月の浦は金華山へ行く船の基地である鮎川港へ向かう途中にあります。牡鹿半島の半ばで、南側に面した小さな港です。入口に佐藤忠良作の支倉常長の像が東の海を見下ろすように立っています。海岸に下りて行くとこの浜も3,11の津波災害にあってその様子が伺えます。
常長一行180名がここからメキシコに向けてサンファンバウテスタ号で旅立ちました。常長の7年半にわたる苦難の始まりの地です。船に水を積んだ南蛮井戸があり、少し山に登ったところに東郷平八郎書の記念碑があります。
雨の中、その碑の前で海に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「訪れたる彼の地は大きなる光を持ちてありたり。
この東にある元なる光と、西にある光を結びて、この地球の全てに光が回り行きたれば、この地球、この宇宙変わりて新しき。
今、皆々様が取り掛かりて成し行くは、この大きなる仕組みを動かすものなり。
響かせて光を動かして、大きな嬉しきへ参りましょうぞ。」10:25
あわ歌を唄っていると、岸辺にうみねこが飛んできて楽しげに波間に遊んでいます。歌い終わると彼方に飛び立ちましたが、全てが呼応しているようです。
帰りはサンファンバウテスタ号を道路から見下ろして見学しました。舳には九曜紋が記されています。九曜紋と丸に十字の2つの文様が鍵の様です。Wさんは鹿児島県出身で島津藩は丸に十字の家紋です。スペインに同行する中に3名の九曜紋の家紋の方がいます。スペイン旅行には旗を作って片面は丸に十字、もう片面は九曜を記して持参して行くようです。その作成はWさんがして下さります。
サンファン記念館から少し下ると直ぐに佐藤造船所さんがあります。
そんな中、佐藤造船所さんの復興計画も二転、三転していますが、国の再建補助金の初交付が決まり、少し展望が開けているようです。新聞で公表されて嬉しいことと喜んでいましたが、今回伺って直接、内情を聞くとまだまだ難題、課題があります。行政とのやり取りの中で、価値観、物の考え方、優先順位など克服する努力をこれからも継続して、必ず再建、復興すると力強く話してくれました。
中山さんからあわ歌を唄って頂きました。その時のお言葉です。
「まずもって深く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
この地にありて、この海、この川、人々守りて参りたるが、力及ばずご心労おかけいたしております。
是よりこの地、守り行くは多くの方々にご支援を賜りて参ります。
この時、この地より響きを発し、光と一つに成られ、このあなた様の地に光の柱はっきり打ち立てて頂きたし。
方々、集いて大きな渦作り、見事に守り行きましょう。
どうぞ、そのままの思い、ひたすらに続けて下され。」12:45
ありがたいお言葉です。Sさんもあわ歌を拝受している内にどんどん元気になり、顔色も良くなり、明るくなってきました。日ごろの苦悩を少しでも分かち合い、理解して頂けたことに感涙していました。お言葉にも感動し、これからの更なる励みになることでしょう。固く握手をしてお別れしました。
車を走らせて次は大和農場に向かいます。しかし車中、中山さんは何かすっきりしないようで、まだお言葉があるようです。以下のお言葉がありました。
「必ず、必ず、必ず、成し行くこの事は。
如何なる事と申すは、光の柱の大きな場所なり。
訪ね渡りて幾度か、真の思いを光に乗せて、方々に示せばならぬなり。
必ず響きて頂きましょう。」13:37
「届けましょうぞ。彼の地へは多くの光を送る。
受け取られませ、響きませ。」13:37
「明日来る歌は光りを放つ歌ぞ。歌いて届けて下され。」14:23
農場の大家さんのGさんにもお越しいただき、四方山話をしてあわ歌拝受会と成りました。これからも大和農場に深くかかわりのある方々のお言葉も紹介します。
まずGさんが先ず拝受されましたがその時のお言葉です。
「あ~。(拍手)
お送りいたします。
是よりこの地、皆々様、全ての方々、関わりの皆様、共々に光の中へ参らるる。
待ち望み。ふるふる、光の音、表します。(拍手)