2020年10月31日土曜日

2157「三閉伊一揆4」2020.10.31

一揆支えた自治と協同の力
 そして、もう一つ。目からうろこがとれるという言葉がありますが、私は三閉伊一揆を勉強し、一番感動したのは「自治と協同の力」です。
 弘化四年の一揆のときに、要求書を執筆して捕らえられ、下北半島の突端まで島流しになった安家村俊作という人物がいます。この人は克明な日記をつけています。その中に「家焼失見舞い覚」という記録があります。俊作の家が火事で焼けたときに、村の人がいろんな見舞い物を持ってきた。材木一本、屋根にふく柾(まさ)、茶碗や衣類、ある農民はドブロクを持ってきてくれた。俊作は、家が一軒建つほどの材木や食料を火事見舞としてもらった。村人たちとのそういう付き合い、協同生活が一揆を支えた一番の大きな要因です。それが非常に深く、温かく、強く、醸成されたときに一揆が起きるという思いがします。
 そして、この地域には念仏講、地蔵講、観音講、庚申講、芸能講、伊勢講、熊野講、金刀毘羅講、学習講など、いろいろな講がありました。
 お互いに積み立て貯金をして順番にクジ引きで伊勢参り、金刀毘羅参り、西国巡礼をした。伊勢神宮にお参りした人たちが泊まった常宿があり、そこには当時の宿帳が残っています。六万人分の名簿がありました。当時、南部領の人口は三十万だったから、五人に一人がお伊勢参りをしていた。その中に一揆の指導者たちの名前が入っています。
 三閉伊一揆の指導者たちの会議を南部領内でやったら危ないでしょう。みんなばらばらに出発して、伊勢神宮に集まってそこで作戦会議をやり、意思決定をしたのではないか。彼らは、伊勢参りの途中、江戸ではどうだ、大坂ではどうだと、各地の状況を詳しく見聞し、記録している。
 佐々木健三会長さんから「わが農民連の一番の誇りは、この集会に全国から経験を結集した資料が集まること」といわれましたが、これは非常に大事なことです。たたかうときには客観的、科学的に敵・味方の力関係を分析して、敵の弱いところを攻撃する。絶対に犠牲を出さないようにする。勝利の展望をもってたたかわなくてはならない。勝ち負けはどっちでもいいではだめですね。
 一揆衆は、緻密に科学的に情勢を分析している。そのために彼らは、常に学習をおこたりませんでした。
 
 一揆の指導者となる不可欠の資質は「豊かな人間観と人間像」です。一揆の指導者たちには、非常に魅力的で人間的な人が多いんです。字の上手な人もいる。絵の上手な人もいる。芸達者な人もいる。大酒飲みもいる。武術が達者な人もいる。足が非常に速い人もいる。演説が得意な人もいる。いろんな人々が、さまざまの能力を発揮することが、一揆には必要なのです。
 三閉伊一揆の指導者たちはそれぞれ魅力的で、上は七十五歳から下は十九歳までいた。その代表的な一人が栗林村の三浦命助です。彼は、一揆が終わった数年後に、別件逮捕され、拷問、弾圧されてついに獄死します。彼は獄中記でこんなことを書いている。「人間と田畑を比ぶれば、人間は三千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)なり。田畑は石川原のごとし。石川原を惜しみ優曇華を捨てるがごとし。右の通り大誤りをいたしべからじ候」と。もしも家運が困難になったら、財産である田畑、田んぼや畑を売ってもかまわない。しかし、命を捨ててはいかんぞ。人間は三千年に一度咲く優曇華だと。いい言葉でしょう。この人間賛歌こそが一番大事なんです。これが彼が命がけでたたかった原点です。

 そして、この三浦命助の言葉が深い意味を持っていることは、嘉永一揆の際、一揆の指導者だった田野畑村の多助が、勝利する数日前に「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のことなれば、今更命惜しみ申すべきや」と語っていることと合わせて考えるとよくわかります。
 仙台に数カ月間も滞在していると、一揆の指導者といえども不安がつのり、家族のもとに帰りたくなる。そこが正念場なんですね。そのときに多助が仲間を前にしていうんです。とにかく四十九カ条全部を通して、「一人も処分をしない」という証文を取り付けて、完全勝利の保障ができなければ、俺たちは帰ってはだめなんだ。一カ条でも半端にして帰ったら、前と同じように南部藩はご破算にする。せっかくここまできたのに、俺たちを送り出した家族たちや仲間たちのためにならないだけでなくて、「後世の物笑いになる」と。
 「衆民のため死ぬる事は元より覚悟のこと」は特攻隊精神ではないのです。田野畑村多助がいったのは、たたかいの指導者としての誉れ、プライドです。「俺たちは人間なんだ。人間としての誇りのためにたたかう。そのための命なんだ。命を大事にするために命を捨てることもある」といったのです。この時に、「俺も命は惜しくない」と賛同した命助が、家族への遺言状に「田畑を叩き売っても、命を捨ててはならぬ。命を惜しめ」と書いているのです。
 
今、三閉伊一揆から何を受け継ぐのか
 三閉伊一揆は、わが国における民主主義と自治の伝統の輝かしい金字塔だと思います。この一揆の教訓から学ぶ一番大きなものは、人間の生命の大切さ、心の豊かさです。今、このことが問われている時代ではないでしょうか。生産人民が、生産者の自覚と誇りを全国民と共有するときです。
 本当に安全な人々の命の肥やしになる食べ物を生産する。その仕事に誇りを持ってやる。それは農民だけのたたかいではなく、労働者も企業経営者も、学校の教師も母親たちも、全国民が共同する国民的な運動にしていく必要があるし、その可能性があると思います。
 みなさんが、食糧と農業をめぐる現在の日本と世界の状況をダイナミックにリアルに分析して、豊かで楽しく、ゆかいな希望にみちた、たたかいの展望を解明し、実践されることをご期待申し上げます。」
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200209/2002091610.htm 

 資料館の館長さんでしょう年配の老紳士が応対して説明下さいました。短時間の訪問ですので15分ほどの三閉伊一揆の紹介映画を鑑賞し、補足の説明を聞く中に皆さんは全く知らなかった史実に触れる事と成りました。
 今回参加している盛岡市で弁護士として活躍されるSさんもこの三閉伊一揆を初めて知り驚きを隠せません。盛岡市で高校まで育ち教育される中でこの一揆の事は全く教わることなかったと言います。
 何かを事を成す為のリーダーの素養によるのでしょうが、事実を教え伝え、その手段、技術、能力を育み、連携をとる為の準備、そして継承していく、後世へのバトンタッチを含め10数年、20最終的に20年を要しています。全ての継続的発展には精神性、人間性、人生観が根幹をなします。そして天の支援です。
 丁度江戸末期、黒船来襲の時、明治維新前夜に起きた一揆は近代日本への幕開けと言っても良いものでしょう。今、令和の御代になり相似的な世相を感じます。


 これだけ沢山の来館者は稀な事でしょう。私は何度か拝観し、ここに息づく精神性は貴重なものと感銘を受けていました。館長さんは私達を見送りながら目に涙して来館を喜んで下さっていました。ツアー最後の皆さんの旅の感想の中でも多くの方からこの史実を知った事、これから自分に何が必要としているのか、考えるきっかけになった様です。
 館長さんから筒に入った安堵状の原本コピーを特別にと頂きました。バスまで見送りに来てくださり、手を振って頭を下げて送り出して下さいました。ありがたきご縁です。
 直ぐにこの立派な筒を神人さんに差し上げました。中をご覧になりましたが、筒を開けた瞬間にメッセージが来たようです。それは以下のお言葉でした。

「機は熟した。偽りなく 世の踏み換え。
 心ひとつ、幾ばくかの同志の想い。
 国の在り様、人の世の心、皆の心。
    いい村の定志」
 
 定志という方がこの地の異次元存在との間に入り言葉にして伝えてくれた様だといいます。興味のある方はじっくり時間をかけて訪れてみてください。

2020年10月30日金曜日

2156「三閉伊一揆3」2020.10.30

 安堵状を勝ち取ったことは当時ではとんでもないことでした。安堵状には以下の様に書かれています。
「その方どものことは表ざたにはしないという約束でこの度仙台藩より引き取った上はどんな処分も申し付けないから安心して村にかえるように」。
 
 安堵状の資料に以下のようにあります。
「安堵状(正式には「南部弥六郎奥書黒印状」)は嘉永6年(1853年)に怒った南部藩三閉伊通百姓一揆の際に、一揆に参加した百姓の処罰を一切おこなわない旨の約定書のことであり、南部藩目付けだけでなく、南部藩大老からも署名を勝ち取っている。当時は、一揆に参加した百姓、特に指導者の処罰を免れることはなかったため、この種の文書は全国的に見ても類がなく、百姓一揆の成功を裏付ける極めて重要な文書である。
 この一揆の特異性や歴史的評価は、一揆の規模のみならず、南部藩の度々の公約破りに対し、管轄の南部藩を相手にせず、仙台藩に提訴するという近世幕藩制下の百姓の世界観の否定にある。
 安堵状は桐箱に収められ、一揆の指導者である多助の子孫、畠山家で代々大切に引き継がれ、現在も良好な状態で保管されている。」

 この安堵状は三重の桐の箱に収めて保管していたそうです。案内に以下のことも記されています。
「切牛弥五郎衛、田野畑太助が指導した二度にわたる三閉伊一揆はその指導性、組織性、理論性においても最高級の一揆でした。命を賭けた行動のなかにも「小○」(=困る)の幟旗を掲げる等のアイディアにも光るものがあります。」

 「三閉伊一揆はその指導性、組織性、理論性においても最高級の一揆でした。」と前に記してありましたが、何故なのか不思議です。東北の片田舎の百姓がどうして出来たのか。
 たざわこ芸術村・(財)民族芸術研究所所長の茶谷十六氏の論文を紹介します。

『闘いの中での民衆の知恵と力、そして協同』――南部三閉伊一揆に学ぶ
一揆とは心一つにすること
 みなさんは、一揆(いっき)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。一揆とはなんでしょう。よく「一揆主義」という言葉が使われています。計画もなしに立ち上がって、上から弾圧されると、総崩れになってしまう。計画がない、秩序がない、そして組織的でない。それが「一揆主義」という言葉でいわれます。
 しかし、これは大変な間違いです。一揆というのは、心を一つにするという意味です。現在の言葉にすれば「協同」するということです。そして、計画性、組織性、秩序こそが一揆の意味です。
 この「一揆」を文字通り、一〇〇%実現したのが、現在の岩手県の三陸地方で起こった南部三閉伊(さんへい)一揆です。
 
南部三閉伊一揆とは
 一揆は二回起こります。まず弘化四年(一八四七年)の一揆は、一万二千人が参加し、一時的に要求は聞きとめられますが、一揆衆が村に帰るとすぐに約束は葬られた。指導者たちが捕らえられ、一揆は崩壊しました。それから、六年後に行われたのが嘉永六年(一八五三年)の大一揆でした。このときには一万六千人が参加しました。
 五月十九日に田野畑村、小さな村の小高い丘の上で一揆蜂起のほら貝が鳴り響きました。ほら貝の音が次々に次の村、次の村に響き、全領に届けられました。一揆軍の先頭にこんな面白い旗が立てられた。「小○」。困る。今の殿様の政治では困るという意味です。その一揆衆が使った旗は、大変な達筆で、しかも木綿の布地に茜(あかね)染めで文字のところが白く染めぬかれていたそうです。一揆衆はカマスを背負い、中にはそばもち、あわ、ひえなどの食料をいっぱい持って、腰にはお椀をさげていました。
 村ごとに目印の旗がありました。先頭には、大旗本と呼ばれる指導部があって、そこで村々の代表が集まって、討議をしながら作戦を考えた。指導部には、白襷(たすき)、赤襷をかけた若者たちの精鋭がつき従った。彼らは鉄砲を持ち、竹やりを持ち、刀を持ち、いつでもたたかう用意ができていた。鉄砲を持っていたのは、またぎと呼ばれる猟師たちです。またぎは武士たちよりはるかに射撃の技術が高かったのです。

四十九カ条の要求を実現
 行動するときは、すべてほら貝で合図をする。当時、農民たちが使ったほら貝の楽譜が残っています。支度ぼら、寄せぼら、たちぼら、ひきぼらというように、出発のときや集合のときは、どういう音を出すか、危険なとき、撤退するときにはどういうほら貝を鳴らすか。一揆軍は、すべての行動をほら貝の合図によって行なっていた。彼らは整然と三陸の沿岸を行進して宮古、大槌、釜石と南下し、峠を越えて仙台領に越訴した。
 その三日前に、アメリカの太平洋艦隊、ペリーの率いる四隻の黒船が浦賀沖にきた。江戸が大騒ぎで、一揆鎮圧には来れない、そういう国際情勢をちゃんとつかんで行動した。
そして、南部領、現在の岩手県の殿様の悪政のもとではとても生活ができない。ぜひ、今の殿様を替えていただきたいという。「そりゃダメだ」と言われると、「三陸の沿岸を仙台領にしていただけませんか」という。ちゃんと二つの領主の対立関係を手玉にとって一揆衆は要求を出した。
 その要求は四十九カ条。村ごとに年一俵の米の徴収、毎年数度におよぶ理由のない御用金の徴収(消費税のようなもの)、年貢米をお金で出すときに算定基準が不都合、大豆や真綿などを安く強制的に買い上げるなど、窮状の原因を具体的に書き上げ、一条ごとに「百姓共一統、迷惑の事」の言葉で結んでいます。そして、農業だけでなく、漁業、水産加工業、製塩、染織業などのさまざまな生業に従事する人々の要求をとりあげています。
 彼らは粘り強くたたかいました。そうして、ついにすべての要求を実現した上、その証文を書けと要求した。それが「安堵状」です。「御百姓」と書かれています。みなさん、こういうプライドが必要です。ただの百姓ではない、御百姓です。みなさんは、御農民ですよ。全国民の食糧を生産している、御農民さまです。
 「安堵状」には、処分者は一人も出さないと書かれている。不当処分は絶対にしないから、安心して帰村せよという。初めは奉行格の役人が署名したが、そんな下っ端の役人ではダメだという。しまいには南部藩のご家老が呼び出されて署名した。そしてようやく一揆は終結するんです。農民たちは四十九カ条の要求を全部通しました。一人の処分もありませんでした。これが南部三閉伊一揆です。
 このような見事な一揆がどうして実現したのか。それは現代の私たちにとっても胸のすくようなテーマです。

