2025年3月9日日曜日

3726「人としての喜び」2025.3.9

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月21日の記事を紹介します。


「人としての喜び」


これから、地球がどんなに変わろうと、美しき心は、

全ての障害を超えて、私たちを幸せな世界に運んでくれることでしょう。

それは、肉体がある間だけではなく、

肉体を脱いで、魂の世界に戻った時でさえ裏切らないことでしょう。 

・知識や学歴がなくとも、

・お金や地位などなくとも

・健康でなくとも 

そのような物は、肉体がある間の短い期間の、

目的を達成するための道具でしかないのですから 

永遠の魂にとって、何の障害にもなりません。 

むしろ、それらに執着し、かさに着て、無意識のうちに、心を汚していくよりも、

無意識のうちに、マウンティングし、人を支配しようとするよりも、

何も持たなくとも、馬鹿だと人に蔑まされようとも、

良寛さんのように大愚であって、心美しき人の方が、

どんなに光り輝く魂を持つことでしょう。  

さて今日は小林正観さんのお話を、参考にして書きたいと思います。 

それは、平凡な生き方かもしれません。

誰にも、尊敬もされなければ、注目もされない生き方かもしれません。 

ですが、もしかしたら神々に一番近い生き方かもしれません。

<転載開始> 転載元

まわりの方々に喜ばれる喜びは、自分のことで、自分が喜ぶのとは、

比べられないほどの大きさです。

人は、人の間に生きていることからこそ「人間」と呼べます。

人間として生きるということは、自分のためではなく、

他に存在する者(物)のために、生きるということ。

人間の身体の中には 37兆個もの細胞があります。

その一つ一つに、個別の意識があります。

体の中に目を向けてみても、肺や心臓、肝臓、腸など、

自分のためにだけに存在する臓器は何ひとつありません。

みな体内の、他の臓器や細胞を生かすために働いています。

まさに、ひとつの宇宙が人間の体の中に、凝縮されている、

と言っても過言ではありません。

ですので、人は、この世に生れたからには

自分が、いかに目標に向かって歩み、目標を達成するか

ということではなく、いかに周りに喜ばれる存在になるか、ということがとても大切です。

たとえば頼まれごとをやってあげて、相手がにっこり笑って

「ありがとう」と言ってくれたとき、本当の「人としての喜び」が湧いてきます。

喜ばれることが、人間の最も根源的な幸せです。

人に喜ばれることをしてみましょう。

その時、いちばん楽しくて、幸せなのは、実は自分自身なのではないか、

そう思えるに違いありません。

<転載終了> 

・大きな成功を成し遂げて、人々に尊敬される人

・仕事のバリバリできる人

・平凡な人間だけど、何時もにこにこ笑っていて、困っている人がいれば、

 何はさておき駆けつけて、一緒に悩み、傍に寄りそう人

・仕事は、それほどできないけれど、人の喜びを共に喜び、

 人の悲しみを共に悲しんでくれる人

皆さんは、どちらの生き方が理想ですか?

自分が、何かを人にして差し上げた時に、

誰かから、にっこり笑って「ありがとう」って言われると、本当に幸せな気分になれますね。

もしかして、氣難しい顔をして、人を寄せ付けないような人も、

何時も、身勝手で、人の上げ足を取っているような人も、

その人の内側の良き部分、神さまの部分を見つけて差し上げて、

「ありがとう」の一言をかけた途端、魔法のように、頑なだった心が溶けだして、

良き人に変わってしまうかもしれません。

私たちは、誰でも本当は、

・人に認めてもらいたいのです。

・「ありがとう」と笑顔を、向けてもらいたいのです。

最後に、宮沢賢治の「雨にも負けず」をご紹介して終わりにします。


雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに でくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい




2025年3月8日土曜日

3725「青空ひろば」2025.3.8

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1422 2025.02.25  ~ 1428 2025.03.05

<心の慣性の法則>

運命の「慣性」とは「心の重さ」のこと。心が重い人ほど、運命の軌道と速度は変えにくい(改善しにくい)。

「重い心」とは、暗い心、狭い心、閉ざされた心、ジメジメした心のこと。このような心を持つと、慣性が強くてなかなか動き出せないし、運命の方向転換が難しい。

「軽い心」とは、明るい心、広い心、開かれた心、カラッとした心のこと。

このような心を持っていると、すぐ動き出せて、目標地点に早く到着出来る。これはおかしいなと気が付けば、すぐ方向転換が出来るので、致命的なダメージを受けないですむ。


「かーん」のことだまの詩(「重い心」を「軽い心」に転換するための呪文」)。心が重くなったなあと感じたら称えてみてください。 

人生なんて/ カーンタン/アカンも/スカンも/あるもんか

スッカラカーンの/覚悟決め/アケラカーンと/進むだけ

人に頼らず/車を借らず/ヘタはヘタなり/一歩ずつ

エッチラ オッチラ/歩むだけ

人の評価は/どうであれ/自分の心に鳴り響け

キンコンカンコン/歓喜の鐘だ

キンコンカンコン/勝利の鐘だ


Q.「重い心」の正体は?

A.「重い心」とは、心に積み込んだ「重くて冷たい固まり」が多い、つまり、「つみ(積み、罪)」が多い状態です。今生のものもあるし、前世に積み込んだものもあるのでやっかいです。

「心の重い積み荷」の一例 

・過去のツラい経験(トラウマ、コンプレックスなど)

・過去に人や組織や自然環境に与えた危害、損害の記憶(罪)

・現在の人や組織に対する怒り、恐れなど

・未来に対する過度の期待や結果に対する恐れ、不安など


「心」の状態が、その人の運命を創るのです。 

「重い心」は「重苦しい世界」を創造します。

「軽やかな心」は「軽やかな世界」を創造します。 

「想い」が「心」を振動させ、「心」から波動が放たれ(心は楽器)、その波動が結晶化してモノ次元の「世界」が形成されるのです(「クラドニ図形の実験」参照)。 

運命を改善するためには、まず「無心」になって、<こうありたいという目標の想い>をその心に定着すればいいのです。「無心」とは、「軽い心」のことです。


<坐禅すれば、「心」が軽くなります>

「日常生活での心(世界)の波動」は、粗くて低い振動(重く・冷たく・暗い)なのです。

「坐禅で開ける心(世界)の振動」は、精妙で高い振動(軽く・温かく・明るい)なのです。


<坐禅や読経や寺社参拝で運命転換する方法(アップ・ダウン法)>

「日常生活で体験している世界」では「心の慣性」が大きく、運命転換のハンドルを切ることは困難ですが、「坐禅で開ける世界」では、「心の慣性」が小さくなっているので、心の車のハンドルを楽に切ることが出来るので、運命の方向転換がやりやすくなるのです。

まず坐禅(読経)して、波動レベルが高くて、「慣性」が小さい世界に移動します。

そして、こうありたいという願いを心に定着させます。そうすると、波動レベルが高い世界ですから、方向転換のハンドルを楽に切り換えることが出来ます。

坐禅が終わって地上世界に下降し、心の車の車輪が地上に着地すると、すでに上の世界でハンドルを切り換え済みなので、地上世界でも、そのハンドルを切り換えた方向に「いのちの車」が自動的に進みはじめます。これが、運命転換の「アップ・ダウン法」です。

