2020年10月24日土曜日

2152「カルマ、新ステージへ」2020.10.23

 木の花ファミリーのいさどんさんの「ジイジのブログ 地球に生きるみんなへ ジイジからのメッセージ」から10月1日の記事を紹介します。

「カルマよ、ありがとう。私は次のステージへ行きます。

 これは、自我が生み出すカルマに翻弄され自らを見失っている人々へ、そのカルマを階段とし、新たなステージへ進むためのヒントとなるお話です。

 まず、自我とは何かについてお話ししましょう。
 遥か昔、神様(宇宙根源法則の成立)は完全なる自らの体を分けられ、その後、多種多様な生命をこの世界に生み出しました。そして、一つでは不完全な数多の生命が、互いにつながり、ひとつらなりの命となって生命の大循環を引き起こすことで、神様はそこに完全なる自らの姿を映しました。それは全てが神の意思のままに循環し、決して外れることのない、完璧な秩序の下にある美しい世界です。しかしその完璧な世界では、一つひとつの生命はただその一部としての機能を果たすだけで、全体を捉えて認識する能力のあるものがいませんでした。
 世界は、認識するものがいて初めて意味がある。
 認識するものがいなければ、そこにある意味もない。
 認識をするためには、そこから独立した意識を持ち、全体を俯瞰できる能力が必要です。そこで神様は、人間を地上に降ろしました。そして、この世界から自らを切り離して捉える自己認識能力、即ち、自我を与えたのです。

 しかし人間はその能力ゆえに、物理的にはこの世界の構成物のひとつであるにもかかわらず、意識だけがそこから分離し、世界を自らの思い通りにできるかのような錯覚を持ち始めました。物理的には世界の成り立ちの中にあり、世界とつながっている状態でありながら、意識だけが世界と連携しないのです。そして世界の実体とは関係なく、思考だけを膨らませるようになりました。物事を進める時に、まだ起きてもいないことを想像して心配している人がいるように、現実を見ることを怠り、実体とはかけ離れたところまで自らの思考を膨らませてしまうのです。しかし本来、エコノミーとエコロジー、即ち経済と自然が常に連携しているべきものであるように、思考と現実も、常に連結してあるべきものなのです
 冷静に物事を観れば、省エネになります。出来事に対して過剰に驚いたり、自らの体験を重ねて感情的になったりすると、余分なエネルギーを使うことになり、その過剰な表現の分だけ余分な行動や現象を起こします。それが現代の経済を膨らませ、自然のキャパを超えた人間の活動が際限なく広がっていることを、直視しなければなりません。それは世界の実体に沿っているのではなく、実体から離れた思考を膨らませ、その自らのつくり出したものに反応しているに過ぎないのです。それは人間の枠の中のことだけであり、今や自然界の生態系のキャパを超えたものとなっています。人間の行いが多くの矛盾を生み出し、未来に暗い影を落としている今、これからの人々は、もっと正しく自らの行いを直視していく必要があるのです。

 思考を膨らませるのは、世界の実体から離れ、全体を俯瞰して観ることができる能力にもつながります。それは本来、この世界を解明するための能力として与えられたものです。さらに、私たち人間は、思考の奥に思念というものを持ち合わせています。では、思考と思念の違いとは何でしょうか。
 思考は、自我から生まれるものです。それは、思い、考えるものであり、自我が巡ることにより膨らみ、形成されていくものです。
 これに対し、思念とは、私たちが生命である人として成立する上での原点にある真我から湧き出すものです。それは、大本のひとつから分かれ単独で肉体を与えられた私たち人間が、その大本のことを忘れないための、私たちの中に内在するチャンネルのことです。それは自我によって思い巡らせるものではなく、宇宙を運営する大本の源泉へ思いを発することで、自らの内から湧き出してくるものであり、それによって私たちはその源泉へアクセスすることが可能となるのです。
 そこへつながると、宇宙の根本秩序が常にもたらされ、それが柱となり、自我に翻弄されることはなくなります。人間はこの現象世界に居ながらにして、その大本にアクセスする思念を常に持ち合わせて生きるものなのです。しかし現代を生きる人々は、そういった人間の最も重要な立ち位置を維持するための能力の使い道を誤り、生まれてきた目的を見失っています。そして日々の中で大本へと意識を向けることを忘れているから、自我が暴走するのです。

 では、思考の役割は何かと言うと、それは人間が思念に立ち返るためのガイドです。思考を巡らせ、探って探って探っていくことで、ある時ふっと思念が湧き出します。その時に人は、「ああ、そういうことは考えるのではなく、ただ意識を向けて発すれば返ってくるのだ」ということに気付くのです。それが、生きることを「いただく」ということです。そして最終的には私たちは大いなるものと一体であるというところに辿り着くために、思考は私たち人間が自らを導くためのガイドとなるのです。
 人間以外の生命は、思考する能力を持ちません。本能という、大本の秩序と直結するものだけで生きているので、人間のように余計な旅をしないのです。つまり、それだけ自我が少ないということですから、大本の仕組みから自由に独立した状態で、全体を俯瞰して捉えることもできないということになります。それは大本の側にいるものであり、その場合、そこから分離して、大本と対向発生するという形が取れないのです。

 神様はこの世界に自らの姿を表現し、その自らと対向するものの視点を通し、自らを認識できるようにしました。自らの側にいるものばかりでは、その自らの姿を認識することはできない。ですから神様は、自我を持つものとして、人間を地上に降ろしたのです。
 大本と直結している人間以外の生命は、例えば微生物のように無数に存在するものでも、個々がバラバラに働くのではなく、秩序をもってまるで全体がひとつの生き物であるかのように仕事をします。微生物から宇宙の星々に至るまで、個々に分かれた無数の存在の一つひとつに宇宙の大本の柱が立ち、全体が同じ秩序の下にネットワークを築いているのです。
  人間には、大本とつながることで、そのネットワークの中で自らに与えられたポジションをしっかりと担い、役割を果たすための気付きが常に与えられています。ところが近代になると、人間たちはそのことを忘れ、日々の中でまったく大本に意識を向けなくなり、自我が暴走し始めました。そして自我から湧き出す思いに囚われ、余分なことを起こすようになったのです。

