舩井幸雄さんが2014年1月19日に81才で亡くなられています。私が20数年前に彼の著書に出逢い、ある意味怪しい世界?に興味を抱いて、いろいろな方面への学びの始まりのきっかけを頂きました。ある意味ではこのような世界への扉を開くきっかけを頂いたのが舩井幸雄さんだったようです。ですから当時の舩井オープンワールド等にも参加をして多彩な情報に触れていました。
そこで始まったご縁が、トータルヘルスデザインの近藤洋一さん、天外伺郎さん、黒沢吾耶さん等です。後で知ったのですが、佐藤政二先生も舩井さんとご縁があり、生体エネルギーには特段の関心を示していて、舩井勝仁さんがアメリカから帰って来たばかりの頃に数か月にわたり佐藤先生の処に住み込みで研修に派遣されていたとのことでした。
また、初期のころの秋期特別セミナーには数年にわたり舩井幸雄さんが特別講演をして下さっていました。そんな経緯も有って舩井勝仁さんが生体エネルギーの勉強会にも定期的に参加されています。佐藤先生も勝仁さんの能力を評価され、これからも更に磨き上げることを願っておられて種々の協力支援をして下さっているようです。
さて、ウイキぺデイアによると舩井幸雄さんの思想は以下のように記されています。
「“気”、“波動”、“宇宙意識との調和”、“潜在意識の開発”、“あの世”などの宗教的なキーワードをよく使う。出口王仁三郎、日月神示、プラス思考の影響が強い。
船井が伝えたいポイントは、著作によりまちまちだが、表現を変えながらも繰り返し勧めるキーワードは、「素直、プラス発想、勉強好き、なら成功する」「全ての物事に感謝しながら生きよ」「短所を見ず、長所を伸ばせ」「人からもらうことより人に与えることを考えよ」「思いは実現する」(プラス思考)「全ては「必要」「必然」「ベスト」」「過去オール善」などである。
一方で、亡くなる直前の2014年1月6日に自身サイトで公開した文章では『いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。』と述べている[2]。」
ここの最後の部分の脚注[2]は 舩井幸雄.com - 2014年1月6日「いま一番知らせたいこと、言いたいこと」からの引用です。最近はほとんど舩井幸雄さんの事については情報に触れていませんでしたが、このブログを書くにあたって初めて目にしたものです。
その舩井幸雄comの内容の一部を紹介しますが以下でした。
「2014年1月7日 今年のポイント
皆さま、明けましておめでとうございます。
2014年の正月を心から祝いたいと思います。
私の拙い直感力では、今年は変化の年になるだろうと思います。ただ、いま、直感力がするどくなっています。
まず日本の政治ですが、ワンマンで、ばらまき型、インフレ志向の安倍内閣は、壊れる可能性が強いでしょう。
お金の値打ちを下げ、失業者は別にしても、収入がふえず、大多数の中小零細業者が困りつつある現状は、浅はかな安倍晋三さんへの過大な期待にあったことに、大多数の国民が気づくはずです。今年は安倍内閣の支持率は30-40%に下がるでしょう。しかも早急にです。
経済的には、一部の輸出型大企業は別にして、エネルギーなどの輸入で物価が上がり、これも庶民にまではっきり分ると思います。それに消費税の増税で、かなりの「てんやわんや」となるように思われます。増税はこわいですよ。
それ以外の面でも、不満が国民からとび出し、絶対多数にあぐらをかく自民党政権を心底からゆさぶると思います。
日本は本来、技術的にもすばらしく、国民は勤勉、質素な特性を持っています。ただマスメディアが、安倍政権一辺倒なので、去年は判断を狂わされましたが、多くの国民は、そのことに今年は目覚めるでしょう。
一方、世界的には、アメリカの不況はどうにもならないし、中国も問題をかかえすぎであることが分ります。EUも寄せ集め国家連合の歪みが、あちらこちらで火を噴き出し、やはり先進国で安定しているのは日本であるらしいことにも、日本人は気づくと思われます。
こんな年にどう生きるべきか……ということですが、日本人は、勤勉、質素で、技術指向がやはり国民性からみて第一の特性でしょう。これを活かすことです。
ついで、本当のことを実感として知り、それの可否を調べることだと思います。マスメディアの発言は半分は問題外にしてください。それよりも自分の感覚でつかんで、調べ、そして本当のことを知ってほしいのです。
現実に地に足をつけて考えてほしいのです。
いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。そうしますと、「あっ」と、びっくりするほど、自分のしていたムダに気づくでしょう。間違いも分ると思います。
いずれにしましても、今年こそは、地に足のついたよい仲間をつくり、仲間間で助けあい、地道に生きてほしいのです。一人ではムリだと思います。
いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。
ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。
ただ、将来への夢と希望は忘れないようにしてくださいね。これらは大事です。
いま半病人の私は、直感が冴えています。
それゆえ、多分、ここに書いたようになるでしょう。 ……と思っています。」
この年頭所感にはとても大きなメッセージが記されているように思います。多分この事を受けて、勝仁さんが今回の舩井さきがけをお父さんのころとは違った意味で、また単なる追悼の会ではなく、新たな門出として企画された様に思いました。
舩井幸雄さんの最後に書かれた舩井幸雄com2014年1月28日は以下のものですが、亡くなられてから公表されています。
