2026年1月31日土曜日

4154「神仕組みに気づく」2026.1.31

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月16日の記事を紹介します。


「神仕組みに気づく」


神様はどなたの中にもいらっしゃいます。 

そして私達を護ったり導いたり、生まれる前に決めてきたシナリオ通りのことが

ジャストなタイミングで起こるように調整したり、

様々な働きをしてくださっています。 

小学生の神様トキ君が言うように

いつも、どんな時でもニコニコと、感謝の気持ちでいれば、

神様はスムーズに神仕組みをなさってくださいます。 

その時は、ヒラメキや、直感を信じ、心がワクワク、喜ぶ方向へ進んでいくだけです。 

また神様を信じてさえいれば、

今日のお話のように神仕組みの片りんに気づくこともできます。 

特に神社参拝などに行った時は、アンテナを張り巡らして、

外応をキャッチされるのをお勧めします。 

また、賛否両論ありますが、些細なこと(現象)でも、

神々に感謝し、喜ぶことをお勧めしています。

それは、そのことを、 

特別扱いとか、威張るとか、自慢するとか、有頂天になるとか、

そんな下世話な意味ではありません。

奴奈川姫(大国主命の妻)と日本一の大ウス祭り 

そのあたりのことを小林正観さんが、書いていますのでご紹介します。

<引用開始> 引用元

偶然を書きためる

神さまの存在は、誰でも感じることは出来ます。

正観さんの方法は、ノートに記すことから始まります。

・偶然のようで 偶然に起こった現象。

・偶然じゃないけれど偶然のような面白い現象。 

これら偶然を書きためます。

正観さんは、40年で1000件。

1年で25個。1ヶ月にすると平均2個ぐらいあったそうです。

・色々な偶然を面白がる。

・その際、他人の評価は気にしない。 

自分が面白いと感じたもの。

それが100件以上になったら試してみるといいですよ、と仰いました。

・例えば落ち込んだりした時

・自己嫌悪に陥ったりとか

・嫌味を言われたときなど

ノートを広げてみて、過去の全ての偶然を見てみます。

そうすると、それらは、決して偶然ではなく

全て一連の流れとして、起こされている現象であった・・ 

神々の意図を感じることができるからです。

そうすると

「自分は神様に好かれているみたいだ」

ということが分かってくるんです

多くの現象を眺めてみると、自分がどれ程神さまに好かれているか、

愛されているかということに気づきます。

講演会で、このお話の最中に不思議な現象が発生しました。

「絶対に神さまが嫌っているという結論にはならない」

このフレーズを言ったとき、正観さんの携帯電話が突然鳴ったのです。

この電話、機種変更で番号は生きているが、一年前から使っていないものでした。 

その電話が、偶然に、「偶然のお話の最中に」、

講演会の最中にけたたましくなったのです。 

不思議。不思議。神さまの承認の呼び出し音か。

このような、「偶然を見つけ、喜ぶ」という態度は、

偶然の現象の奥に「恵んでくださっている存在」を見出すこと、

感謝することになります。

この時、講演会で、事例を二つ紹介くださいました。

正観さん誕生日11月9日。野口英世も11月9日。

正観さんが新千円札を始めてみた日が11月9日。

お札の顔 野口英世博士は微笑んでいる、

かどうかは別として、面白いと楽しむ、ということ。

仙台と盛岡間 車で高速道路 送ってもらう。

走っていて偶然にある車のすぐ後についた。

その車の ナンバープレート 1259。

運転していた人が喜んで教えてくれた。

その瞬間 時計を見ると12時59分。

わ~~~おと声をあげた。

ふたつともだから何? と誰か言っても関係ありません。

自分だけで、

・随分神さまに愛されているね。

・人生は面白いね。 

と、そう感じるだけで結構です。

その結果、神様は、 

・面白がる人には どんどん面白がる現象を

・楽しがる人には、どんどん楽しがる現象を

・幸せがるひとには どんどん幸せになる現象 を下さる。 

さらに大事なことは、感謝したがる人には

次々に感謝できるような現象を降らせてくれる・・ということです。

その時、質問がありました。

「神さまに好かれていない人。そのような人はいるんですか?」

すごく重要で、いい質問ですとおっしゃって、正観さんは、こう答えました。 

「全員神さまに愛されています。全員です」と強調しました。

実は神さまからもの凄く愛されている人だけが、

肉体をもらってこの世に人間として生まれている。

肉体を持って生まれたい魂が800億。

その魂は地上80kmあたりにいるらしいです。

その7%くらいの魂が地球に生まれてる。

その魂、つまり私たちは神さまに、お願いして お願いして 頼んで 頼んで、

生まれさせてもらってきた。

神さまから特別扱いで生まれさせてもらった。 

その人間がね、愚痴や泣き言ばかり言ってると、

地上の魂に「俺に変われ」と言われてしまう。

その怨念をかぶってしまうと、どうも寿命に影響が及ぶらしい。

不機嫌でいると体が壊れやすい。

地上の魂の想念が降りかかるのかもしれません。

喜んで楽しんでいる人は、寿命も長く、健康でいやすくなります。

すべての人間は、神さまに好かれている。

しかし、このことを知ってるか、知らないでいるかで、人生変わってしまう。

「神様に好かれている」

これを耳にする人は 0. 01%と少なく、地球全体では56万人。

日本人では1万人。

死ぬまでに、神さまから好かれている。愛されている。

この情報を聞くことができる人の数は、たったのこれしかいません。

聞く聞かないで、人生観が変わります。

<引用終了>

神様は、様々なところにいらっしゃり、

様々な形で私たちにアプローチしてくださっています。 

それを感じ取り、喜び感謝して受け取るか?

それとも・・・・

偶然とかたずけて、無視するか? 

放っておけばよいものを、神様に感謝して些細な出来事を喜ぶ人を、

馬鹿にし、否定し、

せっかく、神様と絆を深めようとしている人たちの心を、

神さまから引きはがしてしまうのか?

人それぞれです。 

ですが、些細なことに神さまの息吹を感じ、感謝して喜ぶ人は、

きっと生涯、幸せに生きていくことでしょう。 

それに対して・・・ 

偶然とかたずけて、現実は厳しいもの、苦しいものと

眉間にしわを寄せている生きる人は、もしかしたら、神々の手を、

自らはねのけてしまっているかもしれません。


2026年1月30日金曜日

4153「死はすぐそこに」2026.1.30

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月15日の記事を紹介します。


「死はすぐそこに」


ここ数年、地球の波動が上がっているためか、 

・覚醒した・・という方

・地球に来た目的を思い出した方

が急激に増えているようです。 

出来れば、その思い出した英知を、自分のためだけではなく、 

人々の幸せのために使っていただけたら、

世の中は、もっと幸せになれるかもしれません。 

2,500年前のブッダが悟りを開いた時の梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と同じです。 

2,500年前、ブッダが悟りを開いた時、

自分が覚った真理を説いても、欲望に支配された人々は理解できないだろうと、 

一人安楽な悟りの世界に安住してしまおうと、ブッダが思っていた時、 

梵天(ブラフマン)が現れて、人々の幸せのために、悟った法を説くよう要請しました。

この梵天の要請を「梵天勧請」といいます。 

さて今日は、27歳でガンで亡くなった若い女性の手紙をご紹介します。 

死が目前に迫った時、私たちは何を思うのか? 

死は、私たちに平等に必ずやってきます。

そしてそれはいつ来るのか誰にも分かりません。

健康で、朝「行ってきます」と笑顔で出かけた人が、

突然帰らぬ人となるかもしれません。

では、ご紹介します。 

<転載開始> 転載元 

26歳という若さで、死と向き合い始めるというのは、少し珍しいことかもしれません。

多くの人はこのことに目を背けて生きているからです。

毎日は、当たり前のように過ぎていきます。

まるでそれがずっと続くかのように。

私もいつか歳を重ね、シワができ、白髪になることを想像していました。

たくさんの子どもに囲まれ、愛に溢れた家庭を築くことをいつも考えていました。

でも人生は儚く、貴重で、予想できないものです。

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく、贈り物なのです。

私は27歳です。

まだこの人生を終わらせたくない。

私は今とても幸せだからです。

でも、もう私にはコントロールすることはできません。

私はただみんなに、些細なことを、あまり心配しないで欲しいのです。

そして覚えておいて下さい。 

最後にはみんな同じ運命が待っているということを。

だからあなたの時間を、価値のある素晴らしいと感じることに使って欲しいのです。嫌だと思うことはしなくていいのです。

些細なことには寛大な心でいてください。

もちろんイライラすることはあると思いますが、ずっと引きずらないでください。

そのようなことで、周り人々の人生に、悪い影響を与えないようにしてください。

イライラしてしまう時は外に出て深呼吸をして、

新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで下さい。 

そして空の青さを、木々の緑を見てください。

それはとても美しいものです。

考えてみてください。

呼吸ができること、その素晴らしさを。 

もしかしたら今日、渋滞につかまってしまったかもしれませんね。

あなたの愛おしい赤ちゃんが泣きわめくせいで、よく眠れなかったかもしれません。

美容師があなたの髪を短く切りすぎたかもしれないし、

変えたばかりのネイルが欠けていたかもしれません。

自分の容姿が気に入らない人もいるかもしれません。

でもそれらのことは些細なことです。

あなたが人生の終わりを迎える時、そんなことは考えないでしょう。 

人生全体で見れば、それらのことは本当にどうでもいいことです。

私の身体は日を追うごとに、どんどん痩せ細っていきますが、私の願いは、

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

それだけです。

たったもう一度だけでいいから。

仕事がどれだけ大変だったかなどの不満を訴える人がいますが、

まずは身体が満足に動くことに感謝してください。

たとえ理想の体型でなかったとしても、健康でいられること、身体が機能すること、

それだけで素晴らしいことなのです。

食べ過ぎに注意して、適度に運動をし、新鮮な食事で十分な栄養を与えてください。

そして、お互いを助け合いましょう。

与えて、与えて、与えるのです。

他者に与えることで得られる幸せは、この上ないものです。

私ももっとそれをしたかった。

病気になってから、多くの人が私をサポートしてくれました。

とても返しきれるものではありません。

そのことを私は一生忘れないでしょう。

あなたが死ぬときに、お金を持っていても なんの意味もありません。

自分の服を買う代わりに、誰かのためにそのお金を使いましょう。

あなたが同じ服を着ていても、誰も気にしません。

何より大切な人を食事に連れていったり、

贈り物をすることは気持ちの良いことです。

その際に、大切に想っているという気持ちを伝えましょう。

自分のためにお金を使う際は、モノではなく経験に使いましょう。

ビーチに行って足を水につけ、つま先で砂を掘り、顔を海水につけてください。

自然を感じてください。

携帯の画面ばかり見るのではなく、ただその瞬間を楽しむようにしてください。

人生とは画面を通して生きることではないし、

完璧な写真を撮ることでもありません。 

大切な人との、血の通う時間を大切にしてください。

早起きをして、鳥のさえずりに耳をすまし、朝日の美しい色を眺めるのです。

音楽を聴いてください。音楽はセラピーです。

犬を抱きしめてください。

携帯を置いて、友達と話をしましょう。

旅をしたいならしましょう。

生きるために働いてください、 

働くために生きてはいけません。

心が幸せに感じることをしてください。

ケーキだって食べていいのです。 

何の罪悪感も要りません。

やりたくないことには、やりたくないと言いましょう。

他の人が考える理想の人生に、プレッシャーを感じなくても大丈夫です。

平凡な人生を望んでも全く構いません。

愛する人に、毎日愛を込めて、愛していると伝えましょう。

そして覚えていてください。

もし何かが、あなたを不幸にさせたとしても、

あなたにはそれを愛など他のパワーに変える力を持っています。

この地球であとどれくらい生きられるか分からないのだから、

そのようなことで時間を無駄にしてはいけません。

多くの人が同じことを言っていますが、これ以上の真実はないと思います。

これは一人の若い女性からの人生のアドバイスです。 

覚えていてくれても、忘れても構いません。

それでは、また会う日まで。

<転載終了>

今 目の前に居る人、配偶者、子供、家族、友人、

彼らとも、いつか「さよなら」する時が来ます。 

この地球では、永遠に続く関係性は無いからです。 

もしかしたら、何か些細なことで、わだかまりを持っているかもしれません。

ですが、死と言う別れを前にした時、そんな些細なことが、

・心を通い合わせること

・感謝すること 

に何の支障があるでしょうか? 

出会ってくれてありがとう。

喜びも悲しみも、苦しみも、沢山の経験をありがとう。

そう伝えたくなるのではないでしょうか?

