今日午前の巡る所は宮沢賢治所縁の地です。最初は賢治が勤めていた花巻農学校があったところで、現在はぎんどろ公園として整備されています。
公園の名前になったギンドロ(銀白楊)の木はすっくと立ち、公園の中でひときわ気高く聳えています。
ギンドロは、葉の表面が緑色に対し裏面に白毛が密生し、風に揺られると木が銀色になることから名づけられたそうです。宮沢賢治の詩集「春と修羅」第二集の中で、「二本の白楊(どろ)が立ってゐる。」と書かれています。ギンドロを賢治が大好きだったと言われますが、風にそよがせながら独特な葉音を発し、響き、波動しています。この音を賢治も聞いていたのでしょう。
公園には賢治所縁のいろいろなモニュメントが配置されていて、芝生でくつろぎ、心地良く、想像を豊かに楽しく時を過ごせる空間です。
ここではあわ歌を響かせること無く、朝のひと時を賢治の波動に同調させて過ごしました。
次は、賢治が設立した羅須地人協会の建物が移築されて展示されている花巻農業高校に向かいました。
校門を入ると直ぐに、正面の校舎に掲げられた「ワレラ ヒカリノ ミチヲフム」の文字が目に入ります。賢治が花巻農学校の生徒たちの意識高揚との想いをこめてつくった「農学校 精神歌」の最後の一節です。花巻市では朝7時にこの曲が流れ、高校でも歌い継がれていると言います。
右手にある芝生の中に賢治のうつむいて立つ銅像があります。その後方にぽつねんと羅須地人協会の二階建ての建物があります。早い時間でしたので私たちが最初の訪問者です。 建物の入り口には黒板に「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」と書かれています。
この建物は宮沢賢治の家を移築したものです。以下のように活用されていました。
「宮沢賢治は大正15年に花巻農学校を退職し、桜町に羅須地人協会を開設。賢治はここで独居生活をはじめ、周辺の農家の青年を集めて、農業について(化学、土壌、肥料、農民芸術論)学習したり種や作物の交換会などをした。」
羅須地人協会は賢治の私塾で、その名前で活動したのは1926年8月から翌年3月までの約7ヶ月でした。賢治が「若者に社会教育を行っている」という風評から警察の取り調べを受け、結局活動を休止したようです。思いと現実での葛藤があったのでしょう。
建物の中を見学して、なぜか洋間に丸椅子が丁度7個あります。賢治さんから用意された席に、あわ歌聖歌隊が着席して、ここであわ歌を歌い、あいうえおを響かせました。
その時のお言葉です。
「白き雲の彼方より、届き来る光は、この今、大きなる働きなり。
賢治さま、光の道行く、若き皆々に、その光を与えませ。
この地で懸命に働く、皆々様へ光を配られませ。
皆々、これより光を受けて、光の道へと参り行き、一つと成りて、手を取り合いて、嬉しきと成り行きましょう。
この大宇宙の広きへ、光を、嬉しきを、振るえる歓喜を皆々知りて、大きなる身と成られませ。」 9時35分
嬉しいお言葉です。賢治さまにも光を発し配り、嬉しきへと向かう道筋を頂けるようです。
「われらに要るものは
銀河を包む 透明な意志
巨きな力と 熱である」
の賢治の石碑の前で皆さんと写真を撮りました。
ここで皆さんの好奇心と遊び心で予定外のことをすることになりました。花巻市内にある某デパートの大食堂は花巻の名所のひとつに成っています。レトロな食堂で、特にそこのソフトクリームは巨大で、20センチほどの高さでしょうか、それを箸で食べるのです。 その上、170円と驚きの値段で、超格安なのです。えっ!と皆さん驚きの世界です。
10時半に食堂がオープンしますので15分以上前に食券売り場に並んで、皆さんと楽しいおやつタイムを満喫しました。4人一組でソフトクリーム、ホットケーキ、プリンパフェ、黒みつ豆を平らげました。皆さん、味も量も大満足で、童心に帰ったように満面の笑顔です。思いがけず、違った意味での賢治ワールドを満喫しました。
次は予定通り宮沢賢治記念館のある胡四王山の胡四王神社に向かいました。ここは既に何度も訪れています。そして岩手在住のKさんがこれまで毎月この地であわ歌を響かせて下さっていました。
今回、神社に着いて境内を巡っていたら、中山さんがKさんに、「いつもこの場所で歌っているでしょう」とおっしゃいました。なんと図星です。Kさん「なんで解るのですか」と驚きの声を上げていました。中山さんは不思議な関知力をお持ちなのですね。
眼下に花巻市内、北上川など見下せる処で皆さんとあわ歌を響かせました。
「改めて申すは、この場は、遥かなる時より、天空結ぶ大きなる場なり。
この場に集いて、受け取りたる言葉は、皆々に伝え行きたり。
陽が登りて、新たなる時迎えて、受けるは3の日を定めて、動きて見せたるは近き時なり。
古きは、大きなる陽、真上にある時定めたり。
是より変わりて、新たなるは、来る日に伝え申す。」11時34分
この地は天空を結ぶ大きな場で、ここで受けて言葉を皆さん伝えていたようです。新しき頃は3日のに、古いころは大きな陽が真上にある時にそれを行っていたようです。これからは変わり、新たなる事を来る日に伝えて下さるようです。
神社の後は宮沢賢治記念館を見学しました。これも予定にありませんでしたが、中山さん始め半数近くの方が未だ見学したことが無いとのことです。今日は予定外の展開で楽しいです。
胡四王神社から宮沢賢治記念館に分岐するところに巨石があります。以前もここで中山さんが足を止めてお言葉があったことがありました。
今回も以下の様な歌の様なお言葉がありました。
「たらん、たらん、たらん、たん、たん、たん。
たらりこ、とろりこ、とん、とろろ、たん、とん、とん、たん、たん、うつ、ふつ、
ふつり、うつ、ふつり。
行きます、あなたのその光、大きく発して参ります。
たらん、とろん、たらん、とろん、たん、たん、たん。」11時40分
古の頃の言葉でしょうか。優しい、単調なメロディーに言葉が流れます。