2015年6月12日金曜日

446「無始2」2015,6,11

 大和農場でも楽しい植物さん達とのお話をお聞きできました。大和のお話をする前に、
 名取農場のハウスであったお話をお伝えすることを忘れていましたので、先に触れます。
 
 名取農場のハウスに入って奥を見ていたみゆきさんが突然、賢治さんだといいます。久しぶりにお顔を見たとのことで、じゃがいもさんのようなお顔だったようです。
「これまでいろいろありがとう。今日も話題に上げてくれてありがとう。私もここのような農業をやりたかったんだ。」と賢治さんが言っているといいます。
名取農場では、生態系生体システムプログラム農法をかれこれ9年行ってきています。しっかりと科学的な分析を踏まえて計量化し必要なものを投入し素晴らしいエネルギー高い農作物の栽培が出来ています。賢治さんもこのような農業を普及したかったのかと思い、より親近感が増しました。
 
 また、仙台駅から名取に向かう車中で、実は賢治さんのお話がありました。それは、大和農場のハウスの工事をお願いした担当の方が、私の医院に打ち合わせに来たときに、賢治さんの写真を私の机の上に飾っているのを見て、後で次のような経緯を話してくれました。

 実は彼のお母さんの実家が花巻でおじいさんが、賢治さんが開設した、羅須地人協会の生徒さんだったといいます。数少ない賢治の教えを受けて農業をしていた方のようで、おじいさんからその当時の話を聞いていたということでした。この出会いはまだみゆきさんにお伝えしていなかったのです。
 私の飾ってある写真は賢治さんの奉職していた花巻農学校(現在は花巻農業高校)に勤務していたKさんからいただいたもので、農学校で記念に作成したものです。彼女は13年の長きにわたり農業高校に勤務していましたが昨年転勤で盛岡に移りました。花巻に勤務のころは何度も案内していただき、みゆきさんも訪問していました。みゆきさんによると、Kさんは賢治の妹の、としさんと縁が深いようです。

 大和農場に到着早々に、大和亭の前に設置されたトレイラーハウスにみゆきさん驚きの声を上げられました。1年ぶりの大和の世界は大きく変化しています。ハウスの中を見て、設置の経緯を聞いて素晴らしいと興味深々です。特にウッドデッキパーゴラの景観は気に入ったようです。これからの活用にいろいろ楽しい話題が弾みました。
 
SATOMIガーデンはかなり配置を換えて拡張途中ですが、綺麗な花々がみゆきさんをお迎えです。椿の木を切ってもう少しすっきりしたいとの思いを聞いていただきましたら、椿さんも良いといってくださり、また一段と整います。さるすべりも元気になってきていて、木々、花々のみなさんがこのガーデンで私たちに愛でて頂くことがうれしいようです。いつも大事に、お話しながら手入れしているSさんの心が通っているのでしょう。


 庭から一段下がった畑の中の芍薬は綺麗に大輪の花を咲かせています。一際、大きくスクット伸び、鮮やかに咲き誇る芍薬にみゆきさんが話をききました。
  「この芍薬は気位が高いようですよ。これまで、大切に扱い、育ててくれて感謝していますよ。そしてSさんは気質が私に似ているようだと芍薬が言っています。これから隣のそこの芍薬の様な花をこれから沢山咲かせる、とも言っていますよ。」
その傍の示された芍薬は綺麗に花開き、高貴な奥深い、味わい深い匂いを醸しだしています。他の花の匂いを嗅いで比べてみると、一番素敵な芳醇な味わいで、花びらもバランスよく綺麗にそろっています。

 この気位の高い芍薬さんはこの時に芍薬女王様と命名させていただくことになりました。名取農場のにんにく大王と大和農場の芍薬女王様のお二人がそろいました。この大和の地をかつて古のころ治めていたのは女性の長でした。脈々とその継承がなされているのでしょう。
 これからも楽しいSさんのガーデニングと農場作業がこの地でなされていくことでしょう。次回、またみゆきさんの訪問が待ち遠しいことです。

 話が弾んであっという間に15時20分です。16時に宮城県美術館での個展準備打ち合わせに間にあわせなければなりません。名残惜しいのですが出発の時間です。
 快適な高速ドライブで美術館に16時丁度に到着できました。みゆきさんの用事が済むまで私たちは遅いランチを美術館の中のレストランでいただきました。程なくしてみゆきさんも用件を済ませて合流です。

 明日の個展に当初予定に無かった、桜の大きな絵も急遽、明日朝までに搬入することになったとか。準備万端整い、明日を待つばかりです。皆さんで食べ終わり丁度17時の閉館時間になりました。
 あわの里天命舎に移動して18時半からの講演会までお話の続きです。

 昨年、みゆきさんが仙台にお越しになったとき、「あけの歌」がみゆきさんに現れていました。それまで断片的に言葉が来ていたようですが仙台へ来る直前にまとまったようです。
 川崎町の支倉常長の菩提寺の円福寺を訪れ、その山手にある上楯城本丸跡でみゆきさんが口ずさみ、その後に訪れた大和農場のお不動さんの滝の前で初めて歌われました。その時の歌を録音させていただきました。その翌日バスで巡った旅の中で、牡鹿半島の支倉常長が船出した月の浦で、皆さんの前でもご披露くださいました。その時の様子は以下のブログを参照ください。
(314「日本人の役割1」2014,6,17 315「日本人の役割2」2014,6,18  )
http://tenmei999.blogspot.jp/2014/06/3142014617.html
http://tenmei999.blogspot.jp/2014/06/3152014618.html

 歌詞はその時コピーをいただいており、録音した歌をSさんが楽譜に落としてくださり、それをみゆきさんに差し上げていたのです。そしたらあれよあれよの間に、このあけの歌が雅楽として世に認められて一般社団法人「あけのうた雅楽振興会」が誕生してしまいました。時代の要請で必要な時に新しい時代にと道開く響きと位置づけられたのでした。凄いことですし、その展開の速さには驚きです。詳しくは以下のHPをご覧ください。
一般社団法人「あけのうた雅楽振興会」http://www.akenoutagagaku.com/