2014年4月30日水曜日

300「須佐、雲太3」2014,4,29

 その黄泉比良坂の世界の物語を分かりやすくしたものを紹介します。
「男神イザナギの命、女神イザナミの命の二神は、天つ神の「お前たち二人心を合わせて国土を生み、もろもろの神々を生んで、天の下の国と神々を立派に作るように」との仰せに従い、オノコロ島に立って、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州といわゆる大八洲の国土を作られ、次にはその国に住む様々な神々をお生みになり、最後に火の神をお生みになったが、この時イザナミの命は女の大切な女陰を焼かれてお亡くなりになった。
 イザナギは亡くなった妻のイザナミに逢いたくて、あとを追いかけて黄泉の国へ行かれた。しかしここは死者だけのいる国であった。イザナギは大声で「我が最愛の妻イザナミよ。お前と二人で作った国はまだ作りおえておらぬ。早く還ってほしい」といわれた。けれどもイザナミは「それは残念でした。もっと早く迎えに来てくださったらよかったのに。
 私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でもあなたがわざわざ迎えに来てくださったので、何とかして還りたいので、黄泉の国の神々に相談してみましょう。しかし私が返事を申し上げるまでは絶対に来られてはいけませんよ」と消えて行かれた。イザナギは待てども待てども返事がないので、とうとうしびれを切らし約束を破って真っ黒な黄泉の国へ入り、髪にさした櫛の歯を一本折ってそれに火をつけあたりをご覧になった。そこには体中に蛆のわいたイザナミの体が横たわっており、体の八か所には雷が生まれふた目と見られぬひどい姿であった。
 驚いたイザナギは恐ろしくなって一生懸命逃げ還ろうとされた。ところがイザナミは「あれほどここへ来られぬようにと約束したのにそれを破って、私に辱をお見せになった」と大へん怒り、黄泉の国の魔女たちを使って大勢が追いかけた。追われたイザナギは、髪の飾りにしていた木の蔓を投げたら葡萄がなったり、櫛の歯を折って投げたら筍が生えた。
 魔女たちがそれを食べている間に逃げられたが、今度は黄泉の国の魔軍たちが大勢追いかけてきた。イザナギは黄泉比良坂の坂本まで逃げたところに折りよく桃の木があり、その桃の実を投げつけてやっと退散させることが出来た。そこでイザナギは「お前が私を助けたように、この葦原の中つ国に暮らしている多くの人たちが苦しい目にあった時には助けてやってくれ」と仰せられオホカムヅミの命という名を、桃の実につけられた。
 けれども最後にはイザナミ自身が追いかけてこられたので、イザナギは黄泉比良坂にあった大きな岩で道をふさいでしまわれた。その岩を中にしてイザナミは「あなたが約束を破ってこんな目にあわされたから、もう私はあなたの国へは還らない」といわれた。イザナギは「私は今でもお前が恋しくてならない。けれどもそんなに腹が立つなら仕方がない。別れることにしよう」とお互いに別離のことばを交わした。イザナミは「あなたがこんなことをしたからには,これから後あなたの国の人間を毎日千人ずつ殺す」といわれた。イザナギは「お前がそんなことをするなら私は毎日千五百の産屋をたててみせる」と仰せられた。そのようなわけで日本の人口は増えるといわれている。」

「その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれ、最後にアマテラス(天照大神)・ツクヨミ(月夜見尊月読命)・スサノオ(建素戔嗚尊速)の三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。しかし、スサノオが母親のイザナミのいる「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノオを追放し、古事記によれば淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)、または淡道(淡路島、淡路市)の多賀に、日本書紀によれば淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭ったとされる。」

 さて、黄泉比良坂は国道9号線から入ってすぐにありました。駐車場前に小さな池、呑水池があります。左手の向こうには千引の岩戸があり、その先に石柱に縄が張られた鳥居があります。ここが黄泉の国(あの世)への入り口です。その先は上り坂になっていて林の中に細い道が続いています。後世の方々が設置したものでしょうが、なにやら冷気ただよう神霊スポットの様です。




 ここは映画「瞬」の舞台になったところでロケ地としても改めて注目を浴びています。私は映画を観ていないので詳しくは分かりません。案内によると主人公、泉美(北川景子さん)が亡くなった恋人、淳一(岡田将生)にもう一度会いたいと訪れる場所で、生と死の境とされるこの坂で映画のラストを飾った大事なシーンを撮影したようです。
 黄泉比良坂は会いたい人にもう一度会える場所です。異界と現界を境する坂です。果たしてこの伊賦夜坂(いふやさか)はどんな坂と歩いて行きましたが・・・・意識チャンネルのキーワードが合わなかったようで上り坂から下りに塞の神がありあっという間に俗界に戻ってきました。


 神話で語られる世界は現実なのか架空なのか、作者の意図はどこにあるのか。それは時間の経過の中で改変、改竄されてきているのは世の常ですが、同様の内容が他の地、国に見られるとしたらその源流はどこにあるのか。日本に於いて縄文時代から弥生時代への変遷とは如何なるものだったのか。
 今、縄文回帰を言われていますが、当時の世界での倭(ヤマト)民族とユダヤ民族の関係を指摘する物が多々あります。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=50
 その中で、弥生はユダヤの大量の移民の流入で起きたものであり、イザナギとはイザヤ、日本建国の父と言われるスサノウとイザヤの二男マヘル・シャラル・ハシ・バズとを対比してそこに同一視する見解があります。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=67
 その事は追々検討してみたいと思います。

 次の目的地は松江市八雲町にある出雲の国一宮熊野大社です。御祭神は伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(いざなぎのひまなこ かぶろきくまのおおかみ くしみけぬのみこと)です。その意味は、イザナギの命が可愛がられた、神聖なる祖なる、この熊野に坐します尊い神、櫛御気野命で素戔嗚尊(スサノオノミコト)の別神名です。一言でいうと、御祭神はその様に称えられる素戔嗚尊です。素戔嗚尊について熊野大社では以下のように表記しています。

「ご神名は神格の本質を表しますことから、ご祭神の本質は人々の食して生くべき食物に霊威をみちびき、農耕生産の豊穣を約束して、人々の営む万般の生業の発展を保障され、人の世の繁栄と平和、人々の幸福をみちびかれる深厚高大な霊威を発顕具現されるところにあります。
 スサノオノミコトは、出雲の簸の河上で八岐大蛇を退治された神話に見られますように、人間社会を洪水の災害から救われて稲田の豊穣をもたらされ、人の世を和楽にみちびかれました。
 スサノオノミコトは不思議な霊威をあらわして成りと成り出づるものが豊富であるようにと世の人々を導かれたのであります。
 これは、人間社会につきまとう人間であるが為逃れられない不安と苦悩を取除いて、人間の営む社会生活の繁栄と平和をもたらされたということを意味しています。
・スサノオノミコトは人間の幸福を約束される愛の神
・スサノオノミコトは人間の願望期待に応えられる救いの神
・スサノオノミコトは身を犠牲にして他を救われる愛の神
・スサノオノミコトは人の世の幸栄のムスビの神
 スサノオノミコトに見守られています限り、人の世は立ち栄えるのであります。熊野大神の御神縁に結ばれる人々は、その御手振りに神習いまして、御神光があまねき世に輝きわたるように神意奉行を尽くさせて戴きたいものであります。」
 最高の表現で祭神の素戔嗚尊を褒め讃えています。大社造りの本殿に祀られていますが、原始は神社の正面の「天狗山」(出雲風土記では熊野山とあります)の山頂付近にある巨大な岩(磐座)があり、そこに祭祀されていて、その地は最高の聖地で「元宮ヶ成(げんぐがなり)」と言われています。そこに素戔嗚尊が埋葬されているとも言われています。
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-06-4susanoonosi.html




