2023年4月7日金曜日

3024「生まれて来た訳」2023.4.7

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月29日の記事を紹介します。


「生まれて来た訳」


今日は以前載せた記事ですが、

必要な方がおられるようですので、加筆して掲載いたします。 

「生まれて来た訳」ということで、

生まれる前の中間世記憶を持っている子供たちのお話からご紹介します。

この事実を知ることで、

・生命の神秘、

・神さまの深い愛、

・そして人間として生まれてきた奇跡 

を思い出すことができます。

・私たち大人も、

・善人も悪人も、

・私が嫌いな人も、

・私のことを嫌いな人も・・

みな等しく、この愛の光の下から生まれてきたのです。

決して表面的な一面だけの見方で、人を嫌ったり、差別したり、切り捨てたり・・

そんなことはもうできなくなります。

私たちはみな等しく,神の子供であるからです。

まず産婦人科医・医学博士の池川明さんの著書

「ママ、生まれる前から大好きだよ!-胎内記憶といのちの不思議」から少しご紹介します。

<転載開始> 転載元 

 

りゅうのすけくん(6歳)

「空を飛んで世界中を探して、いちばんママがよかったの。

さみしそうだったし、ぼくが来たらさみしくないかな、と思ったから。

ぼくが生まれたら、ママは喜んでくれたよ。

ほかにも、ひとりかふたり、「ママにしようかな」と思った人がいたよ。

でも、その人にはもう子どもがいたので、れいやくん(弟)と相談して、やめたの。

ママがお花見をしていたとき、羽のある小さな蜂になって、

飛び込みながらみんなを見ていて、ママの口に入ったんだよ。」


たかゆきくん(6歳)

「子どもたちは雲の上で、ずっと列みたいに並んでいる。

遊んではいないけれど、ふつうに歩いていたりする。

病気の子で生まれるか、元気な子で生まれるかっていうのを、

絶対に決めなくちゃ、生まれられないから。

元気で生まれるか病気で生まれるかを決めるのは、自分。

自分でお母さんを決めて、元気な子で生まれるって決めたら元気な子に生まれるし、

病気の子に生まれるってなったら、病気で生まれる。

神さまは、雲の上の、また上の教会にいて、元気に生まれるか生まれないかを

子どもたちに聞いたり、生まれた後の人(=死んで雲の上に戻ってきた人)には、

よいことをしたか悪いことをしたか聞いたりする。

悪いことをしたら、そこでまた生まれてよいことをしなくちゃいけないけれど、

よいことをした人はほめてもらって、ちょっとのあいだ、行きたいところに行かせてもらえる。」

<転載終了>

そして、もうひとつ池川先生のお話をご紹介します。

<転載開始> 転載元

 

人はなぜ、生まれてくるのでしょうか?

これを子どもたちに聞くと、「人の役に立つため」、

とりわけ「家族を幸せにするため」という答えが多いです。

臨死体験をされた方々の複数の証言によると、死後、閻魔様(えんまさま)の前で聞かれるのは、次の2つのことだけだとも言います。

1. 陰徳(いんとく)を積んだか?(人知れず、他人の役に立ったか?)

2. 自分の人生を楽しんだか?

であるにも関わらず、私たちが「生きているのがつらい」と感じることが多いのは、なぜでしょうか?

私が、多くの子どもたちから集めたお話から解釈するに、 

たぶん、自分がつらい思いをして、それを乗りこえたときに、魂はそれを楽しいと喜ぶ。

そしてつらい思いをしたからこそ、

同じようにつらい思いをしている人の役に立つことができる」からだろう、と思います。

つまり、ずっと幸せかつ平穏に過ごしているだけの人は、他人の心に寄りそえないし、 

魂も、実は「それで楽しい」とは思わないようなのです。

つらさのただ中にある人は、

実は、同じようなつらさを経験したことのある人の助言しか、真剣には聞かないものです。

なので、そのためにもつらい経験をする必要がある、苦労する必要があるのかな、とも思います。

実は、子どもたちに聞いた、

空の上で暮らす魂の日常は、すごく穏やかで、平和で、幸せなのだそうです。

着るものにも、食べるものにも困らない世界で、食べようと思えば、いくらでも食べられて、

ダイエットの必要もない、すごく良いところなのだそうです。

ですので、この世に生まれてくる魂たちは、“非日常”を求めて… 

まさにアミューズメントパークに来るような感覚で、この世に生まれてくるようなのです。

楽園から楽園に移動しても“非日常”は感じられないので…

それでこの世は、制限が多く、つらいことも多い世界なのでしょう。

また、空の上と、この世とでは、どうも時間の流れも違うようです。

空の上は時間がすごくゆっくり流れていて、地上は速いのです。

私たちの100年と、赤ちゃんとして過ごした数週間とか数日間は、

あちらの世界に戻るとそう変わらない、と多くの子が証言しています。

空の上では、時間という概念がないのだけれど、あえて言うと、時間がものすごくゆっくり流れている、と。

だから地上に生まれて来ると、魂の成長が、空の上にいるときよりも、はるかに早まるのだそうです。

いわば、この世は、魂レベルの促成栽培地なのです。

空の上では、小学校1年~6年までに千年かかるのに、

地上では6年で済むとか、そういった感覚で考えていただけると良さそうです。

ですから、お得なのです。

だから、みんな、地上に来たがるわけです。

ですから、「早く魂を成長させたいな」という人が優先的に生まれて来ているとも言えます

(実際は、そうした成長とは無関係に、

この地上に、ただただ多くの刺激や体験を求めに来ている魂も少なくないようですが)。

<転載終了>

 

