「本日は、あなた様のこの地にて、ここにある多くの宝を皆々開く、それまでを表します。
是より申す事、順次行いて参られて、現れ来るを知り行きて、やがて整う大きなる事。
ふつなる御魂と出会う。
鳴る神を鎮め行く。
うつり来る光と共にひとつになる。」
果たしてどのようなお宝が現れるのでしょうか。この地は宝の山の様です。これからが楽しみです。しかし、ふつなる御魂と出会い、・・何とも頭をかしげるOさんでした。
Tさんは一味あるお言葉です。
「ろくでなし、ろくでなし、ろくでなし。
楽しきなり、嬉しきなり。
皆々集まり、ろくでなし。
正して、嬉しき、この地の喜び。」
ろくでなしとは性格が曲がった人という意味が転じて、何の役にも立たない者、ろくでもない人の事です。正して嬉しきこの地の喜びです。
最後に私が拝受しましたが以下のお言葉でした。
「さて、この次は如何なるや。
結びて繋ぎて、和を広め、大き成し行く元作り、拡がり行く行くこの地より。
これぞ申してまいりた、渦なるなり。
ここに現し、皆々に伝えて知らせて変え行くは、新しきへの道づくり。
ありがたき、ありがとうございます。」
この大和の地で、結び繋いで和を広め、新しい世界の元を作り、それが渦となって行く。その事を知らせ伝えて、変えて行く新しい道作りです。これまた大事です。
陽も暮れて来て、雪は降り続いています。大和を後にして6日間にわたった仙台での新しいあわ歌の会を全て終える事が出来ました。仙台駅で細やか打ち上げ会を行いました。
中山さんの音の響きはどんどん変化し、勢いを増し、情報量が増えて行き、今必要な響きが相手に与えられるようです。中山さんがあわ歌を相手の方に歌う時に、その方々で響きが違います。その相手を通して出る響きの内容が変わるのは当然ですが、中山さんの身近で同席しているといる場所でも響きに違いがあります。中山さんと正面に相対して拝受頂く方の後ろにいるともっともその方の内容、響きの変化を体感できるようです。
多くの時間を、音と響きに浸ることで確実に自らの本質の秘められた宝石、御魂が磨きだされるようです。洗い清められて、いのちの輝きが発せられる、そんな扉を開いていただけるようです。そして自覚を深めて、素に生きることで己のお役目を果たせる能力を会得して行ける肚を作り、太まらせて頂き、柱を立てることが出来、ぶれない自分を造っていけるのでしょう。あわ歌の音響効果です。その為にも自らが響かせることが一番です。
翌日21日に中山さんに以下のお言葉があったようです。
「ヨイショ ドッコイ ヨイ ヨイ ヨイ
ドッコイ ヨイショ 大きな石ぞ ヨイ ヨイ ヨイ ヨイ ヨイショ
繋ぐ海は光りを照らす、大きな大きな岩なれば、互いに抱く大きな岩ぞ
ヨイ ヨイ ヨイショ ドッコイショ
歌いて 響けば岩を貫き、海は輝き、光を繋ぐ
は~は~あ~あ~ 西のはずれに ドッコイショ 坐りて凄い石がある」
果たして大きな岩はどこの岩でしょうか。西のはずれはスペインのロカ岬の様です。東は私には石巻の月の浦から出てすぐの、金華山の山頂近くの天柱石のように思うのですが如何でしょうか。
ヨイショ、ドッコイショは良くお囃子で、民謡などでも使い、馴染みの言葉ですが、どんな意味なのかあまり考えた事がありません。調べてみると、六根清浄や相撲との関係など言われていますが、ユダヤのヘブライ語との関係が指摘されています。
ドッコイショはヘブライ語のドケイシュが訛った言葉で「神のお助けにより押す」という意味です。ドケは押すという意味で、イェシュアは神の救いの意味でドケとイェシュアの2つを足したのがドケイシュとのことです。
