2023年4月16日日曜日

3033「夭逝する子供たち」2023.4.16

今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年04月05日の「夭逝する子供たち」と2023年04月07日の「最強の言葉」の2つの記事を紹介します。 


「夭逝する子供たち」


私は夭逝した。

夭逝と言うのは、幼くして天に帰ること。

夭逝する子供たちにも、それぞれの理由がある。

私の場合は両親となる人たちからの依頼だった。

私は15才、中学校3年生の時、病気で亡くなる運命を持って生まれて来た。

中学生のころ脊髄小脳変性症という病気にかかり、不自由な生活を送る中、

家族や友達に助けられ、一生懸命生きていたけれど、

病状は悪化する一方で、結局予定通り、15才で天に帰ってきた。

それまで普通の子と同じように天真爛漫、元気いっぱいだった娘が突然病魔に襲われ、

あっという間に天に召されるという演出が行われた。


天に暮らしていた時、両親と交わした約束はこうだった。

この物質地球という感情の惑星を舞台に、

魂の大きな方向転換を図る手伝いをして欲しいと言う願いだった。

この地球という惑星では、物質的な肉体を持つがゆえに、魂としての意識、

つまり永遠のイノチを持つ生命体としての記憶を一時消失させ、

まるで演劇を演じているように舞台に没頭し、感情を揺さぶる経験ができるからだ。

愛する子供が、天真爛漫、自分たち未熟な親のことを完璧に信じ切ってくれていた、その純粋な瞳が、両親の目の前で閉じる時、これ以上ない「悲しみ」の感情を味わうことになる。

残された両親は、

・悲しさ

・悔しさ

・切なさ

・後悔

を味わうことになる。

自分を許せない。あの時こうしていれば。もっと愛すればよかった。

心にぽっかりと空いた穴は、どんなものも埋めることはできず、

長い時間、色の無いモノクロの世界をさまようことになる。

でも私たち親子は、天にいた時、そのことを承知して、約束して生まれて来た。

何故なら、この辛く悲しい経験は、両親の魂を最大限に揺さぶるからだ。

魂を揺さぶられた両親は、この後どう変わっていくのか?

神さまの計らいで、当事者だった私も、目には見えないけれど魂として、

この両親のすぐ傍らで、自分の事として感情を共有しながら、彼らが天に戻り、

この崇高な計画を思い出す時まで、再び天で再会する時まで一緒に居ることになった。

永遠とも思える、空白の時。時間は止まったまま。

心には大きな傷跡が残ったけれど、それゆえに大きな変化も生まれた。

 

同じ境遇の人々、深い悲しみを心に抱く人々が、同じ波長を有しているがゆえに集まりだした。

彼らの悲しみ、悔しさ、後悔の心が、自分のこととして心から理解できる。

しっかりものとしての自負があり、人の世話にならず、誰にも迷惑を掛けないで生きてきた

そう思っていた両親にとって、大きな変化である。

人は一人では生きていけない。

お互いに助け合い、励まし合うことで、生きる希望を見いだすことがある。

そんなことも少しずつ理解できるようになった。 

そんな両親の小さな変化、小さな気づきを傍らで見る時、

私の心は喜びの感情で溢れた。愛の心で満たされた。優しさで包まれた。

私たちを見守る神様も微笑んでいらっしゃることが分かる。

この美しい魂の交流は、まだ肉体を持つ両親にも、とめどもなく注がれている。

私と両親の魂の約束。

それは愛する我が子の夭逝と言う深い悲しみを経験することで、

両親の魂を揺さぶり、この神様の愛を経験することだった。

それは両親の魂の進化にとって、大きな推進力ともなるが、

同時に夭逝する役割を引き受けた私自身の魂にも深い喜びをもたらしてくれる。

私たちは、肉体と言う器を通して、感情を経験することができる。

その目的はただ一つしかない。

この地上での演劇を通じ、神様の愛を知ること、分かち合うこと、魂の美しい交流を図ること。

もう何十年かしたら、両親もこちらに戻ってくる。

そしてこの崇高な計画を思い出し、地上で沢山の神様の愛を経験したことを喜び合う日が来ることになる。

お父さん、お母さん。

どうか悲しみに押しつぶされないでください。

神さまから頂いた魂は永遠です。

私たちは、こうなることを約束して生まれてきました。

全ては神様の深い愛を知るためです。

私はいつもそばに居ます。

心を共有しています。

そして、必ずまた再会できます。

どうかその時に笑顔で会うことができるよう、心を開き、愛と優しさで満たしていてください。

笑顔を取り戻してください。

それが夭逝した私たちすべての子供たちの願いです。



「最強の言葉 」


皆さん、この言葉ご存知ですか?

