2014年10月9日木曜日

360「日高見遠野4」2014.10.8

  次の目的地の石上神社は遠野市綾織にあり、石上山の麓にあります。

「遠野物語 第二話」に以下の説話があります。
「神の始 
 遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑はしさなりき。
 四方の山々の中に最も秀でたるを早地峰と云ふ、北の方附馬牛の奥に在り。東の方には六角牛山立てり。石神と云ふ山は附馬牛と達曾部との間に在りて、その高さ前の二つよりも劣れり。
 大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。
 若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山に遊ばずと云へり。」

 更に三女神の伝説には以下もあります。
「安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。
 三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は一切見えずになりたり。それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せしものなり。」

「坂上田村麻呂、東夷征伐の時、奥州の国津神の後胤なる玉山立烏帽子姫という者あり。田村麻呂は東奥を守護せり後、立烏帽子姫と夫婦になりて、一男一女を産めり。其の名を「田村義道」「松林姫」と言へり。
 其の後「松林姫」は三女を産む。「お石」「お六」「お初」と言った。三人は各所にありしが牛や鳥に乗りて集まりし所を附馬牛という附き馬牛にて、到着の儀なり。
 天長年間、「お石」は我が守護神として崇敬せし速佐須良姫の御霊代を奉じて石上山に登り、「お六」は、守護神の速秋津姫の御霊代を奉じて六角牛山に登り、「お初」は瀬織津姫の御霊代を奉じて早池峰へと登った。」

 ここにある遠野三女神が住む遠野三山とは早池峰山、六角牛山、石上山です。それぞれの里宮が早池峰神社、六神石神社、石上神社で、三女神の母神が居られますのが伊豆神社です。しかし現在、遠野三女神としては伊豆神社と早池峰神社に祀られる瀬織津姫のみが明らかで後の二女神はそれぞれの神社にありません。

 この遠野三女神についてまとめると以下の様です。
早池峰山、早池峰神社:早池峰大神は「おはつ」もしくは瀬織津姫
石上山、石上神社;石上大神は「おいし」もしくは速佐須良姫
六角牛山、六神石神社:六角牛大神は「おろく」もしくは速秋津姫

 左の図の様に石上山と、母神を祀る伊豆神社を結ぶ線上に、石上神社が鎮座していて、石上神社だけではなく、遠野三山の里宮はすべて、伊豆神社との線上にあります。更によくみると、「伊豆神社から遠野三山への各線を切断するかのように線路が敷設されているおり、遠野駅は早池峰山への線上にあります。まるで、結界を切る行為のような印象だ。これが意図的に行われている、つまり何かの呪的行為だとすると、柳田國男が当地に、非常な関心をしめしたのも・・」との表記もありました。


 三女神の三山居住といったこれらの伝説によって、早池峰信仰を中心とする信仰の伝説化・組織化が図られ、強化・伝播するためにようとしたのだとの指摘があります。三女神の母神(大元神)とその子神三神の一神が同一神であり、ひいては遠野三山は同一神の瀬織津姫の祭祀だったようだとあります。そしてそこに遠野三山における滝神の存在があると言います。
 瀬織津姫は瀧神でもあり、縄文の国津神で大和朝廷、持統天皇によってその存在を消され封印され、各地の神社の神名を変えさせられたと言います。いずれこの女神にはもう少し触れたいと思います。
 更に、三と言う数字は霊数であって、超常的な力を持ちますが、三つに分割することで、力が三分割になるのでは無く、三と言う霊力を持つことが出来ると言います。この思想の発祥は、海人族から発生したもので住吉三神・宗像三女神など様々に分割した神が存在するのは、三と言う霊力を帯びる為に造られた神であると考えられています。 
 つまりここでは早池峰の女神が本体であり、それを三分割で表す事によって、霊力を増し、またその御霊を保護したものと捉える事ができるようです。

 石上神社はこじんまりした社で、神紋は丸に七曜です。この七曜は純粋に北斗七星だけでもあります。神社であわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。 
「来る日迫りて、皆々様へ送る光は、一段と強きと成るを心得なされ。
 光も共々成る事なり。
 大きく進みは、この宇宙成りせば、人皆進みて共々に参られませ。」15:40
 西の石上山の方から太陽の強い光が射しこんで来ます。




