2013年6月28日金曜日

 220「縄文遊び2」2013,6,28


 「自我として、自分と物をくっつける物欲という執着。身体が若くいたいという執着。事柄での経歴や肩書などへの執着、その表れとしての自慢、卑下。それらへの執着を手放してそれらの事が気にならなくする。ただただの観察意識として生きる。
 傲慢はかつて自己卑下していた事の反面の現れ。怒りは光りに還りたいが、一時的なオブジェであり、願望であり、そこには我慢がある。そこを見ると怒りの本質を受け入れられる。物事を多層的に見る事。それがアセンションへの観点の変換。
 抵抗し、判断し、執着する自我を変えて、無抵抗、無判断、無執着にする。そうすると大我へと向かい、それらが受容、喜び、情熱と成る。今ここを受け入れることが受容。頑張るのは効率が良くない。情熱を持ってするとそれ以上のことが出来る。寝食を忘れて熱中して行動してしまうような事をする。天から与えられた才能が天才でそれはスピリット。宇宙は頑張ってやれとは言っていない。各自が得意なことをして1ピースとして皆でタペストリーを作ることを目指す。
 
 今叶えたい富、財は何か。心の富みは想像、美、調和。身体の富みは健康、長寿、若返り。暮らしの富みは豊かな人脈、仲間、資産等。過去生に囚われずに今に生きることに専念すること。過去の解消の為だけでなく別の可能性を探って実践する。
 過去の事は本当は思い出す必要もないことで、それらは過去の感情体の記憶だけでしかなく、今を生きる事が大事。スピリチャルな学びをしていてそこに囚われてはダメ。生まれ変わり、前世がどうかいう事はどうでもよいことで、どうという事がない。そこへのこだわりだけで生きていてはどうしようもない。
 古い時空に囚われるのでなくこれからは一人一人生ける神々になること。これからは菊の花びらの様なもので、是までのピラミッド構造ではない。皆の意識が揃うことで成り立つことがガイヤの望み。ただそれを選択する事だけ。宇宙は愛そのものだけで繋がって行く。
 私達の近くにアセンデッドマスターとして導いて下さり、隣人愛を与えている存在がいる。我々は生まれ替わりを何度も経験していて、肉体の衣装を変えて生きて来ている。だからかつて慣れ親しんだ人達と一緒にいることが過ごしやすい。それが約束したソウルメイト。私達の周りにはそのような仲間がいて、この時機に巡り合っている。そしてこの地球を今後どのようにしていくのか、ガイヤプログラムのプロジェクトとして地球楽園化計画がある。その中心のアセンデッドマスターとして活躍しているのが宮沢賢治だ。
 
 日本語には凄い力、法則がある。日本語と古事記に秘密があり、言葉と自然界に働く力の関係がある。
 アはタカミムスヒで重力。オはカミムスヒで強い力。ウはアマノミナカヌシ。エはウマシアシカビヒコジで弱い力。イはアマノトコタチで電磁気力。
 アは愛、オは絆、ウは統合、エは進化、イは光り。母音はエネルギーの質中心で子音は物質化の流れを加速する役割だ。
 事と言は一緒で真にすること、真事、真言で物事は叶う。もう自分探し、自分の隠れん坊探しゲームは終わって、これからは自分に気付いて戻って行くゲームに変わった。憧れは自分の中にあるもので、それを表している者に憧れる。そしてやがて自分もそうなる。信じる限界が現れる限界で、兎に角、自分の中の好きをどんどん出すこと。
 自分の名前は役割を現していて大調和の為に働いている。自分の波動を精妙にすることで多くの無形の存在の支援が入れる。大和ことば、現日本語はムーから来ている。言葉の1音、1音に喜び、感動、魂のほとばしりがある。」
 
 皆さんで5色の紙粘土を使ってその調合で現れる色の変化を楽しみ、最後は想い想いのイメージで自分の表現世界を創造しました。表題を付けて発表しましたが皆素晴らしいものです。しかし作られた作品は一つとして同じものはありませんでした。
 創造主も同じ材料、原子、素粒子・・でこの世界を創造し作ったのでしょう。その存在に相似する創造力を与えられた人間だけが生み出す能力を付与された。作った作品が失敗作であれば直ぐに壊して新たなものを作り出せるように、私達のこの生きている世界も再生されるのかもしれません。私達が生きている価値観、必要が、今どの位置での視点想造かが問われているようです。具体的な色粘土を使うワークはいろいろな気付きを頂けました。


日本語のあいうえおの働きと意味、更に48音の持つ意味はとても興味深い物でした。古事記に現された事物発祥の仕組み、動きも凄い宇宙法則でした。
 宇宙にある法則性は天の意思で天意(あい)で常に大調和に向かい、生成化育発展消滅を繰り返して拡大して行く力の様です。
 原子を構成する物質粒子の陽子のバイブレーションは意志を担当して愛の方向へむかい、中性子のそれは意識を担当して調和の方向へ、そして電子は意志と意識からなる子供の様なもので愛という宇宙の脈動を他の原子、分子に伝え、コミュニケーションを取っていること。陽子と中性子を繋ぎとめている力の元になる精神波動は感謝です。
 働きを司るゲージ粒子があります。自然界に働く4つの力を量子的にみるとそこに働く精神波動としては、重力の力は天意(愛)、物質を繋ぎとめる強い核力が絆、物質を崩壊させる弱い力が進化、物質に内包する電磁気力が光です。
 つまり物質粒子は愛と調和で出来ていて、ゲージ粒子は愛と絆、進化と光のバイブレーションで満たされていて、この全体であり一部が天意(愛)の様です。その集合体が私達人間で、天意(愛)と感謝、調和のかたまりで出来ているのです。
 
 以上の宇宙法則を踏まえた、「あいうえお」のボディーワークはとても分かりやすい体験でした。各言葉に応じた動きのポーズが5つあり教えて頂きました。太古を打ち鳴らし、手で型を取り皆さんと輪になり踊りましたが、5つの形で織りなされる動きは身体が軽く明るく楽しくなります。そして心が満たされる感じです。
 「ふるさと」の歌を歌い、それに合わせて舞う中に自分の中にある何かが動き始めた感じです。縄文の記憶が蘇ったそんな感じです。これぞ縄文遊びです。


