2025年8月20日水曜日

3990「火の選別の中、人生を照らす光」2025.8.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月26日の記事を紹介します。


「火の選別の中、人生を照らす光」


先日の記事

火(霊)の洗礼まっ最中

で書いたように現在はまさに、

予言の的中率では過去現在において、断然一番の出口王仁三郎の言うように

火(霊)の洗礼まっ最中です。

この神様による洗礼(選別)は、ノアの箱舟の時のような物質的な選別ではなく

人間の心による立分け(選別)です。

今日も多くの方々が

・神様のみ心に叶いますように

・心の浄化が進みますように

一番大切で本質的な問題

心の洗濯について書きたいと思います。

昭和の初期、日本の精神界に大きな足跡を残した

中村天風が、「感謝」について分かりやすく説いています。

内容に関しては、このブログでも毎回書いていますが、

ブッダの教えの本質と同じことを仰っていますので

少しかみ砕いてご紹介します。


先ず初めに感謝してしまえば良い

理屈も順序も関係ない

まず感謝する。

それが人間の心を

まっすぐ強く正しく育てる始めの第一歩

どんな境遇にあろうとも

心の底から「ありがとう」と言える人間は

必ず運命が好転する

苦しい時に感謝することなんかできるか・・と

思う人がほとんどかもしれないが、

それは逆である。

感謝するからこそ、

「苦しみの意味」が変わってくる

人間は、苦しみの中に在って光を見出す時、

本当に目が開かれる

そして、その「光」とは、

「感謝の心の中」にこそ宿る

ほとんどの人が、感謝すべきことが起きたら、感謝する・・

と思っているけれど、それは、全く逆、単なる取引。

真の光を見出すことなどできない。

そうではなく、まず初めに感謝してしまうこと。

・朝目が覚めたら感謝する

・呼吸ができていることに感謝する

・家がある、食事がある、家族がいることに感謝する

感謝は条件によって左右されるものではない

どんな状況に在っても、人は「感謝」を選ぶことができる。

感謝することで、自分の心が正しく整い、運命が切り開かれていく。

私たちが生きている現実は、まず心が先に在って、その後に現象が現れる。

心が先で、物質が後。

だからこそ、心が暗く濁っていれば、現実にも不運が訪れる。

心が優しく明るければ、現実にも、優しく明るい現象が現れる。

「ありがとう」と言う言葉は心を浄化する力を持っている。

・心が浄化されれば、

・自然と、その人の普段の考え方が変わり

・行いが変わり

・その行いが結果を変える

感謝と言うのは心の姿勢

例えば、雨が降った日に

・「うっとうしい」と文句を言えば、心は暗く重くなる

・「この雨が田畑を潤してくれる」と思えば、心が清々しく澄み渡る

同じ出来事でも感謝の目で見ることで、

人生は正反対の、別のものになってしまう。

心が現実をかえてしまう。 

だから初めに感謝することが大切。

どんな状況に在っても、それが最も強く、尊い心の在り方。

人は誰でも皆、人生において試練に出会う。

・愛するものを失う

・病に倒れる

・信頼している者に裏切られる

・努力が報われず台無しになる

でも、それを不幸だと思うから苦しむ

「ありがたいこと」だと思えば

その瞬間に意味が正反対になる

失敗も傷も全部が糧になる

感謝の心は、過去の傷さえも癒してくれる力を持っている

辛い出来事が無ければ

・誰も心の深みを知ることがなかった

・人に寄り添うこともできなかった

だから、それを感謝せずして、何に感謝するのか?

物質の豊かさよりも、心の豊かさの方が遥かに大切なこと

「ありがとう」と言う言葉を

毎日毎日、百回口にしてみてください 

心が清められ、ものの見方が変わる

そうすると、不思議なことに

目の前の現実が変わっていく

「ありがとう」と感謝していると

感謝するような出来事が、起こり始める

これが宇宙の真理

ブッダの教えの神髄

どんな状況に置かれていても

感謝できる人だけが幸せになっていく

心は自分で選べます。

・感謝するのか

・不平不満を言うのか

・心を澄み渡らせるのか

・心を黒く汚いもので満たすのか

自分の心を感謝で満たすこと

・怒りではなく

・ねたみでもなく

・恐れでもなく

感謝で満たすこと

感謝の中に立てば人間は

・どまでも高く、

・何処までも深く

魂を輝かせることができる

今日、一回だけでも「感謝」してみてください。

誰にでも、何にでもよいので「ありがとう」と声に出してみてください。

その言葉が心のカギとなって、閉ざされた心の扉を開けることでしょう。

感謝とは、ただの礼儀や習慣ではありません。

人生そのものを照らす

最も尊い光

先ず初めに感謝してみてください。

そこから全てが始まります。


2025年8月19日火曜日

3989「大祓祝詞の神髄」2025.8.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月13日の記事を紹介します。


「大祓祝詞の神髄」


昨日書いた記事→火(霊)の洗礼まっ最中にも関連するのですが、 

大神様が、ノアの箱舟の「水の洗礼」の後に作ったシステムに

祓いのシステム があります。 

これは悪の妖気が凝り固まって、悪霊化、悪魔化する前に、 

そのエネルギーを善の神のエネルギーに変換してしまう仕組みです。 

この仕組みができたがゆえに、地球に、極端な悪が再びはびこることが無くなりました。

では、その仕組みについてお話します。

地球を作った国常立尊(くにのとこたちのみこと)

あまりにも厳格な善政を敷いたため、多くの神々から疎んじられ、

大神に直訴され、やむなく艮(うしとら)の方角(=東北)の地に隠遁させられました。

大神がなぜ、多くの悪神たちの願いを聞き入れたかと言えば

地球を発展(進化)させるためには、

善と、そして悪も両方必要だったからです。(→二元論)

そして、根の国、底の国に隠棲された後、大洪水が起こったそうです。(出口王仁三郎 談)

