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2024年11月30日土曜日

3627「あぶりだされる灰汁(あく)」2024.11.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月15日の記事を紹介します。


「あぶりだされる灰汁(あく)」


既に世界は、

行き過ぎた経済資本主義、

お金だけがすべての時代が終焉を迎えようと、

実際の世界も動き出しています。

既に方向性は決まっているのですが、

もうしばらく夜明け前の暗闇が続きそうです。 

暗闇の中、旧態依然とした

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

の世界にしがみつこうとする勢力の最期のあがきの中、

デマや憶測が飛び交い、

何が真実で、何が悪意に満ちたニセ物か?

一般の私たちには、判断するのも難しい状況です。 

人々を疑心暗鬼にさせ、

恐怖心を煽ることは

そのマイナスのエネルギーを欲し、

コントロールする者にとっては好都合です。 

丁度100年前に起きた大災害、

関東大震災の時もひどい事件が起こりました。 

大正12年(1923年)の関東大地震によって生じた関東大震災の混乱の中、 

「混乱に乗じた朝鮮の人たちが凶悪犯罪、暴動などを画策している」のではないかという疑心暗鬼の中、

官憲や民間の自警団などにより、

多数の朝鮮系日本人や朝鮮人と誤認された人々が殺害された事件です。 

こういう時代、人々の心が極限状態に置かれてくると、

心弱い私たちは、

そのはけ口を、立場の弱い人に向けがちです。 

それも「正義感」という誤った、

虎の威を借りているためタチが悪いものです。

いじめの集団心理状態に近いものがあります。 

このいじめの集団心理状態の中では、 

自分以外の他人の言葉や、

行動に寛容さが足りず、

すぐに歪んだ正義感を振りかざし 

その雰囲気に付和雷同した人々とともに

相手をとことんまで、貶めて、

再起不能にさせます。 

自分さえ良ければ・・の心

弱いものをいじめることで、

うっぷん晴らし 

いじめられた人々が悲しみの涙にくれるのを見て

歪んだ優越感、薄笑いさえ浮かべます。 

ですが、

その姿を、私たちの内にいらっしゃる神さまは見ています。 

私たちの心の内にある良心は、 

果たして

そのうすら笑う姿を見て、喜ぶでしょうか? 

また、このような状況をあえて作り出し、

人々が苦しみ、悲しむ中、陰で大小さまざまな利権に群がり 

・今だけ  

・金だけ  

・自分だけ 

そのような人々も存在します。

ですが私たちの本当の心(純粋な神様の意識)は、 

きっと、いじめられた人以上の

苦しみ、悲しみの涙にむせんでいるのではないでしょうか? 

このような心は、これから始まろうとする

「皆の心が大切にされる世の中」とは、

全く正反対です。 

まさに、大きな時代の変化の中で 

今、

不必要となった感情、心が、あぶりだされています。 

地球は、それを「早く捨てなさい」と言って 

あぶりだして、見せてくれているのですが、 

今までの思考パターンや、

時代の変化に乗れない人々は 

その精神性の低い状態から、

なかなか離れることができないようです。

これから間近に来ようとする世界は、

・優しさ、

・真心、

・愛情、

・笑顔、

・お互いさま、

・お陰さま 

そのような心が大切にされる世の中です。 

変わることのできない魂は

地球の変化に付いていけず、

自分の波長に合う場所へと

移動せざる得なくなることでしょう。 

それは、パラレルであったり、

次元が異なる世界であったり

他の惑星であったりすることでしょう。 

宇宙には波長の法則がありますから、

同種の波長の中でしか生きていけないからです。

パラレルワールド

2024年11月29日金曜日

3626「二極化する地球」2024.11.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月14日の記事を紹介します。


「二極化する地球」


ここ数年、日本を含め世界では、

急速な勢いで、「建て替え」(立て直しのための破壊)が進んでいました。 

最後の戦いのごとく

・自分たちの信じる絶対神しか認めず、他への排撃を許される文化(からごころ)と

・全てのものの中に、神を見出し、尊重し、調和融合して共存・和を図る文化(大和心) 

このような急激な変化の中

・見える世界

・見えない世界

の両方でも大きな動きがあるわけですが、 

結局は神様から分け御霊を頂いた生命体には、自由意志が認められていますから、 

どちらが正しいとか、良いか悪いかなどありません。 

全ては自分の好きな道を自らが選び進んでいくだけです。 

他人に対し、良い悪いの評価をしたり

自分の価値観を無理やり押し付けるわけにはいきません。 

例え血を分けた家族であっても・・・ 

創造、維持、破壊の宇宙神 ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ

今まさに、ブラフマーが活躍するために、シヴァの破壊が行われています。

でもそれも、神仕組みの元、決着がつき、世界ではもうすぐ夜明けが始まります。

今日は以前書いた記事ですが、

今の時代をまさに言い当てていますので、加筆修正して掲載します。 

但し、不思議系のお話です。

眉唾ものですので、興味のない方はスルーなさってください。 

霊的な巨人であった出口王仁三郎は、

数々の予言を残しましたが、それらがことごとく的中しています。

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、世の中の変化には、少しは気付くかもしれませんが、その裏にある、地球や神々の意図まで考えをめぐらすことはできないものです。

ですが世の中は、着実に神々の計画通り動いています。

神々の方法は、下記の2つで成り立っています。 

・立替え そして 

・立直し です。

立替えは、神々による破壊

立直しは、破壊しつくされた世界を人間の力で作り直していく作業です。

そして神々の計画は、概ね30年を区切りとして行われています。

王仁三郎が予言を残してから、神々の区切りである30年刻みで、様々に世界・日本は変化してきましたが、2010年からの30年は、人間の精神性に関する立替え・立直しと言われています。

2011年の東北大震災。それがスタートでした。

神々による「人間の精神性の復活」のための破壊(建て替え)が始まりました。 

精神性の復活とは心の美しさ、愛や思いやり、やさしさを大切にする社会のことです。 

嫉妬や妬みなど、憎しみとは、真逆の世界です。  

ここで、以前発表された一つの論文の一部をご紹介します。 

船瀬図書館の記事に載った池田整治さんの記事です。 

かなり飛んでいるお話です。 

私は真偽のほどはわかりません。

ですが池田さんは、尊敬しています。 

詳しくは、元記事にあたってください。 

<引用開始> 引用元

伝説によれば、宇宙文明の仲間入りをする「弥勒の世」は3段階で達成されます。

まず123(ひふみ)の段階で、中心に最高霊の「スメラミコト」が降臨。

具体的には1945年8月15日、敗戦で天皇陛下が軍服を脱いだ時。

次に345(みよいず)の段階で、国造り。

今は、まさにミロクの世に相応しい社会、組織作りの時なのです。

にもかかわらず、植民地体制で日本人の覚醒が封印されています。

そして、最期の567(みろく) = コロナ の10年間で

いっきにミロクの世が完成する。

その始まりが実は、2020年。

だから、新たな天皇陛下の御代となるとも言えます。

問題は、2020年からのミロクの時代には、

それに相応しい霊格を持った人でないと住めないという現実です。

具体的には、愛の度数が800以上のひと(霊人)。

ちなみに、キリストや仏陀で1000ぐらいと言われています。

では、それ以下の人はどうなるのか?

ズバリ、大峠で淘汰されます。

要は、地球自体が5次元の星になるので、もう地球に転生して生まれ変わりはできない、とのことです。

これから始まる地震、噴火、あるいはポールシフト等は、800以下の人々を淘汰するための、ガイア自身の最期の「決断」とも言えます。

つまり、このままエゴの増大する世界金融支配体制などに任せていたら、

ガイアのシステム自身が終焉を迎えてしまうから…。

状況によれば、全人類が一度「泥」に覆われるかも知れない。

その時に、高次元の宇宙の仲間が、使える魂を拾い上げる「宇宙艦隊」も既に地球の周りで待機している… 

逆に、皆が高いレベルなら、自然現象の天変地異も最小限の被害で終わる、

ということも言えます。 

<引用終了> 

あまり不思議系の派手なものは、私のブログでは、載せないようにしているのですが、

今日は、愛する母のために、地獄の様子を細かく描写した「往生要集」をまとめあげた

平安中期の天台宗の僧、源信(げんしん)の願いと同じ気持ちで載せました。 

綺麗ごとばかりでなく、清濁併せ飲んだうえで、

泥にまみれても、それでも本当の幸せを得るため、実利の道を進むためです。

池田さんは「淘汰」という厳しい言葉を使っていらっしゃいますが、

要するに、各自の魂の嗜好性によって、類は友を呼ぶの法則通り、地球の波動が上がれば、

波動の合わなくなった人は、別の星に移動して行く、生まれ変わっていく。

自分の好み、波長に合った世界(星)に自ら進んで移動して行く。

そういう意味だと思います。 

神様の目から見れば、上も下も良いも悪いもないからです。 

ただの経験でしかないからです。 

皆さん、心の準備はできていますか?

優しさや、愛は与えれば与えるほど、自分の中に溢れてくるものです。

決して与えることで枯渇してしまい、自分が損をすることではありません。 

その行為は、美しいエネルギーの循環を起こし、人々を幸せにしながら、再び自分に、何倍にもなって戻ってきます。 

また美しい心の逆の、黒い心も人間は持つことができます。 

小林正観さんの「自己顕示と嫉妬」というお話によれば・・・ 

<抜粋開始>

人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、成長していくにつれて、心の中に次の「3つの感情」が芽生えてきます。

・自己顕示欲

・復讐心

・嫉妬

これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、神様から嫌われる性質です。

自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、「自己顕示欲」が湧いてきます。

みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。

他の人がちやほやされているのを見て、「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。

また、人から何か気に入らないことをされたとき、

それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。 

<抜粋終わり>

私たちの未来の現実は、今の私たちの心の状態が作り出します。

・高次元と繋がっている

・宇宙と繋がっている

と自称する何処かの誰かが、私たちのために幸せを運んで来てくれるのではありません。

私たちの今の心の状態は、未来の現実と、肉体を脱いだ死後の世界までも決めてしまいます。

心とは、それほど大切なもlのです。

どうか今目の前に居らっしゃる方に、笑顔と優しさと、愛を向けてみて下さい。 

きっとブッダの言った、3千年王国の到来に私たちも貢献できるはずですから。


2024年11月28日木曜日

3625「青空ひろば」2024.11.28

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1533 2024.11.15 

<運命を変えることは可能なんでしょうか?>

○ 運命を変えた実例→袁了凡(えん りょうはん)さんの場合

(参考文献)『出雲記伝』立花大敬 バンクシアブックス

はじめは医者志望 孔老人と出会う「君は官僚となり成功する人だ。なぜ科挙(かきょ)の受験をしないのか」と告げられる。

孔老人の予言 「君は県のテストでは14番、道のテストでは9番で合格する」その通りになった。→了凡さんは運命決定論者となってしまった。

孔老人に、死ぬまでの運命を占ってもらった。

・郷試は3番で合格、進士の試験(最終テスト)は不合格

・子供が出来ない。

・53歳の8月14日丑の刻に死亡する。 

雲谷禅師との出会う→運命は自身で作るものだと諭され、坐禅と観音さまの陀羅尼を称えることと、しっかり徳を積むことによって、運命は好転出来ると教えられる。そうして、禅師の教えのままに行じてゆくと、  

・郷試1番で合格(予言がはじめて外れた)、

・進士の試験に合格した。

・長男(天啓)が生まれた。

・74歳まで生きた。


1532 2024.11.14 

<龍樹菩薩が説く「坐禅」>「大智度論」より

○ 釈迦牟尼仏が大衆に告げておっしゃった。「<坐禅>すれば、威徳衆(菩薩や神々など)がその人を敬い護る。

○ <坐禅>すれば、その人は太陽が照らすように、世界を照らし、人やモノを安らげ癒す(当人にその自覚がなくてもそうなる)。

○ <坐禅>すれば、やる気のなさや怠け心やウツウツする心が除かれ、身は軽く、疲労が取れる。決めるべきときに、サッサと最善の決断が出来るようになる。

◯ <坐禅>する人の姿は、龍がわだかまっているようだ。「坐禅」する姿を描いた絵を見ただけで魔王は恐れ驚く。いわんや、人がどっしり<坐禅>している姿を見れば、魔やその眷属は怖じ恐れて逃げ散ってしまう」


1531 2024.11.13 

<極楽浄土の様子>

○ この世界に住む者の体は常に金色に輝いている。

○ この世界では、どの人の身心も平等に光り輝いていて、美醜の差が一切ない。

○ この世界では、飛行自在で、あらゆる世界の仏さまを、一瞬のうちに訪問し供養することができる。

○ 極楽浄土の阿弥陀仏が放つ光明は、やさしく肌をつつみ、その微妙な光の感覚は、眼のみではなく、肌に触覚としても感じられる。


1530 2024.11.12

<極楽浄土とは?>

Q.極楽浄土はなぜ西のあるのですか?

