2025年11月4日火曜日

4066「地球を救う大和心」2025.11.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月19日の記事を紹介します。


「地球を救う大和心」


今 日本を中心に、神様の魂を持った子供たちや

宇宙から直接地球に転生してきた子供たちが、沢山生まれていると言われています。

宇宙意識を持った子供たちは

地球の、それもなぜかみんな日本を目指して生まれて来ています。  

宇宙人の魂は死ぬと地球惑星系の天国にはいかず、

そのまま故郷の星の肉体に戻るそうで、人間の一生として生きたその長い時間も、

故郷の星に戻ってみれば、経過している時間はたった8時間ほど。 

まさに寝て起きたようなものだとか。

麻で有名な縄文研究所の中山康直さんは、

中学生時代、池で溺れ13分間意識不明に陥ったそうですが、

その短い時間、プレアデス星団アルシオーネに転生し、1万年生き

麻を研究し、その死後再び、地球の中学生の体に戻ったそうです。 

そのプレアデスでの1万年の人生が、地球ではたった13分間。 

神さまが見える子供たちのお兄さんの方は、宇宙から直接、地球に転生した魂ですが、 

小学生ながら、その知能ははるかに高く、

マルチユニバース(並行宇宙)の知識までありました。 

また科学技術のはるかに進んだ宇宙人にとって、神様は、友達のような存在とのこと。 

レインボーチルドレンの小学生のそうた君も同じことを言っていました。

彼ら知的生命体にとっては、神さまや魂などは決してスピ的な話ではなく科学そのもの。

その科学の力で、魂そのものを見て、話しもします。(リーディング) 

また魂に対する科学的な知見を持って、転生さえもコントロールしています。

バシャールのように、科学的な知識で

人間の肉体をサーチして、その過去を見たり、未来を見たりします。

決してそれは迷信的なスピのお話ではありません。

更に、天国や地獄と言った世界の知識も持っています。

この地球文明よりもはるかに進んだ科学的な知識を持つ宇宙人たち。

その彼らが憧れる星が、広い宇宙に2つだけあるそうです。

その1つが地球。 

そしてその地球の中でもとりわけ日本なのだそうです。 

それは日本が神々によって作られた特殊な国であり、

更にはありがとうと言う言霊があるからなのだそうです。 

美しい心が残っているからなのだとか。

さて今日の本題です。

今この時こそ、今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、

多少不安ながらも待ち焦がれていた、その時そのものなのですが、 

日々の暮らしの中においては、なかなか 

・「何か、起きているな」と・・感じはしても

・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても 

今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。 

世界的にも、そして

数百年規模の歴史の波の中においても、大変化の時代に突入しています。

今日の続きが、また同じ明日ではありません。 

既に3次元的な地球上でも、大きな変化が起きています。 

今まで全世界が騙され続けてきた、悪魔の支配が終わろうとしています。

もうすぐ今起きているその大きな変化の意味を、多くの人が気づくことでしょう。 

もう後戻りはできません。

停滞もできません。 

大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、 

私たち自身が変える必要があります。 

以前、「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、 

既にこの時のために、そしてショックを和らげるために

前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。 

・神戸、東北の大震災

・九州の地震

強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、 

その時を境に、ご自身の中の価値観が大きく変わられたことと思います。 

大正時代の日本を見たアインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、 

世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどの諍い(いさかい)の後、

世界の希望は、日本人の心にある大和心(やまとごころ)に託されています。 

私達平凡な一般人には、 

・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり

・貧困にあえぐ多くの人々を救う 

そんな大きな力はないかもしれません。 

ですが、私たち自身の心を整えることはできます。 

心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。 

ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。 

全ては、私たちの心ひとつから始まります。 

では、言葉遊びではなく、綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、 

実際に実践・行動できるように

「私たちの心の何」が、大和心なのか?

書きたいと思います。 

今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。 

どうしたらその心を取り戻せるのか? 

大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。


敷島の やまと心を 人とはば

朝日に匂ふ 山さくら花

 

現代語訳は・・・

日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、

その麗しさに感動する、そのような心です。 

そして西洋の異人の人々でさえ、 

日本の山に咲く、山桜を見たら、大和心に目覚めるであろう・・・ 

そう言っています。 

このような心をはぐくむために、

神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り、 

そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、その高低差で川が流れ、

美しい自然をはぐくんできました。

そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、 

・自然と共生する心

・自然を愛でる心

・自然や万物に感謝する心

・自然や万物、そして相手の中に神を見る心 

を創られてきました。 

全部神々が計画した、いわゆる 共生と順応の美しき心です。 

これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では、

自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました 

・自然を征服する

・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。 

全てが対立という考え方からスタートします。 

日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。 

そして順応し、自分を変えることで、

自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。 

日本人は、縄文の時代から、ずっとそれをやってきました。 

ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。 

この強さを恐れ、破壊するために、根絶やしにするために、

戦後の統治政策が行われました。 

日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。 

アインシュタインが言った、 

科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。

そして、最後に疲れ果てるだろう。

その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。

それをするのが日本人である。

日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。 

そのような地球の未来が託された、私たち日本人の大和心、

これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、身近な周りの人々と 

・その違いを認め

・笑顔で助け合い

・おかげ様、お互い様の気持ちで

・憎しみの心

・不平不満の心

・嫉妬の心を捨て

感謝の心で過ごしていくだけです。 

大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。

自分の心を整えるだけです。 

その積み重ねが、私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし、

深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。 

この日本人の優れた特質について、

今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が「神々の微笑み」で書いています。 

あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。

<引用開始> 引用元

十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。

ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。

風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。

しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。

オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。

が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。

オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。

深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。

すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。

翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、

幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。

数名の新たな入信者があったからだ。

しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。

老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。

この国にはデウスだけでなく、

孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、

我々を征服することはできなかった。

たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、

逆に我々が征服しているともいえる。

我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。

デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。

お気をつけなさい。

デウスが勝つか天照が勝つか、

いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。

<引用終了> 

※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、

宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。


2025年11月3日月曜日

4065「当たり前の中の幸せ」2025.11.3

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月17日の記事を紹介します。


「当たり前の中の幸せ」


今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。 

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と、

足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、 

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった

一人の卒業生の言葉を、皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、

この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、

幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、

自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、

過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、

必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、

いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、

自分たちがなにが欲しいのか、わらからずにいるんだ」。

そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、

少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」 

今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、

一つの歌が収められています。


信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、

愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。

<引用終了>


今日の日本は、 

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物 

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。 

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる 

そんなことを、煽っているように見えます。 

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、 

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

そんな心になってしまっているのかもしれません。 

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。 

でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど、

それは、どんどん遠ざかって行きます。

そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせいかん)にさいなまされ、 

いつかは、純粋だった心を曇らせてしまうことでしょう。 

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?

どこか遠くにあったのでしょうか? 

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか? 

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか? 

もしかしたら、私たちの幸せは、元々、私たちの心の中にあって、 

それに私たちが気付いてくれるのを、ずっと待っていたのかもしれないですね。 

大切な物は、見えない・・ 

それが、本当のことかもしれません。


2025年11月2日日曜日

4064「大事なものは見えない」2025.11.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月15日の記事を紹介します。


「大事なものは見えない」


さて今日は「大事なものは見えない」ということで、

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。

相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、

大切な一人の人間として認め合い、助け合って生きていきましょうというお話です。

私たちは、この地球に 、働きに来た訳でもなく、お金をもうけに来た訳でもなく、

地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく、

大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。

人と人、人と動植物、自分以外のありとあらゆるものと、

心の交流をするために、地球に来ました。

時にはぶつかり合うことも、罵り合うこともあるでしょう。

思いやりや、愛、笑顔によって、心の豊かさを知る時もあるかもしれません。

それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。

泣いたり、笑ったり、愛し合ったり、憎しみ合ったり、日々の生活の中で、

すれ違う人々でさえ、大切なご縁のある方です。

<引用開始> 引用元

私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、

当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。 

入学してすぐ担任から言われたことの一つは、

「校門を通る時、男の子は、必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。 

6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、

これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。 


土の中の水道管、

高いビルの下の下水、

大事なものは表に出ない 

    ・・・・相田みつを 


私が、今も職場で、特に目立たない働きをしている人たちに、あいさつするのは、

たぶん、小学校で身についたことなのです。

学生たちにも、

「お掃除や草取りしていてくださる人たちにごあいさつするのですよ」

といっています。 

「給料を払っているのに、挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」

という若い教師も、いないではありません。

それは大きな考え違いです。 

あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。

特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、

あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える最良の手段であり、

お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、

かけがえのない機会なのです。 

<引用終了>

目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。

私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのですから。


花を支える枝

枝を支える幹

幹を支える根

根は見えねんだなあ

     ・・・・相田みつを 


私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、

それを支えている、根のことを忘れてしまいがちです。

ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、

見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。

葉があり、茎があり、そして大切な根も頑張って働いています。

一世代前には、花を咲かせ種をつけ、

朽ち果ててくれたからこその、今の命です。

人間も同じですね。

どんなにお金をかけて、飾り立てようと、どんなにその場だけ取り繕おうと、

どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。

人間にとって根っことなるのは

・相手を思いやる気持ち

・笑顔

・感謝の気持ち

・お陰さまの気持ち

・助けいあいの気持ち

これらで、日々どれだけ生きていたか・・に寄るのかもしれません。

どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、

目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。

ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、

差別せず、大切な一人の人間として

接する心を持ちたいものですね。


2025年11月1日土曜日

4063「青空ひろば」2025.11.1

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」の最新記事を紹介します。


1580 2025.10.12 ~ 1590 2025.10.26

<離脱の悟り>→この世(地上世界)の荒波や渦巻きに翻弄されている状態から離脱出来るようになる悟り(悟りの基本形)

<初期仏教の教理>

○ 四聖諦(ししょうたい):

苦諦(この世は苦の世界である)

集諦(肉体に付随する欲望や煩悩が苦の世界を生み出している)

滅諦(苦しみから離脱するためには、欲望や煩悩を断たねばならない)

道諦(欲望や煩悩を断つためには、仏道を実践しなければならない)