その後に大神が地球に作ったのが、大変重要な浄化のシステム、つまり祓いです。

これは決して悪を消滅させる・・という仕組みではなく、

悪を根の国、底の国で浄化し、その浄化されたエネルギーを再び地や天界に戻す

大循環の仕組みです。 

その仕組みを教えてくれるのが、日本最古の祝詞と言われる大祓祝詞です。 

その祝詞の中には

天照大神(あまてらすおおみかみ = アマテル 男性神)の妻である、瀬織津姫も

大神の一人として登場します。 

今、まさに国常立尊の復権がなされようとする時、

私たち人間にとっても「祓い」は大変重要です。

では、今日は大祓祝詞のお話です。

日本神道の 最高の階位 浄階まで進まれた方ですが、

春日大社の元宮司で、医学博士 葉室頼昭さん。 

葉室さんが仰るには・・・日本の神道は宗教ではありません。

教祖もいませんし、経典もなく、よって一般的な宗教のようではなく

何者にも依存の心を抱かせないからです。 

今日は、葉室さんの言葉による大祓祝詞の解釈をご紹介します。 

何故なら、神道(日本の縄文時代からの心)では、神々からの恩寵を得るために

神々に喜んで頂くために、祭りをしたり、神楽を舞ったりしますが、

同じように 神の言葉(音魂)で書かれた大祓祝詞を奏上することも、 

神々に喜んで頂くための非常に有効なこととされているからです。 

神道の中で、もう千年以上も受け継がれてきた祝詞があります。 

それは、神々から伝えられ、大和言葉で表現された大祓祝詞です。 

皆さんはこの大祓祝詞をご存知ですか?

大本は藤原氏の祖先である中臣氏のどなたかに神々から降ろされた言霊です。

この祝詞は春日大社が創建された当たり(西暦768年)に

降ろされたものではないかと言われており、

神さまの言葉を甘受した方が、大和言葉で受け取りました。

ずっと活字としては伝承されていませんでした。

大和言葉とは、母音をはっきりと発音する言語です。

1文字1文字に神々の息吹が込められた、私たち日本人の宝です。

中臣氏と言えば、小学生ぐらいに日本の歴史で習ったかもしれませんが、中臣鎌足、

中大兄皇子(天智天皇)とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わった。 

その後功績を称えられ、死の直前に天智天皇から藤原朝臣姓を与えられたとされる。 

他方、この時に与えられた藤原の姓は鎌足一代のものであり、

後に改めて鎌足の遺族に藤原朝臣の姓が与えられた。

この方の祖先は、ニニギノミコトが天孫降臨した際に、

重臣として付き添って天上界から降臨した3名のうちの1人です。

重臣の名前は、天之児屋櫛眞智の命・・・・・アメノコヤネクシマチノミコト

八咫鏡を守って政策立案を担当した方です。後の中臣氏 ⇒ 藤原氏の祖先となります。

この大祓祝詞は、この言葉さえ唱えていれば、全ての罪、穢れが祓われると言われているもので、神々から降ろされてから千年以上たった現在でも、毎日全国の神社で唱えられている祝詞です。

これだけ長く続くということは、本物である証でもあります。

この祝詞の中に四柱の祓戸大神(はらえどのおおかみ)が現れます。

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

です。

つまり宇宙の循環構造を神々の働きとして表しています。

 

循環の思想は世界中見渡しても、日本にしかありません。

日本は島国であり、古来から自然とともに生きる、

和をもって尊しとする国だったからです。

他方、外国は大陸にあり、常に四方から敵が攻めてくる恐れがありました。

この結果、

・善か悪か?

・正しいか、誤りか?

・敵か味方か?

この2元論の考え方が思想の根本にあります。

そのため、地球に転生する魂たちの中でも、日本は群を抜いて人気があるそうです。

ですが、私たちが日本人だから偉いというわけではなく、

誰しも数多くの転生を繰り返しますから、日本で生まれたり外国で生まれたり色々です。

上下の区別はありません。

また大祓祝詞は、本来、大和言葉で口伝されてきたものであり、

漢字の当て字がされたのは、今から880年ほど前にしかすぎません。

漢字で意味を掴もうとすると、大きな誤解を生みます。

(春日大社、元宮司で、藤原氏の子孫 葉室頼昭さん談) 

この四柱の祓戸大神の名前も当て字にすぎません。

宇宙を支配している循環構造に対し、それぞれの役割ごとに神々の名前を当てたに過ぎません。

この循環の構造は、同じく大祓祝詞の以下の部分で、詳しく示されています。 

■原文

あめのますひとらが あやまちおかしけん くさぐさの つみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでん 

かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎを もとうちきり すえうちたちて 

ちくらのおきくらに おきたらわして あまつすがそを もとかりたち すえかりきりて 

やはりにとりさきて あまつのりとの ふとのりとごとを のれ

かくのらば あまつかみは あめのいわとを おしひらきて 

あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて きこしめさん 

くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえに のぼりまして 

たかやまのいぼり ひきやまのいぼりを かきわけて きこしめさん 

かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなどのかぜの あめのやえぐもを 

ふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜの 

ふきはらうことのごとく おおつべにおる おおふねを へときはなち ともときはなちて 

おおうなばらに おしはなつことのごとく おちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて 

うちはらうことのごとく のこるつみはあらじと はらえたまい きよめたもう

■意訳

人間は、生きていくうちに、いろいろな罪を作ってしまうものです。

しかし、いろいろなことで罪を作ってしまったら、

それを充分に反省して、そしてそれが二度と行われないようにしなさい。

そして全て神さまの導きにしたがって、今を全力で生きなさい。

たとえどんな厳しいことが現れても、また自分にどんな被害を与える人が現れても、

それを恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えてはいけない。

また苦しみを悩んだり、逃げようと考えてもいけない。

そのようなことは粉々に砕いて、ただ無我になってこの大祓詞を唱えなさい。

そうすれば神さまはちゃんと見てくださっています。

神さまが私たちの心を聞いてくださったら、 

その時は全ての罪というものが祓われ、霧のように消えていきます。 

<終了>

私たちは神社でよく「お祓い」をしていただきます。 

このお祓いとは、罪や穢れを除去するという意味ではありません。

そのような2元論の思想は、この美しい国、日本には無いからです。 

この世に存在するものは、決して消し去ることはできません。 

消えたかに見えて、実際は、姿かたちを変えて存在しています。 

紙を燃やせば、紙は無くなりますが、

実際は姿を変えて、煙の分子と、灰の分子になっただけです。 

私たちの神さまの「祓い」とは、大和言葉で言うと 

・は--生まれるという意味 例 母、葉(人間の出す二酸化炭素を命の源、酸素に生まれ変わらせる)

