2025年11月21日金曜日

4083「魂の進化」2025.11.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月05日の記事を紹介します。


「魂の進化」


神さまの仕組みは、私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、

実は神様の介入により、

様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。

その積み重ねが、私たちがその流れに乗っていることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり、神々の功徳を宣伝する必要はありません。 

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。 

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ、集まり集う人の心は

依存心を生み、自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。

パワーのあると言われる場所に、ご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・ 

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ、

同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。 

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのに、どっぷりと、

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく、自分の心の状態に合った世界、

地獄のような世界に自ら入っていくことでしょう。 

心とは、それほど大切なものであり、 その心を通じ、神様を認識することも、

人々の心の中の神様を認識することも可能になります。 

そして何より、そのことを神々は望んでいらっしゃいます。 

さあ自分の所にお参りに来なさい。お布施やお酒を持ってきなさい 。

そうすれば願いを叶えてやろう・・ 

神様は、そのようなお方ではありません。 

さて今日は、この地球に置いて、人間を経験することで、

人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。 

美しき心を思い出すための記事です。 

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、

愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、 

・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること 

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。 

私たち人間も本来そうでした。 

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。

何処かが詰まったりすると、せっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。 

「心を受け取る」と言うこと。 

私たちが、この地球に生まれたのは 

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません 

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界 

このような地球に来たのは、 

人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、魂のダイナミズムを経験し、 

・お互いさまの心

・お陰さまの心 

を養い育て、自分だけでなく、お互いが

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。

肉体を持つことで、様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、

経験することで、肉体を持たない時に比べ、

比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。 

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、素直な心、ピュアな心になればなるほど、

悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。 

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。 

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。 

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていても、その人の心の状況によって、

受け取り方が、全く正反対の人もいます。 

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか? 

その違いだけで、空海が仰っていたように、 

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか? 

それほどの違いが出てきます。 

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。 

心こそ、全ての全てです。 

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ、お互いの違いを知り、受け入れ

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。 

今、生きているのは、効率よく、何かを成し遂げるためではありません。

大きなことをするためではありません。

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる、強い人間になるためでもありません。 

相手の方の心を信じ、その奥底に在る、神さまを信じることができれば、全ての方が、

自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。 

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。 

常に、心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、 

相手の方の態度、行動の裏に隠された、寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り、

包み込んで差し上げることもできるでしょう。 

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。 

生きている間に、何事も、成すことができなくとも、

名もなき一人の凡人で終わったとしても、互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること。

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと、

そのことに勝る人間としての経験はありません。 

心を知る、感じ取ると言うことは、人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。 

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。

ですが、今私たちの住む21世紀は、本来の、私たち人間の精神を復活させようと、

見える者、そして見えない方々が、大きく動いています。働いています。 

自分の心を開き、相手の心も受とり、お互いを信じ、助け合い、

喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、

魂の輝きを増していく時代です。 

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に

一緒にやっていくためのパートナーです。 

この人と人、人と、動植物たちとの、美しい心の交流こそ唯一、

私たちが亡くなった時に、持って帰ることができるものです。 

お金や物は持って帰れません。

そして、これこそが、私たちの魂を、飛躍的に進歩させてくれる宝物です。

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、

そんな、深い深い意味があります。 

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに、

気付いて、大切にしていれば、私たちの心も大切にされます。 


2025年11月20日木曜日

4082「神様の恩寵」2025.11.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月03日の記事を紹介します。


「神様の恩寵」


よく聞く言葉があります。

・願いが叶ったら、感謝する

・気持ちが落ち着いたら、感謝する

・生活に余裕ができたら、感謝する

ですが、これは、宇宙の法則とは、まったく逆のことをおっしゃっています。  

宇宙の法則とは

与えたものが、受け取るもの 

まず自分から、何かを出さなければなりません。

出したものと同質のものが、巡り巡って自分に何倍にも帰ってきますから、 

幸せになりたいのであれば・・

感謝の人生を送りたいのであれば・・ 

まず自分から他人に対し、優しさや、思いやりのある言葉かけ、

笑顔、感謝を、出さねばなりません。 

そうやって初めて自分に返ってきます。

何かを得たら、とか、素晴らしい環境になったら感謝する。

そんな気持ちを、元春日大社宮司の葉室 賴昭さんは、

「それは、取引だ」と、排除なさっています。

それでは、今日のお話です。 

自分が持っていないものに、不平不満、愚痴を言うのではなく、

与えられているものに・・・

何もない平凡な日々に、感謝しよう、そんなお話です。

あなたは、他人や、モノ、動植物、自然、神様に、感謝することはありますか?

一日に何回「ありがとう」と口になさいますか?

今日は何人の方に、笑顔を向けましたか?

