前のブログ2141理不尽で紹介した事について異なる視点の記事を「(真)日本の黒い霧」さんから紹介します。
・「今、会いにゆきます」2020年9月29日 聖書
女優の竹内結子さんがお亡くなりになりました。今に残る数少ない演技派女優のお一人で、私もお気に入りの方でした。まずは慎んで哀悼の意を捧げたいと思います。
映画「今、会いにゆきます」に出演した竹内さん(写真はDVDジャケットから)。この映画タイトルにも重要なメッセージが含まれていますが、それは本記事を一読された後、ご自身で読み解いてください。
芸能人死去のニュースが流れると、決まって様々な憶測が流れます。私の耳にも陰謀論系解釈が入ってきます。その中には、かなり確度の高そうなものもあるのですが、それでも推測以上のものではありません。今回は次の事実についてのみ注目します。
最近自死された俳優
・三浦春馬 クローゼットで首つり
・芦名星 クローゼットで首つり
・竹内結子 クローゼットの中で首つり自殺(?)
竹内さんの場合、首つり自殺かどうかは未だ公表されていませんが、少なくとも、クローゼット内で意識不明のところを発見されたのは公になっています。
すると、三者に共通するキーワードは
「クローゼット」
ということになります。自死の方法に流行りがあるのかどうか分かりませんが、知名度のある俳優さんが、三人ともクローゼットの中でお亡くなりになった、それも短期間の間に、という事実は、もはや偶然では片付けられません。
そこに「誰某が犯人だ!」という様々な陰謀論的解釈が生まれるのですが、何であれ、同じような事象が続く裏には、何らかのメッセージが含まれていると考えるべきです。
そこで私は、共通キーワードの「クローゼット」を次の様に分析してみました。
クローゼット > クローズ+エット > クロス+エト
日本語表記のみで解釈すると
「十字架(クロス)へ向き合え」
また、「エト」をヘブライ語の「את」=(あなた、一緒に)と解釈すると
「汝、十字架と共にあれ」
と、なります。事象全体で解釈すると以下のようになります。
「汝らよ聞け、イエス・キリストの元へ帰る時が来た」 …(1)
そして、この分析は、実は「火球はまた現れる(再解釈)」で分析した内容とピタリと重なるのです。つまり、この夏に観測された2度の火球の出現とシンクロしているということです。もちろん、この解釈は聖書の理解を通して初めて可能になるものです。
また、首つり死とは「縊死(いし)」であり、「縊」の字はそれ一字で「首をククル」という意味を有します。
ククル > ク+クル > 苦、来る
文脈的にこれを解釈すると
「世界に患難の時代が訪れる 」…(2)
となります。(1)と(2)の意味は互いに事象を補足し合い、次のような意味が導かれます。
「汝らよ聞け、これより世界に患難の時代が訪れる。今こそイエス・キリストの元へ帰れ」
これは、大患難時代の訪れとその前に行われる携挙、そしてキリストの復活という聖書的預言と一致するのです。
最後に日月神示から、これに該当すると思われる一節を引用します。
「大峠の最中になったら、きりきり舞いして助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間にあわん。逆立ちしてお詫びに来てもどうする事も出来ん。みな己の心からであるからぞ。今のうちに改心 結構。」五十黙示録第二巻 碧玉之巻 第8帖
私から敢えて一言加えるなら、聖書も、神示も、一旦事が始まったら神でもあなたを救えないと警告を出されています。つまり、様々な警告的事象が現実に起きている今こそが、最後の決断(改心)の時だということです。
以上はあくまでもメッセージの分析を試みたものですが、それをどう解釈し、どう行動するのかは、全てこの文をお読みになられた読者の皆様の意思にかかっているのです。
神代一の年に記す 管理人 日月土
・「火球はまた現れる(再解釈)」 2020年9月25日 聖書
ひと月前になってしまいましたが、前回の記事「火球がはまた現れる」の聖書解釈、黙示録によるものについて、知人から次のような指摘がありました。
「ラッパ」は“神の吹く”ものと“御使いの吹くもの”とでは意味が違います。記事で使われていた聖句の引用は、「テサロニケ信徒への手紙」に記述されている、"神の吹く"ラッパではないでしょうか?
ちなみに、指摘された該当箇所には次のように記述されています。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
新共同訳聖書 テサロニケ信徒への手紙 第4章16,17節
上記の聖句に出てくるラッパは明らかに"神のラッパ"であり、黙示録のそれは"御使いのラッパ”です。
神のラッパは 民を集めるために鳴らされるもの
と解釈されるものであり、関東に出現した火球を啓示として捉えるならば、ご指摘通りに"神のラッパ"と解釈するべきであることに気付きました。よって、前回用いた引用を今回のものに差し替えます。
聖書を読まれない読者さんには"?"かもしれませんが、実際に"火球"という現象が私たちの目の前で起きています。そんなのは科学的でないと思われるかもしれませんが、それを言うなら、2回続けて起きた事はどう説明されるのでしょうか?もしも、その答が「たまたま」だと言うなら、それこそが非科学的ではありませんか?
私は未来のことは分かりませんが、啓示は啓示としてその深い意味を無視できないと考えています。漠然とした物言いで申し訳ありませんが、コロナを含め、最近の一連の現象を分析すると
「時は迫っている」
と解釈せざるを得ません。これからは、その根拠を示すことが中心になるでしょう。皆さんに準備していただくために。
追記:そういえば、日月神示にも上記聖句に近いことが書いてありましたね。
「一日一日みことの世となるぞ。神のこと言うよりみことないぞ。物言うなよ。みこと言うのぞ。みこと神だぞ。道ぞ。アぞ。世変わるぞ。何もかもはげしく引き上げぞ。」
日月神示 日月の巻 第29帖
何かと意味不明な日月神示ですが、最近になって、聖書と併せ読むとその意味がより鮮明になることに気付きました。文中にも「イスラの十二の流れの源泉わかる時来たぞ。(雨の巻 第1帖)」とあるように、イスラエルに関する知見は別のソースにあることが間接的に示されています。
神代一の年に記す 管理人 日月土