UFOが急激な方向転換や加速を楽々行えるのは、この「アップ・ダウン法」の応用です。そのメカニズムは、 

① 人の眼に見えるUFOは地上世界の波動レベルにいます。

② UFOの操縦者が方向転換しようと「想い」ます。

③ 波動レベルが高い世界に次元上昇します(人の眼には見えなくなります)。

④ そこで、「方向を変えようという想い」によってUFOのハンドルを切り換えます。

⑤ その操作が終わると、地上世界の波動レベルまで次元下降します(再び、人の眼に見えるようになります)。

⑥ ②~⑤の操作が一瞬の間に行われるので、地上世界の人には、慣性が働く地上世界飛行機では不可能なような鋭角的な方向転換が行われたように見えるのです。


1421 2025.02.24

どの人も/精一杯の人生を/おくっています

どの人も/その人にしか歩めぬ人生を/歩んでいます

どの人も/宇宙でたった一人の/貴重な存在なのです

どの人も/本当はひとつに/結ばれているのです

どの人も/きっと「ひとついのち」に/帰り着くのです    

AさんもB君も/実は君なんだから/Aさんにできることは

Aさんに任せ/B君にできることは/B君に任せて

君は心置きなく/「君」していればいいんだよ


1420 2025.02.22

<「存在」の癒し>    

・キューブラー・ロス「私はOKじゃない、あなたもOKじゃない。

でもそれでOKなの!」

・カール・ロジャーズがカウンセリングを始める前に自分に言い聞かせること→『私は完全じゃないが充分な存在なんだ(私が私であることで充分なのだ)』

・自分がありのままの自分であることを受け入れ、そこに落ち着く→そこから自分や他者の「癒し」の過程がスタートする→「存在の癒し」


1419 2025.02.21 

完全じゃない自分を認め、受け入れ、愛おしむこと。

でも、そこに腰を据えてしまうのではなく、自分のペースで一歩ずつ前へ!「ヘタクソでも自分の足で歩こうね」


1418 2025.02.20 

<坐禅の功徳>

(身心の有り難さ)

①     坐禅すれば、無上の身心の悦楽を体験する。何かの対象があって嬉しいというのではなく、対象なしにただ嬉しい、ここに存在しているだけで嬉しいという最高レベルの悦楽が体験できる(I am.)。

② 坐禅すれば、身心が柔軟になり、呼吸や動作がなめらかに、スムースにできるようになる。円相を描くような感じで行動できる。日常生活でも、このスムージング効果が持続できるようになる。

③ 坐禅すれば、身心の固まりがほどけ柔軟になり、いのちの充電ができて、健康を維持できるようになる。

④ 坐禅すれば、身心の結ぼれがほどけるので、よく眠れるようになる。

(処世上の有り難さ)

① 坐禅すれば、問題なんて本来なかったのだと気づく。すると、「問題なし」をゴールとするドラマが現実世界に展開して、その問題が消滅するか、解決してしまう。

② 坐禅を習慣にすると、アタマを押しのけて「本能」が表に現れてきて、自分にあると思わなかった能力が発揮できて驚くことが多くなる。自分に自信が持てるようになる。自分の能力に限界を設けなくなる。

③ 坐禅してカラッポになった心と体に「こうしたい」という希望を伝えると、直ちに現実化することが多くなる。

④ 坐禅すれば、自分が自分であることに自信が持てるようになる。そうすると、自分が最高に輝くことができる「役割」が果たせる環境に、おのずと運ばれてゆく。


1417 2025.02.19 

<お釈迦様の坐禅はどんな坐禅だったのでしょう?>

アタマの努力で必死に坐禅された→悟れないと絶望され、修行続行を断念された→道友たち5名が「あいつは堕落した」と軽蔑して離れて行った→尼連禅河(ナイランジャナー)で沐浴された→岸辺で倒れていたら、少女スジャータからヨーグルトを恵まれた→匍うようにして菩提樹のもとに到り坐った→悟り(内側からあふれ出す生命力が自他の囲いを突き破り宇宙全体にいのちの奔流が届く)が開けた

お釈迦様の坐禅のお姿がどうであったかは、ガンダーラの仏像でうかがうことが出来る→「微笑」と「なで肩」と「許し」の坐禅


1416 2025.02.18 

<大敬の坐禅>

・大敬の坐禅は、アタマを手放して坐ります。 

・大敬の坐禅は、カラダで坐ります。

→カラダ主導になれば、自然に「今・ココ」に戻れます。悩みは過去や未来にアタマがフラフラ漂い出して発生するのです。

・大敬の坐禅は、全身で組む印契(ムードラ)です。  

→宇宙全体を愛し、抱擁する全身印

・大敬の坐禅には、良し悪し、合格不合格はありません

→アタマの判断はニセモノ。いい時も悪い時も「そういう時もある」と坐ります。

・大敬の坐禅は、自分をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように仕向けてくれます。

・大敬の坐禅は、他者(世界)をそのまま認め、受け入れ、許し、愛するように仕向けてくれます。

・大敬の坐禅は、私たちはどこから来て、どこを目指しているか教えてくれます。

・大敬の坐禅は、あなたがあなたを生きていることの貴重さ、尊さを教えてくれます。

・大敬の坐禅は、あなたの身心をホドキます。

・大敬の坐禅は、疲れきったあなたの「いのちの充電」をしてくれます。

・大敬の坐禅は、あなたのいのちが一層輝くのにふさわしい位置にあなたを運んでくれます。


2025年3月7日金曜日

3724「謙虚な心、闇の心」2025.3.7

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月20日の記事を紹介します。


「謙虚な心、闇の心」


今日は仏陀(釈尊)の弟子のなかで、 

一番頭が悪く、愚かだといわれていた、

周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人のお話をします。 

私たちは、日々の生活の中で 

・何かと自慢し、マウンティングを取ろうとしたり

・陰で人の悪口を言い、相対的に自分は優れた者と認められたいと思ったり

・他人の話にすぐ口をはさみ、「自分は、自分は」と認められたがったり

・凄い人と知り合いだと自慢したり

・人の幸せを喜ばず、陰で足を引っ張ろうとしたり 

無意識のうち、強い自我に、心に闇を広げる人もいます。  

私たちだれもが、心のクセや条件反射で

同じような悪魔の意識に支配される時もあります。 

生きている間は肉体に付随する感情や生存本能があるため

どんな聖人君子であっても、それは免れないことかもしれません。

ですが、ふと、そのことに気づいた時、

直ぐに方向転換をしないと、ビッシリと包身(つみ)穢れに覆われてしまいます。 

それでは、一番愚かな弟子だったチューダ・パンタカのお話です。

<引用開始> 引用元

仏陀(釈尊)の弟子のなかで、一番頭が悪く、愚かだといわれていたのが、

この周利槃特(しゅりはんどく、チューダ・パンタカ)という人です。

どのくらい愚かだったかというと、

ときどき自分の名前すら忘れてしまうほど、頭が悪かったそうです。

周りの弟子達からバカにされていた周利槃特は、あまりの自分の

愚かさを嘆いて、仏弟子をやめようと思って仏陀のもとを訪れます。

「仏陀よ、私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません・・・」

その時、仏陀が彼にこう言います・・・

「自分を愚かだと知っている者は愚かではない、

自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」

すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。

そして、仏陀はこう続けます・・・

「おまえの一番大好きなことはなんだね?」

槃特は、「はい、私はそうじが好きです」とこたえました。

「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、

その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」

「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)