 自我というものは、現実の損得に関係なく、その状態に自らを保っておきたいという奇妙な願望の元に、自身を凝り固まった状態で固定しようとします。今の状態でい続けようとする自分が、もっと自由であるはずの自分の動きを止めてしまうのです。そこから次の段階へ進むためには、自我から自らを開放することが必要ですが、その次の段階へ進もうとすると、自我は意志を持ち、自らが次の段階へ行くことを阻止するのです。
 そこには、真我とは別の、囚われのかたまりが存在しています。それは、自身のカルマが成長し、人格を持ったようなものであり、本来は個性であるものが、癖・性分として凝り固まり、コントロールを失った状態です。人間が自我を持ち、自我の暴走による自己コントロールを失った状態では、それが長年のうちにこびりついてかたまりのようになるのです。そしてそのカルマが人間から学習して自我を持ち、囚われのかたまりとなって人格を形成するのです。それは、生きている状態ならば生霊になります。そして仮に人間が昇天してもカルマだけが独り歩きし、存在を保ったまま、うようよと辺りを漂うようになるのです。それはまるでウィルスのように、生きている人間たちを汚染していきます。そういった存在が実際にいることを、私たちは知らなければなりません。

 自らの人格がカルマを持つことにより、それがこびりついて、カルマそのものとしての人格を形成する。それが、自らの本来の美しい状態である真我と対等の存在となり、どちらを選ぶか、あなたに選択肢を迫るようなものとなります。その時に、あなたは主導権をどちらに託すのか。
 カルマの人格に飲み込まれないためには、この世界の成り立ちを良く知り、大本に意識を向けることで自らの中心に一本の柱を立て、しっかりとした立ち位置を持つことです。現代社会に生きる人々の多くが、本来の人としての立ち位置を忘れ、その人々が創る社会や地球規模の矛盾が溢れている現実を観ればわかるように、この世界を創造した神様の意思を忘れれば、柱のない邪に流れることとなり、カルマが創り出した人格に取り込まれ、こういった現象に出会うことになるのです。
 私は人に語りかける時に、カルマの人格ではなく、真我に向かって語りかけます。なぜならカルマの人格に語りかけたとしても、それは聞く耳を持たないからです。ですから、本来の聖なる人間としての真我へ向かい、目覚めるように語りかけます。そして内なる真我が目覚め、自らにこびりついたカルマと対峙した時、その人は自らの力でそれを切り離す作業を進めていくのです。
 しかしその切り離された、人格化したカルマにも、癒しを与える必要があります。なぜならば、それもあなたを代表する人格であったからです。

 ガンが現れるのは、そこにガンが現れるべき理由があるからです。それをただ「これは要らないものだ」と切り捨て、正常な体に戻れば良しとするのが、現代の医療です。しかしガンが現れるには、私たちの側に何かしらの原因があり、ガンはそれを伝えるためのメッセンジャーとしての役割を果たしたのですから、切り取られたガンにも「ガンさん、ありがとう。ご苦労様」と言って、ガン供養をする必要があります
 それと同じように、カルマに対しても、カルマ供養をする必要があります。カルマにはカルマの発生した理由があり、カルマはカルマのように、自らへの自我的執着を形成したのです。それを解体して収めてあげるためには、「役割ありがとう、ご苦労様」と言って、その存在の意味を認めてあげることです。そうすると、カルマはスルスルと解けていきます。
 人間は、人生の中でカルマと対向発生することで現象化を起こし、役割を果たしています。カルマと対向発生するということは、そこに何かしらの目的があるということです。その目的を現象化し、役割を果たした時に、優れた人格は切り離したカルマへ「ありがとう」と伝え、自らが美しいものとなり次のステージを迎えるのです。カルマも、必要なものとして存在していたのです。

 視野を広げてみれば、この世界の政治にしても経済にしても、これまであったものはすべて、時代の要請により発生し、人間の歩みと共に、その仕組みが表現されてきたのです。そして時代の要請により、人間が次のステージへと進む段階を迎えた今、私たちはこれまでの仕組みに「ありがとう」と言って、それを供養する。そうして初めて、次の仕組みへと意識が向かうのです。その心に目覚めた人々が、これからの新しい時代を進めていってくれることでしょう。
 こういった次のステージへ向かうための話を聞く時に、カルマは自身が崩壊しないよう、その話を自らが受け入れられる情報だけにしてしまいます。すべてを受け入れては自身が崩壊してしまうから、まず自らを守ろうとするのです。つまり、次のステージへと行かないようにするのです。それが自我です。
 だからこそこういった仕組みを学び、自我ではなく真我を育て、真我が自我にメスを入れられるようにするのです。そして手放したカルマに向かい、「カルマよ、ありがとう」と慰め、これまでの自分に「ご苦労さま。私は次のステージへ行くからね」と言って、新たなステージへと上がるのです。
 そうすると、カルマは捨てられたのではなく、その人間が上へ登っていくための階段になります。その人間が成長し、進化していく物語の中に組み込まれるのですから、捨てられたものではなくなるのです。こうしてカルマも納得し、新たなステージへの踏み台となるのです。
 そのようにして人生を歩み、振り返ってみると、「ああ、いろんなことがあって、いろんなカルマを通してここまで来たんだな」と、みんなを認められるようになります。それは、カルマの階段です。今のカルマに役割を果たしてもらい、それが、次のステージへ上がるための一歩となるのです。
 カルマよ、ありがとう。」
https://jiiji-konohanafamily.org/2020/10/01/thankyou-karma/

