2025年11月30日日曜日

4092「母と子の絆」2025.11.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月17日の記事を紹介します。


「母と子の絆」


子供の虐待、育児放棄など、子供にまつわる悲しい事件が多く起きています。 

家族は、人間関係を通じ、魂を磨くために神様が作ってくださった、

基本となる最小の単位です。

そこの部分を大切にすることで、私たちの魂は磨かれ、輝きを増していきます。 

今日は小林多喜二のお話をご紹介します。

以前書いたこともあったのですが、別の切り口でご紹介します。 

<引用開始> 引用元

昭和の初め頃、小林多喜二という人がいました。

「蟹工船」という小説を書いた作家です。

この小説は、蟹工船つまり蟹の缶詰を作る船の中で働いてる女性たちが、

もう本当に低賃金でお金をそんなにもらわないで、そして労働が激しい。  

その様子を小林多喜二は、あまりにも可愛そうだからと小説に書きました。 

ところが何か国を批判したと何かで、とんでもないことになって

小林多喜二は警察に捕らえられてしまいました。 

東京の築地署というところの監獄に入ってしまいました。 

ほかにも何かあったのでしょうけど、とにかくそれが理由で彼は監獄に入りました。 

頭は剃られ、いつも竹刀で打たれ、大変毎日毎日苦しい生活を強いられました。 

ところが小林多喜二を指導していた憲兵・警察の人が 

「もうそろそろ命がこいつは無いだろう、もうすぐ死んでしまうのだから、

最後にお母さんだけ面会を許そうではないか」という事になりました。 

多喜二のお母様

お母さんは北海道の小樽です。

当時は2月で雪が寒む寒むと降りしきる小樽でお母さんは一人で生活をしていました。

お父さんはいないのです。 

一人息子の小林多喜二は東京の築地署に連れて行かれ、

お母さんは、一人で雪の中で生活していました。

そこへ築地署から一枚の手紙がやってきました。 

「3日後11時から5分間面会を許す、5分でよかったら出頭しなさい」という手紙をもらいました。

多喜二のお母さんは、この手紙をもらったとたんに

まず「ああ多喜二に会える」五分間でも1分でもいい一目だけでも多喜二に逢いたい。 

ところがお金が全然無いんですね。

それから雪の中を駆けずり回って、その手紙を一枚持って多喜二に会えるんだから

どうか行きかえりの汽車賃だけ貸してくださいと。 

そしてやっとのことで東京に行って帰れるだけの汽車賃を借りることができました。 

その晩に雪の小樽を出発します。

一人で今みたいに新幹線があるとか連絡船が便利だとかないんです、

全部各駅停車ですから雪が降ると止まってしまうんですから、 

そうするとですね雪の中をお母さんは、

ホームに飛び出して駅長さんに前の駅に汽車が止まっているか聞き、 

駅長さんが電話で確認して「おばあちゃん前の駅に汽車が止まっているよ」というと、

雪の降る線路の中を真夜中に一人で歩き出したんです。  

みんなで「お母さんだめだよこんな真っ暗ななか一人で行けないよ」と言っても 

「多喜二に会えないから、11時1分過ぎてももうダメだから、

多喜二に会えないから」といって雪の中を一駅一駅つないだっていうんですから、

そうしてやっとのことで10時半に東京の築地署に着きました。 

何も飲まず喰わずです。さあその姿を見た警察官・憲兵は、あまりにの酷さに同情したんですね、 

そうして練炭火鉢を持っていって「お母さん寒いでしょうあたりなさいよ」と、 

そうしたらお母さんが

「いや多喜二はあたってないからいい」と言って

せっかくのその小さな練炭火鉢を面会所の脇へ置いてしまいます。  

それから今度は、その警官が朝食で食べ残したうどんを温めて

「お母さん何も食べてないんでしょ食べなさい」って言ったら

「多喜二は食べてないからいいです」と言って、

そのうどんも練炭火鉢の横に置いてしまいました。 

そうしてひたすら鉄格子にすがって多喜二が来るのを待っていました。

11時ぴったりに多喜二が憲兵に連れられてきました。

お母さんの顔を見るなり多喜二は「お母さんごめんなさい」と言ったきり、

わぁ~と泣いてコンクリートに額をつけて上げない。 

お母さんも着いたとたんにごめんなさいと頭をさげたから多喜二かどうかわからない。

頭は剃ってるし目はさけ口はさけてるしの状態でしたから、 

そうしてたった5分の面会が1分たち2分たち3分たったときに憲兵が飛んできました 

「お母さんあと2分ですよ、なんか言ってやって下さい」と、

そうして二人の警官と刑事が多喜二の耳をもって、「こらお母さんだ見ろ」と、顔をくっと上げました。

その多喜二の顔を見てお母さんがなんと言ったと思いますか? 

「多喜二かぁ?」と言ったんです。「多喜二かぁ?」と2回言ったんです。 

多喜二の文学碑

自分の子供がどうかわからない、顔が変わってしまってる。

そしたら多喜二が「はい多喜二です」と言います。

そうしたら後残った1分30秒、多喜二のお母さんは何と言ったと思いますか?

鉄格子にすがりながら 

「多喜二お前の書いたものは間違っておらんぞ」

多喜二は間違っていたから逮捕されているのです。

多喜二のお母さんは文字が読めないんですよ。

一行も多喜二の小説は読んだことがない。

しかも憲兵警察が悪者として捕らえられているんです。

しかし多喜二のお母さんは

「お前の書いたものは間違っとらん。お母さんはお前を信じとるよ」

この言葉を残った時間1分数秒言い続けて、雪の小樽へ帰りました。

多喜二は、その三週間後に、この世を去ります。 

最後に憲兵が竹刀を振り上げて打とうとした時に、しきりに右手を上げて震えてる、

なんか言いたいだけども言葉にならない。

そこで他の人が水を持って「一杯飲んで言いたいことがあったら言え」と言いました。 

そうしたら多喜二がその一杯のコップの水をぐーっと飲み干して

「待ってください待ってください。私はもうあなたの竹刀をうけなくても死にます。 

あなた方はこの3ヶ月私を地獄へ落とそう地獄へ落とそうと私をたたき、私をののしってきたけれども、わたしは決して地獄へは落ちません。

なぜならば昔から母に信じられた男、

母に信じられた子供は必ず天国へいくという言い伝えがあります。 

私のお母さんは、わざわざ5分間の面会のために

雪の中を小樽から東京までやってきて、 

文字が読めない私の小説を一行も読んでいない母親が、

おまえを信じてくれると私を信じてくれると、 

私はどんなことがあっても天国へいきます」と言い残してぱたっと命を落とします。  

多喜二が息を引き取った前田医院に入る母親のセキ

みなさんお母さんの愛は偉大です。 

お母さんの愛は無条件です。子供が悪くてもお母さんだけは信じてる。

小林多喜二はその他のところで「僕の母は僕の太陽だった」と書いているんです。

素晴らしいことですね。

わたしたちは今こうやって生きてますけどね、この命は36億年も前からずっと続いているんですよ。

私達の身体をそうやって何十億年産み続けてきたから僕達がいるんですよ。

お母さんという役目はすごいんです。

君達の個人的なお母さんだけじゃなく、ずっーと命を続けてきたお母さん(女性)に

感謝の気持ちを常に持たないといけないと思うんです!! 

<引用終了> 

母性に満ちた、母の力は偉大ですね。 

もし皆さんに、夫や、妻がいられましたら、

お互いを敬う言葉を掛けて差し上げて下さい。

夫婦が尊敬しあい、いたわりあえば、きっと子供たちも健全に育ちます。

そして多喜二のように、胸に輝く太陽を抱き、 

しっかりと自分自身を確立していくことが出来ますから。


2025年11月29日土曜日

4091「口から出る言葉と修行」2025.11.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月14日の記事を紹介します。


「口から出る言葉と修行」


今日は斎藤一人さんのお話をご紹介します。 

「悪口と修業」と言うことで、悪口や不平、文句が自分の人生にどう影響するか。 

そんなお話です。 

簡単なお話なのですが、シンプルであるがゆえに真理であり、 

そして、人がなかなかできないことです。

今日も一人さんらしく、優しく説明してくれています。 

<引用開始> 引用元

不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。

神様がいるんだってことを信じてない。 

でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、 

人の悪口を言いながら幸せになるとか、不安なことを考えながら幸せになるとか、

そんなことはできないようになってるんだよ。 

一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。 

それに、お弟子さんが困ってたり、お手伝いが必要だなって人がいたりすると、

私は飛んで行って手伝います。 

それで一人さんに何かいいことあるんですかっていうと、

どういうことが起きるかまではわからないけど、必ずいいことがあるんです。 

そういうものなんだよ。 

ただ、もしごほうびがなかったとしても、

お手伝いをした人から喜ばれるだけでいいことだよね。

周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。 

この世の中っていうのはね、まずは自分の周囲、

簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。

私はいつも「自分も人もゆるそうね」って言うんだけど、

人をゆるしましょうって言ったって、

それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。

別に、ヒットラーをゆるせとか、そういう話じゃないよ。

だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょ。

あなたの側にいるのは、口うるさいお姑(しゅうとめ)さんだとか、

近所のおじさんくらいだよね(笑)。 

もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、 

嫌な人とは付き合わなきゃいいんだよね。 

で、どうしてもその相手と、付き合わなきゃならないんだとしたら、 

それは文句や愚痴を言わない修行なんです。

相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。 

あのね、嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことあると

人の悪口を言ったりするからなの。 

自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。 

人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。 

自分が変われば、すべて変わるようになってるんです。 

どうしてですかっていうと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。 

あぁ、これは人の悪口を言わないための修業だなってわかれば、 

人生はパッといい方向へ、その瞬間に変わります。 

この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。 

私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、

「この週刊誌、売れるといいね」って言います(笑)。 

あのね、悪口を言うってことは、

自分の畑に唐辛子(とうがらし)の種をまいてるのと同じなんです。

人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、 

言ったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種をまくようなものだから、

それを刈り取らなきゃいけなくなる。 

ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、

最初から唐辛子の種をまかなきゃいいんです。 

<引用終了>

嫌な人と付き合わなければならないのは・・・・ 

それは文句や愚痴を言わない修行なのだそうです。 

そして自分自身が、文句や愚痴を、言うからそういう人を引き寄せ、 

あたかも、修業のような場が形成されるのだそうです。 

そして、自分が文句や愚痴を言うことが無くなれば、

もう、そのような状況を引き寄せ、修業する必要がなくなるため、 

「嫌な人」が、周りからいなくなるのだそうです。 

確かにそうですね。  

自分の周りの状況は、全て自分の心の状態を映しています。 

嫌なことも、良いことも。

であれば、自分の心を「良きこと」で埋め尽くせば、もう良いことしか起きず。

良きこと、良き人に囲まれ、幸せの内に暮らせることでしょう。 

まさに空海の仰った生きながら天国に住む・・

即身成仏の世界です。 

自分の心を「良きことで埋め尽くす」とは、どう言うことでしょうか? 