「はい、それなら、私にもできそうです!」

「そうか、ではがんばるのだよ・・・」

仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、

「塵を払わん、垢を除かん」(ちりをはらわん、あかをのぞかん)

と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。

一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます・・・

その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、

次第に彼に一目を置くようになります。

やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、

淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。

そして、ついに槃特は、

仏教でいうところの「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。 

「阿羅漢」とは、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、

第一段階の悟りを得ることです。

ある日、釈尊は、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということは、なにもたくさん覚えることでは決してない。

たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」

「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、

ついに悟りを開いたではないか!・・・」

<引用終了> 

イエスもこう仰いました。

あなたがたの中で、人よりも偉くなりたいと思う者は、

皆に仕える者になりなさい。

あなたがたの中で、人の先に立ちたいと思う者は、

皆の僕(しもべ)になりなさい。 

私が、私がと、

何が何でも人に注目され、尊敬を得たいと思うよりも、

・謙虚な人、

・進んで人々のために奉仕しようとする者

・決して目立って表に立とうとはせず、人知れず縁の下の力持ちに徹しようとする者 

神様は全部見ていらっしゃいますから、そんな人を愛するのではないでしょうか? 

そんな人に、まず幸せになって欲しいと思うのではないでしょうか? 

もう心の時代

物ではなく、一人一人の心が大切にされる時代に入っています。 

悪しき心は誰にでもあります。

ですが、それに気づいた時、心から反省し、改めようとするのか? 

それとも、楽な道、つまり、今まで通り見て見ぬふりをして、やり過ごすのか? 

道は分かれ、行きつく先は全く異なる場所となります。 

美しい地球

自我の限りを尽くした人々の地球はこうなるかもしれません。

私たちの心こそが、生きる世界を構築し、

その世界を天国にも、地獄にさえも変えてしまいます。

 


2025年3月6日木曜日

3723「心に目を向ける」2025.3.6

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月19日の記事を紹介します。


「心に目を向ける」


目には見えない心とは、 

・神様の心

・先祖の心

・そして表には現れない、人々の美しき思いやりの心 

のことです。

この宇宙は、循環を繰り返し、バランスの上に成長、発展してきました。 

私たちにとっての身近な循環は 

・生と死、

・生きている今と、死後の世界(黄泉の国) 

この世に生まれ、死に、黄泉の国に生まれ、再びこの世に生まれ

先祖のDNAが子孫に引き継がれ、生命を全うする 

などのことです。

それでは、今日は元春日大社宮司で、日本の草分け的な形成外科医だった、

葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

古くから日本人の中にあった、美しい心についてです。

<引用開始> 引用元 

この世の中のすべてのものは、はじめにそれを作ろうという心から生まれています。

例えば、お茶碗ひとつとっても、それを作ろうという心がはじめになければ

お茶碗は存在していません。

この宇宙も150億年前にビックバンという大爆発が起こってできたと言われていますが、

このビックバンも何もないところから偶然起こるはずがありません。

これもはじめに宇宙、太陽、地球を作ろうという神様の御心によって

ビックバンが起こったわけです。

そしてなぜ神様が地球を作ったかといいますと、神の世界を認めて、

それを表現できる人間を作ろうという神様の御心があったからです。

すべての存在は、自分自身を客観的に見ることはできません。

自分を鏡で映して見たとしても、それは光に反射した自分の像を見ているだけで、

本当の自分を見ることは自分以外の他人でしかできません。

そのため、人というのは自分で自分を称賛するよりも、

他人から「立派だ」とか「美しい」と認められて褒められたほうが嬉しいわけです。

そして神様も自分自身を客観的に見ることはできないので、

神様自身を認めて、それを表現できる人間を作られたわけです。

そのことを直感的に知っていた太古の日本人は、自分達の願いをお願いするのではなく、  

ただひたすら神様をお喜ばせするために、真剣におまつりをおこなってきました。

そのおかげで今でも日本という国が反映しているわけです。

このように今、こうして宇宙や地球、自分達が存在しているのは

目に見えない神様の御心のおかげということを常に感じることが大切です。

現代では外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを

見ていない人が増えてしまったため、

現代のような日本始まって以来の乱れた国となってしまいました。

スポーツなどでも、メダルが何個取れたとか、勝敗だけを見て判断するのではなく、

その裏にある、どれだけその舞台に立つまでに

苦労や挫折があったのかといった選手の「見えない心」に目を向けて称賛するべきです。

自分が何かを成し遂げたときも、

「自分が頑張ったからうまくいった」というのは思い違いで、

実は「神様とご先祖様に守られて、周りの人のおかげで無事にできた」というのが真実です。

秋の紅葉を見ても、ただ綺麗だなというだけでなく、

人間にそのような美しい安らぎを見せてくれている

神様の優しい御心に手を合わせることが人間として大切なことです。 

「自分達が今あるのは神様とご先祖様のおかげ」

「何かあったら、他人(ひと)様のおかげ」と、

結果だけでなく、ものごとの後ろにある「見えない心」に目を向けて、感謝することが大切です。

<引用終了>

致知出版社社長の藤尾秀昭さんが言うには、令和元年、日本は皇紀2679年。

海に囲まれた小さな島国が、さまざまな試練を経ながら

高い民度と文化を備え、今日まで発展してきたのはなぜだろうか?

ということで石巻とギリシャを対比させてお話しています。

3.11で甚大な被害を被った石巻、そこには港を見下ろす丘に、大きな神社があるそうです。

そこの神社のお祭りでは、町を挙げて祝っていたそうです。

神話でおなじみのギリシャ。

海を祀(まつ)るのはギリシャも日本も同じですが、

ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。

しかし、ここ石巻の神社がそうであるように、

日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝ってきました。

古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きている

日本の神は

豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮守し、住民がこぞって祝っている

この事実が物語るものは、ギリシャ神話は有名だが、

神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いまに繋がっていない。

これに対して日本は、

天照大神の系譜に繋がる天皇という具体的な(象徴的な)存在を軸に、

我われの先祖は目に見えないもの、人知を超えたものを畏敬し、

尊崇する心を、二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということです。

そして、この民族の魂は今日もなお生き続けている、ということです。

目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいきます。

<引用終了>

私たち日本人には古くから 

・神様のおかげ

・ご先祖のおかげ

・周りの人々のおかげ 

という謙虚で、美しい感謝の心であふれていました。

古くからの日本人の心に根付いていた、自然を敬う気持ち、

これらのことを古神道(の心)とも言いますが、

教祖もないし、教義もない、誰も強制などしないし、お布施もない。 

人の恐怖心を煽って、何かさせようともしない。 

宗教とはかけ離れたものです。 

明治以降、日本人の心の中から、このような美しい気持ちが薄れてきました。

西洋の物質文明(今だけ、金だけ、自分だけ)が入ってきたからです。 

見えない美しい心は否定され、

理屈だけの、白か黒か、物質的な成果だけが評価される文明に変えられてしまいました。 

また戦後のGHQによる戦後教育も、美しく、強靭な心を持つ日本人を恐れ、

永遠に立ち上がれなくさせるための政策でした。  

自分の国の文化や文明、歴史を否定した民族の未来は滅びしかありません。

私たちは、縄文から延々と続く美しい日本の伝統をことごとく否定され、

恥ずべきものとして戦後教育を受けてきました。

敗戦後、一気に変えられてしまいました。 

まさに、明治の文明開化に続く、日本存亡の危機の時でした。

日本の神々も、この時、大きく動きました。

日本と、日本人の危機だったからです。

ですが、縄文から1万年以上も培ってきた

美しい日本人のDNAは、そうやすやすと絶えることはありません。

何かのきっかけで、必ず思い出すはずです。

・神様のおかげ

・ご先祖のおかげ

・周りの人々のおかげ

という謙虚で、美しい感謝の心。 

その時こそ、神々の計画、今まさに始まった「精神性の復活」の時に

日本人が貢献できる時かもしれません。

 