名前を働きで表してみると面白い意味が見えてきます。私の名前は以下になります。
お(絆)お(絆)く(統合)ぼ(絆) な(愛)お(絆)ま(愛)さ(愛)
愛と絆で統合するようです。凄いな〜と思います。
 48音の言葉の意味、働きも解説して頂きましたがその意味でも名前を解釈できるのですがこちらも面白い世界です。言葉の働きをこれまであまり自覚なしで使っていたことに気付きました。
 あわの歌で最近は1音1音を響かせる歌い方をしていますが歌い始めにまず、「あいうえお」を長く響かせてから始めますが、はせくらさんのお話とも深く繋がり納得できました。縄文の遺伝子、日本人の深く眠らされている御霊を覚醒させるバイブレーションの様です。あわの歌はそして己の持つ役割に気付いて喜びで果たしていく自覚を与えてくれるスキルです。


セミナー終了後にみゆきさんとスタッフで食事会を持ちましたがこれまたありがたいミーテイングと成りました。ここで改めて宮沢賢治、源義経の意識が繋がりました。当然、支倉常長、伊達政宗もです。これから目指すイーハトーブの世界の実現へ向けての受け皿、ひな形として自覚を持ってテンメイの良き仲間が一歩踏み出すチャンスを頂けました。今度は銀河鉄道に乗る切符を頂きに、縄文の賢治ワールドで新たな縄文遊びが出来そうです。

219「縄文遊び1」2013,6,27

 6月16日のはせくらみゆきさんの宇宙の法則1日セミナーは盛りだくさんで楽しい時間でした。15日講演会後の二次会の喫茶店で、私の今年1月の肋骨骨折についてその意味に付いて解説いただきました。過去生の因縁はさておき、新たな世界に向かう為の切り替えとして古い枠を取り払い、新しいソフトに入れ換えの為だったようです。私もそのように思っていましたので納得です。
 セミナーは「2013年覚醒意識で生きる為のセルフマスタリートレーニング」と題して行われましたが講義の他に粘土細工あり、歌あり、踊りありでとても皆さん盛り上がりました。お話の一部ポイントだけを紹介します。


「日本で長く栄えた縄文文明以前の文明はムーで、直感がとても機能した文明です。そこではラー、太陽を神と信仰していた。
 銀河にはプラズマフォトンベルト帯があるが、12000年前に地球がそこに入ったがその時期にアトランティス、ムー文明が滅んでいる。ムーの人達は文明を残し、再起する為にヒマラヤなど高地に逃げた。日本にも来ていて2か所から上陸している。一つは日本海側から長野県の諏訪の辺り、もう一つは太平洋側から宮城、岩手、青森の北東北で縄文文化を開花させた。
 彼らは高い意識を持ちテレパシーで交信して、象徴言語を用いていた。内的意識でどこにでも通じる回線があり、DNA意識を活性化させていくインナーネットが使われていた。今日この会場に来ている人はその時からの縁の人達だと思う。
 アシュケナジーユダヤ等によって刹那的な物質中心の考えに毒されて来たが、私達日本人の奥にある血は汚れていないし、その奥にある縄文性に気付くことが必要だ。
 
 私達は顕在意識が自分と勘違いしている。顕在意識は全体の1%ほどのもので、体にあるほくろ1個位のものでしかない。つまり我々が悩んでいる事はそのほくろ位のものでしかない。
 潜在意識、超意識は残り99%。そこは肚で、喜んでいるだけで、意識の成長を望んでいる。ハートは喜びの方向に向かい、そこにふるさとを感じている。私達のふるさとは肚と言える。私達の超意識が喜んで、本質に触れてスイッチが入いると、喜びで泣いてしまう。感動の涙は私達の御霊が喜んでいることで、そうなると生命体が非常にパワフルになる。
 私達の本質はスピリット、いのちでそれを体験する為に肉体を纏っている。そして肉体が出している感情、周波数を体験して行く。自分が本質に気づくことで周囲にパワーを与え、影響する。
 呼吸をすることで体内に電子が入り、活性化して周波数が高くなる。心臓から電磁波が出て、脳から脳波が出ているが呼吸でそれらを整えて、正すことが出来る。そこではタイムレスで次元を越えて情報を得る事が出来る。
 
 地表の下、地底はシャンバラと言われ、そこには地底人が居る。彼らはムーの時に逃れた一部の人達で、地底人の呼吸は地表人の5倍位ゆっくりしている。私達は顕在意識が自分と勘違いしているので、彼等とは周波数が違い、彼等は5次元位の意識なので直ぐには地表人を受け入れられない。しかし我々を支援してくれる存在だ。
 ラセン的に進化して行きこれから新たな文明を作るが、宮沢賢治、支倉常長の霊団も働いている。それらの霊統は似ていて繋がっている。彼らアセンデッドマスターは物質界で神レベルの高い境地に達して、もう生まれ変わらなくても良い悟りを開いた魂たちだ。
 
 2013年6月16日は銀河の強い光が降りていて、「葦舟の神示」が出雲の日御碕神社で今、この時間、11時に行われている。ここでセミナーをしながら、みちのく仙台で同時に神事に参加している。
 今年は伊勢神宮、出雲大社で共に遷宮される年だが、伊勢が顕界で出雲が幽界。幽界が鏡み写しで、顕界は写し世。葦舟の神示は八百万の神を融合、和合、統合することになるとても大事な神事だ。この東北の地は艮(うしとら)でこちらも霊団が動いている。宮沢賢治が中心で雄たけびを上げ、伊達政宗と支倉常長が海に漕ぎ出して行く役を果たしている。
 
