた子でした。

「お母さん、ごめんね」

「もっと元気だったらお母さん、お父さんも疲れないのにね」

「お母さん、ぼく、もっと生きたいよ」

痛みがでるとサイマテイックで、その痛みをやわらげてあげました。

もう、これはいけないなと思い、病院へ連れていく車中で・・・

意識があまり定かではない宗一郎がこう言うんです。

「お父さん、お母さん」

「信じあって、助けあって、分かり合って生きてゆくんだよ」

「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

「自分を責めることが一番いけないんだよ」

と強い口調で私たちに言うのです。

病院での最後のとき・・・・

たんが気道を満たして声にならない声で・・・・

最後の一声が・・・

「ありがとう」なんです。

それまで全身の痛みで抱くことができなかったのですが、

最後は母親に抱かれながら静かに息をひきとりました。

<引用終了>

8歳の少年の遺言でした。

悲しいときや苦しいときほど、笑うこと。 

宗一郎君は、そう教えてくれました。


エピローグ

宗一郎くんが入院していたのは、小児ガン病棟。

その小児病棟は、みんなガンを患っている子ばかりで、

治る子はほんの一握りなのだそうです。

ほとんどの子は、1年~2年で光の天使になってしまいます。

でも昼間の小児病棟は、どの病棟より、とても明るくワイワイと賑やかだそうです。

どうしてだと思いますか?

残された命は短いんだから、楽しく素敵な思い出を作ろうと、

それぞれのお母さんやお父さんが、自分の深い悲しみをぐっとこらえて、

明るく楽しくお子さんたちと楽しむのだそうです。

残された人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

そして子どもたちが寝静まるころ、あちらこちらの病室から押し殺したように泣き声、

慟哭が聞こえて来るのだそうです。

この病棟では、夜は涙を流し、昼は笑顔を絶やさずに毎日過ごされていたのです。

小児ガンの子どもたちは、ものすごい優しい子が多いそうです。 

そして人を思いやる気持ちも、大人以上なのだそうです。

ある日、宗一郎くんが聞かれたそうです。

「宗一郎くんの夢はなに?」

宗一郎くんの夢は・・・

宗一郎くんの答えは、「大人になること」だったんです。

この病棟ほとんどの子どもたちは、私たちが当たり前に思っている

大人になることもなく、亡くなってゆきます。

大人になることは、実は凄いことなのです。

私たちは大人です。

・もっともっと幸せに、生きていきたいですね。

・もっともっと明るく、生きていきたいですね。

・もっともっと楽しく、生きていきたいですね。

・もっともっと笑って、生きていきたいですね。

・もっともっと優しく、生きていきたいですね。

宗一郎くんは、いつも辛い痛みのなかでも、できるだけ笑顔をみせようとしていました。

そして、辛い痛みのある時はいつも、「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

と強い口調で大人病棟の人たちに言っていたそうです。

私達は、よく不平・不満や愚痴を口にしたり、

また自分の思い通りにならないことがあれば、すぐに怒ったり、

この子供たちと比べたら、なんと自分勝手で、そして幸せなことでしょう。

彼らの夢は大人になること、たったそれだけだったのです。 

子供たちは、生まれる前に、自分の人生の設計をしてきます。

・どんな身体になるか、病気か、健康体か

・いつ、どこで、誰に会うか、別れるか

・どんな才能を身に付けるか

・そして、お母さんをだれにするか?

天国に戻る時を、何時にするか? 

それらは、全て自分の目的を達成するためです。 

そしてすべての計画は、神様に承認されて、祝福されたうえで生まれてきます。 

決して、その目的は、誰かを苦しめよう、悲しませよう、などのはずがないのです。 

肉体の生死を超え、永遠に続く生命(魂)の進化のために、

あえて過酷で、非常な運命を、選択してくる高貴な魂もいます。 

人を目覚めさせるために、生まれてくる魂もいます。 

その高貴な子供たちの心に報いるためにも、私たち、後から彼らのもとに行く者たちは、

日々の暮らしにしっかりと立ち、優しい心、助け合いの心、お互い様の心で、

生きていきたいものですね。 

そうやってこそ、高貴な子供たちの魂の働きに、報いることができます。 

彼らの早すぎる死を、無駄にすることもありません。 

どうか、皆さんが、日々の暮らしの中で、

笑顔で、助け合って、

お互い様の優しい気持ちで生きることができますように。


2025年12月14日日曜日

4106「一瞬の幻」2025.12.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月03日の記事を紹介します。


「一瞬の幻」


皆さんは、自分の暮らしと、他人の暮らしを比較して

うらやましく思ったりすることはありませんか?

・お金持ちの家に生まれていれば

・もう少し器量が良ければ

・才能さえあれば

・健康でさえあれば

など。 

ですが、私たちは 

生まれてくる前に、雲の上で神さまと、今世の目的や、やりたいことを相談し、 

その目的を達成するのにふさわしい、 

・身体、

・家庭環境、

・そして将来起こるであろう人との出会いと別れ、

・事件や事故、病気。

・そして死ぬ時を決めて地上に降りてきました。 

この地球で、どのような経験をしたいかによって、その経験をするにふさわしい 

・金持ちの息子として生まれてきたり、

・病弱の身として生まれてきたり、

・奴隷として生まれてきたり

しています。

全ての人生のストーリーを自分で決めてきました。

その経験がしたかったから、敢えてその環境を選んで生まれて来たのです。 

ここで例として芥川龍之介が書いた「杜子春」という物語をご紹介します。

あらすじをご覧ください。

<転載開始> 転載元 

■杜子春と仙人の出会い

唐の都である洛陽に、杜子春 (とし しゅん)という若者がいました。 

彼は金持ちの家に生まれますが、両親が残した財産で遊びながら暮らしており、

散財した今では、一文無しの生活を送っていたのでした。

ある日、そんな彼のもとに一人の老人が現れて、

夜中にこの場所を掘るようにと告げます。 

杜子春はその通りにすると、そこからは黄金が掘り出されました。

一晩にして彼は大金持ちになり、

これまでは見向きもしなかったような人たちが、屋敷に訪れるようになります。


■贅沢と貧困の繰り返しの中

大富豪となった杜子春は再び贅沢三昧の暮らしをし始めます。 

しかし、やがてはその財産をも使い果たし、

以前と同じように一文無しの生活に戻るのでした。

すると再び老人が現れて、金を掘るように告げます。

そして大金持ちになり、またしてもそれを使い果たすという繰り返しを経て、

三度目に老人に出会った時には、杜子春の心に変化が起きていました。

お金があればもてはやされるが、

一文無しになれば誰も見向きもしないということを知ります。 

そして人間というものに嫌気が差し、

お金はいらないから老人の弟子にして欲しいと頼むのでした。

杜子春は、その老人が仙人であるということに気がついたのです。

■峨眉山での修行

老人は自らを鉄冠子という仙人であると明かすと、

杜子春を自分の住んでいる峨眉山へ連れて行きます。

そこで試練として、

仙人が帰ってくるまで何があっても口をきかないと約束をします。

虎や蛇に襲われても地獄へ落とされても、

彼は約束通り何も言いませんでした。  

どうしても口を開こうとしない杜子春に怒った閻魔大王は、

既に亡くなっている彼の両親を連れて来て目の前で苦しめます。

閻魔大王に痛めつけられながらも、

自分のことを一番に思ってくれている母の心に心を打たれ、

たまらず母を呼んでしまうのでした。


■仙人が与えてくれたもの


お母さん、と一言叫んだと同時に杜子春はたちまち現実の世界へと戻りました。 

実はこれまでの出来事は全て、仙人が見せた幻だったのです。

もしあのとき杜子春が何も言わなかったならば、仙人は彼の命を奪っていたと言います。

これからはもっと人間らしい正直な暮らしをするという言葉を聞いた仙人は、

杜子春に一件の家と畑を与えて去って行きました。

<転載終了>

お金持ちになって、贅沢三昧をし、それに釣られて沢山の人が集まり 

そして、お金が底をつくと、誰も見向きもせずに離れて行き、

地獄でいじめられる両親の姿を見て、何も持たない惨めな自分であるのに、

それでも、自分を大切に思ってくれる両親の姿 、

これら壮大なドラマが、実は一瞬の幻だったのです。 

もしかしたら、私たちの人生は、

これと同じように一瞬の幻、夢物語かもしれませんね。 


農民から、一代にして太閤殿下に上り詰めた豊臣秀吉の辞世の句は・・・

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

です。

天下統一の目前まで行った織田信長の好んで使った詩は・・・

「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

でした。

生きているうちに、あのような波瀾万丈(はらんばんじょう) を生きた人たちでさえ、

死ぬ間際に気づいたのです。

人生は、一瞬のことであり、人生は、夢、幻であった。

人生とは、単なる役割に過ぎなかった。

私たち人間は、自分の見たいものを見て、経験したいものを経験し、

みんなが、実際は同じ世界に居ながら、全く異なる経験をしてます。 

同じ世界に暮らし、同じように生きているのに、それぞれの心の状態によって

・ある人は地獄に住み

・ある人は幸せな天国に住んでいます。 

同じ世界に暮らしているのに・・・

私たちが見る世界、聞く世界、経験する世界は、私たちの心の反映です。 

私たちの心の状態を正確に映し出した世界に、今住んでいます。 

ゆがんだ世界に生きているのであれば、心のどこかに ひずみ があるからです。 

空海が仰ったように私たちは、 

生きながらに、天国にも、地獄にも住むことができるからです。

これを空海は、即身成仏という言葉で教えてくださいました。 

あなたは、今、天国に住んでいますか?

それとも地獄のような苦しみ、疑心暗鬼の渦巻く世界に住んでいますか?

全ては私たちの心ひとつが作り出した世界です。

皆様がどうか、生きながら天国に住むことができますように。 

周りの方と、お互いさまの心で助け合い、笑顔で暮らしていくことができますように。 

生きている世界は、まったく同じなのです。

ただ、様々な出来事を、どのように受け取るか だけの違いで、

まったく異なる世界に投げ出せれます。 

・良きことも、悪しきことも、感謝の心で受け取っているか

・不平不満、悪口、嫉妬、憎しみの心で受け取っているのか 

人生は、夢、幻の世界、私たちは、自分で決めた人生ストーリーの役者。

もともとは、純粋で優しい魂の持ち主です。

いつでも、役柄を変え、心根を変えることで、天国に住む準備ができています。 

自分は天国に住むと、決断するか、しないか? 

