2013年9月28日土曜日

238「封印5」2013,9,27

 加尾の庭を後にして目指すは足摺岬です。当初の予定では土佐神社所縁の鳴無(おとなし)神社を訪問することにしていましたが時間が無く、中止してひたすら足摺岬へ進みます。高知市にある土佐神社を定める時につぶて石を投げたとされるのが鳴無神社(須崎市浦ノ内)ですがまたの機会です。
 
 夕暮れ前、17時50分に唐人石に到着できました。早速、巨石群の中に入り目指すは千畳敷岩です。全員が揃ってあわ歌を歌えるのはここしかありません。しかし何故か2人だけは更に上の鏡石まで上がってしまいました。南に太平洋、そして唐人駄馬を見下ろして素晴らしい眺望です。夕闇迫る中、海に向かってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「よくよくこの日のこの時のこの地、覚えてしっかり心に刻みて下され。移り行くこの地にありて、大きなるこの自然はかけがえなきもの。是よりも続きて皆々様の嬉しきの拠り所と為さり行き、益々大きく拡がりて、響きを発して下されませ。」










 唐人駄馬にはストーンサークルがあり、紀元前5000年~300年頃にかけての縄文時代から弥生時代にかけての石器、土器片が出土しています。かつてはストーンサークルだけでなく列石もあったのですが、残念なことに、1977年に高知県(自然保護課!)は、この地を公園にするために、駄場内部のすべての石を撤去してしまいした。そして世界でもトップレベルの先史時代遺跡は、駄場を取り巻くストーンサークルを除いて、「破壊」されたのです。
 唐人とは異人、駄馬とは平らな土地という意味だそうで、その昔この不思議な遺跡を異人が開拓した場所だと考えられています。しかし諸説あるようで定かでありません。
 唐人石は約4000年以上の昔、巨大石をご神体として祭った古代山岳祭祀遺跡ですがほとんど内容は解明されていません。いずれにしてもミステリーな空間なのです。そしてかけがえない自然豊かなエネルギー高き貴重な場所です。
 
 お蔭様で唐人石でのあわ歌を響かせることができました。加尾の庭でのご縁と共に今日は濃厚な1日となりました。この地は忘れがたき古からの自然豊かな故郷なのかもしれません。
 バスに乗り込む時には既に真っ暗です。今日の宿は10分程の足摺岬温泉です。温泉で癒して高知名物皿鉢料理を頂きました。盛りだくさんの魚料理です。2次会もそこそこに、明日早朝にご来光を頂く事になり早々にお休みです。
 


9日朝は生憎の曇りで、今にも雨降りそうな天気です。5時には皆さんロビーに集合して足摺岬展望台に歩いて向かいました。夜が明ける前の暗がりの道を徒歩10分ほどです。月曜日朝でこの天気です、展望台は私たちだけで占有です。結局、日の出を望むことは出来ませんでしたが皆さんであわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。 
「繋がりて、この地も大きなる力と成り行く。是より進む大きな変化、皆々揺らぎて変わり行く。その時繋がり結びたるこの地の絆が大きな助け、光を持ちて光りを発し結び行く。」
 ありがたきことです。宿に戻って朝食を頂き、出発は予定どおり7時半です。宿を出る時は雨です。昨日時間が間に合わなければ今日朝に唐人石と思っていましたが全て予定通りでした。







 最終日の目的地は高知県の西で愛媛県と境する梼原町です。四万十川源流近く、高知カルストがあるところです。四万十市中村からバスは四万十川を遡る様に川に沿って進みます。
 四万十川は全長196km、四国内で最長の川で、本流に大規模なダムが建設されていないことから日本最後の清流、また柿田川・長良川とともに日本三大清流の一つと呼ばれています。
 四万十川には支流も含めて47の沈下橋があります。沈下橋は鉄筋コンクリート造りで、欄干がなく、通常の水位より2−3m上にかけられていて、台風や大雨時には沈下することで、流木などが橋脚などに引っ掛って滞留し水圧がかかり橋全体が破損、流失するのを防いでいます。
 バスは随所に沈下橋を見ながら上流に進んでいきます。途中、今年最高気温摂氏41度を記録した四万十市江川崎を通りましたが日本最高気温の幟端が立っていました。



