安藤氏については以下です。
「安藤氏の出自については判然としません。一説では、前九年の役(1051-62年)で滅ぼされた安倍氏の一族・高星丸が祖とされ、当初は藤崎城を拠点に津軽地方を支配していましたが、13世紀初頭に十三湊に支配拠点を移しました。いずれにせよ平安末期から、その存在は史書に現れるようになり、奥州藤原氏が奥羽を支配した頃にも、津軽六郡を統治下においていたとされます。鎌倉幕府からは承久4(1222)年に「蝦夷管領」に任じられ、津軽外三郡を支配し、この頃から水軍を駆使し蝦夷・日本海交易で莫大な経済権益を得ていたとされます。正中2(1325)年には「蝦夷管領職」の争いから「蝦夷大乱」(安藤氏の内訌)が起こり、また興国元(1340)年の大津波で十三湊は壊滅的被害を受け、以降安藤氏は衰退したと考えられます。仔細は不明ですが、室町期に安藤氏は二家に分裂し、「上国家」は出羽男鹿島・出羽湊を領し湊安東氏を称しました。また「下国家」は北進を進める南部氏に圧迫され、安藤盛季は嘉吉3(1443)年に蝦夷地に追い落とされ、以降数度にわたり康季・義季・政季は津軽回復をめざし津軽に攻め入りますが、その都度南部氏に拒まれました。その後、政季は出羽檜山郡を拠点に檜山安東氏を称し津軽回復をめざしました。」
十三湖の中島には橋で渡ることができます。そこにある歴史民俗資料館を見学しました。映画の上映を見ながら暫し睡眠学習です。
昼食は直ぐ近くの道の駅十三湖で名物のしじみラーメンをいただきました。お腹も満たされて午後のドライブはお昼寝にちょうど良い揺れ加減です。
つがる市の亀ヶ岡遺跡考古資料館は昨日訪れた遮光器土偶シャコちゃんの公園の近くにあります。遮光器土偶は展示されていませんがレプリカと対面です。この地で発掘された土偶、土器を見学しましたが、シャコちゃんの置物など購入される方もいて、楽しめました。
「亀ヶ岡遺跡(青森):遮光器土偶を残した津軽の縄文遺跡」
http://wunderjapan.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
「青森亀ヶ岡遺跡」
http://inoues.net/ruins/3naikamegaoka.html
石神遺跡の近くにある森田歴史民俗資料館は初めて見学しましたが、ほとんど見学に来る方がいないようで、係員の方が沢山で驚いていました。この石神遺跡は縄文中期のもので今から4500年前のものです。私も見学して驚きましたが、国の重要文化財の土器などが沢山、無造作に展示されています。その中でも注目は人面つき深鉢形土器です。ムンクの叫びに似た姿に驚きです。その他にも十字の土偶などかなり興味深い展示品が所狭しとあり、縄文の世界を彷彿とさせる空間にしっかりと浸りました。
「つがる市森田歴史民俗資料館1,2」
http://www.fuwaiin.com/jyoumon-iseki/aomori/morita-1/morita-entoudoki.html
http://www.fuwaiin.com/jyoumon-iseki/aomori/morita-2/morita-dougu.html
巌鬼山神社は岩木山の北に、靄山からのレイライン上にあります。岩木山頂上の奥宮の里宮としてかつては十腰内に祀られていたようですが、現在の津軽一宮の岩木山神社に遷座したので岩木山神社元宮と言われています。
本殿脇にあるご神木の大杉は樹齢1000年を越える凄い巨木で、境内は凛とした空気に包まれています。暫し、エネルギーに浸っていました。
「巌鬼山神社1.2」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/9360996.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/9366717.html
大石神社の創建については「古くは岩木山を奥社とする下居宮が十腰内に建立されていましたが、寛治5年(1091)に岩木山神社が勧請されたことで祭祀が移り、その跡地には厳鬼山御西方寺観音院が開かれ巨石大石明神の信仰が高まりました。」とあります。巌鬼山神社から遷座してからのようです。
ここも靄山レイラインにあります。本殿裏にある巨石の大石がご神体でしょう。本殿左奥に龍神御鎮座所とありますが、かつて流れていた川が地震の影響で水路が変わり今は干上がってしましました。川音が聞こえますが林の奥で見えません。
「大石神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/10355054.html
一の鳥居の額の鬼の字にノがありません。本殿は左手に見えているのですが、鳥居から下り大きく180反転する感じで参道をまわると正面に本殿があります。本殿には鎌、などの鉄製器が飾ってあります。鬼神社と鉄のつながりに以下のような記載があります。
「製鉄の古代遺跡が多数見つかっている地域であることから渡来人、修験者という説が一般的のよう。製鉄民族を鬼としたのでしょう。黄金山(▲168.3)が近くに鎮座しているのも頷けます。」
様々な狛犬がいて楽しませてくれます。犬、馬、魚まであります。
「鬼神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/9325971.html
鬼神社を参拝して次は最後の訪問先、岩木山神社です。運転手さん道を間違えていささか時間ロスですが順調な巡りです。岩木山神社は津軽一の宮だけあって沢山の参拝者です。本殿までの石畳の立派な参道を登りお参りしました。右手奥にある白雲神社で竜神様にお会いして来ましたが、池には卵が何個か投げ入れられています。
「岩木山神社」
http://www.genbu.net/data/tugaru/iwaki_title.htm
弘前から早めにJRを利用して帰る方々が半数です。予定より少し遅れましたが17時頃に到着です。今回は木内さんの発病で木内さんのいない津軽古代王国の巡りでしたが皆さん始めての体験も多く、喜んでいただけたようです。
靄山からのレイラインにかつて栄えていた文明は、亀ヶ岡遺跡、石神遺跡の発掘された遺跡物に対面すると豊かな営みがはっきりと知ることが出来ます。アラハバキの神は共に栄え共存を願っていたように思います。しかし結果的に西からの侵略などで変化を強いられ中世の十三湊の繁栄そして衰退と歴史は今に至っています。
津軽の世界を引き継ぎ出雲と進みますが、木内さんの同行で開かれたかもしれない新たな視点は、次回10月の出雲の旅に楽しみとしたいと思います。