勤労人民の自覚と誇りが…
 三閉伊一揆の力となった一番大きな要因は「勤労人民としての自覚と誇り」です。
 現在の旧南部領は、宮沢賢治の詩に「寒さの夏はおろおろ歩き」とうたわれているような、冷たい風「やませ」によって、絶えず冷害・凶作に悩まされてきた地域です。たびたびの飢饉におそわれ、餓死した人の肉を食べたり、子どもが産まれてもすぐに殺してしまう「間引き」という、悲しい、つらい歴史をもつ地域です。
 しかし、江戸時代の末期には、日本一の産業地帯になったのです。
 三陸の海岸の断崖の土には、豊富な砂鉄が含まれていた。そこで彼らは、たたら製鉄を行い、その鉄で大きな鍋を作り、海水を煮て塩を作った。獲った魚を塩でつけて干物にした。鉄・塩・海産物を船に積んで江戸まで運ぶ。これが非常に高い値段で売れました。
 この地域の人たちは、困難を克服して築き上げた生産者としての実力、これに大きな誇りを持ちました。一揆を組織するために全領内を歩いた切牛弥五兵衛は村々を巡るときに「百姓は天下の民」「俺たちは殿様の私有物ではない」といったそうです。その誇り、気概、そこから一揆が始まったのです。
 農民連のみなさんは、「俺たちは天下の農民だ」という気概を持たれることが大切だと思います。
 冷害・凶作で餓死者が累々と出たときには、一揆は起こっていません。生活が苦しい、貧しいからだけではたたかいに立ち上がることはできません。人々が立ち上がるのにもっとも必要な力は、人間としての誇りです。生産人民としての自覚、プライドです。それがなければ農民は立ち上がれません。百五十年前の岩手の農民はそれを強く持っていたのです。

2020年10月29日木曜日

2155「三閉伊一揆2」2020.10.29

 三閉伊一揆のあらましは以下のようです。長い引用になります。

「三閉伊一揆(三閉伊通一揆)は弘化から嘉永年間の藩政末期に起こり、農民側が勝利するという我が国民衆運動史上珍しいケースだ。
 盛岡藩は領内を33の「通り」に分けて統治し、このうち閉伊郡と九戸郡の一帯は、大槌通、宮古通、野田通の3つの通から成っていた。これらを三閉伊通と総称したことから、三閉伊(通)一揆と呼ばれる。

1 弘化三閉伊一揆
 天保7年(1836年)から翌年にかけて盛岡藩領北上川流域の各地で打ち壊しを伴う激しい一揆が続いた。藩は横沢兵庫を家老に抜擢して財政改革に乗り出す。商工鉱業の振興で増収を図る一方、天保14年(1843年)から五年間は一戸1貫800文の御用金を徴収する代わり他の御用金は課さないとした。ところが弘化4年(1847年)にこれに反して新たに御用金を課した。しかも、林業、鉱業、漁業、塩業などに豊かな三閉伊通に偏った賦課であったため、同年11月17日に野田通の各村から一揆が始まった。
 一揆勢は20日には500余人となって大芦(田野畑村)に、さらに南下し乙茂、小本などを経て21日に小堀内(宮古市)まで進み、18日に田老村を出発した組と合流、一揆勢は千人を超えた。23日には二升石村(岩泉町)からスタートして野田通で仲間を集めた勢力とも合流。
 一揆の頭取(最高指導者)は閉伊郡浜岩泉村切牛(田野畑村)の百姓で佐々木弥五兵衛。70歳近い高齢だが、肝が座り体も頑健で、小本の祖父(おど)と呼ばれた。既に天保の藩政改革の前から十数年にわたり領内を歩き村々のリーダー格の家に泊まっては一揆を説いて回ったという。三閉伊の人々が蜂起し合流したのは、弥五兵衛の事前調整による組織化のためだ。弥五兵衛はときに集団を先回りして村々に参加を呼びかけたと言われ、周到で計画的な行動力があった。
 11月24日一揆勢は役人の阻止を突破し宮古通代官所のある宮古町に押し入る。ここで酒屋の若狭屋徳兵衛宅を打ち壊している。恨みのない隣家には手を出すななどと叫んで回る声があったとされ、統制がとれていたことを示すと思われる。若狭屋は門村(岩泉町)の山師佐藤儀助の出店で、嘉永の一揆は佐藤儀助にも押しかけているので、若狭屋に対する「恨み」とは鉱山事業に関わるトラブルのようだ。
 27日に大槌通山田町に入った一揆勢は1万人を超える。29日代官所のある大槌町では1万6千に増加。大槌を出て南下した一揆勢は和山峠越え、笛吹峠越え、仙人峠越えの三手に分かれ、遠野町に向かう。遠野を目ざしたのは南部氏一門の南部弥六郎を通じて要求実現を図ろうとしたものである。一揆勢は仙台藩領への逃散を標榜していたのを遠野に進路変更したともされるが、弥五兵衛ら指導者はまず遠野南部氏に訴え、ダメなら仙台藩主に訴え、さらに失敗したら幕府に直訴するとの三段構えだったともされている。

 一揆勢は12月4日までに遠野町の早瀬河原に集結。ここでは5千人ほど減って1万1千人。みぞれ降る寒さに遠野町が食事を供出したという。12月3日に盛岡から派遣された南部土佐の説得を拒否、弥五兵衛は4日、南部弥六郎の家老新田小十郎に25ヶ条の願書を提出。願書は、安家村(岩泉町)の農民俊作が書いた。願書の中心は三閉伊通の御用金約8千4百両の免除など。
 意外にも南部土佐は御用金免除など12ヶ条は即座に受諾したため、5日に一揆勢は解散。
 一揆勢が「横沢という沢の人を喰らう悪狼」と呼んだ藩家老横沢兵庫は免職され、藩主南部利済(としただ)も隠居せざるを得なかった。

2 弘化三閉伊一揆のその後
 弥五兵衛は解散直後の年の暮れから、早くも再決起に向けて村々を回って、一戸一文のカンパを募っていたという。弥五兵衛は藩の回答どおり実行されるか不安をもっていたといわれ、兼ねての三段階戦略からすれば次の段階に進んで要求実現を考えていたようである。
 弘化5年(1848年)1月に果たして盛岡藩は約束を反古にする姿勢を示す。弥五兵衛は三閉伊に加えて遠野や北上川流域にもオルグ活動を広げ、藩により二子通の上根子村(花巻市)で逮捕され同年(嘉永元年に改元)6月15日盛岡で獄死する。斬首とも伝えられる。
 してみると南部土佐の即決回答が、本藩に受け入れられなかったのか、或いは最初から騙して解散させた後に指導者をおびき出す作戦だったのかも知れない。
 同じ嘉永元年(1848年)6月南部利義(としとも)が藩主となるが隠居した利済が実権を放さず、長男利義を一年で退位させ次男の利剛(としひさ)を藩主にするなど、院政を継続し、弘化一揆の領民の声を無視して御用金賦課を押しつけた。
 安家村の俊作は嘉永元年10月に逮捕され、盛岡で投獄の後嘉永3年に北郡田名部通の牛滝(青森県下北郡佐井村)に流罪。

3 嘉永三閉伊一揆
 嘉永5年(1852年)三閉伊の百姓たちが仙台藩領に逃散する動きが始まる。同6年には盛岡藩が新たな御用金を村々に賦課。同年3月から4月に野田通や大槌通の村人が蜂起しかけたが、頭取である袰綿(ほろわた)村(岩泉町)の忠兵衛の急死で中断。5月19日野田通田野畑村の人々が決起。仙台領に手間取り(出稼ぎ)に行くとして参加者を募りながら進行した。
 一揆勢はまず北に向かい野田の鉄山役所を打ち壊した後、内陸寄りに南下、26日に上田通の門村の佐藤儀助宅に押しかけ闘争資金5百両を貰い受ける。藩による鉄山事業関連の課役が領民の負担であったことを思わせる。
 一揆勢は東進し、袰綿、岩泉、乙茂、小本と海岸部に出て南に転じる。小本村に入った28日には三千から四千に増加。29日には宮古町で佐藤儀助の出店だった商人刈谷勝兵衛宅を打ち壊す。6月2日に宮古を出る頃は1万人を数える。3日に大槌町に押し寄せたが、大槌通代官所の役人は全員逃走したという。
 嘉永6年6月5日一揆勢は仙台藩境に近い釜石村に到着。大槌通の参加者を含めて総勢2万5千人。6日に指導者は参加者の約半分を帰村させ、約半数の勢力で越境し気仙郡唐丹村(釜石市唐丹町)に入る。
 嘉永三閉伊一揆の中心的指導者は田野畑村の畠山太助とされる。しかし大集団をひとり太助だけが統率できたはずがなく、一揆勢は見事な指揮系統を整えていた。参加者は各村の頭取たちによる合議による作戦で、組織的に行動した。頭取集団は「小○」の大幟を掲げて、大旗本組、本陣組と呼ばれた。この指導部の周囲を、若者集団が警護に当たった。一揆勢は出身の村ごとにまとまり、それぞれの旗の下に進んだ。指揮命令が通りやすく、また不審者が紛れ込まないようにしたとされる。
 参加者は叺(かます)(藁筵の袋)を背負って参加し、法螺貝の合図で出発したので、一揆のことを「貝吹き」や「叺背負い(かますしょい)」と呼んだ。
 仙台藩領に入った一揆勢は、大綱三ヶ条なる仙台藩主宛願書と盛岡藩の政策の改善を求める四十九ヶ条の訴状を提出する。三ヶ条とは、藩主に南部利義を復帰させること、三閉伊を仙台藩領とすること、あるいは天領にすること。このように百姓が藩主を否定する要求を公然と掲げたのは一揆史上画期的なことである。
 四十九ヶ条の訴状は、貢租納入方法の改善、御用金賦課への反対、金上侍制度の否定、など。
 これを受けて唐丹村で両藩の交渉が行われ、盛岡藩は一揆勢の引渡を求め仙台藩は拒否。仙台藩としては、かつて天保8年に盛岡藩領からの越訴の百姓たちを引き渡した際に、盛岡藩が約束を破って頭取を処刑したことがあったためとされる。
 おりしも嘉永6年6月のペリー来航で諸藩は警備兵の派遣を命ぜられ、仙台藩も千五百を派兵することになり仲介交渉どころではなくなる。一揆勢も大人数が留まる余力はなく、45人の代表を残して、三千人は帰村する。(仙台藩領に逃散した人数は当初一万数千から順次縮小していたことになる。)四十五人衆は畠山太助、栗林村(釜石市)の三浦命助などを含め、村々から代表を選んだ。一揆参加者は25日、三閉伊通惣百姓中の名で太助や命助らと契約を結び、もし代表者たちが命を落とせば年に十両づつ十年間遺族の養育費を渡す、などを約した。

 7月になると盛岡藩も譲歩姿勢を示すが、実際には遠野の役銭取立所を再建し、南部弥六郎を要職から排除し、利済の院政下で領民負担増を進めようとしたため、三閉伊通の百姓は素早く行動し、7月8日遠野役銭取立所を打ち壊す。10日には仙台領の四十五人衆が故郷の各村に決起を呼びかける。12日に大槌通から250人が仙台領に逃散、18日には野田通で決起、宮古通と合わせ3千5百人が宮古に迫った。
 盛岡藩は遂に発砲に踏み切り、一揆勢に死傷者を生じる。8月にかけて農民の不満は雫石通、五戸通、三戸通、沼宮内通、福岡通、田名部通にも及ぶ。
 仙台藩も黙っておれなくなり、四十五人衆を気仙郡盛町に移し、さらに9月には仙台城下に移した。亡命指導部と南部領内の各村を断ち切ることで、南部の騒動を煽っているとの批判を避けようとしたと思われる。一方で仙台藩は幕府に報告する旨を盛岡藩に通告。動揺した盛岡藩は9月21日一揆勢の要求の多くを受諾。10月4日には負担増政策を進める石原汀と田鎖茂左衛門を罷免。翌日南部弥六郎を藩大老に復帰。さらに10月9日には一揆勢の残りの要求も受け入れた。
 南部弥六郎は四十五人衆の身柄を引き取るため仙台城下に赴き、帰村を促すが、四十五人衆はさらに粘り、上納金は直納とすること、三閉伊の百姓の借金返済を30年の年賦とすること、一揆参加者を逮捕しないことなどを求める。南部弥六郎はほとんどを認め、一切咎めをしないとの安堵状を手渡す。30年年賦こそ認められなかったが、返済を督促しないよう貸し主に触れを出すと約束したので、一揆勢の全面勝利と言える。
 そして南部弥六郎は約束を守った。一揆参加者に何の処罰もせず、俊作らも釈放され帰村。
 他方で盛岡藩は藩役人二百数十名を処分。南部土佐、石原、田鎖のか、休職中の家老横沢兵庫なども含まれた。南部利済は幕府によって江戸下屋敷謹慎を命じられた。」
 参考:伊藤孝博『東北ふしぎ探訪』無明舎出版、2007年

