2025年4月30日水曜日

3778「神様との約束」2025.4.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月16日の記事を紹介します。


「神様との約束」


あなたは今、歩くことが出来ますか?

あなたは今、しゃべることが出来ますか?

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」と

悲しい言葉を、誰かが言わなくても良い世界を作りたいものです。

これは40年前のおはなしです。

<引用開始> 

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくは言う

ぼくさえ 生まれてなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを

背負って歩く 悲しさも

「かたわの子だね」とふりかえる

つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら


この詩の作者は山田康文くん。

生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ない。

養護学校の向野先生が、康文くんを抱きしめ投げかける言葉が

康文くんのいいたい言葉の場合はウインクでイエス、ノーの時は康文くんが舌を出す。

出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったという。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

この母を思いやる切ないまでの美しい心に対して、

母親の信子さんも、彼のために詩を作りました。


わたしの息子よ ゆるしてね

わたしの息子よ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき

ああごめんなさいと 泣きました

いっぱい いっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない

お前を背負って 歩くとき

肩にくいこむ重さより

「歩きたかろうね」と 母心


"重くはない?“   と聞いている

あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ


あなたのすがたを 見守って

お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと

人をいたわる ほほえみの

その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子

そこに あなたがいるかぎり

このお母さんの心を受け止めるようにして、

康文君は、先に作った詩に続く詩をまた作りました。


ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり

ぼくは 生きていくのです

脳性マヒを 生きていく

やさしさこそが、大切で

悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を

教えてくれた おかあさん

おかあさん

あなたがそこに いるかぎり

康文くんは重度の脳性マヒで8歳の時、奈良の明日香養護学校に入学しました。

不自由児のための特殊学校で、康文くんも母子入学でした。

康文くんは明るい子でクラスの人気者になりました。

1975年4月には体の不自由な子供達が集う「タンポポの会」が「わたぼうしコンサート」を開き、康文くんの詩が披露されました。 

このコンサートはテレビ、ラジオでも取上げられ、森昌子さんが康文くんの詩を歌いました。 

このコンサートのあと、康文くんは突然天国に行ってしまいました。

窒息死でした。

横になって寝ていたとき、枕が顔を覆ってしまったのです。

15歳の誕生日を迎えた直後だったそうです。

康文くんの先生で、この本の著者の向野幾代さんは復刊にあたって

「あの子の詩は障害者が

『ごめんなさいね』なんて、言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。

今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。

いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。  

『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。

歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、

知的障害になったり・・・

 健常者の方も、たいていはいつか障害者になるんですよ。

だから康文くんたちは私たちの先輩。

世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」と・・・

向野幾世著 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』より

<引用終了>

山田康文くんは、生まれた時から、全身が不自由、口も利けない状態でした。

通称やっちゃん。そのやっちゃんを、養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、

彼の言葉を全身で聞く。 

向野さんが言う言葉が、やっちゃんの言いたい言葉だったら、

やっちゃんがウインクでイエスのサイン。

ノーの時は舌を出す。

気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれました。

そしてその二ヵ月後、彼は亡くなりました。

自分を生み育ててくれた母親に報いたい。

その思いがこの少年の人生のテーマだったといえるかもしれません。

短い生涯ながら少年は、見事にそのテーマを生ききり、

それを一篇の詩に結晶させて、逝きました。

生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が

生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱かもしれません。

この詩が私たちに突き付けてくるものは大変に重いです。

人は皆、神様との約束を胸に宿して、この世に生まれてくるといいます。

その約束を深く掘り下げ、高め、そして仕上げていくことこそ、

私たちが果たすべき人生のテーマといえるのかもしれないですね。

あなたは、もう、神様との約束を思い出しましたか? 

神様との約束って、もしかしたら、家族や身近な周りの人と、

例え苦労の中にあったとしても

仲良く、思いやり、助け合って生きていきます・・ 

そんな約束だったかもしれませんね。


2025年4月29日火曜日

3777「ブッダの予言-ジャプトーバー」2025.4.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月14日の記事を紹介します。


「ブッダの予言-ジャプトーバー」


人間の持つ負のエネルギーを得るために 

・世界中の人々を恐怖と不安に陥れる悪魔的な存在や、

・巨万の富を得て、そして維持するために 

残虐な憎悪のエネルギーで世界を動かそうとする存在たち。 

心優しき人々は虐げられ、

今日に至るまで、それら存在の計画がうまく進行しているように見えますが、

ここ数十年の動きは、まさに神様の仕組みが動きだしているように見えます。

しかし、ここ数日述べている通り、既に世界では、

この悪魔的なエネルギーのあぶり出し、そして立分けが終わりました。

最終的な仕上げの段階に入っています。  

そして、沢山の異なるレインボーチルドレンからもたらされる複数の星々からの情報や、

神様の意識を持ったまま生まれた子供たちからの情報、 

そして今日ご紹介するブッダの予言では、

神の世を創る原動力となって動くのは私たち日本人のようです。 

※それは日本人だけが偉いのではなく、今世日本人として生まれた役割です。 

ですが、私たちがその役割を担おうにも、 

・今までのように他人依存的な思考を打破しない事には

・恐怖と不安に縛られていては

・神様を心の底から信じていなくては 

私たち自身も、そのような存在の操り人形のまま終わってしまいます。 

他人の思考のままに、無意識に動かされるロボットのままです。 

では、今日のお話です。

令和の時代が始まっています。

・霊性の時代、

・神々と直接的につながる時代

・思いと現実の時間的ギャップがなくなる時代 

様々な良きことの起こる時代になりました。 

私たち人間は、変化の渦中で生活していると、

世の中の変化には、なかなか気づきにくいものです。

ですが世界は、着実に神々の計画通り動いています。 

さて今日は、ブッダが亡くなる直前に説いた、日本に関する予言をご紹介します。 

その内容は沢山の文献に散見されるようですが、小林正観さんのお話からご紹介します。 

この内容は正観さんが、2001年、つまり東北大震災発生の10年前に語った内容です。 

<転載開始> 転載元

21世紀は、どんな時代になるのでしょうか?

21世紀は架け橋ですね。20世紀と21世紀の。

この百年で西洋文明から東洋文明へと価値観が変わって、それがその後3,000年続きます。 

その礎がこの百年で出来上がります。

ほう、21世紀が東洋の時代と言う人はいますが、3,000年王国ですか? 

釈迦が言ったジャプトーバーですね。

自分(釈迦)の教えが、末法の時代になってから五百年ほどたつと、 

つまり、2,500年後ですね、

(釈迦が生まれたのは、紀元前500年頃とすれば、正法が1、000年、像法が1、000年、とすると、西暦1、500年頃から末法の時代ということになるから、 その後500年くらいということになると、西暦で言えば21世紀初頭と思われる) 

インドのはるか東方にジャプトーバーという国があって、

その国で自分の教えや考え方が正しく理解されなおす‥‥。 

末法の世に入ったら自分の教え、考え方が正しく伝わらない、と言っているわけです。 

それがジャプトーバーという所で、再度認識されなおす‥‥。

ブッダはジャプトーバーについてこう言っています。

・都会に人があふれ

・夜でも明るい光に満ち

・道は広く平らで裸足であるいても傷つかない

・遠く離れても話ができる 

ジャプトーバーとは、もちろん日本ですね?

そうです。その国の人々は、争うこと、闘うことが嫌な人たちで、 

その考えと自分(釈迦)の教えが正しく理解されることが相まって、

融合して平和な世界が始まる。

そこから3,000年間、平和が続くだろうと釈迦は言ったのです。 

その方向での動きはどうですか?

まさにその動き(傾向)がジャプトーバー(日本の事)に出ている‥‥。

私はこの33年間の中で初めて

この数年間の手応えを、すごいと思っています。 

33年間(我が国を)見つめてきたからわかるのですが、全然違います、この2,3年は。

日本人の心の有り様というものが、まったくそれ以前とは違う。 

お釈迦様の2,500年前の遺言は、本当なんではないでしょうか。

だから私は環境問題とも闘わないし、世の中が悪くなったなんて一言も言わないのです。

そうではなく、3,000年王国に向けての第一歩が(日本から)始まったと思っています。

我が国の国民性は、疑いなく、「争うこと、闘うこと」が嫌いであり、

しかも、インドはるか東方という位置や、ジャプトーバーという国名からして、

釈迦の予言は、いかにも、我が国のことを指して言っているように思えるのです。 

<転載終了> 

皆さんは聖徳太子の17条の憲法をご存知ですか? 

第1条、和を以って貴しと爲す 

の憲法です。西暦604年に作られたものです。 

その第10条には、こんなことが書かれています。 

心に恨みを抱くな。 顔に憤りを表すな。

人が自分と違うからと言って、怒ってはならない。

人には皆 心があり、心にはそれぞれの想いがある。

自分は聖人ではなく、相手が愚か者でもない。

ともに凡夫なのである。

何が正しくて、何が間違っているか、いったい誰が定める事ができよう。

それゆえ相手が怒ったら、自分の過失を恐れよ。

なんと、こんなに早い時代から、私たち日本人の祖先たちは心をとても大切にしてきました。

ブッダの教え、空海の教えそのものです。 

世界に類を見ないものです。

だからこそ、ブッダの予言に出てきたのかもしれません。

また私たちの住む日本は、レインボーチルドレンのそうた君が言うには、この広い宇宙中で

数えきれないほどの星々がある中で、たった2つしかない、ユートピアの一つなのだそうです。

日本が存在するから、この地球が保たれ、愛の星と言われるのだそうです。 

私たちの中に流れる縄文のDNAは

人を疑うことを良しとしません。

まず最初に、相手の中の神様(良心)を信じて接します。 

相手を騙してまで、自分の利益を守ろうとはしません。

和を持って尊しとなすの精神が、誰にも根付いています。 

それに比べると日本以外の国では、「アリババと40人の盗賊」にあるように、

人のものを奪ってでも、自らの利益を追求することは、悪いことだとは考えないようです。 

ブッダの予言には、そのような日本人の美しい気質も関係しているかもしれません。 

このような性格は、古事記や日本書紀などにもよく表れています。 

さて以前の記事では、こう書きました。

<引用開始>

日本人のDNAに刻まれた特質は、

・どんな相手でも、拒まずに受け入れて、

・自分に取り込み、融合して進化する

・先祖や、死者。敵国の戦没者まで弔い、

 死後の幸せを願う心(神道の細男の儀式として残っています) 

