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2025年4月5日土曜日

3753「死を超えて」2025.4.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月23日の記事を紹介します。


「死を超えて」


今日のテーマは、死についてです。

近しい方を亡くされて、喪失感の中に、居られる方もいらっしゃるかもしれません。

もっとこうしてあげればよかった・・ そう自分を責めている方も、いるかもしれません。 

自分にできる精一杯やったと、

爽やかな達成感を味わって、いらっしゃる方もいるかもしれません。 

今日は、肉体の寿命は尽きて亡くなろうとも、

・魂は死なない、

・永遠である 

といことをご紹介します。

それを知っているか知らないかで、人生の価値が、まるっきり変わって来るからです。

まずは同名の著書を持つ元東京大学 医学部部長、矢作直樹さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元

死は考え過ぎるといけませんが、

時々、それを思うことで「豊かな生」を手に入れることができます。

それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、

自分のお役目も励みながら、

あるいはお役目を探しながら、感謝しつつ日々を全うする。

そのうちにゴールがやって来るという人生で、必要なのは「幸福感」でしょう。

誰もが避けられない、死というイベントを意識することで、

限られた時間の中で、豊かな生に向かって歩こうとする、

私たちの幸福感は、そんなところから滲(にじ)み出て来ます。

さらにそこで大切なのは、

「人は死なない」という事実を知ることです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

まずはそこに気づくこと。

そうでないと唯物論者のように、現世利益にしがみついて、単に死を怖がることになります。

この先も、まだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、今の生の、利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に、また会えるという感情が生まれ始めます。

他界した、大事な人や、愛しい人とは、あちらの世界で会えるし、

次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちの、すぐそばにいます。

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで 

彼らは優しい眼差しで、見守ってくれているのです。

その仕組みを踏まえると、残りの人生を、心配する必要がなくなります。

対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、それも今回の人生において、自分の「課題」がそういう形で出ているだけの話です。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。

必ず解決のための糸口があります。

その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に実にさまざまな立場の方々が、 

講演や著書でその体験談を発表しています。

脳神経外科の世界的権威である医師

エベン・アレグザンダー(元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が 

自らの臨死体験を著書にまとめた本もベストセラーになりました。

(脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

向こうの世界の様子が、詳細に描かれているのが興味深い点です。

レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、多くの実績を持つ欧米の医師たちが、死後世界の実相を克明に語る向きは、海の向こうではかなり増えています。

しかし、私たちの住む日本では、そうした情報自体をまだオカルトと、忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

理由は簡単です。

人間は、知らないことへの対処が、この世で一番怖いからです。

・知らないこと、

・知らない人、

・知らない世界、

・知らない作法、

・知らない手続き、

・知らない知識…

私たちが常に怖がり、不信感を持つのは「未知のもの」です。

逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

<引用終了>

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。

と矢作さんは仰います。

また、矢作さんは、「寿命とは、この世で魂を磨く期間」と言っています。

我々がこの世に生を受けた目的は、 

魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たして、あの世に行くこと。

・人の役に立ち、

・人から必要とされる人となること。

・人に喜ばれる人になること。

(病気や寝たきりになって、人のお世話になることも、相手の方に「人の世話をする」という体験の機会を与えている 立派な役割です。)

だから、 

・辛いこと、

・困難なこと、

・嫌なこと、

・面倒なことは、 

この人生において、自分の魂を磨くための、大事な砥石(といし)。

多くの人は、沢山の悩みや悲しみ、苦しみの中で人生を送られていることだと思います。

でもそれは、それらの環境が、私達の魂を、強くしてくれるからです。

そして、それは、乗り越えられない試練は決して与えられない。   

と言うことと、肉体の死を持って、終わる。 

と言う意味でもあります。

それはどういうことかと言えば、

今の苦しい環境も、せいぜい死ぬまでの事。

そしてそれは、自分の魂を磨くためにあると言うこと。

時に、もう投げ出したくなるような、人間関係、家族関係、経済的な貧困、人々の差別、

中傷、ねたみ にさらされるかもしれません。

ですが、それは永遠に続くものではありません。

私達は、あと何年、何十年生きているか解りませんが、それで終わりになります。

決して、その環境を投げ出さず、自分の精一杯の誠意と愛と思いやりを持って、

過ごして生きたいものです。

先に亡くなった方々は、今頃どうしているでしょうか? 

このブログでも、沢山の臨死体験例をご紹介してきましたが、

肉体という 振動数の低い状態から、魂という、振動数の高い状態に移行すると、

そこには、時間の概念も、空間の概念も無くなるのだそうです。 

拘束の多い、物理的な地球と異なり、

一瞬にして、意識した時代へ行け、意識した場所へ移動できるのだそうです。 

そして、その状態こそが、私たちが肉体を持ち、暮らしている時間より、

はるかに長い時を過ごす場所であり、実在界とも呼ばれます。 

また、類は友を呼ぶ。 

つまり「波長の法則」と呼ばれるものが、より鮮明に機能するため 

波長の異なる者同士は、交わることができません。 

亡くなった方々は、同種の波長を持つ、ソウルメイト達に囲まれ、

ねぎらいの言葉をかけられていることでしょう。

また、この地球上で経験したこと、 

・思ったこと、

・感じたこと、

・感情の爆発など

全ては貴重な体験とされ、ソウルグループに共有され、宝となるのだそうです。 

それは、私たちが、 

・良きこと

・悪しきこと 

と、常に区別しますが、一切のジャッジ抜きで、全ての経験が

大切な宝になるのだそうです。 

だから、あちらに戻った時に、経験したこと、つまり

「既知」 (いろんな未知のことを経験して知った)