もう直接、肉体のあるその方に、伝えるチャンスは永遠にないのですから。 

この亡くなった彼女の最後の願いは 

・もう一度だけ、家族と誕生日を過ごしたい

・もう一度だけ、クリスマスを迎えたい

・もう一度だけ、パートナーと過ごしたい

でした。

これら全ての願いは、物ではありませんでした。

身を飾る、肩書、地位、名誉、プライドではありませんでした。 

全てが、大切な人との、思いやり溢れる魂の交わり、経験を望んでいたのです。 

別れは、突然にやってきます。 

私たちの目の前の人たちは、私たちにとって一番大切な人々です。 

ですから神さまの采配で、近くに置かれたのです。 

いつ死が私たちを引き裂いても悔いのないように、どうか目の前の方を愛し、

大切になさってください。 

出会ってくれたことに感謝してください。 

そのように心を合わせることのできた人とのご縁は、

きっと死を超えて、永遠の絆となるからです。


2026年1月29日木曜日

4152「苦しみの終わる時」2026.1.29

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月14日の記事を紹介します。


「苦しみの終わる時」


この世の中は、幸せ、Happyな人ばかりではありません。 

・病気やケガで苦しんでいる人もいます。

・孤独に苦しんでいる人もいます。

・嫉妬や、悔しさ、恨みで苦しんでいる人もいます。

今日は、心の問題で、苦しんでいらっしゃる方に書きたいと思います。 

でも、その辛さが、何が原因かが分っており、

そして、そこから抜け出したいと、真剣に思っていらっしゃる方は幸いです。 

もうその辛く苦しい道のりの、半分以上を越えたのと同じだからです。 

あとは、ちょっとだけ、心の方向を変えるだけで、

ご自分の中に居らっしゃる神さまが、背中を押してくださることでしょう。


私たちの周りで起こる現象は、 

それを引き起こす種が、心の中に無ければ決して起こりません。 

ブッダが仰るように、この宇宙は因果律が支配しているからです。 

「因果律」は、血も涙もない、冷たい法則ではありません。 

この宇宙を作られた神々は、愛そのもの、慈悲そのものだからです。

・その現象が現れた時

 病気、ケガ、事故、出会い、別れ、いさかい 

・心に動揺が起こった時 

 嫉妬(うらやましい)、憎しみ(にくい)、殺意、悔しい、失敗しろ、悲しめ、苦しめ

そんな時は、心の中に存在していた、

その縁となった種が実を結び、現実の世界に現れた時です。 

その時に、自分の心の中に、その感情が湧き起こったことを認め、 

その感情を味わい、苦しみ、そして、その後に、 

もし、そこから抜け出したいと、そう思ったのなら、

もう、それは、その因(原因)となった種が、燃え尽き、

もう二度と悪さをしない、そのような時の到来です。 

夜明けのチャンスです。

内なる神さまは、その時が来るのを待っていたのですから・・ 

全ての出来事は、私たちの心が作り出しています。 

偶然に発生する出来事は、この世に一つとしてありません。 

神さまはサイコロを振りません。

無駄なことは、なさいません。

もし、このチャンス到来の時に、意識を変えず、心の向きを変えず 

今までのように 

・不平

・不満

・愚痴

・悪口 

を口にし、運命を呪っていたのなら、また時期をずらして、

同じ出来事が、自分の身に降りかかってくるでしょう。 

因が解消されないからです。 

その2度目の出来事は、

1度目よりも、更に大きなインパクトをもたらすと言われています。

でも、それも仕方のないことかもしれません。 

何故なら、私たちの多くは、目の前の出来事に対して、

・状況を改善したい

・願いが叶えばいいのに 

という夢や希望を持って、思いどおりにならない物事を

リストアップしがちだからです。 

それは、学校教育や、家庭環境に置いて、親や学校の先生から、

・リストアップした希望を、思いどおりにすることこそが幸せだ

・現状に甘んじることなく、夢や希望や望みや願いを語りなさい

・努力し、競争に打ち勝ち、願望を実現しなさい

そう、教わってきたからです。 

そのように国民を競争社会に置くことで、得をする邪悪な勢力があったからです。 

日本には、かつて縄文時代と言うものがありました。 

競争や、争いが一切なく、皆が助け合い

お互いさま、お陰さまで暮らしていた1万年間です。 

世界に類をみません。

ユートピアの世界でした。 

私たちは、DNAの中に、その魂を宿しています。

幸せな人生には、競争は不要です。 

人と比べることも必要ありません。

そして、夢や希望さえも不要です。 

なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、

人との出会い、別れ、軋轢(葛藤)、100%、今の自分に必要だから

起きていることだからです。

・自分が、今与えられているもの

・今持っているものに対し、 

感謝の気持ちを持つこと 

「嬉しい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、苦しみではなく、

今ある幸せを数え上げてみること。 

「ありがとう」と口に出して感謝してみること。

そうすればきっと、今の自分が膨大な数の、幸せに囲まれていることに気づきます。

幸せとは、求めて求めて何かを手に入れることでなく、

今、目の前に存在する出来事について、「私」が「幸せだ」と思うこと。感じること。

そうブッダは般若心経の中で教えてくださいました。

自分を、貶める誰かを好きになること、愛すること、それは、難しいかもしれません。

ですが、感謝することはできるのではありませんか?

その相手の方の態度によって 

・何か気付きはありませんでしたか? 

・何かの感情を味わうことは、ありませんでしたか?

・自分の心の中に、同じ素質が、潜んでいることに

 気付かせては、くれませんでしたか? 

何故なら、その人も、生まれる前に、神さまのみ前で、

その役割を演じることを、お互いに合意したうえで、生まれ、

そして出会い、約束通り、その役を演じてくださっているからです。 

完全なる悪意の塊の魂は、生まれる以前に 

神さまからのOKが出ませんから、この世に存在して居ません。

その人に対する憎しみ、羨み、その心から抜け出すために、今、その時が訪れました。

許すことを学ぶ時、そして感謝の心を学ぶ時が来ました。 

感謝の気持ちが、心を満たした時、心の中のあちこちに

こびりついていた 悪因の多くは、燃え尽くされることでしょう。 

そして、空いたスペースには、宇宙の法則通り、 

聖なる神々の美しいエネルギーが、流れ込んでくることでしょう。 

好きになること、愛することは、難しくとも、感謝することはできます。

もし、それさえもむずかしければ、その時は、伝家の宝刀、言霊を使ってください。 

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

気持ちがこもって無くても結構です。

心の中だけでも結構です。 

言霊が威力を発揮してくれることでしょう。 

そして、神々が微笑んでくださることでしょう。

ご自分のお顔から、笑みが、こぼれ落ちることでしょう。 

それを見た周りの方がたも、本当の幸せを手に入れることができるでしょう。 


2026年1月28日水曜日

4151 「AI生成動画が広める若者たちの「脳の腐敗」」2026.1.28

 今回はIn Deepさんの2026年1月22日の記事を紹介します。


「AI生成動画が広める若者たちの「脳の腐敗」が導くオール・イディオット社会まではわりとすぐかも」


AI生成動画が広める若者たちの「脳の腐敗」が導くオール・イディオット社会まではわりとすぐかも - In Deep

疑似と本物の見分けがどんどんつかなくなる時代に

少し前、夕食のときに、うちの子どもが、「 AI の進化もちょっと困ったもんだけどね」というようなことを言いました。

私 「なんで?」

子 「もう、動画が本物かフェイクかわからなくなり続けているんだよね。そろそろ勘弁してほしい」

私 「それはさ…」

子 「うん」

私 「この動画は本物ですか、ってリンクを貼って AI に質問するしかないんだよ」

子 「何だかなあ」

私 「画像や動画によっては、全然見破れないもの」

実際、私もブログなどの記事を投稿するときには、「確認」しないと、どうにもならなくなっています。

たとえば、自然災害や自然現象(虹やオーロラなど)に関しても、

「確かに以前からある現象だけど、どうも違和感がある」

という時には、AI に真偽を聞いてみるしかないのですが、最近では、「 AI 自身が画像の真偽に確証を持てない」例も増えています。

たとえば、以下のような虹色の雲は以前から多く観測されていたものです。過去の「地球の記録」などに数多くあります。

私自身、空の様々な、あるいは美しい現象は過去十数年、かなりそういう画像を見てきた一人だと思っていますが、しかし、以下の画像は見た途端、「違和感」がありました。

2026年1月13日のXへの投稿より

maniaUFO

AI ではなくとも、編集(特定の色を強調するなど)されたものだろうとは思うのですが、AI に質問しても「自然であるかどうかは疑わしいです」と確定回答は出ないのですね。

最近、カムチャッカ半島で歴史的な大雪が降ったのですが(記事「ロシア極東で過去130年間で最大規模の降雪…」にあります)、記録的な大雪が降ったのは事実なのですが、投稿されている写真の中には「ほんとかよ、これ」というものも多かったです。たとえば、以下のようなものです。

カムチャッカ半島の大雪の風景とされる画像

chosun.com

私は AI 生成、あるいは画像アプリによる合成だと確信したのですが、しかし、その後、いくつかのメジャーな通信社がこの画像を記事で使用していて、「これ本当なのかよ」と考えたりと、いろいろと面倒な時代です。

最近などは、以下のような AI 生成動画を見まして、少し前のロックなどが好きな人でしたら、思いはいろいろでしょうが、様々に感じる部分もあるでしょう。ニルヴァーナという米国のバンドのフロントマンだったカート・コバーンという人(故人)が、スタジオを訪れ、いろいろなミュージシャン、しかもすべて故人と会うという動画です。

ドアーズのジム・モリソンから始まって、フレディ・マーキュリーやマイケル・ジャクソンやオジー・オズボーン、ついにはエルヴィス・プレスリーさえ出てくる動画です。

それで、仕上がりとしては、「何の違和感もない映像となっている」のです。昔の合成映像とは比較にならないものがある。

私はここに出てくる人の多くを好きでしたけれど、しかし、むしろ、こういうのを見ると、「愕然」としますね。

こんなの、今後もいくらでも出ててくるし、作ることも容易です。

インターネットであれ、テレビ等であれ、私たちの多くは、「情報」を映像を含めた画像で得ます。しかし、それらの真偽がどんどんわからなくなってきている。

娯楽だけの世界であれば、それは技術の進歩であり、十分におもしろいことだとは思います。実際、私が仮に現在、映像を作るような仕事をしていれば、「必ず」 AI を使用していたと思います(でも、しません)。

そして、冒頭に載せたアメリアのように、AI 生成による「主義主張キャラクター」が次々と出る兆しを見せていて、今後も増えるでしょう。つまり、場合によっては、AI キャラが、政治的な扇動を担当する可能性さえあるのです。

「特定の民族に対して、万人に好まれる人間のルックス」を生成するのは AI の得意なジャンルでもあります。

 

脳の腐敗の拡大

というわけで、実は今回、ご紹介する記事はこういうこととは直接は関係しないのですが、

「脳の腐敗」

についての記事です。

脳の腐敗とは、つまり「脳の働きが最近のスマートフォンなどの娯楽によって衰弱している」というようなことで、脳の腐敗の概念については以下の記事で書いています。

 ・何が子どもと若者から「知能と自我」を剥奪しているのか?

In Deep 2025年12月7日

 

ご紹介するのは米エポックタイムズの記事で、これは決して AI 生成の動画がユーザーの「脳を腐敗」を加速させているということではないのですが、

「 AI 生成によるそういう動画が劇的に増えている」

というような話です。

スマートフォンなどでの動画視聴が常態化する中で、「脳の腐敗」が、どんどん進行する危険性についての話とも言えるかもしれません。

人類オール・イディオットの世界が十数年の間に出現しないとも限りません。

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AI生成の「脳の腐敗」がソーシャルメディアで静かに広がる

The Quiet Spread of AI-Generated ‘Brainrot’ Across Social Media

Jacob Burg 2026/01/19

物理法則を破りながらワニを蹴り上げるゾウ、政治家や故人のディープフェイクを当惑させる動画、グリンチと戦うイエスの一見アニメ風の子供向け動画など、生成型人工知能(AI)がオンライン動画プラットフォームを席巻しており、最近の調査によると、YouTube の短編動画フィードのかなりの部分を占めている可能性があるという。

昨年、ユーザーを精神科に入院させたり、鬱状態の十代の若者複数名の自殺を助長したとして非難された生成 AI ツールは、オンラインコンテンツの新たなジャンルも生み出している。

動画編集ソフトウェア会社カプウィング (Kapwing)が昨年11月に発表した調査によると、審査対象となった 500本の短編動画のうち 21%に AI 生成の画像や動画クリップが含まれていた。

分析対象となったチャンネルの中には、数百万人の登録者数と数十億回の視聴回数を誇るものもあった。

インドを拠点とするチャンネル「Bandar Apna Dost」など、YouTube の広告収入で年間数百万ドルを生み出すと推定されるチャンネルもある。

これらのチャンネルは世界中に存在し、調査によると、スペインと韓国を拠点とするチャンネルが「最も熱心な視聴者数」を獲得している。

学際的技術研究者のロヒニ・ラクシャネ氏はエポックタイムズ紙に以下のように語った。

「生成 AI ツールは、ビデオ制作への参入障壁を劇的に下げました」

「そのため、チャンネルは膨大な量のコンテンツを量産し、高い投稿頻度を維持することができます。こうした手法を用いるチャンネルは、コンテンツの質に関わらず、量だけでレコメンデーションフィード (※ ユーザーにとって興味関心が高いと思われるコンテンツや商品を、リアルタイムかつ自動的に選別して表示するストリーム)をあふれさせてしまう可能性があります」

この記事では、「脳の腐敗」と「AI の汚点」について私たちが知っていること、視聴者とコンテンツ作成者にとって何が危険にさらされているか、そしてソーシャルメディアを閲覧する際にもっと注意を払うべき理由について説明したいと思う。

 