意識する、しないに関わらず、このような魂の特質をDNAに刻まれた日本人に対し、

2011年3月11日、神々は東日本大震災を起こしました。 

あの大きな犠牲のもと、日本人の心が変化しました。 

私たち日本人の集合的無意識に  

・慈悲(相手の痛みを感じる共感、助け合い)

・優しさ(思いやり) 

・聖なる諦め(自然の力の強大さの前に人間は無力である) 

このような心が芽生えました。 

この大災害は、もともと私たち日本人の持つDNAの特質を、

更に、大きく神々の心に近づける働きをしました。 

<引用終わり>

過去の歴史を見てわかるとおり、変化の渦中にある時、

人は全くそれが大変化であるとは気付きません。

その時が、変化の起点(エポック)であったとは、後の世の人が指摘することです。 

ですから、今21世紀に入ってから20数年がたち、令和の時代に入っていますが、

もしかしたらブッダが言うように、今が後の3千年間続く仏国土、 

つまり「人間の精神性の復活」のための「建て直し」の時期なのかもしれません。

それは、今始まったばかりであり、これから百年かけて、私たちの精神性は目覚め、

心の時代であることを確かに確信します。 

そして私たちの2代、3代後の子供たち皆が、笑いあい、助けいあい、お陰さまの気持ちで純粋に生きる、随神(かんながら)の生活を送っていることでしょう。 

そのためには、私たち人間が、自分たちの力と知恵で、純粋な精神性、心を取り戻さねばなりません。

今は、建て替え、つまり破壊の最終段階を過ごしていますが、

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。 

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば、

その美しき世で暮らすことができるでしょう。


2025年4月28日月曜日

3776「41000年前の地球の磁場の消失時」2025.4.28

 今回はIn Deepさんの2025年04月21日の記事を紹介します。

「41000年前の地球の磁場の消失時」に人類はひとりでも生き残っていたのだろうか? (否)

https://indeep.jp/survival-from-the-laschamp-event/


「約4万年前に300年間続いた地磁気の消失事象」

暖かくなったせいか(というか、4月なのに暑かったり)、晴れている日は、毎日、ベランダに蝶がやってきます。

先ほどベランダに出ましたら、今日も二匹のアゲハが飛んでいて、私の 10年近く前の携帯で撮影したボケボケの写真ですので、まったく判別がつかないですが、以下の丸い部分で花に止まっています。

それを見ながら、「きみたちも移動は磁場に頼ってるんだろ?」などと呟きながら(参考記事:人間を含めた「全生物」は磁場により生きている)、部屋に戻ると、「地球の地磁気の消失」についての興味深い研究を知りました。

約 4万年前に発生した極度の地磁気の減少期間であった「ラシャンプ地磁気エクスカーション」の際に人類はどのように生き残ったか、ということについての研究でした。

ラシャンプ地磁気エクスカーションというのは以下のようなものです。

ラシャンプ事象

ラシャンプ事象は、地磁気エクスカーション(地球磁場の短期的な逆転)である。最終氷期中の 42,200年から 41,500年前に発生した。

1960年代にフランスのクレルモン=フェラン近郊のラシャン溶岩流とオルビー溶岩流で発見された地磁気異常から発見された。

ラシャンプ事象は、最初に発見された地磁気異常現象であり、現在までに発見された地磁気異常現象の中で最も徹底的に研究されている地磁気異常現象である

Laschamp event

地磁気異常というか、「地球の磁場が極端に弱くなった時期」という言い方のほうがわかりいいように思います。

このラシャンプ事象時には、

「地球の磁場は、90%弱まった」

とあり、事実上、地球の磁場が消失していたようです。

また、期間は、

「 300年間続いた」

とこの論文にはあり、わりと長く続いたようですが、なぜ地球の磁場の極端な減少が、人類を含めた地球の生物に良くない影響を与えるかというと、一般的な科学的見解では、磁場は、地球へと降り注いでいる紫外線や宇宙線などが直接、地表に到達するのを防御しているからです。

つまり、

「磁場が消失すると、あらゆる有害な宇宙からの放射物が人体に直接降り注ぐため」

とされています。

しかし、それ以上に、「地球の多くの生物は、磁場で移動している」という現実があり、これは、先ほどもリンクしました 10年前の記事にありますが、簡単にいえば、有害な放射線などの問題以前に、

「ほとんどの地球の生物は、適切な地球の磁場の上でしか生きることができない」

と言えるのです。

人間もです。

以前、「有人火星飛行」についての国際的研究 MARS 500 を主導したロシア人科学者のスヴォーロフ博士という方が、インタビューで以下のように語っていました。

アレクサンダー・ウラジミロヴィッチ・スヴォーロフ博士のインタビューより

地球の磁場の外側の空間に滞在する際の低磁気の問題は、いまだに解決されていません。

…脳は誰にとっても最も重要な器官ですが、実験で得られた驚くべき発見としては、たとえば、宇宙飛行士は地球から遠ざかるにつれて、訓練センターのインジケータと比較して内臓の温度が上昇するのです。

なぜ、内臓の温度が上昇するのかは、専門家たちもわかっていません。

ロシアの生物学者たちは、人間の低磁場条件での予備実験においてでさえ、すでに実験の被験者たちの精神的な混乱を記録していると述べています。

つまり、地球の磁場から人間が遠く離れると、脳に強い影響が加わるのです。

In Deep 「人間は地球の磁気圏の外では生存できない」より

スヴォーロフ博士は、

「地球の大気と磁気圏の外側では、生きている細胞は死滅します」

と結論付けています。

もっといえば、「人類は、月にも火星にも行けない」のです。体がそのように作られているのです。火星に飛行する計画は、科学的、技術的な問題がクリアされたとしても、「人間である限り行けない」わけです。どうしても、火星に行きたいのなら、ロボット的なものに任せるしかない。

なお、今回ご紹介する論文を紹介していた記事では、研究した科学者たちは、「その 4万1000年前の現生人類は、皮膚に塗る黄土、衣服、洞窟といった手段を用いてこれらの極限環境に適応していた」ことで生き残ったとしていますが、そんなの関係ありません(笑)。

そもそも、泥や衣服や洞窟では、宇宙放射線を防ぐことさえできません。防ぐことができるのは紫外線だけです。

何より、地場の極端な低下は先ほどのスヴォーロフ博士の言うように、

「人間の内臓や脳の温度を上げて、細胞を死滅させてしまう」

わけです。

つまり、結論としては、

「その 4万1000年前には、現生人類もネアンデルタール人も、すべて絶滅した」

と考えるのが妥当です。

では、なぜ今、現世人類がこの世に今もいるのかということについては、書き始めると長くなりますので、よろしければ、以下の 2021年の記事をご参照いただければと思います。

「人類に単一の起源は存在しない」

ことを突き止めた研究をご紹介しています。

・「人類の祖先の出発点は存在しない」:「種の起源」について科学誌ネイチャーに掲載された国際研究は、現世人類の共通の祖先が存在しない可能性に行き着く

In Deep 2021年2月14日

前書きが長くなってしまいましたが、ラシャンプ事象についての論文を取りあげていた記事をご紹介いたします。これも結構長いです。


「41,000年前の地磁気変動中に増加した宇宙放射線に人類がどのように適応したか」

How humans adapted to increased cosmic radiation during geomagnetic excursion 41 000 years ago  watchers.news 2025/04/20

約4万1000年前、ラシャンプ事象として知られる地磁気の変動により、地球の磁場は最大 90%弱まった。この稀な現象により、太陽放射線と宇宙放射線に対する地球の自然遮蔽力が低下し、地表は紫外線エネルギーの増加にさらされた。宇宙天気モデルと考古学的証拠を組み合わせた新たな研究によると、初期の人類は黄土、衣服、洞窟といった手段を用いてこれらの極限環境に適応していたが、ネアンデルタール人はそのような防御策を持たず、それが絶滅の一因となった可能性がある。

ミシガン大学が 4月16日付のサイエンス・アドバンシス誌に掲載した研究論文は、約4万1000年前に発生した、短期間ではあるものの激しい地磁気変動であるラシャンプ地磁気エクスカーション(地磁気変動)を検証している。

この期間、地球の磁場は現在より約 90%弱まり、地球の遮蔽能力が低下し、地表に到達する紫外線(UV)が増加した。

アグニット・ムコパディアイ氏が率いるこの研究は、このエクスカーションが地球磁気圏に及ぼす影響を初めて宇宙プラズマシミュレーションで検証した。

ラシャンプの偏位は、42,200年から 41,500年前に起きた地磁気偏位、つまり地球の磁場の一時的な乱れであり、永久的な極性反転には至らなかった。

この現象は、大きなポールシフトと磁場強度の急激な低下を伴い、最も激しい弱化と双極子の傾きは約 300年間にわたって発生した。この期間は、ヨーロッパと北アフリカの初期の人類が変化する環境条件にさらされていた時期と一致している。

約 5万6000年前にヨーロッパに到達したホモ・サピエンスは、紫外線に対する自然な防御手段として黄土を使用していたと考えられる。

考古学的証拠によると、彼らは黄土を皮膚に塗布しており、紫外線によるダメージを軽減していた可能性がある。この行動適応は、地磁気変動期に太陽光への曝露量が増加した地域において特に重要だった。

この研究はまた、ホモ・サピエンスが紫外線から身を守るために仕立てられた衣服を着用していたことも示している。これらの衣服は、日中に屋外で安全に移動することを可能にした。洞窟は彼らにとって、移動中のもう一つの避難所として機能した。洞窟系に身を隠すことで、彼らは有害な放射線への曝露を最小限に抑えていた。

