「たずね、たずね たずね来て、再び見まう大きな地。
明るく清く暖かく、戻りて皆と嬉しきを、見事に成して、
皆々と、喜び、嬉しき、時迎え。
あ~あ~あ~あ~。」9:20
このお言葉は歌を唄うように明るく楽しい響きだったようです。
そして歌会開始前の10時半に以下の絵が現れました。果たして如何様に読み解きますでしょうか。
更に昼休みの13時過ぎに以下のお言葉がありました。
「ゆずりてまいりたこれまでを 今、この時に正して参る。全ては新たなるなり。
行方はしっかり定めており、ただ古き残りたる諸々、この身を本日是より、大きく開きた扉にて、元への道に導きて、多くの方々呼び集め、一挙に参りて頂きます。
その事、明日の三時より執り行いて頂きます。」13:10
明日18日の午後は予約が夕方まで無く丁度空いています。その時間に儀式を行うという事です。何とも巧妙な御配剤、指示でしょうか。
その日の夕方に私も拝受しましたがその時のお言葉です。
「是より申すは この宇宙にとっての大きなることなり。
あなた様へと伝え来た事々更に繋ぎ行きて、やがては宇宙と一つの事と成り行く。
この北の大地を礎と成して参ることなり。
共々、方々、皆々 全ては是よりの響きと光りを待ちており、発して輝くその時へと向かいましょうぞ。」
何ともこれまた大事です。
そしていよいよ18日を迎えました。私は所要があり出張で出かけていましたがあわ歌会は予定通り進められました。
まず、11時からのあわ歌会開始前に以下のお言葉がありました。
「本日成すは、開きて繋ぐ、東と西の扉なり。
二人で向かい合いて、白き紙を置き、あわ歌と唱えるはあわの音。
方々ご用意宜しいか。ここに発する響きが合図。
大きく広く伝えませ。戻して参る。」10:40
儀式の進め方の指示です。中山さんとTさんが二人で執り行う事になります。
西と東とはスペインと日本の事です。
そして15時の儀式は指示通り行われました。そこでのお言葉は以下です。
「新たに繋ぎて戻し行く、是よりの新しき元の元を見事に繋ぐ。
ここより始むるは大きなる道なり。
皆々嬉しき、晴れ晴れ、悠々。
全てはそれぞれその身ににありて、皆々一つの大きなる和 一。」
「ゑ」
西と東、天地を繋ぐは丸○に十字の様で、○に一、大きなる和の大和(農場)の様です。
儀式が終わってから、更に、以下の言葉が有りました。
「カタロニヤ、カタロニヤ、カタロニヤ。
浮かぶ大きな船一艘、出帆の時迎えたり。
夢乗せ、遥かな時を越え、参るは東の元の元、はるけき大きな地なり。
頂きたるは全ての教えまいる。
あたまの上に頂きて、恐れて、敬い、只ただ祈る。
この事、この人、何んと致すや。
皆々変わりて幾万年。真を待ちて、ここにあり。現し行くは何人や。
歌の響きと光りにて、開きて参る、真なり。
夢なる時は既に過ぎ、現すはこの時ぞ。」
カタロニアとはカタルーニャの英語読みで、スペイン北東部の地名です。4月に中山さん達がスペインに行かれますが、その事に関係した大きな意味がありそうです。
400年前に伊達正宗の命を受けて支倉常長の遣欧使節としてスペイン、ローマに赴きましたが、出航した地が石巻市月の浦です。月の浦に行く手前の渡波にはサンファンバウテスタ号が復元され記念館に展示されています。その近くに佐藤造船所があります。
当初より、20日の最終日には石巻の佐藤造船所に中山さんを同行する予定でいましたので、月の浦に行きそこであわ歌を響かせる事が決まりました。さらにスペインに中山さん達と一緒に行く予定のWさんにも、15,16日にこの事に関連するお言葉がありましたので、石巻にも同行して頂くのが良いという事に成りました。
翌日、19日に私は出張から戻り夕方、最後にあわ歌を拝受しました。 既にこの日は横になって皆さん拝受していたようですので私も横になり頂きました。今回は中山さんが歌うのでなく、Tさんがあわ歌を歌い、中山さんが同席する形で行われました。横たわり頂く響きはまた別物で、身体の癒しが成されるようです。
中山さんから頂いたお言葉は以下です。
「平成26年 この年こそなり。
うつしゆき、生み出だし、新しきこの北に築き上げ、始まる地。」19:30
「正すはこの光の神子(みこ)。
光を発して繋ぎ行き、歌の響きに乗せ行て、スダク多くの声鎮め、是よりすがしき響きをこの地に。」
今年26年にこの北の地に築き上げる。正すはこの光の神子で、すがしき響きでこの地を成していくようです。これまた大事です。