2024年12月19日木曜日

3646「ありがとうと言うために生まれて来た」2024.12.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月02日の記事を紹介します。


「ありがとうと言うために生まれて来た」


日本語の「ありがとう」と言う言葉は、物凄い力を秘めています。 

外国語にも翻訳すれば、同じ意味の言葉がありますが、

言霊としての「ありがとう」には遠く及ばないそうです。 

この言葉があるために、日本に転生して来たいと希望する魂は

他の国を圧倒的に引き離し、行列待ちの状態だそうです。 

今日の内容は、病気で、早くに亡くなったお子さんのお話です。 

その悲しい出来事によって、 

・亡くなった子供は、何を伝えに生まれてきたのか?

・親がどのように影響を受けたのか?

という実話です。

それでは、ご紹介します。 

私達は、もしかしたら、この地球に、「ありがとう」

そう言うために生まれて来たのかもしれないですね。

今日のお話は、8歳で小児がんで亡くなった、

宗一郎くんのお父さんの手記からご紹介します。実話です。

<引用開始> 引用元

 




息子宗一郎のお話をしますね。

彼は平成十年3月31、光の世界に帰りました。

最後の3ヵ月は実は病院ではなく自宅で過ごしました。

そのときのわたしたちは必死でした。

なんとかして病気を治して、もとの元気な宗一郎になってほしかったんです。

サイマテイックという音で病気を治す器械も購入して使いました。

その他多くのことをやりました。

でも、いまから思えば、もっともっと一緒に楽しんであげればよかったと思います。

日に日にやせ衰え、痛みに苦しむ息子を、私たち夫婦は精一杯看病しました。

自分では歩くこともできない息子を背中におんぶして、お風呂にそのままの姿で入ったとき、痛みが少しやわらいだ息子の顔はとても幸せそうでした。

支えているわたしも泣きながら、お風呂につかっていました。

いてくれるだけでうれしい、生きていてくれるだけでありがたい。

夜は私と妻の間になって寝るのですが、30分ごとに訪れる痛みをやわらげるために、

私たちは宗一郎の体の位置を変えてさすってやりました。

正直いってとても辛かったです・・・

でも、でも、いてくれるだけでいい、彼がいなくなることが怖かったんでしょうね。

辛い痛みのなかでもできるだけ、私たちに笑顔をみせようとしていた子でした。

「お母さん、ごめんね」

「もっと元気だったらお母さん、お父さんも疲れないのにね」

「お母さん、ぼく、もっと生きたいよ」

痛みがでるとサイマテイックでその痛みをやわらげてあげました。

もう、これはいけないなと思い、病院へ連れていく車中で・・・

意識があまり定かではない宗一郎がこう言うんです。

「お父さん、お母さん」

「信じあって、助けあって、分かり合って生きてゆくんだよ」

「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

「自分を責めることが一番いけないんだよ」

と強い口調で私たちに言うのです。

病院での最後のとき・・・・

たんが気道を満たして声にならない声で・・・・

最後の一声が・・・

「ありがとう」なんです。

それまで全身の痛みで抱くことができなかったのですが、

最後は母親に抱かれながら静かに息をひきとりました。

<引用終了>

8歳の少年の遺言でした。

悲しいときや苦しいときほど、笑うこと。 

宗一郎君は、そう教えてくれました。

エピローグ


宗一郎くんが入院していたのは、小児ガン病棟。

その小児病棟は、みんなガンを患っている子ばかりで、

治る子はほんの一握りなのだそうです。

ほとんどの子は、1年~2年で光の天使になってしまいます。

でも昼間の小児病棟は、どの病棟より、とても明るくワイワイと賑やかだそうです。

どうしてだと思いますか?

残された命は短いんだから、楽しく素敵な思い出を作ろうと、それぞれのお母さんやお父さんが、自分の深い悲しみをぐっとこらえて、明るく楽しくお子さんたちと楽しむのだそうです。

残された人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

人生を楽しんでいるのです!

そして子どもたちが寝静まるころ、あちらこちらの病室から押し殺したように泣き声、

慟哭が聞こえて来るのだそうです。

この病棟では、夜は涙を流し、昼は笑顔を絶やさずに毎日過ごされていたのです。

小児ガンの子どもたちは、ものすごい優しい子が多いそうです。 

そして人を思いやる気持ちも大人以上なのだそうです。

ある日、宗一郎くんが聞かれたそうです。

「宗一郎くんの夢はなに?」

宗一郎くんの夢は・・・

宗一郎くんの答えは、「大人になること」だったんです。

この病棟ほとんどの子どもたちは、私たちが当たり前に思っている

大人になることもなく、亡くなってゆきます。

大人になることは、実は凄いことなのです。

私たちは大人です。

・もっともっと幸せに、生きていきたいですね。

・もっともっと明るく、生きていきたいですね。

・もっともっと楽しく、生きていきたいですね。

・もっともっと笑って、生きていきたいですね。

・もっともっと優しく、生きていきたいですね。

宗一郎くんは、いつも辛い痛みのなかでも、できるだけ笑顔をみせようとしていました。

そして、辛い痛みのある時はいつも 

「悲しいときや苦しいときほど、笑うんだよ」

と強い口調で大人病棟の人たちに言っていたそうです。

私達は、よく不平・不満や愚痴を口にしたり、また自分の思い通りにならないことがあれば、

すぐに怒ったり、この子供たちと比べたら、なんと自分勝手で、そして幸せなことでしょう。

彼らの夢は大人になること、たったそれだけだったのです。 

子供たちは、生まれる前に、自分の人生の設計をしてきます。 

・どんな身体になるか、病気か、健康体か

・いつ、どこで、誰に会うか、別れるか

・どんな才能を身に付けるか

・そして、お母さんをだれにするか? 