対照的に、約 4万年前に絶滅したネアンデルタール人は、同様の防御戦略を持っていなかったようだ。

研究によると、地磁気の変動に伴う紫外線の増加への適応が限定的だったことが、彼らの絶滅の一因となった可能性がある。

研究チームは、宇宙天気モデリングフレームワークを用いて、ラシャンプ地磁気エクスカーション中の地球の磁場と大気の状態をシミュレートした。

シミュレーションの結果、昼側磁気圏が地球半径の約 5.3倍(現在の約半分)まで収縮し、宇宙線と太陽高エネルギー粒子の上層大気への浸透が増加したことが示された。

この研究では、磁場の弱体化が大気の循環と組成の変化をもたらしたと指摘されている。放射線の増加が生物圏に影響を与えた可能性は高いが、初期人類への具体的な影響についてはまだ調査中だ。

この研究では、現在発生している同様の地磁気変動が及ぼす潜在的な影響についても調査している。

地球磁場の大幅な弱化は、高エネルギー粒子からの防御力の低下を招き、宇宙放射線への曝露量を増加させる。これは、宇宙天気擾乱の影響を非常に受けやすい衛星運用、地球規模の通信ネットワーク、電力インフラなど、現代の技術システムに深刻な影響を及ぼす可能性がある。

考古学的証拠は、ホモ・サピエンスにおける黄土の使用、仕立てられた衣服、洞窟住居の記録など、本研究の結果を裏付けている。

研究チームには、ドイツの GFZ ヘルムホルツセンターやフィンランドのオウル大学などの機関からの国際協力者が含まれていた。

研究を主導したムコパディアイ氏は以下のように述べる。

「強い磁場がなければ地球は生命を維持できないとよく言われます」

「先史時代の地球、特に今回のような出来事を観察することで、太陽系外惑星物理学を全く異なる視点から研究することができます。当時も生命は存在していました。しかし、それは今とは少し違っていました」

 

磁場変動は頻繁に起きているという証拠

2024年9月に科学誌パシフィック・ジオロジー誌に掲載された研究では、泥炭堆積物を分析することで、過去 1万年間の地磁気変動を特定した。

この研究では、短寿命の磁場変動が複数回発生した証拠が明らかになり、このような事象がこれまで考えられていたよりも頻繁に発生している可能性があることが示唆された。

研究の主な成果の 1つは、1,700年に 1 度発生する調和振動と多重ボンド現象 (北大西洋の氷河移動現象)の間に明確な関連性があることだ。これらの現象は、地球の気温や環境の変化に関連する重要な気候現象だ。

 

進行中の磁場変化の兆候

地球の磁場は少なくとも 19世紀半ば以降、徐々に弱まっており、過去 150年間で地球全体で約 10%減少していることが観測されている。しかし、この弱まりは地球全体で均一ではない。

最も顕著な地域的異常の一つは、南大西洋異常帯だ。これは、南米から南アフリカにかけて広がる、磁場強度が著しく低下した領域だ。

(参考マップ)南大西洋異常帯

  

この地域の磁場強度は世界平均のほぼ半分であり、上空を通過する衛星や宇宙船は高レベルの放射線にさらされ、頻繁に技術的な異常を引き起こす。

同時に、磁北極の移動速度は加速している。

(参考マップ)過去約120年の北極磁の移動

 




indeep.jp

何世紀にもわたってカナダ北極圏で比較的安定した位置にあった磁北極だが、20世紀後半から急速に移動を始め、現在では年間最大 55kmの速度でシベリア方面に移動している。

世界規模の航法システムの指針となっている世界磁気モデルは、この移動を考慮して、より頻繁に更新されている。

一部の研究者たちは、急速な極移動と地域的な磁場の弱化を、地磁気の偏りの進行、あるいは極性反転(磁極のポールシフト)の初期段階の兆候と解釈している。

一方、このような変化は重大ではあるものの、過去にも同様の変動が見られた際には、完全な移行には至らなかったと警告する研究者もいる。

しかし、現在の時期を特徴づけるのは、変化の速度と規模、そして現代の技術システムが地磁気擾乱に対してかつてないほど脆弱であることだ。

完全な磁場の逆転等が起こらないとしても、磁場強度の継続的な低下と、南大西洋異常域のような弱磁場領域の拡大は、衛星運用、飛行高度における放射線被曝、そして電力インフラの安定性に測定可能なリスクをもたらす。

地磁気の変動は、地表にいるほとんどの人々に直ちに健康リスクをもたらすことはないものの、上層大気と高緯度における放射線レベルの上昇は、航空機乗務員、頻繁に飛行機を利用する人々、宇宙飛行士など、特定の集団に長期間にわたって影響を及ぼす可能性がある。

衛星運用、航法システム、航空、電力網などの技術インフラの混乱は、現代社会に深刻な間接的な影響を及ぼす可能性がある。

________________________________________

 

ここまでです。

ちなみに、こういう地磁気の消失減少が起きるごとに「多くの生物種が絶滅した」ということがあったとして(理屈ではそうなります)、では、それから地球はどうなるのか、というと、大量絶滅と同時に、

「その地磁気の消失時期に、新しい種が爆発的に誕生する」

のです。

比較的最近の以下の記事で取りあげています。

地球の磁場の消失は、大絶滅の側面よりも「まったく新しい人類的生物の登場」の側面のほうが強かったりして…と考える

 In Deep 2025年3月25日

さらには、2018年に行われた史上最大の遺伝子分析研究により、

「地球上のほとんどすべての生物は、過去 20万年以内に登場している可能性」

が強く示されたのです。以下にあります。

[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」

In Deep 2018年6月7日

一般的には数十億年前に地球に生物が登場し、「進化」して現在に至るという考え方が主流ですが、この研究では、それが見事に否定されてしまいました。

どうやら地球の生物種というのは、わりと頻繁に「交代」あるいは「新陳代謝」しているようなんですね。おそらくは人類もです。

それによって以前より強い種が生まれる。

次の磁場の消失の際にも同じことが起きると思います。次の磁場の消失は、計算上では(北極磁の移動距離から)まだ数百年も千数百年もかかると見られますが、いつかは起こります。

そのときが、まさにすべてが変わる時なのだと思われます。


2025年4月27日日曜日

3775「大祓祝詞の神髄」2025.4.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月13日の記事を紹介します。


「大祓祝詞の神髄」


昨日書いた記事→火(霊)の洗礼まっ最中にも関連するのですが、 

大神様が、ノアの箱舟の「水の洗礼」の後に作ったシステムに

祓いのシステム があります。 

これは悪の妖気が凝り固まって、悪霊化、悪魔化する前に、 

そのエネルギーを善の神のエネルギーに変換してしまう仕組みです。 

この仕組みができたがゆえに、地球に、極端な悪が再びはびこることが無くなりました。

では、その仕組みについてお話します。

地球を作った国常立尊(くにのとこたちのみこと)

あまりにも厳格な善政を敷いたため、多くの神々から疎んじられ、

大神に直訴され、やむなく艮(うしとら)の方角(=東北)の地に隠遁させられました。

大神がなぜ、多くの悪神たちの願いを聞き入れたかと言えば

地球を発展(進化)させるためには、

善と、そして悪も両方必要だったからです。(→二元論)

そして、根の国、底の国に隠棲された後、大洪水が起こったそうです。(出口王仁三郎 談)

その後に大神が地球に作ったのが、大変重要な浄化のシステム、つまり祓いです。

これは決して悪を消滅させる・・という仕組みではなく、

悪を根の国、底の国で浄化し、その浄化されたエネルギーを再び地や天界に戻す

大循環の仕組みです。 

その仕組みを教えてくれるのが、日本最古の祝詞と言われる大祓祝詞です。 

その祝詞の中には

天照大神(あまてらすおおみかみ = アマテル 男性神)の妻である、瀬織津姫も

大神の一人として登場します。 

今、まさに国常立尊の復権がなされようとする時、

私たち人間にとっても「祓い」は大変重要です。

では、今日は大祓祝詞のお話です。

日本神道の 最高の階位 浄階まで進まれた方ですが、

春日大社の元宮司で、医学博士 葉室頼昭さん。 

葉室さんが仰るには・・・日本の神道は宗教ではありません。

教祖もいませんし、経典もなく、よって一般的な宗教のようではなく

何者にも依存の心を抱かせないからです。 

今日は、葉室さんの言葉による大祓祝詞の解釈をご紹介します。 

何故なら、神道(日本の縄文時代からの心)では、神々からの恩寵を得るために

神々に喜んで頂くために、祭りをしたり、神楽を舞ったりしますが、

同じように 神の言葉(音魂)で書かれた大祓祝詞を奏上することも、 

神々に喜んで頂くための非常に有効なこととされているからです。 

神道の中で、もう千年以上も受け継がれてきた祝詞があります。 

それは、神々から伝えられ、大和言葉で表現された大祓祝詞です。 

皆さんはこの大祓祝詞をご存知ですか?

大本は藤原氏の祖先である中臣氏のどなたかに神々から降ろされた言霊です。

この祝詞は春日大社が創建された当たり(西暦768年)に

降ろされたものではないかと言われており、

神さまの言葉を甘受した方が、大和言葉で受け取りました。

ずっと活字としては伝承されていませんでした。

大和言葉とは、母音をはっきりと発音する言語です。

1文字1文字に神々の息吹が込められた、私たち日本人の宝です。

中臣氏と言えば、小学生ぐらいに日本の歴史で習ったかもしれませんが、中臣鎌足、

中大兄皇子(天智天皇)とともに乙巳の変から大化の改新に至る諸改革に携わった。 

その後功績を称えられ、死の直前に天智天皇から藤原朝臣姓を与えられたとされる。 

他方、この時に与えられた藤原の姓は鎌足一代のものであり、

後に改めて鎌足の遺族に藤原朝臣の姓が与えられた。

この方の祖先は、ニニギノミコトが天孫降臨した際に、

重臣として付き添って天上界から降臨した3名のうちの1人です。

重臣の名前は、天之児屋櫛眞智の命・・・・・アメノコヤネクシマチノミコト

八咫鏡を守って政策立案を担当した方です。後の中臣氏 ⇒ 藤原氏の祖先となります。

この大祓祝詞は、この言葉さえ唱えていれば、全ての罪、穢れが祓われると言われているもので、神々から降ろされてから千年以上たった現在でも、毎日全国の神社で唱えられている祝詞です。これだけ長く続くということは、本物である証でもあります。

この祝詞の中に四柱の祓戸大神(はらえどのおおかみ)が現れます。

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

です。

つまり宇宙の循環構造を神々の働きとして表しています。

循環の思想は世界中見渡しても、日本にしかありません。

日本は島国であり、古来から自然とともに生きる、

和をもって尊しとする国だったからです。

他方、外国は大陸にあり、常に四方から敵が攻めてくる恐れがありました。

この結果、

・善か悪か?