時間の概念が無いにせよ、私たちの人生100年分の経験は、

天の世界の、たった数日から数週間なのだそうです。

それだけ私たち人間の人生は、辛いことや苦しいこと、

楽しいことや嬉しいことの繰り返しで沢山の感情を味わえるのですね。

そのような経験をしながら、私たちは魂磨きの旅を、ここ地球で行っています。

お金があり余り、わがままが許され、

贅沢三昧の生活では、魂にとっては何の進歩もないのかもしれません。

たぶん、天に帰った時に「つまらない人生だった」となるのかもしれません。

中間世の記憶を持つ子供たちが言うように、私たちは生まれる前に、病気や人生の様々な出来事を、全部神さまと相談して、自ら決めてから生まれてきました。

今の置かれている環境に、もしかしたら不満がある方もいるかもしれません。

辛い環境かもしれません。

ですが、それは全部自分で決めて来たことです。 

神さまの承諾も得て来ました。

ですから絶対大丈夫なようにできています。 

安心してください。

もし、少しだけ思い出し、そして安心であることが分かったら、

心を「愛」で満たしてみてください。

きっとご自分も、家族も、周りの方も、本物の幸せになれますから。


 

2023年4月6日木曜日

3023「魂の泥を落とす」2023.4.6

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月27日の記事を紹介します。


「魂の泥を落とす」


今日は、美しい魂になるためにということで、小林正観さんのお話をご紹介します。

この記事の目的も、読んでくださる方の

・霊性を磨くこと

・心をピュアにすること

・神々の心に近づくこと 

を目的としています。 

ひいては古き良き日本を再興し、地球を平安な世界にするためです。 

本当の幸せとは、 

・素晴らしい前世を持つと自慢する人や、

・特別の神様と繋がっていると自称する人に

頼ることで得られるものではなく、ブッダやイエス、空海など、

高貴な魂の方々が仰る通り、一人一人の、美しい心にかかっているからです。 

自分の心を生まれた時のように、ピュアにすることができれば 

・何か不思議な力に頼ったり

・人を貶め、マウンティングし、自分を高き者のように見せなくとも

・心ドキドキさせる見えない世界に頼らなくても

生きている間に天国に住み、そして死後も、天の国に住み続けることができるからです。

私たちが住み、見て感じているこの世の中は、私たちの心が反映されたものです。

ですから、心の中が怒りと憎しみで一杯であったなら、

策略謀略、悪口・・諸々の悪しき物を見て、それらに囲まれていることでしょう。

逆に心の中が清く、美しいもので満たされていれば、愛、思いやり、信頼、優しさ、助けあい、お互いさまの心など、様々に心が癒される世界に生きていることでしょう。



これが空海が言った「即身成仏」、つまり、生きながら地獄に住む、天国に住むと言うことです。

もし、美しい思いやりの世界で生きて行きたいのなら、まず自分自身の心の洗濯が必要です。

それでは、正観さんのお話をご紹介します。

意味が分かりやすくなるよう、少しだけ補足して転載します。

<転載開始> 転載元 

魂の特性を見抜いてあげる、魂の話、子育て、教育のお話です。

きれいな魂の状態を泥汚れにしているのは、競うこと。較べること。争うという事です。

きれいな魂のままであるためには、今のありのままでいい という事です。

それは 学校教育では出来ません。

競う 較べる 順番をつけることを学校教育のシステムとして成立させてきたからです。

ところが日本の教育は、本来違うものだったんです。

それは「寺子屋教育」と呼ばれていました。

寺の境内で遊んでいる子どもは 寺子と呼ばれ、その子達に読み書きを教えたところから始まりました。

寺子屋では 一切順位付けはしません。

読み書き そろばん 社会に出た時に文字が書けて読める。そろばんで足し算、引き算。

それらができるようにそれを教え込んだのが寺子屋でした。

そこで順位をつけることは 一切しませんでした。

寺子屋教育こそ教育の本質です。

 

吉田松陰の松下村塾が教え込んでいたことは順位付けすることではなく、「見抜いてあげる」ことでした。

松陰先生は「あなたは こういうほうがいいのではないか。

こういうジャンルが向いているのではないか。」

「あなたは こういう分野で 優れているので、その道で身を立てたらどうか」と教えてあげていました。

塾生に対し順位をつけることなど一切しませんでした。

でも西洋教育は違うんですね。

順位付けをする。

その結果 その順位を競わせるということになりました。

その教育を日本が受け入れ、「富国強兵」 国を富まして兵を強くする 

という方向に向かって行きました。 

確かに一時は、そうなっていったので、その教育が 一番正しいと 思い込んだのです。

ですが、それは違います。 

本当は優しさ、心の温かさとかいうものを評価する世の中のほうが良いわけでしょう。

でも現代社会においては、そういうものが評価されずに魂が濁っているわけですよ。

競うこと 較べること 争うことで、魂が泥汚れになっているわけですよ。

それがある日突然、泥が払われることがある。

景色の美しさに驚く瞬間。雪の結晶の美しさに気づく瞬間。

その瞬間とは、魂の泥が 一瞬にして払い落とされた瞬間です。

 

競う。較べる。争うことを全部やめ、

ただ自分が必要とされるところでニコニコと生きていく だけでいい。

それが何番目であるかなど関係ありません。

母親自身がその事に気付き、変わっていけば、子どもはどんどん変わっていくでしょう。 

本当に綺麗な魂に、きっと戻っていきます。

その時、子どもは言うことでしょう。

・お花がこんなにきれい。

・海はこんなにきれいだったの?

・わ~今日の空は すごくきれい。

そうした時 子どもも大人も、きっと「仏性に目覚めた」ということだと思います。 

ブッダの仰った「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)」。 

魂の構造が少し分かりましたか?

実は 魂を磨く必要なんてないんです。 

魂はもともと完全で綺麗なクリスタルです。

磨くのではありません。泥汚れを落とせばよいだけです。

自分の内側の競う心 較べる心 争う心をゼロにすること。

それだけで 魂はもとのきれいな状態になっていきます。 

<転載終了> 

 

みなさん、ちょっと周りを見渡してみてください。 

・良い学校と言われる所を出た人は、みんな幸せに暮らしていますか?

・勉強嫌いだった同級生は、生きることが苦しく、みんな暗い顔していますか?

