2024年11月22日金曜日

3619「2024凱旋「TRIUMPH」逆明治維新1」2024.11.22

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年11月17日の記事を2回に分けて紹介します。

宇宙の中心で愛を叫ぶ


「2024凱旋「TRIUMPH」逆明治維新」


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

猛暑だったあの夏も思い出に変わりまして、すっかり年末モードに突入しています。 

前回の更新は9月2日でした。

この2か月半の間、世の中は本当に目まぐるしく変化していきました。 

変化といいますか、混沌という感じでしょうか。 

そんな大激動の世の中で、精力的に全国を巡っておられる澤野大樹さんに、

今回もまたインタビューを敢行いたしました。 

それでは早速お送りいたします!

 

――澤野さん、こんにちは。よろしくお願いいたします。

毎回同じことを言っているようですが、今年2024年は例年とは比較にならないくらい

世の中は大激動、大激変となっています。

 

こんにちは。

特に後半、夏以降の日本、および世界は人類史上稀に見る大激動でしたね。 

自民党総裁選、衆議院選挙、そしてアメリカ大統領選挙と、巨大な選挙が続きましたから。

 

――落ち着く場面がほとんどありませんでした。

 

息を呑むような緊張感が半年以上も続きましたからね。

これは私だけではなく、多くの人にとってストレスでもあったでしょう。

しかもコロナ禍含めたらもう5年ですぜ。

日常のどこかで完全にリラックスできる、時間や空間があるといいですよね。

何もかも忘れて没頭できる趣味でもいい。

 

――ストレスは万病の元凶とも言われていますね。

 

そうは言ってもね、現代人にストレスを解消しなさいって言ったって、

なかなかできるもんじゃないですよね。

 

――夏以降の大きな出来事としましては

9月27日にまずは自民党の総裁選挙がありました。これについてはどう捉えていますか?

 

新しく総裁に選出された石破茂氏は、それまでの岸田路線を継承すると言いましたよね。

それでいいと思います。 

特に岸田氏の外交政策は白眉です。

国家安全保障局長の秋葉剛男氏が岸田政権から引き継いで石破総理を支えています。 

引き継いでいるどころの話しじゃないかもしれません。

石破総理は岸田氏のそれをさらに数倍にも大きくして具現化させると私は見ています。

実際、石破総理は11月14日から、ペルーで開催されるAPEC首脳会議と、

ブラジルで開催されるG20首脳会議に出席しますね。

そしてその足で、経由地のアメリカでトランプ次期大統領と会談する予定です。 

この行程、そしてそのタイミングを見て、わかる人は「おおおっ!」って思うはずです。 

すでに「次の世界の枠組み」を視野に入れて、かなり先取り的な動きを見せています。

 

――「新G8」+「BRICS」+「グローバルサウス」ですね。

 

そうそう。

もうすでに、っていうか岸田さんの時には、すでにそのような青写真をベースに動いていましたから、石破総理はそれをきちんと踏襲してる。

でもマスメディアはそれを隠していますよね。

 

――石破総理はその底知れぬ内容を理解しているのですね?

 

もちろんです。

だから彼は「新しい資本主義」を掲げていますでしょ。

この意味を理解するためには、これまでの西側NATO旧G7的価値観を意識した上で横に置かなきゃならない。 

「私はこうでこういう者だ」という思いは、時に単なる足枷にしかならないから。 

既存の固定した価値観を客観視できるか?

それは謙虚さの問題です。 

修正の利かない強固な意志というものは、時に人の成長を後退させてしまう。 

だから「新しい世の中」をきちんと理解するためには、既存の社会規範や価値観などを

一旦、脇に置いた上で考えるという、謙虚な姿勢が求められるわけです。

 

――公正を謳うマスメディアにも、今さら人には言えない部分があるのでしょうか。

 

日本のメディアは大体のところ、満州赤軍系を継承していますが、

GHQによって右と左といった役割分担を、それぞれ与えられることによって

延命を図りつつ戦後の日本で存在感を持つことができました。

 

――本当は極左なのに、右派を演じてるテレビ局もあるのでしょうね。

 

「中の人」のさらに「心の中」は80年前のそのままでしょう。

そんなの外部から変えることなんかできない。

現在ではその正体や本質はわかりにくくなっています。 

でも岸田石破路線によって、その正体がアラハバかれてしまうだろうし、

存在そのものの意味が消失してしまう恐れから、彼らは、今起きている巨大な変化について、

目を瞑り知らなかったことにしています。

でもそれも時間の問題でしかないかもね。

 

――衆議院選挙の話しに移りたいと思いますが、澤野さんから見てどう解釈されますか?

 

だからマスメディアは、今回の衆議院選挙に際して、「裏金自民党!」って連呼しましたよね。

これは、上手いこと話しをすり替えたなと思いました。

 

――話しをすり替えた?