というお土産を持ってきたが故に、大歓迎で迎えられます。 

きっと、お父さん、お母さん、先に亡くなった子供たち、友人や、かわいがっていたペット達も、笑顔で 迎えてくれることでしょう。

そして、再び霊的な生活に、フォーカスされた暮らしが始まります。 

ですから、死とは決して、悲しいものではなく、通過点でしかありません。 

生きていた今よりも、もっと幸せになるために、帰って行きます。

死は、この地球で経験した、豊かな宝を仲間たちの元へと持ち帰る最後の扉です。 

そして、その扉の向こうには、隠し事など一切できない、心と心、波長の同じ、

親しい仲間たちが待っています。

残された私たちは、戻られた方々が、後ろ髪引かれることの無いように 

自分たち自身の、生きる目的をにこにこ笑いながら、経験して行きたいものですね。 

そして、私たちも、向こうに戻った時、笑顔で、ご挨拶したいものですね。 

地球では、お世話になりました。 

泣いたり笑ったり、沢山の経験をさせていただきました。

ありがとうございました って。



2025年4月4日金曜日

3752「苦の後に楽が来る」2025.4.4

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月22日の記事を紹介します。


「苦の後に楽が来る」


人は誰でも 

・不幸や苦労

・貧困や病気 

を厭います。 

毎日毎日が幸せで、嬉しいこと、楽しいことしか起きないことを望みます。 

ですが、私たちの永遠に続く魂は、本当にこの短い人生、やっと手に入れた人間としての人生を、そのように送ることとを望んでいるのでしょうか?

今日は美輪明宏さんのお話です。

尚、文章の中で「修業」など、美輪さん一流の言葉使いをされています。 

ですが、それは文章中でも述べられていますが、人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている・・ という意味で使われています。