・仕事ができず要領の悪い人は、みんな解雇され、貧困に陥っていますか? 下を向いて生きていますか?

そんなことは決してありません。 

みんながみんな、一人残らず、自分の居場所を見つけ、そこで生きているはずです。 

その場所で必要とされているはずです。 

私たちは、生まれる前に、既にその「居場所」を見つけていたからです。 

その場所で必要とされていたからです。 

以前、山古志村の文化遺産保存のための映像ライブラリを作成したことがあります。

その時に田植えの季節の「田植え唄」の取材をしたことがありました。 

春、ブナ林の新緑の中。みんなで水の張られた田んぼに一列に並び、

「田植え唄」を歌いながら稲を手植えしていく行事です。 

昔はどこでも、このような光景が見られたそうです。 

その時参加してくださった地元の方は、

高齢の3名の方。そしてもう一人は若い方ですが、知的障害のある方でした。 

でも、笑顔がとびっきり輝いているのです。 

皆さん、もちろん差別や、特別扱いは一切しません。 

普通に話しかけ、普通に笑いあっているのです。 

少しの違いなど一切気にしません。 

それがあるからこその、彼の輝く笑顔なのです。 

地域の中で、分け隔てなく、

みんながみんなを大切にして生活していることが、よくわかる光景でした。 

彼の心には何の心配もなく、

そして人々の差別や偏見は一切感じなかったことでしょう。 

自分が丸ごと受容されていることを知っていたからです。

私たちも同じです。

 

心配しなくても、みんなに居場所が用意されています。 

その居場所で自分のことを必要としてくれる誰かが必ず居るのです。 

競う 較べる 順番をつけることなどしなくても

私たちは本来の伸びやかな、美しい心のまま生きていけるのです。 

競う 較べる 順番をつけることを止めた時、

神さまを信じ、自分を信じ、あるがままの自分でも生きていける。

生きて行っていいんだと、心から信じられた時

私たちの魂は本来の美しさと輝きを取り戻すことでしょう。 

きっとこれこそが、私たち人間の生きるべき本当の姿だと思います。 

皆さんも、一足飛びではなくとも、少しずつ、そちらの方向に進んでみませんか?

きっとお幸せになれますよ。


2023年4月5日水曜日

3022「青空ひろば」2023.4.5

今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。


・912 2023.03.11 

ちょっとヌケているから、人がホッと楽になるのです

ちょっとカケてるから、人が手伝ってあげようと思うのです


・913 2023.03.12 

どっちへどう転んでも 下はあったかい大地


・914 2023.03.13 

低い土地に 水が流れこむように 必要な人、必要な時に、必要なものが

入ってくるのが、大宇宙の理法 では、なぜ入ってこない

自分をまもるはずの「自我の囲い」が、流入を邪魔しているから 


・915 2023.03.14 

すべては自分が引き寄せている。

今の自分の成長に必要だから、やって来た課題なのだ。

だから、人や環境のせいにしないで、精一杯取り組んでゆこう、来る大飛躍の時のために。


・916 2023.03.15 ~ 927 2023.03.27

(問い)「大祓詞」はどういう時に、何回称えると良いものなのでしょう?

(答え)「大祓詞」は、「罪」と「穢れ(気枯れ)」が、体と心に充満して苦しくなってきたと自覚した時に称えます。「大祓詞」を称えると、神さまとコトダマの力で「罪」と「穢れ(気枯れ)」を祓い清めて下さるのです。

「罪」と「穢れ(気枯れ)」が身心に積み重なったということは、身も心も重苦しく塞がったように感じられ、息苦しい感じがし、心のゆとりがなくなり、思いつめがちになり、思い違いや行き違いが増え、何事もスムーズに事が運ばなくなり、感情の起伏が激しくなるなどの現象で知ることが出来ます。

そんな時には、「罪」と「穢れ(気枯れ)」を祓い清めて、生き生き輝く本来のあなたに復帰しなければなりませんが、それには二つの手立てがあります。


一つ目は、神社に参り、社務所で申し込んで、神前で個人的(または家族全員)にお祓いをお願いするのです(少し多めのお金が必要になりますが、その「払い」が「祓い」になります)。そうすれば、神職の方が、「大祓詞」を称えて祓い清めて下さいます。

人生の節目、節目、例えば子供の七五三や厄年や入試の前、手術の前などに、神社でお祓いをお願いするというのは大切なことです。お礼参りも忘れないようにして下さい

 二つ目は、自宅で「大祓詞」を称えます。この時は、声を出して称えて下さい。

私たちは、神道に関してはあくまで素人で、神社では「大祓詞」は称えません。神社では、プロである神職の方にお任せするべきです。

「大祓詞」は、結構長文なので、自宅では普通は一回、あるいは三回称えます。

その日一日に犯した「罪と穢れ」を祓い清めるにはそれで十分です。

 

しかし、「罪」と「穢れ(気枯れ)」がかなり重症だと自覚する時は、何度でも、何日でも、何年でも、ある程度祓われたという自覚が生じるまで称えて下さい。 

罪が十分祓われたという証拠は、身心の固まりが解けて柔軟になり、呼吸が楽になり、広い世界に出たような開放感が得られたり、身心が光を放っているような感じがしたり、何事もピタッピタッと都合よく運ぶようになる…、などを体験して知ることが出来ます。


(質問)神社に参った時には、どういうタイミングで、どう称えるといいのでしょうか。

(答え)先に述べたように、神社では「大祓詞」は称えません。

よく大声で、身を震わせて(霊動?)神前で「大祓詞」などを称えている方がいますが、まわりの方に迷惑ですし、そんな方は波動が粗くて、神さまの細やかで光の次元の波動とは全く共振できていません。ですから、神さまから注がれる「恵み」はその人にはちっとも届いていません。

「参る」には、「降参する」という意味もありますね。

我のツッパリや力みを捨てて、身も心も神さまに奉げて、どう結論を下されようとお受けします、従いますという覚悟が決まるようになるのが、本当の「参る」です。しかし、一気にはそうはなれません。

