2021年1月20日水曜日

2218「すごい父」2021.1.20

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月11日の記事を紹介します。


すごい父に拾われた

皆さんは、鎌田實さんをご存知ですか?

東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任し、30代で院長となり、潰れかけた病院を再生させた方です。「地域包括ケア」の先駆けを作り、長野県を長寿で医療費の安い地域へと導いた方です。

 


また特筆すべきことは、鎌田實さんは、主に心の在り方を中心に書籍やメディアに出演され、多くの人々に光をもたらしました。

今日は鎌田實さん自身が語った生い立ちをご紹介します。

<引用開始> 引用元 


 ぼくは拾われた子どもです。終戦5年目の1950年、生みの親が捨てた1歳のぼくを、亡き父、岩次郎がもらってくれた。37歳、諏訪中央病院の副院長だった時に、偶然、その事実を知りました。好きになるのに40年もかかったけれど、岩次郎という男の存在がぼくの核をなしています。 

 岩次郎は青森県花巻市(現・黒岩市)で貧農の末っ子として生まれ、小学校しか出ていない。18歳で上京し、公営バスなどの運転手で生計を立てます。バスの車掌だった母のふみと結婚しますが、居を構えた東京都杉並区の家は6畳二間と3畳、お勝手。はじめはお風呂もなかった。

 ぼくが小学校に上がる前、母が僧坊弁狭窄症(そうぼうべんきょうさくしょう)という 心臓病を患います。入退院を繰り返した先は、日本で唯一の心臓病専門病院だった、東京女子医大付属日本心臓血圧研究所(心研)でした。

《心研は55年に開設。51年に日本初の心臓手術を行った榊原仟(しげる)教授が所長を務めた。日本の心臓外科は黎明期だが、最先端の治療を求めて全国から患者が殺到し、榊原教授が大半を執刀した》

 50年代、往診こそ頼めても、貧しい人が高度な医療を受けるのは大変でした。国民皆保険になるのがぼくが中学生になる61年だし、もちろん高額療養制度もない。岩次郎は、朝8時から夜まで、長い日は1日15時間も働きます。切りつめても切りつめてもお金は母の治療費に消える。 疲れ切って帰り、夕食をつくれない夜は、ぼくを連れて近くの定食屋へ。

ぼくはいつも、おかずに一番安い野菜炒めを選びました。上京した同郷の苦学生を狭い家に置いてあげたりもした。

 でも、ぼくが運動会の徒競走や試験で一番になっても、岩次郎は決して褒めてくれない。全力を出し切っていないって見られた。だからこそ、旅券申請のために取り寄せた戸籍で、父親の欄に別の名前を見た時、衝撃だったんです。血のつながっていない岩次郎が、ぼくを育ててくれていた。 

心臓病の母を抱えた あの貧しい暮らしの中で、「拾ってやった」とか、恩着せがましい言葉を一度も口にせず。泣き言も言わず、弱音も吐かず。岩次郎は苦難から逃げなかった。 

苦しい時ほど、その苦しみを横に置いて、誰かのために生きようとした。がんばって、がんばって、全力投球で、最後は個人タクシーの運転手を70歳くらいまで務めました。

すごい人に拾われたって思います。12年前に亡くなった岩次郎は今も、ぼくの内側でどんどん大きくなっていくんです。

<引用終了>


 ここにも、神様のなさり方が顕著に出ています。後に、多くの人の心を救うことになる鎌田實さんさんの人間性は、貧困で苦しくとも、実直で、思いやりがあり、何事も投げ出さず、不平不満、愚痴を言うこともなく、まじめにコツコツと、家族のためだけに生きてきた頑固な父の姿から培われました。

神さまは、そのすべてを見越し、父を用意し、鎌田さんを縁で結び、血のつながりはなくとも、貧困、病気の家族という試練を与え、心を強くし、弱き者の心を感じる心をはぐくみ、

鎌田さんを世に出しました。

 


そして、その後、多くの人の心に明かりを灯すことをさせたのです。今、自分の置かれた環境それにも深い深い神様の配慮が込められています。

置かれた場所、その場所で、その環境の中で綺麗な花を咲かせて御覧なさいと。


2021年1月19日火曜日

2217「裏宇宙」2021.1.19

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月15日の記事を紹介します。


裏返しの宇宙

今日は、ブッダの教えてくださった、こだわればこだわるほど、執着すればするほど、

自分の望んでいることから遠ざかる・・というお話です。

 

先日、たまたまTVで『林先生が驚く初耳学!』で、高学歴でありながらも現在ニート生活を送っている「高学歴ニート」のお話がありました。そしてその結論が、ブッダの教えてくださったことと全く同じでした。

番組中、早稲田大学卒の31歳の男性が「好きな仕事じゃないと働きたくない。働かずにブログで食っていければ」と働く気はあるものの、やりたい仕事でないと働きたくないと話していました。

 それに対して林先生は

・やりたいこと(自分の好きなこと)

