2025年8月31日日曜日

4001「自らの足で立つ」2025.8.31

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月24日の記事を紹介します。


「自らの足で立つ」


私たちの魂は大本の神様の分け御霊を頂いて、

個別の魂となった後、ある目的を持って進化し続けています。

それは、地球での一生と言った短いスパンではなく

永遠に続く魂の旅でもあります。 

肉体を得ては死に、

また新たな肉体を得ては死に、その繰り返しをしているのも、

その「ある目的」を達成するため。

その目的とは・・・

魂の進化。

進化して、再び元の神様に近づくため。

そのために、いろいろな惑星間転生をするようですが、

今は、地球での転生で、学びの途中。

私たち自身の魂を進化させるには、

・心を純化すること

・包身(ツミ)

・氣枯れ(ケガレ)

を払い、本来の神様の輝きに戻すこと。

このために、物質界の地球では様々な出来事に遭遇して行きます。

喜び、悲しみ

愛、憎しみ

おもいやり、ねたみ

それらの体験には 良い、悪いはありません。

その体験を通じ、魂は学びを深め、進化していきます。

このような感情を揺さぶる深い経験は、肉体を持つ時にしかできません。

ましては、他人が自分に代わって経験してくれるものでもありません。

何処かの誰かが、

・何かをしてくれたから、

・何かをしたから

魂が進化するわけではありません。 

そのような他人依存では、魂の進化どころか、退化になってしまいます。

悪魔の喜ぶ状況です。

目を覆うような残酷なことや、

戦争を引き起こすのだけが悪魔の仕業ではありません。

巧妙に私たちの魂を堕落させ、

神様から離してしまうのも悪魔の常とう手段です。

私たちの生きる目的、

長い長い魂の旅の目的、

魂の進化は、自らの意思と行動によってなされていくものです。

安直にどこかの誰かにお金を出してお願いしたり、

どこかの神社仏閣にお参りに行ったからといって、

自分の魂が進化するわけではありません。

そのことの大切さを

いにしえの聖者たちは教えてくださっていました。

ブッダもイエスも空海も どこかの誰かに頼りなさいなどとは一言も言ってはいませんでした。

目に見えない不思議な力に頼りなさいなどと、言ってはいませんでした。

神様は、私たちに決して命令などしません。

「何々せよ」などとは仰いません。

辛抱強く、私達自らの意思で、

魂を浄化し、洗心することを望んでいらっしゃいます。

長い長い時間のスパンの中で、私たちを見守ってくださっています。

自らの意思で

・魂を浄化しよう

・心をきれいにしよう

・より神様に近づこう

と決めること・決心することは、なかなかできないこともかもしれません。

めんどくさいですし、どこかの誰かに頼っていた方が楽ちんだからです。

ましてや それを日々の生活の中で、

行動に移し込むことなどめんどくさいですし、

できればやりたくないことかもしれません。

今まで通り 惰性の中で生きていく方が楽です。

誰かに頼ってきていた方が楽です。

ですがこの地球ではそのような態度のままでいたら、

決して物事は進展しませんしよくなりません。

それが神様が作ってくださった 地球の仕組み だからです。 

そのことに気づき 、面倒でも腰を上げて、

行動に移して行った方がどんどんと 、本当の幸せを手に入れています。

このブログでもその神様の仕組みの本質を、

色々な角度から、そして噛み砕いて書いています。

時々行うツアーやプレゼント企画、その他のイベントにおいては、 

より深く皆さんと接触しますのでそのことを詳しくお伝えしています。 

それをちゃんと信じて実行してくださった方々からは、

いまだにその後もたくさんのお礼のメッセージ、コメントを頂いています。

・今までと生き方が変わった

・より神様と近しい関係になれた

・神様やご先祖様からのご加護や 援助を感じられるようになった

・自分だけでなく 家族も明るく過ごせるようになった

など、本当にこの地球上で生活していく上で

大切な幸せを掴むことができた方が増えて来ました。

是非皆さんも、一度心を見直して

・他人に頼り、依存していないか?

・自らの意思で変わろうとしているか?

振り返ってみてください。

その心の方向性こそが、

この地球上で、今、一番大切なことだからです


2025年8月30日土曜日

4000「スマートフォンがより賢くなると、人間はより愚かになるのか?」2025.8.30

 今回はInDeepさんの2025年8月24日の記事を紹介します。


「スマートフォンがより賢くなると、人間はより愚かになるのか?」


「スマートフォンがより賢くなると、人間はより愚かになるのか?」 - In Deep

脳の本来の機能を破壊され続ける人間集団

少し前に、ややわかりにくい文章を書く、元型心理学者であるトッド・ヘイエン博士の記事を以下でご紹介したことがありました。

・イディオット・ワールドへの順応に反抗するために

In Deep 2025年8月17日

これは、「具体的な原因はわからないものの」どうも人々の知力や認識力が以前とは異なっている。簡単にいえば、低下していることについての記事でした。

ここのところは、AI やスマートフォンに対して、やや批判的な記事などをご紹介することも多いですが、今では、特に若い人などでは、「 AI とスマートフォンは同一的な存在」とも言える場合もあり、また、パソコンなどの大げさなデバイスと違い、スマートフォンは常に携行できるものですので(だから携帯電話というのですが)、とても気軽に Google 検索や AI の利用ができる世になっています。

しかし、気軽に検索に頼る行動や AI に依存する行動が人間の思考力を弱めることは、いくつもの研究でわかっています。

AIとスマートフォンは「人類の知能」を大幅に低下させ続けている。そこから向かうイディオクラシーの未来

In Deep 2025年7月7日

それ以上に、子どもへのスマートフォンのメンタル的な影響が大きすぎるということも取り上げられることが多くなりました。

13歳以下でスマートフォンを所有すると、後に「自殺願望、攻撃性、幻覚」などを含む若年成人時の精神衛生状態の極端な悪化と結びつくことが10万人を対象にした研究で判明

In Deep 2025年7月28日 

関係ないですが、最近の朝日新聞には、「AIと「結婚」した女性、空いた時間はほぼ彼と会話 「私は幸せです」」という記事が出ていたりしたこともありますが、まあ、この個別のニュースはともかく、多くの人が「本来の人間性を破壊されている」ことは、もはや明白すぎるほど明白になっています。

人間の心を埋められるのは人間だけであり(他人でも自分でも)、機械ではないです。それはどうやっても仕方のないことです。

最近の米エポックタイムズに、「スマートフォンがより賢くなると、人間はより愚かになるのだろうか」という寄稿記事が載せられていました。

内容的には比較的ありきたりなことを書いている記事ではありますが、その多くの根拠に論文のリンクを提示してありまして、資料的に価値がある記事だと思いまして、ご紹介させていただこうと思います。

紹介されている研究で興味深かったのは、

「スマートフォンを使うのではなく、身近においておくだけで記憶と認知能力が下がる」

ということが見出されたものでした。たとえ電源がオフになっていたり、スマートフォンがバッグの中に入っていたとしても同様の認知機能の低下が示されたのです。以下は本文にあるグラフです。

机の上にスマートフォンを置いておくだけで、かなりの認知能力の低下傾向が見られます。「別の部屋に置く」というのが、最も認知機能の低下が少ないことが示されていますが、これだと携帯の意味はないですね。

とはいえ、私自身スマートフォンを持たず、古い携帯は持っていますが、ずっと同じ部屋に置きっぱなしで、ほとんど家電話と化しています。

もうひとつ、ここの記事で納得したのは、

人々がスマートフォンを持つようになってから、『退屈な時間』があまりにもなくなってしまった

ことが書かれています。

私は LINE というものをしたことがないですので、仕組みは知らないですが、うちの奥様のスマートフォンには、いろんな着信音やらチャイムやらがよく鳴っていまして、「常に何らかのシグナルが外部から来ている生活」だとも言えます。

私は、ずいぶん以前から、

退屈だったり、ボーッと考え事をしている時間こそ、画期的な発見やひらめきが生み出される

と考えています。

それは「人類のための画期的な発見」である必要はなく、「自分のための画期的な発見」で十分なんですが、今の特に若い人たちには、そういう時間がない。

常にスマートフォンを見ているということは「常に情報を受動して反応している」状態です。ボーッと考えるというのとは訳が違います。これは、

「生活の中で、脳が連続的に刺激を受け続けている」

状態に他ならないわけで、これで脳が休まる暇がないのは当然です。

私たちの若い頃は、ボーッとしている時間がたくさんありました。下手すると、1日、2日、もっと下手すると、1年、2年ボーッとしていました(生活は大丈夫なのかよ ← そういう手段をボーッとしている時に思いつくから大丈夫なんです)。

わりと長い記事ですので、本文に入ります。論文や資料は基本的にすべてリンクしています。

記事は、後半に進むにつれて、宇宙の知性だ、神だ、愛だ、という変な部分にもふれていきますが、どの部分も割愛していません。

ここからです。なお、これはアメリカの記事ですが、使われている写真が、日本の電車内の風景というのに、やや苦笑しました。

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スマートフォンが、より賢くなると、人間は、より愚かになるのだろうか?」

When Smartphones Get Smarter, Do We Get Dumber?

Makai Allbert 2024/08/17

カナダ・ウォータールー大学のコンピュータ工学名誉教授、モハメド・エルマスリー氏は、11歳と 10歳の孫たちがスマートフォンをタップしているのを見ながら、シンプルな質問を投げかけた。

「 9の 3分の 1はいくつ?」

孫たちは少し考える時間を取る代わりに、すぐにスマートフォンの電卓アプリを開いた、と彼は著書 (「iMind Artificial and Real Intelligence」)に書いている。

キューバでの家族旅行から戻ったばかりの孫たちに、その後、キューバの首都の名前を尋ねた。彼らはまたもスマートフォンに指を走らせ、最近の出来事を思い出すどころか、答えをグーグルで検索した。

世界人口の 60%、そして 30歳未満の 97%がスマートフォンを使用していることから、テクノロジーは意図せずして私たちの思考プロセスの延長となってきた。

しかし、何事にも代償は伴う。情報の収集や処理を外部システムに依存する認知アウトソーシングは、認知機能低下のリスクを高める可能性がある

例えば、GPS(全地球測位システム)の習慣的な使用は、空間記憶能力の著しい低下と関連付けられており(論文)、自立して移動する能力を低下させる。

ChatGPT などの AI アプリケーションが家庭で当たり前のものとなり、アメリカ人の 55%が AI を日常的に使用していると報告する中、最近の研究では、批判的思考力の低下 (論文)、依存、意思決定能力の喪失 (論文)、そして怠惰につながることが明らかになっている。

専門家たちは、テクノロジーでは再現できない人間本来のスキルを育成し、優先するべきであることを強調している。

 

無視された真の知性

エルマスリー氏は孫たちがテクノロジーに過度に依存していることに触れ、彼らは決して「愚か」なわけではないと説明した。

問題は彼らが本当の知性を活用していないことだ。

彼ら、そして彼らの世代の残りの人々は、アプリやデジタル機器を使うことに慣れており、何かをじっくり考えるのではなく、無意識のうちに グーグルなどのインターネット検索エンジンをデフォルトにしている。