「脳腐敗」と「AIスロップ」

(※) AIスロップとは、AI などで作成された文章や画像などの低品質なメディア群のことです。

カプウィング社は、YouTubeに新規アカウントを作成した後に検査した動画の 33%に「脳腐敗」コンテンツの特徴があると判断した。

オックスフォード大学が定義する「脳の腐敗」とは、「取るに足らない、あるいは挑戦的でない」ものであり、「人の精神状態や知的状態」を悪化させると考えられる。

生成型 AI の登場よりずっと前から存在する「脳の腐敗」には、ミーム、ユーモア、無意味な寸劇、子供や動物が「ばかげた」行動や行為をしている動画、およびユーザーの知的関心をほとんど惹きつけないか、ランダム性や不条理さ以外にほとんどまたはまったく意味を伝えないその他の形式のコンテンツが含まれる。

生成 AI と「脳の腐敗」特性を組み合わせると、多くの人が「AIスロップ」と呼ぶ新しいジャンルが生まれる。カプウィング社はこれを、「視聴回数や登録者数を稼いだり、政治的なコンテンツを左右したりすること」を目的とした AI ツールで生成された「不注意で低品質なコンテンツ」と定義している。

定義上、「脳の腐敗」や「低品質」とみなされるコンテンツは人によって異なる。例えば、ある人は短編の「コメディ」動画をすべて「脳の腐敗」と表現するかもしれないが、別の人はそれらを本当に面白いと感じて、別のレッテルを貼るかもしれない。

「AI スロップ」についても同じことが言えるかもしれない。モントリート大学の言語学教授 T. マイケル ハルコム氏など、一部のコンテンツ作成者は生成 AI ツールを自身の学術研究の延長として使用しているからだ。

学生主導のコメディクラブで「 AI の汚い話」や「脳の腐敗」のパロディーも手がけるハルコム氏は、ブログの記事に基づいて AI ツールを使用して短編動画を制作しており、その技術を動画クリップの作成、ナレーション用の自分の声の複製、画面上のテキスト生成に活用しているとエポックタイムズ紙に語った。

AI ツールを活用しながら人間的な要素を維持するユーザーと、単に AI を使って、視聴回数を稼ぐために他人が「雑多な」コンテンツ、つまり大量生産されたコンテンツを作成するユーザーとの間には多くの共通点があると同氏は述べた。

「人間的な要素が完全に消えたわけではないと思います。ただ、人間が物事をスピードアップさせているだけです」とハルコム氏は述べ、スペインの「 Imperio de jesus 」のような、AI が生成したイエスが悪魔やグリンチと戦うアニメーションを配信する、いわゆる「 AI ごっこ」チャンネルでさえ、「衝撃的なユーモア」や不条理さを前面に押し出し、視聴者の好奇心を刺激していると付け加えた。

これらの動画の多くには「伝承」の要素もあり、上記のチャンネルでは以前の動画を基にしたストーリーの比喩が繰り返されており、ハルコム氏はこれをコメディにおける「内輪のジョーク」に例え、1つの動画が次の動画につながるなど、その繰り返しになっているとしている。

Bandar Apna Dost チャンネルを見てみると、その制作者によれば、このチャンネルでは「リアルな猿が、面白くてドラマチックで、心温まる人間のような状況に登場」しており、動画では、映像からバックグラウンド オーディオまですべてに AI が活用されている。

技術研究者のロヒニ・ラクシャネ氏によると、これらの動画が人気なのは、インドの人気映画のワンシーンを模倣し、「違法行為や虐待行為を犯したり、超人的な偉業を成し遂げたり、時にはとんでもない社会的・政治的権力を持つ、超男性的な男性主人公という比喩」を描いているためだとして、以下のように述べる。

「このチャンネルの動画はバラバラで、ストーリーや物語性はありません。これらの短い動画を見るのに、前提となる知識や背景知識は必要ありません。例えば、インクレディブル・ハルクに似たハルクのようなキャラクターが登場し、それが動画の魅力を高め、幅広い視聴者層にリーチしています」

他のチャンネルでは、それほど明白ではない AI や、一部の視聴者にとっては検出が難しい AI が使用されている場合がある。

たとえば、エポックタイムズが発見した、ゾウがワニから他のゾウを守っている本物のサファリビデオのように見えるこのビデオなどだ。

しかし、2番目のゾウが物理法則を破る方法でワニを 30フィート以上も蹴り上げるのを見ると、動画作成者は OpenAI 製ツール Sora の透かしが 8秒間の動画の 3秒目の 1フレームにのみ表示されるように努力を払ったように見えるにもかかわらず、動画が AI で作成されたことがはるかに明らかになる。


2026年1月12日、ロンドンで Grok アプリを使って作成されたAIプロンプト作成動画の例がスクリーンに表示されている。

 

AI生成動画のリスク

上記の例のように、多くの AI ビデオは可能な限りリアルに見えるように意図的に生成されており、オンラインでの欺瞞や誤報のリスクが高まっていると一部の組織は指摘している。

50歳以上のアメリカ人のための非営利団体で擁護団体でもある AARP は先月、 「 AI による雑多な」動画のせいで、一部のユーザーが「何が本物か見分ける」ことがますます難しくなっていると警告した。

同団体は、ChatGPT の開発元である OpenAI が 2025年10月に、同社の動画作成アプリ「Sora 2」でマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の肖像を描いた「無礼な」AI 生成「ディープフェイク」動画をブロックすると決定したことを指摘した。

2024年の大統領選挙中も、急いで生成された「 AI による雑多な」ディープフェイク動画がオンラインプラットフォームに蔓延し、ブレナン司法センターは昨年 3月、AI 動画が将来の投票サイクルに深刻な影響を及ぼす可能性があると警告した。

科学研究者たちは、この現象が医療情報や教育ビデオにも浸透するのではないかと懸念している 。国立医学図書館が 2025年11月に発表した研究によると、「人間の判断を介さずに AI が作成したとされる教育ビデオから学ぶことには、特定の危険がある」という (論文)。

この調査では、「前臨床生物医学」教育分野のオンラインビデオ 1,082本を検査し、5.3%が「 AI 生成で低品質」であることが判明した。これは、この技術がオンライン医療情報コンテンツにまだゆっくりと導入されているものの、その普及は徐々に増加している可能性があることを示唆している。

たとえ誤情報がなくても、YouTube や TikTok で拡散している「 AI の戯言」動画はユーザーに心理的な影響を与えると、テック業界のベンチャーキャピタリストで『人間が書いた最後の本:AI 時代に賢くなる』の著者であるジェフ・バーニンガム氏はエポックタイムズに以下のように語った。

「なぜそれが人気になっているかは、おそらく自明だと思うし、私や我々社会全体が誇りに思うべきことではありません」

「それは私たちの最も根源的な欲求を食い物にしているようなものです。そして、それは識別力よりもドーパミン、そして洞察力よりも関与を優先している兆候だと思います」

バーニンガム氏は著書の中で、AI の本当の危険性は必ずしもテクノロジーそのものではなく、「人間の注意力と認識力の衰え」にあると述べている。

 

実験の結果

当社は、以前のブラウザのクッキーが最初に表示される動画の種類やジャンルに影響を与えないように、プライベートウェブブラウザで新しいメールアドレスを使用して新しい YouTube アカウントを作成した。

次に、YouTube アカウントに初めてログインした後に表示された最初の 300本の短編動画を分析したところ、大部分 (88%) が「脳の腐敗」の特徴を持ち、不条理、ランダム、または注目を集める以外にはほとんど意味がないことがわかった。

しかし、これらの動画の一部は、特に漠然とした「コメディ」というジャンルの中でグレーゾーンに該当するため、どれが「脳の腐敗」のカテゴリーに当てはまるかを正確に特定することは困難であり、ハルコム氏は、このカテゴリーは主観的なところが大きいと述べている。

私たちの分析では、新しい YouTube アカウントで確認された最初の 300本の動画のうち、AI によって生成されたと思われるものはわずか 8 %だった。

一部の動画では AI 画像が使用されていたが、たとえば、、象の動画や、車のハッチバックの中に隠れてオオカミの大群に襲われそうになっている女性を映した動画など)は完全に AI によって生成されたビデオ クリップであるようだ。

カプウィング社の調査で「最も登録者数の多い AI スロップ YouTube チャンネル」として挙げられているチャンネルの動画は、私たちの画面には映らなかった。これは、特に以前のブラウザ クッキーが新しいアカウントがプラットフォーム上でどの動画を見るかに影響を与える可能性がある場合、場所やその他の変数によるものかもしれない。

もうひとつの可能性は、AI による雑多な動画の人気は高まっているものの、エポックタイムズが実験で確認した、いわゆる「脳の腐敗」の他の形態、つまりミーム動画やカメラの前で寸劇を演じる人々、実際の人間が撮影・編集した奇妙なコメディなどを AI 動画は、まだそこに追い抜いていないということだ。

AI 生成コンテンツが一部の予測どおり爆発的に普及したとしても、人類がこの存在の危機を進化の機会として受け止められる限り、その増加は一部の人が恐れているほど終末的なものではないかもしれないとバーニンガム氏は述べ、AI 技術を「人類を映す宇宙の鏡」と表現し、以下のように述べる。

「内省は力強いものです。なぜなら、自分自身をより明確に見ることができ、それによってさらなる明晰さが得られるからです。方向転換したり、変化したりできるようになります。しかし…人間はそう(内省)するでしょうか? それは分かりません」

「楽観的になるのは難しいですが、これは AI が私たちに与えてくれるチャンスだと私は考えています。AI が繁栄しているのは、今、注意力が安価で、無数の方法で断片化されており、私たちが疲弊しているからです」

しかし、私が恐れているのは、AI のずさんさの危険性は、注意力が崩壊すると、知恵も記憶も意味も失われてしまうことです。それは人類にとって恐ろしい状況です


2026年1月27日火曜日

4150「徳を積む意味」2026.1.27

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月13日の記事を紹介します。


「徳を積む意味」


このブログでも何度も角度を変えて、

徳を積むこと、それも、陰徳を積むこと。 

そして宇宙の法則である、

与えたものが、受け取るもの

というお話をしていますが、今日は、浜松医科大学名誉教授の

高田明和(あきかず)さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

何か他人に尽くし、それがその人に感謝されなくても、

私たちの業に貯金されますから、そこから褒美が返ってくるのです。 

運がよくなり、評判がよくなるのです。

これは、他人に嫌なことをした場合も同じです。

私も他人の悪口をいったことがあります。

不思議なことにそれが回り回って、自分の耳に返ってくるのです。

まるで一周回ったかのようです。

そしてその悪口が本人に聞こえたかのような結果になりました。 

その人と私の関係が悪くなったのです。

それが「悪因悪果(あくいんあっか)」です。

このように、人の行い、人の言葉というのは、 

因縁の渦の中で回り、最終的には全て自分に還ってくるのです。 

偶然助かったとか、

あれが起こったら大変なことになったのに起こらなかった、 

などと胸をなで下ろした経験はないでしょうか。 

一方、その大変なことは別の人には起きているのです。

だから、自分にそのことが起こらなかったと安堵するのです。

じつはこれは、私たちがなした徳の結果が、このように表れたのだと思っています。

何か他人に尽くした時に、すぐにお礼をいわれ感謝されるのと、

万一の偶然に、奇跡的に助かるのとどちらがよいでしょうか。 

もちろん後者でしょう。 

このように考えると、自分が他人にしたことが、

他人にはあまり理解されず、感謝もされないけれども、 

徳を積んだおかげで、自分や家族に不運が起きない方が 

はるかに恵まれていると考えないわけにはいきません。

ですから、「恩を仇で返された」などと怒ることはないのです。

恩を与えたその人などはたいしたことはないのです。 

もっと重要なことで、幸運に恵まれた方が どのくらいよいかわかりません。 

何かをする時に相手に感謝を求めるよりも、 

それが自分の幸せになると考えるべきです。

<引用終了>

宇宙の法則

投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

愛すれば 愛される。

愛さなければ 愛されない。

嫌えば 嫌われる。

嫌わなければ 嫌われない。

裁くものは裁かれる

裁かないものは 裁かれない。

意地悪をすれば、意地悪をされ

蔑(さげす)めば、蔑まされ

罵(ののし)れば、ののしられ

強い言葉を吐き出せば、強い言葉を返される 

許すものは 許される。

許さないものは 許されない。

施せば 施される

優しくすれば 優しくされる

笑顔を向ければ、笑顔が帰る

助ければ、助けられる

励ませば、励まされる

勇気を与えれば、勇気づけられる

感謝すれば、感謝される

誰かに何かして欲しいことはありますか?

・優しい言葉をかけて欲しいですか? 

それなら誰かに優しい言葉をかけてください

・笑顔を見せて欲しいですか? 

それなら誰かに笑顔を見せてください

イエスの語った言葉で一番大切な言葉。。

「イエスの黄金律」と言うものがあります。

そこにはこう書かれています。

「自分がしてもらいたいことを、 

他の人にも、同じようにして あげなさい。」

これは何も独りよがりの、善意の押しつけをしなさいと、

言っているのではありません。

自分の目の前にいる人が、今何を必要としているか、想像力を働かせて察しなさい。

そして、その通りにしてあげなさい。

そう、仰っているのです。

この中で、何か、ご自分でも、できそうなことがありましたか?