高知県から愛媛県に入ってすぐにトイレ休憩をした時に中山さんから、「この先15キロほどの左手に巨石か神社か何かあるようでそこに呼ばれているので探して下さい」と言われました。どうやら地図で探すと愛媛県鬼北町の高鴨神社の様です。場所が定かでない中、バスは通り過ぎてしまいましたが少し戻りどうにか辿り着けました。




高鴨神社の御祭神は味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)で、別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。です。この神様は土佐神社の御祭神と同じです。
「味耜高彦根命は大国主と宗像三女神の多紀理毘売命(タキリビメ)の子供で、農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)、鴨神社(岡山県玉野市長尾)などに祀られている。別名 迦毛大御神は賀茂社の神の意味である。すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。」
 高鴨神社の御祭神の迦毛大御神は天照に対比される程の神だったようです。なぜにここに寄る事を願い知らせて来たのかを解くカギはこの辺にありそうです。
 高鴨神社であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「只今参りたり。東西動きは急なり。その身と共に参るは光。ゆくゆく知りて下されよ。(拍手)
お〜生み出すなり、この地より。光届き発したり。(拍手)
是より渡す。(拍手)あわ歌
ありがたき。皆々様の響きと光りを頂きたり。繋ぎて、結びて、発して、拡げ行きましょう。ありがとうございます。」
 どうやら願いは聞き届けられたようで、繋ぎて、結びて、発して、拡げて行けて頂けるるようです。
 
 梼原町は雲の上の町と言われるところで、環境モデル都市を目指しています。街に入って過ぐ、川沿いに三嶋神社があります。三嶋神社は梼原川に架かる屋根つきの神幸橋(みゆきはし)を歩いて渡って参拝です。ここは龍馬たちの脱藩の道、維新の道と言われています。




参拝を済ませて、昼食を太郎川公園にある古民家の農家レストランくさぶきで美味しい山野草を食材にした料理を頂きました。正直、高知では海の幸が毎日で野菜料理を皆さん求めていたようです。茅葺の古民家でゆったり頂くお恵みに皆さんとても喜んで頂きました。


食後は暫しバスに揺られてお昼寝です。目が覚めると何と四国カルスト高原、標高1485mの天狗森、天狗高原でした。日本三大カルストを車窓から眺めましたが、生憎のガスで絶景は見れず残念でしたが、牛が放牧され独特の岩がそこここに沢山です。



 次に目指すは四万十川源流近くのせいらんの里です。四万十川の向かいには稲葉洞・綾姫龍王神社があります。橋を渡り稲葉洞を参拝しましたがここには龍神様はおられないようです。川に下りて暫し水遊びです。清流が気持ち良く身も心も洗い清めてくれるようです。四万十川の源流点はもう少し先になりますが、この地で川の源流方向に向いてあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「宝ぞ、その身、しっかり守りて、水清く繋ぎましょう。」




 予定の巡りは無事に終了かと思いきや、中山さんから今日2度目の課題が出ました。
「午前中に訪れた高鴨神社と高知市内の加尾の庭を結んだ延長線上に何があるかな?」どうやらその地はこの旅の最後に果たす必要がある処の様です。更に「そこには巨石とか神社はないか?」結局、その目指すところは高知空港近くの南国市後免駅の北側にある竈神社でした。
 空港近くでこれは時間的に可能なところです。そこを目指してバスは進みます。神社は住宅地の裏山の小高い山の中腹にありました。荒れ放題で藪の中にあり、その地の隣地はお墓や他の社があり、かつて古墳だったようなところです。やぶ蚊が歓迎の挨拶でしょうか喜んで我々に襲い掛かってきます。そんな中であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
 「さあさあ光を届けたり。この地にある諸々引き受けたるを、どうぞ皆なしと行きなされ。長き時、ご苦労でした。是より光と成り行き、この地に注ぎ、元へなされませ。届けたり、この光新しきなり。」
 長居は無用です。直ぐに引き上げてバスは高知龍馬空港に向かいます。