決断すれば、すぐに世界は変わってくることでしょう。


2025年12月13日土曜日

4105「何が子どもと若者から「知能と自我」を剥奪しているのか?」2025.12.13

今回はIn Deepさんお2025年12月7日の記事を紹介します。


「何が子どもと若者から「知能と自我」を剥奪しているのか?」

何が子どもと若者から「知能と自我」を剥奪しているのか? - In Deep

アメリカのアカデミズムの崩壊を見て

先週発行した In Deep メルマガで、「アメリカの有名大学の学生たちの深刻な学力の低下」について少しふれたことがありました。

カリフォルニア大学サンディエゴ校という(本来は)非常に優秀な大学の話で、世界的な評価としては日本の東京大学と同水準の大学です。

取りあげたのは、以下のような記事でした。

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役に立たないU Useless U American Greatness 2025/12/03


カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の驚くべき最新の報告書によると、新入生の授業準備がかつてないほど遅れていることが明らかになった。

特に数学において、新入生の学習準備の急激な低下が顕著だ。

UCSD の報告書によると、2020年から 2025年の間に、高校レベル以下の数学力を持つ生徒の数は 30倍近く増加している。さらに、これらの生徒の 70%は中学校レベル以下だ。

これは、COVID-19による閉鎖、標準テストの廃止、成績の水増しが原因であり、その結果、UCSDで期待される厳しさに対する準備が不十分な新入生が生まれている。

UCSD の問題は特異なものではない。過去 5年間、カリフォルニア大学バークレー校や UCLA を含むカリフォルニア大学の他のすべてのキャンパスでも、学習の準備が整っていない 1年生の数が 2倍、3倍に増加している。

…全米では多くの学生が大学を中退しており、2024年秋の大学の学部生数は 1,928万人で、ピーク時の 2010年の 2,100万人から 8.43%減少している。

エドソース誌によると、カリフォルニア州立大学は、定員不足を解消するため、来年から大学進学準備コースでCの成績を取った学生を出願なしで入学させるという。この制度は、出願を必要とせず、入学許可を得られる。

大学卒業生にとって、雇用市場は低迷している。労働統計局の最新データによると、ホワイトカラー職、特に 4年制大学卒の学生の雇用が大幅に減少している。

4年制大学卒の学生は現在、失業者全体の 25%、約 190万人と過去最高を記録しており、これは 1992年以来の最高水準だ。

大学進学にはかなりの費用がかかる可能性があることは留意しておくべきだ。アメリカの学生一人当たりの一年間の平均費用は 38,270ドル (約 600万円)で、これには書籍代、教材費、生活費が含まれる。

学生が私立の非営利大学に通う場合、キャンパスでの生活には年間平均で 58,628 ドル (約 900万円)を費やし、そのうち 38,421 ドルが授業料やその他の費用として支払われる。

学生ローンの利子と失われる潜在的収入を考慮すると、学士号取得のための投資は、学生の家族と納税者に最終的に 50万ドル (約 7700万円)以上の負担をかける可能性がある。

伝統的な大学に代わる選択肢は何だろうか?

________________________________________

ここまでです。

天下の一流大学に入る学生が、

> これらの生徒の 70%は中学校レベル以下だ。

というようなことになっている。

「中学校レベル以下」という表現が、中学生レベルなのか、それより低いのかは定かではないですが、 「以下」には「below」という英語の単語が使われているので、日本語の「以下」ではなく、「中学生レベルに達していない」という解釈でいいのだと思います(小学生レベルという意味だと思われます)。

「いくら何でも…」とは思うのですが、入学時のプレースメントテストのスコアを基にした実測データで、確かにこのような結果が出ているようです。

まあ、「崩壊」ですよね。

全米トップクラスの州立大学でこれでは、アメリカ全体ではどうなっているんだ? とも思いますし、あるいは、「日本を含めた世界ではどうなっているんだ?」とも思います。

理由として、記事には、

> COVID-19による閉鎖、標準テストの廃止

などが書かれていますが、おそらく、関係ないですね。小学生ならともかく、高校生くらいにまでになって、学校の対面教育が長期間失われたとしても、こんなに激しい学力の低下は起きないです。

アメリカには伝統的に、学校に通わずホームスクーリング(家庭教育)で学習する若い人たちも多く(全体の 7%くらい)、つまり学校に行かなくとも勉強を自主的にする人であれば、ここまでの学力の崩壊はないです。

「標準テストの廃止」云々もほとんど関係ないでしょう。

じゃ、原因は何だろう? と。

これが、大学生ではなく、たとえば、現在の小学生や中学生なら、それはただちに、「原因はマスクとロックダウン」とも言えるような気がしますが、在大学生となると…。

子どもの学力の低下は、2020年からものすごい低下を見せていまして、以下は 2022年のアメリカの 9歳のデータですが、「過去最低」を記録しています。

アメリカの9歳の「数学」の平均スコアの推移 (2004-2022年)

 


americanactionforum.org

2年前に「脳の問題:日本社会全体の知力が劇的に下がる日」というタイトルの記事を書いたことがあります。

脳は身体の中で「最も酸素を欲する器官」で、特に、

「脳の細胞と細胞をつなぐシナプスが増加し続けている年齢、男の子なら 11歳、女の子なら 12歳までは特に酸素が必要」

ということを書いていますが、12歳以下などで、毎日毎日マスクをして過ごしていれば、「必ず知能は低下する」ことがはっきりしています。くどいようですが、

「必ず」

です。子どもがマスクをした場合、必然的に酸素不足が常態化し、脳の必要な成長が「必ず」阻害されます。これは年齢が低ければ低いほど当てはまり、小学生の低学年とか幼稚園児に長時間のマスクをさせるのは、「虐待と断言してもいい」と私は思っています。

子どもの(知能を意図的に下げることで)その子どもの未来を奪う行為だからです。

ですので、パンデミック当時に 12歳以下などの子どもだった場合、影響を受けていることは想像が難しくはないですが、現在大学生の人などは、パンデミックの頃はもう十代中盤などであり、脳の発達も完了していて、脳を原因とする致命的な知能への影響は起こらない世代です(ロックダウンの心理的な影響は残る人には残ったでしょうけれど)。

まあ、ワクチンというのも…(脂質ナノ粒子もスパイクタンパク質も脳に達するため)まったく影響がないわけではないでしょうが、検証しようがないので、ここではふれません。

参考までに、スパイクタンパク質が、骨髄から血管から本体まで「脳のあらゆる部位から検出された」ことを発表したドイツの論文については、2023年4月のこちらの記事にあります。

 

「では原因は何なのだろう?」

私が最近思っている最大の原因のひとつとして、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の損失」ということがあります。

デフォルト・モード・ネットワークは、「ボーッとしている時に働く脳の機能」で、創造力や思考力に大変に重要な脳の機能です。

しかし、たとえば、始終、スマホやデジタルスクリーンに向かい合っていると(それはボーッとした状態ではないので)、デフォルト・モード・ネットワークが「常にオフになっている」わけです。脳を活性化させる時間が奪われるために、それが長引くと、知能も思考力も創造力もどんどん下がる。

これについては、最近の以下の記事の後半に書いています。

英国の研究が「コロナのロックダウンが子どもの発達障害を著しく増加させた」と結論付ける。しかし、原因は複合的であり、そして最近は「DMNの喪失による知能低下」という問題も

In Deep 2025年11月29日

 

まあ…結局、「スマホ」というものが、社会全体の知力に相当悪影響を与えていると言わざるを得ない感じで、また、「ショート動画」の視聴が「脳の腐敗を引き起こす」という論文も翻訳したことがあります。

TikTok、Instagram、YouTubeなどソーシャルメディアのショート動画は若い人の「脳の腐敗」を引き起こすという論文

nofia.net 2025年11月26日

この「腐敗」というのは、「脳機能の腐敗」のことですが、働かなくなっていく。

最近の科学メディアの記事がこれについてふれていました。

以下です。

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研究者たちは、5歳児がすでに脳を腐敗させるコンテンツに深く夢中になっていることを発見し、懸念している

Researchers Concerned to Find That Five-Year-Olds Are Already Deeply Hooked on Brain Rot Content

futurism.com 2025/12/06

5歳未満の神経発達に異常のない子どもの脳は、急激な成長を遂げ、よだれを垂らす幼児から、トイレトレーニングを終えて学校で ABC を学ぶ準備のできた子どもへと成長する。

だからこそ、私たちが意図せずして、多くの子どもたちを膨大な量のインターネットによる脳の腐敗にさらし、その重要な時期を妨害していることが非常に憂慮される、と貧困層に焦点を当てた英国の政策グループ、社会正義センター(CSJ)の研究者による分析レポートは述べている。この状況は広範囲に及ぶ有害な結果をもたらす可能性が高い。

CSJ の研究者によると、この大規模で管理されていない実験の影響はすでに現れており、ソーシャルメディア上の低品質の動画やその他のコンテンツの氾濫により、子どもたちは「不安と睡眠障害」に苦しんでいるという。

他の研究では、ソーシャルメディアを利用する子どもは記憶力と読解力のテストの成績が低下し、スクリーンタイムの増加はあらゆる年齢層でうつ病や依存行動を引き起こすことが明らかになっている。

「この調査は非常に憂慮すべきものです」と、英国貴族院議員で元教育担当政務次官のナッシュ卿は、CSJ の報告書で引用されているように述べている。

「現在、5歳未満の何十万人もの子どもたちがこれらのプラットフォームを利用しており、まだ読み書きを習得していない子どもたちが、大人を惹きつけるように設計されたコンテンツやアルゴリズムにさらされていることは、私たち全員が懸念すべきことなのです」

CSJ の研究は、英国通信庁が 2025年5月に発表した報告書に基づいている。この報告書は、英国の親を対象に、子どものメディアに対する態度と利用について調査したものだ。

英国通信庁の調査によると、3歳から 5歳までの子どもの約 5人に1人がソーシャルメディアを独自に利用していることがわかった。

また、オンラインゲームをする 8歳から 9歳までの子どもの 4分の1が、これらのインタラクティブな環境で見知らぬ人と交流しており、児童虐待者にとって格好の場となっていることが明らかになった。

同じ英国通信庁のレポートでは、調査対象となった親の 37%が、3歳から 5歳の子どもがソーシャルメディアにアクセスできると認めていることがわかった。

これは、約 3年前の 29%というすでに高い数字から驚くべき増加だ。

CSJ はこの数字を基に人口データ計算を行い、想像し得る限り最もくだらないミームやショート動画で脳を刺激されている英国の子どもは 81万4000人いると推定した。

________________________________________

 

ここまでです。

こんなに若い頃からスマートフォンなどでソーシャルメディアやショート動画などに親しんでいるということは、「今後もずっと」だと思いますが、その間、

「本来成長すべき脳が成長しないで腐敗していく」

わけです。

そして、この「脳の腐敗」は、小さな子どもだけではなく、青年期の若者(あるいはすべての世代)でも起きることがわかっていて、ここまで書いたことだけでも、スマートフォンやソーシャルメディア、ショート動画などへの過度の依存は、

・デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)の機能が常にオフになっていて、創造力と自発的知性が失われる

・脳の腐敗につながる

ということになり、やはり良くないことなんですよ。

もちろん、ここまで肥大化したスマートフォン社会を、今さらどうこうできるものでもないですが、親御さんを含めてひとりひとりの努力なら、少しはできることもある気がします。

そして、これはそういう学術論文があるわけではないですが、

「次第に自我も消えていく」

ように思います。「自我」というのは、外的刺激のない中で、自分自身で考えることにより強化されるものです。

それがなくなっていく。

そういえば、最近、イタリアのシュタイナー系ウェブサイトで、ルドルフ・シュタイナーが以下のように述べていたことが書かれていました。

1924年9月17日のルドルフ・シュタイナーの牧師たちに対する講義より

現代には、実際には人間ではない、無数の自我のない人々が転生しています。これは恐ろしい真実です。

私たちは彼らを身近に見ますが、彼らは自我の転生ではありません。彼らは肉体的な遺伝によって受け継がれ、エーテル体とアストラル体を受け継ぎ、ある意味では内的にアーリマン的な意識を備えています。

注意深く観察しなければ、外見上は人間のように見えますが、真の意味での人間ではありません。これは恐ろしい真実ですが、確かに存在するものであり、現実なのです。

liberopensare.com

シュタイナーによれば、こういう「自我を持たない人間」は、人類の 3分の1を占めると考えられているのだそうです。

この話はともかくとしても、今のままの状態だと、こういう「自我を持たない人間」はさらに増えていくように思います。

ボーッとできる時間が少なくなりすぎて、そして、自発的に考える時間が少なくなりすぎた今の世の中が進む先は、知能も自我もない人間たちの社会となるのかもしれません。


2025年12月12日金曜日

4104「夭逝する子供たち」2025.12.12

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年12月02日の記事を紹介します。


「夭逝する子供たち」


皆さん「夭逝」(ようせい)と言う言葉聞いたことがありますか。

子供が年若くて死ぬこと  と言う意味です。

スタジオジブリの「風立ちぬ」の主題歌は

荒井由美さんの「ひこうき雲」でしたが、 

これは夭逝をうたった歌と言われます。

子供が先に亡くなることは、親にとったら、耐えがたい悲しみです。 

私のブログを見てくださっている方々の中にも、

そのような親御さんが沢山いらっしゃいます。

ですが、やはり、それにも神様の深遠な意味があるようです。

今日は小林正観さんの文章から夭逝に関するものをご紹介します。

<転載開始> 転載元

ニ、三歳で亡くなる子どもがいます。

この子は九万九千九百回ぐらい生まれ変わりを果たし、

あとの百回ぐらいは、親に悲しみを与えるだけの存在です。

あとの百回の生まれ変わりで、もうじき神になる存在です。 

人間としての肉体をもち、何かを修行する必要はありません。 

では何のために生まれてきたのかといえば、 

親に悲しみという感情を味わってもらうためです。

かわいい盛りの子どもに死なれるのは、

親にとっていちばん悲しいことです。 

その悲しみを親に味わってもらうというのが、

人間として生まれ変わりの、九万九千五百回ぐらいから始まります。

子どもに死なれた親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込みます。 

でもそれだけではいけません。 

幼い子どもの死は、 

「お父さんお母さん、それを乗り越えて、

明るく楽しく生きられますか」と問いかけているのです。

中略

幼くして死ぬ子どもは、もうすぐ神になる存在だから、

何かを修行したり修正したりする必要がありません。 

完成度の高い状況で生まれてくるのです。

だから早死になるのですと。

このことを知ると知らないでは大きな違いです。 

嘆き悲しみ、メソメソするのをやめて、

そのすばらしい子どもが自分たちと

半年、一年、三年、五年と一緒にいてくれた。

そのことに感謝しましょう。

ほかの親を選ぶのではなく、うちを選んできてくれた。 

それは、その親が、 

それまでいかに、

いろんな艱難辛苦の生まれ変わりを乗り越えてきたか、

という証明でもあるのです。

このことで、めげてはいけません。 

残された親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、

落ち込んでいるのではなく、 

それを乗り越えて、

明るく楽しく生きられますかと問われているのです。 

早死にする子どもの役割はそういう問いかけをすることです。

<転載終了>

親を悲しませるために早く亡くなった。

親を悲しませるために、病気になった。

人間の情の面から見たら、なんと非情なことでしょうか?

ですが、これも神様や私たちが、

生まれる前に自分で立てた人生計画です。

情ではなく、宇宙の法則が優先されるのでしょう。

私たち生きとし生けるものは、輪廻を繰り返し、

魂を成長させ、もともと一つだった神様のもとに帰らねばなりません。

子供が夭逝することや、重い病気になることで、 

どれだけ強力なインパクトを親に与えるでしょうか?

悲しみの涙にくれることでしょうか?

ですが、夭逝する魂たちは、その犠牲を払ってでも

親である私たちに、何かを伝えたかったのです。

何時までも何時までも悲嘆の涙にくれて欲しくて

そうしたのではありません。

きっと、その深遠な目的は、親である私たちの魂の向上を

飛躍的に後押ししてくれるものだからこそ、その道を選んだのでしょう。

その悲しみの涙の後に、

残された親たち家族が、どう生きていくか?

それこそが、彼らの果たしてくれた役割

「夭逝」に報いる道だと思います。

今世界は、大きな大きな変化の時に差し掛かっています。

精神性の復活の時代への、良き変化です。 

今は辛い時を過ごしていようと、もうすぐ明かりが見えます。 

どうぞ、希望を持って優しい気持ち、笑顔でお過ごしください。


2025年12月11日木曜日

4103「星の子供たち」2025.12.11

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月30日の記事を紹介します。


「星の子供たち」


今日は宇宙から地球に転生してきた子供たちのお話です。 

どなたも元々の魂の起源、ルーツを辿れば地球以外に由来しています。

例えば、歌手の谷村新司さんのルーツはプレアデス

1980年に発表された「昴-すばる」 

本人が著書の中で、この歌がプレアデスの同胞から受けたメッセージ

でできたことをカミングアウトしています。 

その歌詞の中には 


目を閉じて 何も見えず 

哀しくて目を開ければ

荒野に向かう道より 

他に見えるものはなし

ああ 砕け散る 宿命の星たちよ

せめて密やかに この身を照せよ

我は行く 蒼白き頬のままで

我は行く さらば昴よ 

銀河宇宙で起こったオリオン大戦のことが書かれています。 


ああ 砕け散る 宿命の星たち 

当時、プラズマや核爆弾を融合したような兵器が使われ

惑星ごと消滅させられたことなどもあったようです。


蒼白き頬のまま 

またプレアデス星人の肌の色は「青白」かったともいわれます。

オリオン大戦は、プレアデスだけでなく

リラ、ベガ、オリオン、シリウス、地球にも大きな影響を及ぼしたようです。

ベガは、こと座α星。こと座で最も明るい恒星で全天21の1等星の1つです。

七夕のおりひめ星(織女星(しょくじょせい))としてよく知られています。

ベガの文明は、ゼータ・レクティル文明、オリオン文明、シリウス文明と受け継がれていきます。

様々な情報では、地球に逃れてきた、はるかに進化した地球外知的生命体が

遺伝子操作などを行っていたともいわれています。 

東証一部に上場されている、船井総合研究所の創業者船井幸雄さんなども、地球に来た当時、この遺伝子操作を自ら行っていたことが著書で公開されています。 

地球に来た知的生命体が後のムーやアトランティス

その後のエジプト文明などに大きな影響を与えたと言われます。 

エジプト神話 智恵の神トート

さて今日ご紹介する子供たちは、地球上の生命からの転生で、

今世に生まれたのではなく、直接地球以外の惑星から地球に、

今世に生まれたと言うことです。

それには深い理由、目的がありました。

それでは、産婦人科医の池川明さんのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元 


私は産科医として、母子の心身に健やかなお産を模索するうち、 

子どもたちに「胎内記憶」(子宮にいたときの記憶)があることに気づきました。

私の調査によると、小さな子の約2割に、胎内記憶があります。

さらにその前の記憶、つまりお母さんに宿る前のことを覚えている、

というお子さんもいます。

子どもたちは、 

「雲の上のようなところでのんびり過ごし、どのお母さんのもとに生まれるか、 

自分で決めて生まれてきた」と語ることが多いのです。

理生(りお)くんは、「にじ色の星から来た」と語っています。

不思議なのですが、

ここ数年、「他の星からやってきた」と語るお子さんが、とても増えています。

クラリオン星から来た 小学生の久松奏拓くんもそうですね。

ご両親は宇宙の話などしていないのに、お子さんから突然、

「ぼくは、太陽(土星、金星、他の星座)から、地球に来たよ」

といいだしたりするのです。

「星の子」の中には、第六感が優れていたり、芸術的な才能があったり、

この世のルールに慣れるのに、ちょっぴり戸惑ったりするお子さんもいます。 

かつて、私が聞き取り調査したときは、子どもたちは「生まれてきた理由」として、

・人の役に立つためにやってきた

・お母さんを助けるためにやってきた

と、語ることがほとんどでした。

ただ、星の子は、それに加えてこんなことをいいます。

・地球を助けるためにやってきた


理生君は、2011年3月4日に、「人間を自殺させるおばけ」の夢を見ています。

さらに、「世界の終わりは、もうそろそろだ」といった2日後に、 

東日本大震災と原発事故が起きました。

お母さんの紀子さんは、理生くんのファンタジーと思っていた世界が、

現実世界と重なったことに、畏怖を覚えたそうです。

その後、理生くんは沖縄に移住しました。

現在は、琉球伝統の弦楽器、

三線(さんしん)を愛する少年として、元気に暮らしています。

理生くんは、こんなふうにも語っています。

「戦争が好きな神様もいる。でも、神さまは戦争できないので、

人間にとりついて戦争させる。

ほんとうは、人間は、

どの神さまとも心でつながって、

おはなししなくてはならない」

「ウランの神さまは、悲しんでいる。涙ぐんでいる」

いま、地球は、さまざまな意味で、危機にあります。

それは、人が神さまとの、心の会話をなくして、 

我欲に、全てを費やすようになったことによって、 

生じているのではないでしょうか。

もしかしたら、現代という時代は、

人が本来の生きかたを思い出すための、最後のチャンスかもしれません。

理生くんは、それを「すじみちを生きる」と、呼んでいます。

心の神さまは、外にいるのではなく、すべての人の心の中にいます。

どんな人の心も、神さまの心とつながっていて、その声を聞くことができます。

昔の人は、そのことを、

・お天道さまが見ているよ

・自分の心にはずかしくない生き方をしなさい

という言葉で、教えてきました。

私たちは再び、子どもたちに、

「あなたの心の神さまは、なんて言っているの」と聞くことが、

大切なのではないでしょうか。

星の子たちは、人が、神さまの心とつながることを忘れたために、

危機にある地球を助けたくて、この世に生を受けたのかもしれません。

<転載終了>

ここでも、やっぱり私たちの内に居らっしゃる、神さまのお話が出てきます。

やはり今の時代は、私たち全ての人の中に、神さまがいらっしゃる事・・・ 

その部分を突破口にして、先達たちの感化が行われているかもしれません。

私たち、みんなの心の中には「神さま」がいらっしゃる。

自分の中の神さまに気付くこと。

誰の中にも神さまがいらっしゃることを認めること。

人間のなす良きこと、その全ては、実は私たちの内に居らっしゃる

神さまのみわざです。

私たちのものではありません。

私たち生きている人間は、その経験をさせていただいています。

そしてそれに伴う感情を、味わあせていただいています。

これは生身の身体があるからできることです。

そのために地球に生まれ、肉体を頂きました。

「地球を助ける」とはどういうことでしょうか?