 対になっているものに、陰陽、有無、我他、顕幽などがある。私とはスピリットと肉体の対で、スピリットが心身、出来事、人生の状態を観察していること。そこで起こる出来事には良い悪いはない。世は移り変わることが常で、そこに踊らされないことが大事だ。
 感情は光りに還るだけ。怒り、恐れなどの感情を表さずに物事をすること。視点、観点を変化させることが出来て、違う見え方、体験ができることがアセンションだ。新たな視点を取り入れることで脳の新しいニューロネットへシフトする。そうすると現れる現実に変化が起きて行き、多次元化して行く。
 神の好奇心で出来たものが顕在意識。感情を使って体験する為に、欲しい感情を選び取る。嫉妬や怒りなど、好きな事をやらない、選ばないでいる。そうするとエゴがあることで様々な体験をしている事が分かってくる。あらゆる想いを認め受け入れる。
 記憶とは感情体の記録で、それをゴミ箱に捨てればいい。認めて光に変えていくという、意識の錬金術をする。そうすると澱がなくなり軽くなる。三次元的に断捨離することも思いを捨てることになり軽くなる。
 次元で言うと四次元は感情体であり、一念三千世界と言われるところで、原型で層が厚い。地獄は人間の意識が作った世界でしかない。
 
 7月26日からエネルギーは同調から同期の周期になる。それは自分で決めて行かないと出来ない。銀河の周期と同期する、と自分の意志で決めること。圧倒的な熱の波で言語では通じても解らなくなる。
 人間には3つのたいがある。それは褒められたい、認められたい、してあげたい。その希望は常に相手に受け入れられてその相手の喜びが自分の喜びになることだ。
 東北がこれからのリーダーになる。霊団として賢治、常長、義経等が働いている。彼らは肉体が無いので肉体がある人に入って来てサポートしている。天使は素晴らしいが人間でないので情が分からない。立ち上がるには人が必要だ。神仏と共同創造し、天と人との共同創造が成される。本番のスイッチオンは7月末から始まる。」
 

2013年6月22日土曜日

218「未来への指標2」2013,6,21


 天気、人気、地気の三位一体で新しい世界にシフトして行きます。パラレルな自分から進化して行きますので、無邪気に自分を選ぶことでシフトします。しかし意識が低いと縛りが多いので、そこには狭い自分しかありません。欲しい現実を意図的に選ぶことです。そうすると瞬間、瞬間で自分が変わって行きます。地球間ジャンプが出来るのが今です。
 今ある問題そのものにフォーカスするのではなく、こうだと良いなと思える方にフォーカスするとそれが具現化します。無駄な抵抗を止めて、集中して進むことです。脳は現実とイメージを区別することはできないので良いイメージを描くことで脳はそう思い現実化します。 
 拡大していくのは愛です。原初の火、神が一つに成ったのが自分です。純粋な想いが全てを作りました。そしてこの世界を体感する為に肉体を作りました。体感したいが故に作られし存在が、作られた肉体に入ったのが真実です。体感する為に忘却する必要がありましたがそれも今度でゲームオーバーです。
 宇宙を作ったのは誰か?神とは誰か?自分とは誰か?我とは原初の火を入れた存在で、そこには深い自分が反応しています。自分を卑下することなく、自分の素晴らしさを現すことです。頼るのは自分の外ではなく、自分の内にあるものです。
 人は欲しいものを欲しい時に与えられていたら貪ぼりません。それが豊かさです。地球で教え込まれた信念体系を解除して行くことが必要です。まずは老いて行くというプログラムを止めることです。老いも教え込まれた信念体系です。いろいろな物事へ執着する意識があると、またさらにそこに固着させて行きます。自由自在に生きることです。それが観自在の世界で如意棒を使い実現して行きます。今が最高のパワースポットとして生きることです。
 
 過去の書き換えのテクニックを使います。まず過去の嫌なエネルギー場を思います。そして出入国の税関に自分が立っていると思う。そこに来る過去のその嫌な想いの人を通さないようにします。そこでイメージを描いて自分に良いように書き換えをします。書き換えすることでそれに許可を出して出国させるのです。そうすることで過去ががらりと変わるります。
 自分の中で止められない思い、感情の癖、エネルギー場を感じてそこに向かって光を送ります。息を吐きかける度にそこに光を発していると思い、3回息を吐きます。そうすることで感情体に残っているエネルギーがクリアーになって行きます。光がいっぱいと思って光線を当てるとそこのエネルギー場がだんだん小さくなり明るくなります。それを継続して行くとエネルギー場が消失して行き、苦しむことが無くなり、違うパラレルワールドに行きます。そこで新たなニューロネットが出来ます。闇が悪いのではなくそこに光が当てられると消えるものです。
 脳波でベータ波は囚われ、葛藤、分離のレベル。アルファ波は地球のシューマン共振の波動でリラックス。シータ波は統合、ワンネス。デルタ波は完全意識です。その中でシータ波、デルタ波は喜びの時、楽しい時に出ています。目覚めている時にこの脳波を出して行く事で日々良い方向に変化して行けます。しかしエゴの出る領域はベータ波ですからそこから離れることで、そうすると微細になって行きます。
 宇宙荷電粒子のバーンアレン帯は2〜4HZです。この波動でいる睡眠中には宇宙に行っていて情報を受けています。今は地球の周波数が上昇しているので、それに見合う自分に成る必要があります。
 
 水はその内12%がH2Oで他の88%は空間で常にH2Oが集合離散しています。意識が水に転写されていています。どのような意識でも転写可能で、どれでも具現化して行きます。地球は水の惑星で、私達人間の肉体の7割は水で出来ています。どの意識を表したいのか私達は自由を与えられています。
 想い×言葉、ではエネルギーの高さが現れて、更に行動すること、想い×言葉×行動で、もっとエネルギーの高さが変わります。これが仏教で言う身口意です。常に愛を持って思い、愛を持って言葉を発し、愛を持って行動することを心がけ実践することが大事です。
 
 明日、6月16日はエネルギーの分かれ目でピークです。今の想いがフラクタル状に拡がって行く時ですから、是非とも嬉しい思いで迎えてほしいです。そして夏至6月21日に更にエネルギーは強まって行きます。
 これからは、自分がアセンションしたこと、を選択してそのタイムラインを選んで生きて行くことです。今回は人類のアセンションへの7度目のチャレンジですが、きっと成功すると思います。
 童謡の「通りゃんせ」の中にその真理が語られています。
「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神様の 細道じゃ
 ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ
 この子の七つの お祝いに お札を納めに 参ります
 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」
 
 この子の七つのお祝いには、七度目のアセンションへのトライに通る覚悟があるのか、恐怖でなく行けるのか、と問われています。恐れは今、ここに居ないことで、過去や未来に生きることです。それはストレスです。今のこの瞬間に愛を選択することです。
 