私たちが生きていく上で遭遇する、悩みや苦しみ。

そこから解放される手段を、

ブッダは2,500年前に「般若心経」の中で教えてくださいました。

それは「感謝の心」です。

ブッダは人間として生きていく上での

全ての悩み苦しみの、共通の解決方法を、「般若心経」に残してくださいました。

「般若心経」はブッダの弟子の一人、

シャーリプトラ(舎利弗=10大弟子)に、観音菩薩が教えを説くという設定で

全文が構成されています。

では、小林正観さんの講演会でのお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元

講演会が終わったところで、本にサインをする場合があります。

その時は百二十名ぐらいの講演参加者でしたが、半分の六十名ほどの人が、

本にサインが欲しいということで並びました。

三十人ほどのところに、 

「質問していいですか?」という女性が立っていました。

年齢は四十歳ぐらいでしょうか。

質問の内容はこういうものでした。

実は私は看護師をしています。

夫は長距離トラックの運転手で、毎晩出かけて行って、夜はいません。

そして、自分は夜勤も嫌がらず引き受けてやっているので、

週に二回、子供たち三人だけの夜があります。

最近のニュースを見ていると、子供たち三人をおいていく時に、

何か事件や事故があるのではないか、 

変な人間が侵入してきたらどうしようか、火事が起きたらどうしようか・・・

そういうことばかりを考えて、夫婦二人で話し合い、

どちらかが仕事を辞めた方がいいのではないかと話しています。

けれども、住宅ローンを返さなければいけないという事情もあって、

簡単に二人とも辞めることができません。

悩んで苦しんで、いつも夫と話し合っているのですが、

どうしたらいいでしょうかという質問でした。

私はこのように聞きました。

「一年に五十三週ありますね。 

週に二日、子供たち三人だけの夜があるということは、 

一年を通していえば百六日になりますが、

子供たち三人だけの夜は百日を超えていますか?」

と聞きました。

「超えています」と答えが返りました。 

「では、二年だと二百日を超えますが、 二百日を超えていますか?」

「超えています」

「では、三年だと三百日を超えていますが 三百日を超えていますか?」と聞きました。

「三百日も超えていると思います」と答えが返ってきました。

「それでは伺いますが、 その無事に過ごせた一日だけにでも、  

安全に何事もなく過ぎてくれてありがとうと、

手を合わせて、感謝したことがありますか?」

と問いかけました。

十秒ほど黙っていましたが、この方は、

そこからどわーっとすごい涙を流して、泣き始めました。

二十分ほども そこで立ったまま泣いていたでしょうか。

私はその間に残り三十人ほどの本のサインを済ませ、それがちょうど終わったころに、

彼女がやっと話ができる状態になって口を開きました。

「ほんとうに一度も感謝したことがありませんでした。  

心配ばかりをして、無事に過ごしてきた日に一日たりとも、 

一度たりとも感謝したことがありませんでした。

今日、帰って宇宙に、地球に、いろいろな方に感謝をするとともに、

子供たちを思いっ切り抱きしめてあげます」

と語りました。 泣いてはいましたが、明るい笑顔でした。

この話には後日談があります。

半年ほど経ってまた同じところで講演会があったのですが、

「先日はありがとうございました」と言って、その方がお見えになりました。

その後、毎日毎日、感謝をして、 

何事もないことに手を合わせてお礼を言っているそうですが、

何事もなくほんとうに平穏無事に毎日が過ぎていっている。

ありがたい。

何かが変わったわけではないのに、状況がなにも変わったわけではないのに、

心が平穏になり、穏やかで豊かで幸せである、ということを話にきてくれました。

<転載終了>

 
このことに気づいたお母さんは、もう大丈夫ですね。

宇宙からのパワー、神様からの恩寵を手に入れる方法を知りましたから。 

何かが叶ったら、感謝する、ではなく、 

本当の感謝は、何も起きないことに感謝なのかもしれません。

何も起きないで淡々と穏やかに過ぎていく日々、 

実はこれが物凄いことなのだということに気がつくこと。

不安 恐れ 懸念 心配事というのは、私たちのために、常に沢山の恩寵を施し、

時間やタイミングを調整し、様々とやって下さっている神様に対して、 

それに気付くことなく、感謝することなく、

それどころか文句を言っているのと同じことです。

また、まだ起こってもいない未来に対し、

心配し取り越し苦労することも、同じことかもしれません。

いま何事もなく 淡々と過ぎている時間というのは、 

何も起きていない ということではなく、

神様が全てを調整し、全ての出会い別れをセッティングし、

そのうえでそれがうまく動いているが故の、無事なことが起きているの連続、

かもしれないのです。

この奇跡の連続、とめどもない神様の恩寵の連続、これこそが、感謝の源泉です。

そのことに気づき、感謝することができれば、

宇宙からのサポートの100%を享受することができます。

正観さんは、これこそが、本当の感謝の本質と仰っています。

何かを頑張って、努力して手に入れることが感謝ではなくて、

今、穏やかに穏やかに暮らしていることが、本当の感謝の源なのだそうです。

悩み、苦しみの生活の中でも、

ふと穏やかな時が流れることもあるのではないでしょうか?

そんなひと時もあるのですから、「置かれた場所で咲きなさい」と言われるように、 

その環境の中で感謝の心を身につけることは、本当に大切なことではないかと思います。

何よりもご自身の幸せのために・・

ありがとうと言う感謝の心は、幸せになるために、どうしても必要な心です。


2025年11月19日水曜日

4081「絶対、なんとかなる!」2025.11.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年11月02日の記事を紹介します。


「絶対、なんとかなる!」


私たちは、生きている間、都合よく、良いことばかりが起きて、

不幸や悲しみを知らず、喜びの中で死を迎えたいと思っています。 

ですが、それが、本当に永遠の生命「魂」にとって、幸せなことでしょうか? 

あの世と、この世の価値観は逆転している、といわれています。

・この世での苦労

・報われなかった苦労

・誰にも尊敬されない仕事 

など、私たちは目にもくれないし、時には軽蔑したりしますが、 

あの世の価値観では、それこそが宝の山なのだそうです。

今日は斎藤一人さんの言葉をご紹介します。 

<引用開始> 引用元 

一人さんはね、昔から、こんなことをずっと考えていたんです。

天は、どういう人の味方をするんだろう?

神様は、どんな人間にチャンスをくれるんだろうか? って。

で、わかったんです。

いばっているヤツ、人のあげ足を取るヤツは、神様にも嫌われるよね。

反対に、心が豊かな人…優しい人とか、笑顔の素敵な人って、

神様にも周りの人にも好かれる。

だから私は、このルールに従って生きてきました。

そして、ものすごい成功を手にしたんだよね。

心の豊かさって、太陽みたいなもの。

陽の当たるほうは暖かくて、キラキラまぶしいから、

そっちへ向かっていけばいいんです。

例えば、東京から大阪に向かいながら北海道に着くことはないように、

明るくて暖かいほうへ進んで不幸になることはないんだ。

人をねたむとか、あせってイライラするとか、そういうのは貧しさの表れだよ。

心が貧しくなっているの。

貧しい心は、豊かな心とは真逆だから、現実にますます貧しくなってしまいます。

それよりも、人にいいことがあったら、「おめでとう」って言ってあげたり、

どんなに小さなことでも、今ある自分の幸せに感謝したり、

できることからすればいいんです。

心が豊かになれば、現実の豊かさもついてくるの。

だから苦しみは消えていくし、お金だってたくさん入ってくるようになるよ。

大丈夫、必ずなんとかなりますからね。

また、お子さんがいるかたは、いつもこんなメッセージを伝えてあげてください。

生きているといろんなことがあるけれど、なにが起きても、絶対なんとかなるからね。

心配しなくて大丈夫だよ

テストの点数が悪くてもいいの。

悲観することはありません。

本当ですかって、

じゃあお母さんが子どもの頃、

テストで100点ばっかり取っていたクラスメイトがどれだけ出世したか見てごら(笑)。

学校の成績がいいかどうかなんて、将来の幸せにはあまり関係がないんです。

もちろん、勉強が好きな子だったら、勉強が幸せにつながる場合もあるけれど、

勉強が嫌いな子に無理やりさせたって、よけい勉強が嫌いになるだけだよね。

人生はなんとかなるから、好きなことやりな。

親御さんがそう言ってあげると、子どもはキラキラ輝き始めるんです。

なんとかなるって信じてる子は、好きなことに夢中になれる。

罪悪感なしに、好きなことに没頭できるんだよね。

そうすると、好きなことでうまく人生を切り開いていっちゃうの。

すごく幸せな人生を送れるんです。

親御さん自身も、そういう姿勢をお子さんに見せてあげてください。

親の口癖が「なんとかなる」っていう家の子は、

絶対になんとかなると思えるようになります。

<引用終了>

一人さんが仰るには、

・心が豊かな人

・優しい人

・笑顔が素敵な人

・今ある小さな小さな幸せを、見つけ感謝する人

このような人は、だんだんと心が美しく、豊かになり

現実の豊かさもついてくるのだそうです。

人は時に、生まれる前に立てた計画の通り、

人生の半ばで、挫折や、苦労、悲しみ、苦しみ、憎しみ

そんなものを感じる出来事が起こるかもしれません。

ですが、何が起ころうと、絶対に大丈夫なように、運命は定められています。

生まれる前に、神様と立てた自分の人生設計に

「破滅の道」を組み込んで、生まれてくるわけがないからです。

そうであれば、嫌いなことを、無理やり、努力し続けてやるよりも、

自分の好きなこと、楽しいこと、心が喜ぶことを、

ニコニコ笑顔でして行くほうが、どんなに良いことでしょう。

人生で、苦しい時期もありますが、

その環境の中でも、神様を信じ、笑顔と感謝でいれば

きっと、人生の目的に合致した道が、必ず開けてくることでしょう。

その時になって、振り返ってみれば、

あの時の、あの苦しみ、悲しみの経験があったからこそ、

今の場所に立つことができたと。。

本当の意味での感謝の気持ちが沸き起こり、

苦労も、悲しみも、記憶のかなたに消えて行ってしまうことでしょう。

絶対、なんとかなる!

