2025年1月31日金曜日

3689「たった一つの宝物」2025.1.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月20日の記事を紹介します。


「たった一つの宝物」


今日は 

・病気のお子様を持つ親御さん

・早くに子供を亡くされた親御さん 

に、書きたいと思います。

以前書いた記事ですが、加筆して再掲いたします。 

子供が、どんな状態であろうと、生きて、そこに居てくれるだけで、

どんなに幸せで、有難いことか?

私たち、親の人生を、どんなに豊かにしてくれることか。 

そして、例え、親より先に逝ってしまったとしても、彼らの生きた証は、

私たちの心に永遠に刻まれ、私たちの魂を、どんなに豊かに、輝かせてくれることか。

いつかは、そのことに気付く時が来るはずです。 

今日は、明治安田生命「たったひとつのたからもの」で有名になった 

ダウン症と合併症で夭逝した加藤秋雪くんのお話をご紹介します。 

<転載開始> 転載元

笑ったり、ベソかいたり、そんな姿が 私たちの元気の源でした。

秋雪が生まれたのは、1992年の10月。

生まれた季節が秋だったのと、夫が大好きな「雪」から名前をとりました。

「ダウン症の疑いがあるので、一度検査を受けたほうがいい」 

そう言われたのは、生後一週間目のこと。

病院で検査した結果、ダウン症であることが判明。 

さらにダウン症の合併症として、重い心臓障害をかかえていることもわかりました。

医師からは

「生後半年のあいだに絶対に風邪をひかせてはいけない、ひいたらそれで終わりです。

生きられたとしても一歳の誕生日を迎えるのは難しいでしょう」 

そう宣告されました。

頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。

たったの一年。まだ生まれて一カ月だというのに、

なぜ、命の長さを宣告されなければならないの。

なぜ、そんな運命を背負って生まれてきたの……。 

あまりのショックで、何も感じることができませんでした。

秋雪を守ろう、そう決意しても、残酷な現実に、何度も心が壊れそうになりました。

そんな私を、ぎりぎりのところで支えてくれたのは、秋雪の存在そのものでした。

暖かなぬくもりのある体。 

笑ったり、ベソかいたり、楽しそうに手足を動かしたり。

そんな秋雪の姿が、私の元気の源になりました。 

ともに過ごす 

一分一秒を愛おしみつつ撮り続けた6年2ヵ月。 

死を覚悟してからは、「生きていられるだけで、ごほうび」という気持ちに。

そんなふうに切り替えてからは、秋雪といられる一日、一分、一秒を愛おしく感じつつ、

一瞬も逃さずに大切にしたいと思いました。

思い出を少しでも多く残したくて、どんな所へもカメラを持っていき、

6年2カ月の間、本当にたくさんの写真を撮りました。

朝、目覚めたとき、秋雪のおだやかな寝息に、上下する胸の動きにほっとする。

今日も秋雪に会えた…… 

・ごはんを食べる、

・トイレに行く、

・おこる、

・泣く、

・笑う、

・眠る

その、砂の数、星の数ほどの幸せのかけらを、秋雪がいつも握っていました。

この写真を撮ったのは、98年の8月。秋雪にとって生涯最後の海です。

帰る間際の駐車場で、今まであまり見せたことのない、

おだやかな表情を浮かべていた秋雪を、お父さんが抱きしめた瞬間でした。

秋雪を亡くして1年後、偶然知ったコンテストに応募するとき 

「たったひとつのたからもの」と題名をつけました。

秋雪は私たちに、抱えきれないくらいのたくさんの幸せを残してくれました。

それは、私たちのこれからの人生を支えてくれるほどの、

大きな大きな幸せでした。

「ぼくは生きているよ」と、全身で表現していた秋雪。

いつも全力疾走していた秋雪の命が、私たちに、精一杯生きることを教えてくれました。

<転載終了>

私たちは、命の長さよりも、生きている瞬間、触れ合っている瞬間

どんな気持ちで、その瞬間瞬間を過ごしているのか? 感じているのか? 

そんなことが、大切なのかもしれません。 

ここで、一つの物語をご紹介します。

あるご家族の娘さん(7歳)が亡くなりました。

子どもを亡くしてから一年経ってもこのご夫婦は

「娘にもう一度会いたい」と嘆いていました。 

ある日のこと、水色の天使がその夫婦の前に突然に現れて言いました。

「今、あなたの持っているすべての財産と引き換えに、亡くなったお嬢さんと 一緒に過ごせる日を一日だけプレゼントできますが、 どうしますか?」 

その夫婦は迷うことなく OKしました。 

そして水色の天使が続けて言いました。 

「しかし、ルールがあります。

あなた方は、プレゼントされた1日が終わるまで、今ここで約束したことや、 

お嬢さんと死別したことなどの記憶は消されてしまいます。

それはまるで、過去に戻った一日を自然に過ごす感覚ですよ、それでもいいですか?」 

その夫婦はお互いに顔を見合わせて、ゆっくりとした口調で「分かりました。」 と返事をしました。 

その瞬間パッと光が・・・  あっ!まぶしい・・・ 

次の瞬間には、いつも通りの朝になっていました。

ですが、夫婦は、天使と約束したこと、

娘が死んでしまう事など、一切の記憶を無くしていました。

そうです、娘が生きていた頃の何気ない一日の始まりでした。 

朝から「早く起きなさーい!!」妻の大きな声。

パジャマ姿で機嫌悪そうに起きてきた髪の毛のボサボサな娘。

眠たい目をこすりながら新聞を読む夫。

貴重な貴重な一日が始まりました。 

私たちが生きている今日は、それは、いつか未来に水色の天使に、

全財産と引き換えに頂いた「今日」なのかもしれませんね。

皆さんはご家族と一緒に暮らしていますか?

ご家族が居らっしゃらない方は、お父さん、お母さん、同僚やご友人。

そんな皆さんと、仲良くされていますか?

それとも、顔を見るだけで、ため息の出るような、家族もいらっしゃいますか?

言うことを聞かない子供、旦那さまなど・・

その方が、明日は、いなくなってしまうかもしれません。

もし、胸がきゅんとなったのなら、何気ない日々の暮らしの中で、

どうぞ笑顔で、優しく接してください。

今日のこの日は、永遠に続く日々ではありません。

家族も いつかは離ればなれになってしまいます。

手のかかる、言うことを聞かない、心配の種の子供も・・

自分勝手な夫も、嫌味ばかりを言う親も、明日は いないかもしれません。

いつか、別れの時が来ます。

ともに、この地球の同じ時代に生まれ、そして縁によって結ばれた家族たち 

それは、私たちの魂を磨き合う仲間でもあります。

外見の態度や言葉で 切り捨ててしまうのではなく、

その心の奥にある、魂を見つめたいですね。 

大切に大切に したいですね。

私たちは、生まれる前に、お互いの魂同士で約束してきたのですから。 

「家族になろうね」って

 

2025年1月30日木曜日

3688「諸行無常・人生の波」2025.1.30

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月18日の記事を紹介します。


「諸行無常・人生の波」


今日も、豪雪地帯にある竹之高地不動社へ、雪かきのボランティアに行って来ました。 

積雪も、2mは軽く超えています。 

最近、ほぼ毎週末に行っています。

お参りに来られる方が、雪で阻まれることのないように・・

神々と直接つながることができますようにと、汗を流しています。 

竹之高地不動社は、山の中の小さな神社ですが、数多くの神々が出現されています。 

不思議な現象も数多く発生しています。 

私の狭い経験の範囲ですが、これほど、頻繁に神々の降臨がある場所を知りません。

日本一ではないかと思います。 

心清らかな方々が、高貴な神々とご縁が結ばれますように・・ 

さて、今日は闇の中で、

必死にもがきながら、苦しみながら、

生きていらっしゃる方のために書きたいと思います。  

どなたの人生にも、波があります。

バイオリズムがあります。 

周期があります。

・何をやってもうまくいく、嬉しい時期。

・苦しみ、悲しみがこれでもかと押し寄せて来る時期 

苦しい時期が一生続くこともないし、楽しいことばかりの人生もありません。 

またこの人生の波は、

総合的な、良い時期、悪い時期と言った波だけではなく、 

・何をやっても人から注目され、好感を持たれる次期(人気斧の時期)

・同じように生きていても、目立たず、人波に隠れてしまうような注目されない時期 

などの波もあります。

そのような苦しく、辛い出来事、時期は、

波のように人生の中の節々で押し寄せてきます。

同じように、喜びの時期も波のように、

押し寄せては引き、また時期をおいて押し寄せてきます。

常に人生は変化して、一時として同じ場面はありません。

諸行無常と言う宇宙の真理のように、

辛い時期もあれば、その後に、幸せの時期も訪れます。

ですが、実際につらい時期の真っただ中にいる時は、

希望が見えず、自分はこのままどうなってしまうのか?

