今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月14日の記事を紹介します。
「地球を救う大和心」
今この時こそ、
今まで私たちが、密かに胸の内で期待して、多少不安ながらも待ち焦がれていた
その時そのものなのですが、なかなか日々の暮らしの中においては
・「何か、起きているな」と・・感じはしても
・「最近身の回りが、騒々しいな」と・・感じはしても
今この時が、その時まっただ中であるとは認識出来ないかもしれません。
世界的にも、そして、数百年規模の歴史の波の中においても
大変化の時代に突入しています。
今日の続きが、また同じ明日ではありません。
今年の末までには、今起きているその大きな変化の意味を多くの人が気づくことでしょう。
もう後戻りはできません。
停滞もできません。
大きな変化の時には、今まで持っていた価値観を、私たち自身が変える必要があります。
「予行演習をさせられた日本」の記事でも書きましたが、
既にこの時のために、そしてショックを和らげるために
前もって沢山の方々が強制的に価値観を変えました。
・神戸、東北の大震災
・九州の地震
強制的ではありますが、そして涙と大きな痛みを伴いましたが、
その時を境に、ご自身の中の価値観が大きく変わられたことと思います。
昨日 →日本の時代 でも書きましたが、
アインシュタインの感嘆の言葉や、ブッダの予言に在る通り、
世界的な大きな大きな変化、世界中が涙も涸れ果てるほどのいさかいの後
世界の希望は、日本人の心にある「大和心(やまとごころ)」に託されています。
私達平凡な一般人には、
・世界の果てまで行き、平和のために戦争に参加したり
・貧困にあえぐ多くの人々を救う
そんな大きな力はないかもしれません。
ですが、私たち自身の心を整えることはできます。
心を整えることで、身近な周りを幸せにすることができます。
ひいては地域や国、世界を幸せにすることができるかもしれません。
全ては、私たちの心ひとつから始まります。
では、言葉遊びではなく。綺麗な言葉を並び立てて終わるのではなく、
実際に実践・行動できるように「私たちの心の何」が、大和心なのか?
書きたいと思います。
今この時こそ、私たち日本人の心が試されているからです。
どうしたらその心を取り戻せるのか?
大和心は、江戸時代の本居宣長の下記の短歌に端的に表されています。
敷島の やまと心を 人とはば
朝日に匂ふ 山さくら花
現代語訳は・・・
日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、
その麗しさに感動する、そのような心です。
そして西洋の異人の人々でさえ、 日本の山に咲く、山桜を見たら、
大和心に目覚めるであろう・・・
そう言っています。
このような心をはぐくむために
神々は、4つのプレートが重なる地域に日本列島を作り
そのプレートのせめぎあいで山や谷を作り、
その高低差で川が流れ、美しい自然をはぐくんできました。
そして日本は島国であるがゆえに、外敵にさらされることなく、
・自然と共生する心
・自然を愛でる心
・自然や万物に感謝する心
・自然や万物、そして相手の中に神を見る心
を創られてきました。
全部神々が計画したいわゆる 共生と順応の美しき心です。
これに対し、厳しい自然環境の中で生きていかねばならない諸外国では
自分の力で苦難を乗り越えねばならず、征服というキーワードで生きてきました 。
・自然を征服する
・病気の原因を細かく分類分けし、征服する。除去する。
全てが対立という考え方からスタートします。
日本では環境に立ち向かうことなく、受け入れ、環境とともに生きてしまう。
そして順応し、自分を変えることで、
自分が進化することで、環境の変化を乗り越えてきました。
日本人は、縄文の時代からずっとそれをやってきました。
ですから柳の木のように、しなやかで折れにくい強い心を持っています。
この強さを恐れ破壊するために、根絶やしにするために戦後の統治政策が行われました。
日本人の底力、神と共にある力を恐れたからです。
アインシュタインが言った
科学の発達によって、外国はみんな武器を争って作って、お互いに戦争をやるだろう。
そして、最後に疲れ果てるだろう。
その時に本当の人生に目覚めるときが来るだろう。
それをするのが日本人である。
日本人の生き方というのは、人間の本当の生き方である。
そのような地球の未来が託された私たち日本人の大和心
これを取り戻すには、日々の平凡な暮らしの中で、
身近な周りの人々と
・その違いを認め
・笑顔で助け合い
・おかげ様、お互い様の気持ちで
・憎しみの心
・不平不満の心
・嫉妬の心を捨て
感謝の心で過ごしていくだけです。
大それたこと、無理してくださいと言うことでは決してありません。
自分の心を整えるだけです。
その積み重ねが私たちの魂の中に眠っている大和心を揺り動かし
深い悲しみの後の世界に、平和と笑顔を広めてくれることでしょう。
この日本人の優れた特質について今からちょうど100年前の1922年、芥川龍之介が
「神々の微笑み」で書いています。
あらすじをご紹介し、本日は終わりたいと思います。
<引用開始> 引用元
十六世紀頃の戦国時代、キリシタン布教の全盛期。
ある春の夕暮れ、京都の南蛮寺の庭で、宣教師オルガンティーノは言い知れぬ不安に襲われていた。
風景は美しく、気候も温和で、人もまあ親しみやすく、布教も進んでいる。
しかしこの国のいたるところに、不安をあおる何かが満ちている。
オルガンティーノは夕の祈祷にて、日本の神霊と戦うための加護をデウスに祈る。
が、彼の目の前には日本神話の天岩戸の場面が幻想として現れる。
オルガンティーノはそのあまりの衝撃に気絶してしまう。
深夜、意識を回復したオルガンティーノは「この国の霊と戦うのは困難らしい」と呟く。
すると「負けですよ!」と姿なき声が聞こえる。
翌日の夕も南蛮寺の庭を歩いていたオルガンティーノは、
幾分か昨日の憂鬱を払しょくしているようだった。
数名の新たな入信者があったからだ。
しかし、そんな彼の前に、首に勾玉を下げた老人が現れる。
老人は日本太古の神の一人だと名乗り、オルガンティーノに語り始める。
この国にはデウスだけでなく、
孔子、孟子、荘子などいろいろな考え方、物や文字が渡来してきたが、
我々を征服することはできなかった。
たとえば、漢字はひらがなやカタカナに造り変えられ、
逆に我々が征服しているともいえる。
我々の力とは破壊するものではなく、まさにこの造り変える力。
デウスもまたこの国に取り込まれるかもしれない。
お気をつけなさい。
デウスが勝つか天照が勝つか、
いまは容易に断定できず、それは現在、そして未来の日本人の肩にかかっている。
<引用終了>
※当時、産業革命をいち早く終えた西洋諸国による世界の植民地支配に先立ち、
宣教師たちが先遣隊として、世界に派遣されていました。