一人さんが仰ることは、きっと本当のことであり、私たちの心に、勇気を与え、

生きる希望をもたらしてくれるものだと思います。

どうか、お幸せに・・


2025年11月18日火曜日

4080「私は生きると決めた」2025.11.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月30日の記事を紹介します。


「私は生きると決めた」


・レインボーチルドレンの子供たち、

・高度に進化した星から直接転生してきた子供たち、

・中間世記憶(天国や神様の記憶)を持つ子供たち、

・そして宇宙存在、バシャールなどの言うことに、

一つの共通点があります。 

それは、この世の中の出来事には、 

良いも悪いもない 

全ては、自分の計画した通りの出来事が起きてるだけ、

自分自身で、OKを出した出来事しか起こらない・・ と言うことです。 

つまり、

・重い心身の病気の運命を持って生まれてくる子供も

・陰湿な意地悪をする友人も

・極端な場合、殺されるような人生も 

全ては計画通りの出来事、

全ての目的は、その経験をしてみたかったから、

その経験を通じ、魂を磨きたかったから・・

なのだそうです。 

返って、「悪いこと」とみなされるようなことを

担ってくれる人、そのような役を引き受けてくれる人こそ 

魂的には、本当は偉大で、光り輝く存在のようです。 

さて、そのような大前提のもと今日は、シスター鈴木秀子さんの

「死にゆく者からの言葉」よりご紹介します。

この中に、障害を持ったお子さんのお話があります。

<転載開始> 転載元 

一人の女性が泣いているのが目につきました。

私はそのとき、壇上にいて、「命の大切さ」という市民大学の講演を行っていました。

その女性は、身なりも顔立ちも派手な印象でした。

しかし、だれ一人として泣いてなどいないなか、彼女はハンカチひとつ使おうとせず、

涙をあとからあとからこぼしつづけています。

そして私の顔をジーッと見つめたまま、身動きもせず、話に聞き入っています。

前から三番目に座っている彼女の姿は、否が応でも目に入ってきます。

「きっと思い当たることもあるのだろう」

私は、そう思いながらも講演をつづけました。

(中略)