・不平不満、愚痴、悪口を言わない

・全てのもの、人、コトに感謝する

そして良寛さんの「愛語」のお話にもありましたが、自分の口から出てくる言葉は、 

はっきりとした自覚をもって、 

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

そのようにする。。と

決心することかもしれませんね。

世の中、もう少し混乱は続きそうですが、もう大分良い方向に変わってきました。 

自分や、周りの人の心を、大切にしようとしている人にとっては、

希望の世界、報われる世界が近づいて来ているようです。 

地球創生の神、国之常立神(クニトコタチノミコト)の世です。

どうぞ、笑顔と感謝の心でお過ごしください。


2025年11月28日金曜日

4090「不幸は感謝のかくし味」2025.11.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月13日の記事を紹介します。


「不幸は感謝のかくし味」


今日は「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、

渡辺和子さんの言葉をご紹介します。

不幸は感謝のかくし味

そのような意味のお話です。 

転載するに当たって、解り易くするために、ところどころ意訳し補足してあります。 

<転載開始> 転載元

私どもの大学(ノートルダム清心学園)の正面玄関に、

プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、

一つの小さな詩がかけられております。


天にまします父よ

どんな不幸を吸っても

吐く息は感謝でありますように

すべては恵みの呼吸ですから


学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、先生たちが配慮をいたします。

しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、

その先にある職場、結婚生活、社会には、

往々にして思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。

生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。

思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、

それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。

さらに増幅して、大きな不幸にして、

ほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。

それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で本当に強い人であり、

本当に優しい人だと思います。

他の人が吸う空気を汚さない、その強さと、

他の人を思いやる優しさを学生たちに身につけて欲しいと願っています。

しかしながら、それは決して、簡単なことではありません。

私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、

人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。

そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。

真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、

それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、

異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。

それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。

同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、

私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。

苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、

それは必ずしも悪いものではありません。

それがなかったら、真珠がつくれないのです。

それがなかったら、感謝の息が吐き出せないのです。

そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、苦しいこと、

そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、

自分しかつくれない真珠に変えていける、

そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。

毎日の忙しい生活の中で、私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、

ふだん気づかない、しかしながら身の回りにたくさん転がっている、

ありがたいものを、ありがたいと気づくゆとりを持つ、

ということかもしれないと思います。

<転載終了>

幸運は不幸な顔をしてやってくる。 

そう言われるように、往々にして、いえ、全ての不幸、苦難、病気、別離は、

私たちの心を強くしてくれます。

たとえ一時、悲嘆の涙にくれようと。。 

そのような時こそ、神さまは、私たちをいつも以上に気にかけ、

見守ってくださっています。 

そして、私たちが、涙も枯れ果て、その苦難を受け入れて、前を向いた途端、 

待っていましたとばかりに、幸せのシャワーを浴びせてくださいます。 

それは、神さまの用意してくださった、試練を、

自分の力で、受け入れることができたからです。 

そうなれば、その結末が、どちらに進もうと、

関係ありません。 どちらであろうと行きつく先は魂の幸せです。 

せっかく 神さまが、幸福をくださろうとして、

先に、不幸に見える出来事を与えてくださっても、 

そこから目をそらし、何かモノや人に依存し、頼り、逃げてばかりいたら、 

せっかく用意してくださっていた、神さまの祝福を受け取ることができません。 

泣いても、叫んでも、そして例え運命を呪う言葉を吐こうとも、、 

そんなことは神さまに取ったらどうでもよいことです。 

神さまが見ていらっしゃるのは、それをちゃんと自分のこことして受け止めたか?

受け入れたか・・・だけです。

そんな経験ができるのも、そこが、神さまが私たちを置いて下さった場所だからです。

神さまが私たちを置いて下さった場所では、いろんなことが起こります。

笑いあり、涙あり、現実はドラマチックで、ダイナミックに過ぎて行きます。 

そこで私たちは、希望に胸を躍らせたり、時には絶望の淵に沈むかもしれませんが、

幸も不幸もひっくるめて、その醍醐味を味わいたくて、ここに生まれてきました。 

そのような沢山の経験と、感情を味わい、私たちは、もと来た世界に戻ります。 

そこには形ある物を持って帰ることはできませんが、

何物にも代えがたい経験は、持って帰ることができます。 

そして神さまの用意してくださった、一見 苦しみに見える経験こそが、

私たちの魂を練り上げてくれます。 

そしていつか、だれでも、きっと

どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように 、

そうなることができることでしょう。 

全ての経験を、感謝に変えることができた時、

私たちは、もう二度と肉体を持って、この地球に、生まれる必要はありません。

「感謝」という行為こそ、

私たち人間が神さまから与えて頂いた、最高の行為です。 

皆様が感謝の内に、日々を過ごすことができますように。


2025年11月27日木曜日

4089「地球外生命体、月の地球への帰還、そして地球を覆い尽くす醜悪な知性による蜘蛛の網」2025.11.27

 今回はIn Deepさんの2025年11月11日の記事を紹介します。


「地球外生命体、月の地球への帰還、そして地球を覆い尽くす醜悪な知性による蜘蛛の網」

https://indeep.jp/aliens-and-ugly-spider-webs/#google_vignette


地球を「蜘蛛の巣」のように覆い尽くす電力網


地球に流入し続ける土星人、木星人、火星人の実相

イタリアのシュタイナー学派系のウェブサイトを久しぶりに見ていまたしら、以下のようなタイトルの記事がありました。

「地球外生命体、月の帰還、そして地球を取り囲む蜘蛛の網」

まあ、今回は、ほぼそのままタイトルに流用させていただいたわけですが、大変に長い記事で、最初は、2020年9月1日にアメリカで出願されたイスラエルの特許の話から始まります。

特許は、「病原体によって引き起こされる感染症の治療対象者を匿名で選択するためのシステムおよび方法」というもので、要するに、すべての国民を中央サーバーに接続して、国民の生物学的信号、地理位置情報、健康履歴を衛星やアンテナを介してネットワークにリンクさせる方法に関しての特許です。

これは、イスラエル国民に対してという限定されたことではなく、最終的に「地球規模の制御」を実現するためのもののようで、一種のディストピア映画の世界ですが、技術的には、特許が出されているところからもわかるように、2020年の時点で実現可能な技術でした。

今はほとんどの人がスマートフォン等を持っていますから、特別なことをする必要もないです。特許文書より

特許は 2040年11月まで有効です。

 

まあ、それはいいんですけれど、記事では、その後から、ルドルフ・シュタイナーが 1921年5月13日に行った講義からの抜粋と解説が続きます。

これが結構面白くてですね。

・かつて地球から分離した月は、またいつか地球と再び一つになる

とか、

・古代アトランティス時代には土星人、木星人、火星人などが地球に降り立ち…

とか、そういう文言が続くのです。

セクションごとに少し講義の内容をご紹介したいと思います。

まずは、「月の帰還」に関しての部分です。太字はこちらで施しています。

ルドルフ・シュタイナーの1921年5月13日の講義より「月の帰還」


現代人が知性だけで考える場合、その思考は現実に根ざしていません。思考は現実の見せかけの中でのみ動き、影のような状態にあります。人間の思考はこのようにしてますます動いています。

その影のような性質は 19世紀に最も顕著になりました。現代人は完全に現実感を欠いています。人は精神的な要素の中で生きていますが、物質的なのです。

しかし、影でしかない精神的な思考によって、人は物質的存在のことしか考えません。こうして、このさらなる出来事が起こりました。人は再びより精神的になりましたが、以前物質が彼に精神的な内容を与えていたものは、もはや魂には浸透していません。人はより精神的になりましたが、その精神性によって、人は物質のことしか考えなくなりました。

しかし、すでに述べたように、月の分離によって人類の知性が不明瞭になったとしても、精神科学によれば、月が再び地球に接近し、再び地球と融合する時が来るだろうとされています。

今、私たちは月がいつか地球と再び一つになることを知っています。

その日は、抽象的に生きる天文学者や地質学者によって何千年も延期されるかもしれませんが、それは例外的なことです。実際には、私たちはそこ(月が地球と再び一つになるとき)から決して遠くはないのです

今日起こっていること、すなわち知性が影のような性質を帯びていることは、地球の進化においていつか起こる決定的な出来事、すなわち月が地球物質に再統合されることと関係しているに違いありません。

私たちの知性はますます影のような存在になりつつあります。

もしこの状態が続き、人類が霊的世界から流れ込むものを自らに受け入れることを拒むならば、人間はますます知性の影の色彩に疲弊していくことでしょう。

とあり、一部わかりにくい部分はありますが、シュタイナーは、この「月が地球と再び一つになること」を「再生」と呼んでいます。

続いて、土星人、木星人、火星人などの名称が出てくる、難解ながら楽しいセクションに続きます。

ルドルフ・シュタイナーの1921年5月13日の講義より「地球外生命体の地球への帰還」


しかし、この再生は人間的な事実であるだけでなく、宇宙的な事実でもあります。

私は著書『オカルト科学』の中で、人間の魂がすでに惑星へと転生し、その後地上の存在へと降りてきた経緯を述べました。また、火星人、木星人などが次々と地球に帰還してきた経緯も述べました。

