2024年12月31日火曜日

3658「愚痴に気づく」2024.12.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月18日の記事を紹介します。


「愚痴に気づく」


今日は小林正観さんの、「愚痴に気づく」というお話をご紹介します。

斎藤一人さんもそうですが、 

正観さんのお話は、人々の心に届けるために、

敢えて

・分かりやすく平易な言葉

・お行儀のよくない言葉

・上品に聞こえない言葉

・粗野に聞こえる言葉

を使うことがありますが、どうぞ言葉尻にとらわれずに

その言わんとしている真意を汲んでくださるようにお願いいたします。

<引用開始> 引用元 

人間は、8時間労働を1として、16時間働く人で2人分、

24時間労働する人でも3人分しか働けません。

土日休みを返上して働いても5人分が限度でしょう。

人間対アリの関係を考えてみます。

人間の身長を150センチ、大き目のアリで1.5センチとすると、百倍の違いがあります。

すごく働き者だけれども、周りのアリにトゲトゲしながら、

「自分は3人前働いているのに、あなたたちは全然働かないじゃないか」と怒鳴っているアリがいます。

その百倍大きな力を持っている人間が、このアリは調和を乱しているよねと思い、

このアリをピンセットでつまんで、3メートル先に持っていったとします。

百倍大きな存在から3メートル先まで運ばれたことに、

このアリは気がつきません。

このアリはとても興奮しながら巣に帰り、

「周りの景色が一瞬で変わったんだよ」と話すことでしょう。

百倍大きな存在が、全然認識できません。

私たち人間と神様の大きさの違いは、百倍どころではないようです。

人間が考えた数字は、10の68乗(無量大数)までです。

神は、10の68乗以上の力を持っているのでしょう。

この神様に気に入られたら、とても楽しい人生になります。

ただし、神様は、ある方程式に沿って生きている人を非常に応援します。

その方程式を使いこなす人には、味方についてくれます。

神は、気に入らない人に対して、嫌がらせや、復讐することはありません。

ただ、支援をしないだけ。

自分の力ではなんとか5人分の力を出すことができますが、

10の68乗人分の力を出すことができません。

がんばって5人分働くよりは、神を味方につけたほうが「得」です。

神様に味方になっていただくには、目の前の現象について、

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。

そして、目の前に起きる現象について、

・嬉しい、

・楽しい、

・幸せ、

・愛してる、

・大好き、

・ありがとう、

・ついてる

という言葉を言い続けると、

目の前の人も、神様も、宇宙、地球、すべてが味方になってくれます。

親が倒れて5、6年介護をしている人がいます。

その人は5、6年介護をしているあいだに功徳がたくさん溜まっていきます。

ところが、せっかくいままで労力を使って功徳を溜めてきたにもかかわらず、

「なんで私がこんなに苦労をしなくちゃいけないのか」と愚痴を言った瞬間、

溜まっていた功徳がチーンと音をたててゼロになってしまいます。

一般的にいうと、大変なことをやらされているときには、

神がその人を見込んで、その人にポイントをあげているときなのです。

愚痴などを言った瞬間にゼロになってしまうのは、

あまりにも辛いものなので、神様と約束をしました。

それは、愚痴を言ってしまった10秒以内に

「ナシ、ナシ」というと、大丈夫という取り決めです。

愚痴などを言わないようにするには時間が必要ですが、

愚痴を言ったことに気がついたら99パーセント解決したことになります。

どうも、「気がつくこと」が重要なようです。

私たちは自分の力で生きていると思いがちですが、自分の力はないに等しく、

神様(目に見えない存在)に支えられて生きているのではないでしょうか。

<引用終了>

神様に味方になっていただければ、無敵ですね。

どんな状況になろうと、安心して信じていられます。 

その秘訣が、

目の前の現象について、

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。 

そしてどんなことが起きようと、 

それは神様が私たちの魂を輝かせるために下さった現象であること。 

つまり、その現象に対して

嬉しい、楽しい、幸せ、

愛してる、大好き、ありがとう、

ついてる 

という感謝の言葉を投げかけること。 

これだけです。 

愚痴が口癖になってしまった方は、 

気づいたときに、反省し、意識して言わないようにするだけで、

大分、神様に好かれ、運気が上がるようです。 

一度、試してみませんか?


2024年12月30日月曜日

3657「死を選んでも良いですか?」2024.12.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月17日の記事を紹介します。


「死を選んでも良いですか?」


今日はショッキングな題名ですが、

小林正観さんの「投げかけ」とは・・からご紹介します。

いま、自ら命を絶ちたいとお考えの方に向けたメッセージです。 

<転載開始> 転載元

それまで一度も会ったことのない人から

こんな質問を受けることがありました。 

毎日が楽しくありません。 

死んでしまいたいのですが、

自殺してもかまわないでしょうか?

初めて会った方なので、

その人がどういう人生を歩んできたのか、

私はまったく知りません。

その人の精神に関して

私がとやかく述べる立場にはありませんし、

そんな資格もありません。

そいういう質問をされたときの私の答えは必ず同じものでした。

「生死に関して私がとやかく述べる立場ではありませんが、

一つだけ質問があります。 

あなたは今まで『投げかけ』をしてきましたか?」

その問いに返ってくる答えは、必ず決まっていました。

「『投げかけ』って何ですか」

周りの人に喜ばれるように

自分が生きてきたならば、 

同じように周りの人が

自分を喜ばせてくれるような状況で

その人は生きているはずなのです。

しかし「投げかけ」をしてこないから 

・何も楽しいことが起きず、

・楽しい状況ではなくて 

生きているわけです。

「死んじゃいたい」というのは、

「楽しいことが何もない」ということを言っているのです。

人間は喜ばれるとうれしい

という本能を神様からいただきました。

喜ばれるように生きれば生きるほど、自分の中に喜びが湧いてきます。

喜ばれたその瞬間に自分の喜びが得られるのですから、 

十分に対価をいただいているわけですが、

その喜ばれるという状況を投げかけた結果として、 

さらにその数年後、自分も喜ばれる状況に囲まれることになります。

つまりダブルで喜びがいただけるのです。

「喜ばれるとうれしい」+「同じ状況に自分が囲まれる」

ということです。

温かさに囲まれたい人は、温かさをたくさん投げかければいいのです。

やさしさに包まれたいのであれば、やさしさをたくさん投げかければいいのです。

不機嫌に囲まれたいのであれば、どんどん不機嫌を投げかければいいのです。

嫌みや皮肉の言葉に囲まれたいのであれば、

嫌みや皮肉をたくさん投げかければよいのです。

宇宙の法則はとても単純で簡単です。

とてもわかりやすい仕組みになっています。 

<転載終了>

日々の暮らしの中で周りの人から 

・ひがみや

・嫉妬

・悪口、陰口

・根も葉もない悪い噂

・一面だけを見た、「悪い人」のレッテル張り 

様々な 

・嫌なこと、

・胸の苦しくなること、

・憂鬱になること

・悲しいこと 

をされることもあります。

ですが、そのような人たちも、あえて、その悪役を引き受けて、生まれてくださいました。 

正観さんは、そのことを次のように説明しています。 

<引用開始>

人生で出会う全ての人100%が

「あなたはえらい。好きなようにやりなさい」とか 

「あなたは全て正しい」と言ったとしたら、

どんな人もいい気になり、

うぬぼれて傲慢になり、自分を見失い、ダメな人間になるでしょう。

逆に、出会う人全て100%が

「あんたは駄目だ」

「それじゃあいけない」

「間違っている」

「何とかしろ」と言い続けたとしましょう。

言われたほうは委縮し、自信を失い、やる気も失ってやはり駄目になることでしょう。

では、最も確実に人を成長、向上させるのは…。

そうです。

温かい言葉や環境50%、

冷たい言葉や環境50%、

それが最も人間を向上させる。

ですから、人生は常に、

温かい側の人50%、

冷たい側の人50%です。

そのように自分で設計し、

それぞれの人にお願いし、

居てもらったのです。

<引用終了>

嫌な上司や、同僚、友人、言うことを聞かない家族は、どこの世界にもいます。 

ですが、それにいちいちへこんでしまい、根に持って、自分の心に、毒をため込み

憎しみの心や、仕返しの心

を醸成してしまっては、元も子もありません。 

せっかく、魂を輝かせるために、悪役をお願いしてきたのに・・・ 

ですが、そのような人たちの行動を止める方法もあります。 

正確に言えば、役割の「目的を完成させてしまう」ということです。 

彼らの目的とは、私たちの前に立ちはだかり、

まるで砥石(とぎいし)のように私たちの魂を磨き、輝かせることです。 

そして、魂の輝きとは、私たちの心が「感謝の心」になったとき、輝きだします。 

悪役の方々の一面だけを見て憎み、恨むのではなく、 

どこか良いところを見つける努力をすることです。 

鬼心ではなく、仏心だけを見つめることです。

そして、その部分だけを、クローズアップしてそこに感謝すること、

「ありがとう」の言葉をかけることです。 

その時、私たちの魂は、輝きだすと同時に、悪役をしてくださった皆さんも

「喜ばれるとうれしい」という、本能を持っていますから 

魂が共鳴して嬉しくなるのです。

暖かな気持ちになるのです。 

そうなった時、その悪役のお役目は終わります。

目的であった魂が輝き始めたからです。 

その後は、悪役という役割を終え、その方々も、美しき心に満たされ、 

味方に変わってくれることでしょう。

感謝の心、言い換えれば、神さまの心には、

このように強い力があります。 

是非、みなさんも経験なさってみてくださいね。 

2024年12月29日日曜日

3656「神々が望むもの」2024.12.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月15日の記事を紹介します。


「神々が望むもの」


私たちは、肉体が自分自身だと思っていますが、 

しかし本体である魂は、同時に多次元に住んでいます。 

多次元とは、肉体の無い世界、物質世界を包括している

非物質の世界(黄泉の国)でも、同時に存在しているということです。 

就寝してしまえば、意識は肉体の縛りから離れ

非物質の世界にフォーカスを移すことができますから、 

黄泉の国と言うよりも、非物質世界を自由に行き来しています。  

目覚めると、再び物質次元にフォーカスされますから、その間の記憶はありません。 

記憶とは、ステート・スペシフィック・メモリー。 

つまり「状態特有の記憶」だからです。(心身が同じ状態になった時に思い出される記憶)

私たちは、どの次元に意識をフォーカスさせるかによって、繋がる次元が異なります。

高い波動(意識)状態であれば、神々の世界に繋がるでしょう。 

また意識の状態によっては、

僧、源信の『往生要集(おうじょうようしゅう)』の描いたような地獄霊たちの世界や、

修羅の世界に繋がることでしょう。

・人を憎んだり、恨んだり

・嫉妬したり

・悪口、告げ口、揚げ足をとったり

そのような心でいては、生きていても死後も、心と同じ世界 、

醜い世界に繋がることでしょう。 

私たち人間は生きている間は、見えない世界はわからないために、

自分と繋がっている世界が、唯一で、かつ真実なものとみなしてしまいます。 

ですが、一人一人の波動が異なるように、繋がる世界も千差万別です。 

私たちが繋がる世界、つまり私たちの波動を決めるのは、私たちの心の状態です。 

心を澄ませ、日本固有の素晴らしい文化、

DNAに刻み込まれた性質である、共生と感謝の心を取り戻せれば、

きっと、高い波動領域にフォ-カスすることができることでしょう。 

この美しい日本の文化を作り上げるために、神々は何億年もの歳月をかけました。 

最初のビッグバンから数えれば150億年かかりました。

私たち日本人は、生まれながらにして

縄文の先祖たちから受け継いだ、この素晴らしきものを持っています。 

ブッダが2,500年前に悟った時、一番最初に気づいた宇宙の法則は

縁起の法則であったそうです。

この縁起の法則こそ、私たち日本人が

縄文の昔から、既に持っていた心(共生と感謝の心)なのでした。 

宇宙にちらばる生命体は、地球にあこがれ、転生を望みます。

地球転生が約束された魂は、日本への転生を熱望します。 

まさに、日本人のDNAの奥底に、この神々に直結する美しい心があるからです。 

私たちは、何度も何度も転生を繰り返し、

外国に生まれもし、そして今はこの日本に生まれました。

ですので私たちだけが偉いわけではありません。

私たち日本人は、ずっと何万年もみんなで仲良く、助け合い生きてきました。 

共生してきたのは、

・人間同士だけではなく

・自然

・黄泉の国に帰った人

・そして神々でした

こんな民族が地球上にいるでしょうか? 