○ 四果(しか):離脱の悟りの四段階

・須陀洹果(預流果):離脱に到る流れに乗ることが出来たという段階

 最大あと七回地上世界に生まれ変わって、地上世界から離脱出来る

・斯陀含果(一来果):もう一度だけ地上世界に再来してから離脱できる

・阿那含果(不来果):もう二度と地上世界には生まれて来ない

・阿羅漢果:地上での学びを終了して、卒業を待っている段階

(生前)有余涅槃,(死後)無余涅槃  

(結論)地上世界は「苦の世界」だから、速やかに離脱するべきだと考える→出家主義(この世との関わりは離脱の邪魔になる。減らさねばならない)係累を減らす、所有物を減らす、職を持たない

・出家しなければ、本当の悟りは得られないとする。在家の人は出家者に布施して、徳を積み天上界に行けるだけ。


<大敬の見解>→「悟り」とは、「差取り」。特定の人だけが悟ることが出来るというのは、本当の悟り(差取り)ではない。

(ただし)「この世は苦である、運命は決まっていて変えられない」という教えが心の安らぎとなり、運命を好転させるきっかけとなるというタイプの人もいる。だからシャカはまず最初に以上のような「離脱の教え」を説かれた。

(なぜ?)「運命は決まっている、世界は苦で出来ているのだとあきらめる」→「思いが過去や未来にフラフラ動揺しなくなり、今・ココにイノチの重心をしっかりすえて生きられるようになる」→「最善の次の一歩が自然に踏み出せるようになる」→「運命が好転する」→<百丈野狐の話>人からキツネに落とされて、人に戻りたいと悪あがきしている時は、限りなくキツネに転生を続けたが、運命は変えられない、キツネで精一杯生きてゆこうと決心したらすぐ人に転生出来た。


<「ヨーガ・スートラ」冒頭部>

「ヨーガとは、心の作用を止滅することである。

心の作用が止滅されてしまった時には、純粋鑑照者である<真我>は、自己本来の状態にとどまることになる。

その他の場合にあっては、<真我>は、心のいろいろな作用に同化した形をとっている。

 …

心のさまざまな作用を無くするには、「修習」と「離欲」という二つの方法が必要である。

「修習」とは、こころの流れの静止をもたらそうとする努力のことである。

「修習」は長時にわたり、休むことなく、厳格に実行されるならば、堅固な基礎をもったものになる。

「離欲」とは、現に見たり、あるいは伝え聞いたりした対象のすべてに対して無欲になった人がいだく、克己者たる自覚である。

離欲の最高のものは、<真我>についての真智を得た人がいだくものである。

<大敬の見解>「ヨーガスートラ」では、「真我」が現象世界に引き寄せられ、巻き込まれてしまうのが苦悩の原因で、「真我」が現象世界から離脱して、独存(純粋鑑照者)の位置に戻ることが出来れば、永遠の平安に落ち着くことが出来るとする。

しかし、「心の作用を止滅する」、たとえば喜怒哀楽の感情の波をすべて消し去ることが、本当に出来るのだろうか。それは特別な人が歩むべき道で、俗世に生きる私たちが目指すべき方向ではない。

(しかし)心の波を静めることによって、病気が治ったり、いいアイデアを思い付いたりすることもあるので、「離脱の悟り」目指して入れ込むことはおすすめ出来ないが、悟りの基本形としては有効である。

仕事では波にもまれ、渦に巻き込まれてはたらく。→「イノチが消耗」する→帰宅したらゆったり坐禅して、少しでも地上次元から離脱する→「イノチが充電」される→次の日、また職場の荒波、渦にとびこんでゆく→


<「達人の悟り」の2ステップ>

① 現象世界(「色」)を「空」じ去る(離脱する)(色即是空)

② 「空」から、思いのままに、適切な現象(色)を限りなく生み出してゆく(空即是色)

<大敬の見解>「達人の悟り」は、一時的には実現可能であるとしても、常時、死ぬまでその悟りの状態を持続することはできない(歳を取れば使いこなせなくなる)。

しかし、一時的であっても、「達人の悟り」を体験して、時空・因果律などの制限が本当はナイのだ、思いを現実化することが可能なんだということを知って、体験しておいたほうがいい。

「Uターン法」,「心のゴムひも法」,「足運び法」,「読経法」などを実践すれば、「達人の悟り」を、人生の<イザという局面>で使いこなせるようになる。しかし、それはまだ究極の悟りではない。


<Uターン法>→達人の悟りの応用

① 坐禅や読経や寺社参拝などで、意識を地上次元から離脱させる(色→空)。

② 上昇した次元で、「こうありたい」という願いを「心(神)」に届ける(「心(神)」は現象世界と空の世界の媒介者)。

③ 地上次元に復帰して(「こうありたい」という願いすら忘れて)、今・ココにイノチの重心をしっかり据えて生活する→最適な次の一歩が踏み出せるようになる。                          


<「ひとついのち(イノチの一体性)」の悟り」への道>

① 自己のイノチの統合・一体化:我がうちにある、あらゆる感情、さまざまな出会い、過去や過去世のあらゆる経験の記憶などを、そのまま受け入れ、許し、愛し、抱擁できるように努力してゆく

② 他者のイノチの統合・一体化:過去や現世や未来の、あらゆる人や動植物や自然環境などをも、そのまま受け入れ、許し、愛し、抱擁できるように努力してゆく

・聖なるモノを目指すのではなく、イノチの全体性(統合)を目指す。

・しかし、この悟りはまだ「観賞の悟り」にすぎない。

<南泉如夢相似の公案>(碧巌録 第40則)

南泉禅師のもとに、政府の高官で禅者である陸亘が訪れた。

陸亘は言う「肇法師の『涅槃無名論』のなかに、<天地と我は同根、万物と我は一体>という言葉があります。なんと素晴らしい言葉でしょう」

南泉は庭に咲く花を指差して言う「あなたは、あの花を夢の中の光景のように見ている(本物の花を見ていない)」

陸亘の悟りは確かに「ひとついのちの悟り」。しかし、それは「観賞の悟り(愛)」であり、まだ「関わりの悟り(愛)」ではない。

「ひとついのちの悟り」を得たら、それを本物にしてゆくために、その対象に向って一歩踏み出して、「関わって」ゆかねばならない(シャカのように)。


<「関わり」の悟り>

・「ひとついのちの悟り」を得た人にとっては、他者や地上世界は決して厭うべきものではなく、懐かしいもの、愛すべきものとなる。

(しかし)

・地上世界に戻るということは、大変面倒くさい事。「ひとついのち」の故郷の安らぎを捨てるというだけではなく、肉体を再び纏うことによって、あんなに広がっていた視界が狭くなり、智恵が薄れ、行動の自由さがなくなってしまう。

・それだけではなく、喜怒哀楽の感情に激しく翻弄されるようにもなってしまう。

・そうなることが分かっていても、他者に対する、懐かしさ、愛情があふれ出して、再び地上世界に戻ろうと決断して帰ってくる。それが「関わりの悟り」、「巻き込まれる悟り」なのだ。


<雪峰と三聖の問答の公案>(碧巌録第四十九則)

雪峰禅師の道場に、三聖という僧がやってきた。

三聖は雪峰に質問する。「網を透り抜けた黄金の鱗を持った魚は、いったいどんなエサで釣り上がるのか」

雪峰「君が網を透り抜けてきたら答えよう」

三聖「千五百人の弟子を抱える禅師さまが、禅問答の仕方もご存じないのか」

雪峰「住職の仕事が忙しいからね」

三聖の悟り:<色(現象)→空>の悟り,「解放の悟り」→束縛の網を抜けて広い世界に出た、もう何者もワシを拘束できないぞ!

雪峰の悟り:<空→色(現象)>の悟り、「関わりの悟り」→あえて網をくぐって束縛の世界に復帰して、たくさんの弟子達と関わって育て導いてゆく。本当の「愛」は「関わる愛」。「関わる」ということは、その愛情の対象に束縛されるということ、巻き込まれるということ。そういう不自由、拘束を受け入れる覚悟を決めるということ。そういう覚悟なしの「愛」は決して本物ではない。


<南泉斬猫>(碧巌録第六十三則),(無門関第十四則) 

南泉禅師の道場で、ネコを取り囲んで、二手に分かれた僧たちがなにやら言い争っていた。

南泉は、そのネコをひょいとつまみ上げて言った。「さあ、一言言ってみよ。言うことができたら、このネコを放免しよう。もし、ワシが納得できる一言が言えないようなら、ネコを切り捨ててしまうぞ」

僧たちは、無言のままだった。南泉さんはネコを切り捨ててしまった。

「関わる」ことによって、罪を犯してしまうという可能性も出てくる。そんな事態になる可能性も受け入れるのが「関わる」ということ。

悟った者は因果律の支配を受けないというのはあやまり。罪を犯せば、必ず罰をこうむることになる(因果律)。「関わる」ことによって、そんな罰を受け入れる覚悟があるか?