2025年3月5日水曜日

3722「最後に残る言葉」2025.3.5

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月18日の記事を紹介します。


「最後に残る言葉」


今日もご縁のある方々に「心を洗う」お話をご紹介します。 

ほぼ毎日、心について、いろんな角度から書いています。 

もう何年も前から書いています。 

実際に素直に実践されて、幸せになられた方も沢山いらっしゃいます。 

ワクワク、ドキドキするような不思議話ではないので

退屈になって、ご縁が切れてしまう方もいらっしゃいます。 

現在、地球自体が精神性復活の時代に入っていますから

魂の向かう方向性が異なれば、自然と離れ 

逆に方向性が同じなら、魂の共鳴現象が起こり必ず交わることになるでしょう。  

ますます、その傾向が強まりつつあります。 

自分の好み、嗜好、信じる、次元と空間、パラレルに進むだけです。

今日も、大切なテーマです。 

ブッダの教えの神髄も、日本人の心に古代から刻まれた神道も 

その根本は感謝の心です。 

全く別の角度から、宇宙の真理にアプローチした結果

たどり着いたのが感謝の心です。 

では、感謝の心の大切さについて

春日大社の元宮司、そして日本の形成外科医の草分けであった

葉室頼昭さんの言葉から紹介します。 

<引用開始> 神道 感謝のこころより

そこに、そうしたモノがあると、

思い念じることから現れてくることを「認める」といいます。 

それがどんなものであれ、認めたことが現実に現れるというのは

本当のことだと昔から信じられてきました。 

人はいろいろなことで悩みますが、 

これも自分の中でそれを認めるからでてくるのであって、

認めなかったら出てくるはずがありません。

例えば、何でもない人ががん検診を受けて、「私はがんなんだ」と思っていると、

本当にがんになってしまうようなものです。 

何かにすがりたい一心で、神社にお参りに来られる方があります。

その方々に、私は、

神様とご先祖に感謝を捧げてお祀りすることをお勧めしています。 

すると、損得勘定なしに無我になってご先祖を認めて感謝する方は、

そのお力が直接、体の中に入って、みんな良くなっていきます。 

「生かされる」ということです。 

医学的には、ぼちぼち治るということはありません。

病気は、治るものではなく、瞬間的に消えるものなのです。

病気が消えないのは、その人が少しでも病気を認めているからなのです。 

ですから、病気で悩んでいる方には

「健康にして頂いてありがとうと感謝してください」と言います。 

自分の病気を治してくださいと願ったり、それを言葉に出して言うのは、

自分が病気であることを認め、それを治して欲しいという我欲ですから、

言葉通りに病気が出てきてしまいます。

自分が認めているのでは、どうすることも出来ません。

ですから、「病気」ではなく「神様、ご先祖様」を認めたらよいのです。 

けれど、中には頑固な人がいます。 

「私はお医者さんにこう言われた。医学ではこうなんだ」と言い張って、

こちらが何を言っても譲らない人です。

そういう風に自分中心の視点から判断し、

不平不満や悪いことばかりを口に出して認めていると、

それが現実になって出てくるのです。 

「神様ありがとうございます」と口にすれば、

神様を認めることで、神様からのお恵みが授かります。 

ただし、それは毎日しなければなりません。 

今日は認めたけれど、あとは一ヶ月後に認めようなどということはありません。

われわれは毎日生きているのですから、毎日認めることが大切なのです。 

<引用終了>

私も実際に体験し、自分自身で実証していることも沢山ありますが、

あまり公の場で公開するのも差しさわりがありますので、

具体的な実例はお会いした方だけにお話しています。

またそのエッセンスはこうしてブログで書き続けようと思っています。

何かにすがりたい一心・・・ 

私たちは、何か辛いこと、悲しいこと、苦しいことが起こると 

そこから抜け出したくて、

力のありそうな誰かに頼ったり、縋(すがったり)ったりします。 

私達人間は心弱い者ですから、それも致し方ありません。 

そうすることで、一時だけ、好転したかに見えることもあるかもしれません。 

ですが、それは一瞬だけです。 

何故なら、私たちを取り巻く現実は、私たちの心が作り出しているものだからです。 

私たちの心が変わらなければ、周りの現実も変わりません。 

たとえ神様仏様であろうと

私たち自身の心が変わらなければ助けることができません。 

それに気づかず、

いえ、気づこうとせずに、一生を終える方も居ることでしょう。

ですが、それも

「その方法、考え方では、上手くいかない」という学びを 

一生かけて学んでいることなので、周りは口出しできません。 

例え、家族であっても・・ 

神々の恩寵は、私たちの感謝の心を媒体として現れます。 

感謝の心は、良い時だけ感謝する、、と言うことではありません。

逆境の中に置かれてさえ、私達を見守り、魂の成長を願ってくださる

内なる神さまに、感謝することこそ大切なことです。 

最後に一つのエピソードをご紹介して終わります。 

あるおばあさんが認知症になり、言葉もだんだん忘れていったそうです。

そして最後に残ったのは三つの言葉だけ・・・

その内の1つが「ありがとう」だったということです。

皆さんは、もし、ご自分が同じ立場だったら、

最後に残るのは、どんな言葉ですか?