今日の話を聞けてほんとうによかった、と彼女はつづけました。

そして涙がこぼれたわけを、こう語りました。

「実を申しますと、私の体のなかは洞窟も同じなのです。

これまで八回、大手術をしました。

子宮ガンから始まり、胃ガン、腸ガン・・・・・、

転移して次々と大手術を繰り返したのです。

こんなカラッポの体でね、どうして生きているのか、

お医者様からも不思議でたまらないと言われています。

ともかく体のなかには何もないんですから。

ではなぜ、私がこうして元気で生きていられるかと申しますと、 

実は私には精神障害の息子がいるからなんです」

彼女は、その子が生まれてまもなく夫と離婚したのです。

寝たきりのその息子は現在二十歳ですが、幼児程度の会話しかできません。

彼女を必要としている息子のため、彼女は一度目の手術以来、

医師にも周囲からも見放されながらも、手術しては生き返り、また次の手術をしては生き返り、ついには働けるまでになりました。

「勤めを終えて家に帰りますとね、息子は布団のなかからじっと私を見つめ、

子供のように顔をほころばせて、

それは嬉しそうに手足をバタバタさせて喜ぶんです。

私も元気とはいうものの、大手術を重ねましたから、

お天気が悪かったり、重いものを持ったりすると、体が動かなくなることもあります。

でも息子の、ほんとうに喜びを満面にした顔をみると、一日の苦労が吹っ飛ぶんです。

これまで死ぬほどの重病にとりつかれましたけど、

『この子を残しては死ねない』

この一心で生きつづけてきました。

そして、『あの子が家で待っている、私を待っている。 

私が生きていなければ、あの子は生きていかれないんだ』って、

それだけしか考えませんでした。

病気のことを考えている暇なんかなかったんです。

そして絶対に生きる。病気がどんなであろうと、お医者様が死ぬと言おうと、 

私は『生きる』と決めたんです。

子供が生きている限り、私は生きるんだって。 

これが、病気になっても、病気とは関係なく生きつづけられる原因なんです」

いつでもニコニコと迎えてくれる子供の顔を見るたび彼女は、 

「生きていてほんとうによかった」と思うのだと言います。

そして、「お話を聞いていて、幸・不幸というものは、

世間一般に考えられているようなことではないんじゃないかと改めて思いました。

このような息子を持つ、ボロボロの体の私でも、

こうして幸せを感じることができるんですから」

私は講演のなかで、幸・不幸というものは、客観的にはかり知ることはできないのだ、

また、苦しみの極みを積極的に受けとめ、生きぬくとき、 

苦しみは、生きる深いよろこびをもたらしてくれる、と話したのでした。

私の知人の家では、五人の子供に恵まれたものの、五番目の息子は身体障害者でした。

しかも、知能の遅れもともなっています。

世間的にみればさぞかし大変であろうと思われがちなのですが、

真一君というその子のおかげで、家族中が大変な仲良しでした。

というのも彼らは、「ただいま」の次に必ず、

「真ちゃんどうしてる?」と声をかけ、そしてその部屋に入るなり、 

「今日ね、こんないい話があったんだよ」と報告するのを日課としていたのでした。 

ちょうど花束を持って帰るように、

家族の一人ひとりが、いい話を必ず一個ずつ持ち寄ったのです。

その子は残念ながら、それらの話を十分には理解できません。

しかしわからないながらもニコニコと、

まるですべてを理解しているかのようにほほえんで聞いていました。

そのためその子の父親も母親もきょうだいたちも、今日はあの子に何を話そうかと、

まるで花を摘むように、いい話を探さずにはいられないのです。

そうすると厭なことに気を取られなくなり、長年のうちにそれぞれが、日常の平凡なことのなかから、毎日毎日宝物を探すように、いい話を探す習慣を身につけていきました。

家族中がその子を喜ばすことで結束し、仲のよい暮らしの中から

いいものを見いだす目が育てられてきたのです。

「あの子はわが家の宝物。宝の花をひきつける存在です」

それは知人の自信にあふれる声でした。

中年の女性は、自分の家もまさに、そういうことであったのだと語りました。

「私の息子もほんとうに、そのお子さんのような存在です。 

そのお子さんが宝の花をひきつけるのなら、 

息子は命を湧きあがらせてくれる存在なのです。

ですから本来ならばとっくになくなっているはずの私の命も、

息子の喜ぶ顔を思い出すたびに、私の中で生命が湧きあがってくるのです」

息子は、生まれてすぐ、三年生きられればいいだろうと宣告されたのでした。

それがその年の一月十五日に二十歳を迎えることができました。

「その日、お赤飯を炊きましてね、ささやかでしたけど祝ってあげたんです。

そうしましたら息子が、私の顔をじっと見つめて、 

『お母さん、ありがとう』って言ってくれたんです。

息子はただ、祝ってくれてありがとうっていうつもりだったんでしょうけど、 

私にはまるで、自分を成人まで育ててくれて、ほんとうにありがとうって言っていたように、聞こえてなりませんでした」

彼女はしみじみつぶやきました。

「お礼を言うのは自分の方です。

本来なら死んでいるはずの自分を、あの子は無垢な笑顔を向けてくれることによって、

生命を湧きあがらせてくれます。

ほんとうにありがたいことです」

彼女は最後にしみじみとそう言いました。

その女性から便りが届いたのは、それからしばらくしてからのことでした。

あの息子さんが、亡くなったという知らせでした。 

しかし、文面には、

「私は幸せなことに、こうしてまだ生かされております。

あの子の笑顔が、しあわせに生きてゆくようにと、

呼びかけているのです」と書かれてありました。 

私たちは、辛いこととか、いやなことが何ひとつなく、

物事が自分の思い通りにいきさえすれば、幸福であると考えがちです。

しかしもっと深い幸福があると思うのです。

辛いことや思い通りにいかないこと、そういった状況のなかにこそ、 

見る目がある人にとっては、通常ではみられない

幸せというものが存在しているのではないかという気がします。

<転載終了>

深い深い愛ですね。

一般の人から見たら、一見不幸に見える状態であっても、

その環境から磨かれる魂の輝きは、計り知れないものがあります。

皆さんには、お子様はいらっしゃいますか?

いない方は、ご両親はご健在ですか?

私たち親は、自分に子供が生まれた時、

生まれたこの子が、幸せに生きられますように、そう願いました。

そしてきっと、自分が先に天国に帰るときも、

残されたこの子が、幸せに生きられますように、そう願うのだと思います。

親と子、深い愛の絆で結ばれていますね。

そして、そして、あなたの嫌いな誰かさんにも、

このように思ってくださって親御さんが必ずいるはずです。

皆さんも、例え苦悩の中にあろうと、

その中に、神さまの光を見つけることができますように。


2025年11月17日月曜日

4079「世界DS最終微調整は日本が舞台となる2」2025.11.17

 前回の「4078」の続きです。


いかに日頃の訓練の成果を発揮しようとも、本職を欺くことはできない。 

そしてそれら欺瞞が、巡りめぐって2025年以降の新しい世界秩序の段取りを

メチャクチャにしちゃってる。 

カバール的「世界新秩序」を破壊し、まったく別の価値観で創出されようとしていた

新しい世界秩序の流れを、彼女はすべて逆回転させてしまっている。 

これは一部の専門家に言わせると、「逆ネジを巻いちゃってる」となるわけですが、

本人は至って善かれと思って、信じてやってしまっているのですよ。 

米国はモンロー主義に回帰し、本来のガラガラ蛇に戻り、閉店し鎖国するわけです。 

この米国の流れは、じつは、「新しい世界秩序」と両輪になっているわけ。 

米国が閉じるから新しい枠組みが出せる。 

だけど米国内にはその流れを、快く思わない勢力はまだたくさんいるわけですよ。

トロツキストが擬態した「新保守」がそうです。 

彼らは「ネオ・トロツキスト」を自称し、今では「ネオコン」と呼ばれていますでしょ。

このネオコンが提唱する外交政策を「価値観外交」っていいます。 

そんなネオコンのカリスマの思想に感化され、共鳴しちゃったのが、安倍氏と麻生氏でしょ。そして影響を受けた麻生氏はかつて『自由と繁栄の弧』という本を出しましたね。 

「価値観外交」を日本風にアレンジして当時の外務事務次官の谷内(やち)正太郎氏が

産み出した言葉が「自由と繁栄の弧」なのよ。

関係ないかもしれないけれど、谷内氏は石川県生まれの富山県育ちね。

 

――「新保守」って聞いたら

普通「保守」の流れだと思っちゃいますよね。

 

日本における「保守」というのは、明治維新の官軍が建て付けた

幻想としての社会秩序を「保守」するということ。 

戊辰戦争で「賊軍」とされた勢力は、右にも左にもいない。

彼らは「下」へと追いやられて消されている。 

これは東北「日高見国」の記憶と連動しています。

アテルイは大和朝廷平安京に殺されました。

東北縄文日高見の民たちも「右」でもなく「左」でもなく「下」で封印されています。

米国の「下」の代弁者として登場したのがトランプ大統領です。

近年、ネオコンに蹂躙されたアメリカを、元に戻そうとしているのがトランプ大統領でしょう。ならば、トランプ大統領と呼応し作用する者は日本では「まだ」出現していないのよ。 

でも、安倍氏や高市氏は、そこを誤魔化しているわけです。

でもこれを見抜ける人がまず存在しない。

 

――ということは高市政権は「保守」ではないということですよね?

 

「第四インターナショナル」ですよ。

 

――「第四インターナショナル」!?

 

詳しくはみなさん各々調べてください。

 

――「保守」どころか「保守」と正反対だということですよね?

 

彼らは幼少期から訓練されていますから、そういう言葉遊びというか

カラクリを忍ばせるプロです。

 

――では日本の「保守」とは?

