2025年12月23日火曜日

4115「青空ひろば」2025.12.23

 今回は立花大敬さんの大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」の最新の記事を紹介します。


1597 2025.11.06 

Q.仏教でいう「空」とはどういうものなんでしょう?

A.

ぜひ「空」の体験をなさってください。一番簡単な方法は、坐禅しながら聞こえてくる「音」に注目します。「これ何ぞ?、これ何ぞ?」と音を奥へ奥へと探ってゆきます。そしてたどり着いたそのモノは、音ではありませんが、それナシでは、音が存在できない「白いキャンバス」のような存在です。その「白いキャンバス」があればこそ、音という色や形が存在できますし、もしあなたが、「音」とあわせて、その「音」を載せている「白いキャンバス」の「無音」も同時に聞くことができれば、これまでの平板的な音とはまったくちがった、立体的な「妙音」が聞こえてきて感動されるはずです。

それが芭蕉さんの「蛙とびこむ水の音」なのです。また、その「空」の白いキャンバスは、すべての存在(岩も、蝉も)のベースとなっている共通なものですから「岩にしみいる蝉の声」なのです。


1596 2025.11.04

Q.小乗仏教と大乗仏教の違いを教えてください。

A.

「小乗仏教」では、この世は苦しみの世で、罪けがれた誤りの世なのだとしています。 

ですから、一日でもはやく悟りを開いて、この苦悩の世界に対する執着心をなくして、この世界から脱出しなさいと教えます。

「灰身滅智(けしんめっち)」といって、この身は汚らわしい肉体なので、はやく燃やして灰にしたほうがいいんだ、この頭が生み出す考えは、すべて錯覚と妄想なので、頭なんてはやく切り捨てたほうがいいんだとします。

そして、今生(こんじょう)が地上生活の最後で、もう二度と地上に戻ってくる必要がなくなったという「アラカンの悟り」が最高の悟りで、悟りがそこまでいたらない人は、あと何回か地上に戻ってこなければならない。その戻らねばならない回数の多少が、小乗仏教の悟りの段階となっているのです。

そして、「小乗」とは、「小さな乗物」のことです。自分だけが乗れる車です。少しでもはやく地上世界を脱出したいものですから、障害物に邪魔されてもクルクル避けて進み、すばやく脱出出来るようにと、「小さな乗物」に乗車するわけです。定員一名のミニカーですから、家族や眷属は脱出の邪魔になります。ですから、小乗仏教は出家主義なのです。

大乗仏教の悟りは、「ひとついのちの自覚」です。すべての人や動植物や山や川(「万類」と呼んでおきましょう)が、実はみんな「私」だったんだと悟るのです。

そして、大乗仏教の学び(修行)とは、その「ひとついのちの悟り」を、地上に現実化してゆく過程のことです。この世に一人でも、万類がひとつでも苦悩したり、正常でない状態になっていたら、「私」は、まだ本当の「ひとついのちの悟り」を得ていないのです。

ですから、地上の万類がしあわせになるまで、私は何度でも地上世界に戻ってきて、私の車にすべての人を収容して平和と融合の世界へと運びます、という誓いを立てるのです。そんな誓いを立てた方が「大乗菩薩(ぼさつ)」です。万類を全員収容して運ぶのですから、「大きな乗物」でなければなりませんね。だから「大乗」なのです。

以下は、宮沢賢治さんの言葉です。この文章に大乗仏教のエッセンスが詰まっています(「農民芸術概論綱要」より)。

○ 世界がぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。

○ 新たな時代は世界が「一の意識になり、生物となる」方向にある。


1595 2025.11.03

<自らの心の状態を見事に分析された方に対して>

A.

とてもよく心理状態の分析をしておられて感心しました。その分析力は貴重な財産です。これからもしっかり育てていって下さい。きっと「いい人生道の教師」になられると思います。

ただひとつだけ、お忘れのなっていることがあります。

それは、人間は無力で、無知で、自らの願いを叶えるだけの力も、智慧も持たないということです。だからこそ、神や仏さまに、最後はお任せするしかない存在なのです。

努力は必要で、あれこれ工夫して、神に願いがどうすれば届くのか実験してください。しかし、やるだけやったら、もう最後は願いが叶う、叶わないも含めて、神さまに「まる投げ」すればいいのです。叶っても、叶わなくても、それは神さまの愛の表れ、きっとあなたにとって、それが「最善・最高」の結果なのだと信じることです。 

そう信じて、決してイライラしたりしないし、困ったとか思わないし、神を恨んだりしない、平安な心境になれたとき、あなたが望んでいたこと以上の、もっともっといいビッグサプライズプレゼントをきっと神さまが下さいます。


1594 2025.10.30

Q.すべての人やモノや自然が、懐かしくて、懐かしくて、愛しくてたまらなくなってきたのですが?

A.

「いのちの一体性」が分かってこられたのですね。素晴らしい「悟りの芽生え」をお持ちです。その「悟りの芽」を大切に育てて下さい。それを「聖胎長養(せいたい ちょうよう→お腹に宿した悟りの胎児を大切に大きく育てること)」と言います。

私が今飼っているイヌは、ボストンテリア10歳のメス、名前は「モン」です。鼻ぺチャのブサカワいいイヌです(16歳で天国に旅立ちました)。

散歩していると、よく人が寄ってきて可愛がってくれます。不思議なことには、うちのモンは、ヤンキーのお兄さんやお姉さんにとても人気があるのです。うちのイヌを可愛がってくれている場面の彼ら、彼女らの無邪気な笑顔は本当に美しいなあと思います。ツッパリの囲いなんて本当はないんだなあ、ワザワザ無理な努力をして「幻想のツッパリ囲い」を作っているのだなあと、しみじみ思います。

私も、そしてあなたも、「モン」のように、無邪気にふるまっていながら、なぜか人の「自我のツッパリ囲い」を自然にほどいてしまう人(ほどけ様)になりたいですね。


1593 2025.10.29 

Q.「私はイエスの生まれ変わりだ」と主張する人がいるのですが?

A.

私が皆さんに繰り返し説いているのは、実は「あなた」が釈迦だったのですよ、イエスキリストも実は「あなた」だったんですよということです。

いのちはひとつなのだから、過去の、現在の、未来の、すべての人が実は「あなた」なのです。

それが分かれば、特定の人が釈迦やイエスだといって崇拝したり、特別視したりするのはおかしいということがお分かりになるはずです。 

それに、そんなイエスキリストの生まれ変わりだと主張する方に、「本当はあなたはユダだったんではないですか?」と尋ねてごらんになって、その人がそれを否定して怒るようだと、その人はきっとニセキリストです。「いのちはひとつ」なのですから、イエスであるその人は同時にユダでもあるはずなのです。そんな「私のなかにユダがいる」ということも認め、受け入れ、愛し、抱擁してゆくようになれたのが「本当のイエスさま」なのです。