さて、1879年には、霊界によって確認されたデータに基づいてのみ報告できる重要な出来事が起こりました。

古代アトランティス時代に土星人、木星人、火星人などが地球に降り立ち、人間の魂が地上での存在を開始した頃、他の存在もまた、異界から降りてくる時代が始まったのです。

彼らは人間ではないが、自らの存在をさらに発展させるために地球に降り立ち、人間と関係を結ぶ素質を持ちます。 1879年以来、地球外生命体は地球の存在に入りたがっていました。

19世紀後半以降、私たちは宇宙からの霊的存在の流入を目の当たりにしてきました。彼らは主に月と水星の間の圏に居住する霊的存在ですが、すでに地球に降り立ち、宇宙の霊的存在の親密な思考を人間に浸透させることで、その地盤を築こうとしています。

これは、霊的科学が地球に降り立ちたがっており、歓迎されなければならないという表現に具体的に示されています。

もし人間がこれらの存在の降臨に反対するならば、激動が起こり、最終的には地球上の存在は社会的混乱に陥るでしょう。彼らは、月が地球に再び合流したときに地球上の存在に何が起こるかを予見しようとしているに過ぎません。

ここまでです。

そして、次のセクションでは「今後、地球に醜悪な種族が出現し、それは蜘蛛の網のように地球を覆うだろう」ということを述べています。

その醜悪な種族は、

> 強大で過剰な知性を備えた自動的な存在

だそうです。

何となく現在の AI 的なイメージもありますが、シュタイナーは「醜悪な種族」と表現していますので、関係ないかもしれません。

ここからです。

ルドルフ・シュタイナーの1921年5月13日の講義より「蜘蛛の網」

そして地球からは、その性質上、鉱物界と植物界の中間に位置する、強大で過剰な知性を備えた自動的な存在として、醜悪な種族が出現するでしょう。

この運動は地球を支配し、醜悪な蜘蛛の網のように地球を覆うでしょう。これらは巨大な知恵を持つ蜘蛛ですが、その体質は植物の存在の域にさえ達していません。彼らは互いに絡み合い、外的な動きにおいて、人類が知性で考案したあらゆるものを模倣するでしょう。

しかし、人類は新たな想像力、そして一般的には人智学を通してもたらされるであろうものには触れようとしません。

人間がそのような非現実的な思考の中で思い描くものはすべて現実のものとなるでしょう。今、空気の層に覆われ、時にはイナゴの大群に圧倒されている地球は、醜悪な半鉱物・半植物の蜘蛛に覆われるでしょう。彼らは非常に知的に、そして同時に悪意を持って、自らを絡め取るでしょう。

そして人間は、自らの知性主義的な概念を活性化させなかったがゆえに、19世紀後半から地球に降り立とうとしている存在ではなく、この忌まわしい蜘蛛の類と自らの存在を結びつけざるを得なくなるでしょう。そして人間は、この蜘蛛の類が遂げる進化の中に、宇宙的存在における自らの進歩を見出さざるを得なくなるでしょう

今日では、抽象的な公式を用いて精神科学的知識の必要性を指摘するだけではもはや十分ではありません。思考がどのように現実化するかを示さなければなりません。

あらゆる抽象理論の問題点は、「思考は後に現実化する」といった抽象的な概念を提示するだけでは、問題の本質を十分かつ具体的に示すことができないことです。

そして、その具体的な意義とは、今日の人々が内面に織り成す知性主義的な思考が、いつの日か蜘蛛の巣のように地球を覆うことになり、人々がこれらの抽象的な思考を乗り越えなければ、それらの思考に巻き込まれてしまうということです。


ここまでです。

そして、講義の続きでは、この「蜘蛛」が「人類破滅への16の道」というものと結びついていると述べていますが、ちょっとわかりにくいですので、割愛します。仮に地球が蜘蛛の巣で覆われたとしても、人間のそれぞれの知性が客観的な立ち位置で君臨する限りは大丈夫だというようなことを書いているように思いますが、今ひとつ不明です。

なお、シュタイナーのさまざまな著作や講義にもよく見られることですが、シュタイナーは、「いわゆるスピリチュアルとして広まっていること自体は真実の探求とは関係がない」ことをよく書きます。

そうではなく、「現実で起きている出来事の中から精神科学的な意味を探り出すことが重要だ」と。

この講義でも、以下のように書いています。

今日、いわゆるスピリチュアリティとして広まっているものの多くは、人々の目に塵を投げ込むことに過ぎません。人々の目に塵を投げ込むこと、つまり歴史的出来事をありのままに無視することの意味を理解する人々が徐々に現れ始めています。

現代において、根本的に重要な出来事が起こっていることに気づいている人はどれくらいいるでしょうか? それらの出来事を深く掘り下げたい人はどれくらいいるでしょうか?

ほとんどの人は目を閉じ、「まあ、大したことじゃない。でも手がかりはそこにある。人々はそれを理解すべきだ」と言うだけです。

まあ、こんなようなことを述べていたのですけれど、もっと簡単に書きますと、たとえば、

・戦争

・経済

・社会的規範の変化(制度や規範や性的解釈の問題など)

・テクノロジーの進化や変化

・社会的傾向の変化(少子化など)

・西洋医療の台頭

といった、他も含めて、すべての「現実で起きている」ことを掘り下げることが重要だということで、それが、天上界で悪魔と天使が対峙していた時代(いつ頃だったか忘れましたけれど)から続く「現実」だというようなことでしょうか。

難しいことはともかく、「地球外生命体が次々と地球に帰還する」という下りを読みまして、エマヌエル・スウェーデンボルグという人の『宇宙間の諸地球』という本の内容を思い出しました。

ついでというのも何ですが、そこからも少しご紹介したいと思います。


宇宙間の諸地球

これは、1758年に出された本ですので、だいたい 270年くらい前の本です。エマヌエル・スウェーデンボルグは、Wikipedia からの抜粋ですと、

> スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。

という人で、この人は、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物であるという人でもあります。

この『宇宙間の諸地球』というのは、20年近く前でしたでしょうか、当時、東京の西荻窪に暮らしていた私は、何しろそのころは暇で仕方なかったので、日々、古本屋を巡っていましたが(当時の西荻にはものすごく古本屋が多かったのです)偶然、この本を見つけたのです。

立ち読みしていて、「なんか狂ってる」とは思いましたが、面白そうなので購入しました。

以下はそこからの抜粋です。

________________________________________

宇宙間の諸地球

イマヌエル・スエデンボルグ 1758年

序章より

多くの地球があって、その上に人間がおり、霊や天使たちはその人間から来ていることは、他生ではよく知られている。

なぜなら、他の地球の霊たちと語って、そのことにより、世界が多く在ることを確信し、また、人類は一つの地球のみでなく、無数の地球から来ていることを知り、さらに彼らの資質、生活方法、神礼拝のいかようなものであるかを知ろうと、心理から愛へ願い、ひいては、それを世への愛から願っている者にはすべて、その願いがかなえられるからである。

私は私たちの地球の霊と共に、この主題について時々語ったのであるが、理解の鋭いものはすべて、その知っている多くの事柄から、多くの地球が在って、そこには人間があると結論することができようと言われたのである。

なぜなら、その或るものは、大きさではこの地球にまさっている幾多の遊星のような、かくも大きな塊は、空ろな塊ではなく、また、単に太陽の周囲を廻転して、その乏しい光を一つ地球のためにのみ輝かせるために創造されたものでなく、そのユースはそれよりもはるかにすぐれたものであるに違いないということを、理性から結論づけられることができるからである。

神(the Divine)は、人類を存在させ、そこから天界を存在させようという、ただそれだけの目的から、宇宙を創造されたことを、人各々信じなくてはならないが、そのように信じる者はまた、地球のあるところ、そこに人間もいることを、必然的に信じざるを得ないのである。

この太陽系の領域内の、私たちの肉眼に見える遊星は地球であることは、以下のことから明らかに知ることができよう。

すなわち、その遊星は太陽の光を反射しているゆえ、地的な物質の天体であり、望遠鏡でこれを見ると、その天体自身の焔できらめいている星としては現れておらず、暗い部分から種々に変化している地球として現れているのである。このことは、さらに以下のことからも明らかになるであろう。

すなわち、それらは、我々の地球と同じように、黄道帯を通って、太陽の周囲を運行し、そこからその地球の年や、春、夏、秋、冬のような一年の季節が生まれ、また、それらは我々の地球と同じように、その地球自身の地軸の周りを廻転し、そこからその日が生まれ、また、朝、昼、夕、夜のような一日の時が生まれているのである。

さらにその中のあるものには衛星と呼ばれる月があり、その月は、それらの地球の球体の周りを、ちょうど月が我々の地球の周りを廻転するように、時を定めて廻転しているのである。

さらに、土星にはまた大きな光帯がある。なぜなら、それは太陽から非常に隔たっていて、その光帯はその地球に反射光線ではあるが、多くの光を送っているからである。

これらのものを知り、また、これらのものを理性から考える者は、これらはみな虚ろな天体であるということができようか。

さらに、私は霊たちと語ったとき、以下のように言った。人間は、宇宙には地球は一つ以上あることを次のことから信じることができよう。

すなわち、星空は無限に拡がっていて、その中の星の数も無限であり、その星の各々は、その所で、またはその世界で、一つの太陽であり、我々の太陽のように、色々な大きさを持っているのである。正しく考察する者はすべて以下のように結論する。

すなわち、このように無限の拡がりをもった全体は必ずや、創造の究極である一つの目的に到達する手段でなくてはならない。

その目的は、神が天使と人間とともに住みたもうことのできる天界である。なぜなら、目に見える宇宙は、または無数の太陽である、かくも無数の星できらめいている天は、地球の存在と、その地球上の人間の存在に対する一つの手段にすぎず、その人間から天界が形作られることができるからである。

これらの事例から、合理的な人間は必然的に以下のように考えざるをえない。

すなわち、このように偉大な目的のために用いられているところの、このように無限の拡がりをもった一つの手段は、一種族の人間のためにのみ、また、一つの地球のみから来た一種族の人間から発している天界のためにのみ構成されたものではない。