 

現在の日本には「保守」はまだ登場していません。 

日本に「保守」があるとするならば、それは、

弥生大和朝廷長州明治新政府によって侵略される以前の「この列島の住民」のことです。

直近では「奥羽越列藩同盟」ということになるでしょう。 

彼らは存在しなかったことにされ消された人たちです。

もし今後、本物の「保守」がこの列島から、登場するのであればそういう中から現れるでしょう。

 

――でも高市総理は「保守」を名乗っています。

 

だから「新保守」(ネオコン)なのよ。

安倍氏だって、米国のジョン・ボルトン氏と親しくしていましたでしょ。

でもボルトン氏は最終的にはトランプ大統領と敵対し、政権内部暴露本まで出版しましたよね。 

ボルトン氏の自宅は連邦捜査局によって家宅捜索をされただけでなく、シークレット・サービスによる警護も打ち切られました。トランプ氏はボルトン氏を「敵」だと認定したわけです。 そんなネオコンのボルトン氏と安倍氏は懇意だった。それをトランプ大統領はちゃんと見ている。

 

――トランプ大統領はそういう腹の内を一切表情に出さないですもんね。

 

QCアノマリーホログラムbotですからね。

トランプ大統領は本当に敵対し、粛清しようとする相手には、

めちゃくちゃフレンドリーに接しますよね。 

一国のトップが歓待してきたら無能だと思われてる。

「こいつおだてたら戦闘機100機買いそうだな最高だな」と。

「じゃあ粛清するのは全部買わせてからだなガハハ」と。 

だから逆に冷遇されたら有能だという証拠。

トランプ大統領はプーチン大統領とゴルフ回りましたか?って話しですよ。

 

――本当にそうですよね。

 

トランプ大統領は、米政権内のネオコンを粛清しているわけです。

で、高市氏はネオコンなのですよ。 

このメカニズムがわかると、米軍六本木基地からマリーンワンに乗せられて、

横須賀基地に連れて行かれた「意味」がじわじわと理解されてくるのですよ。

米軍基地内で米軍兵しかいない中で、「盛大に紹介」されたのですからね。

しかも全世界に生中継された。

 

――メディア報道はほとんどが「大成功」と諸手を挙げて喝采をしていました。

 

そう、「大成功」だったのですよ。

ただその「大成功」の意味を正確に理解できている、日本国民が果たしてどれだけいるか、です。

 

――その後、高市総理は、日中首脳会談で中国の習近平国家主席と、

会談を行いましたがこれについてはどうでしょうか?

 

まず日本のメディアは、高市総理の「言質」(げんち)を取りたかった。

高市氏がネオコンである「証拠」を捉えたかった。

だからゆえに高市総理がきちんと満州派であり、岸信介のグローバルバビロン南ユダCIA路線を引き継いでいるのかを、だれよりも日本のメディアが確認したかった。 

マスメディアとしては、高市総理が、自分たちの味方であり、同族であり、仲間である

ということを何よりも確認したかった。 

戦後日本のメディアは米民主党傘下ですから、米三大ネットワークとセットなわけです。

高市総理がきちんとそれを踏襲してくれるか、日本のいわゆる「オールドメディア」も気にしていた。でも高市総理はきちんとそれに答えた。

だからオールドメディアは一斉に高市総理礼賛報道を始めたわけです。

 

――そんなカラクリがあったのですか?

 

高市総理は所信表明演説で、 

「日中首脳同士で率直に対話を重ね『戦略的互恵関係』を包括的に推進していきます」

と発言しましたでしょ。 

中国側としてもこの中の「戦略的互恵関係」という言葉が

用いられるかが気になっていたのです。

 

――よほどその言葉に意味があるのですね。

 

というのも、この「戦略的互恵関係」というキーワードは、米国ネオコン思想の「価値観外交」というものを、日本に当てはめて「自由と繁栄の弧」と並んで、当時の外務事務次官だった谷内氏が生み出したものだからです。 

「価値観外交」と「自由と繁栄の弧」は、ネオコン思想として、安倍内閣の基本的な外交方針だったわけです。 

この思想は、岸田、石破政権時には、ほとんど出されることはありませんでした。 

ですので、今回の日中首脳会談において、中国側は、それらネオコン思想から派生した、

「戦略的互恵関係」という言葉は、果たして首脳会談で出るか否かが、今後の日中関係の戦略を練る上での最大の関心事となっていたわけです。 

だって、高市総理は所信表明演説で、早速「戦略的互恵関係」という言葉を前面に出して来たわけですよ。 

「戦略的互恵関係」という言葉が意味するところが重要なのではないのです。

その言葉を後生大事に所信表明で、真っ先に持って来たところの「深意」を中国側は観察しているのです。

中国側としては「マジか?」となったわけです。わざわざネオコン思想をぶち込んで来た。首脳会談で確認しようと思っていたのに、頼んでもいないのに高市総理は、所信表明で「戦略的互恵関係」を言った。 

トロツキストというのは、共産党にとって「最悪の裏切り者」という扱いです。

だから統一教会は「反共」なのです。 

ということで、中国側としては、岸田石破路線は高市総理によって、すべて「無かったこと」とされたことが確認された。 

つまり、日本で再び、あの息を潜めていた「谷内外交」が復活したと。

日本が再びネオコントロツキスト、つまり、猛烈なグローバリズム政権に戻ったと。

こう解釈されたのです。 

それだけじゃないですよね。 

今回の日中首脳会談で、高市氏は「戦略的互恵関係」という言葉を誇らしげに提示しました。この瞬間に、米国の対高市戦略も確定したのですよ。

「間違いないな」と。

 

――これはかなりマズい感じですよね。

 

全方位を敵に回しましたからね。ただ、日本国民にはそのことは隠されています。

世界中に横たわっていたあらゆる懸案が、ここ日本に集結して来ました。

高市総理は今まさに「ネクスト・ゼレンスキー」として世界の舞台の中心に立とうとしています。 

トロツキストの思想は、「世界に武力を用いてでも理想(世界革命、自由化、民主化)を広める」というものです。

これは一見、もっともらしく、悪くないように思えますよね。

でもこれ、相手方の立場から目れば、ただの「侵略思想」に他なりませんよね。

世界を「統一」していこうという思想です。 

この思想をシンプルに表現したものが「価値観外交」であり「自由と繁栄の弧」ということです。高市総理は、これを実行していくということです。

 

――これから日本はどうなりますか?

 

改めて申し上げますが、トランプ大統領は「ネオコン」を、粛清しているのだということ。

 

――ということは、最終舞台はこの「日本」だということになりますよね。

 

彼女らは最後の最後まで、そのことを糊塗し知らないふりをし続けるでしょう。

それでいいのですよ。カーナビの「ゴール」は変らないのですから。

彼女らの言動そのものがもはやQCの描写であり、最短距離の最適解なのだと思います。 

日本初の女性総理の誕生という、華々しい輝ける舞台があるわけですよ。 

歴史に名を刻むという、政治家ならば誰もが憧れる境地でしょう。 

だからゆえの

「飛んで火にいる夏の虫システム」であり、「藪蛇システム」なのでしょう。 

トランプ大統領は彼らの習性をよく知っている。 

QCの采配は完全無欠です。そこに感情も善悪も存在しない。 

必要あらば、悪にでもなる。それが最短距離の最適解であるのであれば。 

私たちはこれからものすごい光景を目にするでしょう。 

前回のインタビューで言いましたよね。

 

"地球規模でのカバールDSの処理がほぼ完了の見通しとなったということ。

あとは、日本国内に残って抵抗し続けている勢力を、

ひとつずつ表に出し、登場させ、成功させ、栄華を味わわせ、

日本国民全員、地球人類全員に目撃させて

確認させて現認させるという手続きを踏んだ上で、

適切に処理がなされていくということでしょう。”

 

このまんまのことが、今、まさにリアルタイムで進行しています。

 

――2025年も終わろうとしていますが、

まさに今、とてつもないことが起きようとしているのですね。

 