たとえば、軍人の殺生(国を守るため、同胞を守るため)→因果の報いをこうむることになっても、今、やらねばならない役割をやり切れるか→それが「関わる」ということ。


<趙州狗子の公案1> 

趙州禅師のもとに修行僧がやって来て質問した。

「犬も仏なのでしょうか」

趙州「そうだ」

僧「仏のくせになぜ、むさ苦しい皮衣を身に纏っているのですか」

趙州「知って、あえて(罪を)犯しているのだよ」

<趙州狗子の公案2>

趙州禅師のもとに修行僧がやって来て質問した。

「犬も仏なのでしょうか」

趙州「いいや、そうでないよ」

僧「すべての存在が仏なんだと経典に書かれているじゃありませんか」

趙州「他者のために、あえて業識(制限・束縛)ある存在に踏みとどまっているんだ」

あなたは本来仏なんだけれど、

(1)あえて狭苦しい、束縛の囲いの中に閉じ込められた「あなた」として降臨してきた。

なぜそんな面倒な役を引き受けたのか?それは、

(2)他者のしあわせと進化のために、あえて小さな存在に踏みとどまって役を果たしておられるのだ。そんな「あなた」がたどっておられる人生は、イエスさまやおシャカさまがたどられた生涯とまったく同等、同価値なんだと知っておこう。それが「関わりの悟り」。


<三つの「関わってゆく」決断>

(参考文献)『成功おじさんの最優先ルール』チャーリー・ジョーンズ(PHP)1968年

三つの問いかけ『なぜ生きるのか』・『誰と共に人生をおくるか』・『何をして人生を送るのか』

『なぜ生きるのか』:あなたがあなたとして生きることが、人類全体の成長進化のための大きな貢献となるから。だから、あなたは生かされている。

『誰と共に人生をおくるか』:シャカはサンガ(共同体)をつくり、弟子たちと共に修行生活した。人はみなくせ者、ねじれ者、出来ること、出来ないことの束。そんな凸凹人間が、ギクシャクしながらも、切り捨ててしまわず、誠意を持って粘り強く関わってゆく。そして、相手のことを少しずつ思いやれるようになってゆくのが地上次元での魂の成長だ。

『何をして人生を送るのか』:大敬は「仕事」+「お道の役割」という車の両輪で無事に前進できた。人によって、いろんなパターンの人生の歩みがある。誠実に、祈りを込めて今・ココを務めていれば、必ず、あなたに一番ふさわしい運命が開けてくる。(完)


2025年10月31日金曜日

4062「降り注ぐ神さまの恩寵」2025.10.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月11日の記事を紹介します。


「降り注ぐ神さまの恩寵」


今日はそんな奉仕や、布施の精神について書きたいと思います。 

ブッダのお言葉、托鉢、奉仕、お布施のお話です。 

ブッダの教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、 

手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。

ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。

弟子たちは、驚きました。 

「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」

ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。

貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、

他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。

それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。

だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、 

その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

托鉢に金額は関係ありません。

宇宙の法則 

与えるものが、受け取るもの

と同じです。

貧しさから抜け出す最初の一歩は、 

まず他人が喜ぶことを、自分から、先にすることなのかもしれません。

だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを、

もらうために行う行為ではありません

「与えるものが受け取るもの」

この言葉が意味することはひとつ。

全ては、自分が与えることから始まるということ。

人の心に勇気と希望を与えるために、自分から出したとき、

(つまり、自分のところにその分、虚空が発生した時)

宇宙は、同じエネルギーの質を持ったもので、

見えない世界からエネルギーの充填を図ろうとするのです。

その時、出したものの何倍ものエネルギーが発生(エネルギーの移動)します。 

これが、お金が移動する際の真理です、 

また同じく空海は、こう言いました。 

私たち悩み多き者たちが、失う苦しみから逃れる為に、 

次のように「施 (ほどこ)しの行」を説かれました。

むさぼり、惜(お)しむ心に勝てず、人のために財(ざい)を使うことがなければ、

いつも餓(う)える心に苦しむ。

少しの食物も分かちて、甘(あま)さを割(さ)き与えるものは

この苦しみから脱(のが) れることができる。

自分が持つ、お金などの財産に執着する人は、

常に失うことを恐れ、心が休まる時がありません。

要するに、生きながら常に心は、戦々恐々とし、地獄に住む者のごとしです。

空海はその地獄から逃れるためには、

まず先に、その財を、人のために、人が喜ぶことに使いなさいとおっしゃっています。 

これも宇宙の法則にのっとった言葉ですね。

「与えたものが受け取るもの」

まず、自分から出すのが先です。

それは財産に限らず、 

笑顔や、優しさ、思いやり、温かな言葉かけなど、みんな同じです。

まず、先に自分から人に、施します。

そうすると、宇宙はきっちりと、巡り巡って同じものを倍返しで、

自分に戻してくれるそうです。 

また健康や、幸せもそうです。 

・健康でない時

・いじめにあっている時

・家族で病気の方がいる時

・経済的に苦しい時

人は、自分が幸せではないと思って、 

他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを、施してこなかったかもしれません。。

小学生の神様トキ君の言葉は、もっと単純明快です。 

人から沢山の「ありがとう」を言ってもらうとお金持ちになる。  です。

つまり他人に施した

・優しさ

・いたわり

・愛

・笑顔

・勇気の出る言葉 

それらは、全て自分から出て、他人の心に「神さまの火」を灯し、 

心を震わせ、「ありがとう」という言葉で自分に帰ってきます。

そのエネルギーこそが、

豊かさ(言い換えれば人間界のお金)の源泉であるということです。 

これを機会に、是非

・不平不満、愚痴、悪口を口にせず

・人の幸福を喜び

・人の悲しみに、ともに涙し 

・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し

・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し 

ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し 

一日を過ごしてみませんか 

きっと良き運命が始まる、スタートの日になるかもしれません。


2025年10月30日木曜日

4061「第一志望の道」2025.10.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月10日の記事を紹介します。


「第一志望の道」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」で有名な、

渡辺和子さんのお言葉をご紹介します。 

テーマは、私たちが望むものが、一番良いものではなく、 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、私たちの幸せを増すのに

「必要なもの」を与えてくださるというお話です。 

<引用開始> 引用元

・いつもにっこり笑うこと。

・人の身になって思うこと。

・自分の顔を恥じないこと。

この「3 つの化粧品」は、

・お金がいらない、

・使っても減らない、

・使えば使うほど質がよくなる、

・どこへでも持っていける。

・そしてアンチエイジング、

つまり、年をとらないために、とても大事な「化粧品」だと思います。

どんなに忙しくても、いや、むしろ、忙しいからこそ、

一日の中、5分でも、10分でも静かな時間、

一見「無駄な時間」をつくらなくてはいけないのです。

いつまでもおぼえていたら、とても辛いだろうと思ういろいろなことを、 

ありがたいことに私たちは忘れることができる。  

そして、時間というお薬があるんです。

「自分と仲良く生きる」といい。

好きな自分と四六時中一緒にいる人は、自然と笑顔が多くなり、

言葉から刺がなくなり、相手の言葉をふんわりと

受け止めることができるようになるから不思議です。

今という瞬間は、

・今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、

・今をどう生きるか、次の自分を決定するということです。

人生は点のつながりとして一つの線であって、遊離した今というものはなく、 

過去とつながり、そして未来とつながっているわけです。

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。

それは必ずしも、自分が欲しくないものかもしれません。

しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。

人生はいつもいつも第一志望ばかりを歩けるものではありません。  

そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、 

自分にとって最良と言えないことだってあるのです。 

<引用終了> 

このブログでは、毎回、

・不思議系のお話

・霊のお話、

・目に見えない世界のお話 

ではなく、心の浄化に重点を置いたテーマで書いています。 

大変に地味です。 

月刊ムーに出てくるような不思議な話や、本当にあった怖い話のような話は、

ワクワクして好奇心をそそるもので、楽しいものですが、

心の洗濯のお話は、地味です。 

ですが、「地球の転換期」と言われる今、昔のように平時とは異なり、 

私たち自身の意識的な心の浄化が急務な課題と思われます。 

次元降下と次元上昇が、

それぞれの心の状態によって同時に起こっていると言われるからです。 

岡本天明が下した神示、(国之常立神(くにのとこたちのかみ))には、

下記のようなことが書かれているそうです。

・またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、

 くどう気つけて(=警告して)おくぞ。

 さあという時になりてからでは間に合わんぞ。

 用意なされよ。(ひふみ神示・下つ巻第28条)

・大峠となりてからでは、いくら「改心します」と申しても、

 「許してくれ」と申しても、許すことはできん。(ひふみ神示・ウメの巻第6条)

私たちの日々の生活の中で、

起きてくる様々な現象は、全て神様が起こしてくださっています。 

渡辺和子さんが仰るように 

神様は私たちの「願ったもの」よりも、

幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。 

・電車に乗り遅れることも

・リストラに会うことも

・誰かとけんかすることも

・病気になることも

・事故に遭うことも

・誰かと別れることも

全部、私たちの幸せを増すのに「必要なもの」を、神様が与えてくださったものです。 

長い目で見たら、後で振り返ってみたら、 

その無駄だと思った出来事、

嫌なことだと思った、その出来事が、必ず、人生の良き方向への

ターニングポイントだったと分かるはずです。 

このように神様に対する絶対的な信頼感で、日々の出来事を見てみると、

全ての出来事が感謝の種になってきます。 

感謝の心さえ、起こってくれば、

神々の恩寵が、光のように降り注ぐことでしょう。 

何故なら、神々の恩寵は「感謝の心」を媒介して起こるからです。


2025年10月29日水曜日

4060「悪口と噂話」2025.10.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月09日の記事を紹介します。


「悪口と噂話」


今日は「悪口と噂話」というお話です。 

悪口や噂話、人を貶めるような話を

ブッダやイエス、空海や良寛さんは口にしていたでしょうか?

