今回は立花大敬さんのワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最近の記事を紹介します。
・912 2023.03.11
ちょっとヌケているから、人がホッと楽になるのです
ちょっとカケてるから、人が手伝ってあげようと思うのです
・913 2023.03.12
どっちへどう転んでも 下はあったかい大地
・914 2023.03.13
低い土地に 水が流れこむように 必要な人、必要な時に、必要なものが
入ってくるのが、大宇宙の理法 では、なぜ入ってこない
自分をまもるはずの「自我の囲い」が、流入を邪魔しているから
・915 2023.03.14
すべては自分が引き寄せている。
今の自分の成長に必要だから、やって来た課題なのだ。
だから、人や環境のせいにしないで、精一杯取り組んでゆこう、来る大飛躍の時のために。
・916 2023.03.15 ~ 927 2023.03.27
(問い)「大祓詞」はどういう時に、何回称えると良いものなのでしょう?
(答え)「大祓詞」は、「罪」と「穢れ(気枯れ)」が、体と心に充満して苦しくなってきたと自覚した時に称えます。「大祓詞」を称えると、神さまとコトダマの力で「罪」と「穢れ(気枯れ)」を祓い清めて下さるのです。
「罪」と「穢れ(気枯れ)」が身心に積み重なったということは、身も心も重苦しく塞がったように感じられ、息苦しい感じがし、心のゆとりがなくなり、思いつめがちになり、思い違いや行き違いが増え、何事もスムーズに事が運ばなくなり、感情の起伏が激しくなるなどの現象で知ることが出来ます。
そんな時には、「罪」と「穢れ(気枯れ)」を祓い清めて、生き生き輝く本来のあなたに復帰しなければなりませんが、それには二つの手立てがあります。
一つ目は、神社に参り、社務所で申し込んで、神前で個人的(または家族全員)にお祓いをお願いするのです(少し多めのお金が必要になりますが、その「払い」が「祓い」になります)。そうすれば、神職の方が、「大祓詞」を称えて祓い清めて下さいます。
人生の節目、節目、例えば子供の七五三や厄年や入試の前、手術の前などに、神社でお祓いをお願いするというのは大切なことです。お礼参りも忘れないようにして下さい
二つ目は、自宅で「大祓詞」を称えます。この時は、声を出して称えて下さい。
私たちは、神道に関してはあくまで素人で、神社では「大祓詞」は称えません。神社では、プロである神職の方にお任せするべきです。
「大祓詞」は、結構長文なので、自宅では普通は一回、あるいは三回称えます。
その日一日に犯した「罪と穢れ」を祓い清めるにはそれで十分です。
しかし、「罪」と「穢れ(気枯れ)」がかなり重症だと自覚する時は、何度でも、何日でも、何年でも、ある程度祓われたという自覚が生じるまで称えて下さい。
罪が十分祓われたという証拠は、身心の固まりが解けて柔軟になり、呼吸が楽になり、広い世界に出たような開放感が得られたり、身心が光を放っているような感じがしたり、何事もピタッピタッと都合よく運ぶようになる…、などを体験して知ることが出来ます。
(質問)神社に参った時には、どういうタイミングで、どう称えるといいのでしょうか。
(答え)先に述べたように、神社では「大祓詞」は称えません。
よく大声で、身を震わせて(霊動?)神前で「大祓詞」などを称えている方がいますが、まわりの方に迷惑ですし、そんな方は波動が粗くて、神さまの細やかで光の次元の波動とは全く共振できていません。ですから、神さまから注がれる「恵み」はその人にはちっとも届いていません。
「参る」には、「降参する」という意味もありますね。
我のツッパリや力みを捨てて、身も心も神さまに奉げて、どう結論を下されようとお受けします、従いますという覚悟が決まるようになるのが、本当の「参る」です。しかし、一気にはそうはなれません。
はじめは、苦しい時の神頼みから出発して、何度もお参りしてお願いしているうちに、神さまとの魂の交流が強くなってゆき、神さまに誘導されて、いつの間にかそんな心境になれるのです。