・できること(人から頼まれたこと)

のどちらを軸に、仕事を選択するかはとても重要。

 ご自分の長い人生経験から

「やりたいかどうかの軸で、考えるのを止めて、できることをやろうと思って予備校講師に徹した。その結果30年間上手く行かなかったことや、悩んだことは何一つない」

とおっしゃっていました。

 また、人から頼まれたテーマで執筆した本はベストセラーとなり、逆に、自分の好きなこと、書きたいことを書いた本は、まったく売れなかったとのこと

結論としては、自分の好きなことというものは、非常に環境に左右されやすく、ころころ変わるもの・・

それに対し、運命の流れに任せ人から頼まれたこと、今の自分にできることをコツコツやってきたことで、大きく運命が開けた・・・ とのことでした。

この会の反響は大きく、視聴率もかなり高かったとのこと。


それでは、ブッダのお話をご紹介します。

みなさん、「遠離一切顛倒夢想」(おんり いっさい てんどう むそう)という言葉聞いたことがありますか?般若心経の中に書いてある言葉です。

 意味は、普通の人が考える幸や不幸、損や得というものが、神さまや仏からはまったく逆さになって見える、ということです。それを、小林正観さんは、「宇宙は裏返し構造」と解説しました。

<引用開始>


 宇宙の仕組みは どうも裏返し構造、二重構造になっているみたいだ・・ということがわかってきました。

何か意気込んでやろうとしている人ほど、どうも宇宙が味方をしないようです。反対に 執着がない人ほど宇宙が味方をしたくなるようなのです。

 江戸時代 儲けだけを考えていた一部の商人は「商人には友達はいらない。同じ『と』の字でも 取引先がいるだけだ」と言っていましたそういうふうにしていると、お客様が遠のいていくようです


 営業の人が 営業成績を上げたいと思っているほど、ギラギラして、何か売りたいというものがほとばしっているため、友人が離れていきます。

 あるメーカーの営業所長をしている人がいました。その人は 夜になると毎日飲み歩いていたそうです。3年くらいしてその町に飲み仲間が数百人できました。

「しょっちゅう顔を見るけれど 何の仕事をしているの?」と聞かれてから 初めて 「○○社の営業所で働いている」という話をしたそうです。

その人は 毎日飲んでいるだけで車の営業はしなかったようですが、何と営業所でずっと売上ナンバーワンで年収が一億を超えていました。友人や知人に対して「車を買ってほしい」と頼んだことは一度もないそうですが、翌日会社に出勤すると、車を買いたいという電話がかかってきたそうです。結局、売ろう売ろうと思っていると、ギラギラしたものが相手に伝わってしまい、買いたいと思われないようなのです。


 ある保険会社が車につけているお守りの数と事故率の関係を調べました。

お守りゼロ個の事故率 1個 2個~10個10個以上 というように調べたところ交通安全のお守りの数が多ければ多いほど事故率が上がっていることが判明しました。

一番多かったのは 11個以上でした。もしかすると たくさんのお守りをフロントガラスにぶらさげていて前が見えにくいということも関係しているかもしれません。

 こだわればこだわるほど、執着すればするほど、自分の望んでいることから遠ざかるようです。

<引用終了>


 頑張って頑張って、努力を重ねて何かを得ようとしても、それは、その思いの強さに比例して、どんどん逃げて行ってしまうようです。

この宇宙は、

・与えられた運命や、

・自分の周りに起こって来る出来事、

・人との出会いや別れ、

それらの現象に振り回され執着し、自分の力で何とかしようとしても、うまくいかないようにできているようです(ブッダが悟った縁起の法則) 

 それよりも、それらの起きて来た事象をまるごと受け入れて、出会ってくれた人、役目が終わり離れて行った人に感謝して、今 目の前の事、今 目の前の人に対し、愛と 誠意と 感謝を持って接して行った方が、神さまの意に叶い、どんどん運命が好転して行くようです。

 

これは以前お話した 「緩やかに生きる」 で書いた通り、神様に感謝をして、「お任せする」という生き方と同じです。

・何かしなくては、

・睡眠を削ってでも努力しなくては、

・勝ち続けなければ、

・もう時間が無い。

・もしかしたら手遅れかも

などと、焦る必要はありません。

 神様が起こして下さる、私達の身に起こ事象(現象、モノ)は、常にベストなタイミングで起こってきます。

 もし、何かに間に合わなかったら、それは今の自分にとって必要のなかった事だからです。

もしかしたら、間に合わなかったことにより、必要な人と出会ったかもしれません。

必要な気付きがあったかもしれません。運命と言うものは、その様に流れています。いえ神様がその様な流れを作って下さっています。

それは全て、私達がその流れに乗って、ムリをせず流れて行った先で、必要な人やモノと出会い、必要な気付きを得るためです。

 何のために、そんなことが起こされるかと言えば、神様の目的はただ一つです。

その経験を通じ、私達の魂をピュアにするためです。そのため、その経験には、楽しい事、嬉しい事ばかりではありません。それと同じ量だけ、哀しい事、辛いことも起こります。