  熊野大社は火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)と呼ばれていて、10月15日に開催される鑽火祭(さんかさい、亀太夫神事ともいう)は有名です。この祭りは出雲大社の宮司が古伝新嘗祭の神火をきり出す火鑽臼(ひきりうす)と火鑽杵(ひきりぎね)を借りに熊野大社を訪れ、それらを出雲大社に送り出す神事です。 亀太夫と称する熊野大社の神職が出雲大社側が収める餅の出来栄えに難癖をつけ押し問答をする珍しいもので,亀太夫神事とも呼ばれるものです。
http://www.kumanotaisha.or.jp/main.htm
 これは熊野大社の素戔嗚尊から出雲大社が新嘗祭の神事に使用する大事な道具、広く言えば農機具を始め諸々を借りて国を治めていて、年に一度の収穫の状況を報告に来て収穫した穀物をお礼に奉納するものです。その時に問答して、また1年間使用を許可頂く儀式と言えます。その儀式が行われるのが鑽火殿です。
 熊野大社としては紀伊国の熊野三山も有名ですが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説があるようです。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが紀伊の熊野本宮大社の元であるとしています。
 日本建国の祖と言われる素戔嗚尊を祀る熊野大社をありがたく参拝しました。

2014年4月25日金曜日

299「須佐、雲太2」2014,4,24

 美保神社から次の目的地は伯耆大山の中腹にある大神山神社奥宮です。大山パークウエイを車は快調に進みます。正面に巨大に聳え立つ山陰地方最高峰の大山を捉え、左手に弓ヶ浜、美保湾、右に中海を観るビューポイントです。
 大神山神社奥宮は伯耆国二宮で御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)です。別名大国主です。この地は元々、霊峰大山を神山と崇めて、山岳信仰、修験の地であり、遥拝する為に拝殿が無いものから始まったようです。やがて奥宮が夏宮、里宮が冬宮と成ったようです。日本一長い石畳の参道を700m程登りますが程なく大山寺があります。参道わきにはまだ雪が沢山残っています。のんびり参道を上がりましたがよくも石を敷き詰めたものと感心しました。


  本殿も日本最大級の権現造りで、大己貴命に地蔵菩薩を祀り大智明権現として神仏混交の神社として祭られていたようです。明治になって地蔵菩薩を分離して現在に至っています。縁起、創建は定かでありませんが、かなり古く出雲風土記、延喜式に記されています。
 神社からは大山は見えませんが山登りの方々が本殿脇から登っていかれます。なぜここに大己貴命が祀られているのか些か疑問でした。

 大山を下って次は大山町の妻木晩田(むきばんだ)遺跡を目指します。この遺跡は弥生時代の国内最大級の遺跡で、九州の吉野ヶ里遺跡の5倍の規模で、古代出雲地方の中心地と考えられています。大山の山麓に弥生時代中期末から古墳時代に栄えた大きな国邑で集落跡や四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が発掘されています。桜が満開で丁度見ごろで丘を吹く風も心地よく、遠く美保湾、島根半島が綺麗に見下せます。



 かねてより、出雲地方にのみ見られる四隅突出型墳丘墓を観てみたいと思っていましたので、今回訪れることが出来て満足です。この墳丘墓は四角形で四隅だけが突出した、ヒトデのような形でこの地を治めていた王の墓と思われます。1世紀ごろから3世紀中頃までの墳丘墓が見られますが形体が少し変化して行きます。





 古墳としては大和朝廷の支配下での前方後円墳が有名ですが、それらは古墳時代3世紀から7世記に作られています。箸墓古墳、日本最大の仁徳天皇陵など有名ですが、前方後円墳体制とも言われる程、政権の政治秩序を物語るものでそれは全国各地にみられます。  
 それ以前の前方後方墳は東日本の前期古墳に多く存在し、中国・四国地方にも多く存在していて中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていたようです。
 四隅突出型墳丘墓はその前のものの様で、地域の祭祀のあり様、支配者によって変化して行きます。同型の墳墓がある地域はその時代に交流、支配が及んでいた事を物語っています。出雲での最大の四隅突出型墳丘墓は西谷墳丘墓にみられ、出雲平野を見下す高台にあり、出雲弥生の森として整備されています。西谷3号墓は東西の辺約40メートル、南北の辺約30メートル、高さ約4.5メートルという大きなものです。
 四隅突出型墳丘墓は出雲を中心に山陰、北陸、吉備津地方にみられ、その地にはこの出雲の墓制が広まっていたと考えられています。つまり当時は日本海の流通を出雲が支配していたといえます。
 更に墳墓への埋葬品もその時代や王の影響力を知るうえで貴重なものです。出雲は碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)、青色、紺色のガラス製の小玉や管玉が出土しています。
 今回は訪れませんでしたが荒神谷遺跡での銅剣、銅鐸、銅矛の大量の発見はそれまでの史実を大きく変換するもので、これらの発掘によって弥生中期、紀元前1,2世紀には既に出雲の地には青銅器文化が花開いていた事を物語っています。
 また、妻木晩田遺跡がもっとも栄えた弥生時代後期は戦乱の時代だったと言われます。その為に遺跡が高台に築かれ、周囲を環濠でめぐって砦のようになっています。古墳時代と共にこの集落も消滅してしまうのですが、その原因は大量の鉄でありヤマト建国の時期と重なっているのでしょう。

 妻木晩田遺跡から安来市の古代出雲王陵の丘に向かいましたがこちらも桜が満開です。丘からは中海を見下すことが出来て素晴らしロケーションです。ここも多くの古墳群が見つかっていて全国最大の方墳・造山古墳群を中心に各所に沢山の墳墓があります。


 ここは一番高い丘からの素晴らしい眺望を満喫しました。地の理を得て、さぞやこの地に眠る王たちはきっと己の偉大さを示し、この地、子孫、末裔の栄華繁栄を願っていたことでしょう。
 ヤマト王権が成立する前に明らかにこの出雲には巨大な勢力が存在し支配し、何らかの形でヤマト建国に係り、貢献していたのだと思いました。果たして出雲はいかなる存在で当時の日本にどの様な影響を与えていたのか、そしてスサノウの役割は、記紀神話、出雲風土記の世界はどのような意図のものだったか思いは増して行きます。

 安来市の有名な観光名所のもう一つは足立美術館です。少し足を伸ばして、ささっと見てきました。この5万坪の広大な日本庭園は11年連続日本一と最高の評価を得ている素晴らしいものです。庭園だけでなく横山大観を始めとして、日本画の展示も素晴らしく、入館者も大勢で沢山の外人の見学者がいてその人気ぶりが伺えます。




 こんな地方の小都市の郊外に誕生した唯一無二の空間は、創設者の足立全康氏の思いの結晶です。美術館は昭和45年秋の開館です。私が初めて出雲の地を訪れたのが46年の春ですからそれからの拡充は目を見張るものがあります。
 足立氏は91才で亡くなるまで自らの目と足で全国各地から植栽の松や石を蒐集し、庭造りに情熱を傾けたと言います。この地の貧農の子として育ち、事業の成功をみて故郷にこのような素晴らしいものを造られたのですから驚きです。6種の庭園の人工美と自然美の調和ですが、それはそれで素晴らしいものですが、私には大和農場の自然と人の織りなす世界の方が美しく思え、心に響くものがあります。

 古代出雲の世界から暫し休憩を取って、美術鑑賞に浸った後はまた古代出雲の神話の世界に戻りました。今回の旅で私も初めて訪れるとても興味深い、黄泉比良坂(よもつひらさか)へ向かいました。
 黄泉比良坂はあの世とこの世を繋ぐ境いです。イザナギ命が黄泉の国に先だったイザナミ命を恋い慕って追って根の国に向かいますが、そこで物語が展開して行きます。そのことは古事記など神話に語られる世界ですがその地がここ松江市東出雲町の黄泉比良坂です。