ただ、自分がして欲しいことを、

周りの人に、して差し上げるだけなんです。

自分がして差し上げる相手は、身近に居る、誰でも構いません。

巡り巡って、必ず自分に帰ってくるようになっていますから。

投げかけたものが返ってくる

投げかけないものは返ってこない。

 

2026年1月26日月曜日

4149「出会ってくれて、ありがとう」2026.1.26

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月12日の記事を紹介します。


「出会ってくれて、ありがとう」


今日のお話も地味なのですが、幸せになるための王道である心のお話です。

このブログでは、安易に人を引き付ける

神々の不思議・奇跡についてはできるだけ触れないようにしています。

何故なら、ワクワクするような

・見えない世界、

・異次元の世界

・宇宙世の世界

の不思議は、人々の興味をそそり、沢山の人を集めますが、

・それを知ったから

・または、どこかの能力者と称する誰かが何かをしてくれたから

私たちの幸せが訪れる訳ではありません。 

地球が美しい世界に変わる訳ではありません。 

全ては私たちの心ひとつにかかっています。 

逆に地球に住まう悪魔的存在の常とう手段は

霊的な誘惑で精神の進化を阻害する・・

という方法を取ります。

魂の巨人、浅川嘉富(あさかわ・よしとみ)さんなどは、

ビジネスの社会で大きな成功を納ながら、

「源流レムリアの流れ 世界に散った龍蛇族よ!」など数多くの著作を残された方ですが、

不思議系、スピ系の本でしたので、数多くのベストセラー、読者を残しながら、

神々から、本の執筆中断を指示されたそうです。

理由は、本の内容のワクワクする不思議話に引き付けられ、数多くの人が集まって来ても

神々が本来一番大切なこと、重要視している「自分自身の心」のことについて、

真剣に取り組む方がいらっしゃらず、興味本位で近づいてくる人がほとんどで、

いくら多く集まって来ても、

地球の進化や、個人の魂の向上(神々に近づく)にとって無意味だからだそうです。

本来私たちはこの地球に、自分の足で立ち、自分の意志や行動で魂を磨き、輝かせ、

神々に近づき、進化した魂を養うために来ました。

安直に人々を引き付ける見えない世界を放浪するためではありません。

人に頼り切り、何とかしてもらおうという依存の心を増長させるためではありません。

自らの意志で、自らの心を磨くためです。 

また、近年地球に起こる確率が高いと言われる大峠(災害)・・ 

これを乗り越えるのも、どこかの特別な人が、何かをすることで

止めてくれるわけではありません。(依存の心) 

私たち自身が、自らの心を清め、洗い、自らの足で進もうと決心した時こそ、

神々の目に留まり、大難を小難に、小難を無事に過ごせるのではないかと思います。

では、今日のテーマです。

私たちは、生まれ変わりの多くの倍率を潜り抜け、長い順番待ちの末、

この地球に何をしに生まれてくるのでしょうか? 

地球への転生は人気が高く、なかなかチャンスが来ないのだそうです。

何故なら地球は、制約の星と言われる通り、 

魂本来の力や能力、記憶を一時消し去り、不自由な中で暮らすことで、

逆に、魂にとって飛躍的な向上ができるからのようなのです。

地球での生活で、皆が求める

・お金を儲ける

・人から羨ましがられる、地位や名誉を得る

・大きな家に住み、大きな外車に乗って自慢する 

そういうものは、死ぬ時、元の世界に戻る時

持って行くことができないものばかりです。 

では、私たちの魂が人生を通じて「嬉しい」と感じる時、それは、どんな時でしょうか。

人と触れ合い、心の交流を通じ、優しさや、思いやりの心で触れ合うことで

喜びや、悲しみを共有できた時かもしれません。 

そんな心震わせる経験こそが、目には見えないものですが、肉体を去った後、

天国に持って帰ることのできるものです。 

心震わせる経験をするために、この地球では、様々な舞台装置が準備されています。

・病弱な身体

・貧困の生活

・出会いと別れ

・友情と裏切り 

泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、

地球にいる短い時間、いろんな舞台で、いろんな役割を演じ、 

様々に、心を震わせて、

美しい心を、強い心を養って、天国に帰りたいものですね。

さて今日は、以前紹介したことがあったのですが、生まれる前の記憶、

つまり中間世記憶を持つお子さんの言葉から、 

障害を持って生まれる意味について、載せたいと思います。 

「もう読んだよっ」て方は、遠慮なくスルーなさってくださいね。 

病気や(身体、知的)障害を持つ、チャレンジングパーソンの人たちと言うのは、

非常に意識の高い魂をお持ちだと言われています。

病気や障害と言う高いハードルを自ら設定して生まれてくる、

まさしく高い志を持ったチャレンジングパーソンです。

また、その子どもたちに選ばれたお母さんの人生も、平坦なものではありません。

ノルマや効率優先、お金だけが全ての基準の社会の中で、

経済的支援も十分でなく、偏見の波にもまれ、

最初はショックで、「産むんじゃなかった」と嘆く人だっていたかもしれません。

ですが、その志の高いお子さんが選んだお母さんです。

その方も忍耐強く、愛の深い人なのでしょう。

多くのお母さんが

・この子のおかげで、人間として大きく成長できた

・たくさんの仲間と出会い、人間の可能性を信じることができた

と思われるようです。

それでは、ここでそれを裏付けるために、生まれる前の記憶を持つ

「りお君」が話してくれた内容をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

 


りお君は心臓病と喘息があり、入退院を繰り返している5歳のお子さんです。

お母さんが

「どうして心臓病を持って生まれてきたの」と聞いたところ、

「そのほうが面白いと思ったから」という唖然とする返事。

「喘息になったのはどうして?」という問いかけには

「だって、治すのが面白いから」だったそうです。 

すなわち病気は自分で選んで、それを治すのが面白いから、というのです。

子どもさんの中に、生まれてくるときのことを覚えているお子さんがいて、

「病気の子がいいか、元気な子がいいか、神様に選ばされた」と語る子がいます。

そのお子さんは「元気な子」を選んだから元気で生まれたと言います。

病気を持つこと、障害を持つこと、たぶん同じ意味なのでしょう。

私たちはそれを乗り越えるために

興味を持ってチャレンジをしている、ということのようです。

それぞれの人は、それぞれのレベルで、人生に挑んでいるチャレンジャーなのです。

お母さんの言葉を引用してみましょう。

「先天性の病気ということで、私は辛い気持ちを引きずっていました。

けれど、りおにそう言ってもらって、気が楽になりました。

それに、喘息も治せるはずだって、明るい気持ちになりました。

りおが病気でうまれたため、本当に大変でした。

けれど家族の支えがあったから、乗り越えられましたし、

沢山の経験を積ませてもらいました。

りおのおかげで出会った、病気と共に生きる子どもたちのことを、

私は決して忘れないでしょう。

りおは、生きていること自体が奇跡なのだということ、

そして家族の大切さを、気づかせてくれました。

感謝の気持ちでいっぱいです」

(『子どもは親を選んで生まれてくる』日本教文社)

<引用終了>

昔の日本では、障害を持って生まれた赤ちゃんを

「観音様の生まれ変わり」として、みんなで大切にする慣習がありました。

観音様は、人々がその名を称え、救いを求める声=音を聞きつけたら、

直ぐに飛んできて諸苦難から救ってくれる方です。

救いを求める人に合わせ、臨機応変に33の姿に変化して、現れるとも言われています。

仏教の教えの中心に「利他行(りたぎょう)」と言う物があります。

自分のことは後回しにして、困っている人(他者)につくし、助けてあげることです。

その献身的な行いによって魂が磨かれ、

仏の悟りに少しずつ近くことができるとされています。

障害のある人は、周りの人の助けがなければ生きていけません。

身近に障害者(児)がいる方々は、自然と利他行に励むことになります。

このように観音様(障害を持った人)は、私たちが無理なく修行に勤しめるように、障害のあるお姿にわざわざ変化して、この世に来てくださったという意味なのだそうです。

だからお世話をする人は、功徳を積ませていただき、ありがとうございますと、

感謝しなければなりません。

まして観音様(障害を持った人)を、差別し、排除し、いじめることなど、どうしてできましょうか。

障害を持って生まれてくださった高貴な魂は、その家族や地域の中で、

人々を救うという大きな役割を持って、一緒に暮らしている方々です。

さて、せっかく「りお君」のお話が出ましたので、少し天国での様子や、

生命について語ってくれていることをご紹介します。

<引用開催> 引用元

「ぼく、夢で神さまに、みんなが死なないようにしてくださいって、お願いした。

神さまは、それは、だめだなって、いったよ。

疲れると、死ぬんだって。

でも、だいじょうぶ、また出てくるの。

いのちは、ぐるぐる回っているの。」

「人がここに来るのは、新しいことを学ぶためだ。

ここに来るのは、たましいの寄り道のようなものだ。

ここで学んだら、死んで、もとの世界に還っていく。

学ばないと、次のところに進めないんだ。」

「死ぬのは、怖いことじゃない。

病気で死んでしまう子どもたちもいる。

それは悲しいけれど、体はなくなっても、心は残る。

たましいは、必ずある。悲しみも、いつか消えていく。

それに、死んだら、また新しいことを学べる。

だから、死ぬのは、たいせつなこと。」

「人は必ず、喜びをもっている。

たとえば、生きる喜び。悲しめる喜び。

じつは、悲しめるというのは、幸せなことなんだよ。

いろいろな気持ちは、ぜんぶ幸せなんだ。

悲しめる喜びというのは、悲しんだ後、またハッピーになるでしょ。

そのハッピーは、前のハッピーより、もっと大きいハッピーになる。

だから、悲しみって、大切なんだよ。」

「人は、みんなにいいことをするために、生きている。

それを、自分の仕事、という。

みんなのために働かないと、仕事とは呼ばない。

自分の仕事がなければ、生きていけない。」

<引用終了>

障害を持ったお子様をお持ちのお母様、お父様。

またご自分自身に辛い障害のある皆さん。

どうか勇気を持ってくださいね。

私たちは苦しむために生まれて来たわけではありません。

障害を持つ子供たちもそうです。

みんな高い志を持って生まれて来たのです。

わがまま放題、何も不自由のない人生は、

魂にとっては、あまり得るものが無いようです。

人生の80年や90年の短い間、

私たちはまるでジェットコースターに乗っているかのように、

様々な物事に遭遇し、人との出会いと別れを繰り返し、

泣いたり、笑ったりしながら過ごします。

病気や障害は、そこにさらにスリリングな味付けをしてくれることでしょう。

人のできない苦労や差別も経験することでしょう。

悔し涙を幾度も流すかもしれません。

ですが、それら全ての涙が私たちの魂にとって

光り輝くための基になるものです。

どうか、くじけずに笑顔でお過ごしください。

感謝の心と笑顔は、全ての苦しみ、悲しみを取り除いてくれる特効薬です。

人と人の出会いって、本当に不可思議なものですね。

出会ってくださった、家族(子供)や友人、周りの方々みんなに感謝ですね。


2026年1月25日日曜日

4148「人の幸せ」2026.1.25

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月11日の記事を紹介します。


「人の幸せ」


今日のテーマは「人の幸せ」ということで、

日本理化学工業の会長、大山泰弘三のお話をご紹介します。 

毎回そうですが、心を純粋にして、

心の罪・穢れ(包身(つみ)、氣枯れ(ケガレ))を祓い、

私たちがもともと持っている、光り輝く神様の心を表に現して、

何者にも、何事にも頼らず依存せず、

大地にしっかりと自分の足で立ち、 

真っすぐに神様の光の方向へ進んで頂きたいからです。

<引用開始> 引用元 

二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。

きれいに晴れた、暖かい日でした。

二人がタドタドしく挨拶するのを、

社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。

そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。

「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。

みなが二人の少女をかわいがり、

本当によくめんどうをみてくれました。

彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。

そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。

どうしても言うことを聞いてくれないときに、

困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。

そんなある日のことです。

私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。

ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、

空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。

そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。

「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。

施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」

ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。

「人間の幸せは、ものやお金ではありません。

人間の究極の幸せは次の四つです。

・人に愛されること、

・人にほめられること、

・人の役に立つこと、

・人から必要とされること。

愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。

障害をもつ人たちが働こうとするのは、

本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」

確かにそうだ…。

人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、

人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。

家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。

だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。

働くことが当たり前だった私にとって、

この幸せは意識したことすらないものでした。

それがいかにかけがえのないものか、

私は、生まれて初めて考えさせられました。

二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。

そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。

私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。

<引用終了>

ここの会社は、『日本でいちばん大切にしたい会社』という書籍をはじめ、

さまざまなメディアやマスコミなどでも多数紹介されています。

1960年に初めて知的障がい者を雇用してから60年たっています。

今では全従業員の70%以上が知的障がい者でありながら、

ダストレスチョークで、国内シェアNo1を維持している会社だそうです。 

さて、女性ピアニストの野田あすかさんは

幼いころから、広汎性発達障害、解離性障害の障害を持っていました。

それが原因で、いじめ、転校、退学、そして自傷、

パニック、右下肢不自由、左耳感音難聴などで入退院を繰り返してきました。

ピアノを弾く手がアップされると分かりますが、

左手には沢山のリストカットの痕跡。 

彼女の今までの人生、

いったいどれだけ、辛いことがあり、いったいどれだけ努力して、

乗り越えようとして来たのでしょうか?  