ブッダが般若心経で教えてくれているように、目の前に起こる現象に一喜一憂せず、全てをまるごと受け入れて、いつも見守って下さっている、私達の内なる神様を信頼して、安心して人生を全うしたいものですね。


全ての出来事は、良い方向にしか向かっていないのですから。神さまは決して私たちに不幸を与えません。幸運は不幸の顔をしてやってきます。


2021年1月18日月曜日

2216「分かれ道」2021.1.18

 米国では時代の分水嶺が現象化されています。想像だにしない真実の露見と、その1厘の神仕組みが発せられています。混乱に飲まれるか、次のステージを見据えて身軽に気楽に波乗りを楽しんで行くのかの大きな分かれ道です。これまでの精神的な学び、日々の行いの中で培われた人間性、日本人としての遺伝子が起動するポイントの様です。興味津々、世紀の大劇場を見守りたいと思います。

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月14日の記事を紹介します。


分かれ道


今日は以前お会いした聖者のお話です。上江洲義秀さんです。

上江洲義秀さんは、既に悟られており、自分の内なる神様と、一体となっています。

もちろん自慢したり、いばったりする方ではないので、ご自分では、そんなことは言いませんが、これを周りから見ると覚醒者・聖者であると見えるわけです。

<引用・加筆開始>


 2千年前にイエスは、はっきり説きました。やがて、幕が二つに引き裂かれる時が来るだろう、と。その意味は、私たち人類が進む道で、人々の心の状態によって、道が2つに分かれてしまう。そして一旦別れたら、二度と交わることがない。そんな意味のようです。

日々この地球で生かされ、生活して行くなかで 人の非難、批判ばかりして、目に見える現象(出来事)という結果に振り回され、落ちていく者(体主霊従)となるのか?

 或いは物事の裏に隠された神様の働きを見て、徹底してその神様に集中し、神様そのものを実感し、私達の本質が神様である(霊主体従)と知り、その無限の英知、力を手に入れるのか?

 それが幕が二つに引き裂かれるという意味です。

 私達の一瞬一瞬の生き方、生活がその実践の場である事を知って下さい。お金、物質、自分だけが・・・と言う醜い欲望に凝り固まって苦しみながら生きる者となるか?

常に愛そのものとして、神様を感じ、無限の至福、喜びの中に生きるか?

選択はあなた方次第です。今、ちょうど私達はそこに、その分かれ道に立っているということを知って下さい。

<引用終了>


 厳しいお話ですね。良く聞く「2極化が進んでいる」と言うのと同じ意味です。


日月神示の神示読んで、タマ早う掃除せよ。世の建替と申すのは、身魂の建替ざから取り違ひせん様致されよ。誰によらず改心(洗心)せねばならんぞ。

立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬよ

うに洗濯することぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。

立て直しと申すのは、世の元の大神様の、御心のままにすることぞ。

御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威輝く御世とすることぞ。 


と同じ意味かもしれません。

ですが、上江洲義秀さんも、ヒマラヤの聖者たちも、「こうしなければならない」など決して言いません。神様の恩寵により、私達全てに「自由意思」が与えられているからです。

・どちらを選ぶのも自由、

・どの順序を選ぼうが自由 

時間の長短はあっても、結果的には、最終的には、到達する精神的な場所(神々の住まうところ)は同じなのですから。


さて、イエスは、どのような気持ちで、この言葉を言ったのでしょうか?

幕が二つに引き裂かれるそのそれぞれ二つの方向に待ち受ける状況とは何か?

ですが、どうぞ心配なさらないでください。神様は、私たちが選ぶどちらの側にも必ず居らっしゃいます。悲観する必要はありません。進む道を選ぶのは、私達自身です。

分岐して分れてしまった世界。それは、どういう世界かと言えば、同じ場所、時間に暮らしていても、それぞれの振動数が、かけ離れてしまうため、全く別の次元に暮らしているということ。

もう観ることも触れることも、相手の存在の記憶さえなくなります。一見悲しいことに見えますが、それは、それぞれの人が自ら、自分の好きな世界、類は友を呼ぶ、同じ波長の世界に進んで行った結果です。

またそれは、同じく地球についても起こると言われています。

今までのように

・自分さえ良ければ、他人の心など踏みにじってもよい

・人を蹴落としてでも上に立とう

・地位、名誉、資産をとことん増やそう

・誰か、力のある人に、依存して従っていれば良い

そのような世界に固執し、人の心を無視し、物や他人に依存し、執着し続けるのか、それとも、ご自分の心の中の仏性に気付き、他人の心の中にも仏性を見出し、お互いを尊重し、助け合い、認め合い、高め合って行く、そんな、関係性に昇華させていくか、それによって道は大きく分かれて行きます。

できれば、お互いを尊重し、助け合い、認め合い、高め合って行く世界に進んで行きたいものですね。

 

もうミロクの時代もスタートを切りました。世の中も精神性の復活の方向に急速に動いています。私たちの行く先は、私たち自身の心が決めることです。決して他人が判断し、決めてくれることではありません。

あなたは、どちらの世界を目指しますか?どちらの世界が居心地が良いですか?