A.西は「完成」を意味するからです。(東は新興、創造を意味する)

人類の進化が進み、私たちが未来に住むことになる世界を先取りして体験するのが極楽往生です。


1528 2024.11.10 ~ 1529 2024.11.11 

<私たちの坐禅の効能>

(身心のおかげ)

① 坐禅すれば、身心に無上の喜びが湧いてくる。何かの対象があって嬉しいというのではなく、対象なしにただ嬉しい。ここにこうして存在しているだけで嬉しいという最高レベルの喜びを体験出来る。

② 坐禅すれば、身心が柔軟になり、呼吸や動作がなめらかに、スムースに出来るようになる。円相を描くような感じで行動できる。日常生活にもどっても、このスムージング効果が持続する(人生のギクシャク、ゴタゴタが減ってくる)。

② 坐禅すれば、身心の固まりがほどけ柔軟になり、「いのちの充電」ができて、健康を維持できるようになる。

④ 坐禅すれば、身心の結ぼれがほどけるので、よく眠れるようになる。

<私たちの坐禅の効能>

(処世上のおかげ)

① 坐禅すれば、「問題ナシ、差し支えナシ」と気づく。すると、処世においては、「問題自体が消滅する」か、「問題が解決する」ことになる。

② 坐禅を習慣にすると、とっさのときに「本能」が表に現れてきて、思い及ばなかったような適切な行動がとれる。自分の能力以上の能力が発揮できるようになる。

③ 坐禅してカラッポにした心と体に「こうしたい」という希望を伝えると、直ちにその希望が現実化することが多くなる。

④ 坐禅すれば、自分が自分であることに自信が持てるようになる。そうすると、自分が最高に輝やいてはたらける環境に、おのずと運ばれてゆく(住む世界が変わる)。


1527 2024.11.09 

<私たちの坐禅(養いの坐禅・許しの坐禅・ほどきの坐禅)>

○ 何千年もの間、連綿と継承されてきた「坐禅」という「形」を信じて、ただ「坐禅という形」に身を任せて坐りましょう。

○ 何も目標としないし、瞑想のように、何かのイメージを保つこともいりません。

○ 雑念が湧き上がっても「そんな時もある」、いい心境が開けてきても「そんな時もある」と流してゆきましょう。

○ どんな状態になっても、それをそのまま「認め」、「受け入れ」、「許し」、「愛し」てゆきましょう。


1526 2024.11.08

<心の性能を上げよう>

・「想い」は「種」、「心」は「土壌」。

・いい土壌に植えられた「種(想い)」は、よく育ち、たくさん実がなる(想いが見事に現実化する)。

<想いがよく叶う心は?>

① ゴミクタ(雑音)がない、スッキリした心

② 温かい心

③ 明るい心  

④ 仕切りのない、広々とした心

⑤ 潤いのある心 

⑥ 栄養分が豊かな心(徳を積むと心が豊かになる)

・徳(グナ)とは:現世で使用可能が心のエネルギー

・徳が高い:心のエネルギーが大きいので、想いがすぐ叶う

・不徳:心のエネルギーが小さいので、発想はよくても、中々想いが叶わない

・徳を積む:布施(ダーナ)行の実践→財施・法施・印施・身施など


1525 2024.11.07 

<ジョブズさんの例>

19歳から33年間、毎朝鏡と次のように対話しておられたそうだ。「君は、今日一日で死ぬとしたら、この一日をどう生きるつもりか」

<ジョブズさんの言葉>

「人には、先を見通すことは出来ない。「今・ココ」という一瞬の「点」を精一杯生きることしか出来ない。しかし、そのように懸命に生きていると、やがて「点」と「点」が、つながって大きな成果になってゆく」


1524 2024.11.06

<個我の囲いが外れかけると?>

・自分がなくなったように感じられ、フラフラ漂流しがち

・想い(善悪両方の)が他者にすぐ届くようになる

・他者の想いが洪水のようにやって来て、流されそうになる。

・自分のためだけに生きない。人や動植物や世界のしあわせのために貢献したいという菩薩の志をしっかり魂の中心にすえて生きる決意を固めると、闇の波動や荒々しい波動をはね返すことが出来る。自らが「発光体」となれば、「影」を恐れる必要はない。


1523 2024.11.05

<ユニティ時代に向う際の問題点>

・タナウス氏の予言

「1960年以降に生まれた人たち(特に日本人)は「右脳」が発達している。右脳が発達しているが左脳とのバランスが崩れている。

1960年以降に生まれた人々は“漂って”いる状態で、未来をしっかりつかんでいない。しかし、自分自身で未来をつかむのだという強い意志の力を持つようにすれば、それが未来をつかむ原動力になる…」


2024年11月27日水曜日

3624「死者と生者の仲良し時間」2024.11.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月13日の記事を紹介します。


「死者と生者の仲良し時間」


日本の国ほど、昔から黄泉の国、つまり、死者(肉体を持たない者)

そして神々の国を意識し、交流し、敬い恐れ

日々の生活を送ってきた民族はありません。 

見えない世界と、私たち肉体が持つ者が生きる見える世界が

表裏一体であり、互いに影響を及ぼしていることを知っていたからです。 

まさに神々が意図して作った、地球の希望の国でもあります。 

さて、ここのブログを読んでくださっている皆さんの中にも、

お子様を早くに亡くされた親御さんが沢山いらっしゃいます。 

今日は「死者と生者の仲良し時間」ということで、

以前掲載した記事に加筆・修正してご紹介します。 

病気で早くに天国に帰った、お子さんのお話です。 

「仲良し時間」とは、聖心女子大学教授でシスターでもある鈴木秀子さんの著書

「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。

彼女の「死者と生者の仲良し時間」の本の中に

「けんちゃんからの贈り物」という文章が書かれていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

けんちゃんは6歳で白血病でした。

ある日、お母さんの友人がお見舞にきて 

『死にゆく者からの言葉』 (鈴木秀子さんの著作) という本を渡してくれました。

お母さんは「読んでいるうちに涙が止まらなくなり徹夜して読み上げた時、 

不思議な力で他人への不信感が払われ、人への信頼感が深まり、自分が変わったと強く感じ、

心の底から温かさがあふれてきたそうです。

人との繋がりというものを確信をもって感じ初めました。

そこでけんちゃんの担当の3人のお医者さんに、

この本を読んでもらいたいとの強い希望を持ちました。

こういう題名の本が医師たちに、どう受け取られるかという懸念もありましたが、 

それでも先生方にこの本を読んで下さいと手渡すことができました。

しかしどの先生も、その本については言及することはなく、

やっぱり読んでくださらなかったのかとちょっとがっかりした気持ちでいました。

そして、けんちゃんが亡くなり、遺体は夜の八時ごろ家に帰っていました。

誰も訪問する人はなかったのですが、夜10時すぎに

その3人のお医者さんがお悔やみに訪れてくださいました。

眠っているように横たわるけんちゃんの傍に、

3人の先生たちは黙って座ったまま、けんちゃんを見つめていました。

お母さんが、もう終電車の時間じゃないかしらと思った時、

一番若い先生が口を開いて話し始めたのです。

「僕とけんちゃんは仲良し時間を持ったんですよ」

「仲良し時間」とは、鈴木秀子著の「死にゆく者からの言葉」に出てくる言葉です。 

死期の近づいた病人が、その死の直前、急に元気を取り戻して、

 あたかも回復したように思われることがあります。

その間、病人は、さりげないかたちで、言い残したり、したいと思ったことを

成し遂げたりするのです。 

世を去るにあたっての準備の時間、和解し、愛を分かち合う時間、

そうした死の前のひとときは、一部の医療関係者の間で、「仲良し時間」と呼ばれています。

亡くなる2週間前の出来事でしたが、

けんちゃんは、苦い薬を水で流し込んでいたところでした。 

どうしたわけか「けんちゃん、先生のど渇いているんだ」

という言葉が、何気なくふと口をついて出ました。

けんちゃんは、水のまだいっぱい入ったコップを差し出し、無邪気そのものの顔で、 

「先生、これ飲めば」といったんです。 

その時、けんちゃんに必要なのは、そのコップの水でした。

でもけんちゃんは、それを僕にくれようとしたんです」

午前1時をまわっても、先生たちは帰りませんでした。 

そこは死者の家というより、まるで心と心が交わる、温かい場所に変わっていました。

そして二人目の先生も仲良し時間を持ったと話し始めました。 

「けんちゃんが亡くなる1週間前のことでしたが、お尻に太い注射をして、 

「痛いよ、痛いよ」とけんちゃんが訴えるので、僕は思わず「ごめん、ごめん」といったんですね」

けんちゃんは笑顔を僕の方に向けて、無邪気で素直な声でこういったんです。

「いいよ、先生、許してあげるよ」

「それを聞いた瞬間、僕は全世界から許されたような気がしました、 

僕のいままでの人生の中でおかした過ちや愚かさや悲惨な罪でさえ、

すべて許されたおもいでした。」

「そうだ。僕はこの世に生きていることを許されているんだ。

自分の存在が許されるということが、どんなに大きな価値をもつことか、

まざまざとわかったのです」

お母さんは「この先生も、けんちゃんが言ったことを文字通りに受けとめてくれたんだ。 

そして、けんちゃんを一人の病人としてではなく、一人の人間として

最後まで付き合ってくれたんだ」と感謝しました。

明け方近くになり、一番年輩の先生がふっと口を開きました。

亡くなる前日の午後でした。

けんちゃんに慰めや励ましの言葉は出ず、自分でも予期しないのに、 

「けんちゃん、先生疲れているんだ」と言ってしまったんです。

けんちゃんは大きな目を見開きましたが、両目に光が差し込むのがありありと感じられました。

息がもう尽きそうなけんちゃんが、必死で体をずらして、長い時間をかけ、

ついにベッドの上端にたどりついて、両足と両腕を曲げ、小さく丸まっていました。

けんちゃんのあえいでいた息が静まると、にっこり笑って、大きな目で広く空いたベッドを指し示して、「先生、ここに寝れば」とけんちゃんは声をかけてくれました。

息子を失った悲しみは深いものでしたが、その夫婦は3人の先生に見守られながら、この世での使命を果たし終えた息子が天に帰ったという、不思議な慰めも感じていたのでした。