私たちの心は、大変重要です。 

人の心は、見える世界、見えない世界までも包括してしまうほど

大きくて、大切な世界です。 

心の状態が、私たちの生きる現実を作り、そして変えてしまいます。

今日は、その心を、無意識のうちに真っ黒く、蝕んでしまう、 

悪口や告げ口についてです。

まず斎藤一人さんの「悪口」についてご紹介します。

<転載開始> 転載元

今日は「悪口と噂話」という話をします。 

こういうことは、最近相談される事が多いんだけど 、

ちょっとこのことを知っておくだけで、自分の気持ちが楽になるという話をします。

別に信じたくない人は信じなくていいからね。では、いきますよ。

言葉というのは、たった一言で人に夢と希望を与えることもできるし、

たった一言で人の傷つく言葉をいうこともできます。

地獄言葉や人の悪口をいっている人がいますが、

そういう人は心の中が、愛の人ではなく、 

憎しみの人、憎しみが心にあふれている人なんです。

・社会を憎んでいる…

・周りを憎んでいる…

・親を憎んでいる…

・自分を憎んでいる…

いずれにしろ、心の中が憎しみでいっぱいだと、 

ついつい出る言葉が悪口や地獄言葉になってしまいます。

そういう人の特長は、自分の言ってることが悪口や地獄言葉だと、

気がつかない事が多いのです。

なぜなら心が憎しみで覆われていると、

こぼれるように悪口や地獄言葉が出てしまうのです。

悲しいことだけど、そういう人は知らず知らずのうちに、

自分の運勢を悪くし、死んでからも地獄に行く人だとひとりさんは思ってます。

そういう人が周りにいたら大人の対応として、

スーッと距離を置くようにしたほうがいいですね。 

一回は注意してあげても直らないようなら、

いつまでもかまっていると自分の運勢まで悪くなりますから、

離れてあげるのが優しさですよ。

またあなたが悪口や噂話の対象にされたら、相手にしないのが一番です。

悪口や噂話をいう人は、とめどなく言い続けるものです。

人は悪いことをすれば 悪い報いがあり、良いことをすれば良い報いがある。

聖書の中の有名な言葉で 「復讐は神の仕事」という言葉があります。

あなたが仇をうたなくても、神様がちゃんとその人にふさわしいことをしてくれます。

私達は愛のある言葉、天国言葉を話すようにしていれば、

全て神様がうまくやってくれると、ひとりさんは信じてます。

くれぐれも悪口に引きづられて、あなたも悪口や噂話に付き合って

共に地獄に落ちることはやめましょうね。

<転載終了>

ブッダも「悪口」を言われたら、受け取らないようにしなさい。

※反応しないこと、反論しないこと。自分の心の中に入れないこと、と仰っています。

そうすれば、「悪口」はそれを言った人のところに戻るだろう。ということです。

面と向かって言う悪口はまだましですが、最近はネット社会ですから、陰に隠れ、

自分とは分からないように匿名を使い、

人を陥れるような、卑怯なことをする人も目にするようになりました。

また人の悪口を陰で告げに来る人もいます。 

また人にはない不思議な能力や、見えない物が見えると自負する方などで、 

・不吉なこと、

・人を恐怖に陥れるようなこと

・心配させること、

・不安に陥れるようなこと

をあたかも権威を持つ者のごとく、仰る方もいます。

ですが、そのご自分が言った言葉は、良寛さんの優しい愛語のように

・人を勇気づけますか?

・人に希望を与えますか?

・人の心を明るくしますか?

またコソコソと陰に隠れ、人を陥れるような言葉を投げかけた場合

・人を傷つけ、おとしめ

・相手の人格を攻撃し

・社会的に抹殺しようとします。

・周りの聞いている人を「嫌な気分」にさせます、

また、自分が吐いた「悪口」に同調して集まってくる人もいます。 

波長が同じだからです。

同調し集まってきた人も同じく、相手の方を貶め、傷つける言葉を吐き出します。

最初に「悪口」を言った人は、同調者にも「悪口」を言わせる・・

そのような心、行為を誘引したことになりますから、

良心に対する罪をまた重ねることになります。

例え匿名で隠れてこのような行為をした場合でも、

結果的に自分自身の良心に反した行動をしたことになります。

人をけなし、貶める黒い波動は、自分の心の中に澱(おり)のように沈殿し、

いつかその人の思考、言葉、行動の端々に顔を出してくることでしょう。

そしてその結果こそが、聖書や一人さんの言う「復讐は神の仕事」の世界です。

言葉は刃物である。

言葉は刃物であるから、道具として とても役立つものでもありますが、

人を傷つけるものでもあります。

相手の方の「鬼心」にフォーカスしないで、「仏心」だけを見つめていたいですね。

私たち自身も、良いこともすれば悪いこともしてしまいます。

過ちも犯します。

人を時に誤解することもあります。 

それはお互い様です。許し合うことがとっても大切です。

私達は色んな個性が集う世界に生きています。

自分がそうして欲しいように、他人に対しても、その個性を認め、尊重し、 

ブッダが言うように、いつも、笑顔で、

愛のある思いやりのある言葉を使いたいものですね。

相手の良きところを見て、いつも笑顔でいたいですね。


2025年10月28日火曜日

4059「神さまを味方に」2025.10.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月08日の記事を紹介します。


「神さまを味方に」


今日のテーマは「神さまを味方にする」ということで、

小林正観さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

私たちの人生は、味方を作るためにあるのかもしれない、

努力や頑張りは一切しなくてもよいので、 

出会った人が味方になってくれ、その味方を作っていく作業の中で、 

「あれやってくれ これやってくれ」 と言われ、

「ハイ分かりました。しょうがないな~」 と言ってやる。

そのように、正観さんは空海を模範にしながら、

出会った人に、やらされている人生を語りました。

実は社会の中で生きるという事は、この事だけかもしれないと思うのです。

出会う人 出会う人に 

・惚れられて 

・好かれて 

・頼まれて 

生きていくこと。

空海の人生は、出会う人 出会う人、人生のターニングポイントに出会う人に、 

「こうしなさい ああしなさい」 

そう言われ、その通り、

「ハイ分かりました」。 

その積み重ねの人生でした。

ここを正観さんは、下記のように強調しました。

人間が、業績を残すとかいうのは、自分が決意する。 

という必要はないのではないか?

決意をして何かをするって言うのは、凄く安っぽいものかもしれませんよ。

出会う人ごとに 

「こうしなさい ああしなさい。こうしてくれ ああしてくれ」 

という事に対して、 

「ああじゃ、こうじゃ」とつべこべ言わないで、 

「ハイ分かりました」と言って やっていくこと。。

それで疲れ果てて死んでいく。

人生はこれに尽きるのではないでしょうか。

正観さんは、それを文字通り生きた人でした。

「人間関係」はそういうものでしょう。

人間の関係は、全て味方つくりの人生です。

ライバル視して、競い合っていく。 

抜きんでなければという、今迄の学校教育の価値観を、この際なくしてしまうといい。

正観さんは、この事を伝えて亡くなりました。

「私たちの人生は 出会う人、

出会う人を味方につけていく、 

作業の積み重ねなんだ」

こう思うと人生は凄く楽しいと。

うつの人は、

・自分にとって楽しいことが何も起きない

・面白いことがないか

・毎日が面白くない 

とよく言います。

その方々に言って差し上げたい。

人生は、自分で自分の人生を決める、というものではないと。 

そう思ってみたら。どうですかと。

そうすれば、きっと凄く面白い人生になる。

人生変わると。言って差し上げたい。

出会う人 出会う人によって、自分の人生が決まっていく。

出会う人が何か刺激をくれる。

相手を敵だと思っていると刺激はくれない。

敵ではなく、味方だと思って接していると、

「こうしてみたら」や「ああしてみたら」

とそれが必ずあります。 

なぜなら味方なのですから。

そこで「ハイ分かりました」と素直に信じてやっていくと、面白い人生になります。

人間同士の付き合いを、そのように切り替えてみたらどうでしょうか?

人生は出会いの積み重ねです。

その出会いは生まれる前から決まっている。

自分で書いた「出会いのシナリオ」通りです。

昨日までは、人と較べて自分を磨いていって、 

人より抜きんでなくてはならないと思ってきたが、

今日からは全部自分の味方と思って、仲間と思ってやっていく。

と人生を切り替えたら、もしかしたら、自分の意思によって、

自分の人生を変えたんだ と思うかもしれないですが、 

今日から変えるぞと思ったこと自体が、

生まれる前から自分で決めてきたシナリオなんです。

今日 この話を聞くこと自体、生まれる前からのシナリオで、

聞いて変わるぞと思うことも、シナリオ通り。

逆に変わるもんかと思うこともシナリオ通り。

出会いはシナリオ通り。

出会った相手を敵にするか、味方にするかで人生変わります。

「味方にする作業こそが人生」と正観さんの最後の伝言でした。

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」

という事を今日を限りに捨てる。

というのはどうでしょう?

このことも正観さんは、強く何度も仰いました。最後の伝言でした。

<引用終了>

私たちが学校で教わってきた、

「自分を磨き努力して頑張って、人より上に行かなければならない」 

という思い込みを今日を限りに捨てる。

これは大変重要な意識の転換です。

つまり勉強ができるとか、学校で良い成績を取る・・ 

そういうことは人生にあまり関係ない。。 

そう仰っているからです。

不登校でも、ODや色々な理由で学校へ行けなくとも、 

人に好かれる人間になれれば、それだけで、人生大成功です。

私もどちらかと言うと、努力型の人間で、

必死に勉強し技術を習得し、仕事をして生きてきました。

ですが、今振り返れば、大成する人と言うのは勉強ができるとか、

技術が飛びぬけているとか、そんなものではなく、 

どれだけ人に愛されるキャラクターであるか?

そちらの方が何百倍、何千倍も大切であると実感しています。 

愛される人とは

・いつも笑顔でいる人

・ありがとうと言える人

・おかげ様、感謝の心を常に持っている人

お子さんのことでお悩みのお父さん、お母さん、

命があるだけでも良しと思ってください。 

そして学校に行かないから駄目だとか、

家でダラダラしているから駄目だとか、 

どうか思わないでお子様を信じて差し上げて下さい。

長い人生の中で、今ほんのひと時、一休みしている時期かもしれません。 

大人になるために、英気を養っている時期かもしれません。

お子さんのことは心配でしょうが、少し放っておいて、 

お父さん、お母さんは、

ご自分の好きなこと、楽しめることをして、笑顔でいてください。

自分を信じて、お母さんが笑顔でいてくれる。

それこそが、子供たちにとっての、救いではないかと思います。

どちらに、どう転ぼうと、それは、子供自身が生まれる前に

描いてきたシナリオ通りなのですから。


2025年10月27日月曜日

4058「ファイザー社がトランプ政権と日本円で1兆円規模の契約を締結」2025.10.27

今回はIn Deepさんの2025年10月2日の記事を紹介します。


「ファイザー社がトランプ政権と日本円で1兆円規模の契約を締結」。そして、同社はついに「政府に保護された最強の製薬企業」に変貌


ファイザー社がトランプ政権と日本円で1兆円規模の契約を締結。そして、同社はついに「政府に保護された最強の製薬企業」に変貌 - In Deep

すべてが明らかになったこの日

アメリカの政府閉鎖が始まる前日の 9月30日、トランプ政権は、ファイザー社と画期的な契約を結びました。

「 700億ドル(約1兆円)の契約を締結」

したのでした。

この後、ファイザーはニュースリリースを発表しまして、そこには以下のように書かれています。

ファイザー社のニュースリリースより

この契約により、ファイザーは次世代の治療法の提供に完全に集中することができ、腫瘍学、肥満、ワクチン、炎症および免疫学などの分野で、同社の科学、規模、機敏性が患者にとって最も大きな違いを生み出せる分野に焦点を絞ることができます。

