2022年4月28日木曜日

2681「地球の旅」2022.4.28

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月20日の「地球の旅」と

2022年04月23日の「信じて祈ること」の2つの記事を紹介します。


「地球の旅」


クラリオン星から転生してきた小学校4年生の久松奏拓(ひさまつ・そうた)君

彼は、生まれる前の記憶や、故郷の星クラリオン星のこと、神様のことなどを明確に覚えたまま、ここ地球に転生してきました。地球人の意識レベルを一気に上げるために最近はこういった星の子供たちが増えてきたようです。


生まれる前の記憶を持つ、沢山の子供たちと同様に彼もこう言います。 

・障害を持って生まれてくる。将来の障害を計画して生まれてくること

・それは凄い幸運なこと、喜ばしいこと

・障害を持って生まれてくる確率の方が大分低い

・障害という大変な経験をすることで、物事をいろんな角度から見れるようになったり

・他の人にはできない学びが一杯ある

・わざわざ、その苦労を分かって、それを魂的に楽しむために生まれて来た

この今世で経験すること、会う人、別れる人、

出来事は全て神様と生まれる前に計画してきたことなのだそうです。 

そしてこうも言います。

生まれる前に立ててきた計画は、生まれた後に、変えることはできない。

これがどういうことかと言えば、

例え自分で経験がしてみたくて立てた計画 

・病気、貧困

・裏切り

・窃盗、殺人

・成功、失敗

・出会い、別れ、死別 

このような経験が、辛くて、苦しくて、、やっぱり計画を変更したい・・ 

そう思っても途中で変更することはできない。投げ出すことはできない。

そういった意味になります。

肉体ではなく、私たちの魂は、永遠に存在する生命体であります。 

この魂にとっては、

・生きるも、死ぬも

・殺すも、殺されるも 

人間が思うほど、大きな出来事ではないようです。 

魂にとって死はないのですから、一つの経験にしか過ぎないということです。 

そのことによって、魂が曇ることもないし傷つくこともない。 

だから、魂は、いろんな体験をしてみたいと思うようです。 

その行為を神様も、良いとか悪いとか、決してジャッジしません。

このことは、今生まれてきている沢山の

高い意識を持ったまま生まれて来ている子供たち共通の認識のようです。 

魂にとっては、時間と言う概念さえもありませんから

長い期間とか、短い期間と言うことさえありません。 

源信が『往生要集』の中で紹介した地獄のありさまも、

魂にとっては、肉体があった時の延長の一つであり、 

意識がまだ肉体に縛られたまま、信念体系領域に縛られている間に

死後、経験する一時の出来事であるのでしょう。 

魂が肉体を脱ぐことで、だんだんと肉体に付随していた

感情や、信念となってしまった意識が薄れるに従って、

徐々に魂としての本来の状態に戻り、 

どんな出来事も、どんな大きな感情の波も 魂を傷つけることはできない。。

単に魂にとって、未知の領域を経験しただけ。。 

そう気づいてくるのでしょう。 

私たちが、今経験している出来事は、 

色んな感情を伴い、私たちに、まるで襲い掛かってくるかのようです。 

それは、苦しかったり、辛かったり、悲しかったりするかもしれません。 

ですが、生きている間は逃げることはできません。

計画を変更することはできません。 

今感じている感情こそ、

私たちの本来の姿、魂が、経験して見たくて、

その出来事を、自分の人生のタイムラインに埋め込んできた出来事です。 

そこには、良いこととか、悪いこととかの区別はありません。 

ただ辛く苦しい経験からは、より大きな果実が実ります。 

魂の飛躍的な向上が見込まれます。

何も辛く苦しいことの起こらない、単に平和で、楽しいだけの人生からは、

魂にとっては、あまり身になる経験は得ることができません。

ある程度、進化した魂にしか、辛く苦しい経験は与えられません。

今苦しい経験をなさっている方も、どうぞ勇気を持ってください。

神さまに見込まれたのですから。 

そしてその辛く苦しい経験こそが、私たちの魂を高みに連れて行ってくれるものです。 

泣いたり笑ったり、苦しんだり楽しんだりしながら、

この宇宙で、唯一感情を味わうことのできる

地球の旅を楽しみたいものですね。

 



