今回は立花大敬さんの「大敬ワンディー・メッセージ「青空ひろば」」から最新の記事を紹介します。
1602 2025.11.12 ~ 1613 2025.11.27
<黒住宗忠公の紹介>
・宗忠公は、日本的霊性復興の始めの人でした。それで、子の年、子の月、子の日、子の刻にお生まれになりました。
(註)
「子(ね)」は「十二支の始め(日本的霊性復活の始め)。
「音(ね)」は「<はじめに言葉あり>の言葉、世初音(ヨハネ)」。
「根(ね)」は「日本的霊性根ざしの始め」
宗忠公の四柱推命の命式(めいしき)は、陽のかけらもない全陰でした、これは易の坤(こん)の卦にあたります。生まれつきの性格は、とても暗い方であったのですね。
宗忠公は、一年で最も夜が長い、陰気が一番強い「冬至の日」に生まれました。
そして、結核を患い、死に直面した時、「冬至の日」に日の出の太陽を拝んで、太陽神霊が腹に宿り、「天命直授(てんめい じきじゅ)」されて、天から新たな命(いのち)を授かりました。
それ以来、性格が変わり、穏やかで明るい、よく笑う人になりました。人が慕って集まるようになり、それらの人の病が治ったり、元気になったり、運命が改善するようになりました。
あかつきはまだはるかなり高野山 かすかに照らす法(のり)の灯火(ともしび) 弘法大師
月は入り日はまだ出でぬあけぼのに われこそ道のしるべなりけれ
日蓮上人
むかし尊き人のみ歌にかんじ奉り、予が今の心をよめる
月は入り 日の今いづるあけぼのに 我こそみちのはじめ成りけれ
黒住宗忠公
<宗忠公の年譜>
1780年、備前国(岡山)の今村宮の禰宜(ねぎ)の家に生まれる。
今村宮のご祭神:天照大神,春日大神,八幡大神
19歳、「生きながら神とならん」という大志を抱く
(この年、天理教祖 中山ミキ生る)
24歳、伊勢参宮(当時、往復滞在で1ヶ月ほど要した)
33歳、父母、相次いで死去。
34歳、11月頃より臥床。次第に病が重くなり、死に瀕する。
35歳、11月11日(冬至の日)に天命直授(てんめいじきじゅ)され病気全快。
(この年、金光教祖 川手文治郎生まる)
36歳、講釈とまじない(ヒーリング)による布教開始
45歳、伊勢参宮
46歳、一千日参籠(おこもり)開始
49歳、一千日参籠満願
51歳、百社参り開始
52歳、伊勢参宮
54歳、伊勢参宮
56歳、伊勢参宮
66歳、伊勢参宮
伊勢の神官に「神前で何を願って祈っておられるのですか」という質問に対して、「私はほかに祈ることはありません。ただ天照大神さまの御開運を祈っています」と答えた。
70歳、病臥
71歳、死去
<宗忠公、天命直授前後のいきさつ>
○ 心の切り替え
(34歳)1月19日 両親の死去で傷心の末、病(肺結核)となり、医師も匙(さじ)を投げ、占いの結果も「必死」と出て、覚悟を決めて死を待った。
「自分は死んだら神となって、世の病に苦しむ人たちを救いたい」と心に誓った。
その時、ふと気付いた事。「自分は父母の死を悲しんで<陰気>になったために大病となったのだから、心さえ<陽気>になれば病は治るはずだ。せめて残る息のある間だけでも、そのように心を養うのが孝行である」と思い定め、有り難いこと、面白いこと、楽しいことに心を向けて、心を養うと、不思議なことには、その時を境にして病が次第に軽くなった。
○ 肺結核 癒される
(34歳)3月19日 入浴して日拝(にっぱい)したいと言い出した(妻はとめる)。
入浴を終えて縁側に這い出でて太陽を拝むと、太陽の陽気が肺腑に照り徹るように感じ、肺の病いが癒えたと実感した。
○ 天命直授
(35歳)11月11日(冬至の日の朝)、日拝すると、太陽の陽気が全身に浸透して満ち渡り、身に迫ってくる一団の温かい玉(魂、太陽神霊)をしっかり胸におさめ、まるごと呑み込んで腹に収まったと思うと、なんとも喩えようのない、さわやかな、よい気分になった。「笛を吹き、糸を調べ、金をたたき、鼓を鳴らして歌い舞うとも及びがたい」ほどの楽しさで、身心とみに快活となった。「天地生々(てんちせいせい)の霊機(いきもの)>を自得したと表現しておられる。
<宗忠公の講釈の一例(現代語意訳)>
「私の講釈は、何かの書物に基づいて説くということはなく、説くたびに<天命のままに説く>のですから、東と言ったかと思えば西と言い、
有ると言ったかと思うと無しと説いたりします。