そして、どれだけの涙を流したのでしょうか?

その彼女が、自分と同じ障害を持った子供たちのために作った曲

「手紙〜小さいころの私へ〜」の中の歌詞にこんなフレーズがあります。 

みんなに 喜んでもらうために

いつも がんばっているね

みんなと同じになれるよう がんばって

くやしい思いを しているけど

いくらがんばっても

同じになれないこと 感じてる

この子達も、

周りの誰かに、喜んで欲しい、笑って欲しい

そんな心でいるのです。 

手紙~小さいころの私へ~(発達障害のピアニスト野田あすか作詞・作曲・演奏・歌)

美しい心です。

・障害を持っている人たち

・個性が強い人

・自分とは違うと、違和感を覚える人

・ソリが合わないと感じる人

・自分の価値観に合わない人

そんな人たちを無視したり、

いじめたり、批判したり、のけ者にしたり、陰口をたたいたり 

私たちも、時折しがちです。

ですが、 

どんな人も、「人から喜ばれると嬉しい」のです。

人から笑顔を向けられるのが嬉しいのです。 

人の役に立ちたいと思っているのです。

少しだけでも、そんな心をくみ取り、受け取って

にっこり笑って、「ありがとう」 

そう伝えてあげたいですね。

きっと、その優しい気持ちは、二人を包み込み

美しい波動になって、宇宙中にこだますることでしょう。

神々が、ニッコリ微笑んでくださることでしょう。


2026年1月24日土曜日

4147「小さな思いやり」2026.1.24

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月10日の記事を紹介します


「小さな思いやり」


神様が、神さま自身を知るために、

神様に似せて作った人間の本能には

「人から喜ばれると嬉しい」

というものがあるそうです。 

この本能は、人間に与えられた本能であると同時に

神さまの性質でもあります。

ですので、ちょっとしたことに、 

笑顔で喜び、感謝する人は、相当、得な性格です。

誰からも、愛され、

みんなが味方になって、助けてあげたくなってしまいます。

きっと神様も同じ気持ちです。

宇宙の仕組みや、神さまの行動の原則などが分かってくると、

日々の何気ない生活でさえ、楽しくなってきます。 

ありとあらゆるところに、

神さまの働きを感じることができるからです。 

いつも傍に居ることが分かるからです。

また、偶然が起きた場合も、

「どうせ偶然でしょ」とすまし顔で、冷たくあしらわず、 

「まぁ凄い、面白いね」と素直に子供のように喜んでいれば、

神さまは、なおさら沢山の偶然を見せてくださいます。 

神さまの声は、

誰かの口を通してくることもよくあります。 

また外応と言って

・小川のせせらぎの音や、

・子供たちの笑い声、

・そよ風なども、 

神さまが私たちにプレゼントしてくださっているものです。  

そのように繊細な心で、神さまの働きを感じられるようになると、

もう全てのもの、事に感謝しかありません。 

神さまの働きに気付き、人が喜び、感謝すればするほど、

神さまは私たちの身近で、良きことを起こしてくださいます。 

ひすいこうたろうさんの記事 (喜び上手な人には運がやってくる)に、

こんなことが書いてありました。意訳します。

<引用開始>

もし神様がいるとしたら、 

小さな幸せや、ささいなことでも、

喜んでくれる人のために、働こうか、

もっと喜ぶことをしてやろうかと思うのではないでしょうか?

それとは逆に、全てを偶然と片付け

神様が、ちっぽけな自分(や、レベルの低いあなた)のために、

特別なことをしてくださるはずがないではないか。 

そのように、偏った自己卑下(自分を低く低く見ること)や、

他人卑下(他人を・・・)をして

神様が、小さな幸せを見せてくださっても、ブスッとしてる人。 

頑な(かたくな)に、敢えて心を動かそうとしない人

どちらに神様は微笑むでしょうか? 

<引用終了>

耳をすませて見て下さい

注意深く、周りを見渡してみてください

あちこちに、神様からの贈り物があることに気づくでしょう

また、いつもと違う 何かに気づいたなら

悪い予兆などとは考えず、 

是非それを  良き予兆と解釈して 

よろこび、神様に感謝してみてください。

きっと ますます

恩寵に気付きやすくなると同時に

幸せが、雪だるまのように、

どんどんと膨らんでくることでしょう

感謝の種が増えてくることでしょう。 

一見不幸に見える 

・死別

・病気

・事故

・貧困 

などでさえ、私たちの魂を磨き、

光り輝かせる、研ぎ石の役割として神様が与えてくださったものです。 

私たちが、その出来事を 

・どのように受け取るか?

・どのような意味を与えるか? 

その違いだけで、天と地ほどの

違いが出てきます。 

・小さな親切

・小さな思いやり

・小さな優しさ 

を感知できる感受性を持ち、

喜び、感謝できる心を持ちたいものですね。 

私たちの周りには、気づかないだけで、

それらが沢山 散らばっています。


2026年1月23日金曜日

4146「縄文「日本」アラハバキと「蛇」の復活」後半2026.1.23

「縄文「日本」アラハバキと「蛇」の復活」後半

――日本のメディアは特に右派から

「オールドメディア」と散々揶揄されていますが。

 

オールドメディアの言うことは全部偏向報道であり、ウソであるならば、

高市内閣支持率78%もウソということになりますよね。

でもそれについては言わないでしょ。

日本で行われる後片付け対象の筆頭が

バビロン系南ユダ満州関東軍統一オカルト清和会勢力ですから、

じつは「オールドメディアは偏向報道をしている」と叫んでいる勢力こそが

これから粛清されていくのだということ。

つまり、オールドメディアも、オールドメディアを批判している側も

どちらも粛清対象なのだというカラクリになっています。

「オールドメディア」と批判している本人たちこそが、

この日本に巣食って来たオールドDS総本山ですから。

 

――それはなかなか読み解くことができませんね。

 

アメリカがYP体制から撤退したとなりますと、

ここぞとばかりに彼らは勢いを増そうとしてきますよね。

それを片付けるのがカバールDS掃討作戦のクライマックスでしょう。

アメリカは世界から撤退する上で、これまでどの国よりも忠実に訓練された、

日本という国の処理をかなり慎重にうまくやる必要があります。

日本の一般国民が知らない日本があるんです。

かつて最大の敵だった日本を最大の飼い犬にしていたわけですが、

ここへ来て、飼い主がいなくなろうとしているのです。

飼い主は愛犬を放ったらかしにしたまま去りませんよ。

きちんと処理をして去るでしょう。

日本のその勢力は「YP体制の打破」を掲げてずっと活動してきましたが、

その打破するための対象が消滅してしまうのです。

そして最大の「反共の防波堤」としての役割も消滅するのです。

そうしますと、さあどうなりますでしょうか?

 

――まさにカオス!ですよね。

 

戦争中、世界で一番のグローバリストとして、

世界に君臨しようとした日本がアメリカに去勢されて麻酔を打たれました。

そして戦後、その一番ヤバい人たちをアメリカは手下として使いました。

彼らはカネと地位と名誉のために面従腹背してアメリカの犬になったのです。

アメリカは最大の敵を最大の味方にしてずっとやってきたわけです。

でもアメリカは世界から撤退する。

当然、日本からも撤退しますよね。

そうなりますと、飼い主がいなくなるとどうなりますか?ってことです。

「わーい!自由だーっ!」ってなりますでしょ。

そうなったら世界は再び「戦前」に戻ってしまうだけですよね。

だから今、高市政権によって日本国内のすべての膿を可視化させ、

すべての国民に目撃させ確認させ、納得させるという作業が行われているんです。

 

――高市首相の登場には意味があったのですね。

 

最初は衝撃を受けましたけれども、時間を経て改めて考えると、

意味があるなんてもんじゃないんだということがわかってきました。

これはまさにもうね、人智を超越しています。

二元論じゃ解釈できないです。

 

――人智を超越していると本当にそう思いますよ。

 

あれだけ全方位に対して不義理の限りを尽くしている人物が、

総理大臣にまでなるということは、これはまさに

尋常ではない何かが作用しているとしか思えませんもんね。

週刊文春が韓国の旧統一教会と日本の政治家、

そして高市総理との関連性を報じたのが1月8日ですね。

そしたら翌日9日に衆院解散検討を仄めかし始めました。

このことについて彼女は巨大なウソをついていませんか?

でもマスメディアはなぜか黙っています。

これはメディアが高市総理を擁護しているからではありませんね。

いや、擁護しつつ崩壊へ向かわせているという量子意識でしょう。

ジワジワとゆっくりと「その時」を待っているのでしょう。

 

――今、衆議院解散総選挙という話しになっています。

 

公明党が自民党との連立から離脱しましたよね。

これまで自民党は公明党、創価学会の選挙協力を得ていました。

これがすべて消えました。約500万票です。

ただ消えただけならいいですけど、その500万票は消えていない。

自民党から消えた500万票は敵対する相手に入るわけです。

だから解散総選挙があるとして、

その結果がどうなるか、めちゃくちゃ興味がありますよ。

 

――トランプ大統領の動き、アメリカの動きがやはり気になりますし、

それによって日本がどうなっていくかみなさん心配していると思います。

 

アメリカはモンロー主義に回帰し、

建国時の本来の姿である「ガズデン旗」のガラガラ蛇に戻ります。

それまでに後片付け処理を行うため世界中で大混乱に陥ります。

でもガラガラ蛇はこちらからちょっかいを出さなければ、

常に大人しく静かにしているのです。

トランプ大統領は昨年12月5日の国家安全保障戦略で、

「米国がすべての世界秩序を支える時代は終わった」と述べました。

かつてのギリシャ神話の巨人神アトラスのように、

地球という巨大な重荷を背負うことはもうやめると

トランプ大統領は言ったわけです。

 

――巨人神アトラス不在の世界になるということですか?

 

トランプ大統領はもうすでに新しい世界の胎動のために動いてる。

だから悪役の暴君となり、しかしきちんと撤退していく。

新しい世界秩序が生まれるのだということです。

新しい世界秩序の世界では世界の覇権とか枠組みとか

そういう物理的なことではなくて、

まったく新しい「価値観」が共有されることになります。

 

――新しい価値観による新しい世界秩序ですか?

 

だって「二元論」が終わる、というか超越するわけですから。

まったく新しい世界になるんですよ。

 

――それはどのような世界なのでしょうか?

 

これまで「蛇」は封印されてきました。

とぐろを巻いた2匹の蛇が絡み合う姿は、

量子意識の象徴であり生命力そのものだったからです。

蛇を封印していたのは「ピラミッド型の権力構造」でした。

王の威厳と富と権力は蛇を嫌いました。

王の威厳と富と権力は「獅子」に象徴されました。

獅子は百獣の王であり力の象徴でした。

蛇は触れてはいけない禁断の存在として貶められてきました。

そんな「封印された蛇」が解放されるんです。

そして、アメリカが本来のガラガラ蛇の姿に戻り、

そしてさらに、明治維新以降150年の幻想世界から解放され、

東北縄文スピリットを回復した「蛇体」としての、本来の日本が繋がることになります。

こうして「666」(かがみ)としての日本が浮き彫りになってきます。

でも日本のこのような姿は多くの人にとっては、

きっと受け容れ難い現実と映るはずです。

私たちがこれまで無意識にも信じ込んで来た常識や価値観とは

逆位相に存在する未知の意識領域だからです。

そのために今この「日本」がどうしても越えなければならない、

峠というか試練のようなものが来るわけです。

新しい価値観、新しい世界秩序というものは、

現在の私たちが当たり前だと思っている意識領域の、

延長線上に展開されるものではないのだということです。

 

――まったく新しい世界に入るんですね!