そうした慰めに気づくと、子供を失った寂しさよりも、自分たちにけんちゃんという子供が、

6年間も預けられたことへの有り難さが、両親の心にわき起こったのでした。

「一人息子をなくして悲しいし寂しいけど、もっと深いところで感謝と喜びを感じています。人生は長さだけでは計れないものですね。

けんちゃんは、親である私たちに、人間として一番素晴らしい贈り物をしてくれたと思うのです。 

最高の親孝行息子でした」

<転載終了>

私も若いころ母を亡くしました。がんでした。

病状が悪化し、私たち家族の住む中核都市の大きな病院に転院してきていましたので、

毎日顔を出すことができました。

そして亡くなる3日くらい前に行った時、不思議な光景を目にしたのです。

部屋全体が神々しい光に満たされているのです。

ベッドに座った母は微笑んでいました。

それはまるで仏さまのよう。

きっとこれが、死を目前に控えた人の、あの世とこの世の繋がった瞬間かもしれません。

まさに、仲良し時間そのものでした。

きっと人間にはそんな瞬間が誰にでもあるのですね。

もうこの状態の時は、無意識の内に死の覚悟はできているのかもしれません。

残された家族は、どんな形でも良いので、何とか死から引き離そうと、 

沢山のチューブに繋がれるようなこともある延命措置を望むようですが、 

もう向こうの世界と繋がっている本人は 

もしかしたらそれを望んでいない人も、多いかもしれません。

例え肉体は死しても、その精神や意識は永遠です。

また逢える日もあることでしょう。

私たち残されたものの願いではなく、これから死に向かおうとしている方々の

意思を尊重して差し上げたいものです。

数え切れないほどの死にゆく方々の臨終に立ち会った鈴木秀子さんが仰るには、

この状態の時には、既に死を受容したうえで、残された人々に感謝の気持ちを伝えたい

と願う方々が多いそうです。

そして静かに向こうの世界に帰りたいと思う方が多いそうなのです。

私たちは、死を意識して生きて行くことで、日々の暮らしの中で、身近な人々を、

大切にできるのかもしれませんね。


2024年11月26日火曜日

3623「何時までも一緒にいたい」2024.11.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月12日の記事を紹介します。


「何時までも一緒にいたい」


今日は「腹六分」についてです。

みなさん、過ぎたるは及ばざるが如しって言葉聞いたことありますか?

何事も、ほどほどが肝心で、やり過ぎることは、やり足りないことと同じように

良いこととは言えない。  

良いと言われることでも、やり過ぎは害になるということ。

だそうです。

特に人とのお付き合いにおいては、大切なことです。

人との付き合い方に対して、美輪明宏さんは、こんなことを仰っています。

<引用開始>

朝日新聞朝刊「悩みのるつぼ」、悩み相談に対する美輪明宏の回答より。

人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。

いつまでも付き合える人は一生に何人も出てこない。 

親友なんて1人できればいい方で、助けが必要な時にはいつでも助けてあげて、

普段は当たり障りのない距離で見守っている人のことでしょう。

「水臭いじゃないの」と何から何まで悩みも聞き、金も貸してくれる、 

そんな便利な人はいるはずがない。 

離れていく人は、ニセ者だから惜しむ必要はありません。 

本物は離れません。

昔、三島由紀夫さんが切腹事件を起こす直前のことです。

私の楽屋を訪ねてきました。

はっきりは言いませんでしたが、

「最後のあいさつ」に来たことがそれとなくわかりましたから、 

「何で私たちは、18年も付き合えたんでしょうね」と聞いたのです。

すると三島さんは、

「ひざの上に乗るからなでてやったら、図に乗って、肩まで上ってくるやつがいる。

しまいには頭に上って、顔までなめるやつがいる。 

キミにはそういうところが一切なかったからな」と言ったのです。

暮れと年始のあいさつに、彼の家に行ったことがありましたが、

彼が私の家に来たのは18年で2回だけ。

横尾忠則さんや瀬戸内寂聴さんなど、今も親しくさせて頂いている方たちもみんなそうです。

仲良しだけれども、つかず離れず、それが大人の関係というものでしょう。 

<引用終了>

さて、エネルギーは常に流動しています。

ですので時に、あるグループにエネルギーが集中し、皆が急激に親しくなり

強烈な仲間意識が芽生えることがあります。

何をやるにも一緒、そしてその時は、全員が同じ方向を向いています。 

気持ちが良いのです。 

大好きなので、意識が高揚します。

でも見えない所では、エネルギーの集中が刻々と極限にまで達しようとしています。

(本人達は全くエネルギーの流れについては、意識していません。

ただ心許せる親しい友が出来て 嬉しいだけなのです)

ですが、この状態はブッダの言う中庸の状態ではありません。

ですので、いつしかムりが来ます。 

そしてエネルギーのひずみが発生します。

物理的な宇宙の法則の一つですが、宇宙は、ひずみが発生すると、それを是正しようという

逆のチカラを発揮してきます。

要するにバランスを取ろうとするのです。(これがフリーエネルギーの基本理論になります)

その結果、ムリが来ていた部分(エネルギーが集中していた所)のエネルギーは

離散していくことになります。  

それはまるで風船がはじけるように一瞬で破裂・爆発してしまう事になります。

そして、その爆発によって、エネルギーの過度な集中は終わりを告げます。

人と人とに発生していたエネルギーであれば、それをきっかけに、集まっていた人達は

バラバラに離れて行きます。

そして、その離れた理由は、エネルギーの観点からみれば、どうでもよい事。 

つまり後付けで理由付けされます。

人それぞれの理由が作られます。

ですが、それも大きな意味はありません。 

しばらくすれば、また別のエネルギーの流れが、発生しますから、その様なことがあった事は意識から段々と薄れて行きます。

何故なら、大切なのは、そこで味わう様々な感情だからです。

このようなことが、私達の生活の中で、日々刻々と行われています。

(3年前にはあんなに親しく、いつも一緒だったのに、今はどうしているのかしら?・・ 

なんてことありませんか?)

そういうエネルギーの流れによって、集中の時は、嬉しい・楽しい。

離散・爆発の時は、その逆の感情を味わうことになります。

もし今、急激に親しくなりつつある人達がいるのであれば、それはそれで、良いこと、

素晴らしいことです。 

楽しいし、日々の笑顔や活力が生まれますから。

でも、もし、それを長続きさせたいのであれば、急激な形ではなく、美輪さんの仰るように

人間の付き合いというのは、「腹六分」がちょうどいい。が理想ではないかと思います。

長続きする一生涯の良き関係を築くことが出来るからです。

エネルギーの集中と離散、これは自然なことです。 

何も、誰も悪くありません。 

世の中は 諸行無常 ですから。  

常に変化しています。

人それぞれ、学ぶべきことも、学ぶ順序も、スピードも異なります。 

神様が、そこにエネルギーの集中を、どうして起こしたかと言うと、

その時に、そのグループでの、学びの体験が必要だからです。

それが終われば、神様は エネルギーの離散(破壊)を起こし、それぞれを別の道に誘います。

もしここで悪いことと言えば、唯一  

・そこに執着し、

・しがみ付き、 

・昔は良かった。。

・どうしてあの人は?

となるのが悪いくらいです。

それが神様のやり方ですから。 

2024年11月25日月曜日

3622「ヒマワリのような人」2024.11.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月11日の記事を紹介します。


「ヒマワリのような人」


人の悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、

他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?

そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。

ブッダはそんな悩みごとを相談された時は、 

お答えにはならず、静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。

私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。

他人の人生の宿題を代わって差し上げることはできません。

なのに、そのことで沢山の悩みを抱えている人が多いのです。 

憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。 

では、小林正観さんのお話を紹介します。 

<引用開始> 引用元

相談される人に重要なことですが、

すべての相談者の悩みに同化して浸り込んでいったら、多分大変だと思います。 

私は、年間3万人ほどの人とお会いしますから、

どんなに大変な悩みを抱えている人が現れても、 

淡々と「で、何が問題なんですか?」と言えないと、ノイローゼになってしまうでしょう。 

皆さんも、人から相談を受けることがあると思いますが、

ひとつ覚えておいていただきたいことがあります。 

仏教には、大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)があります。 

大乗仏教というのは、大きな乗り物を意味し、

困っている人、苦しんでいる人を救済して、

たくさんの人を乗せて彼岸へ行きましょう、という考え方です。

一方、小乗仏教は、小さな乗り物ということですから、

自分が悟ればそれでよし、と考えます。 

タイ、ビルマ、インドは、小乗仏教の国で、

もともと釈迦は小乗仏教的な考えをしたと思われますが、 

釈迦が死んで500~600年経つと、大乗仏教といううねりが起き、

それが中国に伝わり、のちに日本に伝わって、日本は大乗仏教国になりました。 

大乗仏教の広く救うという考えが浸透した結果、私たちは目の前に問題を抱えた人がいたり、辛そうな人が現れると「解決してあげなくっちゃ」と思い込むようになってしまったようです。

こうした傾向は、人生相談を受けるとき、

確かによく表れていて、相談者の98%が自分以外のことで悩んでいます。 

自分がこういう状態で困っている、というのは100人に2人ぐらいで、 

あとは「夫がこうだ」「妻がこうだ」「子どもがこうだ」という、 

自分の外側にいる人の悩みや苦しみや社会の矛盾を、

あっちこっちからクマ手でかき集めているように思います。 

  

その人たちのことを心配する結果、ご本人はまったく笑顔ではありません。 

基本的なことを言いますと、私たちができるのは、

まず、自分が笑顔になること、自分が太陽になることです。

その向こうにいる人の悩みは、自分のことではないのですから、解決できなくて当たり前です。

「私たちにそんな力はない」と思い切ったところから、ものすごく楽な人生が始まります。

しかし、自分が太陽ではないのに、「周りを明るくしてあげなくちゃ」という人が大半です。

まず、自分が明るく幸せな人になりましょう。

それが、私の言う“実践”です。 

この提案は、小乗仏教でとどまりなさい、ということではありません。

小乗仏教的な考え方で、明るく素敵に生きている人は、

長い目で見ると、結果として周りにいい影響を与える可能性があるということです。

私は、小乗仏教的に生きています。

だから、ものすごく楽に生きています。 

自分は何も背負っていないし、世の中を変えようとも思っていません。

ただ《実践的に生きる》ようになっただけです。 

あなたが、笑顔の素敵な《太陽さん》になって、

ひたすら幸せな光を投げかけていけば、周りの氷は自然に溶けていくでしょう。

そいう溶かし方を取り入れることにしませんか。

<引用終了>

話は変わりますが、 

「対向車のライトがまぶしくて、歩行者に気づかなかった」

小雨の降る夕暮れ時、

そんなヒヤリとした体験をしたことはありませんか? 