pfizer.com

新薬開発のための大きな資金を得ることができたようですが、それより重要なのは、このファイザー社の文言は、

「コロナワクチンを含む遺伝子製品に対して、アメリカ政府のお墨付きを得た」

ということになるわけで、ファイザー社は今や「アメリカ政府から保護されている企業」となったわけでした。

そりゃ多くのアメリカ人もがっかりしますよ。

何よりも物議を醸したのは以下の写真でしょうかね。

左から、

・RFKジュニア保健福祉長官

・ファイザーCEOのアルバート・ブーラ氏

・米メディケア・メディケイドサービスセンター管理者メフメト・オズ博士

・トランプ大統領

です。

2025年9月30日の記者会見にて


サザエさんばりの「みんなが笑ってる〜」という感じとなっているわけですが、笑わなかった人たちもいます。

それは、これまでトランプ氏とケネディ氏、そして MAHA (アメリカをふたたび健康に運動)を支持してきたアメリカ人たちです。

さすがに、このファイザーとの合意は、かなり多くの支持者たちを愕然とさせたようです。以下に、そういう投稿の一部を取り上げています。

・満面の笑みでファイザーCEOと語り合うトランプ氏とRFKジュニア氏の写真への投稿文

BDW 2025年10月1日

エドワード・ダウドさんは以下のように投稿していました。

アルバート・ブーラ CEO が、かつて、自社の COVID-19 ワクチンについて異なる見解を表明した人々を「犯罪者」呼ばわりしたことを覚えているだろうか?

ところが今や、トランプは彼を絶賛しているのだ。本当に呆れた話だ。製薬会社の CEO が、75年間も臨床試験データを隠蔽しようとした同社を批判した人々を「犯罪者」扱いしようとするなんて、思い出すのも腹立たしい。

Edward Dowd

また、トランプ氏は以前から「アメリカの薬価を下げる」という公約を掲げていましたが、このファイザー社との合意と共に、「医薬品直販サイト」を立ち上げました。

しかし、今のところ、この直販サイトに参加するのはファイザー社だけのような感じです。

ホワイトハウス、医薬品直販サイト「TrumpRx」発表へ

米ホワイトハウスが国民向けの医薬品直販サイト「TrumpRx」の発表を予定している。また、米国内で販売する数種類の医薬品を製薬大手ファイザーが値下げすることも発表する。複数の関係者が明らかにした。

TrumpRxは、一部の医薬品を政府のサイトから直接、政府が交渉した薬価で現金によって購入できるようにする仕組み。提供される医薬品が何種類になるかは不明だ。民間の医療保険やメディケア(高齢者・障害者向け公的医療保険)、メディケイド(低所得者向け公的医療保険)に加入済みの人々の大半にとって有用かどうかも不透明だ。

ドナルド・トランプ大統領は米国内の薬価引き下げを医薬品業界に迫ってきた。この取り組みに対応して値下げを発表する企業はファイザーが初めてになるとみられる。

Wall Street Journal 2025/09/30

そうして、冒頭の写真のように、トランプ氏は、アルバート・ブーラ CEO に最大の謝意を表したわけです。

また、エドワード・ダウドさんは、今日、以下のようにも投稿していました。

> 昨日のファイザーへの過剰な称賛セッションの後、明らかに先月の(トランプ氏による)オペレーション・ワープ・スピードの撤回ポストは、取引のための交渉の策略だったことが今では明らかだ。

この「オペレーション・ワープ・スピードの撤回ポスト」というのは、先月、トランプ氏が自身のソーシャルメディアに投稿した以下です。

トランプ氏の投稿より

製薬会社が様々な COVID-19 治療薬の成功を正当化することは非常に重要なことだ。

多くの人が、自分たちが何百万人もの命を救った奇跡だと考えている。しかし、そうでない人たちもいる!

CDC がこの件で批判されている中、私は答えが欲しい。今すぐに。(略)今すぐ、CDC と国民に示し、この混乱を何とかして片付けてほしい!オペレーション・ワープ・スピードが、多くの人が言うように「素晴らしい」ものであったことを願っている。もしそうでなかったのならば、私たちは皆、それについて、そしてなぜなのかを知りたい。

この非常に重要な問題にご関心をお寄せいただきありがとう!

いずれにしても、紆余曲折を経て、ファイザー社は以前よりも強く巨大な製薬会社としてアメリカに君臨することになります。

マカロー財団の疫学者ニコラス・ハルシャー氏は、記事の締めに以下のように書いていました。

ニコラス・ハルシャー氏の記事より

CEO のアルバート・ブーラ氏は、この買収を「患者にとっても、経営陣にとっても、そしてファイザーにとっても勝利だ」と評した。最後の部分については彼の言う通りだ。

ファイザーは、数十億ドルの「投資」を約束することで、関税の軽減、規制の安定性、そして政治的な保護を確保し、mRNAパイプラインを拡大した。

過去および現在の製品が残した死と破壊の明らかな痕跡にもかかわらずだ。

メッセージは明確だ。説明責任は問われず、ファイザーの遺伝子帝国は今や米国政府自身によって守られているのだ。

Nicolas Hulscher, MPH

トランプ政権の本質がさらに明らかになってきているわけですが、今回のファイザーとの合意に関しては、「こんな結果で終わるのかよ」というのが、多くのアメリカ人たちの偽らざる気持ちのようです。

さすがに、この政権から離れていく支持者も多く出てくるとは思います。

ナチュラルニュースの創設者であるマイク・アダムスさんは以下のように投稿していました。

10月2日のマイク・アダムスさんの投稿

トランプは、悲しいことに、民主党が再び権力を握るための最高のキャンペーナーになりつつある。彼には本当に素晴らしいことをするチャンスがあったのに、代わりに私たちを裏切った。

HealthRanger

こういう状況の中で、さらにアメリカ人が分断されていった場合、それこそ、「意味の上では内戦」という状態が出てきてもおかしくはない気もします。

実際には、政権自体がその状況を作り出してしまっているのですが、支持構造はさらに複雑なものとなっていくのかもしれません。

アメリカが本当に壊れていく時代に入った感じがします。


2025年10月26日日曜日

4057「光の子が語る「全ては愛」」2025.10.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月07日の記事を紹介します。


「光の子が語る「全ては愛」」


昔のようにまだ宇宙人やUFO の情報があまり開示されてないような時代と異なり、

現在は地球よりはるかに 

文明の発達した惑星から地球に来る知的生命体たちは 、科学文明の知識として、

魂の仕組みを研究し魂の状態で地球の人間に転生して来ています。

ですので見た目は私たち人間と全然変わりはありませんが、

彼らは幼少期に一旦宇宙時代の知識や地球に生まれてきた理由や目的を思い出してしまえば 、もう怒涛のごとくその知識を持ってして日本ひいては地球のために働き出しています。