3万年前の氷河期、この時今よりは海面は100mの下にありました。

このため、日本は大陸と陸続き、色んな民族が混ざり合いました。 

そして、2万年前、地球の温暖化が始まると

氷が解け、海面が100mも上昇し、日本は大陸から分断されました。 

その結果、島国となり、大陸で頻繁に起こった侵略戦争などは無縁のものとなりました。

平和な時代が1万年以上続きました。

また、日本は4つのプレートが交わる地域にあります。

(神々が、世界の中に日本と言う文化を作り上げるために、あえてそうしたからです) 

・北米プレート

・ユーラシアプレート

・太平洋プレート

・フィリピン海プレート

そのため、その沈み込む圧力で沢山の山脈ができました。  

その結果、川が出来、清浄な水が豊富な国になりました。 

また緯度の関係で、日本には美しい四季が生まれました。 

・自然の緑の美しさ

・秋の虫の音色

私たち日本人は、これらを愛でる心が生まれました。 

外国には無い物です。(単なる雑音に聞こえるそうです)

(自然や動物は、共生ではなく、支配するものとされました) 

まさに、多くの転生の中で、日本人に生まれることは

当たり前ではなく、有り得ないほど、ありがたいことです。

今、ここ日本に誕生させていただいたことに感謝いたします。

そんな神々に、私たち人間が恩返しできることはないでしょうか?

神々は、何を喜ばれるでしょうか?

・お酒でしょうか?

・卵でしょうか?

・お金でしょうか?

それは、私たちの自分自身の波長によって

繋がる神さまも様々ですから様々あるかもしれません。 

ですが、神々の中の神様、大神様はどうでしょうか? 

地球創世の神、国常立大神は何に喜ばれるでしょうか?

きっと神さまが望むことは、私たち人間たちが 

・素直な心で

・互いを思いやり、助けいあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで

仲良く笑顔で暮らしていく、そんなことではないかと思うのです。 

それこそが、神々が私たち人間に、一番望んでいらっしゃる心ではないかと思うのです。 

そして、その心こそが、神々のエネルギーの源泉であり、

神さまと人間たちが、共に幸せになる道だと思うのです。 

・神さまから一方的に何かを頂いたり、

・不思議な現象を見せて頂き、好奇心を満たしたり、

・それを自慢し、人に羨ましがられたり、尊敬されたいと言う欲を満たしたり

・私は神さまと繋がっている特別な人と、周りの人を支配しようとしたり

神さまは決して、そのようなことを良しとなさる方とは思えないのです。

神社に行くと必ず、神殿の中に鏡が置いてあります。 

鏡は、私たち自身の ありのままの姿を映し出すものです。

神道の本質は「鏡」にあるとも言われています。 

神社の社殿の鏡は、参拝する人自身の姿を映し出すとともに、

その人の自分の中にある神さま、

つまり、自分の本質、本当の姿を思い出し、自覚する場所でもあるからです。 

鏡に映るのは、自分の中に居らっしゃる神さまの姿です。 

この鏡の前に座り、敬虔な気持ちで手を合わせ、祈る時、神さまと私たちは繋がります。 

そして、神さまの前に素直になった心そのもので自分の周りに居てくれた人たち、

家族、友人、同僚、そんな人たちに感謝と、祈りにも似た気持ちで接することができれば、 

神々は喜び、今度はそこで、その場において

私たちと神々のエネルギー交換がなされることでしょう。

その時、私たちはきっと気付くはずです。 

・私が好きな人も

・私が嫌いな人も 

・私を好きな人も

・私を嫌いな人も 

みんな、みんな大切な人だったと。 

かけがえのない人だったと。 

溢れる感謝の気持ちと共に。 

私たちは、人の 嫉妬、やっかみ、悪意には鈍感でも構いません。

ですが、人の優しさ、温かさ、思いやり、愛情には敏感でありたいものです。 

なぜなら、そこには、心の中には神さまがいらっしゃるからです。

その心のことを 神さまと呼びます。 

あなたの繋がる世界は、どんな世界ですか? 

今のあなたの心は、どんな色をしていますか?


2024年12月28日土曜日

3655「青空ひろば」2024.12.28

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1384 2024.12.20 

恐らく、体が冷えていると寝付けないという状態なのでしょう。ですから、夜食で体の内側から温めようとするのでしょうね。

少し汗をかくくらい運動して、それから温かいお風呂に入ってそのまま寝るという生活リズムにすれば眠れると思います。

私の場合は、歳をとってきて眠りが浅くなって、夜中に眼が覚めて、その後眠れなくなるということがたまにあるのですが、そんな時、坐禅を30分ほどしてから横になると、いつの間にか眠ってしまっています。本当に坐禅は、副作用のない、最良の睡眠薬だと思います。有難いことです。


1383 2024.12.19 

とてもよく心理状態の分析をしておられて感心しました。ずいぶん頭の良い方ですね。その分析力は貴重な財産です。これからもしっかり育てていって下さい。きっと「いい人生道の教師」になられると思います。

ただひとつだけ、お忘れのなっていることがあります。

それは、人間は無力で、無知で、自らの願いを叶えるだけの力も、智慧も持たないということです。だからこそ、神や仏さまに、最後はお任せするしかない存在なのです。

 努力は必要で、あれこれ工夫して、神に願いがどうすれば届くのか実験してください。しかし、やるだけやったら、もう最後は願いが叶う、叶わないも含めて、神さまに「まる投げ」すればいいのです。叶っても、叶わなくても、それは神さまの愛の表れ、きっとあなたにとって、それが「最善・最高」の結果なのだと信じることです。 

そう信じて、決してイライラしたりしないし、困ったとか思わないし、神を恨んだりしない、平安な心境になれたとき、あなたが望んでいたこと以上の、もっともっといいビッグサプライズプレゼントをきっと神さまが下さいます。


1382 2024.12.18 

おっしゃる通りですね。「一体のいのち」のことがよく分かっていらっしゃいますね。素晴らしい「悟りの芽生え」をお持ちです。その「悟りの芽」を大切に育てて下さい。それを「聖胎長養(せいたい ちょうよう)」と言います。

私が今飼っているイヌは、ボストンテリア十歳のメス、名前は「モン」です。鼻ぺチャのブサカワいいイヌです。

散歩していると、よく人が寄ってきて可愛がってくれます。不思議なことには、うちのモンは、ヤンキーのお兄さんやお姉さんにとても人気があるのです。

うちのイヌを可愛がってくれている場面の彼ら、彼女らの無邪気な笑顔は本当に美しいなあと思います。ツッパリの囲いなんて本当はないんだなあ、ワザワザ無理な努力をして「幻想のツッパリ囲い」を作っているのだなあと、しみじみ思います。

私も、そしてあなたも、「モン」のように、無邪気にふるまっていながら、なぜか人の「自我のツッパリ囲い」を自然にほどいてしまう人(ほどけ様)になりたいですね。


1381 2024.12.17

私が皆さんに繰り返し説いているのは、実は「あなた」が釈迦だったのですよ、イエスキリストも実は「あなた」だったんですよということです。

いのちはひとつなのだから、過去の、現在の、未来の、すべての人が実は「あなた」なのです。

それが分かれば、特定の人が釈迦やイエスだといって崇拝したり、特別視したりするのはおかしいということがお分かりになるはずです。 

それに、そんなイエスキリストの生まれ変わりだと主張する方に、「本当はあなたはユダだったんではないですか?」と尋ねてごらんになって、その人がそれを否定して怒るようだと、その人はきっとニセキリストです。

「いのちはひとつ」なのですから、イエスであるその人は同時にユダでもあるはずなのです。そんな「私のなかにユダがいる」ということも認め、受け入れ、愛し、抱擁してゆくようになれたのが「本当のイエスさま」なのです。

 

1380 2024.12.15 

私の場合は、禅の師から紹介されて、はじめてその女性(現在の妻です)に会った時には、もうすでに結婚すると決めていました。私のような定職がない男と、よく思い切って結婚して福岡から大阪まで来てくれたものだなあと、今考えてみると本当に不思議です。女性は大胆で強いですね。

 結婚してから占いで調べてみたら、相性はお互いを傷つけあう関係で最悪、また私は短命の相、妻は後家の相と出ていました。

 それで、その運勢が示す通りよく衝突しましたが、お互い思い返し、思い返しして、気分を変え、悪いことはすぐ忘れる努力をして、ここまでたどり着けたのですから、妻も私も、よく頑張ったね合格!とほめてあげたいと思います。それに、どんな悪い運命であっても、必ず好転出来るんだということを実証できたと思います。

 あなたの場合は、結婚することにもっともっと本気になって、そのためにやれることは何でもがむしゃらに積極的に取り組もうというぐらいの姿勢が大切です。そういうひたむきな努力をやっているうちに、次第に結婚するぞ!という覚悟がしっかり定まってくるのです。

 『いい結婚ができますように』と、お経を称えるのもいいですが、「足運び法」がこの場合有効だと思います。氏神様・産土様(もよりの神社)に何度もお参りして、いい人とご縁が出来て結ばれますようにと祈ります。

 そうすると、足運びの回数を重ねるごとに、きっといい結婚が出来るゾ!という確信が強くなってゆきます。そして、ついにそんな「お願いの祈り」が昇華して、『神さまのみ心のままに』という、「全託の祈り」になってきます。

 そんな安らかな、神さまにすべてお任せするという気持ちになれたなら、もうしめたもので、神さまも『愛(う)い子じゃ、こりゃ、頑張って相手を見つけてやらにゃ』と全力で相手をさがして出して下さいます。


1374 2024.12.07 ~ 1379 2024.12.14(前日の続き)

[1]黒住宗忠公の歩み

<伝記>

33歳 両親が相次いで痢疾を病み、亡くなる

34歳 悲観の末、病に倒れる(労咳→結核)