2020年10月28日水曜日

2154「三閉伊一揆1」2020年10月28日

 10月25日に神人さんと巡る陸奥縄文ツアーで田野畑村民俗資料館を訪れました。今までの巡りの訪問先とは若干毛色が異なるのですが、この地のリアス式海岸の北山崎の自然の造形美とは異質ですが、陸奥縄文の御霊の脈々と生き続けている一つの証として是非とも神人さん始め、全国各地から参集した有意の方々に触れて頂きたいとの思いで企画しました。
 2年半前にも訪れていましたが、改めてこの地で起きた三閉伊一揆のことを纏めて紹介します。

 田野畑村営の民俗資料館の簡単な紹介は以下の様にあります。
「田野畑村民俗資料館 
   国内最大級と言われる三閉伊一揆についての資料を中心に収蔵する全国でも珍しい資料館です。また村内の遺跡から出土した縄文時代の土偶なども展示しています。館内にはかつての建築様式である柾板葺きの民家を再現し、天井には一揆の辿った道と三陸の海岸線を組み合わせたモニュメントを設置しています。」

 この建物は1990年に竣工していて設計は早稲田大学理工学部穂積信夫氏が担当し、 東北建築賞受賞を受賞しています。
「村の歴史資料である農村一揆を題材に、周囲の山並 みに呼応した曲線的に隆起する鉄骨屋根と、館内を蛇行する木製格子の展示設置をデザインしている。そこには展示品と共に建築の要素を展示対象の従たる一部 にしようという意図があり、館内にはそれ以外の、いわば建築的な間仕切り壁は一切姿を現さないのが特徴である。」


 設計をした穂積信夫氏の思いが以下の様に記されています。
「この建物は博物館というよりも、一揆の人々や、先祖の人々の気持と出合う、ふれあいの場なのだ。歴史上の人物のお話ではなく、一緒に語らいながら歩くような気持である。林の木々をすりぬけるように小柱が立ち、歩く道も上下する。どこにいてもいつも一緒で、前に進む人も後から続く人も常に見えがくれしている。
 厳しい環境の中から立ち上がって一揆の人々にも、農作業という日常の生活があった。鉄山でふいごやかなて、この前にたたずむ姿もあった。そして目的を完遂。そのおかげで戻ってきた平穏な毎日のたたずまい。ひいおじいさんが使ったような船の舵やおばあさんの糸車には、ありし日のおもかげがただよっている。この地が伝承してきた栗の柾葺きの屋根の下では、いろりを囲んでわらじの作り方が学べるかもしれない。
 天井を見上げれば、そこには一揆の人々がたどった道すじが輝いている。まるで田野畑の夜空にかかる銀河のように、今の人々の平和な暮らしを、じっと見守っているのである。」

https://www.vill.tanohata.iwate.jp/kankou/see/minzoku-shiryoukan.html

 博物館には村から出土した遮光器土偶や人面付き石製品なども陳列されています。


 日常品についても以下の様に記されています。
「生活の道具には、それを使っていた人の物語がまつわっている。道具そのものを展示するのではない。道具をめぐる人々の面影を慈しみ、その時どきの生活の様子を偲ぶきっかけをつくる為にここにあるのである。
 ひいじさんが使った様に船の舵や、おばあさんの糸車には、ありし日の面影が漂っている。道具を介して昔の人と今の人が交流する。はるか遠い縄文の時代から・・・・」

 博物館の前には一揆を指揮した中心人物の佐々木与五郎衛と畠山太助の像があります。


 三閉伊一揆の特徴は以下です。
<民衆が総結集>
 弘化の一揆は1万2千人(三閉伊地域人口の20%)、嘉永の一揆には1万6千人(27%)が参加。嘉永の一揆は江戸時代でもっとも傑出した一揆といわれている。
 参加者は肝入(きもいり)、老名(おとな)などの村役を中心に農業者の百姓はもとより、牛方、漁民、鉄山・製塩で働く人、職人、山伏や僧侶まで、まさに「諸業の民」の参加でした。
<近代への扉を開けた要求>
 藩主の交替、領地・領民の変更という要求は、藩政そのものを否定するという、他に例のない政治的なものでした。
<指導者の人間性>
 一揆の指導者たちは、優れた知性、思想性、人間性を示す言葉を残しています。
「百姓は天下の民」と説き、16,17年間にわたって一揆を組織した弥五郎衛
「衆民の為死ぬる事は元より覚悟の事」と嘉永の一揆を勝利させた太助
「人間は三千年に一度咲くウドンゲの花」と家族に書き残した命助
「関の声は百姓の唄にて候」と役人を撃退した忠太郎
「其の文体すべて麗しく下部の手際に非ず」と驚嘆させた俊作
「南部の家滅ぶるは近きにあり」と喝破した二つの一揆を指導した喜蔵
「おれの命は二度命だ」と勇猛果敢にたたかった倉冶
「俺の元結の切れないうちは安心してついて来い」と、葬式一揆を行って本隊に合流した与之助

2020年10月27日火曜日

2153「虹の歓迎」2020.10.27

 10月24,25日は神人さんと陸奥縄文ツアーでした。とても感動的な旅となりました。神人さん始め参加の皆様のお陰様です。1番の感動は陸奥の大いなる存在から歓迎を頂けたことと思います。
 神人さんのフェースブック2020年10月26日に以下の様に紹介されています。

「2020.10.23-24-25 宮城/仙台市にて神人ライブと東北バスツアー1泊2日を3日間に渡り開催して頂きました。
 御主催下さいました天命舎の大久保さんはじめスタッフの皆様、各日ご参加下さいました皆様、3日間本当にどうもありがとうございました。満員御礼心より申し上げます。
 鹿児島、関西、関東、東北近県と遠方より多数の方々がご参加頂けましたこと、大変嬉しく有り難い限りでありました。
お陰様でとても愉しい有意義な3日間でした。
 特にツアーでは、バス下車の際に丁度雨風が止み、美しき自然の景色と共に、岩手県岩手山・岩手/久慈市小袖海岸・岩手/宮古市浄土ヶ浜にて、タイミングよく三度も綺麗な虹を拝見させて頂きましたこと、お計らいに感謝申し上げます。
 また、青森/八戸市芦毛崎海岸と岩手/田老町三王岩展望台にて行ったシャーマニックライブも気持ち良くさせて頂きました。
 何よりも雨天運転の中で事故なく無事帰路につけましたこと、運転手の方に心より感謝申し上げます。皆様どうもありがとうございました。
 感謝感謝感謝m(_ _)m 神人 拝」


 東北自動車道を八戸に向かう途中、岩手山SAでのトイレ休憩で最初の虹に出迎えて頂きました。写真のタイミングが遅くて消えかけていますが、北の雲間から光差す山へ虹が出ていました。以前の神人ツアーでもこの岩手山SAで虹の出迎えを頂いています。北の地のありがたき歓迎の徴として皆さんで歓声をあげました。岩手山も綺麗に輝いています。


 最初の訪問地、八戸市の是川縄文館では国宝の合唱土偶が迎えてくれました。縄文の時代の神々の姿です。神人さんによると普通の土偶と異なり以下の目的があった様です。
「合掌土偶は神に祈りを捧げる時の姿で、仮面を被り、衣装を身に付け、神の似姿を作り、神と繋がる為の物です。宇宙人、この地の人間を創造した存在を神として崇めて、この土偶を介して人間の祈り、政、営みが為されていたものです。」



 久慈市の侍浜にあるきのこ屋さんに宿泊しましたが、太平洋を一望できる素晴らしい場所にあり、朝6時頃の日の出、ご来光を頂けました。ありがたい恵みの大いなる日の神さまです。


 昨晩は宿で神人ライブと青森ケンジンライブを堪能し、きのこの精進料理を美味しく頂き、2次会も午前1時まで賑やかに元気に楽しみました。スイッチが入る前祝いの様でした。

 2日目も最初の訪問地の久慈市小袖海岸で虹の誕生に遭遇出来ました。北側から虹が立ち上がり、どんどんと南に延び拡がり、やがて綺麗なレインボーブリッジが完成しました。暫くすると今度は南側からダブルの外輪の虹が出来始めたのです。


 そして極めつけは、最後の訪問地の宮古市浄土ヶ浜でした。日が大分西に沈みつつありますが、北の空に何と又また虹が直線的に立ち上っているではありませんか。皆さん驚きの喜びの大歓声です。自然の妙、造形力は大いなる存在の意図としてなされているのでしょう。


 バスが走行中に雨が降り、目的地では晴れ、素敵な自然の姿を堪能できるという、神がかった?演出を度々見せていただく幸運の2日間でした。
 今回の巡りの意図が自然と呼応して数々のお示し、徴として私達にもたらされたものです。ありがたき陸奥の虹の歓迎を頂けた2日間の縄文巡りでした。めでたしめでたし。

2020年10月24日土曜日

2152「カルマ、新ステージへ」2020.10.23

 木の花ファミリーのいさどんさんの「ジイジのブログ 地球に生きるみんなへ ジイジからのメッセージ」から10月1日の記事を紹介します。

「カルマよ、ありがとう。私は次のステージへ行きます。

 これは、自我が生み出すカルマに翻弄され自らを見失っている人々へ、そのカルマを階段とし、新たなステージへ進むためのヒントとなるお話です。

 まず、自我とは何かについてお話ししましょう。
 遥か昔、神様(宇宙根源法則の成立)は完全なる自らの体を分けられ、その後、多種多様な生命をこの世界に生み出しました。そして、一つでは不完全な数多の生命が、互いにつながり、ひとつらなりの命となって生命の大循環を引き起こすことで、神様はそこに完全なる自らの姿を映しました。それは全てが神の意思のままに循環し、決して外れることのない、完璧な秩序の下にある美しい世界です。しかしその完璧な世界では、一つひとつの生命はただその一部としての機能を果たすだけで、全体を捉えて認識する能力のあるものがいませんでした。
 世界は、認識するものがいて初めて意味がある。
 認識するものがいなければ、そこにある意味もない。
 認識をするためには、そこから独立した意識を持ち、全体を俯瞰できる能力が必要です。そこで神様は、人間を地上に降ろしました。そして、この世界から自らを切り離して捉える自己認識能力、即ち、自我を与えたのです。

 しかし人間はその能力ゆえに、物理的にはこの世界の構成物のひとつであるにもかかわらず、意識だけがそこから分離し、世界を自らの思い通りにできるかのような錯覚を持ち始めました。物理的には世界の成り立ちの中にあり、世界とつながっている状態でありながら、意識だけが世界と連携しないのです。そして世界の実体とは関係なく、思考だけを膨らませるようになりました。物事を進める時に、まだ起きてもいないことを想像して心配している人がいるように、現実を見ることを怠り、実体とはかけ離れたところまで自らの思考を膨らませてしまうのです。しかし本来、エコノミーとエコロジー、即ち経済と自然が常に連携しているべきものであるように、思考と現実も、常に連結してあるべきものなのです
 冷静に物事を観れば、省エネになります。出来事に対して過剰に驚いたり、自らの体験を重ねて感情的になったりすると、余分なエネルギーを使うことになり、その過剰な表現の分だけ余分な行動や現象を起こします。それが現代の経済を膨らませ、自然のキャパを超えた人間の活動が際限なく広がっていることを、直視しなければなりません。それは世界の実体に沿っているのではなく、実体から離れた思考を膨らませ、その自らのつくり出したものに反応しているに過ぎないのです。それは人間の枠の中のことだけであり、今や自然界の生態系のキャパを超えたものとなっています。人間の行いが多くの矛盾を生み出し、未来に暗い影を落としている今、これからの人々は、もっと正しく自らの行いを直視していく必要があるのです。

 思考を膨らませるのは、世界の実体から離れ、全体を俯瞰して観ることができる能力にもつながります。それは本来、この世界を解明するための能力として与えられたものです。さらに、私たち人間は、思考の奥に思念というものを持ち合わせています。では、思考と思念の違いとは何でしょうか。
 思考は、自我から生まれるものです。それは、思い、考えるものであり、自我が巡ることにより膨らみ、形成されていくものです。
 これに対し、思念とは、私たちが生命である人として成立する上での原点にある真我から湧き出すものです。それは、大本のひとつから分かれ単独で肉体を与えられた私たち人間が、その大本のことを忘れないための、私たちの中に内在するチャンネルのことです。それは自我によって思い巡らせるものではなく、宇宙を運営する大本の源泉へ思いを発することで、自らの内から湧き出してくるものであり、それによって私たちはその源泉へアクセスすることが可能となるのです。
 そこへつながると、宇宙の根本秩序が常にもたらされ、それが柱となり、自我に翻弄されることはなくなります。人間はこの現象世界に居ながらにして、その大本にアクセスする思念を常に持ち合わせて生きるものなのです。しかし現代を生きる人々は、そういった人間の最も重要な立ち位置を維持するための能力の使い道を誤り、生まれてきた目的を見失っています。そして日々の中で大本へと意識を向けることを忘れているから、自我が暴走するのです。

