2014年12月7日日曜日

374「発動2」2014,12,6

  11月23日は快晴です。仙台駅に7時半に集合してバスでいよいよ宮沢賢治と縄文の旅に出発です。参加者は神人さん含めて総勢14名ですが何故か大型バスです。一人二席をとっても悠々の快適な車中でした。
 最初に神人さんから出発のご挨拶を頂き、目指す最初の目的地は岩手県奥州市江刺区にある種山高原の物見山です。



 この地は宮沢賢治所縁の地です。賢治の作品の「種山ヶ原」や「風の又三郎」そして「銀河鉄道の夜」などの舞台になったところです。この高原は牧草地には牛が放牧され、物見山からは360度の大パノラマが広がる将に天空の緑の大地です。賢治はこの牧歌的な風景に魅せられて、多くのインスピレーションを生んで、大きくイメージを膨らませた世界です。賢治が何度も足を運び、こよなく愛した地と言われていて、賢治の記念碑もあります。
 しかし東北自動車道の水沢インターから下りて1時間半ほどかかりますのでなかなか訪れる方も少ない穴場です。11月下旬ですから雪を心配していましたが道中はスムーズに進んで行きました。

 車中、神人さんとの会話の中でアテルイ、賢治のことでいろいろお聞き出来たことがあります。メモの走り書きにある内容は以下です。
「アテルイは成仏していて、何度か転生している。自分の事を伝える学者の様なことをしている。彼は人格者だ。本質の事を伝えて憂さを晴らそうとしているようだ。」
 
「賢治は日本以外にすでに2回転生している。1回目は幼少のころに亡くなっている。今は女性として生きている。女性アーティストで、白人で欧州、中央アジアあたりで自分があまり聞きなれない国にいる。とても多才な人で、いずれ日本と繋がる。霊感があり、かつて日本にいたことを知っている。
 賢治は霊感を使っていたが言わないで生きた。短命と解っていた。美しいと考える様に務めた。そして美しい生き方を心がけた。その思いが次の転生に強く刻まれて、最初の転生では短命だった。愛する人と短い生だったので今世では長生きする。」

 種山に向かう途中、同じ江刺区伊手の国道の右手に義経と弁慶たちが平泉から逃げる途中に立ち寄って休息をしたという源休館跡があります。そのあたりで神人さんに義経の北帰行伝説の話し、ここが所縁の地だとお伝えしました。そこから神人さんと義経が繋がった様でいろいろお話して下さいました。
「義経は未浄化のようだ。能力があったが頼朝の腹心の部下と軋轢があり、頼朝との間に怨恨があった。義経は平泉で死んでおらず、逃げ延びてこの地を通ったようだ。山道を抜けて太平洋に出て、青森から北海道に行った。その厳しい自然の中で耐えられずに岩手に戻ってきた。大陸には渡っていないようだ。この岩手の地でひっそりと暮らしていた。この岩手の地が気に入っていたようだ。しかし山に登った時に岩から落ちて怪我をしてしまい、その予後不良で亡くなった。」
 私が義経は岩手県宮古市あたりから青森県八戸市種差あたりに船で渡っていて、八戸に逗留していた時にその地で設けた娘のこと、そして悲恋で逃れ心中した椿山心中の逸話があることを伝えると。
「船でなく山道を歩いたようだ。義経は各所で自分の子供を沢山作った。それは己の遺伝子、思いを後世に伝えたいという事だ。しかし、子達は義経の子と言う事を表にすると迫害されることを恐れて思いを遂げられず、再興は出来ないままに絶えたようだ。」とのことです。
 椿山心中とは以下のことです。
「義経は八戸滞在中、地元の豪族佐藤家の娘と深い仲になり、娘は鶴姫を産む。義経が既に北へ旅立った後の話である。歳月が流れて、成長した姫が恋に落ちる。相手は地元の阿部七郎という武士である。しかし、阿部家は頼朝に仕える身であり、義経の遺児との結婚など不可能。思い余った2人は、話にだけ聞く義経を慕って蝦夷地への逃避行を図ろうとする。そして夏泊まで来たとき、追っ手が迫った。2人は半島の絶壁で胸を刺し違えて、海に飛び込んだのである。
 阿部と鶴姫が自決した夏泊半島(青森県東津軽郡)の椿山は、全山が1万数千本の椿でおおわれ、4月下旬から6月上旬にかけて、丘陵一帯が真紅に染まるのです。しかし、白椿は全然ないのです。それは、阿部と鶴姫の血潮で染まったためであると言い伝えられているのです。
 そして、冬になれば毎年、浅所海岸にシベリアから白鳥が飛来し、純白の雪景色の世界に飛翔する白鳥の姿には、生命の輝きが感じられます。これらの白鳥は、鶴姫の父・義経の霊魂が化したもので、非業の死をとげた鶴姫をなぐさめるために毎年決まって飛来するといわれています。」

 種山ヶ原は山に登る程に雲が出てガスに覆われています。駐車場から20分ほど山道を登ります。中腹からいつも綺麗に見えるモナドノックス(残丘)の巨石も見えません。しかし、近づいて全容が明らかになると神人さんから、これは凄いと声が上がりました。岩に上がりポーズがしっかり決まっています。寒風にさらされながら皆さん銀河鉄道の宇宙へ向かう発射台と思える北に向かってそそり立つ巨石を満喫頂きました。




 神人さんは物見山山頂の方に魅かれた様でそちらに登って行きたいと言います。山頂近くに巨石が二つ並んで横たわっていて、こちらもとてもきにいったようです。その岩に仰向けに横になり天を望む神人さんは、この地で賢治もこのようにしていたのではと言います。天と繋がる格好のポイントです。私も横になりましたが心地良いエネルギーです。
 




キリも晴れて下界が見えてきました。高原の牧場が綺麗に見えますが、ところどころ積雪もあります。今年最後の登山チャンスだったようです。もう直ぐ雪山に変わります。途中の星座の森の施設は既に休業で閉鎖されていました。

 賢治の愛した自然の天空の世界を満喫して一路、バスは遠野市に向かいます。車中で賢治の話しになりました。賢治からのメッセージの様な以下の言葉がありました。
「渾沌とした世に 木々をかき分け走り 猿けもののごとく。
 雲をかき分け 光の精を辿る 早や鳥の様に、
 苦しみという海の底をかき分け 鱗を光らす魚の様に、 
 我が身あらねば 何事も成就させぬごとし。
 聞こゆるそのことは 言葉のままに 我が身を処す。
 この地の恩恵を慈しみ ただ思いを発っせり。
 つまらんことを申した。」

 神人さんは更に賢治のことについて以下のように話されました。
「賢治は表現することが好きで、自然に真理を読み解く芸術家として、それを声として聞こえていた。文字や絵に表現する事が好きで霊視出来た。」と。

 昼食は遠野市内の伊藤家というところで頂きました。南部遠野氏の居城跡の山が見えます。豪華なお蕎麦月のお弁当をいただきました。神人さんはビーガンですから動物性を食べませんので別メニューの山菜蕎麦とおにぎりです。かなりなボリュウムでしたが完食されたのですが後で食べ過ぎで難儀していました。神人さんは消化器を労わり休める事がこれからも必要なようです。






 別棟のお土産屋さんで買い物を楽しんで午後の最初の目的地は遠野市内から20分ほどの続石です。