 バスの車中でこの4日間の旅に付いて中山さんからお言葉を頂きました。その中で、四万十川から神社に向かう車中に下されたお言葉を紹介頂きました。 
「参り来て、暗き道をば進み行き、わが身の至らぬ、しみじみ思い至りた。その先に光を灯して待ちたるは大きなる嬉しきなり。共に参りた方々の強き支援を胸に抱き、なお一層の励みなり。是よりの皆々様へと限りなき光配りて参ります。ありがたき。」

 皆さん感慨深いものがあります。それぞれ感想を頂き空港に無事予定の時間に到着できました。空港内の郷土料理のお店でささやかな、濃厚な打ち上げをして皆さん11月の仙台でお会いすることを約束して解散しました。私達仙台組は東京経由で東北新幹線の最終はやぶさでめでたく満願成就して帰仙しました。ただただありがたき4日間でした。

 この旅で頂いた数々の恵み、課題はきっと次に活かされることでしょう。今回頂いたお言葉を少しまとめてみると以下のようになります。
 この9月に為す事は以下の3つ。
1、この島の中心を固めて繋ぎて光と致す。
2、大空かける、動き行く気に乗せる響きを出だし行く。
3、この地の人々へ発する新たなるを申す。
 更に淡路、四国での巡りの中で為され得られたものは以下のことです。
「美しきこの地、流れ来るは棘あるなり。皆々様が出だし行くその棘ささればなおなお動き、皆々荒れ行き、荒れたる気は随所に固まり、天空と地に分かれ、この地、この空乱されて、皆々驚きの非を待つなり。是までのゆうゆうの日々は崩れ行く、慌ただしきと成り行くなり。
 この時一つと成り成って送る光を乞い願う。諏訪一大事の大きなる力は古き岩にて響かせて、集い来る皆々共なり。この事成し行き次々に生まれ出で来る事々は、是より4日のその場所に伏せられし多くの魂を解き放ち、光へ届け行く。
 皆々様が参り行くこの入口をしっかり開きたり。ここに溜まりた多くの方々、多くの想いを今、光の中へ導きたり。さあさあ参られよ。霊(ひ)なるへ参れ、この時なり。
 生み出だし、その身を活かすは皆々様それぞれなり。光も響きも変わり行く。只々ひたすら参られませ。
 是より皆々様、響きて回りてこの島の多くに封じられり御魂解き放ち、生み出だし新しき力と成されませ。残りし大きなる気、晴れて新しきへ誘いて、いよいよ北の大きなる気と一つと成し行かん
 ありがとうございます。この場この地、大切に為さりあなた様のその身を持ちて天地繋ぎて柱と成られ、是より進む新しきを伝えてくだされ。ここにおる岩、石、皆々輝き発します。大きく広きと成りましょう。降り来る光をしっかり受けて、ここより発して海、山、川、木々、草草へ運び行き、元成るこの地へ向かわれませ。大きく宇宙は変わり行く。響きは光りと一つなり。皆々響きて下されませ
 繋がりて、この地も大きなる力と成り行く。是より進む大きな変化、皆々揺らぎて変わり行く。その時繋がり結びたるこの地の絆が大きな助け、光を持ちて光りを発し結び行く。
 ありがたき。皆々様の響きと光りを頂きたり。繋ぎて、結びて、発して、拡げ行きましょう。ありがとうございます」
 