はじめは、苦しい時の神頼みから出発して、何度もお参りしてお願いしているうちに、神さまとの魂の交流が強くなってゆき、神さまに誘導されて、いつの間にかそんな心境になれるのです。


具体的な参拝方法を時系列で記述してみましょう。

(1)まず鳥居で合掌礼拝してから、神域に入らせて頂きます。

(2)みたらい(御手洗所)で、「はらいたまえ、きよめたまえ」と念じながら手と口を漱ぎます。

(3)参道の玉砂利や周りの樹木も、あなたを祓い清めてくれます。

(4)神前に進み、お賽銭を入れます(「払い」も「祓い」です)。

(5)「2礼→2拍手」(神社によって作法が違う場合もあります。事前に調べておきましょう)して、その後、「祈り」に入ります。

(6)祈りの作法

合掌しながら、以下の順序で(声は出さない)

 ① 住所と氏名を告げる。

 ② この神社にお参りできたことの感謝を伝える。

『無事に参拝させて頂き、有難うございます』

 ③ 願い事を告げる。

 ④ 祝詞(略拝詞)を唱える。

(略拝詞)祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ(はらいたまえ きよめたまえ まもりたまえ さきはえたまえ)

(7)「一礼」して、神前を後にする。

(8)鳥居を出る時も一礼する。

これらの一連の作法を淡々と、確実にこなして下さい。

これらの作法は神前に進んで、神様にお願いするという「本番」に向けて、次第に無心、無我になってゆくための準備動作です。バッターボックスに入る前の、イチロー選手の一連の動作、五郎丸選手のキック前の動作と同様のものなのです。


私は、皆さんに『足運び法』というのを提案していて、これがとても有効な方法のようなのです。以下にその方法を紹介します。

(1)まず、最寄の神社(産土様や氏神様)か、ご縁がある神社にお参りします。

(2)神前で、合掌してお願いや誓いを神さまに聞いて頂きます(声に出さずに、心の中で、密かに神さまと交感します)。

(3)その願いや誓いの実現のために、これからたとえば、十回、百回お参りしますと誓います。回数で誓います。毎日参りますなどと誓わない方がいいです。

(4)神社へ足を運び、お参りを重ねるうちに、次第に自身の願いや誓いがくっきり心に定着するようになり、実現するというぞという確信も強くなってゆき、ついに願いが叶うのです。 

以上の方法が『足運び法』の概略です。この方法で念願が叶ったと報告して下さった方が沢山いらっしゃいます。「心」だけでする修行でなく、実際に「身」をもってする行なので、その分、効果も大きいのだと思います。


(質問)称えるときの姿勢や称える前にしておくべきことがありますか?

(答え)私は、坐禅の姿勢で称えます。もちろん正座で称えても結構です。

私は、ご縁がある神社の神前の光景を思い浮かべながら称えます。称える具体的な目当てが欲しい人は、その神社の御朱印か、お札に向って称えたらいいのです。

その後、私の場合は、坐禅に入ります(坐禅も祓い清め、ほどき祓いの行です)が、雑念が多い時は、呼吸にあわせて、吸うときに「祓い給え」、吐く時に「清め給え」と念じるのが有効です。呼吸は「風のみそぎ(旧い身を削ぐ)」です。

「大祓詞」を称える前に、足運びで神さまに届けている「願い事」を、ここでも合掌して念じます。


(問い)「大祓詞」の効能は、端的にいうと何だと言えるでしょうか?

(答え)「大祓詞」を称えると、過去から引きずってきた重苦しい暗いもの、それらがあなたの現在や未来を束縛し、輝かしく自由に生きることをさせないのですが、その重苦しいものを、一気に吹き払い、吹き飛ばしてくれる、強烈な霊的なエネルギーを持った祝詞です。

そんな過去由来の重苦しいものさえ吹き飛ばせたら、本来の「神的なあなた」が自ずと現れて、これからは、生き生き伸び伸び、輝いて生きることができるのです。

「大祓詞」とは、端的にいうと、あなたが身にまとっている、古く、薄汚れ、ボロボロになってしまった衣装を、その霊的な力で吹き飛ばしてくれ、裸(本来の)で輝くあなたに戻してくれ、これからどんな衣装を着て人生を送るか、その選択の自由を得させて下さる、そんな有難い祝詞(祝福の言葉)なのです。(完)


2023年4月4日火曜日

3021「龍と宇宙人」2023.4.4

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月26日の記事を紹介します。


「龍と宇宙人」


今日は昨日に続き、シリウスのお話です。

シリウスの時代に入ったからです。

主に龍と宇宙人のお話です。 

シリウスに関しては、最近ますます人々の注目度が上がっているため

様々な情報が玉石混合の状況ですが、浅川 嘉富さんのお話をご紹介します。 

大分前に

・龍と友達になる

・龍使いになる 

など、龍をあたかも自分の僕(しもべ)や友達のように扱う題名の本が流行ったことがありました。 

本を読んだことが無いので、内容は分かりませんが、 

龍を自分のために使いこなすなんて、なんだかファンタジックでワクワクするし、

それで不思議系の好きな方々に人気が出たのかもしれません。 

さて今日は「世界に散った龍蛇族よ! この血統の下その超潜在力を結集せよ」から、 

シリウスの人々が何故地球に来たのか?