それは生きている私たち一人一人が、力のある他の誰かに頼るのではなく、 

自分の心の中の「神さま」と繋がることではないかと思います。

理生くんや、池川さんが仰るように、 私たちは本当は「神さま」とお話しできます。

それは言葉だけではありません。

直感であったり、閃きであったり、自然の中に、神さまの働きを感じるかもしれません。人々の優しい心に触れた時に、神さまを感じるかもしれません。

道端に咲く名もない草花の葉っぱの上に「朝露」の煌めきを見た時かもしれません。

意識さえしていれば、私たちの周りに、沢山の神さまの働きに気付きます。

神さまに触れることができます。

そんな時、自然と手が合わさり、感謝の気持ちが湧いてくるかもしれませんね。

私たち人間は、けして自分一人の力だけでは生きて行きません。 

誰かの迷惑にならずに、生きて行くこともできません。

いろいろな個性の人がいます。

・健康な人も、

・病弱な人も。

・お金持ちの人も、

・貧しい人も。

・若い人も、

・年老いた人も

みんなみんな、お互いを認め、助け合い、お互いさま、お陰さまの気持ちを 

大切に生活したいものですね。

また地球は、私たち人間が征服すべきものではありません。

自然と闘い、人間の知恵でそれを克服し、人間の利益に供させるために、 

地球があるわけではありません。

何十億年と言う時の流れの中で、地球も変化し、バランスを保ち、

私たち生命が住める惑星になってきました。

そして私たちを懐に抱き、輝くような体験をさせてくれています。

人間のエゴや傲慢な心で、地球を粗末にして良いわけがありません。

地球が、私たちを愛し、慈しんでくれているように、 

私たちも、地球を慈しみ大切にしたいものです。


2025年12月10日水曜日

4102「神さまと感謝の心」2025.12.10

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月29日の記事を紹介します。


「神さまと感謝の心」


ここでも、何度も書いていますが、神様の恩寵は感謝を媒体として現れます。

ですから、感謝し続けていれば、自分にとって悪い出来事は起こりようがありません。

逆に、憎しみの心がある限り、真の幸せは手に入りません。 

憎しみを手放さない限り、周りに毒をまき散らし、

ついには自分自身の精神と肉体を病ませてしまうことでしょう。

全ての出来事は、神々の許し、OKが出て初めて起こります。 

その目的は、その出来事を通じ、私たちの魂を磨き、

そして輝かせ、光を発しさせるためです。 

憎しみの心を手放し、まずは、身近な周りの人たちに

「ありがとう」、そう口にしてみてください。

その瞬間から運命が変わりだしますから。

私たち人間は、誰もかれも、みな平等に、神さまの愛と、恩寵を受けています。 

ですが、それが実際に現れるか、現われないかの違いは

その本人に感謝の気持ちがあるかどうか・・ 

なのだそうです。 

感謝がある所、それを媒介として 、神さまの奇跡が現れることができます。  

今日はクリスチャンの立場から

・感謝

・ありがとう

について述べられている記事をご紹介します。

書いた方は、「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、渡辺和子さんです。

ではご紹介します。

<転載開始> 転載元

「感謝なんて、とんでもない」としか思えない出来事があるものです。

私が50歳でうつ病にかかり、

「神さま、なぜ、どうして」と詰め寄りたくなった時も、そうでした。

何も出来ない。死んだ方が良い」とさえ考えた私を、

病院の一人部屋に置いておけないと考えたシスター達は、修道院に連れ戻してくれました。 

「今まで人一倍働いたのだから、少しお休みなさい」と言ってくれました。 

大学の学長と修道会の管区長の両方を兼ねていた私への優しいいたわりの言葉でした。

修道院に見舞いに来てくれた1人の精神科の医師は、 

「この病気は信仰と関係ありません。きっと快くなります」と慰めてくれ、 

他の医師からも、 

「運命は冷たいけれども、摂理は温かいものです」と言われて、

うつ病になったのも、

神の摂理だと考えるように、自分に言いきかせたものです。

※注 摂理とは・・

生まれてくる前に、私たちが神様と一緒に、これから生まれる自分の人生で、

起こる出来事、交わる人々、別れる時期など、細かく決めてきた内容のことです。


もとの自分に戻るのに、2年かかりました。 

今でもストレスが溜まると、うつ気味になることがあります。

そんな私が、それでも感謝できるのは、 

病気をしたおかげで、他人に厳しかった私が、少し優しくなれたことでした。

さらに「摂理」だったと思うのは、うつになり易い学生たちに、 

「私も、うつ病になったのよ。 

きっと快くなるから、辛くても我慢しましょうね」と、 

きれいごととしてでなく、言えるようになったことです。

「シスターもですか」と驚きながらも、安心した顔になる学生の顔を見て、 

「やっぱり感謝」と言えるようになりました。

神さまに、

「あの時は、お恨みしてごめんなさい」とお詫びする私になりました。

すべては恵みの呼吸なのです。

どんな不幸を吸っても、 

はく息は感謝であるよう心掛けたいと思います。

<転載終了>

渡辺さんは50歳を過ぎてから「うつ病」を発症しました。

それがあったからこそ、人々の苦しみ悲しみを理解することができ、

感謝の心を学んだのだそうです。

そう考えれば、渡辺さんのうつ病も「あらかじめ決められた出来事」

つまり摂理であったのでしょう。 

その苦難の最中は、苦しくて苦しくて、神をのろい、人をうらみ

死んでしまいたかったことでしょう、

ですがその苦しみが、心の糧となり、

深い深い、愛の心の持ち主となったのかもしれません。

私たちも、もし今、悩みのふちにあり、神や世間を呪っていたとしても、

きっとそれが晴れる時が来ることでしょう。  

諸行無常、良きことも、悪きことも、

全ては、刻々と変化して、流れているのですから・・・ 

そして、その悩み苦しみも、神様とともに、生まれる前、

自分で決めてきた、摂理なのですから。

つい愚痴が出てしまう気持ちもよくわかります。

生身の人間ですから。

ですが、どのような苦しみ、悲しみの中にいようと、私たちが、たった一人で、

孤独に置かれることは一秒たりともありません。 

私たちが、気付こうと、気付くまいと、

私たちの神さまは、必ず、傍らにいらっしゃいます。


今日の渡辺さんの記事、そのエッセンスは、

私たちは温かな摂理のもとに、生かされている、

そのような環境に置いてくださった、神様に感謝し、

私の人生に関わってくださった、周りの人々に感謝して、

ありがとう・・  と

敵にも、味方にも・・

そう、言うことかもしれません。 

自分の心が、感謝で、溶けた時、神々の恩寵が、

怒涛のごとく押し寄せることになります。


現在、大和心(やまとごころ)、唐意(からごころ)の最終的な戦いの様相を呈しており、

非常に世界は混とんとしていますが、 夜明けは近いです。

もう少しの辛抱です。 

それまで命を繋いでください。 

周りの人に優しくしてください。

愛を分けてあげてください。

それが自分の身を助けることに繋がります。


2025年12月9日火曜日

4101「大丈夫の小石」2025.12.9

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月28日の記事を紹介します。


「大丈夫の小石」


私たち人間は弱いものです。 

何か自分にとって不都合なことが起きれば、 

何かにすがって、それを取り除いて欲しいと依存したり

その環境から救い出して、

自分にとって幸せ、安楽と思える場所へと移動させて欲しいと願います。 

ブッダは私たちの苦しみの原因を、

思い通りにならないことを、思い通りにしようとすること。

そうおっしゃいました。

世の中の出来事、全て神様の意思で起こっていますが、 

これらは決して私たちに、都合よく起きてくるわけではありません。 

ですが、私たちを破滅させよう、苦しめてやろうと起きるわけでもありません。

神様が見ているのは生死を超えた永遠の時間の中で、

私たちの魂がより美しく輝くには、どうしたらよいか? 

