2014年10月14日火曜日

363「日高見遠野7」2014.10.13

 羽黒岩は遠野市綾織新里にあり、道の駅遠野風の丘のすぐ前で、立体交差している下の道路から登ります。

 入口には大きな一枚岩で出来た1本足の高下駄が据えられています。岩まではここから登り10分ほどですが、最後が少し急な登りで食後にはきつかったようです。出羽神社があり羽黒堂と書かれています。神社の脇に巨石の羽黒岩があります。




 この羽黒岩も巨石が3つほど林立していますが、最大のものは高さ9mもあります。この岩の形成については以下の様な記載がありました。
「この巨石が出来た遙か太古の時代には、この地域は巨大な河川敷か浅い海洋の中にあり、地下深くで造られた花崗岩が隆起し、流水の力で浸食され、丸みのある岩石になったと予想されます。やがて岩石の周囲の土砂が流出し、巨大な岩石が山頂部に取り残されたと思われます。」
http://www.uchinome.jp/oasis/kyoseki/kyoseki05.html

 その岩の間に皆で入ってあわ歌を響かせました。ここでも沢山の光が降り注がれていましたが、その時のお言葉です。     
「ずいずいずいと参り行く。
 来る光をしっかり受けて、参るは是より新たなるへ。
 北の地の大きなる岩、山と皆々繋ぎて和(輪)を作り、光を発して、
 この地の真を知らして、正して、遥かなるへ参りましょう。(拍手)
 大事なる真は是よりなり。
 このあわ歌に乗せ行きて、正したる後、知らせて参る。」14:53

 ここで北の地の大きな岩と山を繋いで輪を作り、光を発して、真を知らせ、正して行くとあります。あわ歌に乗せて正して、知らせ行くと。これからの方向が明らかになりました。

 次の目的地は北上市立花の多岐神社です。国道から脇の小さい道を下り部落の中を進みます。日曜日で稲刈り真っ最中で、神社に向かう両側の田んぼでは沢山の方々が作業をしています。道の行きあたりに神社があります。他県ナンバーの車が4台も連ねて大勢で参る姿は、近くに住む方々の目を引きます。

 鳥居から境内に入り本殿でなく、右手の山の方にある小道を登って行きました。それは、以前ここを訪れた時に中山さんから奥に何かがあるようだ、時間がある時に行きたいとのお言葉がありました。小道を進み登ると何故か庭園になり、家屋が見えます、そして池を回って下ると神社の左側に出てきて、ぐるりと回る事に成りました。




 池はそこから水が湧き出ていて、多岐神社に奥にある新山宮の東光の瀧の水源の様でした。中山さんが気になっていたのはこの池の様です。
 東光の滝は丸い巨石から滴り落ちる感じで、水量はあまりありませんが何とも風情がある滝です。
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/30180959.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/30181010.html

 多岐神社の御祭神は稲倉魂命(稲荷神)ですが本来の多岐神は滝神ではないかとの指摘があります。神社奥の新山宮には滝神の瀬織津姫神が祀られています。新山宮前であわ歌を響かせましたがその時のお言葉です。
   
「さあさあ参ろう。
 是よりこの地はひとつと成りて、嬉しき和(輪)を作りて、大きなる和(輪)へ繋がり行かれませ。
 生み出されよ、新しきを。」16:12

 お言葉にあったようにここの神社を廻り、一周させられ、なんだこういう事かと嬉しき輪を成したこと。そのことを更なる大きな輪に繋げて行き、新しきを生み出すようにとの事です。羽黒岩であった北の岩、山を繋ぐ事とも関連しています。

 歌い終わった時に、突然、男性から声がかかりました。地元の方で「ここには何度か来ているのか」と尋ねています。是まで4回程と言うと納得した様子で我々に対する疑念が少し払拭されたようです。
 何しろ大勢の方が作業している中、車を連ねて来たのですから、神社の氏子さん達には目立つ動きで、代表して様子を見に来たようです。
 彼は親しげに本殿を見ますかと言うので、お願いして見せて頂くことになりました。まず、新山宮の中に納まっている、瀬織津姫神とその後ろに斜めにある金精様を拝顔させて頂きました。

  次に多岐神社本殿の囲いの鍵を開けて中を拝観させて頂ける幸運に恵まれました。社は一枚板に複雑な彫刻が多種多様に成されていて、接ぎ木細工で出来ています。その見事な技は素人目にも分かる素晴らしいものでした。氏子さんはいろいろ親切に説明して下さりました。何ともありがたい事でした。お礼を述べて失礼しました。



 こんなことで余裕の時間もあっという間に無くなり、気が付いてみると曇り空のせいもあり日暮が近い感じになって来ています。急いで最終目的地の樺山遺跡に向かいます。同じ北上市で近距離にあり直ぐに到着できました。


 既に記念館は閉館しています。遺跡のストーンサークルで早々に響かせましたが、冒頭に 以下のお言葉がありました。   
「只々、この地におりて、ひたすらの日々持ち来りて、ここに至りた。
 う~む、ふる、う~。
 光とひとつと成り行きて、この地に柱を立てましょう。
 是より申す音三度唱えて、あの音、三度、最後にお、三度。お頼み申す。
 まずは、うふむ ふるうる 三度。」
 お言葉の通りの音を三度唱和響かせました。その後に以下のお言葉です。
「ありがたきなり。
 生まれ来る新しきへご用意致したり。
 存分に使われませ。
 共々なり、大きなる和(輪)なり。」16:53

 どうやら大きなる身としっかり繋げて出で下さることになったようです。光とひとつと成ってこの地に柱を立て、生まれ来る新しきへの大きな和(輪)と成るように動いて下さいます。

 ありがたき、嬉しきことです。今回の巡りの旅は目的を成就出来たようです。後はいよいよ10月10日の大和の白石での儀式が控えていますが、着々と準備が整って来ています。
後日解ったことですが、樺山遺跡であった「う~む、ふる、う~」の言葉の意味は、「原子・素粒子が分離と結合を永遠に繰り返している様」の様です。

 遺跡近くのコンビニでトイレを済ませ、買い物をして身体の生理を整え満たし、ガソリンスタンドで給油を済ませて、水沢江刺駅で別れ、それぞれ各所に向けて帰路に着きました。
 帰りの車中では「かたかむな、うるうの地。」のお言葉がありましたがどのように読み解くのでしょうか。
 車中のお話の中で、今回の巡りで新たな課題も頂きました。是まで北の力を南に繋ぐ事を為していました。今回の多岐神社で為した、小さな輪(和)をこの日高見の地で、北の岩と山を繋いで大きな輪(和)を作る事です。ですからこれまでこのような巡りが出来ていない、日本海側、秋田、山形、新潟?をも含めて太平洋側と大きな輪、和を作る事です。来年のテーマになりますが、私が取りまとめる形で、地元の方々も協力いただける事に成りました。
 無事に帰り着き、仙台駅の御寿司屋さんで中山さん達と打ち上げをしてお別れしました。