 今日の巡りは順調で予定の時間より早く終えられそうです。残すは神遺(かみわかれ)神社と早池峰神社の2か所です。

 神遺神社に向かって無名の峠を越えて進んでいると、中山さんが「山下りて田開け、進み行くと水湧き出る泉あり」(記憶が曖昧ですがこんな感じの表現だったようです)の様な言葉が来ているが峠を下ってそのようなところがありますかと言います。
 私はとっさに早池峰神社の先に、又一の瀧と言う有名な瀧がある事をお伝えすると、どうやらそこの様だと言います。地図で確認しながら進むうちに神遺神社に着きました。


 神遺神社は遠野三女神が分かれたところと言われます。ここは三女神に垣間見れる唯一場所ですが、道沿いですがポツンと小さな小屋の中に石碑として祀られています。
 ここではあいうえおを響かせるだけでしたが以下のお言葉がありました。
「歌響かせて光持ちて是より参る。共に参らせませ。案内ありがたき。」16:08

 どうやら一緒に又一の瀧に行くようです。時間は16時を過ぎていますので先を急ぎます。
早池峰神社を過ぎて薬師岳登山口駐車場に16時半頃に着きました。
 車が駐車してあり、丁度下山してきたグループの方々が5~6名おられました。道に不案内な私たちにとってはここで会えたのは幸運です。その方々に又一の滝までの距離と時間を尋ねると1キロで20~30分と言います。山の日暮は事の他早いです。些か躊躇していると、その方が「県外の方でしょう、めったに見れない瀧だから、これだけの人が一緒なら行ったらいいよ」と言います。その言葉を受けて即、行動開始です。


 山道を早足で進みます。途中丸木橋を渡り、橋が壊れたところは石づたいに沢を渡り20分弱で目出度く瀧に着きました。壮大なスケール、素晴らしいものです。高さ20m幅5mの滝で、その上には巨大な一枚岩の平らな川床が長く続いていると言いますが下からは見えません。





最期の壊れた橋を渡るのは些か不安な1名は対岸からでしたが皆で、あいうえおを唱和しました。その時のお言葉です。

「あ~。響きはこの流れに光と共に乗せ行かん。
 大きなるこの山も光を受けて発し行く。
 生み出だされませ、是よりは、新しきへ誘う道を。
 う~う~。遥かな時より大きく開きて、ここにあるは真にありがたき。
 うるう、くだりて、ひみん、つるつる、つるる。」16:55
 我々の大きな響きに感応して下さり良いお言葉があったようです。私たちも大きな達成感に満ちて、元気に山を下りました。日足は早いので明るいうちに駐車場まで戻らないと危険です。その帰り道に中山さんにお言葉がありました。

「共よ、共よ、共々に、参りて下され、共々よ。
 大きく拡がり、参り行く歌の大きな響きには、
 古きを乗せて消し行きて、新たなる光と共々に。」17:05

 帰りの山道から月が綺麗いに見えたようですが私は下りに専念していて見れませんでしたが写真を送って頂きました。


 駐車場に無事に全員到着して17時20分頃には発車できましたが、丁度夕闇が迫って帳が降りる寸前でした。
 途中の早池峰神社にも寄って、駆け足状態でしたが、拝殿前であいうえおを響かせましたが既に夜の世界でした。その時のお言葉です。   
「晴れるや。おんどう、い~む、お~む、あ~。
 皆々、今あるはこの宇宙なるぞ、この山ぞ、この川なるぞ。この海なり。」17:35




 全ては計らいの中に動かされたようです。今日の行程時間の余裕も全て予定通りで丁度のリクエストが来ました。大いなる存在と私たち人間の共同行動も無事に終了できました。   
 宿で美味しい食事を頂き、ゆっくりと楽しく過ごしましたが例によって私は2次会早々にダウンです。皆さんも早目の就寝で22時にはお開きの様でした。
 その後に中山さんに以下のお言葉がありました。
「夢成るや。真なるや。新たなるは、真なるや。
 この身に写り来る事々、皆々、全き新しきなり。
 陽は登りて、沈み行くこの時に、皆々様には大切な大きなる時、参られませ。
 新しき光と共なり。」22:13


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