2013年7月18日木曜日

223「七夕2」2013,7,17


 6日朝は雨があがり良い天気です。朝食を7時前に頂き、7時半前には出発です。何しろ今日は沢山の処を巡る予定で、18時の儀式前には宿に入っている必要があります。蔵王温泉から下る道では、小高い山々に雲海が綺麗に現れ見えて流石山形です。今日最初に目指すは南陽市の宮内熊野大社です。
 そんな車中で早々に中山さんにお言葉がありました。 
「必ず成し行く。是よりこの身 大きく拡がりて全てを統べるなり。その時現るるは大きなる闇。見まごうほどの輝き持ちたる身なるが黒きを包む偽の輝き、この地の皆を欺くもの、心して為さり行かれませ。」
 大きな闇が現れるようです。中山さんはその闇に入って行く覚悟をお話になっていました。果たして大きな闇とはこの世ではどこにどのようにあるのでしょうか。

 宮内熊野大社は8時半頃に到着です。境内は掃き清められ今日は大事な祭典があるようです。この神社は東北の伊勢神宮ともいわれていて、大同元年(806年)平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。本殿裏にはうさぎが三羽隠し彫りされていて、三羽すべてを見つけたら、願い事が叶うそうです。私達は本殿前であわ歌を響かせて頂きました。
「ありがたき、ここにありて大きなる光賜りたり。本日この光 皆々と共に持ち行き、配りて回ります。ありがとう。」



 次に向かうのは長井市の大石山洞雲寺です。かなり山の奥の道を進む車中で、又、中山さんにお言葉がありました。
「うつしたる光 発して下され」

 大石山洞雲寺への山道には一寸不安があったのですがどうにか無事に9時半頃到着です。参道の階段を上がると、そこには今は文化財の山門だけが残っています。お寺の建物は無く、建物は壊されてその廃材がうず高く山の隅に積み上げられて寺所は原っぱになっています。
 目の前の小高い山の中腹に大石(高さ左3.3m、右6.5m、上面幅東西7.5m、長さ11.6m、周囲34m)が鎮座しています。象に似た圧倒される程の見事な花崗岩ですが、何故、何の為、どうやって運んだのか不明で、不思議??の世界です。その巨石前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。  
「あ〜(拍手)光を持ちて皆々集いここに発したり。(拍手)
共々この光、この地へ発して参らせませ。再び大きなる地と成りましょう。共々一つと成り行きて。」



 次の目的地の稲荷森古墳は南陽市にあります。4世紀後半〜5世紀初頭の築造と推定されている全長約96mの前方後円墳です。10時半前に着いて古墳の上に上がり、ここではあわ歌を歌わずに、あ〜3回で響かせて行いました。その時のお言葉です。
「只々のこの響き繋ぎ行く。皆々様のその身を通して是より、あ、の音5回頼み申す。」
 お言葉の通りに後で、あ〜を5回唱えさせていただきました。


 次に向かうのは高畠町の日向洞窟です。ここで何故か私が道を曲がるのを1つ間違えて回り道をすることになりました。しかし、これも必要な配慮でした。
 田んぼの道をまっすぐ進むと山の中腹に巨石が二つに割れたように突き出しているのを見ることが出来ました。名前は分かりませんがその南向きの立岩を見て、車中、中山さんからお言葉がありました。
「1262年前この地の方々この岩に大きな思い託して祈り始めたり。光を受けてこの地に送る大きなる仕組みの一つと心得たり。」
 なんという事でしょうか、詳しい年代まではっきりと云われるのには驚きです。いずれにしてもこの高畠の地は古くから栄え、自然の中で祈りと共に人々の営みが成されていた地の様です。

 日向洞窟には11時頃に到着です。ここは通称「立石」と言われ、最古期の縄文土器群が発掘され、縄文土器の起源に関する貴重な資料として、縄文文化の始源、草創期研究に大きく貢献したところです。そこであわ歌を響かせました。
「この大きな光を受け、この地も元へと帰り行き、暖かき日がいっぱいの豊かなる地へ戻られよ。大きなる嬉しきぞ。」




