2013年4月26日金曜日

207「原因結果2」2013,4,25

 飯島さんと前回お会いしたのは12月8,9日ですから3か月半ぶりでしたが、彼には凄い変化がありました。以前に比べて若々しく髪の毛がふさふさして、髪の毛の色も黒々して量も増したようです。その理由をお聞きしましたら屋久島で作られている酵素水、「マナ屋久島の天然水」を日に何度(7倍希釈したものを10回ぐらいの様です)も髪にスプレーしていたそうです。驚きの効果です。
 屋久島の自然の水を飯島さんの理論に基づいて発酵させて作ったものです。電気も自然エネルギーにこだわり、自然法則に従って屋久島の自然を生かした作った酵素水です。吸引サイクルで作られていて、生きた状態で物質を建設して行くサイクルとのことです。用途は洗濯、掃除、肌の手入れ、ペットや植物の健康管理にと多方面に活用できます。私もさっそく購入してまずは頭にスプレーして使用しています。果たして如何効果がみられるか楽しみです。









 後、「テネモスモーター学習キット」も購入して今組み立てています。果たしてうまく作動するのか微調整がポイントのようです。不慣れな私には良い勉強です。購入前の注意として「工作が出来ない方は絶対に購入しないでください。返品は御遠慮願います」とあります。


 大和農場の水タンクのモーターを強力なものに置き換えてからタンクの内面のカビの様な汚れが取れてきていてタンクの水の濁りが出てきています。こちらにも飯島理論の効果が現れてきています。これから楽しみです。
 前回、紹介した講演会でのお話の続きを少しお伝えします。
 
 「車でエネルギーダウンするとノッキングしてエンストする。その時にギヤダウンしてアクセル踏むと回転が上る。病気や自然も同じことで、エネルギーを入れることで改善する。電気、風力、手動等で回して上げることでエネルギー吸引してアップする。
 身体が疲れてマッサージ等を受けると少し回復する。しかしマッサージで一時的に良いと思ってもそれは放出形で、再発する。自分でする運動は真(芯)から動くので吸引形になる。外から入れるのは放出形で、内から出るのは吸引形だ。身体を壊すのも治すのも自分次第で、身体が動くのなら自分で動かすことが大事だ。
 畑も同じだが、今の世の中は逆説だ。自分は生かされていると思う事が吸引で、生きていると思い、問題の原因を他のせいにするのは放出になる。その事を理解しないとフリーエネルギーは出ない。
 
 私達の受信機が魂で、それをいのちという発信機へ変える。出すから入るのが法則で、理解した分だけ出す。そうすると出した分入るのがエネルギー。お金を出して教わる物はろくなものない。エネルギーは一つしかない。出し惜しみするもの出ない。お金有り余っていたら固執しない。無限性だったらオッケーだが有限だから喧嘩になる。原因は無限性だが、結果が伴わないのは意識が原因に向いていないこと。それに気付いて変換して行く。
 原因はエネルギー。空はエネルギーでエネルギーは出すもの。肉体はエネルギーを受けている。そしてエネルギーを出していく。自分が出す人になるとエネルギー体になり、もらう人は肉体になる。出し惜しみしないこと。エネルギーを出せば出すほど智慧が湧いてくる。本当は皆は智恵で生きている。相手をけなしてはエネルギーが入らない。皆は幸せが欲しい割に悪魔が入っている。欲望を捨てると素直に出したものが帰ってくる。自分が神と言う意識で行動すると間違いない。何事も神としての自覚を持ってする。
 
 怪我をすることは方向修正させられることで進化させられている。我々は早く卒業できないのでこの世界にいる。宇宙が我で、地球に居て地球を見て、意識を持って行ったり来たり出来るレベルになる。それは特別な世界ではない。それを自分で体験してみる。まず自分を疑わないこと。そして無心を貫いて霊体を体験すること。蒔かない種は芽が出ない。チャレンジしてみると結果が出る。雑草を刈り込む事は知識を捨てる事で白紙化すること。種を蒔くことは実践する事だ。肥料は餌で微生物を呼び込む為のもの。
 いろいろな条件を設定して、エネルギーを集める。そして仕事をする。酸、アルカリ。+、−。しかし宇宙のたった一つの法則からすると酸アルカリは存在していない。
 一つの細胞の中に酸アルカリが存在していてギャップがある。内側が速くまわる。回転が違う。外側にギャップがあってゆっくり回っている。内側のアルカリが速く回る。
 高気圧と低気圧は一緒にでる。ギャップを整えようと、ゼロにしようとする力にエネルギーが働く。風は空気を動かしているのではない。空気は空間は満ちていてドミノ倒しが起きている。
 