永遠に続くような不安の中に置かれます。

苦しくて、辛くて、布団の中で、声を殺して泣くこともあるかもしれません。

藁にもすがる思いで、神仏にも頼りたくなります。

人に当たりたくもなります。

それは肉体を持って生きているのですから当たり前の事。

神様は、そのような経験をさせたくて、苦しい時期を人生の中に設定してくださいます。

何故か?

それは、そのような苦しい時期を乗り越えてこそ、

経験してこそ、掴める何かがあるからです。

永遠に生きる魂にとって、必要な大切な経験だからです。

楽しいばかりの人生を過ごしたなら、亡くなって、神の国、黄泉の国に帰った時

後悔しか残らないでしょう。

せっかくの「経験の星」地球で、人生を過ごしたのに

何も得ることができないで、戻ってしまったからです。

人間にとって、

・辛いこと

・悲しいこと

・苦しいこと

は、必ず魂を成長させてくれます。

辛い時期は、今自分の魂は、神様の恵みの中で、

成長するための経験をさせていただいている。

こんな時こそ、神様はより一層私たちに寄り添い、見守っていてくださる。

回りに当たり散らしてしまうこともあるけれど、出来れば、身近な周りの人々に、

「ありがとう」の感謝の心で過ごしてみよう。

周りの環境は永遠に変わらないように見えても、必ず、この時期は終わり、

嬉しく、楽しい時期が訪れる。 まるで波のように・・

時の流れの中に身を任せ、抵抗せず、この苦しさを味わおう・・

それを神様が望んでおらるのだから・・・

そんな気持ちで過ごされてみるのも良いかもしれません。 

諸行無常

必ず、物事は変化して、

辛い時期の次には、喜びの時期が訪れることが決まっています。

その変化の方向を決めるのは、私たちの心です。

心の中に感謝の気持ち、「ありがとう」が少しでもあれば、

喜びの時期が来るのが速まり、そして苦しみの時期から、

限りない魂の深い経験を味わうことができるでしょう。

そのことこそ、神々が私たちに一番望んでいること。

人生の中に、苦しみの時期を置いてくださる目的だからです。

どうぞ、心穏やかにお過ごしください。

苦しみの後には、必ず喜びが訪れますから。


2025年1月29日水曜日

3687「神仕組みに気づく」2025.1.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月17日の記事を紹介します。


「神仕組みに気づく」


神様はどなたの中にもいらっしゃいます。 

そして私達を護ったり導いたり、 

生まれる前に決めてきたシナリオ通りのことが

ジャストなタイミングで起こるように調整したり 

様々な働きをしてくださっています。

小学生の神様トキ君が言うように、

いつも、どんな時でもニコニコと、感謝の気持ちでいれば 

神様はスムーズに神仕組みをなさってくださいます。

その時は、ヒラメキや、直感を信じ

心がワクワク、喜ぶ方向へ進んでいくだけです。 

また神様を信じてさえいれば、

今日のお話のように神仕組みの片りんに気づくこともできます。

特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、

外応をキャッチされるのをお勧めします。 

また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、

神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。 

それは、そのことを、

特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、

そんな下世話な意味ではありません。

そのあたりのことを小林正観さんが、書いていますのでご紹介します。 

<引用開始> 引用元

偶然を書きためる

神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。

正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。

・偶然のようで 偶然に起こった現象。

・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。 

これら偶然を書きためます。

正観さんは、40年で1000件。

1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。

・色々な偶然を面白がる。

・その際、他人の評価は気にしない。 

自分が面白いと感じたもの。

それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。

・例えば落ち込んだりした時

・自己嫌悪に陥ったりとか

・嫌味を言われたときなど

ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。 

そうすると、それらは、決して偶然ではなく

全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・ 

神々の意図を感じることができるからです。

そうすると

「自分は神様に好かれているみたいだ」ということが分かってくるんです

多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか、

愛されているかということに気づきます。

講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。

「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」

このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。

この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。 

その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、

講演会の最中にけたたましくなったのです。 

不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。

このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、 

偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、感謝することになります。

この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。

正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。

正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。

お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、

かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。

仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。

走っていて偶然にある車のすぐ後についた。

その車の ナンバープレート 1259。

運転していた人が喜んで教えてくれた。

その瞬間 時計を見ると12時59分。

わ~~~おと声をあげた。

ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。 

自分だけで、

・随分神さまに愛されているね。

・人生は面白いね。

と、そう感じるだけで結構です。

その結果、神様は、

・面白がる人には どんどん面白がる現象を

・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を

・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 

さらに大事なことは、 

感謝したがる人には

次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。

その時、質問がありました。

「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」

すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。 

「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。

実は神さまからもの凄く愛されている人だけが

肉体をもらってこの世に人間として生まれている。

肉体を持って生まれたい魂が800億。

その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。

その7%くらいの魂が地球に生まれてる。

その魂、つまり私たちは神さまに、

お願いして お願いして 頼んで 頼んで生まれさせてもらってきた。

神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。 

その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、

地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。 

その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい、

不機嫌でいると体が壊れやすい。

地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。

喜んで楽しんでいる人は、寿命も長く、健康でいやすくなります。

すべての人間は、神さまに好かれている。

しかし、このことを知ってるか、知らないでいるかで、人生変わってしまう。 

「神様に好かれている」 

これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。

日本人では1万人。

死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。

この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。

聞く聞かないで、人生観が変わります。

<引用終了>

神様は、様々なところにいらっしゃり、

様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。 

それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか?

それとも・・・・偶然とかたずけて、無視するか? 

放っておけばよいものを、神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、 

馬鹿にし、否定し、せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を

神さまから引きはがしてしまうのか? 

人それぞれです。

ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ、感謝して喜ぶ人は、 

きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。

それに対して・・・ 

偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと、

眉間にしわを寄せている生きる人は、

もしかしたら、神々の手を、

自らはねのけてしまっているかもしれません。


2025年1月28日火曜日

3686「死はすぐそこに」2025.1.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月16日の記事を紹介します。


「死はすぐそこに」


ここ数年、地球の波動が上がっているためか、 

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方 

が急激に増えているようです。  

出来れば、その思い出した英知を自分のためだけではなく、 

人々の幸せのために使っていただけたら、世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。 

2,500年前のブッダが悟りを開いた時の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。 

2,500年前、ブッダが悟りを開いた時

自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、 

一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、

梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。 

この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。   

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。 

死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか?