35歳 容態悪化し、医者も匙を投げる

35歳1月 死ぬ覚悟を決め、死んだら神になって、自分のように病に苦しむ人たちを救う者となろうと誓う

35歳1月 自分は父母の死を悲しんで「陰気」になったために、「心」を傷め、大病になったのだから、「心」さえ「陽気」になれば、一転して病気も治るはずだと気づいた。せめて、残る息のある間だけでもそのように「心を養う」のが親孝行だと思い定めた。以下の行の実践で快方に向う。


<宗忠公の心を養う行>

① 感謝行(生かされていることのありがたさを感じる)

② お神酒(三き→三つの<き>)行→「有り難<き> また面白<き> 嬉し<き>と <みき>をそのうぞ(供うぞ)誠なりけれ」

③ 和来(わらい)行(微笑み、笑う行)

④ 味わい行(見るも聞くも一々深くしみじみ味わってゆく)

⑤ 日拝百日行(日の出の太陽を100日拝む)  (続く)


<宗忠公の天命直授(てんめい じきじゅ)>

35歳3月19日 入浴して日拝したいと言い出す。妻はとめたが、入浴を期に一気に全快した。

35歳11月11日(冬至の朝)<天命直授>

日拝して祈っていると、太陽の陽気が身体全体に満ち渡り、肺腑に照り徹るような気がした。身に迫ってくるその一団の温かい玉のようなものを、しっかりと胸におさめ、まるごと呑み込んだと思うと、何ともたとえようのない、さわやかな、よい気持ちになった。

→「天地生々の霊機(いきもの)」を自得した。「天照大神と同魂同体となった」

35歳 下女がにわかな腹痛→腹部に手を当て、陽気を吹きかけたところ、腹痛はたちまち癒えた。これより、多くの病人が押しかけるようになった。


[6]宗忠公の癒しの実例

① 手当て ② 陽気を吹きかける ③ 祈り ④ コトバの力

<慢性病から回復>「人は生きものは心ばかりで、肉体は心が活かしているのですから、心を清水のように澄ますときは病はありません。病は心を濁したから生じるのですから、心さえ澄ませば直ちに病は消えうせるのです」と説く→全快した。

 <26年越しの溜飲(のどが詰まり飲食出来なくなる病気)で必死の状態>「形は病に任せて心は天照大神と御一体という心になりなさい。今より心だけはさっぱりと平癒なさってください。そうすれば形も直ちにお治りになるでしょう」→平癒し、元気に出勤出来るようになった。

 <末期の門人>「天てらす神の御心人心 ひとつに成ればいきとうしなり」

という歌を説き聞かせたところ、苦痛を忘れ、それより快方。前代未聞のこと。

<長年の病気をクドクド嘆く人に>「そうですか。それは貴方は病気に負けておられるということですね」→その一言で全快

<笑う修行をすすめる>肺病の人「長々の御病気でお困りでしょうが、そのように陰気になっていてはおかげはいただけません。今日より神前で御拝をするたびごとに、つとめて笑う修行をなさってください」→全快した。

 <婦人病の女性>18年間の難儀、長らく黒住家に滞在したが病気が治らない。

失望して暇乞い。宗忠公に「祈りとも しるしなきこそ しるしなれ 祈る心に誠なければ」と諭される→深く詫びた途端に病を忘れ治った。

 <ライ病にかかった高禄の藩士>「ただ一心に有難いを百遍称えなさい」と指導→治らない→「では、一心不乱に千遍ずつ称えなさい」→治らない→「では、一万遍ずつ称えなさい」→7日目に発熱吐血して気絶。目覚めれば治癒していた。


[2]宗忠公の和歌

○ 天てらす神の御心人ごころひとつになればいきとふしなり

○ 有りと見て無きこそおのが姿にてなき姿こそ生きとふしなり

◯ 有る物は皆吹きはらへ大そらのなきこそおのがすみか成りけり 

○ 日々に朝日に向かひ心からかぎりなき身とおもふ嬉しさ

○ 水中(みななか)にをし出す船に乗移りかぜにまかせて行くぞたのしき

○ たのしみも我が楽しみとおもふまじ ただ天地の楽しみにして

○ むづかしくおもふ心ぞ地獄なり やすく嬉しきこころごくらく


[3]宗忠公の書簡

・おそれながら、ご自身をご自身と思われず、天地のものと思われればただありがたいばかりになります。

 ・お心に歳をよらせず、万事天地自然にうち任せて、いつまでも「子供の心」を離れず、形のことはお忘れになって、お暮らしになれば、自然とおかげは現われましょう。

 ・行くも帰るも生も死も天地。

 ・何事も何事も、一切天にお任せなされれば、まことに不思議とうまく参るものです。

 ・形は病気に任せ、心は天照大御神と一体という心になりなさい。心だけがまずさっぱり平癒されたら、形も自然と治ってしまうでしょうと話したところ、不思議なるかな、26年の病がその場でお治りになって、まことに夢のようです。

 ・大難と思っていたことも、天命のままにお任せしていれば、結局は有難いことだったんだとなることがよくございます。ここを考えると、 「難有り」が「有り難し」なのです。

・ 心ひとつ開けますと、一つも苦しみはありません。何につけても楽 しく、ありがたいことばかりです。

・みな天のなさることですから、何事も勤まらないということはございません。


2024年12月27日金曜日

3654「心を受け取る」2024.12.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月12日の記事を紹介します。


「心を受け取る」


誰かが何かをプレゼントくださった時

もしそれが、自分の嫌いなものだったら「なんでこんなもの」と嫌な顔するのか?

それとも、相手の方の心をおもんばかり、

その人が プレゼントを選ぶ時

・私の笑顔を想像して、選んでくれた物であるから

・私の喜ぶ顔が見たいと思ってくださったから

と物ではなく、相手の方の、その心を受け取って、笑顔で喜んで、それを受け取るのか? 

あなたはどちらですか?

その時は嫌な顔をしなくとも、相手がいなくなった途端

ゴミ箱行き・・なんてことはありませんか?

今日は、このことに関して、ブッダのお話をします。

ブッダが亡くなる直接的な原因は「毒キノコ」でした。

<引用開始> 引用元

翌日のこと、仏陀はアーナンダと数名の弟子を連れて、鍛冶職人のチュンダの家に向かった。

仏陀たちは、作法に従って、席についた。食卓には、地方の村にしては豪勢な食事が並んでいた。

食事も終わろうとしていた時、チュンダが言った。

「最後になりますが、とても珍しいキノコのスープを用意いたしました。是非、お召し上がりください」

食卓にそのスープが並べられた。 

すると仏陀が

「このスープは、修行者には食べられない。如来しか食べてはいけないものだ。すべて私の前におきなさい」

といったのだ。そして、仏陀一人でアーナンダら修行者に出されたスープを食べてしまったのだった。

その仏陀の姿を見て、修行僧たちは心の中で

(世尊にしては珍しい。いったいどういうことだ)