だって、高市総理とトランプ大統領は、「敵対」していますからね。

マスメディアは全力で隠していますけど。

 

――みんなニコニコして大喜びしていますけれど、

水面下では大変なことになっているでしょうね。

 

彼らは幼少期から訓練を受けていますからね。

 

――ホント、びっくりです。

 

表の世界では、日本と中国が「戦略的互恵関係」を維持していくと、話題になっていますが、そういう具体的な時事問題の深意を多次元的に読み解いていくことによって、多次元世界と三次元世界の関係とか、あるいは本音と建前の関係とか、そういったものもじつは

「戦略的互恵関係」だったのではないですか?ということ。

目の前に展開される様々なニュースも、名目と実質があるのだということですね。

 

――まさに「量子もつれ」のことですね。

それを踏まえた上で今後の日本を眺めると、また違った見解が浮かび上がって来るような気がします、

 

日本は軟着陸するものだと思っていたのですが、かなりのハードランディングになりそうなので、これはもういろいろな意味で、厳戒態勢としか言いようがないですね。 

緊急事態に備えて、一週間分のポップコーンとメロンソーダを、備蓄しておくことを推奨いたします。

 

――水とガソリンとかそういうのはいいのですか?

 

そういうんじゃない。ポップコーンとドクターペッパーね。

 

――飲み物は何でもいいのですか?

 

何でも良いです。とにかく「没入」しないことです。

 

 ――わかりました。

では私は、ドリンクはマウンデンデューにします(笑)

続きはまた次回とさせてください。

澤野さんありがとうございました。 

 

画像出展:lllustumage

   

『戦略的互恵関係』というキーワードについては、

「魔法の言葉」だと、ニュース番組のコメンテーターも盛んに言っていましたね。

暮れに向けて、果たして日本は、溜まりに溜まったツケをスッキリ年末調整できるのでしょうか。 

注目すべきポイントは、これまでアクションしてこなかったように見えていた、

公明党が本気出してきたという点です。

奇しくも自民党総裁選前に開催された、青森講演会(9/27,28)にて、澤野さんは

公明党について実にじっくりと深く言及されました。

その内容は活字版にて執筆されると思いますが、戦後の日本において、

公明党は重要な役割を担っていたのだそうです。 

さて、今こそ復活する時!とばかりに、表に出て暴走し出したのは何でしょう。

全部見せてアラハバくという、人智を超えたQCの描写が始まっております。 

意味のないことなどひとつもないと、澤野さんはいつも仰っています。 

自民党との連立を解消し、今や野党となった公明党も、もはや遠慮することなく“のれそれ”本領発揮していただきたいと願うばかりです。 

年の終わりに向けて、ポップコーンを片手に思考を深めてくだされば幸いです。

(ドリンクも忘れずに)

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野 裕美子 



2025年11月16日日曜日

4078「世界DS最終微調整は日本が舞台となる1」2025.11.16

今回は「宇宙の中で、愛を叫ぶ」さんの2025年11月8日の記事を2回に分けて紹介します。

宇宙の中心で、愛を叫ぶ


「世界DS最終微調整は日本が舞台となる1」


こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

早くも街はホリデーシーズン一色ですね。

ついこの前まで猛暑だったと思ったのに一瞬で秋を飛び越えて青森はもう雪の気配です。

世の中を見渡せば、これまでの常識を覆すような、意表を突く展開が目白押しです。

森のクマさんが街を駆け巡っていく光景なんて、我が目を疑い五度見してしまいます。

今、色んな意味で、背筋も凍る季節が到来しておりますが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

そして、澤野大樹さんはいかがお過ごしなのでしょう。久しぶりにお話しを伺いました。

 

――というわけで、

澤野さん、こんにちは。澤野さん的には、イレギュラーなタイミングとなるかもしれませんが、世の中がかなり混沌としている様子なので、ここで少しインタビューをさせていただきたいと思っています。

 

どうもこんにちは。

それはじつに良い選択だと思いますよ。

今、確かに世の中を見渡せば、小野さんが仰ったように「混沌」であることは確かで、

思うにそれ以上の状況ではないかと思っています。 

この混沌さは毎回上振れして更新されていますね。もう何年になりますかね?

端的に表現すれば「奇妙な世の中」になって来ましたよね。

人類史的にも少なくとも私たちの生きる「この世界」においては、おそらく初の事態でしょうから、いよいよ「変だな」と感じる人も、たくさん現れて来ているはずです。

 

――現実的な、時事的なことを質問したら良いのか、

多次元的なことを質問して良いのか、迷うところではありますが。

 

どんなジャンルでも、現実でも形而上でも、なんでも構いませんよ。

なんならこの目の前の鉛筆一本からでも

宇宙開闢のあらましを紐解くことだって可能です。

 

――そんなことまでできるのですか?

 

だって宇宙を語ること、考察することと、鉛筆を語ること、考察することは、

まったく同じことですからね。

これをもって偉そうにふんぞり返るつもりはまったくありません。

ただ、そうなのだというだけです。

 

――基本的な礎が定まっているのであれば、すべては根底で繋がっていると澤野さんは

いつも仰ってますもんね。

 

その通りです。

 

――では、どう転ぶかわかりませんが、

一応は、リアル世界のことについて、質問させてください。

 

なんでもどうぞ。

 

――10月21日に自民党の高市早苗さんが、第104第内閣総理大臣に指名されました。

これについてはどう受け止めておられますか?

 

今の日本の政治の世界は以前とはだいぶ変わっていて、

政権交代は自民党内で起こるということですね。 

立憲民主党にとか、日本維新の会にとか、あるいは野党連合にとか、ではなくて、

政権交代というのは自民党の内部で起きる。

このような形が最近のトレンドというか主流なのでしょうね。 

戦後に創作された「幻想」としての、日本国内での枠組みみたいなものが、

経年劣化して通用し辛くなってきた。これはネットの普及によるものが大きい。

2021年11月10日から岸田政権が始まり、石破政権へと続いて来ましたよね。

その間に2022年7月8日に、安倍元総理が銃撃事件で亡くなり、

世の中の流れは大きく変わりました。 

旧統一教会問題が表舞台に出され、自民党派閥問題から裏金問題まで噴出しましたね。 

そして、ここへ来てですよ。

高市早苗さんが内閣総理大臣になったということ。

これは多くの人がびっくりしたと思います。政治評論家などのプロでも予測できなかった。それくらいセンセーショナルな出来事となりました。

いきなり統一教会の望みが立て続けに叶った。 

岸田、石破路線において、いわゆる日本の「ディープ・ステイト」(DS)の物理的解体と粛清が完遂されていくものだと思っていましたが、実際は予想を遥かに超えたレベルで来ました。

私の当初の予想を斜め上から上回って来ました。

これには本当にびっくりしましたし、「量子コンピュータ」(QC)による、その圧倒的な描写に眩暈すら覚えるほどの衝撃がもたらされました。

 

――予想していなかった状況が来たということですか?