天国に戻る時を、何時にするか? 

それらは、全て自分の目的を達成するためです。 

そしてすべての計画は、神様に承認されて、祝福されたうえで生まれてきます。 

決して、その目的は、 誰かを苦しめよう、悲しませよう、などのはずがないのです。

肉体の生死を超え、永遠に続く生命(魂)の進化のために、あえて過酷で、非常な運命を

選択してくる高貴な魂もいます。

人を目覚めさせるために、生まれてくる魂もいます。 

その高貴な子供たちの心に報いるためにも、私たち、後から彼らのもとに行く者たちは、

日々の暮らしにしっかりと立ち、優しい心、助け合いの心、お互い様の心で生きていきたいものですね。 

そうやってこそ、高貴な子供たちの魂の働きに報いることができます。

彼らの早すぎる死を、無駄にすることもありません。 

どうか、皆さんが日々の暮らしの中で、笑顔で、助け合って

お互い様の優しい気持ちで生きることができますように。 


2024年12月18日水曜日

3645「青空ひろば」2024.12.18

今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」から最新の記事を紹介します。


1373 2024.12.06 

フォン・カラヤンは、魂の不滅、転生を信じていました。自分のいのちの中心には、「素晴らしい音楽を追求・創造してゆきたい」という強く、激しい、揺るぎない意志が存在している。こんなにも強く激しい意志が、肉体がなくなったぐらいで消滅するはずがないではないかと語っておられました。

 「魂」というボールの中心点には、いのちの「根本意志」が存在していて、それは『どこまでも、大きくなろう、より高く成長してゆこう』という意志です。この意志はどのいのちにも共有されているので、「共有意志」ともいいます。その外側の層に、その人が今生で担う「役割意志」の層があります。その二つの意志が、その意志実現のために使用する乗物、「心(霊)の体」、「肉の体」を、二つの意志層の外側の層に持っているのです。

地上世界で亡くなると、「肉の体」は消滅しますが、それより内側の三層の魂は残り、地上での生の総括と反省が終わると、次の地上人生のあらすじを描いて、再び「肉の身」をまとって降臨します。さらに学習をすすめ、より高く、より大きく成長するために…。

 永遠生命の自覚とは、その根本意志の強さ、激しさ、揺るぎなさに気づくということです。人生にはいろんなことがあります、泣いても笑っても、怒っていても、悲しんでいても、どんな時も魂の「方位磁針」は、「限りない成長進化」を指して不動です。

 「好雪片々、別処に落ちず」という禅語があります。雪が降り続いています。雪の一片、一片、風に任せて取りとめのない、ばらばらの方向に落ちてゆくように見えるけれど、実は、どの一片にも同じ力(重力)が常にはたらいているのです。この重力に相当するのが、「根本意志」ですね。

 人だけでなく、植物にもこの「根本意志」が、人よりも純粋な形ではたらいています。樹や花と対面して心をかよわせると、魂の永遠性の神秘について教えてくれます。『無門関』の「庭前柏樹子」という公案は、この根源意志をテーマにした問題です。

しかし、地上では自覚できなくても、あっちの世界にゆくと、誰でもそのこと(魂の永遠性)が自明のことなので、今生で悟ってやろうなどとあせる必要はありません。


1372 2024.12.05 

「いのち」は「意の霊」で、「意」は「意識」、「霊」は「霊体」のことで、そのカラダには2種類あって「心の体」と「肉の体」です。「いのち」は、このように三層構造(意と霊体と肉体)で、古事記の冒頭の造化三神は、この「いのち」の三層構造を示しています。

 しかし、「いのち」という言葉は、構造を示すには都合がいいのですが静的な感じがするので、いのちのダイナミックな作用、転進進化の方向性などを示すには、コロコロ転がる、ドンドン成長し大きくなってゆく「タマ」で象徴した方がいいわけです。そこで、「タマシヒ(魂)」という言葉を使います。「シヒ」は、「進化のゴールをめざす激しい(シ)、霊的エネルギー(ヒ)」のことです。 


1371 2024.12.03 

風水を気にされる前に、もっと大切なことがあります。それは、あなたがいま住んでいらっしゃるお家を愛して、大切に、大切にお世話してあげることです。

そのように、慈しみの念をこめて大切に扱ったモノには愛念がこもり、やがていのちが宿り、今度は、そのモノがあなたを護ってくれるようになります。「トイレの神さま」が、はじめからいらっしゃるわけではなく、丁寧にお世話したトイレには、そのあなたの愛念が籠って、ついにあなたを護る神さまとなるのです。

 そのように、モノをお世話してゆくと、『このモノは、ここに置いてあげたほうがいいなあ』、『ここをこう改造してあげるともっと輝くなあ』と自然に分かるようになります。モノが適切な位置を教えてくれます。そうすると、自然に風水の法則に則った配置が整ってゆくのです。

風水の法則をあまり神経質に守ろうとすると、不安の念がドンドン大きくなって、その不安の念が不幸を引き寄せるということがあります。気をつけて下さい。


1370 2024.12.03

「瞑想」は、イメージしたり、集中したりする努力があります。その分「アタマ」がはたらいています。また、その「アタマ」の努力には合格があったり、不合格があったりします。思うように瞑想出来ないとイライラ自分を責めたり、不合格だと落ち込んだりしがちです。

「坐禅」は、坐禅の姿勢をとってただ坐るだけでいいのです。「カラダ」で坐るので、「アタマ」で坐るのではありません。ですから、「いい坐禅」、「悪い坐禅」という区別はありません。ただ「坐禅」という姿勢をとるだけです。