 

岸田石破両氏は、自民党内から清和会統一教会を排除しましたよね。

少しまだ残党は残っていますが。 

今回の衆議院選挙の本質的なテーマは「日本vs.統一教会」だったわけです。 

しかしいつの間にかそれは「裏金自民vs.国民」にすり替えられました。

そして国民の多くがこの説に乗った。 

岸田石破路線は、自民党内の統一教会を粛清するというこれまでにはなかった荒治療を「肉を切らせて骨を断つ」思いで実行しました。 

自党の内部をまさに「泣いて馬謖を斬る」思いでやった。

こんなの見たことありませんよ。 

しかも衆議院選挙において、自党の候補者を公認しない、あるいは、公認はするけれども比例重複を認めないという厳しい判断を下しました。

 

――つまり、石破総理は、衆議院選挙で議席を大幅に減らすことも織り込んだ上で選挙に臨んだわけですよね。

 

しかし、マスメディアも野党も口を揃えて、「自民党は過半数を割り込んだ!ざまあ!」って快哉を叫びましたがどうでしょう?

 

――衆議院選挙の結果、自民党は単独過半数に届かないどころか、与党公明党と合わせても過半数に届きませんでした。

 

じゃあ、どの党が過半数を獲得しましたか?

 

――どこも獲得していませんね。

 

そういうことです。

これまで野党はずっと「アベ政治を許さない!」という澤地久枝さんが提唱したそのスローガンのプラカードを掲げて、デモをやったりポスター貼ったりしていましたよね。 

ということはですよ。

岸田石破両氏が断行した「自民党内清和会統一教会排除」をもっとも歓迎し、喜び、喝采を送るべきは何よりも本来は野党であって然るべきではないですか? 

なのに野党は「自民党は過半数を割り込んだ!ざまあ!」ってやっちゃった。

これじつは悪手ですよね。

清和会統一勢力と同じ主張を、野党も一緒になってやっちゃった。 

そこに野党の野心と山っ気が前景化しちゃった。

半径5メートルと、直近前後2時間しか見えていないその力量と器が露呈しちゃった。

野党のその大局観の無さ、そして有象無象の度合いを、野党自ら高らかに宣言したに等しかった。 

野党第一党の立憲民主党には歴史上稀に見る奇跡的な追い風が吹いていたはず。 

しかし、比例票は前回衆院選から6万票しか増やせていませんでした。 

この状況で過半数を獲得できないってことは、

それは立憲民主党自体に問題があるんじゃないの?ってこと。 

このことを立憲民主党首脳部は、誰よりも理解しているが表立って言うわけにはいかない。

つまりその勝利は刹那な幻想に過ぎない。

だから野田代表は笑いもしない。

 

――公明党はどうですか?

 

比例票過去最少でついに600万票割れして596万票となりました。

 

――これはどういうことを意味しているのですか?

 

日本の戦後が終わったということ。

あるいは、旧満州派である清和会自民党を「与党連立」という形で監視する必要が薄れて来たってことだと思います。 

自民党内に長く巣食って来た、好戦的な派閥が消滅したため、もうその暴走を危険視し、

監視し抑える必要性がなくなった。 

さらに池田大作氏を超えるカリスマがまったく育たなかったこと。 

それと、団塊の世代800万人が後期高齢者となり人数が減っているということと、

ネットの普及で次世代が継承しなくなったということ。 

だから公明党はこれから、自然な形でゆるやかに消えていくと思います。 

かの戦争が80年経ってようやく終わろうとしているのです。 

もうお題目を唱えなくとも、戦争で死んだ旦那や息子と同じところに、もうすぐ行ける頃になった。 

つまり、第3代会長だけが必要とされ、その地位を宛がわれたのだということ。 

かの戦争はそれだけ日本国民の心に大きな傷を遺したのですよ。 

これはね、戦後の近現代史を深く学ばないと、理解することがなかなか難しい領域なのですよ。

 

――国民民主党の玉木代表が躍進して一躍時の人となりましたが、これについてはどうですか?

 

玉木代表は、議席を4倍に増やしましたが、それは自らの実力によるものではないことを

誰よりもよく理解していると思います。 

「裏金自民党には入れたくないけど立民共産はイヤだな、じゃあどこにしようかな? しかたないなあ、ま、今回はだなテキトーだけど国民民主にでも入れてやるとすっかな」 

つまり、政策が支持されたのではないのだということ。

そういう消極的支持を得てまったく意図すらせずに、

半ば「タナボタ」的に議席をたまたま増やしてしまった。 

神は与えたもうた。 

玉木氏にはこの地上の歴史の中で、2秒だけスターになることができる権利を。 

ある日突然、一躍「時の人」として脚光を浴びる。

このパターン、もう何度かありましたよね。

これは動員がかかったということです。 

クラウドワークスには「日本賞賛系動画」や、「皇室系動画」や「政治系動画」製作者の

求人で溢れています。

 

――財務省悪玉論が急浮上してきましたね。

 

財務省悪玉元凶論を拡散して、世論を「統一」しようとしているのがわかりますか?

 

――国民にとってわかりやすい「敵」の設定ですね。

 

すべての元凶は財務省だ、という説。

この説を流布することによって、統一教会問題への国民の関心を、逸らすことができますからね。 

目先の損得勘定、「103万円の壁」とか、誰が言い出して、誰が拡散しているのか?ということ。

これは意図的に作られた世論だということ。

動員がかかったということ。 

一般庶民の感情を動かすためには「吝嗇」(りんしょく=ケチ)の意識を惹起させ、

焚きつけることがもっとも手っ取り早いでしょうから。 

その意図は本当に国民のためのものか?