 70億人の1%の平方根は8400人です。その8400人の人達が超意識を選択すると地球は変わります。形あるものの終焉は形無きものの確保です。生けるイザナキ、イザナミとして生き、子らに素晴らしい星として地球を渡す事を決意することです。
 「ふるさと」の歌詞の三番にその真意が述べられている。 
 「1 兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷
  2 如何にいます父母 恙無しや友がき 雨に風につけても 思ひ出づる故郷
  3 志を果たして いつの日にか帰えらん 山は青き故郷 水は清き故郷

 命(みこと)としてこの時空で志を果たすことです。それはこの地球を、山は青き、水は清きふるさとに戻して、素晴らしい国造り、星作りをしていくことです。今はそのチャンスです。
 
 みなさんと「ふるさと」を歌いましたがみゆきさんも又多くの方々が感涙で会場は凄いエネルギーにつつまれました。大きな分岐点を迎える日に、未来への指標と成る素晴らしい講演会でした。懇親会にも6割以上の方が参加して下さり大いに盛り上がり嬉しいことです。
 仙台は光り代弁し光を発する地ですが、仙台の六芒星のグランドクロスに位置するあわの里天命舎でのこの喜びのエネルギーはきっと大きく拡がって行ったことでしょう。更に翌日のワークショップがまた格段と濃厚な喜び、楽しい世界でした。

217「未来への指標1」2013,6,20


 はせくらみゆきさん講演会が6月15日に開催されました。昨年は5月の仙台青葉祭りの日でしたが約1年振りです。仙台空港にお迎えし、はせくらさんからリクエストのあったテンメイ名取農場にまず向かいました。空港から15分ほどですが津波の被災地を抜けてその状況も久しぶりに見ましたが海岸近くは護岸工事等も着実に進められているのですがほとんどは原野になっています。
 農場ではO農場長以下作業していたスタッフ5名が出迎えてくれました。はせくらさんは畑に沢山繁るカモミールとお話をして農場長に取り次いでいました。ビニールハウスの中には順調な生育の野菜たちが初顔合わせです。みゆきさんは何故かハウスの土を食べたくなったと口に含まれたようです。後で伺いましたが土を食べたのは初めてで、兎に角、口に入れたくなったそうで美味しくて結局3度も食べたようです。生体エネルギー農法の土壌の内容、エネルギーが誘ったのでしょう。30分ほど楽しんでいただいて会場に向かいました。






 今回、私の車でお迎えしましたが、みゆきさんの服装が赤のスカートに黒のジャケットで、車のボディーは黒でシートは赤でまったく同じです。最近車中で流れる曲はEXILE、ATSUSHIのCDで、5月に発売になったニュウーシングル「それでも生きて行く」です。盲目のピアニストの辻井伸行さんとのデュオですが、その声に暫し聴きほれて誰が歌っているのか尋ねられました。2曲目には「ふるさと」が入っています。この曲は生体エネルギー研究所の佐藤政二先生にお孫さんが生れた時にATSUSHIがお祝いに送られたものですが、今回再録音されて素晴らしい曲になっています。彼は10年以上前から佐藤先生のご縁で生体エネルギー技術を活用していますが今回のCDにも活かされています。
 この「ふるさと」の曲が今回の講演会の締めくくりで引用され、みゆきさんからお話があった重要な内容でした。そのようなシンクロがあり今回の講演会も楽しみな内容になる様にお膳立てされていたようです。
 講演会は会場いっぱいで満席で皆さん大満足で喜びのエネルギーに満ち満ちていました。少し内容を紹介します。

 意識の三層構造があります。表面にあるエゴセルフの顕在意識、その下層にある潜在意識、更にその下に超意識(普遍意識)があります。超意識は内なる叡智、真我、いのち、魂、神性、仏性、スピリットセルフです。顕在意識には信念体系がありそこに基ずく思考、更にそこに固着して連動する感情があります。
 内面の本当の自分に繋がると悩みが無くなります。ある事象、刺激などで起きる反応で、それが慣れ親しんだニューロネットに行く時に、そこには感情の記憶がマインドセットされていて、その悲しみや恐怖、不安、怒りなどの感情が放出されます。しかし本当の自分に繋がるとそれが他に向かい感情を呼び起こすことなく、ただ事柄を見ているだけで凄く楽になります。
 今2極化が進んでいます。地球の荷電粒子の振動数上がっていて、地球を取り囲む磁気の膜も薄くなって来ていて、降り注ぐ銀河の宇宙線が直接入って来ている状態です。地球には歳差運動が26000年毎に起きていて、今はいろいろな事が集中している時期です。更に太陽が多極化して、4極構造になって太陽系全部がその影響で異変して来ています。
 
 銀河の中で地球は心臓、ハートにあたります。知的生命体が銀河にいますが、DNA型生命体でその素材を持ったものを集めたのが地球です。その生命体で創造性を発揮できるのが人間で、多くの存在は人間に生れたいと思っていています。そして人間に生れることは名誉なことで、どんどん生まれて人口が増えています。
 人間の中のリーダー役が日本人です。この仙台の地は光りを代弁するところ、という意味があります。では光をもたらすのは誰か。実は誰でも出来る、時空の差し替えをすることで時間は変化させることが出来ます。時間は直線でなく意識が作っている構造物だからです。意識、思いが作っているのが現実世界で、今はその思いが現象化しやすい時代です。
 未来は選択可能で今この瞬間しかありません。今の意識の積み重ねが未来を決めます。自分に必要なことが分かってくると、嫌な事が現れたとしてももうそれはいらないという事で、カルマからの卒業ができます。しかし意識の学びをしていないと他の人のせいにしてしまい、それでは意識が引き起こした自分、過去の縁へ向くことになります。それもまた良いのですがカルマから卒業できません。
 