2021年1月17日日曜日

2215「母子の絆」2021.1.17

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月13日の記事を紹介します。


母と子の絆

子供の虐待、育児放棄など、子供にまつわる悲しい事件が多く起きています。家族は、人間関係を通じ、魂を磨くために神様が作ってくださった基本となる最小の単位です。

そこの部分を大切にすることで、私たちの魂は磨かれ、輝きを増していきます。

今日は小林多喜二のお話をご紹介します。以前書いたこともあったのですが、別の切り口でご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

昭和の初め頃、小林多喜二という人がいました。「蟹工船」という小説を書いた作家です。

この小説は、蟹工船つまり蟹の缶詰を作る船の中で働いてる女性たちが、もう本当に低賃金でお金をそんなにもらわないで、そして労働が激しい。  

その様子を小林多喜二は、あまりにも可愛そうだからと小説に書きました。ところが何か国を批判したと何かで、とんでもないことになって小林多喜二は警察に捕らえられてしまいました。東京の築地署というところの監獄に入ってしまいました。

ほかにも何かあったのでしょうけど、とにかくそれが理由で彼は監獄に入りました。 頭は剃られ、いつも竹刀で打たれ、大変毎日毎日苦しい生活を強いられました。

ところが小林多喜二を指導していた憲兵・警察の人が「もうそろそろ命がこいつは無いだろう、もうすぐ死んでしまうのだから、最後にお母さんだけ面会を許そうではないか」という事になりました。


お母さんは北海道の小樽です。当時は2月で雪が寒む寒むと降りしきる小樽でお母さんは一人で生活をしていました。お父さんはいないのです。一人息子の小林多喜二は東京の築地署に連れて行かれお母さんは、一人で雪の中で生活していました。そこへ築地署から一枚の手紙がやってきました。

「3日後11時から5分間面会を許す、5分でよかったら出頭しなさい」という手紙をもらいました。

多喜二のお母さんは、この手紙をもらったとたんにまず「ああ多喜二に会える」五分間でも1分でもいい一目だけでも多喜二に逢いたい。ところがお金が全然無いんですね。それから雪の中を駆けずり回って、その手紙を一枚持って多喜二に会えるんだから、どうか行きかえりの汽車賃だけ貸してくださいと。

そしてやっとのことで東京に行って帰れるだけの汽車賃を借りることができました。その晩に雪の小樽を出発します。一人で今みたいに新幹線があるとか連絡船が便利だとかないんです。全部各駅停車ですから雪が降ると止まってしまうんですから、そうするとですね雪の中をお母さんは、ホームに飛び出して駅長さんに前の駅に汽車が止まっているか聞き、駅長さんが電話で確認して「おばあちゃん前の駅に汽車が止まっているよ」というと、雪の降る線路の中を真夜中に一人で歩き出したんです。

みんなで「お母さんだめだよこんな真っ暗ななか一人で行けないよ」と言っても「多喜二に会えないから、11時1分過ぎてももうダメだから、多喜二に会えないから」といって雪の中を一駅一駅つないだっていうんですから。


そうしてやっとのことで10時半に東京の築地署に着きました。何も飲まず喰わずです。さあその姿を見た警察官・憲兵は、あまりにの酷さに同情したんですね。そうして練炭火鉢を持っていって「お母さん寒いでしょうあたりなさいよ」と、そうしたらお母さんが「いや多喜二はあたってないからいい」と言って、せっかくのその小さな練炭火鉢を面会所の脇へ置いてしまいます。

それから今度は、その警官が朝食で食べ残したうどんを温めて「お母さん何も食べてないんでしょ食べなさい」って言ったら「多喜二は食べてないからいいです」と言って、そのうどんも練炭火鉢の横に置いてしまいました。そうしてひたすら鉄格子にすがって多喜二が来るのを待っていました。 


11時ぴったりに多喜二が憲兵に連れられてきました。お母さんの顔を見るなり多喜二は「お母さんごめんなさい」と言ったきり、わぁ~と泣いてコンクリートに額をつけて上げない。お母さんも着いたとたんにごめんなさいと頭をさげたから多喜二かどうかわからない。

頭は剃ってるし目はさけ口はさけてるしの状態でしたから、そうしてたった5分の面会が1分たち2分たち3分たったときに憲兵が飛んできました。

 「お母さんあと2分ですよ、なんか言ってやって下さい」と。

そうして二人の警官と刑事が多喜二の耳をもって、「こらお母さんだ見ろ」と、顔をくっと上げました。その多喜二の顔を見てお母さんがなんと言ったと思いますか? 