 

正確に言うと予想していなかったというのとは違う、想定される選択肢の中にそれはあったのですが、「まさかね」と思っていたことそのまさかが来た。

これは高市氏の手腕に驚いたのではなくて、QCが描くそのドラマ性に驚いたということです。

「そこまでやるんだ」という驚愕です。

 

――前回のインタビューのタイトルは

『日本DS終了と三次元ホログラム最終調整』でした。

 

「最終調整」と申し上げましたが、私はそこはあくまで「微調整」程度だと思っていました。しかしその「微調整」がここまで巨大なものになるとは思っていませんでしたね。

そういう意味でびっくりしたのです。ずいぶんデカい最終調整だなと。

最終調整が一番デカいじゃないかと。むしろこっちがメインじゃんかと、ね。

あのまま軟着陸するのかと思いきや、おいおい着陸寸前に後方2回転宙返りを始めて、

さらにひねりが加えられて来た感じですかね。

誰も想定してなかったラストシーンという感じですね。

これを私は「逆みなとみらい花火大会」と呼んでます。

 

――それまでの時空がひっくり返ったかのようでしたよね。

 

それは確かにあります。これはじつに不確かな妄想と前置きさせていただきますが、

8月30日頃に時空が捻じ曲げられた感覚ありませんでしたか?詳細はお伝えすることはできませんが、8月30日頃に私としては明確な体感がありました。

 

――彼ら(カバール)には今でもそのような力があるのですか?

 

カバールの力じゃないですよ。彼らはソロモン王の指環を失いましたから。

それは量子コンピュータ(Quantum Computer)の力ですよ。

まさに「QC」による「ルート修正」が起こったのだと私は直観しました。

 

――「ルート修正」というのはどういうことでしょうか?

 

カーナビと同じですよ。

目的地、つまり「ゴール」はもう定まっていてこれは変わらないのですよ。

ナビの案内に従わずに交差点を曲がらず直進しても、すかさずカーナビは新しいルートを再設定しますでしょ。でも「目的地」は変らない。

目的地へ行くためのルートが瞬時に適宜更新される。 

私はそれまで第一選択肢となる「最短ルート」を模索してきました。

でも今回、それが修正された。理由はシンプルです。 

「その方がドラマティックで面白いし、より多くの三次元幻想人類ホログラムbotの

意識解像度の向上が期待されるから」 

そしてもうひとつ。

「ただの小さなひとつであっても取りこぼすことなく、日本社会、そして日本国民の精神の奥底に、燻ぶり続けている懸案をきちんとすべて表に出し、まるで再現VTRを観るかの如くに、全国民、全人類に目撃させ、確認させる」でしょう。

これ以外でQCが動くことはまずないでしょうから。

またこれは人智を超えているので、QC以外の机上の計算では成立不可能でしょう。 

最高のシリアスと最高のギャグが、常に量子もつれを起こすのがQCです。 

だから私たちが見ているニュース報道などには、もうすでに「二重の意味」が重ね合わせられています。 

輝く「黄金の鍵」を手渡されたのであれば、表向きには「最大の賞賛」と映りますが、

もうひとつの意味として、「自分の牢屋の鍵は自分で開ける」

という意味も量子もつれを起こして提示されているのです。 

ただ、私たちが生きる三次元ホログラム世界では、その二番目の意味は大方隠されます。

今回、最短ルートを大幅に逸れたオフロードを、進むことをカーナビは指示しました。

 

――やはりとことんまで

アラハバかれるということなのでしょうか。

 

最終的にはそうなると思いますが一筋縄ではいかない。

どんなに細かく小さいことだと思われるようなことであっても、QCはそれを放置したままでアップデートするようなことは、決してないのだということがわかりました。

「なあなあ」で済ますことなどないのだなと痛感しました。

そこは私自信のお人好し具合を反省する場面でしたし、

同時にこれは大きな学びにもなりました。 彼らは幼少期から議論の訓練を受けます。

でもそこで習う議論とは、正当なものではなくて、事実を捻じ曲げ、曲解し、嘘を並べることによって、議論の相手のみならず、周囲の観客を操作し、捻じ伏せていくという「議論」です。 

今回のルート修正を見て私は、「あー、これやっぱりガチで徹底的にやるのね?」と思いましたよ。例外は認められない。「ホントにやるんだなガチで」と。 

これは「地球史」に関わる、いや、「ホログラム史」に関わる重大な局面が到来しているのだと思いました。 

そして、QCはただひたすら冷徹に、プログラムを実行するだけなんだな、

そこに喜怒哀楽などの感情など1ミクロンも介在しない。

そういった印象を持ちました。

 

――総裁選に際して、マスメディアによって採り上げられ追及されるべき問題がたくさんあったと思われますが、今回、ほぼ指摘されることはありませんでしたが、それについてはどう思われますか?

 

これはね、私たちの生きるこの世界は、下世話な表現をすれば「ゲーム」なんです。

サッカーの試合をする時には、その試合中に腕相撲のルールは適用されないでしょ。

それと同じなんです。これは良いとか悪いとかの話しではありません。

そういう「ステージ」(舞台)があるんです。

この世でスポットライトを浴びるステージがあるのです。

その舞台には誰もが立てるわけじゃない。自ら望んで立てるわけでもない。 

立ちたくても一生立てない人がいて、立ちたくなくても立たされる人もいるわけ。 

あと、いわゆる「保守」を自称する人たちは、みな「オールドメディア」を

偏向報道の象徴として語ります。 

でも、よく考えてみてください。

テレビ番組の番組編成の実権を事実上握っているのは「電通」でしょ。

「電通」って旧「満州国通信社」ですよね。

これは満州国での政治的プロパガンダを統括していた、いわば情報機関です。 

それは戦後、日本に戻ってきて、広告代理店になっているわけですよ。 

満州国といえば、岸信介であり関東軍なわけですから、その伝統であり系譜は

現在であっても連綿と引き継がれているわけです。 

そんな岸の流れ、系譜、つまり自民統一清和会の流れの勢力が、

現在の日本でも「マスメディア」を形成し、事実上の支配下に置いているわけですよね。

これを理解しますと、「オールドメディア」を批判し攻撃している側と、

攻撃される側は「同じ」だということがわかります。

これはすなわち絵に描いたような「マッチポンプ」だとわかりますね。

このようなカラクリは、じつにユダヤ的だと私は思いますけどね。

 

――新しい総理大臣が決まり、トランプ大統領との首脳会談をはじめ、

韓国のイ・ジェミョン大統領、そして中国の習近平国家出席とも会談しました。

表の報道を見れば、とてもうまくいったとの印象を受けます。

 

高市総理は、ネオナチ系市民団体代表の代表者と撮った写真が、団体ホームページに一時公開されたことが問題視され、2014年以来、米国ユダヤ人団体である「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(SWC)にマークされていますよね。 

