2022年4月24日日曜日

2677「幸せになりたいのに」2022.4.24

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月16日の「幸せになりたいのに

と2022年04月17日「病気を手放さない人」の2つの記事を紹介します。


「幸せになりたいのに」


今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。 

なかなか自分の心を自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので 

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時 

このような困難に会うと

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります

ですが、そのような時こそ、本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。 

なぜなら、自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、その途端に運命は大きく開けるからです。


行動にまで移すまでもなく、決心しただけで変わります。 

では、そんな心のクセの一つを

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。 

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元


・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう? 

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう? 

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。 

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。 だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。 

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、要するに、「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、いつも心穏やかに生きていくことができます。私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。ストレスの少ない生活をしています。

 

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。 

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。 

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了>

  

自分の周りで起きる出来事が

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない 

そのように口に出さなくとも、不平、不満、愚痴を心に抱けば 

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり 

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。 

感謝の心が無ければ、神々の恩寵は届きません。 

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。 

斎藤一人さんは 

色々な問題や障害が起こってくるのは、自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・ 

知らせるために起こっているんだよ。

そう教えてくださいました。 

私たちの心とはそのように、その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。 

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。

 


「病気を手放さない人」


今日は「病気を手放さない人」ということで、

元春日大社宮司で、形成外科医だった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

全ての病気がそうだとは申しません。 

敢えて病気を選んで生まれ、魂の目的を達成しようとする方もいらっしゃるからです。 

ですが、お医者様である、葉室さんの仰ることに、当てはまる方も多いのではないかと思い、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

 

私はいつも、患者さんの気持ちを神様に対する感謝に向けるようにしています。

それによって、自分の病気のことから、神さまの方に心を向けられ、

 やがては、病気が良くなっていることに気付くようになるからです。

神社では、神様に「健康にしてください」とご祈祷においでになる方が多いようですが、 

しかしこんな方は、なかなか神さまのお恵みを受けることができません。

なぜなら、「健康にしてください」ということは、自分が病気だと思っている現れだからです。

 <中略>

「神さま、健康にして頂いたありがとうございます」と

感謝をするのが、本当のことなのです。

心を放てば神さまのお恵みがいただけます。

いつも心に病気をつかんでいる人は、病気になりやすく、 

逆に、すべてを良い方向に考え、感謝をしている人は病気になりにくいのです。

<引用終了>

また、病気と感謝の心について、こうも仰っています。

 

<引用開始> 引用元

人間がいちばん嬉しいのは、人に認めてもらうことです。

反対に、一生懸命やっても誰にも認められないというのは悲しいものです。

これはなぜでしょうか?

科学で証明されないものや、目で見えないものは信じないなどと言う人がよくいますが、 

この宇宙には、絶対に、永久に見ることができないものがひとつあります。

それは何かというと、自分自身です。自分という人間は永久に見ることができません。

鏡や写真などに映して見てはいますが、あれはあくまでも影を見ているわけです。

自分はどんな顔をしているのかも分かりません。

自分自身を知ろうと思えば、他人から見てもらうしかないのです。

もしあなたが女性であれば、「きれいですね」「若いですね」と言われれば嬉しいでしょう。

それは、自分では自分のことが分からないからです。

男性は、「素晴らしい」「立派だ」といわれると、ああそうなのかという気がして嬉しくなるでしょう。生き生きした気持ちになると思います。

これと同じで、人間の身体の細胞一つ一つもみんな生きています。

ですから、認めてあげることで、やはり非常に生き生きとしてくるのです。

この体は、生まれてからずっとこの何十年一秒の休みもなく働いてくれています。

この体に生かされているのに、

ご主人さまが一向に褒(ほ)めてくれないとなると、細胞も怒ります。

もう力が出なくなってしまうのです。

ですから、一つ一つの細胞を、「素晴らしいね」と認めてあげて、感謝してあげる。

これが健康の本当の基本です。

私は、健康のために、感謝の心を込めて毎日、頭から足の先までをなでています。

私は医者で体全体の構造を知っていますから、頭をなでながら、

毛髪、皮膚、頭蓋骨、脳と次々に「ありがとう」と感謝していきます。

五十肩という病気があります。

なかなかなおらないので不平をこぼす人がいますが、

そんな人に「あなた、肩に感謝したことがありますか」と尋ねると、びっくりするのです。

長い間、ものを持ったり、支えてくれたり、いろいろと働いていてくれているのに、

ご主人さまがちっとも感謝してくれないので、肩の細胞が怒っているのです。

それが五十肩です。それで、「まず肩に感謝しましょう」といっているのです。

感謝するとなおってきます。これは本当の話です。 

<引用終了>

  

これと同じことを、斎藤一人さんや、昭和の魂の巨人、中村天風さんも仰っています。

要するに「病気という意識を手放す」ということなのですが、 

でも、「言うは易く行うは難し」かもしれませんね。 

簡単に言うと 

・病気であることを忘れてしまう

・好きなことに没頭する

などで、病気にフォ-カスしないこと、意識を向けないことです。 

意識を向けないことで、病気にエネルギーを与えないようにします。 

エネルギーが与えられないもの、つまり誰からも意識されないものは、 

病気に限らず、存在することができなくなるからです。 

マザーの言葉を思い出します。

「愛の反対は、無関心」 

人も、神様も同じ。

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。