数千の、いや、数万の地球もそのすべてに人が満ちていても、これを小さな、ほとんど物の数ともされない無限にています神には、この地球は何ものでありえようか、と。

________________________________________

 

ここまでです。

この著作の中では、それぞれの惑星(スウェーデンボルグはそのすべてを「地球」と述べています)の「人間」の様子も描かれます。物理的な実態のない人間である場合もありますが、いることにはいると。

Wikipedia には説明として、以下のように書かれています。

> 霊界では地球人の他に火星人や、金星人、土星人や月人が存在し、月人は月の大気が薄いため、胸部では無く腹腔部に溜めた空気によって言葉を発するなどと説き、いまだに未知なる部分も多い。

それがどういう形態である「人間」であるかは別として、太陽系の惑星の人々と霊的な交流を持っていたようです。

最初のほうのシュタイナーさんの話を聞いていますと、シュタイナーさんもまた、そういうタイプの人だったのかもしれないですね。

われわれ一般人が「昨日、金星人と話した」とかいうと、吉祥寺のガイの世界ですが、そういうことを言っていても、ヨーロッパ有数の学者として君臨したのが、スウェーデンボルグさんであります。

差は大きいですね。

地球外生命体関連で、少し書かせていただきました。


2025年11月26日水曜日

4088「死者と生者の仲良し時間」2025.11.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月12日の記事を紹介します。


「死者と生者の仲良し時間」


日本の国ほど、昔から黄泉の国

つまり、死者(肉体を持たない者) 

そして神々の国を意識し、交流し、敬い恐れ

日々の生活を送ってきた民族はありません。 

見えない世界と、私たち肉体が持つ者が生きる見える世界が、

表裏一体であり、互いに影響を及ぼしていることを知っていたからです。 

まさに神々が意図して作った、地球の希望の国でもあります。 

さて、ここのブログを読んでくださっている皆さんの中にも、

お子様を早くに亡くされた親御さんが沢山いらっしゃいます。 

今日は「死者と生者の仲良し時間」ということで、

以前掲載した記事に加筆・修正してご紹介します。

病気で早くに天国に帰った、お子さんのお話です。 

「仲良し時間」とは、

聖心女子大学教授でシスターでもある鈴木秀子さんの著書

「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

彼女の「死者と生者の仲良し時間」の本の中に

「けんちゃんからの贈り物」という文章が書かれていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

けんちゃんは6歳で白血病でした。

ある日、お母さんの友人がお見舞にきて 

『死にゆく者からの言葉』 (鈴木秀子さんの著作) という本を渡してくれました。

お母さんは

「読んでいるうちに涙が止まらなくなり徹夜して読み上げた時、 

不思議な力で他人への不信感が払われ、人への信頼感が深まり、

自分が変わったと強く感じ、心の底から温かさがあふれてきたそうです。

人との繋がりというものを確信をもって感じ初めました。

そこでけんちゃんの担当の3人のお医者さんに、

この本を読んでもらいたいとの強い希望を持ちました。

こういう題名の本が医師たちに、どう受け取られるかという懸念もありましたが、

それでも先生方にこの本を読んで下さいと手渡すことができました。

しかしどの先生も、その本については言及することはなく、

やっぱり読んでくださらなかったのかと、ちょっとがっかりした気持ちでいました。

そして、けんちゃんが亡くなり、遺体は夜の八時ごろ家に帰っていました。

誰も訪問する人はなかったのですが、夜10時すぎに

その3人のお医者さんがお悔やみに訪れてくださいました。

眠っているように横たわるけんちゃんの傍に、

3人の先生たちは黙って座ったまま、けんちゃんを見つめていました。

お母さんが、もう終電車の時間じゃないかしらと思った時、

一番若い先生が口を開いて話し始めたのです。

「僕とけんちゃんは、仲良し時間を持ったんですよ」

「仲良し時間」とは、鈴木秀子著の「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

死期の近づいた病人が、その死の直前、急に元気を取り戻して、

あたかも回復したように思われることがあります。

その間、病人は、さりげないかたちで、言い残したり、したいと思ったことを、

成し遂げたりするのです。 

世を去るにあたっての準備の時間、和解し、愛を分かち合う時間、

そうした死の前のひとときは、一部の医療関係者の間で、

「仲良し時間」と呼ばれています。

亡くなる2週間前の出来事でしたが、

けんちゃんは、苦い薬を水で流し込んでいたところでした。 

どうしたわけか 

「けんちゃん、先生のど渇いているんだ」 

という言葉が、何気なくふと口をついて出ました。

けんちゃんは、水のまだいっぱい入ったコップを差し出し、無邪気そのものの顔で、

「先生、これ飲めば」といったんです。 

その時、けんちゃんに必要なのは、そのコップの水でした。 

でもけんちゃんは、それを僕にくれようとしたんです」

午前1時をまわっても、先生たちは帰りませんでした。

そこは死者の家というより、

まるで心と心が交わる、温かい場所に変わっていました。

そして二人目の先生も仲良し時間を持ったと話し始めました。

「けんちゃんが亡くなる1週間前のことでしたが、お尻に太い注射をして、 

「痛いよ、痛いよ」とけんちゃんが訴えるので、僕は思わず「ごめん、ごめん」といったんですね」

けんちゃんは笑顔を僕の方に向けて、無邪気で素直な声でこういったんです。

「いいよ、先生、許してあげるよ」

「それを聞いた瞬間、僕は全世界から許されたような気がしました、 

僕のいままでの人生の中で、おかした過ちや愚かさや悲惨な罪でさえ、

すべて許されたおもいでした。」

「そうだ。僕はこの世に生きていることを許されているんだ。 

自分の存在が許されるということが、どんなに大きな価値をもつことか、

まざまざとわかったのです」

お母さんは「この先生も、けんちゃんが言ったことを文字通りに受けとめてくれたんだ。

そして、けんちゃんを、一人の病人としてではなく、

一人の人間として、最後まで付き合ってくれたんだ」と感謝しました。

明け方近くになり、一番年輩の先生がふっと口を開きました。

亡くなる前日の午後でした。

けんちゃんに慰めや励ましの言葉は出ず、自分でも予期しないのに、 

「けんちゃん、先生疲れているんだ」と言ってしまったんです。

けんちゃんは大きな目を見開きましたが、

両目に光が差し込むのがありありと感じられました。

息がもう尽きそうなけんちゃんが、必死で体をずらして、長い時間をかけ、

ついにベッドの上端にたどりついて、 両足と両腕を曲げ、小さく丸まっていました。

けんちゃんのあえいでいた息が静まると、にっこり笑って、

大きな目で広く空いたベッドを指し示して、 

「先生、ここに寝れば」とけんちゃんは声をかけてくれました。

息子を失った悲しみは深いものでしたが、その夫婦は3人の先生に見守られながら、 

この世での使命を果たし終えた息子が天に帰ったという、不思議な慰めも感じていたのでした。

そうした慰めに気づくと、子供を失った寂しさよりも、自分たちにけんちゃんという子供が、6年間も預けられたことへの有り難さが、両親の心にわき起こったのでした。

「一人息子をなくして悲しいし寂しいけど、もっと深いところで感謝と喜びを感じています。人生は長さだけでは計れないものですね。

けんちゃんは、親である私たちに、

人間として一番素晴らしい贈り物をしてくれたと思うのです。 

最高の親孝行息子でした」

<転載終了>

私も若いころ母を亡くしました。がんでした。

病状が悪化し、私たち家族の住む中核都市の大きな病院に転院してきていましたので、

毎日顔を出すことができました。

そして亡くなる3日くらい前に行った時、不思議な光景を目にしたのです。

部屋全体が、神々しい光に満たされているのです。

ベッドに座った母は微笑んでいました。

それはまるで仏さまのよう。

きっとこれが、死を目前に控えた人の、あの世とこの世の繋がった瞬間かもしれません。

まさに、仲良し時間そのものでした。

きっと人間にはそんな瞬間が誰にでもあるのですね。

もうこの状態の時は、無意識の内に、死の覚悟はできているのかもしれません。

残された家族は、どんな形でも良いので、何とか死から引き離そうと、

沢山のチューブに繋がれるようなこともある、延命措置を望むようですが、 

もう向こうの世界と繋がっている本人は、 

もしかしたらそれを望んでいない人も、多いかもしれません。

例え肉体は死しても、その精神や意識は永遠です。

また逢える日もあることでしょう。

私たち残されたものの願いではなく、これから死に向かおうとしている方々の、

意思を尊重して差し上げたいものです。

数え切れないほどの死にゆく方々の、臨終に立ち会った鈴木秀子さんが仰るには、

この状態の時には、既に死を受容したうえで、残された人々に感謝の気持ちを伝えたい、

と願う方々が多いそうです。

そして静かに向こうの世界に帰りたいと、思う方が多いそうなのです。

私たちは、死を意識して生きて行くことで、日々の暮らしの中で、 

身近な人々を、大切にできるのかもしれませんね。


2025年11月25日火曜日

4087「二極化する地球」2025.11.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月10日の記事を紹介します。


「二極化する地球」


ここ数年、日本を含め世界では、

急速な勢いで、「建て替え」(立て直しのための破壊)が進んでいました。 

最後の戦いのごとく 

・自分たちの信じる絶対神しか認めず、他への排撃を許される文化(からごころ)と

・全てのものの中に、神を見出し、尊重し、調和融合して共存・和を図る文化(大和心)

このような急激な変化の中

・見える世界

・見えない世界

の両方でも大きな動きがあるわけですが、 

結局は神様から分け御霊を頂いた生命体には、自由意志が認められていますから、 

どちらが正しいとか、良いか悪いかなどありません。 

全ては自分の好きな道を自らが選び進んでいくだけです。 

他人に対し、良い悪いの評価をしたり

自分の価値観を無理やり押し付けるわけにはいきません。 

例え血を分けた家族であっても・・・ 


創造、維持、破壊の宇宙神 ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ

ブラフマー(創造の神)、ビシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)