それだけです。 

人間の一生のほんの数十年の、短いスパンで見ているわけではありません。 

ですが、生きている私たちには、その神々の深い心を理解することができないために、 

・病気であれば、早く治して

・貧困であれば、お金持ちにして

・子供が言うことを聞かなければ、良い子にしてください? と頼んだり

環境を恨み、境遇を呪います。 

それは、まさに、せっかく その場所、その境遇で、

自分なりの美しい花を咲かせなさい・・ 

そのように言ってくださっている優しい神様を、うらみ、のろうことと同じです。

私たちの人生は、どのような人生であれ、生まれる前に自分で全て設計してきました。 

そして神様の承認を得てきました。 

ですので、どのような出来事が起きようと、どのような境遇に置かれようと、 

本当は大丈夫なようにできています。 

その深い神様の愛に感謝せず、自分の都合ばかりを押し通そうと、

恨み、呪ってばかりいては、 

神様も、助けてあげたくとも、決して手出しはできないでしょう。 

私たち自身の心から、依存の心、恨みの心、呪いの心が消え去り、

感謝の心が芽生えるまでは、神々さえも 救いの手を差し伸べることができません。

全ては、何か大きな力によるのではなく、

私たちの心ひとつの 置き方にかかっています。 

それでは今日は、今、辛い思いをされている方、

心の中で、ザワザワと、恐れや不安の嵐が吹き荒れている方に書きたいと思います。 

置かれた場所で咲きなさい で有名な渡辺和子さん。 

お亡くなりになりましたが、

元ノートルダム清心学園の理事長で、カトリック修道女でした。

彼女は50歳の時、うつ病になったのだそうです。

<引用開始>

「忘れかけていた大切なこと、ほほえみ一つで人生は変わる」より

曹洞宗の尼僧、青山俊董が書いた「禅のまなざし」という本の中に、 

「だいじょうぶの小石」というお話があります。

仕事がら病院に出入りを許されている一人の方が、掌に入るくらいの小さな小石を

患者さんに、握らせてあげるのだそうです。

その小石には、平仮名で「だいじょうぶ」と書いてあるので、 

それを握らせてもらった人は、

「大丈夫なんですね。手術はうまくいくのですね、ありがとう」と喜びます。 

すると、その方は、

「あなたが思っている通りになる大丈夫ではなくて、

どちらに転んでも大丈夫、そういう大丈夫の小石なんですよ」とおっしゃるのだ、

というお話なのです。

この話を読んで、私のこれまでの考えは、足りなかったと思いました。

これまでは「手術のためにお祈りしてください」と頼まれると、

「はい、わかりました。きっとお治りになりますよ。大丈夫ですよ」、 

そういう気持ちで「大丈夫」を使っていたことが多かったと思うのです。

祈れば

・神が私の願い通りにしてくださる、

・病気を治してくださる、

・夫の怪我を治してくださる、

・子供の暴力を止めてくださる、

というのではなく、どっちに転んでも大丈夫、 

神は悪いようにはなさらないという信頼、腹のすわった心がまえ、 

そういうものをもって祈ることが大切なのだと気づいたのです。

「祈りは神を変えません。祈りは私を変えます」

・私たちが祈ると神は聞いてくださる。

・神さまが、私たちの意のままになる。 

そのように想いがちですが 、

私がどう願おうと、神はご自分の御心を、行いになるのです。

私は「欲しいもの」を願うけれど、神は「要るもの」を下さるのです。

私は26年前、うつ病になりました。

50歳で脂が乗っている時、仕事が面白くて仕方がない、

その時に欲しくも無い病気をいただきました。

その時、一人のカトリックのお医者さまが、 

「シスター、運命は冷たいけれど、(神の)摂理は温かいですよ」と 

慰めてくださったのです。

その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。

治りたい!治りたい!とだけ想い、 

・神をうらみ、

・愚痴を並べ、

・そして暗い顔 

をしておりました。

私が唯一、微笑むことの出来なかった時期です。

その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。

この世の中に起こることを 

・しようがないこと、

・降って湧いたような天災、

・人災

つまり、運命として受け取るのではなく、 

同じ受け取るなら、

・摂理として

・神のはからいとして受け取る。

だから「大丈夫だ」ということなのです。

渡辺和子 人を許した時、許した人は自由になる

私の欲しかったことは、その時には実現しないかもしれない。

でもいつか、神の時間に実現されるのだということ、

そう信じて生きることが、すべてを摂理として、受けとめるということです。

(略)

神の摂理として、病気をいただいたということ、 

その時はとても辛かったけれども、

いまとなっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。

病気をしたおかげで、人に対して優しくなりました。

それまで人に対して厳しくて、あの人はだらしがない、

なぜ、もうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、 

それを思わないで済むようになりました。

自分の弱さを知ったからです。

私が変わるために、神が摂理として病気をくださったのだと思います。

そして、そう思うことが出来るようになったことをありがたいと思います。

(略)

皆さんも、「だいじょうぶの小石」を 

しっかり握りしめて生きることが出来る方たちであって欲しいと思います。

時たまポロッと落としてしまってもかまいません。

どこに置いたかわからなくなって探し回ってもかまいません。

でもいつかその「だいじょうぶの小石」をもう一度見つけてください。

<引用終了>

運命は冷たいけれど、(神の)摂理は温かい、本当の事ですね。

でもきっと、「冷たい」と思うのも、

限られた時間と空間の中でしか生きられない私達には、仕方の無いことかもしれません。

神様の目線は、もっと大きくて優しくって温かい。

常に私達に良きものを与えて下さろうとしています。

病気や事故などは、私たち人間を優しくしてくれるのだそうです。

神さまは私たちを「苦しめてやろう」などと、決してお思いになりません。

全ての出来事は、それを神さまが、私たちに起きることを許した出来事なのです。

だからどちらに転ぼうと、神様と共にある限り、絶対に大丈夫なんですね。。


最後に置かれた場所で咲きなさいより・・

自分の良心の声に耳を傾ける

私たちの心の中に、善いことをすすめ、 

悪いことを制止してくれる”王さま”が住んでいるのだから。 

良寛さんも、こう仰いました

災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、災難に直面するがいい。

死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。

これこそ災難をのがれる妙法なのだ。

これは、あきらめの心ではなく、

神さまの下さった現象を、しっかり受け取り、感謝するということ。

不平不満、じたばたせず、現実を素直に受け入れる。

その時 道が開かれます。

こうみてくると 

神さまを信じたからと言って、現実が変わるわけではありません。 

私たちの心が変わるだけです。 

ですが、それが全ての変化を引き起こします。 

すべての出来事を受け入れて、感謝できる心に変わることで、一見現実は変わらなくとも、心は、見える世界、見えない神の世界・霊の世界を包括していますから。 

上にあるが如く下もかくありの言葉の通り、

心の状態によって現実の世界にも変化が現れます。

皆様が、心の中の神様を信じ、心に、平安を取り戻せますように・・・・



2025年12月8日月曜日

4100「2026年にアメリカが大恐慌におちいる理由」2025.12.8

今回はIn Deepさんの2025年11月23日の記事を紹介します。


「2026年にアメリカが大恐慌におちいる理由」

2026年にアメリカが大恐慌におちいる理由 - In Deep


13年前に発表された2026年の予測の内容

いわゆる陰謀論者と言われることの多いアメリカのハル・ターナー氏という方がいまして、最近、「専門家たちは2026年にすべてが崩壊し、それを止めることはできないと述べている」というタイトルの記事をリリースしていました。

この記事自体もご紹介しようと思いますが、これについて調べている中で、フレッド・フォールドヴァリー博士という、初めて聞く名前の人が検索中に出てきまして、Wikipedia を見ますと、2021年に亡くなっている方ですが、以下のように 2008年の景気後退を 10年以上前に予測していた方のようです。

フォールドヴァリーは 4年周期の短期経済循環と 18~ 20年周期の主要循環に焦点を当てた。1998年には、次の大規模な景気後退は2008年になると予測し、 2000年問題の影響で 1999年または 2000年に短期的な景気後退が起こると予測した。

wikipedia.org

この 2000年と 2008年の景気後退は、まさにその通りになったのですけれど、このフォールドヴァリー氏の「 2012年3月19日」に投稿された記事の存在を知りました。

つまり、今から 13年前に書かれたものです。

そのタイトルは、ずばり「2026年の大恐慌」というものでした。

記事の見出しには、

ほぼすべての経済学者たち、金融アナリスト、ジャーナリスト、評論家、ブロガー、そして机上の空論に耽る人々は、この予測を嘲笑するだろう。しかし、このサイクルが存在するのは、人々がそれを信じないからだ。

とあり、残念ながら、フォールドヴァリー氏はその 2026年を向かえることなく亡くなったわけですけれど、その 13年前に書かれた記事をご紹介させていただこうと思います。

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2026年の大恐慌

The Depression of 2026

Fred Foldvary, Ph.D. 2012/03/19

アメリカ経済が 2008年の世界恐慌から回復しつつある今、人々は次の大規模な経済危機はいつ起こるのかと疑問に思っているが、アメリカの景気循環は 18年周期であるため、次の大不況は 2026年になる可能性が最も高い。

2026年の世界恐慌は、1800年代初頭以降の他の大恐慌と同じ原因で起こると予想される。

1990年代、不動産サイクルに詳しい人々が 2008年の大恐慌を予測していたにもかかわらず、誰も注目しなかった(1997年の私自身も例外ではなかった)。

ほぼすべての経済学者、金融アナリスト、ジャーナリスト、評論家、ブロガー、そして机上の空論に耽る皮肉屋でさえ、2026年に深刻な不況と恐慌が起こるというこの予測を嘲笑するだろう。彼らは、これほど遠い未来にそのような出来事を正確に予測することは不可能だと言うだろう。しかし、これらの人々がそれを信じないからこそ、このサイクルが存在するのだ。

好況と不況のサイクルの根本的な原因は一つ、土地価格への巨額の補助金だ。これらの補助金は政府による市場介入であるため、サイクルの原因は「景気」ではない。したがって、「景気循環」という用語は誤解を招く。景気循環とは、政府の政策によって引き起こされた経済の歪みのサイクルなのだ。

不動産への金融支援は、低金利の信用供与によって成り立っている。米国では、連邦準備制度理事会(FRB)がマネーサプライを拡大することで金利を操作している。資金供給によって銀行の準備金が増加し、銀行は余剰資金を貸し出すために金利を引き下げる。

低金利の信用供与は 2006年にピークを迎えた不動産バブルを煽り、今日の超低金利は次のバブルの種をまいている。同様の通貨創造は他の中央銀行でも行われている。

貨幣と信用の人為的な拡大は、最終的には物価インフレを引き起こす。その問題の一つは、価格の上昇が不均一であることだ。

物価は、資金が貸し出されている場所で最も早く、最も速く上昇し、その多くは不動産の購入や建設の資金に充てられる。相対価格の歪みの一例として、不動産の購入価格が賃貸価格に比べて上昇することが挙げられる。中央銀行が貨幣供給量を減らすと、金利が上昇し、低利融資による投資が停滞し、銀行やその他の企業の倒産につながる。

地価に対する政府の補助金のもう一つの分野は財政的なもの、つまり政府の課税と支出だ。最大の補助金は、政府の公共財による地代収入だ。

交通、治安、学校、公園、街路、高速道路の整備は、地域の魅力と生産性を高め、地代と地価の上昇をもたらす。これらの事業への支払いが地主から支払われる場合、その支払いは地価の上昇を抑制する。しかし、公共財の財源は主に労働、企業、そして財源への課税によって賄われてきた。

アメリカでは、土地所有者は特別な税制優遇措置を受けられる。住宅所有者が住宅を売却する場合、資産価値の増加分の大部分がキャピタルゲイン税から免除される。

不動産所有者は、課税所得から住宅ローン利息と固定資産税を控除できる。自宅以外の不動産を所有している人は、建物の価値が下がっていなくても減価償却費を控除できる。また、「交換」として類似の不動産を購入する場合、不動産を無税で売却できる。こうして、土地投機は非課税となる。

土地が経済の歪みサイクルにおいて最も重要な要素である理由は、経済拡大による利益の多くが地代の増加によってもたらされるからだ。そして、不動産価格の上昇に気づいた投機家たちは参入し、需要を増加させることで価格上昇を加速させる。そして、土地の価格は、実際に土地を利用したい人々が支払える価格を超えて上昇する。高地価と高金利は経済拡大を阻害する。投資が減少し、不動産業界の労働者が職を失うと、経済は不況に陥る。