ですので言葉尻だけを捉え、艱難苦難の修業と、誤解なされないようにお願いいたします。

文章表現の細かいところではなく、美輪さんが仰りたい大意・真意をご理解下されば幸いです。

<引用開始> 引用元 

美しい生き方というのは、たとえば死後にも、ものすごく影響することだと思うのです。

楽あれば苦あり。

すごく悪いことがあった後に、ものすごくいいことが起きるようになっている。 

この地球という星はそういう場所なのです。

そして私たちの開発途中の魂は、 

・あらゆる人種、職業、容姿、性格と、

・あらゆるパターンの人間の人生を、

心を、体験し、修業しなければならないのです。

あるときは 

・黒人になったり、

・白人になったり、あるいは

・黄色人種になったり。

・男になったり、

・女になったり、 

私のように真ん中になってみたり(笑)。

いろいろなタイプの人生を何千何万回と生まれ変わり、死に変わり、

輪廻転生を繰り返して体験して生きていかなくちゃいけないのです。

そしてそこで苦労して勉強していく。 

「私はどうしてこんなに孤独で、ひどい人生を歩まなくてはいけないのかしら」と思っても、

実は、生まれる前に、あの世で自分でプログラミングして、それを選んで生まれてきたのだから、その人はその人生を体験しなきゃいけない義務を持っている。

この地球に修業しにきているのだから。

だから文句はいえないわけ。

よく人生に疲れたからといって自殺する人がいるけれども、

これは言ってみれば、人生の職場放棄で人生の中途退学なのです。

ですから次に生まれ変わっても、また一からやりなおさなければいけない。

辛い思いをして死んだとしても、

結局、また同じコースを生まれかわってきて同じことを繰り返さないといけない。

だから自殺で死ぬのは痛いし苦しい目にあっただけ骨折り損のくたびれ儲け。

だからどんなに苦しくても辛くても、人生は自然死までがんばった方がいいということです。

反対に苦労が多い人生でも、前向きにすべてクリアして経験していくと、

優しくて厳しくて温かい思いやりある、自信にあふれた人格へ成長していく。

人間はその美しい姿、完全なる人格、

つまり神と同じ、純粋エネルギーに近づくために生まれてきているのです。

あの世ではこの世の権力や地位、肩書なんて何の役にも立ちません。

本当に平等なのです。

魂が純粋で、美しければ美しいほど、それに準じ比例した高いところにいける。

真っ黒で汚くて、恨みつらみ憎しみで想念が固まり、ストップしたまま、あの世で暮らすなんて嫌でしょう。

だからこそ、私は現世で、ウォーミングアップとして

まず心の優しさ温かさ美しさを、といつも呼びかけているのです。

そう、未来永劫(みらいえいごう)、この世でも、あの世でも平和で安らかで、

美しく生きていくために…。

<引用終了>

・輪廻転生(生まれ変わり)がある。

・自分の人生は、生まれる前にあの世で、自分自身で設計して生まれてきた。

・人間はその美しい姿、完全なる人格、つまり神と同じ純粋エネルギーに近づくために生まれてきている

・自分の生前の考え方、癖(不平不満、愚痴)が死後の行き先さえ変えてしまう。

これらは全て、中間世記憶を持つ子供たちが、思い出した天の記憶と同じです。

また、ここで頻繁に紹介している小林正観さんの考えと同じです。

私も、それが真実であろうと思います。

そしてそれが真実であるならば、

・今、例え不幸のどん底でも、それは自分で計画してきたこと

・従って、自分を破滅に追いやるためでなく、自分の魂を輝かせるための苦労である。

ということですね。

そして何倍もの高い倍率をかいくぐり、地球に生まれてきた幸運な魂たちは、 

皆それぞれの、魂磨きの環境を選んで生まれて来ているわけですから、

見た目で人を判断したり、バカにしたりしてはいけないと言うことになります。

生きている私たちには、その見えない深い理由など分からないのですから。

縁があって、 

・同じ時代、

・同じ地域 

に生まれてきているのですから、 お互いの長所も短所もひっくるめて「個性」を尊重し、

相手の尊厳を尊び、助け合って生きていきたいものですね。

それがひいては自分の生きている宇宙全体を、幸せにしてくれますから。


2025年4月3日木曜日

3751「青空ひろば」2025.4.3

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新記事を紹介します。

 

1432 2025.03.12 ~

<たくましく生きるには?>

Q1.「いのちの足腰」を鍛えるとはどういうことでしょう?

A.「いのちの足腰」が弱いと、人生の坂道をたくましく登り切ってゆけません。また、人生のはるかに遠い目的地までたどり付けません。 

Q2.では、「いのちの足腰」を鍛えるにはどうすればいいのでしょう?

A.「徳を積む」ことによって「いのちの運び」が堂々としてきて、たくましくなります。

Q3.「徳」とは何でしょう?

A.徳(サンスクリット語ではグナ)とは、「現世で使用出来る心のエネルギー」のことです。「心」には「想いを自動的に現実化する性質」があるのです。「心」は「お自動さん」なのです。 

徳が高い(高徳)と、心の「想いを自動的に現実化する性質」が強くなり、想いが実現しやすくなります。

しかし、残念なことには、徳エネルギーは一気には貯まりません。時間をかけてゆっくり貯めてゆかねばならないのです。

Q4.「徳」を積む(心のエネルギーを蓄える)にはどうすればいいのですか?

A.徳を積むには、他者に対する見返りを求めない善行(布施(ダーナ)行という)を実践しなければなりません。 

Q5.「徳」を積むには、具体的にはどんな善行をすればいいのですか?

A.徳積みの種類は、もうすでに何度も説明しているので、ここでは省きます。『出雲記伝』(バンクシア・ブックス)などをお読み下さい。

Q6.なぜ「徳」(善行=布施行)を積めば、心のエネルギーが増加するのでしょう?

A.人のために手を差し出し、足を運べば、「自我の狭い囲い」が破れるのです。「自我の囲い」が破れれば、他の人や世界、宇宙と生き通しとなります。

そうすれば、「自我の囲い」が邪魔して流入を妨げていた世界全体に充ち満ちている「徳エネルギー」があなたのもとに妨げなく流入できるようになります。そうすると、あなたは高い徳エネルギーを得て、これまでは高嶺の花であった目標にでも手や足が届くようになるのです。

Q7.「徳」を積む上で、さらに心得ておくべき事柄がありますか?

A.一過性の徳積み(たとえば募金など)だけでなく、ご縁が出来たところで、粘り強く長い時間かけて掘り下げて善行を続けてゆくことも、出来ればしていった方がよいのです。

また、徳を積むには時間がかかりますから、若いときから徳積みを実践しておいたほうがいいです。

しかし、歳をとっていても、躊躇せず、その時から徳積みをスタートするべきです。徳積みは一生ものでなく、多生の渡るものなのですから。

Q8.人は何のために生きているのでしょう?

A.人は「いのちの可能性」を広げてゆくために生きています。

「より高くなりたい、よりいのちの領域を広げたい」という意志・本能が、誰にも備わっている「いのちの根源(共有)意志」なのです。 

なぜ、人にはそんな成長意欲があるのかという理由は、人類の魂の進化モデル「金平糖大作戦」で説明しています。

「金平糖大作戦」については、『ココロとカラダを優しくほどく-立花大敬さんの坐禅 入門編』近藤太郎(バンクシア・ブックス)などをお読み下さい。

Q9.「いのちの可能性」はどのように開発されてゆくのですか?

A.

① 若い時は、自分の「いのちの可能性」をガムシャラに追求すればいい。

② やがて能力の限界に気づき、人とともに協力しあって生きることで、さらに「いのちの可能性」が広がること知る。

③ 「差し出せば、帰ってくるものなんだ」という「お風呂の原理」を悟る(二宮尊徳翁のたとえ)。

④ 「いのちの一体性」を悟り、自分は人で、人は自分なのだから、自分の能力でやれるだけのgiveを精一杯やってゆけばいい。自分ができないことはもうひとりの自分(他の人)がきっとうまくやってくれるのだからという、イノチの本能にたいする「安心感・信頼感」が自然と湧き出してくる。

Q10.「いのちの可能性」を追求する上で、心得ておくべき事がありますか

A.