・ら--君ら、僕らのらの意味。沢山と言う意味

・い--いのち、生命の意味 

この結果、祓いとは、命が沢山生まれる。。という意味になります。 

お祓いは、ツミ、ケガレを水に流し、黄泉の国に送り

再び純粋な神々のエネルギーに変換してくれるものです。 

決して除去することではありません。 

人間は、どんな聖人君子であっても、生きている限り、罪、穢れが生じます。 

ですが、この罪、穢れの本当の意味は 

・罪--包身(ツミ)。神様が下さった本来純粋な人間の魂を、我欲が現れて、包み隠してしまうこと

・穢れ--氣枯れ(ケガレ)。日々我々を活かしてくださっている神様の純粋な氣を、我欲で枯らしてしまうこと 

です。 

これをお祓いによって、神様の氣で充実させ、 

本来神様からいただいたまんまの美しい心の輝きを取り戻します。 

お祓いには、このような意味があります。 

そして大祓祝詞は、千年以上も伝承されてきた、日本最古の祝詞でもあります。 

真実のものであるから、千年もの間、滅びることはありませんでした。 

大祓祝詞で言われているように 

・どんなに辛いことも

・どんなに悲しいことも

・人からどんな仕打ちを受けても 

人や環境を恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えず、

感謝の心でいさえすれば、

四柱の祓戸大神としてシンボライズされた神々の仕組みが動き出し 

真の幸せが訪れることでしょう。


2025年8月18日月曜日

3988「火(霊)の洗礼まっ最中」2025.8.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月12日の記事を紹介します。


「火(霊)の洗礼まっ最中」


皆さんはノアの箱舟をご存知ですか? 