そんな時は、ラッキーなことにご先祖のどなたかが

助けてくださったのかもしれません。 

生きている私たちと神さまの間に立って、

中継ぎをしてくださっているのがご先祖なのだそうです。 

私も何度も身近で見てきました。 

こんな深刻なヒヤリの時はきっと

ご先祖様が守ってくださることでしょう。 

ご先祖も生きて肉体が亡くなった後は、天界で神様への道を進むのだそうです。 

時には少し道を踏み外してしまう方もいらっしゃるようです。 

また私たち生きている子孫が、先祖の方々を思うたび、ご先祖の足元が照らされ、 

神様への道を誤ることなく進めるのだそうです。

亡くなったご先祖が幸せで、神様の光に満たされていれば

それに呼応して、私たち子孫も幸せになれます。 

きっと私たちが いざと言う時に守ってくださる力も強いことでしょう。 

これは縄文からの日本人の心・考え方です。

ご先祖を普段から敬い 大切にしている人は

ご先祖に神様のパワーが宿っているために、

私たち生きている子孫のピンチの時に助けることができます。 

逆に、ご先祖が苦しみの中や、囚われ領域にいる場合、

私たちを助けることなどできません。 

自分が精一杯で余裕がないからです。 

同じように私たちが周りの人を助けるには 

私たちの心が感謝で満たされ、安定していなければできません。 

ブッダが行動で示されているように、他人の問題に手を突っ込み、口出しするよりも、 

まずは自分の心を愛や感謝で満たすこと。 

自分が、自分のことに集中し、

いつも笑顔で感謝の気持ちで過ごしていれば、 

その明るく太陽のような神様の光が

自然と周りを照らしてくれることでしょう。 

他人を自分の価値観で、思いで、どうこうして差し上げたいというのは、

もしかしたら少し不遜なのかもしれません。

彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。 

そのために今の道を歩んでいるからです。



2024年11月24日日曜日

3621「試練の時」」2024.11.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月09日の記事を紹介します。


「試練の時」


世の中が大きく変わり、

一人一人の心が大切にされる

美しい星に生まれ変わろうとしている今、 

ご自身も試練の時を迎えている方も多くいらっしゃいます。 

そして、そこから抜け出すのが、

なかなか大変な方もいらっしゃいます。

でもその解決法も

心の在り方を説いたブッダの般若心経の中に答えがあります。

同じ現象でも、

捉え方次第・・・  

悪くとるのか、

良くとるのか、、

はたまた感謝を持って受け取るのか。。

自分のこの人生のシナリオは、

全部、自分自身で決めて生まれて来た。

従って、

私を悩ませる人、

悪く言う人、

騙す人・・・

全部自分が、その役をその方にお願いしてきました。

さて、身近な例を一つ・・・

「人生はシナリオ(映画)」という考え方で人生の難局を乗り切った方がいます。

ロック歌手の矢沢永吉さんです。

20数年前、矢沢さんは身内の詐欺に遭って30億円以上の借金を背負わされました。

矢沢永吉「信じろよ、自分を」

 https://www.youtube.com/watch?v=JLMcsgppCg8

しばらく酒を飲んで落ち込んでいたそうですが、

ある日ふと気付かれたそうです。

「これは映画だと思えばいいやって」

「生活保護受けて苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、

やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。 

悪くないよね。

「途中詐欺に遭ったりいろいろあるけどまあ楽しんでこいと生まれてきた」

そう考えることにしたそうです。

その後ライブをやりまくって本当に30億円を完済します。

凄いですね。

矢沢さんの

「リストラされたって、

借金を背負ったって

それは役だと思え」

という言葉は迫力を感じます。

人生には大なり小なり「まさか」ってことが必ずあります。 

失敗や事故、病気、またはだまされたり裏切られたり。

そして生きている限りいろいろな問題を抱えます。 

そんなとき「これは俺の役だ」

「人生はシナリオ(映画)だ」と思うと気持ちが楽になり、

いろいろな知恵や行動力が生まれてくるのかもしれません。

あとは目の前の与えられた役を一生懸命こなすだけです。

生きている最中(役をこなしている時)は、

解らないかもしれません。

ですが、

肉体を去って故郷に帰る時、

私たちはきっと思うはずです。

あの時、

あんな大変なことがあったから、

私の人生はパンチの効いた素晴らしい体験になった。

そして思います。

あぁ、あれは、

あの方に頼んでやってもらったことだった。

私の人生劇場を素晴らしいものにするために、

汚れ役を引き受けて下さってありがとう。。。

ありがとう、、 

私の人生劇場に登場して下さった、

沢山の人達、ありがとう って



2024年11月23日土曜日

3620「2024凱旋「TRIUMPH」逆明治維新2」2024.11.23

<3619の 続きです。>

――アメリカ大統領選挙でトランプ氏が圧倒的な勝利を収めました。

 

これが一番大きなイベントでしたね。

2020年から民主党バイデン政権であったことは、これは今振り返れば、それはそれで

必然であり必要であったと素直に思えます。 

事前に先回りして処理するというやり方よりも、全世界の人に対してきちんと、白日の下に晒して見せていくこと。

これが重要なんだなと改めて痛感します。

だからがゆえに「ショー」となるのだと。

 

――米国民主党や日米のメディアは、トランプ氏を悪いイメージで語っていますよね。

 

アメリカという国はこれまでずっと、ガリチアユダヤにフリーライドされてきました。 

ヤハウェから自ら分離・訣別したがゆえに、元の「ひとつ」へ自力では戻れなくなってしまった彼らは、三次元現実世界の中で、形だけでもいいから「ひとつへの回帰」を希求しました。

これが「グローバリズム」の本質でしょ。

でもいくら「世界はひとつ」って言って、必死になって物理的に「統一」しようとしたって、

それは叶わない夢想でしか過ぎないこと。 

しかし、その夢想の実現のために、彼らはアメリカという国を使って、ヤハウェに対して媚びを売って来ました。 

ヤハウェから自ら独立したのにもかかわらず、未だ見ぬ救世主を待ち望んでいるわけですよね。

いやいやその救世主はあなたたちが、自ら訣別したヤハウェそのものじゃないですか、と。

自分で突き放したんじゃないですか、と。 

なのに都合が悪くなったら「元に戻して」ですか?

それは些か自分勝手ではありませんか?

ということです。 

彼らの命運を握る唯一の存在であるヤハウェを彼らは自ら裏切ったわけですよね。 

そしてヤハウェから自ら分かれることによって、尊き「自分」という存在を肥大化させました。

永遠に「ひとつ」に戻ることのできない存在として。 

だから彼らは祈ることしかできないし、瞑想を通じてひとつになったと誤解することで

自分を納得させることしかできない。 

これ、どうやって落とし前をつけるというのですか?

というわけで、これから時間は逆行していくわけです。

彼らが自らの行動を走馬灯のように振り返り、それをひとつずつ昇華させていく作業。 

その模様は全人類に目撃されるという形で、承認を得ていくのだと思います。

それはまさに「ショー」なわけですよ。 

でも彼らはそのようなことは出来ないし、ヤハウェに悔恨だなんて、口が裂けても告白できませんよね。 

この軋轢、この相克こそが、「世界最終戦争」となるわけです。 

というわけで、トランプ氏がここへ来て、再び米国大統領の座に復帰するということの

深い意味がなんとなくわかったかと思います。

 

――ものすごく深い意味があるのですね。

 

ガリチアの夢の実現のために、これまでずっとフリーライドされてきたアメリカが終わる。

古き良き、本来のアメリカへと回帰してきます。

しかしこれを良しとしないのがガリチアでしょう。

つまりカバールのことね。 

アメリカが本来の姿に回帰するということは、これまでの地球人類がずっと悩み続けて来た

「ひとり」から「ひとつ」へと回帰することを意味します。 

「ひとり」と「ひとつ」は大違い。 

「ひとり」は寂しさの極致ですが、「ひとつ」は寂しさという概念すら知らない。 

これまでヤハウェを軽んじ、馬鹿にしてきた、ガリチアが唯一救われる術があるのならばそれは、その馬鹿にしたヤハウェによってのみなのです。 

その不義理をどう解消していくか?

これが「世界最終戦争」の本質です。 

そのための大きなきっかけとして現れたのが「トランプ大統領」というプログラムというわけです。 

もう罵詈雑言を投げかける段階はとうに過ぎたのですから、彼らの今後の姿勢が問われてくるわけです。 

今、お話しした内容というのは、表層世界の1ページ目には出てこないものです。 

そんな表層、皮相からすれば、この内容はたしかに「深い意味」となるかもしれませんね。

 

――表層のお話しで申し訳ないのですが、

そんなトランプ大統領と、日本の石破総理は相性としてはどうでしょうか?

 

トランプ大統領はキリスト教プロテスタントのカルヴァン派ですよね。

石破総理も、キリスト教プロテスタントのカルヴァン派ですよね。 

両者は深い領域で信仰の意識を共有しているわけです。

心の深い部分で理解し合える共通のものを持っているのです。

相性が悪いわけがないでしょう。

もはやそこには統一教会の入り込む余地すらないと思います。 

ゴルフとかやる必要は一切ありません。

歓待されたのだとしたら、それは無能であるという烙印を押されたに等しい。 

しかも石破総理は、今年のお正月に九段の築土(つくど)神社を参拝していますよね。 

築土神社と言ったら、反大和朝廷として朝敵、逆賊との烙印を押された平将門を正式に祀った神社ですよね。 

この壮絶な意味がわかりますか?

そこにはもはや長州電通神社「靖国」という記号はないのです。

ならば空海成田山侵略システムも崩壊していくでしょう。 

もうバチカンの岩戸はとうに開かれ、長い月日を経て、封印されていた檻の柵を打破り、

三回転半のとぐろを巻いたその蛇は、「666」を描いて世に放たれました。

 

――日本のスピ情報は大本統一清和会に操作されていましたから

多くの人はこのことに気づいていませんね。

 

人為的な操作や制御には限界があります。

でもある程度まではそれは許容されてきました。

なぜならば「ショー」だからです。

その方がドラマティックですからね。

 

――そうは言っても壮絶でしたよ。

 

アメリカが本来のアメリカを取り戻すなら、それはフラクタルに展開されます。

ならば、日本も本来の姿を取り戻すのです。

アメリカがモンロー主義に回帰し鎖国するならば、この日本も縄文日高見関八州に回帰するでしょう。 

不当に奪われた地位・名誉・財産を本来の持ち主に返還するプログラムが機能し始めます。 

逆明治維新がこれから起きていくのです。

これら全部「Redeemer」のプログラムです。 

この流れはネット工作では止めることができません。

どれほど敏腕なプロの選対委員長が関わろうと、それは阻止することはできません。 

彼らは全勢力を注ぎ込んで、物理的にそれを力尽くで阻止しようとしますが、結局指一本触れることすらできないでしょう。 

すべては自然の流れです。 

人為的に世界を改変しようとするその姿勢のことを「弥生」といいます。

すべてを受容し自然の流れに身を任せ、すべては必然であると量子意識をもって解釈するその姿勢を「縄文スピリット」といいます。 

この違いはまさに逆の位相なのです。 

縄文は、

人為的なシンクロニシティを演出したり、偶然を装ったりとかそういうことはしません。

 

――トランプ大統領の復活と石破総理の誕生は、じつは深いところで繋がっているのですね。

 

これを理解した上でですよ。

日本の本当の「独立」というものがかすかに見えて来るわけです。

 

――日本国民はまだ自らの手で「独立」を勝ち取った経験がありませんよね。

ここからかつてない大きな変化があって、いろいろなことがアラハバかれていって、

本当の意味での「独立」が人々の視野や意識に浮上して、そこで初めて「独立しよう」という気持ちや機運が生じるということですね。

 

そうそう。

ぬるま湯状態で満喫していたら独立しようだなんて思いもしませんからね。

やっぱり何か律するきっかけのようなことが起きるのだろうと思います。

 

――もっとお話しを伺いたいところですが、紙幅の関係上、ここまでとしたいと思います。

 

かなり脱線してしまいましたね。

 

――そんなことありませんよ。

 

ありがとうございます。

 

――近々またインタビューをお願いいたします。

 

もちろんです。

あと活字版原稿の「第21番」が仕上がりましたよ。

 

――かなりインターバルを空けましたよね。

これには意味があったのですか?