・失敗を恐れないことです。失敗を重ねなければ成長は出来ません。勇気を持って「マルでダメ夫」の人生ではなく、「ダメでマル夫」の人生を選びましょう。

(註)「ダメでマル夫」とは、人生において、いっぱい失敗をするけれど、人生全体で見渡すと、そんなたくさんの×で大きな○を描いているというような人のこと。「マルでダメ夫」は、その逆。

・背伸びしないこと。自分の今持っている武器で最高の勝負をすることを目指しましょう。結果の成否は知ったことではないのです(失敗しても、成功しても、一歩前進できるのだから。結果は神様にお任せ)。

・人類の魂の進化の潮流を知って、それに逆らわない正しい人生目標は持ちましょう。

「分離」の方向の目標はあなたをエゴの殻に閉じ込めてしまいます(「いのちの可能性」をますます狭めてしまう)。

「融和」の方向の目標はあなたの「いのちの可能性」をますます広げてくれます。

・「いのちの可能性」の追求は一生で完成出来ません。「一生1ミリ前進」ぐらいの大らかさで、でも少しずつ弛まずに歩み続けましょう。

・転生があることを知り、転生の意義を知っておきましょう。

飯田史彦先生やキューブラー・ロスさんの著作を読んでください。

転生があることを知ると、ムダなあせりがなくなって、今・ココにどっしり腰を据えて課題に取り組んでゆけるようになります。

Q11.菩薩とはどんな存在ですか?

A.菩薩とは、大乗仏教が生み出した「理想的人間像」です。

地上世界に一人(一つ)でも、苦悩している存在がいる間は、私一人だけが悟りの彼岸(安らぎの向こう岸)に渡るようなことはしない。何度でも地上世界に転生して、最後に残った苦悩する存在が無事彼岸に渡りきったのを見届けてから、私は最後に悟りの彼岸に渡ることにしようという誓願(誓い)を立てた存在のことを菩薩と呼びます。

道元禅師に「自未得度(じみとくど)、先度他(せんどた)」というお言葉があります。 

「自らは未だ度(救い)を得ずといえども、先ず他を渡そう(救おう)」という意味で、これが菩薩の誓願です。 

道元禅師は、悟りを開かねば人を指導する資格はないなどとはおっしゃっていません。「坐禅会運動」はこの道元禅師のお言葉に勇気をもらって始めた菩薩精神共同体の現代版です。

Q12.「菩薩」と「阿羅漢(アラカン)」の違いを教えて下さい。

A.小乗仏教の教理では、この地上世界は、錯覚と幻想が生み出した「苦の世界」で、そこから一日でもはやく脱出するべきだとしています。

そして、小乗の悟りを開いて、脱出の手続きが済み、肉体が消滅して解放される時を待っている存在が「阿羅漢」です。 

「菩薩」は、自らの悟りを放棄して、あえて何度も地上世界に転生してきて、最後の一人まで残らず救済し尽くすという存在のことです。難破船の船長さんは乗客や船員が全員無事脱出するまで船に残りますね。それが菩薩の精神です。

Q13.「菩薩」がなぜそんなハードな誓願を立てる必要があったのか、その理由がもう一つすっきりしません。私にはとてもそんな誓いは立てられそうにありません。

A.イノチは本当は一体なのだから、自分ひとりだけが他のイノチたちを押しのけて悟ってしあわせになるなんて本当は不可能なのです。 

阿羅漢の悟りを開いて、自分は永遠に安らぎの境地に憩う事が出来ると思っていても、結局は地上世界に引き戻されることになります。 

なぜそうなるのかというと、イノチは一体で、地上で苦しんでいる人や動植物たちは、実はその阿羅漢さんの分身たちなのですから、その地上の存在たちの苦悩の渦の引力に引き寄せられて地上世界に戻されてしまうのです。 

この世に一人でも苦しんでいる人(モノ)がいる間は、私たちはまだ本当は悟っていなくて、安らぎの世界に住むことは出来ないです。 

だから、私たちはこの地上世界(娑婆世界)に何度も転生して、救済活動に従事するし、最後の一人まで救済し尽くした時に、私たちはついに本当の悟りを開き(仏となる)、また同時にすべての生あるものたちも悟りをひらく(仏となる)のです。それが、菩薩の誓願を持った私たちの覚悟なのだということを知っておいてください。

Q14.「菩薩ガナ(集団)」とはどういうものですか?

A.「ガナ」・「サンガ」は、英語では「republic (共和)group(集団)」のことです。古代インドでは、王制(専制)ではなく、みんなで合議して国の方向を決める国家群が存在していて、これらは「ガナ・サンガ国」と称されました。 

それに習って、出家者だけの共和集団は「サンガ(僧伽)」と呼ばれ、大乗仏教が勃興して、出家僧だけではなく、在俗の菩薩にも開かれた和合集団は「菩薩ガナ」と呼ばれました。 

私たち、「お日さまのなかま」は、そんな開かれた菩薩たちの共同体(菩薩ガナ)の現代版なのです。

「お日さまのなかま」の信条は以下の4箇条です。 

(1)明るくて、温かくて、潤いがある「安心できる場」を作ろう

(2)リーダーシップより「メンバーシップ」を大切にしよう

(3)「あなたがあなたであること」以上に尊いことはない、ということを知ろう

(4)菩薩としての自覚を持って、分に応じて「ダーナ行」を粘り強く実践してゆこう。他のために生きることの喜びを体験しよう。

Q15.菩薩になる誓いを立て、菩薩集団(ガナ)の一員のなりなさい、とおっしゃいますが、そんな人生を生きることにすれば、損ばっかりのみじめな人生を生きることになるのではないですか。 

A.