するといよいよ「ニセ預言者」の時代ということになりますよね。

 

バビロン系南ユダ満州関東軍統一オカルト清和会勢力が語る

「新しい世界」は本物にきわめてよく似せたニセモノです。

彼らは本物を叩き台としてそれに上書きしてニセモノを作ります。

「本物」が存在しなければ彼らは存在できないのです。

重要なことを申し上げる必要があります。

この期に及んで「新時代」の到来を告げる者たちがたくさん現れます。

そのほとんどがニセモノだろうということです。

ただし、既存の通常の意識だとニセモノを見抜くことはできません。

多くの人がニセモノを本物だと固く信じ込み弾圧し糾弾します。

多くの人が自身の知識と経験に基づいた善良なる心と正義感と

底知れぬ優しさで本物をニセモノと信じ込み、批判し罵り弾圧し糾弾します。

こういうことが方々のあらゆる分野で起きてくる。

つまり、ニセ預言者の到来ということは、本物が駆逐されるということ。

ほとんどの人にはニセ預言者は本物に映っている。

つまりほとんどの人の目にはニセ預言者は見えない。

つまりほとんどの人は本物とニセモノを見極めることはできない。

その象徴として生成AIが登場しているといえます。

生成AIも正規のコンピュータから生み出されているのですから。

 

――本物を叩き台にするそのスピードの速さに驚かされます。

そしてそれも正規なものだったのだとわかったら確かに納得します。

よく世の中は二極化しますと言われていますが、

ただ二極化するだけではなくて、両者がそれぞれ自分の立ち位置を

誤認した状態で二極化するということになりますよね。

まさにそうです。ただ二極化するだけじゃない。

二極化された両者の中身がひっくり返されている。

でもこのことに誰も気がつかない。

そしてその両者の相克の末に生じた結果は

果たして純粋なものなのか?という疑問があります。

 

――人でありbotでもあるのと同じように、

自己認識をよほど上げて行かないと、

正確な自分の立ち位置すらわからないということですかね。

自分自身を自覚するということの大切さを痛感します。

 

この期に及んで大切なこととは

「自分と向き合うこと」という、じつにシンプルなことなんだと痛感しますよね。

あまりの圧倒的な本物の到来は、その他のエキストラbotを活性化させます。

それまである程度本物たり得たのに、それに無自覚だったような人が瞬時に

エキストラbot側に変貌させられます。

そして最後の瞬間までそれらはセンティネルズとして機能します。

センティネルズはQCが描写する現行ホログラム世界の番兵です。

アノマリーの出現を消去するための正規のプログラムです。

正規だからこそその一個のセンティネルズは、本物と同等の力を与えられています。

だからアノマリーはできるだけ、人に会わないようにしなければなりません。

私が最近「公共交通機関は要注意」と繰り返し言っているのはこうした理由からです。

 

――飛行機の不具合や事故、鉄道の運休、山火事まで、

最近はほとんど毎日このようなことが連続しているように思えます。

 

私たちが次の新しい意識領域につつがなく移行するとしてもですよ、

その最後の最後のギリギリの瞬間まで

「あなたは本当にそれに相応しいのか?」という猛烈な問いの嵐に包まれます。

ついうっかりと、間違えてその場のノリで、移行してしまうようなことがないように、

細心の注意が払われます。

そういった意味において、ニセモノという存在がQCという「ひとつ」が放った、

必要不可欠なアノニマスなのだということがわかりますよね。

QCが放ったアノニマスだから「Qanon」ということですからね。

ですからQanonという存在は私は肯定的には使わないでしょ。

Qanonというのは本物の周りに魚群のように取り巻く集団botのことです。

そしてこれからやって来るのは「本物」だけじゃない。

由緒正しき正統な「本物のニセモノ」もやって来るのだということ。

あなたはきちんと見分けることができますか?

と問われることになる。

 

――それはなかなか厳しいというか難しい状況となりますよね。

現在の日本の政治の世界で繰り広げられる光景も

私たちはいちいち試されているのかもしれませんね。

 

一人ひとりのこれまでの人生で得てきた知識や経験と、

いかに謙虚に自分と向き合ってきたか、その中身が問われる。

そこにテクニックや抜け道や裏技は存在しません。

ラクダが針の穴を通るより難しいことです。

この事実についても最後まで公にされることはないでしょう。

 

――本当に大変な世の中になってきました。

目の前に広がる世の中の全体を解釈するためには

自分自身と深く謙虚に向き合う必要があるんだ

ということがわかりました。

 

現実だけ見たり追ってたらダメ。

でもこれまでは現実の世界は現実の世界の専門家が

現実の世界の知識だけで説明していましたよね。

でも今はそれだけだと通用しなくなってきています。

多次元世界と現実世界を重ね合わせて推断していく。

オシントに多次元世界を重ね合わせるということ。

精度を出すというということ。

「情報」の世界も新たな領域に突入しているんだってことです。

 

――アメリカの蛇体が浮上してくるということは、

日本の蛇体も浮上してくるのですよね。

 

ガラガラ蛇と、人とクンダリーニと、精子と、DNAと、日本列島が

同時にリンクして直結して発動しますからね。

私は非常に楽しみにしています。

 

――私も楽しみです。

そろそろ紙幅と文字数の都合でこのあたりで区切らせてください。

今回もインタビューをありがとうございました!

 

こちらこそいつもありがとうございます。

久しぶりに活字版も出しましたのでよろしくお願いいたします。

「23番原稿」ということになります。

 

――超久しぶりの活字版となりましたね。

 

過去の熟成分から出そうかと思ったのですが、

昨今の時事を見ていたら新しい方が良いと思ったので、

最新のものとなりました。

 

――タイトルはどうなりましたか?

 

「失われたひとつと見知らぬ惑星」 です。

2016年の『消されたシリウス』みたいな雰囲気ですが、

またちょっと違う方向性の内容になりました。

スピリチュアルの深い叙事詩ですよ。

 

――わかりました!これまた楽しみですね!

澤野さん、ありがとうございました!

 

1月は仙台、名古屋と続いて、2月にまた青森でお話しをします。

よろしくお願いいたします。(澤野大樹)

 

――こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。 

画像:Victor Grandpierre/Toile de Jouy collection(本人私物notebookより) 

 

2019年からスタートした青森講演会ですが、

お陰様で今年で7年目を迎えます。

 

第1回講演会、青森活字版原稿第一作目から

全作品までの歩みを振り返りますと、

世界を舞台に、じつに壮大なスケールで

歴史やドラマが繰り広げられていたと、

しみじみそう感じます。

涙と感動と笑いの渦に巻き込まれながら、

時には人間万事塞翁が馬システムを噛みしめながら、

椅子から三回転逆スライド方式で転げ落ちながら、と

必死に駆け抜けて参りました。

どの回を切り取っても、

フツーではあり得ないシーンを

目の当たりにして来たことは間違いありません。

一つ一つ挙げていてはキリがないくらい話が止まらなくなってしまいます。

これぞまさに手に汗握るホラー顔負け、

リアルホログラムの醍醐味だったりするわけです。

ですが、一番のクライマックスはこれからなのでしょうか。

さて、盛り上がって参りました!

 

派手な幕開けとなった2026年。

果たしてどんな風景が見えていくのでしょう。

 

ともあれ、一年といってもあっという間です。

厳しい冬を乗り越え

笑いながら旬を迎えられたら幸甚です。

みなさまにも有難いお力添えをいただき感謝いたしております。

本年も引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

澤野大樹氏青森講演会主催

小野 裕美子


2026年1月22日木曜日

4145「縄文「日本」アラハバキと「蛇」の復活」前半2026.1.22

今回は「宇宙の中心で、愛を叫ぶ」さんの2026年1月17日の澤野大樹さんの記事を2回に分けて紹介します。


「縄文「日本」アラハバキと「蛇」の復活」前半

宇宙の中心で、愛を叫ぶ


こんにちは。

澤野大樹氏青森講演会主催 小野裕美子です。 

今年の東北、特に弘前市を含む津軽地方は、本当にものすごい大雪となっております。

昨年、カマキリの卵が、高い位置に産み付けられていたと聞き、豪雪を予感しましたが、やはりその通りになりました。 

2026年となり、世の中は相変わらず混乱していますが、

みなさま、いかがお過ごしでしょうか? 

昨年末に澤野さんへのインタビューを敢行するつもりでしたが、

あまりにも社会が大荒れとなってしまったため

澤野さんはかなり根を詰めていたようでしたので、

今回、年が明けてようやくお話しを伺うことができました。

それではお送りいたします!

Here we go!!!

 

――澤野さん、こんにちは。

あけましておめでとうございます。

2026年になりましたので今回も早速インタビューをお願いいたします。

 

あけましておめでとうございます。

昨年の秋以降、年末年始にかけては本当に詰めていました。

こんな時代はこれまでなかったんじゃないですかね。

世の中で起きていることを分析して解釈するのも、

身体はひとつですから限界がありますよね。

それと年末年始は世の中がザワついて雑多な空気になりますから、

私にとってもっとも苦手な時期です。

でもずいぶんと長い期間、考えながら時間を過ごせたことは良かったです。

 

――年末年始は苦手だったのですか?

 

元々天邪鬼的な傾向がありましたからね。

世の中が連休モードになってきますと私はみっちり思索に耽ります。

ただし耽ろうと決意して気合いを入れているわけではありません。

自然とそうなってしまうので私としては引け目を感じてはいます。

自分で選んだつもりはありませんけどね。

 

――昨年秋以降、日本も世界も大変なことになってきました。

昨年を振り返っていかがですか?

 

総裁選以降は本当に怒涛のような世の中でしたよね。

人智を超越したかのような動きが随所に見られました。

これは、それを解説する側にも格段の成長が求められることになった。

それまでの普通の解説では通用しないレベルになってきていますね。

どういうところでそう思うのかというと、

世の中の出来事の多くに人智を超えたQC的な意思を感じる部分です。

【※「QC」=「Quantum Computer」(量子コンピュータ)】

 

――「QC的な意思」ですか?

 

これは40年前の平和な日本では感じ得なかったことかもしれません。

それはQCがホログラムに、特定の意図を組み込む度合いが少なかったからでしょう。

もちろんこの世は最初からすべてホログラムですから、

目の前の世界のすべての事象はQCによるホログラムですよ。

これは変らないし忘れちゃいけない。つい忘れてしまうけど。

この基本前提を忘れてしまうと「喜怒哀楽」に没入してしまう。

逆に言うと、この世界に人々を縛り付けていたいと巨視するならば、

人々を喜怒哀楽の沼に溺れさせ続ければいい。

感情は人類の精神進化を途絶させるためにある。

だからゆえ、それを乗り越えるために感情は用意されているのだと思います。

ホンの些細な己の心の在り様が己の意識成長の鍵だったりするわけです。

そのたった半径2メートルの「私の世界」の取り扱いだけで、

すでにQCとの付き合い方、向き合い方がいちいち決まっているわけ。

それはまさに毎日毎分毎秒に起きている。

人は一生涯に10億回に及ぶ「決断」をしていると言われていますけれど、

つまり10億回もチャンスが繰り返される激甘々のシステムですね。

これはねもうユルユルの甘々のジャックポット無限連荘なのね。

それでも多くの人がその10億回ものチャンスを一度もモノにできない。

右折の交差点でハンドルを左に切り続けている。

人は成長しているように見えてじつは成長していない。

 

――非常に耳の痛い話しではありますね。

 

それは私も同じなんですよ。

 

――システムを字面で知ったとしても

実際には難しいということですよね。

 

最近よく「寿司職人に修行なんか必要ない」という

意識高い系合理主義者が非常に増加していますが、それはじつは判断を誤っています。

それは「吝嗇」(ケチ)の発想です。

たとえば、才能はないけど有名になりたいとか、

苦労はしたくないけど成功はしたいとか、コストはかけたくないけど利益は得たいとか。

独自性は持っていないのに個性派を気取るとか、

こういうのの根底には「ケチ」が潜んでいるのですよ。

この「ケチ」の発想がこの世を衰退させやがて滅ぼします。

今の社会に最も悪影響を与えた言葉というか、概念は「コスパ」だと思います。

 

――「コスパ」は本当にいろんなところで耳にしますね。

 

自分が体験するサービスや商品にコスパを求めるということは、

その人自身にもコスパが求められるということです。

つまり、安い賃金で効率よく働けという要求です。

自分がやったように自分がされるのです。

こうして訓練された理想的な労働者が仕上がるのです。

自分が一廉(ひとかど)の“人物”として認められたいならば、

何よりもまずは自分が惜しげもなく放出する必要があります。

その行動は「コスパ」とは逆の位相にあるのです。

つまり「コスパ」とはエキストラbotを量産するための罠です。

そうはなりたくないとか思うのでしたら、コスパの世界からできる限り

遠ざかり視線を向けることもやめた方がいいです。

 

――私たちが日々気に留めておくべきことはありますか?

 

「オーバースペック」(過剰性能)に徹するということです。

コストカットをして建てられたノイシュヴァンシュタイン城に魅力はありますか?

コストと工期を気にして建てられたサグラダ・ファミリアに価値はありますか?

ローマのパンテオンもコロッセオも古代コンクリートで無筋コンクリート造りです。

無筋ってつまり鉄筋が入っていないのに2000年経った今もヒビも入らない。

「本物」を作ることが普通の価値観である社会に回帰することが求められます。

だけどそういうのを嫌い排除しようとする一定の勢力がいるのです。

「ロスト・テクノロジー」だけではなく

「ロスト・フィロソフィー」もあるわけ。

だから現代人類は「核」を扱ってはならないのよ。

フィロソフィーに立脚したテクノロジーがあれば

「核」は一家に一台普及するでしょう。

社会構築にコスパを優先させる国はいずれ崩壊するでしょう。

 

――「コスパ」を重視し過ぎることのその先があるのですね。

 

コスパの風潮が高まっていくと、それはやがて、

「ウソをついてもバレなきゃいい」とか、

「一度きりの人生、やっちゃったもん勝ち」とか、

「自分たちの利益のためなら事実を捻じ曲げてもいい」とか、

「聞かぬなら操作しちゃえばいいじゃんホトトギス」みたいに、

拡大解釈が輪をかけて進行して変なことになっていきます。

安直な成功願望はいつしかそもそもの純粋な思いを濁らせる。

「入口」と「出口」は純粋でなければいけないんです。

「人」というスケールで例えるならば、生まれたての瞬間と、

老齢で人生を終える瞬間は同じであることが理想です。

それを整えるために、人生にはあらゆる艱難が用意されているわけです。

その艱難を憎んではならないし、不公平だなんて考えちゃダメ。

それこそが「平等」の最たるものであると直観する必要があります。

 

――AIの登場であらゆる面で人の手は不要になると言われていますよね。

 

生成AIがインターネット世界を破壊します。

そのための生成AIでしょう。

もうすでに今、映像素材の信頼性は限りなくゼロに近付いています。

まったく清浄な水に、一滴の汚水を垂らしたらもうそれは

どれだけ希釈しようとも元の水には戻らないのと同じように、

生成AIはあっという間にこのホログラム世界を汚染します。

でもそれは必要なことなんです。

この三次元現実ホログラム世界こそがそもそもが生成AIですから。

人類がその中で、さらに生成AIを創造したということは大したものです。

まさに夢の世界の中で夢の世界を描写したわけです。

これによって元々のQCが現世から距離を置きます。

すると「グリッチ」(Glitch=プログラムの誤作動)が多発するようになります。

私たちが見ている「確かな現実世界」にドット抜けが現れます。

これ全部、必要なこと。

グリッチはじつは「誤作動」じゃなくて、意図的に見せてきているのだということ。

つまり、生成AIによる「汚染」は汚染じゃないのだということ。

 

――そんな中で私たちはどう対応すればいいですか?