 果たしてこの地にめぐらされた封印は解かれたのでしょうか。幾重にも封印された今の世界を元の元へ戻すには、元へ遡って解きほぐす事が必要です。
 そして中山さんから頂いた次なる課題は、「二つの宮を糺す」ことでした。果たしてどのような意味含まれているのか?天照大御神と迦毛大御神を始め、縄文と弥生、出雲と大和、日高見と大和・・・、今度11月末に中山さんと巡る旅「日高見、縄文、アラハバキの旅」にその答えをきっと見いだせる事でしょう。

2013年9月26日木曜日

237「封印4」2013,9,25


 旅も3日目の朝を迎えました。ホテルは海のすぐそばで、朝日が東の海から上がるのが見えるビューポイントですが生憎の曇りで海面から上がるのは見えませんでしたがご来光を頂けました。


今日も予定通り7時半に宿を出発しました。目指す目的地は高知市内にある土佐神社です。
 
 そんな中に今朝、食事前に中山さんに部屋で以下のお言葉がありました。
「この度、この地を訪れて大きなる失望を感じたり。湧き上がる声無く、皆々沈みてそのままを安んじておるは誠に悲しきなり。訪ね行き、響きて光を発し行き、大いなる新しき伝える事はなかなかなり。是よりこの地に起こる数々の事に翻弄されゆくを見るは忍びがたきなり。いや増す光は大きく暴きて動かしましょう。
努めて参る、光の宮を何処にいたすか、後二日、回りて探すこととなる。」
 なんともこの地での反応が無いことに失望しています。後二日で光の宮を探すとのこと。その為の今回の旅ですので成就することを願って今日もスタートしました。



土佐神社は土佐一宮です。祭神、由緒に付いては以下の様です。
「祭神は味鋤高彦根神・一言主神の2柱で古くは単に「土佐大神」と称していた。社伝では、祭神は古くは高鴨神と呼ばれており、元は大和の葛城山に坐していた。その後雄略天皇の怒りに触れて土佐に流され、はじめは幡多郡の賀茂社、そののち土佐神社へ移ったとされる。この際、鳴無神社(須崎市浦ノ内) から宮を定めるためにつぶて石を投げたとされ、これが現在の土佐神社内に伝わるつぶて石の由来としている。」
 高鴨神に付いては旅から帰って改めて由緒を読んでわかりましたが、最終日に驚きの働きを為すことになりますが中山さん始め誰もこの時は何もわかりません。
 この土佐神社は木内鶴彦さんともご縁があります。というのは彼が22歳の時に初めての30分間の死亡体験の時に過去に戻って色々ないたずら?をして、生き返った時に自分がその時代に居た事を証明する為に種々な事をしたと言います。その一つがこの土佐神社の社殿建設の時に本殿の柱に「つ」の字を書いたということで、神殿の前の方から2本目の柱のところです。そして生還されてから神社の柱の「つ」の字を確認できています。
 本殿左の林の中にあるつぶて石の処であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「只今参上つかまりて、この歌、響き光を届けたるは、この地大きなる元へと還り、広く天地繋がり行くを望みたる為。如何に為し行くかは、その身の古き元をただしたきなり。(拍手)
伝えをいたす。この身と繋がり、この地にて変わりを成すはこの場にありて、永き時待ち望みし方あり、繋ぎて参られよ。(拍手)
嬉しきなり。いやう〜いやう〜いやう〜。」
 お言葉で、変わりを成す為にこの場にあって永い時待ち望んでいた方がいるので繋いで行くように、とあります。果たしてその方はどこなのでしょうか。にわかに朝方の厳しいお言葉が急変し、前途に明るさが見えてきました。やはり古くから祀られたこの土佐神社に参る事が必要だったようです。




 バスは高知市内に入り、名所のはりまや橋、高知城天守閣を車窓から眺めて次なる目的地、加尾の庭に向かいます。

 加尾の庭は予約専門のレストランです。そもそもは高知で著名な経済人として活躍された方の自宅でした。NHK大河ドラマの龍馬伝でこの家は、龍馬の初恋の人、平尾加尾が住んでいたことが分かりました。龍馬が脱藩する時に水杯を交わしたのがこの直ぐ近くの和霊神社です。龍馬と所縁の地です。 加尾の庭 http://www.kaononiwa.jp/