「断じて行えば、鬼神も之を避く」 

断固とした態度で行えば、鬼神でさえ、その勢いに気(け)おされて避けて行く。 

と言うことだそうです。 

私は、これを「ありがとう」の言葉を常に口にして、感謝の心で生きている人のことだと思います。 

「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にする人に対して、 

どんな人が、 

・蔑み(さげすみ)、

・陥れ(おとしいれ)

・危害を加え

・足を引っ張る

ことができるでしょうか? 

それでは、歴史研究家の 河合敦さんのエッセイをご紹介します。

<引用開始> 引用元

 

赴任先は知的障がいを持った生徒が通う養護学校で、僕が初めて受け持った子供たちとの出来事です。

その日、子供たち10人、担当の先生3人で、小田原に遠足に行きました。

お昼になり、昼食を食べるお店を探したのですが、どこも13人の団体は入れず、

ようやくあるお店お蕎麦屋さんに入ることができました。

2階の座敷に通され、女性の店員さんが注文を取りに来ました。

ところがメニューに写真がありません。

子供達は言葉が喋れなかったり、

字が読めなかったりするので、僕が一つひとつ説明していたら、

その店員さんは忙しかったんでしょうね、プイと下へ降りちゃったんです。

僕はその態度にすごく腹が立ちました。

ようやく注文が決まり、別の店員さんに頼みました。

待っている間、僕たちは畳の座敷にそのまま座らされていたので、

座布団はないかなと押し入れを開けたら、ありました。

僕はそれを出して配り始めました。

そしたら最初の店員さんが血相を変えてやってきて、「これは使わないでください!」と私からひったくり、

別の場所から持ってきた座布団を投げつけるような乱暴さで生徒たちに配り始めたのです。

さすがに僕はブチ切れて、一言、言ってやろうと口を開きかけたその時、

座布団を受け取った勇太(仮名)が「おばさん、ありがとう」と言ったんです。

そしたらほかの子供たちもみんな「ありがとう」「ありがとう」と言い始め、 

言葉が出ない子は手を合わせて頭を下げたのです。

その光景を見た時、僕はもうグッときてしまいました。

 

すると、その店員さんは人が変わったように急に優しくなったんです。

それまで忙しくて心に余裕がなかったんでしょうね。

13年後、勇太が亡くなったことを知らせるお母さんからの手紙が来ました。

その中に、葬式に参列された方のコラムが同封されていました。

その方は、13年前に僕が書いたエッセーのことに触れた後、こう綴っていました。 

『・・・勇太が発した「ありがとう」の一言で、食堂の店員も河合先生も、

 その場にいた皆が、とても和やかな気分になったという。感動した。

そうか、勇太はそんなこともしたのか、と。

そこに知的障がい者たちの素晴らしさを見た。

白木の棺の横に大書きしてあった「ありがとう」の意味もよくわかった。

息を引き取る直前、何か言いたそうだったので、

お母さんが「ありがとう、なの?」と聞いたら、勇太は頷いたそうだ。

勇太は心から「ありがとう」と言える若者だったのだ」

それを読んで僕は涙が止まりませんでした。

僕の書いたエッセーがずっと彼の家族の支えになっていたんです。

彼は30年という短い生涯を終えたわけですが、

「ありがとう」という言葉は、これからも彼の家族を支えていくと思います。

<引用終了>

  

どんなに敵意むき出しの人であろうと、自分に向けた「ありがとう」という言葉に

心を動かされない人はありません。 

神さまは、人間の本能の中に

・ありがとうと言われると(感謝されると)、嬉しい

という仕組みを入れてくださっているからです。 

感謝の心、「ありがとう」の言葉は、自分の心も安定させ、不安を払しょくしてくれます。 

安心感をもたらしてくれます。  

何故なら、その言霊の生み出す、波動空間に自分自身が包まれ、 

無意識の内に神さまと 

・仲良くなった

・融合した(一体化した)

・神さまに愛されている

・宇宙が味方してくれている 

そう気付くからです。 

皆様が、内なる神さまに気づき、お幸せになりますように。