今まさに、ブラフマーが活躍するために、シヴァの破壊が行われています。

でもそれも、神仕組みの元、決着がつき、世界ではもうすぐ夜明けが始まります。 

今日は以前書いた記事ですが、

今の時代をまさに言い当てていますので、加筆修正して掲載します。

但し、不思議系のお話です。

眉唾ものですので、興味のない方はスルーなさってください。

霊的な巨人であった出口王仁三郎は、

数々の予言を残しましたが、それらがことごとく的中しています。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、

世の中の変化には、少しは気付くかもしれませんが、

その裏にある、地球や神々の意図まで、考えをめぐらすことはできないものです。

ですが世の中は、着実に神々の計画通り動いています。

神々の方法は、下記の2つで成り立っています。 

・立替え そして 

・立直し です。

立替えは、神々による破壊

立直しは、破壊しつくされた世界を人間の力で作り直していく作業です。

そして神々の計画は、概ね30年を区切りとして行われています。

王仁三郎が予言を残してから、神々の区切りである30年刻みで、

様々に世界・日本は変化してきましたが、 

2010年からの30年は、 

人間の精神性に関する立替え・立直しと言われています。

2011年の東北大震災。それがスタートでした。

神々による「人間の精神性の復活」のための 

破壊(建て替え)が始まりました。 

精神性の復活とは 

心の美しさ、愛や思いやり、やさしさを大切にする社会のことです。 

嫉妬や妬みなど、憎しみとは、真逆の世界です。

ここで、以前発表された一つの論文の一部をご紹介します。 

船瀬図書館の記事に載った池田整治さんの記事です。 

かなり飛んでいるお話です。 

私は真偽のほどはわかりません。

ですが池田さんは、尊敬しています。

詳しくは、元記事にあたってください。 

<引用開始> 引用元

伝説によれば、宇宙文明の仲間入りをする「弥勒の世」は3段階で達成されます。

まず123(ひふみ)の段階で、中心に最高霊の「スメラミコト」が降臨。

具体的には1945年8月15日、敗戦で天皇陛下が軍服を脱いだ時。

次に345(みよいず)の段階で、国造り。

今は、まさにミロクの世に相応しい社会、組織作りの時なのです。

にもかかわらず、植民地体制で、日本人の覚醒が封印されています。

そして、最期の567(みろく) = コロナ の10年間で

いっきにミロクの世が完成する。

その始まりが実は、2020年。

だから、新たな天皇陛下の御代となるとも言えます。

問題は、2020年からのミロクの時代には、

それに相応しい霊格を持った人でないと住めないという現実です。

具体的には、愛の度数が800以上のひと(霊人)。

ちなみに、キリストや仏陀で1000ぐらいと言われています。

では、それ以下の人はどうなるのか?

ズバリ、大峠で淘汰されます。

要は、地球自体が5次元の星になるので、

もう地球に転生して生まれ変わりはできない、とのことです。

これから始まる地震、噴火、あるいはポールシフト等は、

800以下の人々を淘汰するための、ガイア自身の最期の「決断」とも言えます。

つまり、このままエゴの増大する、世界金融支配体制などに任せていたら、

ガイアのシステム自身が終焉を迎えてしまうから…。

状況によれば、全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。

その時に、高次元の宇宙の仲間が、使える魂を拾い上げる「宇宙艦隊」も

既に地球の周りで待機している…

逆に、皆が高いレベルなら、自然現象の天変地異も最小限の被害で終わる、

ということも言えます。

<引用終了>

 

あまり不思議系の派手なものは、

私のブログでは、載せないようにしているのですが、

今日は、愛する母のために、地獄の様子を細かく描写した

「往生要集」 おうじょうようしゅう をまとめあげた

平安中期の天台宗の僧、

源信(げんしん)の願いと同じ気持ちで載せました。  

綺麗ごとばかりでなく、清濁併せ飲んだうえで、

泥にまみれても、それでも本当の幸せを得るため、 

実利の道を進むためです。 

池田さんは「淘汰」という厳しい言葉を使っていらっしゃいますが、 

要するに、各自の魂の嗜好性によって、類は友を呼ぶの法則通り、

地球の波動が上がれば、波動の合わなくなった人は、

別の星に移動して行く、生まれ変わっていく、

自分の好み、波長に合った世界(星)に自ら進んで移動して行く。 

そういう意味だと思います。 

神様の目から見れば、上も下も、良いも悪いもないからです。 

ただの経験でしかないからです。 

皆さん、心の準備はできていますか? 

優しさや、愛は与えれば与えるほど、自分の中に溢れてくるものです。 

決して与えることで枯渇してしまい、自分が損をすることではありません。 

その行為は、美しいエネルギーの循環を起こし、人々を幸せにしながら、

再び自分に、何倍にもなって戻ってきます。 

また美しい心の逆の、黒い心も人間は持つことができます。 

小林正観さんの「自己顕示と嫉妬」というお話によれば・・・ 

<抜粋開始>

 

人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、

成長していくにつれて、心の中に次の「3つの感情」が芽生えてきます。

・自己顕示欲

・復讐心

・嫉妬

これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、

神様から嫌われる性質です。

自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、

「自己顕示欲」が湧いてきます。

みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、

そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。

他の人がちやほやされているのを見て、

「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。

また、人から何か気に入らないことをされたとき、

それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。 

<抜粋終わり>   

私たちの未来の現実は今の私たちの心の状態が作り出します。 

・高次元と繋がっている

・宇宙と繋がっている 

と自称する何処かの誰かが、

私たちのために幸せを運んで来てくれるのではありません。 

私たちの今の心の状態は、未来の現実と、

肉体を脱いだ死後の世界までも決めてしまいます。 

心とは、それほど大切なもlのです。 

どうか今目の前に居らっしゃる方に、笑顔と優しさと、愛を向けてみて下さい。 

きっとブッダの言った、3千年王国の到来に

私たちも貢献できるはずですから。


2025年11月24日月曜日

4086「それしか起きなかった」2025.11.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月09日の記事を紹介します。


「それしか起きなかった」


私たちは、よく過去を振り返って後悔します。

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。 

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。

さて今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、 周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、 

小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、

とても分かりやすく、心に響くものだったので、ご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  

一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは。

確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」、 

努力が足りないからできないんだ、

自分が目標を持って必死な思いでやれば、必ずそういうふうになるんだ。 

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても、同じ結果になるのか、

っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。 

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、

そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によっては、

まったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。 

努力をしたらこうなるというシナリオを書いているか、

努力をしないでこうなるという結果を書いているか、というどっちかである。  

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。

死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでの、

シナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である。

ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、

次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって、宇宙から返ってくる。

という法則があります。 

投げかけたものとは 

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔 

その逆に、 

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ

様々ありますね。 

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を読みとることができます。 

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。

現状を見ると、未来が推定できますね。 

そういうふうに因果関係が作られています。

過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、今の自分を見れば、

未来の自分を予言できます。  

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。 

こういうことを知らずに 人生を終わる人もいる。 

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。 

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 、誠実に正直に生きていこうと、決めたときに人生は一転するんです。 

それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生と、まったく変わったじゃないか?

シナリオが変わったじゃないか? ということになるけれども、 変わるっていうのは、

本人がそう思っているだけで、

実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、

そのようにシナリオが、書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。

面白いですよ、その因果関係というものが分かってくると、じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが、自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい、生き方というのを一言で言っておきますと、

誠実に生きるということです。

馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。 

これが王道です。 

自分の投げかけた結果として、現在がある。

今投げかけている結果としての、未来があるっていう ことが分かってくると、

過去と現在と未来がドミノ倒しのように、一列に因果関係で並んでいるということが、

分かるんです。

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として、ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも、全部予定通りである。

という結論になってしまうんですね。 

未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて、未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、

もう過去のことについて、何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である。

過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、自分が書いたシナリオで

現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて、悔いたり後悔をしたりする意味がない、

ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、あの時ああすれば

「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、 それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、

未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって

心配することは無意味だということを申し上げておきます。

今この瞬間から皆さんは 、自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。 

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練、

を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、 

人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、

当たり前のことに喜べるようになった人を、人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか、艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか、いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を、人生の達人の上級者と呼びます。 

私たちは自分の人生を自分で、シナリオを書いてきているんですよ。

その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、 

どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、 つまらないとか悔しいとか、

頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%は、こういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。 

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか? 

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。今日なんです。明日って永久に来ません。  

実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、 明日も明後日も生きているように思うけれども、

実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には、過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ、その刹那の連続しかない。

だから未来を、心配することは無意味だ。

過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。 

未来のことを、一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、

正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、

今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは、念を入れて生きるっていうことなんです。

念という文字は、「今」の「心」と書きます。

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、 

自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。

今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。

簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって、

心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために、今、目の前の事と人を大事にする。

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。 

それ以外に過去に参加することはできない、昨日の人を抱きしめることはできない。

明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。 

そういうことです。 

人生がこれほどシンプルで、楽であることを分かってしまうと、

なんにもエネルギーを とられる必要がないから、

目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。  

学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って 教えられるけれども、未来のことは考えなくていい。

未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。  

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>

凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。

ブッダも同じことを仰っています。

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが、倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。

親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。 

今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・


2025年11月23日日曜日

4085「何時までも一緒にいたい」2025.11.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月08日の記事を紹介します。


「何時までも一緒にいたい」


今日は「腹六分」についてです。

みなさん、過ぎたるは及ばざるが如しって言葉、聞いたことありますか?