 

たぶんあったんだろうと思いますよ。

自分ではわかりません。 

ただ、出る時には出るので、たぶん今が出る時なのだと思います。 

あと、この21番は本当は22番なのですが、タイミング的に先に出した方がいいと思って、

先に出すことにしました。

 

――変則的ですがそれも意味があるのでしょうね。

 

そうだといいのですが。

 

11月1日に加筆完了したものですから、21番はすべて大統領選前に書かれたものです。

ですがまったく大丈夫だと思います。

 

――タイトルは決まりましたか?

 

「DONT TREAD ON ME」です。

前回のブログのタイトルと同じですね。

それくらいインパクトの強い言葉だと思ったので、活字版のタイトルに相応しいと思いました。 

ゆったりと静かに、しかし巨大で深いことが書けたかなと

自分ではそう思っていますがどうでしょう?

 

――それをみなさんは待っているのですよ!

 

よかった!

ありがとうございます。

 

――澤野さん、ありがとうございました。


画像出展:UNIVERSAL MUSIC JAPAN

まもなく2024年も終わり2025年を迎えますね。 

思い起こせば2024年の世の中は

元旦から息をつく間もなく

凄まじいコンテンツてんこ盛りで

世の中ってこんな感じだったっけ!?

と考えさせられるくらい色濃い様相が展開されました。

 

しかしながら、

水面下では静かに粛々と、かつ華麗に

不当に奪われ失われた地位名誉財産を

元の所有者、元の場所、ひとつに戻すプログラムが

激変を伴って同時進行していました。

 

今まさに「新しい世界」に入っているのだと思います。

 

岩戸という檻から飛び出した蛇が

本格的な復活を遂げ、首をもたげ、

ついに解放されたんだなと確信しました。

 

以前もお話したかと思いますが

私が澤野大樹さんの青森講演会を立ち上げようと

孤軍奮闘猛進したのは

青森講演会第1回のテーマでもある

『逆明治維新』 『封印された青森の秘密を解く』

『縄文を漁る知られざるからくりをアラハバく』

『弥生によるニセ縄文に騙されるな』

これを地で行くこの方こそ!

賊軍たる魂の叫びを共に分かち合える誠の戦友だと

そう信じて疑わなかったからです。

 

日高見国から不当に日の丸を奪い、

そして「日本」を名乗ったその者たちの

支配体制がついに終焉を迎える日が来る。

そんな光景がこれから眼前で展開されていく。

そしてこの目で目撃していくのだと思うと、

じつに不思議な感覚を覚えます。

 

12月はいよいよ青森講演会

『Grand Final  Special Edition  Limited 2024』

が開催されます。

澤野さんはこれまで以上にグッ!と気合が入ってますよ。

今年ファイナルもどうぞよろしくお願いいたします。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野裕美子

2024年11月22日金曜日

3619「2024凱旋「TRIUMPH」逆明治維新1」2024.11.22

 今回は「宇宙の中心で愛を叫ぶ」さんの2024年11月17日の記事を2回に分けて紹介します。

宇宙の中心で愛を叫ぶ


「2024凱旋「TRIUMPH」逆明治維新」


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。 

猛暑だったあの夏も思い出に変わりまして、すっかり年末モードに突入しています。 

前回の更新は9月2日でした。

この2か月半の間、世の中は本当に目まぐるしく変化していきました。 

変化といいますか、混沌という感じでしょうか。 

そんな大激動の世の中で、精力的に全国を巡っておられる澤野大樹さんに、

今回もまたインタビューを敢行いたしました。 

それでは早速お送りいたします!

 

――澤野さん、こんにちは。よろしくお願いいたします。

毎回同じことを言っているようですが、今年2024年は例年とは比較にならないくらい

世の中は大激動、大激変となっています。

 

こんにちは。

特に後半、夏以降の日本、および世界は人類史上稀に見る大激動でしたね。 

自民党総裁選、衆議院選挙、そしてアメリカ大統領選挙と、巨大な選挙が続きましたから。

 

――落ち着く場面がほとんどありませんでした。

 

息を呑むような緊張感が半年以上も続きましたからね。

これは私だけではなく、多くの人にとってストレスでもあったでしょう。

しかもコロナ禍含めたらもう5年ですぜ。

日常のどこかで完全にリラックスできる、時間や空間があるといいですよね。

何もかも忘れて没頭できる趣味でもいい。

 

――ストレスは万病の元凶とも言われていますね。

 

そうは言ってもね、現代人にストレスを解消しなさいって言ったって、

なかなかできるもんじゃないですよね。

 

――夏以降の大きな出来事としましては

9月27日にまずは自民党の総裁選挙がありました。これについてはどう捉えていますか?

 

新しく総裁に選出された石破茂氏は、それまでの岸田路線を継承すると言いましたよね。

それでいいと思います。 

特に岸田氏の外交政策は白眉です。

国家安全保障局長の秋葉剛男氏が岸田政権から引き継いで石破総理を支えています。 

引き継いでいるどころの話しじゃないかもしれません。

石破総理は岸田氏のそれをさらに数倍にも大きくして具現化させると私は見ています。

実際、石破総理は11月14日から、ペルーで開催されるAPEC首脳会議と、

ブラジルで開催されるG20首脳会議に出席しますね。

そしてその足で、経由地のアメリカでトランプ次期大統領と会談する予定です。 

この行程、そしてそのタイミングを見て、わかる人は「おおおっ!」って思うはずです。 

すでに「次の世界の枠組み」を視野に入れて、かなり先取り的な動きを見せています。

 

――「新G8」+「BRICS」+「グローバルサウス」ですね。

 

そうそう。

もうすでに、っていうか岸田さんの時には、すでにそのような青写真をベースに動いていましたから、石破総理はそれをきちんと踏襲してる。

でもマスメディアはそれを隠していますよね。

 

――石破総理はその底知れぬ内容を理解しているのですね?

 

もちろんです。

だから彼は「新しい資本主義」を掲げていますでしょ。

この意味を理解するためには、これまでの西側NATO旧G7的価値観を意識した上で横に置かなきゃならない。 

「私はこうでこういう者だ」という思いは、時に単なる足枷にしかならないから。 

既存の固定した価値観を客観視できるか?

それは謙虚さの問題です。 

修正の利かない強固な意志というものは、時に人の成長を後退させてしまう。 

だから「新しい世の中」をきちんと理解するためには、既存の社会規範や価値観などを

一旦、脇に置いた上で考えるという、謙虚な姿勢が求められるわけです。

 

――公正を謳うマスメディアにも、今さら人には言えない部分があるのでしょうか。

 

日本のメディアは大体のところ、満州赤軍系を継承していますが、

GHQによって右と左といった役割分担を、それぞれ与えられることによって

延命を図りつつ戦後の日本で存在感を持つことができました。

 

――本当は極左なのに、右派を演じてるテレビ局もあるのでしょうね。

 

「中の人」のさらに「心の中」は80年前のそのままでしょう。

そんなの外部から変えることなんかできない。

現在ではその正体や本質はわかりにくくなっています。 

でも岸田石破路線によって、その正体がアラハバかれてしまうだろうし、

存在そのものの意味が消失してしまう恐れから、彼らは、今起きている巨大な変化について、

目を瞑り知らなかったことにしています。

でもそれも時間の問題でしかないかもね。

 

――衆議院選挙の話しに移りたいと思いますが、澤野さんから見てどう解釈されますか?

 

だからマスメディアは、今回の衆議院選挙に際して、「裏金自民党!」って連呼しましたよね。

これは、上手いこと話しをすり替えたなと思いました。

 

――話しをすり替えた?

 

岸田石破両氏は、自民党内から清和会統一教会を排除しましたよね。

少しまだ残党は残っていますが。 

今回の衆議院選挙の本質的なテーマは「日本vs.統一教会」だったわけです。 

しかしいつの間にかそれは「裏金自民vs.国民」にすり替えられました。

そして国民の多くがこの説に乗った。 

岸田石破路線は、自民党内の統一教会を粛清するというこれまでにはなかった荒治療を「肉を切らせて骨を断つ」思いで実行しました。 

自党の内部をまさに「泣いて馬謖を斬る」思いでやった。

こんなの見たことありませんよ。 

しかも衆議院選挙において、自党の候補者を公認しない、あるいは、公認はするけれども比例重複を認めないという厳しい判断を下しました。

 

――つまり、石破総理は、衆議院選挙で議席を大幅に減らすことも織り込んだ上で選挙に臨んだわけですよね。

 

しかし、マスメディアも野党も口を揃えて、「自民党は過半数を割り込んだ!ざまあ!」って快哉を叫びましたがどうでしょう?

 

――衆議院選挙の結果、自民党は単独過半数に届かないどころか、与党公明党と合わせても過半数に届きませんでした。

 

じゃあ、どの党が過半数を獲得しましたか?

 

――どこも獲得していませんね。

 

そういうことです。

これまで野党はずっと「アベ政治を許さない!」という澤地久枝さんが提唱したそのスローガンのプラカードを掲げて、デモをやったりポスター貼ったりしていましたよね。 

ということはですよ。

岸田石破両氏が断行した「自民党内清和会統一教会排除」をもっとも歓迎し、喜び、喝采を送るべきは何よりも本来は野党であって然るべきではないですか? 

なのに野党は「自民党は過半数を割り込んだ!ざまあ!」ってやっちゃった。

これじつは悪手ですよね。

清和会統一勢力と同じ主張を、野党も一緒になってやっちゃった。 

そこに野党の野心と山っ気が前景化しちゃった。

半径5メートルと、直近前後2時間しか見えていないその力量と器が露呈しちゃった。

野党のその大局観の無さ、そして有象無象の度合いを、野党自ら高らかに宣言したに等しかった。 

野党第一党の立憲民主党には歴史上稀に見る奇跡的な追い風が吹いていたはず。 

しかし、比例票は前回衆院選から6万票しか増やせていませんでした。 

この状況で過半数を獲得できないってことは、

それは立憲民主党自体に問題があるんじゃないの?ってこと。 

このことを立憲民主党首脳部は、誰よりも理解しているが表立って言うわけにはいかない。

つまりその勝利は刹那な幻想に過ぎない。

だから野田代表は笑いもしない。

 

――公明党はどうですか?

 

比例票過去最少でついに600万票割れして596万票となりました。

 

――これはどういうことを意味しているのですか?

 

日本の戦後が終わったということ。

あるいは、旧満州派である清和会自民党を「与党連立」という形で監視する必要が薄れて来たってことだと思います。 

自民党内に長く巣食って来た、好戦的な派閥が消滅したため、もうその暴走を危険視し、

監視し抑える必要性がなくなった。 

さらに池田大作氏を超えるカリスマがまったく育たなかったこと。 

それと、団塊の世代800万人が後期高齢者となり人数が減っているということと、

ネットの普及で次世代が継承しなくなったということ。 

だから公明党はこれから、自然な形でゆるやかに消えていくと思います。 

かの戦争が80年経ってようやく終わろうとしているのです。 

もうお題目を唱えなくとも、戦争で死んだ旦那や息子と同じところに、もうすぐ行ける頃になった。 

つまり、第3代会長だけが必要とされ、その地位を宛がわれたのだということ。 

かの戦争はそれだけ日本国民の心に大きな傷を遺したのですよ。 

これはね、戦後の近現代史を深く学ばないと、理解することがなかなか難しい領域なのですよ。

 

――国民民主党の玉木代表が躍進して一躍時の人となりましたが、これについてはどうですか?