2020年10月21日水曜日

2151「神様は見捨てない」2020.10.21

 毎日、秋晴れの心地良い朝を迎えられています。ありがたいことです。私の朝の日課の1つは、目覚め直後、床の中で諸々をして過ごし、朝風呂です。長湯の後、調度品の石達と植物に水を噴霧して、朝日を浴び冷気の中で暫し横になり過ごします。至福のひと時です。
 さて最近、遭遇した記事を紹介します。

「私は神様に見捨てられた
 私は、過去に取り返しのつかないことをしてしまった。今はその償いの人生を送っている。
その様な人々に対し、私は こう思います。なんて謙虚な人!
 イエスは、そういう人達こそ、喜び祝福されました。神様は、私たちが、どんな悪人だろうと、心がすさんでいようと、決して見捨てません。どうぞ下を見ていないで、自信を持って下さい。上を向いて下さい。私たちの内に居らっしゃる神様は、その奢らず、自分を低きものとする態度を祝福して下さっています。
 イエスは「山上の垂訓」の冒頭で このように言われました。


イエスの山上の垂訓
 心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
 この心の貧しい者とは虐げられ、病に伏し、投獄され、殺され、神の前に無であるような人々。心身ともに「貧しく」、それゆえに神にすがる以外の道がなく、神の前にへりくだる人々。そういう人々のことを「(霊において)貧しい人々」と言い、彼らこそ神の国に入る「光の子ら」と言いました。
またイエスの語ったたとえ話に「放蕩息子のたとえ」があります。
<引用開始>
放蕩息子のたとえ話
 ある父親に二人の息子がありました。ある日、次男坊は父親から遺産の分け前(生前分与)
を受け取って遠い国へと出ていってしています。そして、お金と自由を得た勢いで放蕩の限りを尽くし、とうとうすべてを失ってしまうのです。墜ちるところまで墜ちたとき、彼は初めて自分の過ちに気づきます。そして、合わせる顔がないと思いつつも、謝罪の気持ちと救いを求めて、かつて飛び出したお父さんの家に帰ってきたのでした。
 彼はどんなに叱られても仕方がないと思っていたでありましょう。しかし、父親は帰ってきた息子をしっかりと抱きしめて、「死んだ息子が生き返った」と喜んで、盛大な祝宴を開いてくれました。
 ところが、それを聞いた長男は釈然としない気持ちにかられます。自分は何年もお父さんの言うとおりに忠実に働いてきたけれど、あんな風に祝宴を開いてもらったことは一度もないことを思うと、怒りのようなものさえこみ上げてきます。
 この長男の様子を聞いた父親はすぐにとんで行き、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と、長男をいさめ、二人の息子が平等に父の愛を受けていることを教えたというのです。
<引用終了>

 このたとえ話に友人の宇宙塾の幹事のken2さんが、以前素晴らしい解釈をしていらっしゃいましたのでご紹介します。

 父とは神のたとえなのです。イエスは「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。それを「490回か」と数える人はいないでしょう。つまり、現実的には何度でも許しなさい。神はそういう存在だと言っているのです。
 だから、「神を内在してる人間も同じように許しなさい」という話でもあります。
「許し」はそれだけ重要なことなのです。でも、このたとえ話が示すことはそれだけではありません。昔はこの話はイマイチ理解できませんでした。まず、なぜ、こんなどうしようもない放蕩息子を無条件で迎え入れるだけでなく、お祝いまでするのか。そして、兄が納得できないのも当然ではないのか、と。
 その頃は、人生は善悪の積み重ねで善が上回ったら天国に入れると思っていたからです。
でも、それは違うようです。なぜなら、過去は関係ないのです。大事なのは今です。
 今どういう心でいるのかが問われているのです。今の自分は過去の積み重ね、という見方もあるでしょう。でも、実は時間などなく、今に過去も未来もたたみ込まれているだけで、
いつでも過去とは関係なく、新しい自分なのです。
 単に条件反射で過去と同じ反応をし、過去の記憶を元に判断してるので、そう思えないだけなのです。(という見方もできます)
 だから、いくら善人として一生を過ごしていても、死ぬ間際に誰かに裏切られ、恨みと憎しみの心のまま死んだとしたら、すぐに成仏はできないでしょう。地獄にいるような心境で亡くなれば、その心境にふさわしい世界を自分で創ってそこに囚われます。
 逆に、どんな極悪人であっても死ぬ間際に自分の人生を反省し、悪かったと心からおわびし、愛と奉仕の心で生きようと決意していれば、その心にあった世界に旅立ちます。
 もちろん、死後、自分の人生を全て振り返るとか、自分がやったことを相手の立場で体験するとかってこともあるかもしれませんが。なお、死後の世界の話に限りません。
 今までの自分は自我に振り回されていた、これからは神我に従って生きよう、と決意し、私は神だったのだ、と悟れば、過去に影響されることなく、愛と喜びと感謝の心で生きることができるのです。それはまさに生きながら天国にいるのと同じことです。
 弟の話は、悟りの体験で人生観が一変し、楽に幸せに生きられるようになる話でもあるのです。兄については、自分がいかに恵まれているか、どれだけ幸せなのかを振り返りなさい。他人と比較していては幸せになれません、という話でもあります。
 兄は食べ物に困ることも苦しむこともなかったのです。自分のことだけ考えたら十分幸せなのです。でも弟と比較したり、父の対応を批判したりしていては幸せにはなれません。
比較や批判は葛藤の元です。葛藤を手放さない限り、悟りの道には入れません。
<引用終了>

 私も同じように考えます。神様はどんなことでも「許す」存在です。自分の過ちに気付き、
それを悔いて新たな道に進もうと思った瞬間に、神様の光が差し込みます。
 逆に、恵まれた環境に置かれているのに、感謝することなく、それが当り前であると(上の例えの兄のように)生きていたら、いつかしっぺ返しがきます。
 逆境に置かれ、悩み苦しみ、そして涙して、それでも悔いて、前を向いて歩こうとする「心貧しきもの」である皆さま、まさに、天の国はあなた達の為に用意されています。