・正しいか、誤りか?

・敵か味方か?

この2元論の考え方が思想の根本にあります。

そのため、地球に転生する魂たちの中でも、日本は群を抜いて人気があるそうです。

ですが、私たちが日本人だから偉いというわけではなく、

誰しも数多くの転生を繰り返しますから、日本で生まれたり外国で生まれたり色々です。

上下の区別はありません。

また大祓祝詞は、本来、大和言葉で口伝されてきたものであり、

漢字の当て字がされたのは、今から880年ほど前にしかすぎません。

漢字で意味を掴もうとすると、大きな誤解を生みます。

(春日大社、元宮司で、藤原氏の子孫 葉室頼昭さん談) 

この四柱の祓戸大神の名前も当て字にすぎません。

宇宙を支配している循環構造に対し、それぞれの役割ごとに神々の名前を当てたに過ぎません。

この循環の構造は、同じく大祓祝詞の以下の部分で、詳しく示されています。 

■原文

あめのますひとらが あやまちおかしけん くさぐさの つみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでん 

かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎを もとうちきり すえうちたちて 

ちくらのおきくらに おきたらわして あまつすがそを もとかりたち すえかりきりて 

やはりにとりさきて あまつのりとの ふとのりとごとを のれ

かくのらば あまつかみは あめのいわとを おしひらきて 

あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて きこしめさん 

くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえに のぼりまして 

たかやまのいぼり ひきやまのいぼりを かきわけて きこしめさん 

かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなどのかぜの あめのやえぐもを 

ふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜの 

ふきはらうことのごとく おおつべにおる おおふねを へときはなち ともときはなちて 

おおうなばらに おしはなつことのごとく おちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて 

うちはらうことのごとく のこるつみはあらじと はらえたまい きよめたもう

■意訳

人間は、生きていくうちに、いろいろな罪を作ってしまうものです。

しかし、いろいろなことで罪を作ってしまったら、

それを充分に反省して、そしてそれが二度と行われないようにしなさい。

そして全て神さまの導きにしたがって、今を全力で生きなさい。

たとえどんな厳しいことが現れても、また自分にどんな被害を与える人が現れても、

それを恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えてはいけない。

また苦しみを悩んだり、逃げようと考えてもいけない。

そのようなことは粉々に砕いて、ただ無我になってこの大祓詞を唱えなさい。

そうすれば神さまはちゃんと見てくださっています。

神さまが私たちの心を聞いてくださったら、 

その時は全ての罪というものが祓われ、霧のように消えていきます。 

<終了>

私たちは神社でよく「お祓い」をしていただきます。 

このお祓いとは、罪や穢れを除去するという意味ではありません。

そのような2元論の思想は、この美しい国、日本には無いからです。 

この世に存在するものは、決して消し去ることはできません。 

消えたかに見えて、実際は、姿かたちを変えて存在しています。 

紙を燃やせば、紙は無くなりますが、

実際は姿を変えて、煙の分子と、灰の分子になっただけです。 

私たちの神さまの「祓い」とは、大和言葉で言うと 

・は--生まれるという意味 例 母、葉(人間の出す二酸化炭素を命の源、酸素に生まれ変わらせる)

・ら--君ら、僕らのらの意味。沢山と言う意味

・い--いのち、生命の意味 

この結果、祓いとは、命が沢山生まれる。。という意味になります。 

お祓いは、ツミ、ケガレを水に流し、黄泉の国に送り

再び純粋な神々のエネルギーに変換してくれるものです。 

決して除去することではありません。 

人間は、どんな聖人君子であっても、生きている限り、罪、穢れが生じます。 

ですが、この罪、穢れの本当の意味は 

・罪--包身(ツミ)。神様が下さった本来純粋な人間の魂を、我欲が現れて、包み隠してしまうこと

・穢れ--氣枯れ(ケガレ)。日々我々を活かしてくださっている神様の純粋な氣を、我欲で枯らしてしまうこと 

です。 

これをお祓いによって、神様の氣で充実させ、 

本来神様からいただいたまんまの美しい心の輝きを取り戻します。 

お祓いには、このような意味があります。 

そして大祓祝詞は、千年以上も伝承されてきた、日本最古の祝詞でもあります。 

真実のものであるから、千年もの間、滅びることはありませんでした。 

大祓祝詞で言われているように 

・どんなに辛いことも

・どんなに悲しいことも

・人からどんな仕打ちを受けても 

人や環境を恨んだり憎んだり、また仕返しをしてやろうなどと考えず、

感謝の心でいさえすれば、

四柱の祓戸大神としてシンボライズされた神々の仕組みが動き出し 

真の幸せが訪れることでしょう。


2025年4月26日土曜日

3774「火(霊)の洗礼まっ最中」2025.4.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月12日の記事を紹介します。


「火(霊)の洗礼まっ最中」


皆さんはノアの箱舟をご存知ですか? 

神から離れ、堕落してしまった人間を神様が見て

大洪水を起こし、地球上のすべてを流し去ってしまった・・ 

という水の洗礼の物語です。 

世界中に同じような伝承が残されています。

科学的にも大洪水の痕跡が発見されています。 

この時、唯一、心正しかった、ノアが神さまの助けの元、大きな船を作り

助かったというお話です。 

神様はこの時もノアと家族を通して人々に警告し、

罪を悔い改めるように訴え続けました。 

しかし誰も神を信じ、改心しようとはしなかったのです。 

今日のお話は、結構重要です。

源の大神様が、人類に対し行う行動について 

出口なおの表した大本神論、及び、富士古文献(宮下文書)を中心に 

著名な経済アナリストの藤原直哉さんが解説しています。

その内容を補足する形で書きたいと思います。 

内容に関しては、証明のしようがありませんので、眉に唾を付けてお読みください。 

また神様に対する信仰のお心がある方だけお読みください。 

このブログでは、

・目に見えない不思議

・派手な奇跡

・他人に頼り依存させるような事がら

などを強調するものとは一線を置き 

地味ですが 

・心の浄化

・改心

・神々への純粋な信仰

・身近な周りへの思いやりの心 

などを中心に書いています。  

その目的は、今日の記事にあるように 

火(霊=ヒと読みます)の洗礼の際に、できるだけ多くの方に

神さまの国に住んでいただけたら・・と思うからです。 

神の国とは黙示録の言うところの

天から降りてきた新しい地上天国(エルサレム)のことです。 

入れる方は、心を洗い改心し、神さまの御心に近い方だけです。 

始めます。

宇宙創生の時、この大宇宙は霊的な世界だけでした。

物質はありません。 

ですが、神様が思ったほど、なかなか進化のスピードは上がりませんでした。

そこで神様は、物質世界を作ることにしました。 

その結果、物質世界ができたことにより進化のスピードは上がりました。

ですが、物質ができた結果、

その宿命として 二元論の世界観が広がってしまいました。

・善か悪か

・寒いか 暖いか

・大きいか 小さいか

・重いか軽いか

などなど。

損得の概念も、この二元論から発生しました。

その結果、物質が増えれば増えるほど、 

妖気に満ちた気が地球上に蔓延してきました。 

つまり悪霊化する素の気のことです。 

この状態を見た神様は、 

全世界に似たような伝承のあるノアの箱舟伝説の大洪水を起こし、

地球上の物質を全て洗い流してしまいました。 

これが水の洗礼と言われるものです。

 ですが、神様は知っていました。

いくら物質を洗い流してしまおうと、人間の心が変わらなければ、

再び同じ過ちを繰り返してしまう。

そうして、第2の洗礼の予告がなされました。 

それは火の洗礼と言われるものです。

この火は、実は霊と言う字を書きます。

霊はヒと読みます。

霊の洗礼です。 

つまり物質的なことで建て分けを行うのではなく、 

霊つまり、人間の心の状態による建て分けを、第2の洗礼として予告しました。 

これは第1回目の水の洗礼のように、物質的な選別ではありませんから、 

亡くなったりするわけではありませんが、神の国に入れるかどうかの建て分けです。 

つまり明確な住み分けが行われるということです。

聖書の黙示録の記載では

天から降りてきた新しい地上天国(エルサレム)と書かれています。 

門がありますが、この門を通過できるのは 

・心の浄化、改心がなされたもの 

しか入ることができないと書かれています。 

心が浄化され 神に近づいているかどうかで 選別されるとされています。

そして助け出される人は、たとえ 物質、お金や地位や名誉などなくとも、 

必ず救い出される。

これが1回目と2回目の浄化の違いとされています。 

黙示録は比ゆ的な表現が多く、なかなか簡単に理解しがたい所もありますが、

紐といてみれば、現代社会の状況と非常に一致している点が多いことが分かります。

大本神諭によれば、

霊の洗礼の際、神々の意に沿う人々は2,3%であろうと書かれています。 

そして重要なことも書かれています。 

第2の洗礼(霊の洗礼)の際、先に足きりが行われる・・ 

あまりにも物質の罠にはまり 

・今だけ金だけ自分だけ 

に陥り、悪魔的な心にまで落ちた人類は、足きりされると言うことです。 

最終的には、その魂自体も消滅の運命です。 

今まさに世界で起こっていることは、この足きりの戦いです。 

神が表に現れて、善と悪と立て分ける、と言われていますが、この真っ最中です。 

神々は見えないところで働きます。 

私たちの心を上手く操り、登場人物を、有機的につなげ、

あたかも自分の意志でことをなしているかの如く、神仕組みを実行なさっています。

極端な自分さえ良ければの悪魔的な思想を持ち、力と権力を持っていた邪悪な勢力は 

その悪行が白日もとにさらされて、急速に力を失っています。

既に勝負は明確に付いています。

そして神様は第一の洗礼の時に予告しました。 

今回の霊の洗礼の後、もう二度と洗礼は起こさない。足きりで魂を消滅などさせない。

そのため、今回は徹底して行われるということです。 

そうして足切りされた後の世に残った人々はどうなるのか。

私たちの住む世界の波動は、足切りの結果、軽くなります。 

より一層、自由で軽やかな思考ができるようになります。 

神々の意をくむ、2,3%の人々とともに、改心(洗心)するチャンスが飛躍的に増えます。

物質的な洗礼ではありませんから、魂を無くすことも、命を無くすこともありません。 

安心して、心を清め、改心し、真摯な信仰心(神々を信じる心)を養うことができます。

私たちは、もう目の前に来ている、新たな神の国に、ほとんどの方が入ることができます。 

平凡な私たちが、平凡な日常の中でできることは、

今目の前にいる人に丁寧に付き合うこと、思い合うこと・・ 

そのことを日々こつこつと行っていれば、 

神々は私たちを天の国に招いてくださることでしょう。

 