誓いを立てて菩薩ガナに加入しますと、私欲の狭い囲いが撤去されるので、イノチの本来の姿である一体性に復帰出来るようになります。そうすると、以下の三つの喜びが得られるのです。 

(1)不幸な人生がしあわせな人生に転換する。 

(註)「しあわせ感」とは、他の人や世界との一体感、連帯感、貢献感が得られる状態をいいます。私欲の狭い囲いが取り払われると、自然とこの三つに代表される「しあわせ感」が得られるのです。 

(2)想いが叶うようになる(必要な時に必要なものが入ってくるようになる)。

(註)他の人や世界と「生き通し」となるので、あなたのこうしたいという想いが私欲の囲いで邪魔されずに、すぐ世界に伝わり、その想いを叶えるべく、世界の配置変えが行われるのです。

(3)能力が上がる。 

(註)私欲の囲いがあると、その囲い内の能力やエネルギーしか使用出来ませんが、私欲の囲いがなくなると、菩薩ガナの共有データベースにアクセス出来るようになるので、菩薩たちの智慧やまたエネルギーなどを我がものとして使用出来るようになるのです。

Q16.私たち(お日さまのなかま)を指導して下さっている菩薩集団は具体的にはどんな方々なのですか?

A. 

私たちは「蓮華部」に所属して、その部のうち、日本支部天照(太陽神霊)課に所属しています。

「蓮華」はひとついのち(イノチの一体性)のシンボルです。「菊のご紋」も実はそうなのです。日本国旗も、ひとついのちの中心が太陽神霊であることをしめしています。 

蓮華部の実務リーダーは観音さまで、観音さま方の誓願や働きについては、法華経の「観世音普門品(かんぜおん ふもんぼん)」などに書かれています。

Q17.「観世音菩薩普門品」の内容を教えてください。

A.

・「観世音菩薩」は、世の音(苦悩して「観音さま!」と叫ぶ声)を聞けば、私は直ちにその人のもとに駆けつけて救済するという誓願を起こした菩薩です。

・「普門」とは、あらゆる方向(宗派、信条、心境の高低を問わず)に門戸を開いて、ドウゾ、ドウゾと受け入れるという意味です。

・「十一面観音」は、あらゆる方向に顔を向けて、見落とすことなく救済する観音さまです。

・「千手観音」は、どのような人の、どのような苦悩であっても、あの手この手を駆使して救済するという観音さまです。

・「観音三十三身」とは、観音さまはその人を救済するのにふさわしい人物や事件や環境に化身して、その人を救済してくださることを示しています。(完)


1431 2025.03.10 

<よき「癒やし人」の条件>

(1)どの人も素晴らしい自己治癒力を持っていると確信している。

(2)不完全な、到らぬところがある自分を反省懺悔するが、そんな自分を認め、受け入れ、愛し、許している。

(3)自分や人をアタマの判断(色めがね)で決めつけたりしない。

(4)常に自分や人の新しい可能性に対して心の眼を開いている。


1430 2025.03.07

私が私に落ち着くことができれば、人や世界は本来の居り処に復帰して、癒されるのです。自分を許し、愛することが先です。


1429 2025.03.06 

人は誰でも完璧ではない。

どの人も、「出来ること」、「出来ないこと」の混成体。

そんな完全じゃない自分を否定しないで、認め、受け入れ、愛おしむこと。

でも、そこに腰を据えてしまうのではなく、自分のペースで一歩ずつ前へ!「出来ること」を増やしてゆこう。 

「ヘタクソでも自分の足で歩こうね」


2025年4月2日水曜日

3750「大峠を越えるために」2025.4.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月21日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。 

そこでは、人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、

など近未来に対して様々な予言が語られていました。 

それはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球、

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。

改心した人とは、

要するに心の罪、穢れを祓い

ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、私たちの幸せが訪れるわけではありません。

そのような他人依存的な姿勢は、 

昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、魂の退化に繋がります。 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。 

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。 

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、 

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから

と、仏頂面で人に相対していませんか? 

それを見た人、そばに居る人は、 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように 、いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神さまが、あなたをここにお植えになったのは、間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ、生まれて来た目的があります。 

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って 

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。 

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。

自分にとって、自分の魂を輝かせるために、今の環境は最適なものだからです。 

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、

それよりも、辛さ、悲しさ、苦しさ、そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた、私たちの美しい魂を、

再び見せてくれるものだからです。

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。 

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

皆さんが

ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2025年4月1日火曜日

3749「地球にさよならする時まで」2025.4.1

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月20日の記事を紹介します。


「地球にさよならする時まで」


私たち、地球に住んでいる人間で、ネイティブな地球人は、誰もいません。 

起源をたどれば、その魂は全員、他の星や宇宙から地球にやってきました。

そして必要な経験が終われば、みんな、故郷の星に帰ります。 

家族といえど、親友といえど、出身星が違えば、皆バラバラになります。 

悲しいことに聞こえますが、仕方のないことです。 

だからこそ、今、目の前にいる人を、慈しみ、大切にしたいものです。 

もしかしたら、もう、永遠に会えないかもしれないからです。

そう、愛する家族でさえも・・・ 

楽しい日々、悲しい日々、何もない穏やかな午後

出会い、そして別れ

争い、病気、老い、愛する人との死別

笑顔、感動、涙、怒り

様々な感情の波と、沢山の経験

どうして生まれてきたのか?