きっと、普段一番 口にしている言葉なのでしょうね。

多くの方の最後を看取ってきた医師が、次のように語っています。 

私達の人生の終わりの時は、私達がどのように歩んで来たかにかかっている。 

普段から感謝の心で歩んでいる人は、最後の時になっても感謝の心がでてくる。 

しかし、いつも恨み・つらみを持っているなら、終わりもそのようになっていく。 

そして、その終わりは

黄泉の国でも、続きの同じ世界を自分で作ってしまうことでしょう。 

つまり 死を境に人間の思考、住む環境は変わらないということです。 

ここでも、心の浄化の重要性が良くわかります。


2025年3月4日火曜日

3721「お陰さま」2025.3.4

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月16日の記事を紹介します。


「お陰さま」


今日も、ご縁のある皆さんに、生きている今の物質の世界、

そして死後の見えない非物質の世界(黄泉の国)を、幸せに生きる秘訣、 

心をテーマに書きたいと思います。 

私が神社に行って、いつも唱える言葉の1つに、 

生きとし生けるもの、

みんなが、

お陰さまの気持ちで、

生きられますように・・

というのがあります。 

これには沢山の願いが込められているのですが、 

生きとし生けるものが

・お陰さまの、謙虚な気持ちで生きて行けますように

・助け合って生きて行けますように

・他人の個性、尊厳を認め、尊重して行けますように

・心が尊大になりませぬように

・他人を見下すことがありませんように

・おごり高ぶることがありませんように 

など様々な意味を込めて、お祈りしています。 

私たちみんなが、この「お陰さまの気持ち」を持って謙虚に生きられたら、

他人を思いやる優しい気持ちで生きられたら

この世の中からギスギスした雰囲気が消え 

春の日差しのように、心地よい、温かな光に包まれることでしょう。 

そこに住む、みんなの顔が、笑顔で溢れ、笑い合って暮らしていけることでしょう。 

そんな、願いを込めて、お祈りしています。

さて、このお陰さまに関して、とっても良い詩があります。 

上所重助さんと言う方が書いた「おかげさま」という詩です。

以前も掲載したことがあったのですが、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

夏が来ると「冬がいい」と言う

冬が来ると「夏がいい」と言う

太ると「痩せたい」と言い

痩せると「太りたい」と言う

忙しいと「暇になりたい」と言い

暇になると「忙しい方がいい」と言う

自分に都合のいい人は「善い人だ」と言い

自分に都合が悪くなると「悪い人だ」と言う 

借りた傘も 雨が上がれば邪魔になる

金を持てば 古びた女房が邪魔になる

所帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが

上を見て不平不満の明け暮れ

隣を見て愚痴ばかり 

どうして自分を見つめないのか

静かに考えてみるがよい

一体自分とは何なのか

親のおかげ

先生のおかげ

世間様のおかげの固まりが自分ではないか

つまらぬ自我妄執を捨てて

得手勝手を慎んだら

世の中はきっと明るくなるだろう 

「俺が」、「俺が」を捨てて

「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい 

<引用終了> 

本当にその通りですね。 

私たち人間は結構、我がままです。 

その我がまま(我欲)が本来の魂の輝きを隠し、罪、穢れとして付着してしまい。 

運命を暗く、苦しいものにしてしまいます。

人生が順調の時は、どうしても、「お陰さま」の気持ちを忘れがちで、

尊大な心になることもあります。 

そんな時は、もしかしたら他人に対する優しさを忘れてしまっているかもしれません。 

自分の思い通りにならなければ、イライラしてしまうかもしれません。 

感受性が鈍り、すぐそばに居る人の、瞳の奥に隠れた 

・寂しさ

・悔しさ

・不安

・恐怖

・ひもじさ 

などを見過ごしてしまうかもしれません。

もしかしたら 

死別や病気やケガ、急なリストラ、貧困、離別などは、

神さまが、私たちに大切な「お陰さま」の気持ちを思い出させるために

起こしていることかもしれませんね。  

もし、私たちの心が、お陰さまの感受性を持つならば、自然と感謝の気持ちに溢れ、

「ありがとう」の言葉が、口から出てくることでしょう。 

そして、既に、その時は生きながら、天国を実現している状況です。 

まさに空海の仰った言葉の通りの状態です。 

空海は仰いました・・・

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。 

空海は、そう仰ったのでした。 

生きながら天国に住む、仏の心になる。

これが、空海の説いた即身成仏の意味です。 

皆で協力し、助け合い、お互いさま、お陰さまの、謙虚な気持ち、温かな気持ちで 

仲良く暮らしていきたいものですね。

この「お蔭様」の感受性を持つことで、きっと幸せに暮らしていけると思います。


2025年3月3日月曜日

3720 DOGEによる「悪と詐欺の曝露」が結果的にアメリカの「破産」に結びつく2025.3.3

  今回はIn Deepさんの2025年02月24日の記事を紹介します。


「DOGEによる「悪と詐欺の曝露」という正しい行いが結果的にアメリカの「破産」に結びつくメカニズム。それが世紀の「大奪取」につながる可能性」

In Deepさんのサイトより

https://indeep.jp/the-us-collapse-and-doge/


真実の曝露に伴う巨大なペイン

最近、いくつかの記事で、今後の経済や金融について書かせていただくことがありました。

悪人が語る「2025年 通貨と金融の大リセット論」を拝聴してみる

 In Deep 2025年2月22日

エド・ダウド氏が述べる、2025年に必ずやって来る世界的な景気後退と金融危機

 In Deep 2025年2月11日

他の国はともかく、現在、アメリカの景況感がかなり悪くなっていることを最近のデータで知りました。エコノミック・サプライズ指数というものがあり、細かいことはともかく、それが非常に低くなっていることが示されています。

米国の「経済サプライズ指数」が昨年9月以来最低に

 BDW 2025年2月24日

景気後退については、たとえば、エド・ダウドさんのような専門家は、以下のように述べています。

「 2025年には景気後退が予想されます。世界の他の地域ではすでに景気後退が始まっています。これは世界的な景気後退になるでしょう」 (indeep.jp)

仮に、ダウドさんの予測のように、今後、本格的な(しかも世界的な)景気後退になっていくのだとすれば、それに伴い、市場も影響を受けるはずです。

金融アナリストによるフリンジファイナンスというブログでは、最近、

「次の市場暴落は私たちの脆弱な脳を破壊するだろう」

という刺激的なタイトルの記事を掲載していましたが、長い記事のひとつの部分だけを抜粋しますと、以下のように書かれていました。

「次の市場暴落は私たちの脆弱な脳を破壊するだろう」より

経済全体が、資産価格を高騰させるために設定された現代貨幣理論のシステムの範囲内に存在することは一つのことだ。

公平に言えば、 市場が非合理的で過度に楽観的な期待を持つことを期待しないのは愚かなことだ。

しかし、現在の期待の高まりと、市場は最終的には劇的に下落するだろうという私の数学的確実性とを合わせると、次の暴落は投資家のかなりの部分の頭脳を壊滅させる可能性が非常に高いといえる。

ここから、市場の急激で決定的な下落は、おそらくまず経済の減速の結果として起こり、その後、劇的な形で、負債解消と投機解消の急速な連鎖が人々を経済的に苦しめることになるだろう。

しかし、心理的に本当に苦しめられるのは、まだ長期にわたる重大な経済的苦痛を感じていないまったく新しい世代の投資家たちだ。

考えてみよう。COVID の暴落でさえ数週間で終わったのだ。

これは、長期にわたる景気後退や市場の下落をまったく感じていない投資家たちが市場全体にいることを意味する。そして彼らは、市場が通貨や米国の信用力に対する信頼を失った場合に何が起こるかという不況や心理的不安をまったく感じていない。

…心理的に FRB が介入し、株価が再び上昇する日が来るだろうが、平均的な投資家は不況の苦難を生き抜くことになる。

これは、金融資産を所有できるほど幸運な人たちのことだ。多くの下層・中流家庭は、多額の金融資産さえ持っていないどころか、純資産がマイナスだ。こうした階級が被る打撃は、私たちがこれまでに見たことのないようなものになるだろう。

…この記事を書いたのは、恐怖をあおるためではなく、米国が COVID でパニックに陥る前に私がおこなったことを再びするためだ。

つまり、本当にひどい事態になったときに、私を含めて、心理的に誰にとってもまったくの不意打ちの驚きにならないように、精神的な訓練をしようとしている。

QTR

悲観的といえば悲観的な市場の予測をしてらっしゃるのですけれど、まあ、これはあくまで市場の話であり、それが暴落しようが崩壊しようが、日々の一般の人の生活への影響は不明です。