「多喜二かぁ?」と言ったんです。「多喜二かぁ?」と2回言ったんです。

自分の子供がどうかわからない、顔が変わってしまってる。

そしたら多喜二が「はい多喜二です」と言います。

そうしたら後残った1分30秒、多喜二のお母さんは何と言ったと思いますか?

鉄格子にすがりながら「多喜二お前の書いたものは間違っておらんぞ」

多喜二は間違っていたから逮捕されているのです。多喜二のお母さんは文字が読めないんですよ。一行も多喜二の小説は読んだことがない。しかも憲兵警察が悪者として捕らえられているんです。

しかし多喜二のお母さんは「お前の書いたものは間違っとらん。お母さんはお前を信じとるよ」この言葉を残った時間1分数秒言い続けて、雪の小樽へ帰りました。


多喜二は、その三週間後に、この世を去ります。最後に憲兵が竹刀を振り上げて打とうとした時に、しきりに右手を上げて震えてる、なんか言いたいだけども言葉にならない。 

そこで他の人が水を持って「一杯飲んで言いたいことがあったら言え」と言いました。

そうしたら多喜二がその一杯のコップの水をぐーっと飲み干して

「待ってください待ってください。私はもうあなたの竹刀をうけなくても死にます。

あなた方はこの3ヶ月私を地獄へ落とそう地獄へ落とそうと私をたたき、私をののしってきたけれども、わたしは決して地獄へは落ちません。

なぜならば昔から母に信じられた男、母に信じられた子供は必ず天国へいくという言い伝えがあります。

私のお母さんは、わざわざ5分間の面会のために雪の中を小樽から東京までやってきて、

文字が読めない私の小説を一行も読んでいない母親が、おまえを信じてくれると私を信じてくれると、私はどんなことがあっても天国へいきます」

と言い残してぱたっと命を落とします。


みなさんお母さんの愛は偉大です。お母さんの愛は無条件です。子供が悪くてもお母さんだけは信じてる。小林多喜二はその他のところで「僕の母は僕の太陽だった」と書いているんです。

素晴らしいことですね。わたしたちは今こうやって生きてますけどね、この命は36億年も前からずっと続いているんですよ。私達の身体をそうやって何十億年産み続けてきたから僕達がいるんですよ。 

お母さんという役目はすごいんです。君達の個人的なお母さんだけじゃなく、ずっーと命を続けてきたお母さん(女性)に感謝の気持ちを常に持たないといけないと思うんです!!

<引用終了> 


母性に満ちた、母の力は偉大ですね。もし皆さんに、夫や、妻がいられましたら、お互いを敬う言葉を掛けて差し上げて下さい。夫婦が尊敬しあい、いたわりあえば、きっと子供たちも健全に育ちます。そして多喜二のように、胸に輝く太陽を抱き、しっかりと自分自身を確立していくことが出来ますから。



2021年1月16日土曜日

2214「好意」2021.1.16

 今回も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月12日の記事を紹介します。


好意の返報性

沢山の人々が、普段の生活の中で、心無い、「悪口・陰口」に苦しめられているようです。

逆の言い方をすれば、もし、それを乗り越えることができれば、相当、魂の洗濯が進むということになります。そうなれば、ご自身だけでなく、身近な周りの方々にも幸せや笑顔のおすそ分けができるようになります。

 私も、もうずいぶん前から実践していますがよく記事でご紹介しているブッダの方法は、

凄い効き目があります。ぜひ試してみてください。

 それは、悪口や陰口を聞いても

・すぐに忘れるようにすること

・根に持たない

・考えない

・良い所を見つけるようにする

とすることで、 悪しき「悪口・陰口」に、それ以上、エネルギーを与えなくなります。

・エネルギーを与えられない物、

・意識を向けられない物は

放っておいても、消滅する運命です。良きところに目を向け、そこに意識を移すことは、

その良きことにエネルギーを与えることになります。

 エネルギーの法則から、その人は、「良き人」、「味方」にいつの間にか変わってしまいます。そんなことも、ここ地球だからこそ、経験し、実験し、学ぶことができます。学びの最中は、辛く苦しいこともあるのですが、実際に渦中の入ることで、よりしっかりとした知恵となり、魂に刻み付け死を超えて持ち帰ることができます。魂の仲間たちとの共有の財産になります。

 それでは、今日は逆のパターンについて書きたいと思います。

 

テーマは「好意の返報性」です。

これは与えたものが受け取るものという宇宙の大原則を人間の「好意」についてみたものです。これも非常に、普遍的、かつ現実的で速攻で効果が出てくるものです。もし人間関係でお悩みの人がいらしたら、是非試してみてください。

 精神科医・作家、樺沢紫苑さんのお話です。

<引用開始> 引用元


以前、私はある病院で認知症専門外来をやっていました。この外来は、通称「もの忘れ外来」と呼ばれているところで「最近、もの忘れが進んできたのですが」という方が来られるほか、認知症患者の介護をしている家族も相談に訪れます。