 −1を作ると+1が同時に生れる。乳酸菌+が入ると大腸菌−が増える。+が増えると−が増えるのが法則。ギャップを取ってバランスを取る。物を動かすにはバランスを崩す事。戻す力がエネルギー。
 水を良くするためにはバランスを崩すと浄化する。ギャップがエネルギーでバランスを崩す事が必要。お腹がすくとそれがニュートラルでご飯を食べてギャップを作って、それで動く。ニュートラルで生きる人はバランスが良いが、多くはギャップで生きるのが人間。人間は本来食べないで生きられる。賢者は食べずに生きている。
 かゆみは酸欠でエネルギー不足。そこを?くとエネルギーが来る。痛みはエネルギーが出て行く状態で、エネルギーが入ると痛みが止まる。行動が悪く、意識が悪いとそこに痛みがでる。その時は生かされている存在であることを忘れている。
 
 肉体で生きているとダメ。空で生きる。潜在意識での許容範囲で空で生きる。回転数が違う処にギャップがあり、酸アルカリが常に変化する。高気圧、低気圧も同じ。固定化していない。固定概念は今の学校教育で教えられている。発酵は吸引で、未発酵は放出の現れだ。
 
 今はいかさまが多い。果たして永久性を持っているか。永続性を持っている事を理解して初めて表現体として人間が生きられる。意識が肉体を動かす運転手だ。各自からそれぞれ周波数が違う電波が出ていて、自分の意識に応じた電波が入って来る。それを疑わずに生きているので、自分が生きていると思うが生かされている。人間には何の力も無い。考える力も無い。
 電波を受けられなくなると動けなくなる。動植物全てが空のエネルギーで動けている。フリーエネルギーが初めから存在している。そこにチャンネルを合わせる事。自分が無限の存在だと意識を切り替えることでそれが出来る。疑わずにそのように自分を自分で洗脳する。
 意識が回路をチェンジしていて、受信送信ができる。全て本人が自分で選んでいる。全て自己責任で他己責任はない。自己治癒力で他己治癒力は無い。意識を変えると良い水等との相乗効果がでる。食べもの飲み物で病気は治らないし、病気になることも無い。全て意識が決めている。意識が変わらないと何を食べても変わらない。まず自分を正しい意識に変換することが必要だ。
 人間は生かされているが、そのことを分からないわけがない。しかし意識が固定化していると分からない。周波数が違うので、分からないとしたら意識が変換していない。
 神経は神の回線で空エネルギーを受信している物で、上手く受信していないと痛みが出てくる。痛みはその結果。本来の自分が対象を見るのと、表面の自分が対象を見るのでは差があるし、時間差が生じる。
 
 3Dはテレビの後ろから圧をかけると出る。テレビと人間のメカニズムは同じ。電波ないとテレビは映らない。人間も同じで肉体は受信機で己は肉にあらず。宇宙全てが自分で宇宙即我。そこには死は無い。確かに肉体を構成するものは消えるけど、いのちは永久だ。意識を変換をすることが大事だ。
 フリーエネルギーは永続の意識で、いのちを自分のものとして形にする。しかし有限性の意識では無限は生じない。無限には病気は存在しないし、死なない我を理解したら病気は無い。有限性の意識が病気を作っていて、全て自分が作ったもの。良くするのも悪くするのも自分だ。7名の覚者で地球は変わる。
 
 意味が分からないのはチャンネルが違うだけ。同じ周波数単位を持つことが必要で、徐々にチュウニングして行くこと。自分に質問しないと答えが帰ってこない。他人は本来いない。自分は空気と認める事。しかし認めるか認めないかは本人の自由で、存在は神一元。
 しかし落第生ほど頑固で認めない。この世で地獄の意識で死んだらあの世も地獄になる。この世がそのままあの世に行くことになる。この世を楽しい状態で死ぬことで永続性が得られる。今を天国で生きること、そして永遠のいのちを意識する。只々、天の法則に従う生き方をする。それから外れると天災となる。全ては一元説、たった一つの法則で動いている。
 安らぎ幸せを得るにはどうしたら良いか。お金は結果の世界で、結果では安らぎ幸せはない。原因を知ったら自ずと結果が来る。原因の世界で生きることで、出したものが返ってくる。幸せを出したら幸せが来るし、お金出したらお金が来る。今1兆円あれば日本まるごと変えられる。
 意識圧を上げて今の世の汚染を治していく。意識圧が低いので汚染がはびこる。全ては己の意識で変わる。己が変わることで全宇宙が変わる。己が空なりで己が原因。神一元」
 
 お話の内容はどんどん深い宇宙法則に入って行きます。あの手この手と我々の意識の状態に応じて、方便を駆使して真理、宇宙法則を伝えてくれる飯島さんです。その菩薩行に感謝です。次回は8月3,4日に来仙下さいます。
 今年3月に仙台でセミナーして下さった飯島さん以外のINTUITIONの澤野大樹さん、アイリッシュハープのみつゆきさんも8月に再度来仙下さいます。仙台の8月は熱く濃厚な宇宙に成りそうです。楽しみにご縁の皆様、是非ともお集まりください。