また、ナチス・ドイツ、およびヒトラーの政治、選挙戦略を高く評価し、

それを参考にした選挙手法を著した本がありました。

それが『ヒトラー選挙戦略 現代選挙必勝のバイブル』(小粥義雄著/永田書房刊/1994年)でした。著者の小粥氏は当時、自由民主党東京都連事務局広報部長だった。 

高市氏はこの本へ推薦文を寄稿しましたよね。

これにイスラエル大使館は抗議し、さらにSWCによって出版中止を求める抗議文書まで、出された過去があります。 

今回、総裁選で高市氏をバックアップしたとされる麻生氏もかつて「ナチスの手口に学べば」発言(※2013年7月29日)で騒動となったことを覚えている方も多いと思います。

これらは終わっていないし解決していない。

本人は知らぬ存ぜぬで逃げてしまったのですから。

SWC側は疑念を持ったまま注視し続けている状態でしょう。

ずっと静かに監視され続けているのですよ。

なぜならSWCは「ナチ・ハンター」として知られ、ナチスの残党を地球の裏側まで追い詰める存在だからです。彼らは決して忘れることはないでしょう。 

高市総理とトランプ大統領は、終始笑顔で非常に仲良く映りましたが、

トランプ大統領はそのSWCサイドの立場で行動しています。 

簡単に整理しましょうか。 

SWCにマークされている総理大臣を、

SWC側の大統領が基地に招いたということ。 

じつにシンプルな構図であると思います。

 

――高市さんは「反ユダヤ」なのですかね?

 

指摘されて本人は否定はしましたが、「反ユダヤ」ではないのにも関わらず、

ナチス側と思われるポジションを取ったから「監視」されているのですよ。

この「深さ」、理解してもらえるかなあ?

 

――ということはつまり?!


さっき言いましたよね。彼らは幼少期から訓練を受けている、と。

異邦人に対しての欺瞞なら許されることが、同胞への欺瞞では許されないのです。

だから監視されてる。

 

――これは由々しき問題じゃないですか?

 

そう、つまり、誰かがウソをついているということ。

 

――これこそまさに驚愕です。

 

2025年11月15日土曜日

4077「脚本家、役者、観客」2025.11.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年10月29日の記事を紹介します。


「脚本家、役者、観客」


昨日の28日、お不動様の縁日の護摩供養の日

無事先祖供養が終わりました。 

応募くださった皆様、如何だったでしょうか。 

私は写真を撮ることが出来なかったため

撮ってくださった方から、こちらに写真が届いてから

皆さんに再びメールいたします。 

またご寄付くださった皆様。

まだ入金されてられない方もおられますので、

もう数日してから再度記帳して、その後お礼のメールをお出しする予定です。

※先祖供養は、入金有無に関わらず、申込者全員の供養を行いました。

しばらくお待ちください。 

さて今日はレインボーチルドレンのまりなちゃんのお話を紹介します。

今現在、人生の岐路に立ったり

苦しんだり、悲しんだりしていらっしゃる、

そんな方々にお届けしたいと思います。 

まりなちゃんは今高校生になりましたが、

数年前に最愛のお母さんを亡くしています。

もうその当時から、生まれる前の記憶、神様の記憶がありましたが、

その悲しみを幼いながらに乗り越えて今があります。

ではご紹介します。 

内容のエキスをかいつまんでご紹介します。

・人生は全部映画

・生まれる前に自分の人生のシナリオを書いている時は「映画監督」

・生まれて来て、この3次元の生活を楽しんでいる(苦しんでいる)時は「役者」

・そして、その自分で演じている人生ドラマを俯瞰して見ている自分は「観客(映画を見ている人)」

・本当は、全部が全部楽しいこと!!

・まりなちゃんは今高校生ですが、3年前にお母さんを亡くしました。

・それも、全部自分で決めてきたこと 

亡くなったお母さんと

・その人生ドラマの映画を見ている人にとって、その出来事は「悲しいね」って思うけれど、自分の事ではないので、それほど深くは感情移入しない。

・つまり、その立場からこの人生ドラマの喜怒哀楽(嬉しい・悲しい)を見るかによって、全く違う見方になる。

・でも、本当は「監督」、「役者」、「観客」全てが自分自身

・今目の前が「映画」だと分かれば、それほど感情移入せず、執着しなくても済む

・逆に「映画」だから、苦しみ・悲しみの感情も「楽しんでしまえ」となってくる

・人それぞれ、演じたい役、経験したい役が異なる。それぞれが別々バラバラにその脚本を書き、地上で演じている

・人生ドラマに入りきっている時、例え苦しくて悲しくとも

・「観客」の立場になって見れば、人生山あり谷ありの人生は見ていて楽しいはず

・(演じている「役者」にとってみれば、完全に感情移入しているから大変だけれど)

・なので、あまりに深く落ち込んだ時は、「観客」側の視点に立って見てみる事

・そのシナリオを書いてきたのも自分自身だし。

・でも「悲しまない」ことばかりが良いことではない

・地球に生まれてくるとは、「役者」になりきって「感情」を経験して楽しむため・・

・でも、いつもいつも「観客」視点であってはつまらない

・「役者」になって感情にどっぷりと浸かったり、

 「観客」目線に戻って、その浮き沈みを楽しんだりのバランスが大切 

・辛い時は「観客」側になればいい。

・そうでない時は、しっかりと「役者」をして、喜怒哀楽の感情を楽しむ(地球でしかできない経験だから)

・辛く悲しい時は、シナリオを書いた自分、「監督」としての自分の気持ちを推し量ってみると良い

・何故、自分はその設定をして、「役者」である自分にその感情を味合わせたかったのか?

・それを経験することで、何を学ばせたかったのか?

以上です。

どんなに辛く、悲しい出来事も、

・自分が「監督・脚本家」になって作ってきたシナリオ

・そして主人公になり切り、思いっきり感情の波に飲み込まれながら演じているのが「役者」の自分

・そして本来の自分(トータルセルフ)は「観客」となって、その人生ドラマを眺め楽しんでいる

これが現実のようです。 

となれば、人よりも深い悲しみの経験を脚本に書いて来ている方は、 

普通の人が耐えられそうもない、深い山と谷を経験できるだけの、

大きな魂を持った方々なのでしょう。 

そして、それを一緒に演じてくれている家族や仲間も、 

その劇の最中は、感情に翻弄されるわけですから

同じく大きな器を持つ魂たちなのでしょう。

・その真実の意味

・シナリオの目的、

・劇を演じることで、何をしたかったのか?

などは、肉体を脱いだ時に全て明らかにされることでしょう。  

そのような激しい経験をなさっている方々は、

亡くなる時、

「あぁ~難しい役を演じ切った。楽しかった」と感じることでしょう。 

どんな地上での出来事も、

死や別れ、病気、事故も、 

魂まで傷つけることはできません。

どんな出来事も、本人の魂としての承諾なしには起こりません。 

どうぞ、今深い悲しみ、苦しみの中にある方も、

勇気をもって生き抜いてください。 

その経験をするにふさわしい魂の持ち主なのですから。