 介護に抵抗したり、興奮したりする認知症の患者さんの介護は、想像を絶するほど苦しいものです。その介護が今後何年続くかわからないという不安もあります。

 

認知症のお舅さんを介護しているお嫁さんから、相談を受けました。

いくら介護をしても、悪口や嫌味、悪態ばかり。黙って介護されていればなんとか頑張れるものの、精神的にも限界だと。そこで私は彼女に

「そんなあなたの、介護したくない という気持ちが、お舅さんに伝わっているのではないでしょうか?」と質問しました。

彼女は無言になってしまいました。

介護でも「返報性の法則」は存在します。 イヤイヤ介護していると、それは介護される側にすべて筒抜けになります。

 結果として、それが介護への抵抗、悪口や悪態、興奮や暴力など、「悪意の返報性」として返ってくるのです。介護する人が心から明るい気持ちで介護していると、介護される側も

明るい気持ちになって、気持ちよく介護を受けてくれるのです。

そこで、彼女にアドバイスしました。1週間だけでいいので、「お舅さんと初めて会った」

と思い込んで心の中を空っぽにしてください。そして、心を込めて、献身的に、笑顔で介護してください。

 彼女は最初「そんなことはできません!」と否定的な態度を示していましたが、「1週間で、必ず相手の態度は変わります」と私が断言したのを聞いて、「それなら、なんとかやってみます」と言いました。

 1ヵ月後に彼女が来院しました。陰鬱な表情はどこにもなく、笑顔で言いました。「おじいちゃんが変わりました!」数年の介護の結果、悪口や悪態が日常的となり泥沼となった嫁舅関係。それが、「好意」を持って1週間接しただけで、お舅さんの態度は柔らかになり、悪口や悪態もなくなり、最期には「ありがとう」と感謝の言葉まで口にしたのだそうです。

 「好意の返報性」は、非常に普遍的な心理法則ですから、認知症になって理解力の低下した方にも、すべての人に効果があるのです。重要なのは、最初に「悪意」を引き下げて、「好意」を差し出すのは、自分でなければいけないということです。


言うのは簡単ですが、これはとても難しい。なぜならば、既に泥沼の関係になっているということは、「悪意」と「悪意」のキャッチボールをしている「悪意の返報性」にすっぽりとはまった状態です。

 その状態で、いきなり「好意」を投げるのは、相当の勇気と思い切りが必要となります。

 しかし、このように「悪意」を「好意」に変えることによって、人間関係をリセットすることは可能です。

 私の経験では、このアドバイスを受けて、きちんと実行した方は、全て成功しています。

あなたも、泥沼の人間関係を「好意の返報性」によって覆すことが可能なのです。

<引用終了>


「悪口・陰口」の次に、その対極にある「好意」について書きました。その方向性は真逆であり、ご本人たちの心に、どれだけの影響をもたらすことでしょう。

一方は、自分をまきこみ、「地獄」の世界を周りに作り、もう一方は、自分を含め、周りに「天国」のような笑顔と幸せの世界を作ります。

私たちの心の中にはどなたにも神さまが居らっしゃいます。それを良心と呼ぶ人もいます。そこは宇宙の神さまと繋がる場所です。相手の方の一面だけ一時的な姿や態度を見て切り捨ててしまうのではなく、この人は「ダメな人」と判断を下してしまうのではなく、相手の内に隠れている神さまを常に見つめていたいものですね。


良寛さんも、そのように生きた人でした。

私たちが、相手の方に好意や、愛情、思いやりを持って接した時必ず、相手の方の同じ部分が反応します。私たちは与えたものが受け取るものという宇宙の大原則の通り、与えたものと同じものを、倍受け取ることになります。

樺沢先生も仰っていますが、ここで大切なのが、まず自分が先に・・・と言うことです。

人間関係に悩んでいる皆さんご興味があれば、是非試してみてください。




2021年1月15日金曜日

2213「妙薬」2021.1.15

 今日も「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月09日の記事を紹介します。


死なないで!

周りを見渡してみると、元気はつらつの人もいらっしゃいますが、本当に辛そうな方々も沢山いらっしゃいます。ですが、

・同じ辛そうな環境に囲まれていても、

・同じような苦しい状況に置かれていても、

いつも前向きで明るく、感謝の日々を送っている人も存在します。

その違いは何かと言えば、

・気持ちの持ち方、

・心の置き所の違いかもしれません。

ブッダは慈悲の人でしたから、そんな辛そうな人たちを救おうと、般若心経を残してくださいました。そこには、自分の周りに時々刻々と起きてくるいろんな現象には「良い・悪い」はないんだよ(=空) 

それを、

・良いことだ、

・悪いことだと

判断(色をつける)しているのは自分の心ひとつなんだよ。辛く見える現象でも、神様からの贈り物と、感謝して受け取れば、それは幸せとなるし、不平不満で受け取れば、それは苦痛になる。