2013年4月22日月曜日

206「原因結果1」2013,4,20


 3月30,31日は飯島秀行さんの仙台での講演会も4回目になりました。ほぼ3か月に1度のペースで仙台に来ていただいています。会を重ねるにしたがって理解が深まって来ています。たった一つの宇宙法則をお伝えして頂き、その活用法、実践、勉強法を教えて頂いています。
 講演会の直前に2冊目の著書「フリーエネルギー版 宇宙にたった1つの神様の仕組み」が出版されていました。本のカバーには以下のエッセンスが述べられています。
「エネルギーは石油や石炭などの「物」にあるのではなく、空気を呼び込む条件のことだったのです。「空」こそが全てのエネルギーだった。このメカニズムで回るフリーモーター実用機はもう出来ている!」
「自分で作って、実験して、確かめたからこそここまで言う事ができるようになった。
・エネルギーとは何か:エネルギーとは「意識」であり、無限に存在するものを指す!
・なぜ石油や石炭が燃えるのか:それは燃えるのではなく、空気を呼び込む媒体となるのである!
・原理一元:エネルギーを呼び込む条件、要素に着目せよ。物質からエネルギーは取り出せない。
・固定概念:エネルギーは得ることも与えることも出来ない。自ら出すもの。
・除染:汚染物質とは「エネルギー欠乏物質」のことを指す。」
「エネルギー資源を奪い合う必要などどこにもなかったのです。
・フリーモーター:この回るメカニズムは永久機関といっていい。オームの法則は成り立たない。
・結合と融合:エネルギー不足は「思考力不足」。発酵がエネルギーを呼び込む仕組みである。
・空はすべてのエネルギー:放出サイクルと吸引サイクル。エネルギーの使い方を研究開発する。
・畑の連作障害:吸引サイクルか、放出サイクルか。原因はいつもたった1つです。
・自然農法:常にエネルギーを引き込める状態に。吸引農法こそが唯一の答え。」

 本ではテンメイ大和農場の沢水を汲み上げした水タンクと灯油タンクに設置した加圧する装置の写真が掲載されています。実証事例の一つとして活用して頂けて嬉しいことです。本の内容は是非ともお読みいただいて実践、勉強して頂ければ嬉しいです。
↑掲載されたページ
(飯島氏に指導いただいたときの様子)




 今回の仙台でのお話の中で一番印象に残ったことは、「エゴで生きる人はフリーエネルギーは使えない」の一言です。納得の世界です。2日目の朝に名取農場を見学して頂き、パイプハウスや堆肥、発酵装置などにご指導頂きましたが、少しずつ農場長の勉強が進んで活用出来てきています。これからも継続して飯島さんの理論を活用して行きたいものです。


今回の講演の内容を少し紹介します。
「空気は全てのエネルギーの元。空気を冷やすと水になり氷になる。それらは波動、バイブレーションが違う。人間はエネルギーの固まったもの。
 石油、石炭、ガス等は空気を呼び込むもので、石油、石炭等が燃えているのではなく空気が燃えている。媒体の事をエネルギーという。炭が燃えているところに空気を送るとそれが燃えて炭はそのまま真っ赤のまま。
 宇宙の法則、自然の法則がある。
 地球の上に人間がいる。そこにエネルギー、気、法則が働く。地球から電波が放出されている。人間は受信機で意識。法則を疑わずに肉体は動くので脱線することが無い。しかし頭で考えて自分が生きていると思っていると脱線する。全て法則で生きている。しかし法則と自分の周波数が違ううちはその事を理解できない。法則に合わせるには人間社会の常識や潜在的な想いが抑圧している。その邪魔しているフィルターを外す事が必要だ。
 我々は生きているのではなく生かされている。生きている空気を吸っているから生かされている。しかし今はこの法則を無視して社会を作っている。異常気象、天災は人間が法則に沿わないことが原因で起きていて、法則と周波数が違っている為だ。
 
 肉体と空気が同じだとすると自分は何か。悟りとは固まった氷が空気と理解すること。そして人間は空気だ。そして過去も未来も無いし、始まりも終わりも無く、無限だ。有限性の世界を物質と言い、そこに永久性はない。フリーエネルギーは物質に存在しない。全て無限が有限を作っているだけ。
 無機物が有機物を作り又無機に戻る。ほとんどの人が考えずに疑わずに鵜呑みにして生きている。空気の結果が物質で、今物質が変わろうとしている。この因果関係を理解しないと物質にこだわる。身体に良い物を、生きている法則を肉体が受け入れて行く。受け入れないで遮断することは、空気は気で、大気を受け入れないこと。
 病気はエネルギー不足、汚染、欠乏で、その原因を自覚することで治せる。癌の転移は意識が受け入れないので酸欠病で起きる。意識でエネルギーを受け入れることで病気は治る。不死不病のエネルギーだが、それを受け入れないから病気になる。
 