 では、思考の役割は何かと言うと、それは人間が思念に立ち返るためのガイドです。思考を巡らせ、探って探って探っていくことで、ある時ふっと思念が湧き出します。その時に人は、「ああ、そういうことは考えるのではなく、ただ意識を向けて発すれば返ってくるのだ」ということに気付くのです。それが、生きることを「いただく」ということです。そして最終的には私たちは大いなるものと一体であるというところに辿り着くために、思考は私たち人間が自らを導くためのガイドとなるのです。
 人間以外の生命は、思考する能力を持ちません。本能という、大本の秩序と直結するものだけで生きているので、人間のように余計な旅をしないのです。つまり、それだけ自我が少ないということですから、大本の仕組みから自由に独立した状態で、全体を俯瞰して捉えることもできないということになります。それは大本の側にいるものであり、その場合、そこから分離して、大本と対向発生するという形が取れないのです。

 神様はこの世界に自らの姿を表現し、その自らと対向するものの視点を通し、自らを認識できるようにしました。自らの側にいるものばかりでは、その自らの姿を認識することはできない。ですから神様は、自我を持つものとして、人間を地上に降ろしたのです。
 大本と直結している人間以外の生命は、例えば微生物のように無数に存在するものでも、個々がバラバラに働くのではなく、秩序をもってまるで全体がひとつの生き物であるかのように仕事をします。微生物から宇宙の星々に至るまで、個々に分かれた無数の存在の一つひとつに宇宙の大本の柱が立ち、全体が同じ秩序の下にネットワークを築いているのです。
  人間には、大本とつながることで、そのネットワークの中で自らに与えられたポジションをしっかりと担い、役割を果たすための気付きが常に与えられています。ところが近代になると、人間たちはそのことを忘れ、日々の中でまったく大本に意識を向けなくなり、自我が暴走し始めました。そして自我から湧き出す思いに囚われ、余分なことを起こすようになったのです。

 自我というものは、現実の損得に関係なく、その状態に自らを保っておきたいという奇妙な願望の元に、自身を凝り固まった状態で固定しようとします。今の状態でい続けようとする自分が、もっと自由であるはずの自分の動きを止めてしまうのです。そこから次の段階へ進むためには、自我から自らを開放することが必要ですが、その次の段階へ進もうとすると、自我は意志を持ち、自らが次の段階へ行くことを阻止するのです。
 そこには、真我とは別の、囚われのかたまりが存在しています。それは、自身のカルマが成長し、人格を持ったようなものであり、本来は個性であるものが、癖・性分として凝り固まり、コントロールを失った状態です。人間が自我を持ち、自我の暴走による自己コントロールを失った状態では、それが長年のうちにこびりついてかたまりのようになるのです。そしてそのカルマが人間から学習して自我を持ち、囚われのかたまりとなって人格を形成するのです。それは、生きている状態ならば生霊になります。そして仮に人間が昇天してもカルマだけが独り歩きし、存在を保ったまま、うようよと辺りを漂うようになるのです。それはまるでウィルスのように、生きている人間たちを汚染していきます。そういった存在が実際にいることを、私たちは知らなければなりません。

 自らの人格がカルマを持つことにより、それがこびりついて、カルマそのものとしての人格を形成する。それが、自らの本来の美しい状態である真我と対等の存在となり、どちらを選ぶか、あなたに選択肢を迫るようなものとなります。その時に、あなたは主導権をどちらに託すのか。
 カルマの人格に飲み込まれないためには、この世界の成り立ちを良く知り、大本に意識を向けることで自らの中心に一本の柱を立て、しっかりとした立ち位置を持つことです。現代社会に生きる人々の多くが、本来の人としての立ち位置を忘れ、その人々が創る社会や地球規模の矛盾が溢れている現実を観ればわかるように、この世界を創造した神様の意思を忘れれば、柱のない邪に流れることとなり、カルマが創り出した人格に取り込まれ、こういった現象に出会うことになるのです。
 私は人に語りかける時に、カルマの人格ではなく、真我に向かって語りかけます。なぜならカルマの人格に語りかけたとしても、それは聞く耳を持たないからです。ですから、本来の聖なる人間としての真我へ向かい、目覚めるように語りかけます。そして内なる真我が目覚め、自らにこびりついたカルマと対峙した時、その人は自らの力でそれを切り離す作業を進めていくのです。
 しかしその切り離された、人格化したカルマにも、癒しを与える必要があります。なぜならば、それもあなたを代表する人格であったからです。

 ガンが現れるのは、そこにガンが現れるべき理由があるからです。それをただ「これは要らないものだ」と切り捨て、正常な体に戻れば良しとするのが、現代の医療です。しかしガンが現れるには、私たちの側に何かしらの原因があり、ガンはそれを伝えるためのメッセンジャーとしての役割を果たしたのですから、切り取られたガンにも「ガンさん、ありがとう。ご苦労様」と言って、ガン供養をする必要があります
 それと同じように、カルマに対しても、カルマ供養をする必要があります。カルマにはカルマの発生した理由があり、カルマはカルマのように、自らへの自我的執着を形成したのです。それを解体して収めてあげるためには、「役割ありがとう、ご苦労様」と言って、その存在の意味を認めてあげることです。そうすると、カルマはスルスルと解けていきます。
 人間は、人生の中でカルマと対向発生することで現象化を起こし、役割を果たしています。カルマと対向発生するということは、そこに何かしらの目的があるということです。その目的を現象化し、役割を果たした時に、優れた人格は切り離したカルマへ「ありがとう」と伝え、自らが美しいものとなり次のステージを迎えるのです。カルマも、必要なものとして存在していたのです。

 視野を広げてみれば、この世界の政治にしても経済にしても、これまであったものはすべて、時代の要請により発生し、人間の歩みと共に、その仕組みが表現されてきたのです。そして時代の要請により、人間が次のステージへと進む段階を迎えた今、私たちはこれまでの仕組みに「ありがとう」と言って、それを供養する。そうして初めて、次の仕組みへと意識が向かうのです。その心に目覚めた人々が、これからの新しい時代を進めていってくれることでしょう。
 こういった次のステージへ向かうための話を聞く時に、カルマは自身が崩壊しないよう、その話を自らが受け入れられる情報だけにしてしまいます。すべてを受け入れては自身が崩壊してしまうから、まず自らを守ろうとするのです。つまり、次のステージへと行かないようにするのです。それが自我です。
 だからこそこういった仕組みを学び、自我ではなく真我を育て、真我が自我にメスを入れられるようにするのです。そして手放したカルマに向かい、「カルマよ、ありがとう」と慰め、これまでの自分に「ご苦労さま。私は次のステージへ行くからね」と言って、新たなステージへと上がるのです。
 そうすると、カルマは捨てられたのではなく、その人間が上へ登っていくための階段になります。その人間が成長し、進化していく物語の中に組み込まれるのですから、捨てられたものではなくなるのです。こうしてカルマも納得し、新たなステージへの踏み台となるのです。
 そのようにして人生を歩み、振り返ってみると、「ああ、いろんなことがあって、いろんなカルマを通してここまで来たんだな」と、みんなを認められるようになります。それは、カルマの階段です。今のカルマに役割を果たしてもらい、それが、次のステージへ上がるための一歩となるのです。
 カルマよ、ありがとう。」
https://jiiji-konohanafamily.org/2020/10/01/thankyou-karma/

2020年10月21日水曜日

2151「神様は見捨てない」2020.10.21

 毎日、秋晴れの心地良い朝を迎えられています。ありがたいことです。私の朝の日課の1つは、目覚め直後、床の中で諸々をして過ごし、朝風呂です。長湯の後、調度品の石達と植物に水を噴霧して、朝日を浴び冷気の中で暫し横になり過ごします。至福のひと時です。
 さて最近、遭遇した記事を紹介します。

「私は神様に見捨てられた
 私は、過去に取り返しのつかないことをしてしまった。今はその償いの人生を送っている。
その様な人々に対し、私は こう思います。なんて謙虚な人!
 イエスは、そういう人達こそ、喜び祝福されました。神様は、私たちが、どんな悪人だろうと、心がすさんでいようと、決して見捨てません。どうぞ下を見ていないで、自信を持って下さい。上を向いて下さい。私たちの内に居らっしゃる神様は、その奢らず、自分を低きものとする態度を祝福して下さっています。
 イエスは「山上の垂訓」の冒頭で このように言われました。


イエスの山上の垂訓
 心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。
 この心の貧しい者とは虐げられ、病に伏し、投獄され、殺され、神の前に無であるような人々。心身ともに「貧しく」、それゆえに神にすがる以外の道がなく、神の前にへりくだる人々。そういう人々のことを「(霊において)貧しい人々」と言い、彼らこそ神の国に入る「光の子ら」と言いました。
またイエスの語ったたとえ話に「放蕩息子のたとえ」があります。
<引用開始>
放蕩息子のたとえ話
 ある父親に二人の息子がありました。ある日、次男坊は父親から遺産の分け前(生前分与)
を受け取って遠い国へと出ていってしています。そして、お金と自由を得た勢いで放蕩の限りを尽くし、とうとうすべてを失ってしまうのです。墜ちるところまで墜ちたとき、彼は初めて自分の過ちに気づきます。そして、合わせる顔がないと思いつつも、謝罪の気持ちと救いを求めて、かつて飛び出したお父さんの家に帰ってきたのでした。
 彼はどんなに叱られても仕方がないと思っていたでありましょう。しかし、父親は帰ってきた息子をしっかりと抱きしめて、「死んだ息子が生き返った」と喜んで、盛大な祝宴を開いてくれました。
 ところが、それを聞いた長男は釈然としない気持ちにかられます。自分は何年もお父さんの言うとおりに忠実に働いてきたけれど、あんな風に祝宴を開いてもらったことは一度もないことを思うと、怒りのようなものさえこみ上げてきます。
 この長男の様子を聞いた父親はすぐにとんで行き、「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。
いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と、長男をいさめ、二人の息子が平等に父の愛を受けていることを教えたというのです。
<引用終了>

 このたとえ話に友人の宇宙塾の幹事のken2さんが、以前素晴らしい解釈をしていらっしゃいましたのでご紹介します。

 父とは神のたとえなのです。イエスは「何度許せばいいのか?」と質問された時、「7の70倍」と答えています。それを「490回か」と数える人はいないでしょう。つまり、現実的には何度でも許しなさい。神はそういう存在だと言っているのです。
 だから、「神を内在してる人間も同じように許しなさい」という話でもあります。
「許し」はそれだけ重要なことなのです。でも、このたとえ話が示すことはそれだけではありません。昔はこの話はイマイチ理解できませんでした。まず、なぜ、こんなどうしようもない放蕩息子を無条件で迎え入れるだけでなく、お祝いまでするのか。そして、兄が納得できないのも当然ではないのか、と。
 その頃は、人生は善悪の積み重ねで善が上回ったら天国に入れると思っていたからです。
でも、それは違うようです。なぜなら、過去は関係ないのです。大事なのは今です。
 今どういう心でいるのかが問われているのです。今の自分は過去の積み重ね、という見方もあるでしょう。でも、実は時間などなく、今に過去も未来もたたみ込まれているだけで、
いつでも過去とは関係なく、新しい自分なのです。
 単に条件反射で過去と同じ反応をし、過去の記憶を元に判断してるので、そう思えないだけなのです。(という見方もできます)
 だから、いくら善人として一生を過ごしていても、死ぬ間際に誰かに裏切られ、恨みと憎しみの心のまま死んだとしたら、すぐに成仏はできないでしょう。地獄にいるような心境で亡くなれば、その心境にふさわしい世界を自分で創ってそこに囚われます。
 逆に、どんな極悪人であっても死ぬ間際に自分の人生を反省し、悪かったと心からおわびし、愛と奉仕の心で生きようと決意していれば、その心にあった世界に旅立ちます。
 もちろん、死後、自分の人生を全て振り返るとか、自分がやったことを相手の立場で体験するとかってこともあるかもしれませんが。なお、死後の世界の話に限りません。
 今までの自分は自我に振り回されていた、これからは神我に従って生きよう、と決意し、私は神だったのだ、と悟れば、過去に影響されることなく、愛と喜びと感謝の心で生きることができるのです。それはまさに生きながら天国にいるのと同じことです。
 弟の話は、悟りの体験で人生観が一変し、楽に幸せに生きられるようになる話でもあるのです。兄については、自分がいかに恵まれているか、どれだけ幸せなのかを振り返りなさい。他人と比較していては幸せになれません、という話でもあります。
 兄は食べ物に困ることも苦しむこともなかったのです。自分のことだけ考えたら十分幸せなのです。でも弟と比較したり、父の対応を批判したりしていては幸せにはなれません。
比較や批判は葛藤の元です。葛藤を手放さない限り、悟りの道には入れません。
<引用終了>

 私も同じように考えます。神様はどんなことでも「許す」存在です。自分の過ちに気付き、
それを悔いて新たな道に進もうと思った瞬間に、神様の光が差し込みます。
 逆に、恵まれた環境に置かれているのに、感謝することなく、それが当り前であると(上の例えの兄のように)生きていたら、いつかしっぺ返しがきます。
 逆境に置かれ、悩み苦しみ、そして涙して、それでも悔いて、前を向いて歩こうとする「心貧しきもの」である皆さま、まさに、天の国はあなた達の為に用意されています。