2014年4月23日水曜日

298「須佐、雲太1」2014,4,21

 出雲は私にとっては郷愁に近い思いを抱く地で、初めて訪れたのは19歳になって直ぐの大学の春休みの時でした。
 その日の朝、何故か熱っぽい体でふらふらしながら大社駅から参道を歩いて出雲大社を参拝したのですがほとんど記憶がありません。参拝して帰りにどうにもこらえきれずに、参道沿いにあった内科に駆け込んで診てもらいました。39度を超える熱で風邪のようです。医師にどこかで休んで安静にするように、旅行は中止しなさいと言われ薬を処方されました。
 前日宿泊した宿の相部屋の旅人が一晩中、悪寒で咳と高熱に唸っていましたのでそれが原因で感染したのでしょう。初めての地で心細く、今日宿泊予定のユースホステル(YH)に連絡して昼ごろに部屋に入れて頂き休ませてもらいました。お蔭様で2日ほどで回復し、それ以降の旅はキャンセルして数日連泊してYHの手伝いをして帰仙しました。
その時にペアレントのおじさん、おばさんの心遣いに心地良い思いを抱き、お世話頂いた感謝の気持ちでそれから休みになると長期に訪れてYHのヘルパーを楽しんだが我が青春の一コマです。
 そのYHは真言宗のお寺でしたが、私と同じ年の二男が高野山大學に学んでいましたので、空海の密教にも目を開かれたきっかけにもなりました。
 YHに滞在中には何度となく出雲大社、日御碕、石見銀山等を仲間たちと散策して山陰、出雲、石見の空気を心地良く感じて楽しんでいました。

 ヤマト王権、大和朝廷の成立にあたって記紀神話では天津神、国津神として天照大神とスサノウの関係が記されています。大国主神の国譲りでヤマト王権が成立しますが、果たして如何様な事だったのか、更に伊勢神宮と出雲大社の創建、あり様に些か良く分からない印象がぬぐえません。出雲は祟り神とも言われますが果たしてどうだったのでしょうか。
 やはりスサノウの存在を抜きに日本を語らません。その実像をもう少し深く知りたいとの思いを強くしてきています。そんなことで今回、東京出張のついでに出雲石見に足を伸ばして改めて各所を訪れて急ぎ足で巡ってきました。

 羽田始発便で旅立ち、米子鬼太郎空港には8時到着です。レンタカーを借りてまずは島根半島の東端にある美保神社を訪れました。空港から境水道大橋を渡り20分ほどで到着です。
 早朝で境内清掃されていましたが拝殿では朝の神様への奏上儀礼が成されていて、雅楽の演奏に巫女舞を拝見する幸運に恵まれました。



 美保神社の御祭神は大国主神の子の第一子の事代主神(ことしろぬし)と、大国主神の后で大国主神の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)と言われる三穂津姫命(みほつひめ)です。ですから祭神は義理の親子の神々です。
 事代主神は別名、ゑびす様で、漁業、商業を始め生業の守護神として崇敬されています。三穂津姫命は高天原から稲穂を持ち帰り農耕を導き始めた神様で農業、子孫繁栄の守り
 神様と言われます。姫命は高皇産霊尊の娘です。以下の事が記されています。

「『日本書紀』の葦原中国平定の場面の第二の一書にのみ登場する。大己貴神(大国主)が国譲りを決め、幽界に隠れた後、高皇産霊尊が大物主神(大国主の奇魂・和魂)に対し「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ」と詔した。」
 
 大国主神の正妻はスサノウの娘の須勢理毘売命(すせりびめ)です。事代主は大国主とカムヤタテヒメとの間に生まれたのですから事代主はスサノウの直接の繋がりはなさそうです。カムヤタテヒメの事はあまり良く分かりませんが事代主は大国主の第一子になっています。その事代主は国譲りの時に重要な役割を果たします。それについては以下の記載があります。
「葦原中国平定において、タケミカヅチらが大国主に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主は「承知した」と答え、船を踏み傾け、手を逆さに打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。タケミナカタもタケミカヅチに服従すると、大国主は国譲りを承諾し、事代主が先頭に立てば私の180人の子供たちも事代主に従って天津神に背かないだろうと言った。」
 しかし記紀の記載とは別に今では事代主は以下のようにみられています。
「大国主の子とされているが、元々は出雲ではなく大和の神とされ、国譲り神話の中で出雲の神とされるようになったとされる。元々は葛城の田の神で、一言主の神格の一部を引き継ぎ、託宣の神の格も持つようになった。このため、葛城王朝において事代主は重要な地位を占めており、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。」
この国譲りのあり様、正統性を今も以下の神示で後世に伝え、事代主の偉業として讃えています。
「かくて事代主神は多くの神々を師いて皇孫を奉護し、我国の建国に貢献あそばされた。 又神武天皇、綏靖天皇、安寧天皇三代の皇后はその御子孫の姫神で、国初皇続外戚第一の神にあたらせられ、なお古来宮中八神の御一柱として御尊崇極めて篤い神様である。
 当神社古伝大祭である四月七日の青柴垣神事、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事は、悠遠の昔、大神様が大義平和の大精神を以て無窮の国礎を祝福扶翼なされた高大な御神業を伝承顕現し奉るものである。」
 青柴垣神事については以下です。
「事代主神(えびす様)が大国主命(だいこく様)から国譲りの相談を受け、国譲りを決めた後、自ら海中に青い柴垣を作ってお隠れになったという故事に因む。
事代主神の死と再生がテーマで、大国主命の使いが相談に向かうくだりを再現した毎年12月3日に行われる諸手船神事と対をなす神事である。」

 美保神社は大社造りの立派な神社で二社の右殿に事代主、左殿に三穂津姫命です。大社造りの特徴で本殿屋根の千木(ちぎ)の端の切り方が男神は垂直に切られ、女神は水平に切られています。左殿が主祭神ですので三穂津姫命が上に祀られています。



 天津神の高皇産霊尊の娘の三穂津姫命は国譲りの後に大国主の監視役で嫁いでいるのですから、事代主よりも上位なのでしょう。

 先に触れたように、同じ大国主の子供の建御名方神(たけみなかたのかみ)は国譲りに反対しますが以下の記載が神話にあります。
「建御雷神(タケミカヅチ)が大国主神に葦原中国の国譲りを迫ると、大国主神は御子神である事代主神が答えると言った。事代主神が承諾すると、大国主神は次は建御名方神が答えると言った。建御名方神は建御雷神に力くらべを申し出、建御雷神の手を掴むとその手が氷や剣に変化した。これを恐れて逃げ出し、科野国の州羽(すわ)の海(諏訪湖)まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。この建御雷神と建御名方神の力くらべは古代における神事相撲からイメージされたものだと考えられている。なお、この神話は『古事記』にのみ残されており、『日本書紀』には見えない。」
 
 日本各地に神社は沢山ありますがその御祭神は多くは天津神と国津神に分かれます。出雲の神々を祀るものはスサノウ、大国主等で全国各地にあり諏訪神社は当然出雲神です。 美保神社は出雲の地にありますがどうやら天津神の神社の様です。今回は国譲りの所縁の美保神社から旅は始まりました。
 

2014年4月10日木曜日

297「フリーエネルギー4」2014,4,10

 真理を知らないでこの世を終わって行くのか。真理を知るか、心が変わった時点で死なない。その時、偉大な守護神が付いている。全ては必然で動いていて、たった一つの絶対なる法則で動いている。そこには偶然は無く、全ては必然だ。そこには死は無く、神は大事なものを殺さない。