 空即是色。いつかそれを理解出来るし、いつかは悟れる。いつかは無限に還る事で、永遠の自分を理解することになる。この世で理解して還る事が大事だ。理解しないで死ぬと、それは地獄で、幽界に還ること。死ぬことは卒業することで、成長して小学校から中学校に行くようなもの。死んで行くのが幽界、地獄(地の世界)か、自動的に行くところが決まる。しかし霊界の天国に行くには入学試験がある。その天国は空気の中にある。
 人生とは自分が空気なのか氷なのかの選択するだけ。氷から水。肉体から死は共に幽界の世界。水から空気に行くには試験がある。空気の世界は制約が無く、雌雄が無く、平等と考えられ人間が生きられないところ。そこは制約が無く、無限しかない。その事を理解する。フリーエネルギーは天国で安らぎの世界。
 真理は学ぶ物でなく勉強するもの。勉強とは強く勉めることで、こうしようと思ったものが行動に出る。その仕組みが真理で、真理の世界があるのではない。真理の先人の物質の世界ではない。
 
 ギャップが起きて修正の時に起きるのが病気で、ありがたいメッセージ。しかし病気が悪いものと思っている。癌を選んだのは自分、直すのも自分で簡単に治せる。自分が肉体と思うと癌になる。どちらを自覚するか。ここが分からないと次に行けない。分からないで先に行ってもきりがない。
 死んだ者は五感が消えている。生きて五感を消すと死んだ状態になる。音楽聞いて瞑想で行けるのか?想いを消す事が必要だ。フリーエネルギーは理解できるものではない。永続性のもので死んだものが生まれ、生まれたものは死ぬ。イエスキリストは「この世には死人はごろごろしている」と言った。鬼が島が地球で桃太郎はほとんどいない。自由選択して生きる。
 受信機か発信機か。送信は天、受信は地で、その選択権を持つのは人間だけ。しかし人間は社会を壊してサル以下になってしまった。まずは自分を確立して行くことが大事。
 人間が肉体と思って肉体から発すると肉体レベルになってしまう。人間が法則と理解して発すると空に通じる。「我は空なり、空に語る」はイエスの言葉で、真なる理。自分が死ぬか死なないか、思いの力、意識による。
 日常生活の考えに肉体は同調する。臓器には役割があり、それと同調する同じ役目が乱れるとそこに変調を来す。それが信号で、止が入り、怪我や病気をする。そこは見方が正常でないので想いを正すことが必要だ。
 
 原因があり結果があるが、圧が原因だ。その間に物質が介在して同じメカニズムで動く。圧があるかないか、それが固形化してギャップを持つ。身体に悪いものは放出形で、全て元に戻すと自然界の物になる。地球の中にある時、地球が吸引化しているのでマイナスしないが地球から取り出した時に放出形になる。放出力で副作用が起きる。化学肥料も放出化する。薬も放出形だが吸引形にすれば良い。
 砂糖と塩。塩に全ての肉体が反応する。吸引化させると薬効がある。焼き塩が効果があり、バランスを取ろうとして逆行する。放出化するものが毒物、劇物で、毒物を細かくするともっと劇毒化する。毒も水に薄めると大丈夫。その法則を知ると怖くない。知らないと怖い。
 玉川温泉は泉質が強酸性でギャップで身体が戻そうとするエネルギーが身体に入って来て癌を治せる。エネルギーを吸引できないと身体は治らない。玉川温泉でなくても焼き塩温泉で良い。マイナス系の温泉が効果がある。
 
 直りたい意識とその理由を理解する力が大事。無心になるとエネルギー吸引する。本来死は無い。実際にやらないものは身にならないし、聞いて理解できるものない。やって実感したらオッケー。真理は実感。実践することが勉強で、知識だけではダメ。身体を動かすからエネルギーが入る。動かした分覚える。意味わからないと使えない。今の学問はその逆をしている。我々は目に見え無い物に生かされている。だからセシウムも変化する。しかし正しいから世に通るわけでない。
 自分で体験して行く。国を変えて行くことは無理だが、このままでは国もやがて倒産する。根本的に人間の考え方が逆説だから汚染が進み天変地異が起きる。今は力を合わせて意識を一つにして証明して行く時代が来ている。」

2013年4月11日木曜日

205「賢治の世界」2013,4,11

 宮沢賢治は魅力的な宇宙を残してくれたみちのくが生んだ天才です。詩人、童話作家、農芸化学者。農村指導者、宗教思想家で、岩手県を中心に多方面に活躍しました。しかし生前は無名に近い状態で没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家とされていきました。
 そして今、その思想、哲学、生き方は21世紀に改めて見直される存在と思えます。トータルヘルスデザインの近藤洋一会長も金子みすずと宮沢賢治はとても注目している作家です。そんなこともあって天命塾とチャレンジPPKの共催で6月1・2日に「宮沢賢治と遠野物語と縄文の世界」と銘打って岩手県花巻市、遠野市の宮沢賢治の所縁の地を巡る旅を開催します。

