2013年6月12日水曜日

215「古の世界2」2013,6,10

 2日目も素晴らしい天気に恵まれました。予定時間に宿を出発してまず宮沢賢治が奉職していた花巻農学校、羅須地人協会の見学です。
 賢治は農学校退職後に羅須地人協会を設立します。賢治が住んでいた宮沢家の別宅が協会として活動の拠点と成ります。そこは自給自足をめざす独居自炊の私塾です。賢治は昼間は周囲の田畑で農作業にいそしみ、夜には農民たちを集め、科学やエスペラント、農業技術などを教え、また、それとともに自らが唱える「農民芸術」の講義も行われました。しかし協会の活動はあまり長くは続きませんでした。その家が「賢治先生の家」として花巻農学校校内に移築され、整備管理されています。家の玄関わきの黒板には「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書かれています。こじんまりした2階建ての家ですがそこには「「賢治先生が今そこに・・・」という雰囲気が充ちていて心が清められ、清々しい気持ちになります。」と案内にありますがまさにそんな世界です。





  実は天命塾のメンバーに花巻農学校に奉職するK先生がいます。Kさんは今回の旅にも参加してくださっていて、いろいろ案内して頂きました。ありがたいご縁です。岩手に住んでいても今回の訪問先、特に1日目の処は全て未だ訪れていなかったので彼女も地元岩手の素晴らしさに改めて気づかれたようです。

続いて宮沢賢治記念館、童話村を午前中いっぱいで巡りました。



私は何度も訪れていますので記念館の奥にある胡四王神社に参拝しました。ここはあわ歌の旅で中山博さんと訪れたところで重要な地です。この神社にKさんは毎月参拝して下さりあわ歌を奏上して下さっています。今回は一緒に花巻を北に見下ろす高台であわ歌を歌いました。良き響きです。
 昼食は記念館から程近いお店で八福そばを頂き、ビールで喉を潤してエネルギー補給して頂きました。池には蓮の花が咲き誇り、丁度見ごろで素敵な昼食に花を添えて頂きました。午後からは程近い花巻市の冠山蝙蝠岩弘法大師霊場、丹内山神社、北上市の縄文樺山遺跡を巡ります。



 冠山蝙蝠岩弘法大師霊場は是までも何度も訪れています。今回もひっそりと自然の中に溶け込んでいます。「伝説によれば、後の弘法大師空海が、唐の国(今の中国)に渡る前の諸国巡錫(じゅんしゃく)の途中に休息されたところ、全国に数多くある杖立て伝説が語り伝えられている一つの霊場である。今では国道456号沿いに位置するが、その昔は山深く、大岩が重なる山中にあり、山伏の修練の場でもあったと伝えられている。奥の大師堂には、大日如来、不動明王、弘法大師が安置されている。太子堂の裏手は花崗岩の重なる山で、ひときわ大きい冠の形をした岩もあったところから、ここは冠山(かむりやま=かんむりやま)と呼ばれてきた。また、多くのこうもりが住むところから蝙蝠岩とも呼ばれこれが現在のバス停の名称にもなっている。」と解説があります。               
 太子堂裏手の弘法大師を祀る奥の院まで皆さんを案内しましたが、巨石が折り重なり室が出来ているのに皆さん驚きです。自然に出来たのか。人為で配置したのか、果たして古において何を求めて如何様に業が成されていたのでしょうか。



 丹内山神社はアラハバキ大神の巨石が鎮座する由緒ある神社です。ここも参拝者も無く森閑として私達を迎えてくれました。この地は坂上田村麻呂、藤原清衡、物部氏、南部藩主等の崇敬厚く領域の中心的祈願所だったところです。アラハバキ大神と神社に付いて以下の記載があります。
 「この丹内山神社は、高橋克彦の『火怨—北の燿星アテルイ』で、蝦夷(えみし)の首領・阿弖流為が、アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)神の御神体の前で、巫女により祝詞をうけ、21年後の坂上田村麻呂との決戦を予見するシーンの舞台となっている。 小説では、東和の里が物部氏の本拠地となっている。蘇我氏との戦いに敗れ都を追われた物部は、物部の聖地であるこの地に潜み、金を採掘し、蝦夷を経済面でサポートする。
 アラハバキとは物部を繁栄に導く、鉄の山を支配する神だとされている。そもそもアラハバキは荒い脛巾(はばき)で、ハバキはすねに巻きつける脛巾(きゃはん)のこと。すなわち足にまつわる神に由来し、旅の神とか道中安全の神というあたりになる。しかし、実態となるとまったく正体不明。あの柳田國男でさえ「神名・由来ともに不明である」(『石神問答』)と言わしめた謎の神だ。その起源等については、高橋氏の『火怨』説を含めて様々な説がある。もっとも有力と思われるアラハバキ説は、客神(まろうどがみ)または門客神(もんきゃくしん)とする説だ。地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話の神々と立場を逆転され、客神となったとするもの。
 門客神として祀られているケースは、さいたま市大宮区の「氷川神社」で見られる。この摂社は「門客人神社」と呼ばれるが、古くは「荒脛巾神社」と呼ばれていた。
 この説について、『白鳥伝説』『日本の神々』の著者・谷川健一氏が次のように述べているのを見られたい。
 アラハバキの名称は荒脛巾に由来するが、その実体は蝦夷の神であった。蝦夷の神をもって外敵である蝦夷を撃退させようとした。それは異族である隼人に宮門を守らせ、朝廷のために吠声をさせるのとおなじ心理であった。アラハバキももともと名前をもたない蝦夷の神であったのが、やがて門客人神として体裁をととのえられ、アマト朝廷の神杜の中に摂社または末社として組み入れられていったのである。
 物部の神をアラハバキとみることも、あながち見当外れとは言えまい。丹内山神社に見られる磐座(いわくら)信仰は、神籬(ひもろぎ)信仰とともに神社の原始形態と言われている。アミニズムでは、石にはいろいろな神や霊が宿ると考えられていた。縄文期には死者の霊の宿ると考えていたが、しだいに「物」が宿ると拡大され「八百万の神」となって神道が形作られていく。
 「物の中に神が宿る」とする思想こそ、物部氏(モノとは武器、または物の怪) 的発想であり、磐座信仰は物部氏抜きには考えられない。」





 縄文樺山遺跡は何度も訪れているとてもお気に入りの世界です。小一時間ほど只々その場で天地を満喫しました。太陽、青空、眼下の北上川、田植えが終わった田んぼ、心地良く吹く風、木々の緑、五感六感を通して理屈抜きに縄文の頃の己にタイムスリップします。自然の中に溶けて行く、とても豊かな幸せ感でいっぱいになります。皆さんもしっかりと浸って楽しめたようです。

 素晴らしいエネルギーに満ち満ちてお蔭様で2日の旅の最後を締めくくる事が出来ました。水沢江刺駅で途中下車して先に返る方々を見送り、後は仙台駅に8時前に無事に帰り着き、全て楽しみのうちに旅を終える事が出来ました。この度でまた新たな世界が開かれたようです。

 

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