 飯島は飛行機を操縦していて墜落したが、飛行機はバラバラだったが自分は傷一つなかった。しかし、どうでもないようなところで転んで大腿骨を骨折した。
 もし私に可能性があるのであればチャレンジしたい。今は相対的に見て動いていて、限られた時間で活動している。良い悪いでなく一つの使命で生きている。
 この世は遊びで、ダメだったらしょうがない。悔いはないので潔く諦める。しかしやらないで諦めるのは愚か者だ。笑っているだけで終わりだとしょうがない。やる事を続けて行くしかない。自分の戦いで、その場を作ったのも自分だ。今世の仕事として誰のせいでもない。
 一体感を持つものが助けるが、分離感のものは助けない。売られた喧嘩は買わない。必要なものを使う。それは欲望だ。やくざも国も喧嘩の規模が違うだけで内容は同じだ。そこには欲望を捨てられない分離感があるだけ。あなたが私、私があなたと分かっていたら出来ない。そこに嘘偽りがあればとっくに崩壊している。
 自分は神に生かされている。生かしてくれる主を怒らせて生きて行くことは出来ない。怒らせたら守護神は見捨てるだろう。自分の意識が神と同調しているので、自らの思いに忠実に生きる者を裏切らない。裏切る者は自業自得だ。
 自分の肉体は法則であり、神が管理している。自分の意識が法則に則った生活をして、自分を管理している。九死に一生も必然で、生かされている結果であり、それは心と意識が成しているものだ。
 一人のセルモーターよりも皆のセルモーターを回そう。話を聞くだけでなく、現場を見よう。動きが止まると虫が来る。完全に止まると虫は来ない。ガンが無ければ即死だ。

 楽器は吸引して音を出している。意識は波動で言葉も波動だ。微生物が動いているのが振動、波動。水素は形で、酸素はエネルギーで動かしていく力。
 原点から見る。水から生まれるから自らと言い、水子と言う。いのちが生れる時、精子と卵子がくっついて水の中で振動を起こす。
 意識が自分で、我として永続性に生きる者に死は無い。しかし、肉体は有限で肉体に生きる者に死がある。
 意味が分からないで唱えるもの空念仏と言う。字の意味を理解する。字は覚えてはだめで、チャンネルを変える事を覚えること。無限の電波にチャンネルを変えて合わせる。有限から無限にチャンネルを合わせるには自分から無限を出すこと。日常生活に無限を意識すること。そして自分を無限者と言い聞かせる。不死不滅の生命とする。そうすると出した物が入って来る。

 この世にはたった1個の聖書があるだけ。それを宗教と言う。宗とは宇宙を示すもので神を人様、微生物を神と言う。神は休むことなく働いている。我は神なりの意識。しかし分離があると喧嘩になる。どうせ意見が合わないならば、喧嘩しないで無視すると良い。
 許す、慈悲の心を持つことが出来たら立派だ。許す方が喧嘩するより勇気がいる。慈悲とは無視、無私と同じ。この世の言葉は最後は無しかない。極めた達人は無で無心で、人間はいないということ。つまり仏教という事。
 阿弥陀仏は宇宙を承知しているし、キリストは宇宙を承知している。宇宙を理解したのでミスターイエスキリストになった。ブッタ、キリストは宇宙神だ。
 全てにひとつの答えを見い出す。我々は微生物を食べている。生命と神は同じで、法則は神であり生物だ。形が違うということは微生物の数が違うこと。蚊と人間の微生物は同じ。土壌菌と人間の体内の仕組みは同じ。人間の微生物を増殖させるにはどうするか。同じなら何を持ってしても培養できる。

 ミクロがマクロ化した結果がガンになった。空間を埋めるためにガンになった。そこをミクロ化したら空間が無くなる。
 血液を培養する。それで透析したらOK。水を処理したら血液良くなる。食べ物を食べると水になり、血液に変わり、血肉になる。今の透析は汚れを処理しているだけで培養していない。
 大腸菌はどこで安定しているのか。乳酸菌が大腸菌へ変化している。セシュウムという微生物が変化してないのか。変化して違ったか形になり消える。
 炭が燃えているのか、エネルギーが燃えているのか。燃え尽きない火力発電できる。1日経っても炭が燃え尽きない。それはバイブレーションを上げるだけで出来る。そこに水をかけても火は消えないで水が燃える。火は空気が変換したもの。

 今の世の中は、エネルギー資源が欲しいので喧嘩をしている。宗教も争っていて、宗教も一つで無いとダメだ。エネルギー革命とは意識革命で、それを実証するしかない。公害を出さずに長生きできるもの、フリーエネルギーの原点、全ては意識革命に繋がる。
 上手くいかないのは欲望が原因だ。今年持つかどうか大変な時で、どうしようもない。大学の教授に水をかけて消えない火を見せたが反応はダメだった。もう今年変わらないとどうしようも無いし、何が起きてもおかしくない。
 1970年代の世界人口は30数億人だったが今は80億人を越えている。コメを収穫しないでほっておくと田んぼは全滅する。人間も刈り取られる時期で、どこで選ばれるか。それは法則に沿った意識かどうかだけだ。神は自由選択だ。生きるか、死んだ方が良いか。子孫に大事な考え、意識を残す事。正常な考えが残っていないと、次は地球が異常な事になる。

 餅屋は餅屋で必要なことをやって行く。縁してくっついたものはそこでやれという事で、数でなく少人数だからこそ出来るその確立が高い。専門は好きか嫌いかだけで良い。ノウハウ出す人、作る人、使う人、伝える人、6月までに何とか間に合わせることだ。
 明日終わるという確信があるならばやらなければ良い。まだ今、そこまで来ていないので出来る事をして行く。汚さない力、汚した物を綺麗にする。講演や実験はもういらない。これからは実践して行くことが最大の保険だ。
 良いものを集めてバイブレーションを与えて良いものを作って行く。意識革命だ。
講演会は止める。今年は兎に角やらないとダメだ、という胸騒ぎがする。時機すでに遅いが出来る事するしかない。今するしかない。賛同者がナチュラルに競って行くだけだ。縁があればくっつく。

 講演会は定時に終わりました。これから限られた時間の中で出来る事をやって行くしかありません。価値観を共有できる縁者と実践し、法則を伝えて行くことです。次回、仙台に飯島さんお越しいただける様でしたら、農場実践をしてみたいと思っています。
 医療者の研究会で具体的な実践法をお伝え頂ける可能性もあります。先ずは日常生活で法則に従い、フリーエネルギーを活用して正していきたいものです。


296「フリーエネルギー3」2014,4,10

 2日目のお話です。前日よりも参加者が少なくほぼ半数です。お話を伺うにテーブルの配置を変えて、飯島さんを囲む様にしてより身近で、密度の濃いお話を伺う事が出来ました。この機会を恵まれた方が幸運でした。


 今、新しいもの、新技術を開発した話をしているのではなく、根本的な基本的な底辺の話しをしている。
 微生物とは何かということだ。全ては微生物の定義が分からない。知らなければ知ってほしい。物質とは微生物が固まったもので、空気が固まったもので構成されている。
 他人がいない、というイメージを持てるか。同じものを吸っているが分離感を持つのが人間だ。万象万物に与えている一体感、これが分からないと分離感に成る。土と水と自分は違うのか。出した物しか入らない。得ようとしたもの出ていてゼロになる。一体感だから入って来る。
 イエスは、汝の隣人を愛せよ、と言った。しかしやる事、成す事、全て分離でしかない。実感できるか、他者を殺す事は自らを殺す事だという事を。自分の分身があなたで、あなたの分身が私という事を。他者が喜ぶことをして行くと増殖して行く。
 培養して微生物は増えるが微生物を作れる人はいない。微生物は集めて来るものだ。魚も微生物で、集まってこない時に撒き餌をすると集まってくる。微生物をそのようにして集める。それは人間も同じで、真理の撒き餌で皆さんがここに集まって来ている。
 農場で堆肥や土を自分と思っていない。人を呼び集めるのにどうしたら良いのかだけだ。100人の人を集めるのにその人たちが住んでくれるところ、その人たちの食べ物があるのか。微生物も同じで、この発想が微生物培養でも言える。居心地が良い環境を作ると繁殖する。