「信じて祈ること」


今日はまず、斎藤一人さんの次の言葉をご紹介します。

<引用開始>

 

もし身近な人が苦しんでいるとしても過剰に心配しなくて大丈夫。 

それよりも信じてあげること。 

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と、 

祈ってあげると良いですね。 

祈りっていうのは愛だから。 

<引用終了>

 

私たちは誰もが、神様の分け御霊を頂いた生命体です。

全ての生命体には神様の与えてくださった役割として、 

・他の役に立つこと

・他と調和して

・宇宙の生成発展に寄与して、それを維持すること

と言う役割があります。

その大きな役割の中で、生命の進化の過程で、今人間として生まれて来て

動植物含め、全生命体の調和の調整という役割が与えられています。 

そして自らの魂も進化させるために、この3次元地球に肉体を頂いて、今生きています。 

その目的を果たすために、いろいろな舞台が用意されています。

それは、一人一人全部違います。 

交わる部分もあります。 

深く交わる部分は、家族や恋人、友人などの役回りかもしれません。 

ですが、私たちは、他の誰かの人生に決して介入することはできません。

例え親子、家族であっても・・

人それぞれの魂の目的が違いますし、その方法論も違います。 

「良かれ」と思っても、決して自分の思い通りに人を動かすことはできません。 

でも心配することはありません。 

全ての人は、それぞれが、神様と約束し、この地上に降りて来ました。

  

私たちがそうであるように、その人も、常に神様に守られています。 

人間の情の部分からすれば、 

親なんだから・・・

家族なんだから・・・ 

と、どうしても、自分の価値観で口酸っぱくとも、アドバイスしたくなりますし、

思いが伝わらなければ、怒ったりもしたくなります。

ましては、生死が関わるとなれば、なおさらです。

ですが、たとえ家族であろうと、

その魂の目的や、魂の欲求を無理やり変えることはできません。 

別個の魂だからです。 

彼らは彼らなりに、今回の人間の人生をかけて、、この方法ではうまくいかない。 

そんな学びを一所懸命、苦しみ、悲しみながら、命がけで学んでいる最中かもしれません。

神さまの目から見たら、肉体の生死はあまり関係ないようです。 

永遠の魂の方を見ているからです。 

必要があれば、今回の人生の教訓を

直ぐに生まれ変わって、次の人生のステップに生かしていくことでしょう。 

その時は、もう、親子関係などなく、赤の他人としての人生を歩むかもしれません。

先ほどご紹介した一人さんの言葉には、このような意味があります。

 

感情は、生きて肉体を持つ間にしか生まれません。

 

私達今生きている人間にとっては少し薄情(情が足りない)に思えるかもしれませんが、 

きっと、一人さんの仰っていることは真実だと思います。 

情の目で見れば「かわいそう」な出来事かもしれませんが 彼らの魂は、その過程を楽しんでいるかもしれません。 

何者も、どんなことをしても魂に傷をつけることはできないのですから。 

一人さんの言うように、それよりも信じてあげること。

「今、神様の愛によって、全てがうまく行っています」と祈ってあげると。 

きっとこちらの方が魂的には本質的で良いことに思います。 

彼らが計画してきた、この地上での苦しい、悲しい経験が、 

その目的を達成することで役に立つのであれば、 

周りの親しい人々は、信じて祈ってあげる事。 

彼らの心願が成就すること。 

を祈ってあげることが本当の愛かもしれません。 

晴れて彼らの心願が成就した時、その魂の目的は達成されたのですから、 

その手段だった、彼らの悲しみ、苦しみも、記憶の遥か彼方に消えてなくなってしまうことでしょう。

  

その時こそ、生まれて来た時に持っていた、本来の魂の輝き、神々の光が現れてくる時です。