もっともアメリカの場合、金融資産の多くを株で持つ人の率が非常に高く、「アメリカの世帯の金融資産の 41%以上が株式」というデータが昨年出ていますので、極端な暴落の際には、それなりに影響を受ける人たちも多いのでしょうけれど、日本の場合、実際の数値は知らないですが、株で資産を持つ人の割合はアメリカなどよりかなり低いと見られ、株式市場の動向が実際の生活にどう影響するのかは(値動きの極端さにもよるでしょうが)不明です。

しかし、市場はともかくとして、たとえば、

「国家が破綻した」となると、無事でいられる国民はあまりいないかもしれません。

今回ご紹介するのは、たまに取り上げさせていただく米国保守系のメディアである USA ウォッチドッグのインタビューで、金融ライターで貴金属ブローカーのビル・ホルターさんという方のものです。

まあ、この USA ウォッチドッグに出てくる方々は「極端なことを言う人が多い」のですけれど、そういう意味でも、一種の「娯楽」として読まれていただくのがいいかと思います。

かなり極端なことを言うので、言うことはあまり当たらないですから。

ビル・ホルターさんは、トランプ氏とイーロン・マスク氏の DOGE (政府効率化省)のことを挙げていまして、 DOGE は次から次へと、さまざまな不正や詐欺を暴き続けていまして、賞賛されている部分が大きいですが、

「結果として、それがアメリカの破産を導く」

としています。

これは、トランプ氏とマスク氏のしていることが良いとか悪いとかという話ではなく、行われていることは正しいとしても、真実が暴かれれば暴かれるほど、海外との関係に問題が生じてくることなどを述べています。

そして、システムが破綻した後、「大奪取 (The Great Taking)」が起こるだろうと述べていました。

「大奪取」については、書いたことがあるような気がしていたのですが、ブログではふれていなかったようです。

これは、元ヘッジファンドマネージャーのデビッド・ウェッブ氏が提唱した言葉で、「一般大衆からすべてを奪う」というものであり、以下は、以前のメルマガで書いたものです。


デビッド・ウェッブ氏の著作「大搾取」より

大奪取は、現在世界中で同時進行している債務蓄積のスーパーサイクルの最終局面だ。

この計画は、長い時間をかけて計画された知的な設計によって実行されており、その大胆さと範囲は人間の頭で理解するのことは難しい。

含まれるのは、すべての金融資産と銀行預金、すべての株式と債券、したがって、すべての在庫、設備、土地、鉱床、発明、知的財産を含む、すべての公開企業のすべての基礎資産だ。

いかなる金額の負債によって資金調達された私有の動産および不動産も同様に差し押さえられ、負債によって資金調達された私有企業の資産も差し押さえられる。

たとえ部分的にでも成功すれば、これは世界史上最大の搾取と征服となるだろう。

…彼らの計画は数十年にわたって実行されている。

このような「勢力」は、過去 50年間にわたり、そのような法制度を確立し、あるいは、株式、債券などの投資が口座保有者から離れて集中化された歴史、などを述べていました。

そのメルマガで、投資家のニック・ジャンブルーノ氏という方の寄稿文もご紹介しました。

投資家ニック・ジャンブルーノ氏の記事より

必要なのは、破産の波を引き起こす大きな危機だけであり、世界の中央銀行の背後にある隠れた勢力は、すべての人の株式、債券、および借金で賄われたあらゆる財産を奪うことができるようになるだろう。

証券口座、銀行口座、年金、その他の金融口座に保有していると考えている資産はすべて一夜にして消えてしまう可能性がある。

…重要なのは、これには銀行口座の法定通貨も含まれるということだ。

覚えておいてほしいのは、不換紙幣は破産した政府の裏付けのない負債だということだ。

さらに、銀行に通貨を預けたら、それはもはやあなたのものではなくなる。技術的にも法的にも、それは銀行の財産であり、あなたが所有するものは銀行の無担保負債となる。

私は、大奪取はほとんどの人が考えるよりも早く起こる可能性があると考えている。

Nick Giambruno

ある「勢力」の人たちにとっては、大きな危機は「起こらないより起こったほうがいい」ということになるようです。

そんなわけで、次の何らかの、それは金融でも市場でも国家破綻でも何でもいいのですが、何らかの危機が起きた場合、その規模が大きければ大きいほど「嬉しい」人がこの世にはいるようです。

というわけで、アメリカの国歌破産についてのビル・ホルターさんのインタビューからの抜粋です。


DOGE が米国の破産リセットを強制する – ビル・ホルター氏

DOGE Forces US Bankruptcy Reset – Bill Holter

usawatchdog.com 2025/02/22

金融ライターで貴金属ブローカーのビル・ホルター氏が、トランプ氏の DOGE (政府効率化省)チームの影響に関する新たな警告を携えて戻ってきた。

連邦政府の監査で明らかになった膨大な詐欺と無駄遣いは、今や誰もが知るところとなった。

国家が生き残るためには、そう(詐欺と無駄遣いを暴くこと)しなければならないのだが、多くの人たちが見逃しているのは、こうした監査の避けられない結果だ。

ホルター氏と元ビジネスパートナーのジム・シンクレア氏は、約 5年前に米国の破産シナリオを提示した。その投稿のタイトルは「トランプ氏の勝利は、米国破産後の前進への道を開く - ホルター&シンクレア」だった。

もちろん、ドナルド・トランプ氏は 2020年に大統領選に「敗北」し、破産ボタンは押されなかった。

当時、ホルター氏とシンクレア氏は、米国は破産するだろうと明確に述べていた。

唯一の疑問は、アメリカは「法の支配の下で、あるいは混沌の支配の下で」財政的に再編されるのかどうか、ということだ。有権者は 2024年にトランプ圧勝で法の支配を選んだ。

ホルター氏は以下のように説明する。

「数学的には、これはどちらかには下がるだろう。支払いが滞ることで下がるか、ドルの価値が急上昇することで下がるかのどちらかだ」

「彼らは現在の条件では利子と負債を返済できない…彼らはより多くのドルを作り、ドルを返済するために各ドルの価値を希薄化しなければならないだろう。問題は、これが法の支配の下で下がるのか、それとも完全な詐欺と腐敗の支配の下で下がるのかだ」

「…バイデン政権の最後の日々を見てほしい。何千億ドルものお金が裏口から出て行った。私が言えるのは、これが終わったら、その人々は刑務所に行くほうがいいということだけだ。そうでなければ、真の法の支配を見ているわけではない」

ホルター氏はさらにこう述べている。

「 DOGE はあらゆる種類の詐欺を暴いている。これは帝国や企業の終焉に見られるものだ。帝国が破綻するまさにその最後に詐欺が見られる。現時点で DOGE が明らかにしている範囲は衝撃的なものだ」

「... DOGE が掘り起こせば掘り起こすほど、真実が明らかになり、信頼は崩れるだろう。外国との信頼が崩れると、それは大きな問題となる。今年だけでも、米国債の繰り越しは約 10兆ドル(約 1500兆円)ある。今後 4年間で 28兆ドル(約 4200兆円)になる」

「米国債に対する需要はなければならないが、DOGE が真実を明らかにすることはその逆効果となる。彼らは真実を明らかにしているが、真実は信頼を傷つけるからだ... DOGE は 50年前に行われるべきだったことを現在行っている。もし私たちが本当の会計を持っていたら、問題はなかっただろう。現在、このシステムは USAID やさまざまなプログラムから流れ出る現金の流れに完全に依存しているが、それが停止されようとしている。ギアボックスに砂を投げ込むようなものだ。システムは停止し、それが『大奪取』につながるだろう」

