2020年10月6日火曜日

2145「医療戒厳令」2020.10.6

 10月5日のイン・ディープさんの記事を興味深く読みました。『「健康という宗教」が世界中に拡大する中で強行された医療戒厳令。今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実』というタイトルです。
「健康はいつから宗教になったのか」という書き出しですが、後半の医療戒厳令の辺りから1部抜粋して紹介します。

医療戒厳令
 今回のパンデミックが始まって以来、日本では、あまりそういう文字列は見かけないですが、世界中のメディアで、3月くらいの時点からすでに見かけるようになったのが、 ・医療戒厳令 (Medical Martial Law)という言葉です。
 特に、厳しいロックダウン措置が実行された国や地域では、そのように感じたり、そのように見ている人たちも多かったようです。
 現在の奇妙な社会の状態が実現するまでの行程としては、
・健康が宗教となり
・そして、その宗教の名の下に医療的戒厳令が実行された
 というのがこれまでの流れのようです。
 以前、ブラジルの大統領が、コロナが流行し始めた頃、ロックダウンを拒否し、「人はいつかは誰でも死ぬものだ」と述べたことに対し猛烈な批判が浴びせられたことがありましたが、この言葉自体はまったく現実的で合理的な言葉だとしか私には思えませんでした。
 だって、人はいつか死ぬのです。「人はいつか死ぬという厳格な事実を口にしただけで批判されるのか」とも思いましたが、その時にも「これじゃ宗教だ」と思っていましたけれど、その懸念は恐ろしいほど徹底して大規模に拡大してしまいました。
 医療という教祖がいる限り、病気で死ぬことは許されない(他の理由はOK)。
 いつからこんなことになっちゃったんだろうと。

 今回は、ここまで書いたことと直接的な関係があるわけではなくとも、医療戒厳令ということに関しての記事をご紹介して締めさせていただきます。
 記事は、米テキサス州にあるフードバンクなどの社会扶助を目的とする企業ガルベストン・オープン・ガバメント社(Galveston Open Government Project Inc )の代表によるものです。
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新型コロナウイルスへの緊急事態命令の数々は医療戒厳令だった
 今年の初め、この国(アメリカ)に戒厳令が課されたとき、以下のような質問を政府にした人間はほとんどいなかった。
「《緊急事態》の名のもとに、政府が私たちの最も基本的な権利を本当に剥奪するようなことをしてもいいのか?」
 明らかに、アメリカ合衆国と各州の憲法には、どのような緊急時であっても、アメリカ人個々の自由を剥奪することを許可する文言は含まれていない。今回、制定された緊急法は私たちの憲法上の保護を無効にもしない。
 なぜ、これほど自由が剥奪される中で、それほど抵抗がなかったのだろう?
 第一に、政府の公衆衛生ディープステートは、特定の死の可能性が高いことを回避する唯一の方法は「無条件に公衆衛生当局の命令に従うことである」と信じるように、多くのアメリカ国民を恐怖させることに成功した。彼らは専門家であり、「私たち国民の安全に保持する」ために「科学」を使用した。
 彼らの先導に続いて、多くの選出された役人たちが、そのような専制的措置を実施するために役人たちに与えられたまったく前例のないような違憲的権力によって、医療戒厳令を課すことはそれほど難しくはなかった。
 各州の知事は、この権力を掌握する手段として、作成された緊急命令を使用して、議会での議論を回避した。
 たとえば、テキサス州ガルベストンでは、知事、市長、そして時には市議会の過半数が、ガルベストンの住民たちに対して、「やってもいいこと、してはいけないこと」を、そして、それがどんな人たちに該当し、該当しない人は誰かということを恣意的に決定した。
 居住者たちは、移動の自由、集会をする自由、そして財産を最大限に活用する自由のほとんどを失ってしまった。
 しかし、すでに「生命を守るための手段」として恐怖と共に伝達された中で、この状況において、自由を優先するべきだと主張する人がほとんど出てこなかったのは理解できなくはない。
 本来なら、アメリカ人たちは、このような露骨な権力の奪取に憤慨して反応するべきだったが、公衆衛生ディープステートは、何千万人もの人々を首尾よく恐怖させることに成功したため、アメリカ人の多くは、これがどれほど違憲的な独裁的行為であるかということから目をそらしたために、本当の抵抗はなかった。
 アメリカ全土が、ここ数ヶ月間、ある程度の全体主義的支配下にある。
私たちは、最も専制的な知事たちが現在の立場を固めてさらに権力を掌握する前に正常な状態への移行をすぐに開始する必要がある。
 アメリカでも 7人の勇気ある知事たちはいた。この緊急事態の間の、最悪の権力の乱用に抵抗し、その 7州だけは全州のロックダウンを命じなかった。
 うまくいけば、その知事のうちの少なくとも 1人なら、コロナウイルスの以前と同じような生活を人々ができるようにすることで、アメリカを現在の抑圧状態から脱却させることができるかもしれない。
 自由国家は、市民の自由を守るために市民の権利が二度と剥奪されないことを保証するために、知事、立法府、郡および市による緊急命令の将来の使用を禁止する憲法改正を制定しなければならない。
 緊急命令は、パンデミックや自然災害の際の権力の乱用を明らかに招く。
 多くの知事たちの行動はとても悪いものだったが、テキサス州ガルベストン市の場合のように、さらに厳しい制限を課した郡の役人、市長、市議会が多くある。
 かつては当たり前だったアメリカ人の生活、コロナウイルス以前の自由な生活。そこに私たちを戻すことができない州が 1つでもあれば、戒厳令は恒久的な生き方になり、全体主義の支配下となる。
 もしそうなったなら、あとは下り坂を転げ落ちていくだけだ。
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