そして生きることの意味を、問いかけるたび、

胸をよぎるのは、愛しい人々の笑顔と温かさ 

この星、地球の片隅で巡り合えたことの、

奇跡

それは、どんな宝石よりも大切な宝物

悩み、苦しんで泣きたい日もあった

絶望に打ちのめされた日もあった 

でも、そんな時、

傍らに寄り添ってくれた家族、仲間たち

故郷の夕焼けの優しいぬくもり

本当に大切なものは   隠れて見えないのかもしれない

ささやかに過ぎていく日々の中にこそ、

本当に大切な、かけがえない喜びがある

いつかは誰でも 

この星にさよならをする時が来る

けれど、この命はずっとずっと、

この地球で誰かに受け継がれてゆく

・生まれてきたこと 

・育ててもらえたこと 

・出会ったこと 

・笑ったこと 

そのすべてが大切な思い出、経験。

ありがとう 

この命にありがとう 

これは、「いのちの歌」、竹内まりやさんが作詞した詩を元に脚色したものです。

竹内まりやさんは、

私たち人間が宇宙のどこかの星から、一時の間「地球という星」を訪れて、

沢山の経験をして、そしてまた元の星に帰って行くことを知っていたのですね。

いのちの詩 Wikiより引用

三倉茉奈、三倉佳奈らによる連続テレビ小説『だんだん』劇中の音楽ユニット「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定で、2009年1月24日に放送された第96回で初めて登場した曲。

作詞はドラマの主題歌「縁の糸」及び劇中のナレーションを担当した竹内まりや。「シジミジル」が作った唯一のオリジナルソングという設定のため、竹内による作詞である事実は伏せられ、Miyabiのペンネームにより詞を提供した。


以前書いた記事ですが、

女優の加賀まりこさんも同じことを仰っていました。 


あなたは 

・どこの星から地球に来ましたか?

・そして誰と出会い、何を経験しましたか?

・それは嬉しいことでしたか? 辛く、悲しいことでしたか?

永遠に地球に居ることはできません。

いつか大切な人と離れ、故郷の星に帰る時がやってきます。

今経験していることは、喜びも悲しみも、とっても貴重な体験です。

全ての経験を故郷の星に持って帰ります。

本当に大切なものは、隠れて見えない。

ささやかに過ぎていく日々の中に、かけがえない喜びがある。

どうぞ、些細なことにとらわれず、

身近な周りの方々に、笑顔と優しさを届けてください。 

今日という日は、

もう二度と来ないかもしれないのですから。


故郷の星に戻る時。

それは自然な形で、訪れます。

周りの関係する方々全てにとって、まさにベストなタイミングで訪れます。 

ですから、その最後の瞬間まで、泣いたり、笑ったりしながら、

この地球を楽しんでください。 

この地球で受けたイノチは、それに値する、大きな大きな価値のあるものだからです。


2025年3月31日月曜日

3748「神さまのお仕事」2025.3.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月18日の記事を紹介します。


「神さまのお仕事」


今日は「神さまのお仕事」と言うお話です。 

産婦人科医、医学博士の 池川明医師の子供達への大規模な調査により 

子供達の実に 1/3 に、生まれる前の天国(あちらの世界、元の世界)での記憶があり、

その中で、生まれる準備をしている沢山の子供たちと共に、

神さまと一緒にいた、という証言が沢山出てきます。 

神さまの姿は、色々報告されていますが、明確に 〇〇神と分かっていることもあれば、 

大仏の姿と認識されることもあるようです。 

またこれとは別系統として、

プレアデスやシリウスなど、別の星団から、今回、直接地球に転生してきている場合には、 

天界の神々の記憶よりも、出身星の記憶を強く保持している場合もあるようです。 

彼らの証言によれば 

生まれる前に、自分の今までの、膨大な過去の人生の課題を吟味して 

・起こる出来事

・人との出会い、別れ

・その際の役割

・容姿

・性格

・身体の作り(健康体、病弱、障害)

・亡くなる時期

・取り巻く環境(経済的環境、家庭環境、友人環境、職場環境) 

