今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月10日の記事を紹介します。
「当たり前の中の幸せ」
今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった
渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。
あれも欲しい、これも欲しい。
あれがないと幸せになれない・・・と足ることを知らなければ
どんなに恵まれた環境に置かれようと、
感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。
<引用開始> 引用元
今日は、今から数年前、同じこの日、 同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を、皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。
その人は、在学中、健康そのものの人でした。
それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、
やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。
その中に、こう書いてあったのです。
「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。
今の私には、当たり前が輝いてみえます」
この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、
病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、
たいへん嬉しく思いました。
当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。
私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、
一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。
ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。
ですから、幸せを願う人たちは、
・たやすく愛せる人を探し、
・やりがいのある仕事を求め、
・そして、すてきなもの、
・すばらしいもので、
自分のまわりを囲みたいと願っています。
今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、
そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。
お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。
では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、
必ずしもそうではありません。
なぜでしょう。
星の王子さまが答えを出しています。
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、
いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。
だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにが欲しいのか、
わらからずにいるんだ」。
そして続けていうんです。
「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、
少しの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ」
今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、
一つの歌が収められています。
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も
君し踏みてば玉と拾はむ
たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、
“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。
なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、
それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。
この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、
玉と抱いて幸せな人です。
そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
<引用終了>
今日の日本は、
・物質的で、派手な物
・目立つ物
・過激な物
を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。
・お金を稼げ
・お金が全て
・お金さえあれば、何でもできる
・人がうらやんでくれる
そんなことを、煽っているように見えます。
その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ 、それが本当の幸せと錯覚し、
・今だけ
・金だけ
・自分だけ
そんな心になってしまっているのかもしれません。
お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。
でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど
それは、どんどん遠ざかって行きます。
そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、
いつかは、純粋だった心を曇らせてしまうことでしょう。
元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?
どこか遠くにあったのでしょうか?
お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?
それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?
もしかしたら、私たちの幸せは、元々、私たちの心の中にあって、
それに私たちが気付いてくれるのを、ずっと待っていたのかもしれないですね。
大切な物は、見えない・・
それが、本当のことかもしれません。