2012年の米国経済は依然として低迷しているものの、回復基調にある。株式市場はすでに回復基調にあり、景気拡大への期待が高まっている。景気回復の鈍化は、政府による地価と最低賃金の引き上げに加え、2013年の増税予想、原油価格の上昇、そして金融規制や医療保険の義務化に伴うコストなどが要因となっています。

経済を押し上げる要因としては、エレクトロニクスや生物学分野における継続的な技術進歩、そして天然ガスと石油の採掘拡大が挙げられる。

2014年までに、人口増加と解体により建設バブルによる空室は減少し、その後経済成長により家賃と地価が上昇し、2024年頃にピークを迎える 10年間の不動産バブルを生み出す投機を引き寄せるだろう。

米国経済以外からのショックは、景気循環のタイミングを変える可能性がある。

欧州のソブリン債務危機は大規模な債務不履行に陥る可能性があるが、欧州当局はその危険性を十分に認識している。彼らは問題を解決したわけではなく、債務の増大、一部の債務の組織的な免除、そして逆効果となる緊縮財政措置によってその影響に対処してきた。

ギリシャのような国は、付加価値税を地価税に置き換えることで高成長を実現し、債務問題を解決できたかもしれないが、欧州の人々は地価補助金を廃止するよりも生活水準を低下させることを優先するだろう。

また、イランの国家スローガン「アメリカに死を!」が真剣に受け止められているため、イランの核開発計画に対する戦争の脅威も依然として存在している。

このようなショックが景気循環を阻害しなければ、200年間変化していない米国経済の根深い財政・金融構造は、過去と同様に、次の好況と不況を生み出すことになるだろう。

しかし、2026年の大暴落は 2008年のそれよりもはるかに深刻なものとなるだろう。なぜなら、米国政府が年間 1兆ドルの財政赤字を継続する中で、2024年までに米国債務は膨れ上がり、米国債はもはや安全とはみなされなくなるだろうからだ。

そして、金融危機において、米国は金融機関の救済に必要な資金を借り入れることができなくなるだろう。

アメリカ国民にはまだ次の大好況と大不況を防ぐ時間がある。しかし、ほぼすべての経済学者と同様に、彼らは文化的に現状維持に縛られているため、1990年代や 2000年代と同様に、警告は無視されるだろう。

私たちは今、はるか上流にいるものの、2024年から 2026年にかけての不動産と金融の滝へと、そして、もはや後戻りできない川へと突き進んでいる。

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ここまでです。

アメリカの債務の問題などを含めて、今は確かに、フォールドヴァリー氏が 13年前に述べていた通りの道筋をアメリカは辿っているように見えますが、しかし、この文章を読んでいると「日本にもとてもよく当てはまる話だなあ」とも思えます。

> 今日の超低金利は次のバブルの種をまいている

とか、

> 不動産の購入価格が賃貸価格に比べて上昇する

などのバブル状況を日本はこの数年拡大させてきたわけですが、フォールドヴァリー氏の景気循環理路んから言うと、「2025年あたりがその最終局面」だということのようです。

次の恐慌は相当深刻になるということも書かれています。

実際にどうなるのかは私などにわかるものでもないですが、現在の株式や仮想通貨市場などの異常な不安定さからも、波乱の要素は今後も続く可能性が高そうです。


次に、最初に書きましたハル・ターナーさんの記事です。

この記事のタイトルに「専門家たちは」とありますが、専門家の具体的な名前は出てきません。しかし、たとえば、2008年のリーマン・ショックを予測したことで知られる著名な投資家のレイ・ダリオ氏は、

「今はバブルの崩壊まで 80% の地点にある」

と述べていたり、

IMF、イングランド銀行、ゴールドマン・サックス、JPモルガンなど、世界的な機関のアナリストたちが一斉に、「株価バリュエーションは 2000年のITバブル崩壊時に匹敵する」と述べていたりと、バブル崩壊への危機感を口にする専門家が今はとても多いことは事実です。

ハル・ターナーさんの記事をご紹介して締めさせていただきます。翻訳していて気づいたのですが、相当長い記事です。

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「専門家たち」は「2026年にすべてが崩壊し、それを止めることはできない」と言っている

The "Experts" are Telling me "2026 Everything Comes Apart; Nothing Can Stop it"

halturnerradioshow.com 2025/11/22


アメリカの金融システムの中心には 38兆ドル (約 6000兆円)の時限爆弾が仕掛けられており、この時限爆弾は、2026年には、典型的な不況のようなゆっくりとした進行ではなく、制御された破壊的なスピードで爆発するだろう。

すべてのドミノ倒しはすでに完了し、導火線にも火が灯っている。最初のドミノ倒しが倒れれば、破壊的な連鎖は止められなくなる。今、皆さんがこの記事を読んでいる間にも、5,000億ドル (約 80兆円)を超える企業債務が借り換え期限に向かっている。

パンデミックの好景気時に 3%の金利で融資を受けた企業は、返済期日が来ると 9%の金利に直面することになる。

一見堅実に見えた銀行は、商業用不動産ローンのポートフォリオを 2年前の半分の価値にまで持ち越している。そして、本来であればその落ち込みを補うはずだった民間信用ファンドやレバレッジドローン市場といった機関は、まさにシステムが最も必要としている時に、ひそかに資金を引き揚げている。これは、遠い将来の景気後退を予測するだけのものではない。

これは数学的に確実だ。数字は嘘をつかない。タイムラインは確定している。

この崩壊を引き起こすメカニズムはすでに動き始めている。

2008年の到来を予見したすべての専門家たち、ドットコムバブル (ITバブル)の崩壊を予測したすべての経済学者たち、住宅バブルを予測したすべてのアナリストたちは、みな同じことを述べている。

「 2026 年はすべてが崩壊する年だ」と。

しかし、今回の危機がアメリカの歴史における他のすべての金融危機と異なる点がここにある。

今回は、政府は私たちを救うことができず、連邦準備制度の弾薬は尽き、財務省のバランスシートは限界に達し、第二次世界大戦以来のあらゆる危機を支えてきた米国経済の基盤そのものである債券市場は、持続不可能な負債の重みで崩壊しつつある。

このドミノ効果が段階的に、月ごとに、そして金融機関ごとにどのように展開していくのか、具体的に挙げていこう。パターンが見え、仕組みが理解できれば、私たちは金融危機に近づいているのではなく、すでに危機の中にいることがわかるだろう。ドミノ倒しは始まっている。ただ、ほとんどの人がまだ気づいていないだけだ。

 

借り換えの壁

最初のドミノ倒しはすでに揺らぎ始めている。それは「借り換えの壁」と呼ばれ、貨物列車のようにアメリカの信用市場に迫りつつある。

2020年、2021年、そして 2022年、金利が実質的にゼロだった時期に、アメリカ企業は企業史上最大規模の借り入れに奔走した。

彼らは債券を発行し、レバレッジドローンを利用し、実質的に資金が無料で手に入るため、負債を増やしていった。当時発行された高利回り債券の平均クーポンは約 5%だった。レバレッジドローンも同様の変動金利だった。

アメリカ企業は安価な融資で潤った。しかし、借金というものは永遠に続くものではない。 これらの債券は償還期限を迎え、ローンの借り換えが必要になる。

そして 2026年には、5,000億ドルを超える債務が一斉に満期を迎える。

5%の金利で借り入れた企業は、8%、9%、あるいは 10%の借り換えコストに直面することになる。これは単なる金利上昇ではなく、アメリカのビジネス経済における根本的な変化だ。5%の金利で問題なく債務返済できた企業が、10%では倒産してしまう可能性がある。

皆さんはこう思うかもしれない。「大企業だから、きっと解決策を見つけるだろう。資本金を調達し、コストを削減し、解決策を見つけるだろう」と。

もちろん、実際にそうする企業もいくつかある。

強固なバランスシートと予測可能なキャッシュフローを持つ強固な企業は生き残るだろう。しかし、すでに苦戦を強いられ、根本的な問題を覆い隠すために低利の借入金を利用しているような底辺の企業は破綻するだろう。そして、破綻すれば、貸し手も道連れにされるだろう。

 

影の銀行システム

ここで第二のドミノ倒しが起こる。貸し手はもはや伝統的な銀行ではない。過去 10年間、アメリカの金融システムは静かな革命を経験してきた。

2008年以降、誰もが銀行規制に注力し、銀行の安全性を高め、資本増強を迫る一方で、シャドーバンキングシステムが台頭した。民間信用ファンド、レバレッジド・ローン、担保付きローン債務といった金融システムが、規制対象銀行が抱えていた融資ギャップを埋めるために介入したのだ。

彼らは現在、世界中で 250兆ドル (約 4京円)以上の資産を管理している。これは地球上の全金融資産の半分に相当する。しかし、これらのシャドーバンクと従来の銀行の間には、決定的な違いがある。

伝統的な銀行は規制を受けており、預金保険制度があり、連邦準備制度の緊急融資を受けることができる。伝統的な銀行には政府のバックアップがあるが、シャドーバンクにはそれがない。伝統的な銀行が危機に直面した場合、規制当局は介入し、資本注入を行い、合併を調整し、危機の波及を防ぐことができる。

シャドーバンクが破綻すれば、それはただ破綻するだけなのだ。そして投資家も巻き込まれる。過去 5年間、プライベート・クレジット・ファンドはリスクの高い企業債務の限界的な買い手となってきた。

銀行が融資を拒み、債券市場が不安に陥った時、民間の信用機関が介入した。彼らはアメリカ企業にとって最後の貸し手となった。しかし今、 2026年が近づくにつれ、これらのファンドは自らの危機に直面している。

投資家たちは償還を要求している。好景気時代に民間信用市場に流れ込んだ安易な資金が流出しつつある。ファンドマネージャーは現金を蓄え、新たな契約を避け、最悪の事態に備えている。

つまり、アメリカ企業が最も借り換えを必要としているまさにその時、5,000億ドルの債務の借り換えが必要なまさにその時、借り換えを提供するはずだった金融機関が手を引いているのだ。これは典型的な流動性危機だ。需要が過剰で、供給が不足しているのだ。

信用市場でそれが起こると、価格は上昇するだけでなく、急騰する。 8%で借り換えることができたかもしれない企業が、突然 12%、15%、あるいはまったく融資を受けられなくなる事態に直面することになる。その時、第三のドミノ倒しが起こる。

 

商業用不動産

商業用不動産業界は 2年間、静かに赤字を垂れ流してきたが、会計上のトリックや「時間稼ぎと見せかけ」戦略によって問題が隠蔽されてきたため、ほとんどの人が気づいていない。全米のオフィスビルの 40~ 50%が空室状態にあるのは、パンデミックによる一時的な影響ではなく、アメリカ人の働き方の恒久的な構造変化によるものだ。

リモートワークやハイブリッドワークの導入により、オフィススペースの需要は根本的に減少した。パンデミック以前の稼働率と賃料収入に基づいて融資された建物は、現在の空室率では債務を返済できない。稼働率が 90%の時には妥当だった住宅ローンも、稼働率が 50%になると維持できなくなる。