それとも何かを隠蔽するための煙幕か? 

メディアが庶民のカネのことをやたらと言い出したら、それは他の別の何かを隠そうとする時です。 

でもこれ、わざと炙り出すかの如く、俎上に載せているのだということをどこかで客観的に意識していなきゃダメね。

すべては「ショー」なのだから、きちんと全部、見せなきゃならない。

 

――ある日突然、ニュースは朝から晩まで「103万円の壁」ですよね。

 

全部、調整されています。

これは大谷の脱臼と似ています。

ホログラムなんです。

一般人類が思わず夢中になってしまうコンテンツ。

心を奪われ、気になって仕方ないという

魅力あふれるアクシデントや事件事故やスキャンダル。 

これらのほとんどすべてが、この三次元現実世界というホログラムという檻の中に

閉じ込めておくための魅力的にしつらえられた「エンタメ」という罠です。

 

――そのひとつが「103万円の壁」ということですか?

 

「ザイム真理教」の某経済評論家はいつの間にか、旧清和会系ニュース番組に出演するポジションにまでなりました。

これって、簡単な問題ですよね? 

満州派直伝の「池江方式」っていうのがあるから、彼についてもいくらかマージンを取って、

あらゆる可能性の存在も否定することなくそういうつもりで眺めていればいいと思います。


2024年11月21日木曜日

3618「子供が教えてくれた」2024.11.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月10日の記事を紹介します。