 3月初めに盛岡で「宮沢賢治のスピリチャリティー」と題した講演会に参加できました。講師の鎌田東二さんは京都大学こころ未来研究センター教授で神道ソングライターです。開催数日前に講演会があることを知り、お蔭様でタイムリーに、改めて賢治のスピリチャリティーについて興味深い学びができました。
 会場は不来方城(盛岡城)の跡にある南部藩所縁の桜山神社でした。本殿に参拝して裏の雪の中の烏帽子岩に詣でた時に丁度鎌田先生が参拝してほら貝を吹いて奉納していました。鎌田先生の著書は何冊か読んでいましたが直接お会いするのは初めてです。

 烏帽子岩(兜岩)のいわれは以下ですが、その巨石は一見の価値がある物です。
「盛岡城築城時・・・慶長2年(1597年)頃・・・、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈(6.66m)ばかり突出した大石が出てきました。 この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆ののシンボルとして広く信仰され、災害や疫病があった時など、この岩の前で平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。」
 

 21世紀は心の世紀になると期待されたのと裏腹に、現代は心の荒廃が問題になっています。宮沢賢治が生きた時代の問題とそこにおける科学と宗教と芸術の係りを探りながら、「ほんとうのさいわい」という「銀河鉄道の夜」の中の賢治自身の言葉や思想を手掛かりに幸福の問題を考えて、賢治のスピリチャリティーと思想と生涯の魅力と未来性を考える機会として講演頂きました。東日本大震災復興祈念の講演会ですが、賢治のスピリチャリティーが復興に大きく活かされることになれば嬉しいことです。
 
 宮沢賢治は1896年8月27日(明治29年)に生れ、1933年9月21日(昭和8年)に急性肺炎で37歳の若さで亡くなっています。
 実は賢治の生誕の約2ヶ月前に発生した三陸地震津波による震災が、県内に多くの爪痕を残した中での誕生でした。また誕生から5日目には秋田県東部を震源とする陸羽地震が発生し、秋田県及び岩手県西和賀郡・稗貫郡地域に大きな被害をもたらしています。更に亡くなる年の半年ほど前の3月3日に「三陸沖地震」が発生し、大きな災害をもたらしています。誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、天候と気温や災害を憂慮した賢治の生涯と何らかの暗合を感ずるところです。
 また1910年はハレ—彗星が来て、有毒ガスで生物が全滅して地球が滅びるとまで言われパニックになっていた時代です。その年はスピリチャル元年とも言われ、現代に様相も似ています。
 今、2011年の3,11の震災があって一段と賢治の見直しが成されていますが、震災が無かったとしても21世紀は賢治の時代といえます。20世紀の始めに21世紀の問題を先取りして活躍し生きた先達のモデルとして宮沢賢治は再評価されています。

 賢治にとって18歳の時に出逢った法華経が人生の核になっています。教えの方便、本門には仏の力が働き続け、菩薩生命として他者に救いの手を差し伸べる生き方が成されていきます。
「銀河鉄道の夜」は未完成ですが「本当の幸いを求めて行く旅」です。その中にある「心持ちを綺麗に大きく持たないと」はどういう生き方かというと、願い、志としての理念、どういう生き方をしたいのか自分で立てることです。それはヨガでの実践的生き方にもあるもので、学問の応用実践です。そして「心持ちを鎮める」とは心の不動の一心を見るようなは実践方法論です。
「グスコーブドリの伝記」は本当の幸いを実現して行く行為を現しています。つまり「銀河鉄道の夜」はスピリチャリティーの探求と論理を表していて、「グスコーブドリの伝記」はスピリチャリティーの実践と倫理を現すものとして対を成すものです。
 つまり「銀河鉄道の夜」は欣求浄土(がんぐじょうど)で上求菩提(じょうぐぼだい)と言える悟りを求める旅であり、「グスコーブドリの伝記」は下化衆生(げけしゅじょう)で観音菩薩の実践で、苦しみに満ちた世界での実践です。
「銀河鉄道の夜」は孔(あな)を覗くことで死者の世界へ行く道。それが夢と気づいて戻って来る分岐点、物質と魂や無形の対の世界です。
 
 1926年に賢治は花巻農学校を辞職して「羅須地人協会」を設立し、そのマニフェストとして「農民芸術概論綱領」を書き上げます。そこで賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「われらは世界のまことの幸福を求めよう、求道すでに道である」という事を示しています。
 そこでは「意識」および「無意識」の語を用いて進化(深化)と解放を説いています。
「自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
   この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
 新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」
「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性に通じる具体的なる表現である
 それは直感と情緒との内体験を素材としたる無意識あるいは有意の創造である」
「感受の後に模倣理想化冷たく鋭き解析と熱あり力ある統合と
 諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
 機により輿会し胚胎すれば製作心象中にあり
 錬意了って表現し定案成れば完成せらる
 無意識即から溢れるものでなければ多くは無力か詐偽である」
 