 肉体は目に見えていて振動数が遅い状態です。そこから振動の速度を上げるとエーテル体になります。他者との交流の時に、その人と抱き合いたいと思うのは、その人のエーテル体の情報を自分が受け入れて許容し、OKしていることです。しかし嫌な人、心を許せない人は受け入れることが出来ません。
 陽電子が帯電して潜在意識に残っている状態をカルマといいます。情報、記憶が光に還っていないものでマヤとも言います。電気は神の意識に通じている世界です。
 出来事が起こることは対消滅で光還元を見ていることで、光に戻って終わっている事でそれはOKです。内側から光が増して輝いて行く事をめざすことです。愛は一元性でその愛からずれると波となります。波動が荒い時に愛に戻すには逆相の波を出すことで中和出来ます。大きな神仕組みなのですが逆相の波がカルマなのです。ですからカルマであっても起こる事は全てOKです。
 人生はクリーニングだけしていてはしょうがありません。生きている事は間違いを起こすことでもあり、大いな過ちをしてクリエーション、反省し、クリーニングの繰り返しです。確かにカルマの拘束力は強いですが、カルマは過去生の自分でもあります。カルマはその荒い波動の中で分離して利己的な時に働く、拘束力が強い陰のロープと言えます。そこで愛の次元に目覚めるとロープの締め付けが弱くなり、やがてそれが消えて行きます。そこでゲームオーバーでカルマのシステムの卒業になります。今はカルマのシステムを使わなくても愛のレベルに上がれます。
 アセンションとは意識の焦点をどこで観るかということです。これから完全意識に行くことになりますが、超意識はひらめき、直感です。見たり聞いたりするのではなくダイレクトなものです。
 
 この世界を構成しているのは原子ですがそれを成り立たせているものは陽子、中性子、電子です。陽子は意志で愛の方向へ、中性子は意識で調和の方向に、電子は意志と意識からなる子供のようなもので、愛を他の原子に伝え、コミュニケーションを取っているものです。原子核は分子を結合させていて、元々感謝のかたまりです。空間は光子、バイオフォトン、電磁気力で満たされています。
 細胞を維持している共通の基盤は愛で、大統一エネルギーです。私達は内側から光輝いて行く世界を目指しています。知的生命体かそうでないかの分かれ目は、原爆や原子力発電など原子力の核を扱った時です。それは宇宙空間に強い影響を与えていて、その人類の意識で地球の衰退が起きてきます。
 素は主に糸で繋がる純粋なエネルギーです。私達の存在は死んだとしても、肉体とエーテル体だけが亡くなり他のエネルギー体は残っています。この会場はとても暑いですが参加者以外に200人ぐらいの無形存在が来ています。私達は死で終わるのではありません。そちらの世界を思っただけでその意識は届いています。
 意識が上がることで葛藤が無くなります。そして食べものもいらない状態で、食べても食べなくても幸せです。想えばパット現れる世界で、テレポーテーションも可能です。
 罪悪感はエゴセルフを強化させるものでしかありません。起きることは全て必要必然です。全て未来の自分からの応援で合理的な物として現れています。

2013年6月17日月曜日

216「古の世界3」2013,6,15

 6月1,2日の「宮沢賢治、遠野物語と縄文の世界の旅」で訪れた今回の地には私は何度も訪れているところです。これまでの視点は縄文、弥生、大和、蝦夷、坂上、アテルイでしたがそこに宮沢賢治と遠野物語を加えてみました。
 賢治は1896年8月に生まれ1933年9月に逝去しています。遠野物語は遠野市の佐々木喜善氏が語る民話を柳田国男がまとめて出版されたのが1910年です。今から丁度100年ほど前の世界です。果たして今から100年前、そして400年、800年、1200年前の世界は如何でしたでしょうか。
 100年前は、1912年、中華民国成立・清朝滅亡、金日成誕生(主体元年)、タイタニック号沈没、明治天皇崩御・元号が明治から大正へ、1913年は徳川慶喜死去。
 400年前は、1611年伊達正宗慶長三陸大地震、1613年支倉常長慶長欧州使節団、キリスト禁止令。
 800年前は1189年義経死亡、1192年源頼朝鎌倉幕府征夷大将軍、1206年チンギス・カン(成吉思汗)がモンゴル統一、1211年チンギス・カンが金王朝と開戦、1227年死去。
 1200年前 805年最澄帰国、806年空海帰国 811年坂上田村麻呂死去
 
 同じ地でそこで織りなされる営みは当然、複層で色々な物語が交差して行きます。今回の訪問先ではそれらの一コマにふとしたことから源義経の新たな視点に気付きました。
 遠野の続石で弁慶が係っているとありましたが、この岩手県平泉に栄えた藤原三代の100年の栄華、そして義経北帰行伝説です。そこには平泉から遠野、宮古、八戸、十三湊、竜飛から蝦夷地北海道に渡り、やがてモンゴルでチンギス・カンとして日本で成し得なかったことを実現したという大ロマンがあります。旅から帰って関係する書籍を5、6冊程読み、インターネットで調べてみました。その真偽は定かでありませんが私には義経は平泉で自害してはいないように思えます。
 義経は兄の頼朝の挙兵に呼応して平泉の藤原氏の元を離れて馳せ参じ、たった1年ほどで驚くべき戦果を挙げて平家を滅ぼす大功績を上げます。しかし頼朝に嫌疑をかけられてやがて敵対し頼朝に殺害され?、平泉藤原氏も滅ぼされることになります。同族内での内紛です。武家集団が常に内に持つ遺伝子的な動きなのでしょう。骨肉相争う世界です。
 
 平家を滅ぼした源氏との争いですがは元をたどれば、源氏も平家も皇族から臣籍に降下して生まれた氏族(清和源氏や桓武平氏)で武士集団ですから、時の権力に利用され、お互い出世、利権、権力闘争で争いを繰り広げて武門の棟梁の位置を争奪しあう関係になって行きます。
 奥州の地で起きた前九年(1051年〜1062年)の役は安倍氏から清原氏へ支配は移り、後三年の役(1083年〜1087年)で清原氏から奥州藤原氏へ権力は移行して行きます。保元(1156年)・平治の乱(1160年)などで平清盛が実権を握ります。しかし、驕れるものも久しからずで、やがて義経の登場で頼朝が平家を滅ぼして鎌倉幕府が成立します。
 そもそも陸奥の安倍氏はその源は、神武天皇に殺された畿内の王、長脛彦の兄安日彦をその始祖とする説があります。又7世紀中央の豪族、将軍の阿倍 比羅夫が日本海側を北に航海して蝦夷を服属させましたがその流れ、はたまた大和朝廷に従った蝦夷(俘囚)とも言われます。いずれにしても蝦夷の世界を征服、融合するなかで実権を握り支配して行った氏族です。津軽を治めた津軽安東・安藤氏のその末裔の秋田氏、更にはで今の安倍晋三総理もその後継との事です。しかしルーツは諸説あり断定が難しく、特に権力を握った者が自分の都合の良いように家系図を作る事、ある権威にあやかり自己を正統化するのは歴史の常です。
 