「坐禅しても雑念だらけで…」とおっしゃる方がいますが、雑念とおっしゃるのは、それがいけないと自分勝手に判断しておられるわけですね。

 一時間先に起こることも、千メートル先で起こっていることもさっぱり分からない程度の、そんな性能が悪い「アタマ」の判断を信用してはいけません。そんなお粗末な「アタマ」をしばらくお休みにして、ただ「カラダ」に任せて坐ろうというのです。

 それだけで、不思議なことには心が休まり、日常生活で消耗していたいのちが自然と充電されてゆきます。なぜか人生が好転してゆきます。なぜそうなるのかは分かりませんが、人類は六千年も前から、カラダを坐禅の形に組んで坐ってきました。効果がない姿勢なら今に伝わっているはずがありませんね。


1369 2024.12.01

祈りの究極は、「み心のままに」だというのは確かです。私も少しずつ、そんな心境に近づいていて、そんな心境になると、「神さまの意志の流れ」というものが肌で感じられるようになります。そうすると、その「神流」に浮かんで運んでもらえるようになります。ちょっとの努力で、最大効果があがるような行動が出来るようになります。人生の関門が現れるたびに、次々自動ドアとなって開いてゆくような感じになります。フロー感覚といったり、スムージング効果といったりするそうです。私は「神流楽(かんながら)」といっています。

しかし、人は家族のこと、仕事のこと、人間関係のことなど、悩みが尽きませんし、そんな悩みを解決して下さいとお願いすることを神さまは許してくださっています。

ですから、遠慮なく、どんなドロドロした願いでもいいから、神様に頼ってください。祈り、祈り、ひたすら祈るうちに、次第に心が澄み、最後は、「み心のままに」と、少しでも思えるようになった時、その願いは叶うのです。

ユリ・ゲラーのスプーン曲げの研究家によると、ゲラーが「曲げよう、曲げよう」と強く念じている間は曲がらなくて、念じるのをやめて気を抜いた瞬間からスプーンは曲がり始めるのだそうです。そこまでゆくと、後は気を散らして別のことをしていても、スプーンは自動的に曲がり続けるのだそうです。


1368 2024.11.30 

「アタマ(頭)」は「今・ココ」から漂い出してフラフラしがちですが、「カラダ(身体)」は、決して「今・ココ」から離れることはありません。ですから、「カラダ」に戻る工夫をすればいいわけです。

よく相撲の力士や水泳の選手が最後の仕切り(スタートの直前)に、「カラダ」をバシバシたたいたりしますが、これも、不安や弱気に意識がフラフラしがちなのを、「カラダ」への強めの刺激で意識を「今・ココ」に引き戻しているのです。思いの雑音が消えて、意識が「今・ココ」にあつまって、目標に向って全力投球出来るようになったら、その人は最高のパフォーマンスで行動できます。

あなたも、自分なりの「カラダ刺激」を考えて、不安やイライラの気持ちが強くなったなあと気づいたら、その動作をやってみて下さい。

私の教え子は、テスト中に時々、右手の二本指で左の手首をトントンたたいていて、「何をしているの?」と尋ねると、「こうするとミスが少なくなるのです」と言っていました。ちなみにこの生徒は東大に進学しました。

ラグビーの五郎丸選手の、キック前の一連のルーチィンワークが話題になりましたね。これは、メンタルトレーナーと相談して順序だけでなく各動作の秒数まで決まっているのだそうです。このルーチィンワークに意識を集めることによって、無心状態に戻れるようにしているわけですね。


2024年12月17日火曜日

3644「泥を肥やしに咲く花」2024.12.17

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年12月01日の記事を紹介します。


「泥を肥やしに咲く花」


今日は西尾市にある浄名寺の副住職 松原紗蓮さんのお話をご紹介します。

親と子は時に離れ離れに暮らさなければならないことがあります。

まして自分が捨てられたと感じた時に、

子供はどんな気持ちになることでしょうか?

<引用開始> 引用元

私が愛知県西尾市にある浄名寺に預けられたのは、2歳7か月の時です。

幼い頃に両親は亡くなったと聞かされ、

親代わりの庵主様や、世間様の「お寺の子はいい子だ」という期待の中で育ちました。

同級生からはその逆に、お寺の子であることや、

実の親のないことをからかわれ、酷い苛めを受けてきましたが

「どんな時も前向きでいよ」という庵主様の教えを守り、

泣き出したくなる気持ちを必死に堪えながら幼少期を過ごしました。

張り詰めていた神経の糸が切れたのは、中学2年の時です。

役所に、ある書類を提出する際、

庵主様から「実はねぇ」と言って、出生の秘密を打ち明けられたのでした。

聞けば、両親は私が幼い頃に離婚し、母親が再婚する際、娘の私をお寺へ預けたというのです。

自分は生まれてきてはいけない存在だったんだ。

一体何を信じて生きてきたのだろう?