 

玉木代表は、議席を4倍に増やしましたが、それは自らの実力によるものではないことを

誰よりもよく理解していると思います。 

「裏金自民党には入れたくないけど立民共産はイヤだな、じゃあどこにしようかな? しかたないなあ、ま、今回はだなテキトーだけど国民民主にでも入れてやるとすっかな」 

つまり、政策が支持されたのではないのだということ。

そういう消極的支持を得てまったく意図すらせずに、

半ば「タナボタ」的に議席をたまたま増やしてしまった。 

神は与えたもうた。 

玉木氏にはこの地上の歴史の中で、2秒だけスターになることができる権利を。 

ある日突然、一躍「時の人」として脚光を浴びる。

このパターン、もう何度かありましたよね。

これは動員がかかったということです。 

クラウドワークスには「日本賞賛系動画」や、「皇室系動画」や「政治系動画」製作者の

求人で溢れています。

 

――財務省悪玉論が急浮上してきましたね。

 

財務省悪玉元凶論を拡散して、世論を「統一」しようとしているのがわかりますか?

 

――国民にとってわかりやすい「敵」の設定ですね。

 

すべての元凶は財務省だ、という説。

この説を流布することによって、統一教会問題への国民の関心を、逸らすことができますからね。 

目先の損得勘定、「103万円の壁」とか、誰が言い出して、誰が拡散しているのか?ということ。

これは意図的に作られた世論だということ。

動員がかかったということ。 

一般庶民の感情を動かすためには「吝嗇」(りんしょく=ケチ)の意識を惹起させ、

焚きつけることがもっとも手っ取り早いでしょうから。 

その意図は本当に国民のためのものか?

それとも何かを隠蔽するための煙幕か? 

メディアが庶民のカネのことをやたらと言い出したら、それは他の別の何かを隠そうとする時です。 

でもこれ、わざと炙り出すかの如く、俎上に載せているのだということをどこかで客観的に意識していなきゃダメね。

すべては「ショー」なのだから、きちんと全部、見せなきゃならない。

 

――ある日突然、ニュースは朝から晩まで「103万円の壁」ですよね。

 

全部、調整されています。

これは大谷の脱臼と似ています。

ホログラムなんです。

一般人類が思わず夢中になってしまうコンテンツ。

心を奪われ、気になって仕方ないという

魅力あふれるアクシデントや事件事故やスキャンダル。 

これらのほとんどすべてが、この三次元現実世界というホログラムという檻の中に

閉じ込めておくための魅力的にしつらえられた「エンタメ」という罠です。

 

――そのひとつが「103万円の壁」ということですか?

 

「ザイム真理教」の某経済評論家はいつの間にか、旧清和会系ニュース番組に出演するポジションにまでなりました。

これって、簡単な問題ですよね? 

満州派直伝の「池江方式」っていうのがあるから、彼についてもいくらかマージンを取って、

あらゆる可能性の存在も否定することなくそういうつもりで眺めていればいいと思います。


2024年11月21日木曜日

3618「子供が教えてくれた」2024.11.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月10日の記事を紹介します。


「子供が教えてくれた」


今日のお話は、以前ご紹介したこともありますが、最近読者登録くださった皆さんの中にも、

同じようなことで苦しんだり、悩んでいらっしゃる方がいる様でしたので、加筆して掲載します。

小林正観さんが、悟った瞬間と言っても良いお話かもしれません。

日常の何気ない生活の中や、絶望のさ中と思われる時に、

神様の導きが行われることがよくあります。

神様の奇跡は、決してサーカスのように鳴り物入りで、

耳目を集め起きることではないと思います。

日常の何気ない生活の中にこそ、神様の様々な奇跡が行われています。

正観さんは、ブッダや、空海の弟子の時もあったそうです。

<引用開始>

30歳のとき結婚しました。

結婚後3年間は子供ができませんでした。 

33歳のとき、子供を授かりました。

なかなかできなかった子供なので、

よろこびの「慶」を命名しようと心待ちに待っていました。

7月14日(パリ祭の日)、その子が生まれました。

知恵遅れの障害児でした。 

別室に呼ばれて、私は医師からこのように宣告されることになります。

「この子は先天的な障害児です。

手術によっても、薬によっても、リハビリによっても治ることはありません。 

この子は生まれなかったものと思ってください」・・・。

目の前が真っ白になりました。 

「目の前が真っ暗になる」という表現はよく使われますが、

実際に体験した者の立場で言うと、真っ黒になるのではなく、真っ白になるようです。 

真っ白になった風景が徐々に薄れていき、

目の前に再びその宣告をした医師が見えたときは、

その医師を含む部屋中の風景がモノクロになっていました。

白黒だけのグラデーションの世界です。

それから半年間、私は色の付いていない、モノクロの風景を見ることになりました。 

一番困ったのは、天気がわからないことでした。

窓の外を眺めても、晴れているのか(空が青色なのか)、

曇りなのか、雨なのか、見ただけではわからないのです。

季節感もなくなり、花の色、緑の色、木の肌の色、そして人の顔色なども全くわかりません。

半年ほどたった1月16日は休刊日でしたので、

私は15日に届いた膨大な付録の部分を読んでいたのです。

その記事の一つに、このようなものがありました。

── 新生児の600人に1人は、障害を持つ子供が生まれる。

あなた方も20歳になって、将来結婚をするであろうから、

その生まれる子供に障害児が生まれてくる可能性もある。

そういうこともあるのだ、ということを知っておきなさい── 

というようなとても短いコラムでした。

このコラムを真剣に受け止めた人は少なかったと思います。

ただ、私にとっては、この小さなコラムが救いでした。こう思ったのです。

「慶子ちゃん、うちに生まれてきてよかったね。

600人に1人、障害児として生まれてくるのであれば、

慶子ちゃんは、どこかの家を選んで必ず生まれなければならなかった。

そのときに、小林家の両親を選んだというのは、ものすごく良い選択をしたと思う。

私は障害がある子をいじめたり差別をしたりはしないし、

私の妻もやさしい人だから、いじめたり差別をしたりはしない。

慶子ちゃんは、そういう両親を選んで生まれてきたんだね」

とそう思った瞬間に、半年前に失っていた「色」が戻りました。

風景に色が付いたのです。

瞬間の出来事でした。 

半年間、私は苦しんでいました。悩んでいました。

なぜなら、生まれた子供を受け入れることができなかったからです。

しかし、そのとき、目の前に乗り越えるべき大きな障害や

障壁が立ちふさがっていると思っていたものが、

実は 幻 であったということに気が付いたのでした。

私自身が障害や障壁だと思っていた大きなものは、私の認識だけの問題 だったのです。

私が「慶子ちゃん、よかったね」と思えた瞬間に、その問題は消滅していました。

努力や苦労をして乗り越えたのではなく、乗り越えなければならないと思っていた障害や障壁が、その1月16日の瞬間に消滅したのです。 

乗り越えたのではありません。

乗り越える必要がない状態になったのでした。

生まれてからわずか半年後に、この慶子は私に大きなことを教えてくれました。

悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、

受け入れないところから生じているのだということを。

私たちが目の前の現象について悩んだり、苦しんだりしているときは、

それを受け入れていないということなのです。

否定をしているということにほかなりません。

<引用終了>

小林正観さんは、この障害を持つお嬢さんの誕生によって、大きな気付きを受け取りました。

まるで神様からの贈り物ですね。。 

ですが正観さんでさえ、その悟りまでに半年を要しました。

苦しみの原因は、それを受け入れていないと言う事。

受入さえすれば、一瞬でそれは苦しみではなくなると言う事、

これこそが、ブッダの説いた「般若心経」の真髄です。 

悩み、苦しみの種に見えた現実を 

・受け入れた瞬間、

・感謝できた瞬間

それは、恵みの種に変わったのでした。 

この気づきによって、悟りによって、

どれだけ多くの方が、正観さんの著作や、講演を通じ、救われたことでしょうか? 

慶子ちゃんの誕生によって、絶望の淵にまで落とされていた正観さん、

そして半年後の悟り、そしてそれが開花して、

何十万人もの多くの人の心の救いに繋がりました。

それは、全て慶子ちゃんの誕生から始まりました。 

慶子ちゃんが生まれなければ、

後に、これほどまでに多くの人の心が救われることはなかったのです。


2024年11月20日水曜日

3617「それしか起きなかった」2024.11.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月08日の記事を紹介します。


「それしか起きなかった」


私たちは、よく過去を振り返って後悔します。

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった 

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。

さて、今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、とても分かりやすく、心に響くものだったので

ご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  

一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」、 努力が足りないからできないんだ、自分が目標を持って必死な思いでやれば必ずそういうふうになるんだ。 

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても、同じ結果になるのか、っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。 

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によっては、まったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。 

努力をしたらこうなるというシナリオを書いているか、

努力をしないでこうなるという結果を書いているか、 

というどっちかである。 

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。

死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでのシナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である。ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくる、という法則があります。  

投げかけたものとは 

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔 

その逆に、 

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ

様々ありますね。 

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を、読みとることができます。  

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。

現状を見ると、未来が推定できますね。  

そういうふうに因果関係が作られています。

過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、今の自分を見れば、未来の自分を予言できます。  

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。 

こういうことを知らずに 人生を終わる人もいる。

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。 

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 

誠実に正直に生きていこうと、決めたときに人生は一転するんです。 

それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生とまったく変わったじゃないか? 

シナリオが変わったじゃないか?

ということになるけれども、変わるっていうのは、本人がそう思っているだけで、

実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、

そのようにシナリオが書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。

面白いですよ、その因果関係というものが分かってくると、じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい 、生き方というのを一言で言っておきますと、誠実に生きるということです。

馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。

これが王道です。  

自分の投げかけた結果として、現在がある。

今投げかけている結果としての未来があるっていう ことが分かってくると、

過去と現在と未来がドミノ倒しのように、一列に因果関係で並んでいるということが、

分かるんです。

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として、ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも全部予定通りである、

という結論になってしまうんですね。  

未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて、

未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、もう過去のことについて何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である。

過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、自分が書いたシナリオで、現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて、悔いたり後悔をしたりする意味がない、ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、あの時ああすれば「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって、心配することは無意味

だということを申し上げておきます。

今、この瞬間から皆さんは、自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、当たり前のことに喜べるようになった人を人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか、艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか、いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。 

私たちは自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。

その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、つまらないとか悔しいとか、頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。  

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか? 