 その原点は最澄の「山家学生式」の「道心=国宝」観で、「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。一隅を照らす、これすなわち国宝なり。」です。山の中の厳しい道場が比叡山だとすると、人の世の厳しい道場が羅須地人協会です。
「グスコーブドリの伝記」の方が今の時代に必要で響く内容です。本に登場する「フウフィーボー成人学校」では学校に入らないで勉強する仕方を教える学校です。物の見方を学び、仕事は本当に役に立つ仕事なら命も何もいらないという世界です。鋭くて濁らない感覚で学ぶうちにメカニズムが分かってくる。直感と経験が生み出す世界で、そこで覚悟して使命を果たしていく自己犠牲の精神です。「私はその大循環の風になるのです。あの青空のごみになるのです。」がそれを表現しています。
「平穏が皆を幸せにする。平穏なしに幸せはない。」グスコーブドリの認識と覚悟と行為の背景には賢さがあり、父母は自分を助ける為に亡くなったという喪失の悲嘆を持っています。それが自分の中で生きていて、自分が生かされている。
 無駄死にしない為に的確なセンス、澄んだクリアーな感覚が必要で、それは覚悟、思いの深さ、志、使命感で多くの人の為への菩薩行の実践です。しかし宮沢賢治は実生活では何一つ成し遂げていなかったようです。「心象スケッチ 春と修羅」は生前に唯一刊行された詩集ですが、自費出版で1000部製作したのですが10部しか売れていません。

 賢治の作品は自身の心象風景を語られますが、「小岩井牧場パート9」に
「さうです、農場のこのへんは
 まったく不思議におもはれます
 どうしてかわたくしはここらを
 der heilige Punkt と
 呼びたいやうな気がします」
とありますが、der heilige Punktの言葉は聖なる点という意味です。そこの場所を感じて特定でき、そこで安らぐ賢治の感性があり、かれは常に多層多重な階層の中で生きています。そこは「清い心持になる聖なる場所があり、縄文の祈りの丘で銀河鉄道がやってくる基地です。」
 カーテンを開けて光につつまれたらあらゆるメッセージが来る。そして大きな綺麗な心持で、願い祈り菩薩の心で、本当の幸せの糧になることを願う。今、フィジカルとメンタル両面での復興が求められています。今回の災害だけでなく、人間として、地球人類として縄文の精神を受け継ぎ、銀河宇宙と繋がり貴重なメッセージを賢治は残してくれています。
「イーハトーブ」の言葉は賢治が作った造語ですが、理想郷という意味です。既に広く知られていますが岩手県をモチーフにしたとのことです。平穏が皆を幸せにし、平穏な中にしか幸せはない。心持を綺麗に大きく持ち、心持を常に鎮めて楽しく明るく生きられる。そんな新たなイーハトーブを縁する皆様と実現したいものです。それが天地を繋ぐ人としてのこの世界でのテーマです。きっと6月のイーハトーブの地を巡る旅では宮沢賢治の生きた時空を体感できることでしょう。

2013年4月4日木曜日

204「繋がり2」2013,4,4

※この記事より当ブログに引っ越しました。以前の記事はこちらです。

 四月になりました。世間は新たな始まりの様ですが浮かれた気分で行けぬ幕開けの様な気がします。現象界には原因があって現在の結果がもたらされます。厳然とした仕組み、法則があります。新たな始まりには見直し、組直し、前提を踏まえた法則の更なる理解、確信が望ましいのですが小手先、表面上の誤魔化しでは早晩限界点を迎えます。それも又必然な変換のエネルギー、仕組みかもしれませんが。
 3月24日の中山博さんとの日高見の聖地繋ぎの旅2はスムーズに終える事が出来ました。翌日25日にはその旅を補完するこっそりの旅で宮城県北の各地を巡りました。それは24日の旅が大和から始まり栗原市栗駒町を巡り一関市で終わりました。こっそりの旅は栗駒の南、栗原市一迫から始まり大崎市を巡り大和で終わる旅です。車2台7名で巡りました。
 