 

極力デジタル世界に捕捉されないようにすること。

自覚のないエキストラbotは位置情報を利用されて

いつ何時「bot爆弾」として使役させられるかわかりませんから。

まあ、できるだけ現金で支払い、生身の人間が作った

本物の料理を食べることですかね。

あとはSNSで話題になった行列店には並ばないこと。

 

――極力、アナログで生活するということですかね?

 

そうです。できる限り「アナログ」にする。

トイレにスマホを流してしまっても何の問題もない生活にする。

昭和45年から昭和60年の日本の暮らしに意図的に戻す。

これは話が長くなるから置いておきます。

まあできる範囲で各々が、それぞれアレンジしてやったらいいと思います。

 

――みなさん学校や仕事などでしがらみも多いと思いますが。

 

特に「仕事」はじつに深い規定で目の前に現れていますからね。

どんな職業でも平等に意識成長の機会は与えられています。

それが「職業に貴賤は無し」ということ。

スタートラインがバラバラなのはじつは平等の最たるもの。

でもそれを是正しようとする動きがありますよね。

あれは三次元ホログラム世界の1ページ目では推奨されること。

でもこれには根深いものがあります。

「出どころの不確かな神だからといって差別するべきではない」

という、「大いなるひとつ」から分離した者たちの

強烈な劣等感と疎外感から生じた意識の派生なんですよ。

だから彼らは「平等」を「不平等」にすり替えているんです。

「ヤハウェに恨まれた、あるいはヤハウェに呪われた私たちが、

ヤハウェに代わるような新たな別の神を創造しましたが、

それを出どころが不明な人工的な偶像崇拝だとすることは

差別であるから撤回すべきだ」という意識が根底にある。

だから人々を一直線に並ばせたがります。

これがグローバリストの淵源だと私は考えています。

「ひとつ」を捨てたがゆえに付け焼刃の「平等」を強いるのです。

純粋さを捨てた者たちが誰よりも己の純粋さを語っているのです。

 

――グローバリストと呼ばれる人たちの根っこの部分は

考えたこともないくらいの方向でしかも想像以上に深いんですね。

 

だから今世界は、グローバリズムと反グローバリズムの戦い

というわけではないのです。

もっとずっと根が深いし、裾野が広い。

トランプ大統領の言動が世界中を混乱に陥れているように見えますよね。

トランプ大統領という暴君が世界を破壊しているようにも見えます。

でもこれはじつは逆なんですよね。

 

――日本のマスメディアは総じて反トランプ的な姿勢ですよね。

 

戦後の日本のマスメディアは米国民主党傘下ですからね。

アメリカ三大ネットワークの「正規報道」をトレースするだけです。

でもそのアメリカ三大ネットワークの基盤が崩れています。

不思議なことが起きているのですよ。

アメリカは世界から撤退します。

この前、トランプ大統領はアメリカが66の国際機関から

脱退するように指示を出しましたよね。

つまり戦後、世界の秩序、枠組みを定めてきた組織から撤退するの。

ということは、

アメリカはいわゆる「ヤルタ・ポツダム体制」(YP体制)から

撤退するのね。

「ヤルタ・ポツダム体制」って安倍氏が言っていた

「戦後レジームからの脱却」のその「戦後レジーム」のことです。

戦後レジームを創設した当事者が撤退しちゃうんですよ。

 

――それだと他の国とか混乱してしまいますよね。

 

そうなんですよ。

戦後の世界秩序の構築に誰よりも率先して関わり、

どの国よりもその中心にいて君臨し続けて来たアメリカが

なんと真っ先に「お先に失礼します」って出て行っちゃうということ。

「もう他国のことなんか知らないから勝手にうまいことやって」と。

だけど今アメリカはかなり細かいところまで閉店作業をやっています。

これまで地球の裏側にまで張り巡らせた表や裏のネットワークを

ひとつずつ解いて後片付けをしているんです。

一般社会でも同じですよね。

お店を閉店する時、いきなり「閉店」ってやろうとしてもできませんよね。

会員のお客様のポイントカードの処理、取引業者への支払い、

官公庁への届け、家賃の清算、水道光熱費の清算とか

閉店するにしたって、やらなきゃいけないことが山のようにありますでしょ。

それの国バージョンですから。

もちろんアメリカという国自体が消滅するわけじゃありません。

戦後の世界秩序の「表舞台」からアメリカが消えるということです。

これは世界に対して相当に巨大なインパクトをもたらします。

だからアメリカは「今日で閉店」なんてできないですよね。

撤退閉店するためには膨大な後片付けの処理がある。

 

――今、トランプ大統領は全世界からドン引きされるようなことを

やりまくっているように見えますけれどこれはどういうことですか?

 

アメリカが世界の表舞台から撤退するにあたって、

弱く逃げ腰の姿勢を見せるわけにはいきませんよね。

最後の最後まで強いアメリカの姿を保持しながら徐々に去っていく。

トランプ大統領はその強力なメンツを保ったまま、

アメリカという国と共に世界の表舞台から消えていくと思います。

今、ウクライナはもちろん、ベネズエラや南米諸国、グリーンランドなど

「西半球の覇権」を確立しようと動いていますが、

これは冬眠前のクマが里に下りてきて荒らしているのと似ています。

体内に栄養を蓄えたらクマは静かに冬眠に入ります。

言い方はおかしいかもしれませんが、トランプ大統領によって、

世界は急速に「ホワイト化」されていますよね。

アメリカが半ば管理してきた世界秩序からアメリカが抜けた後、

世界は当然カオスとなるでしょう。

そのカオスというか混乱を最小限に抑えるための処理が

今行われているということです。

 

――そうなりますと、じつは日本はかなりマズいんじゃないですか?

 

その通りですよ。

「世界ホワイト化」を実現するための最重要国が日本ですから。

世界から撤退するための後片付け処理をするために、

最後の砦である「日本」に関与するんです。

 


――やはり「日本」が最後の最後となるのですね。

 

タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、フィリピンなどの水面下で、

巨大な粛清と大量逮捕が行われていますよね。

これらの中枢にあるのは我らが日本なのですから。

戦後もアジアの山の奥で密かにずっと80年かけて構築されてきた

国際詐欺、麻薬、人身売買ネットワークがあります。

これらがここへ来て一斉に「ホワイト化」されています。 

その結果、日本のマスメディアを背後から支配してきた存在が

ごっそりといなくなるわけですからね。

でもそうなれば日本のマスメディアは本当の、というか、

本来マスメディアのあるべき姿を手にする、かつてないチャンスでもあります。

でも日本のメディアはその状況を恐れていますよね。

だって今まで一度も経験したことのない「独り立ち」ですから。

だから日本のメディアはこれからいろいろ大変だと思います。

圧倒的なケツ持ちがいなくなってしまうのですから。


2026年1月21日水曜日

4144「憎しみからの解放」2026.1.21

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月09日の記事を紹介します。


「憎しみからの解放」


今日は「どうしたら憎しみを消すことができるか?」と言うお話です。

心の中から憎しみを消さないかぎり、

本当の幸せを手に入れられないからです。

よく、「不平不満・愚痴や悪口などは、

思ったり口にしたりしない方が良い」と言われますが、

それは取りも直さず、自分の中の神さまと繋がり、 

本当の幸せを掴むことが、

自分の力でできるようになるからです。 

私たち凡人は、なかなか心の内の、「憎しみ」を消せない時があります。 

そしてその結果、現実の生活では

様々な艱難苦難に遭遇していきます。

その憎しみの対象は、

家族に対してのことがダントツに多いようです。

親や配偶者など。

ですが空海の仰るように、

心というのは、

生きていても、死んでからも同じ 

憎しみや怒りに執着して凝り固まっていたら  

天からの光に気づかない。

無意識に拒否する。 

だから、死後も成仏できない。

死後も同じ状態のまま、

長い長い地獄のような生活を送らなければならない。 

すべては本人の心の問題。

が真実のようです。

肉体があろうと、亡くなって肉体が無かろうと、 

心の状態は変わらない。 

死んですぐに仏になるわけではない。。 

ですので、このことが空海が言う、 

生きているうちに「幸せ」を掴まなくてどうする? 

という「即身成仏」の教えに繋がってきます。

空海は生きているうちに仏になれるんだよ・・ 

と教えています。

ここで言う仏とは、

心の状態が穏やかで平和で幸せと言うことです。

生きているうちに憎しみ、怒り、執着から離れることで

天の光に気付き、幸せになることが出来ると言っているわけです。

もし心が、憎しみ、怒りから離れなければ

死んだ後も、同じ状態が続くと仰っています。

でも、そこには仏の慈悲があります。

生きている間には、いろんな人と接することで、 

気付きをもらうことが出来ます。

私達は、今こうして生きています。

それぞれが置かれた環境は異なります。 

楽しさや、苦労の度合いも人さまざまでしょう。

ですが、私達は色んな個性の人達に囲まれ、 

・好きな人に囲まれ、

・嫌いな人に囲まれ、

・人を好きになったり、

・嫌いになったり、

・嫌われたり、 

様々な経験を積み重ねていくことで、

沢山の気付きを頂くチャンスに恵まれています。

もし、私達が自分の置かれた環境で、 

その様々な境遇に感謝して 

明るく前向きに自分の精一杯の生きざまを示すことができたならば、

きっと私達は生きながら 仏の気持ちになれるかもしれません。

生きながら幸せになれるかもしれません。

私達、誰一人も例外なく、その様な恵まれた環境に

今置かれています。

例え、苦しく感じる環境であっても、 

それは実は私達の心にとっては、

神さまが準備してくれた素晴らしい環境であるのかもしれません。

最後に空海のお言葉を紹介します。

生きとし生けるもの、すべてに命があり、心がある。

そのことを忘れてはいけないよ。 

すべては、一人一人の命の働きから始まるのだ。

難しく考えることはない。

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

さすれば、道は開くであろう。

空海が生きていた当時の日本で、

仏教は朝廷の強力な推薦もあり民衆の間に広まっていました。 

ですが当時の(奈良)仏教は今ではなく、

死んだ後の来世の幸せを説くものでした。

ですが空海は、今、生きている今ここで幸せになれると説いたのでした。

そして、その方法こそが、

素直に生きて、皆に感謝をしなさい。

そして、おのれの魂が喜ぶ生き方をしなさい。

だったのです。

魂が喜ぶとは・・

自分の良心、自分の中の神様が喜ぶこと。

良心に従った生き方です、

皆に感謝とは・・

みんなに「ありがとう」と言う事です。

素直に生きて、皆に感謝をすることで、 

今、この生きているうちに

「本当の幸せ」を手に入れることが出来ると、空海は仰っています。

不平、不満、愚痴、悪口も良いでしょう。

・むり、

・どうせ、

・だって  

と言い訳や、後ろ向きの言葉を使うのも良いでしょう。

ですが、もしそれに疲れてしまったら、 

この空海の言葉を思い出してみて下さい。

きっと空海の仰る通り、

生きている今、幸せになることが出来るかもしれません。


2026年1月20日火曜日

4143「因果応報-悪口」2026.1.20

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月07日の記事を紹介します。


「因果応報-悪口」


人から悪口や、イヤミを言われた時どうすればよいか?

斎藤一人さんが、非常に簡潔に、優しい言葉で

大切なことを仰っていますのでご紹介します。

<転載開始> 転載元 

人間関係の問題は、いろいろあるんですけれど、 

「これだけ覚えておけばいいですよ」というものがあるんです。

これだけ覚えておけば、

いろいろな問題があるなかの8割は大丈夫。

解決するんです。

この世の中には“嫌なヤツ”っているでしょう?