そして、これらの住宅ローンの返済期限が迫っている。

今後 18ヶ月で、数千億ドル規模の商業用不動産債務の借り換えが必要になる。これらの銀行の中には、融資ポートフォリオの 30%、40%、さらには 50%を商業用不動産に投資しているところもある。

これらのローンが大量に債務不履行に陥り、オフィスビルやショッピングセンターが 50セントで銀行に返還されると、これらの金融機関は壊滅的な損失に直面するだろう。

その予兆はすでに見えている。シリコンバレー銀行は 2023年3月に破綻し、アメリカ史上 2番目に大きな銀行破綻となった。

シグネチャー銀行も同じ週に破綻した。ファースト・リパブリック銀行は 2023年5月に破綻した。これらはサブプライムローン業者でも、リスクの高い投資銀行でもなかった。

これらは、金利が急上昇した際に価値が下落した資産を保有していたことで、保守的とされていた地方銀行だった。しかし、それはほんの始まりに過ぎなかった。地方銀行の破綻の真の波は、商業用不動産の損失がようやく認識される 2026年に押し寄せるだろう。

ここで第四のドミノ、債券市場が登場する。

 

債券市場

アメリカ政府の負債は現在 38兆2000億ドル(約 6000兆円)に上る。これは、わずか 20年前の世界経済全体が 1年間に生み出した負債総額を上回る。

この債務の年間利払い額は 1兆2000億ドル (約 180兆円)に迫っており、これは国防費、メディケア、そして社会保障を除くあらゆる支出を上回っている。そして、これらの利払いは、低金利の古い債務が満期を迎え、高金利の新しい債務に置き換えられるため、毎月支払期日が迫っている。何十年もの間、これは問題ではなかった。なぜなら、米国債への需要が常にあったからだ。

外国の中央銀行がそれを買っていた。国内の年金基金がそれを買っていた。保険会社がそれを買っていた。

米国債は世界で最も安全な投資、つまり無リスク金利と考えられていた。しかし、その前提はかつてないほど試される時が来ている。信用危機が起こり、民間企業が債務不履行に陥り、地方銀行が破綻し、商業用不動産が暴落すると、投資家は米国債を保有するためにより高い利回りを要求するだろう。それは米国政府が債務不履行に陥るからではなく、債務の裏付けとなる通貨の価値が下落するからだ。

米議会予算局は、連邦債務の純利払い額が今後 10年間で 13.8兆ドル (約 2100兆円)に達し、2026年の年間 1兆ドルから 2035年には 1.8兆ドルに増加すると警告している。しかし、これらの予測は金利が比較的安定していることを前提としている。金融危機時に金利が急騰し、投資家がドルの購買力への信頼を失えば、利払い額は 2倍、あるいは 3倍に膨れ上がる可能性がある。

アメリカ政府は、既存の債務の利払いのためだけに借金を繰り返す状況に陥る可能性がある。これがまさに債務スパイラルの定義だ。2008年当時は政府に財政的余裕があり、連邦準備制度理事会には利下げの余地があり、債務対 GDP 比も管理可能だったが、今回は従来の危機対応策は機能しないだろう。

インフレが依然として懸念事項であるため、FRB は金利をゼロに引き下げることができない。政府は平時でも GDP の 7%の赤字を抱えているため、巨額の財政赤字を計上することができない。2008年にシステムを救った機関自身も、自らのバランスシート問題に苦しんでいる。

だからこそ、2026年は単なる不況ではなく、システムのリセットとなるのだ。

ドミノ倒しはただ順番に倒れるだけではない。互いに影響を強め合い、被害を拡大させ、従来の方法では回復を不可能にするフィードバックループを作り出している。企業の債務不履行は銀行破綻を引き起こし、銀行破綻は政府の介入を引き起こす。

政府の介入は通貨切り下げを引き起こすだろう。通貨切り下げはさらなる企業債務不履行を引き起こすだろう。この悪循環は、自らの重みで構造全体が崩壊するまで、自らを蝕み続けるだろう。

どこを見ればよいかがわかれば、兆候はすでに見えている。基調的な悪化にもかかわらず、信用スプレッドは縮小している。金融ストレス指標が急上昇しているにもかかわらず、デフォルト率は低水準を維持している。

雇用の伸びが鈍化する中、消費者債務は記録的な水準に達している。これはあらゆる大規模金融危機に先立つ典型的な警告サインであり、嵐の前の静けさと言えるだろう。

表面上はすべて順調に見えても、その根底は崩れ去る瞬間にある。このパターンは誰も予想しなかったほどの速さで加速している。

2008年に数ヶ月を要した出来事が、今では数週間で起こっている。現代の金融市場のスピード、アルゴリズム取引システム、相互接続されたグローバルネットワークが、時間軸を圧縮している。信用が崩れれば、それはあらゆる場所で同時に崩れ去る。

今、レバレッジド・ローン市場で何が起きているのか見てみよう。企業債務をパッケージ化して投資家に販売する担保付ローン債務(CLO)は、ストレスを感じ始めている。CLO市場の価値は 9,000億ドル (約 140兆円)を超えている。

これらの商品は、住宅ローンではなく企業融資を担保としているため、2008年に破綻した住宅ローン担保証券(MBS)よりも安全だとされていた。しかし、根本的な原理は同じだ。リスクの高い資産をまとめてパッケージ化し、トランシェに分割し、「安全な」投資として販売するのだ。

問題は、これらの CLO が発行されて以来、企業の信用力が劇的に低下していることだ。融資当時は投資適格だった企業が、今ではジャンク債格付けにまで落ち込んでいる。楽観的な収益予測に基づいて引き受けられた融資は、その予測を大きく下回った企業によって裏付けられている。

これらの投資を正当化した信用モデルは、もはや存在しない良好な経済環境を前提としていた。CLO マネージャーはパニックに陥り始めてる。彼らのポートフォリオにおけるデフォルトが増加傾向にあるからだ。

彼らは融資価格が額面価格を下回るのを目の当たりにしている。そして、2026年に借り換えの壁が立ちはだかれば何が起こるかを熟知している。彼らのポートフォリオにある企業は債務の借り換えができなくなるのだ。

低金利と「延長と見せかけ」戦略によって人為的に抑制されてきたデフォルト率は、大恐慌以来見られなかった水準まで急上昇するだろう。しかし、真に危険なのはそこだ。CLOは、損失を吸収できる洗練された機関投資家だけが保有しているわけではないのだ。

これらは年金基金、保険会社、投資信託、さらには一部の銀行預金によっても、仕組み商品を通じて保有されている。これらの金融商品の価値が下がり始め、保有資産の評価額が下がれば、その損失は金融システム全体に波及する。教員年金、警察官の退職年金、そして自分のお金は安全だと思っていた一般のアメリカ人たちの皆が今にも爆発しそうなレバレッジ爆弾にさらされているのだ。

 

保険業界

保険業界は第五のドミノ倒しであり、最も理解されていないため、潜在的に最も危険なドミノ倒しと言えるだろう。生命保険会社、損害保険会社、再保険大手など、これらの企業は低金利環境下で利回りを追求してきた。従来の国債や高格付け社債から十分なリターンを生み出せなくなったため、彼らはますますリスクの高い資産へと傾倒していった。

商業用不動産、レバレッジローン、プライベートクレジット、そして一部のエキゾチックなデリバティブ。

アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)は、2008年にデリバティブ取引によって世界金融システムを崩壊寸前にまで追い込んだ保険会社だが、AIG は誤った賭けをした一社に過ぎなかった。今日、保険業界全体が、数百社に及ぶ企業にまたがって、同様の賭けを行っている。

保険会社は皆、同じ利回りを追い求め、同じ資産クラスに投資し、同じ戦略をとっている。金利が低い時には賢明に見えても、金利が高い時には破滅的な結果を招く。

商業用不動産がデフォルトし始め、企業信用が破綻し、CLOS (住宅価格?)の価値が下がり始めると、保険会社は投資ポートフォリオで巨額の損失に直面することになる。しかし、資本増強や救済を受けられる銀行とは異なり、保険会社は異なる問題を抱えている。

保険会社には負債があり、保険契約を締結し、保険金を支払わなければならず、保険契約者に約束した保証利回りも存在する。保険会社の投資ポートフォリオが 20%の価値を失った場合、それは単なるバランスシートの問題ではなく、支払い能力の危機となる。

複数の会社が負債をカバーするのに十分な資産を持っていない可能性がある。保険契約者は保険金の返還を求めるだろうが、巨額の損失を出さずに資産を迅速に売却することはできない。これは典型的な銀行取り付け騒ぎのシナリオだが、ほとんどの人が銀行とは考えていない金融機関 (保険会社)で発生している。

ここでのシステミックリスクは甚大だ。なぜなら、保険会社は金融システムのあらゆる部分と相互に関連しているからだ。彼らはデリバティブ契約を通じて銀行の取引相手であり、社債や商業用住宅ローンの主要保有者でもある。

保険会社は他の金融機関に信用保険を提供している。保険会社が破綻し始めると、単独で破綻するのではなく、取引先も巻き込んで破綻する。

欧州の保険大手クレディ・スイスは、2023年3月の破綻で、まさにこの仕組みを体現した。銀行の問題は投資銀行部門から始まったが、瞬く間に全部門に波及し、取引相手は銀行との取引を停止した。

顧客は資金を引き揚げ、信用格付けは引き下げられた。数週間のうちに、166年の歴史を持つ金融機関は消滅し、スイスの規制当局が仕組んだ投げ売りによって UBS に吸収された。

2026年には、アメリカの保険業界全体で同様の状況が見られるだろう。ただし、破綻を吸収できるほどの規模の企業は存在しないという点が異なる。

複数の大手保険会社が同時に破綻し、それらの資産合計が残りの健全な金融機関の許容量を超えた場合、唯一の選択肢は政府の介入となる。しかし、政府の介入能力は、政府自身の債務問題によって制約されている。

 

連邦準備制度のバランスシート

これが六つ目のドミノ倒しであり、今回の危機をこれまで経験したことのないものにしている要因、すなわち連邦準備制度のバランスシートだ。

2008年以降、連邦準備制度はアメリカの金融システムにとって最後の買い手として機能してきた。住宅ローン市場が麻痺した際には、連邦準備制度は住宅ローン担保証券(MBS)を購入した。

企業信用市場が凍結した際には、FRB は緊急融資制度を創設した。州政府や地方政府が資金危機に直面した際には、FRB は地方債購入によって介入した。FRB のバランスシートは、2008年の危機以前の 9,000億ドルから、パンデミック中のピーク時には 9兆ドル (約 1400兆円)近くにまで拡大した。