何事も、ほどほどが肝心で、 

やり過ぎることは、やり足りないことと同じように

良いこととは言えない。 

良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。

だそうです。

特に人とのお付き合いにおいては、大切なことです。

人との付き合い方に対して、美輪明宏さんは、こんなことを仰っています。

<引用開始>

朝日新聞朝刊「悩みのるつぼ」、悩み相談に対する美輪明宏の回答より。

人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

いつまでも付き合える人は、一生に何人も出てこない。 

親友なんて1人できればいい方で、助けが必要な時には、いつでも助けてあげて、

普段は当たり障りのない距離で、見守っている人のことでしょう。

「水臭いじゃないの」と何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、 

そんな便利な人はいるはずがない。 

離れていく人は、ニセ者だから、惜しむ必要はありません。 

本物は離れません。

昔、三島由紀夫さんが、切腹事件を起こす直前のことです。 

私の楽屋を訪ねてきました。 

はっきりは言いませんでしたが、

「最後のあいさつ」に来たことが、それとなくわかりましたから、

「何で私たちは、18年も付き合えたんでしょうね」と聞いたのです。

すると三島さんは、

「ひざの上に乗るからなでてやったら、図に乗って、肩まで上ってくるやつがいる。

しまいには頭に上って、顔までなめるやつがいる。 

キミにはそういうところが一切なかったからな」と言ったのです。

暮れと年始のあいさつに、彼の家に行ったことがありましたが、 

彼が私の家に来たのは18年で2回だけ。

横尾忠則さんや瀬戸内寂聴さんなど、今も親しくさせて頂いている方たちも

みんなそうです。

仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。 

<引用終了> 

さて、エネルギーは常に流動しています。

ですので時に、あるグループにエネルギーが集中し、

皆が急激に親しくなり、強烈な仲間意識が芽生えることがあります。

何をやるにも一緒、そしてその時は、全員が同じ方向を向いています。 

気持ちが良いのです。 

大好きなので、意識が高揚します。

でも見えない所では、エネルギーの集中が刻々と

極限にまで達しようとしています。

(本人達は全くエネルギーの流れについては、意識していません。

ただ心許せる親しい友が出来て 嬉しいだけなのです)

ですが、この状態はブッダの言う中庸の状態ではありません。

ですので、いつしかムりが来ます。 

そしてエネルギーのひずみが発生します。

物理的な宇宙の法則の一つですが、宇宙は、ひずみが発生すると、 

それを是正しようという逆のチカラを発揮してきます。

要するにバランスを取ろうとするのです。

(これがフリーエネルギーの基本理論になります)

その結果、ムリが来ていた部分(エネルギーが集中していた所)のエネルギーは

離散していくことになります。  

それはまるで、風船がはじけるように、一瞬で破裂・爆発してしまう事になります。

そして、その爆発によって、エネルギーの過度な集中は終わりを告げます。

人と人とに発生していたエネルギーであれば、それをきっかけに、

集まっていた人達はバラバラに離れて行きます。

そして、その離れた理由は、エネルギーの観点からみれば、どうでもよい事。 

つまり後付けで理由付けされます。

人それぞれの理由が作られます。

ですが、それも大きな意味はありません。

しばらくすれば、また別のエネルギーの流れが、発生しますから、

その様なことがあった事は、意識から段々と薄れて行きます。

何故なら、大切なのは、そこで味わう様々な感情だからです。

このようなことが、私達の生活の中で、日々刻々と行われています。

(3年前にはあんなに親しく、いつも一緒だったのに、

今はどうしているのかしら?・・ なんてことありませんか?)

そういうエネルギーの流れによって、 

集中の時は、嬉しい・楽しい。

離散・爆発の時は、その逆の感情を味わうことになります。

もし今、急激に、親しくなりつつある人達がいるのであれば、

それはそれで、良いこと、素晴らしいことです。 

楽しいし、日々の笑顔や活力が生まれますから。

でも、もし、それを長続きさせたいのであれば、急激な形ではなく、 

美輪さんの仰るように、人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

が理想ではないかと思います。

長続きする、一生涯の良き関係を築くことが出来るからです。

エネルギーの集中と離散、これは自然なことです。 

何も、誰も悪くありません。 

世の中は 諸行無常 ですから。 

常に変化しています。

人それぞれ、学ぶべきことも、学ぶ順序も、スピードも異なります。

神様が、そこにエネルギーの集中を、どうして起こしたかと言うと、 

その時に、そのグループでの、学びの体験が必要だからです。

それが終われば、神様は エネルギーの離散(破壊)を起こし、 

それぞれを別の道に誘います。

もしここで悪いことと言えば、唯一  

・そこに執着し、

・しがみ付き、 

・昔は良かった。。

・どうしてあの人は?

となるのが悪いくらいです。

それが神様のやり方ですから。



2025年11月22日土曜日

4084[衝撃]マンションの高層階に住むほど「流産率が飛躍的に高くなる」2025.11.22

今回はIn Deepさんの2025年11月15日の記事を紹介します。


[衝撃]マンションの高層階に住むほど「流産率が飛躍的に高くなる」という日本の研究を見ての驚き。1階に住む女性の流産率が6%なのに対して、10階以上では38%の高さに

https://indeep.jp/miscarriage-and-living-on-a-high-floor/


10階以上の高層階に住む妊娠した女性の10人に4人が流産する

ちょっと驚くような研究論文を見ました。

研究自体は新しいものではなく、1993年から 1995年にかけて、東海大学医学部によって行われたものですが、簡単にいえば、

「高層階になればなるほど流産率が著しく上昇する」

ことが示された論文でした。

その差は、半端なものではなく、以下のようになっています。

集合住宅の住居階による流産率の比較

・1–2階:6.8%

・3–5階:5.6%

・6–9階:18.8%

・10階以上:38.9%

となっていまして、1階から 2階に住んでいる女性(流産率 6.8%)と比較して、10階以上に住む女性(流産率 38.9%)では「おおむね 6倍」となっているのです。

以下は、この論文の数値を元に作成して投稿されていた比較図です。

 


これは、平たく言えば、「 10階以上に住む妊娠した女性の 10人に 4人が流産する」という壊滅的な状況を示しています。

比較的古い研究とはいえ、今でもこの状況が変わらないとすれば、これだけタワーマンションやマンションの高層階の人気が高い現在だと、上層階に住む妊娠可能年齢の人たちの流産率は、かなりのものとなっている可能性があります。

「なんで、こんなことが起きる?」

とは思いますが、ざっくり考えてもよく分からず、論文にも原因の推定は書かれてはいません。論文の締めは以下のように書かれています。

~~~~~

論文「居住環境の妊婦に及ぼす健康影響について」より

したがって、流産制合は、前年度報告と同様に、居階の上昇に伴い、より顕著な増加を示した。

さらに、本年度(1994年)は、居住期間、初回妊娠年齢、外出回数、相談者、1人当りの部屋数などの交格因子の影響が認められた。しかし、影響因子と推測していた喫煙および飲酒の要因では、現在のところ明らかな影響はみられなかった。

今後も、高層階居住の割合は、増加の一途を辿っており、上記の因子以外に、その影響を助長している原因探究は、今後の重要な課題点である。よって、次年度は、平成6年度の成積を基に妊婚の妊娠確認前後の性格を中心に検討する方針である。

さらに、高層集合住先に居住している人々に対する啓蒙活動の必要性は、今までとは違う住環境であることを常に自覚し、生活すべきであり、隣人同士の井戸端会議を積極的に行い、かつまた外に出ることの重要性を認識させることが大切である。niph.go.jp

~~~~~

1994年といえば、5G も WiFi もない時代です。

1994年頃は、不況というわけでもなく(緩やかな景気回復局面)、まして、高層マンションに住むことのできる人たちに経済的なストレスがあったとも思えず(仮にストレスがあったとしても、同じマンションでも 1階では流産率が低いわけで)、高層マンションの何が流産を劇的に増加させているのかと。

 

流産の増加理由の推定と科学的根拠

ある X への投稿で、この研究を取り上げて、以下のように書いていた海外の人がいました。

もちろん論文にはこんなことは書かれてはいません。

2025年11月15日のXへの投稿より

床の階数が増えるにつれ、流産率が急増:

1–2階:6.8%

3–5階:5.6%

6階以上:24.2%

6–9階:18.8%

10階以上:38.9%

これは小さな影響ではない。これは生物学的崩壊だ。

この文書が明らかにしていることは、人間の生体は、地球の磁場と自然光環境から離れると崩壊するということだ。

もしある薬がこれほど流産率を高めたら、即座に禁止されるだろう。

だが、それが建築によるものだと禁止はされない。

なぜこんなことが起こるのか?

1. 階が上がるほど、地球の直流磁場が弱くなる

ミトコンドリアはこの場を使って電子の流れを方向づける。方向性が失われる=エネルギーが失われる=妊娠が失われる。

(※ 訳者注) 直流磁場とは、地磁気や直流電流から発生する磁場のことです。

2.シューマン共鳴(7.83 Hz)は垂直距離とともに弱まる

そのリズムは脳波、ホルモン、概日生物学、胎児発達を安定させる。

(※ 訳者注) シューマン共鳴とは、地球の表面と電離層との間に形成される超低周波のことで、常に地球上に存在している周波数です。

3.室内光が自然光に取って代わる。

階数が多いほど= LED が多く、青色光が多く、UV/IR (紫外線/赤外線)がゼロ。妊娠は光生物学であり、産科学ではない。

4.高層階=携帯塔からのEMF暴露が増える

これは仮説ではなく、測定可能だ。

5.グラウンディングが少ない

母親が電荷欠乏状態になる→酸化還元が崩壊→流産リスクが上昇。

この日本の研究は、意図したわけではないにしても、偶然、グラウンディング、磁気、自然光が「ヒッピー的な考え」ではなく、胎児の生存要件であることを証明したとも言える。

ここまでです。

ここに出てくる「グラウンディング」というのは、いろいろな意味がありますが、ここではおそらく、「実際の土に素足をつける」ほうの意味合いだと思います(接地とかアーシングとも言います)。確かに、土に足をつけることが健康にいいということは言われます。

ビタミン剤やサプリメントを購入

ずいぶん以前の以下の記事でも書いたことがあります。

「地面に裸足で立つこと」についての驚くべき体と健康への効用を示す数々の医学論文と学術論文から見る結論は「可能な限りやるべき」

In Deep 2017年8月25日

 

ここで様々な論文がリンクされた記事をご紹介していますが、基本的には、

> 裸足や素足で地面に立つことは、地球の大地に流れている強烈な電荷と関連している。この電荷は電子が豊富で、理論的には、抗酸化物質とフリーラジカル(細胞に損傷を与え得る活性酸素など)を破壊してくれる電子を良好に供給している。