事実を知った私は、頑張るということに疲れてしまいました。

そして3か月間泣き通した後、私が選んだ道は、 

・髪の毛を金色に染めて、

・耳にピアスの穴を開け、

・あらゆるものに歯向かい、

・強がって見せることでした。

暴走族の仲間たちと一晩中走り回り、家出を繰り返す毎日。

14歳で手を出した薬物はその後7年間、1日としてやむことがなく、

私など消えてしまえ、という思いから、幾度となく自傷行為を繰り返しました。

心配をした庵主様は、私が20歳になった時に「最後の賭け」に出たといいます。

私を京都の知恩院へ21日間の修行に行かせ、

そこで尼僧になる決意をさせようとしたのです。

金髪のまま無理やり寺へ押し込められた私は

訳が分からず、初めのうちは反発ばかりして叱られてばかりでした。

ところが10日目を過ぎた頃、教科書に書かれてある仏様の教えが、

読めば読むほど、庵主様の生き様そのものと重なることに気づいたのです。

例えば「忍辱(にんにく)」という禅語があります。

私がグレていた7年間、普通の親であれば間違いなく音(ね)を上げてしまうような状況で、

庵主様はただひたすら耐え忍んでくれたのだ。 

それは親心を越えた、仏様の心というものでした。

また道場長から「少欲知足」という言葉を教わり、

「髪の毛や耳のピアスなど、自分を着飾る物すべてを取り払っても、

内から輝けるようになりなさい」と言われました。

人間は無駄な物の一切を削ぎ落とした時に、初めて自分にとっての大事なものが見え、

本当の生き方ができるようになるのだというのです。

私はふと、庵主様の生活を思い浮かべました。

庵主様はお洒落もしなければ、食べる物にお金を掛けたりもしない

簡素な暮らしで、他の楽しみに時間を使うこともなかった。

ではその分、一体何に時間を使っていたか。

そう考えた時に、 

庵主様はすべての時間を

「私を育てる」という一事に使ったのだと知ったのです。

私の思いの至らなかった陰の部分では、

どれだけ多くの人が自分を支え続けてくれたことか、御仏の光に照らされ、

初めて親のお陰、世間様のお陰に手を合わせずにはいられなくなりました。

そして教科書を読み進めれば進めるほど、止めどもなく涙が溢れてきました。

修行の後、お寺に戻った私が庵主様に、なぜ私を叱ったり、

本当の気持ちを聞かせてくれなかったのかと尋ねたところ、庵主様は

「人間は、時が熟さなければ分からないことがある。

ひと月前のおまえに私がどれだけよい言葉を聞かせても、かえって反発を生むだけだった。

いまおまえが分かるということは、

おまえに分かる時がきたということだ。仏道は待ちて熟さん」

とお話しになりました。

庵主様には1つの願心があり、私がグレ始めた14歳の時に、10年間は黙ってこの子を見守ろうと決めたのだといいます。

そして自らには、何があっても「平素のように生きよ」と誓いを立てたということでした。

私はいわば、お釈迦様の手の平の上で暴れていた孫悟空のようなもので、

自ら命を絶とうと人生に背を向けていましたが、

どこまでいっても結局は庵主様の手の平の上にいた。

庵主様が私を慈しんでくださる心は無限に広大で、

私はその大きな大きな慈悲の中に生かされていたのだと知ったのです。

23歳で剃髪出家をした時、私は庵主様に「紗蓮」という法名をいただきました。

後にある方から

「美しい蓮(はす)の花は、泥まみれの池の中にしか咲かないのだよ。

人生にも、悩みや苦しみはあって当たり前で、

その泥を肥やしにしてこそ大輪の花が咲くのだ」

と教わりました。

振り返れば、14歳から20歳までのどん底の時代が、

私にとってはまたとない、よい肥やしになったと感じています。

今年31歳になった私ですが、現在はお寺でのお勤めの他、

市の教育委員会からの要請で、悩みを抱える子供たちの自立支援相談や講演活動を行ったりしています。

非行に走る子供たちはそれぞれに、人に言われぬ苦悩を抱えています。

けれども、だからこそ大きな可能性を秘めている。

人一倍光るようになるよ、この子たちは――。

私はいつもそんな気持ちで子供たちのことを見守っています。 

<引用終了>

紗蓮さんを変えたきっかけの言葉は、「少欲知足」だったそうです。

少欲にして足るを知る。

なかなか実践することは難しいことですね。

私たちは、この物質文明、お金至上主義の真っ只中に生きており、

お金が全て、そして便利さの恩恵にあずかっています。

お金や、その便利さ・快適さを得ることが人生の目的になり、

それが本来の人間らしい生き方を見失わせる原因になっているのかもしれません。

紗蓮さんは、育ての親の無償の愛に気付いた時、立ち直れました。

振り返って私達はどうでしょうか?

自分の都合のよい時だけ、子供に愛情を与え、子供が自分の意に添わなければ、

「フン」と言って子供をないがしろにしてはいないでしょうか?

この庵主様のように

何があっても「平素のように生きよ」と、他人(や子供)の態度に一喜一憂せずに、

平素のように「慈悲」の愛を注ぎ続けたいものですね。

そうすれば、この庵主様と紗蓮さんの関係のように、

周りに愛の灯を広げて行くことが出来るかもしれません。


 

2024年12月16日月曜日

3643「口から出る言葉と修行」2024.12.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月30日の記事を紹介します。