「子供が教えてくれた」


今日のお話は、以前ご紹介したこともありますが、最近読者登録くださった皆さんの中にも、

同じようなことで苦しんだり、悩んでいらっしゃる方がいる様でしたので、加筆して掲載します。

小林正観さんが、悟った瞬間と言っても良いお話かもしれません。

日常の何気ない生活の中や、絶望のさ中と思われる時に、

神様の導きが行われることがよくあります。

神様の奇跡は、決してサーカスのように鳴り物入りで、

耳目を集め起きることではないと思います。

日常の何気ない生活の中にこそ、神様の様々な奇跡が行われています。

正観さんは、ブッダや、空海の弟子の時もあったそうです。

<引用開始>

30歳のとき結婚しました。

結婚後3年間は子供ができませんでした。 

33歳のとき、子供を授かりました。

なかなかできなかった子供なので、

よろこびの「慶」を命名しようと心待ちに待っていました。

7月14日(パリ祭の日)、その子が生まれました。

知恵遅れの障害児でした。 

別室に呼ばれて、私は医師からこのように宣告されることになります。

「この子は先天的な障害児です。

手術によっても、薬によっても、リハビリによっても治ることはありません。 

この子は生まれなかったものと思ってください」・・・。

目の前が真っ白になりました。 

「目の前が真っ暗になる」という表現はよく使われますが、

実際に体験した者の立場で言うと、真っ黒になるのではなく、真っ白になるようです。 

真っ白になった風景が徐々に薄れていき、

目の前に再びその宣告をした医師が見えたときは、

その医師を含む部屋中の風景がモノクロになっていました。

白黒だけのグラデーションの世界です。

それから半年間、私は色の付いていない、モノクロの風景を見ることになりました。 

一番困ったのは、天気がわからないことでした。

窓の外を眺めても、晴れているのか(空が青色なのか)、

曇りなのか、雨なのか、見ただけではわからないのです。

季節感もなくなり、花の色、緑の色、木の肌の色、そして人の顔色なども全くわかりません。

半年ほどたった1月16日は休刊日でしたので、

私は15日に届いた膨大な付録の部分を読んでいたのです。

その記事の一つに、このようなものがありました。

── 新生児の600人に1人は、障害を持つ子供が生まれる。

あなた方も20歳になって、将来結婚をするであろうから、

その生まれる子供に障害児が生まれてくる可能性もある。

そういうこともあるのだ、ということを知っておきなさい── 

というようなとても短いコラムでした。

このコラムを真剣に受け止めた人は少なかったと思います。

ただ、私にとっては、この小さなコラムが救いでした。こう思ったのです。

「慶子ちゃん、うちに生まれてきてよかったね。

600人に1人、障害児として生まれてくるのであれば、

慶子ちゃんは、どこかの家を選んで必ず生まれなければならなかった。

そのときに、小林家の両親を選んだというのは、ものすごく良い選択をしたと思う。

私は障害がある子をいじめたり差別をしたりはしないし、

私の妻もやさしい人だから、いじめたり差別をしたりはしない。

慶子ちゃんは、そういう両親を選んで生まれてきたんだね」

とそう思った瞬間に、半年前に失っていた「色」が戻りました。

風景に色が付いたのです。

瞬間の出来事でした。 

半年間、私は苦しんでいました。悩んでいました。

なぜなら、生まれた子供を受け入れることができなかったからです。

しかし、そのとき、目の前に乗り越えるべき大きな障害や

障壁が立ちふさがっていると思っていたものが、

実は 幻 であったということに気が付いたのでした。

私自身が障害や障壁だと思っていた大きなものは、私の認識だけの問題 だったのです。

私が「慶子ちゃん、よかったね」と思えた瞬間に、その問題は消滅していました。

努力や苦労をして乗り越えたのではなく、乗り越えなければならないと思っていた障害や障壁が、その1月16日の瞬間に消滅したのです。 

乗り越えたのではありません。

乗り越える必要がない状態になったのでした。

生まれてからわずか半年後に、この慶子は私に大きなことを教えてくれました。

悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、

受け入れないところから生じているのだということを。

私たちが目の前の現象について悩んだり、苦しんだりしているときは、

それを受け入れていないということなのです。

否定をしているということにほかなりません。

<引用終了>

小林正観さんは、この障害を持つお嬢さんの誕生によって、大きな気付きを受け取りました。

まるで神様からの贈り物ですね。。 

ですが正観さんでさえ、その悟りまでに半年を要しました。

苦しみの原因は、それを受け入れていないと言う事。

受入さえすれば、一瞬でそれは苦しみではなくなると言う事、

これこそが、ブッダの説いた「般若心経」の真髄です。 

悩み、苦しみの種に見えた現実を 

・受け入れた瞬間、

・感謝できた瞬間

それは、恵みの種に変わったのでした。 

この気づきによって、悟りによって、

どれだけ多くの方が、正観さんの著作や、講演を通じ、救われたことでしょうか? 

慶子ちゃんの誕生によって、絶望の淵にまで落とされていた正観さん、

そして半年後の悟り、そしてそれが開花して、

何十万人もの多くの人の心の救いに繋がりました。

それは、全て慶子ちゃんの誕生から始まりました。 

慶子ちゃんが生まれなければ、

後に、これほどまでに多くの人の心が救われることはなかったのです。


2024年11月20日水曜日

3617「それしか起きなかった」2024.11.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月08日の記事を紹介します。


「それしか起きなかった」


私たちは、よく過去を振り返って後悔します。

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった 

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。

さて、今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、とても分かりやすく、心に響くものだったので

ご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  

一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」、 努力が足りないからできないんだ、自分が目標を持って必死な思いでやれば必ずそういうふうになるんだ。 

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても、同じ結果になるのか、っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。 

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によっては、まったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。 

努力をしたらこうなるというシナリオを書いているか、

努力をしないでこうなるという結果を書いているか、 

というどっちかである。 

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。

死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでのシナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である。ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくる、という法則があります。  

投げかけたものとは 

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔 

その逆に、 

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ

様々ありますね。 

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を、読みとることができます。  

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。

現状を見ると、未来が推定できますね。  

そういうふうに因果関係が作られています。

過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、今の自分を見れば、未来の自分を予言できます。  

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。 

こういうことを知らずに 人生を終わる人もいる。

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。 

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 

誠実に正直に生きていこうと、決めたときに人生は一転するんです。 

それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生とまったく変わったじゃないか? 

シナリオが変わったじゃないか?

ということになるけれども、変わるっていうのは、本人がそう思っているだけで、

実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、

そのようにシナリオが書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。

面白いですよ、その因果関係というものが分かってくると、じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい 、生き方というのを一言で言っておきますと、誠実に生きるということです。

馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。

これが王道です。  

自分の投げかけた結果として、現在がある。

今投げかけている結果としての未来があるっていう ことが分かってくると、

過去と現在と未来がドミノ倒しのように、一列に因果関係で並んでいるということが、

分かるんです。

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として、ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも全部予定通りである、

という結論になってしまうんですね。  

未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて、

未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、もう過去のことについて何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である。

過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、自分が書いたシナリオで、現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて、悔いたり後悔をしたりする意味がない、ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、あの時ああすれば「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって、心配することは無意味

だということを申し上げておきます。

今、この瞬間から皆さんは、自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、当たり前のことに喜べるようになった人を人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか、艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか、いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。 

私たちは自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。

その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、つまらないとか悔しいとか、頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。  

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか? 

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。今日なんです。明日って永久に来ません。 

実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、 明日も明後日も生きているように思うけれども、

 実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には、過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ 、その刹那の連続しかない。 

だから未来を心配することは無意味だ、過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。 

未来のことを 一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは、念を入れて生きるっていうことなんです。 

念という文字は、「今」の「心」と書きます。 

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。

今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。 

簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって、心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために今、目の前の事と人を大事にする。

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。 

それ以外に過去に参加することはできない、昨日の人を抱きしめることはできない。

明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。 

そういうことです。 

人生がこれほどシンプルで楽であることを分かってしまうと、なんにもエネルギーを とられる必要がないから、目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。 

学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って教えられるけれども、未来のことは考えなくていい、未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。 

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>

凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。ブッダも同じことを仰っています。

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・


2024年11月19日火曜日

3616「命の使い方」2024.11.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月07日の記事を紹介します。


