あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~ ただただ照らす。ただただ光。ただただ発し、光と成りて響きに乗り行き、大きく拡がりて参られませ。さん、さん、さん、さん、さらさんた。ゆる~。」10:03
斗蔵山の山頂にある斗蔵寺は通常は山の中腹の駐車場から20分強の山登りですが、裏道の車道でお寺まで進みました。この地に付いては以下の所縁があります。
「霊地お斗蔵山は第五十一代平城天皇の大同二年(西暦八○七年)に弘法大師の開山と伝えられるが、斗蔵山上に初めて観世音を勧請し御堂を建立したのが将軍坂上田村麻呂であるとは確実な史実のようである。弘法大師が「紫雲天にたなびき 奥州無二の聖地なり」と賛美したと言われています。」
観音堂では人の出入りもあり、奥にある斗蔵神社であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「やれ、嬉しやな、この光を浴びたり。嬉しき生み出だす響きと共に大きなり。
さん、さん、さん、さん、さん、さんらるり、あ~。さん、さんたり。
許された。許された。許された。は~あ~。」11:34
嬉しき言葉です。許されたが3度です。多くの無形存在が解放されたのでしょうか。我々も軽々と山を下ります。
昼食は福島県の伊達市保原のお店で頂きましたが、予定時間12時半丁度の到着です。全ては計画した通りに進んでいるようです。大いなる存在の計らいが随所に見え、多くの支援を頂きこの巡りが為されている感じです。
しかし、駐車場に車を止め、皆さんとお店に入り、豪華な昼食を頂いたのですが、朝から体調不良のTさんは車から降りることができずにのた打ち回り、七転八倒の如くの痛み、苦痛が襲っていました。私は暫く介抱し、私の非常時の為に携行している御法米を取り次ぎ、お陰様で暫くして落ち着きましたが、食事を摂れる状況でなく車中で休んでもらいました。
私はしっかり食事を頂きましたが、車に戻るとTさんは体調は大分良さそうです。おかげさまで、先ずは一安心です。
美味しく食事を頂、体を満たし、いざ午後の巡りの開始です。10分程で目的地の伊達市桑折町にある第12番札所観音寺に着きました。浄土宗のお寺で聖観世音菩薩がお祀りされています。ここで山形からお越しのお二人が合流して、ここから福島の観音堂の巡りを同行しました。しかしTさんは参拝せずに車で過ごしていました。
ここであわ歌を響かせ、その時のお言葉です。
「包まず申すが、良く良く聞かれませ。
光はここへと届けたり。これより変わる新しきを、この地に発するおつもりや。
有りや、無しや。(拍手)
北よりの光を受け行く身なれば、その大きなる光届かぬうち、この身はこのままなり。(拍手)
大きく変わる時なれば、只今の光、これより降り来る。ここより発して、共々に参り来たれよ。(拍手)
その大きなるを我受け取る身に非ず。篩うは、はらりる、らろえ。(拍手)
恙無き身へ過ごされよ。大きく変わればその時に、共々参りませ。(拍手)
いや、いや。(拍手)あり、あり~。」14:05
ここでは同意頂けず、北からの指示なくば動かないと頑なに拒否されたようです。これも又致し方なきことです。
次の第13番札所の大聖寺は同じ桑折町で5分程のところです。真言宗のお寺で聖観世音菩薩をお祀りしています。観音堂の周りには沢山の小さな石塔、石版が並んでいます。助けてほしい多くの方々が観音様に願いを掛けているのでしょう。そちらに向かってあわ歌を響かせました。
この時にはTさんも参加して共に響かせていました。歌い始めて程なくして、中山さんが地面に五芒星を足で描いて、その中心にTさんを立たせ、さらに五芒星の頂点を結ぶように円で囲いました。あわ歌を響き終え、その後のお言葉です。
「あ~あ~。永きに亘りた多くの事ごと、背負いて参るは忍び無し。
良く良く成されたその身を讃え、嬉し、大きな里へと道開く。
これよりのこの音持ちて参られませ。(拍手)い~い~い~。」14:38
Tさんのお兄さんがこの2月初めに亡くなられていて、体調不良にはその霊的な影響も多々あったのでしょう。「ここはお兄さんの事へのお言葉であったようだ。」と中山さんから告げられました。納得です。
縁者、子孫に願いを掛けて来ている、その意味を理解することで浄化への道が開かれるのでしょう。この観音巡りに合わせて先祖諸共多くの方々が参集していたようです。Tさんも理解を深められたようで、これまでのことが嘘の様に明るく、これまで以上に何事も無かった如く、元気になりました。不思議な世界ですが、その仕組みを知ると当たり前の世界です。いろいろな事象を通して学ばせて頂く観音巡りです。
次の目的地、に向かう移動中にどんよりとした曇り空の一点が明るくなり始め、やがて雲間から光が射し始め、かすかな瑞光が現われました。その姿はさながら天上に繋がる階段のようです。それを観て、
「きっとTさんのお兄さんが天上に引き上げられたのだろう。」と中山さんのお言葉です。それは嬉しき事と、私たちも大きな喜びを頂ました。ありがたきことです。