(世尊はどうされたのだ。あまりにもいやしいではないか・・・)などと思っていた。 

仏陀は、そうした修行僧の心の中を見抜いてはいたが、何も答えず

「残ったスープは、家の隅に穴を掘って埋めてしまうこと。決して、誰も食べてはならない」

とチュンダにきつく命じたのだった。

チュンダの家で、食事を済ませ、一通りの教えを説いた仏陀は、

「他の長者の接待は断るように。すぐに旅に出る。クシナガラを目指そう」

とアーナンダに告げた。 

仏陀たちは、果樹園で修行をしていたの残りの修行僧たちと合流し、旅へと出たのだった。

その途中、仏陀に異変が起きた。激しい腹痛と嘔吐が襲ったのだ。

仏陀は、歩くことができなくなり、木の傍らに身体を横たえた。

「しばらく一人にしてくれ」

仏陀はそういうと、静かに眠り始めた。

その様子を見て、アーナンダたちは一安心し、仏陀のそばを離れたのであった。

しばらくして、不気味な笑い声が響いた。しかし、その声は仏陀にしか聞こえないものだった。

「うわははは。仏陀よ、約束の3カ月が来た。お前ももう終わりだ」

注:マーラーとは悪魔のこと

「マーラか。そろそろ現れるころだと思っていた。約束のことは覚えている。

だからこそ、あの毒キノコのスープを私が引き受けたのだ」

「わははは。バカなヤツだ。わざわざ自分から死を選ぶとは。

あんなものは、弟子に食わせればよかったのだ」 

「マーラよ、お前は勘違いをしている。毒キノコのスープはきっかけにしか過ぎない。

あのスープを私が口にしなくても、私には別のことで死が訪れよう。

それがわかっていて、なぜあのスープを避ける必要があろうか?。

肉体の死へのきっかけを先に延ばせば、さらに苦しみは増大するであろう。

ましてや、毒キノコのスープとわかっていて、弟子に飲ませる者がいようか?。

マーラよ、お前は何が欲しいのだ?。

私の死が欲しいのであろう?。ならば、静かに待つがよい」

「ふん、死にかけのくせにエラそうなことを言うな!。

ふっふっふ、しかし、チュンダも罪な奴よ。仏陀を殺した者になるのだからな。 

毒キノコのスープを飲ませ、ブッダを殺した犯人はチュンダだ。

あの者は、多くの人々から罵られ、そしられ、叩かれてひどい目にあうだろう。 

それもお前があのスープを飲んだからだ。

お前が飲まなければ、チュンダも罪を犯さずに済んだものを。

チュンダは、これで地獄行きだな。最も苦しい地獄行きだ。

お前がそうしたのだ、仏陀。お前のおかげで、チュンダは苦しむことになるのだ。わはははは」

「黙れマーラよ。口を慎むがよい。

チュンダは、地獄に行かぬ。むしろ天界へ生まれ変わるであろう。

仏陀に最後の接待をした者して、大きな功徳を得たのだ。チュンダには罪はない。 

毒キノコのスープが食卓に出たのは、すべて自然の導きであり、真理なのだ」

「くっそ!、あーいえばこー言いやがる。

死にそうでフラフラのくせして、偉そうなこというな!」

「マーラよ。そんな悪態しかつけないとは、見苦しいものだ。哀れなものだ、マーラよ。

私の肉体の死は間もなく汝のものだ。それまで静かに待つがいい」

そういうと、仏陀の顔色がにわかに戻ったようだった。仏陀は起き上がった。

従者のアーナンダは、

「世尊のこの体調不良は、チュンダのキノコのスープが原因ではありませんか。 

もしそうならば・・・」と仏陀に尋ねた。

「アーナンダよ。私は、もう食事はしない。

水のみを口にする。したがって、チュンダの食事は如来が取った最後の食事である。 

如来の最初に食事を供養した者と如来に最後に食事を供養した者は、同等の功徳を得る。

よいか、誰も決してチュンダを責めてはならぬ。

チュンダには私から話をしよう」と仏陀は、力強く答えたのであった。

仏陀が病で倒れた、と聞いたチュンダは、「もしや・・・」と思っていた。

もしかしたら、あのキノコのスープにあたったのではないかと思い、

どうしていいのかわからず、家の中に閉じこもってしまっていた。 

仏陀の体調が悪いのは、チュンダのせいではないか、という噂もそろそろ出始めていたのだ。

アーナンダは、チュンダの家に行き、仏陀が快方に向かっているから来るようにと告げた。

チュンダは、大いに喜び、仏陀の元へと向かった。

仏陀は、木にもたれながら、チュンダに優しく話をした。

「チュンダよ、汝の接待は大変良いものであった。気に病むではない。

しかし、キノコには、毒のあるものがある。有毒か無毒かは、専門家にしかわからない。

今後は、山で取ったキノコの料理は控えるがいいであろう。

今まで誰も死者が出なかったのは、たまたま運が良かっただけのことである。

キノコを食べたいのならば、市場で買ってきたほうがよい。 

よいか、チュンダ。汝には罪はない。

私は汝の接待を受けなくても、寿命がやってくるのだ。 

汝の接待を受けなかった場合、おそらくは毒蛇にかまれていたことであろう。 

死というものはそういうものである。 

それが来るときは、山に逃げても海に潜っても、

どこへ逃げ隠れしても、逃れることはできないのだよ。

だからこそ、今を大切に生きることが必要なのだ。 

チュンダよ、汝、罪を犯さず、善行をし、布施の心を忘れず勤めなさい」

チュンダは、涙を流して喜んだのであった。 

<引用終了> 

ブッダは既に完全なる悟りを開き、宇宙の真理を把握していましたので、 

鍛冶職人のチュンダの接待のキノコスープが毒であることは十分にわかっていました。 

ですが、ブッダは敢えてそれを拒まず、ブッダ達を喜ばせたい、笑顔になっていただきたいというチェンダの心を受け取り、お飲みになりました。 

そして亡くなりました。 

ですが、決してチェンダを責めることなく、逆に栄誉を与えたのです。 

とかく私たちは目に見えるものしか把握できないために 

物を見て、 

・自分に必要の無い物

・嫌いな物 

であれば、決して贈ってくださった、その人の心を見ることなく 

嫌な顔したり、すぐに捨てたりと邪見に扱うかもしれません。 

私たちは心が織りなす世界に生きています。 

見える世界もその後ろに控える、広大な見えない世界も 

全ては、私たちのこの小さな体の「心の中」にあります。

心こそが、全ての世界を包括するものです。 

私たちの起きている全ての現実は、実は私たちの心が決めています。 

心が変われば、全ての世界が変わります。 

私たちの心が温かな思いやりや愛で満たされていれば、 

全世界が、そのような暖かな世界に一瞬で変わることでしょう。 

誰かの悪口ばかりを言い回り 、憎しみや疑心暗鬼、嫉妬の心でいれば 

全世界が、自分を責め立てる修羅の世界に変わることでしょう。 

どんな時も、相手の方の心を推し量り、大切にしたいものですね。 

物質である物は、そのずっとずっと後からついてきます。 

イエスの黄金律ではこう言っています。

「自分のして欲しいことを、相手の方にして差し上げなさい」 

皆さんが、ご自分の心の中にいらっしゃる神さまに気づき、

お幸せになりますように。


2024年12月26日木曜日

3653「仏心を見る」2024.12.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月11日の記事を紹介します。


「仏心を見る」


今日も大切な心のお話。大愚(たいぐ)についてです。 

心の世界のお話は、奇跡や、目に見えない不思議な世界のことではないので

地味で人気がないですが、一番大切なことです。 

大愚と言えば、良寛さんや、西郷隆盛なども大愚と言われていました。 

人間の器が大きすぎて、些細なことにこだわる凡人から見たら愚か者に見えたのです。 

私たちどなたの心の中にも神さまがいらっしゃいます。

私にも、あなたにも、夫にも、子供にも・・ 

そして相手の心の内に神様(良き心)だけを見ることができれば、 

まさに今生きている、この世界において、全てが調和し、全てが幸せで、

みんなが笑って暮らせる平和な世の中に変わることでしょう。

そして生きながら、天国に住めるでしょう。。

また、私たちの心の中には、神さまがいらっしゃると同時に、悪魔のような心も存在ます。

それを 

・仏心、

・鬼心

と呼びます。

これはどんなに素晴らしく見える人でもそうですから、人を一面だけ観て判断することはできません。

自分で勝手に相手を理想化しておき、崇めたてまつっていた人の一瞬の鬼心を見た途端、 

今までと正反対の、好きだった時と同じ強力なパワーで 

・憎しみの心、

・嫌悪の心が 

芽生えることもあります。

表裏一体なのです。

さて、以前記事に書いたのですが、

良寛さんのお話に良い例がありますのでご紹介します。

<引用開始>

越後国(えちごのくに)(いまの新潟県)で生まれた良寛さんというお坊さんがいました。

生涯貧しい暮らしをしていましたが、その言葉は常に人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われています。

そんななか、良寛さんを妬んでいた人がいました。

村一番の嫌われ者だった渡し船の船頭で、大酒飲みの乱暴者。 

船頭は

「いつの日か良寛が自分の船に一人で乗ってきたら落としてやろう」と 

考えていました。 

幸か不幸か、その日はすぐにやってきました。

そして、川の半ばまで船を出し、ゆらゆら揺らして良寛さんを船から落としてしまいます。

良寛さんは泳げません。 

だから、おぼれかけて死にそうになる。

船頭も殺すつもりはありませんから、

「もう、これくらいで勘弁してやるか」と良寛さんを引っ張り上げる。

すると、良寛さんはこう言いました。

「あなたは命の恩人だ。

助けてくださってありがとう。

このご恩は一生忘れません」

良寛さんだって船頭が船を揺らしたのはわかっていたでしょう。 

村の評判だって聞いていたはず。

なのに彼は助けてもらった、お礼の言葉しか口にしませんでした。

そして船頭は、その良寛さんの人を信じる気持ち。 

こんな自分でも信じて感謝してくれる気持に心が震え、その後、真人間になることを決意しました。

「太陽」のように争うことなく問題を解決する。

それが良寛さんの相手の心に神さま(仏心)を見る「実践」でした。

<引用終了>

良寛さんの言葉はつねに人を力づけ、温かく、明るい気持ちにするものでした。

だから、多くの人に慕われていたのだそうです。

そして、上の逸話では、良寛さんは相手の悪意を知ってはいても、

それを攻め立てたりはしませんでした。

相手の鬼心を見ようとせず、仏心、神さまの心にだけスポットライトを当てて見ていたのでした。

だから「あなたは命の恩人だ。助けてくださってありがとう。このご恩は一生忘れません」という言葉が出たのですね。

その結果、悪意を持っていた船頭の心の良き部分に光が当たり、活性化され、船頭は真人間になることを決意することが出来たのです。

船頭の外見の行動は、人を船から落とすという乱暴なものでしたが、良寛さんは相手の内に神様を見て、そこに意識を移し(フォーカスし)、活性化させたのでした。

これは私たちの意識の科学です。

私たちが何か意識するだけで、そこにエネルギーが流れ込みます。

(私たちは本来、神さまと同じ力を持っていますから、神さまと同じことが起こるのです。)

例えば、人の悪いところが気になり意識していると、本当は小さな小さなことなのに、 

過大に悪しきことが評価され、自分にはその悪い面しか見えなくなります。

相手も、そう思われていることに無意識に気付いていますから、 

自分のことを「悪」と観ている人の前では、

「悪」、もしくはさらにパワーをもらい、「極悪」としてふるまってしまうのです。 

その極悪人と言う役目を、私たちの無意識から受け取ったからです。

ですから、悪しきことには意識を向けないことが大切なのです。

これを「悪」ではなく、どこか良いところを探し、相手の「良き心」を意識すれば、 

これと逆の現象が起こり、その人は、天使のような慈悲の人となることでしょう。

ですから、私たちが、どの部分に意識を向けているか?

それはとても大切なことなのです。 

相手を一瞬で変えてしまうからです。

・自分に乱暴を働く者、

・悪口を言う者、

・敵対心を抱く者、

・嫉妬している者、

・ねたんでいる者、

そんな人たちの内側の神様を見ることは難しいことかもしれません。

ですが、そのような人たちも、家に帰れば、もしかしたら

・子供たちにとったら良い親かもしれません

・病気のご両親の世話をしている良き子供かもしれません

・旦那さまを愛する良き妻かもしれません

・子供を守ろうと、少し意識が過剰になったのかもしれません。

・出がけに旦那さまとケンカしてイライラしていたのかもしれません

・昔自分が失敗したのと同じような失敗を私たちがしたため、トラウマがよみがえったのかもしれません。

・子供のころ親に虐待されていたのかもしれません。

・つい最近リストラされたのかもしれません

・最近、大きな病気が見つかり不安心が心を覆っていたのかもしれません。

つまり、これらのことは相手の心の中の問題であり、私たちには全く関係のないことです。

私たちが相手の状態(相手の喜怒哀楽)により、右往左往される必要はありません。

それが今、相手に起きているのは、私たちとは全く関係ない理由で起こっているからです。

私たちができることは、私たちの心をいつも穏やかにしておくこと、

感謝の気持ちで満たしておくこと。

自分のことを「良き人」と見てくれる人に対し、自分のことを信頼してくれる人に対し、 

自分に感謝してくれる人に対し、どのような極悪人であろうと、善人にしかなれなくなるのです。

ですから、相手の内に神さまを見ること、仏心だけを見ること、と言うことは非常に重要で、

自分も相手も、慈悲の人に変えてしまうほどのパワーがあるのです。

その後の私たちの生きる世界を天国に変えてしまいます。

私たちは、理不尽な相手の言葉や態度に怒るのではなく、まずは、相手の内にも

神様(仏心)がいらっしゃると信じてみて、それで相手の中に

何か良いところ(仏心)を見つけようとしてみる 

それは、とても大切なことかもしれませんね。

そしてもう一つ大切なこと。 

誰かの悪口を、こそこそ隠れて、他の誰かに告げ口することは、 

自らが仏心を見ずして、鬼心しか見ていないということと、

更に、善意の誰か(告げ口した相手)に疑心暗鬼の毒、

鬼心をクローズアップさせるという罪に繋がります。 

自分が見ている鬼心を、善意の誰かに押し付ける行為です。 

これは神さまの心とは程遠いものです。 

美しい心は、住む世界さえ美しいものに変えてしまいます。

どんな時も、相手の内に仏心を見つけ、感謝の心で、人とのお付き合いをしたいものですね。

最後、良寛さんに戻ります。 

相手の悪い面(鬼心)を見ても「気にしない」

更に進んで「気にならない」 

更に進化の進んだ人は、「気づかない」

つまり、自分の意識にすら上りません。 

大愚であった良寛さんは、きっとこの境地まで達していたかもしれません。 

心がピュアで、子供のままの心

人を疑うことを知らない心 

純真な瞳 

周りにそんな人はいませんか?