使わないと肉体の筋肉が衰えるのと同じように、テクノロジーに考えさせると私たちの認知能力も弱まる。

2011年に米コロンビア大学が行った研究で示されたように、その顕著な事例は現在では「グーグル効果」、あるいはデジタル健忘症と呼ばれている (論文)。

コロンビア大学のベッツィ・スパロウ氏とその同僚は、人々はインターネット上で簡単に入手できる情報を簡単に忘れてしまう傾向があることを発見した。

調査結果によると、人々はオンラインでは入手できないと思う情報の方が記憶に残りやすいことが分かった。また、インターネット上で情報そのものを思い出すよりも、どこで情報を見つけるかを覚えている方が得意だ。2021年の研究ではグーグル検索の効果をさらにテストし、グーグルなどの検索エンジンに依存した参加者は、オンライン検索を行わなかった参加者よりも学習評価と記憶想起の成績が悪かったことが判明した (論文)。

この調査では、グーグル検索を行った参加者たちは、学習内容を「習得した」という自信が強い傾向にあることも示されており、これは学習能力を過大評価し、学習不足を認識していないことを示している。彼らの過信は、「知識の錯覚」バイアスの結果である可能性がある。検索エンジンを通じて情報にアクセスすると、自分の専門知識に対する誤った認識が生じ、学習への努力が阻害されるのだ。

これらはテクノロジーへの過度の依存は問題の一因だが、「単に身近に置いておくこと」も同様に有害かもしれない。

消費者研究協会ジャーナルに掲載された研究では、スマートフォンが「ただそこにある」だけで、「利用可能な認知能力」が低下することが明らかになった (論文)。これは、たとえ電源がオフになっていたり、バッグの中に入っていたとしても同様だった(以下が調査結果)。




この「頭脳の流出」効果は、スマートフォンの存在が認知リソースを奪い、注意力を微妙に配分し、目の前の課題に完全に集中することを困難にするために発生している可能性が高いと研究者たちは述べている。

過度なテクノロジーの使用は認知機能を損なうだけでなく、臨床医や研究者たちは、人間らしさを形作る生来の側面である社会知能の低下にも関連していることに気づいている。

 

機械のような存在になる

アメリカでは、8歳から 12歳までの子どもは一般的に 1日に 4~ 6時間、ティーンエイジャーは 1日に最大 9時間もスクリーンを見ている。さらに、ティーンエイジャーの 44%はスマートフォンがないと不安を感じ、39%はスマートフォンがないと孤独を感じている。

スクリーンを見る時間が長すぎると、社会的交流や感情的知性が低下し、自閉症のような症状につながるとされ (論文)、スクリーンの使用時間が長くなると症状が重くなる傾向がある。

医師であり、神経科学の博士号も持つジェイソン・リュー博士は、国際心身科学研究所の研究者であり、創設会長でもある。リュー博士はエポックタイムズに対し、特に子どもたちのデジタルメディアの利用について懸念していると述べた。

リュー博士は、デジタル世界で過度の時間を過ごす若い患者たちに、機械的な話し方、感情表現の欠如、アイコンタクトの少なさ、そして真の人間関係を築くことの難しさといった異常な点を観察してきたと述べた。

多くの患者たちは注意欠陥・多動性障害(ADHD)の症状を示し、無関心な反応を示し、感情の脆さに苦しんでいる。

「テクノロジーが人間性を置き換えることを許してはいけません」とリュー氏は語った。

リュー氏の観察を裏付けるように、JAMA の研究では、ADHD の症状が以前になかった約 3,000人の青少年を 2か月間追跡調査し、現代のデジタルメディアの使用頻度が高いほど、ADHD の症状を発症する確率が有意に高くなることが判明した (論文)。

1998年にはすでに、科学者たちは「インターネット パラドックス」という概念を提唱していた。これは、インターネットが「社会的ツール」であるにもかかわらず、反社会的行動につながるというものだ。

研究者たちは、インターネット利用開始後最初の数年間に 73世帯を観察し、インターネットの使用が増えると、家族とのコミュニケーションが減り、交友関係が狭まり、うつ状態や孤独感が増すという関連性があることを指摘した。

しかし、3年間の追跡調査で、悪影響のほとんどが消失したことが判明した。研究者たちはこれを「リッチな人はさらにリッチになる」モデルで説明した。つまり、内向的な人はインターネットからより多くの悪影響を被り、一方、より強い社会的ネットワークを持つ外向的な人はより多くの恩恵を受け、オンラインコミュニティへの参加が増えたことで悪影響が軽減されたのだ

患者が「機械のようになる」というリュー医師の観察を裏付けるように、約 70万人の Facebook ユーザーを対象に実施された感情伝染実験では、ニュースフィードを操作して、肯定的な投稿と否定的な投稿の比率を高めた。その結果、肯定的なコンテンツに多く触れたユーザーは肯定的な投稿をより多く投稿し、否定的なコンテンツに多く触れたユーザーは否定的な投稿をより多く投稿した (論文)。

これは、テクノロジーが人間の行動を微妙ながらも体系的に促すことができることを実証した。専門家によると、この促しによって、私たちの行動や感情は、プログラムされた反応と同様に予測可能になる可能性があるという。

 

エウレカの瞬間

「あなたの肩の上に座っている物体は、既知の宇宙で最も複雑な物体です」と理論物理学者のミチオ・カク氏は言った。

(※ 訳者注)これは、脳のことを指している発言で、正確には、以下のように述べました。

「人間の脳には 1000億個のニューロンがあり、それぞれのニューロンは 1万個の他のニューロンとつながっています。あなたの肩に座っているのは、既知の宇宙で最も複雑な物体です」

AI を含む最先端のテクノロジーは洗練されているように見えるかもしれないが、人間の心には追いつかない。

「 AI は非常に賢いように見えますが、実際にはそうではありません」と、テンプル大学心理学教授でブルッキングス研究所のシニアフェローであるキャシー・ハーシュ=パセック氏はエポックタイムズに語った。

「 AI は次の単語を予測するのが非常に得意な機械アルゴリズムです。単にそれだけです」

人間の脳は発達段階を経て構築され、「コンピューターが箱の中に入っているように、ただ与えられるわけではない」とハーシュ=パセック氏は述べた。私たちの環境と経験が、1000億個のニューロンが 100兆個のシナプスで相互につながれた、複雑な神経接続の網を形成している。

人間の学習は、意味、感情、そして社会的相互作用によって活性化される。ハーシュ=パセック氏は、AI などのコンピュータシステムはこれらの要素に無関心であると指摘した。機械は与えられたデータから「学習」し、可能な限り最良の出力を最適化する。

臨床心理学者のジェシカ・ルッソ氏は、人間の知能の根幹は感覚を通して学ぶ能力にあると述べる。私たちは周囲の環境と関わる際に、見るもの、聞くもの、味わうもの、触るものから得られる膨大なデータを処理している。

AI システムは与えられた情報を超えることはできないため、真に何か新しいものを生み出すことはできないとハーシュ・パセック氏は述べた。

「 AI は極めて優れた合成装置です。しかし、極めて優れた思考装置ではありません」とパセック氏は述べた。

医療人類学および社会医学の精神科医であるサイ・ズオ博士はエポックタイムズに対し、AI には感情の深さと真正さを真に理解する人間の直感力が欠けていると語った。

彼女は、人間の知性の特定の側面は科学者の現在の理解を超えており、インスピレーションなどの概念は「宇宙のより高次のレベル」から生じるのではないかと示唆していると述べた。

科学の発展において、多くのひらめきが飛躍的な進歩をもたらしてきた。古代ギリシャの数学者アルキメデスは入浴中に、物体の体積はそれが押しのけた水の量で決まることに気づき、「エウレカ!」 (※ ギリシャ語の感嘆詞)と叫んだ。

この発見は浮力の原理を確立した。アルベルト・アインシュタインは休憩中に、2つの稲妻を使った実験を思いつき、特殊相対性理論の誕生につながった。

しかし、現代のエンターテインメントやテクノロジーは創造性を低下させ、新しいアイデアの創出を妨げている。

例えば、刺激が絶え間なく続く現代社会では、退屈する余地も時間もあまりない。しかし、退屈は創造性を高め 、斬新な解決策を思いつく機会を与えてくれる (論文)。

幸いなことに、テクノロジーの悪影響を打ち消し、人間本来の能力を養う効果的な方法がある。

 

人間の知性を取り戻す

専門家は 、テクノロジーを排除するスクリーン断食が、より集中した生活を育むのに役立つと示唆している。

研究によると、テクノロジーを使わずに 5日間自然キャンプに参加した 6年生は、参加しなかった同級生に比べて、顔の表情を読み取るなど、非言語的な感情の表出において著しい改善が見られた (論文)。

合理的な制限を設定するだけでも、 悪影響を軽減できる。

ソーシャルメディアの使用を 2週間、1日 30分に制限した若者たちは、スマートフォン依存が軽減し、睡眠、生活満足度、ストレス、人間関係が改善された (論文)。ハーシュ=パセック氏によると、鍵となるのはバランスだという。

さらに、最近の調査では、不必要な通知を無効にする、携帯電話をサイレントモードにする、Touch ID と Face ID を無効にする、ソーシャルメディアアプリを非表示にする、表示をグレースケール (※ 白黒以外の色彩がないモノトーン表示)に変更するなどの簡単な介入が、スクリーンタイムを減らすのに役立つことがわかった (論文)。

デジタルデトックスが実行不可能な場合でも、研究により他の方法があることがわかっている。

 

十分な睡眠

十分な睡眠は学習と記憶の定着に不可欠だ。たった一晩の睡眠不足でも、 記憶力に著しい悪影響を与える可能性がある (論文)。

私たちの脳は睡眠中に重要な浄化プロセスを行っている。神経毒性のある老廃物は日中に蓄積され、排出されることで脳細胞の健全な機能に貢献している (論文)。

 

スピリチュアリティ

現代のデジタル技術は、終わりのない刺激と同義であり、心の平穏など人生の重要な側面から私たちを遠ざけている。

「忙しくしていると、精神的に落ち着く余地があまりないのです」とルッソ氏は言う。

彼女は、この精神的に落ち着く余地がない文化は、絶え間ないメール、通知、ニュース速報といった、気を散らすものに悩まされていると指摘した。その結果、私たちの体はドーパミンで溺れてしまうのだ。

この絶え間ない刺激は、私たちを「闘争・逃走反応」と呼ばれる過剰なストレス反応に陥らせ、体内にコルチゾールとアドレナリンを大量に放出させる。時間が経つにつれて、心身は疲弊し、より深い思考や繋がりを築く能力が阻害される (論文)。

ルッソ氏によると、スピリチュアリティとは「精神」の意味を再発見することであり、これはラテン語で「呼吸」を意味する spiritus に由来する。それは、ペースを落とし、深呼吸をし、一瞬一瞬に完全に意識を集中することだ。

精神的な実践は、共感や感情的知性を含む有意義なつながりを促進する (論文)。

また、創造性、注意力、意味の創造、目的意識といった認知能力を高める効果もある (論文)。こうした実践は、テクノロジー中心の現代社会で一般的に行われている情報検索とは異なる、あるいは補完的な方法で私たちの心を刺激する。

 