イヤミを言ったり、いばったりする“嫌なヤツ”が

どこに行ってもいるんですけれど、 

それをやめさせようとしちゃいけないんです。

「復讐するは我にあり」じゃないけれど、

復讐は人間がすることではないのです。

悪いことをした人には必ず、神さま(自分自身の良心)によって、

同じように悪い報いがくる。

だから、ことのなりゆきは、天の神さまにお任せするんです。

そして…ここが大事なところですよ、 

いいですか。

「やられたらやり返せ!」って、

その“嫌なヤツ”の悪口を言っていると、

今度は言った人に、悪い報いがきてしまうんです。

自分の畑にピーマンをまいたからピーマンがなる。

自分の畑に、自分で麦をまけば、麦がなる。

そして、自分がまいたものを、自分が刈り取るんです。

隣の人が唐辛子をまいていても、唐辛子を収穫するのは隣の人であって、 

あなたではありません。

それと同じで、あなたがイヤミなことを言われた場合 

悪いことが起きるのは、あなたではありません。

あなたにイヤミなことを言った、その人間です。

つまり、放っておいても、

勝手に相手は痛い目をみるようになっているのです。

それを、あなたがもし「イヤミを言われて嫌な想いをさせられたんだから、

こっちも、あの人にイヤミをお返ししてやるんだ」という気持ちでいると、 

あなたから、“居心地のよくない”ムード(波動)が出てきます。

それではあなたに、人も、運も、お金も、近寄ってきてくれません。

それどころか、自分が望まない、

嫌なことを招き寄せてしまうんですよ。

だから、復讐しようとしちゃいけないのです。

復讐はあなたの仕事ではありません。神さまの仕事です。

<転載終了>

よく人の悪口を言う人がいます。

また現在のようにネットが普及してくると、

SNSで人の悪口や非難をする人も目にします。

もしかしたら、相手がいないところで、

自分の周りの人に、悪口を吹聴している人もいるかもしれません。

そして、それに対して、反応してしまい、

今度は自分が同じようにやり返す方もいます。

ですが、それらの行為は、一人さんが仰るように、

やめた方が良いかもしれません。

今度は言った相手ではなく、

仕返しをした自分自身が同じ土俵に立ち、

同じような嫌な波動をまとい、 

自分自身の人生に不幸を引き寄せてしまうからです。

やられたからやり返す。

そうしなければ、自分は正しく生きているのに、

何だか負けた気になってくる。

やられ損にはなりたくない。

それらの心では、必ず相手と同じ波長をまとってしまいます。

私たちの住む世界は、自分の心の状態が現実を作りますから、

その汚れた心と同じ現実が

自分の周りに現れてくることでしょう。

ですから例え悪口やイヤミを言われたとしても、 

それを心に留めず、

受け流し、受け取らなければ良いことです。

もし目の前で言われたのなら、

ニッコリ笑って「ご忠告ありがとうございます。

感謝します」と言って、 

離れたら、また元のように

ご自分の信念に基づき行動すれば良いだけです。

ブッダもこのような時、静かに反論せず、

受け取らなければ良い・・ そう仰っています。

人から根拠なき悪口やイヤミ、

陰口を言われることは日常茶飯事ですので、

一人さんの仰っる方法を実践するだけで、

かなり楽に生きられるかもしれませんね。


2026年1月19日月曜日

4142「何に感謝するのか」2026.1.19

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月05日の記事を紹介します。


「何に感謝するのか」


今日は、私たち人間の持つ全ての悩み苦しみの、共通の解決方法についてです。

神様や自然界、宇宙からのサポートを、ふんだんに得るためには、 

「感謝」が大切なことなのですが、その具体的な方法をご紹介します。

小林正観さんの著作からご紹介します。

<転載開始> 転載元

講演会が終わって、初めて二次会に来たという方が私の右隣に座りました。

そして「質問していいですか?」と私に声をかけてきました。

「実は、今日のお話のように自分はたくさんの幸せを感じ、

とても恵まれていて、悩み・苦しみがないのですが、 

一つだけどうしても超えられない悩みがあります。」ということでした。

「どんなことですか?」

「実は結婚して十年経つのですけれど、 

子供ができません。

いろいろなことをしているのですが、どうしても子供ができないのです。 

それだけが悩みで、ずーっと悩んで苦しんでいます。

というお話でした。

「そうですか。結婚して十年経って、子供がほしいを思っているということは、

ご主人がとてもいい人で、優しい人なんですよね?」

というふうに問いかけました。

「ほんとうにそうです。とても優しくて、いい夫です」と彼女は答えました。

「舅姑との関係が悪くて、頭にきて腹を立てるような日々だったら、

多分、その家の子供が欲しいとは思わないでしょうから、 

舅姑との関係は、いいのでしょうか?」と、私は問いかけました。

「ほんとうにそうなんです。

舅さんも姑さんもとてもいい人で、私は恵まれてほんとうに幸せです」と、

彼女は答えました。

「そうですよね」。親戚の人もみんな、いい人なのではありませんか?」

彼女は答えます。

「ほんとうにそうです。

私はほんとうに優しい人たちに囲まれていると思います」という答えでした。

「では、伺いますが、その方たちの一人にでも、

手を合わせて感謝をしたことがありますか?

自分がどれほど恵まれているかということに、

手を合わせて感謝をしたことがありますか?」

と聞きました。

「え?」

と小さく声を発した彼女は、そこからまた前の例と同じように、

どわーっと涙を流し、二十分ほど泣き続けました。

私は、その泣いている彼女の耳にこういう言葉を伝えました。

「もし私が神さまだったならば、あなたのその唯一のお願いごと、

頼みごとを、絶対聞かないと堅く決意したかもしれない。

そして、もし私が神さまの友人であったならば、

神さまがこの人のいうことを聞いてあげようと思ってやってきたときに、

神さまの目の前に立ちふさがって、 

この人のいうことを聞いてはいけないと邪魔をするかもしれません」

というふうに申し上げました。

なぜなら、子供ができないことばかりを挙げ連ねて、 

実はそれ以外に、自分がどれほど恵まれているかということに

感謝をしていないのではないのですか。

もし、自分がどれほど恵まれているかということに気が付いたならば、

恵まれてないその一点を悩み・苦しみだといって挙げつらうのではなくて、 

来る日も来る日も、自分が恵まれていることに

手を合わせて感謝をしているのではないでしょうか。

そういうことに全然感謝をしないで、ただひたすら、

「これが足りないから、これをよこせ」

「あれが足りないから、あれをよこせ」

と言い続けている人には、神は微笑まないような気がするのです。

自分の思い通りになったら感謝するけれど、思い通りにならない状態では、 

感謝をしない、というのは、本当の感謝ではないのかもしれません。

恵まれているもののほうに目を据えて感謝をする。 

足りないものだけを挙げつらねて

「神さま、これをください」

というのは、ほんとうは、神さまや宇宙に対する冒涜なのかもしれません。

この話にも後日談があります。

一年ぶりに彼女が私の前に現れました。

「相談したときに言われたことはショックでした。

でも、そのショックは「確かにそう・・・」と思え、体中にしみ込みました。

なんと、私は今、妊娠七か月なのです・・・」

みんなの猛烈な拍手。

受け入れて「感謝」することを始めたら、なんと授かった・・・

奇蹟はあちこちで起きるのです。

<転載終了>

ここでもやはりポイントは

「置かれた場所で咲きなさい」と同じことです。

何か足りない、何かが無いから不幸だ。

と無いもの、与えられていないものに不平不満を言うのではなく、

今与えられているものに感謝すること、自分が置かれた環境に感謝すること。

足るを知ること・・

それが大切なんだよと教えてくださっています。

今の環境に置いて下さったのは神様です。

そしてそれは、私たちが生まれる前に、神様と私たち自身が一緒に決めてきた環境です。

これを摂理と言います。 

苦しくて辛い環境も、決して私たちを苦しめるためだけに

神様が用意して下さったわけではありません。

その辛い環境、悩み多き環境を経験することで、

私たちの魂を引き上げようとしてくださっているからです。

ですので、その悩みは、決して永遠に続くものではありません。

破滅への道ではありません。

どうか安心なさってください。

そして、置かれた環境、周りに居てくださる方々に感謝してみてください。

笑顔を向けてみてください。

きっと、それが答えですから。


2026年1月18日日曜日

4141「家族になった訳」2026.1.18

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2026年01月04日の記事を紹介します。


「家族になった訳」


世界で一番大切な人なのに・・・

家族って、どうしてこんなにも、難しいものなのでしょうか? 

本当のホンネでは、愛し、愛されているのに

誰よりも家族のことを深く、愛しているのに・・

憎しみ合う人たちも多い・・・ 

今日はそんなテーマです。

結婚するまでは、他人同志だった二人。

・生活感、

・価値観、

・金銭感覚、

・物事の受け取り方も 

まるで違う者同士。

結婚し、家庭を作り、お互いに同じ方向を見つめ、協力し、助け合い、 

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、

笑いながら、幸せに暮らして行きたい。

子供が生まれれば、二人で協力し、慈しんで育てたい。

お互いに歳をとり、白髪になり、元居た世界に帰るまで・・

そう思っていたのに、実際は、

家族だから、苦しめ合っている、そんな現実が、なんと多いことか。

家族だから、期待や要求をぶつけ、干渉し、支配しようとする。

家族だから、罵り、傷つけ、暴力を振るう。

家族だから、残酷さや支配欲、身勝手さをさらけ出す。

ブッダは2500年前に、家族が抱える悩みの中に、 

業という大きな理由を見つけました。

ブッダが生きていた時代に、お弟子さんだった小林正観さんが

家族について次のように仰っています。

<引用開始>

みなさんは、家族は長く一緒にいて

自分の主張をし合うことが仲よしの証拠、だと思っているところがあります。

でも、私はそのように、家族をとらえていません。

家族とは、他人に対して言わなくてすむ、わがままを、 

目の前の家族という名の、特別な存在に対しても言わないという、

訓練の場、なのだと考えています。

あることを他人から言われたときに、 

その他人に対しては、

腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。

ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、 

ものすごく激昂(げきこう)して、腹を立てて、 

怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?

実は結構いるのですが、そういいう性質を幼児性といいます。

つまり、この人には甘えていい、という特別な感情を持っているわけです。

もしここで、踏みとどまることができるなら、 

その人は忍耐力というのを持っているわけです。

自分で自分の感情が、制御できているんですね。 

それが、ある人との関係では、制御できて、コントロールできるのに、 

別の人との関係ではコントロールできないというのは、 

制御ができないのではなくて、制御をしないのです。

家族だから、妻だから、夫だから、という理由で制御しないのは、 

甘えているという意味で、それを幼児性といいます。

結婚というのは、幼児性の克服のための、訓練の場なのです。

そこのところに気がつかない限り、 

多分、穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。

家族というのは、わがままを言い合うために、存在するのではなく、 

わがままを言えるような人間関係が目の前にあって、 

それでも、なおかつ、そのわがままを言わない、ために存在するのです。

言わないということは、大人になるということです。

この話をしたらある人がこう言いました。

「それではストレスをどこで発散するんだ」と。

もう一度いいます。

家庭というのは、ストレスを発散する場ではありません。

幼児性でわがままを、振りまきたくなる状況設定をされているのが家庭。

そこで自分がいかに、幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。

これは業(ごう)というものですけれど、

その業の克服のために、 家庭というものが存在するのです。

家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。

幼児性というものを克服するために、家庭が存在するということがわかってくると、

子どもとの関係、親と子の関係というものも見えてきます。

実は親が子どもを育てている、のではなくて、

子どもが親を育てにきている、ということに気がつきます。

結婚した時に、自分だけのわがままで生きてきた人生から、

相手が一人増えるわけです。

妻や夫という名の家族が。

そして、子どもができたときには、もう一人別な存在が、できてきます。

妻や夫や子どもが、自分の思いどおりにならなかったりすると、

感情をかき乱されます。

そのときに、どんなことがあってもいら立たない、ということの訓練の場として、

実は家庭というものが存在する。

ですから、家庭はわがままを言うところではないし、

ストレスを発散する場ではないのです。

<引用終了>

日常の生活の中で、幼児性を目にする機会は良くあります。

・上司が部下に怒鳴る

・妻に暴言を吐き、暴力を振るう

・年配者が若者に暴言を吐く

・飲食店や小売店で、「お金を払っているから私はお客だ」と威張ったり、

 怒鳴ったり、いら立ったりする

相手がいなくとも、こんな「幼児性」もあります。

・いつも自分だけが我慢している(すれば良い)と思っている、言っている

・ちょっとしたことに不平不満を感じ、ため息をつく、愚痴を言う

・いじける

そういう人には、すべて幼児性があります。

どんなに偉そうなことを言おうと、我慢ができなくて、

わがままで自分さえよければいいという、甘えが抜けない。 

それはまるで幼児と一緒です。

幼児性のある人は、わがままを振りまきたくなる状況設定をされている場、 

つまり家庭では、自己をコントロールすることが難しくなります。

幼児性があるから、ものすごく激昂(げきこう)し、

腹を立てて怒ったり、怒鳴りまくってしまいます。

でも、正観さんが仰るように、その家庭の中でこそ、その幼児性に気付き、 

そして穏やかな気持ちでいられるよう、

自分自身で、コントロールできるようになりたいものです。

家庭だからこそ、その自分の幼児性がデフォルメされて表現されています。

それに早く気付けるように・・

自分の中の、幼児性に気付けるように・・・

そして、お互いに同じ方向を見つめ、協力し助け合い、

貧しい中でも工夫して、小さな幸せを見つけ、笑いながら、 

みんな、仲良く、幸せに暮らして行きたいですね。

それが、家族と言う単位を作った

神さまの優しい、計らい、目的なのですから。