 この会社の社長のOさんと私はご縁を頂き、以前レストランになる前に訪れていました。この土地はOさんのお父様の先代社長が買い求めていてOさんが継承していますが、彼は長年、運輸業界のトップとして高知県の経済界で活躍されている中心人物です。船井幸雄さんとのご縁から精神世界にも造詣が深く、あるご縁で7年前に日本で唯一の1,6トン巨大な水晶を購入されました。その水晶の名前がアースキーパークリスタルPちゃんです。そのPちゃんを自宅に搬入して瞑想や種々の活動に活用して来ていました。
 10時半過ぎに私達が到着するとOさんがお見えになり案内をして下さいました。門を入ると右手に大きな平屋建てのレストランがあり、正面は池とその背景に山の木々がとても良くマッチして心地よい日本庭園です。まずは山の中腹にある六角堂を見学させて頂きました。







 六角堂は水晶、ブラックトルマリン、ローズクォーツなどたくさんの石をバランスよく配合し、水晶の形と同じように配置しています。六角堂に入ることによって水晶の中に入ることと同じ状態を作ります。そこで石たちの波動を受け、マイナスのエネルギーを浄化し、心と体のヒーリング効果を意図して作成されています。建設にあたって以下のように記されています。
「「六角堂」は、何千年周期の中で、必要な時に 必要な人たちが、必要な場所に集うために建設されました。設計にあたり、古くからこの土地で先代たちが守ってきたのもに準じて設計をいたしました。四角形の建物よりも丈夫な六角堂の構造は、一方から強い力が働いても五方向から戻す力が働き、動きに対し弱める力も働きバランスが取れるようになっています。
 今回は、地場調整とエネルギーアップも考え、建物に入れる石を調合し配置しました。基礎には≪静と動≫の石として、≪カーネリアン・ピンクイパール・ヒマラヤ水晶・ブラックトルマリン≫の5種類の石をセメントに練り混んでいます。」




六角堂の前には、番人の「レオン君」が神社の狛犬のように見守ってくれています。六角堂の部屋の上には、大きなサヌカイトのピラミッドが輝いています。床には約二トンの水晶・ローズクォーツ・トルマリンが敷かれ波動を上げる役割を担います。その床の中央に埋め込んだクリスタルボールと3本の水晶が天井に向かって置かれています。更に天井には、大きなクリスタルが地上に向けて吊るされ、天と地をつなぐ役割をしています。何とも言えないエネルギーが身体を癒す感じです。この中にOさん含めて20名の方が入ってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「ようよう辿り着きました。この地にて後2か所、この身の響きを伝えさせませ給え。お願い申す。その後お伝えいたします。」
 この地で後2か所で響かせるとあります。その2か所とは、屋敷内の収めてあるピーちゃんと、もう少し山を登ったところに最近完成したばかりの六角宙(ろっかくちゅう)の様です。