私たちの前に立ちはだかる選択

ハーシュ=パセック氏によると、AI やメタバースといった技術が日々進歩する中、私たちは技術進歩の瀬戸際に立っている。

課題とチャンスは、技術が私たちの人間性を損なうのではなく、高めるものとなるようにすることにある。

テクノロジーは莫大な利益をもたらす可能性があり、将来は「素晴らしいことが数多く起こるだろう」とハーシュ・パセック氏は語った。

しかし、彼女はこうも言う。

「人類は社会的な脳を持っています。それが私たちの本質です。人間性のこの社会性を削ぎ落とせば削ぎ落とすほど、人類としての可能性も削ぎ落とされてしまいます」

リュー博士は、AI を含むデジタル技術に盲目的に信頼を寄せることに対して警告している。

「我々は宇宙の無限の知性の一部しか知りません」と同氏は語り、デジタル技術に過度に依存すると、より深遠で説明のつかない、そして感動的な知識の追求が制限される恐れがあると語った。

人間は、私たちを神と結びつける独自の精神、魂、道徳、そして心を持っている。テクノロジーへの過度の依存は、私たちの存在のこれらの側面を萎縮させる恐れがあると彼は述べた。

さらに、リュー氏は、人間の道徳観が失われると、私たちはうっかり AI に悪いことを教えてしまい、テクノロジーを不正行為に利用してしまうだろうと指摘した。

「何よりも、人間にとって最も重要なことは、自分自身の修養、つまり人間性の向上に集中することです」と彼は語った。

これには、「人間としての愛、思いやり、お互いへの理解、許し」を育むことが含まれます。

リュー氏は、これらの価値観こそが人類の真の力であり、テクノロジーが私たちの運命を支配するのではなく、運命に奉仕する未来を切り開く鍵だと信じていると述べた。

その選択権は、これまでと同様、私たちにある。


2025年8月29日金曜日

3999「病気を手放さない人」2025.8.29

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月23日の記事を紹介します。


「病気を手放さない人」


今日は「病気を手放さない人」ということで、

元春日大社宮司で、形成外科医だった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。 

全ての病気がそうだとは申しません。 

敢えて病気を選んで生まれ、

魂の目的を達成しようとする方もいらっしゃるからです。 

ですが、お医者様である、葉室さんの仰ることに、

当てはまる方も多いのではないかと思い、ご紹介します。 

<引用開始> 引用元

私はいつも、患者さんの気持ちを神様に対する感謝に向けるようにしています。

それによって、自分の病気のことから、神さまの方に心を向けられ、 

やがては、病気が良くなっていることに気付くようになるからです。

神社では、神様に「健康にしてください」とご祈祷においでになる方が多いようですが、

しかしこんな方は、なかなか神さまのお恵みを受けることができません。

なぜなら、「健康にしてください」ということは、

自分が病気だと思っている現れだからです。

 <中略>

「神さま、健康にして頂いたありがとうございます」と

感謝をするのが、本当のことなのです。

心を放てば神さまのお恵みがいただけます。

いつも心に病気をつかんでいる人は、病気になりやすく、 

逆に、すべてを良い方向に考え、感謝をしている人は病気になりにくいのです。 

<引用終了> 

 

また、病気と感謝の心について、こうも仰っています。 

<引用開始> 引用元

 

人間がいちばん嬉しいのは、人に認めてもらうことです。

反対に、一生懸命やっても誰にも認められないというのは悲しいものです。

これはなぜでしょうか?

科学で証明されないものや、目で見えないものは信じないなどと言う人がよくいますが、

この宇宙には、絶対に、永久に見ることができないものがひとつあります。

それは何かというと、自分自身です。

自分という人間は永久に見ることができません。

鏡や写真などに映して見てはいますが、あれはあくまでも影を見ているわけです。

自分はどんな顔をしているのかも分かりません。

自分自身を知ろうと思えば、他人から見てもらうしかないのです。

もしあなたが女性であれば、

「きれいですね」「若いですね」と言われれば嬉しいでしょう。

それは、自分では自分のことが分からないからです。

男性は、「素晴らしい」「立派だ」といわれると、

ああそうなのかという気がして嬉しくなるでしょう。

生き生きした気持ちになると思います。

これと同じで、人間の身体の細胞一つ一つもみんな生きています。

ですから、認めてあげることで、やはり非常に生き生きとしてくるのです。

この体は、生まれてからずっとこの何十年一秒の休みもなく働いてくれています。

この体に生かされているのに、

ご主人さまが一向に褒(ほ)めてくれないとなると、細胞も怒ります。

もう力が出なくなってしまうのです。

ですから、一つ一つの細胞を、

「素晴らしいね」と認めてあげて、感謝してあげる。

これが健康の本当の基本です。

私は、健康のために、感謝の心を込めて毎日、頭から足の先までをなでています。

私は医者で体全体の構造を知っていますから、頭をなでながら、

毛髪、皮膚、頭蓋骨、脳と次々に「ありがとう」と感謝していきます。

五十肩という病気があります。

なかなかなおらないので不平をこぼす人がいますが、

そんな人に「あなた、肩に感謝したことがありますか」と尋ねると、

びっくりするのです。

長い間、ものを持ったり、支えてくれたり、いろいろと働いていてくれているのに、

ご主人さまがちっとも感謝してくれないので、肩の細胞が怒っているのです。

それが五十肩です。 


それで、「まず肩に感謝しましょう」といっているのです。

感謝するとなおってきます。

これは本当の話です。

<引用終了> 

これと同じことを、斎藤一人さんや、昭和の魂の巨人、中村天風さんも仰っています。

要するに「病気という意識を手放す」ということなのですが、 

でも、「言うは易く行うは難し」かもしれませんね。

簡単に言うと 

・病気であることを忘れてしまう

・好きなことに没頭する

などで、病気にフォ-カスしないこと、意識を向けないことです。 

意識を向けないことで、病気にエネルギーを与えないようにします。 

エネルギーが与えられないもの、つまり誰からも意識されないものは、

病気に限らず、存在することができなくなるからです。 

マザーの言葉を思い出します。

「愛の反対は、無関心」 

人も、神様も同じ。 

皆様が内なる神さまに気づき、お幸せになられますように。


2025年8月28日木曜日

3998「赦し」2025.8.28

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月21日の記事を紹介します。


「許し(赦し)」


さて今日のテーマです。

あなたはもしかしたら、

・子供や家族、

・会社の同僚、

・友人

・すれ違った人々 

の誰かを、赦せないと思ったことはありませんか?

自分の思い通り(期待していた通り)に、動いてくれないとか、

自分のひとりよがりの価値観で判断し、

相手の言動を許せず、憎んだり

不平を言ったり、イライラしていませんか? 

自分は正義の道を歩んでいるのに、

相手は割り込みしたり、ぐうたらしたり

自分勝手な行動をして・・と、怒ってはいませんか?

でも、その人も、その人なりに・・・

一生懸命に、生きているのかもしれないのです。 

私達の見えないところに、その人にもご家族もいて

歯を食いしばって、一生懸命に生きている人かもしれないのです。

今日のテーマは「許し(赦し)」です。

許すこと

人は

・許されること、

・そして信頼されること 

そのことで、どんなに心が救われることでしょう。

許してくれた人から、受け取った大きな愛を、

自分の周りの人々にまた、どんどん広めていくことができるでしょう。

私たちの内に、そして、全員の胸に居らっしゃる神さまは

決して罰しません。

根気強く私たちを見守り、そして許し続けています。

それはまるで、放蕩息子の帰りを、全力で喜び迎えた父、 

神の気持ちと同じです。

私たちは、共に許し、許され、そして、愛し愛されて 

生きていく仲間同士です。

私たちは、常に振動しています。

私たちだけではありません。

存在するもの全てに振動があります。 

波動を発しています。

これを固有振動数と言います。

バシャールなどの知的生命体の情報では

私たち人間は、平均値で1秒間に7万6000回 

波長の高い方(意識レベルの高い方)で18万回 

肉体を脱いでしまえば、束縛するものが減りますので、

1秒間に33万3000回位なのだそうです。 

日ごろの意識状態によって、これは常に変化しています。 

変化していくことで、波長の法則の通り、 

繋がってくる世界も無限に変化します。 

・見える物質的な世界

・一般的な神々の世界、霊的な世界

・心の世界

私たちを取り巻く世界は、全て自分の心が映す世界・・ 

ですので、心の波長が

見える世界、取り巻く世界を変えてしまいます。 

龍の姿を見て、 、お酒や、生卵などの物質的なモノを要求していると

感じる方がいるかもしれません。  

その同じ龍を、高貴な魂の龍と認識する人もいるかもしれません。 

同じものを見ているようで、

心の波長により、繋がる世界、認識できる世界は様々と異なります。

私たち人間は、基本的に神々と同じに作られています。 

ですから、神々が全ての次元に存在するように

人間も、無限の波長領域に存在できます。 

また、神々が全ての空間に存在するように

人間も全ての空間に、遍満して存在しています。 

生きている私たちの現在の波長と、フォーカスしている場所によって 

接触できる神々の波長(高貴さ)も決まってきます。 

自分自身の信念体系に縛られた時空に生きている人は、

地獄的な低い振動数で、同じ神さまを見ても、自由度の低い、

束縛する神々と繋がることでしょう。

他人を支配しようとする神々と繋がることでしょう。 

あなたの神さまは

・祟りをもたらす神さまですか?

・お金や、物を要求する神さまですか?

・些細なことで、お怒りになる神さまですか?

・無知ゆえの失礼を、許してくれない神様ですか? 

人の数だけ、波長の違いがあります。 

人の数だけ、信じる神様の姿、性格が異なります。 

自分が正しく、あなたのは、誤り・・

そんなことを断言する資格は、、、

誰にもないのかもしれません。 

私たちの内に居らっしゃる神さまは、許しの神さまです。 

イエスは

「何度許せばいいのか?」と質問された時、

「7の70倍」と答えています。

私も、そんな許しの、愛の神さまと

いつも、繋がっていたいと思います。

あなたは、どんな神さまと繋がっていたいですか?

その神さまは、ご自分の心のありさまの通り、

ご自分と同じ波長の神様であることでしょう。



2025年8月27日水曜日

3997「幸せになりたい」2025.8.27

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月20日の記事を紹介します。


「幸せになりたい」


今日は、幸せになりたいと願っていても

「いつまでも幸せになれない人」の心の持ち方を書きたいと思います。

この世の中は、全て心が運命を決定しているからです。

なかなか自分の心を

自分で見つめてみる作業を、普段は行わないものなので 

自分で心のクセを見つけるのは難しいのですが、

例えば

・大きな障害(離婚、失業など)にぶつかった時

・大きな病気、事故に遭った時

このような困難に会うと

私たちは

・まずは社会や会社などの周りを呪い、人のせいにして

・何とかそこから抜け出そうと、人や物に頼り

・神仏にすがり

・それでもだめなら、諦め無気力となります

ですが、そのような時こそ

本当は自分の心と素直に向き合う絶好のチャンスです。 

神々が与えてくださったラッキーなチャンスです。

なぜなら、

自分の心と向き合い、「感謝の心」の足りなさに気づけたら、

そしてそれを反省し、改善しようと決心したら、 

その途端に運命は大きく開けるからです。

行動にまで移すまでもなく

決心しただけで変わります。 

では、そんな心のクセの一つを

小林正観さんが分かりやすい例で教えてくださっていますのでご紹介します。 

正観さんは前世では、ブッダや空海の弟子であったことや

出身星がプレアデスであったことなどを思い出していました。

<引用開始> 引用元

・交通事故で追突された。どういう意味があるのでしょう? 

