食事を済ませて外に出ると快晴です。湖面の奥、正面に津軽富士の岩木山の全容が綺麗に見えるではありませんか。大きな御褒美を頂けた様で嬉しくなりました。皆さんも食後のひと時を、湖面を渡る心地よい風、燦燦と降り注ぐ太陽の恵み、そして絶景のお岩木やまを満喫して津軽、十三港、アラハバキのエネルギーを楽しみました。
次の目的地は青森市の小牧野遺跡です。五所川原市から高速を利用しますが、そこに向かう道路からも岩木山が綺麗に見えます。
小牧野遺跡は以下のように紹介されています。
「青森市南東部、八甲田山西麓に広がる荒川と入内川に挟まれた、青森平野を一望できる標高80〜160mの舌状台地上に立地する、縄文時代後期前葉(紀元前2,000年頃)の環状列石です。
環状列石は、中央帯が直径2.5m、内帯が直径29m、外帯が直径35mの三重の環を描くように配置され、さらにその周りを囲むように直径4m前後の環状配石や一部四重となる列石などが配置されており、全体では直径55mにものぼります。環状列石の内帯や外帯は、平らな石を縦横に繰り返し、あたかも石垣を築くように並べられています。この縦横交互の列石は全国的にも珍しく、“小牧野式”配列(配石)とも呼ばれています。
環状列石のほか、竪穴建物跡(住居跡)や貯蔵穴、捨て場跡、湧水遺構など、生活に必要な遺構や、土坑墓群、土器棺墓などの墓制に関する遺構も発見されています。
また、環状列石に隣接する墓域や捨て場跡を中心に、土器や石器など日常的に使用されている道具のほか、土偶やミニチュア土器、動物形土製品、三角形岩版、円形岩版など、祭祀的要素の強い遺物が出土しています。特に三角形岩版は、400点以上も出土しており、環状列石などで何らかの儀式が行われたものと考えられます。
環状列石は、縄文時代の土木技術上、極めて先端的かつ完成度の高い遺構であり、日本列島にかつて独自の文化が存在したことを示すとともに、縄文時代の宗教的な思想のもと、人々の狩猟、漁労、採集による定住の在り方や自然との共生を示す顕著な物証の一つです。」
http://komakinosite.jp/index.php
青森市内には三内丸山遺跡があり全国的に有名で、その発見により縄文時代にこの陸奥に栄えていた文化への認識を大きく転換させる契機になりました。小牧野遺跡は三内丸山より10キロほど山手ですがその規模は小規模ですが綺麗な3重の環状列石が残り周辺環境も素晴らしく、私のお気に入りの縄文遺跡です。
初めてこの遺跡を訪れたときは発掘作業の途中でしたが今は立派なセンターも出来て、施設も充実して沢山の訪問者もあります。駐車場では朝から同行していた地元の方々が既に到着して出迎えて下さいました。のんびりと自然の豊かな青き森の地を古を偲びながら散策しました。
今回の旅の始まりは大湯の環状列石でした。そして締めくくりは小牧野の環状列石です。大いなる先祖達の陸奥、津軽の地での足跡を辿り、アラハバキ、蝦夷の文化、精神に触れる貴重な体験をすることが出来ました。そのガイド役が神人さんですから極めつけです。新たな始まりの様に思いました。
ここ小牧野で4名の方が地元の方々と別行動をされることになっていてお別れです。そして新青森駅で17時に10名程の方々が新幹線で帰京されるということでお別れです。共に名残惜しく、バスが見えなくなるまで手を振って見送りしてくださいました。ありがたき始まりのお別れです。
バスは仙台へ向けて350キロの帰路に着きました。バスの車中では神人さんの「車中、神人とあなたが語る生放送」というインタビューが1人15分ほどで行われました。かつてラジオのパーソナリティーも経験したという神人さんです、いろいろな切り口で皆さんにこれはと言う問いかけ、インタビューが成され笑いで車中が満たされました。
仙台駅にも予定の9時半に無事到着です。今回は予定した時間通りに昼食会場、宿、仙台駅に到着です。1000キロに及ぶ旅で予定時間通りで巡ることは稀なことです。大きな導き、配慮があったようです。仙台駅で皆さんとお別れです。
神人さんと私たちスタッフは軽食を頂き次回の打ち合わせです。今回、神人さんから頂いた言葉に中に「蝦夷の正統な核なる存在だ。」そして「共に絶妙なバランスで行われていて、柱がぶれない存在だ。共に受け入れられるのは中々の人だ。」とありました。果たして如何でしょうか。この地でこの時に果たす役割はあるようです。
次回は大筋決り以下のように内容が決まりました。9月30日ライブ、10月1~2日「神人と行く 陸奥・縄文・アラハバキの旅 in 東北」です。是非ともご縁の皆様、参加宜しくお願いします。
http://genkiup.net/seminar/seminar284.pdf