これは中央銀行の資産が 10倍に増加したことを意味する。FRB は事実上、アメリカの金融システム全体のショックアブソーバー(ショックを和らげるもの)となった。あらゆる危機、あらゆる市場の混乱、あらゆる流動性危機において、解決策は同じだった。

FRB は通貨を発行し、ストレス下にある資産を買い取るだろう。しかし、この戦略には問題がある。これは FRB が発行する通貨に価値があると人々が信じる場合にのみ機能するのだ。

そして、その信念は崩れ始めている。2021年と 2022年のインフレ率は、FRB があまりにも急速に過剰な通貨発行を行うと何が起こるかをアメリカ国民に示し、物価は急騰した。

ドルの購買力は低下し、貯蓄は目減りする。法定通貨の根底にある社会契約、つまり紙幣に価値があるという合意は崩壊し始める。

FRB は 2022年と 2023年に積極的な利上げを実施することで、信頼回復を図った。量的引き締めによってバランスシートを縮小し、インフレ対策についても強硬な姿勢を示した。

しかし、彼らは根本的な問題を解決したわけではなく、ただ先送りしただけだ。彼らが創出した 9兆ドルの資産は消えたわけではない。

それは今も金融システムを揺るがし、歪みと不均衡を生み出し、システムの脆弱性を軽減するどころか、より脆弱にしている。

2026年の危機が到来すると、FRB は難しい選択を迫られることになるだろう。破綻する機関を救済するために通貨発行を増やすこともできるが、それはドルへの信頼を失い、通貨危機を引き起こすだろう。あるいは、機関の破綻を放置することもできるが、それは信用契約と資産価格の急落を引き起こし、 デフレ崩壊を引き起こすだろう。

どちらの道も、メカニズムが異なるだけで、経済破綻につながる。国際的な側面がこれをさらに複雑にしているのは、ドルがアメリカの通貨であるだけでなく、世界の準備通貨でもあるからだ。

世界貿易はドル建てで行われ、外国の中央銀行はドルを準備金として保有し、国際債務はドル建てで発行される。

ドルの購買力が損なわれ、アメリカの金融政策への信頼が崩れると、その影響は地球上のあらゆる経済に波及する。中国、ロシア、そしてその他のアメリカの敵対国は、この瞬間に何年も備えてきた。彼らは金を蓄積し、代替決済システム(BRICS)を構築し、ドル準備金を減らしてきた。

危機が訪れれば、彼らはアメリカの弱点につけ込む準備を整えるだろう。自国通貨をドルの代替として提供するだろう。ドル建て信用市場にアクセスできなくなった国々に資金を提供するだろう。

敵対国はアメリカの金融危機を機会として、世界通貨システムを自分たちに有利に作り変えるだろう。地政学的影響は計り知れない。ドル優位を基盤としたアメリカの経済的覇権は、危機発生から数ヶ月以内に終焉を迎える可能性がある。

世界の準備通貨を発行する能力によって支えられ、アメリカ人が何十年も享受してきた生活水準は、消え去るだろう。第二次世界大戦後、世界経済大国として台頭したこの国は、地域大国に成り下がり、外国の債権者に依存し、外国の金融政策に翻弄されるようになるかもしれない。

これは憶測ではない。

これはすでに確定している数学的傾向の論理的帰結だ。債務は現実のものであり、借り換えの必要性も現実のものであり、資産の質の低下も現実のものであり、制度上の脆弱性も現実のものだ。唯一の問題はタイミングだ。

そして、2026年の重要な期日が近づくにつれ、その事実はますます明確になりつつある。ドミノ倒しが起こり、タイムラインは定まった。

予想の有無に関わらず、2026年はアメリカの金融システムが破綻を迫られる年となるだろう。企業債務、シャドーバンキング、商業用不動産、国債、保険会社、連邦準備制度の政策。これらはすべて非常に複雑に絡み合っており、一本の糸が切れれば、構造全体が崩壊してしまうのだ。

これはもはや予測ではない。

これは数学だ。数字は嘘をつかない。メカニズムは動いている。

そしてその結果は避けられない。

残る唯一の疑問は、次に何が起こるか準備ができているかどうかだ。


2025年12月7日日曜日

4099「慈悲の心」2025.12.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月27日の記事を紹介します。


「慈悲の心」


今、物質的な地球においても、お金だけが全ての行き過ぎた金融資本主義が終わりをつげ、新たな「心の時代」に突入しました。 

これからいよいよ縄文の心の遺伝子を持つ、人々が地球をリードする時代を迎えていますが、 今までのように

・目に見えるお金や地位、権力、物質を大切にする体主霊従の世界を好む人

・自分さえ良ければの冷たい心を保ち続ける人

もまだ同時に存在しており、地球自身が向かおうとする世界と相いれなくなった魂たちは

ご自分の魂の波長に合った世界に、自ら進んで別れていくことと思います。 

地球自身が選び、進もうとする「心の時代」の世界では、 

日本人の遺伝子の中に残された

・目に見えない心を大切にする霊主体従の心、

・見えない物の中に大切なものを見出す優しい心 

を持つ大和心を持つ人々が、益々頭角を現してくると思われます。 

まさに日本人の心が試される最終的な局面にあります。 

私たち個々人は弱く、真の情報も遮断され、悪徳の世の中に生かされていますが、

私達一人一人の心の持ち方で、この世界、地球を本来の美しい星に戻すことができます。

大切なのは、地位や物や力ではなく、私たち一人一人の心の在り方です。

そのことはどんな時代であろうと変わることがありません。 

何処かの誰かが何かしてくれるから、美しい地球に戻るわけではありません。

では、今日もその美しい心を取り戻すために、物質的に、霊的に真の幸せになるために、

宇宙創造神の神々と、真っすぐに繋がるために、心のお話です。 

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。

何が正しいか、分ってはいても,なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその繰り返しかもしれません。

でも諦めないでください。 

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダが生前こんなことを言いました。

嘘をつけないような人になっては いけない、優しさは真実に勝る。

ブッダの仰りたかったことは相手を思いやる優しさや、

調和の為の嘘は、真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。

また、こうも仰りました。

捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。

ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

また同じく人間の弱さ、哀しさ、

神仏への憧れの気持ちを正しく理解していた空海も、このような言葉を残しています。

<転載開始> 転載元

人は、着の身 着のまま、ありのままの自分でいても、

愛と慈悲を差し出すことで、即 仏になることができる

仏性は つねに 人の中にあるからこそ、

探し回る必要もなく

遠くに求めに行くこともない

ただ、あなたが 優しさがなんなのかを知っており、

それを 目の前の人に そっと差し出すならば、

あなたが人の痛みを知っており 

それを目の前の人を癒すものとして あたたかい言葉をかけるなら

それこそが、仏の姿の現れだからです

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき 花ひらく

<転載終了>

空海は、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

が大切であると仰いました。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に

一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。

今まさに、悩んだり道をはずしたりしながら、

頭をあちこちにぶつけて暮らす 私たちのことです。

この悩み、苦しみの中に在るからこそ、人の優しさや、ありがたさが分かり、

「お陰さまの心」が湧き、人を癒していくことができる。 

仏性を発揮していくことができるようになります。

さてもうひとつ、空海の優しさがにじみ出ている

「祈り」について、現代語で意訳してくださっているものをご紹介します。

<転載開始> 転載元 


手と手を合わせて、目を閉じ、頭を下げてみてください。

心が穏やかになるのを感じませんか?

祈りは心に平和をもたらします。

やさしさは、祈りから生まれてきます。

祈りとは仏像に向かって、拝むことではなく、

自分の中に湧き起こったことに対して行うもの。

祈りは愛をもたらします。

<転載終了>

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。 

心で分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、結局あきらめてしまい、 

また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。

せっかく芽生えた神仏を敬う信仰の心を閉ざしてしまうかもしれません。

仏教の教えは、対機説法(相手の状況に合わせて説く教え)と言われています。

ですので、ブッダも空海も様々な方法で真理を説き、

様々な方法論を用意してくださいました。

神社やお寺さんに行き、手を合わせ、家族のために、

家内安全; 身体健全; 延命長寿; 中気除; 無病息災; 交通安全; 

学業増進; 入試合格; 試験合格; 就職成就; 良縁拝受; 安産息災; 

開運福寿; 心願成就; 厄災難除; 方災消除; 病気平癒 

などの身内の幸せを願う気持ちは自然なことです。

神社は「願い事ではなく、お礼を言いに行くところ」と教えてくださる方も沢山いらっしゃいます。

確かにその通りです。

ですが、私達庶民の願いは、もっと身近で切実な、

今の今、苦しみながらも精一杯生きで行こうとしている。 

そんな生活の中から生まれた願いです。 

絞り出すような心の思いです。

私は思います。

神さまは、そんな私達でもきっと許し、素直に頭を下げ、

真剣に神様に祈る人間を、愛でて下さるのではないかと。

そして、神さまの元に来た私達を、祓い、清めて下さるのではないかと。。

人に迷惑を決してかけず、自分の力で生きて行くんだ・・

そう思いを定めて生きるのも良いでしょう。

ですが、私たち誰一人、他の方のお陰なくして生きられるものはおりません。

全てが「お陰さま」で成り立っています。

自分の力だけで生きていくとは、宇宙的視点から見れば少し傲慢な心かもしれません。

心弱かった私たちに、信仰の心が芽生え、自分の非力さを認識し、素直に頭を垂れる。

その最初の動機は、自分や家族のためなので、まさしく利己的かもしれません。

ですが、それこそが、本当のスタート地点ではないかと思うのです。

小林正観さんはプレアデスのアトラス星から地球に来られました。

その後、ブッダの弟子、空海の弟子の時代を過ごします。

今世においてもブッダの教えを中心に講演していましたので、

比喩や対機説法を多用していました。

正観さんも、人間の弱さを熟知したうえで、まずはスタート地点に立って頂こうと、

「ありがとうや感謝の心を持つことは、幸せになる第一歩ですよ」と、 

はたから見れば非常に利己的な言い方をなさいました。

ですがそれも、そこをスタートとして、神さまの心に近付いて頂くための方便でした。

それを彼は「究極の損得勘定」と呼んだのです。

私もこのブログで書くことは、

・読んでくださる方が幸せに思えること、

・心がほっこりするようなこと

・心が洗われるようなこと

を書くように心がけています。

難しい言葉を使わず、方便も交えた上で、読んでくださる方に心の大切さ、

心の中の神さまに気付いて頂きたいからです。

それは、何か凄いパワーを他人や神さまから頂いて、他力的に幸せを掴むのではなく、

ご自分の力で、ご自分の心を開き、本当の幸せ、

永続する幸せを、自ら手に入れて頂きたいからです。

ご自分が幸せになれば、きっと周りのご家族もお幸せになれることでしょう。

職場でもそうです。