神から離れ、堕落してしまった人間を神様が見て

大洪水を起こし、地球上のすべてを流し去ってしまった・・ 

という水の洗礼の物語です。 

世界中に同じような伝承が残されています。

科学的にも大洪水の痕跡が発見されています。 

この時、唯一、心正しかった、ノアが神さまの助けの元、大きな船を作り

助かったというお話です。 

神様はこの時もノアと家族を通して人々に警告し、

罪を悔い改めるように訴え続けました。 

しかし誰も神を信じ、改心しようとはしなかったのです。 

今日のお話は、結構重要です。

源の大神様が、人類に対し行う行動について 

出口なおの表した大本神論、及び、富士古文献(宮下文書)を中心に 

著名な経済アナリストの藤原直哉さんが解説しています。

その内容を補足する形で書きたいと思います。 

内容に関しては、証明のしようがありませんので、眉に唾を付けてお読みください。 

また神様に対する信仰のお心がある方だけお読みください。 

このブログでは、

・目に見えない不思議

・派手な奇跡

・他人に頼り依存させるような事がら

などを強調するものとは一線を置き 

地味ですが 

・心の浄化

・改心

・神々への純粋な信仰

・身近な周りへの思いやりの心 

などを中心に書いています。  

その目的は、今日の記事にあるように 

火(霊=ヒと読みます)の洗礼の際に、できるだけ多くの方に

神さまの国に住んでいただけたら・・と思うからです。 

神の国とは黙示録の言うところの

天から降りてきた新しい地上天国(エルサレム)のことです。 

入れる方は、心を洗い改心し、神さまの御心に近い方だけです。 

始めます。

宇宙創生の時、この大宇宙は霊的な世界だけでした。

物質はありません。 

ですが、神様が思ったほど、なかなか進化のスピードは上がりませんでした。

そこで神様は、物質世界を作ることにしました。 

その結果、物質世界ができたことにより進化のスピードは上がりました。

ですが、物質ができた結果、

その宿命として 二元論の世界観が広がってしまいました。

・善か悪か

・寒いか 暖いか

・大きいか 小さいか

・重いか軽いか

などなど。

損得の概念も、この二元論から発生しました。

その結果、物質が増えれば増えるほど、 

妖気に満ちた気が地球上に蔓延してきました。 

つまり悪霊化する素の気のことです。 

この状態を見た神様は、 

全世界に似たような伝承のあるノアの箱舟伝説の大洪水を起こし、

地球上の物質を全て洗い流してしまいました。 

これが水の洗礼と言われるものです。

 ですが、神様は知っていました。

いくら物質を洗い流してしまおうと、人間の心が変わらなければ、

再び同じ過ちを繰り返してしまう。

そうして、第2の洗礼の予告がなされました。 

それは火の洗礼と言われるものです。

この火は、実は霊と言う字を書きます。

霊はヒと読みます。

霊の洗礼です。 

つまり物質的なことで建て分けを行うのではなく、 

霊つまり、人間の心の状態による建て分けを、第2の洗礼として予告しました。 

これは第1回目の水の洗礼のように、物質的な選別ではありませんから、 

亡くなったりするわけではありませんが、神の国に入れるかどうかの建て分けです。 

つまり明確な住み分けが行われるということです。

聖書の黙示録の記載では

天から降りてきた新しい地上天国(エルサレム)と書かれています。 

門がありますが、この門を通過できるのは 

・心の浄化、改心がなされたもの 

しか入ることができないと書かれています。 

心が浄化され 神に近づいているかどうかで 選別されるとされています。

そして助け出される人は、たとえ 物質、お金や地位や名誉などなくとも、 

必ず救い出される。

これが1回目と2回目の浄化の違いとされています。 

黙示録は比ゆ的な表現が多く、なかなか簡単に理解しがたい所もありますが、

紐といてみれば、現代社会の状況と非常に一致している点が多いことが分かります。

大本神諭によれば、

霊の洗礼の際、神々の意に沿う人々は2,3%であろうと書かれています。 

そして重要なことも書かれています。 

第2の洗礼(霊の洗礼)の際、先に足きりが行われる・・ 

あまりにも物質の罠にはまり 

・今だけ金だけ自分だけ 

に陥り、悪魔的な心にまで落ちた人類は、足きりされると言うことです。 

最終的には、その魂自体も消滅の運命です。 

今まさに世界で起こっていることは、この足きりの戦いです。 

神が表に現れて、善と悪と立て分ける、と言われていますが、この真っ最中です。 

神々は見えないところで働きます。 

私たちの心を上手く操り、登場人物を、有機的につなげ、

あたかも自分の意志でことをなしているかの如く、神仕組みを実行なさっています。

極端な自分さえ良ければの悪魔的な思想を持ち、力と権力を持っていた邪悪な勢力は 

その悪行が白日もとにさらされて、急速に力を失っています。

既に勝負は明確に付いています。

そして神様は第一の洗礼の時に予告しました。 

今回の霊の洗礼の後、もう二度と洗礼は起こさない。足きりで魂を消滅などさせない。

そのため、今回は徹底して行われるということです。 

そうして足切りされた後の世に残った人々はどうなるのか。

私たちの住む世界の波動は、足切りの結果、軽くなります。 

より一層、自由で軽やかな思考ができるようになります。 

神々の意をくむ、2,3%の人々とともに、改心(洗心)するチャンスが飛躍的に増えます。

物質的な洗礼ではありませんから、魂を無くすことも、命を無くすこともありません。 

安心して、心を清め、改心し、真摯な信仰心(神々を信じる心)を養うことができます。

私たちは、もう目の前に来ている、新たな神の国に、ほとんどの方が入ることができます。 

平凡な私たちが、平凡な日常の中でできることは、

今目の前にいる人に丁寧に付き合うこと、思い合うこと・・ 

そのことを日々こつこつと行っていれば、 

神々は私たちを天の国に招いてくださることでしょう。


2025年8月17日日曜日

3987「大峠を越えるために」2025.8.17

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年03月21日の記事を紹介します。


「大峠を越えるために」


江戸後期から明治にかけて一斉に日本で起こった霊的な磁場、鼓動。 

そこでは、人類にとっての大峠、時代がぐれんとひっくり返る、

など近未来に対して様々な予言が語られていました。 

それはもちろん神の国、言い換えればアセンション後の地球、

などの到来を意味していますが、

その前に、夜明け前の一番暗い時代のことも語られています。 

その辛く、苦しい時代を乗り越えられるのは、改心(洗心)した魂なのだとか。。 

そのために強く私たちに「改心」(心をきれいにすること)を迫っています。

改心した人とは、

要するに心の罪、穢れを祓い

ピュアな心の持ち主のことです。 

決して、どこかの誰かが行動してくれることで、私たちの幸せが訪れるわけではありません。

そのような他人依存的な姿勢は、 

昔ながらの、宗教的な依存心を増大させるだけで、魂の退化に繋がります。 

さて今日も、心の洗濯。 

美しき心を取り戻すために書きたいと思います。 

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。

神様がお植えになったところで咲きなさい。 

咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。

あなたは、 

・体調が悪いから

・思ったように物事が進まないから

・ムシャクシャするから

と、仏頂面で人に相対していませんか? 

それを見た人、そばに居る人は、 

そのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。

自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。

渡辺さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、宣教師の方から頂いた言葉だそうです。

渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、

そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。

そして更に50代でうつ病を発症しますから、

彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。

いくら修道院で修行してきたからとて、

まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。

当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。

他人の出方(態度)で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。

私達もよくやりますね。

誰かが、仏頂面してた 

→ 私に何か文句があるの? 

→ 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ

誰かが、挨拶しても返してくれない 

→ 私が嫌いなの? 

→ フン。私も嫌い。悪口流してやる。

笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。

でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。

朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。

また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、 

一遍で好きになって味方になってしまいます。

まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。

人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、

環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。

咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、

笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。 

私たちは、よく口にします。

・お金が貯まってから

・時間が出来てから

また次のようなこともよく言います。

・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら

・あの人のように、美しかったら

・あの人のように、健康だったら

・あの人のように、能力があったら

そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。

私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?

それともシスターが言うように 、いまの環境に私が生きているのは、

自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神さまが、あなたをここにお植えになったのは、間違いでなかったと、証明するためでしょうか?