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。今日なんです。明日って永久に来ません。 

実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、 明日も明後日も生きているように思うけれども、

 実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には、過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ 、その刹那の連続しかない。 

だから未来を心配することは無意味だ、過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。 

未来のことを 一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは、念を入れて生きるっていうことなんです。 

念という文字は、「今」の「心」と書きます。 

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。

今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。 

簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって、心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために今、目の前の事と人を大事にする。

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。 

それ以外に過去に参加することはできない、昨日の人を抱きしめることはできない。

明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。 

そういうことです。 

人生がこれほどシンプルで楽であることを分かってしまうと、なんにもエネルギーを とられる必要がないから、目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。 

学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って教えられるけれども、未来のことは考えなくていい、未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。 

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>

凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。ブッダも同じことを仰っています。

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・


2024年11月19日火曜日

3616「命の使い方」2024.11.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月07日の記事を紹介します。


「命の使い方」


一つ一つの動作に、心を込める、愛を込める

というのは、非常に大切なことです。

その小さな小さな行動が積み重なって,やがては大きな果報を生み出します。 

今日は元ノートルダム清心女子大学の学長であった、

渡辺和子さんのお話を紹介します。 

<引用開始> 引用元

「何を考えながら、仕事をしていますか?」 

 突然、背後から英語で問いかけられた私は、

手早くしていた皿並べの手を止めて、

「別に何も」と答えました。

すると返ってきたのは、厳しい叱責。

「あなたは時間を無駄にしています」

アメリカのボストンで修練者として生活していた、ある昼下がりのことでした。 

百数十名のシスターたちの夕食の配膳を割り当てられていた私は手際よく、

しかし心の中では「なんとつまらない仕事、早く済ませてしまおう」とだけ考えていました。

「同じ並べるのなら、やがて食卓につく一人ひとりのために、祈りながらしたらどうですか」

修練長は諭すように言われ、

何も考えず、ロボットと同じく機械的に仕事をしていたのでは、

時間がもったいないということを教えてくださったのでした。

「つまらない、つまらない」と考えながら過ごした時間は、

私の人生の中に、つまらない時間として刻まれ、 

「お幸せに」と願いながら過ごした時間は、

同じ時間でも、愛と祈りのこもった30分として残るのです。

時間の使い方は、そのまま、

いのちの使い方であることを、その日、私は教えられました。

仕事は、すること(doing)も、もちろん大切ですが、

どういう気持ちでしているかという、

私のあり方(being)を忘れてはいけないのです。

私が、「お幸せに」と祈りながらお皿を並べたから、

夕食に座ったシスターたちが幸せになったかどうかは、

わかりません。

しかし、私が変わりました。

仕事に対して不平不満を抱くことがあった私が、

少しずつではあっても、

与えられた仕事を一つひとつ意味あるものとして、

ていねいに向き合う私になってゆきました。

雑用は、用を雑にした時に生まれるのです。 

<引用終了>

相手の幸せを願いながら行う行動は、

例え聞こえなくとも、

見えなくとも、 

必ず、その愛の波動は周りに広まっていきます。 

その美しく、優しい、

神様のような波動に同調した

人や、物、動物、植物、気象、出来事を引き寄せることでしょう。

神さまの波動のように繊細な波動ですから、

あらゆるものを活かし、

エネルギーを漲らせ、

バランスの取れた美しいハーモニーを奏でます。 

物事がどんどん上手くいき、

みんなが幸せになることでしょう。

また、その逆に、嫉妬、憎しみの心も

全く同じく、同じような人々が周りに集まりだし、 

集った人々全員を黒い未来が覆うことでしょう。

世の中の二極化がどんどん進行している今、

すべの方向性を決めるのは、私たちの心の指向性です。 

この魂の向かう方向性の違いは、発信する波長の違いを生みます。 

波長の違うものは、混じり合うことがありません。 

愛は愛を呼び

感謝は感謝を呼び

憎しみは憎しみを呼び込みます。

今の時代、地球が霊的に分裂し、 

それぞれの精神性の人々が住むにふさわしい

地球が用意されていると言われています。

できれば、日々の生活の中で、

一つ一つの行動を丁寧にして、 

周りのみなさんの幸せ、調和を願いながら行いたいものですね。

分裂する地球


2024年11月18日月曜日

3615「お迎え」2024.11.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月06日の記事を紹介します。


「お迎え」


日本は縄文の時代より、黄泉の国、すなわち神の国と非常に近しい関係でした。 

生活の全てに、死者(黄泉の国の住人、魂としての存在)や

神々を意識しながら生活していました。 

この物理的3次元の世界と、黄泉の国、つまり4次元以降の世界が

密接に繋がっていることを知っていたからです。 

日本以外では、このような思想自体がありませんでした。 

それほど、この日本は神々に愛された国であったのです。 

またこの黄泉の国の発想自体はスピリチュアル関係の人だけでなく、 

最近では、宇宙から直接地球に転生してきた

私たちより科学的にはるかに発達した知的生命体、 

レインボーチルドレンなども同じことを言っています。

すなわち、黄泉の国の存在は非科学的ではない・・と言うことです。 

ただ今の私たちには隠されていた真実であるというだけです。

今日のお話は、「お迎え」と言うことで、生まれる前に居た場所に帰る時のお話です。 

東京大学名誉教授で、長く救急・集中治療などの臨床医として活躍されていた

矢作直樹さんのお話よりご紹介します。 

<引用開始> 引用元

東大病院の救急で、あるいは東大病院に来る前の勤務先で、 

私は多くの方を看取ってきましたが、

今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、

まるで何かを見つけたような、ちょっと驚いたような

表情に変化する方が少なからずいらっしゃいました。

何かを見て顔をほころばせたように思えた方もいらっしゃいます。 

お別れの時が近づくと、ちょっと不思議な経験をすることもあります。

在宅緩和医療の第一人者と称される岡部健先生のグループは、 

10年以上かけて医療スタッフや研究者の協力を得た上で 

患者さんの家族にアンケート調査をおこなってきました。

調査のテーマは、「お迎え現象」です。

すでに亡くなっている両親や、身内が枕元に立つ、姿を見せる、といった現象です。

調査(回答者数は541人)では、自宅で亡くなった方の42%が、

何らかのお迎え現象を経験したそうです。

うち52%が肉親など身内を迎えたそうで、

なかには光、あるいは仏といった崇高な存在との遭遇も報告されています。

仏教には「三世因果」という考えがあります。

三世とは、前世、現世、来世という仕組みを指しますが、何らかの原因があって結果がある、 

といったそうした仕組みを詳細に理解できなくとも、

そういうものなのかな、と軽く信じるだけでいいのです。

この人とは前世でも何らかの形でご縁があったのだろう、 

だから今(現世)、こうして一緒にいる、そして来世でも

何らかの立場で関わるのだろう…、 

そう考えるだけで、 

これまでの時間、さらに現在の時間が価値あるものへと変化します。

私たちは、肉体死を迎える際、

いわゆる「私たちの本体」である魂が 、肉体から抜けて元いた世界へといったん戻り、 

そこで次の生へと向う準備をすることになります。

これが輪廻転生です。

こういう話をすると、初めて聞かれる方は、びっくりされるかもしれません。

しかし、そろそろ本当のことを知るべき時代が来ているということ、

本当のことをちゃんと知らないと、死ぬことが「つらさ一辺倒」である事実が

いつまでたったても変わらないということを考慮し、私自身もあえて書いています。

だからと言って、今回の人生を粗末に適当にやり過ごそうなどと思っていません。

今回の人生は今回限りだからです。

それがいつかはわかりませんが、肉体死を迎えるその瞬間まで、

私は全力で生きようと思っています。

<引用終了> 

矢作先生は勇気がありますね。

東京大学医学部の教授という立場からこのような発言をされています。

今までかなり、誹謗中傷、バッシングもあったことでしょう。

ですが、1945年の敗戦までは、日本全国のご家庭では、仏壇があり、祖先の霊を祀り、

大自然の中に、八百万の神々を感じ、謙虚に自然と、周りの人々と調和して生きていました。

それが日本人の強さでした。 

その日本人の精神と、肉体の強靭さを恐れた人々が

二度と、立ち上がれないように、戦後処理を行いました。(「3R・5D・3S」政策)

日本人は、誇りを失い、世界に類を見ない、高い精神性を失いました。 

ですが、戦後70年もたちました。 

矢作先生が仰るように、もう真実は隠しきれません。 

真実を知ることで、より良い人生、お互いさま、お陰さまの助け合いの人生、優しい社会を

取り戻せるかもしれないからです。 

戦後、日本は資本主義と言う名に隠れた狡猾な勢力に飲み込まれてしまいました。 

それは、明治維新のころから着々と計画され、すすめられてきました。 

・お金が全て

・自分さえ良ければ人は、どうなってもよい

・人を蹴落とし競争に勝て

・自分が持っていないものをリストアップし、努力して得よ 

でも、人間も捨てたものではありません。

そして、日本の神々も黙ってはいません。

様々な分野で、様々なレベルで真実が語られるようになりました。 

鉄の鎧のように見えた所にあちこちに、ほころびが見え始めました。 

生まれる前の記憶を持つ子供たちが全体の 1/3 もいるそうです。 

そして彼らの語る、人間として生まれて来た目的は

・お母さんを助けるため

・人の役に立つため

・魂を磨くため. 

なのだそうです。 

魂の永遠性、身近な周りの人々との、生死を越えたご縁、 

そんなことに気がつけば、矢作先生の仰るように、

よりよい人生が送れるかもしれませんね。


2024年11月17日日曜日

3614「青空ひろば」2024.11.17

今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1522 2024.11.04 

<高天原の神々が私たち(日本民族)に授けられた天命>

「豊葦原の水穂の国を 安国と 平けく 知ろしめせと 事依さし奉りき」

(訳)

「豊葦原の水穂の国」:「うるおい」があり、多くの善きものを生み出す「心」を持つよう努めなさい。

「安国」:調和と融合の「心」を育てなさい。

「平けく」:お互いの存在価値を認め、平等に尊ぶ「心」を持ちなさい。

「知ろしめせ」:全体をよく見通し、見落としがない「心」を持ちなさい。

「事依さし奉りき」:そのように告げて、高天原の神々が日本人に地上で使命を果たすように委託されました。


1521 2024.11.03

<なぜ?予言がいい方に外れる日本という国>

・ゲリー・ポーネル氏の予言→北海道は半分海に沈む

・エドガー・ケーシー氏の予言→1995年に日本は沈没する

・なぜいい方に予言が外れるのでしょう?

・日本人の「心」は「ユニティの時代」に向けて一番進化しているから

・「心」が住まう環境を生み出す例→ユング:雨降らしの名人の話

(参考文献)『出雲記伝』立花大敬 バンクシアブックス


1520 2024.11.02 

<なぜ、自然災害が頻発するのですか?>

・人類は今、「分離の時代」から「ユニティの時代」へ向かう過渡期にいるからです(ゲリー・ポーネル氏)

・自然災害が「ユニティの時代」への移行を促進させます→助け合わねば生き残れないのです→(例)過酷な環境を耐えて生きのびるペンギン,雁の渡り。

(参考文献)『国生み記伝』立花大敬 バンクシアブックス


1519 2024.11.01 

<なぜ?日本で頻発する災害>

・日本は地球上のすべての「気」が流入して集約される場(龍穴)。そしてこの場で、すべての気が融和一体化され(大和の国)、その出来上がった「和気」を世界にむけて発信させる使命を持つ国。

(参考文献)シュタイナー:『天地の未来-地震・火山・戦争』(風濤社)


1518 2024.10.31 

<養いの坐禅>

① アタマを何かに集中させて坐る瞑想とは違う。ただカラダで坐る。

② 坐禅はカラダで結ぶ印で、この印を全身で結ぶと、なぜか心の傷が癒え、自他を許せるようになり、身心がほどけて解放され、運命が改善するということを信じて、ただ坐る。

③ 坐禅に上下、優劣、合格・不合格はない。

④ アタマをしばらくお休みすると、自然にいのちが充電される

⑤ アタマがはたらかなくても、音がなれば音が聞こえる奇跡!