2025年4月25日金曜日

3773「光の連鎖」2025.4.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月10日の記事を紹介します。


「光の連鎖」


現在、神仕組みの元、世界は確実に神々の導く方向に変わりつつあります。 

希望の灯も、あちこちにともり始めました。 

神々の起こした「建て替え」(創造のための破壊)も、

その後に続く「精神性復活の時代」という希望に繋がると思えば 

この困難な世の中においても、心に希望の灯をともし続けることができます。 

神々のなさる奇跡は、依存的な方々が安易に期待されているような 

・目に見える形でも

・目を見張る派手な物でも

・一瞬に救い上げることも 

しません。 

目に見えない形で、人々の心を少しづつ良き方向に変えながら徐々に進められます。 

一見して分かるものでもありませんし、ましてはその変化の渦中にあっては、

気づく人もほとんどいません。 

ですが、根本の神々(宇宙神)の計画に狂いはありません。 

ベストなタイミングで、必要な人の心の中に小さな変化が起こり、

それが同時並行的に沢山の人々の心の中で発生し、その変化が有機的に繋がることで、

偶然が重なりながらも、あたかも私たち自身が事をなしているような錯覚の中で、

人々の手による「立て直し」が進行します。 

全ては神々の掌の上での出来事です。 

日本人の古来から持っている縄文の心は、世界にとって希望の良心なのだそうです。 

この世界の良心の日本人の心が徐々に変わり、

世界に浸透し、ひいては地球規模にまで伝播します。 

何も いますぐに

・世界を救うために活動してください 

と現実の生活からかけ離れたことを神々は望んではいらっしゃいません。 

ですが私達平凡な人間でも、できることがあります。 

今日はそんなお話です。

人々の心の変化から始まる、精神性復活の大きな神々の計画に・・・

地球が変わろうとしている歴史的な瞬間を、

手助けするように、沢山の高貴な魂たちも生まれています。 

レインボーチルドレンたちの情報では

・宇宙神

・惑星意識(地球の意識)

・地球の神々

・地域の神々 

というヒエラルキーがあるようですから、

この大切な計画も、そのうちの惑星意識に呼応しているのかもしれません。 

では、身近な私たちの心の変化がどのように、世界の平和、地球の平和に繋がっていくのか、

「恩送り」のお話をご紹介します。 

・宇宙のお話

・神々のお話、

・次元のお話 

色々ありますが、肉体をまとい3次元の地球を経験している私たちにとって一番大切なのは、そう言った他人による不思議現象に頼ることではなく、やはり自らの心を磨くことが、第一に必要なことだからです。

光の連鎖、すべてはその一言から始まりました。

ある日、小さな女の子がおつかいに行き、そこで野菜を買いました。

女の子は、レジのおばさんに笑顔で「ありがとう」と言いました。

おばさんは、何だかちょっと嬉しくなりました。

そして、次の男のお客さんに思わず

「そのネクタイ似合っていますね」と声をかけました。

男性は少し恥ずかしそうに「ありがとう」と言いました。

ネクタイを褒めてもらった男性は何だか嬉しくなって、

そのネクタイをくれた奥さんにお花を買って帰ることにしました。

男性は家へ帰ると「いつもありがとう」と言って、奥さんにお花をプレゼントしました。

「わぁ、どうもありがとう」そう言って奥さんは、とっても喜んでくれました。

嬉しくなった奥さんは、子供におこづかいをあげることにしました。

「わぁい、お母さんありがとう」そう言って、子供は大喜びしました。

おこづかいをもらった子供は、嬉しくなって、飼っている犬に

おいしいエサを買ってあげることにしました。

「わん、わん」そう言って犬は、大喜びでしっぽを振りました。

そのしっぽの揺れで、飛んできたたんぽぽの種が大空高く舞い上がりました。

そしてそのたんぽぽは、遠く離れたある画家の家の庭に落ちました。

春が来て、たんぽぽはきれいに咲きました。

「わあ、きれいだなあ、そうだこのたんぽぽの絵を描こう」

そう言って、画家はたんぽぽの絵を描きました。

すると、何とその絵が大きなコンクールで優勝したのです。 

画家は沢山の賞金を手にしました。 

そして、その賞金を全て寄付しました。

その寄付されたお金は、貧しい国に学校を建設する費用に使われました。

その学校をある貧しい少年が卒業しました。

少年は、とても勉強ができたので、そのまま進学してお医者様になりました。

お医者さんになったかつての少年は、ある日、難病の老人に出会います。

その病気はまだ原因がわからず、沢山の人が死んでいました。

「何としてでも、このおじいさんを助けたい!」 

そう思ったお医者さんは、特効薬の研究をはじめました。

そして、とうとうその薬が完成したのです。

おじいさんは、その薬のおかげで無事助かりました。

「ありがとう、本当にありがとう」そう言っておじいさんは、

涙を流しながらお医者さんにお礼を言いました。

すべてはあの日、少女が「ありがとう」と言ったことからはじまりました。

ほんの些細な一言が、後々に、多くの人々に、喜びを与えることがあります。

どうか目の前の人に、小さな喜びを伝えてください。

それはいつか、誰かの命を救うことになるかもしれないのですから。

※この文章はぐるぐるさんの元ネタを若干修正して掲載しています 

以上です。 

ここに神さまのやり方が顕著に示されています。 

神さまの、私たち人間に対するアプローチ方法です。 

神さまは、誰もが驚くサーカスのように、びっくりする奇跡的な、大きな出来事で、

人間を幸せに導くのではありません。 

神さまは、誰の心の中にもいらっしゃいます。 

神さまは、人間の心の中で、 

・活性化され

・光を放ち、

人と人との絆、思いやりの連鎖を通じ、私たちに幸せをもたらします。 

神さま自身は、決して表に出ようとしません。

あくまで、誰にも気づかれないように、人々の心をちょっとだけ変化させていくことで、

その連鎖、有機的な繋がりによって、世の中に変化をもたらします。 

誰にも気づかれず、自然な形で、私たちの心の中で、変化を起こします。 

・お互いさま

・お陰さま 

その優しさと、思いやりの中で、相手の立場、個性、やり方を受容し、認め、

それが、私たちの行動として現れ、愛の連鎖を起こすのです。 

それは、あたかも、その本人達の自発的な行動と、思われがちですが、 

全ては、私たちの内に居らっしゃる神さまの働きです。 

このような、美しい人と人との営みを目にした時、常に神さまを意識し、

神さまの気持ちに寄り添って生きようとしている人は、必ず、必ず氣づくことでしょう。 

「あっ、神さまを見た」と、、 

私たち、普通の人、心弱き人は、神社仏閣に、お願い事をしに行きます。 

優しい神様は、それらの事情を全てわかった上で、そして個人的な願い事など、

清濁併せ飲んだ上で・・・

叶えて良い願い事、それは、私たちの因果律を乱さず、

私たちの魂の進化に対して、悪影響を及ぼさない場合のみ、そして、更に、それを叶えることによって、神さまの意図した、良き心の変化が見込める場合のみ、願いを聞いてくださり、

それをきっかけとして、神様の方を向いていただく。

そして、その後に、神々に対する信仰心を養い、謙虚な心、お陰さまの心を 養い、

同胞である、同じ人間同士で、お互いさまの気持ちを起こし、

結果として、私たちの心を、清浄にして神様と繋がりやすくする。

そして、その先では、 

・どこかの外に存在する神さま、

・願い事を叶えてくださる神さまではなく、 

私たち自身の心の内に、いつも居らっしゃり、私たちを見守り、共に歩んでくださっている内なる神さま(良心)と繋がって欲しい・・

内なる神さまと、繋がり、日々、神さまを意識して生きて行くことで、

本当の、本当の幸せを掴んでほしい

・誰かに与えられる幸せではなく、

・誰かに頼って生きるのではなく、

自分の足でしっかりと大地に立ち、内なる神さまと繋がり、幸せになって欲しい。。 

それが、神々のなさり方ではないかと思います。

今、時代が変わろうとしています。 

もう、その大きなエネルギーの回転は、誰にも止められません。 

全ては、神々の計画通り、人間の精神性の復活の方向に向かっています。 

心の時代です。 

何かを見たり、聞いたりすることで、

・悪しきもの

・醜い心

・嫉妬

・揚げ足取り

・誤ったプライド、優越感

・疑心暗鬼

・マウンティングしようとする心 

などを、心に取り込まず、心を

・美しいもの

・優しいもの

・思いやりのあるもの

・愛のあるもの 

に集中したいものですね。 

心にあるものは、必ず、何時か現象として現実化しますから。 

目の前に現れてきます。



2025年4月24日木曜日

3772「惜しみなく与える」2025.4.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月09日の記事を紹介します。


「惜しみなく与える」


今日は南蔵院住職の林覚乗さんの言葉をご紹介します。 

世の中にひとりしかいない自分、かけがえのない自分が、 

他人の目や、他人にどう思われるのか?

