今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月04日の記事を紹介します。
「夭逝する子供たち」
皆さん「夭逝」(ようせい)と言う言葉聞いたことがありますか。
年が若くて死ぬこと と言う意味です。
スタジオジブリの「風立ちぬ」の主題歌は荒井由美さんの「ひこうき雲」でしたが、
これは夭逝をうたった歌と言われます。
子供が先に亡くなることは、親にとったら、耐えがたい悲しみです。
私のブログを見てくださっている方々の中にも、そのような親御さんが沢山いらっしゃいます。
ですが、やはり、それにも神様の深遠な意味があるようです。
今日は小林正観さんの文章から夭逝に関するものをご紹介します。
<転載開始> 転載元
ニ、三歳で亡くなる子どもがいます。
この子は九万九千九百回ぐらい生まれ変わりを果たし、
あとの百回ぐらいは、親に悲しみを与えるだけの存在です。
あとの百回の生まれ変わりで、もうじき神になる存在です。
人間としての肉体をもち、何かを修行する必要はありません。
では何のために生まれてきたのかといえば、親に悲しみという感情を味わってもらうためです。
かわいい盛りの子どもに死なれるのは、親にとっていちばん悲しいことです。
その悲しみを親に味わってもらうというのが、
人間として生まれ変わりの九万九千五百回ぐらいから始まります。
子どもに死なれた親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込みます。
でもそれだけではいけません。
幼い子どもの死は、
「お父さんお母さん、それを乗り越えて、明るく楽しく生きられますか」と問いかけているのです。
中略
幼くして死ぬ子どもは、もうすぐ神になる存在だから、
何かを修行したり修正したりする必要がありません。
完成度の高い状況で生まれてくるのです。
だから早死になるのですと。
このことを知ると知らないでは大きな違いです。
嘆き悲しみ、メソメソするのをやめて、そのすばらしい子どもが自分たちと
半年、一年、三年、五年と一緒にいてくれた。
そのことに感謝しましょう。
ほかの親を選ぶのではなく、うちを選んできてくれた。
それは、その親がそれまでいかに、いろんな艱難辛苦の生まれ変わりを乗り越えてきたか、
という証明でもあるのです。
このことでめげてはいけません。
残された親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込んでいるのではなく、
それを乗り越えて、明るく楽しく生きられますかと問われているのです。
早死にする子どもの役割はそういう問いかけをすることです。
<転載終了>
親を悲しませるために早く亡くなった。
親を悲しませるために、病気になった。
人間の情の面から見たら、なんと非情なことでしょうか?
ですが、これも神様や私たちが、生まれる前に自分で立てた人生計画です。
情ではなく、宇宙の法則が優先されるのでしょう。
私たち生きとし生けるものは、輪廻を繰り返し、
魂を成長させ、もともと一つだった神様のもとに帰らねばなりません。
子供が夭逝することや、重い病気になることで、
どれだけ強力なインパクトを親に与えるでしょうか。
悲しみの涙にくれることでしょうか。
ですが、夭逝する魂たちは、その犠牲を払ってでも
親である私たちに、何かを伝えたかったのです。
何時までも何時までも悲嘆の涙にくれて欲しくてそうしたのではありません。
きっと、その深遠な目的は、親である私たちの魂の向上を
飛躍的に後押ししてくれるものだからこそ、
その道を選んだのでしょう。
その悲しみの涙の後に、残された親たち家族が、どう生きていくか?
それこそが、彼らの果たしてくれた役割「夭逝」に報いる道だと思います。
今世界は、大きな大きな変化の時に差し掛かっています。
精神性の復活の時代への、良き変化です。
今は辛い時を過ごしていようともうすぐ明かりが見えます。
どうぞ、希望を持って優しい気持ち、笑顔でお過ごしください。