⑥ 坐禅すれば「身」に帰れる。「身」に帰れば「今・ココ」にいのち の重心がピタッとおさまる。「今・ココ」にいのちの重心がピタッとおさまれば、最適の未来への一歩を踏み出すことが出来る。


1517 2024.10.30 

<延命十句観音経の行法>

① 姿勢:坐禅か正座

② 合掌して「叶えたい願い」を念じる

a.口調のいい短い文章を練る

b.否定形の願いは叶わない

③ 読経:三千回が標準 

a.100回で20~30分ほど

b.カウントは「カウンター(数取り器)」で

c.手帳やノートに回数を記録してゆく(気持ちや感想も書き込んでゆくとより効果的)

d.念力で願いが成就するのではなく、仏力、観音力で叶うのだということを忘れない

④ 最後に、もう一度合掌して「叶えたい願い」を念じる


1516 2024.10.29

<延命十句観音経の現代語訳>

「延命十句観音経」:いのちの可能性を伸ばす性能を持つ、十句からなる観音様のお経。

「観世音」:観音様、お願いします。どうかこの「願い」を叶えて下さい。

「南無仏」:仏様、お願いします。どうかこの「願い」を叶えて下さい。

「与仏有因」:私たちは仏様の子供です。

「与仏有縁」: 私たちがこのように生きているのも、すべて仏様が、必要なものを次から次へと与えてくださっているからです。

「仏法僧縁」:仏様は、私たちをこのように生み出してくださり、養ってくださり、導いてくださり、助け合い、支えあって生きる仲間を授けてくださいました。

それはなぜでしょう。それは、私たちが「いのちの可能性」を伸ばし、より大きく、より高く成長するようにと願われてのことなのです。

ですから、「いのちの可能性」をさらに伸ばすためにこうしたいという、この「願い」もきっと叶えてくださるはずです。

そうでなければならないはずです。

「いのちの可能性」を、どこまでも伸ばしてゆくと、私たちはどこに到達するのでしょうか。それは、「いのち本来性」に到達するのです。

「いのちの本来性」とは、

「常」:いのちの領域がどこまでも限りなく拡大させ、

「楽」:絶えざる創造の喜びに満ちあふれ、

「我」:常に宇宙の中心者としての意識を保ち、

「浄」:停滞やよどみがなく、どこまでも「いのちの可能性」を追求する「成長の意志」を持ち続ける 

という姿に私たちは全員残らず戻ることができるのでした。

仏様、観音様は、私たちが「いのちの本来性」を回復することをお望みです。

その進化達成の日まで、私たちに「いのちの可能性」を追求させてください。

「朝念観世音 暮念観世音」:私たちの求道の旅に、観音様、仏様は、ずっと同道してくださいます。私たちがつらい時、道に迷った時、おすがりしてもいいのです。

「念念従心起」:私たちは、観音様や仏様が設(しつら)えてくださった「大乗の船」に乗船させていただいて、日々、刻々、旧い自分を捨てて、「新しい可能性」へと船出して行きます。

「念念不離心」:もう、途中で下船することなどあり得ません。観音さまとご縁が結ばれた私たちは、必ず「常楽我浄」の港へと入港できるのです。


1515 2024.10.28

<延命十句観音経の霊験>(白隠禅師の『延命十句観音経霊験記』より)

① 重病が癒えた 8件(肉体治癒5件、精神治癒3件)

② 死刑を免れる  2件

③ 拘束監禁からの開放 1件

④ 死後蘇生 3件

⑤ 虚弱体質の改善 1件


1514 2024.10.27 

<神さまとはどんなお方?>

Q1.神さまは、なぜ「柱」で数えるのですか?  

A.地上に降臨しておられる神々の役割は、人と天をつなぐこと。神さまは天と地(人)をつなぐ情報とエネルギーを人に注いで、人の意識を上昇させ、天に近づけるための昇降の働き(エレベーター)をなさっているので、「柱」で数えるのです。

Q2.神様方は何を目指しておられるのでしょうか?

A.人の意識の波動レベルを上げ、高天原で神と人を合流させ、一体化させようとなさっているのです。

Q3.なぜ神様は人と一体化なさりたいのですか?

A.本来、神と人は一体であったのですが、進化の必要から、神の本体からあえて分離させて地上世界に人を降ろしました。

本来、神と人は一体なのですから、人のレベルが低くて欠けているところが多々あると、結局それは神ご自身が未完成だということになるのです。

だから、手を怪我したら、全身がその手の怪我を治すための働きをスタートするように、人の身心が病んでいたり、欠けていたりすると、神(全身)が発動して、その欠けた部分を補おうとされるのです。


1513 2024.10.26 

<うまく流れに乗る方法>

① 否定形の思いは逆作用を及ぼすので注意。

(例)「失敗しませんように」(×)→「神様のおかげでうまく事が運びます。有り難うございます」(○)

② 過去の後悔、未来の不安、現在の怒りに意識が固着していると失敗しやすい(「今・ココ」に意識を引き戻すこと)。 

③ 気づきの成果がすぐ現れない場合でもあせらない。きっと何かが起こるはずと明るい期待感で待つ(時を味方にする)。

④ 頭が無駄にはたらき過ぎる余裕を与えない→カラダを動かす。

⑤ 「ねばならない」の思い込みが、自分を縛っていないか気を付けよう。


1512 2024.10.25 

個人性の囲いが外れると、神のご意志の流れが肌で感じられるようになる。神のご意志の流れのまま、浮かんで楽々運ばれることが出来るようになる(神流楽 かんながら)(フロー感覚)。


1511 2024.10.24 

個人性を超えた志(我欲でない誓願)を持つと、個人が持つ能力の限界(制限・制約)が取っ払われる。そうすると、その志を果たすのに必要な才能、資材、人材が、天から、世界から届くようになる。

そうして、神から授けられた御用が順調にこなせるようになる(関門が次々自動ドアになる)。

・・・

2024年11月16日土曜日

3613「魂の進化」2024.11.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月05日の記事を紹介します。


「魂の進化」


神さまの仕組みは、私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。 

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて実は神様の介入により、様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。 

まさに神仕組みです。 

その積み重ねが、、私たちがその流れに乗っていることで、いつの間にか気づかぬうちに、

私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。 

ですから、敢えて派手な奇跡を吹聴したり、神々の功徳を宣伝する必要はありません。 

それらは既に、どなたにも起きている神仕組みだからです。

逆に、そのようなニンジン(派手な奇跡や、凄いご利益)に魅かれ集まり集う人の心は、

依存心を生み、自分さえ良ければの、醜く狭い心を創り出す可能性を秘めています。 

パワーのあると言われる場所に、ご利益があると聞きつければ、われ先に駆け付け・・ 

決して自らの心(包身、氣枯れ つみ けがれ)を顧みることが無ければ、 

同じ心、波長を持つ、悪の神様に取り込まれてしまうことでしょう。 

憎しみや嫉妬の心、行き過ぎた正義感も同じことです。

せっかく今、ミロクの世、精神性復活の時代が来ているのに 

どっぷりと

・依存の心、

・嫉妬の心

・自分さえ良ければの心 

につかっている限り、その新しき世界を見ることもなく 

自分の心の状態に合った世界、地獄のような世界に自ら入っていくことでしょう。

心とは、それほど大切なものであり、その心を通じ、神様を認識することも

人々の心の中の神様を認識することも可能になります。 

そして何より、そのことを神々は望んでいらっしゃいます。 

さあ自分の所にお参りに来なさい

お布施やお酒を持ってきなさい

そうすれば願いを叶えてやろう・・ 

神様は、そのようなお方ではありません。 

さて今日は、この地球に置いて、人間を経験することで

人々との間に愛の循環を起こす・・というテーマのお話です。

美しき心を思い出すための記事です。

受けた恩を、受けた方ではなく、別の方へ、お返しし、

愛の循環を永遠に起こす、ペイフォワードもそうですが、 

・愛や思いやりを表現すること、

・それを喜びとともに受け取ること、

・それを別の人へ循環させること

この宇宙全体も、その仕組みのもとに動いています。 

私たち人間も本来そうでした。 

愛の循環がよどみなく起これば、この地球は幸せの星へと進化していくことでしょう。 

何処かが詰まったりするとせっかくの循環が、そこでストップしてしまいます。 

「心を受け取る」と言うこと。 

私たちが、この地球に生まれたのは

・働きづくめになるためでも

・沢山のお金を得るためでも

・高い地位に着いて、人の尊敬を集めるためでも

・大きなこと、沢山のことを成し遂げるためでも

・美味しい物を沢山食べるためでも

・高価なアクセサリーを身につけるためでも

・大きな家に住むためでも

・人に自慢できる高価な車に乗るためでもありません 

私たちが、わざわざ何も不自由のない、天の世界から 

・思うようにならない、不自由だらけの世界

・憎しみと悲しみが蔓延する世界

・今だけ、金だけ、自分だけの人が多く存在する世界

このような地球に来たのは、 

人間同士の心の交流(愛の流れ)を通じ、魂のダイナミズムを経験し、 

・お互いさまの心

・お陰さまの心

を養い育て、自分だけでなく、お互いが 

・魂を輝かせるためです。

・神さまを知るためです。 

肉体を持つことで、様々な不自由や艱難苦難、喜び・悲しみを、敢えて、経験することで、

肉体を持たない時に比べ、比較にならない程、魂の進化が進むのだそうです。 

魂が進化するとは、よりピュアになり、神さまに近付くと言うことです。

今の時代は「心の時代」とも言われますが、 素直な心、ピュアな心になればなるほど、 

悩みや苦しみが無くなって行きます。心が軽くなります。 

その心に同調した、美しい心の持ち主が集まってきます。 

思うことが、直ぐに現実化しやすくなります。 

ですが、全く、同じ環境、状況に置かれていても、その人の心の状況によって、 

受け取り方が、全く正反対の人もいます。 

・不平不満、愚痴の心で受け取るか?

・感謝の心で受け取るか? 

その違いだけで、空海が仰っていたように、 

・地獄に住むのか?

・天国に住むのか? 

それほどの違いが出てきます。

私たちの住む、この世界は、私たちの心が作り出しています。 

心こそ、全ての全てです。 

周りの方がたと、心を交わらせ、通わせ、お互いの違いを知り、受け入れ、

魂のぶつかり合い、交流を通じ、お互いの魂を煌めかせることができます。 

今、生きているのは、効率よく、何かを成し遂げるためではありません。 

大きなことをするためではありません。

人に頼らず、自分の力だけで物事を成し遂げる、強い人間になるためでもありません。 

相手の方の心を信じ、その奥底に在る、神さまを信じることができれば、 

全ての方が、自分にとって良き人になるでしょう。

味方になるでしょう。

相手の方の真心を感じ取ることができるでしょう。 

常に、心こそ全て、相手の方の心を感じ取ろうと生活していれば、 

相手の方の態度、行動の裏に隠された、寂しさ、切なさ、不安、恐怖を感じ取り、

包み込んで差し上げることもできるでしょう。

喜びを感じ、ともに喜んで差し上げることもできるでしょう。 

生きている間に、何事も、成すことができなくとも、

名もなき一人の凡人で終わったとしても

互いを信じ、尊重し、魂を触れ合わせること、 

お互いの思いやり、優しさ、愛を感じ合うこと、

そのことに勝る人間としての経験はありません。 

心を知る、感じ取ると言うことは、人の称賛を得るよりも、お金をたくさん稼ぐよりも、 

目に見えるものを沢山手に入れるより、はるかに、はるかに大切なことです。

20世紀までは、効率優先、合理性優先、心は置き去りでも、仕方なかった時代でした。 

ですが、今私たちの住む21世紀は、本来の、私たち人間の精神を復活させようと、 

見える者、そして見えない方々が、大きく動いています。働いています。 

自分の心を開き、相手の心も受とり、お互いを信じ、助け合い、

喜びも、悲しみも一緒に味わい、時にはぶつかり合いながら、

魂の輝きを増していく時代です。 

今、自分の周りにいる人は、共に、その事を地球で、生きている、短い期間に

一緒にやっていくためのパートナーです。 

この人と人、人と、動植物たちとの美しい心の交流こそ、唯一、

私たちが亡くなった時に、持って帰ることができるものです。

お金や物は持って帰れません。 

そして、これこそが、私たちの魂を飛躍的に進歩させてくれる宝物です。 

家族になったり、友達になったり、縁あって、集う仲間には、

そんな、深い深い意味があります。 

人の心の小さな優しさ、小さな思いやりに気付いて、大切にしていれば、

私たちの心も大切にされます。