 しかし平清盛が実権を握ってから以下の流れで平家と源氏が交互に時の政権を担っていきます。平清盛(平家)→源頼朝(源氏)→北条(平家)→足利(源氏)→織田(平家)→徳川(源氏)。滅んだ側も再起を図るという図式なのでしょうか。はたまた違う次元の意図が現れているのでしょうか。
 源氏は白旗、平家は赤旗が旗印で運動会は白組、赤組で争われ、日本の国旗は白地に赤丸で源氏平家を一つにした印です。
 徳川幕府が大政奉還した後は天皇が実権を掌握し明治から大正、昭和、終戦を経て象徴天皇になり平成に推移していますが果たして如何様な仕組みで実権が執行されているのでしょうか。その事は又別の機会に触れるとして義経伝説に戻ります。
 
 三上輝夫氏の事を高橋五郎氏の著書で読んでいましたので義経の事が頭にあり、今回の旅で陸奥の地での更なる点が繋がった感じです。三上氏は昭和天皇の国師を務め、義経の生まれ変わりとして激動の時代の日本と全世界の平和のため、日本国をモデル国家にするための神業を実行する天命を頂いた方です。
 義経の魂が800年の年月を経て三上氏に転生したようですが、その間に同じく義経の生まれ変わりが楠正成だったようです。三上氏は義経が大陸に渡りチンギス・カンとして理想郷を作る事を目指してモンゴルで活躍したということを認めています。新井白石、林羅山や水戸光圀、シーボルト等は義経がチンギス・カンだったと述べていますが、学門の世界では否定されています。それも又、世の常ですが。
 チンギス・カンの旗は九個の房飾りを付けた白旗。義経の仮名は九郎判官です。チンギス・カンと義経を同一視させる物証に付いては、長年にわたり現地を調査した小谷部全一郎氏の著書にはかなり詳しい内容が記されています。義経の目指した理想郷がモンゴルで成され、頼朝から始まった時代の改革者としての武家社会の理想が徳川で結実したともいえます。しかし明治維新、第二次大戦後の日本は果たして如何なる理想の国を目指していたのか曖昧としてあります。激動の昭和の時代を国師として導いた三上氏は義経の霊統としての理想を如何に捉えていたのか。
 
 宮沢賢治の世界は次元を超えた世界からのメッセージの表現です。彼の繰り広げた陸奥岩手での創造実践の世界、義経の武家としての理想の世界、アテルイの営んでいた蝦夷の自然と融和一体化していたであろう世界、それぞれに示された人間社会の理想世界の雛形が豊かな自然資源を持つ北の地であったようです。それがイーハトーブです。共通の理想の実現を目指す霊団、霊統の流れがあり、今もその働きかけが何らかの役割を果たせる人間を介して行われているのでしょう。
 
 人間は宇宙自然を豊かに、生成発展する為の管理者の役割が与えられ、万物の霊長と称されていますが、古の世界では有るレベルでのバランスが成されていたようです。そこにはムー、レムリアの太古の時代の善き精神性が、この地に継承されて古き魂に遺伝子的に宿って営まれていたのでしょう。 
 今の時代は大きな変換の時です。過去から未来の時間軸の今、私達がどのような選択をしてこの世界を構築して行くのか、破壊の極に進む今の時代を進化、大調和に向かう意識に生きる事が必要なようです。
 陸奥の地のエネルギーは先人の叡智、無形の天意への気付きを促す媒体情報を秘めた世界でした。今回、私のいのちがその地で遭遇した世界は、更なる意識の旅へのスイッチオンが成されたようです。賢治さん、義経さんの想念エネルギーが今甦ります。

2013年6月12日水曜日

215「古の世界2」2013,6,10

 2日目も素晴らしい天気に恵まれました。予定時間に宿を出発してまず宮沢賢治が奉職していた花巻農学校、羅須地人協会の見学です。
 賢治は農学校退職後に羅須地人協会を設立します。賢治が住んでいた宮沢家の別宅が協会として活動の拠点と成ります。そこは自給自足をめざす独居自炊の私塾です。賢治は昼間は周囲の田畑で農作業にいそしみ、夜には農民たちを集め、科学やエスペラント、農業技術などを教え、また、それとともに自らが唱える「農民芸術」の講義も行われました。しかし協会の活動はあまり長くは続きませんでした。その家が「賢治先生の家」として花巻農学校校内に移築され、整備管理されています。家の玄関わきの黒板には「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書かれています。こじんまりした2階建ての家ですがそこには「「賢治先生が今そこに・・・」という雰囲気が充ちていて心が清められ、清々しい気持ちになります。」と案内にありますがまさにそんな世界です。





  実は天命塾のメンバーに花巻農学校に奉職するK先生がいます。Kさんは今回の旅にも参加してくださっていて、いろいろ案内して頂きました。ありがたいご縁です。岩手に住んでいても今回の訪問先、特に1日目の処は全て未だ訪れていなかったので彼女も地元岩手の素晴らしさに改めて気づかれたようです。

続いて宮沢賢治記念館、童話村を午前中いっぱいで巡りました。



私は何度も訪れていますので記念館の奥にある胡四王神社に参拝しました。ここはあわ歌の旅で中山博さんと訪れたところで重要な地です。この神社にKさんは毎月参拝して下さりあわ歌を奏上して下さっています。今回は一緒に花巻を北に見下ろす高台であわ歌を歌いました。良き響きです。
 昼食は記念館から程近いお店で八福そばを頂き、ビールで喉を潤してエネルギー補給して頂きました。池には蓮の花が咲き誇り、丁度見ごろで素敵な昼食に花を添えて頂きました。午後からは程近い花巻市の冠山蝙蝠岩弘法大師霊場、丹内山神社、北上市の縄文樺山遺跡を巡ります。