 勇気と希望をお持ち下さい。神様は決して見捨てません。自分の中の神様を信じてみてください。話しかけてみてください。どんなにお辛くても、ありがとうございますと、感謝の言葉を神さまにかけてみてください。感謝の心があるところにこそ、神様の恩寵が現れるのですから。
https://ameblo.jp/fukutyaipuku/entry-12631924738.html

2020年10月19日月曜日

2150「日月地鳥居」2020.10.19

 2020年10月17日は新月です。その新月の日、はせくらみゆきさんの仙台講演会でした。その日の午前10時からは伊達政宗を祀る青葉神社をみゆきさんと希望の皆さんと参拝をしました。生憎の冷たい雨でしたが50名ほどの方々が参集しありがたい時間を頂けました。



 仙台に住んでいて青葉神社の前は良く通るのですが本殿迄上るのは久しぶりでした。本殿への参道、手水場の右脇の草むらでみゆきさんからお話しがありました。

 今のコロナ騒ぎの中で起きる変化をどうしようと思っている場合ではない、全国ツアーで各地へ行こうと、開催2週間前に決めた。最初は仙台を予定していなかったが、私は支倉の名を頂いていて、支倉常長ご縁の仙台を外せないと思いここでも行う事に決めた。
 仙台は数霊で81で、光を現わしている地。そして今日は17日でイザナミの誕生した日です。この地から出陣する決意、生まれ変わりの決意で講演会、青葉神社参拝を催す事にした。この青葉神社は伊達家所縁の神社で、是まで10月3日に福岡の筥崎宮、4日に大阪の住吉大社を参拝してきて3か所目だ。
 宇宙の振動を受け、1万年前からの精神原理が日本にはあり、仮名の言葉に神名(かな)として込められている。宇宙に流れるエネルギーが碁盤の目の様に敷き詰められていた。しかし3000年前に封印された。
 精神原理と物質原理のバランスが整うまで封印したが、その封印を開くのは今だ。1人1人のエネルギーは葉となり、芽となり、花開く。色々な事があっても良い。全ては宇宙の贈り物で、全てがOKで、色々な感情もOKだ。
 それらが巌(いわお)となって次の望む周波数となる、その決意の会に成れば良いと思う。
 ここの青葉神社の宮司様は伊達家家臣の片倉小十郎の末裔で、震災後にここを訪れお会いした時に、片倉小十郎と支倉常長の400年振りの再会と喜んだ。
 後で片倉宮司様に311の震災の時のお話しをして頂きたいと思う。

 こんなお話しの後、皆さんと本殿で参拝をしました。
 片倉宮司からお話しを伺いました。311の時の事象です。神社の鳥居が外向きに倒れ結界が開き、鍵が掛かっていた木戸の扉が開いていた。これは誰が行ったのか?神様ではないのか、と直感したと言います。
 鳥居の再建を躊躇していたが、建てる事にした。向かって右手の柱には〇の中に小さな〇。左手の柱には〇の中に三日月の形。鳥居の横柱の中央に〇にその2つを合体した徴を記して作る事にしたそうです。
 〇は太陽を、三日月は月を、そして合体したものは地球を現わすもので、この3つの神々を現わすものとしたのです。日月地の根源神です。青葉神社は先ず、この3神を祀ることで再建されたのです。それから、口伝で多くの方々が参拝されるようになったとか。
 お話しを聞いて驚きと同時に今日、参拝できた事を幸運と思い、新たなご縁に感謝の気持ちでした。その日はその後は自由拝観となり、雨の中早めに神社を後にしました。午後からは講演会を仙台駅近くの会場でお聞きし、タイムリーな内容のお話しを伺いました。

 18日さわやかに目覚め、外は快晴の青空です。今日の予定の稲刈りは田んぼの水はけの状況が悪く中止が決まっていて、名取農場の農作業です。出かける前に青葉神社に行こうと思い、即行動です。
 鳥居の日月地の徴を見る事が出来ました。そして鳥居の中から南の市街地方面を見ると鳳凰の様な雲が鳥居の中にあるではありませんか。ありがたき事、出逢いに感謝です。









 この日月地鳥居について青葉神社のHPに以下の様に記してありました。

青葉神社の大鳥居の秘密:
地球•太陽•月を表現している神紋。
鳥居は天と地の響きを感じる目印:
一人一人が、内なる創造主であり、小宇宙。
大鳥居再建計画の際、神事に於いて、政宗公から伝わって来た思いを形にした神紋:
政宗公の思いとは…
 鳥居は要らぬ。これからの時代、神と人間の境は無くなっていくであろう…
 神人合一、神と人、共に歩む、横一列の関係。
 神社仏閣関係なく、全ての場所が聖地となっていく…
と言う内容が示されました。
 さらに以下、
もし、大鳥居を再建するなら、地深く、天高く伸びる光の門にして欲しいと… 伝わってきました。神社仏閣には、多くの神仏、肉体を持ってない存在も行き来し、人々同じく、交流を図っている場所の一つである。ここ青葉神社も同様に、地球だけではなく、宇宙からも神々が、行き来している。そのような存在の方々にも目印になるようなものを鳥居に刻んで欲しい。と、政宗公や多くの神々の思いを表現したのが、現在刻まれている神紋です。見た目は大鳥居。霊的には神門です。それぞれが、それぞれの感性で、大いなる大自然、宇宙の響を感じ取って頂ければ幸いです。

 そして農場に向かう参道の通町通を下る中で車のナンバー999に合い、程なくして333のナンバー、そして交差点を曲がる時に666のナンバーに遭遇したのです。369のミロクです。驚きの事象です。

 名取農場で農作業を終える頃の空にはこれまた見事な雲が現れて、自然の造形を見る事が出来ました。農場からの帰りには555のナンバーの車に遭遇です。意味深い日月地事象遭遇の2日間でした。


2020年10月16日金曜日

2149「満月・ハロウィン」2020.10.16

 明日10月17日は新月です。今年の10月は満月が2日と31日の2回あります。2日は「ハーベスト・ムーン」、31日は「ハンターズ・ムーン」と言われます。このように1か月の間に2回満月があるとき、その2回目の満月のことを「ブルームーン」と呼ぶそうです。欧米では「ブルームーンを見ると幸せになれる」という言い伝えもあるとか。そして10月31日はハロウィンなのです。それらのことに触れたものを紹介します。

「10月31日はハロウィンです。魑魅魍魎が跋扈しそうなこの日に満月となるのは18年か19年に一度で、それなりに珍しいそうです。何かの作為的な意図があるのか、2020年はそこに3つの名称が加わり、レア度が急上昇。
 一年の満月にはそれぞれ呼び名がありまして、今年10月1日の方を「ハーベスト・ムーン(収穫の月)」、31日の方は「ハンターズ・ムーン(狩人の月)」と言います。なんだか秋らしくて、いい響きですね。カバールが城でこれまで延々と繰り広げてきた子ども狩りパーティー(とその後の生贄悪魔崇拝儀式)、そして今年は形勢逆転でカバール側が文字通り狩られていっていることを考えなければ……えーと、まぁ一応、ぎりぎり風流です。
 そして今年10月のように、ひと月に2回満月がある場合、2度目の方を「ブルー・ムーン」と言います。特別に青く光るという意味ではなく、「珍しい出来事」という意味合いです。ブルービームでしょうか、ケムトレイルでしょうか、今年は本当に青く見せるのかもしれません。
 ただ火星は今月、10日間ほど地球に大接近するそうですが、逆に31日の満月は地球と最も離れてしまって小さく見えるので「マイクロ・ムーン」となります。
 小さい満月でも、大勢の人々が企業メディアに煽られて注目すると、カバールが最後のチャンスとばかりに生贄儀式なり、偽旗事件なりを目論見そうなので、ハロウィンまでに地下基地はしっかり撲滅して頂きたいです。」
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=254144

「ハロウィンといえば、2015年のハロウィンの日に、「ドクロ顔の小惑星」が地球に最接近したことがありました。2015年10月31日に地球に最接近した小惑星「2015 TB145」

スクリーム顔の小惑星、謎の星 KIC 8462852…

 この小惑星は地球には影響を与えず、通り過ぎましたが、その後も地球周辺を周回しているようで、2018年11月にも地球に接近したことが観測されています。
「ハロウィン」というのは、もともと、「純粋に悪意と破壊の祝日だった」ことをご存じでしょうか。それを知ったのは、2017年の米スミソニアンの記事でして、以下の記事でそれをご紹介しています。

かつて子どもと大人の戦争だったハロウィンはアメリカ当局と企業が発明したプロパガンダ語で丸く収まることに…投稿日:2017年10月31日
 ハロウィンは 2000年前にヨーロッパ北西部のケルト諸国で生まれたものですが、アメリカに伝わってからは、「子どもたちの大人と、そして権威に対しての無秩序な攻撃」となっていったことが歴史書に記されています。上の記事にあるスミソニアンの記事の一部をご紹介しますと、以下のような壮絶なものだったらしいのです。

「ハロウィンはすべて悪意で、そこに善意はなかった時代」より
 子どもたちのイタズラはエスカレートしていった。1887年には、礼拝堂の座席が糖蜜で覆われ、1888年にはパイプ爆弾が爆発、1891年には新しい家の壁が黒く塗りつぶされた。
1894年には、ワシントン DCで 200人の男の子たちが、路上電車に乗っている身なりのいい人たちを小麦粉の大袋で叩きのめした。
 その頃になると、ハロウィンには、子どもたちは火災警報器を鳴らし、店の窓に向けてレンガを投げつけ、校長の家に猥褻な絵を描いた。
 子どもたちは主に富裕層や大人、権威を徹底的に攻撃した。
 子どもたちは、それらにお金やお菓子をねだり、くれなければ「荒らすぞ」と脅した。
 大人たちの中に、子どもと戦い始める者たちも出てきた。20世紀初頭のアメリカの新聞には、わずか 11歳から 12歳の子どもに銃で発砲して応じた大人の話が書かれている。(smithsonianmag.com 2017/10/27)
 すごいでしょう。お菓子なんてのも、> くれなければ「荒らすぞ」と脅した。というものだったんですね(苦笑)。ハロウィンという日が「純粋な大人と子どもの戦争だった時代」があったことをスミソニアンで知りました。」

 果たして今年のハロウィンは如何なる事でしょうか。
 そして11月1日2日はメキシコでは、毎年は「死者の日」という祝日となっています。
一般的な説明では、
> 死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。
となっていますが、現実的にはこの2日間、メキシコの町々は「ガイコツだらけ」というようになります。そのメキシコで以下のような噴煙が見られたということで、SNS で話題となっていたようです。
今年は、新型コロナウイルスのこともあり、死者の日の祭りが通常通り行われるのかどうかわからないですが、メキシコの死者の日の少し前の 10月31日は、ハロウィンとなっていて、これもまた特にアメリカやヨーロッパで平年のようにおこなわれるのかどうかはわからないです。
10月7日 ドクロのような噴煙が撮影されたメキシコのポポカテペトル火山」

https://indeep.jp/searching-for-a-new-survival-in-a-new-era/

死者の日(ウィキペディアより)
 死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。祝祭はカトリックにおける諸聖人の日である11月1日と翌日2日に行われる。地域によっては、10月31日の晩も前夜祭として祝われる。
 市街地はマリーゴールドの香りに包まれ、公園には露店が立ち並ぶ。11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、供え物がチョコレートなどのお菓子からメスカルなどの酒に変わっていく。日本のお盆に近い位置付けであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴である。死を恐怖するのではなく、逆に死者とともに楽しく笑うというモチーフとなっている。
 墓地にも派手な装飾が施され、夜間にはバンドによる演奏なども行われる。カボチャを飾り仮装をしてパーティを行うなど、ハロウィンとも共通する点が多くあり、実際にルーツは近似している部分がある。
 メキシコにおいて、「死」は擬人化されることが多く、さまざまな呼称がある。生への隠喩につながる表現もある。
 メキシコでは2500-3000年前から、祖先のガイコツを身近に飾る習慣があった。また、死と生まれ変わりの象徴として、他者(多くの場合は敵)のガイコツもトロフィーの様に扱われていた。死者の日の祝祭は地域によって様々な形で生まれ伝承されてきた。
 中でも、アステカ族には冥府の女神ミクトランシワトルに捧げる祝祭があった。やがて、死者の貴婦人、カトリーナに捧げる祝祭へと形を変え、アステカ暦の9番目の月を祝うようになった。これは現在の8月前半にあたる。その後、スペインからの侵略を受け、カトリックの諸聖人の日と融合して今の形になっていった。
 カトリックの影響があるないに関わらず、世界中の国々に類似した習慣が残されている。



2020年10月14日水曜日

2148「日月地のリズム」2020.10.14

 実りの秋を迎えています。今年はコロナ騒ぎでいつもと違う感じですが、お天道様は変わらずに愛深きエネルギーを降り注いでくださっています。夜は特別な事が無いと早くに就寝し、眠りも深く、早くに目覚めますが、時計を見て1時11分とか3時33分とか数字の妙を楽しんでいます。目覚めの後はその日の事を計り、その時々の身体の声に従い過ごします。日に日に、朝日の登る時間が遅くなり、秋分を過ぎて冬至に向かって陽の気が減じて来ています。身体もそれに応じて変化している様です。それも又楽し、です。
 少し前の「ジジイのブログ 地球に生きるみんなへ ジイジからのメッセージ」の記事ですが紹介します。