「命の使い方」


一つ一つの動作に、心を込める、愛を込める

というのは、非常に大切なことです。

その小さな小さな行動が積み重なって,やがては大きな果報を生み出します。 

今日は元ノートルダム清心女子大学の学長であった、

渡辺和子さんのお話を紹介します。 

<引用開始> 引用元

「何を考えながら、仕事をしていますか?」 

 突然、背後から英語で問いかけられた私は、

手早くしていた皿並べの手を止めて、

「別に何も」と答えました。

すると返ってきたのは、厳しい叱責。

「あなたは時間を無駄にしています」

アメリカのボストンで修練者として生活していた、ある昼下がりのことでした。 

百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、

しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。

「同じ並べるのなら、やがて食卓につく一人ひとりのために、祈りながらしたらどうですか」

修練長は諭すように言われ、

何も考えず、ロボットと同じく機械的に仕事をしていたのでは、

時間がもったいないということを教えてくださったのでした。

「つまらない、つまらない」と考えながら過ごした時間は、

私の人生の中に、つまらない時間として刻まれ、 

「お幸せに」と願いながら過ごした時間は、

同じ時間でも、愛と祈りのこもった30分として残るのです。

時間の使い方は、そのまま、

いのちの使い方であることを、その日、私は教えられました。

仕事は、すること(doing)も、もちろん大切ですが、

どういう気持ちでしているかという、

私のあり方(being)を忘れてはいけないのです。

私が、「お幸せに」と祈りながらお皿を並べたから、

夕食に座ったシスターたちが幸せになったかどうかは、

わかりません。

しかし、私が変わりました。

仕事に対して不平不満を抱くことがあった私が、

少しずつではあっても、

与えられた仕事を一つひとつ意味あるものとして、

ていねいに向き合う私になってゆきました。

雑用は、用を雑にした時に生まれるのです。 

<引用終了>

相手の幸せを願いながら行う行動は、

例え聞こえなくとも、

見えなくとも、 

必ず、その愛の波動は周りに広まっていきます。 

その美しく、優しい、

神様のような波動に同調した

人や、物、動物、植物、気象、出来事を引き寄せることでしょう。

神さまの波動のように繊細な波動ですから、

あらゆるものを活かし、

エネルギーを漲らせ、

バランスの取れた美しいハーモニーを奏でます。 

物事がどんどん上手くいき、

みんなが幸せになることでしょう。

また、その逆に、嫉妬、憎しみの心も

全く同じく、同じような人々が周りに集まりだし、 

集った人々全員を黒い未来が覆うことでしょう。

世の中の二極化がどんどん進行している今、

すべの方向性を決めるのは、私たちの心の指向性です。 

この魂の向かう方向性の違いは、発信する波長の違いを生みます。 

波長の違うものは、混じり合うことがありません。 

愛は愛を呼び

感謝は感謝を呼び

憎しみは憎しみを呼び込みます。

今の時代、地球が霊的に分裂し、 

それぞれの精神性の人々が住むにふさわしい

地球が用意されていると言われています。

できれば、日々の生活の中で、

一つ一つの行動を丁寧にして、 

周りのみなさんの幸せ、調和を願いながら行いたいものですね。

分裂する地球


2024年11月18日月曜日

3615「お迎え」2024.11.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月06日の記事を紹介します。