「口から出る言葉と修行」


今日は斎藤一人さんのお話をご紹介します。 

「悪口と修業」と言うことで、

 悪口や不平、文句が自分の人生にどう影響するか。 

そんなお話です。 

簡単なお話なのですが、

シンプルであるがゆえに真理であり、そして、人がなかなかできないことです。

今日も一人さんらしく、優しく説明してくれています。 

<引用開始> 引用元

不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。

神様がいるんだってことを信じてない。

でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、 

人の悪口を言いながら幸せになるとか、

不安なことを考えながら幸せになるとか、 

そんなことはできないようになってるんだよ。 

一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。 

それに、お弟子さんが困ってたり、

お手伝いが必要だなって人がいたりすると、

私は飛んで行って手伝います。 

それで一人さんに

何かいいことあるんですかっていうと、 

どういうことが起きるかまではわからないけど、

必ずいいことがあるんです。

そういうものなんだよ。

ただ、もしごほうびがなかったとしても、

お手伝いをした人から喜ばれるだけでいいことだよね。 

周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。

この世の中っていうのはね、

まずは自分の周囲、簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。

私はいつも「自分も人もゆるそうね」って言うんだけど、

人をゆるしましょうって言ったって、 

それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。 

別に、ヒットラーをゆるせとか、そういう話じゃないよ。 

だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょ。

あなたの側にいるのは、口うるさいお姑(しゅうとめ)さんだとか、

近所のおじさんくらいだよね(笑)。 

もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、 

嫌な人とは付き合わなきゃいいんだよね。 

で、どうしてもその相手と付き合わなきゃならないんだとしたら、

それは文句や愚痴を言わない修行なんです。 

相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。 

あのね、嫌なことが起きるということは、

ちょっと嫌なことあると人の悪口を言ったりするからなの。 

自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。

人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。 

自分が変われば、すべて変わるようになってるんです。 

どうしてですかっていうと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。 

あぁ、これは人の悪口を言わないための修業だなってわかれば、 

人生はパッといい方向へ、その瞬間に変わります。 

この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。

私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、

「この週刊誌、売れるといいね」って言います(笑)。

あのね、悪口を言うってことは、

自分の畑に唐辛子(とうがらし)の種をまいてるのと同じなんです。 

人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、 

言ったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種をまくようなものだから、

それを刈り取らなきゃいけなくなる。 

ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、

最初から唐辛子の種をまかなきゃいいんです。 

<引用終了> 

嫌な人と付き合わなければならないのは・・・・

それは文句や愚痴を言わない修行 

なのだそうです。 

そして自分自身が 

文句や愚痴を、言うから、そういう人を引き寄せ、

あたかも、修業のような場が形成されるのだそうです。

そして、自分が文句や愚痴を言うことが無くなれば 

もう、そのような状況を引き寄せ、修業する必要がなくなるため、 

「嫌な人」が、周りからいなくなるのだそうです。 

確かにそうですね。 

自分の周りの状況は、全て自分の心の状態を映しています。 

嫌なことも、良いことも。 

であれば、 

自分の心を「良きこと」で埋め尽くせば、もう良いことしか起きず、

良きこと、良き人に囲まれ、幸せの内に暮らせることでしょう。

まさに空海の仰った、生きながら天国に住む・・ 

即身成仏の世界です。

自分の心を「良きことで埋め尽くす」とは

どう言うことでしょうか? 

・不平不満、愚痴、悪口を言わない

・全てのもの、人、コトに感謝する

そして良寛さんの「愛語」のお話にもありましたが、

自分の口から出てくる言葉は、

はっきりとした自覚をもって、

・人を温かくする言葉、

・明るくする言葉、

・優しい気持ちにする言葉、

・励まし続ける言葉… 

そのようにする。。と

決心することかもしれませんね。

世の中、もう少し混乱は続きそうですが、 

自分や、周りの人の心を、大切にしようとしている人にとっては 

希望の世界、報われる世界が近づいて来ているようです。

地球創生の神、国之常立神(クニトコタチノミコト)の世です。

どうぞ、笑顔と感謝の心でお過ごしください。


2024年12月15日日曜日

3642「三途の川を渡る時」2024.12.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月29日の記事を紹介します。


「三途の川を渡る時」


今日は小林正観さんの講演会でのお話です。 

亡くなって

三途の川を渡る時に、神さまから聞かれる質問についてです。 

神様にとっては、地上での 

・社会的な業績も

・肩書も

・家や車などの資産も

・健康か不健康か

・友達が多いか少ないか

・貧乏か金持ちか 

そんなことは、何の意味も持たないようです。 

それよりも、どのような環境に置かれようと、

その置かれた場所で、身近な周りの方々と、 

・心を尽くし真心で接してきたか?

・温かな愛を循環させてきたか? 

そのことの方がはるかに大切なようです。

<引用開始>


中堅企業の社長さんがある日、心不全か何かで心拍が停止、意識不明の重体になった。 

救急救命士が来て必死に心臓マッサージをした。

その間、その社長さんは林の中を歩いていた。

その林を出ると、きれいなお花畑に出た。

周囲を見渡すと、いろんな人がお花畑を歩いていた。

お花畑を過ぎると川のほとりにでた。

その川の向こうが彼岸、俗にいう「あの世」である。 

その川幅は人によってまちまちで、

10メートルの人もいれば100メートルの人もいる。 

また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、

泳いで渡る人などいろいろ。

一旦、両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこられないそうだ。

さて、お花畑に出た社長さんの耳に不思議な声が聞こえた。

「あなたが今まで送ってきた人生とはどういう人生だったか。 

それについて質問されるから

川べりに着くまでまとめて置くように」

お花畑を歩きながら社長さんは、 

・あんなこともしたなぁ

・こんなこともしたなぁ 

と、自分の人生を振り返った。

そして今までやってきた業績をまとめていった。

川べりに着くと、こんな声が聞こえてきた。 

あなたは自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?