 ガンとは微生物培養が出来ないものを言う。培養できないと細胞が荒くなり、空間が出来てくる。肉体の中に空間が出来たら即死になるので、そこを埋めて行く。細胞同士が手を組んで異常細胞でその空間を埋めて行くものをガンという。ガンを治すにはその空間を正常細胞で埋めて行けば良い。連鎖反応で埋め、治していく。ペットボトルの仕組みで治せるし、どんな病気も同じ原理で治せる。
 虫を出したい時どうするか。空間を埋めて行くものを虫、害虫という。ガンも虫も同じで、害虫と病気は同じ。全て微生物でしかない。微生物とは微妙な生物のことをいう。目に見えないもので病気は微生物と同じで治すには穴を埋めるだけ。汚染も同じで空間があるから汚染がある。微生物を増やすのとエネルギーを充電するのは同じ。

 仏教とは何か。仏とは人がムと書くが人が無いこと。無とは宇宙を示している。元々人間はいない。微生物が固まったものが人間で、形に名を付けているが、本源は微生物で、それを神と言った根源の微生物がいる。形が崩れたものが病気で、微生物が足りないものだ。全て、宇宙は微生物の存在で、その大きさで名を付けている。それはレゴと同じだ。
 一番大事なものを与えること。物は無限供給できる。お金は物質を与える為のもので、物質を出してあげると返ってくる。それが物質化現象だ。お金も微生物であり、この世は全て微生物で出来ている。お金を集めるには撒き餌をし、お金をまくと必要な分だけお金が入って来る。不必要なものは腐って無くなる。動いていないと消えて行く。通貨とは動いていると入って来る。人間も動かないと腐って来る。真理は実践で動く事が優先だ。
 しかし自転車操業は逆サイクルでマイナス成長を遂げる。今の日本経済では1000兆円の借金は返せない。借金が消えて行くのが普通だが逆になっていて、根本が狂っている。消費税を上げたがどんどん足りなくなって行く。預金して利息が10%なら良いが逆に-8%で取られて行き、マイナス成長となる。
 意識を統一出来たら1000兆円の借金は返せる。世界が変わる。儲けや私腹を肥やすことに固執してどうするのか。それは人間社会、日本でしか通じないものだ。
 1億円やダイヤモンドよりも食べ物の方がありがたい。価値観が違う。この世界での価値観を共通、共有できるものを得る事だ。それは生命の永続性であり健康の仕組みだ。生命保険や損害保険で安心が得られるのか。最大の保険は永久性、無限性でフリーエネルギーで、悟り、法則だ。

 微生物を集めるのは簡単で撒き餌をする。培養の仕組みは同じで、それは国会議員もフリーターも同じだ。今の世の中は崩壊する定めを知らずにしている。このままで継続は考えられない。根本的なものは崩れて行き、それは今年中に起きるし、起こらないと困る。 
 ノストラダムスの預言はあたっていた。一つ目の白髪頭が立ち上がる、とあるが、それは白地にひとつ赤○の日章旗のことで、日本人が立ち上がる。日本人がケツをまくったら完全に変わる。ひっぱたいても怒らない人種が日本人だ。しかし一揆をすると勝つのは真剣だから。
 今の政治は崩れて行く。法則で潰れて行く。それは今年起こるし、起こらないとおかしくなる。起こった後に導けるもの、上手に変換できるものを作っている。それが養殖であり農業である。
 自分が何をしたいのか、自分が動かないとエネルギーが入らないし、動く力がエネルギーだ。空気を吸う事は微生物を吸っている。正常な微生物なら良いが、今の世の中、ここには異常な微生物がいる。
 お金と権力を持っている人が進めているのでこの状態が止まらない。潰れるのを待つしかない。こちらのやり方が得だと見せて行きたい。それがいっぱいあるが、その作り方を教えているが誰もやらない。私(飯島)の今世の仕事だ。今やらないといけないものを公に出して、役に立つことをして行く。
 水、空気等汚さない。魚の病気が無い、水の病気が無い、人間の病気が無い、ロボットの病気が無い。人間はロボットで、自らが動く物でなく、エネルギーが入らないと能動しない。意識、心、良心をエネルギーという。
 意識エネルギーは自分が持っている思い。心がエネルギーで意識がエネルギー。それが増殖するものか減少するものかだけだ。この世に善悪は無い。全ては空が転換して行くものでしかない。
 ケミカルな薬は増殖を止めてしまう。それは治ったのでなく一時的変化で永続性がないもの。使えば使うほど放出が続き、死んでしまう。良く成ったら止める。
副作用が出ない薬がナチュラル。短気なものでなく寛大なもの、微生物を使う。その餌を置き、与える。吸引型の空気を入れると寛大なものになり、放出型だと短気になる。

295「フリーエネルギー2」2014,4,9

 エネルギーを充電して行く。まずは家庭から世界を変えて行く。自分の幸せを出していき、家庭から幸せを出していく。サイクルは正常サイクルでないと永続性がない。
 正常サイクルを自然といい、異常サイクルは不自然で逆サイクルをいう。不自然は崩壊して行くもので、今、地球は不自然で存在している。それを自然に戻していくことが必要で、まず、家庭から自然な生活に戻していく。その事を生かされている限りする。そこで何が出来るか。先ずゴミを出さないことだ。
 今は治癒力より汚染力の方が強くて、ケミカルな状態だ。人間は偉くない。汚れを出さなければ地球生活をして行けるが、今は汚れを出している。放射能やPM2,5等、今の状態を分からずに、それを止めて、ケミカルをやらないようにしよう、としない人はもうほっておくしかない。彼らは原発を止める気もない。
 原発の電気を使うとそこには放射能が出ている。デジタルテレビは電波として最悪のパルス系の波を出していて、非常にキメが荒く、人間は悪影響を受けている。正常な考えでないと便利を得られない。ナチュラルで構成される社会で自然が返ってくるし、人間社会の永続性が得られる。しかしケミカルでしていくと永続性はない。このままだと20年位が限界。しかし今は、今年持つかどうかすら分からない。お金を持って権力を持つと明日はない。
 大きな保険で必ず100%守られる物は何か。それはこの原理に沿った生き方をすること。金融崩壊、環境破壊しても生きながらえる。サリンすら大丈夫だ。宇宙は絶体なる永久運動をしている世界であり、無限を理解して、無限意識で生きること。
 どんな暗闇も灯に勝てない。エネルギーが注がれると闇は消える。人間の心も同じで灯を燈す。そうして楽しい生活を送るだけ。物を得る生活ではダメ。苦しい時程、意識を出す事が大事だ。死んだら楽になるのではない。あの世は死んだ時の状態、そこから始まるのでもっと大変だ。今、苦しくて死ぬと次はそこから始まることになる。
 この世界が夢です。あなたは向こうの世界で寝ている時にこちらで起きている。こちらで肉体が寝ている時に意識はあちらに行っている。周波数が違うので夢が消えて、記憶が無くなる。記憶しているなら死が無いことを知る。
 瞑想をするとそれを体験できる。起きていて何も思わない。意識を動かさないと記憶は消えない。寝たら幽界へ行くので記憶が消えている。意識を動かすと肉体が現れる。動かさないと霊体、0で、そこは動いていない。0を境に意識を動かした分、逆に動く。意識を動かさないと神と融合して、宇宙全部を実感する。そうすると人生観が天生観に変わり実感する。その意識から日常生活を生きること。そうする中には連作障害はない。

