2015年6月30日火曜日

454「出羽巡り5」2015.6.29

 この巡りも最終日の15日を迎えました。今日は秋田県の南に鎮座する名峰、東鳥海山と神室山、鳥海山を巡り、山形県に抜けて仙台に帰る括りの巡りです。果たして如何なことが待っているのでしょうか。
 宿を8時に出発して目指すは東鳥海山です。標高777mで、数字の並びにも何かありそうな感じです。東鳥海山について以下の表記があります。
「秋田県湯沢市の南東にある東鳥海山は、権現山とも呼ばれる信仰の山で、山頂には東鳥海山神社が祭られている。延暦20年(801)に坂上田村麻呂が、奥州征伐の際、戦勝祈願のために創建したと伝えられる古い社である。
 山容が西方の鳥海山に似ていることや、山頂に「鳥ノ海」と呼ばれる窪地があることなどから、東鳥海山と呼ばれるようになった。」
「古名は「雄鬼骨山」(おしこほねやま)地元では「権現山」(ごんげんさん)と言われている。西の鳥海山に対して東鳥海山とされている。また、鳥海山・神室山・東鳥海山で三姉妹といわれている。御神体が薬師仏で、古来、県南の田の神様として、農民の信仰が篤く、春は豊作祈願、秋は米穀の収穫感謝のため権現参りでにぎわった。」

 東鳥海山は数多くの伝説に包まれた神秘性に富む山で、秋田県南部に位置する鳥海山・神室山・東鳥海山は三姉妹で、一番低い東鳥海山が長姉、鳥海山が次女で神室山が三女だということです。神室山は別名、南鳥海山とも言われます。
 東鳥海神社はその創建は不詳ですが、「伝承によると延暦20年(801)、坂上田村麻呂が東夷東征の戦勝祈願の為勧請されたのが始まり」と伝えられています。
 山頂に奥宮がありますが、麓にある里宮であわ歌を響かせました。


そこでのお言葉です。

「遥かに望みたこの地へ参り、麗しき地は未だここにあり。
この地を守りて、新たなるへ向かう方々、どうぞ是よりは、ひたすら一つと成りなって、穏やかなる麗しき地をお作り下され。お頼み申す。」8:53


 神室山は山形県境に連なる山々の主峰で、連山を東北のミニアルプスとも言われます。
「神室山は、古来から山岳信仰の山として知られ、修験の山として鳥海山と並び称される存在であった。伝説によれば、坂上田村麻呂が東征のおりに開山したと伝えられている。鳥海山との結びつきが強く、祭神も同じ大物忌神である。また、神室山は水や農業の神として敬われ、人々は山に登っては五穀豊穣を祈っていた。」
 ここも坂上田村麻呂の縁深きところです。また神室山は標高1365mで、の古名が鏑山(カブラダケ)です。山頂にあるのが鏑山神社ですが遥拝殿のある役内会館にお邪魔しました。  


 役内部落の集会所に預けられている拝殿であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「いつの日かえるこの身なり。
 大きく柱をこの地の山に差込み、揺らがぬ地と成すは、皆々様の思いを一つと成し行きて、天地繋ぎて、平安となされ、麗しき地に嬉しきと成られませ。」10:15


 大きな願いがあるようですが、その動きを成す人がいないのでしょうか。かつての麗しき地への思いを天地繋いで平安を成すことが求められています。
引き続き、神室山の千代世神社へ向かいます。この神社も何ともいえない荒んだ感じの境内の印象です。是だけの名峰神室山なのにそれをしっかりお祀ることが必要と思いますが、なかなか難しいのでしょう。千代世(ちよせ)の名は、千代はせんだいとも読み、仙台はかつて千代と記されていこともあります。千代に八千代にの、君が代にもあります。



そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「さすらいたるなり。
 この大きなる地の方々、皆々その身を見失いて、遥かなるへのこの光をお忘れなり。
 響きと共成り。降る降る光、今まさにここにあるをしっかりと、この地も人も受け取られませ。」10:53


まさにお言葉通りに、さすらいたのでしょう。皆々その身を見失い、遥かなるへの光も忘れたとあります。光なくしては新たなることは成し行かれないように思います。
 少し沈んだ気分で次なる目的との岩井堂洞窟へ向かいました。

 岩井堂洞窟は縄文時代の洞窟遺跡ですが、以下のように記されています。
「岩井堂洞窟は、秋田県と山形県の県境、雄物川の最上流に合流する雄勝川右岸に所在する縄文時代の洞窟遺跡である。約80メートルに及ぶ凝灰岩の露頭に、大小4か所の洞窟(第1洞〜第4洞)が並んでおり、いずれも縄文時代に住居として利用され、各洞窟内及び前庭部に遺物の包含層が形成されている。」
 この遺跡は岩陰遺跡(いわかげいせき)と言われるもので、発掘された縄文土器、弥生土器などから縄文後期から長期間にわたり使用されていたようです。
「岩陰遺跡張り出した岩盤を屋根代わりに利用したことを特徴とする先史人類の生活の痕跡としての遺跡のことをいう。」
 鳥居の奥に岩山に洞窟があります。その前であわ歌を響かせました。


その時のお言葉です。
「遥かなるその時に、祈りたるは、
 ふーむーうー むー うんむうーむ うーむ パッパッパッ
 むー パッパッパッ
 おー おー おー
 この祈り、是よりの始を知らせること。その後、長き時祈りを成し行きて、大きく天地繋ぎたり。」11:40


中山さんが唇を合わせてパッ、パッとされます。古でのコミュニケーションツールだったのでしょうか。是よりの始まりを知らせて、長い時祈り、天地を繋いだとあります。果たして如何なものでしょうか。