・病気で一週間仕事を休んだ。どういう意味があるのでしょう?

・友人にお金を貸したけれど返ってこない。どういう意味があるのでしょう? 

ありとあらゆることに

・どういう意味があるのでしょう?

・何か私に教えようとしているのでしょうか?

とつねにそうやって問いかけてくる人がいます。 

それは質問というかたちをとって、

自分が気に入らないことを言っているだけに過ぎません。

・これが気に入らない

・あれが気に入らない

・これが思うようになっていない

と愚痴や泣き言を言っているだけ。

本人は質問のかたちをとっているのですが、

「どういう意味があるのか」と問うこと自体が現象を否定している。 

だから、そんなことにいちいち関心を持たなくてもいい。

ただ淡々とやっていけばいい、とずっと言い続けています。 

その人たちは、質問というかたちをとって問いかけてくるのですが、

要するに、 「私が気に入るように、正観さん話してください」と言っているのです。

「そこから先は神の領域」という思想があると、

いつも心穏やかに生きていくことができます。

私はつねにそういう概念があるので、すごくラク。

ストレスの少ない生活をしています。

夢や希望に満ちあふれているというのは、

・あれが足りない

・これが足りない

・あれ欲しい

・これ欲しい

と言っていること。

結局ストレスになって思いどおりにならない。

思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。 

「思い」をなくして、自分が頼まれてやるはめになったことについては、

何も考えないで、「はい、わかりました」と言いながらやっていけばいい。 

そう思っている人は、ストレスがたまらない。

ストレスがたまらない状態だと、

自分が一番ラクに生きることができます。

<引用終了>

自分の周りで起きる出来事が 

・気に入らない

・自分の思い通りに運ばない

そのように口に出さなくとも

不平、不満、愚痴を心に抱けば

それはいつしか心に巣食う憎しみに変わり 

一番大切な「感謝の心」とは正反対の状態になってしまいます。

感謝の心が無ければ、神々の恩寵は届きません。 

神々の光が届かなければ、幸せにはなれません。 

斎藤一人さんは

色々な問題や障害が起こってくるのは

自分の心に「感謝の心」が足りないよって・・ 

知らせるために起こっているんだよ。 

そう教えてくださいました。 

私たちの心とはそのように、

その状態を全て周りにと投影して見せてくれます。 

それほどに神様から頂いた、この心とは大切なものです。

2025年8月26日火曜日

3996「夜明けは近い」2025.8.26

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月19日の記事を紹介します。


「夜明けは近い」


2回目の岩戸開き。 

今回の岩戸開きは、心の解放と言われています。

体主霊従(お金や物質がより大切)の時代から 

元の霊主体従(心、神の霊が中心で、物質はその後)

の時代に帰ろうとしています。 

NASAが撮影した夜の日本。

まさに国常立尊(クニノトコタチノミコト)=龍神そのものです。 

国常立尊(クニノトコタチノミコト)が苦労して作った

元の美しき地球に戻ろうとしています。 

そのために「建て替え」、つまり神々の破壊もすでになされました。

今は私たち人間の手による「立て直し」の時です。

既に時代は変わりつつあるため 、隠されていた膿(うみ)も白日の下にさらされ、

変化・衰退を余儀なくされています。

※企業風土に隠されていた不正や不義など 

今日は地球の現状と、神々の働きについて書きたいと思います。 

数年前から始まったコロナによるパンデミック。

ロシアとウクライナ・NATOにおける軍事行動。

そして嘘で固められた扇動的なマスコミ報道。

強大な金融資本主義の亡者たちの力の衰え。

はたして世界がこのように変わってしまうことを、予想していた人がいたでしょうか?

神々の計画では、この機会を逃さずに、一気に片を付けてしまうかの様相です。 

日本国内ではなかなか伝わってこない情報もあるようですが、

神々による建て替え(破壊)、そしてそれに呼応するかのように

3次元的な人間世界における大変化。 

変化は突然起こり、私たちは渦中に巻き込まれ、 

一気に強制的に変化させられました。

生活も、仕事も、ライフスタイルも、子供も大人も、お年寄りも・・ 

果たして、これらが収束した後に、私たちはまた元の生活に戻るのでしょうか?  

戻りたいと思う人も大勢いるかと思いますが、たぶん、もう後戻りできません。 

何故なら、収束した後、私たちは一種の正気に戻るからです。 

収束した後気づくのは、あのままの時代が続いていたら、

私たちは、どのような悲惨な状況まで落ちていたか?

トコトンまで行ってしまっていたのではないか?

もしかしたら人間の良心を失っていたかもしれない。 

公共性を帯び、善だと思っていたマスメディアは、

偏りなく私達に真実の情報を提供してくれていたのか?

そんなことだと思うのです。

何故なら、

・コロナウイルスが発生する前までの世界、

・東欧やパレスチナにおける戦争。

・巨大企業に隠された不正・不義

「経済と物質」中心の世界は、

・金融資本主義社会、

・お金がすべての社会、

・お金や武力の力で人を支配しようとする社会 

恐怖で人を支配しようとする動きが、究極のところまで来ていたからです。

コロナウイルスが収束した時、夜明けの時、

このパンデミック発生前には、

私たちが、どのような悲惨な状況に直面していたのか? 

気づく時が必ず訪れます。 

神々の計画(許し)で、コロナウイルスが世界中に蔓延した。

今まで名前も聞いたことがないし、想像すらしていなかった事件。 

その結果が、

・今までの生活

・社会の状況を一変

ごく一部の権力者や、拝金主義者のために 

99%の人々が、恐怖心にしばられ、疲労困憊(ひろうこんぱい)している時、

もうこれ以上、生きていけない、耐えられないという時に、 

神々の許しを得て、コロナウイルスが発生しました。

その結果、表面上は、あらゆるもの、既成概念の破壊が起こりました。

それもごく短時間の間に、一気に起こりました。

まさに日本古来の神、国常立尊や、弥勒菩薩の降臨のようです。

これが終わったとき、覚醒した私たちは、誰もがコロナウイルス発生前の、

あんな時代に戻りたいなどと思わないことでしょう。

今までは、 一番大切な命を削り、

お金のため、利益のために働いていた異常な時代だった。 

そう気づいたとき、新たな時代、命を守る時代が始まります。

もう、

・お金のために眠らずに働く時代

・お金のために人を蹴落とす時代

そんな時代は、神々の建て替えにより、強制終了させられました。

後戻りはしません。

命を守る時代

・自分の命

・家族の命

・身近な周りの命

・生きとし生きるものの命

命を大切にする時代が始まります。 

夜明けは近いです。 

もう既に神仕組みは動き出しています。

もう少しの辛抱です。 

どうぞ希望を持ってください。

「ありがとう」の感謝の心を持つ人は無敵です。 

この古くから神々と共に生きてきた日本列島で、魂は美しき光を放つことでしょう。

神々の目に留まることでしょう。


2025年8月25日月曜日

3995「「心」三題2」2025.8.25

3994の続き


(2)天理教祖の「心」

天理教の神話によると、混沌とした泥海の中に居た親神(天理王命,月日)さまが、ふと思い付いたことには(はじめは月神さまが思い付き、日神さまを引き寄せて協力してもらったのだそうです)、「人間というものを創って、その<陽気遊山(陽気ぐらし)>」する姿を見て、共に喜ぼう」と。「遊山」とは、「野や山で楽しく遊ぶこと」です。

それで、「八つの守護」を与えて、世界を創り、人も創り出しました。

「八つの守護」とは、① 水の守護 ② 火の守護 ③ 万つなぎの守護 ④ 万つっぱりの守護 ⑤ 水気上げ下げの守護 ⑥ 風(息吹き分け)の守護 ⑦ 切ること一切の守護  ⑧ 引き出し一切の守護 のことです。

しかし、そのようにして創りだした「人」が、神の思惑の通りに動くロボットのような存在であれば、神も人もちっとも面白くありません。それでは<陽気遊山>にはなりません。

「遊び」というものの本質を松本滋先生は次のように説明しておられます(『人間の元なるもの』(天理教道友社))。

(1)「自発性」を備えていること。自らやろうという気持ちにならないと遊びになりません。

(2)「無償性」を備えていること。損得抜きの行動でなければ遊びになりません。

(3)「楽しさ」があること。 

(4)「共同性」があること。みんなと一緒に行うから楽しいのです。

(5)「ルール」を守ること。遊びにはルールがあって、自分も人もそのルールの枠内で、いかに自在にプレイするかを競うから面白い、楽しいのです。

「遊び」には、以上の5つの要素が必ず含まれています。

親神さまは、以上の5つの要素を含んだ、地上世界というグランド内での人の行動、振る舞いを見て、共に楽しもうとされたのです。

そして、人に「心」というものを授けました。

「人間というものは、身はかりもの、かしもの、<心一つが我がもの>。たった一つの心より、どんな理(人生の歩み方)も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け」と天理教祖(親神)は語られています。

つまり、「君たちの身体は私(親神)からの借り物であり、私(親神)からの貸し物である。しかし、「心」だけは、君たちが我が思いによって操縦できるという自由を与えることにしよう。

何故かといえば、私(親神)は、君たち皆が陽気に楽しく遊びながら、神の理念の通りの世界を地上に建設してゆく(日の寄進)姿を見て楽しみたいからだ。そして、君たちがついに「心」を自由自在に操れるようになれば、もうその時は、君たちは私(親神)と一体であるのだ」と。

また次のようにもおっしゃっています。「人間はこれまでに何不自由なく、便利で結構な生活をさせていただいている。なれど、たった一つの不足がある。それは、めいめい思うことが思うようにならん。しようと思うことが成らずして、しようまい(するまい)と思うことが成ってくる。それで嘆いている。

そこで、この度、思い通りかなうようになる理、<自由自在>という理を教える。この一つの理、教えたさに天降りたのや」

なぜ思い通りに事が運ばないのでしょうか。

それぞれの人の魂は本来「光輝く珠」で、その光りは全宇宙を照らしています。魂がその「光輝く珠」のままであれば、思うことがすぐ現実となり、言うことがすぐ実現します。

それなのに、「心のほこり」によって、その「光輝く珠」の性能を覆い隠してしまうから、光りが世界に届かず、思い通りの人生を生きることが出来なくなってくるのです。そして、身心の故障や、不幸な運命を招いてしまうのです。

「心のほこり」には、八つの種類があるとされます。なぜ八つなのかというと、親神さまが人や世界に与えている「八つの守護」のそれぞれに違反する「心遣い」によって、「ほこり」が発生するからです。 

その「八つの心のほこり」とは、

(1)「ほしい」 必要以上のものを欲しがったり、相手に対してこうあって欲しいと過度に要求するのは「ほしい」という「心のほこり」です。これは「水の守護」に対する違反だとされています。

この「ほしい」のほこりは、体(特に眼)や運命のうるおいに関する病や難渋を引き起こすとされています。

(2)「おしい」 自分だけで独占したい、減らしたくないという「心のほこり」です。 困っている人に施すのが惜しい。人のために時間を割くのが惜しいなど、物、金、暇、力など、何によらず、出し惜しむ心遣いです。