 これまで不可能と言われることにチャレンジしてきたが、原理原則に間違いはない。まだ出来ないものはあるがそれは確かだ。
 実証が人の意識を変えることが出来る。見て分からないとしたら後はしょうがない。一人の力ではどうしようもないので、皆の力が必要だ。自分の使命を果たすこと。全我を使っていくのが使命で、いのちはたった一つのもので、それが皆を生かしている。この空のいのちが生かしている。
 本物は形体から来ない。メッセージは五感から来ないで直感から来る。五感から来るのは幽界のもので、それをどう見抜くか。本物に五感はない。ゼロで五感のものは偽物で、幽界からいっぱい来る。
 沖縄に行った時にお化けがいっぱいいた。沢山襲ってきて首を絞めて来たが、苦しいが絶対に屈しないで追い払った。サタンよ去れとはなかなか言えないが、お前とは遊ばないと言ったら幽体が消えた。形あるものに屈しない。
 物欲、色欲を捨てろは、形を捨てろという事で、物質に固執するなと言うこと。女性が悟れないという意味は物質に固執する者の意味だ。物質という女に、物質を構成するメカニズム、目に見えないものを感じる事。そこは分からない世界。
 想念は実現の母。全我から出したものは全部返って来る。それは物質化現象となる。そこでは何も欲しいものが無くなる。勉強とは原理に強く勉める事の意味だ。

 テレビは電気の強弱で形を作っているアニメーションです。中では何も動いていないが動いているように見えるウエーブだ。人間の車もそれと同じ。実体は動いていなでテレポーテーションして空そのもので、意識したところに現れる。
 肉体を動かすのは幽界レベルで、霊界はテレポートして電圧だけで動く。圧力だけで電流が無いので消耗しない。流れて無くなるもの、電流は無くなる。
 圧力は存在しているが、圧力の変化で普遍化をもたらすのがフリーエネルギーだ。テレビは電圧でしていて、人間は立体アニメーションで目に見える世界に本物は無い。その裏を見ないと本質は見えない。その意識で観る。
 全我からやって行く。瞬間移動は動いていないから起きる。意識がそこに行って形が付いてきただけ。意識は隠せない。波動を観ると丸見えで、オーラで見える。意識波動が光として出している。それに反応して指導霊が変わる。指導霊をチェンジして行くしかない。 
 原理に応じて圧をかけることで無限供給になり、終わりが無い。上には終わりが無い。成すがままに、考えないで、委ねて行く。何も考えないのではなく、レットイットビーの世界だ。
 雷が落ちても電流は流れない。ゼロになるだけ。出した物が瞬時に返る。アースしているのでなく地球から上がって来ている。
 肉体は存在していない。空気が固まったもので、この世の物質は全部気体に転換する。石も燃やすと空気になる。空があるから物質がある。空は無限だが形は有限。神は生命意識だ。
 電気は微生物、発電機は堆肥工場。電気を作る為に胃袋は堆肥工場で、バイオテクノロジーとして肉体は素晴らしい。
 神秘、奇跡はない。当たり前の世界で真理を知らないとそう思う。真理は物理で全ては一つの学問だ。
 焼き塩はギャップが大きい。もっとアルカリになり、エネルギーが入る。癌はエネルギー不足で焼き塩で良くなる。病気は意識の克服であり、肉体が良くなって良いはというのは有限止まり。なぜ治ったのか、そこからが無限へ行ける。エネルギーが入ったエネルギーに融合する意識へ向かう事だ。そうでないと単なるモノのレベルのギャップを求めるだけになってしまう。

 1日目のお話を終えて食事会になりました。遠方から参加の方もいて熱心に飯島さんにお聞きして、和気藹々の楽しい集いでした。

 翌日朝は、10時からの講演会前に飯島さんにテンメイ名取農場を視察して頂きいろいろな指導、助言を頂きました。
 パイプハウスは飯島さんの指導で既に完成していますが、今の課題は水耕栽培の実験装置の仕組み、装置組み立てです。O農場長は試行錯誤の課題をいろいろお聞きして改善点を明確に出来ました。多分これで装置も完成で来て、液肥などの問題もクリアできそうです。
 エネルギーを抜かさずに如何に引き込むか。水耕は自然で無い異常な世界を如何にして反転させるかです。今年は堆肥場の建設も予定していましたのでその作り方も指導頂けました。







 初めて名取農場に飯島さんをお連れしたのは2年以上前でした。震災後でまだそこかしこ瓦礫、船が散乱していましたがすっかり片付いています。そして私達の農場の畑、圃場、農作物の出来具合はどんどん良くなって来て素晴らしいとのお言葉を頂きました。何事も実践を通して学び、成長して行けると喜びを頂きました。やがて飯島さんに名取農場で農場実践勉強会を開催させて頂けるかもしれません。楽しみです。




2014年4月8日火曜日

294「フリーエネルギー1」2014,4,7

 4月5,6 日に飯島秀行さんの仙台での7回目の講演会がありました。前回から半年ぶりです。この間、今年の2月に「自然が教える農業のお手本」をテネモスネット、ご自分の会社から出版されました。海外に訳本を出してこの飯島さんの考えを拡げるためには自社で手掛ける必要があったようです。
小冊子「フリーエネルギー」は3月に作成されて皆さんに自らの本質を理解して頂くこと、意識を変えて悟りを持って生き、人生をまっとうし今の大変換にしっかり使命を果たして行くことが出来るように意図して作成されています。
まだの方はご一読ください。


 

 今回の講演会は内容はかなり濃厚でした。内容を何回かに分けて紹介します。

「エネルギーは出さないと入らない。エネルギーは自分で行動を起こさないと入らない。自転車は走っていないと倒れるが、足でペダルをこぎ、自転車が動くことで支えている。
 この世の方程式は以下で表せる。
(X)+(Y)=0  X:作用、Y:反作用、0:法則、神、中性
X,Yは条件です。
 幸せになりたい、健康になりたいと思う人はなれない。そう思うとエネルギーが出て行くから入ってこない仕組みになっている。まず出すことで始める。
 永久エネルギーは常に出している。植物の病気はエネルギーが止まった時で、エネルギーが入ると病気にならない。虫がセルモーターの役割をしていて、虫を消毒するとエネルギーが低下する。
 日本経済は消費税を8%に上げて増税することでかえって借金は増えて、経済は終わる。得るものは出るのでそれは仕方がない。ある意味、これ以上経済が持たない方が良い。このままでは国民は奴隷になって行く。人口は増えて食糧は減り、税金が増える。日本経済はもう終わっている。目に見えた時には結果がドカンと来る。全てを生む力は生きるが、結果は生きない。