きっと見つかると思います。

見た目は愚か者に見えるかもしれませんが、もっとも神に近い存在です。


2024年12月25日水曜日

3652「私たちが元居た所」2024.12.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月10日の記事を紹介します。


「私たちが元居た所」


今日は、皆さん忘れてはいますが、私たちが生まれる前に居た世界 

そして亡くなった後に、帰る世界のことを書きたいと思います。

日本人は、世界の他の国々とは異なり、 縄文の昔から、死後の世界(神々の世界=黄泉の国)と、私たち生きている者の世界が、密接にかかわり合い、コミュニケーションを取りながら生活してきました。 

能の幽玄の世界がそれを表し、また柳田国男の遠野物語などは、現代の日本人に、その心を取り戻して欲しく、いえ、取り戻さねば国が亡びると・・書かれたものです。 

また、皆さんの中には

もう先に神々の国である黄泉の国に帰られたお子さんや、ご家族が居るかもしれません。 

または、ご本人が、もうすぐ帰ろうとしている方もいるかもしれません。

今日のお話は、その世界がどんなに神々に近い場所であったか。 

全てと繋がった感覚を持って、生きていたか。 

そこは決して暗く冷たく、孤独な世界ではありません。  

・時間、空間の制約のない世界

・愛と思いやりの世界

・光の世界

・調和の世界であったか。

なぜ、そんな素晴らしい世界から,この苦しみだらけのように見える地球に来たのか。

ここ地球で、何を得たかったのか。

考えてみる、思い出してみる、良い材料になるかもしれません。 

1981年4月27日 オートバイ事故で、臨死体験をしている最中の高木善之さんの体験談です。大手術している所や、家族が嘆き悲しんでいる姿を空中から眺め、そして意思疎通が出来ないことを悟った後の出来事です。

<引用開始>

行かなきゃあ でも行きたくない でも行かなきゃあ  

そんな思いで手足をバタバタと動かしてもがいているような感覚。

今、僕はあの病室で死んだのだ。 

この思いは、強烈だった。

死ぬって、こんなことだったのか。

激しいショックだった。

しかし、やがてその事実を受け入れた。

事実は、受け入れざるを得ない。

そして嵐が静まった。  

穏やかになった。

もう何もしなくていいんだ もう全てが終わったんだ

そう思うと、不思議と気持ちが楽になった。

苦しみが去り、私はなめらかに上昇し始めた。 

今までの、もがきや、もつれがなくなり、ス―ッとのぼっていく。  

私の人生は 今 終わった。

したかったこともたくさんある。

でも、出来なかったこともたくさんある。

家族はどうなるんだろうか?

仲間達はどうなるんだろうか?

もっと優しくしておけばよかった。

もっと仲良くしておけばよかった。

ごめんね ・・・  

でも 仕方がない。

もう苦しむこともジタバタすることもない。

あれこれ考えることもない。

何もかもが終わったのだ。

今、私は死んだのだ。

さよなら みんな さよなら

ありがとう みんな ありがとう

■宇宙へと■

地球が・・・

苦しみが無くなり、なめらかに上昇し始めた。

次第に高度が増し、目の前の風景が遠くなる。

河原の両岸が寄ってきて狭まり小さくなる。

山々も集まってきて小さくなり・・・ 

やがて、四国が見えて小さくなる。

日本が小さくなり、そして、ついに目の前に地球が現れる。

これが、地球なんだ。 

これが僕が生きた地球なんだ!

強烈な衝撃! 強烈な映像!

その美しさ! その大きさ!

その厳粛さ! その圧倒的な迫力!

その偉大さ~ その美しさに感動!!!

幸せ 満足 充足 至福 の感覚。

突然、激しいショックを感じた。 

それは、思い出した衝撃。 

長い間悩み続けた問いを思い出した衝撃。

誰もが必ず考え、そして、答えが見つからず やがて、あきらめてしまう 問い。 

自分とは何か どこから来たのか そして、どこへ行くのか ゛

■光の中へ■

今、目の前に巨大な地球。

本物の地球~三次元の地球!  

立体の地球が圧倒的な迫力で語りかけてくる。

それを見たとたん、激しい衝撃。

生きている。 

地球は生きていたんだ。 

魂が揺すぶられる。

感動の涙がこみあげてくる。

今、自分が変わりつつあることがはっきり分かる。 

自分が、地球と宇宙とつながっていくような感覚。

ついに分かった。 

一生問い続けた 問い。

自分とは何か どこから来たのか そしてどこへ行くのか  

その答えをついに見つけたのだ。  

感動的な答え。 

それは、光。 

すべては ひとつ。

命は光であり、光の世界から来て、光の世界に帰る。

すべての生命は、一つにつながっている。

ああ、分かった・・・ 

これが分かればすべて分かる。

何のために生まれてきたのかも分かる。 

どのように生きればいいのかも分かる。

なぜ、こんな簡単な事が分からなかったのでろう。

すべては一つ。

すべてはつながっているのだ。 

すべての 謎 が解けた。

すべて 分かった。

もう 何もいらない。

安心 安らぎ 満足 本望 もう 何もいらない。

安心して いくことができる。 

安心して 帰ることができる。 

もう 何も いらない。

もう 何も いらない。

暗黒の宇宙の中で、地球だけが美しく輝いている。

周りがゆっくりと明るくなり、音響が湧き上がってくる。

光は、次第に輝きを増し、ハ-モニ-は強まってくる。 

やがて、激しい眩しさに何も見えなくなり、轟音に包まれて何も聞こえなくなる。

ああ、今から光の世界に帰るのだ。 

自分の周りの強烈な光が、四方八方に飛び散っていく。光の世界に入って行く・・・

■光の世界■

ここには、何もない。

物質的なものは、何もない。 

しかし ここにはすべてがある。

過去 現在 未来 のすべてがある。

未来永劫がある。 

永遠がある。 

めくるめく~光の波。

無数の映像~無数のフラッシュ。 

自分の過去現在未来のフラッシュ。 

自分の未来。 

再生-地球環境-平和運動- 

そして死

<引用終了>

高木さんは、その後生還します。 

そしてパナソニックの研究員を辞め、「地球と調和する小さい社会」を目指すネットワーク『地球村』(NGO)を作り、ずっと活動されています。

今、生きている私たちは、このような「光の世界」から来たことを忘れ、日々の生活に忙殺されています。

そして、日々起きる色々な出来事に一喜一憂して生活しています。

この世界から地球に生まれる時に神さまと約束してきたことや、地球でやりたかったことなど、すっかり忘れています。

それは私たちがここでの生活によって、より深く学べるように、自ら記憶を一旦消去して来ているために仕方のないことです。

ですがその代りに、目的遂行のために、様々な出来事が、身の回りにベストなタイミングで

起こるようにしてあります。

様々な人との出会いがセッティングされており、その出会いにより、沢山の感情を味わえるようになされています。 

喜びも悲しみも、愛情も憎しみも家族や、友人、同僚などがその役割を担います。

そして私たちは、予定した寿命が尽きると、予定していた死因により、元の光の世界に戻って行きます。

私たちは、この「光の世界」から、ここにやって来ました。

すべては一つ、すべては繋がっている世界からやってきました。

それはここ地球でしか味わえない、様々な感情を味わうこと。 

魂を向上させること。

人を助けるためです。

あなたは、あと何年したら、そこに戻りますか?

この地球で、沢山の経験をしましたか?

沢山の感情を、味わいましたか?

人に優しくしましたか?

人を憎みましたか?

笑顔を人に向けましたか?

人を愛しましたか?

感謝することは、できましたか?

お陰さまの気持ちで生きてきましたか? 

決して、恨み、つらみ、憎しみの心に囚われたまま、肉体を脱ぐことがありませんように・・・

肉体を脱いだ後の世界は 心の世界そのままです。

心の内が、自分を取り巻く世界、現実になります。 

この物質次元に生きていた時よりも明確にそれが現れてきます。

どうか皆さんが、内に居らっしゃる神さまに気付き、本来の美しき心を思い出し、 

お幸せになれますように。 



2024年12月24日火曜日

3651「許し 幸せになるために」2024.12.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月08日の記事を紹介します。


「許し 幸せになるために」


今日のテーマは「許し」です。

以前書いたことがあったのですが、最近また再掲したほうが良いと思いましたので、

加筆して掲載します。 

本当の、心からの幸せを得るために、何が邪魔をしているのか? 

特に、理不尽とも思える辛い出来事を経験した人に、何故、幸せになれない人が多いのか? 

それは、憎しみの心が、幸せが来るのを邪魔をしているせいかもしれません。  

誰かを許すこと、それは神さまから、自分が許されること 

誰かを何時までも許さないこと、

それは、いつまでも、自分で自分を許さないこと 

神さまから、自分が許してもらえないこと

人を許さない限り、

自分を許さない限り

幸せになるのは、難しいようです。


さて、

愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障碍者のための通所施設があります。 

ここを自費で運営し、ハンディのある人たちの人生の花を開かせている

塩見志満子さんという方が居られます。

今日は塩見さんのお話です。

<引用開始> 引用元

塩見さんの人生は、まさに試練に次ぐ試練の連続でした。

 

壮絶かつ感動的な人生体験、そこから掴まれた信条を学ぼうと、

いま全国各地から講演の依頼が舞い込んでいます。 

塩見さんが語った

「降りかかる逆境と試練が、私の人生の花を咲かせた」とは──。

──そこから学かんの立ち上げまでは、どのように進むのですか。

1つのきっかけとなったのは

私が38歳の時に、小学2年生の長男を白血病で失ったことです。

白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ。

「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く。

 そうすると痛みが少し和らぐ。 

それを繰り返すわけですよ。

ある時、長男はあまりの痛さに耐えかねて、そんなこと言う子じゃないんですが 

「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです。 

主治医の先生は30代のとても立派な方で

「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた。

長男はその2か月半後に亡くなりました。 

49日が済んだ後、主人と2人、お世話をかけたその主治医の先生に

御礼を言うために病院に行きました。

ところが、いらっしゃらないんです。 

聞いてみたら、長男が死んだ後、 

「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と、すぐにその病院を辞められたと。 

私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと

申し訳なさでいっぱいでした。

後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後、

小児がんの権威となり日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです。 

いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね。

──そうでしたか。

長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時、

私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。

ところが、その二男も、その年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。 

長男が亡くなって8年後の同じ7月でした。

──プールの事故で突然。

近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、

タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。

子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と。

「どうしたんや」と聞いたら

10分の休み時間に、誰かに背中を押されて、コンクリートに頭をぶつけて、 

沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。

「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」

という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が

大泣きしながら駆けつけてきました。

そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。

「これは辛く悲しいことや。

だけど見方を変えてみろ。 

犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、 

という罪を背負って生きてかないかん。

わしらは死んだ子を、いつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや。

うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、

校医の先生に心臓麻痺で死んだ という診断書さえ書いてもろうたら、 

学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」

私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。

だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで

許したんです。

友達も、学校も。

──普通の人にはできないことだと思います。

こんな時、男性は強いと思いましたね。

でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした。 

争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる。

許してあげてよかったなぁと思うのは、 

命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです。

30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けて、タワシで墓を磨いてくれている。

もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえても 

こんな優しい人を育てることはできなかった。

そういう人が生活する町には できなかった。 

心からそう思います。

<引用終了>

さて、子供が夭逝(ようせい)=早く亡くなる、と言うのには、大きな大きな意味があるそうです。

両親や、周りの人に気付きを与えるため・・・。

塩見志満子さんのお子様たちの場合には、小児がんの研究者。

そしてご両親の「許し」という崇高な行為と、その後、ご自身の

「知的障碍者のための通所施設」の自主運営に続いて行きました。

お子様2人も早くに無くされることは、大変な悲しみだと思います。

子を持つ親として十分察しできます。

ですが、その悲しみを悲しみのまま、憎しみを残すことなく、許し、

ご自分の心の中の黒い霧を払われ、世の中に尽くす所まで進められたのは

素晴らしいことだと思います。 

私達は、とかく、人を憎んだり、恨んだり、仕返ししようとしたりします。 

「同じ苦しみを味あわせてやる」

また社会全体を憎しみの対象とします。

ですが、仕返しは、私達がやることではありません。

それは神様の領域のお話です。 

「復讐するは我にあり」の 我とは 神様のことです。

人を許すこと

自分自身も許すこと

人を愛すること

大変 難しいことかもしれませんが、それは私達のハートの中に居らっしゃる神さまの特性です。

私達も、今はできなくとも、その神さまのように、いつか、いつか、振る舞うことが出来るはずです。


ひこうき雲 子供の夭逝を書いた曲です。

あなたには、許せない人はいますか?