死は、私たちに平等に必ずやってきます。 

そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。

健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。 

<転載開始> 転載元 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは、少し珍しいことかもしれません。

多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。

まるでそれがずっと続くかのように。

私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。

私は今とても幸せだからです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。

私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。 

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。

嫌だと思うことはしなくていいのです。

些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。  

そして空の青さを、木々の緑を見てください。 

それはとても美しいものです。

考えてみてください。

呼吸ができること、その素晴らしさを。 

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、

変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

でもそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。 

人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、

私の願いは、 

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。

仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、

まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、 

それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

そして、お互いを助け合いましょう。

与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。

そのことを私は一生忘れないでしょう。

あなたが死ぬときに、お金を持っていても なんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、完璧な写真を撮ることでもありません。 

大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

犬を抱きしめてください。

携帯を置いて、友達と話をしましょう。

旅をしたいならしましょう。

生きるために働いてください、働くために生きてはいけません。

心が幸せに感じることをしてください。

ケーキだって食べていいのです。 

何の罪悪感も要りません。

やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

他の人が考える理想の人生に、プレッシャーを感じなくても大丈夫です。

平凡な人生を望んでも全く構いません。

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。

そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、

あなたにはそれを愛など他のパワーに変える力を持っています。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、

そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。 

覚えていてくれても、忘れても構いません。

それでは、また会う日まで。

<転載終了>

今 目の前に居る人、配偶者、子供、家族、友人

彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。 

この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。

もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。

ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、

・心を通い合わせること

・感謝すること 

に何の支障があるでしょうか?

出会ってくれてありがとう。

喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。

そう伝えたくなるのではないでしょうか?

もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。 

この亡くなった彼女の最後の願いは

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい 

でした。 

これら全ての願いは、物ではありませんでした。 

身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。 

全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。

別れは、突然にやってきます。 

私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。 

ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。  

いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、

どうか目の前の方を愛し、大切になさってください。 

出会ってくれたことに感謝してください。 

そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、 

きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。

 

2025年1月27日月曜日

3685「10年後にアメリカは存在するのだろうか」2025.1.27

今回はIn Deepさんの2025年01月18日の記事を紹介します。


「10年後にアメリカは存在するのだろうか」

https://indeep.jp/the-us-budget-outlook-2025-to-2035/


今後10年間で米国の債務はさらに3700兆円増加する見通し

最新のメルマガで、「米国の持続不能性」のようなことについて、少しだけふれたのですけれど、今日の米ゼロヘッジの記事で、

「米国は今後 10年もつのだろうか?」

という疑問を抱かずにはいられない数々の数値を見ました。

アメリカ議会予算局という政府機関による「 2025年から 2035年までの予算の展望」についての資料を取り上げたものです。

これは民間の試算ではなく、政府機関による展望です。

わりと長い記事ですので、まず、そのゼロヘッジの記事を最初にご紹介します。

暗澹とした米国の先行きが描かれます。

________________________________________

アメリカ議会予算局(CBO)は、米国の債務が今後10年間で24兆ドル(3750兆円)急増し、その後さらに悪化すると予測している…

CBO Projects US Debt To Soar By $24 Trillion Over Next Decade, And Then It Gets Much Worse...

zerohedge.com 2025/01/18

議会予算局(CBO)は、政治に関与せず超党派であると主張する人もいるかもしれないが、実際には、体制の側近の一部と見なされていない政治家をバスの下に投げ捨て、米国で山積しているすべての財政問題を「台所に流し込む」ことにほとんどためらいはない。

その政治家とは、第47代米国大統領に就任しようとしているドナルド・J・トランプ氏であり、マスク氏のお気に入りのプロジェクトである DOGE (政府効率化省)にもかかわらず、トランプ氏の第2期政権下では、すでに途方もない 36.2兆ドル (約 5600兆円)に達している米国の負債が本当に爆発するのを間もなく見ることになるだろう。

最新の議会予算局の 2025年から 2035年の 10年間の予算と経済見通しによれば、状況は絶望的に悪化している。

議会予算局が提示した経済見通しは、いつものようにばかばかしいものではあっても、決して衝撃的ではない。

予算局は、米国の GDP が年間 1.8% で成長し、インフレが魔法のように横ばいの 2.0%、失業率が 4.4% で高止まりし、フェデラルファンド金利が 3.2% (10年国債利回り 3.8%に相当)と予測しており、今後 10年間で景気後退はゼロになると予想している...。

... この成長の資金がどのように調達されるかを考えると、さらに興味が湧く。

もちろん、その答えは持続不可能な赤字をさらに何兆ドルも増やすことだが、予算局によると、この赤字は決して終わることがないように見えるため、持続可能だそうだ。

そこで財政赤字予測から始めると、予算局は 2025年の連邦財政赤字が 1兆9000億ドル(約 300兆円)になると予想しており、この数字は 2035年までに 2兆7000億ドル(約 420兆円)に増加する。

そして、2025年には GDPの 6.2%に相当し、その後、歳入が支出を上回るペースで増加するため、2027年には 5.2%に減少するが、このやや好ましい傾向はすぐに反転し、その後の年には支出が再び歳入を上回るペースで増加し、2035年までに財政赤字は再び GDPの 6.1%に等しくなる。

これは予算局によると、「過去 50年間の財政赤字の平均である 3.8%を大幅に上回る」数字となる。

言うまでもなく、実際の赤字額ははるかに大きくなるだろう。なぜなら、たとえわずかな景気後退であっても、政府支出の急増(つまり、借金による赤字の増大)は確実であり、それによって成長が加速することはないからだ。

状況はさらに良くなる。期限切れの TCJA 、つまりトランプ減税を延長するであろうトランプ氏を罠にかけようとして、予算局は興味深いことに、長期財政赤字予測を 10億ドル削減したが、これは成長率上昇などによるものではなく、「立法上の変更や技術的変更(つまり経済的でも立法上のものでもない)により財政赤字予測が押し上げられた」にもかかわらず、「個人所得税からの予想歳入が増加する」と予測しているためだ。

その結果、2025年から 2034年までの累積財政赤字は 1兆ドル減少し、22.1兆ドルから 21.1兆ドルになると予想されている。

そうすれば、トランプ減税が延長された 1年後に予算局は、財政赤字の予測を再び大幅に上方修正し、トランプ氏を厳しく罰し、非難することになるだろう。

米国の財政赤字が急増する本当の理由は、税金とはほとんど関係がなく、米国の債務、あるいはその債務に対する、すでに成層圏レベルに達している利子のすべてが関係しているが、今後 3年間は状況はほぼ正常であるものの、その後は急激に増加することがわかる。

リリースには以下のように書かれている。

2025年の連邦政府支出は総額 7兆ドル(約 1000兆円)となり、これは GDPの 23.3%に相当する。2028年までこの水準に近い水準で推移し、その後増加し、2035年には GDP の 24.4% に達する。この増加の主な理由は、社会保障とメディケアへの支出の増加と純利息費用の上昇だ。

残念ながら、米国政府の歳入にはそのようなホッケースティック効果(急騰)は見られない。

米国政府の歳入は 2025年に 5.2兆ドル、つまり GDP の 17.1%に達し、2027年までに GDP の 18.2%に増加する。予算局によると、これは「 2017年税法の条項の期限切れ予定による」とのことだが、当然期限切れにはならず延長されるため、歳入は増加しない。

予算局はこれを承知しながらも、次のはるかに厳しい予測で打撃を与えるまで 6~ 12か月待つことになる。

しかし、2017年の税制改革法がなくても、予算局は、GDP に占める歳入の割合は今後 2年間で減少し、2029年には 17.9% に落ち込み、 2035年には 18.3% 前後で横ばいになると予測している。実際には、この数字ははるかに低く、トランプ減税の延長により、おそらく 15%程度になるだろう。つまり、予算局の予測よりも大幅に悪くなるということだ。

悲しいかな、これもまた大惨事であり、それは予算局の債務予測を見ればすぐにわかる。

なぜなら、国民が抱える債務(社会保障に充てられる債務は都合よく除外されている)は、現在 28.2 兆ドル(約 4400兆円)だが、この数字は 2035年までにほぼ倍増し、52.1 兆ドル(約 8100兆円)に達すると予想されているからだ。

しかし、待ってほしい。GDP が増加しても、相対比率は改善するのと同時に、負債も増加するのではないだろうか。

実はそうではない。悪名高い予算局の「破滅のグラフ」が示すように、国民が抱える負債は毎年増加しており、そのペースは GDP (の増加)よりも速いからだ。

実際、2025年から 2035年にかけて、負債対 GDP 比は 100%から 118%に膨れ上がる。これは、予算局が認めているように、「アメリカ国家の歴史上、どの時点よりも大きい」額だ。