 まずレストランの玄関わきの部屋に収められているPちゃんに全員集いました。ここではOさんご夫妻に巨大クリスタルの前にお座りいただき、中山さんがお二人に向かって全員であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「ありがとうございます。この場この地、大切に為さりあなた様のその身を持ちて天地繋ぎて柱と成られ、是より進む新しきを伝えてくだされ。ここにおる岩、石、皆々輝き発します。大きく広きと成りましょう。」
 このピーちゃんの処ではこれまでも沢山の方々のヒーリングセミナーやイベントが開催されていますがOさんご夫妻はあわの歌は初めてです。改めてお役目に気付かれて感動されていました。
 アースキーパークリスタル協会の会長も務められるOさんですが以下の様な紹介文があります。
「アースキーパーとは、巨大なクオーツクリスタルで、人類が肉体を持たないはるか太古、宇宙の中心エネルギーを地球に取り入れるグリッドとして存在しました。そのエネルギーは地球の二酸化珪素に注がれ巨大な水晶となりました。しかし人類は進化し、五感の幻想の世界が広がってくるとアースキーパークリスタルは地中深くに埋められ、人類の進化の全てのサイクルを記録されるようプログラムされました。
 アースキーパーは、ハワイのカウアイ島のヒンドゥー教寺院のものを筆頭に、地球上に12体存在します。そして現在、重要な役割を実行するために次々と地表に現れてきています。その役割の一つは、地球界のサイクルで得られた知識を星界へ送り出し、他の世界での意識発達のために使われます。もう一つは、地球上の祖先たちの意識を送信し、その存在に触れた者たちが高揚し霊感を受けるための媒体としての機能を果たすと言われています。
 アースキーパーは、重要な地点に戦略的に導かれ、新たなエネルギーヴォルティックス(渦の中心)に配置されるといいます。世界の雛形として重要な役割を担う日本の高知にあるアースキーパークリスタル“P-chan”は、叡智の送受信機の役割を果たし、瞑想やワークショップを通して、創造を現実化する為の強力な装置であると考えております。」




 次は六角宙(ろっかくちゅう)です。また庭の左手から登り六角堂を過ぎて山の中に入って行きます。方々に巨石が沢山あります。この山は重要な土地とのことでOさんが数万坪買い増しされたとのことです。確かにその西の方向には何か強いエネルギーが有りそうです。





 六角宙は山の中に六角形に石組みをしてあります。中心部にはクリスタルが設置されています。天と地を繋ぎ、六角堂とピーちゃんを結ぶラインで大きなボルテックスを生み出すように意図されているようです。その中に入ってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「降り来る光をしっかり受けて、ここより発して海、山、川、木々、草草へ運び行き、元成るこの地へ向かわれませ。大きく宇宙は変わり行く。響きは光りと一つなり。皆々響きて下されませ。」
 何か朝の厳しいお言葉の中にあった目指すべき光の宮はこの地であったようです。少し肩の荷が下りた感じです。
 予定を大幅に過ぎて12時半近くに成っています。楽しみにしていたレストランでの昼食の開始です。
 


Oさんがピーちゃん、六角堂、六角宙、加尾の庭等の展開を促した数々の霊的な助言されている霊能者の方がおられます。中山さんはその方に非常に興味を抱かれてお会いしたいとおっしゃいました。Oさんが近所にお住まいなので連絡が付けば可能かもしれないという事で手をつくして下さいました。私達が昼食を食べ始めるころのその霊能者の方をOさんがお連れ下さることが出来ました。


 1時間程別室で霊能者のOさんと中山さん、Oさんの面談会が持たれました。話の内容は解りませんが打ち解けて情報を共有できた有意義な時間だったようです。
 私達は美味しく高級ランチコースを頂きました。皆さん打ち揃った暫しお話して加尾の庭を後にしました。結局4時間程滞在し、予定を2時間余り超過して14時半に出発です。
 私達がこれから足摺岬の唐人駄馬、唐人石に行く事を知った霊能者のOさんのお言葉でOさんが私達全員にと「黒潮と縄文巨石文明」という本をプレゼントして下さいました。唐人駄馬探索協会が出版した調査報告写真集で高額なものです。何にしろ唐人駄馬探索協会の事務局長をOさんがされていた時にまとめられたものです。以前私はOさんに足摺岬であまり人が踏み入れない巨石を案内して頂いたことがありますが、会社経営だけでなく多方面に造詣がある方です。私と中山さんにはOさんの著書「Pちゃん」も頂きました。



 バスの出発をOご夫妻と霊能者のOさんがバスが見えなくなるまで見送りして下さいました。ありがたいことに有形無形の沢山の喜び、光を頂けた素晴らしい処でした。更にこの地から善きご縁が拡がる事を願っています