2013年9月20日金曜日

235「封印2」2013,9,19


 お蔭様で指定頂いた10時半からの儀式を無事に岩楠神社で終える事が出来ました。近くの淡路ジェノバラインの高速フェリー乗り場でトイレ休憩をして、淡路島名物の玉ねぎチップを買い込みました。いろいろな味がありますが皆さんに大変好評です。
 国生み伝説のおのころ島ではないかと言われる処が淡路島に4か所あります。その一つが絵島ですが、その絵島が目の前に見えます。砂岩の小さな岩ですが岩肌の縞模様が綺麗で、頂上に平清盛の兵庫築港で人柱になった松王丸の供養碑があります。


 絵島を左手に車窓から眺めながら出発です。すぐ近くの岩屋神社を参拝して、石山神社を目指します。しかしいまだUさん達とは何故か合流できません。

 石山神社には広い通りから人家をぬって細い道を登りますのでかなりの運転テクニックを要しますが運転手さんは難なく進んで下さり無事到着です。ここでようやくUさん達と合流できましたが、その理由はこれからは龍神から鳳凰にエネルギーが変わったことを教えていて、岩楠神社の儀式に龍神の力が強いMさんにお休み頂いたということのようです。



 石山神社はNHK「知られざる古代〜謎の北緯三四度三二分を行く」で紹介された古のロマン漂う神秘的な神社で舟木石神座と言われます。
 伊勢斎宮跡と同じ北緯34度32分線上に位置しています。「太陽の道」といわれるこの線上には古代太陽祭祀の遺跡群が点在していて、伊勢神島、伊勢斎宮跡、三輪山、室生寺、長谷寺などとともに、古代の太陽信仰の拠点の一つとされています。


 太陽信仰の祭事には「日を迎える座(朝日に向かって祭事を行なう・女人禁制)」と「日を追う座(夕日に向かって祭事を行なう・男禁制)」があり、当磐座は「日を迎える座」の為、女人禁制のようです。鳥居脇には女人禁制の立札が立っていて現在でも女人禁制を堅く守っています。


 鬱蒼とした木々に囲まれた境内には磐座がゴロゴロしており神聖な雰囲気が漂っています。境内奥の正面には巨石がご神体として祀られていて、そこには小さな祠があります。自然の中に鎮座し、その他に何もありません。まさに古代祭祀の雰囲気が感じられます。
 そこであわ歌を響かせました。程なくすると部落の男の方が来て、この地は女人禁制で女性が入っては困るときつく注意頂きました。お詫びをしてお引き取り頂きました。そこでのお言葉です。
「新しきへ参るは皆々、共なり。共々に参り行く、是よりぞ。大きく広き新しきは差別はなしぞ。古きに囚われしは無しなり。皆々共に参りましょう。この地の草草も共に参るぞ。」
 差別は無しぞとは、女人禁制も含めてこれからは古き囚われから解放されるようです。




 昼食を頂いて次は伊弉諾神宮です。立派なたたずまいで流石に淡路国一宮です。国生みの大業を果たされた伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二柱をお祀りし、古事記・日本書紀の神代巻に創祀の記載がある最古の神社です。



 古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされたイザナギ尊が、御子神である天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に、「幽宮」を構えて余生を過ごされたと記されています。その御住居跡に御神陵が営まれ、そこに最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮の起源です。
 参道から左手に「陽の道しるべ」というモニュメントが建っています。伊弉諾神宮を中心にして、まるで計算されたように、東西南北には縁ある神社が配置されています。神宮の真東には飛鳥藤原京、さらに伊勢皇大神宮(内宮)が位置しており、春分秋分には同緯度にある伊勢から太陽が昇り、対馬の海神(わたつみ)神社に沈みます。そして夏至には信濃の諏訪大社から出雲大社、冬至には熊野那智大社から高千穂神社へと太陽が運行します。何とも不思議というか、宇宙法則を理解して祀られているとしか考えられません。



 太陽がギラギラと照りつける猛暑の中、日蔭の心地良さを求めて樹齢900年と言われる夫婦楠の巨木を囲んであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「皆々が頼り来る来るこの地にありて、遥かな時より大きなる過ちそのまま参り来りてこの体たらく。正して参るが真なり。新たなる時、全ては変わる。今ぞ今、元へと還えられませ。この時なり。(拍手)
許されて光を受けるは大きなる、大きなり。生まれましょう新たなるへ。(拍手)
荒みておらるる皆々様も共々に是よりの光と共に参りませ。」
 遙かなる時より大きなる過ちをそのままに続けてきている現状を改めることが強く求められています。それは国生みの伝説のことも指しているのかもしれません。