彼らの科学的な知見は現在私たちが地球で「スピ」などと、

揶揄して非科学的なものとして排除している、

魂など見えない世界のことを科学の知見、学問領域として、

すでに研究し尽くし、それを応用して、

時間や空間を超え、はるか彼方の 宇宙から私たちの地球に来ています。

彼らの科学的な知見によれば 

私たち地球人が光の速度以上のものは存在しないという理論をはるかに超えて、 

遥か彼方の宇宙、さらには 別宇宙からも私たちの地球に来たりしています。

レインボーチルドレン、特に宇宙から直接飛来してきている子供たちの話によれば、 

彼らの星では物理的な肉体ではなく、魂の存在として存在していることが多いようです。

私たち地球の科学が発達し彼らと同じような知見を得るには何百年何千年かかるかもしれません。

彼らのように 科学的知見の進んだ星では、

おおむね争いはなく、愛のレベルも私たち地球人をはるかに超え、

神様に近いものがあるようです。

さてここからが今日の一番大切なところですが・・・

彼らがどのような方法で私たちの地球を救おうとしているかといえば、

直接的に手を下し、あっという間に地球を進化させてしまうものではありません。

私たちに宇宙の真理を伝え、私たちの心を変え、 

私たちの自らの力で、私たちの意志で、

この地球を変えていこうとする方向に向かわせようとしているだけです。

彼らはこれを「自立」して欲しいと言っています。

決して彼らが自ら手を下すことはありません。

この辺り、私たち一般の人々が誤解しやすいる部分です。

何もかもを、神様や宇宙人が手を下して私たちを一瞬のうちに巣食ってkレる・・・

というような安直なことは決してありません。

必ず私たちの心を変え 、その方向性を変えることによって、私たち自らの力、

意思で地球を変えていくという方向に向かわせようとしているだけです。

考えてみればそれは当たり前のことで、 

私たちが自らの意思と力で方向を変えるのでなければ、

私たちも魂は決して進化することはありません 。

神様や宇宙人に頼ってばかりではむしろ 魂は退化するだけです。

では 彼らがどのような宇宙的な真理によって、

私たちの地球がアセンションするのを手伝おうとしているのかといえば、

宇宙には大きなサイクルがあり 、今現在地球が置かれてるサイクルは、

昼の時代、言い換えれば水瓶座の時代に入ったということ。 

今までは、夜の時代もしくはうお座の時代と言われ、 

暗く重く、努力や自己犠牲などが強いられた時代でした。

そして、もう一つは 感謝の心の大切さです

彼らの文明や科学がどれほど発達しているか考えてみれば、

その根底にあるのは 感謝の力、「感謝の力」は神様の力に通ずるものですが、

彼らはそれを知っているが故に 、

私たち地球人よりはるかに文明も科学も発達しています。

それゆえに、神様の心により近いわけですから、 

文明も科学も私達よりもはるかに発達しています。

そしてもう一つ大切な宇宙的な真理、全てのことやものには裏と表、

善と悪と言った二元論で言われる両面が存在するということ。

その両面がなければ単なる無です。

ですがこの宇宙は無ではなく「空」です

ブッタや空海が教えてくださった「空」です

空の中には善も悪も、表も裏も両方が含まれており、

フラットの状態、つまりゼロの状態になっています。

ここには両方を含んでいます。 

ですからその空の状態から全てのものやことが生み出すことができます。

悪と言われるものにも大変重要な働きがあるわけです。

それらがなければ魂は進化することができません。 

神様に近づくこともできません。

身近な例で考えてみても 私たちの周りには、

・ひどい悪事をなす人 

・意地悪をする人 

・陰口を言う人 

様々な悪とみなされるような人がいますが、その人たちの存在があるからこそ、

私たちはその逆の善にも気づくことができます。

私たち人間は全て生まれる前に、

・生まれた後に何をするか 

・何を目的に生まれてきたのか 

・いつどこで誰と出会うのか 

・そして何を考え、どう行動するのか全て決めてきます。

ですから私たちが出会う全ての人も、

全ての出来事、苦しいこと悲しいこと、悔しいこと全てが計画されてきます。

私たちに悪をなすことをする人にも、

必ずいつどこでどのように とお願いをして生まれてきました。 

そしてその計画は神様に承認されて私たちは生まれてくるわけですので、 

私たちに対して悪事をなす人にも本当は感謝の心で接しなければなりません。

これこそが、光の子が語る「全ては愛」です。

この世界この世の中で出会うすべての人、出来事は、

本当はそこに悪意 や悪いこと意地悪なことと言ったことは決してありません。

全ては私たちが生まれてくる時に決めてきた目的のために、

お願いしてそのような人に出会い、またそのような出来事が発生したわけです。

そう考えると私たちは生まれてからこの方、

出会った悪い人たち、悪い出来事も、全ては計画してきたこと。 

そしてお願いしてきたことであり、

本当は感謝すべきこと、愛だったということになります。

この真理を宇宙の子たち、光の子たちは教えてくれています。

究極の言い方を言えば 、この世の中に悪いこと悪い人は存在しない。

全ては愛の心から出ているということです。

このことを腑に落とすことにより、

私たちも 地球とともに光の国に住むことができます。


2025年10月25日土曜日

4056「何に感謝するのか」2025.10.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月06日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


私たちは黄泉の国から来て、この現世(うつしよ)での計画や、目的が達成されれば、

再び黄泉の国へと帰っていきます。

神々の世界は黄泉の国。 

黄泉の国は主に国津神が統括しています。

黄泉の国と現世と、循環しながら行き来を繰り返します。

ですから、私たち人間から見た「死」は、

決して悲しいものではなく、循環の過程でしかありません。

私たちの魂は永遠に存在すると同時に、黄泉の国、そして現世にも存在しますから、 

愛で結ばれた魂にとって、永遠の別れはありません。 

必ず再び出会います。 

それでは今日は「何に感謝するのか」というお話です。 

斎藤一人さんもくどいほど仰っていますが、

魂的な視野からいうと、自分に起きるトラブルや問題は、

「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。。。 

そうおっしゃっています。 

また神道的には、私たちは「感謝の心」を学ぶために生まれたのだとも言われます。

何故かと言えば、私たちは魂を、進化させ輝かせ、神々に近づこうと、進化の旅を永遠に続けていますが、

そのために、人生のタイムラインに沢山の仕掛け、イベントを置いておきます。 

それらは、喜怒哀楽、激しく感情を揺さぶりますが、

結局は「感謝の心」を学ぶための仕組みです。 

逆のことを言えば、「感謝の心」を得てしまえば、目的は達成されたのですから、 

人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。

従ってそれらは起きないことでしょう。 

神様は無駄なことをしないからです。 

では、そのような観点から、私たち人間の、全ての悩み苦しみに対応できる、

共通の解決方法についてのお話です。

神様や自然界、宇宙からのサポートを、ふんだんに得るためには、

「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法を、別の角度からご紹介します。

小林正観さんの著作からです。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が、私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように、自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、 

悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」 

ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、 

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

 というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。 

とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係のいいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。

舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、

彼女は答えました。

「そうですよね」。 

親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。 

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、 

手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」と小さく声を発した彼女は、わーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳に、こういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、頼みごとを、 

絶対聞かないと、堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、

神さまがこの人のいうことを、聞いてあげようと思ってやってきたときに、

神さまの目の前に立ちふさがって、この人のいうことを聞いてはいけないと 

邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、 

自分がどれほど恵まれているか、ということに、感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているか、ということに気が付いたならば、

恵まれてないその一点を、悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、

思い通りにならない状態では、感謝をしない、

というのはほんとうの、感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに、目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて、 「神さま、これをください」というのは、

ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。 

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに、不平不満を言うのではなく、 

今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。 

私たちを、今の環境に置いて下さったのは神様です。 

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるために、

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、私たちの魂を引き上げようと、 

してくださっているからです。

ですので、その悩みは、決して永遠に続くものではありません。 

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に、感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。  

きっと、それが幸せになるための答えですから。


2025年10月24日金曜日

4055「霊障について」2025.10.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月05日の記事を紹介します。


「霊障について」


今日は霊障について書きたいと思います。

今回執筆した本の中にも「霊障」に関する話題はいくつか書いています。

霊障と一口に言っても生きている私達には、

・見えないし

・聞こえないし

ただ何となく、

・そう感じる

・そう思う

・不思議なことが連続して起こる

・不幸な出来事が連続する

など、ただ感覚として感じることしかできません。

従って、その現象の原因が見えない世界のものであっても

私達にはなかなか打つ手がないのが現状です。

打つ手がないまま、悩みや苦しみ、不幸がだらだらと続くことになります。

ではどうしたらよいのか?

何か止めるための方法はないのか?

・神社仏閣に出向き、お祓いをしてもらう

・霊能者と自称する人にお金を払って祓ってもらう

それぐらいしかないかもしれません。

ですが、よく考えてみてください。

そのような自分以外の何かに頼って、現実を変えようとすることは、

結局は自分では何もせず、他人に任せてしまう依存でしかありません。

そのような依存の心を神様は「善し」となさるでしょうか?

祓われた現象はもう二度と現れないでしょうか?

そんなことは決して無いと思います。

他人に依存して、お任せして、丸投げしただけで

自分では何もせず、

・生活態度も

・心の浄化も

変えることなく、今までと同じ態度のまま生活を続けていれば

すぐさま同じ波長を持った現象が復活してくるでしょう。

同じ波長を持った、悪意ある霊が近づいてくることでしょう。

では、  霊の世界の感度が無い私達に、何ができるでしょうか?

私達今を生きる現世の人間と、

黄泉の国(神さまの国、霊の国)の橋渡しをしてくださっているのは

普段私たちを霊的の意サポートしてくださっている

・ご先祖の方

・ガイド

・守護霊

など言い方は様々ですが、神様が仕組みとして橋渡ししてくださる方を、

側に付けてくださっています。

ですので見えない世界の「霊障」は、この方々のお力に頼るしかありません。

簡単な障りであれば、この方々が

・近づけないようにしてくださる

か、もし手におえなければ

・より力のある「祓い」のある神さまに取り次いでくださる

のどちらかでしょう。

これらは、

私達人間に、黄泉の世界の感知能力を神様は与えていませんから

このような黄泉の世界側からの問題は、

私たち人間には直接的に解決できず、

普段側近くにいらっしゃる方々の管轄内の問題と考えられます。

では、私たち人間側に何かできることがあるかと言えば、

もちろん重要なことがあります。

むしろ、その重要なことを介して、私たち自身が変わるように、促すために、

このような現象が現れることを、神様は許されているのですから・・・

では、私たちにできることについて説明します。

■第1に・・・・

そのような現象が起こっていることは一旦全部忘れ

 →意識を向けない現象にはエネルギーが供給されませんから、

  しばらくすれば自然消滅します

何もなかったように明るく振る舞い、

・ありがとうと

・笑顔を

すぐ側のご家族や周りの方々に、ふりまかれることをお勧めします。

 →この世界は波動の世界ですから、似合わないことは起こりません。

  明るい雰囲気の場所には暗くて陰湿な現象は似合いません。

  波長が合いません。波長が合わない者は、一緒に居ることができません

■第2に・・・・

また、こういった見えない世界のことは身近なところでは

ご先祖が、その役割を担ってくださいます。

先祖供養の神髄に関しては本にもわざわざ1章設けて書きましたが

このブログでも、何度も何度も説明しています。

是非その通りされることをお勧めします。

 →先祖供養の神髄は、日々の先祖に対する「ありがとう」の感謝の心です

このことを通じ、そば近くで見守ってくださる守護のご先祖が働きやすく

また私たちを護りやすくする狙いがあります。

また私たちの感謝の心は、私たちの心を愛の温かな光で満たし、

そのような悪意ある、暗くジメジメした悪霊とは波長が全く合わず

もう、離れていくしかありません

この第1、第2の方法は、私たち自身が変わるための方法です

従って

・自分では何もせず、

・何も変わろうとしないで、

・他人に丸投げの

・他人依存(依存心)ではありません。

これには永続性があります。

他人に丸投げの場合、すぐにまた同じ現象が現れてきますが、

自分が変われば、もう怖いものなしです。

以上のことが、私たち人間側にできることです。

この自分自身が変わる・・・

と言うことが、

この現象が現れるのを神様が許した唯一の理由です。

何か、霊的な障りを感じていらっしゃる方が居れば是非試してみてください。


2025年10月23日木曜日

4054「神々の望む生き方」2025.10.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月04日の記事を紹介します。


「神々の望む生き方」


イエスがゴルゴダで亡くなるまで、たった3年間でしたが、民衆に教えを説きました。 

その後、バチカンを中心に教会が作られ、宗教が作られましたが、 

イエス自身は、クリスチャンでもなかったし、宗教を起こそうとしたわけでは、ありません。

ただ、民度の低かった人々に、自分たちの内なる神さまの存在を説き、どうしたら、みんなが幸せに、笑顔で暮らしていけるか?