そして龍達との繋がりについて、ご紹介したいと思います。

詳しい情報を知りたい方は是非、→本を読んでみて下さいませ。

<引用開始> 転載元


壮大な宇宙史

おおいぬ座のシリウスBの惑星に高次元的生命体(5次元に近い)

光のように輝くドルフィンに似た人間型生命体(ヒューマノイド)で、が住んでいた。

彼らが住む惑星の属していた恒星がある時期から活動が弱まり始め、

太陽としての機能が低下してきた。

(白色矮星とよばれている、恒星が長大歳月を経たあと進化の最終段階に至った)

そのため惑星の気温がしだいに低くなり、

このままでは生活を続けることができない状態に陥ってしまった。

協議をした結果、自分たちの住む惑星に見切りをつけて、他の星に移住することになった。 

そうした経緯の中で、移り住む新しい惑星として幾つかの候補が選ばれ、その中に地球も入っていた。

彼らは3次元的世界での学びを欲したからである。 

地球に向かって派遣された先緯隊の情報では、当時の地球は未だ彼らが移住するには適した状態ではなく、およそ140世代を待つ必要があるとのことであった。

 

しかし、シリウスBの衰退がそれほど長く待てる状況ではなかったので、

建造された超巨大母船α、β、γの3機におよそ100万の生命体を乗せ、

第一陣がシリウスを離れることになった。

彼らの住む惑星には、人間型生命体の他にも彼らを守護するたくさんの龍たちが棲息していたが、そうした龍たちの多くも一緒に旅立つことになった。

彼らは、3次元の地球においても、守護的役割を果たそうとしたからである。

どうやら、現在地球に高次元的存在として棲息している龍たちの一部は、こうしてやってきたものであるようだ。

宇宙船が先ず向かったのはオリオン座。 

そこには、琴座やプレアデスといった進化を遂げた多くの星々から派遣された、

銀河系の星々の進化状態を調査研究する機関があったからである。

そこで得た新たな情報からも、地球は興味深い星であるが、

まだ移住には時期尚早であることを伝えていた。

オリオン座にある3つの星ミンタカ、アルニラム、アルニタカにも立ち寄ったものの、 

いずれも自分たちが理想としている世界とは異なっていたため、

長くとどまることなく離れることにした。

 

その後に目指したのがプレアデス星団。 

プレアデスにはおよそ1500個の星が集まっているが、

3機の宇宙船はそのうち3つの星に分かれて滞在することになった。

140世代をそこで過ごすためであった。

その間に彼らが学ばねばならない大事な点は、守護霊として共にシリウスを離れた龍たちとの関係をいかに保ち続けるかという点であった。

シリウスやプレアデスの4次元的世界では彼らは龍とつながることが容易にできたが、

これから先向かう地球は3次元的世界であるため。 

高次元的生命体の龍たちとの個々の関係をどう保ったらよいかが大きな問題となっていたからである。

今までは当たり前のようにお互いの存在を眼で見、肌で感じていた同士であるが、

一旦3次元と高次元の世界に分かれてしまったら、

3次元的存在のシリウス人からは、龍の存在を確認できなくなってしまうわけであるから大変である。

そこで学んだのが、地球に降り立ったあとも龍との関係を維持するために

龍たちとコンタクトを取り続け、

お世話をする役割を持った人々を育成することであった。

彼らには3次元的存在となっても龍の姿を眼にすることができ、

龍たちと交流し続けることができるようにしておくことが必要であった。

やがて、そうした特別の役割を持った集団が一つの家系として誕生した。 

そしてその流れをくんでいるのが、

ワイタハ族の中の「ルカファミリー」と呼ばれる一族であり、

そのトップに立つのがファトゥクラという存在であった。

こうした準備をつづけながら140世代を過ごしたあと、

いよいよ地球に向かって飛び立つ時が来た。

プレアデスから太陽系内に入ったあと地球へと向かったが、

金星に立ち寄り、しばらくその4次元世界で過ごした人達もいた。  

金星

金星は太陽系の星々の歴史や叡智、

絶滅した種などを保存する博物館的な役割を持っているようであるが、

途中下車した人々はこうしたものに関心を持った人々であった。彼らもまた、時を経た後、地球にやって来ることになるのだが、

彼らは同じルカファミリーの中でも「メレ・ルカ(Mere-ruka)」と呼ばれる』存在となった。 

「メ」は金星を表し、「レ」はシリウスの衰退していく太陽であるシリウスBを表している。つまり、「メル・ルカ」とはシリウスの滅びゆく太陽を離れ、

途中で金星に立ち寄ったルカファミリーという意味になる。

<引用終了>

 

この浅川さんの説明によれば、龍の螺旋形のエネルギーは、

シリウスにもともと住んでいた人間型生命体を守護する高次の存在だったようです。

滅びゆく、彼らが住む惑星の属していた恒星をあとにし、地球にやって来ました。

ですが、この3次元地球では、高次の守護の龍たちと、

だんだんとコンタクトを取ることが出来なくなっていったらしいのです。 

あまりに波長、つまり固有振動数に違いがあるためです。

ですが数少ない人達が、その龍の波長を感知し、周りの人々に神として伝えていったのでしょう。

私達地球に住む者も、みな元々は宇宙から地球に来た生命体です。

その中で、シリウスから来た人々が、高次の龍とつながり、

文明の進化、人間性の進化に寄与して行ったのかもしれません。 

こんな高貴な生命体を「龍使いになる」と言って、自分のために。 

個人的な理由で使いこなすなんていうのは、少し??? と思いますが、 

そういう意味ではないのかもしれませんね。

龍は日本始め世界各地で神格化されています。  

奈良県の善光寺さんの秘仏「宇賀神(うがじん)」

龍神ナーガ(ナーギィ)

中国の神話~伏羲と女媧>人間を創造した神

中央に描かれている天川弁才天
 

またシリウスから来た時に、母船に乗ってやってきたということですから、

要するにUFOに乗ってきたのだと思われます。 

私たちが神さまと、崇め祀っている存在は、

3次元より振動数の高い、高次の領域に住む地球外知的生命体のことかもしれません。 

その地球外知的生命体が、原始の時代、私たちの文明をリードし、

また危機的状況の時には隠れて人類を助け、

そして神社にお参りに来た沢山の方の心の声を聞き、よりよい方向に導いて行く・・・

そのようなことを、もしなさっているとしたら、その知的生命体は、私たち地球人よりも

はるかに文明のレベル、知的レベル、倫理レベルが高く、 

まさに神さまに近いところまで魂が進化した生命体かもしれないですね。


 