 勇気と希望をお持ち下さい。神様は決して見捨てません。自分の中の神様を信じてみてください。話しかけてみてください。どんなにお辛くても、ありがとうございますと、感謝の言葉を神さまにかけてみてください。感謝の心があるところにこそ、神様の恩寵が現れるのですから。
https://ameblo.jp/fukutyaipuku/entry-12631924738.html

2020年10月19日月曜日

2150「日月地鳥居」2020.10.19

 2020年10月17日は新月です。その新月の日、はせくらみゆきさんの仙台講演会でした。その日の午前10時からは伊達政宗を祀る青葉神社をみゆきさんと希望の皆さんと参拝をしました。生憎の冷たい雨でしたが50名ほどの方々が参集しありがたい時間を頂けました。



 仙台に住んでいて青葉神社の前は良く通るのですが本殿迄上るのは久しぶりでした。本殿への参道、手水場の右脇の草むらでみゆきさんからお話しがありました。

 今のコロナ騒ぎの中で起きる変化をどうしようと思っている場合ではない、全国ツアーで各地へ行こうと、開催2週間前に決めた。最初は仙台を予定していなかったが、私は支倉の名を頂いていて、支倉常長ご縁の仙台を外せないと思いここでも行う事に決めた。
 仙台は数霊で81で、光を現わしている地。そして今日は17日でイザナミの誕生した日です。この地から出陣する決意、生まれ変わりの決意で講演会、青葉神社参拝を催す事にした。この青葉神社は伊達家所縁の神社で、是まで10月3日に福岡の筥崎宮、4日に大阪の住吉大社を参拝してきて3か所目だ。
 宇宙の振動を受け、1万年前からの精神原理が日本にはあり、仮名の言葉に神名(かな)として込められている。宇宙に流れるエネルギーが碁盤の目の様に敷き詰められていた。しかし3000年前に封印された。
 精神原理と物質原理のバランスが整うまで封印したが、その封印を開くのは今だ。1人1人のエネルギーは葉となり、芽となり、花開く。色々な事があっても良い。全ては宇宙の贈り物で、全てがOKで、色々な感情もOKだ。
 それらが巌(いわお)となって次の望む周波数となる、その決意の会に成れば良いと思う。
 ここの青葉神社の宮司様は伊達家家臣の片倉小十郎の末裔で、震災後にここを訪れお会いした時に、片倉小十郎と支倉常長の400年振りの再会と喜んだ。
 後で片倉宮司様に311の震災の時のお話しをして頂きたいと思う。

 こんなお話しの後、皆さんと本殿で参拝をしました。
 片倉宮司からお話しを伺いました。311の時の事象です。神社の鳥居が外向きに倒れ結界が開き、鍵が掛かっていた木戸の扉が開いていた。これは誰が行ったのか?神様ではないのか、と直感したと言います。
 鳥居の再建を躊躇していたが、建てる事にした。向かって右手の柱には〇の中に小さな〇。左手の柱には〇の中に三日月の形。鳥居の横柱の中央に〇にその2つを合体した徴を記して作る事にしたそうです。
 〇は太陽を、三日月は月を、そして合体したものは地球を現わすもので、この3つの神々を現わすものとしたのです。日月地の根源神です。青葉神社は先ず、この3神を祀ることで再建されたのです。それから、口伝で多くの方々が参拝されるようになったとか。
 お話しを聞いて驚きと同時に今日、参拝できた事を幸運と思い、新たなご縁に感謝の気持ちでした。その日はその後は自由拝観となり、雨の中早めに神社を後にしました。午後からは講演会を仙台駅近くの会場でお聞きし、タイムリーな内容のお話しを伺いました。

 18日さわやかに目覚め、外は快晴の青空です。今日の予定の稲刈りは田んぼの水はけの状況が悪く中止が決まっていて、名取農場の農作業です。出かける前に青葉神社に行こうと思い、即行動です。
 鳥居の日月地の徴を見る事が出来ました。そして鳥居の中から南の市街地方面を見ると鳳凰の様な雲が鳥居の中にあるではありませんか。ありがたき事、出逢いに感謝です。









 この日月地鳥居について青葉神社のHPに以下の様に記してありました。

青葉神社の大鳥居の秘密:
地球•太陽•月を表現している神紋。
鳥居は天と地の響きを感じる目印:
一人一人が、内なる創造主であり、小宇宙。
大鳥居再建計画の際、神事に於いて、政宗公から伝わって来た思いを形にした神紋:
政宗公の思いとは…
 鳥居は要らぬ。これからの時代、神と人間の境は無くなっていくであろう…
 神人合一、神と人、共に歩む、横一列の関係。
 神社仏閣関係なく、全ての場所が聖地となっていく…
と言う内容が示されました。
 さらに以下、
もし、大鳥居を再建するなら、地深く、天高く伸びる光の門にして欲しいと… 伝わってきました。神社仏閣には、多くの神仏、肉体を持ってない存在も行き来し、人々同じく、交流を図っている場所の一つである。ここ青葉神社も同様に、地球だけではなく、宇宙からも神々が、行き来している。そのような存在の方々にも目印になるようなものを鳥居に刻んで欲しい。と、政宗公や多くの神々の思いを表現したのが、現在刻まれている神紋です。見た目は大鳥居。霊的には神門です。それぞれが、それぞれの感性で、大いなる大自然、宇宙の響を感じ取って頂ければ幸いです。

 そして農場に向かう参道の通町通を下る中で車のナンバー999に合い、程なくして333のナンバー、そして交差点を曲がる時に666のナンバーに遭遇したのです。369のミロクです。驚きの事象です。

 名取農場で農作業を終える頃の空にはこれまた見事な雲が現れて、自然の造形を見る事が出来ました。農場からの帰りには555のナンバーの車に遭遇です。意味深い日月地事象遭遇の2日間でした。