さて、予算局が今後 10年間で米国の財政状況が若干改善するとの報告書を発表した理由は、米国の財政状況が実際に改善しているからではなく、むしろトランプ氏と共和党を罠にかけるためだった。

ABC ニュースが指摘しているように、「この分析は、大規模な支出削減と組み合わせない限り、赤字をさらに拡大するような減税に傾倒している新共和党政権にとって厳しい状況を示している」。

実際、トランプ氏が提案した 2017年の減税延長案は今年で期限が切れる予定で、新たな減税と合わせると 4兆ドル(約 625兆円)を優に超える可能性があり、次期財務長官候補のスコット・ベセント氏は 1月16日、減税がなければ経済が崩壊する可能性があると警告した。

「米国には歳入の問題はない」とベセント氏は指名承認公聴会で主張した。「問題があるのは支出の問題だ」

彼の言うことは正しいが、さらに大きな問題は、債務を発行し、酔っ払いのように浪費することに慣れている国にとって、裁量的支出であれ義務的支出であれ、いかなる支出も削減することは前例のない経済的破滅につながるということだ。

米国経済全体に占める税収の割合は 50年間の平均に近いが、政府支出は引き続き増加傾向にある。

その主な理由は、総支払利息が前例のない 1.2兆ドル(約 187兆円)に達していることである。この数字は、金利が一時的に下がったとしても、総負債額は増え続け、金利の低下を相殺する以上のものとなるため、今後下がることはまずないだろう。

一方、国家安全保障と社会プログラムへの裁量的支出は来年 1.85兆ドル(約 290兆円)に達する。予算局は、裁量的支出が GDP の 5.3%に相当し、半世紀平均の 7.9%から減少すると、これらの分野の支出がすでに下降傾向にあると予測している。

予算局のフィリップ・スウェーゲル局長は 1月17日の記者会見で記者団に対し、純利息費用が財政赤字の大きな要因であり、「今後数年間、純利息費用は防衛プログラムまたは非防衛プログラムの裁量的支出額と同程度になると予測される」と語った。

もちろん、これらすべては景気後退がなく、人口動態が変わらないことを前提としているが、残念ながら、そのどちらの想定もばかげている。

人口の高齢化に伴い、社会保障とメディケアのせいで政府支出は大幅に増加するだろう。この 2つの制度は有権者に人気があり、多くの共和党員と民主党員が同様に守ると誓っているが、持続不可能な方向に進んでいるという明らかな兆候がある。

スウェーゲル局長は「われわれはすでに高齢化社会に突入しており、社会の高齢化が義務的支出を促進している」と語った。

また、米国人女性が子どもを持つ年齢が遅くなり、出産数も減るため、「出生率の変化が社会の高齢化のパターンを加速させることもある」と同氏は述べた。

連邦債務の追跡などを行っているピーター・G・ピーターソン財団の最高経営責任者(CEO)マイケル・ピーターソン氏は声明で、「議員らは年末に期限切れとなる税制政策の範囲を検討するにあたり、少なくとも『財政的損害を与えない』という約束をすべきだ」と述べた。

「彼らは予算の小細工を避け、予算局の今回のような中立的かつ無党派的な推定に基づいて想定すべきだ」とピーターソン氏は語った。

残念ながら、米国にとって、法外な借金で賄われた支出によってもたらされた存在の必然的な結末を変えるには、今や遅すぎる。

実際、正常化や「財政的損害を与えない」という点では、その船はすでに出航しており、私たちはハッピーエンドを望んでいるが、政府効率化省が失敗し、避けられない米国の崩壊を阻止できるものは何もないと予算局にいる最も聡明な頭脳たちが認めたときに何が起こるのかを私たちは恐れている。

________________________________________

 

ここまでです。

債務に対しての「利子」ですが、この記事には、利払いが、

> 防衛プログラムまたは非防衛プログラムの裁量的支出額と同程度になる

とありますが、昨年、経済学者の EJ・アントニ氏という方が、利子について、さらにわかりやすい例えをしていました。以下です。

連邦債務の利子は 6月に徴収された米国の個人所得税全体の 76%に相当する。これは財務省の最大の収入源だが、その 4分の 3が利子だけで消えてしまう。このことを議会は知っているのだろうか?

BDW

米国の個人所得税全体の 76%が債務の利払いで消えているのです。

そして、上の記事にもありましたように、米国の債務は、現状で日本円での 5000兆円などを超えているわけですが、そこに今後の 10年間でさらに 3700兆円など増えていくと予算局は見積もっているわけです。

持続可能なんでしょうか?

もちろん、日本もまた人の国のことが言えるような債務状況ではないですが、それにしても、米国は金額のスケールが大きいので、数字を見ているだけで迫力があります。

国際投資家のニジャンブルーノ氏という方は、最近、寄稿した文書で以下のように述べていました。

寄稿文「2025年:連邦債務バブルが崩壊する年」より

最も可能性の高い結果は、米国が通貨切り下げを通じて増大する防衛費と国内債務の両方を支払い、一石二鳥の策を講じようとすることだ。

だからこそ私は、通貨(ドル)の価値がますます低下していくことが米国政府の債務スパイラルの必然的な結果であると確信している。

それは彼らが逃れることのできない、自己永続的な破滅のループだ。

まるでブレーキのない暴走列車に乗っているようだ。

2025年は、国家債務に関するこれまでの主流の考え方が崩壊し、これが明らかになる年になるだろうと私は考えている。

崩壊するのは以下のような考え方だ。

・「私たちは自分たち自身でそれ(負債)を負っている」

・「赤字は問題ではない」

・「国債はリスクフリーのリターンだ」

・「国の借金は紙幣を印刷できる限り維持できる」

・「米国がデフォルトすることは決してない」

これらは長い間、多くの投資家たちが信じてきたばかげた比喩だった。2025年は、これらのナンセンスを信じる人々が厳しい現実を突きつけられる年になるかもしれない。

Nick Giambruno

以下は、2024年の世界の債務額の上位10カ国です。

 

visualcapitalist.com

債務対 GDP の率が高いのはダントツで日本ですが、世界全体の債務に占める割合では、米国が 35%などとなっていて、世界の債務のかなりの部分をアメリカが占めていることがわかります。

そして、現在、世界全体の国家債務の額は、102兆ドル、日本円でいえば、約 1京6000兆円に膨れ上がっています。

米国も含めて、地球全体が債務により破裂していく様相が露呈していく少し未来の世界を想像します。


2025年1月26日日曜日

3684「心の中の神様」32025.1.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月15日の記事を紹介します。