「お迎え」


日本は縄文の時代より、黄泉の国、すなわち神の国と非常に近しい関係でした。 

生活の全てに、死者(黄泉の国の住人、魂としての存在)や

神々を意識しながら生活していました。 

この物理的3次元の世界と、黄泉の国、つまり4次元以降の世界が

密接に繋がっていることを知っていたからです。 

日本以外では、このような思想自体がありませんでした。 

それほど、この日本は神々に愛された国であったのです。 

またこの黄泉の国の発想自体はスピリチュアル関係の人だけでなく、 

最近では、宇宙から直接地球に転生してきた

私たちより科学的にはるかに発達した知的生命体、 

レインボーチルドレンなども同じことを言っています。

すなわち、黄泉の国の存在は非科学的ではない・・と言うことです。 

ただ今の私たちには隠されていた真実であるというだけです。

今日のお話は、「お迎え」と言うことで、生まれる前に居た場所に帰る時のお話です。 

東京大学名誉教授で、長く救急・集中治療などの臨床医として活躍されていた

矢作直樹さんのお話よりご紹介します。 

<引用開始> 引用元

東大病院の救急で、あるいは東大病院に来る前の勤務先で、 

私は多くの方を看取ってきましたが、

今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、

まるで何かを見つけたような、ちょっと驚いたような

表情に変化する方が少なからずいらっしゃいました。

何かを見て顔をほころばせたように思えた方もいらっしゃいます。 

お別れの時が近づくと、ちょっと不思議な経験をすることもあります。

在宅緩和医療の第一人者と称される岡部健先生のグループは、 

10年以上かけて医療スタッフや研究者の協力を得た上で 

患者さんの家族にアンケート調査をおこなってきました。

調査のテーマは、「お迎え現象」です。

すでに亡くなっている両親や、身内が枕元に立つ、姿を見せる、といった現象です。

調査(回答者数は541人)では、自宅で亡くなった方の42%が、

何らかのお迎え現象を経験したそうです。

うち52%が肉親など身内を迎えたそうで、

なかには光、あるいは仏といった崇高な存在との遭遇も報告されています。

仏教には「三世因果」という考えがあります。

三世とは、前世、現世、来世という仕組みを指しますが、何らかの原因があって結果がある、 

といったそうした仕組みを詳細に理解できなくとも、

そういうものなのかな、と軽く信じるだけでいいのです。

この人とは前世でも何らかの形でご縁があったのだろう、 

だから今(現世)、こうして一緒にいる、そして来世でも

何らかの立場で関わるのだろう…、 

そう考えるだけで、 

これまでの時間、さらに現在の時間が価値あるものへと変化します。

私たちは、肉体死を迎える際、

いわゆる「私たちの本体」である魂が 、肉体から抜けて元いた世界へといったん戻り、 

そこで次の生へと向う準備をすることになります。

これが輪廻転生です。

こういう話をすると、初めて聞かれる方は、びっくりされるかもしれません。

しかし、そろそろ本当のことを知るべき時代が来ているということ、

本当のことをちゃんと知らないと、死ぬことが「つらさ一辺倒」である事実が

いつまでたったても変わらないということを考慮し、私自身もあえて書いています。

だからと言って、今回の人生を粗末に適当にやり過ごそうなどと思っていません。

今回の人生は今回限りだからです。

それがいつかはわかりませんが、肉体死を迎えるその瞬間まで、

私は全力で生きようと思っています。

<引用終了> 

矢作先生は勇気がありますね。

東京大学医学部の教授という立場からこのような発言をされています。

今までかなり、誹謗中傷、バッシングもあったことでしょう。

ですが、1945年の敗戦までは、日本全国のご家庭では、仏壇があり、祖先の霊を祀り、

大自然の中に、八百万の神々を感じ、謙虚に自然と、周りの人々と調和して生きていました。

それが日本人の強さでした。 

その日本人の精神と、肉体の強靭さを恐れた人々が

二度と、立ち上がれないように、戦後処理を行いました。(「3R・5D・3S」政策)

日本人は、誇りを失い、世界に類を見ない、高い精神性を失いました。 

ですが、戦後70年もたちました。 

矢作先生が仰るように、もう真実は隠しきれません。 

真実を知ることで、より良い人生、お互いさま、お陰さまの助け合いの人生、優しい社会を

取り戻せるかもしれないからです。 

戦後、日本は資本主義と言う名に隠れた狡猾な勢力に飲み込まれてしまいました。 

それは、明治維新のころから着々と計画され、すすめられてきました。 

・お金が全て

・自分さえ良ければ人は、どうなってもよい

・人を蹴落とし競争に勝て

・自分が持っていないものをリストアップし、努力して得よ 

でも、人間も捨てたものではありません。

そして、日本の神々も黙ってはいません。

様々な分野で、様々なレベルで真実が語られるようになりました。 

鉄の鎧のように見えた所にあちこちに、ほころびが見え始めました。 

生まれる前の記憶を持つ子供たちが全体の 1/3 もいるそうです。 

そして彼らの語る、人間として生まれて来た目的は

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため. 

なのだそうです。 

魂の永遠性、身近な周りの人々との、生死を越えたご縁、 

そんなことに気がつけば、矢作先生の仰るように、

よりよい人生が送れるかもしれませんね。


2024年11月17日日曜日

3614「青空ひろば」2024.11.17

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1522 2024.11.04 

<高天原の神々が私たち(日本民族)に授けられた天命>

「豊葦原の水穂の国を 安国と 平けく 知ろしめせと 事依さし奉りき」

(訳)

「豊葦原の水穂の国」:「うるおい」があり、多くの善きものを生み出す「心」を持つよう努めなさい。

「安国」:調和と融合の「心」を育てなさい。

「平けく」:お互いの存在価値を認め、平等に尊ぶ「心」を持ちなさい。

「知ろしめせ」:全体をよく見通し、見落としがない「心」を持ちなさい。

「事依さし奉りき」:そのように告げて、高天原の神々が日本人に地上で使命を果たすように委託されました。


1521 2024.11.03

<なぜ?予言がいい方に外れる日本という国>

・ゲリー・ポーネル氏の予言→北海道は半分海に沈む

・エドガー・ケーシー氏の予言→1995年に日本は沈没する

・なぜいい方に予言が外れるのでしょう?