 お金は使っていくこと。健康とは健全な生活が健康であり、水や食べ物の良し悪しが出てくる。考え方が伴わないと物質の力が出ない。形を作って行くのはエネルギーでなく水の質料で出来る。
 水が質料、形でそこにエネルギー、動力、気が入る。人間の形体は水で出来るがそれは生きてはいない。エネルギー、意識が入って動き、生きる。ならば私をどちらとして生きるか。肉体としてか、意識としてか。
 肉体は病気になった試しがない。気、大気、空気、エネルギーから質料を観ると、エネルギー、気が病んでいる。肉体は10月10日で出来るが意識エネルギーが入らないと肉体が病んでくる。しかし病気が無いと意識は変わらない。
 何かする時に、気が進まない、という事が啓示といえる。本当に行ってはいけない、やっては行けない時に、出来ないようにしっかり止めが入る。意識エネルギーに忠実に生きる事がだいじで、自分の本質が分かっていない人は死人だ。
 エネルギーを出さないと入らないし、動かないものには入らない。自転車も走らないと倒れる。何か下さいと欲することは乞食をすることで、そこにはエネルギーは入らない。
今の経済を含めてこの世界は今年持つかどうか分からない。経済が壊れて行くことはありがたいことで、大地震や災害で崩壊して行くかもしれない。それだけせっぱつまっているのに動かない人は、エネルギーが入らない人だ。
 これからは養殖で安全な食料を速効的に得る実践をして行く。その為に時間を取られるので講演会等は出来ない。汚染処理よりもそちらを優先する。
動いているから生かされている。困った時の神頼みと言っても、頼んでも神様は動かない。自分が動かないと神は動かない。動くとギャップが出るので、ゼロに戻す力がエネルギーとして入る。神はエネルギーそのものであり、動くものと動かされる物は同居している。
 動く物は男、男には田を動かす力、エネルギーがある。女はひらがな、カタカナ、漢字の3つの要素で字が出来ているので、全ての要素を持つものが女。意識は男で、形体が女と言える。
 色欲を捨てろ。とは物質、形に固執してもエネルギーでないということ。しかし形体を無視してはダメで、形にこだわってはダメ。お金、ダイヤモンド、金も形で自分の想いで価値観が変わるわけでない。自分が率先してエネルギーを入れる事で、気配りしたものに入る。
 植物は無肥料で育つわけはない。エネルギーを与えないのに得られない。自然界は自ら肥料を与えている。栽培する時には肥料を与えることが必要だ。
 皆でやることでよりエネルギーが入る。健康、幸せ、お金が得られる為には自ら動くこと。自らの思いを出せない人が、何を得ることが出来るのか。求めるもの、エネルギーは率先して動くところに入る。先ず求めるものを出すことで、出さないと入らない。
 エネルギー高い作物を作るには土壌が必要。水耕なら水に質料の条件をあてがっていく。それが堆肥や液肥だ。畑には堆肥を与えると作物は元気になる。
 人間には料理だ。料理の仕方、御もてなしの仕方がある。土壌の意識と自分の意識は同じで、一つの意識。あなたが思っているのが畑の世界と同じ。あなたは自分の部屋に農薬まかないでしょう。畑の健康は自分の健康と同じでそういう意識を持つことが始まり。
温度もギャップです。花の開花の条件温度があり、温度が高いと開花として進む。人間にもお風呂のお湯の温度も体温より高い方がエネルギーが入る。温かい食べ物もエネルギーが入る。
 食べるとお腹がいっぱいになるので、圧を上げてエネルギーが入る。世の中には食べないで生きている人がいる。エネルギーのメカニズムが分かるとその場で圧を上げてエネルギーを身体に入れられる。エネルギーを入れられるようになるとお腹が空かないし、聖者は食べない。理解すれば空腹は消えて行く。食べて圧を上げるのは良いが、食べなければいけないという固定概念を持ってはダメ。自分はエネルギー体、意識体となると食欲は消えて行く。燃費が良くなっていく。エネルギーを意識して動くこと。セルモーターを意識する事だ。私は死なないと思う。死なない人は病気にならない。
いろいろ言うだけ言ってもダメな者はほうっておく。兎に角、実行する。
 肉体的な病気は治る。原因は精神が元で、自分が持っている常識をくつがえすこと。今の学校教育の内容は成りたたない。ニュートンの法則、オームの法則、光合成ですらそうだ。
 部屋の中でわさび栽培が出来るし、光のない中で新芽が出た。水槽でえびを養殖も出来る。全てこの理論で今実験して出来ている。エネルギーの入れ方の条件を変えて行くことで可能だ。そこから何が生きているのか見えてくる。そのような考え方を取り入れてやってみる。そこには意識が動いている。
 これからは皆が参加して行ける場にしていく。ほとんどの講演会は死んでいる。参加した人に、指名しないで各自が意見を出し、皆でそれをすると、エネルギーが増殖してエネルギーが返ってくる。双方向のそれを実践して行く。

 建物を建てる時に良くする方法はあるが、携わっている人の意識が一番強い。目的を明確にして圧をかけて行くと建物が光る。物質を売るには意識を上げて行く事。どんな汚染でも意識圧を上げて行くことで消えて行く。波動を高める。意識、思いは日常生活に現れてくる、生活に現れていないのは意識に問題がある。意識の上には、意識の高さには終わりが無い。永久性のものに隠し事は無い。今、一番大事な事を話している。
物体を有限エネルギーとしたら後はもたない。エネルギーは無限性であり、無限のものを人にあてがって、あてがった自分が損をするか。する訳が無い。相手に与えたらあなたに何かが返ってくる。あなたは有限が欲しいのか、無限が欲しいのか。出した物が返ってくるのが法則だ。
 今の世の中で出るもの、話はほとんどみんな良い話ではない。テレビで流れるのも悪い話だけ。悪い話をすると悪いことが返ってくる。この増殖作用が人間界の常だ。良い話は無限。悪い話も無限で、悪い話が増殖するとそれは地獄だ。この世は最低次元で、この世でまっとうできないと又この次元に帰って来る。つまり輪廻転生をすることになる。人間を脱皮することを目指す。人間も脱皮すると美しい。
 食べ物は個体から液体、気体へと変わる。燃料も石炭から石油、ガス、そしてフリーエネルギーへ変わって行く。人間の意識を脱皮したら殺されることは無い。恨みを晴らそうと藁人形に五寸釘を打ち付けるが、その呪いは人間を脱皮したら効果ない。
 存在は周波数が違うので人間と霊界は違う。あなたが全我のチャンネルに合わせると全知全能になる。それは全てを知り尽くしている事だ。個人のローカルチャンネルでは分からない世界だ。ローカルチャンネルは個人意識で、個人のレベルのもの狭い範囲のものしか受けない。全我であれば全てを受けられる。しかし皆さんは受けようとしていない。受けるには全我の電波をだすこと。宇宙即我なり、悟りの境地で、そこでは全てが叶うので欲しいものはない。世界中の仕事をすると世界のお金が入って来る。信用だけで現れてくる世界だ。
 トヨタは機織りから自動車製造に変わったが、創業者の夢は凄いものだ。1920年代に車を作りに挑戦し、失敗を続けているが、その発想力は凄い。信念を貫いて、想念が現実に現れてきて世界一になっていく。しかしそこで一番大きいミスを犯している。人間界で世界一になったが地球を破壊している。精神をナチュラルに変えて行かないとダメだ。走った車を飛ばすような意識の変換が必要だ。
 皆に結果を見せるもので、不可能と言われる物を可能と実証して行くことだ。見せるには大きなものが良い。方法論、原理を応用して行く。仙台でも出来る事をするし、場所を選ばない。

2014年4月1日火曜日

293「音響5」2013,4,1

 4月1日、今日から新年度が始まりました。消費税が8%に上がりましたが、昨日までの春の嵐、強風、雨も上がり、今日は快晴で春の陽気です。世の中の変化を象徴する姿でしょうか、過ぎてしまえばなんという事も無く予定調和で、大いなる意図の流れで進んでいく。全ては直感で為して後はお任せ、任天です。
 4月は、はせくらみゆきさんによると「変革と強い意志」がテーマの様です。特に4月29日の新月は日食になりますので、大きなエネルギーの変化が起きそうです。

 昨日のメンバーミーテイングは天命舎での夕食、歓談の後に、オプショナルでチョコレートフォンデュウをホシヤマコーヒー店で楽しく頂きました。お店のメンバーには誕生月のプレゼントがあります。今月は私に招待状が来ていましたが、3月31日まで有効期限で、その最終日に行ってきました。
 果物、パン、マシュマロをホークで刺して、チョコレートの融けた鍋に入れて頂くのですが、美味しいコーヒーとマッチしてなかなかな味わいでした。当然皆さんお喜びでした。