「心の中の神様」


小学生の神様トキ君の動画で 

自然は人間界の近未来姿を見せてくれるということで、 

私たちに近い将来起こるであろうことを、

自然が先取りして見せてくれるというものがあります。

この中で、近い将来、強いものはより強くなり

弱者と強者の差がますます広がってしまう。 

弱者は、強者によって支配される・・

と言うものがありました。 

現在人間界では、マネーが世界をまさに圧巻しようとしています。 

国際NGO「オックスファム」は、

世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、

世界で最も豊かな上位1%の人たちが独占していると発表しました。 

超エリートが、世界中の富を独占しています。 

そしてその差は広がり、マネーのためなら悪魔的な所業まで行われています。

トキ君の映像では、

「では、私たちはどうしたらよいか?」という問いに対し、 

「神さまを信じる事」と言っています。

私もその通りだと思います。 

例え世の中の潮流がそのようになろうと

神様を信じる人々の心は、美しく汚されることがありません。 

同じ環境に置かれようと、見えない力が、私たちの魂を護ってくれることでしょう。

それでは、今日は「心の中の神様」というテーマで書きたいと思います。 

ここでよく、「私たちの内にいらっしゃる神さま」と書いています。

そして、その神さまと一人一人が繋がることで

幸せになることができると書いてきました。 

同時に、自分以外の他人の中にも神様がいらっしゃり、

古くからの縄文時代から私達日本人は自分を大切にして欲しいのと同じく、

他人の中にいらっしゃる神さまも尊重してきました。 

その結果、大陸からの影響で、

弥生時代が始まるまで、この日本では1万5千年にも及ぶ長きに渡り、

争いの無いユートピアを実現してきました。 

私たちの内に、神様がいらっしゃる。 

このことをトキ君も神さまからの通信として話しています。 

この中で、神様(トキ君=山幸彦)は、こう言っています。 

人間が生まれる時 

・肉体と

・その肉体に私たちの魂が宿り

・これから生まれる一生のうちに行うことを紙に書き、神様に承認していただき

・更に神様の分け御霊をアンパンマンのように頂いて生まれてくる 

・また神さまの御霊(氣)が入らないと肉体は動かない

・ひらめきは、神さまからのプレゼント

・全てひらめき・直感通り、つまり神様の操縦に従っていれば上手く生きられる

トキ君が神さまからのお知らせとして、上記を語っています。

私たちの内にはどなたも神様がいらっしゃいます。

人間だけでなく、生きとし生けるもの、無機物、気象などの現象にさえ

神様がいらっしゃいます。 

ただ人間は直接的に神様を体現するために生まれて来ましたから

その分け御霊の濃度が、他と比べはるかに高いと思われます。 

私たちの内には神様が居り、神さまが私たちを動かし、様々な経験をさせてくださる。

心を動かし、魂を震わす、喜怒哀楽の出来事 

・良きことも

・悪く見えることも 

そして内なる神様の働きを阻害する要因もあります。

それが、自分さえ良ければの我欲です。 

内なる神さま、心を曇らせ、その輝きを奪い取ります。 

神さまの操縦が効かなくなります。 

そのため、このブログでは、 

・心を洗うこと、

・心を純粋にすること

を中心に書いています。 

決して、自分以外の何者かに頼りなさいとは言いません。 

他人に依存する心も、内なる神々の力をそいでしまうからです。 

また日本に古来から伝わる、お祓いも有効な手段です。 

神々に対する深い信仰と、自分の心を清めたいという 

自発的な信念が大切です。

私達一人一人の中に神様が居らっしゃいます。

ですから、

・私達の思いも、

・過去の歴史も、

・将来起こることも、

・行動も

全て見ていらっしゃいます。 

そして色んな出来事や、人との出会いや別れを用意したり、

豊な時や、貧乏のどん底の時を演出して下さり、

私たちの魂を磨き、輝かせ、

私達を神様の所に、連れて行って下さっています。

そう、しっかりと信じることが出来れば、 

私達は、

どんなに安心して、幸せを感じながら、

生きて行くことが出来るでしょうか?

良い出来事、悪い出来事に見えても、

それら全部が、神様からのギフトなのですね。 

時代の大きな変化が加速している今、

皆様の心が、ご自身の内なる神さまに向かい、 

共鳴する、全ての生きとし生けるものとの

愛と調和の世界に住むことができますように。


2025年1月25日土曜日

3683「苦しみの終わる時」2025.1.25

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月14日の記事を紹介します。


「苦しみの終わる時」


この世の中は、幸せ、Happyな人ばかりではありません。 

・病気やケガで苦しんでいる人もいます。

・孤独に苦しんでいる人もいます。

・嫉妬や、悔しさ、恨みで苦しんでいる人もいます。

今日は、心の問題で、苦しんでいらっしゃる方に書きたいと思います。

でも、その辛さが、何が原因かが分っており、そして、そこから抜け出したいと

真剣に思っていらっしゃる方は幸いです。 

もうその辛く苦しい道のりの、半分以上を越えたのと同じだからです。 

あとは、ちょっとだけ、心の方向を変えるだけで、ご自分の中に居らっしゃる神さまが、 

背中を押してくださることでしょう。 

私たちの周りで起こる現象は、それを引き起こす種が、心の中に無ければ、決して起こりません。

ブッダが仰るように、この宇宙は因果律が支配しているからです。 

「因果律」は、血も涙もない、冷たい法則ではありません。

この宇宙を作られた神々は、愛そのもの、慈悲そのものだからです。

・その現象が現れた時

 病気、ケガ、事故、出会い、別れ、いさかい

・心に動揺が起こった時 

 嫉妬(うらやましい)、憎しみ(にくい)、殺意、悔しい、失敗しろ、悲しめ、苦しめ 

そんな時は、心の中に存在していた、その縁となった種が実を結び、

現実の世界に現れた時です。 

その時に、自分の心の中に、その感情が湧き起こったことを認め、 

その感情を味わい、苦しみ、そして、その後に、もし、そこから抜け出したいと、

そう思ったのなら、もう、それは、その因(原因)となった種が、燃え尽き

もう二度と悪さをしない、そのような時の到来です。

夜明けのチャンスです。 

内なる神さまは、その時が来るのを待っていたのですから・・

全ての出来事は、私たちの心が作り出しています。 

偶然に発生する出来事は、この世に一つとしてありません。 

神さまはサイコロを振りません。

無駄なことは、なさいません。 

もし、このチャンス到来の時に、意識を変えず、心の向きを変えず

今までのように 

・不平

・不満

・愚痴

・悪口 

を口にし、運命を呪っていたのなら、また時期をずらして、

同じ出来事が、自分の身に降りかかってくるでしょう。 

因が解消されないからです。 

その2度目の出来事は、1度目よりも、更に大きなインパクトをもたらすと言われています。

でも、それも仕方のないことかもしれません。

何故なら、私たちの多くは、目の前の出来事に対して、 

・状況を改善したい

・願いが叶えばいいのに 

という夢や希望を持って、思いどおりにならない物事を、リストアップしがちだからです。 

それは、学校教育や、家庭環境に置いて、親や学校の先生から、 

・リストアップした希望を、思いどおりにすることこそが幸せだ

・現状に甘んじることなく、夢や希望や望みや願いを語りなさい

・努力し、競争に打ち勝ち、願望を実現しなさい 

そう、教わってきたからです。 

そのように国民を競争社会に置くことで、得をする邪悪な勢力があったからです。 

日本には、かつて縄文時代と言うものがありました。

競争や、争いが一切なく、皆が助け合いお互いさま、お陰さまで暮らしていた1万年間です。

世界に類をみません。

ユートピアの世界でした。

私たちは、DNAの中に、その魂を宿しています。

幸せな人生には、競争は不要です。 

人と比べることも必要ありません。

そして、夢や希望さえも不要です。 

なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、人との出会い、別れ、軋轢(葛藤)、100%、今の自分に必要だから起きていることだからです。

・自分が、今与えられているもの

・今持っているものに対し、 

感謝の気持ちを持つこと 

「嬉しい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、

苦しみではなく、今ある幸せを数え上げてみること。 

「ありがとう」と口に出して感謝してみること。

そうすればきっと、今の自分が膨大な数の幸せに囲まれていることに気づきます。

幸せとは、求めて求めて、何かを手に入れることでなく、

今、目の前に存在する出来事について、「私」が「幸せだ」と思うこと。感じること。

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。 

自分を、貶める誰かを好きになること、愛すること、 

それは、難しいかもしれません。

ですが、感謝することはできるのではありませんか? 

その相手の方の態度によって 

・何か気付きはありませんでしたか? 

・何かの感情を味わうことは、ありませんでしたか?

・自分の心の中に、同じ素質が、潜んでいることに

 気付かせては、くれませんでしたか? 