ではなく、

・どのような生き方をしているか、

・どのような思いの持ち方をしているか、 

それさえしっかりと、自分でわかっていれば

それでいいのだというお話です。

<引用開始> 引用元 

ある本にこんな話が載っていました。

中年の奥さんが街を歩いていると、若い男がパンクの修理をしていたそうです。

「パンクですか」と奥さんは声をかけました。

すると、返ってきた言葉は、

「見りゃわかるだろ、お前、あほか」

「パンクですか」という言葉に、

「大変でしょうね、お困りでしょうね」という思いを込めたつもりが、

相手には一切通じなかったのです。

「残念でたまりません」と奥さんは述懐していました。

私は、交通安全協会にときどき講師として呼ばれるのですが、

そのときに、いつもこの話を取りあげます。

そしてその後で、ちょっとしたシミュレーションを行うのです。

車に乗って大きな道路を走っている場面をまず想像します。

あっ、脇道から車が出てきました。

こちらの流れの中に入ってこようとしています。

譲って、前に入れてあげることにしました。

その際、相手がクラクションを鳴らしてくれたり、

手を振ってくれたり、にっこり笑ってくれたりすると、

「ああ、止まってあげてよかったな。いいことをしたな」と思います。

ところが、相手が素知らぬ顔でそのまま行ってしまったとしたら、

何か損をしたような、無駄なことをしたような気になって、

腹立たしくさえ思ってしまいませんか?

でも、大事なことは、譲ってあげることのできた自分の心なのです。

そんな優しさを持っていた自分をほめることができればいいのです。

それが、ほとんどのひとは、止まってあげたのだから、

・あなたは手を振るべきだ、

・クラクションを鳴らすべきだ、

・にっこり笑うべきだ

というような思いを、先に持ってしまうのです。

求めるのではない、

自分自身が相手にいい出会いを与えたかどうかということ、

それだけあればいいのだと思いたいものです。

ノートルダム大学の渡辺和子さんは、著書の中でこうおっしゃっています。

「あなたがほほえみをあげるときに、

ほほえみを返してくれなかったひとは、ほほえみを持っていないのだ。

あなたは持っているのだから与えてあげなさい。

優しい言葉をかけたときに返してくれなかったひとは、

優しい言葉を持っていないのだ。

あなたは持っているのでしょう。

惜しみなく与えてあげなさい。

それがあなたの素晴らしさでしょう」

世の中にひとりしかいない自分、かけがえのない自分、

そんな自分がどのような生き方をしているか、

思いの持ち方をしているか、 

その自己確認をすればいいのではないでしょうか。

<引用終了>

自分がかけた

・優しい言葉

・思いやり 

それらに対して、感謝の反応がないと

私たちは、途端に、「仏」が「鬼」の心に変わってしまいます。 

ですが、渡辺さんが仰るように、大切なことは、

相手の反応ではなく、

そのような行動をすることのできた、自分の心かもしれません。 

最後に、マザーテレサの言葉をご紹介します。


人は不合理、非論理、利己的です

気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき

邪魔立てする人に出会うでしょう

気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい

けり返されるかもしれません

でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい

『最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。』



2025年4月23日水曜日

3771「青空ひろば」2025.4.23

 今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。


1457 2025.04.15 

ただ、「役割」があるだけ。悟りも「悟り役」という「役割」にすぎない。悟ったから偉い人だというわけではない。それぞれの人に、それぞれの「役割」がある。


1456 2025.04.14 

<薬山禅師の逸話>

(註)薬山禅師は石頭希遷和尚に嗣法。この法系から曹洞宗が誕生し、道元禅師に伝わった。 

(1)薬山禅師は説法の座にのぼって、一言もしゃべらずに方丈に帰っていった。 

弟子が苦情を言った「久しぶりの説法を楽しみにしていたのに、どうしてお説き下さらなかったのですか」 

薬山禅師は言った「経に経師あり、論に論師あり、私が私である。この事実を誰が否定できようか」

(2)ある僧が薬山禅師にたずねた。「師はどなたに法を継がれたのですか」 

薬山禅師「古い仏殿で一行の文を綴った紙を拾った」 

僧「その紙には何と書いてありましたか?」 

薬山禅師「『彼は我と違う、我は彼と違う』と書いてあった」 

(3)ある僧が薬山禅師にたずねた。「師はどのように日常を送っておられるのですか」

薬山禅師「ブルブル・オロオロ、百醜千拙(ひゃくしゅう せんせつ)で、まあどうにか生きているだけだよ」


1455 2025.04.13

(Mさんの質問)

大敬先生

いつもありがとうございます。長い間先生に助けていただいています。 

まだ先生のご著書を全部読めていないので質問することに躊躇しましたが、それでもやっぱり先生のアドバイスが欲しくて質問させていただきます。 

悟りというか、「ひとついのちの悟り」には、全てを平等に観れないと難しいように思われますが、全てを平等に観るにはどのようにすればいいのでしょうか。 

例えば、この世は平等の目がないから生きづらいのかなあと思っています。私もこの世の目では、自分よりかわいそうと思う人には平等の目を持てても、自分より優れた立場の人に対して平等の目を持ちにくいところがあります。

本当は、もっと勉強してからご質問したらいいのですが、どうしても先生のアドバイスが欲しくて、初めて連絡を取らせていただきました。 

もし教えていただけるのでしたら嬉しいです。

(大敬のコメント)

「平等の眼」で、人や世界を見なければならないと自分を責めるなんて、とんでもないことで、そんなことが出来る人は、お釈迦さまや観音さまぐらいなものです。 

でも、最終的にはそうなれると、お釈迦さまや観音さまの到られた境地が保証してくださっています。

「平等の眼」で人や世界を見ることができないという自分を責めるのではなくて、自分がそんな状態であることを受け入れて、許し、愛してあげなければなりません。 

自分を許し、愛することが出来るようになれば、はじめて人や世界を許し、愛することが出来るようになるのです。それが「平等の眼」です。

私たちは、発展途上だから、まだ「平等の眼」が不十分ですが、その事に気づいたら、『ああ、申し訳ない。お釈迦さまお許し下さい。そして、やがて私にもお釈迦さまのような「平等の眼」が備わりますように』とお詫びと願いを続けてゆけばいいのです。 

「線路は続くよ、どこまでも」です。一生のうちにやり遂げようなんて大それたことは考えず、一生1ミリ前進すればいいんだというぐらいの気楽な気持ちで、しかし粘り強く前進しましょうね。 


1453 2025.04.10 ~ 1454 2025.04.12

(Kさんの質問)

大敬先生

いつもワンデイ・メッセージありがとうございます。

はじめてお便りします。今の悩みついてです。

やらないといけないとわかっていながら、なかなか行動にうつさないでいる私に悩んでおります。

どうすればすんなりと行動にうつせるか?

どうしていつもこうなのか? 

早くとりかかればいいのですが、いつもいつもモタモタ、グズグズする私に、何かふさわしいメッセージがあればぜひご紹介下さい。 

(大敬のコメント)

「思いの堂々巡り」の状態ですね。私も同じタイプなので、おっしゃることがよくわかります。 

でも、こういうタイプの人は、いったん動き出したことは、粘り強くやり続けてゆけるという長所もあります。何事も一長一短ですね。

しかし、自分はグズグズしていてダメだという思いを強くして心に定着させてしまうと、心が現象を作り出すので、グズグズモタモタの現象を繰り返し再生産させてしまいます。

「変えよう、変えようとすればするほど、変えられない」というのが、「心の法則」なのです。 

私もKさんと同じタイプだと言いました。そして、今もそういうグズグズ体質は変わっていません。 

でも、私とKさんの違いは、私はそんな自分を認め、受け入れ、許せ、愛することができるようになったところです。そういう人間も、この地上世界に必要だから、こうして生かされているのです。 

ですから、こんな自分はイヤだなあという気分になってきたら、「グズグズ・モタモタ大丈夫、そのまま・そのまま大丈夫」と、呪文のように繰り返し、声に出すか心の中で称えてみて下さい。きっと効果があるはずです。

以上は、「心の整え」です。さらに「身の整え」もしておきましょう。

アタマが堂々巡りを始める前に体を動かす練習をします。はじめはエイッと勢いを付けて動けばいいと思います。

お風呂に入り、風呂場から出る前に、一杯だけ水をかぶります。アタマは嫌がって色々かぶらなくてもいい言い訳を考えようとし始めますが、そのアタマの堂々巡りが始まろうとする瞬間に、エイッと思いを断ち切って水をかぶってしまいます。

家を出る時、雨が降りそうで、傘を持っていくか、持っていかないか、アタマの堂々巡りが始まろうとする前に、エイッと家を飛び出します。傘を持つか、持たないか、それはどっちでもいいのです。まあ、どっちにしてもそれで死ぬことはないのですからね。


1452 2025.04.09 

よくなるように、できているのだから大丈夫! 