その方法を説いたのでした。 

イエスの最後の3年間、聖書を書いた弟子たちが、

様々なエピソードを、それぞれの視点から書きました。 

ヨハネなどは、その中でも、できるだけ、人々の心の中に、依存心を起こさせないよう、

他人や、奇跡に頼らないように、極力、奇跡に関する記述を排除しました。 

またイエス自身も、下記のようなことを仰いました。 

イエスの語る、全ての良きこと、そして行った奇跡は

イエス自身の力ではなく、全ては神さまから来ているのである

イエス、つまり自分自身は、全く無力であり、

単なる、その通り道、導管にすぎない。  

もし、誰かが、他人に頼ることなく、依存することなく、 

自分の内に居らっしゃる神さまと繋がりができたら、 

イエス以上に、奇跡を起こし、良きことをするでしょう。 

そのように、自ら表に出ることなく、謙虚に仰いました。 

イエスの説いた教えの中で「黄金律」と呼ばれるものがあります。 

大変シンプルなものです。 

そして、それこそが、 

・イエスが人々に教えたかったこと

・実践して欲しかったことのエッセンスです。

日々の暮らしの中で、私たちができる最善のことは、 

イエスの仰った「黄金律」の中で述べられています。 

イエスは、こう仰いました

 

人にしてもらいたいと思うことを、人にして差し上げなさい。

 

たったこれだけです。

とてもシンプルです。 

ですが、これがイエスが、最後の3年間に説いたことのエッセンスです。 

人が、何をして欲しいと願っているのか? 

・想像力を働かせる必要があります。

・人の気持ちに寄りそう必要があります。

もしかしたら、同じ悩み、苦しみを経験してきた人の方が、

相手の方の気持ちを理解し、寄りそえるかもしれません。

いままで成功し続け、身体が健康で、お金の不自由をしたこともない人には

相手の方に寄りそうこともできないかもしれません。  

気持ちを理解することもできないかもしれません。 

それだけでも、今私たちの置かれている 

・悲しみ、

・苦しみ 

の苦難の経験は、無駄ではなく、大切な経験であると言えます。 

中間世記憶のある子どもたちが言うように 

・両親

・容姿

・病気や健康、

・生きて行く境遇まで、 

生まれる前に神様とともに、自分で計画してきたのですから。。 

またブッダは、生老病死について深く思索し、

人間のさまざまな悩み、苦しみの原因について、 

そして、その解決方法について教えてくださっています。、 

その教えの真髄を、

現在でも、様々な場所で、唱えられる般若心経で教えてくださっています。 

人間が生きて行くなかで、様々な、悲しみや、苦しみが起きる。 

でも、それには一切、色が付いていない。 

色とは、

・良い

・悪い 

など、人間が判断し決めつけているものです。 

色が付いていないとは、、 

どんな現象も、良いも、悪いも無いのだよ・・ 

そうブッダは仰いました。

その起こってきた現象に、良いとか、悪いとかレッテルを貼り、

一喜一憂し、悩んだり苦しんだりすることが、

色を付け、ジャッジする人間の、悩み苦しみの原因になっているんだよと、 

般若心経で教えてくださいました。 

とは言っても、私たちは生身の人間、どうしても、感情が揺さぶられます。 

でも決して、それが悪いことではないのですが、 

いつまでも引きづり、不平不満、愚痴の種にしてしまうのが、いけないようです。 

産婦人科医 池川明先生の大規模な調査の結果、

小さな子供たちの 実に1/3に、

生まれる前の記憶、つまり中間世の記憶があるそうです。

(段々と薄らいでいくようですが) 

その記憶を持つ子供たちの証言に寄れば、健康な身体、病弱な身体・・ 

それらも生まれる前に、神さまと相談して、自分で申告してから、

生まれてくるそうです。 

つまり、その経験をすることによって、魂を進化させるためです。 

言いかえれば、感謝の気持ちを理解できるようにするためです。 

私たち人間は、健康であったり、豊かであると、

どうしても、その状態が、「当たり前」であり、

有難いことであるとは、全く思いません。

目の見えない友人(犬)のためにできること・・ 

ですが、病気になって見れば、健康だった時、どんなに幸せだったか・・

空腹で、飢餓状態の時に、一つの塩おにぎりが、どんなにおいしいことか? 

貧乏のどん底に落ちた時、100円玉、500円玉が、どんなに有難いか 

理解できます。 

今まで、「当たり前」で、「有難いこと」などと、思ってもいなかった状態が、

どんなに「有難く」、幸せな状態だったかが分かります。 

当たり前の状態に、感謝することができます。 

神道では、神々の恩寵は、誰にでも平等に注いでいるが、

それが実際に現れる人、現われない人の差が出るのは、

感謝の心が、あるかないか、そこに尽きると 言われます。 

ですから、人生で起こってくる様々な艱難苦難は、長い長いスパンで見れば、私たちに、

・本当の幸せとは何か?

・感謝の気持ちとは何か?

・お互いさまの気持ちとは何か?

・お陰さまの気持ちとは何か?

そして、そこから湧き起こってくる

周りの人々との、協調、調和、相互理解、助け合い、思いやり、 

そんな気持ちまで発展させてくれる、尊いものです。 

最後に、相田みつをさんの「仏の教え」についてご紹介して終わりにします。


「ほとけさまの教えとは

なんですか?」

ゆうびん屋さんが

困らないようにね 

手紙の宛名を分かりやすく

正確に書くことだよ

「なんだ、そんなあたりまえの

ことですか」

そうだよ

そのあたりまえのことを

こころをこめて

実行してゆくことだよ

イエスの黄金律と全く同じですね。

私たちは何か 

・特別な誰かに頼らなくても

・特別なことをしなくとも、

・特別な場所へ行かなくとも

・特別な能力などなくとも 

周りの方々を思いやり、助け合って、感謝の心で日々暮らしていくことが 

神々の本当に望んでいる姿のようです。


2025年10月22日水曜日

4053「青空ひろば」2025.10.22

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1570 2025.09.28 ~ 1577 2025.10.08

<ロバート・モンローさんの用語集>

モンローさんはキリスト教的な、使い古されて、既成概念がこびりついた用語を嫌って、自ら新しい用語を創って、多次元の世界の実相を説明しておられます。その用語が独特で、なるほどと感心するものが多いので紹介してゆきます。

(参考文献)『究極の旅』(日本教文社)の巻末付録に「用語集」

◇『インターステート(Interstate)』

原義:州(ステート)と州を結ぶハイウェイ(高速道路)のこと。

モンローさんの用語では、ステート(state)=「意識状態」,インター(inter)=「相互に結ぶもの(ルート)」

<ある意識状態(state)から別の意識状態(state)に移行するための通路のこと>

横に結ぶインターステート(意識の水平移動→思いやり、他心通),縦に結ぶインターステート(意識の上下移動→天の浮き橋)がある。


◇『IT(I-Thereの略語)』

「there」は、「話し手の縄張りの外に」というのが、もともとの意味。

モンローさんの用語では、「私(自我)の縄張り(囲い、殻)の外の『私』」→道元さんの「他己(他と現れている私)」

<地上次元のI(自我の私)の外側に存在するI(私)→縦には多層次元のI(「ヒトの逆円錐多層モデル」)、横には「過去世の私」や「現世の私の分身たち(類魂)」も含む。世界中のすべての存在も実は「私」。


◇『INSPEC(インスペック)(Intelligent Species(知的な種族)の略語)』

モンローさんの用語:<人類以外の、人種とは別の生命体で、人種以上に知的能力が優れた生命体>、しかし、後年、このインスペックは、実はI-There であった。つまり、「高次元の私」であったということが判明する→外側のものとしか見えなかったものが、実は内側のものであった→魂の進化は必ず、このように、「<私>の領域の拡大」という方向に進む→最終的には、ヒトも生類も自然環境も、すべて「私」であったんだと悟ることになる(その時が地球次元における魂の進化のゴール)


◇『IT-cluster(IT集合体)』

「IT」=「私(自我)の外側に存在する『私』」、「cluster(クラスター)」=「果実(ぶどう)などの房、かたまり、群れ」

モンローさんの用語:<「自我の私」の外側にも「I(私)」は多数存在している。現世の「私」の分身(類魂)、過去世の「私」、多層世界の「私」、それらをひとかたまり(ブドウの房のイメージ)にして「IT-cluster」と呼ぶ>(


◇『EXCOM(エクスコム)→Executive Committee(執行委員会)」の略語)』

モンローさんの用語では、<ブドウの一粒、一粒にあたるのが、それぞれの「私」。それら多数の実は蔓(つる)によってひとまとまりになって養われ、生み出されている。その「蔓」にあたるのが、「エクスコム」である>

<「エクスコム」の役割:すべての「私」を養い、生み育てている。すべての「私」を統括管理している。各「私」の行動や思いが刻々「エクスコム」に届けられ、「エクスコム」が、「私」を進化のゴール(分離→融合一体化)へと導く> 「高天原に 神留ります…八百萬の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議りに議り賜ひて」(大祓詞)


◇『アップリンク(Uplink)』

 アップリンクはネットワーク用語。地上局から通信衛星へと上に向かう(up)回線(link)のことを言う。

モンローさんの用語:<すべてのI(私)から、上に向かって最終的には「エクスコム」に集約される回線。すべてのI(私)のカラダと意識状態の情報が刻々伝送されてゆきつつある。それらの情報をもとにして、「エクスコム」によって、次の政策が決定され、今度は「ダウンリンク」を通って、すべてのI(私)にどう振る舞うべきかが伝えられている>


◇『クイック・スイッチ(Quick-switch)』

「switch」は、「変更、転換」,「Quick」は、「速やかな」

モンローさんの用語:<意識をある状態から別の状態へと速やかに移動させる方法>

<人間の意識を、時空の制約を超えて、ある場所から別の場所へすばやく移動させる手法。自分の意識をとらえて、ゴムひものように、目的地に向かって伸ばす。そこで放してやれば、一瞬で新しい場所に到着している。これは、肉体からフォーカスが外れた意識状態で始める必要があり、練習を要する」>


◇『孔(Aperture)』    

<地球次元の世界を創り、私たちを生み出した「全体(ひとついのち)」の「出口」。また、私たちが進化を完成して、地球次元から旅立つ際の「出発ゲート(入り口)」でもある>。「全体」から地球次元の世界に降りて散らばり、さまざまな体験を積んで、大きくなって「全体」に復帰する。その時のゲート。(完)


1567 2025.09.24  ~ 1569 2025.09.27

<お経称えの質問>

次のような質問が届きました。

お仲間の皆さんの「お経称え」の実践の参考になると思うので、質問と大敬の回答を紹介しておきます。

以下が質問です。

立花太敬様の「延命十句観音経」をお祈りして、友人のガンがほぼ完治しました。

うれしい限りです。ありがとうございました。

立花様に2,3,お伺いしたく一筆差し上げました。

(質問1)一つの願いが結びを迎えた時の何か作法はありますか?