何故なら、その人も、生まれる前に、神さまのみ前で

その役割を演じることを、お互いに合意したうえで、生まれ、そして出会い、

約束通り、その役を演じてくださっているからです。 

完全なる悪意の塊の魂は、生まれる以前に、神さまからのOKが出ませんから、

この世に存在して居ません。 

その人に対する憎しみ、羨み、その心から抜け出すために、今、その時が訪れました。

許すことを学ぶ時、そして感謝の心を学ぶ時が来ました。 

感謝の気持ちが、心を満たした時、心の中のあちこちに、こびりついていた 悪因の多くは、

燃え尽くされることでしょう。

そして、空いたスペースには、宇宙の法則通り、聖なる神々の美しいエネルギーが、

流れ込んでくることでしょう。 

好きになること、愛することは、難しくとも、感謝することはできます。

もし、それさえもむずかしければ、その時は、伝家の宝刀、言霊を使ってください。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」 

気持ちがこもって無くても結構です。

心の中だけでも結構です。 

言霊が威力を発揮してくれることでしょう。

そして、神々が微笑んでくださることでしょう。

ご自分のお顔から、笑みが、こぼれ落ちることでしょう。

それを見た周りの方がたも、本当の幸せを手に入れることができるでしょう。


2025年1月24日金曜日

3682「徳を積む意味」2025.1.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月13日の記事を紹介します。


「徳を積む意味」

このブログでも何度も角度を変えて、徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 

そして宇宙の法則である、与えたものが、受け取るもの、というお話をしていますが、 

今日は、浜松医科大学名誉教授の高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、

私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 

運がよくなり、評判がよくなるのです。

これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。

不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。

まるで一周回ったかのようです。

そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 

その人と私の関係が悪くなったのです。

それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。

このように、人の行い、人の言葉というのは、因縁の渦の中で回り、

最終的には全て自分に還ってくるのです。 

偶然助かったとか、あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、

などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。

一方、その大変なことは別の人には起きているのです。

だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。 

じつはこれは、私たちがなした徳の結果が、このように表れたのだと思っています。 

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、 

万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。

もちろん後者でしょう。

このように考えると、自分が他人にしたことが、

他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 

徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が

はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。

恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。

もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。 

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、それが自分の幸せになると考えるべきです。

<引用終了>

宇宙の法則


投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。

愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。

嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは裁かれる

裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ

蔑(さげす)めば、蔑まされ

罵(ののし)れば、ののしられ

強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される

許すものは 許される。

許さないものは 許されない。

施せば 施される

優しくすれば 優しくされる

笑顔を向ければ、笑顔が帰る

助ければ、助けられる

励ませば、励まされる

勇気を与えれば、勇気づけられる

感謝すれば、感謝される

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? 

それなら誰かに優しい言葉をかけてください 

・笑顔を見せて欲しいですか? 

それなら誰かに笑顔を見せてください。


イエスの語った言葉で一番大切な言葉。

「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。


「自分がしてもらいたいことを、 

他の人にも、

同じようにして あげなさい。」


これは何も独りよがりの善意の押しつけをしなさいと

言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、 

想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。 

この中で、何か、ご自分でも、できそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、 周りの人にして差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って必ず自分に帰ってくるようになっていますから。


投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。


2025年1月23日木曜日

3681「人の幸せ」2025.1.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月11日の記事を紹介します。


「人の幸せ」


今日のテーマは「人の幸せ」ということで、

日本理化学工業の会長、大山泰弘三のお話をご紹介します。 

毎回そうですが、心を純粋にして、心の罪・穢れ(包身(つみ)、氣枯れ(ケガレ))を祓い、

私たちがもともと持っている、光り輝く神様の心を表に現して、

何者にも、何事にも頼らず依存せず、大地にしっかりと自分の足で立ち、 

真っすぐに神様の光の方向へ進んで頂きたいからです。

<引用開始> 引用元 

二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。

きれいに晴れた、暖かい日でした。

二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。

そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。

「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。

みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。

彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。

そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。

どうしても言うことを聞いてくれないときに、

困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。

そんなある日のことです。

私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。

ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、

空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。

そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。

「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。

施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」

ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。

「人間の幸せは、ものやお金ではありません。

人間の究極の幸せは次の四つです。

・人に愛されること、

・人にほめられること、

・人の役に立つこと、

・人から必要とされること。

愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。

障害をもつ人たちが働こうとするのは、

本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」

確かにそうだ…。

人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、

人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。

家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。

だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。

働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。

それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。

二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。

そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。

私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。

<引用終了>


ここの会社は、『日本でいちばん大切にしたい会社』という書籍をはじめ、

さまざまなメディアやマスコミなどでも多数紹介されています。

1960年に初めて知的障がい者を雇用してから60年たっています。

今では全従業員の70%以上が知的障がい者でありながら、

ダストレスチョークで、国内シェアNo1を維持している会社だそうです。

さて、女性ピアニストの野田あすかさんは

幼いころから、広汎性発達障害、解離性障害の障害を持っていました。

それが原因で、いじめ、転校、退学、そして自傷、

パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴などで入退院を繰り返してきました。 

ピアノを弾く手がアップされると分かりますが、左手には沢山のリストカットの痕跡。 

彼女の今までの人生、

いったいどれだけ、辛いことがあり、いったいどれだけ努力して、

乗り越えようとして来たのでしょうか?  

そして、どれだけの涙を流したのでしょうか? 

その彼女が、自分と同じ障害を持った子供たちのために作った曲

「手紙〜小さいころの私へ〜」の中の歌詞にこんなフレーズがあります。

  

みんなに 喜んでもらうために

いつも がんばっているね

みんなと同じになれるよう がんばって

くやしい思いを しているけど

いくらがんばっても

同じになれないこと 感じてる

 

この子達も、周りの誰かに、喜んで欲しい、笑って欲しい、そんな心でいるのです。 

手紙~小さいころの私へ~(発達障害のピアニスト野田あすか作詞・作曲・演奏・歌)


美しい心です。 

・障害を持っている人たち

・個性が強い人

・自分とは違うと、違和感を覚える人

・ソリが合わないと感じる人

・自分の価値観に合わない人 

そんな人たちを無視したり、

いじめたり、批判したり、のけ者にしたり、陰口をたたいたり 

私たちも、時折しがちです。 

ですが、どんな人も、「人から喜ばれると嬉しい」のです。

人から笑顔を向けられるのが嬉しいのです。

人の役に立ちたいと思っているのです。 

少しだけでも、そんな心をくみ取り、受け取って

にっこり笑って、「ありがとう」そう伝えてあげたいですね。 

きっと、その優しい気持ちは、二人を包み込み

美しい波動になって、宇宙中にこだますることでしょう。 

神々が、ニッコリ微笑んでくださることでしょう。


2025年1月22日水曜日

3680「レミングの群が街を駆け抜け続けるカルト国の日常に見える悪い輪廻」2025.1.22

 今回はInDeepさんの2025年1月8日の記事を紹介します。


「レミングの群が街を駆け抜け続けるカルト国の日常に見える悪い輪廻」

レミングの群が街を駆け抜け続けるカルト国の日常に見える悪い輪廻 - In Deep 


カルトが深化する日本

最近ちょっと記事の更新の間隔が開いているのですけれど、街中にどんどん増えていくマスクの群の光景を見ていますと、2020年にパンデミックが始まった頃に感じた不安がそのまま現実になっていることを感じる日々で、

「なんだか、もうね」

というような感覚で日々暮らしていたりします。

そして、どれだけ思い出しても、 2020年の時点で、日本あるいは各国の公衆衛生当局によって通達された数々の「対策」には実際には感染予防の実効的な意味合いがほとんどないことは当時で明らかでした。

それについて、2020年に「素晴らしいニューノーマルという名のカルト」という英国人精神分析医の文章を以下で取り上げています。

・ニューノーマルという名のカルト

 In Deep 2020年10月26日

実効的な意味がないものを実際の行動や生活に当てはめる理念は、それは「カルト」であり、それ以外のなにものでもありません。

2020年に始まった以下のようなことを思い出していただきたいと思います。

この中に感染予防効果のある対策は「一切」ありませんでした。しかし実際に行われていた。

・飲食店のパーテーション

・子どもへの黙食の強制

・三密の回避(笑)