2023年4月3日月曜日

3020「シリウスと瀬織津姫」2023.4.3

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月25日の記事を紹介します。


「シリウスと瀬織津姫」


私たちは今、時代の転換点を生きています。 

うお座の時代から、みずがめ座の時代に変わり、

私たちは、一人一人の心の中に神様がいらっしゃる 、

このことを知る時代に変わりました。

うお座の時代は、物質的拡大の必要性から、大本の神様は、一定期間の期限を切った上で

悪魔的な存在の台頭を容認してきました。

また陰陽で言えば陽の時代から、陰の時代、つまり黄泉の国=精神性が

最も重要視される時代に変わりました。

それとともに、古より、黄泉の国(神々の世界)と繋がった

日本の時代の幕開けが始まったわけです。 

天津神よりもずっと以前から縄文の人々ともにあった、国津神 

瀬織津姫(セオリツヒメ)や国之常立神(クニトコタチノミコト)が

クローズアップされてきたのもそのためです。 

また宇宙的な視点で見ればプレアデス等の陽の星々から、 

陰(見えない世界、静謐の世界)の要素の強いシリウスが人々に広く浸透してきました。 

それでは、今日は、シリウスと、瀬織津姫のお話です。

大祓祝詞に出てこられる瀬織津姫について書いてみたいと思います。 

瀬織津姫は、

・水の神様

・滝の神様

・龍の神様 

と言われていますが、記紀(古事記・日本書紀)に名前はでてきません。



古の時代、藤原氏の祖先、つまり中臣氏(代々 祭祀を司っていた家系)の

どなたかに神々が降りて伝えられたという、

「大祓祝詞」に出てくる祓戸四柱神の一人です。 

祓戸四神とは、

①瀬織津比咩(せおりつひめ)  → 禍事・罪・穢れを川から海へ流す

②速開都比咩(はやあきつひめ) → 海に流した禍事・罪・穢れを飲み込む

③氣吹戸主(いぶきどぬし)   → 速開津比咩が飲み込んだ禍事・罪・穢れを根の国底の国に吹放つ

④速佐須良比咩(はやさすらひめ)→ 根の国・底の国の禍事・罪・穢れを神々の清らかなエネルギーに変換して地上へ戻す

つまり罪穢れを、決して滅ぼし消し去る(西洋の思想)のではなく

縄文の心(古来 日本の心)の通り、

例え悪であっても、一旦受け入れて、黄泉の国を通じ循環させ、

清らかなエネルギーに変えてしまうのが祓戸四柱神です。

まさに私たちに日本人の和の精神(縄文の心)です。 

西暦700年代、日本書紀や、古事記などの成立に伴い、

日本古来の神様であった、「瀬織津姫」は封印(記載から除外)され、 

力を矮小化されて伝えられてきました。

歴史は常に時の権力者によって書き換えられます。

 

瀬織津姫が封印されてきた理由は、 

一説では、女帝の持統天皇即位の正当性を示すために

伊勢神宮に祭られていた天照大神を男神から女神に性別変更したため、 

男神の天照大神と並祭されてきた瀬織津姫が邪魔になった。。。

ですが、その信ぴょう性はもちろん、今となっては推測の域を出ないものです。 

「瀬織津姫」は日本では 

・菊理媛神、

・ミズハノメノミコト、

・市杵島姫命、

・弁財天  

等の水の神や熊野権現が瀬織津姫と同一神とされています。

はっきり判っているだけでも500近くある瀬織津姫を祀る神社の他、

全国で3000社以上ある熊野神社や、白山神社、厳島神社 等、

知らないうちに祭神がすり替えられた神社を含めると、

この女神が1300年前までどれほどの大神であったかが窺われます。

 

水の神様であり龍神様でもある瀬織津姫には浄化し、祓い清める働きがあります

以下の記事の元ソースは、

「坂本政道 ベールを脱いだ日本古代史 高次意識トートが語る」からで、

知恵の神トートからの情報です。(詳しくは、そちらをご覧ください)

 

瀬織津姫は、沢山の別名があります。 観音菩薩、白山姫、アラハバキ、。。。

シリウスからの、日本古来の姫様です。

が、天武天皇の時代に多くの神々と一緒に封印されていたそうです。十一面観音の形による封印

封印したことを詫びる供養が今でも行われています。

東大寺二月堂の修二会で、752年以来毎年続いています。

正式名称を「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)といいます。

 

2千年前に大和族(アマテラス族)が渡来してきた時、 

彼らはネガティブなオリオン系宇宙人と交流していたため、 三輪山一帯に侵入した時に、

オリオン人はシリウス人(龍型宇宙人)を封印したそうです。 

オリオン星人は好戦的で攻撃的な性格を持っています。

正確には、封印と言うよりも自ら三輪山に身を隠した・・と言う方が正しいかもしれません。

ですが、その封印が、数年前に解かれたそうです。

それはこの坂本さんのトート情報だけでなく、全く別の情報ソースである浅川嘉富さん著作の「龍蛇族直系の日本人よ!」にも記載されています。 

神界から直接地球にやってきた少年の話として・・・

 

「六甲比命大善神」と書かれた看板とご神体の巨石。瀬織津姫の墓と呼ばれている巨石。

古代、縄文の時代より、私たちと関わりのあった、シリウス系の龍の神々が自由になれた・・

今起きている国常立命の復権と同じく。

と言う事は、これから新しいミロクの世の出現が期待されます。

ですが、それはダライラマが言うように

決して 神々任せではなく、私たち一人一人の行動があってこその事だと思います。

私たちが今できることは何か? 