 

ホルター氏は、以下のように予測している。

システムが停止すると、デリバティブが崩壊し、金融機関が破綻する。その後、どうなるか想像できるだろうか。彼らはあなたの資産をすべて奪う。今日の法律では、彼らはそれを合法的に行うのだ

 

5年前、ホルター氏とシンクレア氏は金(ゴールド)がもっと高騰すると予測した。

現在、金が 1オンスあたり 2,900ドル (約 43万円)以上で推移していることは彼らの予測が正しかったことを示しているが、ホルター氏は、「まだ何も起きていない」として以下のように語った。

「金は通貨や体制の健全性を示す温度計だ。2,950ドルで金は今、警鐘を鳴らしている。一般の人はそれを警鐘とみなしていないが、警鐘であることには変わりない。人々は金を使ってシステムから抜け出そうとしている」

「結局、あらゆるところに詐欺があったことがわかるだろう。また、これらすべての暗号通貨がデジタルエアの完璧な会計システムであることもわかるだろう」

 

最後にホルター氏は、返済不能な債務が何兆ドルにも上ることを考えれば、金融システムのリセットによって金は 1オンスあたり 10万ドル (約 1500万円)以上に簡単に再評価される可能性があると述べている。

ホルター氏は「これにより、世界中の中央銀行が再び流動化される。世界中の中央銀行がそれについて不満を言うとは思わない」と述べている。ホルター氏は、金融システムのリセットによって銀も 1オンスあたり数千ドルまで再評価される可能性があると述べている。


2025年3月2日日曜日

3719「日常の中の幸せ」2025.3.2

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月13日の記事を紹介します。


「日常の中の幸せ」


地球の波動がどんどん上がり、 

・思ったことが実現するのに、それほど時間がかからなくなったり、

・波長が異なる者同士は、いつの間にか疎遠になったり

・神様が自然に「人払い」するようなことが起きたり、

・隠されていた闇が白日の下にさらされたり、 

色んな現象が起こっているようです。 

ますます私たちの心の状態により、引き寄せられる世界が明確に分離していくのでしょう。

今日のテーマは「日常の中の幸せ」ですが、それに入る前に

斎藤一人さんの、簡単な言葉を掲載します。 

一人さんは、子供のころから、アメノミナカヌシ神と交流されていた方です。 

アメノミナカヌシは、150億年前の、この宇宙創生の時の最初の神様です。

その直後に高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)

要するに結びの力(中間子、弱い力と言われるもの)が現れ、

原子、分子など物質世界が形成されます。 

一人さんのお話では・・・ 

身近な人が苦しんでいても、過剰に心配する必要はないよ。

ただ信じてあげるの。 

人って、それぞれ学ぶべきことを決めて生まれてくるんだよ。

だから、上手くいかなくても、「うまくいかない」ってことを学んでいるだけ。 

さて今日のテーマ、平凡な日々の中にある幸せについてのお話です。

鈴木秀子さんのお話です。

鈴木さんは、聖心女子大学教授で、

「死にゆく者からの言葉」

「子どもを傷つける親癒す親」

「あなたは、あなたのままでいてください。」

「死にゆく者との対話」

「臨死体験生命の響き」 

などの多数の著作者として知られています。 

クリスチャンでシスターでもあります。

そして臨死体験者であり、神様との直接的な接触、光体験をされた方です。

<引用開始>

物やお金にしがみついて、その繁栄だけを求めると、ちょうど切り花を飾ったようで、

目に見える世界はきれいになるし、いかにも幸せそうだけれども、そういうものだけで満たされると、心の空しさが起こってくるんですね。

あるとき、講演でこういう話をしたら、講演が終わったあと、一人の紳士が

「コーヒーを御一緒する時間はありますか」と言うので、ご一緒したことがあるんです。  

その方は精神科のお医者さんだったのですが、おっしゃるには、人間のエネルギーには

縦と横の線があって、例えば 

・横線を お金や物や地位のエネルギーだとすると、

・縦線は 見えない世界だというんです。

もし人が10のエネルギーを持っているとすると、物欲が広がれば広がるだけ、

縦のエネルギーはなくなるわけです。

ところが、その人がある日、ガンの宣告を受ける。

あるいは会社が倒産したとか、社長にしようと思っていた息子が死んだりしたというような場合、突然頼りにするものがなくなるわけですから、どんでん返しがきますね。

がんといわれて入院してしまったら、どんな大きな会社を持っていようと、何の役にも立たない。

そこで初めて、自分の頼りになるものは、何だろうかと考えるんですが、そのときに、いかに縦の線を短く生きてきたことかということを、しみじみと感じるというのです。

それまでは8ぐらいあった横のエネルギーが、1か2になってしまうわけですから、

その分を2しかなかった縦の線に、振り替えていかなければならない。 

そういう人を何人も診てきたけれども、その振り替えがいかに大変かというお話しでした。

私はほとんど寿命が尽きて、いつ亡くなるかわからないような人を病院に訪ねて、

「何かしたいことがありますか」と訊いているんですが、だれかと諍いを起こしたような人がいれば、まず「仲直りをしたい」というんです。

やはり人間には愛が一番大切だから、それに背くような行為があったら、修正して愛でつながりたいという願いが一番強いんですね。

その次に言うのは、「家に帰りたい」ということ。

それから、皆チューブでつながっていますから、「自分の口で食べたい」と言う。

「自分の足で立って、歩いてお手洗いにいきたい」と言う。

ほとんどの人がこういうことをいうんです。

それを聞いて私がいつも思うことは、私がいま会っている人で、自分の家に帰れられないような人はいないし、食べ物も自分で自分の口で味わえる。

私たちにとっては、自分の足で歩いて家に帰るなどということは、当たり前のことで、 

死んでいく人のように、切実に思う人なんて、いないということなんです。

ところが、それがどれほどの恵みであるか、そういうことには気が付かない。

だから、私は死んでいこうとしている人たちが一様に望むことというのは、

生きている人たちへの遺言だと思うんです。

「当たり前のことこそ恵みで、死を間近にしてそのことに気が付くのでなく、 

いま気付きなさい」

ということを伝えているんだと思うんですね。

何かをすれば幸せになるのではなくて、いまが、幸せなのだということに 

気付くことだと思います。

<引用終了>

横線である、見えるもの(お金、地位、名誉、財産、学歴)だけでなく、

縦線である、見えないもの(優しさ、愛、友情、いたわり、思いやり、信じる心)も本当に大切ですね。 

そして私たちは死が近づくほど、これら見えるものを、段々とそぎ落とし、見えないものの、大切さがわかってきます。 

死に際しては、見えないものしか持っていけないのですから・・

・貴方には今、帰る家がありますか?

・待っててくれる人がいますか?

・話を聞いてくれる友達はいますか?

・目は見えますか?

・耳は聞こえますか?

・歩けますか?

・自分で食事はできますか?

これら、普段は当たり前だと思っていること全てが、本当は、奇跡で、有難いことなのです。

私達も死の淵まで行かなくと、病気になったり入院したりした時、同じように思うこともあります。 

そんな時は、周りの人の何気ない優しさが、どんなに嬉しく感じることか?