 最初の目的地は山神社です。ここは25代武烈天皇がこの地に流されてお亡くなりそれをお祀りしていると言われています。武烈天皇は継体天皇の前の天皇で、性向暴虐と記されていますが、政変があり新たな天皇にとっては非常に悪列なものと扱われたようです。
 車中で山神社の謂われ、更に大和朝廷の隕石落下で政変がありその後の天皇が継体天皇であったというお話等お伝えしていました。そんな中でお言葉がありました。
「互いに下した大きなる過ちは、どちらもその後を汚し行きて光と成らず闇と成る。重き思いをその地に沈める今までの仕組みはこの時に改め行くなり。皆々鎮めるを良しと成すは過ちなり。
 隕石落ちきて、この地を砕くもこの事に似たり。是を光にて砕いて少しと成し行きたり。大きな隕石落とすもある力によるが、是を少なく出来るは光なり。この地の方々光の身と成り行けばかかる事を為すも可能なり。皆々様宜しくお願い申します。」
 「ところで本日この地を回るはあなた様、その身に光を承りて、響きと光の地と成し行くを想いております。我々は大きな咎を受け立ち上がりて参るは困難なり。如何に為して頂けますや。
 離れずにおられませ。この地に満ち行く光は大きく全てを受けて参ります。申して参られ、いついつでも働いて参る。
 嬉しき成るぞ。その言葉、漂う我らのこの身を頼む。
 いや増す光は鋭く強きと成り行きます。この時今なり、急がれよ。
 あ〜い。」 
「突然に写し行く二つなる身を一つに成す光を、この光を受け取りて霊身(ひみ)なる人なるなり。ご用意なさりませ。」 
「この身に付いて語ろうぞ。
 この身に写し来る事々は、この地の人を新しきへ導くご用意、助けることなり。あわ歌広め、歌いた方々響きを持ちて、新しきのご用意致す。その時をしっかり見据えて光を送り、大きなる変化をそれぞれの身に起し、如何なる事にも万全の身と成し、この地の大きなる変化を迎え新しきと致す。光の身と成る方々ご用意致すは、この身の大きなる嬉しきなり。」 

 もう一台の車は築館インターで下りそこない一つ先の金成ITから戻ることになりました。私達は山神社で暫し待ちます。道路に面した小高い山に神社はありました。道路沿いにある鳥居の前に車を止め山頂から後続車を待ちます。鳥居の正面には何故か移動式簡易トイレの保管所で沢山のトイレが鎮座しています。北進した黒の車の隣に南進した白の車が並列しました。この地のあり様を現す仕掛けの様で、共々揃いて将に目出度し目出度しです。
 山神社で皆さんとあわ歌を響かせましたが、その前に後続隊の到着前にお言葉がありました。 
「は〜あ〜。方々集いて参られよ。この地に大きな光降る。全てを受ける光降る。響きと共なる光なり。今、今この時皆々集いませ。」
「あ〜荒みたる思いを持ちておらるるも、光を持ちておらるるも光へ参ります。今より参る、踏み行く道を開きて参る。」
 皆さん打ち揃いて響かせた後のお言葉です。
「素晴らしき大きなる光を見たり。共に皆々参り行く。すさみ光りた共々も皆々参れ、この時ぞ。更なる進みを致し行き、その身それぞれ参れや。」 
 共に揃いて進み行く始まりです。

 日高見中心は栗駒山です。栗駒山の東から西へと南の裾野を回る感じで次なる目的地は大崎市鳴子温泉鬼首の荒雄川神社奥宮です。
 鬼首の名の由来は、延暦二十年(801年)、坂上田村麻呂が蝦夷平定に東征した際に、『鬼』と呼ばれ、恐れられていた大竹丸を追い詰め、この地で首をはねたことから、ここの地名を鬼切辺と呼び、それが後に鬼首に変わったと伝えられています。
 神社はまだ多くの雪に覆われてありました。そこであわ歌を響かせましたがそこでのお言葉です。
「この時、この地の山々よ、大きく輝き光と成りて海と発し、川へと発し皆々へ光を繋ぎませ。全てを光の御世に参る、共々に、共々に。」
 荒雄川神社里宮は大崎市岩出山池月にあります。主祭神は須佐雄尊と瀬織津姫尊で、穢れを清める祓戸大神の一柱である瀬織津姫尊は、荒雄川の清浄な水の流れを司る水神として祀られたものとあります。里宮の鎮座する地は古来からの聖地で、境内には縄文時代の祭祀遺跡とされる「荒雄川神社遺跡」があります。ここであわ歌を響かせました。     「この時、この地、この川、この山皆々共に一つと成りて、大きなる中心守りて共に輝き成されませ。光へ参られませ。」   
 直ぐ近くの道の駅で昼食を頂き、早々に同じ岩出山の荒脛巾神社に向かいました。前に訪れた時は1月冬のさ中、吹雪の雪原の中にぽつねんと鎮座していましたが今回は、雪解けした田んぼの中に静かにありました。アラハバキは日高見の土着神で大和朝廷にまつろわぬ民が崇め祀っていた神です。社の裏にある小さな石の祠があります。そこが御本尊の様でもあります。その前であわ歌響かせました。その時のお言葉です。
「遙かな時の大きなるこの地、豊かなる人々と共に美しき地なり。今ここに新たなる輝く地と成りて参る。この地守り来た皆々様、共々参りましょうぞ。(拍手)
 揺るぎなき想いぞ。そのこと是よりの日々に我等と共に在りた皆々を訪ね渡りて頂きたし。(拍手)
 大きなる知らせなるが、その所在分かりたし、伝えませ。(拍手)
 お〜承りた。」
 中山さんが歌う最中に地面に絵を描きましたが未だ解読できていません。