社長さんは、はて?と困り果ててしまった。 

やってきた業績についてはいくらでも話せると思って、

意気揚々と川べりまで歩いてきたのだが、神様が聞いたのは業績ではなく、

「どれくらい人生を楽しんできたか」ということだったのだ。

その声の主は、業績などまったく関心がない様子だった。 

いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなかった。

じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね。」と言った。

「はい」と言うと、 

「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われた。

その瞬間、社長さんは息を吹き返し、この世に戻ってきた。

その日から社長さんは人生を楽しく生きることに切り替えた。

そのとき、 

「楽しく生きるということは、

自分がどれだけ周りから喜ばれているかである」ということを教えられた。

なるほど、楽しい人生とは、ただ能天気に生きる快楽主義ではなく、

「あなたがいて良かった」と言われる人生を送ること。

私たちの日常の中に、どれほど「楽しさ」を見付けられるだろうか。

社会を見回すと、悲惨な事件や事故と、私たちは背中合わせにいる。

いつ来るとも分からない自然災害は、常に不安の陰を投げかけてくる。

でも、そう暗く考えずに、そういう中でも自ら進んで、 

周囲の人から「ありがとう」と言われるような生活を心がけてみよう。

あのマザーテレサも、あのスラムと化した街の中で、

貧困を恨んだりするのではなく、自分の存在が必要とされている

喜びに満たされていたのではないだろうか。

「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、同僚など、

周りの人間関係の中に見出すものだ。

そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。 

いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。

<引用終了>

「あなたは自分の人生を楽しんできましたか?」って聞かれたら、 

私たちはなかなか素直に「はい」と言えないかもしれないですね。


徳川家康の言葉 

「人生は重荷を背負いて、長き道を行くが如し」 

のように思われている人がほとんどでしょうから。

ですが、やはり、神様は私達を送り出す時に、

とびっきりの笑顔で「楽しんでおいで」と、送り出してくれたに違いないのです。

この地球で色々な経験をし、色々な感情を味わい、 

人と人の心の通い合う素晴らしさを経験しておいでと。

その経験は、もしかしたら「楽しい」だけの経験ではないかもしれません。

誰かとぶつかり合い、沢山の憎しみや、

嫉妬、ねたみの感情を味わうかもしれません。

信じていた人に裏切られ、悲しみの涙を流すかもしれません。

愛する子供に先立たれ、塗炭(とたん)の苦しみを味わうかもしれません。

ですが、それらの感情も、

地球に生まれてきたからこそ、味わうことができるのです。

味わい尽くし、向こうの世界に戻る時にはきっと、 

もう苦しみも悲しみもなく、貴重な体験と記憶されていることでしょう。 

分かれた人とも再会できることでしょう。

人間には「喜ばれると嬉しい」という本能があるそうです。

動物には2つの本能が組み込まれています。

それは、自己保存の本能と、種の保存の本能

動物と神との間に人間が存在しています。

人間は動物の持っている2つの本能に加えて、 

喜ばれると嬉しいという本能があるそうなのです。

人間はこれを神様から頂いています。

自分本位の、狭く冷たい気持ちではなく、

助け合い、お互い様の温かな気持ちで人と接したいものですね。

周りの人が喜んでくれたら、本当にうれしいものですもの。

そしたら、三途の川を渡る時、

神様がにっこり笑ってOKサインを下さるかもしれません。

閻魔さまも、笑顔で天国への門を開けてくださることでしょう。


2024年12月14日土曜日

3641「慈悲の心」2024.12.14

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年11月27日の記事を紹介します。


「慈悲の心」


今、物質的な地球においても、お金だけが全ての行き過ぎた金融資本主義が終わりをつげ、

新たな「心の時代」に突入しつつあります。 

これからいよいよ縄文の心の遺伝子を持つ、人々が地球をリードする時代を迎えようとしていますが、今までのように

・目に見えるお金や地位、権力、物質を大切にする体主霊従の世界を好む人

・自分さえ良ければの冷たい心を保ち続ける人 

もまだ同時に存在しており、地球自身が向かおうとする世界と相いれなくなった魂たちは、

ご自分の魂の波長に合った世界に、自ら進んで別れていくことと思います。 

地球自身が選び、進もうとする「心の時代」の世界では、

日本人の遺伝子の中に残された

・目に見えない心を大切にする霊主体従の心、

・見えない物の中に大切なものを見出す優しい心 

を持つ大和心を持つ人々が、益々頭角を現してくると思われます。 

まさに日本人の心が試される、最終的な局面にあります。 

私たち個々人は弱く、真の情報も遮断され、悪徳の世の中に生かされていますが、

私達一人一人の心の持ち方で、この世界、地球を本来の美しい星に戻すことができます。

大切なのは、地位や物や力ではなく、私たち一人一人の心の在り方です。 

そのことはどんな時代であろうと変わることがありません。 

何処かの誰かが何かしてくれるから、美しい地球に戻るわけではありません。 

では、今日もその美しい心を取り戻すために、物質的に、霊的に真の幸せになるために、 

宇宙創造神の神々と、真っすぐに繋がるために、心のお話です。

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。

何が正しいか、分ってはいても,なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその繰り返しかもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。 

そこが出発点なんです。

ブッダが生前こんなことを言いました。


嘘をつけないような人になっては いけない

優しさは真実に勝る


ブッダの仰りたかったことは相手を思いやる優しさや、

調和の為の嘘は、真実よりも尊い・・ と言う事を仰ったのでした。

また、こうも仰りました。


捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。


ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

また同じく人間の弱さ、哀しさ、

神仏への憧れの気持ちを正しく理解していた空海も、このような言葉を残しています。

<転載開始> 転載元 

人は、着の身 着のまま

ありのままの自分でいても

愛と慈悲を差し出すことで 即 仏になることができる

仏性は つねに 人の中にあるからこそ

探し回る必要もなく

遠くに求めに行くこともない

ただ、あなたが 優しさがなんなのかを知っており

それを 目の前の人に そっと差し出すならば

あなたが人の痛みを知っており 

それを目の前の人を癒すものとして あたたかい言葉をかけるなら

それこそが、仏の姿の現れだからです

愛と慈悲 すなわち 仏性は 

頭で 理屈として 理解するときではなく

わが身をもって 実践するとき 花ひらく

<転載終了>

空海は、

・人の痛みを知っていること

・優しさがなんなのかを知っていること

が大切であると仰いました。

すなわち、私たち自身が、その痛み、苦しみ、辛さの中に

一回身をおいて経験してみなければ、本当に理解できない心です。

今まさに、悩んだり道をはずしたりしながら、

頭をあちこちにぶつけて暮らす 私たちのことです。

この悩み、苦しみの中に在るからこそ、人の優しさや、ありがたさが分かり、 

「お陰さまの心」が湧き、人を癒していくことができる。

仏性を発揮していくことができるようになります。

さてもうひとつ、空海の優しさがにじみ出ている

「祈り」について、現代語で意訳してくださっているものをご紹介します。

<転載開始> 転載元 

手と手を合わせて

目を閉じ

頭を下げてみてください。

心が穏やかになるのを感じませんか?

