「男神イザナギの命、女神イザナミの命の二神は、天つ神の「お前たち二人心を合わせて国土を生み、もろもろの神々を生んで、天の下の国と神々を立派に作るように」との仰せに従い、オノコロ島に立って、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州といわゆる大八洲の国土を作られ、次にはその国に住む様々な神々をお生みになり、最後に火の神をお生みになったが、この時イザナミの命は女の大切な女陰を焼かれてお亡くなりになった。
イザナギは亡くなった妻のイザナミに逢いたくて、あとを追いかけて黄泉の国へ行かれた。しかしここは死者だけのいる国であった。イザナギは大声で「我が最愛の妻イザナミよ。お前と二人で作った国はまだ作りおえておらぬ。早く還ってほしい」といわれた。けれどもイザナミは「それは残念でした。もっと早く迎えに来てくださったらよかったのに。
私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でもあなたがわざわざ迎えに来てくださったので、何とかして還りたいので、黄泉の国の神々に相談してみましょう。しかし私が返事を申し上げるまでは絶対に来られてはいけませんよ」と消えて行かれた。イザナギは待てども待てども返事がないので、とうとうしびれを切らし約束を破って真っ黒な黄泉の国へ入り、髪にさした櫛の歯を一本折ってそれに火をつけあたりをご覧になった。そこには体中に蛆のわいたイザナミの体が横たわっており、体の八か所には雷が生まれふた目と見られぬひどい姿であった。
驚いたイザナギは恐ろしくなって一生懸命逃げ還ろうとされた。ところがイザナミは「あれほどここへ来られぬようにと約束したのにそれを破って、私に辱をお見せになった」と大へん怒り、黄泉の国の魔女たちを使って大勢が追いかけた。追われたイザナギは、髪の飾りにしていた木の蔓を投げたら葡萄がなったり、櫛の歯を折って投げたら筍が生えた。
魔女たちがそれを食べている間に逃げられたが、今度は黄泉の国の魔軍たちが大勢追いかけてきた。イザナギは黄泉比良坂の坂本まで逃げたところに折りよく桃の木があり、その桃の実を投げつけてやっと退散させることが出来た。そこでイザナギは「お前が私を助けたように、この葦原の中つ国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と仰せられオホカムヅミの命という名を、桃の実につけられた。
けれども最後にはイザナミ自身が追いかけてこられたので、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまわれた。その岩を中にしてイザナミは「あなたが約束を破ってこんな目にあわされたから、もう私はあなたの国へは還らない」といわれた。イザナギは「私は今でもお前が恋しくてならない。けれどもそんなに腹が立つなら仕方がない。別れることにしよう」とお互いに別離のことばを交わした。イザナミは「あなたがこんなことをしたからには,これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」といわれた。イザナギは「お前がそんなことをするなら私は毎日千五百の産屋をたててみせる」と仰せられた。そのようなわけで日本の人口は増えるといわれている。」
「その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれ、最後にアマテラス(天照大神)・ツクヨミ(月夜見尊月読命)・スサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。しかし、スサノオが母親のイザナミのいる「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノオを追放し、古事記によれば淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)、または淡道(淡路島、淡路市)の多賀に、日本書紀によれば淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭ったとされる。」
さて、黄泉比良坂は国道9号線から入ってすぐにありました。駐車場前に小さな池、呑水池があります。左手の向こうには千引の岩戸があり、その先に石柱に縄が張られた鳥居があります。ここが黄泉の国(あの世)への入り口です。その先は上り坂になっていて林の中に細い道が続いています。後世の方々が設置したものでしょうが、なにやら冷気ただよう神霊スポットの様です。
ここは映画「瞬」の舞台になったところでロケ地としても改めて注目を浴びています。私は映画を観ていないので詳しくは分かりません。案内によると主人公、泉美(北川景子さん)が亡くなった恋人、淳一(岡田将生)にもう一度会いたいと訪れる場所で、生と死の境とされるこの坂で映画のラストを飾った大事なシーンを撮影したようです。