 岩上神社は10分ほどの処に有りますが、狭い山道を名ドライバーは颯爽とバスを走らせます。岩上寺の前に車を停車し参道の階段を登ると本殿、その左手の山の中腹に巨石が林立しています。ひときわ大きく聳え立つ岩が神籬岩(ひろもぎいわ)で、高さ約12m、周囲16mもある巨石です。


 神社の御祭神は布都魂神(ふつのみたまのかみ)で、創建は1500年代ですがそれ以前から巨石の信仰があったようです。神籬岩のある山に登ると海まで眺望できます。山の上方と下方に分かれてあわ歌を響かせました。
「この大きなる地は光りを受けて、響きを発して真なる伝えを共に戴し、その身をこの地の皆々に捧げ行き執り行うなり。ゆうゆうゆうと光りは降り来て、伝え行く大きなる心の言葉。(拍手)
直ちに動くはこの島の皆々ぞ。全てに伝えなされ。すは大事、ひは生まれ譲りて生み行く。」
「す」は大事とは元の元のこと、「ひ」は霊、火が生れて新たなものに譲りて生み出していくようです。この島とは日本のことで、直ちに動くとは揺れ動く、地震のことでしょうか。








 おのころ島神社は巨大な赤い鳥居が一際目立ちます。国生みの聖地と伝えられる丘にあり周りに掘りが回してあり島を想定しています。


ここは参拝に留めて次なる目的地、譲鶴羽神社に急ぎます。神社の解説は以下の様です。
「平安時代から諭鶴羽権現が祀られ熊野系修験道の一大霊場として栄え、中世には熊野信仰の隆盛に伴い発展した。譲葉山は標高608mの島内最高峰で、淡路島の南端に位置する。アカガシの群落(県指定文化財)を始め約60種の暖地性常緑樹が繁茂し、淡路島では最も自然が残されたところである。15世紀中ごろには山上に18の建物が林立していたというが、明治の神仏分離により観音堂は南山麓の黒岩へ移され、山上には伊弉冉(いざなみ)尊、速玉男(はやたまお)神、事解男(ことさかのお)神を祀る諭鶴羽神社が残った。町石五輪卒塔婆は県下で最も古いもので、中でも天文21(1552)年の銘のある多宝塔板碑は特に優れた石造遺品である。」
 今日最後の目的地です。時間的に余裕があると思っていたらそう簡単に事を進めてくれませんでした。譲鶴羽山は海から競り上がる感じで聳え立つ、バスは海岸から登りはじめくねくねの山道を進みます。
 人家が無くなって中腹ほどでしょうか、獣除けのフェンスがあってバスが停車しました。下りてみると後数センチでフェンスに接触します。もう少しフェンスが倒れていたらぎりぎり進めそうですが流石に運転手さんギブアップです。もうこの先バスが進めません。目的地までナビで15分弱とかなりあります。

 しかし皆バスを降りて歩き始めました。30分ほど歩いたころ、バスの後ろを走って来ていたUさんの車が来てくれました。バスはバックで数百mも戻ってUさんの車が登場出来ることになりました。携帯電話が通じにくい山の中まずは一安心です。3度ピストン輸送をしてくれてどうにか譲鶴羽神社に到着できました。


 時間は既に18時で夕闇が迫って来ています。鹿、猪など出る山中に長居は禁物です。最期の組が到着するのを待たずに、アカガシの木の前であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「写すは新しきを開き行く光なり。音と響き光の世へ参る知らせに参上したり。この地は新しきと成り行く。どうぞ御用意為さりて古きを流し、新しきへ譲られませ。時は今、光への道開きたり。大きなる時なり、共々に。(拍手)
更に申すは光のこと。明日より強く新しき。皆々参りませ。(拍手)
生まれしこの場を素なる地と致すが光を見たり。ゆるりと参る。」
 古きを流し、新しきへ譲り、今、光への道が開かれました。明日より更なる強き新しき光が送られるようです。



 夕闇迫る中、Uさんの車に分乗してピストン輸送して頂き全員バスに乗った時は既に日が完全に暮れるころでした。Uさんはその日に神戸に戻る必要があるとのことでここでお別れです。皆さんから盛大なお別れをして感謝の声で送り出しました。



 ホテルには7時半を優に過ぎてしまいました。直ぐに食事で最初の夜の宴を楽しみました。

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