祈りは心に平和をもたらします。

やさしさは

祈りから生まれてきます。

祈りとは仏像に向かって

拝むことではなく、

自分の中に湧き起こったことに対して

行うもの。

祈りは愛をもたらします。

<転載終了>

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、

なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。 

心で分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、結局あきらめてしまい、 

また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。

せっかく芽生えた神仏を敬う信仰の心を閉ざしてしまうかもしれません。

仏教の教えは、対機説法(相手の状況に合わせて説く教え)と言われています。

ですので、ブッダも空海も様々な方法で真理を説き、

様々な方法論を用意してくださいました。

神社やお寺さんに行き、手を合わせ、家族のために

家内安全; 身体健全; 延命長寿; 中気除; 無病息災; 交通安全; 

学業増進; 入試合格; 試験合格; 就職成就; 良縁拝受; 安産息災; 

開運福寿; 心願成就; 厄災難除; 方災消除; 病気平癒 

などの身内の幸せを願う気持ちは自然なことです。

神社は「願い事ではなく、お礼を言いに行くところ」と教えてくださる方も沢山いらっしゃいます。

確かにその通りです。

ですが、私達庶民の願いは、もっと身近で切実な、

今の今、苦しみながらも精一杯生きで行こうとしている。 

そんな生活の中から生まれた願いです。 

絞り出すような心の思いです。

私は思います。

神さまは、そんな私達でもきっと許し、素直に頭を下げ、

真剣に神様に祈る人間を、愛でて下さるのではないかと。。

そして、神さまの元に来た私達を、祓い、清めて下さるのではないかと。。

人に迷惑を決してかけず、自分の力で生きて行くんだ・・

そう思いを定めて生きるのも良いでしょう。

ですが、私たち誰一人、他の方のお陰なくして生きられるものはおりません。

全てが「お陰さま」で成り立っています。

自分の力だけで生きていくとは、宇宙的視点から見れば少し傲慢な心かもしれません。

心弱かった私たちに、信仰の心が芽生え、自分の非力さを認識し、素直に頭を垂れる。

その最初の動機は、自分や家族のためなので、まさしく利己的かもしれません。

ですが、それこそが、本当のスタート地点ではないかと思うのです。

小林正観さんはプレアデスのアトラス星から地球に来られました。

その後、ブッダの弟子、空海の弟子の時代を過ごします。

今世においてもブッダの教えを中心に講演していましたので、

比喩や対機説法を多用していました。

正観さんも、人間の弱さを熟知したうえで、まずはスタート地点に立って頂こうと、 

「ありがとうや感謝の心を持つことは、幸せになる第一歩ですよ」と、 

はたから見れば非常に利己的な言い方をなさいました。

ですがそれも、そこをスタートとして、神さまの心に近付いて頂くための方便でした。

それを彼は「究極の損得勘定」と呼んだのです。

私もこのブログで書くことは、

・読んでくださる方が幸せに思えること、

・心がほっこりするようなこと

・心が洗われるようなこと

を書くように心がけています。


難しい言葉を使わず、方便も交えた上で、読んでくださる方に心の大切さ、

心の中の神さまに気付いて頂きたいからです。

それは、何か凄いパワーを他人や神さまから頂いて、他力的に幸せを掴むのではなく、

ご自分の力で、ご自分の心を開き、本当の幸せ、

永続する幸せを、自ら手に入れて頂きたいからです。

ご自分が幸せになれば、きっと周りのご家族もお幸せになれることでしょう。

職場でもそうです。


2024年12月13日金曜日

3640「北緯33度線上にあるシリアが陥落すれば」2024.12.13

 今回はIn Deepさんのサイトより2024年12月09日の記事を紹介します。


「北緯33度線上にあるシリアが陥落すれば、世界は混乱と大戦争に陥るというババ・ヴァンガの話を聞きながら」

https://indeep.jp/warns-about-syria/


33にあやどられた2024年

最近は奇妙な…といっていいのかよくわからないですが、そういう報道を目にします。

アメリカのニュージャージー州からニューヨーク市にかけて、何だかわからないドローン、あるいは未確認飛行物体が飛び続けているというのもそうかもしれません。

以下にありますが、FBI などの公的機関が確認している異常事態のようです。

謎のドローン群の飛行区域が米ニューヨーク市上空に拡大。FBIが調査を開始

 地球の記録 2024年12月8日

ニュージャージー州の上空を飛び回るドローンも、次第に色彩が派手になっていっているみたいで、SNS には続々と動画がアップされています。

以下などもそうですが、「クリスマス用の宣伝では?」というコメントもあるほど、色とりどりの光を放ちながら飛んでいます。

そして、シリアですね。

首都陥落後、アサド大統領は、ロシアに亡命したことが報じられていますが、つまり、事実上、現時点ではシリアのアサド政権は崩壊したようなのですけれど、

「これからどうなる?」

ということに関してはわかりようがありませんし、想像することもできません。

これもまた関係ない話ですが、最近のインドのビジネス・メディアが、

「ババ・ヴァンガが、シリアが陥落すると世界戦争が起きると預言していた」

と報じていたりしていました。

ババ・ヴァンガは、1996年に亡くなったブルガリアの予言者で、当たる当たらないはともかく、当時、ブルガリアが国家として正式に認めた唯一の予言者でした。

 