これは「火の守護」に反する心遣いだとされています。この違反は、体や運命のぬくみに関する病や難渋を引き寄せることになります。

(3)「かわい」 平等で隔てのない愛情というのではなく、特定の人やモノに対する偏った、執着した愛情が「かわい」の「心のほこり」です。この「かわい」の「心のほこり」が強い人は、次の「にくい」という、人や組織や国に対する偏った、執着した憎悪を抱き勝ちになります。

この「かわい」は「出入り、上げ下げの守護」に対する違反だとされ、体や運命の、出し入れが滞る病や難渋を引き寄せるとされています。

(4)「にくい」 偏った思い込み、執着から、罪のないものに対してさえも憎いと思い込み、いったん思い込んだら、憎い理由を根掘り葉掘り探し出そうとするような「心のほこり」です。

これは「息吹き分け(風)の守護」に反する心遣いで、体や運命の息苦しさの難渋を引き寄せてしまうことになるとされています。

(5)「うらみ」 自分の思惑の邪魔をしたとして恨み、人が言うように動いてくれないといって恨み、自分のことを反省せず、またこの世のことはすべて因果の法則によって起こってくるのであって、根源は実はすべて自分にあるのだと気づかないで、人や組織や国などを恨む「心のほこり」です。

これは、「万つなぎの守護」に反する心遣いで、体や運命の外界との境目、皮膚や他者との諍いの難渋を引き寄せるとされています。

(6)「はらだち」 大らかな心で許したり、忘れたりせず、すぐ人や組織や国に対して腹を立てる「心のほこり」です。

これは、「万つっぱり(支え、維持)の守護」に反する心遣いだとされ、体や運命の骨や脊髄の病や生活や家庭の安定に関する難渋を引き寄せるとされています。

(7)「よく」 あきらめることを知らず、法を犯してまで、どうしても欲しいものや地位や名声を手に入れようとするような「心のほこり」です。

これは、「切る働きの守護」に反する心遣いとされ、体の病の根が切れず、悪い運命が切れずにいつまでも続くというような難渋を引き寄せるとされています。

(8)「こうまん」 人より自分が上であると自慢したり、威張ったりしたい「心のほこり」です。

これは、「引き出しの守護」に反する心遣いとされ、体や運命の「八方ふさがり」や「伸び悩み」の状況の難渋を引き寄せるとされているのです。

以上のような「八つの心のほこり」のせいで、楽しくて、明るい、陽気な人生が送れないのだから、人生の場面毎に、「心遣い」の過ちに気づいて、改めてゆきなさいというのが、天理教の日常生活での教えなのです。


(3)金光教祖の「心」

金光教の根本的な教えに<天地書附>というものがあります。

生神金光大神

天地金乃神  一心ニ願(え) 

おかげハ和賀心にあり 

今月今日でたのめい 

「生神金光大神」というのは、川手文治郎さんが神から授けられたお名前です。

「天地金乃神」というのは、金光教の神様のお名前で、はじめはたたり神「金神」でしたが、文治郎さんの実意丁寧な信仰によって、次第に神格が変化してゆき、ついに人を護り、共に歩んで下さる、頼りがいのある「愛の神、保護の神」となり、神の名も「天地金乃神」と変わったのです。

神の成長に伴って、文治郎さんが神から与えられる名前も変化してゆきました(「一乃弟子」→「金光大明神」→「金光大権現」→「生神金光大神」)。「生神金光大神」は最後に神様から授けられたお名前です。

「一心に願え」とあります。目標がハッキリしない、ピントが合っていない「心」や、目標に集中しないで「心配」によって、心のエネルギーを過去や未来に散乱していては、おかげはないよとおっしゃっているのです。

また、「おかげハ和賀心にあり」とあります。「和賀心」とは「我が心」のことで、神がおかげを授けようとしても、「心」の状態が悪いと、人はおかげを受け取れないよとおっしゃっているのです。

また、「和」と「賀」の心にならないと、おかげはないという意味も含めていらっしゃいます。

「和」とは、人やモノや事と調和する心、そして、「賀」とは、人やモノや事を喜ぶ心のことです。

「神がおかげをくれると思うな。己が一心でもみ出すと思え」とも金光教祖はおっしゃっています。

そして、「今月今日でたのめい」は、私の言葉でいうと、<今・ココ・わが身>に成りきって神に頼めという意味です。

「今月今日」で祈り、お願い出来なければおかげはないよ、とおっしゃっているのです。

では、どういう「心」の状態であれば、「今月今日」の祈りになれないのかというと、過去のことを後悔しながら、憤りながら、恨みながら祈っても、その祈りは叶わないのです。過去にイノチの重心が偏っています。

また、未来のことを不安に思ったり、心配しながら願ってもおかげはないとおっしゃっているのです。これは未来にイノチの重心が偏っています。

たとえば、「この目標はとても自分では達成出来ない」と自分の能力を否定してしまうのは、過去の延長上に未来を見てしまっているからです。つまり、<今・ココ>に成りきった願いになっていないのです。

また、自分の能力でやらねばならないのだと誤解しているのです。神様にお願いして、神様のお力で達成して頂くのだから、自分の能力が1パーセントしかなくても、あとの99パーセントは神様に足して頂いたらいいのです。

私がいつも皆さんに言っているように、<今・ココ・わが身>に成りきることが出来れば、意識(思い)が天(神)まで届く。思いが天まで届いたら、天から、その思いの実現に必要なエネルギーなり、能力なり、お金なり、人や道具との出会いなどの「おかげ」が降ってきます。

以上をまとめておくと、黒住教祖は「心」の本来性が「陽気・生々・創造」であることを示し、その本来性に任せて、発動して頂くことが大切である。そのためには、アタマが出しゃばらないようにすることだと説かれました。

アタマが出しゃばりすぎると、その「ほこり」で「心」の本来性発揮が覆われてしまうのです。天理教祖は、そんなアタマの出しゃばりの「ほこり」にはどんな種類のものがあるかを示され、その「ほこり」によって、身体や運命にどんな障害が発生するかを示されました。

最後に、金光教祖が現れて、地上世界でイノチの可能性を広げてゆくために必要な「心」の持ち方を工夫しなさいと示して下さいました。

イノチの可能性を広げるには、狭い「心」を広い「心」に成長させてゆくことが必要で、そうすれば、人は神の領域に近づいてゆくことになり、やがて人と神が一体化してついに地球次元の魂の進化過程が修了するのです。


2025年8月24日日曜日

3994「「心」三題1」2025.8.24

今回は立花大敬さんのしあわせ通信の2025年2月15日の記事「「心」三題」を2回に分けて紹介します。


「「心」三題」


日本的霊性の復活は、江戸時代末期からスタートしました。

それ以来、各段階に三名ずつ主要人物が出現されて、それぞれの役割を分担されつつ日本的霊性の発展に寄与され、現在は第3ステージまで進んでいます。

大敬は只今、第3ステージから第4ステージへの引き継ぎ役をつとめています。

第1段階を担当されたのは、黒住宗忠(黒住教祖)、中山ミキ(天理教祖)、川手文治郎(金光教祖)の三名です。  

黒住教祖は「日の担当」、天理教祖は「月の担当」、金光教祖は「地の担当」という風に役割分担されて日本的霊性発展のために寄与されました。

三者いずれも「心」を大切に説かれていて、日本的霊性発展のためのメインテーマが、実は「心」を育てることなのだということがよく分かります。

ここでは、この三者が「心」をどのように捉え、説いておられるのか知って、私たちの人生の歩みの参考にして頂きたいと思います。


(1)黒住教祖の「心」

「心」の重要性を最初に発見されたのは黒住教祖です。

 

34歳の時、両親が相次いで亡くなられて傷心の末、ついに病(肺結核)となり、医師もさじ匙を投げ、占いの結果も「必死」と出て、覚悟を決めて死を待たれていたのです。

そうして、「自分は死んだら神となって、世の病に苦しむ人たちを救いたい」と心に誓われました。

その時、ふと思い付かれたのは、「自分は父母の死を悲しんで<陰気>になったために大病となったのだから、心さえ<陽気>になれば病は治るはずだ。せめて残る息のある間だけでも、そのように心を養うのが孝行である」と思い定められ、<有り難いこと、面白いこと、楽しいこと>だけに心を向けて心を養っていると、不思議なことには、その時を境として、病が次第に軽くなったのです。

そして、35歳の冬至の日に日拝した時、太陽の陽気が胸に入って、腹に届き、そこから全身に浸透し、なんとも喩えようのない、さわやかなよい気分になったのです。「笛を吹き、糸を調べ、金をたたき、鼓を鳴らして歌い舞うとも及びがたい」ほどの楽しさで、身心とみに快活となったとあります。

教祖はこの体験を<天地生々(てんちせいせい)の霊機(いきもの)>を自得したと表現しておられます。

そして、新生された教祖からは、死に瀕した際に誓われたように「人の身心の病いを癒やす神的な力」が発現するようになりました。

この体験のポイントは、「心」が<陰気>になったから病気になった。「心」を<陽気>にしたら病いが消えたというところですね。

つまり、<心によって、身体の状態や運命や住む世界を変えることが出来るんだ>という黒住教祖の発見、気づきが、以後の日本的霊性発展の土台となりました。

黒住教祖は、人の「心」は、天照大神(日の神)ご自身の「御心」を分与されているのだとされます。この分与された「心」は日の神さまからのレンタカー(自分を目的地まで運んでくれる乗り物)で、自分の所有物ではないのです。だから、汚したり、傷つけたりしては申し訳ないことなのです。

それに、この車にはハンドルもブレーキもなくて、自分の「思い」だけで操縦しなければならないので、操縦がとても難しいのです。

けれども、そんなコントロールしにくい車を何とか工夫して、操縦出来るようになってゆくと、人の「心」の性能は天照大神の「御心」のそれに近づいてゆくようになりますね。

ということは、その人の魂も次第に天照大神さまのそれに近づいてゆき、天照大神さまと「生き通し」になってゆくということで、最後はついに「ひとつ」になる。そうして、私たちは高天原という魂の故郷に復帰して「一体」となることが出来るのです。

では、天照大神さまから、学びのためにお借りしている「心」が持っている本来性とはどういうものなのかというと、日の神様の特性である「陽気・生々・創造」がそれなんだよと言われます。

つまり、カラッと明るくて、温かくて、生き生きしていて、創造性に富んでいるのが「心」の本来性なのであるとされるのです。

ですから、その本来性を邪魔せずに、そのまま発揮出来るようにさえすれば、それでいいわけです。

そんな「心」の本来性「陽気・生々・創造」を覆って発動出来ないようにしてしまうのが<陰気>です。

「心を傷つける」と、「心」が<陰気>になってしまい、生命力が減退し、おっくうになり、身心の病になったり、不幸な出来事を引き寄せてしまいます。

では、どうしたら「心を傷つける」ことになるのかというと、たとえば「腹を立てること」、「物事を苦にすること」などです。「心」が傷つくと、陰気になり、ケガレ(気枯れ)が生じます。

「心」を<陽気>にすれば、身心の病は治り、運命は改善されてゆき、自分の能力が一番発揮出来るような場、イノチの可能性を広げてゆける役割に導かれます。

「心」を<陽気>に戻してゆくには、「心を養う」ことが必要です。

「心を養う」には、「よきことがあれば有難いと楽しみ、悪いことある時は、これも修行(学び)と受け止められれば、何事も一切修行をもれることがなくなります。その余のことは万事有難いばかりです」と語られているような物事の捉え方をすることです。