逆に、周りの人のちょっとしたトゲのある言葉に、どんなに傷つくことか?

私達が亡くなる時、それはもしかしたら、そう遠くない日かもしれません。

本当の幸せがわかっていなかった。

命が何万年もあるみたいに思い込んでいた。

そんな後悔をしないためにも、ちょっと立ちどまり、家族の顔を見るとか、

友達のこと、親切にしてくれる人のことを、少しでも思ってみることができれば、 

生きているうちに、幸せを噛みしめることができるかもしれませんね。



2025年3月1日土曜日

3718「動物と人間」2025.3.1

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年02月14日の記事を紹介します。


「動物と人間」


今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。

家にも犬2匹、ネコ1匹います。(ネコは生後間もなく保護したねこです)

下記の映像で小学生の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。 

動物のお話は、3分20秒くらいからです。 

この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)

神さまが犬や猫に与えた役割

犬の役割

・人を護るため

・人に愛を与えるため

・心配や不安を抱いて生活していると犬も共感力が強いため、心が苦しくなる・悲しくなる 

ネコの役割

・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう

・しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せ

・その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりする 

 

犬や猫など人間のそば近くで生きる動物たちは、

かなり進化の階段を上っているそうです。 

まだ進化の低い段階の動物たちは、決して人間とは交わることがないのだそうです。

そして幸運にも人間のそば近くで、生きることのできた動物たちで、 

更に人間から深い愛を受けた生命体は、急激に進化の段階が進むことができるそうです。

最終的には人間として生まれてきます。

またトキ君のお話にあった、ネコは飼っている人(家族)の邪気を吸い取る・・ 

この言い回しは非常に日本的で、日本古来の縄文の神様の意識です。

(やはり節々にトキ君が日本神界の高位の神様の生まれ変わりであることが伺えます)

つまり大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に書いてありますように

決して邪気・悪を消滅させてしまうのではなく、

抱き参らせ、浄化し、清いエネルギーに変換・浄化してしまうという、 

美しくも優しい、縄文の精神です。  

家にも犬とネコがいます。

何だか愛おしくなってきますね。 

さて、以前「動物の進化の過程」について記事を書きました。

以下掲載します。

 死についてのお話です。

死と言うと、それは私達肉体がある者から見ると、 

・もの凄く違う世界への旅立ち、

・忌み嫌うべきもの・・

と思いがちですが、決してそうではありません。

今世の目的を終わらせ、神様から借りていた肉体をお返しし、

本来の魂の存在に戻り、次の進化の階段を進むだけです。

ですので身近な人の死に対し、残された人達が、何時までも何時までも、

悲しんで引きずる事は良いことではないと言われます。

その残された者の強い思いは、強力なエネルギーを持ちますので、 

やっと予定通りの肉体での生活を終わらせ、

進化の道を進もうとする魂を引き留め縛り付け、

何時までもここ3次元の世界から離れることが出来ない状態にさせてしまいます。 

それ程人の想いは強いものです。

それがよくわかる例を1つご紹介します。

東洋の叡智であるヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として 

広く世界に知られているヨガナンダのお話です。

ヨガナンダがインドに作った全寮制の学校での出来事です。 

(ヨガとは神との一致を意味する単語です。

一般的な体操のヨガは、神と一致するための技法のひとつです)

<引用開始>

ランチ(ヨガナンダが20代前半にインドに設立した学校)には、

われわれの自由に使用できる10ヘクタールほどの肥沃な土地があった。

われわれはそこに、果物や野菜を栽培し、また、そこで戸外の作業を楽しんだ。 

動物もたくさん飼っていたが、

中でも一匹の子鹿は、生徒たちからたいそうかわいがられていた。

私もこの子鹿が好きで、夜は自分の部屋に寝かせたくらいだった。 

明け方の光が射し込んで来ると、

この子鹿は、ちょこちょこと私のベットに歩み寄って来て、朝の愛撫を求めた。

ある日、私は用事で町へ出かけた。

そのため、私はいつもよりも早めに子鹿に餌をやって、

子供たちには、私が帰るまでは子鹿に何もやってはいけないと言い付けておいた。

ところが、生徒の一人が私の言い付けを忘れて、ミルクをしこたま飲ませてしまった。

夕方私が帰ると、生徒たちが悲しい知らせを持って駆け寄って来た。

『子鹿が、ミルクを飲みすぎて死にそうなんです!』

死んだようにぐったりした子鹿をひざの上にのせて、私は涙とともに、 

神に、子鹿の命を助けたまえ、と祈った。 

2、3時間すると、子鹿は目を開いて立ち上がり、

力なく歩きはじめた。学校じゅうの者が歓声をあげた。

しかしその夜、私は忘れることのできない深い教訓を与えられた。 

私は夜中の2時ごろまで子鹿のそばに起きていたが、

そのうちにうとうとと眠ってしまった。 

すると夢まくらに子鹿が現れて、私にこう言った。

『あなたが引き止めるので、私は行くに行けません。

お願いですから、どうか私を行かせてください』

『よし、よし』私は夢の中で答えた。

私はすぐに目をさまして叫んだ。

『おい、みんな、子鹿が死んでしまうよ!』

子供たちは私のそばに走って来た。

私は、部屋のすみの子鹿のところに駆け寄った。 

子鹿は最後の力を振りしぼって、つまずきながら私の方に歩み寄ると、

ついに力尽きて、私の足もとに倒れて息が絶えた。

この子鹿は、動物たちを支配するカルマによって、今ちょうど鹿としての生涯を終えて、

より高等な動物に進化する時期に来ていたのである。 

ところが、私の愛着(これは利己的なものであったと、あとで気づいたのであるが)と、

熱心な祈りのために、子鹿は今の状態から離れることができず、

その魂が解放を求めてあがいていたのである。

子鹿の魂は、私の理解ある許しを得ずに私のもとを去ることができなかったので、

夢まくらに現れて嘆願した。 

そして、私の承諾を得るとすぐに旅立って行ったのである。

悲しみは消えた。神は、その子らであるわれわれが、

万物を、神ご自身の一部として愛することを欲しておられるが、 

また、死によってすべてが終わってしまうわけではないことを、

理解するように望んでおられる、ということを私はあらためて悟った。

無知な人は、死を、

自分と愛する人々を永久に隔ててしまう越えることのできない壁、とのみ思っている。 

しかし、万物を神の現われとして愛することを知っている執着のない人たちは、

死とは、その愛するものが再び喜びに満ちた最高のいこいの場所である、

神のふところに戻るだけだ、ということを理解しているのである。

<引用終了>

生まれて来た以上、どんな人も動物も、命あるものは死を迎えます。

それは遅かれ早かれ時間の問題です。

ですが、その死(別れ)は神様が許したこと、

本人の潜在意識が生まれる前に計画してきたことです。

愛する人の死は本当に辛いものです。

死と言う肉体との別れが来た時、その悲しみを味わったら、

最後はありがとうと感謝で送ってあげるのが良いですね。

その人は既に死と言う境界を通過して、

大きな進化の階段をのぼろうとしているのですから。

肉体をまとう期間は短く、そして有限ですが、魂は永遠で、そして不滅です。

私達、人間、動物、植物、全てのものは霊的な魂を持ち、

常に神様へ向かう進化の道程の中に居ます。

死は、その一瞬の通過点にしかすぎません。