預言はともかく、中東の紛争や戦争が激化した、この1年数ヶ月の間、その「主戦場」が、

「常に北緯 33度線だった」

ことには、以前から注目していました。

北緯33度線については、最近はあまりふれないですけれど、以前はよく書いていたテーマでした。

最近では、1年以上前ですが、以下のような記事を書きました。

北緯33度線から始まった50年ぶりの大戦争が放つ最終戦争の気配

 In Deep 2023年10月8日

タイトルに「最終戦争」なんていう言葉が入っていますが、この頃から、「おそらく、そうなるんだろうなあ」というようにも思ってはいました。

これらの概念は、オカルトはオカルトですけれど、この「 33」という数に関しての概念は、比較的精緻なオカルトであり、私を魅了するのに十分な概念でもありました。

以前、ご紹介した 33 という数に関しての、ひとつの記事を翻訳編集し直して、再度ご紹介させていただこうと思います。

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33度線の謎

Mysteries of Parallel 33

ancient-code.com

33 という数字が「単なる数字」ではないことについては多くの人が認識している。

では、この数字は何なのかという回答を出すことは私にはできないが、しかし、この数字に関係するいくつかの興味深い事実を提示することはできる。

たとえば、イエス・キリストが亡くなったのは 33歳の時だった。そして、33は、秘密結社フリーメーソンで最も重要な数(階級が 33にわかれている)であり、また 33 は、人間の背骨を構成する椎骨(脊椎の分節をなす骨)の数であり、そして、人間の足は 33の筋肉から構成されている。

・椎骨

北緯 33 度と南緯 33 度は、もうひとつの興味深いトピックスでもある。

学者たちは、しばしば、緯度線を緯線(天体表面上の同一緯度の地点を結んだ仮想的な線)として参照するが、これは互いに平行であるためだ。つまり、任意の二つの緯度線はどこであっても、離れている距離は同じ距離ということだ。

この 33度線上に位置している建物の中に、秘密結社のフリーメーソンと密接なつながりを持っているものがあると主張する人たちも多い。しかし、そういう主張はさておき、これらの 33度線上に位置する場所には、数々のミステリアスな歴史的な事象が多数存在する。

北半球の 33度線(北緯 33度)は、ロサンゼルス、フェニックス、ダラス、あるいは、ロズウェルなど米国の主要都市を通っている。ロズウェルは、UFO 関連の話題として歴史的に知られている場所だ。

ジョン・F・ケネディは、北緯 33度のダラスの街で殺された。ケネディ大統領が暗殺されたこの緯度は、明らかに選ばれていたと確信する人々は多い。そして、不思議なことに、ケネディ大統領の弟のロバートも、北緯 33度にあるロサンゼルスのアンバサダーホテルで暗殺された。

アメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトもまた、北緯 33度線近くで死亡している。北緯 33度線近くにあるカエサレア・ピリピ(新約聖書に登場する地名で、現在のレバノンとシリアの国境近く)で、イエス・キリストは彼自身の死を予告した。

北緯 33度をとり囲む謎はさらにたくさんある。

史上初の原子爆弾の爆発は 1945年7月16日に、ニューメキシコ州にあるアラモゴード爆撃試験場でおこなわれた。ここも北緯 33度線に位置する。

ところで、日本の2つの都市をターゲットにして、その原子爆弾で攻撃を実行したアメリカの大統領を憶えてらっしゃるだろうか。それはトルーマン大統領だ。

トルーマン大統領は、アメリカの第 33 代目の大統領だった。

そして、原爆を落とされた日本の広島と長崎の2つの都市は、北緯 33度線をまたいでいた。

ペルシャ湾は、いくつかの興味深い性質を持っている。この、古代のメソポタミアであり、現在のイラクは、シュメール文明(あるいは、メソポタミア文明)の発祥地だった。

このシュメール文明の発祥地は、チグリス川とユーフラテス川の間であり、北緯 33度線は、このふたつの川を交差する位置にある。聖書の記述の中には、エデンの園がこのチグリス川とユーフラテス川の流域の場所にあったことを示唆するものがある。

しかし現在では、この地では多くの紛争と戦争が勃発し続けており、もはや地上の楽園には見えない。イラクのバクダッドは、北緯 33.33度に位置しており、サダム・フセインは、彼の宮殿を正確にこの位置に建設した。

シリア・ダマスカスの古代都市もまた北緯 33度線に位置する。イランやアフガニスタンのような国々は、国土を北緯 33度線が貫いている。

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ここまでです。

北緯 33度線というのは、以下の赤いラインを通っており、リビア、シリア、イスラエル、アフガニスタン、イランなど近年の「流血の事象」を象徴する場所を通っています。

北緯33度線と南緯33度線

その 33度線上にあるシリアは、アサド大統領が国外逃亡してすぐに、アメリカ軍が「シリア全土の ISIS 拠点75カ所を空爆」と報じられています。

また、イスラエル軍もシリアに進軍したと報じられています。

これに関しては、今年 10月に、イスラエルの財務大臣が、

「ユダヤ人国家はエルサレムから(シリアの首都)ダマスカスまで広がる」

と述べていたことを以下の記事で取り上げていますが、その通りの様相となっています。

人間の顔をした怪物が跋扈する:イスラエルに関しての二つの報道

 In Deep 2024年10月12日

 

私からすれば、現状は、もはや地政学の世界の話ではなく、「神話の世界」にこの地球は突入しているのだとしか思えないですが、陰謀論的な話とは関係なく、

「悪と善(のようなもの)の戦いが露見化している」

ようにも感じます。

クライマックスに至る道程は 2025年にも見られると思いますが、しかし、その時点がクライマックスではなく、そこから始まる何年も続く長い新しい歴史の中で私たちは生きていくしかないようです。

何だか曖昧な記事で失礼しました。