それは、きっと 

・見えない力ある人に頼ったり、

・有名な神社・仏閣、神々に頼ったり

・不思議な現象・能力に頼ったりするのではなく、

自分の心の持ち方の問題だと思います。 

・一歩一歩、心の塵を祓い

・感謝の気持ちで日々を過ごし、

・身近な周りの方々と、お互い様、おかげ様の優しい気持ちで生きていく。 

これらを日々一つづつ行動に移して行けば、

今も見守り続けてくださっている縄文の神々と協力して 

地に足の着いた方法で、美しい世界を作ることが出来るかもしれません。


2023年4月2日日曜日

3019「一面しか見ない私達」2023.4.2

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月23日の記事を紹介します。


「一面しか見ない私達」


以前書いた記事ですが、大きな自戒も込めて、加筆して掲載します。 

もう読んだよと言う方は、どうぞスルーなさってください。 

私たちはよく、

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定 

などを日常的な光景として目にします。

そして、自分でも、してしまいがちです。 

きっと、それは、そうする人たちが、相手の方の、瞬間の一面しか見ていないから・・・・

なのかもしれません。 

また

・自分の欲望や、

・愛されたい、

・注目されたい、

・一目置かれたいという

・自尊心を満足させるために、

身勝手なフィルター越しに、相手の方を見ているからかもしれません。 

私たちは、

・人から嫌なことをされたり、

・人の身勝手な言動を見たりすると、 

どうしても、心の中に「もやもや」が発生し、 

・怒りの感情や

・仕返ししなくては

・ギャフンと言わせなくては

・正義を通さなければ 

と思いがちです。 

その結果、大切な大切な自分の心が

・イライラして

・冷静さを失い

・曇ってしまいます。

嫉妬の心もそうですね。

・何時も明るく、楽しそうに輝いている人や

・沢山の友人に囲まれている人 

などを見ると嫉妬の心が芽生え、「貶めてやろう」そんな風に思う方もいるようです。 

  


ですが、それは相手の方の、ほんの一面、一瞬の姿、形、行動を切り取って、

自分で勝手に解釈し、想像し、妄想し、勝手に嫉妬したり、

勝手に憤りを感じているだけではないでしょうか?

もしかしたら、その人には、私たちには見えていなくても、沢山の物語や、理由があって、 

今の言動を、たまたましてしまっただけなのかもしれません。 

私は、もうずっとずっと以前から心に決めていることがあります。

それは、次のようなことです。

人と、会う時、その人の後ろに、その人を愛し育ててくれた 

・ご両親や、

・その人のご家族 

・おじいちゃん、

・おばあちゃん、

・旦那さま、

・奥様、

・子どもたち

・その人の親しい友人たちの姿を、

思い浮かべるようにしよう。

なぜなら、そのような沢山の人達の愛に包まれて、今のその人があるのだから。

どうしてこんなことを思ったかというと、もうずいぶん前ですが、社会人になったばかりの頃、コンピュータープログラマーとしてうまくいき、得意の絶頂にあった時、

会社の同僚が自殺してしまったことがありました。 

私はそれ程、親しくはなかったのですが、私が見ていたのは

彼の単なる会社人間としての顔だけでした。

そして仕事ができるとか、できないとか。

そんな表面的な価値観でしか彼を見ていませんでした。 

彼が亡くなり、お葬式に参列した時、もの凄い衝撃を受けたのです。

多くの友人たちが参列する中、若い息子を無くしたお父さん、お母さんが涙をこらえ、

参列者にお礼を述べていられました。

 

でも、本当に最後の出棺の時、堰を切ったような慟哭があがりました。

それは、ご家族の悲しみの叫びでした。

親より先に亡くなるって、こう言う事なんですね。。

私が今まで見ていたのは、会社人間としての 彼のほんの一面だけでした。

でも彼にはこんなにも多くの友人たちと、そして愛いっぱいに育ててくださったご両親がいたんです。

得意の絶頂だった私は、仕事が出来るとか、できないとか、優秀か、優秀でないか

そんな表面ばかり見て人を判断していました。 

でも、もしかしたら、その方は

・親孝行の息子さんかもしれません。

・おじいちゃん、おばあちゃんの背中で、愛情いっぱいに育てられた人かもしれません。

・子供の頃に病気をして、お母さんが寝ずに看病して下さったかもしれません。

・思春期の頃には、淡い恋をしていた少女だったかもしれません。

もしかしたら、その人は 

・ご家庭では、良きお父さん、お母さんかもしれません。

・お休みの日には、子供たちと一所懸命、遊んであげている人かもしれません。

そして、仕事の要領が悪かったのは、たまたま、その分野の仕事が苦手だっただけかもしれません。

ただ、ちょっとおっちょこちょいだけだったかもしれません。

私達は、どうしても、目に見えている一面だけで、人を判断しがちです。 

そして現代のような、

・経済至上主義、

・極端な合理主義、

・成果主義の世間 

では、なおさら人をその一面だけで判断しがちです。

見えている一面だけで全人格を判断しがちです。

一瞬だけの態度が気にくわないからと、いじめてしまうかもしれません。 

何か心配事があって、上の空で返事をしなかっただけかもしれません。

ですが、目の前の人にも、沢山の歴史がありました。

苦悩や涙のドラマがありました。

その人を愛する人達が、周りに沢山いたのです。

その人の一面だけを勝手に切り取って、その人の全人格を否定するとは、そういったご両親や友人達の愛や真心までも否定することです。

その方の内に居らっしゃる神様も否定することです。。

そう気付きました。

 

天狗の鼻は折られました。

目の前にいる人を、一面だけで、判断してはいけない。

そう、その時 決心しました。 

自戒を込めて・・・・・あなたが気軽な気持ちで、または自分の欲望に負けて、

・パワハラ

・モラハラ

・セクハラ

・いじめ

・差別

・誹謗中傷

・人格の否定

しようとする人には、 

・お父さん、お母さんはいませんか?

・おじいちゃん、おばあちゃんはいませんでしたか?

・お子さんはいませんか?

・友人はいませんか? 

その人には、生まれてから、この方、いったい、どんなドラマがあったのか想像できますか?