 31日は新月でしたので善き日に思いを満たし、新たな始まりへ向けて皆さんと楽しい時間を過ごせました。

 そして今朝は早起きして、6時から倫理法人会のモーニングセミナーで、健康に関して真向法、座禅断食を紹介するお話をしてきました。お蔭様でまずまずの反響でした。

 さて前回まで、中山博さんの仙台におけるあわ歌会の内容を紹介しましたが、今回も今後に係る大事な事について触れてみたいと思います。
 キーワードは宮沢賢治と支倉常長です。

 「音響4」でも賢治の事に少し触れましたが、6月7日からの旅で賢治の所縁の地を巡ります。賢治が奉職していた花巻農学校、現在の花巻農業高校に羅須地人協会の建物があります。 
 そこにこの3月迄勤務していたKさんは賢治と妹のとし、と縁がある方の様です。天命塾と繋がりを得て、学びと体験の中で自分が持っているものに気付いて、自覚を持って活躍するようになっています。導きは、はせくらみゆきさん、みつゆきさん、神人さん、中山博さん達です。そしてこの四月から10年数年の長期勤務から転勤になり盛岡市の学校に移ります。
 そのKさんが仙台のあわ歌会の15日に参加頂きました。その時のお言葉です。
「お頼み申す。
 あなた様の住まいするその地にある大きなる磁気 発なつ地を訪ねて頂きたし。
 この後 巡る事となりましょう。写し行く行く光を。」


 これは、岩手の地で大きな磁気を放つ地をあらかじめ探して訪ねてほしいという事です。6月の旅で巡る事になるのでしょう。
 賢治の所縁の地で私は直ぐに、矢巾町の南昌山が思い浮かびました。3月初めに私も下見に行ったのですが、まだ雪に覆われて道路は通行止めでした。いろいろ中山さんと話している中でどうやらそこの様です。そして、Kさんの今度の勤務地は盛岡市の南西で矢巾町との境で、南昌山に10数分程の近くにあるのです。
 これまでKさんには御願いして、花巻市の賢治記念館のある胡四王山に鎮座する胡四王神社に毎月参拝して、あわ歌を響かせて頂いていました。そして、今度は南昌山です。もし、推理が正しいとすると、何とも驚きです。新しい転勤先も何らかの存在の計らいでしょうか。

 3月29日に盛岡市で開催されたあわ歌会にもKさんが参加して拝受しましたが、その時のお言葉は以下です。
「さても嬉しき事なり。
 夢踊るこれよりが参り来りて、あなた様が結びてくださり、繋がり行くは、真の知らせを現す時ぞ。
 降り来る光と、湧き上がる地の気、嬉しき方々集いくる。」


 嬉しいお言葉です。Kさんのお役目はありがたいことです。天から降り来る光と、湧き上がる地の気、そこに集う嬉し気の人々。天地人の大いなる和することで真の知らせを現す事に成りそうです。

 中山さんに26年2月5日に以下のお言葉があったようです。
「カタカムナ、その文字通して現すは、この地の磁気を活かし行く大事なる方法なり。
如何なる場所にその場があるか、是よりこの地球の全ての場にて現され、ここより発する地磁気が大きく皆に係ります。」
 実はKさんから以前に賢治とカタカムナの資料を頂いていましたので、ここでも繋がっている事に驚きです。先ずは私も雪解けを待って南昌山へ行ってきます。
 6月6日の大和農場での儀式の後の日高見・アテルイ・賢治の旅はとても楽しみです。

 3月20日に石巻に中山さんと行き、常長が出航した月の浦であわ歌を響かせましたが、その時同行したWさんも大きな役割を頂いています。
 3月1日のあわ歌会に頂いたお言葉です。
「大いなるかな、この度のあなた様のお役目、滞りなく見事に果たされ行かれませ。
 来る時、お訪ね頂きて、紫に家紋の旗持ち来りて下され。」


 この来る時とは、4月8日からの中山さん達のスペイン旅行の事で、Wさんも参加するのです。その家紋は直ぐに、丸に十と九曜紋と分かりました。Wさんは早々に紫の布に家紋を縫いつけて旗を作られました。



 そして15日からのあわ歌会にも連続して参加して拝受を頂きました。その時のお言葉です。
3月15日
「やれ 嬉しやな。いよいよ始まる是よりは、永きにわたる諸々の思いを明して、
 方々、共々参り行くは嬉しきなり。この北の地より南へと結びてまいる。」

3月16日
「あなた様への伝えを望む古き人、ここにあり、出でます。
 如何にも、ここに在りてこの事伝え致すは嬉しきことなり。
 遙かなる地を臨み見て、大きなる海 越え行きて、尽くして参りて、彼の地に留まりたり皆々様の真の奉仕を受けて、彼の地にあり。
 再び、その御霊 持ちたる方々と逢いみまえ、大きなる真を打つはありがたき。
 控えてここに、皆々様あります。(拍手)
 伝えをこの時成したるは、大きなるこの地の変化に係る大事ゆえ。
 ありがとう。」

3月17日
「あい なるなり。この大きなる地の、日出でるところより、日沈むところへ光を繋ぎて、新しきへの道開くは、この地球への大きなる、あいを届ける事。お頼み申す。」


3月20日
「この度は、大きなる旅、くれぐれもお頼み申します。
 揺るがせぬ様に為さり、行かれませ。
 光りは降り来て、その身と共なり。
 深き思いを出だす事となり、そのまま素直に表し、行かれて参りませ。
 皆々が助け行きます。」

 常長と同行して彼の地に残った方々がいて、その御霊とも逢うようです。日が出でる東の地と、日沈む西の地を繋ぎ、あい(天意)を届ける大きな役目をWさんが果たす旅です。Wさんは鹿児島県出身で島津家の家紋、丸に十とご縁があり、御主人が宮城県、涌谷伊達家に所縁の方で家紋に九曜紋があるとのことです。何とも不思議なご縁、お役目で、大いなる意図を感じずにはおれません。


「音響3」で触れたように、3月20日に月の浦であわ歌を響かせた時に頂いたお言葉は以下でした。
「訪れたる彼の地は大きなる光を持ちてありたり。この東にある元なる光と、西にある光を結びて、この地球の全てに光が回り行きたれば、この地球、この宇宙変わりて新しき。
 今、皆々様が取り掛かりて成し行くは、この大きなる仕組みを動かすものなり。響かせて光を動かして、大きな嬉しきへ参りましょうぞ。」
 そして以前、25年10月27日に犬吠崎で中山さんに以下のお言葉がありました。
「さあさあ、この東のはずれは是より西のはずれとしっかり結び、繋がりて、海動くその時に、地を守り、人守り、皆々の新しきへの道開きませ。共に参りて、嬉しきへ。」
 このお言葉と繋がる内容です。西のはずれはポルトガルのロカ岬です。

 締めはやはり以下のお言葉です。
「ヨイ ヨイ ヨイショ ドッコイショ 
 歌いて 響けば岩を貫き、海は輝き、光を繋ぐ」


 歌って、音を発し、響かせることが必要です。私達の音響で、宇宙の情報が同調、共振、共鳴してこの地に拡がるようです。
 大いなる和をめざして、Kさん、Wさんやその他の皆さん各自のお役目を楽しく果たして頂く事が大いなる意図、目的達成への多層多重多次元に仕組まれた計画なのでしょう。 
 中山さんの7か所70日全国あわ歌会、スペイン旅行を通して、縁者の皆さんが役割を果たしていかれることを念願しております。