・日本人の「心」は「ユニティの時代」に向けて一番進化しているから

・「心」が住まう環境を生み出す例→ユング:雨降らしの名人の話

(参考文献)『出雲記伝』立花大敬 バンクシアブックス


1520 2024.11.02 

<なぜ、自然災害が頻発するのですか?>

・人類は今、「分離の時代」から「ユニティの時代」へ向かう過渡期にいるからです(ゲリー・ポーネル氏)

・自然災害が「ユニティの時代」への移行を促進させます→助け合わねば生き残れないのです→(例)過酷な環境を耐えて生きのびるペンギン,雁の渡り。

(参考文献)『国生み記伝』立花大敬 バンクシアブックス


1519 2024.11.01 

<なぜ?日本で頻発する災害>

・日本は地球上のすべての「気」が流入して集約される場(龍穴)。そしてこの場で、すべての気が融和一体化され(大和の国)、その出来上がった「和気」を世界にむけて発信させる使命を持つ国。

(参考文献)シュタイナー:『天地の未来-地震・火山・戦争』(風濤社)


1518 2024.10.31 

<養いの坐禅>

① アタマを何かに集中させて坐る瞑想とは違う。ただカラダで坐る。

② 坐禅はカラダで結ぶ印で、この印を全身で結ぶと、なぜか心の傷が癒え、自他を許せるようになり、身心がほどけて解放され、運命が改善するということを信じて、ただ坐る。

③ 坐禅に上下、優劣、合格・不合格はない。

④ アタマをしばらくお休みすると、自然にいのちが充電される

⑤ アタマがはたらかなくても、音がなれば音が聞こえる奇跡!

⑥ 坐禅すれば「身」に帰れる。「身」に帰れば「今・ココ」にいのち の重心がピタッとおさまる。「今・ココ」にいのちの重心がピタッとおさまれば、最適の未来への一歩を踏み出すことが出来る。


1517 2024.10.30 

<延命十句観音経の行法>

① 姿勢:坐禅か正座

② 合掌して「叶えたい願い」を念じる

a.口調のいい短い文章を練る

b.否定形の願いは叶わない

③ 読経:三千回が標準 

a.100回で20~30分ほど

b.カウントは「カウンター(数取り器)」で

c.手帳やノートに回数を記録してゆく(気持ちや感想も書き込んでゆくとより効果的)

d.念力で願いが成就するのではなく、仏力、観音力で叶うのだということを忘れない

④ 最後に、もう一度合掌して「叶えたい願い」を念じる


1516 2024.10.29

<延命十句観音経の現代語訳>

「延命十句観音経」:いのちの可能性を伸ばす性能を持つ、十句からなる観音様のお経。

「観世音」:観音様、お願いします。どうかこの「願い」を叶えて下さい。

「南無仏」:仏様、お願いします。どうかこの「願い」を叶えて下さい。

「与仏有因」:私たちは仏様の子供です。

「与仏有縁」: 私たちがこのように生きているのも、すべて仏様が、必要なものを次から次へと与えてくださっているからです。

「仏法僧縁」:仏様は、私たちをこのように生み出してくださり、養ってくださり、導いてくださり、助け合い、支えあって生きる仲間を授けてくださいました。

それはなぜでしょう。それは、私たちが「いのちの可能性」を伸ばし、より大きく、より高く成長するようにと願われてのことなのです。

ですから、「いのちの可能性」をさらに伸ばすためにこうしたいという、この「願い」もきっと叶えてくださるはずです。

そうでなければならないはずです。

「いのちの可能性」を、どこまでも伸ばしてゆくと、私たちはどこに到達するのでしょうか。それは、「いのち本来性」に到達するのです。

「いのちの本来性」とは、

「常」:いのちの領域がどこまでも限りなく拡大させ、

「楽」:絶えざる創造の喜びに満ちあふれ、

「我」:常に宇宙の中心者としての意識を保ち、

「浄」:停滞やよどみがなく、どこまでも「いのちの可能性」を追求する「成長の意志」を持ち続ける 

という姿に私たちは全員残らず戻ることができるのでした。

仏様、観音様は、私たちが「いのちの本来性」を回復することをお望みです。

その進化達成の日まで、私たちに「いのちの可能性」を追求させてください。

「朝念観世音 暮念観世音」:私たちの求道の旅に、観音様、仏様は、ずっと同道してくださいます。私たちがつらい時、道に迷った時、おすがりしてもいいのです。

「念念従心起」:私たちは、観音様や仏様が設(しつら)えてくださった「大乗の船」に乗船させていただいて、日々、刻々、旧い自分を捨てて、「新しい可能性」へと船出して行きます。

「念念不離心」:もう、途中で下船することなどあり得ません。観音さまとご縁が結ばれた私たちは、必ず「常楽我浄」の港へと入港できるのです。


1515 2024.10.28

<延命十句観音経の霊験>(白隠禅師の『延命十句観音経霊験記』より)

① 重病が癒えた 8件(肉体治癒5件、精神治癒3件)

② 死刑を免れる  2件

③ 拘束監禁からの開放 1件

④ 死後蘇生 3件

⑤ 虚弱体質の改善 1件


1514 2024.10.27 

<神さまとはどんなお方?>

Q1.神さまは、なぜ「柱」で数えるのですか?  

A.地上に降臨しておられる神々の役割は、人と天をつなぐこと。神さまは天と地(人)をつなぐ情報とエネルギーを人に注いで、人の意識を上昇させ、天に近づけるための昇降の働き(エレベーター)をなさっているので、「柱」で数えるのです。

Q2.神様方は何を目指しておられるのでしょうか?

A.人の意識の波動レベルを上げ、高天原で神と人を合流させ、一体化させようとなさっているのです。

Q3.なぜ神様は人と一体化なさりたいのですか?