「地球と月と太陽のリズムで生きる  2020年9月26日

 朝の閃きは、太陽が出る前、もしくは、太陽が出ると同時に湧き出します。太陽が沈んでいる時は、休みなさいということ。それは地球と月と太陽が刻むリズムであり、そこには陰陽の働きがあります。
 太陽が姿を現す朝は、活動の始まりの時です。自然に沿い、素直に思考を働かせなさい。     昼間は、その時に必要な生きるための活動を、流れに沿って行いなさい。
 その流れとは、地球と月と太陽が刻むリズムから生まれるもの。その流れに沿って活動をする時に、あまり遠くまでのスケジュールを立てると、流れから外れてでもスケジュール通りに進めようとする自我が働き、「いただく」心がなくなってしまいます。ですから、短いスタンスのスケジュールに則り、少しだけ長いスタンスの見通しを立てて生きていきましょう。常に結果をいただく精神であることが大切です。


 そして夜は、一日の活動の振り返りの時間を取りなさい。
 振り返りをしたら、次の日に向けての想いを自らに落とし、新たな姿勢に変えて休みなさい。
 常に新鮮な自分であるために、今日という段階では、今日のことを明日に繋げるような思考を持って一日を終え、充電期間である眠りにつくことで、不要な思考と必要な思考が整理されます。そして日の出と共に、新しい朝のスタートをいただくのです。

 そのスタートは前日までの思考に繋がるものですが、実は不要な思考は睡眠中に整理され、消えていなければなりません。前日までの不要な思考が次の日に残っているような人は、日々の生き方に執着があり、それが眠っている間に整理されるべき思いを残しているのです。ですから、その日のことはその日のうちにけじめをつけることが大切なのです。そのようなリズムを繰り返すことで、常に新鮮な朝を迎えましょう。それは、健康な人の一日の送り方の基本です。

 心身を病む人は特に、生活リズムの狂いから体に症状が現れるものです。ですから、地球と月と太陽のリズムに沿って生きましょう。生命である私たち人間の体の中には、そのリズムが眠っているのです。
 そのリズムが狂うと、自我の思考が暴走し、自然の流れを無視して生きることになります。思考が暴走すると夜に眠れなくなり、朝に起きられなくなるのです。」

https://jiiji-konohanafamily.org/2020/09/26/rhythm-of-universe/




2020年10月12日月曜日

2147「カオス」2020.10.12

  10月9日は塾長講座でしたが今必要な情報を皆さんと共有しましたが、電磁波環境の変化がもたらす健康問題、ひいては人間性、精神性の内容になりました。

 10,11日は塾長ツアーで西会津、新潟、山形と巡り充実した旅でした。皆さんも大満足頂き、塾長としても嬉しい限りです。学びの実践体験として塾長ツアーの目的も理解いただき、次回12月も楽しみです。太平洋側は雨の様でしたがツアー中はほぼ天候に恵まれ、ありがたき自然との共感を味わえました。

 今回のメインポイントの1つは新潟県胎内市の夏井の大波岩です。宿泊先のロイヤル胎内パークホテルから朝1番に訪れましたが、この巨石は何度対面しても不思議な自然の造形、妙、カオスを体験する時空間です。無数に織りなす曲線の象形、混沌として1個を成す、その存在はとてつもない万有引力、包含力を感じます。在りて或る大浪岩は朝日を燦燦と浴び、青空には三日月お月様が現れ、何とも言えない多層多重多次元を大波岩を通じて体感し味わいました。




 閑話休題。現実的なカオスの話題です。

 アメリカ大統領選挙を巡る混乱はコロナ騒ぎの中、混沌として来ています。アメリカ大統領選挙の結果如何で引き起こされる予測を述べている記事を紹介します。


カオスへの準備をしなさい Get Ready for Chaosdailyreckoning.com 2020/10/05

アメリカ大統領選挙日まで 1か月を切った。投票で勝利したほうは次の 4年間、あるいはさらに長く大統領にキャスティングされる。

そして、これは私たちアメリカ人の生涯で最も重要な選挙となる。

誇張のように聞こえるかもしれないが、そうではない。

トランプが勝った場合、彼は実際、ディープステート(影の政府というように呼ばれているもの)の人物たちを一掃するだろう。そして、規制と税金を削減し、アメリカのエネルギー独立を確保し、中東の平和を促進し、最終的にイラクとアフガニスタンでの何十年にも及ぶ戦争から米軍を帰国させるという仕事を終えることができるかもしれない。

バイデンが勝った場合は、税金の引き上げ、水圧破砕(フラッキング)の終了、グリーン・ニューディール政策(気候変動を考慮しての経済刺激策)、学校の授業の無償化、医療の無償化、そして、育児の無償化に進むだろう。(もちろん、これは本当に「無料」ではなく、より高い税金または、より多くのお金の印刷による多くの借金で支払われるだけではある)。

トランプ政権となった場合、中国からの分離が続き、アメリカを諜報し、私たちのアイデアを盗む中国の能力が縮小される。

バイデンが勝った場合、中国がアメリカの仕事と知的財産を搾取し、世界貿易機関と IMF への義務を騙して、中国はいつものビジネスに戻るだろう。


トランプとバイデンのポリシーの違いのリストはまだまだ数多くあるが、しかし、これらの違いは、ホワイトハウスのトランプとバイデンの最も重要な違いでさえない。

最も重要な違いは、結果に応じて「アメリカが 2つのまったく異なる道を歩む」ということなのだ。

その意味で、これは 1860年(エイブラハム・リンカーンが当選した米大統領選)以来最も重要な選挙といえる。リンカーンが勝利した場合、南北戦争に至る可能性が指摘されていた。

今日、アメリカの反政府勢力は南部の分離主義者ではない。彼らは自国のネオマルクス主義者、アナキスト、凶悪犯、グーンスクワッド等であり、アメリカの多くの都市で毎日暴動や略奪を行っている。


トランプが大統領選に勝った場合、選挙結果から 24時間以内に米国の各地の都市が炎上することが予想される。

バイデンが勝った場合、ネオマルクス主義者たちは、バーニー・サンダースとアレクサンドリア・オカシオ・コルテスと共にアジェンダの完全な実施を主張する。これには、より高い税金、より高い支出、より多くの規制、選挙人団の終結という形でのアメリカ統治の恒久的な変更と、上院での単一政党の支配が含まれる。

どちらがより悪いのだろうか。暴動、または左翼統治、この 2つの道は、どちらかが勝つことに依存する。


しかし、勝者がいない場合はどうなるだろう。

何百万もの票が郵送投票の形で投じられている。州のカウントシステムは、接近戦で数十万の投票をカウントしなければならなかった際に故障したことがある。投票用紙が数千万に達すると何が起きるかはわからないのだ。

ミシガン州、ウィスコンシン州、ペンシルベニア州などのスウィングステート(共和党・民主党の支持率が拮抗して選挙ごとに結果が違う州)の長官たちは、民主党の知事から結果を証明しないように命じられる。

弁護士による軍団は、投票時間の延長、郵送投票の湛水、および郵便投票、適時の郵送、適時の受領およびその他の手続きに関係なくすべての投票のカウントを要求する。

どちらの側も結果を認めない。それにより、選挙結果は数週間は不確実である可能性がある。その間、暴動は続くだろう。

そして、バイデンが勝った場合、彼は数ヶ月以上は大統領にならない可能性は十分にある。彼の認知機能低下は、おそらくアルツハイマー病または他の形態の認知症の結果であり、

すでに彼を見ている観察者たちには明らかなことになっている。


彼はトランプとの討論はうまくいったと思うが、アルツハイマー病は一直線に進まない。

バイデンが苦しんでいる認知機能低下のタイプは、継続的な認知の低下を示すものではなく、いわゆる「階段関数」的に下がっていく。

つまり、精神的能力が突然低下し、しばらく安定するか横ばい状態になり、その後再び低下する。改善することはないが、次の突然の低下が来るまでしばらくは安定しているように見える。

憲法修正第 25条 (大統領の承継の対処についての憲法)に基づいてバイデンを解任し、カマラ・ハリス(副大統領候補の女性上院議員)を大統領代行として任命するのは比較的簡単なことだ。これに続いて、バイデンによる正式な辞任が行われる可能性があり、その時点でハリスが大統領になる。

これは、カマラ・ハリスが来たる「ハリス政権」に言及した 9月12日と、ジョー・バイデンがキャンペーン・イベントで「ハリス・バイデン政権」に言及した 9月15日に再び示唆された。


不確実性は選挙のその日まで支配的だ。

投資家たちはこのこと自体は理解しているだろう。しかし、投資家たちが、あまりよく理解していないのは、「選挙後も不確実性が支配し続ける」ということだ。

トランプが勝った場合、抵抗勢力たちは黙っていない。彼らは法廷で選挙結果に異議を唱え、トランプの勝利の正当性を否定し、抵抗勢力たちの極端な方法がアメリカの都市を焼き尽くす。

バイデンが勝った場合、彼を舞台裏で操作している存在たちは、より高い税金を設定し、より多くの規制を設け、グリーン・ニューディール政策を実行し、そして、社会主義とグローバリストたちのアジェンダの他の要素の要求を前面に出す。

市場はこれらのいずれについても完全に予測はできていない。

また、反トランプの混乱のための市場の価格予想も想定されていない。そしてバイデンに押し付けられるであろうアジェンダによる価格予想も想定されていない。

市場はそれらに準備されていないかもしれないが、多くの人がカオスに向けて準備をするべきだ。

株式への投資を削減し、財務省証券と現金への配分の増加、およびゴールドへのポートフォリオ配分など、カオスに強い準備を始めるべきだ。



2020年10月9日金曜日

2146「リーダーシップの劣化」2020.10.9

 トランプさんが退院されましたが、次々と繰り広げられる展開は11月3日の大統領選挙に向けての事で、米国は予断を許さない様です。世界をリードしてきた米国のリーダーシップが次の新たな世界を作っていくのは確かです。果たしてトランプ再選でしょうか?
 藤原直哉さんの2020年9月30日「日本と世界にひとこと」で興味深いお話しを聞けましたので紹介します。

リーダーシップの劣化が生む現実
 コロナもありお粗末な事が色々と露見しているが、国の上の方があまりにもお粗末だ。お粗末な、リーダーシップの劣化が見られるが、その事に本人たちは気付いていない。
 リーダーシップとは、正しい事を正しく実行するのでなく、何が正しいかを決める事だ。そこにリーダーシップのダイナニズムがあり、その力は重大だ。
 人間性、歴史、宗教、直感力、社会科学、人文科学、芸術を知り、あらゆることの能力を総動員して、胆力、武力も使い行い、その能力が試されるのがリーダーシップだ。しかし今は、何が正しいかを決めるのではなく、正しく実行する事に移って行っている。
 独裁政権もかつてのヒットラー、ムッソリーニの様に異常な人で、新興宗教でも狂ったもので、まともな人で無く変な人がトップに出て来る。
 リーダーシップで評価される要素は、何も道がない所に、全く何も無い、海図のない所に道を作る事だ。出来上がったものを実行するのと違う。正しい決定をする時に人間力が必要で、正しく実行するのはその下で、狂った事を実行する時はまともな人はそこに入って来ない。

 中国共産党はまともな奴はいない。典型的に最後に見えるリーダーシップだ。日本の自公政権、財界もこの25年は同じだ。ジャパンハンドラーの影響など、金融も正しい事を決めていない。皆、おかしい。自分達に思惑がある奴らが決めている。
 戦前、戦中の英雄が戦後、全く消えてしまった。せいぜい乃木大将や東郷元帥位で、日中戦争以降で活躍した人は言われなくなり、禄でもない人達と言われる。多くの人は前線で死に、まともな人が残らなかった。
 若いリーダーにまともな人がいないで、能力の無い人が集まってやると第2次世界大戦の終わりの様になり、何も出来ないままに、国民、組織、国家が崩壊していく。ソ連の末期もひどいもので悲惨だった。ソ連の中枢の指令が下に通じていなかった。こうやって終わって行く。無能なリーダーが指令を出しても下の人は聞かず、実行せず終わる。奇妙な終わり方をする。チャイコフスキーの曲の終わりと違い、パタッと終わる様だ。そして誰もいなくなると言う印象だ。
 東ドイツの外務省のエリート官僚が体制崩壊後、極端な貧困生活にさいなまれているテレビ放映を見た。愚かなリーダーシップで崩壊して、この様な事になると思った。これがビューロクラシー、官僚制の崩壊だ。当時の日本も、私はアメリカにいて大丈夫かと言われた。
 ソ連の崩壊をみて官僚制は駄目だと思った。そして今度は日本が潰れるのかと思った。私も役所に勤めた事があり、役所はひどいと思っていた。今まさにそういう状態だ。
 医学雑誌のランセットの中で日本の健康医療専門家が日本政府に質問状を英文で出していたが、やんわりした表現だがきつい内容だ。果たして英文を読める政治家はいるのか。
今、世界は何を話題にしているのか知っているか?