そう教えてくださいました。 

そして人間の人生というのは、どのような時でも感謝が大切なのだよと教えてくださいました。 それこそが 人間を辛さから解放してくれる妙薬だと・・

 さて今日は 「死なないで」ということで斎藤一人さんの言葉をご紹介します。

<引用開始> 引用元


 今から、『天使の翼』っていう話をします。

 人は誰でも、一人に一人づつ、エンジェル(エンゼル)がついてるんだよ、って話です。

日本でいうと守護霊さんっていうだけど、外国の人はエンジェルって言うんだけど、 誰でも人は幸せになるために、一人に一人づつ、エンジェルがついているんだよ。

 今、ものすごい苦労している人もいると思います。つらい思いしている人もいると思います。

 人間って自分の運命を天国にいるときに決めてきて、こういう運勢で自分は生きますって神様にいうと、神様は、それだとちょっと荷が重いんじゃないかい?って言うんだけど、

「大丈夫です、それでも私は幸せになります」って、神様に約束してきます。それで出てくるんですけど、ほんとにつらい修行を背負ってる人もいるんです。

ところが、人間っていうのはトータルすると、絶対に元がとれるようになってるんです。

だから苦労した人って、死にたくなっちゃうことあるかわからんないけど、死なないでください。あなたが苦労した分、絶対に人は幸せになれるようにできてるんです。

 

それで、早く幸せになれるコツってあります。

人間関係でつらいこともあります。ほんとにそういう時は、

・あなたに嫌なことする人、

・悪いことする人、

もう無視してください。

それより、

・あなたを守ってくれるお母さんとか、

・お父さんとか、

・近所の人とか。

で、もしそういう人が、私はひとりもいないんだっつったら、 自分を守ってくれてる、自分にはエンジェルがついててくれてるんだ、って。翼があるエンジェルがついててくれてるんだって、信じてください。そして、今を乗り切ってください。

 今苦しくて死にたいことがあるかもわかんないけど、死なないでください。私なんて死んだって、誰も悲しまないっていうけど、神様が悲しみます。あなたについてるエンジェルが悲しみます。そして、今話してる私が悲しみます。

 あなたは。かけがえのない人です。そして、かけがえのない命です。これから、あなたと出会う大勢の人がいます。これからの出会いは、本当にすばらしい出会いです。

 明日を信じてください。そして、あなたを導いてくれる、エンジェルを信じて下さい。

あなたに羽根はないかもわからないけど、あなたに付き添ってるエンジェルには、翼があります。そして、あなたを必ず導いてくれます。どうもありがとうございます。

<引用終了>


一人さんは、こうも仰っています。

神様が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない。要するに、自分の周りで起きていることは、神様が起こしているわけですから、そこには悪いことなど一つもない。

全部が全部、自分へのギフトであるということです。

ですから、もし死にたくなるような辛いことがあるのなら、この言葉を思い出してみてください。

「もしこのトラブルがツイてることなら、どんな展開になるのだろう?」

「この問題は自分に、何に気付いてほしくて起こっているのだろうか?」

そう考えていると、

・時間が解決するか、

・ひょんな人の言葉がヒントになって解決するか、

・別の変化が起きて、その問題自体が自然消滅するか。。

様々な方法で解決していきます。

 神様は、私たちを破滅するために、その現象を起こしているわけではないのですから・・

だって、「神が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない」のですから。。

どうぞ、あきらめず、神様を信じてください。本当にホントに神様っていらっしゃるんですよ。すぐそばに・・・


どうしても心が落ち着かないときには、言霊を何百回、何千回と唱えてもよいでしょう。

不安な心が収まるまで、ひたすら「ありがとう、ありがとう、ありがとう」・・

心の中だけでも、口に出してもどちらでも構いません。

 この「ありがとう」の言霊は宇宙最強と言われていますから、必ず心が落ち着き、またこの言葉を思い出すことができるでしょう。

「神様が与えること(出来事)で、ツイてないことはひとつもない」 

神さまの恩寵は、必ず「感謝の心」を媒体にして現れます。感謝の心を持つ人を、神様が見捨てるはずがないからです。

だから、何度でも言いますが、私たちは大丈夫なようにできていて、そのように運命づけられてこの世に送り出されてきました。

 それは、私たちだけでなく、子供たちや、ご家族たちでさえも。 私たちが心配して取り越し苦労などする必要はありません。 彼らにも、彼らの神さまがおり、大丈夫なように常に支えていられるのですから。どうか、希望とともに、「ありがとう」という感謝の気持ちでお過ごし下さい。


私たちの周りで起きている、あらゆる問題と見える事象も、解決方法は、このようにブッダの教え般若心経に書いてあったんです。今日、その事を知ったのですから、今、この瞬間から幸せが、どんどん列をなして、押し寄せてくれることでしょう。 