ですから聞き様がとても大切なのです。学問がある人は、その学問を捨て、世に知られた智者、徳者であろうとも、持ち前の定規を捨て、一切、我を離れ(アタマの判断をしばらく止めて)、ただ一心に聴聞(ちょうもん、素直に、全身を耳にして聞くこと)されなければ、少しも聞こえません(宗忠公の波動を全身心に取り込んで自らの振動とすることが出来ない)。
およそ、天地の間に、万物を生み生かし養育される、その根源は、皆、天照大神(太陽神霊、日神)さまなのです。この日神さまこそ万物の親神(万物は日神さまによって生み出された日子)で、そこから放たれる御陽気が天地にみちわたり、一切万物が、その光明と温暖につつまれて生々養育されて息む時がないのです。まことにありがたいことではありませんか。
おのおのの全身に暖気があるのは、日神さまより授かっている『心』が備わっているゆえなのです(人の心と日神の心は結ばれて一つ)。
『心』は『こごる(凝る)』という語源で、日神さまの御陽気が凝結って『心』となったのです。
我欲や捻じ曲がった思いで『心』の純粋な陽気を覆って陰気にしてしまわなければ、あなたがたの『心』は、日神さまの『心』と一体なのです(そうすれば、「陽気暮らし」が開けてきて,「あいよかけよ」の「日の寄進」への道が伸びてくる)。
『心』が主人(原因)で、形(現象)は家来なのです。悟れば『心』が身を使い、迷えば身が『心』を使います。
どんなつらいことが形の世界(結果の世界)に現れても、そんな形の事は打ち忘れて、『心』だけは日神さまのおぼしめしにお任せして、見ること、聞くことをおろそかにせず、一々味わってありがたさをかみ締め、昼夜、ありがたいこと、嬉しいことに『心』を寄せる。そうすると日神さまの御陽気が次第次第に貯えられてくるので、その日神さまから賜った御陽気をしっかり下腹に収め、天地と共に気を養い、面白く、楽しく、『心』がたるむことがないように(陽気の充電切れにならないように)生きてゆくと、活き活き伸び伸びした、しあわせな人生が送れるようになるのです。
活き活き生きるが日神さまの道、面白く楽しく生きてほしいと願っておられるのが日神さまの御心なのです(イノチの本来性)。
そのように生きられるようになれば、アタマであれこれ思量分別しなくても、人生の歩み方の教えは天より降り、私たちが進むべき道は自然と天より示されます(充ち満ちてあふるるものが道となり これを歩めと伸びてゆくなり)。
日神さまと一心同体に生きてゆくという誠を取り外してはいけません。
天の任せなさい。我欲を離れなさい。命の内側からフツフツとあふれ出してくる日神さまの御陽気に従って道を歩みなさい。
古の聖人方の『心』には形がありません(無心)。今の私たちの『心』にも、本来、形はありません。
『心』のみとなって形(現象)を忘れる時は、今も神代、神代今日。
世の中のことは『心』ほどづつのことなのです。
『心』が神になれば即ち神です。
この左京(宗忠公の本名、宗忠は名乗り)が瀬踏みをしましょう。皆々私についておいでなさい。
スウェーデンボルグ(1688-1772)によると、天界の中央に不動の「太陽神霊」が存在しており、その太陽から光(智慧)と熱(愛)が地上世界に注がれているのです。
人(万物)はそのおかげでイノチを得ています。これを神道では「日足し(ひたし)」と呼んでいます。「ひたし」とは、養育することです。私たちがイノチを存続して成長してゆけるのは、太陽神霊の養いによるのです。
人にはその「太陽神霊」から注がれる智慧の光と愛の熱量を受け入れる器である「天の御蔭(あめのみかげ)」と「日の御蔭(ひのみかげ)」という器が、生まれつき備わっています。「御蔭」は「倉庫」という意味です。
「天の御蔭」は太陽神霊から届くメッセージを貯え、「日の御蔭」は太陽神霊から届く生命エネルギーを貯えます。
また、最高天界の神殿は簡素な木造なのだそうです。下のレベルの天界ほど、神殿は荘厳な石造だったとスウェーデンボルグは報告しています。これは、下の天界ではまだ他と張り合う気持ちがまだ残っているので、その心境が投影されてそのようになるのでしょう。
伊勢神宮は、一見素朴な木造で、これは最高天界の神殿を地上界に映し(移し)たものだと思います。
また、天界の住人は顔を常に霊界の太陽に向けており(これが神道の「面白(おもしろ)」=顔が太陽光を受けて著しく輝いている様子)、地獄界の住人は顔を常に霊界の太陽から背けているのだそうです。