 今時、安倍、菅政権に近づくのは100%思惑があり、まともな者でない。企業再生をする人もいるが、悪の巣窟だ。下ではこびへつらうやつがいるが、1番大切なのは外の風を入れ、中の環境を良くして掃除する事だ。中の権力闘争に巻き込まれたら駄目だ。とんでもない所に行ったら中を相手にしないで外を相手にしないと駄目だ。内部の腐敗と戦うには外からする。官僚にアジェンダを決められたら駄目だ。トランプはその点まともなリーダーシップだ。
 小泉政権、その前の森政権以降、政界、財界共に劣化して、次々と劣化してきた。現実を理解出来ずに外が怖くて、外の風を入れられない。恐いとは何事だ。大変だ、があっても何をするのかがリーダーだ。まるで幼児だ。そうして最後は誰もいなくなると言う事だ。
 リーダーシップが完全に劣化した時、その中で物事をさばける人はいなくなり、何も出来なくなる。少しでも再建出来そうという人がいないとしたら、そこは解散するしかない。帝国陸軍、海軍も100年持たなかった。
 自民党も大野伴睦、岸信介が作ったが、岸は満州の麻薬のお金で自民党を作っているので穢れている。アメリカとつるんで作ったものだ。自分だけ良い思いをしたいだけだ。それをまともにするのは難しい。経済も販路を切り開き苦労して道を切り開いて来た人達の事を忘れ、勝手な事をしている人が多い。その人たちは消費する事は出来ても何かを創造出来ない。
 彼らの頭の中の考えは逃げる事しかない。今の経済は追い詰められ、上手く行っていない事を感じている。そして何も出来ない。自分だけどう逃げるかと言う事だけだ。満州国の最後の時と同じだ。昭和19年に岸は財産を抱えて日本に帰って来た。関東軍のトップの将校たちも家族を引き連れ帰って来たが、その翌年20年に満州では悲劇が生まれた。

 どうしようもない所でなく、別な所から作るしかない。今必要なリーダーシップは何が正しいか決める事だ。経済再建の柱としてヨーロッパではデジタル化に並んで気候変動対策を上げている。それはコストでなく新しい経済の推進力でプラスの方向を取り入れようとしている。
 ブロックチェーンもしているが、その最大の敵はビューロクラシー、官僚制度だ。新しい絵図面を描ける人が必要で、図面を作れないと駄目だ。未来を作る、これからの方向性、自分自身もどうやって絵図面を作るかだ。そうでないと納得がいく行動が出来ない。
 その為に勉強をするしかない。それが大切だ。何が正しいか、自分で知ろうとして試行錯誤し、本当に自分の答えを出していくまで時間がかかるが、そこをくぐり抜けた人で無いとリーダーが出来ない。
 フォローアーも駄目だ。おどおどしてついていては駄目だ。今回は立て分けが為されるので、呉越同舟、清濁併せ持つで、皆を連れて行くのは難しい。各自の選択で、今回はシビアーだ。横型リーダーシップはシビアーで、各自がそれぞれで神と向き合う事で厳しい。しっかりとリーダーシップを考えて行かないと駄目だ。

2020年10月6日火曜日

2145「医療戒厳令」2020.10.6

 10月5日のイン・ディープさんの記事を興味深く読みました。『「健康という宗教」が世界中に拡大する中で強行された医療戒厳令。今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実』というタイトルです。
「健康はいつから宗教になったのか」という書き出しですが、後半の医療戒厳令の辺りから1部抜粋して紹介します。

医療戒厳令
 今回のパンデミックが始まって以来、日本では、あまりそういう文字列は見かけないですが、世界中のメディアで、3月くらいの時点からすでに見かけるようになったのが、 ・医療戒厳令 (Medical Martial Law)という言葉です。
 特に、厳しいロックダウン措置が実行された国や地域では、そのように感じたり、そのように見ている人たちも多かったようです。
 現在の奇妙な社会の状態が実現するまでの行程としては、
・健康が宗教となり
・そして、その宗教の名の下に医療的戒厳令が実行された
 というのがこれまでの流れのようです。
 以前、ブラジルの大統領が、コロナが流行し始めた頃、ロックダウンを拒否し、「人はいつかは誰でも死ぬものだ」と述べたことに対し猛烈な批判が浴びせられたことがありましたが、この言葉自体はまったく現実的で合理的な言葉だとしか私には思えませんでした。
 だって、人はいつか死ぬのです。「人はいつか死ぬという厳格な事実を口にしただけで批判されるのか」とも思いましたが、その時にも「これじゃ宗教だ」と思っていましたけれど、その懸念は恐ろしいほど徹底して大規模に拡大してしまいました。
 医療という教祖がいる限り、病気で死ぬことは許されない(他の理由はOK)。
 いつからこんなことになっちゃったんだろうと。

 今回は、ここまで書いたことと直接的な関係があるわけではなくとも、医療戒厳令ということに関しての記事をご紹介して締めさせていただきます。
 記事は、米テキサス州にあるフードバンクなどの社会扶助を目的とする企業ガルベストン・オープン・ガバメント社(Galveston Open Government Project Inc )の代表によるものです。
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新型コロナウイルスへの緊急事態命令の数々は医療戒厳令だった
 今年の初め、この国(アメリカ)に戒厳令が課されたとき、以下のような質問を政府にした人間はほとんどいなかった。
「《緊急事態》の名のもとに、政府が私たちの最も基本的な権利を本当に剥奪するようなことをしてもいいのか?」
 明らかに、アメリカ合衆国と各州の憲法には、どのような緊急時であっても、アメリカ人個々の自由を剥奪することを許可する文言は含まれていない。今回、制定された緊急法は私たちの憲法上の保護を無効にもしない。
 なぜ、これほど自由が剥奪される中で、それほど抵抗がなかったのだろう?
 第一に、政府の公衆衛生ディープステートは、特定の死の可能性が高いことを回避する唯一の方法は「無条件に公衆衛生当局の命令に従うことである」と信じるように、多くのアメリカ国民を恐怖させることに成功した。彼らは専門家であり、「私たち国民の安全に保持する」ために「科学」を使用した。
 彼らの先導に続いて、多くの選出された役人たちが、そのような専制的措置を実施するために役人たちに与えられたまったく前例のないような違憲的権力によって、医療戒厳令を課すことはそれほど難しくはなかった。
 各州の知事は、この権力を掌握する手段として、作成された緊急命令を使用して、議会での議論を回避した。
 たとえば、テキサス州ガルベストンでは、知事、市長、そして時には市議会の過半数が、ガルベストンの住民たちに対して、「やってもいいこと、してはいけないこと」を、そして、それがどんな人たちに該当し、該当しない人は誰かということを恣意的に決定した。
 居住者たちは、移動の自由、集会をする自由、そして財産を最大限に活用する自由のほとんどを失ってしまった。
 しかし、すでに「生命を守るための手段」として恐怖と共に伝達された中で、この状況において、自由を優先するべきだと主張する人がほとんど出てこなかったのは理解できなくはない。
 本来なら、アメリカ人たちは、このような露骨な権力の奪取に憤慨して反応するべきだったが、公衆衛生ディープステートは、何千万人もの人々を首尾よく恐怖させることに成功したため、アメリカ人の多くは、これがどれほど違憲的な独裁的行為であるかということから目をそらしたために、本当の抵抗はなかった。
 アメリカ全土が、ここ数ヶ月間、ある程度の全体主義的支配下にある。
私たちは、最も専制的な知事たちが現在の立場を固めてさらに権力を掌握する前に正常な状態への移行をすぐに開始する必要がある。
 アメリカでも 7人の勇気ある知事たちはいた。この緊急事態の間の、最悪の権力の乱用に抵抗し、その 7州だけは全州のロックダウンを命じなかった。
 うまくいけば、その知事のうちの少なくとも 1人なら、コロナウイルスの以前と同じような生活を人々ができるようにすることで、アメリカを現在の抑圧状態から脱却させることができるかもしれない。
 自由国家は、市民の自由を守るために市民の権利が二度と剥奪されないことを保証するために、知事、立法府、郡および市による緊急命令の将来の使用を禁止する憲法改正を制定しなければならない。
 緊急命令は、パンデミックや自然災害の際の権力の乱用を明らかに招く。
 多くの知事たちの行動はとても悪いものだったが、テキサス州ガルベストン市の場合のように、さらに厳しい制限を課した郡の役人、市長、市議会が多くある。
 かつては当たり前だったアメリカ人の生活、コロナウイルス以前の自由な生活。そこに私たちを戻すことができない州が 1つでもあれば、戒厳令は恒久的な生き方になり、全体主義の支配下となる。
 もしそうなったなら、あとは下り坂を転げ落ちていくだけだ。
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2020年10月4日日曜日

2144「オクトーバー・サプライズ」2020.10.4

 10月になり、明らかにエネルギーが変わって来ている感じがします。立分けなのでしょうか。東証がシステムトラブルで1日停止し、トランプさんがコロナ感染というニュースが流れ、世の中に起きている事象もその流れで進んで、段階が次に移り、変化が急速化していくようです。そんな中、私は毎日綺麗なお月様を見る事が出来、個人的には平安で心地良い時空を生きています。お陰様です。
 この変化の背景に大きな動きがあり、トランプさんの感染は大きな事を成す為に隠れる口実にしているのかな、と思っていました。そんな時、以下の興味深い記事に遭遇しましたので紹介します。

「特殊な軍事作戦の関係で、身の安全を確保するために、検査での陽性を言い訳に、しばらくの間身を潜めることにしたトランプ大統領」竹下雅敏氏からの情報です。
2020/10/02
 トランプ大統領とメラニア夫人が、新型コロナウイルスの検査で陽性の結果が出たとのことで、「直ちに隔離と回復のためのプロセスを開始する」とツイートしたとのことです。
 この手の話は、真に受けない方がいいです。ここ最近ツイッターに障害が発生したり、東京証券取引所がシステム障害を起こしたりしていることを見ると、何かやっていると思った方がよい。
 「20/09/21 フルフォード情報英語版」では、“日本では、東京と京都の地下基地に対する大規模な作戦の準備中だ、と軍の諜報部が報告してきた。「日本には、第二次世界大戦中に大日本帝国の旧陸海軍基地を改造して建てた地下施設が300箇所ある」”ということでした。
 また、「20/09/07 フルフォード情報英語版」では、“COVID-19パンデミックなるものが、イタリアで全人口を封鎖するための口実として使用される一方、「何トンもの金(きん)、文書、そして……其の他の貴重品がバチカンから飛行機で運び出された」”ということなので、ディープステートがロックダウンを行うことで経済を破壊し、人々にワクチンを強制しようとする傍らで、秘密の軍事作戦が水面下で実行に移され、金塊を移動したり、多くの子供達を救出していることが分かります。
 こうした事を理解した上で、ツイートをご覧ください。「コロナはリベラルの作り出したデマ」ではありません。現実に多くの死者が出ており、後遺症で苦しんでいる人たちがたくさん居ます。
 マスクは感染、重症化の抑止に効果があります。しかし、マスクを強制するのは人権侵害です。
 「後遺症」の事や、今後の「インフルエンザワクチン接種による新型コロナウイルス感染症の重症化の懸念」を考慮すると、今後若い人たちの症状が重くなる可能性が高いと思われます。「99%は無害」は、あまりにも楽観的な予測です。
 「トランプさんが感染するのですから、コロナはある」と言うのは、単純すぎます。特殊な軍事作戦の関係で、身の安全を確保するために、検査での陽性を言い訳に、しばらくの間身を潜めることにしたというのが、本当のところでしょう。
 最後のツイートの批判は、日本の政治家ならこの通りですが、トランプ大統領とQグループに関しては、当てはまりません。(竹下雅敏)
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?paged=2

「9月の終わりからのこの数日間、世界中で大規模なサイバー攻撃と、原因不明の大規模クラッシュが繰り返されている ~オクトーバー・サプライズ(10月のアッと驚く出来事)の始まり」竹下雅敏氏からの情報です。2020/10/03
 In Deepさんによると、“9月の終わりからのこの数日間、「世界中で大規模なサイバー攻撃と、原因不明の大規模クラッシュが繰り返されている」”のだそうです。東京証券取引所のシステムトラブルも、こうしたサイバー攻撃のひとつだと見た方がいいのかも知れません。
 トランプ大統領とメラニア夫人が新型コロナウイルスに感染したという報道は、“真に受けない方がいい”と指摘しましたが、Eriさんのツイートによると、トランプ大統領は演説中に、“そろそろ 何かが起きてもいい頃だ、もう 我慢できない!、私たちは 犯罪者の情報をたくさん持っている、悪党どもめが!”と言っていたらしい。
 「もうじき、大きなことが起きる」と感じている人が多いと思います。コロナに感染したことにし、バンカー(地下施設)から指揮を執ることにしたと考える方が、自然ではないでしょうか。「これはオクトーバー・サプライズ(10月のアッと驚く出来事)の始まりを示すものだ」と言うのは、その通りだと思います。
 最後の記事の引用元では、今後アメリカの状態はもっと酷くなり、「11月から1月までは、本当にクレージーになります。どんどん大きな暴露、ニュースの報道が起きます」と言っています。世界中で爆発が起きるようで、「煙と恐れの後に平和が来る」とのこと。爆弾が爆発しそうな場所には近づかないのが、賢明なようです。(竹下雅敏)