2020年10月16日金曜日

2149「満月・ハロウィン」2020.10.16

 明日10月17日は新月です。今年の10月は満月が2日と31日の2回あります。2日は「ハーベスト・ムーン」、31日は「ハンターズ・ムーン」と言われます。このように1か月の間に2回満月があるとき、その2回目の満月のことを「ブルームーン」と呼ぶそうです。欧米では「ブルームーンを見ると幸せになれる」という言い伝えもあるとか。そして10月31日はハロウィンなのです。それらのことに触れたものを紹介します。

「10月31日はハロウィンです。魑魅魍魎が跋扈しそうなこの日に満月となるのは18年か19年に一度で、それなりに珍しいそうです。何かの作為的な意図があるのか、2020年はそこに3つの名称が加わり、レア度が急上昇。
 一年の満月にはそれぞれ呼び名がありまして、今年10月1日の方を「ハーベスト・ムーン(収穫の月)」、31日の方は「ハンターズ・ムーン(狩人の月)」と言います。なんだか秋らしくて、いい響きですね。カバールが城でこれまで延々と繰り広げてきた子ども狩りパーティー(とその後の生贄悪魔崇拝儀式)、そして今年は形勢逆転でカバール側が文字通り狩られていっていることを考えなければ……えーと、まぁ一応、ぎりぎり風流です。
 そして今年10月のように、ひと月に2回満月がある場合、2度目の方を「ブルー・ムーン」と言います。特別に青く光るという意味ではなく、「珍しい出来事」という意味合いです。ブルービームでしょうか、ケムトレイルでしょうか、今年は本当に青く見せるのかもしれません。
 ただ火星は今月、10日間ほど地球に大接近するそうですが、逆に31日の満月は地球と最も離れてしまって小さく見えるので「マイクロ・ムーン」となります。
 小さい満月でも、大勢の人々が企業メディアに煽られて注目すると、カバールが最後のチャンスとばかりに生贄儀式なり、偽旗事件なりを目論見そうなので、ハロウィンまでに地下基地はしっかり撲滅して頂きたいです。」
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=254144

「ハロウィンといえば、2015年のハロウィンの日に、「ドクロ顔の小惑星」が地球に最接近したことがありました。2015年10月31日に地球に最接近した小惑星「2015 TB145」

スクリーム顔の小惑星、謎の星 KIC 8462852…

 この小惑星は地球には影響を与えず、通り過ぎましたが、その後も地球周辺を周回しているようで、2018年11月にも地球に接近したことが観測されています。
「ハロウィン」というのは、もともと、「純粋に悪意と破壊の祝日だった」ことをご存じでしょうか。それを知ったのは、2017年の米スミソニアンの記事でして、以下の記事でそれをご紹介しています。

かつて子どもと大人の戦争だったハロウィンはアメリカ当局と企業が発明したプロパガンダ語で丸く収まることに…投稿日:2017年10月31日
 ハロウィンは 2000年前にヨーロッパ北西部のケルト諸国で生まれたものですが、アメリカに伝わってからは、「子どもたちの大人と、そして権威に対しての無秩序な攻撃」となっていったことが歴史書に記されています。上の記事にあるスミソニアンの記事の一部をご紹介しますと、以下のような壮絶なものだったらしいのです。

「ハロウィンはすべて悪意で、そこに善意はなかった時代」より
 子どもたちのイタズラはエスカレートしていった。1887年には、礼拝堂の座席が糖蜜で覆われ、1888年にはパイプ爆弾が爆発、1891年には新しい家の壁が黒く塗りつぶされた。
1894年には、ワシントン DCで 200人の男の子たちが、路上電車に乗っている身なりのいい人たちを小麦粉の大袋で叩きのめした。
 その頃になると、ハロウィンには、子どもたちは火災警報器を鳴らし、店の窓に向けてレンガを投げつけ、校長の家に猥褻な絵を描いた。
 子どもたちは主に富裕層や大人、権威を徹底的に攻撃した。
 子どもたちは、それらにお金やお菓子をねだり、くれなければ「荒らすぞ」と脅した。
 大人たちの中に、子どもと戦い始める者たちも出てきた。20世紀初頭のアメリカの新聞には、わずか 11歳から 12歳の子どもに銃で発砲して応じた大人の話が書かれている。(smithsonianmag.com 2017/10/27)
 すごいでしょう。お菓子なんてのも、> くれなければ「荒らすぞ」と脅した。というものだったんですね(苦笑)。ハロウィンという日が「純粋な大人と子どもの戦争だった時代」があったことをスミソニアンで知りました。」

 果たして今年のハロウィンは如何なる事でしょうか。
 そして11月1日2日はメキシコでは、毎年は「死者の日」という祝日となっています。
一般的な説明では、
> 死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。
となっていますが、現実的にはこの2日間、メキシコの町々は「ガイコツだらけ」というようになります。そのメキシコで以下のような噴煙が見られたということで、SNS で話題となっていたようです。
今年は、新型コロナウイルスのこともあり、死者の日の祭りが通常通り行われるのかどうかわからないですが、メキシコの死者の日の少し前の 10月31日は、ハロウィンとなっていて、これもまた特にアメリカやヨーロッパで平年のようにおこなわれるのかどうかはわからないです。
10月7日 ドクロのような噴煙が撮影されたメキシコのポポカテペトル火山」

https://indeep.jp/searching-for-a-new-survival-in-a-new-era/

死者の日(ウィキペディアより)
 死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。祝祭はカトリックにおける諸聖人の日である11月1日と翌日2日に行われる。地域によっては、10月31日の晩も前夜祭として祝われる。
 市街地はマリーゴールドの香りに包まれ、公園には露店が立ち並ぶ。11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、供え物がチョコレートなどのお菓子からメスカルなどの酒に変わっていく。日本のお盆に近い位置付けであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴である。死を恐怖するのではなく、逆に死者とともに楽しく笑うというモチーフとなっている。
 墓地にも派手な装飾が施され、夜間にはバンドによる演奏なども行われる。カボチャを飾り仮装をしてパーティを行うなど、ハロウィンとも共通する点が多くあり、実際にルーツは近似している部分がある。
 メキシコにおいて、「死」は擬人化されることが多く、さまざまな呼称がある。生への隠喩につながる表現もある。
 メキシコでは2500-3000年前から、祖先のガイコツを身近に飾る習慣があった。また、死と生まれ変わりの象徴として、他者(多くの場合は敵)のガイコツもトロフィーの様に扱われていた。死者の日の祝祭は地域によって様々な形で生まれ伝承されてきた。
 中でも、アステカ族には冥府の女神ミクトランシワトルに捧げる祝祭があった。やがて、死者の貴婦人、カトリーナに捧げる祝祭へと形を変え、アステカ暦の9番目の月を祝うようになった。これは現在の8月前半にあたる。その後、スペインからの侵略を受け、カトリックの諸聖人の日と融合して今の形になっていった。
 カトリックの影響があるないに関わらず、世界中の国々に類似した習慣が残されている。