具体的な参拝方法を時系列で記述してみましょう。
(1)まず鳥居で合掌礼拝してから、神域に入らせて頂きます。
(2)みたらい(御手洗所)で、「はらいたまえ、きよめたまえ」と念じながら手と口を漱ぎます。
(3)参道の玉砂利や周りの樹木も、あなたを祓い清めてくれます。
(4)神前に進み、お賽銭を入れます(「払い」も「祓い」です)。
(5)「2礼→2拍手」(神社によって作法が違う場合もあります。事前に調べておきましょう)して、その後、「祈り」に入ります。
(6)祈りの作法
合掌しながら、以下の順序で(声は出さない)
① 住所と氏名を告げる。
② この神社にお参りできたことの感謝を伝える。
『無事に参拝させて頂き、有難うございます』
③ 願い事を告げる。
④ 祝詞(略拝詞)を唱える。
(略拝詞)祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ(はらいたまえ きよめたまえ まもりたまえ さきはえたまえ)
(7)「一礼」して、神前を後にする。
(8)鳥居を出る時も一礼する。
これらの一連の作法を淡々と、確実にこなして下さい。
これらの作法は神前に進んで、神様にお願いするという「本番」に向けて、次第に無心、無我になってゆくための準備動作です。バッターボックスに入る前の、イチロー選手の一連の動作、五郎丸選手のキック前の動作と同様のものなのです。
私は、皆さんに『足運び法』というのを提案していて、これがとても有効な方法のようなのです。以下にその方法を紹介します。
(1)まず、最寄の神社(産土様や氏神様)か、ご縁がある神社にお参りします。
(2)神前で、合掌してお願いや誓いを神さまに聞いて頂きます(声に出さずに、心の中で、密かに神さまと交感します)。
(3)その願いや誓いの実現のために、これからたとえば、十回、百回お参りしますと誓います。回数で誓います。毎日参りますなどと誓わない方がいいです。
(4)神社へ足を運び、お参りを重ねるうちに、次第に自身の願いや誓いがくっきり心に定着するようになり、実現するというぞという確信も強くなってゆき、ついに願いが叶うのです。
以上の方法が『足運び法』の概略です。この方法で念願が叶ったと報告して下さった方が沢山いらっしゃいます。「心」だけでする修行でなく、実際に「身」をもってする行なので、その分、効果も大きいのだと思います。
(質問)称えるときの姿勢や称える前にしておくべきことがありますか?
(答え)私は、坐禅の姿勢で称えます。もちろん正座で称えても結構です。
私は、ご縁がある神社の神前の光景を思い浮かべながら称えます。称える具体的な目当てが欲しい人は、その神社の御朱印か、お札に向って称えたらいいのです。
その後、私の場合は、坐禅に入ります(坐禅も祓い清め、ほどき祓いの行です)が、雑念が多い時は、呼吸にあわせて、吸うときに「祓い給え」、吐く時に「清め給え」と念じるのが有効です。呼吸は「風のみそぎ(旧い身を削ぐ)」です。
「大祓詞」を称える前に、足運びで神さまに届けている「願い事」を、ここでも合掌して念じます。
(問い)「大祓詞」の効能は、端的にいうと何だと言えるでしょうか?
(答え)「大祓詞」を称えると、過去から引きずってきた重苦しい暗いもの、それらがあなたの現在や未来を束縛し、輝かしく自由に生きることをさせないのですが、その重苦しいものを、一気に吹き払い、吹き飛ばしてくれる、強烈な霊的なエネルギーを持った祝詞です。
そんな過去由来の重苦しいものさえ吹き飛ばせたら、本来の「神的なあなた」が自ずと現れて、これからは、生き生き伸び伸び、輝いて生きることができるのです。
「大祓詞」とは、端的にいうと、あなたが身にまとっている、古く、薄汚れ、ボロボロになってしまった衣装を、その霊的な力で吹き飛ばしてくれ、裸(本来の)で輝くあなたに戻してくれ、これからどんな衣装を着て人生を送るか、その選択の自由を得させて下さる、そんな有難い祝詞(祝福の言葉)なのです。(完)