「死を考え続けた12/25~1/12の私の心身状況
私は先月(2012年12月)25日からきょうの午前中(1月12日午前中)まで、病院や医師のところへ行く以外、ほとんどBEDに伏せたきりでした。
これは今月(1月)28日のHPの発信文ですが、今朝、歯科医師のところへ行き、もどって来てから、この貴重な記録をとりあえず残しておこうと、ペンを走らせはじめたのです。
この間は、テレビ、パソコンなどはもとより、来た多くの年賀状も、誕生日祝いにも一切目を通さず、もちろん文字も書かず、BEDに伏せたきりというより、それ以外には、カラダがどうにもならなかったのです。
ただ、最低限、大至急必要とする1日に4-5枚のFAXに目を通し、その返事だけを書きました。
この間に毎日来た何十枚か百枚をこえるFAXは机の上に積んだままになっています。
そして、毎日、いつ死ぬのか……とのみ、横になって考えていました。
といっても、横になるのも大変でした。あちらこちらが痛く、特に右下第2臼歯の根尖性歯周炎は「究極の歯痛」と言われるだけに「睡れる」というような状態でなく、喰べにくいし、話せないので、痛みに耐えかねて、BEDの中でも身も心もおきどころのない状態でした。痛みどめ(ボルタレン)も、あまり効果がなかったようです。
当然、自らも体力の衰えがよく分り、立って歩くと足元がふらつきます。
今朝、歯科医師に、口内のその場所を消毒してもらい、ようやく痛みが一時的におさまったので、ペンを走らせはじめたのです。
もちろん、充分の手当はしてきました。この歯も順当なら1月16日に抜歯予定です。
それと、もう一つ私には、つらい病気がありました。オーラルジスキネジア(舌が自動的に上下、左右に動き回る)です。
舌が口内の左端や右端にくっついたり、上下動が止まらなくなり、これも、意図せずにおこるだけに、どうにも対処がむつかしく、神経内科の大学教授の主治医のアドバイスどおりには対応できず、いざオーラルジスキネジアの動きがはじまると、カラダをよじるほど痛く、毎日何時間かは、これに悩まされつづけました。
当然、少し症状がおちついた時は、目を閉じて考えることになります。
なぜこんなに苦しまねばならないのか? 思い切って死んでしまえばどうなるのか?
……できれば死んでしまいたいな? など……と。
どうすれば死ねるのか? ……自殺などはしたくない。
何にすがり、何にたよればよいのか……本当に大変でやむなくBEDに伏せたきり悶々としていたのです。こんな日々でした。
いつも勉強していたので、人の本質は死なない、カラダは死んでも私の本質は絶対に生きている……ということまでは分ります。
そのうちに、私とほぼ同じような病気をされ、それを乗り越え、現在大活躍中の人がいらっしゃることも1人だけ見つけました。
どうして、その人が元気になられたか……発病されたのが私よりも何十年も若い時だったこと、大変な苦労の末にそれを乗り越える強いパワーと意志を持たれたからのようですが、私には、とうていマネができそうにありません。
ここまで書きましたら、舌のジスキネジアが動き出し、痛みはじめました。
(少し楽になるまで、BEDに伏せります。(1月12日 pm0時12分)原稿も少しストップします。)
ところで私は、オーラルジスキネジアのため、ここ何年か人並みに飲食はしていません。家内がつくってくれる特製の柔らかい物しか口内を通らないのです。お酒なども何年も飲んでいません。
ヨダレにも悩まされています。
ただ、首から下は健康(?)なので、腹はへります。しかし少しでも喰べるのはそれなりに口内が痛いのです。でもそれをおして、1日に何回か喰べたくなります。事実、喰べています。それを実行していました。
生きることへの執着といいますか、「人体はすごいな」と思います。
こんな状態でも生きねばならないのか……どうして死ねないのか?
痛いのをムリして喰べ、またBEDに伏せながら何回も何十回も考えました。
BEDに伏せていても、昼は睡くないからです。
結局分りませんでした。
そのうち、死ぬ時になれば分るだろう……それまでは私の心身をお創り給い、いま、この苦痛を与えてくださる神さま(?)になるべく苦痛を少なくしてください……とおすがりするしか仕方がないと思うことにしました。他に考えようがないのです。
きょうもまた、これからBEDに伏せて、同じ質問を自分というか「神さま」にくりかえすことになると思います。
そして、例日のようにオーラルジスキネジアの痛さで、夕方にはのたうち回ることでしょう。
あらゆる考えうる手はやりました。
しかし、ここ何日か、それしか仕方がないのです。くり返しです。
そのうち、気が狂って、おかしくなるのかも分らないと思います。
それ故、病気の辛さとその体験、そして究極は人間は死を考えることを、きょうは綴りました。
この原稿が発信される1月28日までに、少しでもよい方に私の実情の変ることを期待して、ありのままの昨年末からきょう(1月12日)までの自分の心身の状況を告白しました。よろしく。」
しかし1月19日に鬼籍の人となってしまいました。最期の病苦との苦悩の様子が分かります。舩井幸雄さんに色々な評価がありますが大きな役割があった方に思います。そんな方の遺志を継承したご子息の勝仁さんには進化、発展させて新たな次元の扉を開く役割を期待します。佐藤政二先生もそのようなお気持ちで今回の舩井さきがけには臨まれたように感じました。
1日目の最初の大ホールでの講師は江本勝さんでしたが、10月17日に71才で急逝されていたので舩井勝仁さんとご子息が登壇され江本勝さんの追悼のお話になりました。明らかに時代の主役は変わって来ています。