花の使命は咲くことにあります。

他の花と比べて、優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、

自分しか咲かせられない花を、一番美しく咲かせることにあります。 

誰かと比べる必要もありません。 

人は、それぞれ、生まれて来た目的があります。 

それは、生まれる前に決めて来たことです。 

その目的に従って 

・経済状態

・健康状態

・家族状況

・容姿

・性格

全てを神さまと共に、カスタマイズして、生まれてきました。 

だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。

自分にとって、自分の魂を輝かせるために、今の環境は最適なものだからです。 

嬉しいこと、楽しいこともそうですが、

それよりも、辛さ、悲しさ、苦しさ、そんなものが、私たちの心の砥石となり、

もともとダイヤモンドのように輝いていた、私たちの美しい魂を、

再び見せてくれるものだからです。

私たちの心が全て決めます。

心が変わらない限り、現実は変わりません。 

心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。 

心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。 

・温かな優しい心

・周りの方々を慈しむ心、

・出しゃばらず、そっと見守る愛の心

・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」 

今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。 

皆さんが

ご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。


2025年8月16日土曜日

3986「青空ひろば」2025.8.16

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1532 2025.08.08 

<レスター・レヴェンソンさんの「愛のワーク」>

・過去のつらい体験を思い出す。

・その体験を生じさせた人や組織や出来事に対して沸き上がってくる「感情(憎しみなど)」と格闘しないで、そのまま受容する(そのまま味わう、感じる)。

・感情をそのまま受容して抱きしめているうちに、「憎しみ」の感情は「愛」に変容する。

(ポイント)その憎しみの感情と格闘することを止め(手出しを止め)、その存在を認め、受け入れ、許してゆくと、ついに愛することが出来るようになる。


1530 2025.08.05 ~ 1531 2025.08.07

<「達摩安心(だるま あんしん)」という公案>

・慧可(えか)が達摩(だるま)大師のもとにやって来て質問した。「私の心は不安動揺して収まりがつきません。師よ、どうか安心させて下さい」

・師は答えた。「その『心』を持って来なさい。そうすれば安心させてあげよう」

・数日後、慧可が師のもとにやって来て言った。「『心』を捉えようとしましたが、どうしても捉えることが出来ませんでした(心不可得)」

・達摩大師はおっしゃった。「君のために『安心』のコツを教えてあげたよ」

・アタマの手出しをやめて(無駄な抵抗をやめて)、こんな自分であることを認め、受け入れ、許し、愛することからスタートする。

・自分がありのままの自分に落ち着ければ、「イノチの大地」から、必ず必要な時に、必要な「イキモノ」が発動するようになっている。どういう形で「イキモノ」が発動するかは、アタマの自分にはサッパリ分からない。分からないからこそ面白い。<思い通りの人生より、思い及ばぬ人生が面白い>


イノチやココロは、あなたの所有物ではない。だから、ハンドリング(操作)できない。本当は、あなたこそがイノチやココロに所有されている。

「安心」のありどころは、イノチやココロをコントロールしようとするアタマの傲慢を放棄して、イノチやココロを信じて、その発動(「イキモノ」)にお任せするというところにある。


1528 2025.08.03 ~ 1529 2025.08.04

<香厳(きょうげん)、開悟(かいご)の因縁>

・香厳は、師の潙山(いさん)禅師から公案(禅の問題)を与えられて、どうしても解けなかった。

・自分に「絶望」して、禅修行も「断念」して墓守(はかもり)をしていた。

・ある日、墓場の掃き掃除をしていて、石が飛んで竹にぶつかり、「カーン」という音が響いた。その音を聞いた途端、香厳は悟りを開いた。


<香厳(きょうげん)は何を悟ったのでしょうか?>

・自分に絶望し、修行すら断念して、自己崩壊してしまっても(自分がなくなっても)、ホラ!このように音が聞こえるではないか。これは、自分が聞いているんじゃない。「イノチの大地」が発動して(「イキモノ」が現れて)聞いているんだ、ということに気付いた。

・自分がなくても、このように見える、歩ける、はたらける。語ることもできる。そして、それが自分には出来るはずもない最高のパフォーマンスになっている、ということが分かった。それが香厳の「悟り」。

 

1527 2025.08.03 

(大敬のつらい体験)

無理に「やる気」を出してガンバロウと努力した→燃え尽きた→挫折→罪の意識、自信喪失→心に負の想いを刻み込んで、生きにくいマイナスの環境を現実化させていた。

(大敬の復活)

そんな「やる気」が出ない自分であることを認め、受け入れ、許して、抱きしめてあげられるようになった→「やる気」は相変わらずないままなのだが、イノチの根源から「イキモノ」が、必要な時、必要な場面で発動してくるようになった→いい働きが出来るようになってきた→「イキモノ」と「やる気」は違う→「やる気」はアタマで作り上げたもの、「イキモノ」はイノチの内奥から必要に応じて湧き上がってくるもの。


1517 2025.07.15

<袁了凡さんが息子のために残した処世訓>

(謙虚であれ)

大敬の経験:難関大学に合格する生徒は、受験前に謙虚になる。

<易経の「謙」>

(易経本文)

人にして謙遜の徳があれば、どこに行っても通用する。終わりを全うすることが出来る。

そもそも「天の道を行く」者は、高きの居らず、その陽気を万物に斉しく下す(謙)ことによって、真に輝くことができる。

「地の道を行く」者は、大地にしっかり根ざして一歩、一歩と着実に歩み、その低きを保つ(謙)ことによって、自ずと上に引き上げられるようになる。

「天の意志」は満ち・驕る者を欠いて「謙なる者」を益し、「地の意志」は満ち・驕る者から減らして「謙なる者」に流入させ、「鬼神の意志」は満ち・驕る者を害して「謙なる者」に福を与えようとし、「人の意志」は満ち・驕る者を憎んで「謙なる者」を好む。

「謙なる者」は、高い位に就いても、尊くて光り輝き、低い位にあっても、だれも彼を軽蔑して粗略に扱うことができない。だからこそ、終わりを全うすることが出来るのである。

大地の中に山が潜むのが「謙」である。

卑い態度の中に高い徳を蔵するこの卦にのっとって、君子は多いものを減らし、少ないものを益し、バランスを計り、公平を心がけるのである。


1516 2025.07.14 

<徳積みをしましょう>

運命は、徳を積む(善行)によって改善出来る→袁了凡さんの実例

<参考文献>『出雲記伝』(バンクシア・ブックス)

<雲谷禅師が袁了凡に伝授した、「心」を養う「運命改善法」>

①無心になる(地上次元→上の次元の世界に)。→準提呪(じゅんていじゅ)を称える

(準提観音呪 )

