ゴールデンウイークも終わりました。前半の神人さんのセミナーから始まり、あまりにも盛り沢山な、しかも内容の濃い体験ができました。そして5月5日で新たな展開の始まりでした。
4月30日は大和農場のあるお不動様の宵祭りでした。部落の方々が集まり夜を徹してお祭りをしてお祭り当日を迎えます。5月1日は農作業も含めてお休みをするならわしの様です。私達はお酒等のお供え物をさせて頂き宵祭りには参加しませんでした。
この大和町に聳え立つ舟形山はこの地の中心です。5月1日には舟形山神社の年に1度の大祭、梵天ばやいがあります。神社に付いては以下の表記があります。
「創祀年代は不詳。一説には、反正天皇の御代であるという。
社名の如く、当社の西に聳える船形山を遥拝する神社であり、保食神を祀る古社。
『式内社調査報告』によると、『舊神祠記』に、当社(舟形山大権現)が式内社・行神社と記されているらしい。
当社の例祭は、作祭あるいは御開帳と呼ばれる特殊なもの。長さ2メートルほどの青竹に紙垂を数多く挟んだ「梵天」を社殿に奉納し、本殿より更に奥の岩窟(場所は秘匿)に安置された御神体(渡来仏)を薬師堂に納めて行われる祭。
祝詞奏上が終わると、御神体が開帳され、その湿り具合で、今年の天候を占うと言う。開帳が終わると、「梵天」が参詣者の中に投げ入れられ、激しく奪い合う「梵天ばやい」は、県指定無形民俗文化財。」
私達もこの大祭に参加してきました。お祭り開始の正午前に駐車場に着きましたが既に貸切バスを始め沢山の車が止まっています。鳥居から30分ほどの山登りです。かなり急な斜面をロープやチェーンを助けに登りきると境内には既に100名弱ほどでしょうか沢山の方々が集まり、御神体の到着を待っていました。2社のテレビ局の取材カメラが入っていて県指定無形民俗文化財の注目度も高いようです。程なく禰宜さんが林の中からご神体の入った箱を持って現れました。
神主さんが祝詞を奏上し儀式の後にご神体は薬師堂で御開帳して頂きました。御神体は高さ15cmの金銅菩薩立像です。
その謂われについては以下の記載がありました。
「北魏時代の様式を残しており、北魏の影響を受けた朝鮮三国時代(6世紀中頃)の製作と推定されており、日本への仏教公伝前後に渡来人によってもたらされたものと思われるが、どのような経緯、ルートで当神社に安置されるに到ったのかは全くの不明である。」
開帳時の本尊の湿り具合は乾いていて、今年の天候は冷夏で不作とのことでした。梵天は今年は5本用意されているようですが例年より少ない本数の様です。お神酒の振る舞いがあり頂いて、梵天やばいが始まる前に私達は下山してきました。ところどころに雪が残りますが春の息吹が感じられ清々しい良い汗をかきました。始めて訪れた舟形山の自然の活力を十分に頂いてきました。
御開帳頂いたご神体は2時間の後に又山の中の土の中か岩の秘所の戻され、来年の5月1日正午まで静かに安置されるとのことです。
御開帳頂いたご神体は2時間の後に又山の中の土の中か岩の秘所の戻され、来年の5月1日正午まで静かに安置されるとのことです。
大和農場で遅い昼食を頂き、後はこまごました作業で過ごしました。私は前回のやり残しの畑の中にあった古木の根の掘りだし作業をしました。残っていた根を鶴嘴で切り裂き、どうにか独力で掘り出し成功でした。心地良い汗と達成感で満足です。
その後は大和亭の中の整理やら5月3日からの中山博さんとの「まほろばの里、天地人三昧の集い」の準備をいました。なにしろ4日の夜は初めて大和亭で宿泊する予定ですから寝具やらカーテンやら万端整える必要があります。名取農場の高柳亭に最初の宿泊の時も中山さんに御願いしてご一緒頂いていたので、今回も満を持してこの時を待っていたのです。
5月2日は中山さんは山形から仙台に移動でしたが、白石市に寄られて何か所かであわ歌を響かせたようです。夜にお会いして食事を共にしましたが、翌日からの集いは私が最初から想定した通りで、参加者がテンメイの仲間だけです。大和農場、大和亭の実質的な幕開けの集いになるようになりそうでとても楽しみだというお話をしました。その時に中山さんからは白石市での事をお聞きしました。