憎しみをたぎらせている相手はいますか? 

それとも、特定の人ではなく

世の中を、憎んでいらっしゃいますか?

誰かのことを許せれば、 

それは、神さまの前において

自分自身を許すことになります。 

自分自身を愛することに繋がります。 

自分自身を愛することができたなら、私たちは、また一つ、 

心の世界において、神さまに近付くことになります。 

何時までも憎しみに、しがみついた 暗黒の世界

そしてもう一方は、愛と許しの 光の世界。

心の分かれ道です。 

どちらに進まれますか。 

先に亡くなった家族や、ご先祖の方々は、

残された私たちに、どちらを望んでいらっしゃるでしょうか?

そして、

あえて理不尽に見える逆境を準備された神さまは、何を望んで、そうされたのでしょうか?


2024年12月23日月曜日

3650「マシュー君のメッセージ」2024.12.23

今回は「玄のリモ農園ダイアリー」さんの2024年12月3日「マシュー君のメッセージ(216)」の記事を紹介します。

「マシュー君のメッセージ(216)」
 


季節の波動エネルギー、米大統領選挙、イルミナティの反抗、気象戦争、南極大陸

マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂から、心からのご挨拶をします。宗教行事、荘厳な音楽、家族や友人とのお祝いの集い、助けを必要としている人たちとの分かち合いが行われるこの季節には、ハート(心)から生きることが特にはっきりと表れています。そして愛する魂たち、愛、喜び、寛大さ、そしてどのような呼び方であれ神への敬愛を、あなたたちがどのように表現するのであれ、人生の祝福に感謝しながらそうすることで、あなたたちの世界全体の波動エネルギーが高まります。

今年のお祝いには、地球から闇を取り除くという重要な一歩を踏み出すことも含まれます。僕たちは米国の大統領選挙について話しています。ほとんどの人は、ドナルド・トランプが勝利した政治的な争いとみています。でも、この宇宙全体の光の存在たちは、これを光のための輝かしい勝利ととらえています。

過去のメッセージから関連する記述を抜粋すると...

2010年9月11日: 候補者やその熱烈な支持者、裕福な献金者たちが選挙運動に注ぐエネルギーにもかかわらず、党派政治は間もなく歴史から消え始めるでしょう。

2021年2月3日: あなたたちが知っているような人生は、大規模な欺瞞、貪欲、社会の条件付けによってコントロールされてきました。こうしている間にも静かに進んでいるのは、地球文明社会の解放です。

2021年3月2日 :政府が恐怖、欺瞞、戦争、貧困化、分裂を永続させることによって支配権を保持するとき、それは単に政治の問題ではありません。それは闇対光、過ち対正しさ、囚われ対自由、悪対神性さの問題なのです。

2024年10月1日: 有権者は世論調査、支持率、資金調達額、開票数を考慮しますが、すべての正しい行動を強固にするのは光の強さであり、それが選挙に最も影響を与えるのです。

2024年11月1日 :一般の人々は光の勢力について知りませんし、波動エネルギーについて考えているかどうかもわかりません。しかし、それらの強力なソース(源)は、すべての選挙やその他の国家的な問題、そしてその余波において大きな影響を及ぼします。世界のどこかで永続するものはすべて光と一致し、卑しい意図を持つものはつかの間のいのちか、決して軌道に乗ることはないでしょう。

選挙結果に不安を抱いている人々には、どうか批判を控えてほしいのです。大統領就任後、新政権は世界的な影響を与える重大な仕事に取り組むことになりますが、あらゆる取り組みに言えることですが、前向きな考えや感情は進展に好影響を及ぼします。

現在進行中の交渉や行動を危うくすることなく、ドナルド・トランプが地球外存在(ET)のアドバイザーと会い、闇の組織の根絶とその極悪非道な活動を終わらせるために、軍指揮官や国家指導者たちと調整を行っていることを、あなたたちに伝えることができます。これらの共同の取組みは、大宇宙コスモスで最も強力なフォースである愛と光のエネルギーによって支えられています。

ポジティブな考えや感情は、集合意識としては重要で役にたつものですが、数カ月先まですべてをスムーズに進めることはできません。歴史的に見ても、劇的な変化には反発があるか、少なくとも抵抗があるものです。そして、この場合にもいわばコインの裏表があります。

イルミナティあるいはディープステートは、2020年の選挙の時のように、不正操作による投票で、自分たちの勝利につながると確信していました。彼らは間違っていました。それでも彼らは、世界人口を数十億人減らし、世界支配を確立するという目標に向かって突き進む決意を固めているのです。

自分たちがコントロールできない次期大統領が1月に就任するのを阻止するために、彼らはあらゆる手段を講じるだろうと予想するのは現実的です。軍部隊や愛国者団体に所属する光の勢力のホワイトハット(白い帽子)は、ディープステートの人間たちが今後どのような行動を取ろうとも、それに対抗する準備ができています。

彼らが何をしようとも、その極悪非道な行為が明るみに出ないようにすることはできません。惑星の浄化とアセンションの主な目的は、長い間行われてきた非人道的な行為についての真実を明らかにすることであり、それによってその深い密度と堕落の闇を光に変えることができるのです。ガイアと地球の多くの住人は、癒しを必要とする傷を負っているのです。

すべての真実は魂のレベルで知られていますが、それが意識レベルになったとき、人々は衝撃を受けるでしょう。不信感、否定、怒り、混乱、罪悪感、自責の念が生じ、感情が入り乱れて暴動に発展するかもしれません。この混乱の中で、真実を語る側と否定する側、どちらかの“側”が屋内にとどまるよう命令を出した場合、その通りにすれば安全でしょう。家族やペットのために、2週間分の食料、水、その他の非常用品を用意しておくのが現実的です。

光が闇に打ち勝ち、美しく輝く若返った地球で、誰もが自然と調和しながら平和に、楽しく、豊かに暮らしているような、そんなコンティニュウム(時空連続体)について、一般の人々は知りません。今日、人々は直線的(リニアル)な時間しか知らないのです。そして間もなく、地球の運命である黄金時代への道のりに不可欠な踏み石である、厳しい真実と変化を受け入れなければならなくなるでしょう。

強さ、名誉、勇気、忍耐が宿る創造主の本質である愛と光の魂として、愛する兄弟姉妹たち、ただ胸を張って歩み続けてください。あなたたちの高い精神力、自信、地球の未来に対する楽観的な考えに込められた光は、近くにいる人々のストレスを和らげ、その他の精神の高揚が必要な場所にも流れ続けるでしょう。

ノースカロライナ州やフロリダ州でのハリケーン、アメリカ国内の異常気象、ヨーロッパ、南アジア、中央アメリカ、南アフリカでの大洪水について聞かれています。これらの壊滅的な出来事のどれもが気候変動によるものではなく、母なる自然が引き起こしたものでもありません。

過去数十年間、激しい嵐、山火事、洪水、記録的な気温、地震、火山の噴火は、イルミナティのテクノロジーによって引き起こされてきました。恐怖、苦悩、死、破壊、苦難は、闇の者たちがまさに生き残るために必要とする低い波動エネルギーを生み出しますが、いくつかの出来事はそれ以外にも邪悪な目的があるのです。

それらは、イルミナティが重要な資源がある土地や、5分、10分、15分圏内の都市を建設する場所を手に入れることを可能にするのです。雇用、食料、交通、教育、医療、エネルギー、娯楽から数分の距離に個人の賃貸住宅を設置することで、彼らを依存させ、容易に支配することになるのです。

気象戦争による災害は、協力を拒む影響力のある個人を罰するために引き起こされることもありますが、イルミナティの最も大それた計画の一部である世界支配を決定づける気象操作のデマです。その計画は決して実現することはないでしょう・・地球の長い闇の時代は終わったのです。[2024年5月3日のメッセージに、この計画の詳細があります。]

「南極で本当は何が起こっているのですか?氷の下に隔絶された文明が存在し、世界の指導者たちに命令を下しているのでしょうか?この大陸に隠された謎の真実とは?氷の下に都市は存在するのですか?あるいは地球内部の地下エリアへの入り口はあるのですか?」

国際的な科学研究所を除けば、過去2世紀の間にこの大陸で起こったことのほとんどは一般には隠されています。そして、その時代枠の数千年前には、高度に進化した文明社会が両極地域にアクセスできる壮大な地下都市を建設していました。
約100年前、リチャード・バード米提督が南極大陸に上陸したとき、彼は数人のその社会の人物に迎えられ、公式日誌にその時の会話を記録しました。それはアメリカ政府によって封印され、彼は自分の経験を決して誰にも話さないよう警告されました。数十年後、その日誌が明るみに出ると、密かに出版され、今ではインターネットや書籍で読むことができます。

バードは南極大陸に到達した最初の陸上生活者ではありません。19世紀初頭の探検隊のメンバーは、南極大陸に大昔から人が住んでいたことを示す古代遺跡やその他の証拠を発見しました。埋もれていた彼らのメモや写真も後に発見されましたが、いまだ隠蔽されています。

第二次世界大戦が終わろうとしていた頃、リトルグレイが先端技術を提供していたナチスの一団がドイツから逃亡しました。イルミナティの援助と資金を得て、彼らは南極大陸に定住し、科学・軍事用の地下基地を建設しました。迷路のようなトンネルには大規模な研究所があり、目を見張るような技術システムと設備が並んでいます。

彼らの第一と第二世代は、航空機動性と水中機動性を併せ持ち、核兵器、生物化学兵器を発射できる乗り物を開発しました。これらの乗り物に関する情報が外に流れたとき、ホワイトハットの幹部がイルミナティの企てた甚大な破壊を防ぎました。彼らの研究所の被害の程度については様々な報告がありますが、どの報告も基地は“ハット”の管理下にあり、ナチスの惑星外の同盟国の証拠が保存されていると述べています。

はるか昔、大陸の地下にある地球の空洞に住んでいた文明社会人は、自分たちの地域に低振動数のものが入ってくるのを防ぐために、光の障壁を築きました。地表のエネルギーが軽くなれば、この隣人たちは自己紹介をし、友情や援助を申し出るでしょう。

地球で起きていること、宇宙の法則、宇宙の現実について、これまで一般に知られることのなかった豊富な情報が少しずつ開示されていくでしょう。地球の人々がスピリチュアルなレベルと意識レベルで進化するにつれて、彼らは地球上のすべての人と他のすべての生命体が、創造主の本質である愛と光から創造された魂であることを知るようになり、宇宙家族の中で多次元の存在として正当な位置を占めるようになるでしょう。

彼らがボランティアたちについて知るとき、目覚めを助けてくれたあなたたちへの感謝の気持ちは計り知れないものになるでしょう。親愛なる魂たち、ガイアとこの宇宙の他のすべての光の存在たちは、あなたたちのかけがえのない働きについて、すでにそのように感じています。どこかで起こることは、他のどこでもすべてに影響します・・あなたたちは宇宙全体に恩恵をもたらしているのです!