あせらず、あわてず、あなたはあなたに、おちついていなさい。


1451 2025.04.08 

あせらないこと。しっかり充電しないで、走り出しても、すぐ止まってしまう。 

人より出発はおくれても、まず、しっかり、いのちの充電に心がけよう。


1450 2025.04.07

敲(たた)かれて 打たれて メッキがはがれたら

本物のあなたが 輝き出すのです


1449 2025.04.05 

逆境は 冬(ふゆ)の時代

冬(ふゆ)の時代は 殖ゆ(ふゆ)の時 

現象の冬枯れに ふりまわされず

静かにいのちの実力を 養い育てる時 

やがて来る いのちの春に 花開くために


1448 2025.04.02 

すべては自分が引き寄せている。

今の自分の成長に必要だから。やって来た課題なのだ。

だから、人や環境のせいにしないで、今の課題に精一杯取り組んでゆこう。

来る(きたる)大飛躍の時のために。


1447 2025.04.01 

<あの時へ>

みんな<ひとつ>だった すべて<ひとり>だった

<ひとつ>の魂であり <ひとり>の人であったのに

その<ひとつ>がちりぢりになり その<ひとり>がばらばらになってしまった

個(こ)となり 孤(こ)となり 粉(こ)となって

気ままに吹く世間の風に 右に左に翻弄され 散らされてゆく

みんな孤独で淋しい道を歩いている

そんなひとり、ひとりが みんな私と霊(ち)を分けた兄弟 みんな私の分身

そうと分かった今 もう道ははっきりしている

みんなで手を取りあって<あの時>にもどろう <ひとり>、<ひとつ>だったあの時

融けあって、あったかい光に満ちていた なつかしい<あの時>へ


2025年4月22日火曜日

3770「光を発する人」2025.4.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月07日の記事を紹介します。


「光を発する人」


ここ数年、神々の働きが活発化しており、

いろいろな場所で、いろいろな変化が起こっています。 

それを感じ取ってらっしゃる方も多いようです。

神々には明確な計画があり、その先には美しき未来が見えているはずです。 

ですが私たち一般人は、あせらなくとも、王道はやはり

・自分の心を清らかにすること

・身近な周りの方々と仲良く暮らすこと

・すべての出来事を感謝の気持ちで受け取ること 

に尽きるようです。 

さて、今日のテーマは、「光を発する人」ということで

小林正観さんの記事をご紹介します。 

<引用開始> 引用元

「私は、以前は『努力』してきた人間だったのですが、 

正観さんのお話を聞いて、がんばらない、

緩んだ系統の人間になってきました。 

こういうタイプの人間が大勢を占めるようになったら、

どんな社会になると思いますか?」

と言われたことがあります。

私の答えは、そのように、社会全体を評価、評論する癖をやめること。

面白いことに、人に対して

「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。

この質問をなさった方は、コンサルティングをしており、

たくさんの企業とかかわるという立場からの、質問ということでした。

「世の中のここが悪いじゃないか、ここが暗いじゃないか、

ここが理不尽じゃないか」と、

言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。

「暗い社会じゃないか」と問題点を指摘している人ほど、

暗くなっているように私には見えるのです。 

…世の中を暗い暗いと嘆くより、自ら光って その闇照らせ…

 というのが私自身に言い聞かせている言葉です。

その人が光だったら、その人の周りには闇はないでしょう。

評論する暇があったら、自分が光になること。

自分がどう光るかを考えるといい。

世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、

笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。

早くそれに気づくこと。

「闇」と「光」は、

多くの人は50対50の力関係だと思っているかもしれませんが、

実はそうではなくて、0対100です。

 「光」が「闇」の中に入っていったら、常に「光」です。

逆に、「光」が撤退したとき、初めて「闇」の世界になります。

50対50の力ではなくて、「光」のほうが常に100の力を持っているのです。

ですから、「暗い、暗い」と言っている暇があったら、

自分自身が光を放ってその闇の中に入っていけばよい。

光が入っていった闇は、どんな闇でも、光るしかありません。

肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、

いつも温かくなる、ということが体験的にわかっています。

「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、

明るい方向性を持っている人は、

物理的にも光っているということです。

「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向に

光線が発しているという様子がもとになっている象形文字です。

「光」の文字のもとになっているものが

「人」というのはすごいことです。

そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。

古代の人は、光を発している人と、

光を吸収する暗い人とを、見分けることができたらしい。

「陰気な」という表現があるのに

わざわざ「あの人は暗い」という表現があるのは、

実際にその人が「光」を発していなかったということでしょう。

「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」

という肯定的な言葉を口にしている人は、

その人がそこにいるだけで光を発する。

そしてその光は、暗い人を照らす。

「私の人生はつらくて、悲しくて、嫌いなことばかりで…」

ということばかり言っている人は、「暗い」。

この人は、周りの光をどんどん吸着してしまい、

はたから見ていると、黒いもやの塊が来たように見えるのです。

これが、人間が「光」という文字の語源となったいきさつです。

「光」とは、「人」が光ることによって周りの人を照らし、

歩いている道を明るく照らしてあげること。

光を発していない人の周りには、暗い人が集まり、闇に包まれる。

光を発している人の周りには、明るい人が集まり、

明るさを宇宙に投げかけるのです。 

<引用終了>

目の前にいる人に、

たとえ、その人のことを嫌いでも

たとえ、その人から嫌われていようとも

・愛のある言葉

・優しい言葉

・希望や勇気が出る言葉

そのような言葉を笑顔とともにかけていらっしゃる方は、光の人ですね。 

光の人になれば、いえ、なろうと決心さえすれば、

きっと幸せな人生が待ち受けていることでしょう。 

そしてご家族も、みんな笑顔で、お幸せになることでしょう。


2025年4月21日月曜日

3769「悪い予感 心ザワザワ」2025.4.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月06日の記事を紹介します。


「悪い予感 心ザワザワ」


私たちの内に居らっしゃる神さま・・・ 

自然科学者の方々などは、これを

「サムシング・グレート」と呼ぶこともあります。 

昔の人は「天の意思」などとも呼んでいたようです。 

また最近では、トヨタ自動車の豊田章男社長が、

トヨタグループは、

トヨタの創業の精神たる「豊田綱領」に立ち返ろうと全社員に呼びかけましたが、 

豊田綱領の5番目にこう書かれています。

 

神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為なすべし

 

あの大トヨタも

神仏の存在を信じ、敬い、感謝の日々を送ろうと、呼びかけています。

神様は、私たちの内にもいらっしゃいます。

この内なる神様は、いつも私たちとともに居り、 

・私たちの体調や、

・考えること、

・感じていることなど

全て把握していらっしゃいます。

そして過去に何が起こったのか、これから誰に出会い、

何が起こるのかも知っていらっしゃいます。 

それは今世の話だけでなく、 

前世、来世のことまでも知っていらっしゃいます。 

身体については

細胞レベルまでも、その調子を把握していらっしゃり、 

ホルモン、リンパその他の分泌や

他の組織との連携までコントロールしてくださっています。 

ですから、私たち以上に私たちのことを知り、

愛し、慈しんでくださっています。 

私たちが苦難の中に在る時はなおさらのこと、

大きな祝福を持って共に歩んでくださっています。 

もし神さまを把握するのに形が必要であれば、

ご自分の信じる姿になぞらえても良いかもしれません。  

イエス、ブッダ、天使、菩薩、如来、観音様など・・様々ありますね。

私の場合は、形あるものではなく、

「神さまの意識」として認識して、お話しています。

動物、植物、その他に話しかける時もやはり、相手の「意識」との会話です。 

最初の内は、勝手に一人、話しかけているしかありません。 

もしかしたら、その会話は「一人芝居」のような会話かもしれません。 

ですが続けているうちに、頭の中に閃く語彙(ごい)が、

自分の頭の中には無かったものが出てくることがあります。 

(自分の辞書にはない言葉) 

そんな時は、少しコミュニケートできた時かもしれませんね。 

さて以前 「行列のできる占い師」 でも書きましたが、

「悪い予言・予言」は全く信じる必要が無いと言うことがあります。 

同じように小林正観さんが仰っていた言葉に、 

自分の直感でも、悪い予感は信じなくてよい。 

というものがありますが、私の経験から、これも真実のようです。 

自分の直感に従いなさい。

そう仰る方も多いようですが、 

「嫌な予感」「不安」「ザワザワ感」は、「直感」ではなく、

ただの「勘違い」であるからです。  

直感、第六感と言うものは、宇宙や自然界、そして内なる神さまから閃き

という形でもたらされるものですが、 

神さまや宇宙は 

・私たちの気が落ち込むもの

・元気を奪うもの

・勇気を萎えさせるもの

・絶望的なこと

・不安にさせるもの

を私たちに、決して与えないからです。 

もし、それらが情報として私たちにもたらされたら、

正観さんが仰るように、それは聞く必要が無い情報です。 

即、不採用にしましょう。 

その情報によって、心を不安の海に沈めてしまうことの方が、まさに悪魔の喜ぶ結果です。 

良い直感だけを信じ、心を明るくし希望を持ち、愛や優しさを持って突き進みましょう。 

私たちの心の状態こそが、私たちを取り巻く全ての現実を作るからです。 

内なる神さまからは、実は毎瞬毎瞬、私たちにメッセージが来ています。 

それは全て私たちに希望を与え、

「心配しなくても大丈夫」のサインです。 

宇宙や神さまから来るメッセージ、

閃き、直感に「悪いもの」はなく、 

・嫌な予感

・不安、ザワザワ 

は「直感」ではなくて、ただの「勘違い」です。  

どんなに辛い状況に置かれていようと、 

それは私たちが生まれてくる前に、既に決めて来た状況であり、 

偶然や、何らかの選択の失敗によってもたらされた状況ではありません。 

自分で決めて来たことです。

魂を輝かせるための砥石の役割をしています。

ですから、絶対大丈夫なようになっています。

どうぞ勇気と希望を持ってください。 

心の状態こそが、

私たちを取り巻く環境を作っているのですから。


2025年4月20日日曜日

3768「先祖と私達、黄泉の国と現世の繋がり」2025.4.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月05日の記事を紹介します。


「先祖と私達、黄泉の国と現世の繋がり」


日本に古くからある、神道 

これは、縄文の時代より神々のご計画により、連綿と培われてきた日本の文化です。 

神道で大切にされてきたのが 

・感謝の心

・先祖供養 

の2つです。

感謝の心を持つことで、神々からの援助を受けることができ、 

そして先祖を敬い、感謝することで、心・精神と体の清浄化、健全化を図ることが可能です。

神道では、先祖が幸せであってこそ、生きている私たちの幸せと、考えられてきました。

この2つは大きな大きな力を持ちます。 

数年前、竹之高地不動社にて、亡くなった方々が、高次の生命体、

つまり如来や神々に連れられて、光に帰る事例に頻繁に遭遇しました。 

また世間では、先祖供養に関して、高額な詐欺的な商売に

引っかかる方々も増えているようですので、先祖供養について書いてみたいと思います。  

日本の形成外科医療の草分け、医学博士、葉室頼昭さん。

この方は、春日大社の宮司でもありました。 

宮司が仰るには、病気をした時は、 

・先祖に感謝しているか?