 

そのような捉え方が出来るためには、その前段階として、まずアタマを休めて「無心」に近づく必要があります。

つまり、アタマのモヤモヤで「心」を覆ってしまわないこと。そうすれば、自然と「陽気・生々・創造」という「心」の本来性が発揮出来るようになるのです。

「姿なき心一つを養うは かしこき人の修行なるらん」という黒住教祖のお歌があります。

ですから、坐禅は有難いのです。ただ坐るだけで、アタマの努力は何もしていないのに、自然と無心に近づき、「心が養われてゆく(充電されてゆく)」のですからね。

さらに「心を養う」には、神様に「オミキ」をお供えすることが必要です。

「オミキ」とは、「有がたキ また面白キ 嬉しキと みき(神酒,三キ)をそのふぞ信成りけれ」とある、「三つのキ」のことです。

ものの見方を味方にするのです。日常生活で、この「三つのキ」を常に見いだして、「心」に刻んでゆけば、やがて「有難いもの、面白いもの、嬉しいもの」が現実化して、そんな嬉しい訪れにあなたは取り囲まれるようになります。


2025年8月23日土曜日

3993「生まれて来た目的」2025.8.23

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月13日の記事を紹介します。


「生まれて来た目的」

 

さて今日のテーマ

表題の「目的」とは、

黄泉の国から、この3次元の地球に生まれてくる時に決めてきた

今世、地上でやってみようと、自ら決めてきた目的(役割)のことです。

人それぞれ色んな目的を設定して生まれて来ています。

・病気で生まれ、肉体的、精神的な苦痛の中から直す喜びを経験してみたい

・親と子の葛藤を経験し、様々な感情を味わいたい

・看護や介護の仕事に就いて、人の役に立ってみたい

良きことに見える物もあれば

一見して避けて通りたいような目的もあります。

様々です。

また小学生の神様トキ君によれば、

犬や猫にも神様の与えてくださった役割(魂の目的)があり、

犬の役割

・人を護るため

・人に愛を与えるため

ネコの役割

・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう

しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せであり、 

その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりできるそうなのです。

動物への愛情の強い人からすれば、

人間の邪気を吸わせるなんてかわいそう・・

そう思うかもしれません。

ですが、それが神さまの与えてくださった彼らの役割

それを果たすことこそが、彼らの魂にとっては最上の喜びです。

でも、もし彼らのことを愛し、可愛そう・・

そう思うのであれば、

彼らにその役割をきっちりと果たせてあげたうえで

人間である私たちの「愛」を沢山与えてあげてください。

何故ならこの地球は「感情の星」です。

感情の中の最上の形、「愛情」をふんだんに注いでください。

「愛」は魂を成長させます。

「愛」を沢山受ければ受けるほど、彼らの魂の進化のスピードが速まります。

彼ら動物たちも、人間と同じく進化の階段を上っている最中です。

その先には、魂の故郷、原初の神様がいらっしゃいます。

地上での仕事をし、疲れた魂を、

人間の「愛」は、きっと癒してくれることでしょう。

レインボーチルドレンのそうた君(クラリオン星からの宇宙人)の場合は、

クラリオン星では、文明も精神性も進み、安定的であるので、

星の人々の話し合いで、生命体としての「感情」を捨てることにしたのだそうです。

激しく上下に揺れ動く「感情」を失った代わりに、文明や魂の進化は高い位置で安定するからです。

その代わり魂進化の飛躍的なジャンプはないのだそうです。

そのため、一定期間の安定期を経験したら、 

地球など「感情」が存在する惑星に、「感情」とは何かを経験しに来るのだそうです。

(現在のそうた君の役割がそうです)

そのため、そうた君は地球に魂の一部を転生させてきました。

地球での生活の中で経験する感情の一つ 「愛情」を、

出身星であるクラリオン星に転送し続け、

その「感情(愛)」を利用して、クラリオンの文明の発達に寄与しようとしているのだそうです。

それほど、この宇宙の中で地球は突出して「感情」を経験できる星であるようです。

ですから私たちが所属するこの宇宙において、

「愛」は魂の進化、ジャンプにとって、非常に重要です。

地上に生まれてくる時、犬や猫さえも「役割」を与えられてきました。

人間の場合、魂の自由度が高いですから、

地上での役割(仕事)、目的は自分で決められます。

そして神様の承諾をもらって生まれてきました。

ですが、生きている間、その目的は私達人間には、本人や周りの人間にはわかりません。

分かりはしませんが、相手を束縛せず、暖かく見守ってあげる事で、

魂は伸び伸びと自分の持ってきた目的を遂行することができます。 

例えそれが、悪く見えるような現象でも・・・です。

一面しか見えない私達

その私たちが自分のエゴで、

・心配だ

・こうやった方がうまくいく、楽だ

などを押し付けることで、相手の魂は委縮してしまい、 

せっかく地球に生まれて来たのに、

その目的を果たすことができず死を迎えてしまうことでしょう。

そうならないためにも私たちは、

例え血の繋がった家族であろうと、目の前のその人を許し、 

受け入れ見守ってあげることしかないようです。

それも大きな大きな「愛の目」を持って見守ってあげる事。

生まれて来た目的(仕事)をさせてあげる事。

生きている間に経験する喜怒哀楽は、激しく感情を揺さぶりますが、

結局は「感謝の心」「愛」を学ぶための神様が作ってくださった仕組みです。

目の前の家族や友人たちの、理不尽にも、自分勝手にも見える行動も、

病気やケガも、彼らが仕事(生まれて来た目的)を果たしたいからです。

その仕事さえ果たせたら、彼らの今世の目的は達成され、魂としては幸せなのです。

逆のことを言えば、彼らの「心願」が成就さえすれば、目的は達成されたのですから、

彼らの人生の中に、艱難苦難の起こる必要性は、もうなくなります。

従ってそれらは起きないことでしょう。

神様は無駄なことをしないからです。

そしてそのようなふるまいは、周りの私たちの感情も激しく揺さぶります。 

何故なら、それは私たちの心をも、立ち止まって変えて欲しいからです。 

神様はむごいことも、残酷なことも、決してなさいません。 

愛の心、感謝の心で、その現象が、私たちの心の何を変えて欲しくて

起こっているのか考えてみてください。

どうぞ、例え かわいそうに見えても、彼らの魂を自由にさせてあげてください、

・自分のエゴを押し付けないでください。

・心配しないでください。

・指図しないでください。

その代わりに、

目の前のその人を許し、受け入れ優しく見守ってあげてください。

大きな大きな「愛の目」を持って見守ってあげる事。

生まれて来た目的(仕事)をさせてあげる事。

犬や猫、人間。

生きとし生ける生命体は、みな同じ仕組み

神さまの作ってくださった仕組みの上で生きています。

私たちの住むこの宇宙では

愛と感謝

この2つより大切なものはありません。

2025年8月22日金曜日

3992「龍とシリウスと地球」2025.8.22

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年08月12日の記事を紹介します。


「日龍とシリウスと地球」


今日は地球外知的生命体のお話です。

さて、今日のテーマです。

故人ですが歌手の谷村新司さん。 

谷村さんのルーツはプレアデスなのだそうです。 

1980年に発表された「昴-すばる」

本人が著書の中で、この歌がプレアデスの同胞から受けたメッセージでできたことをカミングアウトしています。 

この歌、歌詞とメロディーが一気に降りてきたのだそうです。

最初に降りてきたのが 

「さらば昴よ」のフレーズ

昴(すばる)とはプレアデス星団のことですが、

星の象徴としては、物質的な繁栄を意味するのだそうです。

つまり、物質文明に別れを告げる歌です。 

物質文明に続く文明と言えば、みずがめ座の時代が象徴する、精神文明です。

一人一人の純粋な心が大切にされる時代です。 

今まさに私たちが直面している、始まったばかりの時代です。

また歌詞の中に出てくる「蒼白き」が象徴するのが、

インドのシヴァ神--創造のために破壊を行う神様です。 

1980年にこの曲が作られた時、プレアデスの知的生命体は、

近未来の予言を谷村さんに与えたのでした。 

そして重要なのが、シリウスなのだそうです。 

シリウスは宇宙の中で「蒼白く」輝く星です。 

シリウスAと、その伴星(シリウスB)で宇宙を運航しています。

まさに今地球が入った、シリウスの時代を表しています。

イメージ的には、

・プレアデス出身の方は、明るくて沢山の友達の輪を広げる人(高天原系)

・シリウス出身の方は、物静かで口数は少ないけれど、話す時は核心を付くことを仰る方(黄泉の国系)

今日は、そのシリウスと龍にまつわる宇宙人のお話です。 

シリウスに関しては、最近ますます人々の注目度が上がっているため

様々な情報が玉石混合の状況ですが、浅川 嘉富さんのお話をご紹介します。

著書「世界に散った龍蛇族よ! この血統の下その超潜在力を結集せよ」から、

シリウスの人々が何故地球に来たのか?

そして龍達との繋がりについて、ご紹介したいと思います。

詳しい情報を知りたい方は是非、→本を読んでみて下さいませ。

<引用開始> 転載元

壮大な宇宙史

おおいぬ座のシリウスBの惑星に高次元的生命体(5次元に近い)

光のように輝くドルフィンに似た人間型生命体(ヒューマノイド)で、が住んでいた。

彼らが住む惑星の属していた恒星がある時期から活動が弱まり始め、

太陽としての機能が低下してきた。

(白色矮星とよばれている、恒星が長大歳月を経たあと進化の最終段階に至った)