2020年10月14日水曜日

2148「日月地のリズム」2020.10.14

 実りの秋を迎えています。今年はコロナ騒ぎでいつもと違う感じですが、お天道様は変わらずに愛深きエネルギーを降り注いでくださっています。夜は特別な事が無いと早くに就寝し、眠りも深く、早くに目覚めますが、時計を見て1時11分とか3時33分とか数字の妙を楽しんでいます。目覚めの後はその日の事を計り、その時々の身体の声に従い過ごします。日に日に、朝日の登る時間が遅くなり、秋分を過ぎて冬至に向かって陽の気が減じて来ています。身体もそれに応じて変化している様です。それも又楽し、です。
 少し前の「ジジイのブログ 地球に生きるみんなへ ジイジからのメッセージ」の記事ですが紹介します。

「地球と月と太陽のリズムで生きる  2020年9月26日

 朝の閃きは、太陽が出る前、もしくは、太陽が出ると同時に湧き出します。太陽が沈んでいる時は、休みなさいということ。それは地球と月と太陽が刻むリズムであり、そこには陰陽の働きがあります。
 太陽が姿を現す朝は、活動の始まりの時です。自然に沿い、素直に思考を働かせなさい。     昼間は、その時に必要な生きるための活動を、流れに沿って行いなさい。
 その流れとは、地球と月と太陽が刻むリズムから生まれるもの。その流れに沿って活動をする時に、あまり遠くまでのスケジュールを立てると、流れから外れてでもスケジュール通りに進めようとする自我が働き、「いただく」心がなくなってしまいます。ですから、短いスタンスのスケジュールに則り、少しだけ長いスタンスの見通しを立てて生きていきましょう。常に結果をいただく精神であることが大切です。


 そして夜は、一日の活動の振り返りの時間を取りなさい。
 振り返りをしたら、次の日に向けての想いを自らに落とし、新たな姿勢に変えて休みなさい。
 常に新鮮な自分であるために、今日という段階では、今日のことを明日に繋げるような思考を持って一日を終え、充電期間である眠りにつくことで、不要な思考と必要な思考が整理されます。そして日の出と共に、新しい朝のスタートをいただくのです。

 そのスタートは前日までの思考に繋がるものですが、実は不要な思考は睡眠中に整理され、消えていなければなりません。前日までの不要な思考が次の日に残っているような人は、日々の生き方に執着があり、それが眠っている間に整理されるべき思いを残しているのです。ですから、その日のことはその日のうちにけじめをつけることが大切なのです。そのようなリズムを繰り返すことで、常に新鮮な朝を迎えましょう。それは、健康な人の一日の送り方の基本です。

 心身を病む人は特に、生活リズムの狂いから体に症状が現れるものです。ですから、地球と月と太陽のリズムに沿って生きましょう。生命である私たち人間の体の中には、そのリズムが眠っているのです。
 そのリズムが狂うと、自我の思考が暴走し、自然の流れを無視して生きることになります。思考が暴走すると夜に眠れなくなり、朝に起きられなくなるのです。」

https://jiiji-konohanafamily.org/2020/09/26/rhythm-of-universe/




2020年10月12日月曜日

2147「カオス」2020.10.12

  10月9日は塾長講座でしたが今必要な情報を皆さんと共有しましたが、電磁波環境の変化がもたらす健康問題、ひいては人間性、精神性の内容になりました。

 10,11日は塾長ツアーで西会津、新潟、山形と巡り充実した旅でした。皆さんも大満足頂き、塾長としても嬉しい限りです。学びの実践体験として塾長ツアーの目的も理解いただき、次回12月も楽しみです。太平洋側は雨の様でしたがツアー中はほぼ天候に恵まれ、ありがたき自然との共感を味わえました。

 今回のメインポイントの1つは新潟県胎内市の夏井の大波岩です。宿泊先のロイヤル胎内パークホテルから朝1番に訪れましたが、この巨石は何度対面しても不思議な自然の造形、妙、カオスを体験する時空間です。無数に織りなす曲線の象形、混沌として1個を成す、その存在はとてつもない万有引力、包含力を感じます。在りて或る大浪岩は朝日を燦燦と浴び、青空には三日月お月様が現れ、何とも言えない多層多重多次元を大波岩を通じて体感し味わいました。




 閑話休題。現実的なカオスの話題です。

 アメリカ大統領選挙を巡る混乱はコロナ騒ぎの中、混沌として来ています。アメリカ大統領選挙の結果如何で引き起こされる予測を述べている記事を紹介します。


カオスへの準備をしなさい Get Ready for Chaosdailyreckoning.com 2020/10/05

アメリカ大統領選挙日まで 1か月を切った。投票で勝利したほうは次の 4年間、あるいはさらに長く大統領にキャスティングされる。

そして、これは私たちアメリカ人の生涯で最も重要な選挙となる。

誇張のように聞こえるかもしれないが、そうではない。

トランプが勝った場合、彼は実際、ディープステート(影の政府というように呼ばれているもの)の人物たちを一掃するだろう。そして、規制と税金を削減し、アメリカのエネルギー独立を確保し、中東の平和を促進し、最終的にイラクとアフガニスタンでの何十年にも及ぶ戦争から米軍を帰国させるという仕事を終えることができるかもしれない。