などを、神さまと一緒に決め、承諾を得てから、生まれてくるそうです。 

たかゆきくん(6歳) は、こんな証言をしています。 

<引用開始>

「子どもたちは雲の上で、ずっと列みたいに並んでいる。

遊んではいないけれど、普通に歩いていたりする。

・病気の子で生まれるか、

・元気な子で生まれるかを、

絶対に決めなくちゃ、生まれられないから。

元気で生まれるか、病気で生まれるかを決めるのは、自分。

自分でお母さんを決めて、元気な子で生まれるって決めたら、元気な子に生まれるし、

病気の子に生まれるってなったら、病気で生まれる。

神さまは、雲の上の、また上の教会にいて、元気に生まれるか生まれないかを子どもたちに聞いたり、生まれた後の人(=死んで雲の上に戻ってきた人)には、

良いことをしたか、悪いことをしたか聞いたりする。

悪いことをしたら、そこでまた生まれて、良いことをしなくちゃいけないけれど、 

良いことをした人は褒めてもらって、ちょっとの間、行きたい所に行かせてもらえる。」 

<引用終了>

そうしますと、こういうことになります。 

約束してきた人とは、必ず一番良いタイミングで出会う。 

決められた出来事が、決められた時期に起こるように 

・必要な登場人物

・必要な、物、お金が

・必要な時期に、 

引き寄せられて、自然と集まってくる。 

それらのコーディネイトは、一体だれが行っているのでしょうか? 

偶然に、たまたま、そのような現象が起こっているのでしょうか? 

私たちは、生きていると、いろんな楽しいこと、嬉しいこともありますが、 

沢山の、出口の全く見えない、苦労や、悲しみ、苦しみもあります。

ですが、その嵐の時が過ぎ、時が経って、振り返って見た時、 

あの出来事が、私をここまで連れて来てくれた、そう感じることは無いでしょうか?

その悲しみ、苦しみが、私たちの魂を強くしてくれたのでは、なかったでしょうか? 

そして、それを行ってくれたのは、誰でしょうか?

それは、もしかしたら生まれる前に、 

一緒に相談して、人生の段取りを決めてくれた、神さまかもしれません。 

日々の暮らし、人生が、自分にとって嬉しいことや、楽しいこと、

思った通りのことしか起きなければ、

きっと生きているうちに、自分の人生や、神様について考えることもなく、

私たちの本体である魂にとっては、つまらない平凡な日々が過ぎていくのみ。

それに対し、深い悲しみや苦しみの人生の中で、泣き、わめき、呪い、すがり、

そして最後に行きついた先、神さまと対話する中で、

自然と身に付いた深い洞察力で、神様の道を歩むこともないのかもしれません。

神さまの計らいは、本当に凄いですね。 

寸分の間違いもなく

一瞬の時間の狂いもなく 

予定された事項を起こします。 

そして、一人の人生だけでなく、登場人物 全ての状況が把握され、調和されて動きます。 

まるで人体の中の細胞同士、60兆個にも及ぶ細胞同士の通信・会話、調和のようです。

宇宙空間の無限に存在する、銀河や星ぼしの、調和された運航のようです。

全てが有機的に連携しています。 

そして、もし神さまの計らいを妨害するものがあるとしたら、それは何でしょうか? 

もちろん、それらも含め、生まれる前に決定しているわけですが、

その計画さえも遅延させるものは何でしょうか。 

この世界は、心の現れですから、心の問題です。

きっとそれは、 

・感謝を忘れた心

・不平不満を持つ心

・身勝手な心

・傲慢な心

・自分さえ良ければという心

・無意識のうちに人を陥れようという心 

かもしれません。 

愛を忘れた心かもしれないですね。

ですが、私たち全てのものは繋がっています。

全ては繋がり、あの人も、この人も、この犬も、猫も、花も木も、お日様も雲も、風も雨も・・

全ては、私たちと同じ意識を共有している、私たちは切り離せない、一つのもの。

目の前に現れた人に対して、私たちは、他人事ではなく、分け隔てなく、

愛と思いやりの心を注ぎたいものです。 

愛の欠如こそ、この殺伐とした世界を作り、神々の計画を遅らせるものだからです。 

私たちの心は、見える世界、見えない世界、全てを変容させる力があるからです。

今、地球が大きく変わろうとしている時期に差し掛かっていますが、

・宇宙時代の記憶や

・天界での記憶

・神様と約束してきたこと

・一緒に生まれようと約束してきたこと 

など、全ての記憶を消去して地球に生きている、平凡な一般の私たちにできることは、

そのような力、能力、知識へのあこがれや、

不思議な特殊能力や、優れた前世を持つと自慢する人々への依存心、 

そんなものではなく、神様が私たちに望んでいらっしゃるのは、 

平凡な日々の暮らしの中で、身近な家族や周りの人々と、

今与えられているもので、満足し、感謝し、 

笑顔で、思いやり、助けい合い、

お互い様の気持ちで暮らしていくことではないでしょうか? 

神様が「今、自分に無い物を望め」と仰るでしょうか? 

自分に無いもの、力、他人、知識への依存の心のままでは、

せっかく地球が変わろうとしている今、 

素晴らしき世界へ移行しつつある地球の振動数と

大きな乖離が起こってくるのではないかと思います。


2025年3月30日日曜日

3747「一番大切な人」2024.3.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月17日の記事を紹介します。