ノーボー サッタナン サンミャクサンボダー クチナン タニヤタ

オン シャレイ シュレイ ジュンテイ ソワカ  

②無心に近づいた状態で、心の中央にこうでありたいという想い(願 い)をしっかり定着させる(Uターン法)。

③徳を積む(「心」のエネルギーを殖やす)。 

<雲谷禅師が袁了凡に授けた善行(徳積み)のポイントリスト>  

(参考文献)『出雲記伝』(バンクシアブックス)の巻末資料

ここでは、1ポイントのものだけを掲載しておきます。一つの念願成就に三千ポイント貯めるのが基本。 

◎ 1ポイントにあたる善行

・職場に入る前に仲間がしあわせでありますようにとまず祈る(心のなかで祈るだけでいい)。

・同僚が功績をあげたら心から祝福する(嫉妬や憎しみは自分を傷つけます)。

・人から好意の言葉や行為を受けたら感謝の気持ちを伝える(言葉と行動で)。

・同僚の悪口を言っている人がいたら、その場から立ち去るか、話題が変わるように誘導してあげる。

・同僚が仕事に手間取っていたら、さりげなくサポートする。

・同僚の仕事に欠陥があれば、ひそかに補ってあげる。

・同僚が仕事で不手際があっても、他の人の前で大声で叱らない。人がいないところで、こっそりやさしい言葉で教えてあげる。

・職場の仲間の間にいさかいがあれば、和解に導いてあげる。

・鳥獣の死体(放置自転車など)があれば埋めてあげるか、役所に連絡する。

・道路や廊下やトイレにゴミが落ちていればサッと始末する。

・廃棄する物品は「これまで使わせてもらって有難う」と感謝してから廃棄する。

・ご縁のある寺社に参拝する。

<袁了凡さんの運命改善>

・郷試3番で合格のはずが、1番で合格(運命の改善が始まる)。

・子供が出来ないはずが、長男(天啓)が誕生。→3千ポイント

・進士(科挙に最終テスト)には不合格のはずが合格。→1万ポイント

・53歳の寿命のはずが、74歳まで生きることが出来た。


2025年8月15日金曜日

3985「国常立尊の復権」2025.8.15

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月13日の記事を紹介します。


「国常立尊の復権」


ここ数年、国津神の話題が頻繁に出てくるようになりました。 

「国常立尊の復権」と言う言葉は、あの霊的な巨人で大預言者だった出口王仁三郎の言葉です。国常立尊(クニトコタチノミコト)は国津神の中の最上位の神様です。 

今日は、その地球上に初めて現れた神様国常立尊(クニトコタチノミコト)のお話です。 

日本書紀では冒頭、初めて現れた神として

国常立尊(クニトコタチノミコト)が書かれ、造化三神、つまり最高神とされています。 

ちなみに古事記では少し異なり、最初の神様は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。

結美大学の小名木善行先生のお話では

古くから日本のメジャーな正史(せいし)と言えば日本書紀でした。

戦後GHQの敗戦教育で日本人の魂を弱体化するために神話教育が禁止され、日本書紀も禁止されました。

そのため代わりに戦後は「古事記」が学ばれるようになりました。

日本書紀と古事記はともに8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。

「古事記」は、飛鳥時代に天武天皇が、暗記が得意な28歳の側近、稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて、天皇家の歴史である「帝紀(ていき)」と、豪族の神話や伝承である「旧辞(きゅうじ)」を暗記させたといいます。

そして、太安万侶(おおのやすまろ)が稗田阿礼がそらんじる内容を文字に書き起こし完成させました。

それに対し「日本書紀」が用いた資料は、『古事記』と較べはるかに多彩で、「帝紀」「旧辞」のほか、朝廷の記録や個人の手記、中国の史書、さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も用いられています。

朝廷の日々の記録に基づく記述も増え、記述の信憑性を高めています。

どのような神話も最初の序文に一番大切なことが書かれています。

日本書紀では序文に下記のことが書いてあります。

・天も地も混とんとして、まだ分かれていない時

・正(明るく清らかなもの、陽気なもの)邪(重くて暗いもの、陰気なもの)が、まだ分かれていない時

・陽気なものは薄くたなびいて行き、天になった

・重く濁ったものは、下に沈んで行って、地になった

そしてここからが重要なのですが、

そこに聖なるものとして国常立尊という神が現れた。

世界中どの国でも神様は一点のしみも無い存在であって天に在る者とされ、

絶対的に清らかな存在とされていますが、私たちの住むこの日本では全く異なります。 

全き清らかな、そして聖なる天の中ではなく・・

清らかな「天」と、重くて濁った「地」

その両方混ざった場所で、最初の神が生まれた・・とされています。

つまり神様の中にさえ

・清らかな聖なるものと

・重くて濁ったもの

その両方が存在していると、序文で宣言しているのです。

まさに私たち日本人の中に流れている縄文のDNAそのものの考え方です。

決して、「良き者、悪き者」と二元論で区別し、悪しき者は、征服し切り取り、消滅させよ・・

と言う精神ではなく、悪しき者も、大きな心で抱き参らす・・という考え方です。

そしてこの序文が意味することは、私たちの肉体には心がある。

心は時に様々思い悩んだり苦しむことがある(重く濁る)

肉体は重くて濁った「地」でできている。

重くて濁ったものの中に「心」がある。

だから心も重く濁ってしまうことがある。

それは神様も同じ。 

神様も両方でできているから。

その重くて濁った「地」でできた肉体の中には、清らかな聖なるもの、

朗らかなものも宿っている・・

肉体と、心と、魂(霊 ヒと読みます)で神様も私たちも成り立っている。

私たちは人間ですから重くて濁ったものがあるため、辛くて落ち込んでしまったり、

心が濁ってしまって、弱ってしまうこともあります。

でも同時に心の中に「清らかな聖なるもの」も存在しています。

落ち込む時ばかりでなく、美しき天使のような温かな心を持つこともできる。

そのような温かな魂(霊)を、全ての人が心の中に持っている・・

そう日本書紀では国常立尊の誕生を基に、後の世の私達に伝えています。 

では、国常立尊の封印に関するお話をご紹介します。 

国常立尊は、『古事記』においては神世七代の最初に現れた神で、

別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)と対を為し、

独神(性別のない神)であり、姿を現さなかったと記されています。

この国常立大神は、地球の原初の頃、地上の修理固成に苦労されていた

「ミロク大神」と「伊邪那岐命」の2神を助ける形で、地上に降臨しました。

国常立大神自身も龍神であったようですが、

他にも数多くの龍神眷属を引き連れてやってきたそうです。

その後も国常立大神は、地球の総司令官として活躍し続けたようですが、次第にその厳格さゆえに、他の眷属神(八百万神)から不平がもれ始め、世界の東北(=艮)の地にあたる