      
 加美町は南へ山越えして隣町です。その名を頂く加美石神社が次の目的地です。延喜式内社で神座石があることで名が付いたようです。遷座されて現在地に移りましたが神座石も移されています。境内は少し荒んでいました。あわ歌を高らかに響かせました。
「燦燦さんと降り来る光を受けて、流して、伝えて、知らせて、多くの者とこの地を繋ぎ、共に一つで永き時過ごし来たりた嬉しき地なり。光を待ちておりました。ありがたき。」
     
 加美町には加美富士、神富士と言われる薬来山があります。独立峰で綺麗な山容が一際を目を引きます。薬来神社奥宮は山頂にありますが、里宮を訪れました。神社は神富士を真後ろに頂き、新しいきらびやかな社殿が些か違和感を抱く中、ご神木の前であわ歌を響かせました。 
「つきましてはお願い申す。響きて参りた光は大きく、ありがたきこの光はいかにして受け取るや。(拍手)
「あいうえお」を発し参られ。(拍手)
 繋がり行けば大きなるいのちと成りて光へ参る。離れて大きく拡がりませ。」
 神社の由来は「天平九年(737年)鎮守府将軍・大野東人が軍事輸送の為、色麻柵より出羽国に至る、通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れました。将軍は病気の陳伏と、工事の完成を祈願する為、薬莱山頂に、医薬の守護神『大己貴神』『少彦名神』の二柱を主人祭神として祀り、無事工事を終えたと伝えられ、これが当社創建の事となっております。
 延暦二十三年(804年)になり征夷大将軍・坂上田村麿が東征の折、薬莱山頂に「日吉二十一社」の内より薬師三社を勧請し、同時に上野目大宮に大宮大明神(現在の里宮)、本郷の地へ八王子一社を奉祀して東国安泰、万民康楽を祈りました。」とあります。
 ですから薬来神社の御祭神は大己貴神と少彦名神ですが、他を調べてみたら本殿の御祭神は「現葉々樹大神威 (アラハバキノオオカムイ)」とあります。えっ、これはと驚きでした。ここでも大和朝廷の神による差し替えがあったようです。
  次は程近い、延喜式内社の飯豊神社です。鳴瀬川の神石橋を渡り、川沿いに参道を登ると社殿があります。本殿脇に二つに割れた巨石と杉の巨木があります。創祀年は不詳ですが、700年頃とあります。当初は社殿を持たず、大石を御神体として祀ったため、通称は、石神様と言われたようです。その大石を囲んであわ歌を響かせました。
「とても美しきこの大きなる頂きは輝きわたる地であった。永き年月、多くを失い、かかる姿と相成ったり。是より光頂きて、戻り行く行く思いは募る。共々皆々参ろうぞ。(拍手)
 嬉しきなり新しきへ向かわれませ。」

 日暮れと共に寒さが増してきて寒風が身を刺します。早目に切り上げて最後の目的地に向かいます。
 
 車中で中山さんの質問にあったお言葉です。
「私の大きなる思いに付いて
 光の話を続けております。この身には何も見えておりませんし、現れておりません。これではどのような事か分かりません。しかし確実に進んでおります。皆々様を世に導く為にこれからの光が現れることを思いております。この地の皆々様にはっきり分かる事を。」
 これに対してのお伝え
「お知らせ出来ることは少なきが、光のその事申します、写し行く是よりの光の中に変わりて現れる光を送り、生み出だし、分かる物と成りましょう。今も一部には分かる光と成りております。繋がりて頂きて現して下され。光の美しきを見られます。」

 今年2月17日の地元紙に大和町に支倉常長の墓があるようだ、という記事がありました。
もし事実ならばと足を運び、雪が融けた3月半ばに所在を確認出来ました。中山さんを同行してその内容を確認したいとの想いで日暮近い中に訪れました。そこでのお言葉です。
「今に繋がりたるその方の真の身にはあらず。美しきその方を慕いたる身の方なり。一つと成りて永き時静かに埋もれて参り来た。このこと知られて騒ぎては真に迷惑、ここに只々在りて信じるところの身元にあり。只々なればこれで宜し。ありがとうございます。」

 静かにその地を辞して仙台駅を目指しました。
 
 その車中にお言葉がありました。
「再びの旅生み出だす。遥かな夢見失うまいぞ。その姿を輝き、美しき満ちたる光の中を行く大きなる思いは、皆々様の明るき、暖かき、嬉しきなり。」
 ありがたきお言葉で締めくくる事が出来た、穏やかな暖かいありがたきこっそりの旅の一日でした。締めくくりに仙台駅で食事をして皆様とお別れしました。
次回は5月5日の連休に大和を中心に中山さんと巡りますが、きっと濃厚な時間と成る事でしょう。更には7月7日を中心に日高見の聖地繋ぎno3で山形山寺、蔵王、会津、磐梯を巡ります。そして9月9日を中心に淡路島から四国へと更に旅は続き、あわ歌の響きは拡がります。