という部分に効果があるようです。

他の研究でも、

> 素足が地面と直接ふれることで、顔の血流調節が改善されることが分かった。同時に、心血管疾患の主要な要素である血液粘度を低下させるための研究もされている。

というように、まあ、いいものらしいのですが、とはいえ、実際には都市部の集合住宅に住んでいると、素足で地面に立つことはなかなか難しいです。

なお、裸足ではなくとも、「土と接触しているのと同等」の状態になるのは、

「革製の靴、砂、草、土、コンクリート、またはセラミックタイル」

などで、「完全に遮断される」のは、

「アスファルト、木材、ゴム、プラスチック、ビニール、タール」

の上を歩いたり、そういう素材の靴を履いた場合です。

 

まあ、グラウンディングの話は関係ないですので、ここまでとして、先ほどの投稿者が考える「高層階になると流産が劇的に増える」理由としては、以下を挙げていましたことになります。

・高層階は地球の直流磁場が弱くなる

・シューマン共鳴は垂直距離とともに(高くなるほどに)弱まる

・自然光が少ない

・高層階は、携帯塔からの電磁波暴露が増える

・グラウンディングが少ない

 

科学的にはすべて整合性があった

上のうち「地球の直流磁場が高いところほど弱くなる」ことと「シューマン共鳴が垂直距離とともに弱まる」ことは、科学的に確認されていることです。

「携帯塔からの電磁波暴露が増える」については、携帯用の電波は「上から地上へと下方に向けて調整されている」と私は思っていたのですが、それは確かなようですが、

> 電波の強さは、距離の2乗に反比例して弱まりますが、アンテナの主ビームの延長線上に近い場所では、他の方向よりも強い電磁波を受けることになります。

ということがあるようです。

つまり、「住んでいる階がアンテナの高さと同じくらいだと、強い電磁波を受けることがある」ようですね。

しかし、それでも、

「それぞれが流産に直接結びつく理由が今ひとつわからない」

ということはありました。

「えい、面倒だ、Grok に聞いちゃえ」と自分で調べるのを放棄して聞いたのですが(こうして AI を使う人間は馬鹿になっていく…)、簡単にいえば、

「すべて整合性がある」

ことをネイチャー誌やニューサイエンティスト誌などのリンクを引用して説明していました。

AI の回答

第一の理由である、地球の直流磁場が高度とともに弱まるという現象は、ミトコンドリアが電子の流れを地磁気に依存しており、妊娠に必要な細胞エネルギーを阻害する可能性があるという研究結果と一致しています。

第二の理由であるシューマン共振の弱まりは、脳波とホルモンを安定させる 7.83Hzの周波数に関する研究と一致しており、高層階でこの周波数が減少すると胎児の発育に影響を与える可能性があります。

第三の理由である、自然光に代わる室内光は、LED には含まれない紫外線と赤外線の波長が妊娠中のホルモン調節に重要であるという光生物学的証拠によって裏付けられています。

第四の理由である、高層階の携帯電話基地局からの電磁波曝露の増加は、低周波磁場と流産リスクの 48%増加を関連付けた 2021年のコホート研究の結果と一致しています。

五番目の理由である、接地が少ないために電荷不足になるという説は、酸化還元バランスを維持する接地の役割に関する新たな研究を考慮すると妥当であると考えられますが、流産との直接的な関連についてはさらなる研究が必要です。

Grok

ということで、5 のグラウンディング以外は、「高層階に住むことが、妊娠(というより胎児の成長)に悪影響を与える可能性が研究で示されている」ことになります。

引用されていた記事や論文としては、こちら (ネイチャー)、こちら(ニューサイエンティスト)、PubMed の論文などです。

 

結論としては、

「高層階に住めば住むほど、流産率が上昇することには理由があった」

ことになります。

すでに住んでらっしゃる方は仕方ないとして、これから妊娠、出産を考えている方は、できるだけ高層階は避けたほうがいいようですね。

周囲に出産や妊娠を望んでいるお若いご夫婦などがいる場合、「決してマンションの高層階に住んではいけない」とアドバイスしてもいいほどの明確なリスク要因です。

 

それにしても……。

ここで、素朴な疑問が湧きます。

ここまで明確な流産率の増加が「 30年前」に確立されていたのに、その後も高層マンションの建設と販売は爆発的に増えていきました。

高層階と流産の増加の関係は、陰謀論でもオカルトでもなく、科学で確立された理論です。

日本のように、出産率が年々低下するばかり国で、

「なぜ、このことを日本の保健当局が考慮したり言及することがなかったのか?」

という疑問です。

そりゃまあ、「高層マンションやタワーマンションに若い夫婦が住んではダメです」なんて通達を出したら、いろいろと経済にも影響があるのはわかるのですけどね。

しかし、私はここまで明確に流産率に影響を与える数値を見たことがありません。

2021年に全世界規模でおこなわれた「ある予防接種キャンペーン」の後に起きた流産率(オーストラリアの研究では、接種者は未接種者より 2倍、流産が多かった)より高いです。

こっちは 6倍ですよ。

これは何とかしたほうがいいんじゃないかと真剣に思いました。

磁場にしても、シューマン共鳴などにしても、やはり人間は、もともとの地球に存在する環境を損なった生き方をすると、あまり良くないということを改めて実感します。


2025年11月21日金曜日

4083「魂の進化」2025.11.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月05日の記事を紹介します。


「魂の進化」


神さまの仕組みは、私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、

実は神様の介入により、

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。

その積み重ねが、私たちがその流れに乗っていることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり、神々の功徳を宣伝する必要はありません。 

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。 

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ、集まり集う人の心は

依存心を生み、自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。

パワーのあると言われる場所に、ご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・ 

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ、

同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。 

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのに、どっぷりと、

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく、自分の心の状態に合った世界、

地獄のような世界に自ら入っていくことでしょう。 

心とは、それほど大切なものであり、 その心を通じ、神様を認識することも、

人々の心の中の神様を認識することも可能になります。 

そして何より、そのことを神々は望んでいらっしゃいます。 

さあ自分の所にお参りに来なさい。お布施やお酒を持ってきなさい 。

そうすれば願いを叶えてやろう・・ 

神様は、そのようなお方ではありません。 

さて今日は、この地球に置いて、人間を経験することで、

人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。 

美しき心を思い出すための記事です。 

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、

愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、 

・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること 

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。 

私たち人間も本来そうでした。 

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。

何処かが詰まったりすると、せっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。 

「心を受け取る」と言うこと。 

私たちが、この地球に生まれたのは 

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません 

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界 

このような地球に来たのは、 

人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、魂のダイナミズムを経験し、 

・お互いさまの心

・お陰さまの心 

を養い育て、自分だけでなく、お互いが

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。

肉体を持つことで、様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、

経験することで、肉体を持たない時に比べ、

比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。 

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、素直な心、ピュアな心になればなるほど、

悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。 

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。 

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。 

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていても、その人の心の状況によって、

受け取り方が、全く正反対の人もいます。 

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか? 

その違いだけで、空海が仰っていたように、 

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか? 

それほどの違いが出てきます。 

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。 

心こそ、全ての全てです。 

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ、お互いの違いを知り、受け入れ

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。 

今、生きているのは、効率よく、何かを成し遂げるためではありません。

大きなことをするためではありません。

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる、強い人間になるためでもありません。 

相手の方の心を信じ、その奥底に在る、神さまを信じることができれば、全ての方が、

自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。 

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。 

常に、心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、 

相手の方の態度、行動の裏に隠された、寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り、

包み込んで差し上げることもできるでしょう。 

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。 

生きている間に、何事も、成すことができなくとも、

名もなき一人の凡人で終わったとしても、互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること。

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと、

そのことに勝る人間としての経験はありません。 

心を知る、感じ取ると言うことは、人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。 

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。

ですが、今私たちの住む21世紀は、本来の、私たち人間の精神を復活させようと、

見える者、そして見えない方々が、大きく動いています。働いています。 

自分の心を開き、相手の心も受とり、お互いを信じ、助け合い、

喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、

魂の輝きを増していく時代です。 

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に

一緒にやっていくためのパートナーです。 

この人と人、人と、動植物たちとの、美しい心の交流こそ唯一、

私たちが亡くなった時に、持って帰ることができるものです。 

お金や物は持って帰れません。

そして、これこそが、私たちの魂を、飛躍的に進歩させてくれる宝物です。

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、

そんな、深い深い意味があります。 

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに、

気付いて、大切にしていれば、私たちの心も大切にされます。 


2025年11月20日木曜日

4082「神様の恩寵」2025.11.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月03日の記事を紹介します。


「神様の恩寵」


よく聞く言葉があります。

・願いが叶ったら、感謝する

・気持ちが落ち着いたら、感謝する

・生活に余裕ができたら、感謝する

ですが、これは、宇宙の法則とは、まったく逆のことをおっしゃっています。  

宇宙の法則とは

与えたものが、受け取るもの 

まず自分から、何かを出さなければなりません。

出したものと同質のものが、巡り巡って自分に何倍にも帰ってきますから、 

幸せになりたいのであれば・・

感謝の人生を送りたいのであれば・・ 

まず自分から他人に対し、優しさや、思いやりのある言葉かけ、

笑顔、感謝を、出さねばなりません。 

そうやって初めて自分に返ってきます。

何かを得たら、とか、素晴らしい環境になったら感謝する。

そんな気持ちを、元春日大社宮司の葉室 賴昭さんは、

「それは、取引だ」と、排除なさっています。

それでは、今日のお話です。 

自分が持っていないものに、不平不満、愚痴を言うのではなく、

与えられているものに・・・

何もない平凡な日々に、感謝しよう、そんなお話です。

あなたは、他人や、モノ、動植物、自然、神様に、感謝することはありますか?

一日に何回「ありがとう」と口になさいますか?

今日は何人の方に、笑顔を向けましたか?