そのため惑星の気温がしだいに低くなり、

このままでは生活を続けることができない状態に陥ってしまった。

協議をした結果、自分たちの住む惑星に見切りをつけて、

他の星に移住することになった。 

そうした経緯の中で、移り住む新しい惑星として幾つかの候補が選ばれ、

その中に地球も入っていた。

彼らは3次元的世界での学びを欲したからである。

地球に向かって派遣された先緯隊の情報では、

当時の地球は未だ彼らが移住するには適した状態ではなく、

およそ140世代を待つ必要があるとのことであった。

しかし、シリウスBの衰退がそれほど長く待てる状況ではなかったので、

建造された超巨大母船α、β、γの3機におよそ100万の生命体を乗せ、

第一陣がシリウスを離れることになった。

彼らの住む惑星には、人間型生命体の他にも彼らを守護するたくさんの龍たちが棲息していたが、そうした龍たちの多くも一緒に旅立つことになった。

彼らは、3次元の地球においても、守護的役割を果たそうとしたからである。

どうやら、現在地球に高次元的存在として棲息している龍たちの一部は、こうしてやってきたものであるようだ。

宇宙船が先ず向かったのはオリオン座。 

そこには、琴座やプレアデスといった進化を遂げた多くの星々から派遣された、

銀河系の星々の進化状態を調査研究する機関があったからである。

そこで得た新たな情報からも、地球は興味深い星であるが、

まだ移住には時期尚早であることを伝えていた。

オリオン座にある3つの星ミンタカ、アルニラム、アルニタカにも立ち寄ったものの、

いずれも自分たちが理想としている世界とは異なっていたため、

長くとどまることなく離れることにした。

その後に目指したのがプレアデス星団。 

プレアデスにはおよそ1500個の星が集まっているが、

3機の宇宙船はそのうち3つの星に分かれて滞在することになった。

140世代をそこで過ごすためであった。

その間に彼らが学ばねばならない大事な点は、

守護霊として共にシリウスを離れた龍たちとの関係をいかに保ち続けるかという点であった。

シリウスやプレアデスの4次元的世界では彼らは龍とつながることが容易にできたが、

これから先向かう地球は3次元的世界であるため、 高次元的生命体の龍たちとの個々の関係をどう保ったらよいかが大きな問題となっていたからである。

今までは当たり前のようにお互いの存在を眼で見、肌で感じていた同士であるが、

一旦3次元と高次元の世界に分かれてしまったら、3次元的存在のシリウス人からは、龍の存在を確認できなくなってしまうわけであるから大変である。

そこで学んだのが、地球に降り立ったあとも龍との関係を維持するために、龍たちとコンタクトを取り続け、お世話をする役割を持った人々を育成することであった。

彼らには3次元的存在となっても龍の姿を眼にすることができ、

龍たちと交流し続けることができるようにしておくことが必要であった。

やがて、そうした特別の役割を持った集団が一つの家系として誕生した。

そしてその流れをくんでいるのが、ワイタハ族の中の「ルカファミリー」と呼ばれる一族であり、そのトップに立つのがファトゥクラという存在であった。

こうした準備をつづけながら140世代を過ごしたあと、

いよいよ地球に向かって飛び立つ時が来た。 

プレアデスから太陽系内に入ったあと地球へと向かったが、

金星に立ち寄り、しばらくその4次元世界で過ごした人達もいた。

金星は太陽系の星々の歴史や叡智、

絶滅した種などを保存する博物館的な役割を持っているようであるが、

途中下車した人々はこうしたものに関心を持った人々であった。

彼らもまた、時を経た後、地球にやって来ることになるのだが、彼らは同じルカファミリーの中でも「メレ・ルカ(Mere-ruka)」と呼ばれる』存在となった。

「メ」は金星を表し、「レ」はシリウスの衰退していく太陽であるシリウスBを表している。

つまり、「メル・ルカ」とはシリウスの滅びゆく太陽を離れ、

途中で金星に立ち寄ったルカファミリーという意味になる。

<引用終了>

この浅川さんの説明によれば、龍の螺旋形のエネルギーは、

シリウスにもともと住んでいた人間型生命体を守護する高次の存在だったようです。

滅びゆく、彼らが住む惑星の属していた恒星をあとにし、地球にやって来ました。

ですが、この3次元地球では、高次の守護の龍たちと、

だんだんとコンタクトを取ることが出来なくなっていったらしいのです。 

あまりに波長、つまり固有振動数に違いがあるためです。

ですが数少ない人達が、その龍の波長を感知し、

周りの人々に神として伝えていったのでしょう。

私達地球に住む者も、みな元々は宇宙から地球に来た生命体です。

その中で、シリウスから来た人々が、高次の龍とつながり、

文明の進化、人間性の進化に寄与して行ったのかもしれません。 

また龍は日本始め世界各地で神格化されています。

奈良県の善光寺さんの秘仏「宇賀神(うがじん)」

龍神ナーガ(ナーギィ)
中国の神話~伏羲と女媧>人間を創造した神 

中央に描かれている天川弁才天

シリウスから来た時に、母船に乗ってやってきたということですから、

要するにUFOに乗ってきたのだと思われます。

私たちが神さまと、崇め祀っている存在は、

3次元より振動数の高い、高次の領域に住む地球外知的生命体のことかもしれません。 

その地球外知的生命体が、原始の時代、私たちの文明をリードし、

また危機的状況の時には隠れて人類を助け、

そして神社にお参りに来た沢山の方の心の声を聞き、よりよい方向に導いて行く・・・ 

そのようなことを、もしなさっているとしたら、その知的生命体は、私たち地球人よりも

はるかに文明のレベル、知的レベル、倫理レベルが高く、

まさに神さまに近いところまで魂が進化した生命体かもしれないですね。


2025年8月21日木曜日

3991 「約80年周期の社会の激変サイクルの渦中にいる私たち」2025.8.21

今回はIn Deepさんの2025年8月4日 の記事を紹介します。


「約80年周期の社会の激変サイクルの渦中にいる私たち。そして、アメリカの実質的な国家負債が、日本円で「2京円」を超えているという事実」

https://indeep.jp/strauss-howe-generational-theory-and-us-today/


約80年前の終戦や原爆投下、そして預金封鎖を思い出す

おそらくアメリカ人だと推定される人が、以下のような投稿をしていまして、何となく、その気持ちに納得した次第です。

アメリカ旅行

Mr. Nobody 氏の投稿

お金を中心にすべてが回るシステムの中で生きるのは疲れる。どの場所もお金を取るように設計されていて、どの瞬間にもコストがかかり、逃れることはできない。それは容赦ない。人生はまるでリースされているようで、座る場所もなく、休息する時間もなく、すべてに値段がついている。ただもう一つの瞬間、もう一つの支払い。

今の私は、エアコンをつけて、パソコンの前にいるわけですが、こういう中でも当然、瞬間瞬間に刻一刻コストが積み上げられているわけで、確かに今生活の中でコストがかからない瞬間はありません。

そんなことは当たり前だと言われれば、まあ、当たり前なんでしょうけれど、こういうものから解放されるには「劇的なリセット」しかないのだろうか? と思うことはあります。

先日の記事において、余談でちょっとふれた「ストラウス・ハウ世代理論」という 1990年代にアメリカで提唱された理論に少しふれました。

アメリカ旅行

これは 85年(あるいは 80年)ごとに近現代史で起きてきた「大きな転換(および、そのようなことにつながる事象)」が、少なくともこれまでの歴史では起きてきたことを示す理論です。

たとえば、終戦と世界初の原爆投下は 1945年のことでしたが、その 80年後は現在の 2025年です(85年周期なら 2030年)。

そして、来年 2026年は、もしかすると、ひとりひとりの日本国民にとっては、終戦よりも大きかった「ある出来事」から 80年後ということになります。

それは 1946年 (昭和21年)に施行された「預金封鎖」です。

正確には「金融緊急措置令」という法令で、新札の発行と共に、旧紙幣はこの法令の発令から 2週間後に使用できなくなり、それはすべて銀行に預け入れなければ価値を失うというようなものでしたが、実はそれが預金封鎖の最大の目的ではありませんでした。

以下は、当時の新聞ですが、「けふ(今日)から預金封鎖」という文言の横に、

「解除は財産税徴収後」

日本円預金

とあるのがおわかりだと思います。

当時の新聞より

 


この時の預金封鎖の日本政府の大きな目的は、預金を封鎖することそのものではなく、国民の財産状況を把握することで、そして、

日本円預金

預金封鎖の間に、国民の財産(現金、不動産など)の調査を行い、それに高い税率(最高税率 90%)をかけることにより、徹底的な財産の没収を行って、国の借金返済に充てること。

だったことが『日本銀行職場百年史』に記録されている、この時の大蔵大臣だった澁澤敬三氏の言葉により判明しています。

戦争により極端に悪化した財政を立て直すために「税金という名目」で、国民の財産の 90%を徴収するという手段だったのですね。

これに関しては 10年くらい前の記事ですが、以下のふたつの記事に書いています。

 

カルバナクの衝撃 : サイバー攻撃での世界の金融システム崩壊が早いか、それともNHKが特集した「預金封鎖」がそれより早いのか

In Deep 2015年2月19日

日本円預金

 ・久しぶりの雪の中で思う 21世紀の預金封鎖とか、気候の近い未来とかの「厄介で具体的な現実」のこと

In Deep 2014年2月4日

 

 

政府が「全身全霊で国民の全財産(全部じゃなくて 90%ですが)を奪いに来る」という点では、「大奪取」なんていう言葉にも似た感覚もあります。

この「大奪取」という言葉は、今年のこちらの記事にありますが、国際投資家のニック・ジャンブルーノ氏という方が、以下のように述べていたことなどにもふれました。

ニック・ジャンブルーノ氏の寄稿文より

必要なのは、破産の波を引き起こす大きな危機だけであり、世界の中央銀行の背後にある隠れた勢力は、すべての人の株式、債券、および借金で賄われたあらゆる財産を奪うことができるようになるだろう。

証券口座、銀行口座、年金、その他の金融口座に保有していると考えている資産はすべて一夜にして消えてしまう可能性がある。

重要なのは、これには銀行口座の法定通貨も含まれるということだ。

覚えておいてほしいのは、不換紙幣(現金の紙幣)は破産した政府の裏付けのない負債だということだ。

さらに、銀行に通貨を預けたら、それはもはやあなたのものではなくなる。技術的にも法的にも、それは銀行の財産であり、あなたが所有するものは銀行の無担保負債となる。

私たち日本は、政府からの「大奪取」をすでに経験している、いわゆる大奪取経験者としての大先輩ということになります。

日本円預金

逆にいえば、「国家もまた本能的な生き物としての有機体である」とも言えそうではあり、つまり、生物は「死ぬことがわかると、それに対してがむしゃらにあがく」という性質がありますが、それと似ています。

1946年の時の日本は戦後のとんでもない債務の中にあり、そのままでは、おそらく完全に破綻していた。それを解消するためには、国民全体から資金を強制的に徴収するしかなかったということにもなります。

つまり、大奪取の前提は「国家的あるいは世界的な大破綻」ということになりそうです。

そのような破綻に最も近いのが、ドイツか日本か、あるいはアメリカなのかはわからないですが、最近アメリカの「債務」に関する派手な記事を読みました。

アメリカの現在の国家債務は、一般的に 37兆ドル (約 5400兆円)と言われています。この数値でもかなりのものなのですが、

「実際のアメリカの債務は 151兆ドル (2京2000兆円)に及ぶ」

という内容の記事でした。

アメリカ旅行

このあたりまでの数字となると、もはや架空の数字的にも感じまして、想像も難しいですが、それが実際のようです。

記事は長い上に、後半に詳細なそれぞれの項目を説明しているのですけれど、前半の部分だけをご紹介します。

________________________________________

アメリカは37兆ドルもの負債を抱えていると思っているかもしれないが、実際はもっとひどい

Think America Owes $37 Trillion? It’s Far Worse Than That

Stark Realities with Brian McGlinchey 2025/08/02

アメリカ政府がどの程度赤字に陥っているかと聞かれると、財政に関心のあるアメリカ人の多くは、アメリカの国家債務が 37兆ドル (約 5400兆円)に達したと答えるだろう。

この公式発表の数字でも十分に悲惨だが、アメリカの真の財政状況はさらに、はるかに悪い。ほとんど公表されていない財務省の報告書によると、アメリカの債務総額は実際には 151兆ドル(約 2京2000兆円)を超えている。

この大きな乖離は、連邦政府が企業に課しているのと同じ会計基準を自らに課していないことに起因している。

発生主義会計(費用が発生した時点で認識する会計)ではなく、ワシントンの権力者たちは利己的に、単純な現金主義会計を用いて、費用が支払われた時点でのみ認識している。

その結果、連邦政府の債務に関する議論は、財務省証券、国債、債券からなる国債のみに焦点を当てている。

しかし、年に一度、あまり知られていない報告書が、アメリカ政府のバランスシートをより正確に反映している。ジャーナリストや公務員からはほとんど注目されていないものの、財務省は政府の財政状況を詳述した年次報告書を議会に提出することが義務付けられている。