僕たちは、この特別なシーズンに溢れる祝福を送ります。そして、どの瞬間にも、無条件の愛の比類ないパワーであなたたちを愛し、称え、サポートしています。
             ________________________
愛と平和を

スザンヌ・ワード著
原文:Matthew's Messages
訳文責:森田玄

2024年12月22日日曜日

3649「何か問題でも?」2024.12.22

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月07日の記事を紹介します。


「何か問題でも?」


私たちが今世、肉体をまとい、物質的な地球に生まれて来たのには意味があります。 

魂を進化させる

これは全ての生命体や、その他の被造物が同じ目的を持っています。 

自分では何もせず、

神々に頼り、願い、すがって叶うものではありません。 

かえって、その「依存の心」は、魂を弱らせ、神々から離れてしまう方向性を持っています。  

また、 

・お金のために人を陥れたり

・地位に固執したり

・プライド高く人を見下したり

・嫉妬心から人の足を引っ張ったり 

つまり、心を汚して、真っ黒くしていては 、魂は重く 

未来は今の心と同じく、黒く汚いものになることでしょう。 

良きことも、悪しきことも 

自分のしたことと同じことが

倍になって、自分に帰ってきます。 

派手さも無く、地味なことなのですが、

自分の心をピュアで綺麗に保つこと 

周りの方々に、愛と思いやりを持って接すること

これこそが、魂の美しさを保ち

肉体を脱いだ後も、真っすぐに神々の所へ行くための王道です。 

ピュアな美しい心でいるには、日々の 

・思い

・考え

・言葉

・行動 

を良く制御する必要があります。

一朝一夕にはできませんが、失敗したら反省し、また軌道を戻す。。 

その繰り返しで、いつの間にか意識せずともに、心の中の罪や穢れが 払われて、 

人々や神々に愛される 美しい心となります。 

それでは今日も

・神々に愛される美しい心を保つために・・

・そして本当の幸せをつかむために・・

・心の中の神々と直接対話できるように・・・ 

書きたいと思います。

ご自分の心が整理されていないゆえに、自分自らが、悩みや苦しみ、不幸をかき集め

幸せになりたいのに、無意識のうちに、それを拒否して、あえて、自ら進んで

不幸な人生を送ってしまう・・

そんな方向けの記事です。

幸せになりたいのに、自分の心の何が原因でなれないのか?

そんな方向けのお話です。 

過去に書いたこともありますが、加筆して掲載します。 

もう読んだよって方は、スルーなさってください。 

小林正観さんのお話です。

テーマは「で、何が問題なの?」です。 

正観さんはブッダの説いた真理を、

今の言葉で、解り易く、そして実行しやすく説いて下さいます。

<引用開始> 

あるところで、一泊二日の泊まり込みの旅行がありました。

数十人の人が泊まり込み、夜を徹してしゃべり、翌朝も一緒に朝食を食べました。

朝食の時、隣にご夫婦が座っていました。

私の顔を見るなり、その奥さんが話しかけてきました。

「質問してよろしいですか」「どうぞ」

「実は私の子供なんですが…」というふうに話をし始めました。

私は、そこで両手でバツを作りながら、にっと笑って「ブー」と言いました。

実は、その前夜に数十人でお茶会をやったときに、

何十人もの人から同じような質問を受けていたのです。

その質問とは

「自分以外の人間を自分の思いどおりにするにはどうすればよいか」というものでした。

質問している人は、それぞれ全部、状況が違います。

自分の思いどおりにしたいその対象は、 

・子供であったり、

・親であったり、

・夫であったり、

・妻であったり、

・職場の同僚であったり 

はするのですが、

結局は、自分を取り巻いている人間関係のなかで、 

気に入らない人を「自分の思いどおりにしたい」というのが悩み相談のほとんどでした。

それを昨夜のうちに何回も何回もくり返し言っていたのです。

「また、自分以外のことの質問なんですね、 

実は…自分の質問のようにご本人は思っているでしょうけど、

結局は自分の思いどおりにしたいということですよね」

と言いました。

一分ほどこの方が黙っていました。

また口を開きました。

「職場にですねえ… 私にすごくつらく当たる上司がいるんです」。

私はまた笑ってしまって、手でバツを作って「ブー」と言いました。

私は、次のような話を続けたのです。

「もしかすると、日常生活ではほとんど笑顔がない状態で、そのように行く先々で、 

家庭の中で、職場で、あるいは友人の中で、いつもいつも『これが問題だ、問題だ』と 

言い続けてきたのではありませんか。

もし、私があなたの上司であったならば、あなたの顔を見たら、

『これが問題だ、これが問題だ』と言っているあなたに対して、自分に近づいてこないように、 

より厳しく、より冷たい言葉を投げかけるのではないでしょうか。

『私のそばに寄ってくるな』という意志や、作用が明らかに働くと思います。

『問題だ、問題だ』というふうに、問題をわざわざ熊手で集めてくるのをやめにしませんか」

と言いました。

「こんな楽しいことがあってね、

こんな嬉しいことがあってね、

こんな幸せなことが実はあったのよね、

こんなおもしろい話に出会ったのよね、

つい最近読んだ本がものすごくおもしろい本だった」

そういうように笑顔で話す人がいたら、その人の周りには人が集まると思います。

その人の口から出てくる言葉が 

・嬉しい

・楽しい

・幸せ

・愛してる

・大好き

・ありがとう

・ついてる 

(この七つを、「七福神」ならぬ「祝福神」と名づけました)。

そういう喜びの言葉、幸せな言葉というものが外に出てきたら、それを喜ぶ人たちがたくさんいます。

「問題だ、問題だ」と問題点を探し出すよりも、受け容れることで自分が楽になるのです。

そして、受け容れることでさらに、そこに喜びを感じ、幸せを感じ、さらに感謝を感じる 

ことができたならば、その一つひとつの言葉に人々は癒されて、

明るい気持ちになり、その人の周りに皆さんが寄ってきます。

そして、周りの人みんなが笑顔になり、笑顔の集団が出き上がります。

<引用終了>

よくよく悩み事を分析して見ると、ほとんどが

・自分以外の人間を、自分の思いどおりにするにはどうすればよいか? 

・自分が思っているように、自分が気にいるように、相手に行動してもらうにはどうしたらよいか?

などのようですね。

ですがブッダが般若心経で伝えてくれたように、周りに起きて来る現象を、全て肯定して受け入れてしまう、そのほうが良いかもしれません。 

悩みが悩みで無くなりますから。 

人が

・自分の思い通りに行動しない、

・時間を守らない

・ずうずうしい

・自分の価値観にそぐわないことをしている、、 

そんなことでイライラするのはやめましょう。 

スーパーの障害者用駐車場に、

我が物顔で駐車しようとする人に腹を立てるのはやめましょう(笑) 

人には人の心があります。

それに従った住む世界があります。 

私たちは、他人の心を推し量ることはできません。 

私たちが集中しなければならないこと、それは、他人のことではありません。 

まさに私たち自身の 心の在り方だけだからです。 

自分の心がイライラしたり、乱されるものからは離れましょう。心に入れないようにしましょう。 

悪い情報を、ムリにかき集め、毒を周りにまき散らすよりも、

明るく楽しい情報を周りに笑顔で発信していたほうが、どんなに幸せになれることでしょうか? 

きっと、ご自分でも驚くほど、運命が好転していくことと思います。


2024年12月21日土曜日

3648「させてくださって、ありがとう」2024.12.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月06日の記事を紹介します。


「させてくださって、ありがとう」


不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の一尊。 

日本では一番親しまれている神様かもしれません。 

不動明王は大日如来の化身とも言われ、また五大明王の中心となる明王でもあります。 

真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている。とのこと。

またお不動様のお姿は、

奉仕をする心の大切さを私たちに教えるため、奴僕の姿になっているそうです。

奴僕とは召使(めしつかい)を意味する言葉で、献身的に他者に奉仕する者を指します。

お不動さまは、あらゆる人びとを苦しみから悟りの世界へ救い導くために、

青黒色の肌をした奴僕の御姿となって、私たちを御加護くださっているのだそうです。

今日は、お不動様のお力の一つである、この「奉仕の精神」について書きたいと思います。

何事にもよらず、人に何かをしてあげる・・ のではなく、何かをさせていただく,

という精神は尊いものです。

・人のために汗水流し、時間を費やすことは、自分にとって損なことだ。

・何々してあげたのに、何の感謝もお礼もない。私を特別扱いしてくれない

そんな考え方の人が居る一方、

人さまに奉仕することは、天上に貯金を積むこと、徳を積むことに繋がる

人が喜ぶだけでなく、巡り巡って多くの人を幸せにして戻ってくる

そんな風に考える人もいます。

このことに関して、ブッダのお話をご紹介します。

「させてくださって、ありがとう」というお話です。

小林正観さんのお話より、ご紹介します。

<引用開始>

ブッダを取り巻く集団(サンガと呼びます)は、当時できるかぎり自分でできることは自分でやり、どうしても自分ではできないことを、他人にやってもらうという形をとっていました。

ブッダを取り巻く集団では、何か人に頼むとき、こういう呼びかけをしていたらしいのです。

「誰か、私に施しをし功徳(くどく)を積んで、幸せになりたい人はいませんか」

誰かに「施し」をすることは、「他人のため」ではなく、

「自分のため」であったというのは驚くべきことです。

当時のブッダの集団は、小さな布切れを拾ってきてはそれを縫い合わせ、それぞれの人の衣にしていました。

あるとき目が見えなくなった弟子が、布切れを縫い合わせて衣を作ろうとしました。

しかし、まず最初のことである、「針に糸を通す」ことができません。

彼は、大きな声で、「どなたか、私に施しをし功徳を積んで、幸せになりたい方はいませんか」と周りの人に呼びかけました。

すると目の前を通りかかったらしいある人が、「私にやらせてほしい」と言いました。

「えっ、その声はお師匠様ではありませんか」

ブッダが、ちょうどその弟子の前を通りかかったのでした。

「それはそれは、大変、失礼なことを申しました。

お師匠様にそんなお願いをするわけには参りません。

今の言葉はお聞き流しください」と、その弟子は言ったそうです。

まさか、ちょうどブッダが通りかかるとは思っていなかったでしょう。

慌てて驚き、恐縮した気持ちは理解できます。

弟子から「そんな大それた」と言われたブッダは、その時こう言いました。

「なぜだ、なぜ私ではいけないのか。

私だって幸せになりたいのだ。

私だって、もっと幸せになりたい」

ブッダは、ありとあらゆる執着を離れることができ、

すべての苦悩・煩悩から“解脱”した方です。

何も悩みはなく、十分に幸せになっていた人でした。

その人が、「私も幸せになりたい」と言ったというのです。

なんと素敵な一言でしょう。

「幸せになりたい方はいませんか」という呼びかけは、

「私」だけでなく、周りの沢山の人を「幸せ」にしていくようです。

何かをしてもらって「ありがとう」と言うのは、「ありがとう」の言霊の凄さの

半分くらいしか使っていないのかもしれません。

「ありがとう」は、してもらった時だけでなく、 

こちらがしてあげた時、させていただいた時にも使えるのです。

させてくださって、ありがとう

人のためではなく、自分からしてあげることで 

沢山の「ありがとう」(させてくださって、ありがとう)を言うことができるというのは、

何とも楽しいことではありませんか。

<引用終了>

今の今、悩み苦しみ、悲しみの最中にある方にとって、 

人のために、何かを「させていただく」ことは、非常に難しいことかもしれません。 

自分のことで精一杯ですから。 

ですが、そういう時こそ、一旦、自分の悩み苦しみ、悲しみを かたわらに置いておき、 

周りの人々を見渡し、誰かのために、自分に何かできることはないか、探してみてください。

神様は絶対に、その姿、心を見ています。

それこそが、悩み、苦しみ、悲しみからの脱却の早道だからです。

もし、1年前の悩み、苦しみを正確に覚えていらっしゃる方がいらしたら・・ 

その悩みや苦しみは、365日、24時間、ずっと続くものでしたか? 