白石市では白鳥神社参拝の時に以下のお言葉がありました。
「ある日、ある時、大きなるこの地に湧きあがり来るその岩、白き大きく輝きわたりて、この地を大宇宙に知らせるものなり。古き時、輝きてありたり。是より皆々光の柱と成り行けば、再び光を発します。」
それは白石のことと想い案内のIさんが市内中心部のお城近くにある「神石白石」を巡られたようです。白石の地名の由来と言われるその石は土面から少し出たもので、灰白色のやや柔らかい凝灰岩です。地上に出ている分は少しでも、実は根が非常に深くて遠く根白石(仙台市)までつながっているという途方もない巨石と言われているとか。しかしその白石は今は曇りがあり白く輝く石には程遠いようです。
5月3日は良い天気に恵まれました。総勢8名が仙台駅8時半に集合し、大和町に向かいます。皆さんも農場には頻繁に行きますが、それ以外の場所を巡ることがありません。今回はそんなところをのんびり訪れました。
車中で中山さんから今回の集いに付いての問いかけが成されました。
「新しきは何処にあるや。集いて参ること成るや。遥かに大きな身を立てて集いて参ること成るや。たまらず起こす大きなる事々たまりてここにあり。新しきを知らせませ。」
それへの答えは以下です。
「尋ねられたる新しきは是より光を届け、そこにおらるる方々共々、ご自分が変わりて成すものなり。受け取られませ光を。」
あまりはっきりしない感じのものでしたが後でこれも頷けるものと成ります。
大和町宮床地区は伊達政宗公の孫にあたる宗房が治めたところです。宮床伊達氏に所縁の宮床宝蔵を見学しました。次に信楽寺跡です。ここは平安時代に慈覚大師が開いたと伝えられている勅願寺の跡です。ここは桜の名所ですが桜も見頃を過ぎて寂しげに散っていました。石畳の奥にあるお堂の前であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「それまでになさりて参らせませ。この地この時、全てを預けて新しきへ向かわれませ。光と共の遥かな旅、この時なるなり。(拍手)
届けたるは受けたり。光を大きく白きとなりてここにあり。共々参る。」
駐車場から少し奥、撫倉山の方に古民家を改装した喫茶店、モカモアカフェがあります。10時のほっと一息、寛ぎタイムを皆さんで満喫しました。開店早々で貸切です。お店の店長のお犬様は小屋でお休みでしたが次々とお客が来ます。このあたりでは知る人ぞ知る、お店の様です。
次は一山東側で程近い鶴ヶ峰八幡神社です。宮城、黒川両郡随一の古い神社で、かつては一宮といわれたとのことですがその面影はありません。ここでもあわ歌を響かせました。
「大いなるかなこの響きに乗り来る光。皆々直ちに働きてそれぞれ変え行くなり。しっかり響かせこの時に十分なる光を受け取られませ。」
石神山精神社は中山さんは何度も訪れています。今回はそこの本殿脇から少し登った麓城跡が目的地です。大きな山桜の周りであわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「光は只今、小さき粒と成りて参り、この身に入りて、多くに分かれてそれぞれその身と繋がりて、その身を変えて動かして、やがて変わりて新しきへと成り行きます。響きて下され。それぞれがその身に光は入り行く。進みて輝く身を作る。」
展望所からの眺望が素晴らしく、舟形山、達居森、集落、代掻きをして水を張った田んぼ、田植えに勤しむ方々など春の吉田地区が一望できます。この地は古くから重要な処、聖地だったようです。舟形山から吹き下ろされる風に木々の若葉が揺れ、肌を打つ心地良さで暫し時を忘れ、うたかたに夢巡りますます。
昼も過ぎ南川ダムの七ツ森湖畔公園でトイレ休憩をしていよいよ我々の大和農場、大和亭に向かいます。