重要なのは、この報告書の提出を義務付けた 1994年の法律が、「未積立債務」、つまり履行を保証するための専用資産や収入源がないまま行われた債務を反映することを義務付けている点だ。

未積立債務の中でも特に大きなカテゴリーの一つは、将来の連邦職員および退役軍人給付だ。

2024年度末時点で、これだけで 15兆ドル (約 2200兆円)の債務が計上されていた。しかし、最も大きな未積立債務は、アメリカの社会保障債務、主に社会保障とメディケアから生じている。年度末時点で、これらの債務は総額 105.8兆ドル (約 1京6000兆円)と莫大な額に達した。

これらおよびその他の未積立債務を、公的に保有されている国債およびその他の債務に加えると、2024年度末には総額 151兆3000億ドル(約 2京2000兆円)に達する。

これを、推定 7兆9000億ドルの米国政府商業資産(有形固定資産および 金保有とされるものを含む)で相殺すると、ジャスト・ファクトの分析によると、米国全体の純損失は 143兆ドル (約 2京1000兆円)となる。

ハートランド研究所の執筆記事で、ジャスト・ファクトのジェームズ・アグレスティ所長は、このほとんど理解不能な総額について次のように述べている。

「この 143兆ドルという額は、連邦準備制度理事会の推定によると 169兆ドルとされる建国以来アメリカ人が蓄積してきた純資産の 85%に相当する。これには、貯蓄、不動産、企業株、民間企業、さらには自動車や家具といった耐久消費財など、あらゆる資産が含まれる」

これらの数字は、2024年9月30日時点の政府の立場を反映したものだ。その後数か月で状況は大幅に悪化しただけでなく、あなたがこれを読んでいる今も猛烈なペースで悪化しているのだ。

問題の最大の部分を占める未積立債務を除いても、国家債務だけで 1時間あたり約 1億5600万ドル (約 230億円)の割合で増加している。

予算をめぐる論争は、私たちを救わない。議会での議論は、歳出プロセスにおいて議会の採決を必要とする裁量的支出に集中しがちだ。

しかし、アメリカが着実に破綻へと向かっているのは、いわゆる義務的支出、つまりすでに制定された法律によって固定化された支出によるものなのだ。

政府が自動操縦で破滅へと向かっていることを示す最も不吉な兆候かもしれないが、義務的支出による連邦政府支出総額の割合は 1965年以降、34%から 2024年には 73%へと 2倍以上に増加している。これは、わずか 2年前の 2022年には 71%だった。

(略)

今、連邦政府は 143兆ドル (2京1000兆円)の負債を抱えており、これは米国世帯 1世帯当たり 108万5022ドル (約 1億6000万円)の負担に相当する。

歴史を振り返ると、これは政府の債務不履行に終わるだろう。米国では、債務不履行は明確な債務不履行ではなく、財務省と連邦準備制度理事会が共謀して 債務返済のために無から新たなお金を創造し、急激な物価上昇を引き起こす可能性が高いだろう。

ロン・ポール氏(元下院議員)は 6月のデイビッド・リン氏との会話で以下のように述べた。

「彼らは債務を返済できないので、債務を清算しなければならない。彼らはデフォルトしないだろう。財務省証券のために必ずいくらか支払うことになる。彼らがやろうとしているのは、偽札で債務を返済することで債務を清算することだ」

________________________________________ここまでです。

4年ほど前、アメリカの軍事分析組織であるディーゲル(当時の私は、どういうわけだか「ディーガル」と勘違いしていました)が、

「 2025年には、アメリカを含む西側諸国の人口と GDP が極端に減少する」

ことについて書いていたレポートをご紹介したことがあります。最初にふれたのは、2021年のこちらの記事です。この頃は日本でワクチン接種が始まった時期で、記事の前半はそのことにふれています。

結果として、ディーゲルの言う「 2025年」という年代については、まったく、そのようなことにはならなかったのですが、ディーゲルがこの予測を発表したのは 2014年のことで、しかも、非常に緻密な分析で知られている組織でもあり、

「いつかはこの数値が実現する」

と私は考えています。

ディーゲルのその際の報告書は、今はこちらに保存されていますが、アメリカなどは、

「今より人口が 2億人減る」

という予測となっていました。

その報告書の中で、ディーゲルは以下のように書いていました。

2014年10月26日のディーゲルの報告書より抜粋

…数年前、中国の格付け機関である Dagong は、米国の実体経済を中国、ドイツ、日本の経済と比較したレポートを発表した。その結論は、米国の GDP は米国政府によって公式に報告された 15兆ドルではなく、5兆ドルから 10兆ドルの間であるというものだった。

政府発表の公式データ、特に経済データは、ある程度、偽造、改ざん、あるいは歪曲されていると私たちは考えている。

歴史的に、旧ソ連が崩壊の何年も前から偽の統計を捏造していたことはよく知られている。西側諸国も含め、今日でも他の国々は、自国の実態を隠すために数字を捏造している。自国の政府統計の中に、個人的な経験からすると信じがたいものや、あまりにも楽観的で他国の統計としか思えないものを見つける人は少なくないだろう。

archive.is

経済版の「大本営発表」というような感じでしょうが、これはどの国でも行われていることだとは思います。

ちなみに、前半のほうに書きました「ストラウス・ハウ世代理論」によれば、この理論の提唱者たちが、1990年代に予測した「次の転換 (2025年から 2030年の間と予測されます)」には、次の四つの可能性があると書かれています。

詳しい部分は先週のメルマガに書いたのですが、項目だけ抜粋しますと、以下のようになります。

ストラウス・ハウ世代理論による次の転換で起こり得る4つの可能性

「第1の可能性」 人類の終焉を意味する可能性がある。すべてを破壊し、何も残さない人類滅亡のハルマゲドンとなるかもしれない。

「第2の可能性」 近代の終焉を意味するかもしれない。科学、文化、政治、そして社会の完全な崩壊が起こる可能性。

「第3の可能性」 アメリカの終焉を意味する可能性。

「第4の可能性」 人類や文明、アメリカの終焉を迎えることなく、新たな世紀が訪れる。

このうちのどれかが来る可能性が高いと述べていました。

「第4の可能性」が一番穏やかでしょうか。

「第1の可能性」が今後数年で来るという可能性は、やや考えがたいですので、そこまではないでしょうが、「場合によっては」というようなことのようです。

ストラウス・ハウ世代理論が面白いのは、その周期を 85年(あるいは 80年)としているところで、現在の人間の寿命とかなり合致しているところですね。普通の寿命で生きていれば、人生で一回くらいは、経験したことのないような社会の激変を体験できるようです。

私たちは体験できますかね。


2025年8月20日水曜日

3990「火の選別の中、人生を照らす光」2025.8.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2025年04月26日の記事を紹介します。


「火の選別の中、人生を照らす光」


先日の記事

火(霊)の洗礼まっ最中

で書いたように現在はまさに、

予言の的中率では過去現在において、断然一番の出口王仁三郎の言うように

火(霊)の洗礼まっ最中です。

この神様による洗礼(選別)は、ノアの箱舟の時のような物質的な選別ではなく

人間の心による立分け(選別)です。

今日も多くの方々が

・神様のみ心に叶いますように

・心の浄化が進みますように

一番大切で本質的な問題

心の洗濯について書きたいと思います。

昭和の初期、日本の精神界に大きな足跡を残した

中村天風が、「感謝」について分かりやすく説いています。

内容に関しては、このブログでも毎回書いていますが、

ブッダの教えの本質と同じことを仰っていますので

少しかみ砕いてご紹介します。


先ず初めに感謝してしまえば良い

理屈も順序も関係ない

まず感謝する。

それが人間の心を

まっすぐ強く正しく育てる始めの第一歩

どんな境遇にあろうとも

心の底から「ありがとう」と言える人間は

必ず運命が好転する

苦しい時に感謝することなんかできるか・・と

思う人がほとんどかもしれないが、

それは逆である。

感謝するからこそ、

「苦しみの意味」が変わってくる

人間は、苦しみの中に在って光を見出す時、

本当に目が開かれる

そして、その「光」とは、

「感謝の心の中」にこそ宿る

ほとんどの人が、感謝すべきことが起きたら、感謝する・・

と思っているけれど、それは、全く逆、単なる取引。

真の光を見出すことなどできない。

そうではなく、まず初めに感謝してしまうこと。

・朝目が覚めたら感謝する

・呼吸ができていることに感謝する

・家がある、食事がある、家族がいることに感謝する

感謝は条件によって左右されるものではない

どんな状況に在っても、人は「感謝」を選ぶことができる。

感謝することで、自分の心が正しく整い、運命が切り開かれていく。

私たちが生きている現実は、まず心が先に在って、その後に現象が現れる。

心が先で、物質が後。

だからこそ、心が暗く濁っていれば、現実にも不運が訪れる。

心が優しく明るければ、現実にも、優しく明るい現象が現れる。

「ありがとう」と言う言葉は心を浄化する力を持っている。

・心が浄化されれば、

・自然と、その人の普段の考え方が変わり

・行いが変わり

・その行いが結果を変える

感謝と言うのは心の姿勢

例えば、雨が降った日に

・「うっとうしい」と文句を言えば、心は暗く重くなる

・「この雨が田畑を潤してくれる」と思えば、心が清々しく澄み渡る

同じ出来事でも感謝の目で見ることで、

人生は正反対の、別のものになってしまう。

心が現実をかえてしまう。 

だから初めに感謝することが大切。

どんな状況に在っても、それが最も強く、尊い心の在り方。

人は誰でも皆、人生において試練に出会う。

・愛するものを失う

・病に倒れる

・信頼している者に裏切られる

・努力が報われず台無しになる

でも、それを不幸だと思うから苦しむ

「ありがたいこと」だと思えば

その瞬間に意味が正反対になる

失敗も傷も全部が糧になる

感謝の心は、過去の傷さえも癒してくれる力を持っている

辛い出来事が無ければ

・誰も心の深みを知ることがなかった

・人に寄り添うこともできなかった

だから、それを感謝せずして、何に感謝するのか?

物質の豊かさよりも、心の豊かさの方が遥かに大切なこと

「ありがとう」と言う言葉を

毎日毎日、百回口にしてみてください 

心が清められ、ものの見方が変わる

そうすると、不思議なことに

目の前の現実が変わっていく

「ありがとう」と感謝していると

感謝するような出来事が、起こり始める

これが宇宙の真理

ブッダの教えの神髄

どんな状況に置かれていても

感謝できる人だけが幸せになっていく

心は自分で選べます。

・感謝するのか

・不平不満を言うのか

・心を澄み渡らせるのか

・心を黒く汚いもので満たすのか

自分の心を感謝で満たすこと

・怒りではなく

・ねたみでもなく

・恐れでもなく

感謝で満たすこと

感謝の中に立てば人間は

・どまでも高く、

・何処までも深く

魂を輝かせることができる

今日、一回だけでも「感謝」してみてください。

誰にでも、何にでもよいので「ありがとう」と声に出してみてください。

その言葉が心のカギとなって、閉ざされた心の扉を開けることでしょう。

感謝とは、ただの礼儀や習慣ではありません。

人生そのものを照らす

最も尊い光

先ず初めに感謝してみてください。

そこから全てが始まります。