・時には忘れることはなかったですか?

・時には笑顔になることはなかったですか?

・延々と続く、どん底の状態だけでしたか?  

そういった類の苦しみは、まさに人生の中に組み込まれたエポック(引き金)です。

それを起点として、ぐるっと人生を変化させるためのものです。

何のために、神様はその苦しみを人生に組み込んだのか?

生きている間はわからないかもしれませんが、少なくとも、生まれる前に、神様と計画してきた出来事は、生死を超えて意味を持ちます。 

・生きる、死ぬ

・健康、病気

・富む時、貧困の時

・出会い、分かれ

・苦しみ、楽しみ

・悲しみ、喜び

人間側にとっては、どれも一大事ですが、

それらは神様の目や、生まれる前の魂としての自分自身から見たら、

単なる舞台装置でしかありません。

それらを利用して、人間に神仕組みのドラマを演じさせます。

そしてドラマを通じ、魂を磨き、輝かせようとします。

そうであるならば、悩み、苦しみ、悲しみの中にあろうと、

・流れる状況、環境に身を任せ、

・置かれた環境の中で 

そんな中でも、周りの人々を見渡し、誰かのために、自分でも、何かできることはないか、

やってみても良いかもしれません。 

今は目の前の、できることを精一杯するしかありません。 

諸行無常ではないですが、どんな状況も固定化して、永遠に変わらないことなど

存在しないからです。

どんな状況も 目には見えなくとも、

・少しづつ変化しています。

・少しづつ状況は変わっています。 

地球は、そのような作りになっています。

神様が魂の進化のために、そうお創りになりました。 

それであれば、「させてくださって、ありがとう」と

感謝の気持ちで言える自分でありたいものですね。

その心の方向性こそが、明日からの状況の変化の方向を決め、 運命を導くものだからです。

どなたかにした親切な行いは、

巡り巡って、いつか自分が親切にされるという現象として帰ってきます。 

誰かを幸せな気持ちにさせてあげれば、

いつか自分も誰かに幸せな気持ちを分けていただけます。

この宇宙に存在するものは、全て繋がっています。人体と同じです。 

一つ一つの細胞は、一人一人の人間は、それぞれ独自の役割、個性を持っており、

それらが助け合い、連携することで、調和して維持され、進化していくことが可能になります。 

一つとして、誰一人として、無駄なものはありません。 

神さまは決して無駄なものを創造しませんから。

みんな大切なものです。

「俺が俺が」、「私が私が」ではなく、周りの方、みんなを大切に思い、 

お互いの個性を否定せず認め、お互いさまの心、

随神の道(かんながらのみち)を歩んで行きたいものですね。 

そのような心持こそが、

ご自分自身が、幸せに生きて行くための王道であり、秘訣なのですから。


2024年12月20日金曜日

3647「神さまのこころ」2024.12.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月03日の記事を紹介します。


「神さまのこころ」


今日は「神道の修行」についてです。

ですが、何も宗教にお誘いしているわけではありません。

そもそも神道は教祖もいなければ、経典も無し、ですので神道の最高位、浄階まで登られた、

元春日大社宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば、神道のことを宗教とは呼ばないのだそうです。 

では葉室さんのお話をもとに書きたいと思います。

神道の修行というのは、難行苦行のお話でもありません。

全て心の世界のお話です。

ですから、どこそこの神社や仏閣に行ってお参りしなさいとか、

ご祈祷を受けなさい・・などもありません。

日々の生活の中で行うものです。

ですが、それは、

・目に見える形があるわけでもなく

・日常生活とかけ離れた特別のことをするわけでもなく

簡単そうに見えて、一番難しいことかもしれません。

神様が置いてくださった、

・今の環境の中で、

・今の人間関係の中で

自分の心を整え、綺麗にし、洗心することだからです。

目に見える派手な奇跡や、

お金を払い、何処かの誰かの、凄い力に頼ることの方が、

よっぽど楽かもしれません。

ですが、良くなった、好転した、幸せになった。。

というのも、一時のことではないかと思います。 

なぜなら、私たちは、目に見える世界に生きているようで、

本当は自分の心の世界に生きていますから、自分の心が変わらない限り、

どのような外部からの力で、方向転換されようと

またすぐに、もとと同じ心が頭をもたげ、

同じ現象を引き寄せてしまうからです。

「神道の修行」とは、その心を清浄にするための、日々の心の持ち方の修行です。

世界一長く続いた(1万5千年)平和の時代と言われる縄文の時代は、何をしなくても、

みなピュアで、そのような心を持っていました。

自分の心が清浄になって、神様の光が内から輝きだせば、

心から発せられる波動が精妙になり、神々の波動に混じり合うことでしょう。

そうなれば、神々と同じ、美しく、優しく、

愛溢れた世界で生きることができるようになることでしょう。

それほど「心を磨く」=「神道の修行」は、大切なことだと思います。

戦後、日本人は多くの大切な伝統を忘れてしまいました。

外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを

見ていない人が増えてしまったため、

今の世の中のように、日本始まって以来の、乱れた国となってしまいました。

敗戦後の日本では、戦勝国によって 

・二度と立ち直れないよう、

・反逆できないように 

それまでの優れた日本人の精神性を破壊する愚民政策がとられました。

戦後の欧米型の教育の影響で、

各家庭で神様やご先祖様に感謝しておまつりするという生活をしなくなり、

何事も理論や理屈だけでものごとを考えて

感謝の心を忘れてしまった人が多くなってしまいました。

ですが私達日本人は、太古の昔から、先祖の方々によって伝えられている

日本人としての優れた遺伝子を既に持っています。

それを目覚めさせれば良いだけです。

それでは、今日は、日本の形成外科医の草分け的なお医者様であり、

また春日大社の元宮司、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

仏教では滝に打たれたり、断食をしたりする修行というものがありますが、

神道(しんとう)には修行というものはありません。

こう言いますと神道は楽なイメージに思われる方もいますが、

神道では「毎日の生活そのもの」が、強いて言えば修行に当たります。

また神道というのは数ある宗教の中のひとつではなく、

宗教という概念がなかった太古の昔から続いている、日本人の生活そのものです。 

常に、毎日の生活の中で「徳を磨く」というのが神道です。

徳を磨くというのは「神様、ご先祖様をはじめ、周りの幸せのために生きる」ということです。 

日本には柔道や剣道、書道や茶道など「道」と名の付くものがありますが、

これらもすべて「徳を磨く」ためにあるものです。

また現代では勉強といいますと、いい大学を出ていい会社に入るために

知識やテクニックを詰め込むものとなってしまいましたが、

本来は勉強というものも、学問を学んで徳を磨くというのが目的です。

現代では周りのことよりも、自分の利益を第一に考える人が増えた結果、

乱れた世の中になってしまいましたが、

仕事や勉強、スポーツなどあらゆることを通じて、自分の徳を磨くというのが

神道であり、私達人間の歩むべき道です。 

そして家庭ではこの真実を、子供たちに伝えてゆかなければなりません。

神様やご先祖様にお喜びいただくには

神様やご先祖様に感謝しておまつりすることが大切ですが、

何か良いことがあった ⇒ 感謝する という順序ではなく、

苦悩や病気など「何が起こっても神様のお導きとして感謝する」ことが大切です。

感謝する ⇒ 神様・ご先祖様にお喜びいただける ⇒ お恵みがいただける

というのが真実です。

神社や神棚の前でも神様に「〇〇にしてください」とお祈りするのではなく、

理屈なく「ありがとうございます」と感謝することが真実です。

そして徳を磨くには、自分以外の幸せのために生きるわけですが、

そのためには自分の我欲を消す必要があります。

仏教では修行をして自分の力で我欲を消そうとしますが、

神道では神様の力をお借りして我欲を消します。

自分の我欲を消すには人間の力だけでは難しいので、

太古の昔から神道では祓い(はらい)というものが行われています。

この祓いというのは、普段知らず知らずのうちに体についてしまった

「つみ・けがれ」を神様の力をお借りして、良いものに変えるために行われますが、

この「つみ・けがれ」というのは我欲や理屈から生じます。 

毎日、祓いによって我欲を消し、

神様とご先祖様、周りの幸せのために生きることが人生で一番大切なことです。

<引用終了>

葉室さんは、こうも仰います。 

日々の生活の中では、不安になったり、自分の思い通りにならないときもありますが

そのようなときにも「理屈を考えずに神様とご先祖様に感謝」してみてください。

神様は理屈の無い世界におられるので、どの様な時でも、理屈なく感謝すれば、

温かいお恵みをいただくことができます。

逆に理屈ばかり考えて、不平不満を言って感謝しないと

その後も、ロクなことが起こらないようになっています。 

例えば、自分に落ち度がなくても、誰かを恨んだり、イライラしていると、さらに悪いことが起こったりしますが、これは、自分に落ち度がないといった理屈に関係なく、とにかく「恨んだり、イライラして感謝していない」と、神様からのお恵みをブロックしているということの現れです。 

人生というのは世間で言われているような複雑なものではありません。

ただ素直に、「いつも理屈なく神様とご先祖様に感謝」して生活していれば

すべて良い方向へ導いていただけます。 

良いことがあったら感謝するのではなく、はじめに理屈なく感謝するからこそ、

幸福が与えられるというのが真実です。

理屈なく感謝するのは能力や年齢など関係なく誰でもできることです。

神様は難しいことは人間に与えてはいません。

これは宗教うんぬんという次元ではなく、

この宇宙というか世の中がそのようになっている不変の真実です。

気分がすぐれないときこそ、理屈を考えず、神様とご先祖様に感謝してみてください。

そうおっしゃっています。

感謝の心あるところ、神々の恩寵が現れます。

何か特別なことをしなくても、特別などこかに行かなくとも、

日々の暮らし、自分が今置かれた環境の中でこそ、私たちは、心を清め、

先祖や、神々に感謝の心を向けたいものですね。