・普段から大切に思っているか?

胸に手を当てて考えてみてください、そう仰っていたそうです。 

何故なら、病気やケガをした場合、 人間の免疫力や、自己治癒力、ホメオスタシスなど、

神々が人間のDNAに組み込んでくださった仕組みによって 、自然と治癒するようにできています。

この治癒の過程では、人間の意識とは全く関係なく、

意識していない潜在意識の部分、つまりDNAの働きで治癒します。 

そして人類が発生してから、数億年。

私たちの祖先が、気の遠くなるほどの長い年月をかけて

獲得したDNAによってその治癒が行われています。

ですから、病気やケガをした場合、 

・先祖に感謝しているか?

・普段から大切に思っているか? 

が大事になってくるそうなのです。 

私たちの身体の一つ一つの細胞が、

それに対応する、どなたかの特定の先祖に繋がっています。 

ですから、

・先祖に感謝すること、

・先祖供養することは、

先祖のためだけでなく、まさに生きている私たち子孫にとって、 とても大切なことです。 

私も、数年前までは、先祖供養なんて、抹香臭くて あまり興味はありませんでしたが、

最近は違います。 

私たちのDNAには必ず、先祖のDNAが組み込まれています。 

人間のDNAは、99.99%は同じかもしれませんが、残り 0.01% の違いによって、

それぞれの個性が作られ、身体的な特徴が表れてきます。 

また、肉体は人間の思考にも影響を与えます。 

例えば、分りやすい例をあげるとしたら、男性か女性か? 

その肉体的な違いにより、考え方、視点が、全く異なり、

それぞれの性による特徴が出てきます。 

陰陽五行では、以下のように説明されています。

内臓の状態と感情の5タイプとは

古来の中国では、内臓と感情を含む全ての物事を、

分かりやすく5つに分類しています。これを、五行と言います。 

この図は、感情と内臓の関係をあらわす「五行の相関図」です。 

これでみると、 

怒り=肝臓、

喜び=心(臓)、

思い悩む=脾(臓)、

悲しみ=肺、

恐れる=腎(臓)であることがわかります。 

つまり、長年、怒りの感情ばかりを持ち続けていると、肝臓に不調があらわれやすく、

逆に、肝臓にトラブルがあると、怒りっぽくなってしまうというわけです。 

つまり、肉体的な特性(DNA)が、感情に影響を与えると言うことです。 

感情に影響を与えれば、 

どうしても、

・同じような考え方

・同じような行動 

をしがちになります。

何かの現象(自分のツボにはまった)に心がひっかかり、常に同じような思考に陥り、

悪い時は、妄想を抱き、被害妄想に陥り(妄想の中)誰かを恨んだり、憎んだりもします。

そうすると心に闇ができますから、

それが必ず悪い現象として自分の前に実際に姿を現します。 

これが、家系に連なる因縁の正体です。 

確かに私たちの肉体は、先祖から受け継ぎ、DNAの連鎖が起きています。 

また、DNAの特殊性による、家系に代々現れる病気、精神疾患だけでなく、見えないDNAとも呼ぶべき、家系の中で連鎖する、特殊なパターンも確かに存在しています。 

その最たる例が、 

・虐待を繰り返す家系

・離婚ばかりする家系

・早死にする人が多い家系

・女系家族

・DNAが原因ではない、特定精神疾患、身体疾患の多発する家系 

など、少し考えただけでも沢山思い浮かびます。 

これらは物質的なDNAに異常が見られない以上、また特定の家系にだけ連鎖している以上は、肉体(DNA)の、ある部分の特殊性、アンバランスによって、生まれた後に発生する、 

・魂のクセ

・トラウマとなった精神的状況の引き継ぎ 

がそうさせるのではないかと考えられます。

DNAの権威、村上 和雄博士が仰るように

特定のDNAのスイッチが入ったと言えるのかもしれません。 

中間世記憶を持つ子供たち(生まれる前の記憶を持つ子供たち)の中には、

生まれて来た目的を、この悪しき世代間連鎖を、自分の代で断ち切るため・・ 

そう答えるお子さんもいらっしゃるそうです。 

それは、相当勇気のある魂、気高い魂であると考えられます。

そして人間の思いの力は、物質の組成まで変えることができる、

ガンさえも消滅させることができる・・(体内中の常温核融合) 

そのような事実から考えれば、例えDNA由来の「不幸な世代間連鎖」や

DNAに由来しない、魂のクセによる「不幸な世代間連鎖」 さえも、 

私たち人間の精神は、解決できると思うのです。 

私たちの亡くなった先祖も、今、肉体を持たないだけで、精神は生きています。

魂は永遠だからです。 

自分たちの子供や孫、子孫が不幸になることを望む祖先が、どこに居るでしょうか? 

自分が、自分だけが助かりたいからと、子孫を不幸にしてまで、

取り縋ろう(とりすがろう)とする人が、果たして いるでしょうか? 

殆どの先祖の方々が、自分の肉体的な繋がりのある子供たちの、

幸せを願っているのではないでしょうか? 

さてここで、春日大社元宮司、医学博士、葉室頼昭さんの書いたものをご紹介します。 

もしかしたら、代々家系に続く、悪しき世代間連鎖を断ち切るヒントになるかもしれません。

<引用開始> 引用元

生物のいのちが続くというのは、 

・伝え、

・順応し、

・待つ。 

この三つで生物は進化を続け、いのちを伝えています。

この伝統を伝えるということ、そしていろいろな厳しい環境に順応し、

去っていくのを耐えて待つことが必要なのです。

しかし人間はそれだけではありません。

人間が何のためにこの地球上に生まれたのかということが重要なのです。

人間は他の生物とはまったく違った目的で誕生したのだと思います。

つまりそれは神の世界を見て、こんなに素晴らしい美の世界だということを表現するために、神様は人間というものを産み出されたのだと私は考えています。

それは人間だけが優れ、他の動物が下等というのではありません。

ただ人間は、この目的のために進化を続けているということです。

そして人間の場合、ただ進化しただけでは、いのちは伝わっていかないのです。

そこに「徳」というものが必要だと私は思っています。

とくに日本人はこの徳を積まないと、

いのちが子孫に伝わっていかない民族だと思うのです。

しかも陰徳という徳です。

この陰徳を積んできた家が今続いているのであって、陰徳を積んでいない家は、

いのちというものが続いていないように見受けられるのです。

私は小さい頃よりおふくろから、

「陰徳、陰徳」と耳にたこが出来るくらい聞かされて育ちました。

友だちのために一生懸命にやって、友だちが何も感謝してくれないこともありました。

その話をすると、「それでいい。それが陰徳です。それが子供に伝わっていくから、

それはそれでいい。むしろ感謝されないほうがいい」と言われ、

わけもわからず、そんなものなのかなと聞いてきました。

その意味がいまこの年になってようやく分かってきたのです。 

普通、人はこれだけ尽くし世話をしたのだから、感謝してほしいと思うことがよくあります。

しかしそうすると、もうそれは陰徳ではなくなってしまうのです。

感謝や見返りをいっさい求めない。

人の喜ぶことをしていれば、それが一番いいのです。

そういうことの積み重ねが陰徳になり、

やがて子々孫々にまでその余徳が及んでいくのです。

この陰徳と関連して、大きな努力と小さな結果ということも大切なことです。

大きな努力をして小さな結果を望みなさい。

この逆をやって小さな努力で大きな結果ばかりをもらっていると、いずれ滅びてしまいます。

例えば、百万円を儲けるために、Aという努力をして百万円儲かるんだったら、

その何十倍も大きなBという努力をして、そして百万円を得るようにしなさい。

そうしたら陰徳で栄える。こういうことなんですね。

それは努力のわりに儲けが少ない。

しかし、そうしたらその分、徳を積んで、続いていくのです。

この世の中というのは、栄えるというのではなく、

続くということが一番大切なことなのです。

会社がどんなに儲かっていても、潰れてしまっては元も子もありません。

何ごとも、いかにしたら続くか、ということを第一に考えるべきなのです。

<引用終了> 

・人の喜ぶことをする

・人が笑顔になることをする

・人が勇気を出すことをする

・人の心が優しくなることをする 

そのような徳を積むことで、 

その功徳は、時空を超えるのだそうです。 

自分の子孫はもちろん、先祖さえも、幸せにすることができます。 

私たちが、神さまの道を歩み、心を洗い、何かモノに依存したり、

誰か人に依存・執着したりせず、自分の足で、しっかりと大地に立ち、 

真心を、周りの人に配ったら、それだけで、徳を積み、

私たちの過去(先祖)も、未来(子孫)も幸せにすることができます。 

そして、日ごろから祖先に感謝の気持ちを持っていたならば、

それは必ず、必ず祖先のもとに「神さまの光」として届くことでしょう。 

その時、届いた祖先と繫がる私たちの身体の中の

ある特定のDNAのスイッチが入り、肉体までも換えてしまうことでしょう。 

そのような暮らしを通じて、私たちは神さまの道を歩むこととなり、

怖いものはありません。 

・悪しき世代間連鎖

・家系の中に延々と続いていた 悪しき慣習は 

全て、融けて無くなって行くことでしょう。 

そうなった時、大きな二つの柱

・血の繋がり、肉体的な繋がり

・魂の繋がり 

の内の 血の繋がりは浄化され、それに連なる、何百万もの人々、 

既に亡くなられた祖先も未来の子孫も、みんなが幸せになることができることでしょう。 

私たちは、心の世界から、この地球に来ました。

私たちの魂の元は、神様から頂いたものです。 

光り輝く尊いものです。 

だから誰の心の中にも「仏心」が存在しています。 

その心が、徳の積み重ねによって、清浄となり、光り輝けば、 

全ての不幸の連鎖は終りを迎え、私たちに連なる全ての人々の、

幸せへと繋がって行くことでしょう。

全ての始まりは、いまを生きる私たち一人一人の、決心と、行動の一歩から始まります。 

皆さんが、「光の道」を進むと決心され、周りのご縁のある方々も含め、

お幸せな人生を歩むことができますように。