私たちが生きていく上で遭遇する、悩みや苦しみ。

そこから解放される手段を、

ブッダは2,500年前に「般若心経」の中で教えてくださいました。

それは「感謝の心」です。

ブッダは人間として生きていく上での

全ての悩み苦しみの、共通の解決方法を、「般若心経」に残してくださいました。

「般若心経」はブッダの弟子の一人、

シャーリプトラ(舎利弗=10大弟子)に、観音菩薩が教えを説くという設定で

全文が構成されています。

では、小林正観さんの講演会でのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元

講演会が終わったところで、本にサインをする場合があります。

その時は百二十名ぐらいの講演参加者でしたが、半分の六十名ほどの人が、

本にサインが欲しいということで並びました。

三十人ほどのところに、 

「質問していいですか?」という女性が立っていました。

年齢は四十歳ぐらいでしょうか。

質問の内容はこういうものでした。

実は私は看護師をしています。

夫は長距離トラックの運転手で、毎晩出かけて行って、夜はいません。

そして、自分は夜勤も嫌がらず引き受けてやっているので、

週に二回、子供たち三人だけの夜があります。

最近のニュースを見ていると、子供たち三人をおいていく時に、

何か事件や事故があるのではないか、 

変な人間が侵入してきたらどうしようか、火事が起きたらどうしようか・・・

そういうことばかりを考えて、夫婦二人で話し合い、

どちらかが仕事を辞めた方がいいのではないかと話しています。

けれども、住宅ローンを返さなければいけないという事情もあって、

簡単に二人とも辞めることができません。

悩んで苦しんで、いつも夫と話し合っているのですが、

どうしたらいいでしょうかという質問でした。

私はこのように聞きました。

「一年に五十三週ありますね。 

週に二日、子供たち三人だけの夜があるということは、 

一年を通していえば百六日になりますが、

子供たち三人だけの夜は百日を超えていますか?」

と聞きました。

「超えています」と答えが返りました。 

「では、二年だと二百日を超えますが、 二百日を超えていますか?」

「超えています」

「では、三年だと三百日を超えていますが 三百日を超えていますか?」と聞きました。

「三百日も超えていると思います」と答えが返ってきました。

「それでは伺いますが、 その無事に過ごせた一日だけにでも、  

安全に何事もなく過ぎてくれてありがとうと、

手を合わせて、感謝したことがありますか?」

と問いかけました。

十秒ほど黙っていましたが、この方は、

そこからどわーっとすごい涙を流して、泣き始めました。

二十分ほども そこで立ったまま泣いていたでしょうか。

私はその間に残り三十人ほどの本のサインを済ませ、それがちょうど終わったころに、

彼女がやっと話ができる状態になって口を開きました。

「ほんとうに一度も感謝したことがありませんでした。  

心配ばかりをして、無事に過ごしてきた日に一日たりとも、 

一度たりとも感謝したことがありませんでした。

今日、帰って宇宙に、地球に、いろいろな方に感謝をするとともに、

子供たちを思いっ切り抱きしめてあげます」

と語りました。 泣いてはいましたが、明るい笑顔でした。

この話には後日談があります。

半年ほど経ってまた同じところで講演会があったのですが、

「先日はありがとうございました」と言って、その方がお見えになりました。

その後、毎日毎日、感謝をして、 

何事もないことに手を合わせてお礼を言っているそうですが、

何事もなくほんとうに平穏無事に毎日が過ぎていっている。

ありがたい。

何かが変わったわけではないのに、状況がなにも変わったわけではないのに、

心が平穏になり、穏やかで豊かで幸せである、ということを話にきてくれました。

<転載終了>

 
このことに気づいたお母さんは、もう大丈夫ですね。

宇宙からのパワー、神様からの恩寵を手に入れる方法を知りましたから。 

何かが叶ったら、感謝する、ではなく、 

本当の感謝は、何も起きないことに感謝なのかもしれません。

何も起きないで淡々と穏やかに過ぎていく日々、 

実はこれが物凄いことなのだということに気がつくこと。

不安 恐れ 懸念 心配事というのは、私たちのために、常に沢山の恩寵を施し、

時間やタイミングを調整し、様々とやって下さっている神様に対して、 

それに気付くことなく、感謝することなく、

それどころか文句を言っているのと同じことです。

また、まだ起こってもいない未来に対し、

心配し取り越し苦労することも、同じことかもしれません。

いま何事もなく 淡々と過ぎている時間というのは、 

何も起きていない ということではなく、

神様が全てを調整し、全ての出会い別れをセッティングし、

そのうえでそれがうまく動いているが故の、無事なことが起きているの連続、

かもしれないのです。

この奇跡の連続、とめどもない神様の恩寵の連続、これこそが、感謝の源泉です。

そのことに気づき、感謝することができれば、

宇宙からのサポートの100%を享受することができます。

正観さんは、これこそが、本当の感謝の本質と仰っています。

何かを頑張って、努力して手に入れることが感謝ではなくて、

今、穏やかに穏やかに暮らしていることが、本当の感謝の源なのだそうです。

悩み、苦しみの生活の中でも、

ふと穏やかな時が流れることもあるのではないでしょうか?

そんなひと時もあるのですから、「置かれた場所で咲きなさい」と言われるように、 

その環境の中で感謝の心を身につけることは、本当に大切なことではないかと思います。

何よりもご自身の幸せのために・・

ありがとうと言う感謝の心は、幸せになるために、どうしても必要な心です。


2025年11月19日水曜日

4081「絶対、なんとかなる!」2025.11.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月02日の記事を紹介します。


「絶対、なんとかなる!」


私たちは、生きている間、都合よく、良いことばかりが起きて、

不幸や悲しみを知らず、喜びの中で死を迎えたいと思っています。 

ですが、それが、本当に永遠の生命「魂」にとって、幸せなことでしょうか? 

あの世と、この世の価値観は逆転している、といわれています。

・この世での苦労

・報われなかった苦労

・誰にも尊敬されない仕事 

など、私たちは目にもくれないし、時には軽蔑したりしますが、 

あの世の価値観では、それこそが宝の山なのだそうです。

今日は斎藤一人さんの言葉をご紹介します。 

<引用開始> 引用元 

一人さんはね、昔から、こんなことをずっと考えていたんです。

天は、どういう人の味方をするんだろう?

神様は、どんな人間にチャンスをくれるんだろうか? って。

で、わかったんです。

いばっているヤツ、人のあげ足を取るヤツは、神様にも嫌われるよね。

反対に、心が豊かな人…優しい人とか、笑顔の素敵な人って、

神様にも周りの人にも好かれる。

だから私は、このルールに従って生きてきました。

そして、ものすごい成功を手にしたんだよね。

心の豊かさって、太陽みたいなもの。

陽の当たるほうは暖かくて、キラキラまぶしいから、

そっちへ向かっていけばいいんです。

例えば、東京から大阪に向かいながら北海道に着くことはないように、

明るくて暖かいほうへ進んで不幸になることはないんだ。

人をねたむとか、あせってイライラするとか、そういうのは貧しさの表れだよ。

心が貧しくなっているの。

貧しい心は、豊かな心とは真逆だから、現実にますます貧しくなってしまいます。

それよりも、人にいいことがあったら、「おめでとう」って言ってあげたり、

どんなに小さなことでも、今ある自分の幸せに感謝したり、

できることからすればいいんです。

心が豊かになれば、現実の豊かさもついてくるの。

だから苦しみは消えていくし、お金だってたくさん入ってくるようになるよ。

大丈夫、必ずなんとかなりますからね。

また、お子さんがいるかたは、いつもこんなメッセージを伝えてあげてください。

生きているといろんなことがあるけれど、なにが起きても、絶対なんとかなるからね。

心配しなくて大丈夫だよ

テストの点数が悪くてもいいの。

悲観することはありません。

本当ですかって、

じゃあお母さんが子どもの頃、

テストで100点ばっかり取っていたクラスメイトがどれだけ出世したか見てごら(笑)。

学校の成績がいいかどうかなんて、将来の幸せにはあまり関係がないんです。

もちろん、勉強が好きな子だったら、勉強が幸せにつながる場合もあるけれど、

勉強が嫌いな子に無理やりさせたって、よけい勉強が嫌いになるだけだよね。

人生はなんとかなるから、好きなことやりな。

親御さんがそう言ってあげると、子どもはキラキラ輝き始めるんです。

なんとかなるって信じてる子は、好きなことに夢中になれる。

罪悪感なしに、好きなことに没頭できるんだよね。

そうすると、好きなことでうまく人生を切り開いていっちゃうの。

すごく幸せな人生を送れるんです。

親御さん自身も、そういう姿勢をお子さんに見せてあげてください。

親の口癖が「なんとかなる」っていう家の子は、

絶対になんとかなると思えるようになります。

<引用終了>

一人さんが仰るには、

・心が豊かな人

・優しい人

・笑顔が素敵な人

・今ある小さな小さな幸せを、見つけ感謝する人

このような人は、だんだんと心が美しく、豊かになり

現実の豊かさもついてくるのだそうです。

人は時に、生まれる前に立てた計画の通り、

人生の半ばで、挫折や、苦労、悲しみ、苦しみ、憎しみ

そんなものを感じる出来事が起こるかもしれません。

ですが、何が起ころうと、絶対に大丈夫なように、運命は定められています。

生まれる前に、神様と立てた自分の人生設計に

「破滅の道」を組み込んで、生まれてくるわけがないからです。

そうであれば、嫌いなことを、無理やり、努力し続けてやるよりも、

自分の好きなこと、楽しいこと、心が喜ぶことを、

ニコニコ笑顔でして行くほうが、どんなに良いことでしょう。

人生で、苦しい時期もありますが、

その環境の中でも、神様を信じ、笑顔と感謝でいれば

きっと、人生の目的に合致した道が、必ず開けてくることでしょう。

その時になって、振り返ってみれば、

あの時の、あの苦しみ、悲しみの経験があったからこそ、

今の場所に立つことができたと。。

本当の意味での感謝の気持ちが沸き起こり、

苦労も、悲しみも、記憶のかなたに消えて行ってしまうことでしょう。

絶対、なんとかなる!

一人さんが仰ることは、きっと本当のことであり、私たちの心に、勇気を与え、

生きる希望をもたらしてくれるものだと思います。

どうか、お幸せに・・