7月は多方面に忙しく、ほとんど本業が出来ないようです。6月末にご縁の方々の先祖回向を頂きました。その中で私が頂けた一文の言葉がありました。
6月29日は「壊れた木桶の風呂」で、30日は「戦の幟(のぼり)旗」でした。壊れた木桶の風呂は修理がきかない代物の用でいよいよ修復不能なことが起こる予兆かもしれません。翌日は一転して戦の幟旗で活力満ちて威勢よく前に進むことの様です。内容はあいまいですが本人に腑に落ちることがあればそれで良しです。いよいよ極まって次に進む状況になって行くのでしょう。
7月4日は中山博様のあわ歌会でした。木曜日の午後で参加者はあまり多くありませんでしたがとても濃い内容の時間でした。私も久しぶりに頂きましたが、少し時間もあったのであわ歌を歌った後は、私個人への質疑応答になりました。内容を紹介します。
「(Nは中山さん、Oは大久保です。)
N:さて是より少しお尋ねさせて頂きます。
想いに付いて、ご自分の想いは今如何でしょうか?
O:今、この時この場の想いは、エネルギーに満たされて虚空の中にゆったりとイキイキと何かを待ち受けている気持ちです。
N:その待ち受けておらるるは、只々でしょうか?
O:はい。特に内から来るものはありませんので。
N:今あなた様には古きも是よりも無しでしょうか?
O:古きに関しては、訪ねれば響くことはありますが、舞い上がる事も無く、先に関しても心を配る気も無いので、与えられた目の前の事に集中専念している、そういう感じでおります。
N:与えるはご自分の真より出るものと思えますか?
O:どこまで自分の真かは定かではないが、浮かぶもの、気づくもの全て良しと思い、自分の中で選択をして今のところでは良しという覚悟でおります。
N:古きを無しに致す事については如何ですか?
O:古きも今思いあれば無しに出来ると思いますし、今を生きる中に古きを活かす事も出来るかと思います。
N:それには如何なるを良しと致すのでしょうか?
O:己から沸き起こる想いの中で、動きの中で出る答えを確認しながら全て良しと進むしかないと思います。
N:働きに付いてお話し致します。
我ら皆々光への道と成りて行くはこの地輝き行く為なり。このあわ歌はその光の柱を打ち立てて共に光り行くこと。この宇宙にありて只々、光の想いにて働き行くは大きなる遙かな願い。心の奥にその事定められてしっかりと繋がり行けば、なお一層の輝きと成られます。あわ歌のこの事、心に留めて下さりませ。(拍手)
なお、そちらからのご質問は
O:人として、光を発する存在として、その光は人、あるいは自然にどのような目的、存在を活かす形になりますでしょうか?
N:光は真を現し、この身の真が肉体を通して発し行き、大きくこの地上に拡がり行きます。皆々様の光とは一部のものなり。多くの深き光はそれぞれに働き行きましょう。」
このような形での初めての質疑応答でしたが、即答する中に教え導きと共に今の己の思いがでているのでしょう。
実は前日7月3日に頂いたお言葉は以下でした。
「任せて預けて、只ただで その身をここに置きなされ。悠々ゆるゆる陽は沈み、やがて来る来る新しき目指すは、只ただなり。」
4日の質疑応答時には、この言葉を明確に覚えてはいなかったのですが、全てを無にして、只々の構えがこれから兎に角、必要で大事なようです。
18時からのあわ歌唱和会は1時間程皆さんと響かせ合いました。そこで頂いたお言葉は以下です。
「七月五日 五時。七月六日 六時。七月七日 正午。執り行う。」
「本日ここに降り来る光を承り、皆々様に運びたるは真に嬉しきなり。是よりも響きて頂き、光への道繋ぎませ。大きなる身と成り行きましょう。」
翌5日からの山形、福島を巡る「日高見聖地繋ぎの旅」は大きな位置づけがなされていたようです。中山さんから3日間の指定の時間に儀式が出来るように、行程を配慮するように指示を頂きましたが、即座に分かりました大丈夫ですとお答えしていました。
人が決めた行動の中に更なる意図を持って大いなる意識はそこを活用し活かす手立てを仕組んでくださるようです。私には今年は5月5日、7月7日、9月9日は大事な時間のように思えてあわの歌を通して、中山さんと共に行動をすることを決めていました。果たして如何なるか、明日からの3日間は楽しみな旅になりそうです。
5日は曇り空で雨になりそうです。旅の参加者は総勢17名ですが、うち宿泊無で全行程参加の山形の方々3名がおられますので彼らとは山寺で合流です。仕事で夕方から参加の方3名を除いて11名が仙台駅に7時半に集合して自家用車に分乗して出発です。
旅は唱和会で頂いた、「是よりも響きて頂き、光への道繋ぎませ。大きなる身と成り行きましょう。」の言葉通りのものと成りました。今回の旅の目的、テーマは、「参加者があわ歌を響びかせ、光への道を繋ぎ、大きなる身になる事」でした。