日本列島に封印されてしまう事になります。

それ以来、国常立大神は、艮の金神、すなわち「祟り神」として恐れられ、また、疎まれるようにもなり、その存在すらも忘れ去られてしまう事になります。

封印、つまり排除された神とは、まさに戦後、日本が置かれた立場と同じです。

国常立大神の排除の事情は、出口王仁三郎『霊界物語』に詳しく書かれています。

さて封印。 

天の大神様「ミロク大神」と「伊邪那岐命」は、その封印の際に、国常立尊に対して後日の再起を、以心伝心で伝え、国常立尊に退隠をお命じになり、天に帰られました。 

さて、その後日の再起とは何時のことでしょうか?

以前 「3千年王国の始まり」 の記事でも書きましたが、 

出口王仁三郎の予言によれば、

2010年より人間の精神性に関する立替え・立直しが始まっています。

ですが神々のやり方は、その最中には、全く私たちが気付かない方法で、進められていきます。

多くの人が期待するような派手で、ドラマチックな、天変地異のようなやり方ではないと思います。

人の心に働きかけるのです。 

働きかけられた無数の人々は、

自らも知らないうちに、有機的に、ジャストなタイミングで、つながります。

あるテーマで集められた人は、同時期に、同じようなことに興味を抱きます。 

また自ら発している波長が同じであるため、同調して集合するわけですが、 

それは、まさに偶然の出会いと思えるかもしれません。

ですが、それは、確実に神々によって計画された出会いです。 

世の中に大きな変化が起こるときは、たくさんのテーマが同時で進行しますから、

テーマごとに人が集めらます。

神々の計画に、後ろを向く人もいるでしょう。 

・変化を嫌う人

・心の世界を認めたくない人

・今だけ、金だけ、自分だけの人 

ですが、そんな人たちも、類は友を呼ぶ波長の法則により、同じ考えの人たちが集まることでしょう。 

まさに変化の時代には、そのような人々を、あぶり出し、目立たさせる効果もあります。 

今、そのような変化が起きています。 

世の中の変化、全ては、私たち一人一人の心が決めています。 

愛する家族であっても、同じ道を行くとは限りません。 

大きな変化でさえも、その最中、渦中の人には気づきません。 

後の世の人が指摘することです。

気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ そんな形であろうと思います。

決して、どちらの道が良くて、どちらが悪いのではありません。

その人の持つ好みとか嗜好性によって、

進むべき道がドンドン鮮明に分かれて来ているのではないかと思います。

そしてその道は、今までであれば再び交わることもあったけれど、

今の地球での時空間では、もう交わらないのではないかと感じています。

でもそれは悲劇ではなく、自分の好きな道、目的地が鮮明になり、

そこへ向かうがための別れでしかありません。

そして、自分で定めた目的地にちゃんと着くには、

・自分がどうしたいのか?

・何をしたいのか?

・どう生きたいのか?

人に流されず、人に頼らず依存せず。 

自分の信じる道を進む勇気を出してみてください。

私たち一人一人は、神さまに見守られています。

ですから自分の意思・心で決めて進んで行くことができます。

自分の人生は人に頼り、決めてもらうのではなく、

自分で決めて進んで行かねばなりません。

できるなら、心に張り付いた沢山の灰汁(アク)を少しずつ落とし、 

ピュアな心で、内に居らっしゃる神さまと歩んで行きたいものですね。


2025年8月14日木曜日

3984「ブッダの予言-ジャプトーバー」2025.8.14

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年09月26日の記事を紹介します。


「ブッダの予言-ジャプトーバー」


人間の持つ負のエネルギーを得るために 

・世界中の人々を恐怖と不安に陥れる悪魔的な存在や、

・巨万の富を得て、そして維持するために 

残虐な憎悪のエネルギーで世界を動かそうとする存在たち。 

心優しき人々は虐げられ、

今日に至るまで、それら存在の計画がうまく進行しているように見えますが、 

ここ数十年の動きは、まさに神様の仕組みが動きだしているように見えます。 

沢山の異なるレインボーチルドレンからもたらされる複数の星々からの情報や、

まさに神様の意識を持ったまま生まれた子供たちからの情報、 

そして今日ご紹介するブッダの予言では、

神の世を創る原動力となって動くのは私たち日本人のようです。 

※それは日本人だけが偉いのではなく、今世日本人として生まれた役割です。 

ですが、私たちがその役割を担おうにも、

・今までのように他人依存的な思考を打破しない事には

・恐怖と不安に縛られていては

・神様を心の底から信じていなくては 

私たち自身も、そのような存在の操り人形のまま終わってしまいます。 

他人の思考のままに、無意識に動かされるロボットのままです。 

では、今日のお話です。 

令和の時代が始まっています。

・霊性の時代、

・神々と直接的につながる時代

・思いと現実の時間的ギャップがなくなる時代 

様々な良きことの起こる時代になりました。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、

世の中の変化には、なかなか気づきにくいものです。

ですが世界は、着実に神々の計画通り動いています。

さて今日は、ブッダが亡くなる直前に説いた、日本に関する予言をご紹介します。 

その内容は沢山の文献に散見されるようですが、小林正観さんのお話からご紹介します。 

この内容は正観さんが、2001年、つまり東北大震災発生の10年前に語った内容です。 

<転載開始> 転載元

21世紀は、どんな時代になるのでしょうか?