そして、天界の住人も旅行するのですが、どの方向に向って進んでも、常に面前に太陽があるのだから、天界の住人の歩みは常に太陽に向う歩みとなるのですね。これが神道の「日向(ひむか)」ですね。
地獄界の住民の歩みは天界の逆で、常に霊界の太陽に背を向けて進むことになって、ますます暗い世界に向かってしまうのです。
<宗忠公のまじない法(ヒーリング)>
① 下腹に陽気を収める。
「何事も天命にお任せ、とかく下腹に御心をしずめ、すなわち雷復の卦の如くに陽気自然と発し候ようになされ候えば、開運なされずと申候事御座なく候」
② 患部に手を当てる。
③ 陽気を吹きかける。
「有るものは皆吹き払え 大空の無きこそ元の住家(すみか)なりけれ」と称える。
④ 遠隔にいる人のために祈れば「幸魂(さきみたま)」が往って働く。
⑤ 言葉の力。形は死に物、心こそがイキモノ。形のことはとにもかくにも、心にオミキ(お神酒,お三キ)を供えることを忘れないように。
(註)「お三キ」とは、
有がたキ また面白キ 嬉しキと みキ(三つの「き」、御神酒)をそのふ(供ふ)ぞ信(まこと)成りけれ
⑥ 「笑い」修行。これで肺病の人が快癒した。
⑦ 「ありがたし」を繰り返し称える行 岡山藩の高禄の家来の癩病(ライ病)がこの行で快癒した。
<宗忠公の教え まとめ>
・人は天照大神の「御心」を分与されている→人の「心」と天照大神の「心」は今もひとつに結ばれている。
・各人の「心」の本来性は「陽気・生々・創造」である。
・人の「腹立ち」、「物思い・煩い」が「心」を覆い「陰気」にする。
・「陰気」は生命力の減退させ、おっくうになり、身心の病や不幸な出来事を引き寄せる。
・「心を養う」ことが大切。養う方法は、
a.無心を養う(坐禅、お経・祝詞、寺社参拝)
b.今・ココを、丁寧に味わう
c.「ミキ(有難き・面白き・嬉しき)」をお供えする。
d.「難有りが有難し」とすぐ切り換える。
(完)
1601 2025.11.11
<人生が暗闇の時の心得>
・日の出前の夜闇が一番暗いことを知っておこう。絶望しないで…。
・日は必ず昇る(それが「天の循環の理」)という明るい希望を捨てないように。
呪文「一陽来復(いちよう らいふく)、きっとよくなる。ドンドンよくなる」
・日の出が始まったと、先走りしてとび出してはいけない。「陽気」が定まるまで、じっくり準備し、計画を練っておくこと(反復練習)。
・あせって暴走しがちな時期になった。脱線したと気付いたら、早めに撤退してもとの位置に復帰すること。
・気を降下させる。下腹部と足で呼吸するとイメージする。
・日の出を拝み、太陽を腹に収めるとイメージする。
・「坤(大地)」のオオクニヌシ様,「震(雷)」の天神(またはスサノヲ)様,「陽(日)」のアマテラス様の三社参りをする。
1599 2025.11.09 ~ 1600 2025.11.10
Q.「鎮魂祭」ではどんな神事が行われているのですか?
A.
(1)宇気槽の儀(うきふねのぎ):宇気槽という名の箱に女官が乗って、桙(ほこ)で宇気槽の底を10回突く(「猿女(さるめ)の鎮魂」)。
(2)魂振の儀(たまふりのぎ):天皇の衣装を左右に10回振る。
<応用1>箱の中に自ら(元気を回復させたい人)の写真を収め、
(1)「鎮魂の数歌」を称えながら、箱を10回突く(その人の魂を活性化させる行事)。
(2)「鎮魂の数歌」を称えながら、箱を10回揺する(その人の元気を揺り起こす行事)。
<鎮魂の数歌>
一二三四(ひふみよ) 五六七八(いむなや) 九十(ここのたり) 百千萬(ももちよろうず)
(意味):日踏みよ 嫌むなや 個々の足り 百霊(力)結集
<「鎮魂祭」の 応用2>
(1)日の出の太陽を拝み、太陽神霊を腹に収めるとイメージする。
(2)「一陽来復(いちよう らいふく)」と称える(黙称する)。
(註)百日行うとおかげがあると、古来伝えられています。(完)
1598 2025.11.08
Q.「鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)」とは、どういうお祀りですか?
A.
冬至の頃に、弱りきった天皇さまの体内の太陽神霊を復活させるために宮中で行われる祭りです。石上神宮(奈良県)、彌彦神社(新潟県)、物部神社(島根県)でも同様の神事が行われています。