ヨイショはヤとイシュの合わせたものでヤイシュが訛ったものです。ヤは神の呼び名でイショは救いの意味ですから、ヨイショは「神の救い」の意味になります。ヨイショ、ヨイショと掛け声をかける事は、神の救いの祈りの言葉という事です。
ユダヤとヤマトは如何なる関係になっているのでしょうか?西と東、どちらも古から継続している歴史に名だたる文化を残す民です。
岩は石の大きいものです。石は意志であり意思、遺志です。ある意味では引き継がれている課題とも読み解けます。大きな大きな岩とは大きな大きな課題、お互いが抱える大きな課題を、あわ歌を唄って響かせることで、その岩を貫き通して解決し、新たなるを生み出し、輝き、光を繋ぐのでしょうか。
今回新しいあわ歌に進化したことで段階が地球規模に拡がり行くような感じです。中山さん達のスペイン旅行に託されている目的、意味はことのほか大きなものの様です。支倉常長の意志、遺志が400年の時を経て現れ出でる、今後の大きな変化の媒体、触媒と成りそうです。
スペイン旅行から帰られたら宮城に報告に来て、ある場所であわ歌を響かせる必要があるようです。その場所、内容は如何様になるかは未定ですが、帰国報告を楽しみにお待ちしています。
これからは6月6日の大和での儀式、6月7,8日の日高見・アテルイ・賢治の旅が予定されています。中山さんから賢治のことを言われたのは昨年、水沢で出羽神社アテルイ顕彰碑での事でした。賢治もアセンデットマスターとして大きな役割を果たしていますので、ご縁の地を巡る事で更に北の地からの光、響きが遍く拡がり行く事でしょう。
更に、9月9日、10月10日の大和での儀式が決まっていますが、現在進められている、中山さんの全国7か所70日のあわ歌会が終了して、詳細は明らかになる事でしょう。
そして、もう一つの課題を今回与えられました。それは15日にあわ歌を拝受したKさんに下されたお言葉にあったものです。
「巡り巡りてようよう参り来たり。あなた様のその元へ辿り来たりた方々集い、しっかり定めて是よりは進み行く行く、はるけきの大きなるへ。」
このお言葉と一緒に次の数字が有りました。
翌日の16日には以下のお言葉です。
「あなた様がそうなんです。是よりの中心と成る事なり。この事しっかりと心得、動かぬ柱と成り行かれませ。」
数字の紐解きはまだ途中ですが、ある事に向けてKさんを中心に成す事に成りそうです。
与えられた課題を一つひとつ果たして、新たな道拓き、大いなる和で、縁する方々と進み行きたいものです。
今回私が頂いたお言葉を整理すると以下のようになります。
「ひとつにして行く大仕事をこの地で成せば全てが倣(なら)います。元の教えをこの時に出して、その身で成し行くことです。踏み渡り行くこれよりは、多大なる方々が揃って来て進み行きますので、迎えるその時にはこの舟に乗って下さい。
これから申す事はこの宇宙にとっての大きなることです。あなた様へと伝え来た事々を更に繋いで行き、やがては宇宙と一つの事と成ります。この北の大地を礎と成して行くことです。共々、方々、皆々 全ては是よりの響きと光りを待っていますので、光を発して輝くその時へと向かいましょう。
平成26年こそがその年です。写して、生み出だして、新しいこの北に、築き上げて始まる地はここです。正すのはこの光の神子(みこ)です。光を発して繋いで、歌の響きに乗せて行き、スダク(騒がしい)多くの声を鎮めて、これからはすがすがしい響きをこの地に満たしましょう。
さて、この次は如何に成りますでしょうか。結んで繋いて、和を広め、大きく成して行く為の雛形となる元を作り、拡がって行くのはこの地からです。これこそこれまで話して来た渦です。それをここに現して、皆々様に伝えて、知らせて、変えて行くのは、新しきへの道づくりです。
ありがたき、ありがとうございます。」