山寺の立石寺山門を過ぎ、程なくすると千手院観音があります。道路に車を止めて参道はJR仙山線の線路を越えて進みます。本堂脇を抜けて山道に入り目指すは「天台のみち」で、 かつて山伏が修行していたところです。
垂水遺蹟は岩壁一面の蜂の巣城の穴が開き、大きな洞に古峯神社が祀られています。洞に登って皆さんであわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「改めてお伝え申す。新たなるへの光は降り来て進みて参る。この3日、皆々様へと発し行く、心得て下されませ。それぞれの方、それぞれの進みを感じて頂きませ。嬉しきなり。」
改めて今回の旅の目的が明確に伝えられました。この3日間に皆さんに光を振り注いで下さり、各自に役割を感じ働ける身となる様にと、嬉しき進みの機会となるようです。
山道を城岩七岩に進みます。山の頂には七つの岩が城壁のように連なり、眺望は素晴らしいです。大きくせり出した弓張岩に登りあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「多くの方々、この地を踏みて、成したる方々、名だたる方々それぞれその身は大きなり。是より参り来る新しき時迎え、軽きと成られて参りましょう。このあわ歌響かせれば、皆々引き受け、無しへと向かう。響きて下され。」
山を下り行くとほどなく巨石が現れます。毘沙門天岩と男岩の間を抜けるとそこは広場になっています。修験場跡で正面には大きな屏風岩があります。そこでもあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「うお〜参られたるや。大きなる身、この地は如何に。(拍手)
拙き身成れど思いを申す。響きと光りが成しなるが 思いは強くここにあり。(拍手)
それこそ我等の大切なこの地の皆を喜びへの思い(拍手)
思い強きはこの地を動かし、動きの元作りて治められず。全てを軽き、無しへと参られ、是よりの光と共に参りませ。(拍手)
お〜 その身の光は 受け賜りたり(拍手)
共々参りて光りへ。」
巡り終わりお昼の弁当を車中で頂きました。午後から対岸にある馬口岩(アイスヒル)を巡り、蔵王山頂お釜の予定です。食事を終るころ、にわかに豪雨になりました。是では山歩きは無理と判断して午後は中止して宿に入ることに急遽予定を変更しました。宿に電話してみると13時頃には部屋に入れるとのことで、願ったり叶ったりです。天は粋な計らいをして下さいます。17時からの儀式に向けての参加者の皆さんへの特別な時間、学びの機会を下さいました。
蔵王温泉つるやは天命塾では何度も使わせて頂いていてなかなか良いお宿です。まずはゆっくり温泉に入り身体を癒し、清めさせて頂きました。
それから14時半から中山さんから個別の質疑応答の会をして頂きました。私が4日にして頂いたように各自に必要な質問を中山さんからして頂き、応答するものです。内容は各人各様で聞いていてとても参考になります。一通り終わって17時からの儀式の進め方のお言葉が16時半にありました。
「新しきへの道へ皆々様を誘う時なり。行う事は光りを渡す事。聞かせたまえこのあわ歌を。光を受けるは、あいうえお。皆に渡すは、ゆうゆうゆう、三度なり。」
儀式は、あいうえお1回、あわ歌1回、ゆうゆうゆう3回です。この儀式は新しい道に行くために参加者に光を渡す事です。
17時から儀式直前にお言葉がありました。
「届きたるは皆々様への大きなる光。目には見えねど、是よりを開き行く。(拍手)」
その後直ぐに17時の儀式が始まりました。その後のお言葉は以下です。
「ゆるり、ゆるりと入り行きて、新たなるを生み出だす。この時のこの光、是よりの時を皆々様大切になさりませ。」
ありがたい儀式でお言葉でした。
その日は貸切風呂を楽しみ、食事会の後はカラオケをし、3次会まで大いに盛り上がりました。
その日の朝、中山さんに有る歌の歌詞、メロディーが浮かんできたそうです。それは美空ひばりの「津軽のふるさと」でした。車中で口ずさみ、夜のカラオケの時も歌われましたがこの歌も大事なキー、メッセージの様です。ちなみに1953年の曲です。
1 りんごのふるさとは 北国の果て
うらうらと山肌に
抱(いだ)かれて夢を見た
あの頃の想い出 ああ 今いずこに
りんごのふるさとは 北国の果て
2 りんごのふるさとは 雪国の果て
晴れた日は 晴れた日は
船が行く日本海
海の色は碧(あお)く ああ 夢は遠く
りんごのふるさとは 雪国の果て
ああ 津軽の海よ 山よ
いつの日もなつかし
津軽のふるさと
なぜリンゴなのか、リンゴは私達のことで、実は私達のふるさとを伝え響かせたものかもしれません。「津軽のふるさと」美空ひばりYouTube動画リンク