黄泉比良坂は会いたい人にもう一度会える場所です。異界と現界を境する坂です。果たしてこの伊賦夜坂(いふやさか)はどんな坂と歩いて行きましたが・・・・意識チャンネルのキーワードが合わなかったようで上り坂から下りに塞の神がありあっという間に俗界に戻ってきました。
神話で語られる世界は現実なのか架空なのか、作者の意図はどこにあるのか。それは時間の経過の中で改変、改竄されてきているのは世の常ですが、同様の内容が他の地、国に見られるとしたらその源流はどこにあるのか。日本に於いて縄文時代から弥生時代への変遷とは如何なるものだったのか。
今、縄文回帰を言われていますが、当時の世界での倭(ヤマト)民族とユダヤ民族の関係を指摘する物が多々あります。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=50
その中で、弥生はユダヤの大量の移民の流入で起きたものであり、イザナギとはイザヤ、日本建国の父と言われるスサノウとイザヤの二男マヘル・シャラル・ハシ・バズとを対比してそこに同一視する見解があります。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=67
その事は追々検討してみたいと思います。
次の目的地は松江市八雲町にある出雲の国一宮熊野大社です。御祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろきくまのおおかみ くしみけぬのみこと)です。その意味は、イザナギの命が可愛がられた、神聖なる祖なる、この熊野に坐します尊い神、櫛御気野命で素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名です。一言でいうと、御祭神はその様に称えられる素戔嗚尊です。素戔嗚尊について熊野大社では以下のように表記しています。
「ご神名は神格の本質を表しますことから、ご祭神の本質は人々の食して生くべき食物に霊威をみちびき、農耕生産の豊穣を約束して、人々の営む万般の生業の発展を保障され、人の世の繁栄と平和、人々の幸福をみちびかれる深厚高大な霊威を発顕具現されるところにあります。
スサノオノミコトは、出雲の簸の河上で八岐大蛇を退治された神話に見られますように、人間社会を洪水の災害から救われて稲田の豊穣をもたらされ、人の世を和楽にみちびかれました。
スサノオノミコトは不思議な霊威をあらわして成りと成り出づるものが豊富であるようにと世の人々を導かれたのであります。
これは、人間社会につきまとう人間であるが為逃れられない不安と苦悩を取除いて、人間の営む社会生活の繁栄と平和をもたらされたということを意味しています。
・スサノオノミコトは人間の幸福を約束される愛の神
・スサノオノミコトは人間の願望期待に応えられる救いの神
・スサノオノミコトは身を犠牲にして他を救われる愛の神
・スサノオノミコトは人の世の幸栄のムスビの神
スサノオノミコトに見守られています限り、人の世は立ち栄えるのであります。熊野大神の御神縁に結ばれる人々は、その御手振りに神習いまして、御神光があまねき世に輝きわたるように神意奉行を尽くさせて戴きたいものであります。」
最高の表現で祭神の素戔嗚尊を褒め讃えています。大社造りの本殿に祀られていますが、原始は神社の正面の「天狗山」(出雲風土記では熊野山とあります)の山頂付近にある巨大な岩(磐座)があり、そこに祭祀されていて、その地は最高の聖地で「元宮ヶ成(げんぐがなり)」と言われています。そこに素戔嗚尊が埋葬されているとも言われています。
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-06-4susanoonosi.html
http://www.kumanotaisha.or.jp/main.htm
これは熊野大社の素戔嗚尊から出雲大社が新嘗祭の神事に使用する大事な道具、広く言えば農機具を始め諸々を借りて国を治めていて、年に一度の収穫の状況を報告に来て収穫した穀物をお礼に奉納するものです。その時に問答して、また1年間使用を許可頂く儀式と言えます。その儀式が行われるのが鑽火殿です。
熊野大社としては紀伊国の熊野三山も有名ですが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説があるようです。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが紀伊の熊野本宮大社の元であるとしています。
日本建国の祖と言われる素戔嗚尊を祀る熊野大社をありがたく参拝しました。