バイデンが勝った場合は、税金の引き上げ、水圧破砕(フラッキング)の終了、グリーン・ニューディール政策(気候変動を考慮しての経済刺激策)、学校の授業の無償化、医療の無償化、そして、育児の無償化に進むだろう。(もちろん、これは本当に「無料」ではなく、より高い税金または、より多くのお金の印刷による多くの借金で支払われるだけではある)。

トランプ政権となった場合、中国からの分離が続き、アメリカを諜報し、私たちのアイデアを盗む中国の能力が縮小される。

バイデンが勝った場合、中国がアメリカの仕事と知的財産を搾取し、世界貿易機関と IMF への義務を騙して、中国はいつものビジネスに戻るだろう。


トランプとバイデンのポリシーの違いのリストはまだまだ数多くあるが、しかし、これらの違いは、ホワイトハウスのトランプとバイデンの最も重要な違いでさえない。

最も重要な違いは、結果に応じて「アメリカが 2つのまったく異なる道を歩む」ということなのだ。

その意味で、これは 1860年(エイブラハム・リンカーンが当選した米大統領選)以来最も重要な選挙といえる。リンカーンが勝利した場合、南北戦争に至る可能性が指摘されていた。

今日、アメリカの反政府勢力は南部の分離主義者ではない。彼らは自国のネオマルクス主義者、アナキスト、凶悪犯、グーンスクワッド等であり、アメリカの多くの都市で毎日暴動や略奪を行っている。


トランプが大統領選に勝った場合、選挙結果から 24時間以内に米国の各地の都市が炎上することが予想される。

バイデンが勝った場合、ネオマルクス主義者たちは、バーニー・サンダースとアレクサンドリア・オカシオ・コルテスと共にアジェンダの完全な実施を主張する。これには、より高い税金、より高い支出、より多くの規制、選挙人団の終結という形でのアメリカ統治の恒久的な変更と、上院での単一政党の支配が含まれる。

どちらがより悪いのだろうか。暴動、または左翼統治、この 2つの道は、どちらかが勝つことに依存する。


しかし、勝者がいない場合はどうなるだろう。

何百万もの票が郵送投票の形で投じられている。州のカウントシステムは、接近戦で数十万の投票をカウントしなければならなかった際に故障したことがある。投票用紙が数千万に達すると何が起きるかはわからないのだ。

ミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルベニア州などのスウィングステート(共和党・民主党の支持率が拮抗して選挙ごとに結果が違う州)の長官たちは、民主党の知事から結果を証明しないように命じられる。

弁護士による軍団は、投票時間の延長、郵送投票の湛水、および郵便投票、適時の郵送、適時の受領およびその他の手続きに関係なくすべての投票のカウントを要求する。

どちらの側も結果を認めない。それにより、選挙結果は数週間は不確実である可能性がある。その間、暴動は続くだろう。

そして、バイデンが勝った場合、彼は数ヶ月以上は大統領にならない可能性は十分にある。彼の認知機能低下は、おそらくアルツハイマー病または他の形態の認知症の結果であり、

すでに彼を見ている観察者たちには明らかなことになっている。


彼はトランプとの討論はうまくいったと思うが、アルツハイマー病は一直線に進まない。

バイデンが苦しんでいる認知機能低下のタイプは、継続的な認知の低下を示すものではなく、いわゆる「階段関数」的に下がっていく。

つまり、精神的能力が突然低下し、しばらく安定するか横ばい状態になり、その後再び低下する。改善することはないが、次の突然の低下が来るまでしばらくは安定しているように見える。

憲法修正第 25条 (大統領の承継の対処についての憲法)に基づいてバイデンを解任し、カマラ・ハリス(副大統領候補の女性上院議員)を大統領代行として任命するのは比較的簡単なことだ。これに続いて、バイデンによる正式な辞任が行われる可能性があり、その時点でハリスが大統領になる。

これは、カマラ・ハリスが来たる「ハリス政権」に言及した 9月12日と、ジョー・バイデンがキャンペーン・イベントで「ハリス・バイデン政権」に言及した 9月15日に再び示唆された。


不確実性は選挙のその日まで支配的だ。

投資家たちはこのこと自体は理解しているだろう。しかし、投資家たちが、あまりよく理解していないのは、「選挙後も不確実性が支配し続ける」ということだ。

トランプが勝った場合、抵抗勢力たちは黙っていない。彼らは法廷で選挙結果に異議を唱え、トランプの勝利の正当性を否定し、抵抗勢力たちの極端な方法がアメリカの都市を焼き尽くす。

バイデンが勝った場合、彼を舞台裏で操作している存在たちは、より高い税金を設定し、より多くの規制を設け、グリーン・ニューディール政策を実行し、そして、社会主義とグローバリストたちのアジェンダの他の要素の要求を前面に出す。

市場はこれらのいずれについても完全に予測はできていない。

また、反トランプの混乱のための市場の価格予想も想定されていない。そしてバイデンに押し付けられるであろうアジェンダによる価格予想も想定されていない。

市場はそれらに準備されていないかもしれないが、多くの人がカオスに向けて準備をするべきだ。

株式への投資を削減し、財務省証券と現金への配分の増加、およびゴールドへのポートフォリオ配分など、カオスに強い準備を始めるべきだ。



2020年10月9日金曜日

2146「リーダーシップの劣化」2020.10.9

 トランプさんが退院されましたが、次々と繰り広げられる展開は11月3日の大統領選挙に向けての事で、米国は予断を許さない様です。世界をリードしてきた米国のリーダーシップが次の新たな世界を作っていくのは確かです。果たしてトランプ再選でしょうか?
 藤原直哉さんの2020年9月30日「日本と世界にひとこと」で興味深いお話しを聞けましたので紹介します。