前世に置いて、ブッダ、そして空海の弟子だった小林正観さんが、幸せになるための「3秒」の方法を教えてくださっています。

● 1秒目…過去のすべての出来事を受け入れること

● 2秒目…現在のすべての出来事を受け入れること

● 3秒目…未来のすべての出来事を受け入れること 

これで終わりです。 

 自分に起きたことやこれから起きることは、すべて自分が成長するために必要なことだったと、思うこと、感じること。そのように目の前の状況を受け入れれば感謝できれば、悩みも苦しみもなくなって、ラクに生きることができるでしょう。

 実際に、目の前の苦労、悲しみは全て、私たちの魂を輝かせるために神さまが起こしてくださっていることだからです。不幸の後には、必ず幸運が来ることになっています。宇宙はバランスを取ろうと常にエネルギーが動いているからです。


2021年1月14日木曜日

2212「愛の星」2021.1.14

 今日は「いっぷくからありがとう」さんの2021年01月08日の記事を紹介します。


神様の力の通り道

地球は愛の星。そして日本人には、愛の星を維持していくうえで大切な役割りがあるようです。 →宇宙の天国


今日は愛の人、イエスのお話です。イエスは数多くの転生と、経験と試練を重ね、私達の内にいらっしゃる神様と一体となりました。

 イエスが生まれたその時代は、まだ人類の波動は低く、多くの人々は肉体だけの意識。

生殖、物欲、自己が生き残ること・・・などの肉体的な感覚に囚われていた(フォーカスしていた)時代でした。

 ブッダが悟った時と同様に、イエスも悟りを開くと同時に肉体を離れ魂(霊)として人類を助け導くことも可能でしたが、幻想に囚われ、自分を傷つけ、敵味方でも傷つけ合う人々を、この物質次元の地球に於いて助けることを選択しました。

それは、ブッダと同じ決断です。ブッダの時、このことを梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と呼びます。

 その方法は、愛を、愛だけが全てであることを説き、神様とは愛であることを伝え、どんな困難な時にも、ただ ご自分の生き方を通して、愛を示して歩きました。


イエスがこの地上で行った数々の奇跡。

その奇跡の目的とメッセージは全て・・・、あなたが目覚めれば私と同じこと(奇跡)ができる。私(イエス)よりも、もっと偉大なこと(奇跡)が出来る。

ということでした。

つまりイエスだけでなく、私たちも等しく神の子、神そのものであると 教えてくれたのでした。また、私自身(イエスのこと)は無力である。全ての奇跡は、神が行うものである。

と仰ったのです。

 つまり、イエス自身は無力であるが、

・全ての良きこと、

・美しきこと、

・真理の実現、

・奇跡

・思いやり

・優しさ

・愛

・癒し

は、全て神様の力によって起こっている。そう謙虚に仰ったのです。

これは、今のような世の中にとっては、強烈なアンチテーゼになるかもしれません。

・私が、○○してあげる。

・私が、○○した。

・私が、○○しよう。

そのように、その方々は確かに力がある人かもしれませんが、その力の源泉は、私、自分、個人の能力であると、過信して吹聴してしまっては、イエスの取った謙虚な態度と正反対です。


とかく人は

・成功している時、

・人気がある時、

・お金がある時

全部、自分の力で勝ち取ったと誤解しがちです。有頂天になりがちです。それが神々の力から来ているとは認めません。

 ですが、イエスは

・自分が人に行う優しさ、親切も

・創造性あふれる仕事も

・奇跡も

全ての良きことは、神様の御技が現れたもの。自分自身の力ではない。単に自分は、神様の力の通り道になっただけ。

そう仰ったのです。それが本当の真実だからです。


そのように自覚していれば、

・天狗になって人を見下したり、

・人と比べたり、

・自分の知識をひけらかしたり

・人を支配したり

・力や能力を自慢したり

する必要は無いかもしれませんね。

人生の晴れ(ハレ)の時も、嵐の時も、奢らず悲観せず、全てに感謝し、笑顔で、周りの人々と仲良くして行けば、きっとそれだけで、いいのですね。

私達人間は・・・全て、神様が私達の魂が成長するようにと、細かなところまで取り計らってくれますから。大丈夫です。

 俺が俺が、私が、私が・・・そのような高慢な心こそ、神さまの眼前においては、穢れかもしれません。今や、嘘が付けない時代になりました。


ミロクの世、精神性の復活の時代の始まりとともに、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ 

の考え方で行動している人々は、どんどん、あぶりだされ、多くの人に、その思想、行動が知れることとなりました。

たとえウソを並び立て、詭弁を弄し、責任を人に なすり付け逃げようとしても、力の源泉である内なる神々は見ています。

その醜い姿を

・自分の愛する子供たち、自分を信頼してくれる子供たち

・産んでくださったお母さん

・慈しみ育ててくれた家族

・故郷の友人たち

この人たちに、胸を張って見せられるでしょうか? 

・あなたたちの父である私の姿、

・生んでくださり、慈しみ育てていただいた、あなたの息子である私の姿

を、どうぞ見てください。

しっかりと目を見つめ、そのように言うことはできるでしょうか?