・社会的距離

・多くの店での入店の際の検温

・耳ぶら下げマスク(苦笑)

・あごマスク(苦笑)

他にもいくらでもありました。

「食べるときだけマスクを外して、またマスクをして食事をする」(笑)とか、普通の思考があれば、そんなアバンギャルドな発想は出てこないわけですが、それが実施されるのがカルトの世界です。

もちろん、マスク着用そのものがカルトなわけですが。

以下の記事では、「所属している組織がカルトかどうかを示す」10の兆候についての記事をご紹介しています。

・カルトを超えて

 In Deep 2022年8月23日

その 10の中のひとつに次のような項目がありました。

懐疑論を抑圧する組織

承認された情報源を通じてのみ組織を研究することを許可されている場合は、おそらくカルトに属している。

カルトは批判的思考を悪しき伝染病と見なしており、それを抑圧するためにあらゆる努力が払われる。批判は禁止され、グループに反対する人々は迫害者と見なされ、「アンチ」、「背教者」、「抑圧者」などのラベルが付けられることがよくある。

これを読むだけで、「日本という社会集団そのものがカルトだった」ことが明確となります。

これらの「懐疑論の抑圧」は、2020年に始まった数々の対策と、そして、2021年に始まったワクチン接種の大キャンペーンの中で大々的に行われていたことを思い出されると思います。

「アンチ」なんていう概念は、今でも「反ワクチン」という言葉が存在するように、ずっとそれは続いています。

繰り返し書いていますように、その「すべて」に感染予防や感染拡大の阻止に対しての実際的な効果はまったくないわけです。

というか、どの対策も「マイナスに働いた」ことは、2020年から 2023年くらいまでの日本のコロナの感染拡大状況のグラフと接種回数の分布などを見れば一目瞭然ですが、過ぎたことはいいです。

 

しかし、現在、インフルエンザなどの風邪が大流行している中で、またそのカルトの芽が再度噴き出してきているわけです。

そして、おそらく国民がこんなに高い割合で現在でもマスクをしている国は日本だけではないかと思われます。

何が言いたいかというと、

「日本人は何度も何度もだまされていて、さらに反省もしていない」

という展開を私たちは、たった数年間の間に見ているわけです。

戦前の映画監督である伊丹万作さんの 1946年の寄稿文『戦争責任者の問題』という文章は、コロナの渦中よく取り上げることがありましたが、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という記事では、以下の部分を抜粋しています。


伊丹万作『戦争責任者の問題』(1946年8月)より

だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいないのである。

だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、だまされたものが必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

…「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。

aozora.gr.jp


また、なぜ、こんなことになるのかという理由の他のひとつとしては、

「世間の常識によりかかって生きたほうが楽だから」

ということがあります。

これは太平洋戦争中の日本もそうでした。

作家の山本七平さんの『ある異常体験者の偏見』(1973年)には、「日本社会が、合理的ではない全体思考に流れてしまう」理由について以下のように記されていました。


『ある異常体験者の偏見』(1973年)より

そして、それが世の常識となる。するともうどうにもならない。動かすことも、ゆるがすこともできなくなる。

すると人びとはその不動の常識によりかかっていた方が楽だから、そこで思考を停止し、他に規定された判断をそのまま自分の判断とし、そしてその常識なるものに反対するものは自分の方から排除してしまう。ひどい時には村八分にしてしまう。従って事実を知っている者はみな沈黙する。

いったんそうなると、もういいも悪いもない。その常識という虚構の上に順次に虚構が積み重ねられていき、しまいにはどんな誇大妄想狂も口にしないようなことを言っても、人びとは何の抵抗もなく受け入れてしまう。

今の日本は、この文章の、

> しまいにはどんな誇大妄想狂も口にしないようなことを言っても、人びとは何の抵抗もなく受け入れてしまう。

という状態に突き進んでいるような気がします。

理由はいくつかありますが、ひとつは 2020年から続いたマインドコントロールがさらに深化することにより、催眠状態に陥っている日本国民の比率が高くなっていること(参考記事)、もうひとつは、

「考えることが面倒くさい」

という国民の比率が高くなっているように見えることもあります。

山本七平さんの言うように、そのほうが楽ですから。

  

そして人民寺院化した日本

先ほどリンクしました「カルトを超えて」という記事は、今から 47年前にガイアナで起きたカルト教団の集団自決についてのことから始まります。

それは人民寺院というカルトで、1978年11月に決行された集団自決で 918人が死亡するというアメリカ国民の集団死としては、史上最大の事象を起こした組織です。

人民寺院は、毎週末に繰り返し「集団自決の予行演習」をおこなっていたことが後でわかります。集団自決の本番の名称ついては「白い夜(White Night)」とされていました。

これについては、集団自決の渦中に人民寺院を取材していた米国の新聞記者の著作『ガイアナの虐殺』という本に詳しいです。

 

人民寺院の場合、予行演習が見事に実際の大量死に結びついたわけですが、日本はどうなんですかね。

そういえば、この事件のあった翌年に、日本のリザードというロックバンドが「ガイアナ」という曲をアルバムに発表していました。

高校生の頃に初めて聴いたと記憶していますが、年譜を見ますと、1979年とありますので、もう 46年の曲ですね。

以下のような歌詞でした。

ガイアナ(1979年) 歌詞


ガイアナの白い夜に気をつけろ

カミカゼ、ハラキリ、スウィサイド、ジェノサイド

レミングの群が街をかけぬけるぜ

信者達のわめき声がきこえるぜ

ヘイ、誰かがわめいているぜ

ガイアナ

あんたの背後にも、そうさ、ガイアナ

カミカゼ、ハラキリ、スウィサイド、ジェノサイド

夜中に一人裏街を歩く時

あんたの頭をかき乱すのは何?

ヘイ、誰かがわめいているぜ

ガイアナ

YouTube


いつの日か日本版の「白い夜」がやってくるような気がして仕方がありません。

口に白い布をつけたレミングの群はすでに街を駆け抜けていますから。


2025年1月21日火曜日

3679「憎しみからの解放」2025.1.21

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月09日の記事を紹介します。


「憎しみからの解放」


今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。

心の中から憎しみを消さないかぎり、本当の幸せを手に入れられないからです。

よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、

思ったり口にしたりしない方が良い」と言われますが、 

それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、

本当の幸せを掴むことが、自分の力でできるようになるからです。

私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。

そしてその結果、現実の生活では、様々な艱難苦難に遭遇していきます。

その憎しみの対象は、家族に対してのことがダントツに多いようです。

親や配偶者など。。

ですが空海の仰るように、

心というのは、生きていても、死んでからも同じ、 

憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら、  

天からの光に気づかない。

無意識に拒否する。 

だから、死後も成仏できない。

死後も同じ状態のまま、長い長い地獄のような生活を送らなければならない。 

すべては本人の心の問題。

が真実のようです。

肉体があろうと、亡くなって肉体が無かろうと、心の状態は変わらない。 

死んですぐに仏になるわけではない。。 

ですので、このことが空海が言う、 

生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする? 

という「即身成仏」の教えに繋がってきます。

空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ 

と教えています。

ここで言う仏とは、心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。

生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで、

天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。

もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ、死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。

でも、そこには仏の慈悲があります。

生きている間には、いろんな人と接することで、 

気付きをもらうことが出来ます。

私達は、今こうして生きています。

それぞれが置かれた環境は異なります。 

楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。

ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、

・好きな人に囲まれ、

・嫌いな人に囲まれ、

・人を好きになったり、

・嫌いになったり、

・嫌われたり、

様々な経験を積み重ねていくことで、

沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。

もし、私達が自分の置かれた環境で、その様々な境遇に感謝して、 

明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、

きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。

生きながら幸せになれるかもしれません。

私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に今置かれています。

例え、苦しく感じる環境であっても、それは実は私達の心にとっては、

神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。

最後に空海のお言葉を紹介します。

 

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。 

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。


空海が生きていた当時の日本で、

仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。 

ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、死んだ後の来世の幸せを説くものでした。

ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。

そして、その方法こそが、素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。 

だったのです。

魂が喜ぶとは・・

自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。

良心に従った生き方です、

皆に感謝とは・・

みんなに「ありがとう」と言う事です。

素直に生きて、皆に感謝をすることで、 

今、この生きているうちに

「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。

不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。

・むり、

・どうせ、

・だって  

と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。

ですが、もしそれに疲れてしまったら、この空海の言葉を思い出してみて下さい。

きっと空海の仰る通り、

生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。


2025年1月20日月曜日

3678「家族になった訳」2025.1.20

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月08日の記事を紹介します。


「家族になった訳」


世界で一番大切な人なのに・・・

家族って、どうして、こんなにも難しいものなのでしょうか? 