 冠山蝙蝠岩弘法大師霊場は是までも何度も訪れています。今回もひっそりと自然の中に溶け込んでいます。「伝説によれば、後の弘法大師空海が、唐の国(今の中国)に渡る前の諸国巡錫(じゅんしゃく)の途中に休息されたところ、全国に数多くある杖立て伝説が語り伝えられている一つの霊場である。今では国道456号沿いに位置するが、その昔は山深く、大岩が重なる山中にあり、山伏の修練の場でもあったと伝えられている。奥の大師堂には、大日如来、不動明王、弘法大師が安置されている。太子堂の裏手は花崗岩の重なる山で、ひときわ大きい冠の形をした岩もあったところから、ここは冠山(かむりやま=かんむりやま)と呼ばれてきた。また、多くのこうもりが住むところから蝙蝠岩とも呼ばれこれが現在のバス停の名称にもなっている。」と解説があります。               
 太子堂裏手の弘法大師を祀る奥の院まで皆さんを案内しましたが、巨石が折り重なり室が出来ているのに皆さん驚きです。自然に出来たのか。人為で配置したのか、果たして古において何を求めて如何様に業が成されていたのでしょうか。



 丹内山神社はアラハバキ大神の巨石が鎮座する由緒ある神社です。ここも参拝者も無く森閑として私達を迎えてくれました。この地は坂上田村麻呂、藤原清衡、物部氏、南部藩主等の崇敬厚く領域の中心的祈願所だったところです。アラハバキ大神と神社に付いて以下の記載があります。
 「この丹内山神社は、高橋克彦の『火怨—北の燿星アテルイ』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)神の御神体の前で、巫女により祝詞をうけ、21年後の坂上田村麻呂との決戦を予見するシーンの舞台となっている。 小説では、東和の里が物部氏の本拠地となっている。蘇我氏との戦いに敗れ都を追われた物部は、物部の聖地であるこの地に潜み、金を採掘し、蝦夷を経済面でサポートする。
 アラハバキとは物部を繁栄に導く、鉄の山を支配する神だとされている。そもそもアラハバキは荒い脛巾(はばき)で、ハバキはすねに巻きつける脛巾(きゃはん)のこと。すなわち足にまつわる神に由来し、旅の神とか道中安全の神というあたりになる。しかし、実態となるとまったく正体不明。あの柳田國男でさえ「神名・由来ともに不明である」(『石神問答』)と言わしめた謎の神だ。その起源等については、高橋氏の『火怨』説を含めて様々な説がある。もっとも有力と思われるアラハバキ説は、客神(まろうどがみ)または門客神(もんきゃくしん)とする説だ。地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話の神々と立場を逆転され、客神となったとするもの。
 門客神として祀られているケースは、さいたま市大宮区の「氷川神社」で見られる。この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、古くは「荒脛巾神社」と呼ばれていた。
 この説について、『白鳥伝説』『日本の神々』の著者・谷川健一氏が次のように述べているのを見られたい。
 アラハバキの名称は荒脛巾に由来するが、その実体は蝦夷の神であった。蝦夷の神をもって外敵である蝦夷を撃退させようとした。それは異族である隼人に宮門を守らせ、朝廷のために吠声をさせるのとおなじ心理であった。アラハバキももともと名前をもたない蝦夷の神であったのが、やがて門客人神として体裁をととのえられ、アマト朝廷の神杜の中に摂社または末社として組み入れられていったのである。
 物部の神をアラハバキとみることも、あながち見当外れとは言えまい。丹内山神社に見られる磐座(いわくら)信仰は、神籬(ひもろぎ)信仰とともに神社の原始形態と言われている。アミニズムでは、石にはいろいろな神や霊が宿ると考えられていた。縄文期には死者の霊の宿ると考えていたが、しだいに「物」が宿ると拡大され「八百万の神」となって神道が形作られていく。
 「物の中に神が宿る」とする思想こそ、物部氏(モノとは武器、または物の怪) 的発想であり、磐座信仰は物部氏抜きには考えられない。」





 縄文樺山遺跡は何度も訪れているとてもお気に入りの世界です。小一時間ほど只々その場で天地を満喫しました。太陽、青空、眼下の北上川、田植えが終わった田んぼ、心地良く吹く風、木々の緑、五感六感を通して理屈抜きに縄文の頃の己にタイムスリップします。自然の中に溶けて行く、とても豊かな幸せ感でいっぱいになります。皆さんもしっかりと浸って楽しめたようです。

 素晴らしいエネルギーに満ち満ちてお蔭様で2日の旅の最後を締めくくる事が出来ました。水沢江刺駅で途中下車して先に返る方々を見送り、後は仙台駅に8時前に無事に帰り着き、全て楽しみのうちに旅を終える事が出来ました。この度でまた新たな世界が開かれたようです。

 

214「古の世界1」2013,6,8

 宮沢賢治の世界は魅力的です。チャレンジPPKと天命塾共催で「宮沢賢治、遠野物語と縄文の世界の旅」を6月1,2日で開催しました。参加者も定員丁度の20名です。大型バスでゆったりと朝9時に仙台駅を出発しました。
 PPKの両代表の杉浦清始宇宙僧ご夫妻とトータルヘルスデザインの近藤洋一会長夫妻も参加されて下さり、顔ぶれも天命塾と半々でこちらも丁度良い加減でした。そして2日間とも良い天気に恵まれましたので岩手の自然、古の世界を堪能できました。
 実は以前より歯科治療に杉浦ご夫妻は私の医院に通院して下さっています。旅行会の前日は杉浦先生が私の処に来院しましたが、歯が折れていて歯周病もあり3歯のブリッジ全体がぐらぐらです。よくここまで我慢していたな〜、という重篤な状態でした。明日からの旅も考えて時間は要しましたが全てを現状回復させて最善の処置をさせて頂きました。治療後は何の支障も無く会食出来、前夜祭を楽しく過ごすことが出来ました。当然前日まで何もなかったように旅行も楽しく満喫して頂きました。