特に、

・自分の嫌いな方

・自分を嫌っている方

のお顔を、思い浮かべ想像してみることをお勧めします。


2023年4月1日土曜日

3018「希林さんのできた訳」2023.4.1

 今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月22日の記事を紹介します。


「希林さんのできた訳」


樹木希林さんは、若いころから内田裕也さんと共に法華経の「希心会」と言う会に属していたそうです。 

大変良心的な会で、一世帯の月会費が、たったの100円。 

希林さんは、旧芸名は悠木千帆でしたが、その名前をオークションに出品し、 

新しい名前、希林の名は希心会の一字を受けたのだそうです。

日本では、敗戦後、占領軍の指導のもと、日本人の精神的支柱を破壊するために、宗教的なものは、全て否定され、忌み嫌うものとされて来ましたが、そんなことは決してなく、もし悪いところがあるとすれば、それは

・お金儲け、

・全面依存させ、精神の自立をさせない(一生の金づるにするため)

・他の考えを認めず、攻撃する 

などに陥れば、非難されてしかるべきですが、古くから日本に根付いていた信仰の心は

決して悪いものではないと思います。 

世界の常識では、誰でも、信仰する教え・考えを持ち、多くの日本人のように「私は無宗教です」などと言えば、人格を疑われるほどです。


さて、希林さんですが、

若いころからブッダの教え「法華経」を信じていたからだけでなく、

その素晴らしい考え方、生きる覚悟は、どうも、ガンを患ってから身に付いたようです。 

次にインタビューの記事をご紹介します。 

10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、樹木さんに3時間のインタビューをした 『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづっています。 

<引用開始> 引用元

  

石井:私が取材したいと思ったのは、映画『神宮希林』のなかで、夫・内田裕也さんについて「ああいう御しがたい存在は自分を映す鏡になる」と話していたからなんです。 

これは不登校にも通じる話だな、と。


樹木:あの話はお釈迦さんがそう言ってたんです。 

お釈迦さんの弟子でダイバダッタという人がいます。

でも、この人がお釈迦さんの邪魔ばっかりする、というか、お釈迦さんの命さえ狙ったりする。

お釈迦さんもこれにはそうとう悩んだらしいですが、ある日、ブッダは「ダイバダッタは

自分が悟りを得るために難を与えてくれる存在なんだ」と悟るんです。

私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、私にとってはありがたい存在です。 

ありがたいというのは漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書きます。 

人がなぜ生まれたかと言えば、いろんな難を受けながら成熟していくためなんじゃないでしょうか。

今日、みなさんから話を聞きたいと思っていただけたのは、私がたくさんのダイバダッタに出会ってきたからだと思います。 

もちろん私自身がダイバダッタだったときもあります。 

ダイバダッタに出会う、あるいは自分がそうなってしまう、そういう難の多い人生を

卑屈になるのではなく、受けとめ方を変える。

自分にとって具体的に不本意なことをしてくる存在を師として先生として受けとめる。

受けとめ方を変えることで、すばらしいものに見えてくるんじゃないでしょうか。


石井:そう思うきっかけはなにかあったのでしょうか?


樹木:やっぱりがんになったのは大きかった気がします。 

ただ、この年になると、がんだけじゃなくていろんな病気にかかりますし、不自由になります。 

腰が重くなって、目がかすんで針に糸も通らなくなっていく。 

でもね、それでいいの。 

こうやって人間は自分の不自由さに仕えて成熟していくんです。

若くても不自由なことはたくさんあると思います。(=自分の自由にならないことは沢山ある)

それは自分のことだけではなく、他人だったり、ときにはわが子だったりもします。 

でも、その不自由さを何とかしようとするんじゃなくて、不自由なまま、おもしろがっていく。 

それが大事なんじゃないかと思うんです。

<引用終了>

   

全身、ガンに侵され、そうなったら誰でも、自分のいのちと向き合うしかありません。 

そんなことでもない限り、私たちは、自分は何のために生まれて来たのか?

考えないかもしれません。 

希林さんは、内田裕也さんという、ダイバダッタに出会い苦労し、ガンというダイバダッタに出会い、人生を深く味わい、そうして、人生の奥深さ、醍醐味を身につけたのかもしれませんね。 

私たちの人生で出会う、一見不幸な出来事 

・事故

・病気

・別れ

・貧困

・死 

それさえも、私たちの人生を輝かせてくれる舞台装置に過ぎません。 

悩み苦しみ、呪いの言葉で、 相対するのではなく、感謝の心で、望みたいものですね。 

そうしてこそ、このような不幸に見える出来事も私たちの魂にとって、意味のある出来事に変化します。

ちなみに、提婆達多(ダイバダッタ)は生きながらにして地獄に堕ちた悪人の代表とされていましたが、経典の提婆達多品において、提婆達多こそ実はブッダの前世において師であったと明かされ、未来において、その成仏(仏・悟りを開くこと)を保証されています。 

  

樹木希林さんにとっての、内田裕也さん。

皆さんにも、そんな

・自分の思い通りにならない

・目に障る

・言うことを聞かない

・自分の理想とはかけ離れた言動をする

・自分の思う「普通」や「当たり前」とは違う

のようなご家族はいらっしゃいますか?

それとも、同僚や友人に、そのような方はいらっしゃいますか?

そのような人こそ、ブッダの弟子だったダイバダッタのような人かもしれません。

・とっても嫌な人、

・顔も見たくない人

・会えば文句を言いたくなる人

・憂鬱になる人

・苦しみの種

かもしれません。

ですが、その人が居てくれるからこそ、

悩み苦しみ、悲しみを味わうことになりますが、ご自分の魂を揺さぶり、深く熟考を促し

魂の深みを味あわせてくださっているのでは、ありませんか? 

その人が存在するからこそ、

・生まれて来た目的

・生きる目的

・神様のこと

を深く考えるようになったのではありませんか?

まさにダイバダッタです。

ブッダは、この時悟ります。

この人は実は有難い存在だったのだと。 

 

そう思えた時、魂の闇は明け、光が差し込み、悩みは悩みでなくなり、苦しみも、苦しみではなくなり、感謝の中に幸福な人生を歩めるのではないでしょうか。

この時、確実に、神々の大きな恩寵が動き出すことでしょう。