(大敬の回答)

お願いが成就した時は、感謝の気持ちを神社やお寺に参拝して届けます。

出来れば、正式参拝して、僧侶や神官の方にお願いして、感謝の気持ちを神仏に伝えて頂いた方がいいです。

延命十句観音経で成就した場合は、最寄りの観音さまのお寺、天神様の神社にお参りします。白隠禅師ゆかりの禅寺(臨済宗)が近辺にあれば、そこにもお参りしてください。

正式参拝出来ない寺社であれば、お賽銭をはずんでください。


(質問2)また新たに願いことを始めるときの作法もありますか?

(大敬の回答)

大敬は、新しい願いのお経の称えはじめには、「これから、〇〇さんのために、これこれの願いで、延命十句観音経を三千回称えます。よろしくお願いします」と挨拶します。

しかし、成就が困難そうな願いであれば、やはり正式参拝して、神仏に願いを届けてもらった方がいいです。

寺社に足を運ぶ事が、願いの成就に向かって進んでいることに繋がりますし、お金を「払う」ことが、「祓い」に繋がります。


(質問3)さらに切羽詰まった人を救うのに一度に複数の願い事をお願いするのはできませんよね。あまりにも切羽詰まった人が多く悩みます。

(大敬の回答)

自分の力で救うというのであれば、一度に1つの願いを叶えるのが精一杯でしょうが、自分の力で叶うのではなく、神仏が救って下さるのだ。自分は苦しんでいる人と神仏をつなぐ役割を果たしているにすぎないのだ、ということが分かってきて、「力み」が抜けてくれば、願いをいくら神仏に届けても大丈夫です。大敬はお仲間が増えてきたので、皆さんのしあわせのために、いつも5つほどの願いを神仏の届けて、お経を称えています。

以上です。お経称えで願いが叶うようになると、自信がついて、ますます「お経力」が発揮されるようになります。

苦しんでいる人のためにお経を称えてあげることは、とても大きな「徳」を積むことになります。ぜひ、これからも神仏が地上世界で働かれる地上拠点としての役割を、誠実に、謙虚に、努めてください。


1566 2025.09.23 

<心のゴムひも法がうまく使えないのはナゼ?>

① 目標がグラグラしている

② 心の性能(弾力)が弱い

(弾力がなくなるのは?)・冷たい心 ・暗い心 ・グズグズ心、クヨクヨ心 ・狭い心 ・徳がない心(「徳」とは心が持つ、想いを実現するためのエネルギー量のこと)

③ ブロックの思い→出来ない理由を数え上げるようなことはしない。「心の能力」を信頼する。

④ 重い心→心の中に抱え込んでいるモノが多い。

⑤ 「心のゴール→形のゴール」という心の自動性を信じられない→「願うこと、すでに得たりと信ぜよ」。完了形で念じるのが難しければ、進行形で。運ばれてゆきつつあるというイメージ(感謝)

⑥ 「今・ココ」にイノチの重心が座っていない(引き摺り女、腰掛男)⑦ 神仏の心のゴムひもが働いている方向と違う方向の願いは叶いにくい。→「神流ら」


1565 2025.09.22

<神武天皇の「ウツシ(移し)・イワイ(結い)」の神事>

香具山の土を部下に持ち帰らせ、土器を作って供物を入れて、タカミムスビ(高次元の身のムスビ力を持つ神様)をお祀りして、大和の国魂の心のゴムひもと神武天皇の心のゴムひもを結う(ゆわう)→心のゴムひもの弾性力で大和の国に入ることが出来た→高校球児が「甲子園の土」を持ち帰るのは、本能的に「ウツシ・イワイの神事」を行っている。


2025年10月21日火曜日

4052「この世に使命をもって生まれてきた」2025.10.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月03日の記事を紹介します。


「この世に使命をもって生まれてきた」


今日は不思議系のお話です。眉に唾を付けてお読みください。

しかし、私の信頼する元聖心女子大学教授で、

シスターの鈴木秀子さんのお話ですので、真実のお話だと信じています。 

<引用開始> 引用元 

 

鈴木秀子教授はご自身が翻訳された「死んで私が体験したこと」の著書に、

ネイティブ・アメリカンの母とアイルランド系の父の間に生まれたベティー・イーディーという女性の体験を挙げられています。

ベティー・イーディーは31歳のとき子宮摘出の手術を受ける

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術後に大量の出血をして、一度死を経験する 

数時間だれもその状況に気づいていなかった 

担当医はベティーは間違いなく死んでいたことを認めている 

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死んだベティーは、自分の身体から抜け出るという「幽体離脱」をし、

自分の肉体を高いところから眺めていた。

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その後、生前7人の子どもと夫を残して死ねないと思っていたので、 

家族のいる自分の家に行くと、夫も子どもたちも快適そうに過ごしているのを見る。 

その姿を見ているベティーの心の中に、

それぞれの家族の将来の予告編が映し出された。 

そして・・・自分がいなくても、

みな自分なりの、価値ある人生を歩んでいくことを知り、 

気がかりだった家族のことが心配ないと確認したベティーは、

ほっとして、この世から旅立つ。

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ベティーは真っ暗のトンネルを超高速で進んでいく。

 

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そのうち、とてつもなくまばゆい光が近づいてきた。

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そして、愛の光を放つキリストを見た。 

(これは、あの世の計らいであることが、江原啓之氏、飯田史彦教授、坂本政道氏などの書籍で説明されています。日本人がよく見る三途の川やお花畑も同じ現象で、「死してあの世に戻って来た魂」を安らがせるため)

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ベティーは「ここが、私の本当の故郷なんだ」と確信した。 

そこで、あの世で教えてもらったこととして・・・

・この世に生まれようとする魂が、自分で一生のプランを立て、使命を負い、

受胎した胎児の中に宿るということ 

・幼くして死ぬというプランもある

・障害をもって生まれてくるというプランもある

・辛い人生を歩むというプランもある

このような一見不遇そうに見えるプランが、自分と周囲の人を成長させるために必要だと判断するからこそ、そのようなプランを立てて生まれてくる。

この世界へ来て問われることは「愛をもって生きてきたか?」だけである。 

そこ(トンネルを通過するとき、あるいは光に包まれるとき)では、人生の場面が映画のシーンのように映し出される。

(この経験をする人が多いのも臨死体験の特徴) 

それぞれのシーンでは、自分の気持ちだけでなく、そのシーンにいる他の人々の気持ちも、自分の気持ちのようによく分かる。 

※これも、福島大学 飯田史彦教授「生きがいの創造」でも語られています。 

この人を悲しませた →後悔の念を抱く

この人は私を心から大切に思ってくれていたのだ →感謝の念を抱く など

そしていずれの場面でも、「愛の大切さ」を強く認識すると、

鈴木秀子教授は述べられています。

そして・・・このことから、鈴木秀子教授は、

「この世に生を享けたものはすべて、それぞれのすばらしい使命をもつ存在」

であると述べられています。 

たとえ凶悪な犯罪者でさえ、この世に使命をもって生まれてきた存在なのです

とも述べています。

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ベティーは、まだこの世での使命を果たしていないという理由で、再びこの世に送り返されます。 

本人は「もうあんな不完全で、労苦と不安に満ちた世界(この世)へは帰りたくない」と必死に抵抗しますが、泣く泣くこの世に帰ってきたそうです。

鈴木秀子教授は

「わたしは自ら臨死体験をした経験から、たぶんペティー・イーディーが体験し、

さまざまなものを見聞きしたのは、死後の世界だったのだろうと思っています。」

と述べられています。

<引用終了>

臨死体験したベティは、子供たちのことが心配で、意識を子供たちに向けた途端、

子供たちの傍にいました。 

そして自分がいなくても、みな自分なりの価値ある人生を歩んでいくことを知ります。 

つまり、例え親子であろうと、子供には子供の人生があり、親が早くに亡くなることも、

それによって人生が変わり、本来の予定していた道に進むことも決まっていたことです。

ですので、子供であろうと、まったく別個の魂であり、

親であろうと、その子の人生に介入することはできません。 

それぞれが、自分の内なる神様に守られて人生を進んで行きます。 

またベティが、あちらの世界で教えてもらったこと・・・

自分で一生のプランを立て、使命を負い、受胎した胎児の中に宿る、とは、まるっきり、

出生前記憶、中間世記憶を持つ子供たちが語ったことと同じです。 

このように、思いもしない、いろんな所から、今、真実であろうことが私たちに突きつけられています。

勇気を持って、自分の知っていること、自分の経験したことを語る人も増えてきました。

その真実であろうと思われる中には

・私たちが生まれて来た目的

・人生で起こる様々な出来事の意味

・人と人との繋がり

・人と宇宙の繋がり

・人と神様との繋がり 

など、様々なことが含まれています。 

これらは、全て、敗戦後に、二度と歯向かえないように、日本人の精神的支柱を破壊するために取られた

・教育政策、

・3Sに見られる愚民化政策 

によって否定されてきたことです。 

ですが、戦後80年経ち、真実に気付き始めた人々が、少しずつ現われてきました。 

いにしえの日本人が持っていたDNA

・古き良き心

・全てのものに神さまを見出す謙虚さ

・全てを敬い、大切にする心 

思い出していきたいものですね。