リーダーシップの劣化が生む現実
 コロナもありお粗末な事が色々と露見しているが、国の上の方があまりにもお粗末だ。お粗末な、リーダーシップの劣化が見られるが、その事に本人たちは気付いていない。
 リーダーシップとは、正しい事を正しく実行するのでなく、何が正しいかを決める事だ。そこにリーダーシップのダイナニズムがあり、その力は重大だ。
 人間性、歴史、宗教、直感力、社会科学、人文科学、芸術を知り、あらゆることの能力を総動員して、胆力、武力も使い行い、その能力が試されるのがリーダーシップだ。しかし今は、何が正しいかを決めるのではなく、正しく実行する事に移って行っている。
 独裁政権もかつてのヒットラー、ムッソリーニの様に異常な人で、新興宗教でも狂ったもので、まともな人で無く変な人がトップに出て来る。
 リーダーシップで評価される要素は、何も道がない所に、全く何も無い、海図のない所に道を作る事だ。出来上がったものを実行するのと違う。正しい決定をする時に人間力が必要で、正しく実行するのはその下で、狂った事を実行する時はまともな人はそこに入って来ない。

 中国共産党はまともな奴はいない。典型的に最後に見えるリーダーシップだ。日本の自公政権、財界もこの25年は同じだ。ジャパンハンドラーの影響など、金融も正しい事を決めていない。皆、おかしい。自分達に思惑がある奴らが決めている。
 戦前、戦中の英雄が戦後、全く消えてしまった。せいぜい乃木大将や東郷元帥位で、日中戦争以降で活躍した人は言われなくなり、禄でもない人達と言われる。多くの人は前線で死に、まともな人が残らなかった。
 若いリーダーにまともな人がいないで、能力の無い人が集まってやると第2次世界大戦の終わりの様になり、何も出来ないままに、国民、組織、国家が崩壊していく。ソ連の末期もひどいもので悲惨だった。ソ連の中枢の指令が下に通じていなかった。こうやって終わって行く。無能なリーダーが指令を出しても下の人は聞かず、実行せず終わる。奇妙な終わり方をする。チャイコフスキーの曲の終わりと違い、パタッと終わる様だ。そして誰もいなくなると言う印象だ。
 東ドイツの外務省のエリート官僚が体制崩壊後、極端な貧困生活にさいなまれているテレビ放映を見た。愚かなリーダーシップで崩壊して、この様な事になると思った。これがビューロクラシー、官僚制の崩壊だ。当時の日本も、私はアメリカにいて大丈夫かと言われた。
 ソ連の崩壊をみて官僚制は駄目だと思った。そして今度は日本が潰れるのかと思った。私も役所に勤めた事があり、役所はひどいと思っていた。今まさにそういう状態だ。
 医学雑誌のランセットの中で日本の健康医療専門家が日本政府に質問状を英文で出していたが、やんわりした表現だがきつい内容だ。果たして英文を読める政治家はいるのか。
今、世界は何を話題にしているのか知っているか?

 今時、安倍、菅政権に近づくのは100%思惑があり、まともな者でない。企業再生をする人もいるが、悪の巣窟だ。下ではこびへつらうやつがいるが、1番大切なのは外の風を入れ、中の環境を良くして掃除する事だ。中の権力闘争に巻き込まれたら駄目だ。とんでもない所に行ったら中を相手にしないで外を相手にしないと駄目だ。内部の腐敗と戦うには外からする。官僚にアジェンダを決められたら駄目だ。トランプはその点まともなリーダーシップだ。
 小泉政権、その前の森政権以降、政界、財界共に劣化して、次々と劣化してきた。現実を理解出来ずに外が怖くて、外の風を入れられない。恐いとは何事だ。大変だ、があっても何をするのかがリーダーだ。まるで幼児だ。そうして最後は誰もいなくなると言う事だ。
 リーダーシップが完全に劣化した時、その中で物事をさばける人はいなくなり、何も出来なくなる。少しでも再建出来そうという人がいないとしたら、そこは解散するしかない。帝国陸軍、海軍も100年持たなかった。
 自民党も大野伴睦、岸信介が作ったが、岸は満州の麻薬のお金で自民党を作っているので穢れている。アメリカとつるんで作ったものだ。自分だけ良い思いをしたいだけだ。それをまともにするのは難しい。経済も販路を切り開き苦労して道を切り開いて来た人達の事を忘れ、勝手な事をしている人が多い。その人たちは消費する事は出来ても何かを創造出来ない。
 彼らの頭の中の考えは逃げる事しかない。今の経済は追い詰められ、上手く行っていない事を感じている。そして何も出来ない。自分だけどう逃げるかと言う事だけだ。満州国の最後の時と同じだ。昭和19年に岸は財産を抱えて日本に帰って来た。関東軍のトップの将校たちも家族を引き連れ帰って来たが、その翌年20年に満州では悲劇が生まれた。

 どうしようもない所でなく、別な所から作るしかない。今必要なリーダーシップは何が正しいか決める事だ。経済再建の柱としてヨーロッパではデジタル化に並んで気候変動対策を上げている。それはコストでなく新しい経済の推進力でプラスの方向を取り入れようとしている。
 ブロックチェーンもしているが、その最大の敵はビューロクラシー、官僚制度だ。新しい絵図面を描ける人が必要で、図面を作れないと駄目だ。未来を作る、これからの方向性、自分自身もどうやって絵図面を作るかだ。そうでないと納得がいく行動が出来ない。
 その為に勉強をするしかない。それが大切だ。何が正しいか、自分で知ろうとして試行錯誤し、本当に自分の答えを出していくまで時間がかかるが、そこをくぐり抜けた人で無いとリーダーが出来ない。
 フォローアーも駄目だ。おどおどしてついていては駄目だ。今回は立て分けが為されるので、呉越同舟、清濁併せ持つで、皆を連れて行くのは難しい。各自の選択で、今回はシビアーだ。横型リーダーシップはシビアーで、各自がそれぞれで神と向き合う事で厳しい。しっかりとリーダーシップを考えて行かないと駄目だ。