 アメリカ史上最大の病院システムへのサイバー攻撃が起こり、全米の警察緊急通報システムが完全にメルトダウンした数日後、日本の東証が過去最悪の障害で取引停止。何が迫っている?転載元)In Deep 20/10/1 (前略)
以下はブルームバーグの報道です。
東証:現物売買を終日停止、過去最悪の障害 Bloomberg 2020/10/01
 東京証券取引所は1日、相場情報の配信に障害が発生しているとして株式全銘柄の売買を終日停止すると発表した。原因を調査中で2日からの取引再開を目指す。
 全銘柄の売買が前回停止されたのは2005年11月で、4時間半取引が止まった。終日取引停止は今回が初で、現物取引で過去最悪のシステムトラブルとなる。日経平均株価と東証株価指数は算出されていない。
 つまり、日本の電子株式取引市場で初めてで、なお過去最悪のシステムトラブルが起きてしまったということらしいです。(中略)
 まあ、東証の過去最大のトラブルの原因は、今のところはわからないとはいえ、実は、9月の終わりからのこの数日間、
「世界中で大規模なサイバー攻撃と、原因不明の大規模クラッシュが繰り返されている」
のです。
 アメリカでは、9月27日に、アメリカ全土をつなぐ病院のコンピュータシステムがサイバー攻撃で完全にダウンし、全国 400を超える大病院やヘルスサービスのコンピュータシステムが使えなくなったことが伝えられています。
 9月28日には、アメリカで日本の 110番にあたる警察への緊急通報システムもシャットダウンするという事態が発生し、アメリカ全体で警察への通報システムが作動しないという状態になったことが各地の警察から伝えられました。
 この警察システム停止の原因は、アメリカ全土でビジネスの他、各所で使われているマイクロソフト社の法人向けシステム「オフィス365」が、全国的にシャットダウンしたためであることがわかりました。その数日前には、Googleの各種サービスも、全米でクラッシュしています。(中略)
 今回の一連の障害では、
・アメリカの全国的な病院システム
・アメリカの警察システム
・アメリカのオンラインビジネス・システム

 などが影響を受けたわけですが、他でも、たとえば、9月20日から米ワシントン州の多数の政府機関へサイバー攻撃が続いていたり(Bloomberg)、9月29日には、ギリシャのオンライン学習システムにサイバー攻撃 があったり(mytwintiers.com)と、いろいろな場所で起きています。(以下略)
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配信元)Twitter これは戦争だろう。
9月25日Googleのサービスが完全にダウン
9月27日米全土の400超の主要な病院を繋ぐコンピューターシステムが完全にダウン
9月28日米国の警察への緊急通報システムが完全にダウン
10月1日日本の証券取引所のシステムが完全にダウンhttps://t.co/iW0BSz6ELO
— お賽銭マン (@OSAISENMAN) October 2, 2020

ミッキーの手が...10と2に...#coincidence ?#RedOctober https://t.co/0E1bGH0Ali
— Eri(QmapJapan) Parler@okabaeri9111Q (@okabaeri9111) October 2, 2020

ゴールが近い?#Q 4795(トランプ大統領の演説中の言葉)
"そろそろ 何かが起きてもいい頃だ"
"もう 我慢できない!”
“私たちは 犯罪者の情報をたくさん持っている”
“悪党どもめが!”
マラソンの 終焉
Qhttps://t.co/RApOXfxcoE pic.twitter.com/p5cJt6PrRB
— Eri(QmapJapan) Parler@okabaeri9111Q (@okabaeri9111) October 2, 2020

トランプ大統領は、キューバのグアンタナモ湾拘置所(#GITMO)に "ランクの高い"アメリカ人囚人を収容する準備を命じた、と国防軍の新しい報告書が伝えている
(2020/9/30)https://t.co/vyIGsWODDd
— Eri(QmapJapan) Parler@okabaeri9111Q (@okabaeri9111) October 2, 2020

トランプのコロナ感染と入院は胡散臭い!引用元)日本や世界や宇宙の動向 20/10/3
10月2日付け(中略)
もうじき、大きなことが起きるでしょう。トランプ大統領は、今、非常に重大なことが起きつつあるのを隠すためにコロナに感染したことにし入院したのでしょう。
トランプ大統領がコロナに感染したと報じられた5分後に、コマンド・プレーン(司令官が指令を出すのに必要な機材が搭載している飛行機)が米東西海岸上空を飛行し始めました。彼らは米国上空を飛行しながら原子力潜水艦に指令を出しています。彼(トランプ)はバンカー(地下施設)に連れていかれました。
これはオクトーバー・サプライズ(10月のアッと驚く出来事)の始まりを示すものだということを耳にしました。(中略)
トランプは、しばらくの間、公の場に登場しないと言っていました。
トランプはコロナに感染したのではありません。彼は、世界の真実が公開される2週間前の今、自分の命を守るために身を隠したのです。(以下略)

世界の動向の予言*10月3日のリーディング*サイキックLJさん
引用元)真実の泉 - ディスクロージャー 20/10/3 (前略)
クリスタルは太陽に一日当てて準備が出来ています。
ゆったりとリラックスして聞いて下さい。
 トランプと夫人のコロナ陽性の報道に関しては心配ありません。水晶からOKAY!という文字が飛び出して来ている。トランプがヘリコプターから出て来て、何かを報道すると以前から何度か言ってましたが、たぶんこの事だと思います。これは、トランプが「トランプ・カードを引いた」と見ています。何か理由があってこの作戦を取ったと思います。
「プロテクション」という言葉が出て来ます。(暗殺計画があった?)(以下略)
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=253440

2020年10月1日木曜日

2143「騙し」2020.10.1

 今日から10月です。今日1日は中秋の名月、昨晩に続き綺麗なほぼ満月に近い月を見る事が出来ます。満月は明日2日です。 

 昨日、興味深い記事に遭遇しました。一連の芸能人の自殺に対する謎解きです。私にはこの世界は素人で映画も、アニメも見ていないのですが、分析がえっ!と言う感じです。以下紹介します。


NETFLIX GREAT PRETENDER2期 壮大な騙しの可能性  2020年9月30日

 人を騙して金をとる国際的な詐欺師集団コンフィデンスマンの活動、痛快コメディかつスタイリッシュに描いたアニメが、この時期に2期がスタート。三浦春馬?竹内結子?匂わせを感じるキャラクターとストーリーをこの時期に出してくるNETFLIXの謎


Contents [hide]

1 NETFLIXでGREAT PRETENDER2期が公開

2 映画コンフィデンスマンに登場した役者2名が謎の自殺

3 主人公の枝村真(通称えだまめ)は誰かに似てないか?

4 二期から登場する人身売買組織 朱雀会の女会長も誰かに?


1,NETFLIXでGREAT PRETENDER2期が公開

 知らない人はまったく知らないアニメ、グレートプリテンダー。自称詐欺の天才の日本人が、外国人(詐欺師)をカモにしようとして逆に騙された所から物語は始まる

・・が、二期まで含めて見ていくと、一体どこからこの計画が始まっていた!?と壮大な伏線回収が起こるので、このアニメの公開のタイミングはどれだけ世の中に影響を与えているか?を確認しているようにも思える

 ただのアニメ・・されど現実との不思議なリンクがある


2,映画コンフィデンスマンに登場した役者2名が謎の自殺

 記憶に新しい三浦春馬さんだけじゃなく、先日急に報道された竹内結子さんの自殺の情報。さすがに多くの人が芸能界では今何が起きてるんだ?どうして映画コンフィデンスマンに登場した役者は何かしらの不幸が訪れるのか?と思っているだろう

 この映画、役者、そしてこのGREATPRETENDER2期には偶然とは思えない共通点がある


3,主人公の枝村真(通称えだまめ)は誰かに似てないか?

 日本人詐欺師であるが、バイリンガルに言語を使いこなし、どこか根っこに正義があり、悪い事をしているが、相手を極力傷つけないようにと配慮する主人公。髪型といい、様々な役になり切る姿といい、亡くなった彼に似てないだろうか?




4,二期から登場する人身売買組織 朱雀会の女会長も誰かに?

 GREATPRETENDER2期の内容は、足を洗ってまじめに働く!というえだまめの行動力ををうまく利用して、気づかないうちにヤクザ組織に侵入させ、持ち前の能力の高さで重要なポストに登らせるだが

 その過程でえだまめは人身売買という組織の商売に対し、善意の呵責に苦しむ事になる。一方でめきめきと頭角を現し、組織に貢献するえだまめは女会長に気に入られ出世街道に・・という所で唐突に登場する、朱雀会の女会長という存在



 映画コンフィデンスマンJPのロマンス編にて竹内結子さんが演じたのがラン・リウという香港の悪の女帝

 この女会長が主人公えだまめの協力者でもなんでもないのに、えだまめを気に入り、息子のように面倒を見るようになる

 時期的に、時事的に色々一致する

 主人公=正義感を持った詐欺師→誰かに似てる

 女帝 =会長の後妻で人身売買を取り仕切ってる→誰かに似てる

 香港マフィア=朱雀会が教えた人身売買のしのぎで国際的な力をつける

 現実の話に戻れば、人身売買や人権問題に対する世間の認知度は低い。そことは直接の繋がりがある訳ではないが、2名の尊い役者の命が自殺という形によって失われた・・という事になってますが

 GREATPRETENDERの良い所は、最後の最後に大どんでん返しが待っているという事

 もしかしたら、現実のニュースも含めて、日本全国民が騙されていて、実は二人とも姿は消したけど生きていて、そして、真のコンフィデンスマンになって、悪党相手に世界をまたにかけて活躍するという

 そんな誰も確認する事ができない、映画の最後の本人たちしかわからない壮大なグッドエンドでも想像したほうが精神衛生的に良さそうですね(゚д゚)(。_。)ウン

 海外ドラマでよくあるのが、死んだ事にして特定の顔を持たずに裏で世の中を良くするために活動する元軍人やら元それなりの能力の高かった人たちというパターン。もしこの役者2名が後にそういう決して姿を見せない諜報に暗躍するかもしれないなんて考えたら、このMVの公開とメッセージ性は受け止め方が変わるんじゃないかな

 これは独自の解釈ですが、黒と白は陰陽、激しい渦をイメージした動作は回転・ループ・繰り返しだけど、常にその奥には太陽を模した光が差している・・だから何?(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)えぇ!

 歌詞自体が、嘘偽りを知りながら騙しごまかしやってきたという、二元性のループから抜け出すという事なのか、どうなのか、というか作詞作曲については別の方が創ってるのであれだけど

 演出上、この表現は明らかにアレ(意味深)

 

 唐突に現れる『赤いドレス』の女性と後ろに手を繋ぐという表現が何を意味してるのか(救う?自分も同じ?生贄?犠牲?)ま、そんな考察をしていると、量子力学的には、まだ確定してないという事で、胸の中にしまっておくとして・・

 NETFLIXが今このタイミングで、事件よりも先に2期を公開(コンテンツはできている)したのは偶然だろうか?

 NETFLIXに出資してるスポンサーは世界の動きを把握してるとしか思えない・・映画スノピアサーの時も先読みで人種差別問題の影響を受けないコンテンツ(主人公が黒人)できてたしね

 次に公開されるのは、どんな作品で、どんなメッセージが込められているのか?

 そして、またこのタイミングで偶然にも最後まで一気に見るという所業をしていた自分(;´∀`)

 2期が来てるのは気づいてて見たいと思っていても、やる事がいっぱいあった(旅行後の動画編集や記事の用意)から見ないと思っていたにも関わらず・・なぜか急に見始め、そして最後の最後まできっちり見終わった・・その翌日に、竹内結子さん自殺というニュースを目にする Σ(゚Д゚)はぁあぁっぁあ!? なんで? ←の時点では気づいてない

 それから、ほどなくして、映画コンフィデンスマンJPに出ていたと知る→たまたま見たアニメGREAT PRETENDER=とんでもない詐欺師の物語・・あれ?タイミングが良すぎ・・

 そうやってみれば、主人公はどことなく似てなくもないような・・、となると女性キャラでいえば二期会長の雰囲気が・・似てなくもない・・けどまさかなぁ┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 で、コンフィデンスマンJPではどんな役をやってたん?・・ってえ?Σ(゚Д゚)香港マフィアの女帝!? ちょ、待てよ!そこまでしっくりくるんかい!

 脚本家はまんま映画コンフィデンスマンの人らしいから全部ひっくるめてみると、この実在する二人をベースにしててもおかしくはないが、2期のストーリーこそが重要なのかもね(今世界でも騒がれている〇〇〇ゲート)

 それを伝えてるのが、全世界で多くの人に一斉に情報を伝えられるNETFLIXという点

 という点と点を線にする事ができたのも、直感の導きやな(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

 日本でもそれは起きている それを多くの人が認知する って事が抑止力として重要かな(徐々に開示が始まっている?)

 人さらいの類は、そんな事ある訳ないよw┐(´∀`)┌ヤレヤレ じゃなくて警戒を強める事で未然に防ぐ事ができる!それは実際にすでに起きている事でもあるし

 自然界でも一世代にしてDNAが覚醒して集団で監視するようになった日本の鳥からも学べる事(今日本人に大切な事)

 いい加減、切り捨てないとじわじわこういう被害が拡大していく可能性が高い(完全にショッピングサイトからメールアドレスリストは漏えいしているフィッシングメール大量問題) とまぁ、全部一切の情報のソースはありませんが(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)

 結局の所、物事をどのように受け止め、どのような学びとして吸収するかが大事

 芸能界には何かがあるが芸能界も一枚岩ではない

 映画やアニメ、ゲームは大衆扇動ツールとしてメッセージが込められている

 ネガティブな受け止め方をするか、ポジティブな受け止め方をするか

 私は、GREATPRETENDER2期が公開された事で、メッセージ的には、表向きは死因も動機も不明で死んだ事にして姿を消したが、実際は、誰にでもなりきれる演技力を持った有能な役者は、世界を良くするために活躍するチームに入った的な?(※様々な人種が必要)

 どっちにしても、もう次の作品を見る事がない=存在しなくなるのは変わらないのだから、そうやって受け止めておくのが精神衛生上とてもいい気がします(≧▽≦)煌めく星になったのさ Σ(゚Д゚)タシカニ

https://curiosity-koukisin.com/movie-impression/imposter_deception.html