 一の沢洞窟は10分弱の処にあります。日向洞窟遺跡と並ぶ、我が国においても数少ない縄文時代草創期の洞窟、岩陰遺跡として国指定史跡として指定されています。駐車場から少し山を登ると大きな洞窟が何個かあります。木々に覆われて大いなる古の営みをイメージするに十分な自然の空間です。その一番大きな洞に上がりましたが岩場で足場が悪いので7人だけ上で残りの方々は下であわ歌を響かせました。歌っていると強い風が吹き、木々が揺れ動き、私達の響きに将に呼応して頂いたようです。その時のお言葉です。
「あ〜(拍手)お出まし為さるや。(拍手)
う〜(拍手)伺います。(拍手)
いたずらにこの地いじりて皆々はただ自分の為に使いて荒みたる地となすは大いなる悲しみ。古き方々悲しみ発すればこの地は益々疲れ弱る。生み出だされよ、新しきを。(拍手)
はい、分かりました。共々この歌響かせて、生み出だすぞ。新しきは。(拍手)
あ〜い。(拍手)」  
 





爪割石庭公園は10分弱の処にあり、石切り場だったところですが今は公園になっています。直角に切り崩されたそそり立つ岩山は100m位の高さでしょうか。その岩山に囲まれた広場であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「この地この場は大きなる傷持ちて、是よりは無しとなる。新しきは新たなる地と成りて参られませ。その時を待たれませ。」



 高畠町のふるかわというお店でお蕎麦の昼食を頂きました。食事が終わるころにこの日も何故か雨が降り出しました。これは午後の予定は早めに切り上げて儀式に備えなさいということと理解して、阿久津八幡神社、亀岡文殊堂はキャンセルです。どちらも有名な観光名所で多くの観光客が訪れるところです。
 午後の予定は、宿に入る前に巡るところは1か所、米沢市の成島八幡神社です。
 成島八幡神社は案内板によると「宝亀8年(777)の創立と伝えられる。奈良時代光仁天皇の御代、蝦夷が乱をおこし、大伴駿河磨を援軍として派遣、宇佐神宮に念じて勝ったため、勅命を得て八幡神社を建立した。大同2年(807)将軍坂上田村麻呂が戦勝を祈願し社殿を造営する。永保元年(1081)源義家は社領を寄進し、以来長井氏、蒲生氏、伊達氏、上杉氏と歴代の藩主の崇敬をあつめた。現在の拝殿は伊達宗達が永徳3年(1383)に造営したものであり、本殿は上杉氏4代綱勝公が順応3年(1664)に造営した。仙台市の大崎八幡宮(国宝)は伊達政宗が成島八幡宮を分霊して創建した。 米沢市」 
 14時半前に到着して長い参道を登り参拝しました。参拝者は誰もいない静かな境内であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「この上は、この地に起こり来る事々に光を当てて消し行きて鎮まれる地と成し行きて、平らな島作りて成り上がる事なり。本日皆々、その身の光持ちたれば是よりも繋ぎ続けられませ。」 


 今日の宿は福島県喜多方市の熱塩温泉山形屋です。16時ごろには到着してゆっくりお風呂に入り18時からの儀式に備えました。

 17時46分に今日の儀式の進め方のお言葉がありました。
「本日の儀 ・申し上げる事あり ・あいうえお三回 ・あわ歌一回 ・あい三回 ・伝えあり」
 17時50分に儀式前のお言葉です。
「只今よりお伝え申します。我この身はこの月に、皆々様へこの身を通る光を伝えて回り行き、光成す身の方々と成り行きて頂きます。この度の3日、それぞれにお渡しいたして参る。皆々様には少なからず変化を感じ、又ご覧に成られましょう。この事は是よりの始まりと為さりて、あわ歌の響きを発します。益々その身を新しきへとお進め下され。この光は見えぬもの、その身でしっかり受けられて感じて下されませ。是より共々天地繋ぎて参る。」

 18時儀式がなされた後以下のお言葉がありました。
「大いなる皆々様方、この日この時忘れずに、是よりもこのあわ歌響かせて、光の道と成りなって、大きなる新しきを生み出されませ。」
 
今日もありがたくお役目を果たすことができました。そして参加の皆さんに大きな光3日間渡して頂けます。しっかり頂きたいものです。そして中山さんはこの7月に全国にこの事、光をお伝えして回られることでしょう。
 1日の巡りも無事に出来、大事な儀式も終わって、今日はあわ歌を通して光と響きのエネルギーを強く頂いた感じで、身体も休息が必要なようです。今夜の宴も大いに盛り上がりましたが、2次会もそこそこに早目に皆さんお休みになりました。