A.本来、神と人は一体であったのですが、進化の必要から、神の本体からあえて分離させて地上世界に人を降ろしました。

本来、神と人は一体なのですから、人のレベルが低くて欠けているところが多々あると、結局それは神ご自身が未完成だということになるのです。

だから、手を怪我したら、全身がその手の怪我を治すための働きをスタートするように、人の身心が病んでいたり、欠けていたりすると、神(全身)が発動して、その欠けた部分を補おうとされるのです。


1513 2024.10.26 

<うまく流れに乗る方法>

① 否定形の思いは逆作用を及ぼすので注意。

(例)「失敗しませんように」(×)→「神様のおかげでうまく事が運びます。有り難うございます」(○)

② 過去の後悔、未来の不安、現在の怒りに意識が固着していると失敗しやすい(「今・ココ」に意識を引き戻すこと)。 

③ 気づきの成果がすぐ現れない場合でもあせらない。きっと何かが起こるはずと明るい期待感で待つ(時を味方にする)。

④ 頭が無駄にはたらき過ぎる余裕を与えない→カラダを動かす。

⑤ 「ねばならない」の思い込みが、自分を縛っていないか気を付けよう。


1512 2024.10.25 

個人性の囲いが外れると、神のご意志の流れが肌で感じられるようになる。神のご意志の流れのまま、浮かんで楽々運ばれることが出来るようになる(神流楽 かんながら)(フロー感覚)。


1511 2024.10.24 

個人性を超えた志(我欲でない誓願)を持つと、個人が持つ能力の限界(制限・制約)が取っ払われる。そうすると、その志を果たすのに必要な才能、資材、人材が、天から、世界から届くようになる。

そうして、神から授けられた御用が順調にこなせるようになる(関門が次々自動ドアになる)。

・・・

2024年11月16日土曜日

3613「魂の進化」2024.11.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月05日の記事を紹介します。


「魂の進化」


神さまの仕組みは、私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて実は神様の介入により、様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。 

まさに神仕組みです。 

その積み重ねが、、私たちがその流れに乗っていることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり、神々の功徳を宣伝する必要はありません。 

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ集まり集う人の心は、

依存心を生み、自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。 

パワーのあると言われる場所に、ご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・ 

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ、 

同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。 

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのに 

どっぷりと

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心 

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく 

自分の心の状態に合った世界、地獄のような世界に自ら入っていくことでしょう。

心とは、それほど大切なものであり、その心を通じ、神様を認識することも

人々の心の中の神様を認識することも可能になります。 

そして何より、そのことを神々は望んでいらっしゃいます。 

さあ自分の所にお参りに来なさい

お布施やお酒を持ってきなさい

そうすれば願いを叶えてやろう・・ 

神様は、そのようなお方ではありません。 

さて今日は、この地球に置いて、人間を経験することで

人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。

美しき心を思い出すための記事です。

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、

愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、 

・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。 

私たち人間も本来そうでした。 

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。 

何処かが詰まったりするとせっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。 

「心を受け取る」と言うこと。 

私たちが、この地球に生まれたのは

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません 

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から 

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界

このような地球に来たのは、 

人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、魂のダイナミズムを経験し、 

・お互いさまの心

・お陰さまの心

を養い育て、自分だけでなく、お互いが 

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。 

肉体を持つことで、様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、経験することで、

肉体を持たない時に比べ、比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。 

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、 素直な心、ピュアな心になればなるほど、 

悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。 

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。 

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。 

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていても、その人の心の状況によって、 

受け取り方が、全く正反対の人もいます。 

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか? 

その違いだけで、空海が仰っていたように、 

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか? 

それほどの違いが出てきます。

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。 

心こそ、全ての全てです。 

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ、お互いの違いを知り、受け入れ、

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。 

今、生きているのは、効率よく、何かを成し遂げるためではありません。 

大きなことをするためではありません。

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる、強い人間になるためでもありません。 

相手の方の心を信じ、その奥底に在る、神さまを信じることができれば、 

全ての方が、自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。 

常に、心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、 

相手の方の態度、行動の裏に隠された、寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り、

包み込んで差し上げることもできるでしょう。

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。 

生きている間に、何事も、成すことができなくとも、

名もなき一人の凡人で終わったとしても

互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること、 

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと、

そのことに勝る人間としての経験はありません。 

心を知る、感じ取ると言うことは、人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、 

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。 

ですが、今私たちの住む21世紀は、本来の、私たち人間の精神を復活させようと、 

見える者、そして見えない方々が、大きく動いています。働いています。 

自分の心を開き、相手の心も受とり、お互いを信じ、助け合い、

喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、

魂の輝きを増していく時代です。 

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に

一緒にやっていくためのパートナーです。 

この人と人、人と、動植物たちとの美しい心の交流こそ、唯一、

私たちが亡くなった時に、持って帰ることができるものです。

お金や物は持って帰れません。 

そして、これこそが、私たちの魂を飛躍的に進歩させてくれる宝物です。 

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、

そんな、深い深い意味があります。 

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに気付いて、大切にしていれば、

私たちの心も大切にされます。