2014年10月7日火曜日

357「日高見遠野1」2014.10.6

 10月3日はあわ歌会でした。初めてあわ歌を拝受される方は2名でしたが、回を重ねて受ける方はその内容が進み、深い内容を頂けるようになって来ています。
 初めて受けるあわ歌の響きとその光を感応出来て、何かを感じられる方は自分で響かせ歌う事で己の変化、新たな体感を得て行かれるようです。
 中山さんのエネルギー位置がどんどん変化し、高まっていますので直接拝受するだけでなく、その場に同席して響きを頂くことで心身への影響も強いものがあります。今回、初めて参加したTさんも響きのエネルギーに影響を受けてかなり反応が出たようで、身体的な疲労があったようです。




 いや増すあわ歌の響きと共に私も拝受頂きました。挨拶をして中山さんの前に坐って直ぐに以下のお言葉がありました。
「時至り、踏み行くは大いなる新しき。
 許されよ、数々の事。参る道、広きなり。
 まずは歌う。」
 その後にあわ歌を歌って頂いて次のお言葉です。
「思いを返して、今一度、この時を迎えて下されませ。
 それは大きなあなた様、是より始むる新しきを写したる光と共に、参り行く大きなること。」



 9月に拝受した時以上に頭からエネルギーが入り、身体が満たされて放射して行く感じです。身体の境界が無くなりひとつに成り、細胞が同調、共鳴、共振して、光と振動に満ち満ちた宇宙です。これが将に神動でしょうか。
 お言葉に、思いを返して、新しい光と共にこれからの大きなことに向かう、とあります。淡々と今に生きる事、出来る事を行うしかありません。後はお任せです。

 歌会で既にTさんが拝受いただいていましたがそのお言葉が以下です。
「来る10月10日の10時10分に共に行いて頂きたし。
 その事とは二人にて、響きを合わせて、大きなる光の柱と成り行く事なり。」


今度、大和農場の白石で行われる10月10日の儀式に先立って、中山さんとTさんで成されることですが、そこにOさんと私が立ちあいます。
 引き続き行われる儀式の概要は以下の様です。
 11時11分に中山さん、Tさん、Oさんと私の四人で十字に位置取りして行う。
 12時に9人が九曜紋のように位置取りして行う。
 これは9月9日に行った儀式と同様に、前回と同じ方々9人が同じように位置取りをして、その北の外側に中山さんが立ち、他の参列の方々が周りに立ち執り行う。
 それ以外の詳細は当日までに明らかに成されるようです。

 あわ歌会の後にあわ歌唱和会がありました。今回のあわ歌会には飛び入りで青森の5才の男のお子さん、H君とお母さんが参加して下さいました。何故かH君は中山さんとご縁があるようで、彼が中山さんと一緒にいる事を希望して、各所でも同行していたようです。 
 今回も東京から中山さんが乗った新幹線の前の席に乗って仙台に来ていました。仙台に彼らが来ることを知らなかった中山さんも驚きだったようです。あわ歌会でも一人で飽きもせずに会場で遊んでいましたが、結局翌日からの日高見、遠野縄文の旅にも参加希望することになりました。
 何故か、宿泊先のホテルの部屋もこちらの持ち部屋に余裕があり、分乗する車も丁度定員でぴったりでした。まるで先にこの事が予定されていたような配慮、仕組みを感じてしまいました。
 唱和会は共にあわ歌とあいうえおを響かせました。その時のお言葉です。
「讃えませ。
 ここにあるを、それぞれのその身を、新しきへと迎える大きなる時を。
 今、今、その身にしっかりと定めて参りませ。」




 唱和会の後は懇親会でしたが、最初参加希望していたH君も眠くなり早目にホテルに向かう事に成りました。こじんまりとした食事会でしたが楽しく過ごせました。

 4日朝7時に仙台駅に集合していよいよ 日高見、遠野縄文の旅が始まりました。3台の車に12人です。丁度良いメンバーです。
 今回の旅は今年の6月6日に大和の白石での儀式の後、6~7日に日高見・アテルイ・賢治の旅を行いました。6日に訪れた樺山遺跡で以下のお言葉がありました。
「大事なること、これより申す。
 新しきへ向かう皆様、古きを探して、真を知るは、大きな身としっかり繋げ、その身が出るは是より、100と20日。その間、我等も整えるなり。
 今、ここにては祈りをなされ。先ほどの申しよ、も、その一つ。
 う、むる、ふる、ふり。」2014年6月7日17時 
 内容は本ブログ「323日高見62014,6,30」に詳しく記載されています。
 http://tenmei999.blogspot.jp/2014/07/3232014630-10020-17-178-10020-67120.html

 ここで120日後に、出でるとありますがその日は10月5日です。そこで再度その時には、この樺山遺跡を訪れる必要があるという事になりました。それまでに、私たちも、「古きを探して、真を知るは、大きな身としっかり繋げ」る事が求められています。
 今回の旅はその意図で巡りの地を選定させて頂いていて、最後に樺山遺跡を訪れる予定です。

 最初の目的地は一関市大東町にある続石です。正式名称は「続石山大原寺跡続石」ですが、続石大明神とも言われています。
 この地には江戸時代に菅江真澄が訪れていて次の歌を詠んでいます。
「よき事を万代かけて続き石の神の恵も大原の里」
続き石の神とは都都喜石(つづきいし)の神のことで、都都古和気神(つつこわけ)から来ているようです。
 続石の名の由来について以下の記載があります。
「福島に都都古別神社があり、社伝によると、人皇第12代景行天皇の御代、日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和気神を地主神として都々古山に鉾を立てたのが始まりとされる。
 その後、大同2年(807年)坂上田村麻呂が現在の棚倉城址に社殿を造営、日本武尊を相殿に配祀したのだという。
 ところで「鉾を立てる」とは、その地の領土を現すものであり、または墓石としての鎮魂も表すものだ。ヤマトタケルは確かに蝦夷を平定したとの伝説はあるが、それはあくまでも多賀城以前までの話だったと思う。そのヤマトタケルが福島の地に立ち、鉾を立てて祀られた神社と、その意味が坂上田村麻呂に引き継がれ、岩手の地へと都都古が伝えられ、屹立する石に、その意味が託されたのかもしれない。つまり大東町の続き石も、遠野の続き石も、元の意味は同じである可能性は否定できないのかもしれない。」
 http://hamadas.exblog.jp/5509807/
 http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_tuzuki/tuzuki.htm

 何度も来ているところですが、記憶が定かでなく些か逡巡しましたが無事に到着できました。大原中学校の校庭の脇に国道456号線沿いにあります。




巨石が何個をあり、積み重なってありますがあまり手入れが成されていません。石の間に祠がありますが朽ち果てつつあります。
 朝日を浴びながら二段重ねの巨石の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。 
「あ~、あ~、あ~、あ~、あ~、あ~。
 届けました。
生まれ出で来る大きなる時は、是よりこの光と共なれば、一散に発して行かれませ。
 地を動かして、天地ひとつと成されませ。
 大きなる明日へ。」9:25




 鉾を立てて、この地を支配するのではなく、天と地を繋いで一体とする都都喜石の光を発して大きなる明日へ進んでほしいものです。