「一番大切な人」


今日は「今、目の前にいる人、目の前にあることが一番重要」

ということで、小林正観さんのお話をご紹介します。

私たちはこの世界に降りてくる時に

・魂の永遠の記憶も

・神様との交わりも

・人生の目的も

・自分で計画してきた人生のシナリオも

全て一旦リセットして、忘れてこの地球に来ました。 

それはまるでシナリオの見えない劇の主人公を演じているかのようです。

ですが、その進行役を神様がやってくださり 、必要なタイミングで人との出会いや別れ、

事件を起こしてくださいます。 

全てを見通す力を、一時的に失っている私たちにできることは、

ただ、今目の前にいる家族や人々、動物や植物たちに、 丁寧に誠意を持って、

愛を込めてお付き合いしていくだけです。

<転載開始> 転載元

私たちの周りで起きているすべての現象、人生のあらゆる出来事に、

・重要なこと、重要でないこと

・大きいこと、小さなこと

の区別は、実はありません。

というのは「小さいこと」の定義を言ってくださいと言われても、誰も答えられないからです。

何らかの現象について、そのときは、小さいこと、些細なことと思っていても、

それがなければ、今の自分はなかった、

ということを考えたら、(大きいこと・小さいこと)の区別は、つきません。

このことを、実際にあった状況を取り上げて説明しましょう。

私が出た高校の同級生の一人が、大学にも行かず、就職もしないで、 

とりあえずアルバイ トとして、晴海のイベント会場でコーラの販売をしていました。

そのとき、コーラ売り場の前を、アメリカ人の夫婦が通りかかり、

70歳ぐらいの歳のご主人が、足を滑らせて倒れてしまいました。

彼は自分の売り場の前ですから、走り寄って助け起こし、ケガの手当てをしたりとか

いろいろ世話してあげたそうです。

そしたら、「あなたのような親切な人に、初めて会った」と、その夫婦は大変感激し、 

「実は、私たちは結婚して40年も経ちますが、子どもがいないのです。あなたさえよければ、 私たちの養子になりませんか」と言われました。

彼としては、別にほかにすることもなかったから「わかりました。いいですよ」ということで、アメリカに渡り、その夫婦の養子になりました。

彼はそこで英語を覚え、大学にも行かせてもらい、卒業してからは企業買収の専門家になりました。

今は日本に戻り、その分野で大手の外資系企業の社長をやっています。

コーラの販売をしていた、その前で人が滑った、その人を助けてあげた、

これらはすべて小さいことのように見えますが、結果としては小さいことではありません。

因果関係がわかったときには、一つひとつがものすごく重要で

大変な出来事だったと、気 がつくでしょう。

優先順位とか、出来事の大きい小さい、

とかの区別がないことを、さらにわかりやすく説明します。

人生はドミノ倒しだと思ってください。

ドミノ倒しの如く、人は連続した瞬間を生き、

最後の一個がパタッと倒れて、人生を終えます。

これらのドミノは、すべて同じ材質で、同じ厚さで、同じ形状です。

大きい小さいは ありません。

重さも全部一緒。

それが一個ずつ、、ただ淡々と倒れていくだけです。

自分の目の前に現れる人が、小学生であろうが、中学生であろうが、

大人であろうが、大会社の社長であろうが、出会う人は全部一緒です。

それを一緒だと思えるかどうかに、その人の人間性が表れます。

社会的な地位や権力といったものを、背負ってるかいないかで人を見るのは、 

まだ自分の中で本質的なものが形成されていないからです。

出会うすべての人、どんなに些細に見える行為も、

人生を成り立たせるうえでは、どれも必要不可欠なことであり、 

ドミノの一個一個が同じ価値だということに気がつくと、何も怖くなくなります。

人生で最も大事なのは、今、目の前にいる人だけです。

一人ひとりをきちんと受けとめていくことで、 

その後の人生を組み立てていける、ということです。

この一個一個のドミノ、それ自体が結果であり、次のドミノを倒す原因になっています。

倒れた「私」が、また次のドミノを倒していく。

今、目の前にいる人を大事にすることが、私の未来をつくっていくのです。

人生は、その繰り返しのように思えます。

<転載終了>

仕事などだと、よく優先順位を付けて、仕事をテキパキこなすのが優秀なビジネスマン、

などと言われ、もてはやされたりします。 

ビジネス書なども飛ぶように売れているようです。 

また、私たちはよく人を 

・身なり

・地位、肩書

・所有している資産(お金、家、車)

・健康か病弱か

・頭の回転が速いか遅いか

・器量が良いか悪いか 

など、見た目だけで判断して、態度を変えがちです。 

ですが正観さんが仰るには、どんなに些細に見えることであっても、

自分の身に起こってきたことは、大きい、小さいの区別は存在せず、 

必ず次のステップへの、

礎(いしずえ)となってくれるもの だと言うことです。

優先順位が無いのですから、

来た順番に対処していくことになります。

また今、目の前の人が一番大事なのですから、誰彼と区別せず、

例え子供であっても、丁寧に誠意を持って、愛を込めてお付き合いしたいものです。

結局、その時の私たちの取った態度が、

次の人生の大きな波(ステップ)が来る時に、それが 

・良きものか、悪しきものか

・楽しいものか、苦しいものか

・心を明るくするものか、暗くするものか 

を決めるからです。

ですから私たちは、将来のことを心配したりせず、

過去をクヨクヨと、いつまでも悩んでいず、 

何か判断を間違えて、

不幸な人生を選んでしまうのではないかと、取り越し苦労などせずに。

今、目の間に居る人や、コトだけに集中し、

良心に恥ずかしくない行動さえしているだけで、

ずいぶんと楽に、そして楽しい人生を送れるようです。 

後は、神さまが良きにはからって下さいます。