21世紀は架け橋ですね。

20世紀と21世紀の。 

この百年で西洋文明から東洋文明へと価値観が変わって、

それがその後3,000年続きます。 

その礎がこの百年で出来上がります。

ほう、21世紀が東洋の時代と言う人はいますが、3,000年王国ですか? 

釈迦が言ったジャプトーバーですね。

自分(釈迦)の教えが、末法の時代になってから五百年ほどたつと、

つまり、2,500年後ですね、

(釈迦が生まれたのは、紀元前500年頃とすれば、

正法が1、000年、像法が1、000年、とすると、

西暦1、500年頃から末法の時代ということになるから、 

その後500年くらいということになると、西暦で言えば21世紀初頭と思われる) 

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。 

末法の世に入ったら自分の教え、考え方が正しく伝わらない、と言っているわけです。 

それがジャプトーバーという所で、再度認識されなおす‥‥。 

ブッダはジャプトーバーについてこう言っています。

・都会に人があふれ

・夜でも明るい光に満ち

・道は広く平らで裸足であるいても傷つかない

・遠く離れても話ができる 

ジャプトーバーとは、もちろん日本ですね? 

そうです。その国の人々は争うこと、闘うことが嫌な人たちで、

その考えと自分(釈迦)の教えが正しく理解されることが相まって、

融合して平和な世界が始まる。 

そこから3,000年間、平和が続くだろうと釈迦は言ったのです。 

その方向での動きはどうですか?

まさにその動き(傾向)がジャプトーバー(日本の事)に出ている‥‥。 

私はこの33年間の中で初めて、この数年間の手応えを、すごいと思っています。 

33年間(我が国を)見つめてきたからわかるのですが、全然違います、この2,3年は。 

日本人の心の有り様というものが、まったくそれ以前とは違う。 

お釈迦様の2,500年前の遺言は、本当なんではないでしょうか。

だから私は環境問題とも闘わないし、世の中が悪くなったなんて一言も言わないのです。 

そうではなく、3,000年王国に向けての第一歩が、(日本から)始まったと思っています。 

我が国の国民性は、疑いなく、 

「争うこと、闘うこと」が嫌いであり、しかも、インドはるか東方という位置や、 

ジャプトーバーという国名からして、釈迦の予言は、いかにも、 

我が国のことを指して言っているように思えるのです。 

<転載終了> 

皆さんは聖徳太子の17条の憲法をご存知ですか? 

第1条、和を以って貴しと爲す 

の憲法です。西暦604年に作られたものです。

その第10条には、こんなことが書かれています。

心に恨みを抱くな。 顔に憤りを表すな。

人が自分と違うからと言って、怒ってはならない。

人には皆 心があり、心にはそれぞれの想いがある。

自分は聖人ではなく、相手が愚か者でもない。

ともに凡夫なのである。

何が正しくて、何が間違っているか

いったい誰が定める事ができよう。

それゆえ相手が怒ったら、自分の過失を恐れよ。

なんと、こんなに早い時代から、私たち日本人の祖先たちは心をとても大切にしてきました。

ブッダの教え、空海の教えそのものです。 

世界に類を見ないものです。

だからこそ、ブッダの予言に出てきたのかもしれません。 

また私たちの住む日本は、レインボーチルドレンのそうた君が言うには、

この広い宇宙中で数えきれないほどの星々がある中で、たった2つしかない、ユートピアの一つなのだそうです。

日本が存在するから、この地球が保たれ、愛の星と言われるのだそうです。

私たちの中に流れる縄文のDNAは人を疑うことを良しとしません。 

まず最初に、相手の中の神様(良心)を信じて接します。 

相手を騙してまで、自分の利益を守ろうとはしません。

和を持って尊しとなすの精神が、誰にも根付いています。 

それに比べると日本以外の国では、「アリババと40人の盗賊」にあるように、 

人のものを奪ってでも、自らの利益を追求することは、悪いことだとは考えないようです。

ブッダの予言には、そのような日本人の美しい気質も関係しているかもしれません。 

このような性格は、古事記や日本書紀などにもよく表れています。

さて以前の記事では、こう書きました。

<引用開始>

日本人のDNAに刻まれた特質は、

・どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

・自分に取り込み、融合して進化する

・先祖や、死者。敵国の戦没者まで弔い、

 死後の幸せを願う心(神道の細男の儀式として残っています) 

意識する、しないに関わらず、このような魂の特質をDNAに刻まれた日本人に対し、 

2011年3月11日、神々は東日本大震災を起こしました。 

あの大きな犠牲のもと、日本人の心が変化しました。 

私たち日本人の集合的無意識に 

・慈悲(相手の痛みを感じる共感、助け合い)

・優しさ(思いやり) 

・聖なる諦め(自然の力の強大さの前に人間は無力である)

このような心が芽生えました。

この大災害は、もともと私たち日本人の持つDNAの特質を、

更に、大きく神々の心に近づける働きをしました。 

<引用終わり>

過去の歴史を見てわかるとおり、変化の渦中にある時、

人は全くそれが大変化であるとは気付きません。 

その時が、変化の起点(エポック)であったとは、後の世の人が指摘することです。 

ですから、今21世紀に入ってから20数年がたち、令和の時代に入っていますが、

もしかしたらブッダが言うように、今が後の3千年間続く仏国土、

つまり「人間の精神性の復活」のための「建て直し」の時期なのかもしれません。 

それは、今始まったばかりであり、これから百年かけて、私たちの精神性は目覚め、

心の時代であることを確かに確信します。

そして私たちの2代、3代後の子供たち皆が笑いあい、助けいあい、お陰さまの気持ちで純粋に生きる、随神(かんながら)の生活を送っていることでしょう。

そのためには、私たち人間が、自分たちの力と知恵で、純粋な精神性、心を取り戻さねばなりません。 

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば、きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。