 最初の目的地、岩手県の奥州市水沢インターを下りて住田町の種山ヶ原に向かいます。目指すは物見山山頂近くにあるモナドノックスです。この地は賢治が訪れて童話「種山ヶ原」に描かれています。賢治にとってこの地は自然と人間との交感可能な場で天上界に近く、変幻自在な自然界であったようです。ですから賢治の作品の短歌、口語詩、童話、劇等のあらゆるジャンルに扱われていて賢治の作品創造の原点の一つの地です。
 物見山山頂には駐車場から20分ほどの登りですが程なくすると、前方にモナドノックスが姿を表します。その斜めにそそり立った鋭く尖った火山性巨石を賢治は「この高原の残丘(モナドノックス)こここそ、その種山の尖端だ」と表現しています。その先から銀河宇宙に飛び立つ発射台のように思えてワクワクして足の運びがより軽快になります。ここから天空に向かって銀河鉄道999?が出発したのです。


 岩の上からの眺望は素晴らしいの一言です。岩の暖かさ、吹く風の柔らかさを感じ賢治の世界に感情移入が起きそうです。初めてこの地を訪れた多くの方々は喜び、感動している様子が感じられます。思い思いに天地を繋ぐ時空を味わい、写真撮影でもその大パノラマを再現していました。


 心地良い清々しい汗をかいて下山です。バスは出発して車中で弁当を食べて、次に目指すは遠野市の続石です。弁慶が寝た絵の描いてある続石の案内板があります。その入り口から10分ほど登ると、小高い杉林の中に弁慶の昼寝場があり、左手に泣き石の巨石、そして右手に続石があります。鳥居の様に正面に社があり、二つの石の上に幅7メートル、奥行5メートル、厚さ2メートルほどの巨石が笠石のように乗っています。驚きのモニュメントです。
 この続石の云われは遠野物語にあります。
「綾織村山口の続石は、この頃学者のいうドルメンというものによく似ている。
二つ並んだ六尺ばかりの台石の上に、幅が一間半、長さ五間もある大石が横に乗せられ、
その下を鳥居のように人が通り抜けて行くことができる。武蔵坊弁慶の作ったものであるという。
 昔弁慶がこの仕事をするために、いったんこの笠石を持って来て、今の泣石という別の大岩の上に乗せた。そうするとその泣石が、おれは位の高い石であるのに、一生永代他の大石の下になるのは残念だといって、一夜じゅう泣き明かした。弁慶はそんなら他の石を台にしようと、再びその石に足を掛けて持ち運んで、今の台石の上に置いた。それゆえに続石の笠石には、弁慶の足形の窪みがある。泣石という名もその時からついた。今でも涙のように雫を垂らして、続石の脇に立っている。−『遠野物語拾遺 第十一話』より−」
 
 果たして弁慶の作かどうかは分かりませんが何とも不思議な巨石です。皆さん暫しその不思議に魅せられています。自然の作なのか人為か?私はこれまで何度も訪れていますがこれまであまり気にもしていないことに今回はにわかに視点が固着しました。その事は後で触れます。






 次なる目的地は遠野市のデンデラ野です。デンデラ野は以下のように記されています。
 「デンデラ野は、漢字で蓮台野とも表記するが、蓮台野は「れんだいの」と読む。これを遠野では「デンデラノ」と転訛したのだと伝えられているが、蓮台野とは墓地であり、地名にもなり、特に京都市北区船岡山の西麓にあった火葬場が有名だ。
 元々蓮台野とは、野辺送りの地だった。野辺送りとは葬列をなして、埋葬地まで死者を送る習俗の事。昔は、故人と親しい人達が棺をかつぎ悲しみの行列をつくって火葬場や埋葬地まで送ったものだが、それが野辺のような場所であったところから野辺送りといわれたようである。野辺送りは、遺体と同時に霊魂も送る儀式なので、魂が家に戻ってくるのを防ぐ為に、さまざまな送り方をしたようである。
 昔は60歳を超えた老人は、すべてこの地へ追い遣るのが習わしだった。老人達は、ここで自給自足の共同生活を送り、自然な死を待ったという。やがて死が訪れると、遺体もこの地に埋葬した。村を去った老人達が、静かに最期の時を待ったというデンデラ野。目の前が真っ暗になるような話だが、同時に遠野に生きる厳しさも物語っている。ここはまさに、この世とあの世の狭間の世界だったのだ。
 老人たちは、徒らに死んでしまう事もならぬ故に日中は里へ下り農作して口を糊したり。老人たちは、村の農作業が忙しい時には丘から下りてきて自分の家を手伝ったという。今でも土淵村の辺りでは、朝、野に出ることをハカダチと呼び、夕方、野から帰ることをハカアガリという。」
 既に還暦を過ぎた方が多く参加している今回の旅では、何か古のこの地での風習が身近なものと感じられたようです。しかし今は明るい老後、ピンピン輝いて還ることを目指す、チャレンジPPKの面々ですから遠い世界の事でしょう。


遠野伝承園はかつてのこの地方の農家の生活様式を再現し、伝承行事、昔話など遠野の世界を味わうには手ごろなところです。カッパ渕でキュウリを餌にカッパを呼び寄せる釣竿を見て、暫し遠野物語の世界を味わいました。遠野物語の話者の佐々木喜善記念館、曲り家、オシラ様、金精様、御蚕、染工房など見学して学ばせて頂きました。遠野物語は柳田国男が1910年に発表した説話集で、ほぼ100年前の世界です。物語に浸る方、見学もそこそこに絹織物の買い物に時間を費やす方もいて色々な楽しみを味わっていただきました。
 




のんびりした観光を済ませ遠野物語の世界から旅たちです。宿に向かうバスの中ではビールで喉を潤して充実した1日を振り返りながら、心地良く和気藹々過ごしました。今日の宿泊先、花巻市大沢温泉山水閣にも予定の時間18時丁度に到着です。全てが都合よく良い加減です。
 宿は全館満室です。部屋から見る新緑に覆われた山の緑、渓流の水の勢い、その地気天気はいのち蘇らせます。渓流沿いの露天風呂も素晴らしく、今日の疲れも癒されて懇親会、2次会と宴の世界も楽しく過ごせました。2次会では日本酒、焼酎一升瓶を空け良く飲んだ面々ですが私は早くに沈没でした。