本当のホンネでは、愛し、愛されているのに、

誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・

憎しみ合う人たちも多い・・・

今日はそんなテーマです。

結婚するまでは、他人同志だった二人。

・生活感、

・価値観、

・金銭感覚、

・物事の受け取り方も 

まるで違う者同士。

結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら幸せに暮らして行きたい。

子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。

お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・

そう思っていたのに、実際は、家族だから、苦しめ合っている。

そんな現実が、なんと多いことか。

家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、業という大きな理由を見つけました。

ブッダが生きていた時代にお弟子さんだった小林正観さんが

家族について次のように仰っています。

<引用開始>

みなさんは、家族は長く一緒にいて、自分の主張をし合うことが仲よしの証拠

だと思っているところがあります。

でも、私はそのように、家族をとらえていません。

家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、目の前の家族という名の

特別な存在に対しても、言わないという訓練の場なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、

その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激昂(げきこう)して、

腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていい、という特別な感情を持っているわけです。

もしここで、踏みとどまることができるなら、

その人は忍耐力というのを持っているわけです。

自分で自分の感情が、制御できているんですね。

それが、ある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、

別の人との関係ではコントロールできないというのは、 

制御ができないのではなくて、制御をしないのです。

家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御しないのは、

甘えているという意味で、それを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、

多分、穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、

わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、

それでもなおかつ、そのわがままを言わないために存在するのです。

言わないということは大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。

「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。

家庭というのは、ストレスを発散する場ではありません。

幼児性でわがままを振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。

そこで自分がいかに、幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

これは業(ごう)というものですけれど、

その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。

幼児性というものを克服するために、家庭が存在するということがわかってくると、 

子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきている、

ということに気がつきます。

結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、相手が一人増えるわけです。

妻や夫という名の家族が。

そして、子どもができたときには、もう一人別な存在が、できてきます。 

妻や夫や子どもが、自分の思いどおりにならなかったりすると、感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たない、ということの訓練の場として、

実は家庭というものが存在する。

ですから、家庭はわがままを言うところではないし、ストレスを発散する場ではないのです。

<引用終了>

日常の生活の中で幼児性を目にする機会は良くあります。

・上司が部下に怒鳴る

・妻に暴言を吐き、暴力を振るう

・年配者が若者に暴言を吐く

・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、

 怒鳴ったり、いら立ったりする

相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。

・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている

・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う

・いじける

そういう人には、すべて幼児性があります。

どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、

わがままで自分さえよければいいという、甘えが抜けない。 

それはまるで幼児と一緒です。

幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、 

つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。

幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、腹を立てて怒ったり、

怒鳴りまくってしまいます。

でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、その幼児性に気付き、そして穏やかな気持ちでいられるよう、自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。

家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。

それに早く気付けるように・・

自分の中の、幼児性に気付けるように・・・

そして、お互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、貧しい中でも工夫して、

小さな幸せを見つけ、笑いながら、みんな、仲良く、幸せに暮らして行きたいですね。

それが、家族と言う単位を作った、神さまの優しい、計らい、目的なのですから。


2025年1月19日日曜日

3677「小さな思いやり」2025.1.19

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月07日「因果応報-悪口」と2025年01月10日「小さな思いやり」の2つの記事を紹介します。


「因果応報-悪口」


人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが、非常に簡潔に、優しい言葉で大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、 

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”がどこに行ってもいるんですけれど、

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、

神さま(自分自身の良心)によって、同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、 

今度は言った人に悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合 

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、

同じような嫌な波動をまとい、自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、何だか負けた気になってくる。 

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、

それを心に留めず、受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。感謝します」と言って、

離れたら、また元のようにご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、陰口を言われることは日常茶飯事ですので、 

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、かなり楽に生きられるかもしれませんね。


「小さな思いやり」


神様が、神さま自身を知るために、神様に似せて作った人間の本能には 

「人から喜ばれると嬉しい」というものがあるそうです。 

この本能は、人間に与えられた本能であると同時に

神さまの性質でもあります。

ですので、ちょっとしたことに、 

笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。

誰からも、愛され、みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。 

きっと神様も同じ気持ちです。

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、 

日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。

ありとあらゆるところに、神さまの働きを感じることができるからです。

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、

「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、

「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、

神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

神さまの声は、誰かの口を通してくることもよくあります。

また外応と言って

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。 

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。

神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、神さまは私たちの身近で、

良きことを起こしてくださいます。

ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、

こんなことが書いてありました。意訳します。

<引用開始>

もし神様がいるとしたら、 

小さな幸せや、ささいなことでも、喜んでくれる人のために、働こうか、

もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか?

それとは逆に

全てを偶然と片付け、神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、

特別なことをしてくださるはずがないではないか。 

そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、

他人卑下(他人を・・・)をして

神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。 

頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人 

どちらに神様は微笑むでしょうか? 

<引用終了> 

耳をすませて見て下さい。

注意深く、周りを見渡してみてください。

あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう。

また、いつもと違う 何かに気づいたなら、悪い予兆などとは考えず、 

是非それを  良き予兆と解釈して、よろこび、神様に感謝してみてください。

きっと ますます、恩寵に気付きやすくなると同時に、

幸せが、雪だるまのように、どんどんと膨らんでくることでしょう。 

感謝の種が増えてくることでしょう。 

一見不幸に見える

・死別

・病気

・事故

・貧困

などでさえ、私たちの魂を磨き、

光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。

私たちが、その出来事を 

・どのように受け取るか?

・どのような意味を与えるか? 

その違いだけで、天と地ほどの違いが出てきます。

・小さな親切

・小さな思いやり

・小さな優しさ

を感知できる感受性を持ち、喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。 

私たちの周りには、気づかないだけで、

それらが沢山 散らばっています。


2025年1月18日土曜日

3676「何に感謝するのか」2025.1.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年01月05日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


今日は、私たち人間の持つ全ての悩み苦しみの、共通の解決方法についてです。

神様や自然界、宇宙からのサポートをふんだんに得るためには「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法をご紹介します。

小林正観さんの著作からご紹介します。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、とても恵まれていて、悩み・苦しみがないのですが、一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。」

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係は、いいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。舅さんも姑さんもとてもいい人で、

私は恵まれてほんとうに幸せです」と、彼女は答えました。

「そうですよね」。親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、手を合わせて感謝をしたことがありますか?自分がどれほど恵まれているかということに、手を合わせて感謝をしたことがありますか?」と聞きました。

「え?」と小さく声を発した彼女は、そこからまた前の例と同じように、どわーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、

頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、

神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、

神さまの目の前に立ちふさがって、 

この人のいうことを聞いてはいけないと邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、実はそれ以外に、

自分がどれほど恵まれているかということに感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているかということに気が付いたならば、

恵まれてないその一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、来る日も来る日も、自分が恵まれていることに手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。 

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、感謝をしない、というのは、本当の感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。

足りないものだけを挙げつらねて「神さま、これをください」

というのは、ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。

今の環境に置いて下さったのは神様です。

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるためだけに

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、

私たちの魂を引き上げようとしてくださっているからです。

ですので、その悩みは決して永遠に続くものではありません。

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。

きっと、それが答えですから。